はじめ ゆうの観てきた!クチコミ一覧

121-140件 / 170件中
ツレがウヨになりまして

ツレがウヨになりまして

笑の内閣

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/12/19 (木) ~ 2013/12/22 (日)公演終了

満足度★★★

きわめて切れ味のいい作品
ここ数年、話題に上るようになった「ネット右翼」について 真正面から
笑い抜くという、ありそうで実はなかった作品。 パロディも無理なく
散りばめられ、とにかく笑いました。タイトルにまずセンスを感じます(笑

ネタバレBOX

大学生あおいの同棲相手、蒼甫(この辺の凝り具合がある意味
すごい)は仕事先を一年持たずに辞めたばかりのいわゆるニート。
中学の先輩の内藤に影響され、「日本は洗脳されている」と信じて
疑わない、すごく単純な人。韓流スターとの握手会ばかり企画する
スーパーや日本に批判的な大学教授に抗議活動を行う日々を
過ごしている。

その様が、警察の生活課係長であるあおいの父親にすっかり
マークされており、迫る検挙の危機。あおいは何とか抗議活動を
止めさせようと、蒼甫に迫るのだが…

「そうですね!」でお馴染みの某番組を、「タモさんのウヨっていいとも」と
パロったところに、まず大爆笑。確かにタモさんではありますけど(笑
でも、実際のネット番組って、こんなノリなんだろうな…。

難癖に近い講義を受けて面くらうスーパーの店主と内藤とのやり取り、
「何がKARAだ。状況劇場でも呼んでおけ!」「唐十郎なんて呼んで
どうするんですか!」とのやり取りも、本気で笑うよね。すみません、
完全に演劇ネタです。

終盤、あおいと別れ、恋人ができてすっかり抗議活動に力が
入らなくなった内藤(「俺がモテないのは、日本が洗脳されている
からだ」「俺は恋人が出来ないんじゃない。作らないだけだ!」とか
言っちゃうイタい人)に見切りをつけて、一人で切腹しようとする蒼甫。

三島由紀夫の格好している蒼甫もアレだけど、某陛下になりすました
スーパーの店長に、感激して遺言を読み上げようとするところに、
店長が「ああ、私に手紙はいいから~」とたしなめるところ。あそこが
客席の笑いのハイライトだったと思います。客席が沸いたのなんの。
はい、これは、某山本さんの園遊会でのアレをパロったものですね。

笑いだけではなく、なかなか考えさせられるところもあり。

私は、スーパーのバイト店員で、あおいの友人の子が、
「あなた、なんでも韓国に結びつけようとするけど、本当は嫌い
じゃなくて好きなんじゃないの!? だって、普通の人はそんなに
韓国のことばっか考えて生活してないもん」

いや、本当にそうだと思います。

あと、係長が、「俺は国家権力の中枢にいる男だ。 …お前らが
国を愛しているほどに、国はお前らを愛してなんかいないぞ」、

係長の部下で、もと在日の警察官が、自分は在日だが国を愛するが
ゆえに帰化して警察官になった、逆にお前は何をしているんだ、と
蒼甫を喝破した上で、

「恋愛も国への愛も同じ。自分の一人よがりの愛を相手にぶつけて
いるだけ。それはストーカーの愛だろう」

というところも良かったな。

現代社会の風刺劇としては、バランスも取れていて、非常に良いと
思います。ラストの爽やかさもいいです。
クワトロリブレット

クワトロリブレット

株式会社Legs&Loins

Geki地下Liberty(東京都)

2017/05/10 (水) ~ 2017/05/21 (日)公演終了

満足度★★★

それぞれ過去に傷跡を残す、4人の男と4人の女性。
春から物語が始まって、また次の春の訪れと共にほんの少し、
でも確かに8人が変化する姿が心地よい鑑賞体験をもたらしてくれました。

ネタバレBOX

「自分の高校の教師に恋してしまい、その記憶を清算しようと
アフリカに旅立つ女性1」「好き勝手やっているミュージシャン
志望の弟に不快感と憧れを抱いていた高校教師の男性1」

「鉄道自殺を遂げ、今は記憶となっているミュージシャン志望の男性2」
「その男性と交際しつつ、今は別の男性3と結婚し、新しく母親になる
不安を独り抱えている女性2」

「交際相手だった男性3の子供を流産したことがきっかけで別離し、今は
花屋の男性4と交際するも、なかなか結婚に踏み切れない女性3」「女性4と
つかのまの結婚生活を味わうも、どこで歯車が狂ったのか、離婚してしまい、
女性3となんとなくな関係を保っている男性4」

「男性4と離婚後、妻のいる男性と不倫するも別れてしまい、宙ぶらりんな
状態でいる、女性1の友人である女性4」

…といった具合で、みんながみんなどこかでつながり合っているという連関
関係の中で、それぞれが互いに突っ込んだ手紙を出し合うことで、過去と
折り合いをつけていくという物語です。

日本から発とうとする女性1を追って、男性1が空港に姿をみせた場面が良かった。
自分に一生消えることはないであろう「恋愛」を刻んだ男性に複雑な感情を
抱きつつ、最後は新しい場所に飛び立っていく女性の後ろ姿に、「行ってこい」と
やっとの思いで激励する教師の心情を思って、涙した。

女性2との間に子供が生まれそうで、近々父となる予定の男性3がうじうじとした
手紙を女性3に宛てるんだけど、一喝されるという場面も良かったね。ああいう
ところに、男性と女性の違いを感じます。いつまでも過去を引きずる男性と、
ガンガン前に突き進んでいく女性と…。

冒頭場面で、語り部の女性2が女生徒の姿をかつての自分と重ね合わせ、過去を
懐かしむのに対し、ラストの場面ではまだ見ぬ子供をお腹の中に抱えた妊婦を
自分と重ね合わせ、未来を予感させるような作りで〆ているのも、よくできた
作品だなと感じさせるに十分でしたね。
『パレスチナ、イヤーゼロ』

『パレスチナ、イヤーゼロ』

フェスティバル/トーキョー実行委員会

あうるすぽっと(東京都)

2017/10/27 (金) ~ 2017/10/29 (日)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2017/10/28 (土) 19:30

座席B列6番

1948年に起こったイスラエル建国。その歴史的事業は、その地に住んでいた
パレスチナ人たちを難民化させ、現在にまで続く紛争の端緒ともなっています。
本作は、そうした民たちの生々しい被害の記録です。

『パレスチナ・イヤーゼロ』というタイトルは、おそらくイスラエルとともに
「パレスチナ」が悲劇的な形で誕生し(建国年としての「ゼロ年」)、また
そこから少しも時が動き出さずにいる(静止し、凍り付いたままの時としての
「ゼロ時間」)のふたつを意味しているように感じられました。

ネタバレBOX

この作品の語り部であるジョージ・イブラヒムは「損害鑑定士」として
登場します。いわく、「考古学者になりたかったが、イスラエルでは
パレスチナ人が考古学者になれる可能性はない」と。

しかし、彼は「考古学者と損害鑑定士の仕事は同じである」とも喝破します。
なぜなら、考古学者は「数千年前に起こった建物の破壊原因を診断する」が、
損害鑑定士は「数日前に起こった建物の破壊原因を診断する」、つまり両者は
同じ性格を持っている、というわけです。

