はじめ ゆうの観てきた!クチコミ一覧

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男の一生

男の一生

三田村組

ザ・ポケット(東京都)

2010/11/26 (金) ~ 2010/12/05 (日)公演終了

満足度★★

お疲れ様でした
今回が最終公演とのこと。
まだ、「第18回」公演と案内されていた時は、まさかこんなことに
なるとはつゆ知らず。 本当に長い間お疲れ様でした。

舞台の上で観る三田村さんは、時に渋く、時にやんちゃで、熱くて
哀しみを存分にたたえた、「頭から足先まで全身で語れる」役者だったと
感じていました。 次の動きに期待してます。

ネタバレBOX

サスペンデッズから客演していた佐藤 銀平は良い役者だと思いました。
表情から、細かい動き、発声の加減まで役に溶け込んでいて、
しなやかでどんな役でも出来そうな。

前にも書いた気がしますが、蓬莱氏は「雨」が好きなんでしょうか?
「罪」「凡骨タウン」「サイコ」と立て続けに、降りしきる雨、そこに
浮かび上がるように現れ出る人物…という構図が毎回なので、
流石に読めてしまったというか。 巧妙に「過去」と絡み出すのも定石。

母親が「親不孝者…」と呟きながら登場してくる場面。
思わず「凡骨タウン」を思い起こす程デジャヴ感が凄かった。

最後のどんでん返しは上手かったけど、ネタ切れを起こしてるのか、
劇団最終公演ということで抑えたのか。以前の、観ている観客の
身まで削り取っていくような、焦燥感が正直最近は感じられない。
「314」で衝撃を受けて蓬莱作品をチェックするようになった身としては
何か煮え切れない気分。 どこかで観た感がそれだけ強い。

それにしても・・・「正当に扱え!」はひどかったなぁ。 あの一言で台無し。
後半の要になる発言かと思いきや、場面ごと軽く流されたし、
あの台詞で、とどのつまり自分で何も選択してこなかった老人の
ただの我儘、それにつきあった揚句を最後慰めてやる青年、という、
危うく甘えになりそうなところにまでこの作品全体が落ちかかったでしょう。

でも、「父親の後を追いかける人生だったなぁ… いつも帰ってくるのが
俺で、ごめんな」って死んだ母親に語りかける場面は思わず泣きそうに。

蓬莱氏は弾丸のように場面ごとの決め台詞が飛び出してくるのは
分かるけど、自重しないと逆効果になりそうな気がします。

最後に、葬式の白黒幕を模した、町工場の舞台セットは巧みで
印象深いものでしたね。 面白いと思った。
ハロースクール、バイバイ

ハロースクール、バイバイ

マームとジプシー

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2010/11/24 (水) ~ 2010/11/28 (日)公演終了

巧みだけど微妙
ほんのさりげない日常の言葉をリフレインさせ、「意味」を塗り重ねて
最後に大きく展開させていく…。 最後の辺りの展開は本当に上手かった。
…けど、「凄く巧み」止まりで、観ていて心動かされる事は無かったです。
正直、時間がものすごく長く感じて辛かった。

ネタバレBOX

作品のテーマは「少女からほんの少しずつ成長していくことへの
戸惑いやほんの少しの嫌悪」? じっくり考えると、そんな感じがします。

私が共感出来ず、心動かされなかったのは人物達が何か
「一人の人間」というより、「造り物」っぽかったからかも知れません。
頑張ってるけど、どこか詰めが甘いように映る動きと速射砲のように
繰り出されるけど、イマイチ意味が取り難い(多分ホン自体のせいだと
思う)台詞に、強引にはめ込んだようで余り自然といえないエピソード。

正直、緩急が付いてなさ過ぎて、笑えないボケツッコミの若手
お笑い芸人のコントみたい。

構成もなんかルナとシホの話を中心にもっていきたかったのか、
それともアジサイと写真部、サッカー部の少年達との少し複雑な
関係性を書きたかったのか、どっちつかずで中途半端な印象。
どっちを中心に描くかで作品の雰囲気が結構大きく左右されるので
作家が決めかねてこの構成にしてしまったのでは?とすら
疑っちゃうのです。 邪推し過ぎだろうか?

