松竹花形歌舞伎
松竹
【閉館】日本青年館・大ホール(東京都)
2011/11/16 (水) ~ 2011/11/16 (水)公演終了
満足度★★★
名台詞で偲ぶ
※日本青年館は16日のみの公演だったのですが、登録の際、16日とすると、公演期間が16日から25日という表示になってしまうので、1日から25日とせざるえませんでした。「松竹花形歌舞伎」は11月1日から25日までの秋季巡業公演なので。
中村獅童は、丹下左膳、一心太助、と、叔父の初代中村錦之助の当たり役を演じてきた。『瞼の母』の番場の忠太郎もそのひとつ。
戦後の映画スターの中で、錦之助はもっとも股旅物の渡世人の似合った人だと思う。映画・舞台で長谷川伸の代表作に主演し、高い評価を得た。
錦之助は若いときと、晩年とで、忠太郎の演じ方をまったく変えていたが、私は生前最後の忠太郎をもっとも高く評価する。
ラストシーンは一種悟りのような境地に立っていたと思う。
若い獅童が忠太郎をどう演じるか、という興味とともに、また、あの名台詞を聴きたいという思いで、チケットを購入した。
当日は、招待券の赤いハンコが押されたチケットを手にした団体客が長蛇の列で、動員の大変さがしのばれた。開演中も私語がやまなかった。
『瞼の母』は新国劇の十八番であり、歌舞伎ではない。歌舞伎の巡業演目としてふさわしいかは大いに疑問だが、松竹としては、座頭を任せて、成長させようとの親心なのだろう。
直近では現勘三郎の忠太郎を初役で観ているが、お母さん子で有名な獅童の「母恋」の演技に期待した。
ネタバレBOX
演出を歌舞伎調にする必要があったせいか、見得を切ると渡世人にしてはやや立派で、硬い感じがした。
錦之助は渡世人らしく「おくんなさい」を「おくんなハい」と発音し、それが非常に色気があって私は好きだったが、獅童は普通に「おくんなさい」と発音し、一か所だけ、「おくんなハい」と発音していたのが嬉しかった。
半次郎の沢村宗之助に、東映時代の沢村訥升(のちの宗十郎)の面差しが重なった。宗之助は女形が多いので新鮮だった。
無筆の忠太郎が半次郎の母に手をとられて手紙を書く場面や、夜鷹の老婆が何度も礼を言って去る場面など、本来はホロッとする場面で笑いが起きるので鼻白む。
最近の客にはコントにしか見えないのだろうか。残念だ。
片岡秀太郎のおはまは滑舌が悪く、台詞が聴き取りにくい。おはまは江戸の水になじみ、伝法な女将に収まっているが、秀太郎は上方のこってりした芸風のせいか、長谷川伸の世界とは異質に感じた。
おはまと忠太郎とのやりとりがかみ合わぬ悲しさに普通は涙があふれる場面なのに、客はげらげら笑って観ている。
たくまずして、秀太郎のおはまはコミカルな味わいが出てしまっているのだ。
このくだり、獅童はよく演じているので残念だった。
市川笑也の妹・お登世に哀切さがあり、成長を感じた。
市川男女蔵の金五郎の憎々しさが親父さんの左団次そっくりでうまい。
ラスト、「わざわざ骨を折って消しちまった」のセリフ回しはしみじみしとしてよかった。
母と妹を見送って言う「いやだよ、やだやだ。誰が出て行ってやるものか」は、晩年の錦之助は駄々っ子のように明るくさらっと言ってみせたが、獅童もそれを踏襲している。
現勘三郎は定石通り、哀愁たっぷりに演じた。
獅童はあと10年くらいしてまた演じたら、もっと味が出てくるかもしれない。忠太郎役者としてはまだまだながら期待できる。
長谷川伸はいつ聞いても、いい台詞を書いた人だなぁとため息が出る。
古くは戦災孤児の涙を絞り、近くは先日の大震災で肉親を失った人たちにも通じる芝居だ。
かく言う私も、忠太郎と同じ5歳のとき、家庭の事情で母と離れ、「瞼の母」を想ったときがあるから、この芝居はグッとくる。
締めの「お祭り」の鳶頭の獅童は、すっきりとしていてよく踊りこんでいる。
ここでも男女蔵の獅子舞のくだりがよかった。笑也の芸者はあでやかさがもうひとつといったところ。美しいが歌舞伎より新派の芸者に見える。
三人姉妹
グルッポ・テアトロ
中板橋 新生館スタジオ(東京都)
2011/11/17 (木) ~ 2011/11/23 (水)公演終了
満足度★★★
自然な演出だが、難点を感じた
かなりの長期間、稽古に時間をかけたそうで、その成果で、翻訳ものにありがちなとってつけたような違和感がなく、自然な人間関係の雰囲気を出すことには成功していると思う。
だが、個々の俳優の資質の違いがアンバランスな感じで、「公演」と言うよりワークショップを観ているような印象が残った。
作品の人間的心情が現代人にとっても理解し、共感しやすくなっている反面、現代的演出が作為的に浮き上がって、ロシアらしい雰囲気が伝わってこないように思えた。
私は映画の「ドクトル・ジバゴ」や、「戦争と平和」、「アンナ・カレーニナ」が好きなので、「三人姉妹」を観るからには
やはりロシアらしさを味わいたいのだ。
チラシの女優たちの平服も現代を意識したのかもしれないが、野暮ったくてゼンスを感じない。
満席の場合、補助席は小さな木の丸椅子で、これで2時間30分はきついので、ごらんになるかたは早目に入場されることをお勧めする。
ネタバレBOX
一番、違和感を持ったのは、衣裳である。
最初の場面で、三女イリーナは盛夏に着るワンピースだが、ほかの人は秋らしい服装。
家政婦アンフィーサ(豊田真弓)が、日本の割烹着を着て、いかにも日本のおばちゃん風で、和風のお盆を持って泥鰌救いを踊っていたのには唖然とした。
市原悦子の家政婦でもエプロンくらい着ている。
長女オリガは地味なお茶くみOL風だし、次女マーシャは合コン好きのOLみたいな服装だ。
しかもアンドレイの妻のナターシャやイリーナは着替えるのに、次女はずっと着た切り雀なのが気になった。
やはり、女優にはロングスカートをはいてほしかった。イリーナのAKB48を思わせる衣裳は特に気になった。
女性の足がきれいに見えない中途半端なスカート丈で、マーシャのぴったりしたパンツルックの皺も気になる。
全体に90年代初頭のバブルの日本の雰囲気を感じた。
当時の自分の職場の人たちの服装にそっくりなのだ。
南海ホークスのギャグなど不必要に思った。
アンドレイ(原野寛之)が日本のサラリーマンみたいにネクタイで鉢巻して騒いだり、宴会でカフェバーみたいな現代的な音楽がかかる。
もちろんロシアらしい曲もかかるが、音楽の入れ方も聴こえ方も不自然で、調和していないのが気になった。
下手、無音でみんなが踊っていて、上手ではアンドレイとナターシャが会話している。
その靴音が下手側の席ではとても耳障りで狭い会場ではパントマイムも不自然に見え、むしろ低く音楽を流したほうがよかったと思う。
ヴェルシーニン(片山健)が40代初めという設定だが、茶髪の若者にしか見えない。
ローデ(ゴールドバーグ翔音)が体育会系の雰囲気を出そうとしてか、声が大きすぎて浮き、芝居の雰囲気を壊している。
チェブティーキンの宮川知久だけが新劇風の手堅い演技で、かろうじてチェーホフ劇らしい。
若手ではトゥーゼンバフの佐藤学ニの個性が印象に残った。
アンドレイの妻ナターシャの如月皐は婚約時の純情娘から豹変した嫌味な小姑ぶりがよかった。
三人姉妹では、いつもオリガが印象に残るのだが、壱岐照美は堅実さはあるが、寂しい顔だちで演技も控えめなので、役の性根が見えてこない。
マーシャの久保田涼子は難役を好演したと思う。
イリーナの山本美紀子は愛くるしい美少女ぶりが目を引き、今後の成長が楽しみだ。
アラカン!
