遊園地再生事業団『トータル・リビング 1986-2011』 公演情報 フェスティバル/トーキョー実行委員会「遊園地再生事業団『トータル・リビング 1986-2011』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    欠落の軌跡と失速感
    1986年、日本ではアイドルの岡田有希子が飛び降り自殺し、海外ではチェルノブイリの原発事故が起きた。

    15年前から現在に至るまで、「欠落」の軌跡を追う不条理劇。

    上演時間が長時間ということで、二の足を踏みかけたが、まったく時間を感じさせず、あっというまの2時間30分だった。

    観てよかったと思う。

    劇を観ながらも、自分の人生を振り返り、特にあの狂おしいまでのバブルという時代の違和感に想いを馳せた。

    3.11以降、繁栄を尊び、走り続けてきた日本を振り返るなかで、バブルの時代を再検証しようという動きが評論や文学、演劇の分野でなされている。

    この作品もそのひとつだろうか。

    世代によって受け止め方や評価が分かれるような気がした。

    ある若い演劇人は「まったく無意味な作品」と切り捨てていたが、1986年の時点で幼年期だった人には共感しにくいかもしれない。

    ネタバレBOX

    人々はビルから飛び降りるのだが、また、ビルへよじのぼってきて、会話を始める。

    夢の中の出来事のようだ。

    「なぜ、アイドルの自殺なのか」と思ったが、人気の絶頂期に、まさに失速して死を選んだ人気アイドルの事件は、衝撃的だった。

    人がうらやむような華やかな芸能界で彼女は「欠落」を感じていたのかもしれない

    当時、岡田さんの周辺をよく知る人が私の上司だったので、事件直後は職場でもその話題が出たので印象に残っている事件だ。

    超多忙で失速を許されない職場で、休憩時間に彼女の死について話すとき、私たちは少し我に返っていたように思う。

    彼女はバブルを迎える前に失速し、死んでいった。

    チェルノブイリの事故はショッキングではあったが、どこか他人事だった。

    劇中でも、「いつのまにか忘れ去られた」と言われている。

    そのあとにやってきたバブルの時代。

    「インクスティック、タンゴ、朝まで踊ったわ」という女子高校生の述懐に、ウォーターフロントに次々現れた蜃気楼のような建築世界を思い出していた。もっとも、これらは仕事で取材したが、当時、私自身は遊ぶ暇はなかったが。

    ビンゴゲームの場面が出てくるが、これもバブル時になぜか流行り、違和感を持った記憶があるが、それを描くことで、意味不明の熱狂が再現される。

    ビンゴゲームも台紙に穴をあけていくのだが、この「穴」に欠落感を見出すことができよう。

    劇中のビンゴゲームの商品は、それだけでは使えない欠落したものばかり。

    その欠落感に気づかず、「物質の繁栄」を私たちはありがたがっていたのかもしれない。

    最後の商品、空中高く吊られた大きな箱は、棺のようでもあり、パンドラの箱だろうか。

    シャツの欠落した片袖をつけるよう注文する女性のことを「忘却の灯台守」と名乗る女がすぐに忘れてしまう。

    記憶の欠落である。

    「欠落」の暗喩に、女性たちが椅子を触りながら、同種類のシャンプーとリンスを同時に使い始めるとシャンプーが先なくなり、余ったリンスはお父さんが別のシャンプーと対で使うという

    話をし、「お母さんが使うのはちょっと高級なロクシタン・・・」というところで止まる。

    個人的には、へぇーと思いながら観ていた。

    最後に安全な南の島に逃げてきたと思った学者が実は東北の震災で死んでいた、という展開になる。

    安息の土地など、私たちにはもう残されていないということか。

    失速し、ビルから飛び降り、ビルの屋上でまた語り合う欠落した記憶の中の人々。

    彼らと同様、欠落した記憶の中で、私たちは生きているのか、死んでいるの

    か、そして、これからどこへ行こうとしているのか。

    深いところの記憶が呼び覚まされたような作品となった。

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    2011/11/08 20:59

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