エレジー 公演情報 (公財)可児市文化芸術振興財団「エレジー」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    胸打たれるほろ苦さ
    観劇の前日に、清水邦夫氏の盟友でもあった蜷川幸雄氏と、同時代に新宿を拠点として活動した唐十郎氏による初の公開対話を聴きに行き、60年代後半当時の「時代の熱気」を懐かしく思い出した。

    平さんは先日の劇団四季でのシャイロック役のときもそうだったか、今回も「お芝居を観た」という以上の想いが心の中に残った。

    それは私自身が年をとり、「老いの苦さ」を悟り始めたことが大きく関係していると思う。

    清水さん、蜷川さん、唐さん、平さんそれぞれの演劇に対する熱情を自分の中で反芻しながら観劇したという点で、感慨深い公演となった。

    蜷川さんと清水さんが一緒に芝居していた当時は、映画が終わった夜9時半から新宿文化のアートシアターで上演されていたこともあり、観たことがなく、
    旧作は大学生によって上演されたものを観て、とても好きになった。

    いくつか蜷川演出による作品も観ているが、本作は、これまで私が観た作品とは少し違う感じの作品だった。

    だが、「記憶」について書かれている点では共通している。

    可児市は私の父の晩年の思い出につながる土地で、二度ほど所用で訪れたことがあり、いただいた名産品の薔薇を見て胸がいっぱいになった。

    ネタバレBOX

    平幹二朗演じる主人公の老人・平吉に、亡くなった自分の父親の晩年の姿をも重ねわせてもいた。

    ひねくれたものの言い方をする一方で、愛すべきユーモラスな一面もある老人。

    聞こえないはずの踏切のイメージが平吉には去来する。

    年を取ると見えない、聞こえないはずのものが迫ってきたりするが、それを単に「ボケの兆候」で片づけよいものかどうか。

    老人の幻覚には、背負ってきた人生が見て取れる。

    平吉は最初は意地悪爺さん風なのだが、亡くなった息子と暮らしていた塩子(山本郁子)との交流が描かれるうち、平幹二朗という俳優の「男の色気」がにじみ出てくる。

    私は「名優」や「名演技」の安売りは好まないが、彼こそまさに名優という形容にふさわしい人で、もっと経験の浅い若い俳優を名優と形容したら、平幹二朗クラスの俳優を何と呼べばよいのかわからないではないか。

    平吉の弟(坂部文昭)が塩子の伯母(角替和枝)と語らううち、消防車のサイレンで火事を知り、そわそわ嬉しそうになる場面に清水作品の「炎」のモチーフが盛り込まれている。

    塩子と伯母は共に神経を病んで入院した経験を持ち、互いに相手のことを「カッなると刃物を振り回す」と主張する。

    このエキセントリックな一面を持つ2人の女性に兄弟が惹きつけられていく経緯が面白い。

    塩子を異性と意識しながらも理想の男性像を訊かれた平吉が塩子がヒゲを生やしたような男性だと答える。

    塩子は「私は女なんです」と訴える。

    平吉の心の中には息子と塩子はある意味一体化しており、一体化させることで矜持を保っている面もあるようだ。

    それだけに、美化されてきた息子の偶像が塩子の遠縁である交際相手の青年医師(大沢健)によって一気に叩き壊されるのが傷ましい。

    我が子であれば息子の欠点も平吉はそれとなく見抜いていたはず。

    平吉に心をかき乱されていき破滅する塩子は、いかにも清水作品のヒロインらしい。

    ただ、塩子の劇中劇シーンが浮いた印象で私にはちょっと気恥ずかしく感じられた。

    清水さんの作品にはこういう場面が時々登場し、ドキッとする素敵なシーンであることが多いのだが・・・・。


    普通のホームドラマではない、なかなか手ごわい戯曲。

    家族を描いた清水作品の場合、学生による上演でも凝った舞台美術が考案されるようだ。

    下手のリビングの部分が可動式で、戸外のシーンでは後方に下がるようになっているが、工夫とはいえ、何となくしっくりこないものも感じた。

    まるっきり抽象的でシンプルなセットというわけにはいかない作品だとは思うので、難しいところ。






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    2011/10/17 15:09

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