一番許せなかったのは、ルナが転校するのを打ち明けた時の
「ここを出ていくんだね…このネバーランドを」という台詞と、
ラストのルナの「外の時間が…動き始めた」かな。

ルナの成長を描きたかったのだと思うけど、それまでのルナの時間、
皆と過ごした時間、って結局ルナにとっても皆にとってもやがて
(言い方が悪いけど)捨て去られるのがしょうがないひと時、みたいな
印象を受けて、正直かなり不愉快だった。

思ったけど、登場人物達がみんな繊細で傷つくのを恐れていて
純粋だね。 それが悪いわけじゃないけど…世界がものすごく狭く思えた。
ロドリゴ・ガルシア『ヴァーサス』

ロドリゴ・ガルシア『ヴァーサス』

フェスティバル/トーキョー実行委員会

にしすがも創造舎 【閉館】(東京都)

2010/11/20 (土) ~ 2010/11/24 (水)公演終了

満足度★★★

Versusの意味
Versus(前置詞)

1. (訴訟・競技等で)…対、…に対して

2. …に対して、比較して

観終わった後、この作品はもしかしたら作者ロドリゴ・ガルシア自身の
総決算的な意味あいを持つものなのではないか、とふと思いました。
事前情報で考えていたよりずっと詩的、かつ私的で、その背後に
彼、ロドリゴ・ガルシアという人間の一端が見え隠れするような気がした。

ネタバレBOX

社会批判、風刺に満ちた挑発的な過去作のタイトルの羅列から
今作もその系統かと思いきや、社会批判色は後退気味で、むしろ
相当に自分と他人とを深く見つめた作品のように思えました。

「対"自身"」(I vs I)、「対"他人"」(I vs other)…

衝動的で暴力的、どこか人間の当初とオーバーラップするような
原始的な振る舞いを見せる登場人物達の口、それを追うように
頻繁にバックに映写されるモノローグを通じて、作者自身、ロドリゴ
自身の肉声が迫ってくる。

その多くは、端的に言うと、
「愛は肉体的関係に終始するだけでなく、それだけの方が他の
何よりも上手くいく」
「芸術なんて、退屈で徒労に満ちた、暇つぶしにもならないもの」

といった感じの、どこか諦めや軽い絶望を思わせる、叫びというより
ぼそぼそとした囁きのよう。 その言葉自身に苛立つかのように、
役者達はお互いに意味の無い暴力を振い合い、痙攣し、暴れて
本を引き裂き、投げ捨てる。 

まるで、書物の知恵がクソのようなもので、暴力、攻撃が人間の
本性であることをみせびらかすように。

自分にどこか苛立ち、他人にも苛立ちを感じている。
海を越えても、同じ感覚を共有する人間がいることを発見し、
当たり前と言ってはそうなのですが、驚きを隠せなかったのです。

とどのつまり、ロドリゴ・ガルシアという人間は、どこか純粋で
傷つきやすく、芸術肌でありながら現実をよく知っている。
そんな社会的な人の一人なのでしょう。 だから、彼の、延々と
続くモノローグ、特に後半のそれは私の胸に微かに疵をつけていくような、
そんな気がしました。

「そんなのは嘘だ。みんな俺をなぶり殺しにしたいだけなんだ」

その一言をもって、この『ヴァーサス』は幕を閉じます。

だけど、そういうことを言う人間が、実はまだほんの少しの希望を
誰よりも隠し持っていることはよくあることです。
本当に諦念に満ちた人間はそういうことは言わないし、そもそも言えない。
そこに、私は作者の「芯」、「真摯さ」をはっきりと感じ取りました。

ただ、個人的には社会風刺色の強いロドリゴ・ガルシアの作品も
大いに気になるところでありますが。。 
クリストフ・マルターラー『巨大なるブッツバッハ村ーある永遠のコロニー

クリストフ・マルターラー『巨大なるブッツバッハ村ーある永遠のコロニー

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2010/11/19 (金) ~ 2010/11/21 (日)公演終了

満足度★★★★

永遠のハーモニー
ガレージ、事務所、居間が合体融合した、いびつなはずなのに恐ろしい程に
調和の取れた舞台空間に、反対に空虚で弛緩し切った動きや言葉。
そして、そこを突き破るようにハッキリと聞こえる人々のハーモニー。

でたらめに投げ込まれているように見えて、実は観客の集中力を
途切れさせないよう、ちゃんと構成された進行もあって、二時間以上の
決して分かり易いとは言いにくいこの劇を最後まで楽しむことが出来ました。