劇団テアトル・エコー
恵比寿・エコー劇場(東京都)
2011/11/11 (金) ~ 2011/11/23 (水)公演終了
満足度★★★★★
客観的な視点で楽しめるコメディ
脚本が面白く、登場人物一人一人がよく描かれていて、とても楽しめる内容だった。
いわゆるバックステージもので、それが中高年の養成所を舞台にしているところが興味深い。
シェイクスピアの「オセロー」を先入観なしに素直に客観的にみつめる視点も生かされていて、秀逸なコメディ。
最初、休憩込み2時間30分と聞いて、観劇前は長すぎるのではと思ったが、まったく飽きさせない。
人情味も入れながら、湿っぽさがない幕切れにも好感が持てた。
唐沢伊万里さんの次回作にも期待したい。
ネタバレBOX
俳優陣はそろって好演されているが、演出家・片瀬の後藤敦と看板女優・八神の南風佳子が特に印象に残った。
片瀬は登場したときは厳格な劇団生え抜きといった趣だが、アマチュアに辛抱強く合わせていくところがとてもよく、捨て台詞の間が巧く、効いている。
南風の八神は劇団の看板女優らしい華と貫禄があり、イアーゴーの男役の颯爽とした風姿が素敵だ。
ただ一点、私が観た回は演出助手里村を諭す場面で「月島さん!」と言ってしまったのが残念。
里村役の沖田愛も目立ちすぎてはいけない役だが、控えめでも役の性根をしっかり表現しているのは若手ながらさすがだと思った。
ミュージカル好きの元銀行員向井(小宮和枝)がいちいち踊りながら演技して、足がつってしまうところは思わず笑い転げてしまった。
だが、彼らの「オセロー」は終盤はミュージカル仕立てになっているのがご愛嬌。
「確かに、最近のミュージカルは、必ずこういう歌が入るなー」とか思って観ていた。
要所要所に入る創設者・広川役の納谷悟朗の独白ナレーションを聞きなが
ら、テレビ草創期、洋画の声優として活躍されていたかただけに、その声に歳月を感じた。
砂の駅
NPO法人 魁文舎
世田谷パブリックシアター(東京都)
2011/11/03 (木) ~ 2011/11/06 (日)公演終了
満足度★★★
忍耐がいる
太田さんの沈黙劇というのを映像以外で観たのは初めて。
舞踏やダンス、能楽よりも難解だと思った。
今回の演出は、舞台上に描かれるのが「生者の営み」であり、「性」も強く感じられた。
沈黙劇は慣れていないせいか、観ていて忍耐力がいるし、とても緊張し、翌日は疲れが一挙に出て、寝込んでしまった。
やはり同じアジアの韓国のかたの演出であるせいか、感覚的には受け入れやすい印象であった。
ネタバレBOX
俳優・大杉漣の底知れない魅力を改めて思い知らされた。
転形劇場での体験があったからこそ、現在の彼の「彩り」があるのだなと思えた。
中年女性がブラジャーをはずし、くるくる動かしながら初老の男性にアピールするようにしつこくすり寄っていく場面が、夫婦なのか、恋人なのか、ユーモラスで会場から笑いが漏れていたが、中高年としては観ていて気恥ずかしかった。
最後の後ろ向きから砂地を振り返るストップモーションにハッとさせられる。
アフタートークが初心者には理解の一助になり、演出家が、輪廻転生を意図し、震災の犠牲者への希望と祈りをこめたというのが仏教徒としては共感できた。
太田さんの生前、湘南台文化センターで上演されたことを知り、砂の遺跡のような長谷川逸子さんの建築にはぴったりの演劇だと感心した。
新国立のアフタートークは席の移動が許されるが、空席が目立ち、2階、3階はほとんど客がいないのにもかかわらず、「そのままのお席でお聴きください」と言うのは、少々不親切に思えた。
説教強盗
劇団ダミアン
アサヒ・アートスクエア(東京都)
2011/11/06 (日) ~ 2011/11/13 (日)公演終了
満足度★★★
猥雑さが乏しい
久々にレトロなアングラ劇を観たという感じ。
金杉さんの作品は一度、観てみたいと思っていたので良い機会だった。
仕掛けは工夫されているが、私にはこの時代に必須の猥雑感のようなものが若い俳優の演技からは感じられず、吾妻橋で上演したという以上の意義を見出せなかったのが残念。
私が子供の頃は、説教強盗のエピソードはよく知られていたが、いまの若い人はよく知らないと思う。
なぜこの作品をいま取り上げるのか必然性がよくわからなかった。
説教強盗は、人は殺さないから説教強盗なのだが、この芝居ではその特殊性がわからない。
前説が日替わりで、私の観た回は柿喰う客の玉置玲央。声も大きく、きびきびして好感が持てた。
ネタバレBOX
吾妻橋というロケーションを映しこんだような鉄橋やガードの舞台美術が見事。
会場に入り、紗幕で中央と下手に気づかず、上手側に座ってしまった。
三方から囲む形で、花道風の通路もあり、場所によって見え方が違うと思う。センターが一番観やすいかもしれない。
上手側は、音響が響きすぎて、ドキッとしてしまう。
アングラ劇によく出てくる「思い出の品」へのこだわり。
この芝居では、みつえという女郎が客にねだる赤い鼻緒の駒下駄である。
終盤で多数の駒下駄が天井からぶら下がり、からころ鳴るのは圧巻。
同じ人物を複数の俳優が演じるアングラ特有の演出のため、ややわかりにくい。
また、脚本の都合上、配役が記していないので、自分が知らない俳優がわかりにくい。
3月10日の東京大空襲のエピソードもあるが、仕掛けに凝っていても、戦争の焼け跡の匂いや心の傷があまり役者から伝わってこい。
大汗かいて頑張っているな、という素が見えてしまい、私には物語としての感動がうすかった。
三矢直生30thアニバーサリーコンサート
株式会社センターヴィレッジ(CENTER VILLAGE MUSIC FACTORY)
アサヒ・アートスクエア(東京都)
2011/10/31 (月) ~ 2011/10/31 (月)公演終了
満足度★★★★★
歌の力に感動
宝塚歌劇団退団後、一念発起して東京藝術大学を受験して卒業、女優、オペラ歌手としても活躍している三矢直生さんの歌を退団後、生で聴くのは初めてでした。
直前のオペラ公演「こうもり」に行けなくて、残念に思っていたところ、このコンサートを知り、さっそく予約しました。
クラシックからミュージカルの主題歌まで、幅広いジャンルの楽曲を歌いこなし、その声量の素晴らしさと歌心に深く感動しました。
あっというまの1時間半。
芸能生活30周年と言うことで、構成がコンサートというより彼女の半生のミュージカル仕立てになっていたので、取り上げました。
ネタバレBOX
上手な人の歌に感心したことはあるが、「心底歌に励まされた」というのは、美空ひばり以来かもしれない。