その彼が解説する形で、イスラエルが70年にわたってパレスチナに行ってきた
家屋破壊の証言が観客の前にさらされます。

イスラエル兵が隣の家に行くため、その手前にあった家の壁をぶち壊して
突っ切っていく、

古代のユダヤ民族がらみの遺跡発掘を行う最中の振動で、パレスチナ人の
家の壁にひどい亀裂が生じる、

こうした物質的破壊はもちろんのこと、取材に来た「左派知識人」である
ユダヤ人学者の「一見人道的な」、しかし無神経な発言もパレスチナ人の
心を破壊していきます。

こうした証言が終わるたびに、事務所に見立てた舞台セットの背面を大きく
占める書類棚から段ボール箱が運び出され、中のコンクリやガラクタ片が
何度も何度もぶちまけられます。

書類とは「記録」のために用いられるものです。しかし、そのための箱には
がれきの山しか入っていない。まるで、パレスチナ人の70年の記録とは、
そのまま破壊され、粉砕されたコンクリ群である、といわれているようでした。

最後に、「損害鑑定士」だったはずのイブラヒムが役柄を乗り越えて、自らの
皮肉な過去を振り返るのが痛烈でした。

3歳で生地のラムレを追われ、以後、還ることができなかった。しかし、娘が
反体制運動に加担し、当局に捕まり、ラムレの拘置所に送られた奇縁で、
今まで還ることのできなかった生地にあっけなく訪問できた、という物語。

自らの歴史を語り終えたイブラヒムは無言のまま、がれきの上に新たな
段ボールを箱を無造作に積み上げて去っていきます。まるで、明日もまた
破壊の記録が新しく綴られることを示すようで、頭が真っ白になりました。
図書館的人生Vol.4 襲ってくるもの

図書館的人生Vol.4 襲ってくるもの

イキウメ

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2018/05/15 (火) ~ 2018/06/03 (日)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2018/05/22 (火) 19:00

座席K列20番

2036年、2006年、2001年に一個ずつさかのぼって話を
展開する連作短編集。イキウメっぽさが希薄なのは、
それまでのどことなく漂ってた不気味さが消えているのと
3話におけるメッセージ性がかなり高かった点だと思います。

ネタバレBOX

#1 箱詰め男

脳科学者だった山田不二夫はアルツハイマー発症を機に、肉体を捨て、
自身のすべての記憶を寄木細工状の箱に入ったPCに移し替え、精神
だけの存在になることに成功。

5年ぶりにアメリカから帰国した宗夫と対面するも、宗夫はPC特有の
不二夫の機械的な受け答えに物足りなさを抱き、五感の中で意識と関りが
深い”嗅覚”を外部センサー取り付けによって再生させることで、人間味を
持たせようと画策。試みは成功するも、不二夫の態度には異変が…。

2話目に出てくる兄弟の30年後が描かれています。また、3話目と円環を描く
構成になっており、一番「らしかった」と思います。感覚を取り戻すことで、
過去の記憶にさいなまれる不二夫(の意識)の苦悩ぶりは見てて怖い。

#2 ミッション

高齢者相手の死亡交通事故を起こし、2年の禁固刑を受けた山田輝夫。
仮釈放を受け、元の職場にも暖かく迎えられるも、「事故当時、衝動に
襲われ、ブレーキを踏まなかった。理由は分からない」と仲のいい同僚に告白。

輝夫の主張は過激さを増し、自身が事故を起こし、相手を死なせたことで、
その高齢者が未来において起こしたかもしれない災厄を防いだと訴え出す。
自分を襲う衝動は、世界がさらなる不幸を未然に防ぐために下した使命なのだと…。

3話目に出てくる職人志望の女の子の元恋人が同僚役で出てきます。ストーカー
行為を起こして、接触禁止命令を受けたっぽい。

この話は…前後2話とあまりテーマ的なつながりを見出せなかった(言い方変えると
異色な)作品かな。輝夫が語る「使命」が結局何なのか、時間が短いせいもあって
何とかオチ付けただけの不完全燃焼で終わった気がする。

# あやつり人形

就活を始めたばかりの由香里は母・みゆきのがん再発をきっかけに、大学中退を
決意。1年交際していた恋人にも突発的に別れを告げ、就活のペースを落とし
始める。しかし、その決定に対し、みゆきも、仕事の出来そうなサラリーマンの
兄・清武も「由香里が後で辛い思いをする」と、その決断に反対するのだった…。

先日の恋人に加え、みゆきが見た夢という形を取って、1話目の内容がリプライズ
します。

話によると、夢に出てきた科学者は家族の懇願により、永遠の生を生きることと
なった。しかし、科学者は自身の命を長らえるスイッチを切るよう、やがて
訴え出した…というのです。

その話から、人が他人に向ける「優しさ」「善意」とは、相手を追い詰めている
「他ならぬ自分だけに対する優しさ」ではないかという指摘が導かれる。

由香里の「私は後悔したいの!」という叫びを、家族2人も受け入れ幕切れ、と
いう話でした。

メッセージ性が相当強くて普通の劇団だったら良作だな、と思う反面、これ、
もっとふくらませて長編にした方がいいかもな、とも感じました。分かり易い分、
イキウメじゃなくても良かった気がしました。

以上の3作、どれも長編に改作できそうな感じだったので、『獣の柱』みたいに
設定と骨格部分だけ残して、大胆に変えちゃうこと希望です。
チルドレン

チルドレン

パルコ・プロデュース

世田谷パブリックシアター(東京都)

2018/09/12 (水) ~ 2018/09/26 (水)公演終了

満足度★★★

2011年3月11日の震災と、原発にまつわる事故を踏まえた3人芝居。
未来の世代に対する責任の物語ですが、あっさりし過ぎかなと感じました。

ネタバレBOX

時代も、場所も特定できない、とある海沿いの人里離れた住居。
ひっそりとそこに住む元物理学者の夫婦のもとを、38年ぶりに
同僚の女性が訪れる。

3人は久々の再会を楽しむも、事故を起こした原発で現在も働く
若い世代を解放するべく、女性がかつて原発で働いていた技術者たちを
呼び集め、代わりに働きに行こうとしていたことを知るや、一挙に雲行きが
危うくなってくる…。

元物理学者の男性が途中吐血し、もうどうやらそんなに先が長くないという
事実が明らかになったところで、空気が変わり、3人は原発に向かう流れに。
周囲に人がいないため、長距離タクシーを待つ間、女性たちが習慣になって
いたヨガを踊り続ける中で、静かに幕という話。

確かに原発を生み出した責任、自分たちとは関係ないところで起こった過ちの
埋め合わせで若者が頑張っている現状にモヤモヤしないか、と言われたら確かに
分からなくもないけど。

技術者たちも事故までは明るい未来を夢見ていただろうことは想像に難くないので、
安易に「責任取れ」とも言い難い気がする。外国人作家による、海外初演の作品な
こともあって、原発に関与したお前らが悪い、お前らが特攻しろ、という指弾話に
ならず、広く自分たちの世代の誰かが未来に対する責任を果たさないといけないと
いう落としどころにしたのは納得できるところ大きい。