最後のシーンは静かで、それでいて本当に感動的です。
これだけで、観に来た意味があるといえます。

ネタバレBOX

序盤から、新聞記事、人々の手記、人文書、哲学書、文学書からの
カットアップされた引用、援用の台詞の応酬が続く。 大半は意味が
分からないけど、時折「資本主義」に対する言及があったりして刺激的。

ほとんどの引用元は分からなかったけど、ナオミ・クラインの議論を
踏まえてあったり、ジェレミー・ベンサム『立法と道徳の原理序説』のからの
一節が銀行の出納係の台詞として引用されてたりしました。
元ネタが分かる人はもっと楽しめると思います。

人間カンナ(笑)でほどほどに笑いを取ったり中盤までは役者の緩慢で
どこかユーモラスな動きに焦点を当てていく。 正直、ゆっくり過ぎて
キツいのだけど、ちょうどいいタイミングで合唱を入れてきたりと、
とにかく構成が上手い。

中盤。序盤から頭を見せていた「資本主義」、というより、その裏側に
隠されているモノ、資本主義を屈折させていく人々の「虚栄」「欲望」
「学習しなささ」が徹底的にあげつらわれ、コケにされる。

序盤では、かの金融崩壊で家具を差し押さえられ、泣き出す人々の
様子が描かれたりと、米国震源地であるリーマンショックが海の向こうの
ヨーロッパに与えた影響、またそのことに対する怒りと強烈な批判が
この作品の背景にあります。 

かのリーマンショックで財産を失った為、ガレージを美容院に改装
せざるを得なくなった女が、いずれは失ったはずの金は戻ってくるはず、と
まるで根拠の無い願望を吐露しながら、銀行員に無利子での貸付を依頼。

その少し前の場面では、ブランド物やPC等人々の欲望を喚起するような
商品群が舞台の端で次々にゴミ箱に投げ込まれ、捨てられていく。

中盤は、上記のエピソードに加え、相当過激な口調で「人々の欲望が
経済成長につながる」「経済成長あってこその、幸せな暮し」といった感じの
言説がぼっこぼこにされます。 相当痛快で面白いけど、それまでの
緩さからの急展開ぷりにギャップを感じざるを得ない(苦笑

いや、でも、某国政府の首脳陣や○前○一みたいな経済評論家陣にも
観せてあげたいですよ、本当に。

最後、人々が全員でガレージに閉じこもり、「生命の息吹」の歌を合唱する。
警官に扮した体制側がガレージの扉を閉ざしても、歌は決して消える
事が無く、静かに、しかし、力強く歌い続けられる。 ガレージのシャッターを
超えて舞台の上、客席の人々の頭上に、そう、暗転するまで。 ずっと。

それまでの生気の無い雰囲気から一変、地の底のような閉塞した舞台
空間からまるで芽がゆっくりと確かに芽吹くように。

人々が、資本側の人間で無い、一般の人々が生命賛歌を口ずさむ。

その時、この歌は人々の「再生」を意味すると共に、現状にはびこる
人間を操り人形としてしか捉えないねじ曲げられた資本体制への
カウンターパンチ、再び立ち上がった彼等の「革命歌」の役割をも
同時に果たしたのです。 

地味だけど、最高に美しい瞬間で、力づけられる、人間的な歌の響き、
時間でした。 全てが素晴らしかったです。
The Blue Dragon - ブルードラゴン

The Blue Dragon - ブルードラゴン

東京芸術劇場

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2010/11/11 (木) ~ 2010/11/14 (日)公演終了

満足度★★

演出、役者限りなく良かった…
のだけど、肝心のホンが正直陳腐だと思った。
意外な話をやれ、と強要したいのではないのだけど、これだけ完璧に
近い要素が揃っているのだから、もうちょい何とかなったんじゃないかな、と。
展開が読め過ぎて、途中眠くなってしまいました。

ネタバレBOX

話自体が、見せ方の上手い、手の込んだ「メロドラマ」になっちゃってるのは
女優のマリー・ミショーがホンに関わっているから? 