三矢さんは黒木瞳、真矢みき、涼風真世といった女優さんたちとは宝塚同期で、美人豊作の期と言われた昭和56年初舞台組。首席で入団した実力派です。首席生徒の晴れ姿である「春の踊り」の初舞台口上写真がプログラムの表紙に載っていたのも懐かしい。
幼いころから先生についてクラシックの難しい歌を練習していたという話も初耳だったし、盟友・大浦みずきさんを失った想いを語ったあとのミュージカル「テンダー・グリーン」の心の翼には、場内はシーンと静まり返りました。
コントラバスでヴァイオリンの「チャルダッシュ」を演奏した佐野央子さんのテクニックの見事さにも驚嘆。
嬉しかったのは、深紅のドレスからコシノヒロコさんデザインの王子様のような衣装に着替え、宝塚の歌唱法で、宝塚の名曲を披露してくれたこと。
クラシックのときとはまた別人で、ベルばらのジェローデルがよみがえりました。
「ノバ・ボサ・ノバ」のシナーマンは、これまでほかの歌手で何度も聴いてきたけれど、これほど息が続き、豊かに歌いこなす人は初めて。
人を想う優しさにあふれ、東日本大震災についても通り一遍の感想でなく、ご自身の言葉で、「大けがをしてしまった私たちの地球だけれど・・・」と表現されたのも印象的。
こんな先生に教わる宝塚歌劇団の現役生たちは本当に幸せだと思います。
遊園地再生事業団『トータル・リビング 1986-2011』
フェスティバル/トーキョー実行委員会
にしすがも創造舎 【閉館】(東京都)
2011/10/14 (金) ~ 2011/10/24 (月)公演終了
満足度★★★★
欠落の軌跡と失速感
1986年、日本ではアイドルの岡田有希子が飛び降り自殺し、海外ではチェルノブイリの原発事故が起きた。
15年前から現在に至るまで、「欠落」の軌跡を追う不条理劇。
上演時間が長時間ということで、二の足を踏みかけたが、まったく時間を感じさせず、あっというまの2時間30分だった。
観てよかったと思う。
劇を観ながらも、自分の人生を振り返り、特にあの狂おしいまでのバブルという時代の違和感に想いを馳せた。
3.11以降、繁栄を尊び、走り続けてきた日本を振り返るなかで、バブルの時代を再検証しようという動きが評論や文学、演劇の分野でなされている。
この作品もそのひとつだろうか。
世代によって受け止め方や評価が分かれるような気がした。
ある若い演劇人は「まったく無意味な作品」と切り捨てていたが、1986年の時点で幼年期だった人には共感しにくいかもしれない。
ネタバレBOX
人々はビルから飛び降りるのだが、また、ビルへよじのぼってきて、会話を始める。
夢の中の出来事のようだ。
「なぜ、アイドルの自殺なのか」と思ったが、人気の絶頂期に、まさに失速して死を選んだ人気アイドルの事件は、衝撃的だった。
人がうらやむような華やかな芸能界で彼女は「欠落」を感じていたのかもしれない
当時、岡田さんの周辺をよく知る人が私の上司だったので、事件直後は職場でもその話題が出たので印象に残っている事件だ。
超多忙で失速を許されない職場で、休憩時間に彼女の死について話すとき、私たちは少し我に返っていたように思う。
彼女はバブルを迎える前に失速し、死んでいった。
チェルノブイリの事故はショッキングではあったが、どこか他人事だった。
劇中でも、「いつのまにか忘れ去られた」と言われている。
そのあとにやってきたバブルの時代。
「インクスティック、タンゴ、朝まで踊ったわ」という女子高校生の述懐に、ウォーターフロントに次々現れた蜃気楼のような建築世界を思い出していた。もっとも、これらは仕事で取材したが、当時、私自身は遊ぶ暇はなかったが。
ビンゴゲームの場面が出てくるが、これもバブル時になぜか流行り、違和感を持った記憶があるが、それを描くことで、意味不明の熱狂が再現される。
ビンゴゲームも台紙に穴をあけていくのだが、この「穴」に欠落感を見出すことができよう。
劇中のビンゴゲームの商品は、それだけでは使えない欠落したものばかり。
その欠落感に気づかず、「物質の繁栄」を私たちはありがたがっていたのかもしれない。
最後の商品、空中高く吊られた大きな箱は、棺のようでもあり、パンドラの箱だろうか。
シャツの欠落した片袖をつけるよう注文する女性のことを「忘却の灯台守」と名乗る女がすぐに忘れてしまう。
記憶の欠落である。
「欠落」の暗喩に、女性たちが椅子を触りながら、同種類のシャンプーとリンスを同時に使い始めるとシャンプーが先なくなり、余ったリンスはお父さんが別のシャンプーと対で使うという
話をし、「お母さんが使うのはちょっと高級なロクシタン・・・」というところで止まる。
個人的には、へぇーと思いながら観ていた。
最後に安全な南の島に逃げてきたと思った学者が実は東北の震災で死んでいた、という展開になる。
安息の土地など、私たちにはもう残されていないということか。
失速し、ビルから飛び降り、ビルの屋上でまた語り合う欠落した記憶の中の人々。
彼らと同様、欠落した記憶の中で、私たちは生きているのか、死んでいるの
か、そして、これからどこへ行こうとしているのか。
深いところの記憶が呼び覚まされたような作品となった。
秋涙
劇団だるい
東京アポロシアター(東京都)
2011/11/04 (金) ~ 2011/11/06 (日)公演終了
満足度★★★★★
知的で洗練されたコント
男性メンバー4人が脚本・演出しながら演じる。
「男子校のノリ」という感想を多く聞いた。
言われるまで、あまり意識しなかったが、潔く、そんな雰囲気もあったかもしれない。
旗揚げ以来、ずっと観てきて、最初のほうの公演はやりたいことをやっている印象だったが、
回を追うごとにコントが洗練されてきたと思う。
今回はかなり、大人向けにレベルアップされていた。
いまや、多くの人にお勧めしたい内容になっている。
「秋涙」はシュールレアリスムにもかかっているそうだ。
ただ腹をかかえて笑うコントではなく、小気味よい知性を感じさせるところが「だるい」の魅力だ。
ネタバレBOX
「意味屋」この作品のみ小林早苗が担当。笑うセールスマンみたいなエスプリのきいた作品。
映像をうまく使い、巨大カプセルを飲み込む場面が可笑しかった。
「余興」(大島健吾・作)
会社の同僚の結婚式の余興を始めようとした男性2人の哀歓。
大河内健詞は出てくるだけで可笑しい。彼のスカート姿は東大の「ウワノソライフ」以来。
2分間のショートコント4本では中野和哉の「法廷」がミヒャエル・エンデの手法でかみ合わない言葉の面白さを狙った。
大河内作「貧乏兄弟」の会話は、ドリフのおバカな兄弟を思わせた。
「餅つき名人」
ケータイゲームを実写で見せる。
大河内作品のバカバカしくも大真面目でナンセンスな可笑しさ。
「直江兼続」
佐溝貴史・作の戦国コント。これもドリフのような可笑しさがあるが、裸になっても品を失わないところがいい。