正直、原発に行く決心した物理学者の女性が「わたし、怖い…」と漏らすのはすごく
分かる。世代代表して特攻しないといけない理不尽さ(ともいえるのかな)に直面
したらそういうセリフも出ちゃうよね。自分が同じ状況だったら、事実上の死刑状態に
恐怖して何も言えない、何もできない状態になるだろうし、みんなそうなる気がする。
誰もいない国

誰もいない国

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2018/11/08 (木) ~ 2018/11/25 (日)公演終了

満足度★★★

仰々しくオーバーな表現と論旨展開の応酬が、舞台を見つめている者に「何が
本当に確かなことなのか」、「ここで起きていることで真実は何なのか」を
分からなくさせる。そんな作品です。

ひたすら言葉、言葉、言葉であらすじはほぼ無きに等しいので中盤退屈してしまう
人もいるかも知れません…。隣席の人は始まってすぐにまどろんでました。

ネタバレBOX

主人公は、互いに「詩人」「芸術家」と名乗る初老の男性ハーストとスプーナー。
舞台は富裕ぶりがうかがえるハーストの自宅の一室のみであり、与えられる確かな
情報はこれだけです。

スプーナーの長広舌により、どうやら2人がパブで出くわし、ここに来たらしいと
いうことが分かりますが、ハーストのよそよそしい態度からそれほど親しい関係を
築いたわけでもないことが読み取れます。ハーストはことあるごとにアルコールを
欲し、どうやらアル中の傾向があるっぽい。

その後、ハーストに仕える2人の若い使用人(らしき男性)の登場を挟み、続く2幕では
夜を超えて朝になった模様。そこから雲行きが怪しくなり、赤の他人だったはずの
ハーストとスプーナーが古くからの知人だったばかりか、お互いの親しい女性をめぐって
わだかまりを持つ仲であることがどちらからともなく語られます。

みっともない老人同士の金切り声を上げての痴話喧嘩の末、ハーストが異常性癖だと
告発した後、スプーナーは相手の肩を抱き、類まれなる詩の能力を後進に伝えるよう
切々と説き始めます。

しかし、ハーストはその依頼を拒絶し、いつの間にか照明がほぼ落とされて朝か夜か
分からなくなった室内で酒をいっぱいあおっておしまい、といった感じです。ラスト、
ほぼ真っ暗な室内に立ち尽くす4人がぶつぶつ意味の分からないポエティックな台詞を
こぼし続ける風景は軽くホラーでしたね。

見た通りに出来る限り合理的に判断するなら、2人は友人の間柄で、ハーストは
スプーナーの申し出を断っただけにみえます。が、2人が友人同士か、芸術家または
詩人なのか、若者2人は本当にハーストの使用人なのか、確かなことは分からない。
今挙げたことはすべて本人たちがただ単にそう語るだけで何も証拠がない。

ハーストはアル中で病院の一室に監禁されてて、永遠に閉じ込められる妄想を見て
いるのかも知れない。または、医師や看護人を友人や使用人と混同するほど病んで
いるのかも知れない。

もしくは、ハースト以外の3人は自身の別人格で、自分の殻を破るよう手を差し伸べた
ところ、ハースト本人が救いを拒絶して、永遠の精神の闇に堕ちていく過程を見せられて
いるのかも知れない。

本来、私たちが小説や舞台に触れる際、向こうから与えられる情報を「前提」「作品内
設定」として受け入れているわけですが、ピンターはわざと荒唐無稽な台詞を連発させる
ことによって、その境界をぶち壊し、「どの前提が正しいのか」「そもそも与えられて
いる前提や設定はそのままこっちが疑いなく呑み込める性質のものなのか」と問いかけます。

そこで、作品の解釈可能性がグッと拡大し、思いもよらなかった作品受け取りの世界が
見えてくることを望まれている気がしました。
『迷子の時間』-「語る室」2020-

『迷子の時間』-「語る室」2020-

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2020/11/07 (土) ~ 2020/11/29 (日)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2020/11/15 (日) 14:00

座席S列19番

佐々木蔵之介さんたちが出演して以来の、パルコ×前川のコラボ作品。
前回と同じく、SFやサスペンスめいた部分はほぼなく、「ちょっと不思議」で
「ちょっとしんみり」する感じの作品でした。

亀梨和也さんはじめ、みんなとにかく芸達者だなぁとほとほと感心しました。

ネタバレBOX

メインとなる舞台を「2005年の地方都市の片隅にある交番」に据えた上で、「1978年」「2000年」「2022年」と
合計4つの時間軸を縦横無尽に登場人物たちが行き交うという物語。

2000年、白い霧に飲み込まれて忽然と消えた男性と近所に住む子供は、1978年に時間移動して現地で新しい生活を開始。
男性は戸籍のないまま死去し、子どもは結婚相手と養子縁組することで何とか事なきを得る。

消えた男性のフィリピン人妻は、近所の白眼視に耐え切れずに男性一族の戸籍から離脱。その幼い息子は成人そこそこの
2022年に故郷へ戻ったことをきっかけに、これまた2000年に時間移動してしまい、児童消失事件の参考人として逃げ惑う
はめに。

養子縁組を果たした男とその義理の妹、自動消失事件に携わった警官、消えた男の弟、消えた児童の母で警官の姉、逃亡を
続けている青年とひょんなことで知り合った占い師の7人が、本当に偶然かつ一瞬の間、「2005年の地方都市のはずれにある
山間の交番」ですれ違う、という

今あらすじ書いてるだけでも複雑だなぁと思うような話です。最近の前川作品っぽく、戸籍ネタとか、社会問題っぽいのを
織り交ぜてるけど、複雑な作品により一層要素(ただあまり深掘りはされないので、「かわいそう」「ひどい」レベルの
感想で終わってしまう)が入っちゃって、どこを見ればいいか分からないきらいはあった。感動した方がいいのか、ほろっと
した方がいいのか、部分部分で出てくる理不尽にムッとすればいいのか、情報量が多すぎて見終わった後何かが残る感じでは
なかった気がする。

イキウメでの公演で出てきた「中絶少女」の話もそうだけど、何か物申そうとして、でもうまく動かせず、「パーツ」で
終わってしまっているケースが多い。何かを持ってこなくても深刻さが伝わってくるのが前川作品(図書館での吸血鬼の
話とか)なので、そこはホント再考願いたい。

脚本が凝っているにも関わらず、凡庸に終わってしまった一方、役者陣の健闘がすごい。

亀梨さんの「面倒ごとはなるべく避けて、でも情にはそれなりに厚い田舎の警察官」(警官って人に物を説いて聞かせる
とき、あの間延びしたような話し方するよね)感うますぎて、思いっきりなでつけた髪型もあいまって最初全然
気づきませんでした。テレビはもちろんのこと舞台映えしそうなのでもっと挑戦してほしいですよね。

あとは、いかにも胡散臭いけど、いろいろ見通せてる占い師を演じた古谷隆太さんや、自分の状況をすんなり飲み込んで
「ま、しゃーねーや、これからどうしようか」みたいな感じでいろいろやり過ごしてる青年役を演じた松岡広大さんも
印象に残りました。松岡さん、身のこなしすごすぎでしょ…。

語る室、どっちかというとアイデア一発過ぎるところあるので、奇想天外かつそこそこ重厚なテーマを次回期待したいな。
あーぶくたった、にいたった

あーぶくたった、にいたった

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2021/12/07 (火) ~ 2021/12/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

今から約45年前の別役実作品を新国立にて上演。「タバコ」とか時代を感じる言葉も
チラホラありつつ、大体の部分は令和の今でも通じるものばかりで、少しいじれば
まんま新作という触れ込みでいけそう。

男1と女1のやり取りとか間とか、「キング・オブ・コント」かと思った。笑いのエッセンス
かなりあるよな。

ネタバレBOX

ある夫婦の結婚時から「死」(?)までの流れを全10話の連作で描くというのが
大まかな流れ。

さっきも書いたようにさまぁ~ずか、おぎやはぎばりのトボけた男女のやり取りが
繰り出される中、2人の子は高校で悪い仲間に入り、ある女の子を妊娠させたあげく、
殺害したため、一家が破滅するという暗い未来を(妊娠はおろかまだ結婚してない
にもかかわらず)心配し出すという滑稽かつ不穏な未来話がなされ、

観客を爆笑させるとともに、どこかいたたまれない気持ちにさせるという、抜群な
つかみを展開。

その後夫婦は結婚し、子どもができるものの、ありし日の「予言」をそのままなぞる
形で非行に走り、手を付けた女子を殺害し、一家は破滅する。夫婦は雨の降る公園で
毒を飲んで心中しようとするも果たせず、

そのまま年老いた末に神へ「雪に埋もれて誰にも知られずに消えてなくなりたい」と
懇願し、舞台上方から大量に降り積もる雪に飲まれるという…ギリシア悲劇ばりの
悲しさと空虚さで幕を閉じます。

「かみさま、私たちはふしあわせでした」「でも、そのことを誰にも言われたくは
ないのです」「かみさま、雪を降らせてください」「わたしたちはこのまま、
いなくなってしまいたいのです」

切々と天に向かって紡がれるセリフに猛烈に胸打たれ、神がどうかこの最期のお願いを
聞き入れてくれないだろうかと心の底で思っていました。結果的にその願いは成就した
わけですが、別役の分かりにくい「やさしさ」をひしひしと感じましたね。

あそこで雪が降らないなら、救済をもたらすべき「神の不在」が作中で確定しちゃうわけだから。

劇場側がいうような「昭和の小市民の閉塞感や苦しさ」というよりは、国とか時代とかを超えて
人が人として死に至るまで生き続けることのやりきれなさ、「もう終わってしまいたい」と思うような
漠然とした滅びを望む心(西洋ではタナトスですかね)を描いてるように思いました。頭上の万国旗って
そういう意味かと思ってた。

ちゃぶ台とか結婚式の屏風とか、あの辺の昭和日本のクリシェを全排除して、海外で上演した場合、
この作品がどう評価されるのかめちゃ気になる。別役自身は日本の観客に向けて書いてるはずだけど
他の文化圏でも通じる普遍性はありそう(言葉の微妙なニュアンスをうまく伝えられれば、だけど)。
貴婦人の来訪

貴婦人の来訪

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2022/06/01 (水) ~ 2022/06/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

フリードリヒ・デュレンマット(1921~1990)の代表作を新国立の企画モノのラストと
して演出。本作は「悲喜劇」として広く捉えられているそうなので、“喜劇”の側面を
押し出したポップでカラフルな見せ方は、登場人物や出来事のグロテスクさを強調してて
個人的にはかなり好感。万札が吹き出されるレプリカの銃がインパクトデカくて面白い。

ネタバレBOX

過去の栄光ははるか昔、衰退一方のデュレンの雑貨屋にして人望厚いアルフレッドこと
イルと若い頃に深い仲だったクララが45年ぶりに故郷を訪れたことから始まる物語。

クララはイルの子を身ごもったことで、半ば追放されるようにして故郷を離れ、遠く
ハンブルグで娼婦に。そこでわらしべ長者よろしく7人の金持ちや著名人との結婚離婚を
繰り返して、いつしか世界的なレベルの富豪(10兆払ってまだ手元には20兆あるらしい)へ。

クララは乗っていた急行列車を金の力で停止させたり、ルーブルから持ってきた駕籠を男
たちに運ばせたり、歓迎会の席では食べ物にフォークをぶっ刺したりしたままだったり、

あり余り過ぎる資本をバックにした絶大なパワーと、上流階級とは程遠い粗野で無邪気な
性格とが同居している複雑なキャラとして成立してて。なんか悪意のない傍若無人さが
まんまキム・カーダシアンなんですよね…。

初演当時の1950年代はまだナチスの影が色濃いだけに、小さな共同体の中にはびこる
ファシズムの影を暗示していたのだろうけど。

金融危機を経た現在だと、クララはグローバル資産家&インフルエンサーで、正義も
倫理も金の力で蹂躙される新自由主義(といってしまえば楽だけど、国家間の成長率や
GDPにみんなが一喜一憂するあたり、もう新自由主義といって非難してれば済む話でも
なくなってる気がする)的な現状を表現しているような読み方もできて怖い。

実際問題として、とんでもないレベルの資産家なら、ちょっとした国とか市町村レベルなら
意のままにできそうだよな…。クララの「ヒューマニズムは資産家の財布のためにある」と
いう身もふたもないセリフもそうした作品の一側面を見事に打ち出してるな、って。

クララはイルを裁くというより、イルを手にかけさせることで、自分を捨てた街の人たちに
永遠に消えない罪を負わせて裁くことが目的だった気がする。きっとイルが(街の長の思惑通り)
自殺でもしてたら、10兆円の話とか無いものになってたんだろうな。

そう考えると、クララは永遠にイルを自分のものにして、「過去を取り返した」わけで、
ちょっと歪んだ愛の形を描いたホラーとしても見ることができるんだなって今気づいた。
住所まちがい

住所まちがい

世田谷パブリックシアター

世田谷パブリックシアター(東京都)

2022/09/26 (月) ~ 2022/10/08 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

一言でいうと「不条理コメディー」の範ちゅうに入る作品なのかなと思う。
笑っちゃう部分もあるんだけど、議論の内容が錯綜しつつ、途中で結構難解になったりも
するので、単調で眠気を感じるパートがあることは否めないかなと。

塩野七生と宇野千代の箇所には笑った。小ネタがイチイチウケる(笑)

ネタバレBOX

登場人物は以下。本人の性格を反映しているのかは不明。

ナカムラ(仲村トオル):小さな会社を経営している人物。作品舞台をゲストルームとし
フミカなる女性と密会するために来たとする。非常に気が短く、かつ「神は信じてこなかった」と
言いつつ、かなり迷信を信じる部分もある。

ワタナベ(渡辺いっけい):元警部で現在は警察絡みのシークレットサービスに勤める男。作品舞台を
練り歯磨きを取引する会社だとし、その担当者と待ち合わせしていると主張する。冗談と悪ノリが
大好きで「失敬、失敬」が口ぐせ。

タナカ(田中哲司):文学系の教授。作品舞台を最近引っ越したばかりの出版社だとし、自身の本のゲラを
取りに来たのだと語る。不合理かつ超常的なことを信じておらず、何事にも合理的な説明を求めようとする。