「アダムとアダム」(大河内健詞 作)
これも裸コントだが、「アダムである」という台詞の繰り返しでつづり、哲学調で面白い。
「秋涙」
同じ女性を愛した男4人の独白。中野作品には珍しく、センチメンタルで演劇に近い。
まさに「秋の涙」という感じで、彼らの前に湖が見えるようなすがすがしいエンディング。
スマートモテリーマン講座VOL.2
avex live creative
天王洲 銀河劇場(東京都)
2011/10/11 (火) ~ 2011/10/19 (水)公演終了
満足度★★
大劇場向きではない
R25というフリーマガジンの人気コラムの劇化。前回の会場は草月ホールだったと思うが、大好評だったそうで今回、銀河劇場という大劇場になったのだろうか。
私はまたしてもこの公演で「芝居内容と箱」の関係を考えてしまったが、こんなに大きな劇場で公演するのがふさわしい作品に思えなかった。
前作を観ていないが、だいたい想像はしていた。しかし、今回は銀河劇場なのでもう少し演劇らしく格好をつけるのかと思ったのだが。
安田顕という人気俳優や、賀来賢人というイケメン俳優(前回は溝端淳平)を起用していること以外、福田雄一がふだん書いているブラボーカンパニーのコント芝居と変わらない。
スケールが小さすぎて、劇場空間にそぐわない印象なのである。
セットもチャチな感じだし、見せ方にこれといった工夫も感じられない。
それでも客席は若い女性客で超満員で、安田の一挙手一投足に爆笑が起こる。
その点は、小劇場でのブラボーカンパニーでの公演の女性ファンとほぼ同じ反応なのだが。
私は福田雄一のコントは好きなのだ。
だが、どうせならブラボーのメンバーが駅前劇場あたりでやったほうが面白さが出るのでは?と思う。
そこに安田顕が客演で出るというなら、斬新さもあるから多少評価もしよう。
安田は演技力もあり、芸達者な人だが、出てくるだけでキャーキャー笑ってもらえるこの公演にどれほどの充実感を感じているのかな、と思ってしまった。
ネタバレBOX
オープニングを安田一人でやたら引っ張るが、私にはほとんど面白く感じなかった。
イケメンだが草食系男子で女性にオクテの若手サラリーマンコミヤマくん(賀来賢人)の恋愛改造講座である。
終盤、ライオンキングのパロディーによるおさらい劇まであるが、間が持たない。
クイズ場面で賀来がやたら「僕は賀来千香子の甥です」という役柄にはまったく関係ない発言を繰り返すのも興ざめ。
主人公の恋敵として先日の「明烏」を思わせるチャラ男キャラ(川久保拓司)なども登場させるが、こんなサラリーマンがいるだろうかと呆れる。
安田の「OLちゃん」という言い方もわざとらしく違和感を感じた。
そして、主人公はモテリーマン講座により恋愛を成就するわけでもない。
まったく空虚な気持ちで劇場を出た。
エレジー
(公財)可児市文化芸術振興財団
吉祥寺シアター(東京都)
2011/10/13 (木) ~ 2011/10/19 (水)公演終了
満足度★★★★★
胸打たれるほろ苦さ
観劇の前日に、清水邦夫氏の盟友でもあった蜷川幸雄氏と、同時代に新宿を拠点として活動した唐十郎氏による初の公開対話を聴きに行き、60年代後半当時の「時代の熱気」を懐かしく思い出した。
平さんは先日の劇団四季でのシャイロック役のときもそうだったか、今回も「お芝居を観た」という以上の想いが心の中に残った。
それは私自身が年をとり、「老いの苦さ」を悟り始めたことが大きく関係していると思う。
清水さん、蜷川さん、唐さん、平さんそれぞれの演劇に対する熱情を自分の中で反芻しながら観劇したという点で、感慨深い公演となった。
蜷川さんと清水さんが一緒に芝居していた当時は、映画が終わった夜9時半から新宿文化のアートシアターで上演されていたこともあり、観たことがなく、
旧作は大学生によって上演されたものを観て、とても好きになった。
いくつか蜷川演出による作品も観ているが、本作は、これまで私が観た作品とは少し違う感じの作品だった。
だが、「記憶」について書かれている点では共通している。
可児市は私の父の晩年の思い出につながる土地で、二度ほど所用で訪れたことがあり、いただいた名産品の薔薇を見て胸がいっぱいになった。
ネタバレBOX
平幹二朗演じる主人公の老人・平吉に、亡くなった自分の父親の晩年の姿をも重ねわせてもいた。
ひねくれたものの言い方をする一方で、愛すべきユーモラスな一面もある老人。
聞こえないはずの踏切のイメージが平吉には去来する。
年を取ると見えない、聞こえないはずのものが迫ってきたりするが、それを単に「ボケの兆候」で片づけよいものかどうか。
老人の幻覚には、背負ってきた人生が見て取れる。
平吉は最初は意地悪爺さん風なのだが、亡くなった息子と暮らしていた塩子(山本郁子)との交流が描かれるうち、平幹二朗という俳優の「男の色気」がにじみ出てくる。
私は「名優」や「名演技」の安売りは好まないが、彼こそまさに名優という形容にふさわしい人で、もっと経験の浅い若い俳優を名優と形容したら、平幹二朗クラスの俳優を何と呼べばよいのかわからないではないか。
平吉の弟(坂部文昭)が塩子の伯母(角替和枝)と語らううち、消防車のサイレンで火事を知り、そわそわ嬉しそうになる場面に清水作品の「炎」のモチーフが盛り込まれている。
塩子と伯母は共に神経を病んで入院した経験を持ち、互いに相手のことを「カッなると刃物を振り回す」と主張する。
このエキセントリックな一面を持つ2人の女性に兄弟が惹きつけられていく経緯が面白い。
塩子を異性と意識しながらも理想の男性像を訊かれた平吉が塩子がヒゲを生やしたような男性だと答える。
塩子は「私は女なんです」と訴える。
平吉の心の中には息子と塩子はある意味一体化しており、一体化させることで矜持を保っている面もあるようだ。
それだけに、美化されてきた息子の偶像が塩子の遠縁である交際相手の青年医師(大沢健)によって一気に叩き壊されるのが傷ましい。
我が子であれば息子の欠点も平吉はそれとなく見抜いていたはず。
平吉に心をかき乱されていき破滅する塩子は、いかにも清水作品のヒロインらしい。
ただ、塩子の劇中劇シーンが浮いた印象で私にはちょっと気恥ずかしく感じられた。
清水さんの作品にはこういう場面が時々登場し、ドキッとする素敵なシーンであることが多いのだが・・・・。
普通のホームドラマではない、なかなか手ごわい戯曲。
家族を描いた清水作品の場合、学生による上演でも凝った舞台美術が考案されるようだ。
下手のリビングの部分が可動式で、戸外のシーンでは後方に下がるようになっているが、工夫とはいえ、何となくしっくりこないものも感じた。
まるっきり抽象的でシンプルなセットというわけにはいかない作品だとは思うので、難しいところ。