長椅子、雑多に物が置かれた机、小さな冷蔵庫がおかれた建物の7階にある1室を、それぞれが「ゲストルーム」
「メーカーオフィス」「出版社」だと言い張り、全く違う住所を口にする。それだけでなく、冷蔵庫からは
取り出す人に応じて、「コーラ」「オレンジジュース」「暖かいコーヒー」果てにはなぜか「洗剤」まで出てくる。

いったいこの部屋は何なのか、どうしてそれぞれ違う住所を求めて来たのに同じ部屋に着いてしまったのかを喧々
諤々で脱線込みの議論する中、この場所が「この世」と「あの世」の間にある、いわば「最後の審判のための
待合室」なのではないかという話に発展し、ナカムラがいきなり部屋の四隅に塩を盛って柏手を打ち始める(笑)

ここまでで分かるように、3人のそれぞれ環境が異なる中年男性がひょんなことからよく分からない1室で一夜を
明かす羽目になる……という設定こそ単純なのですが、3人の意味があるのかないのか、議論なのか雑談なのかも
あいまいなやり取りでほぼ2時間を消費するので、見ている側としてはさすがにしんどいかな。

かなり工夫されて笑いどころも役者陣の演技込みで用意されてるんだけど、「神」とか「生死」という形而上学的な
(かつ欧米の舞台ではしばしばみられる)ディスカッションを大々的にフィーチャーした演劇はやっぱ文化の違いを
感じる。

あと、部屋の不思議を延々時間を尽くして議論するわりには、いきなり部屋の床から出現退場する謎の女(朝海ひかる)に
誰も疑問を抱かず、「彼女は我々を裁きに来た神なのか、否か」を話し合い始めるところには笑った。いや、そこじゃない(笑)。
たぶんここはそのズレにツッコミ笑いするパートなんだろな。

2時間弱ひたすら言葉を交わし続けて、翌朝を迎えたところでいわく「ムダな話」を辞めて3人家路に帰っていく……という
結局何かを得るとかそういうことはない物語なんだけど、3人とも「家の扉に鍵がかかっていて入れない」ということで
またワンルームに引き寄せられるように戻ってきてしまったのは、あれは何かの象徴?
凍える【10月24日、10月30日公演中止】

凍える【10月24日、10月30日公演中止】

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2022/10/02 (日) ~ 2022/10/24 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

捕まるまでの20年間に7人の女児を誘拐、性暴行、殺害して小屋に埋めていた男・ラルフに、
彼に研究対象として関心を抱く精神科医・アニータ、ラルフに娘を殺された主婦・ナンシーの
3人だけで繰り広げられるヒューマンドラマ。

最後のあたりは解釈が大きく分かれるところだと思う。

ネタバレBOX

最初の登場時からどうも様子がおかしいラルフ。

話が進行するうちに、彼も父親や母のボーイフレンドたちから性的虐待や暴力を常習的に受けていた
だけでなく、母親から浴槽に叩きこまれた際に頭をけがしていたこと、またこうした経験から前頭葉
その他に障害を持ってしまい、マトモな善悪の判断がつかなくなっているのではという報告がなされる。

アニータの「悪意による犯罪を罪とするなら、疾病による犯罪は症状である」という、作中最も大きい
インパクトを与えるセリフはこうした文脈から出てくる。この考えに基づくなら、ラルフは罪に問われず
おそらくは精神病棟で自分のなしたことの重大さを知ることなく一生を送ることになるけど、もちろん
ナンシーとしてはたまったものではないわけで。

アニータの諌止を振り切って、ナンシーがラルフと面会を果たす箇所が2幕後半の、そして作品全体の
ハイライトにあたることは全員一致するかと。

罪の意識というものから全く無縁なラルフに、ナンシーはありし日の娘ほか家族の写真を見せる一方、
ラルフが過去に受けた虐待や暴力の記憶を呼び起こし、「娘も怖かったに違いない」「苦しかったに
違いない」と追及する。

自身が過去に受けた体験と、そんな自身が女児へ起こした残虐非道な振る舞いが全く一緒だという
(当然な)事実をいまさらながら自覚し、良心の呵責で千々に乱れるラルフ。ナンシーの「あなたを
赦します」という言葉もさほど効果を発揮せず、とうとうナンシーに宛てた懺悔の手紙を引き裂き、
「悩んだからじゃない」という不可解な言葉を残して首吊り自殺を図る……。

この場面って2通りの解釈ができると思う。

1. ナンシーが遺された年長の娘のアドバイスを聞き入れ、本心からラルフを赦そうとした

この場合はラルフを赦そうとしたけど、ラルフが自分の弱さに耐え切れず「楽な逃げ」の
ために死を選んだということになり、ナンシーは間接的にラルフを殺したという罪を抱える
ことになる。

ラルフの葬儀の場面で、ナンシーがアニータに言い放った、「生きて苦しみなさい」というのは
この場合自身にも跳ね返ってくる言葉ということになる。

2. ナンシーがラルフの性格を把握した上で、赦すふりをして自殺に追い込んだ

ナンシーはアニータの研究発表を読んでいたそうなので、シリアルキラーのキャラクター性に
ついて把握しているはず。ナンシーの言葉も振る舞いもラルフを自殺させ、復讐を成し遂げる
ためのものでしかなく、当然この場合は良心の呵責はほぼないだろう。

これどっちなんだろう。自分は最初前者かと思ってたけど、ネット上では結構後者の見方も
多くっていろいろ気付かされる感じだった。

あと、ラルフは結局自分の自覚した罪の重さに耐えきれず、苦しさからおさらばするために
死ぬことになったんだけど、「悩んだからじゃない」を最期の負け惜しみと捉えるか、
本心からの言葉と捉えるかでも解釈が変わってくるんだよな。

セリフを追っているだけで、物語を必要最小限理解するための手がかりは与えられるんだけど
よくよく追っていくと、3人それぞれ肝心な部分も含めて観客サイドには明かされていない
情報があるので、見る側に委ねられている範囲が大きい作品だなって感じました。
断食

断食

おにぎり

座・高円寺1(東京都)

2011/01/26 (水) ~ 2011/01/30 (日)公演終了

満足度★★★

良くも悪くも予想と違った
今トップに映っている、三人の顔が詰め込まれている相当
コメディちっくなチラシ絵。

ここから連想されるものと内容が思いっきり食い違っているので
観た人の中にはもしかしたらうんざりしたり、強く不快に感じたり
した人がいる可能性が大きいですね。 私? はい、そのクチです(苦笑

ネタバレBOX

終演後、アフタートークで演出のいのうえ氏がいみじくも

「これ、『断食』っていうタイトルだからてっきり三人のダイエット
コメディだとみんな思ったと思うんだよね」
「で、ふた開けてみたらコレでしょ…」
「(演出)自分に出来るのか、他の人の方がいいんじゃないか?と」

と言い放った台詞が、観客全ての感想にそのまま通じる舞台、ですな。

一言。 かなり重いです、そして120%救いが無い、カタルシスも無い。
ちなみに、コメディ要素はあるにはあるのだけど、あまりに本筋から
ズレたところに位置する笑いなので序盤を除き笑えないです。
うん、笑いを、コメディを期待すると下手すると爆死します。