五娯楽 ~誤らなかった五人の話~
黒色綺譚カナリア派
西荻窪 +cafe (タスカフェ)(東京都)
2011/10/09 (日) ~ 2011/10/09 (日)公演終了
満足度★★★★★
期待が膨らむ
この劇団が番外公演の会場に選ぶお店はいつもレトロで素敵な雰囲気の空間。
劇団員全員が白やオフホワイトに茶を組み合わせた色調で統一したそれぞれファッショナブルな衣装を着て朗読を行った。
午後の素敵なひとときだった。
個人的には、この劇団が行ってきた朗読劇の演出のほうが本公演より好みである。
12月の活動停止本公演に先駆けての朗読劇とは面白い試みである。
ネタバレBOX
この劇団の朗読劇の特徴である「前説の人」を本来予定した赤澤ムックから芝原弘に変更し、芝原が朗読するはずだった男性の話を赤澤が代わるという趣向。
トップバッターの「公務員の兄の日記」を読む妹の朗読(牛水里美)にとても興味をひかれた。
あと、次々にリレー朗読が行われる。
話はそれぞれつながっていて、聴くほどに想像が膨らみ、興味が募っていく。
朗読を終えたかたちで、全員が引き上げたなか、升ノゾミが一人残る。
彼女はみんなには姿が見えない設定の役の朗読を受け持つ。
鬼気迫る朗読であった。
公演のあと、アンカーを務めた升が次の本公演には出演せず、これがカナリア派最後の舞台と知り、驚いた。
残念である。
「本編には登場しない役」というのは、彼女が演じた役なのだろうか。
頭痛がするほど、四六時中、スピーカーが鳴り響くという田舎町の物語。
本公演への期待が膨らむ。
【ご来場ありがとうございました】ファミリーコンフューザー/無縁バター
Aga-risk Entertainment
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2011/10/06 (木) ~ 2011/10/10 (月)公演終了
満足度★★★★
試行錯誤
シチュエーション・コメディ作家の中でも、冨坂優は題材より表現方法で試行錯誤しているように思う。
「みんなのへや」でのセットなしのスケルトン、「大空襲イヴ」での衣裳なしで役柄をタスキに書くなどの手法。
今回の「ファミリーコンフューザー」は、いままでの試行錯誤を生かした作品と言えよう。
「装置に凝り、写実的なセットを組んだ中で観せる」という多くのシチュコメ劇団の常識や先入観を打ち破ったかたちでの上演である。
また、「無縁バター」は再演物でミステリー調の一風変わったコメディー。
以前はル・デコのようなギャラリー空間での番外公演だからこその2本立てかと思っていたら、アフタートークで冨坂は、今後もこのセットなしの2本立て上演を実施したいと語っていた。
これは長編のシチュコメよりも、演劇になじみのない人でも入りやすい手法ともいえる。
ただ、この簡素化上演は諸刃の剣の側面もあり、セットに頼れないぶん、俳優陣がよほど演技の質を向上させないと、演技のアラが見え、単なる手抜き上演のように見えてしまう危険性もはらんでいると思う。
俳優までスケルトンになってしまっては困るのである。
今回は、客演陣の演技がとてもよかった。
アフタートークが最近ありがちな雑談ではなく、簡潔な作品解説になっていたのが評価できる。
ネタバレBOX
「ファミリーコンフューザー」
認知症患者の言動を強く制したり、内容を全否定してはよけい症状を悪化させる、とは介護現場でよく言われることである。
記憶がうすれ始めた母親(大久保千晴)の言動に合わせて、長男(塩原俊之)と長男と離婚し別居中の妻(木村ゆう子)が話を合わせて嘘をつき、それが周囲の家族を混乱させていく。
ヤクルトレディの梁島惇子、長男の妹・いとうえり、その婿の藤田慶輔ら、客演陣の演技が光る。
いとうえりは、暗転の間、家族の状況を独白で説明する場面にリアリティーがあり、藤田は本格的な芝居で役そのものに見える。
というと、おかしな言い方だが、俳優の見た目とか、年齢とかを斟酌しない配役で、胸に役柄の名札を貼って演じているため、普通の芝居のように「その人らしく見える」ということはあまり重視されないのである。
すると、俳優に演技力がなければ、興ざめしかねないのだ。
母親の言動やその場の状況に合わせて、名札の役名もころころ変わり、「白紙」の場合もあるのである。
長男の息子役の淺越岳人が居直ったように、「俺はいま、清(長男)だから」と言う。
淺越は演技だか素だかわからない芝居をする人で、SETの小倉久寛を思わせるのだが、このあたり、いかにも楽天的な感じで、実際の認知症家族もこんなふうに深刻にとらえずに行けたらな、などと思ってしまった。
周囲が夏服に変わっても、母親は同じカーディガンとズボンなのは気になった。
「無縁バター」
初演の際、詳しく感想を書いたので省略します。
今回はより、溶けた遺体を明確にしたことで、区域が一種のバリアになっている面白さがある。
ストーリー展開も面白いし、「孤独死」をめぐる人々のエゴや本音、宇宙人との遭遇など考えさせられる内容になっている。
斉藤コータの住人が巧く、彼の登場から俄然、芝居が面白くなっていく。
大家の菊池奈緒も好演。
債権回収業者の望月雅行も分別ゴミの指示のくだりで前回同様、爆笑してしまう。
前回気になった細かい点が改善されたのも評価できる。
照明の使い方が効果的でよかった。
アパッチ砦の攻防
劇団東京ヴォードヴィルショー
紀伊國屋ホール(東京都)
2011/09/23 (金) ~ 2011/09/28 (水)公演終了
満足度★★★★★
これぞ三谷幸喜のシチュコメ
再演を繰り返すたび、改作していった作品らしい。
それが裏目に出る場合もあるので、観る前は心配だったが、まぁ、初演は観ていないので比較はできないものの、すごく面白くて安心した。
私が観ていたころの東京サンシャインボーイズは熱気に満ち、こういう面白さだったのだ。
当時、私が同行した芝居好きな人、芝居になじみのない人、みんな一様にゲラゲラ大笑いできるハッピーなシチュコメだったのだ。
三谷幸喜氏については「はっきり言って面白くないから観ない」とか「それほどとは思わない」と言う人もいて、それは売れてからの三谷作品を観ている人が多く、私はいつも大変もどかしくも口惜しい思いをしている。
「あまり面白くない」と言いながらも観続けてる人がいるのが、また不思議なのだが。
だから、これは我が意を得たりの作品でありました。
B作さんと角野さんといえば、「渡鬼」のオヤジバンドの仲間としてもおなじみで、息もピッタリ。
今回の観劇で1つ残念だったのは、劇のクライマックスにきて、私の四方の女性客が申し合わせたように、バッグの中をガサゴソとまさぐり始め、その音の耳障りなことと言ったら!