舞台は、近未来。
既に海洋は、地上は破壊され、汚染され、マトモな食べ物が
手に入らなくなり皆が人工食品を食すような、そんな時代。

上京してから音沙汰の無かった母親の死を契機に15年ぶりに
故郷に帰った、そんな男。 その彼に、自分の母親のクローンが
生存していたことが知らされることからこの物語は始まります。

観ていて思うのは、正しい・正しくないは関係なく「リアルでないもの」
「現実でないもの」はゴミクズのように排除され、現実を受け入れている
者だけがただ生きることを許される、ここはそんな世界なんだなぁ、と。

男によって、一回は「処分」を逃れ、「生存」を許された母親のクローンは
結局は男の都合によってクローン保健員に「処分」される。

男も、その中で自分の過去、自分の生前の、実際の暗い影を持った
母親の過去がフラッシュバックしていき、次第に全てが現実なのか
それとも自分の思いこみなのか境目をなくしていく。

それは、彼が食していた金目鯛の煮つけのように、一味は母親の
手料理の味に似ていても所詮は遠い人工食品のよう。
人工食品が母親の手料理の味なのか、母親の手料理の味は
そんな程度のものになってしまっていたのか。

最早、母親との「現実の記憶」すら定かでなくなってしまった男。
それなのに、まだ手からこぼれおちる砂のような、不確かな
「現実」にすがろうとする男は、最後一刀のもとに保険員に殺される。

「お前、気持ち悪いんだよ」

という一言と共に。

結局最後、創り物みたいな現実をそのまんま受け入れている保険員、
彼が生き残った。 後はみんな死んだ。 でも、保険員にも未来が無い。
何故なら、彼もただ「食って生きている」だけの、死人みたいな存在だから。

誰も、救われない。 徹頭徹尾、ダークな舞台ですよ、これは。

ある意味真逆な、この作品といのうえ氏はよく対峙したと思います。
台詞も結構エグくて、演出によっては相当落とされる作品だけど
ぎりぎり一握りの温かさは伝わってきたかな。。 

断食道場で、記憶の中の母親と男が対面する場面で
泣きそうになりましたね。 そこで感動させないで
落としにかかるのが青木氏らしかったけど(苦笑

覚悟の上で観に行けば、好き嫌いはともかく損はしない
真剣な作品だと思います。 再三だけど笑いはあまり期待出来ないよーと。
ルネ・ポルシュ『無防備映画都市―ルール地方三部作・第二部』

ルネ・ポルシュ『無防備映画都市―ルール地方三部作・第二部』

フェスティバル/トーキョー実行委員会

豊洲公園西側横 野外特設会場(東京都)

2011/09/21 (水) ~ 2011/09/25 (日)公演終了

満足度★★

過去、現在、そして…未来は?
前もってロッセリーニ「戦争三部作」から材を取った、と断られていますが
むしろ内容的にはドイツ演劇特有の「過去との対立」「資本主義」「見えない
未来」が、過去になされた議論を下敷きに展開されている印象を持ちました。

したがってドイツ史(特にナチス時代~東西分断~現在まで)について
知らないと、何を言っているのか、何が、誰が風刺されているのか、
よく分からないところがありますね。

ネタバレBOX

まず、座席の設置が悪いように思えました。
段差を設けない為、前の席の人の頭が邪魔になって舞台前方が
見えにくい。加えて、舞台の中心となる広場と翻訳・車内の様子を
映し出すスクリーンとが少し離れている為、視界に全部入らず、
交互に見ないといけなかった為、結構苦痛でしたね。

作中気になったのは、「若くないから嫌われる」という台詞。
ナチス時代、ドイツ国民は「若々しく剛健で、金髪のアーリア人」であらねば
ならない、というテーゼが唱えられていたのを思い出しました。

そして、1947年から区切られた、「零年」になった、という言葉はそのまま
そのナチス時代の記憶をいつしか忘れ、資本主義の波に飲み込まれ、
そのまま自分を見失っていくドイツのありようを控えめに、しかし痛烈に、
批評したものといえるのではないでしょうか。

最も、劇中、私の意識を揺さぶったのは「俺は自分の解釈で作品に
当たるが、それはもう既に作品そのものじゃない」「役者Sの役をRが
やったところで、それはもうSではない」という、まくしたてられた台詞。

激越さを極める資本主義の荒波の中、その勢いは圧倒的で、
それに対抗しようと、マルクス、フーコーを持ち出して現代的意味を
こねくり回して付け加えようとしても、それはもう既にそれ自身の持つ
本来の意義を失わせていくだけだ、と宣告されているような、そんな
気分に陥りそうでした。

では、そうした「過去の思想」によりかからず、強大な資本の力に
立ち向かうにはどうすべきか。明確に答えを見いだせないだけに、
ルネを含む今日の作家達の苦悩と試行錯誤は大きいと感じさせられます。

…と、注意深く観ていて何とか掬いあげられた解釈がこれです。
もしかしたら、中央の広場が殆ど草も生えていないような荒涼とした
荒地なのは、何もない荒れ果てた地点から何か「新しいモノ」が出発する、
といった、隠された暗示なのかもしれない。

そんな風に深読みさせてしまう一種訳の分からない力が、この『無防備
映画都市』にあったことは事実です。
謎の球体X

謎の球体X

水素74%

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2011/09/02 (金) ~ 2011/09/11 (日)公演終了

満足度★★

う~ん
途中までは面白く観られました。ちょっときわどめなブラックネタも
良いタイミングと間で放出されるから、悲壮感も無く笑えるし。
ただ…後半やり過ぎて無茶苦茶になってしまってて、ラストも
打切りエンドみたいなのがなんだかな、と思いました。

ネタバレBOX

とにかく出てくる人たちは全て精神医学的にいうと、「サイコ」に
分類されるような類の人種ですね。歪んだ愛の形に、狭い空間の
中で生きているから異常と気が付かず、むしろ外部との接触を
積極的に断ち切ることで、「自己保存」に走っている。そんな印象。

「外」「他人」を異様に警戒しているところから自分達の方が異常だって
気が付いているんじゃないかな。。

健児は中でも、虚ろ過ぎる目つきと(役者の凄味が感じられました)、
よく考えればマトモでないのに何故か説得力を醸し出してしまう発言が
マッチしてて、興味深い役でした。ま、典型的な「DV夫婦」の図だったけど。
互いに共依存している、ね。

最後の方、妹と床下からの男が何故か火事場の強盗殺人犯にまで
堕ちてしまった辺りから?だったけど、その後いきなりメタ演劇っぽく
なって「これ、嘘なんでしょ」でぶつっと終わらせたのはいただけなかった。
理解は出来るけど、無理やり理屈をつけて終わらせた感じがして、
印象は良くなかったなぁ。
外の道

外の道

イキウメ

シアタートラム(東京都)

2021/05/28 (金) ~ 2021/06/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★

本来なら2020年上演予定だったが、コロナ禍で中止となった本作。
WIPなどを挟んで、満を持してのリベンジとなりました。

コロナの影響で考える時間が増えたせいか、以前にも増して哲学的、
スピリチュアル的になっており、主に安井順平さんが繰り出すギャグ的
せりふ回しや動きがないと突拍子もなさすぎる話になってきてる気がする。