終演まで待てないのだろうか。
隣客の2人に至っては、飴を勧める、断るの応酬で台詞が聴き取れなかった。
この人たちは終演後の会話によれば、「招待券をもらったお仲間」だそうだ。
劇場には何をしに来ているのか、その目的を観客にはトクと考えてほしいものだ。
ネタバレBOX
シチュエーション・コメディーのお手本のような作品。
いかに自分の目的を果たそうとするとはいえ、鏑木(佐藤B作)みたいに身勝手な御仁は困りますねぇ。
翻弄される現在の主、鴨田(角野宅造)の困惑ぶりが可笑しい。
人を食ったような偽外人ビビアン(小林美江)や、自治会副会長夫妻(たかはし等・フジワラマドカ)、大学教授ではなく実は居酒屋のオヤジだという堤君の父(市川勇)など、三谷のシチュコメらしい登場人物が面白い。
マンションのベランダに出されてしまうのも、サンシャインボーイス時代の手法で懐かしい。
鴨田の妻役で、沖直未を久々観たが、いつもキリッとした役柄が多いので、おっとりとした天然ボケの役は新鮮だった。
鏑木の別れた妻、あめくみちこはB作の実生活の妻でもあるせいか、力が入りすぎてスリッパで強く殴り、お互い笑いをこらえていたりする。
電気屋役の斉藤清六に、自分も年を取ったなあと歳月を感じた。
気になったのは、寿司屋の出前が6人前とはいえ、随分届くのが遅いなぁということ。
余談ながら、過去のキャストで、西郷輝彦の鴨田はどんなふうだったのか、観てみたかった。
カーテンコールでB作からユーモア交じりで出身地・福島への震災募金のお願いがあり、会場で募金させていただいた。
悩殺ハムレット
柿喰う客
シアタートラム(東京都)
2011/09/16 (金) ~ 2011/09/25 (日)公演終了
満足度★★★★★
ガールズナイトを観ました
柿喰う客はまだ一度しか観たことがなく、私のような旧人類は、もとより若ぶるつもりもなく「お呼びでない」と心得て下がっておりました。
今回はシェイクスピアが好きなので観に行った。
ガールズってトシじゃないが、その日しか行けなかったのである。
会場にはお年を召した観客も何人かいらしたので少し安心した。
内容は文句なく面白かった。「なるほどー」と目からウロコの大満足だった。
シェイクスピアが現代の若者と等身大に迫ってきて、肝要な点はきっちりと描かれている。
10代のシェイクスピア入門としてもお薦めできる。
次の「マクベス」も観てみたいと思う。
ネタバレBOX
全編、これチャライ若者言葉で演じられる(ヤンキーというのか、チーマーというのか)。
予想していたとはいえ、最初は戸惑ったが、観ているうちに違和感がなくなってくるから不思議だ。
成功の素は、女性によって演じられたことだと思う。
このチャラさが、男性によって演じられたら、リアルすぎて興ざめし、面白さ半減したと思う。
中央に赤いソファが置かれただけのシンプルなセットで、音楽にのって次々にテンポよく登場人物が出てくる。
深谷由梨香は、聞き取りやすいセリフとチャーミングな演技の愛すべきハムレット。
死を迎える場面は格調も感じさせ、すばらしかった。
コロのクローディアスは違和感なくとにかくカッコイイ。昭和の宝塚スター、真帆しぶきみたいだ。
私のオフィーリア像は清純派なので、新良エツ子はちょっと馴染めなかったが歌唱力で魅せた。
とにかく目をひいたのがマーセラスの岡田あがさ。
不気味な鉄仮面のチンピラみたいで、特にお気に入りなのは、オフィーリアの歌唱のコーラスで合いの手を入れる無表情さがたまらない。
ホレイシオの荻野友里の「メガネっ娘」ぶりがとても可愛かった。
フォーティンブラスの七味まゆ味のモヒカンには度肝を抜かれた。
本編終演後、ガールズナイトのイベントが行われた。
司会進行役はコロ。
舞台上で笑顔を見たことがないが、素顔は気さくな感じの女性でそのギャップが魅力的。
ニコニコうなずいている荻野友里の横顔が阿川佐和子サン似で、微笑ましい。
皆さん、歌もダンスもお上手で、AKB48というよりは「モー娘。世代」のようだが、なかなか楽しませてもらった。
女子校で育ったせいかやはりこういう試みが私は好きなのだと思う。
どん底スナイパー
モダンスイマーズ
サイスタジオコモネAスタジオ(東京都)
2011/09/12 (月) ~ 2011/09/25 (日)公演終了
満足度★★★★
予想以上の好作品
劇団員の古山憲太郎氏がモダンスイマーズ初の作・演出を担当。
映画の場合もそうだけれど、名選手必ずしも名監督ならずというか、俳優さんの作・演出というのはご本人の思い入れに比して成功例は少なく、なかなか高評価を得るのは難しい。
それで、正直、この作品も観るまではオッカナビックリだったのだけれど、さすが伊達にキャリアを重ねていない人だけあって、面白い作品になっていて安心した。
「文字通り、俳優との共同作業」と古山氏ご本人が前説でも述べておられたが、俳優たちと話し合いながら、3時間を超える内容の無駄な箇所を削り、1時間35分に凝縮させたという。
全員の信頼感、チームワークが結集した好作品となった。
蓬莱竜太氏が当日パンフに「彼こそがモダンの真打ち、秘密兵器・・・・ひっそりとライトを守っていた奴こそが真のエースだったのです。」と寄稿。
モダンスイマーズも10周年を経て、新しい可能性に挑戦していく、今回もそのひとつ、と主宰の西條氏も述べている。
劇団としての今後にも注目したい。
ネタバレBOX
出演者全員が白いシャツ、ベージュのズボン、キャップと、ユニフォームのような揃いの衣装で、1人何役もめまぐるしくこなしながら話が展開して行く。
回想場面が挿入され、時系列も入り乱れ、最初はついていくのにちょっと戸惑った。
内容はコントではないからまったく違うが、どこか往年のドリフの舞台面を思い出す。
1人何役も演じ、微妙に違う同場面が出てくるという共通点で、先ごろ別の劇団の芝居を観たが、それと比較すると退屈もさせず、数段すぐれて、完成度が違う。
俳優さんにかかる負担の大きさ、という点では凄まじいものがあったと思うので、演じきった俳優さんたちには脱帽である。
津村、小椋、西條の劇団員がきっちり骨格部分を演じ、ベストメンバーの客演陣が肉づけをしていく印象。
なかでも、紅一点の斎藤ナツ子の好演が目を惹いた。
ラストの「木の鳥」が飛翔するシーンで感動が最高潮に達する。
何より感心したのは、モダンスイマーズのイメージはそのまま残されているのに、蓬莱作品とは正反対という点。
蓬莱作品ではないので観劇を見送ったファンもいたようだが、見逃した人は残念だった、と思わせる力作だった。
沼辺者
浮世企画
ワーサルシアター(東京都)
2011/09/22 (木) ~ 2011/09/26 (月)公演終了
満足度★★★★
公演を重ねるごとによくなっている
戦争が起きて、ミサイルが落ちて、穴があいた。」というと、3.11以降を意識した作品かと想像したが違っていた。
私には独立プロ全盛期の新藤兼人の作品や安部公房の「砂の女」を思わせるような、ゾクゾクッとするものがあった。
浮世企画は旗揚げから観ているが、旗揚げ時の未整理感がなくなり、公演を重ねるごとに良くなっていっている。
今城文恵は、現代人の日常生活を描きながら、人の心の中に潜む「黒い罠」のようなものを描いている。
女性作家としては異色の作品を生み出しているので、興味がある。
ネタバレBOX
ホームレス男ムラノに、岩田裕耳の個性が生かされていた。優しいがベタベタしたところがなく、適度な距離感を保っている男。
その「距離感」にはこの男の過去が隠されている。
斉藤マッチュ(劇団銀石)が登場した時、本当に彼なのかと思うほど、いままで観てきたイメージと違っていて驚いた。
ディベロッパー企業の社長の息子として甘やかされて育ち、軽薄さと残酷さを併せ持つ若者を自然に演じて新鮮だった。
現代劇に出演した歌舞伎俳優のような新鮮さと言うべきか?
バーのママで黒幕の古市海見子が生き生きしていた。JACROWでいえば蒻崎今日子の役どころだろう。
関寛之の「世をしのぶ仮の姿」の按摩の二面性、カッパのような少女の宮本愛美の可愛らしさもよかった。
ラストの衝撃にやられた。救いがない結末だが、鶴屋南北みたいな暗さがいい。
ラストの回想場面に、屈託のない日常を送っていた男たちが映し出され、切なさが迫る。
欲を言えば、歳月を経て、復讐する側、される側の2人の男の表に描かれない面をもう少し丁寧にあぶりだしてほしかった。
「ウキヨウエスタン」ということらしく、何人かがウエスタン・ブーツを履いていたり、女性の衣装がどことなく西部劇風なのが面白い。
明烏 -Akegarasu-
ブラボーカンパニー
恵比寿・エコー劇場(東京都)
2011/09/14 (水) ~ 2011/09/19 (月)公演終了
満足度★★★★
グダグダ感は楽しいが
最近、落語にはまっているという福田雄一が書いたコメディ。
落語というより、ブラボーらしいグダグダのコメディという印象。
福田氏は映画、舞台、テレビと活躍の場を広げているが、作品の評価は割れていて、絶賛の一方で酷評も聞く。
テレビの仕事が忙しかったのか、劇団員もブログで今回の稽古不足を認めているが、悪びれている様子はない。
隣の席の女性が劇場の椅子の上に体育座りで膝を抱えてゲラゲラ笑っていたが、そういう客も初めて見た。
ブラボーカンパニーは女性ファンが多く、よくいえばファンとの距離も近く、一緒にギャハギャハ楽しんでいる感じの劇団だ。
ずっとそういう感じで続けてきて支持を得ているのだろう。今後、はたしてこのままいくのかどうかはわからないが。
個人的には、いくらグダグダでもブラボーの笑いは大好きなのだが、やる以上、準備や稽古はきっちりやってほしい。
今回、無名塾所属の劇団員、鎌倉太郎が無名塾の公演の稽古が重なり、休演しているのが残念で、ややアンサンブルに乱れも感じた。
彼にひと役持たせたら、また違った芝居になったと思う。
ネタバレBOX
冒頭で、「芝浜の革財布」のネタを予感させ、オチもその方向だった。
ホストクラブが舞台だというので、接客の話かと思ったら、控え室が舞台。
こんな少ない人数しかいない場末のホストクラブがよく存続できるものだと呆れながらも、どんどん惹きこまれて観てしまう。
特に山本泰弘の地味な経理のおじさんみたいなホストが笑える。
彼がなぜ「会社の接客研修の場」だと思って働いているのか、終盤で判明する。
「明烏」の趣向が一部、山本の役(実は消費者金融の若社長)に入っているのが面白い。
山本が取り立て屋のやくざの山崎(金子伸哉)を騙す段取りを本人の前で事細かに説明してしまう場面は、山本が真顔で淡々と語るだけに一層おかしかった。
ジンことジュン(太田恭輔)の父で「北の国から」にかぶれて田中邦衛のゴローになりきっている佐藤正和が笑いをさらう。
私が最初、佐藤の客演の舞台を見て、ブラボーカンパニーがシリアスな劇団だと勘違いしていたほど、佐藤は真面目な芝居も上手な人なのだが、喜劇役者として魅力的な人だ。
グシケンアキコ実は新店長アオイを演じる上地春奈も別の芝居で知った女優だが、沖縄なまりのコメディエンヌとして本領を発揮。
彼女の存在なくしてこの芝居はまとまらなかった気がするし、一座の一番の功労者だと思う。
罪
アル☆カンパニー
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2011/09/11 (日) ~ 2011/09/19 (月)公演終了
満足度★★★★★
家族ゆえに
前回観た方が、高く評価されていたので、ポッカリ空いた時間に観に行った。
満席で最後列の端だったが、舞台は見やすかった。
父、母、息子、娘、家族4人の温泉旅行。
大抵の家庭で、子供たちが成人すると、家族旅行は「妥協」のうちに成立している場合が多いようだがこの家族はより深刻な条件(あえて条件と書かせていただくが)のもとに家族として成立している。
「罪」というのはこの劇の場合、それぞれの「生き方」と置き換えることもできるが、私自身もまた、母の病気を巡り、父との間でこの家族のように、「罪」をめぐって対立が起きた経験を持つだけに身につまされた。