「少し不思議」の中で繰り広げられる、人間のどうしようもなさの描き方が
好きなんだけどな。

ネタバレBOX

都心から遠く離れた町で、20年以上ぶりの再会を果たした寺泊満(安井)と山鳥芽衣(池谷のぶえ)。

与党政治家の変死を追ううちに、常人離れした「手品」の使い手であるマスターに頭をいじられた
ことから、人とは違う世界が見えるようになってしまった寺泊、

「無」と書かれた宅配物を開けたことから、部屋を真っ暗な“無”に侵食され始め、やがて闇の空間から
得体のしれない少年を見つけ出した山鳥。その少年はいるはずもない「山鳥の息子」と捉えられ始め
あろうことか存在するはずのない証明写真や戸籍などの記録が出てくるようになる。

入り口は違えど、「世にも奇妙な世界」にいつの間にか入り込んでしまった2人。お互いだけがよき
理解者で、周囲は完全に気の狂った「病人」としかみなさない世界の中で、2人がいつの間にか
落ち着いた空間にまでも真っ黒な「無」が迫りくるようになる…。

最近のイキウメの作品に顕著だけど、回収されないというか、本筋から外れたエピソード多すぎる
感じがする。与党政治家の死の真相とか、山鳥母の話とか、本筋にガッチリ入り込んでいたわりに
結局何だったのか、よく分からなかったし。話を進めるためのマテリアルだったのかな?

「無」に侵食されて真っ暗な世界に飲み込まれて、自分を失ってしまう恐怖というのは分かるけど、
三太が出てきた時点で「あ、新しく、というか、どこか別の空間に出てくる可能性あるんだな」と
感じちゃって、いまいち深刻に考えられなかった。「有」のことは触れない方がよかった気がする。

総じて、興味深い話とか見方とかあったけど、本筋が弱くなっちゃってて「いい話」「うまい演出」の
話どまりになっちゃった感。魂とか、ここではない世界とか、昔はもっとテーマに絡めて現実的に
扱えてた覚えがあるんだけど…。
プラトニック・ギャグ

プラトニック・ギャグ

INUTOKUSHI

駅前劇場(東京都)

2013/12/25 (水) ~ 2013/12/29 (日)公演終了

満足度★★

ラストの展開に震えが走る
「コメディ」と銘打たれていたけど、実際はかなりビターな
物語かと思います。「プラトニック・ギャグ」の意味も辛い。
とりあえず、ラストの展開は衝撃的で、いきなり別の作品
観ているような気分に陥りました。

ネタバレBOX

明らかにファンタジーの世界の学校に通うノアとナギが
出会って、恋に落ちて、修学旅行などのイベントごとで
まわりの邪魔が入りつつもお互いの距離を縮め合うサイド、

子どもの頃からいつも一緒にいた4人組が、成長するに
したがって、ある人はいい仕事先に恵まれ、そして海外で
NPOに従事する意識の高い人物になり、

紅一点の人は、中学の頃から意識していたガキ大将的な
立場にいた子と付き合うようになり、やがて結婚を意識する
ようになる…と、よくありがちな流れが描かれるサイドの二通りが
暗転とともに、順番に説明されていくのが、今回の作品。

劇場で爆笑していた人には申し訳ないと思いますが、ギャグは
あまり刺さってこなかったです。ちょっとハイテンション過ぎて
おいてけぼりをくらった感じかな。

「コメディ作品」を期待して観ていた自分としては、ちょっと…と
思っていたんです。途中までは。

やがて、物語の2つのサイドのうち、ファンタジー世界の方は
もう片方の「現実」のパートで、いつもハイテンションでズレた
発言を繰り返す、他人とのコミュニケーションにかなり難のある
最後の一人、トウジの頭の中で繰り広げられる妄想だということが
分かります。

4人の中で、その人だけ、素っ頓狂な言動で道化役のような
立場になってしまっていて、他の3人がそれぞれの未来や
幸せをつかんでいくのを目の当たりにしながら、やるせない
気持ち、そして心の中の闇を深めていく…。

ファンタジー世界で、ノアとナギ、二人の距離が縮まらないように
いいタイミングで邪魔が入るのも、その世界の「神」であるトウジが
そう望んでいたから。でも、その制約を破って、ついに二人は
クリスマスの日、結ばれたカップルは永遠の幸せを叶えられる日に
お互いの気持ちを告白しようという流れになります。

現実では友人たちに取り残され、自身が王であるはずの
ファンタジーの世界でも思うようにならないことに精神の
均衡を崩し始めたトウジ。さて、クリスマスの日に何をしたでしょうか。

ファンタジーの世界に入り込んで、最初の一声を上げようとした
ノアを刺殺します。そして、ナギを抱きしめて、こう言うんです、
こう繰り返し続けるんです。「行かないで。ここにいて」。

最初と終幕の温度差があまりに違うので、本当に別の作品かと
思うほどでした。でも、ここまで、人間の心の闇を描いた作品、
しかもコメディ仕立てで、となると、本当に久しぶりな気がします。

多分、自身の分身であるノアとナギがくっつきそうになるのって
心のどこかでトウジ自身が望んでいたと思うんですよ。誰か
自分の理解者が現れて、自分を救ってくれる、愛してくれる。

自分の心の中のある部分を手にかけたことで、トウジの心の
闇は完成してしまって、それって本当に恐ろしいことだな、と
思いましたね。

この劇団には、シリアス風味の、非コメディ作品を望みたい
ところですね。なんか、その方がいい気もします。
π*π pie pie 「マーブル」

π*π pie pie 「マーブル」

ネルケプランニング

小劇場 楽園(東京都)

2014/01/23 (木) ~ 2014/01/27 (月)公演終了

満足度★★

なかなかないテーマ
東京都写真美術館の展示でときおりその作品を観ることが
できる写真家、「渡辺克己」をモデルに、新宿ゴールデン街を
舞台にした演劇。なかなかないテーマを扱っており、その点、
勇気があるなと思いました。それだけに、ラストの展開は、
もう少しなんとかなったのでは、と残念に思えます。

ネタバレBOX

この作品は、渡辺をモデルにした写真家が、学生運動を撮影
している最中、学生たちに追われて行き着いたバーで、ママさんと
出会い、そして恋に落ちる…というストーリーです。

写真家は、自分の「第2の故郷」となった新宿ゴールデン街を舞台に
次々と作品を取り続け、その写真は大きな賞を受賞するほどに、
高く評価されていくことになります。それとともに深まっていく、
写真家とママさんの関係。やがて、写真家はママさんから、彼女が
元々は男性で女性に性転換したという事実を告げられるのです…。

基本的には、写真家が有名になり、告白を受け、それを許容するも
やがてママさんが彼のもとを去る、という話です。気分が重くならない
ようにか、結構重要なテーマを扱っているのに、そこはさらりと流され
結構あっけない最後を迎えてしまったのはもったいないな、と感じました。
せっかく、「楽園」という、密な空間なのだから、もっとそこを突き詰めても
よかったのでは、というのが、正直な感想です。