家族だけに、自分を責め、相手を責め、この劇のように堂々めぐりになってしまう。そのときに救いとなるのは第三者の視点である。
そして最終的には家族だからこそ、人間として、互いに許し、思い合うしかないのだということを改めて考えたお芝居である。
ネタバレBOX
私は同じ場面が繰り返される芝居が苦手なのだが、この劇の場合は、それが必然として効果的に使われ、なおかつ核心に迫っていく手法ともなっている。
小劇場でも2時間以上の長い芝居が増えているが、1時間強の芝居でありながら、じっくりと堪能できるアル☆カンパニーの公演が私には贅沢に感じられてとても好きだ。
平田・井上ご夫妻の芝居に惹きつけられてしまう。
占部房子さんを初めて知ったのは、無名時代のTVドラマの端役で、若いのに落ち着いた感じの人だと思っていたが、この劇では、非常に若々しい感じで驚いた。
蓬莱竜太氏の作品の中で、雨は象徴的に使われることが多いような気がするが、「雨」に思い入れが多い作家なのだろうか。
首のない王妃 マリーアントワネットのその後
武田光太郎
博品館劇場(東京都)
2011/09/28 (水) ~ 2011/10/02 (日)公演終了
満足度★★
消化不良
武田光太郎という俳優はよく知らないのだが、女形のマリー・アントワネットということで、有名な首飾り事件を扱っているし、興味をひかれて観に行った。
結論から言うとまず、脚本に難がある。
同じような場面とセリフの繰り返しで、1時間35分にやっと引き延ばしている感じ。
「人は憎しみを忘れ、真実を知り、すべてを許すことで初めて救われる」というのがテーマのようだが、違和感だけが残った。
音楽や舞台美術はそれらしいのだが、内容も未整理で人物設定にも疑問が残った。
海賊ハイジャックあたりが料理してくれたら、面白い題材だと思いながら観ていた。
ネタバレBOX
幕開きは墓場の墓堀人夫2人、(新本一真,江連健司)の会話で、現代のパリだという設定らしく、街頭では、マリーの恋人、フェルゼン(高橋将仁)が洋服屋に生まれ変わっているが、あえて現代を出した理由がわからない。
墓場での会話はジャコバン党の血の粛清の話で21世紀ではなさそうだ。
街頭に蝋人形のように立つ貴婦人たちが紹介されるが、肝心のマリーがどこにいるかまったくわからない。
占い師の老婆のような姿で華がないのだ。
回想場面になり、墓堀りたちは宝石屋に変わる。
狂言回しの彼らの会話が空回りして、2回も似たような会話をするが、本来笑わせるところで客が笑わない。
ジプシーを表現したいのか、藤節子の長いソロのフラメンコダンスも意味不明
断頭台の露と消えたはずのマリー・アントワネット。チラシの説明によると、貴族たちは冥界をさまよい、天国のマリーに会いに来ると書いてあるが、マリーも決して救われてはいない様子。
息子が平民に捨てられ、餓死同然で獄死したことを知らず、それを知りながらマリーに知らせることを迷うポリャック夫人(夕貴まお)。
しかし、すべてを知らなければ、マリーに神の救いはないという。これで観る限り、マリーは天国にはいないことにしないとおかしいのでは?
マリーから宮廷で娼婦上がりの先王の愛人としてさげすまれ、7年間も口をきいてもらえなかったことを恨み抜いているデュバリー夫人(高汐巴)。
高汐は、「7年間も口をきいてもらえなかった」という台詞ばかり繰り返し、脚本上、きちんと役が描けていないので、演技力を発揮するまでもなく、持て余しているようで、観ていて気の毒になる。
夕貴は、宮廷の堕落した生活やマリーへの裏切りを悔い改めてからの優しさを強調。時折、日本の時代劇調の言い回しの癖が出るが、驕慢さも出る後半の演技はよかった。
フェルゼンに対し、「私を利用しただけだったのね」というマリーも、どうしてそう思うのか説明不足。
10歳で亡くなったルイ王太子(渡辺慎一郎)がやってきて、母に身の上のすべてを話し、マリーは号泣するが、「私たちは普通の家族として幸せに暮らしたかった」と語る。
王太子は成人男子になっていて、マリーも死後、年を取っていったようにしか見えないし、時代設定がいつなのか、観ていて混乱する。
観念的な台詞ばかりで、まったく心を動かされなかった。
キネマの天地
こまつ座
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2011/09/05 (月) ~ 2011/10/01 (土)公演終了
満足度★★★★★
息が抜けない
共同脚本だった映画版「キネマの天地」の続編舞台版として書かれた作品だそうで、映画版は公開当時観たが、本作は大部屋女優として松竹に入社した
田中小春のシンデレラストーリーの映画版とはまったく別個の作品。
芸達者がそろい、見ごたえのある舞台で思い切って観てよかったと思う。
台風の日のソワレで、自分の周りには誰もすわっていないという、半分くらいの客入り状態で観劇した。
昼が同じ新宿の文月堂の芝居だったので、徒歩で移動できて電車のストップにも巻き込まれず、幸いだった。
ネタバレBOX
女優たちの意地と見栄の張り合いで笑わせたり、ドンデン返しに次ぐドンデン返しで飽きさせない。
演劇への愛にあふれた完璧なお芝居だと思った。
井上さんのお芝居は余白がないほどギッシリとエキスが詰め込まれている感じで、面白いのだが、息が抜けず、自分はそこに苦手意識が働くのだと今回、痛感させられた。
女優陣の中では、今回、麻実れいに注目して観た。
麻実は宝塚時代、ポスト鳳蘭の立場で、鳳とは芸風が違うが、グランドロマンのような骨太の演目を割り当てられることが多かった。
あの当時と比べると、いまの麻実は、いい感じで力が抜けている。
人生の年輪を重ね、ふと隙間に孤独の影がにじむような演技が巧い。
菊田一夫の「ジャワの踊り子」のグランドフィナーレの映像を30年ぶりに観て、実は非常に細やかな官能的な演技をダンス場面でみせていることを発見して驚いた。
そのあとにこの芝居を観たので、何とも言えない感動があった。
甚だ個人的感想だが、こういうのも芝居を観る楽しみのひとつだと思っている。