「楽園」なのですが、換気が悪いのか、ものすごく暑くって、途中何度か
意識が飛んでしまいそうになりました。時期がら厳しいとは思いますが
多少は涼しくしてもよかったのでは。
ヒネミの商人

ヒネミの商人

遊園地再生事業団

座・高円寺1(東京都)

2014/03/20 (木) ~ 2014/03/30 (日)公演終了

満足度★★

消えた町の日常
「遊園地再生事業団」立ち上げから間もない時期に初演された
作品の再演。初演と比較しようもないのだけど、宮沢氏の近作と
比較すると、かなりの部分で「物語」というフォーマットが残って
おり、不思議な気がしました。ここではうっすらとした形で提示
されていたものが、後年では、明確なストーリーと交代するように
前面に出てているように思います。

ネタバレBOX

「ヒネミ」(日根水)という架空の町に過ごす人たちと、そこに「外からの
人」として赴任してきた銀行員、渡辺のある一日を描いた本作。とはいえ、
特に大事件が起こるわけでもなく、風変わりな日常の様子が
描き出されます。

「ウルトラ」という正体不明の物品、「サルタ石」を捜し求めてさまよい続ける
正体不明の女、贋札製造をにおわせる印刷工場の主人。不可解なもの、
謎を秘めたものはたくさん出てくるのですが、その秘密が明かされることは
なく、淡々と進んでいく作品は、どこか脱臼したような、気の抜けたような
登場人物のやり取りと共に始まり、そして終わりを迎えます。

最近の作品と比べた場合、今と比べて、登場人物同士の会話が大きく
ウェイトを占め、演出もいわゆる従来の演劇に則っています。加えて、
宮沢氏の近年の作品の特色である、「ドキュメンタリー」「メディア」との
親和性はまだ希薄で、会話の端々に差し込まれる「批評性」「テーマ性」も
少なくとも目に見える形ではほとんど現われません。

どこかゆるゆるとしていて、始まりと終わりの境目が曖昧な、「ポスト会話
劇」の作風は『五反田団』に通じるものがあると思いました。時折、とぼけた
冗談が入ってくるところとか特に。そういう作品が好きな人には、いわば
「親」「源流」を知る意味で触れる価値はあると感じます。
The Blue Dragon - ブルードラゴン

The Blue Dragon - ブルードラゴン

東京芸術劇場

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2010/11/11 (木) ~ 2010/11/14 (日)公演終了

満足度★★

演出、役者限りなく良かった…
のだけど、肝心のホンが正直陳腐だと思った。
意外な話をやれ、と強要したいのではないのだけど、これだけ完璧に
近い要素が揃っているのだから、もうちょい何とかなったんじゃないかな、と。
展開が読め過ぎて、途中眠くなってしまいました。

ネタバレBOX

話自体が、見せ方の上手い、手の込んだ「メロドラマ」になっちゃってるのは
女優のマリー・ミショーがホンに関わっているから? 

三展開用意されたラストも何だかな…

1つ目は個人的には「アリ」だと思いました。 こういう話では仕方が無い
展開だと思う。

2つ目。えっと、正直な話完全にバッドエンド、ですね。
少なくとも私はそう思いました。 現実的には一番ありそうな話ですが。。

3つ目。多分、ルパージュはこれを最良として考えていた節があります。
実際、全二つと比べて温かさの感じ方、描かれ方が全然違うし、
特に女性が観たらすかっとする展開な気がする。 

ただ、やっぱり何か腑に落ちなかった。 ご都合主義的過ぎるし。

上記三つの展開全てで、クレールにとっては特に何一つ損をしないものに
なっているのが、腑に落ちない理由なのかなぁ。

観てて思いましたが、「ブルードラゴン」は演劇というより映画なんですね。
あくまで欧米的視点からみたアジア、中国であり、「ラストエンペラー」とか
あの辺から続く系譜の一つです。

欧米人の子を産んだアジア人の娘と、それをおいて国に帰る欧米人の
男と女(三つの展開のうち、一つは違うけど)…って、欧米の映画に
よくあるパターンで、逆の展開って無いよね、そういえば、とついつい
天邪鬼な視点で観てしまうのです。 

いくら、養子引取の問題を背景にしているんだよ、といわれても、
結局は同じ根底にあることだし。 アジア-欧米の戦前からの
長く続く関係性ですね。 とどのつまりは。

ルパージュは言語環境はどうあるにせよ、やっぱり多分に欧米的な演出家。
多分向こうでは絶大な人気があり、評価があると思いますが、
中国という舞台が「欧米人にとって異国的な、変わったところ」という程度の
位置づけで無かったのが残念過ぎでした。

演出は凄かった。 上下二段に分けた舞台空間を変幻自在に下宿に、
空港に、地下鉄のホームに、へと変えていく巧みさや映像との組み合わせ等
実際にあの場にいなければ分からないほど、インパクトのある大胆な
演出でした。 でも、やっぱり映画とか映像寄りの演出に感じた。
それが悪いというわけではないけど。
F/T12イェリネク三作連続上演 『レヒニッツ』 (皆殺しの天使)

F/T12イェリネク三作連続上演 『レヒニッツ』 (皆殺しの天使)

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2012/11/09 (金) ~ 2012/11/10 (土)公演終了

満足度★★

隠ぺいの構造
終戦直前のオーストリア・レヒニッツ村で発生した、ナチスによる
ユダヤ人の虐殺を背景とした、ひとつの事件が隠ぺいされ、

それどころか、記憶まで書き換えられていく。その様が舞台として
再現された本作。観ていて、最近上演されたNODA・MAP『エッグ』と
テーマ的には被る部分が多いと強く感じました。

ネタバレBOX

過去は、人が記憶に留めておく以上、時の経過によって
改変されていく。それは仕方のないことです。

なら、意図的に集団ぐるみで隠ぺいされたら一体どうなるのか。
いや、隠ぺいされるなら、まだいつか、真実が白日の下にさらされる
日が来る可能性があります。じゃあ、記憶が書き換えられていったら
どうなるのか。

犠牲者たちが望む真実が大勢の前にさらされる時は永遠に
来ないでしょう。「彼らを見る視線は無く、彼らの視線もまた
無い」のであり、ここに犠牲者たちは二度殺されます。

実際の当事者たちは、過去の衣服を次々に脱ぎ捨てて、新しい
姿に転身して指弾を逃れ、トカゲのしっぽ切りよろしく、下っ端の
人間だけが裁かれる構図は、まさに『エッグ』でも描かれた構造で、

ただし、『レヒニッツ』では忘れ去られるのではなく、隠ぺいされ
「噂」として消費されることにより、一層真実が分からなくなっている。

その現在が、簡素な舞台装置に秘められた皮肉とともに、巧みに
演出されていました。

ただイェリネクのテキストはお世辞にも整理されているとはいえず、
これは狙ってのことなのでしょうが、正直、集中力の面では、
なかなかに厳しかったです。

後半、イェリネクの視点から、事件が総括され始め、指弾される
くだりでは、がらっと変わって激越な筆致になり、そこからは結構
引き付けられたのですが。歴史やドキュメンタリーに興味がある人は
必見ですが、それ以外となると、どうでしょうね…。

このページのQRコードです。

拡大