三展開用意されたラストも何だかな…

1つ目は個人的には「アリ」だと思いました。 こういう話では仕方が無い
展開だと思う。

2つ目。えっと、正直な話完全にバッドエンド、ですね。
少なくとも私はそう思いました。 現実的には一番ありそうな話ですが。。

3つ目。多分、ルパージュはこれを最良として考えていた節があります。
実際、全二つと比べて温かさの感じ方、描かれ方が全然違うし、
特に女性が観たらすかっとする展開な気がする。 

ただ、やっぱり何か腑に落ちなかった。 ご都合主義的過ぎるし。

上記三つの展開全てで、クレールにとっては特に何一つ損をしないものに
なっているのが、腑に落ちない理由なのかなぁ。

観てて思いましたが、「ブルードラゴン」は演劇というより映画なんですね。
あくまで欧米的視点からみたアジア、中国であり、「ラストエンペラー」とか
あの辺から続く系譜の一つです。

欧米人の子を産んだアジア人の娘と、それをおいて国に帰る欧米人の
男と女(三つの展開のうち、一つは違うけど)…って、欧米の映画に
よくあるパターンで、逆の展開って無いよね、そういえば、とついつい
天邪鬼な視点で観てしまうのです。 

いくら、養子引取の問題を背景にしているんだよ、といわれても、
結局は同じ根底にあることだし。 アジア-欧米の戦前からの
長く続く関係性ですね。 とどのつまりは。

ルパージュは言語環境はどうあるにせよ、やっぱり多分に欧米的な演出家。
多分向こうでは絶大な人気があり、評価があると思いますが、
中国という舞台が「欧米人にとって異国的な、変わったところ」という程度の
位置づけで無かったのが残念過ぎでした。

演出は凄かった。 上下二段に分けた舞台空間を変幻自在に下宿に、
空港に、地下鉄のホームに、へと変えていく巧みさや映像との組み合わせ等
実際にあの場にいなければ分からないほど、インパクトのある大胆な
演出でした。 でも、やっぱり映画とか映像寄りの演出に感じた。
それが悪いというわけではないけど。
タンゴ-TANGO-

タンゴ-TANGO-

Bunkamura

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2010/11/05 (金) ~ 2010/11/24 (水)公演終了

満足度★★★

多分
鑑賞者の年齢によって大きく受け止め方が異なってくる作品。
今の10代~20代前半までだったら結構自分のことだと
感じるかもだけど、それ以降の世代になるに従って主人公
アルトゥルへの共感は難しくなっていくと想像されます。

私? 半々、ってとこですね…。

ネタバレBOX

初演がもう40年以上前の作品なのに、翻訳が良く出来ているのか
はたまたホン自体の生命力が強いのか。 むしろ、現代の若者像に
通じる、というか、ある種の人間に関しては通じ過ぎてる(苦笑

で、また台詞が凄く良い。 ちゃんと、普通の人間だったら、この状況に
こういう反応するよな、って感じの会話をちゃんと投げかけてきます。

最初から最後まで舞台が家の居間を中心にして引き起こされる
ことからも分かるように、アルトゥルの闘いは一家の中だけの
事なんですね。 行動を引き起こしているようで、実は起こせてない。
何の影響も無い、という事ですね、残念ながら。

家の中を覆う不真面目さと弛緩しっぷりに憤って、闘争を、革命を
宣言する彼は恐ろしく真面目な人間なんでしょう。それこそ
エーデックがいみじくも指摘したように「ちょいと神経質」だったのでしょう。

でもさ…

アラを罵倒するのは正直「無い」よ。 
頭でっかちで長々と長広舌をふるうだけのアルトゥルと比較して
ホントにアラは素直で良い娘なんです。 それだけにがっかりだった。

結局、「自立できない」「親離れ出来ない」子供の内弁慶、って感じの
内容でした。 恐ろしいほど、ある意味今の現代の若者の性質の
一部を抽出しちゃってて、そこが可笑しくも怖過ぎる。
「幼稚性」「異様に肥大した全能性」って、結構見る機会が多い性格だなぁ。。

森山未来は素晴らしい役者です。 アルトゥルを完全に「モノ」にしてました。
この作品、真面目にアルトゥルが演じられれば演じられるほど、異様さと
おかしさ、無様さが輝くのでその点申し分が無かったです。

毎回どこか抜けてておかしい片桐はいりのエウゲーニャとのコントじみた
会話の数々、正反対にみえて実はそんなにメンタリティ的には遠くない、
似たもの親子の吉田ストーミルとの大げさすぎて滑稽過ぎるやり取りも
ウケたけど。

アラと絡んでこそアルトゥルは輝きますね。
エーデックが気になるふりを見せるアラに対して、いきなりやきもち
焼いて癇癪を起したり、「脱いでもいい?」とか言い出して服を脱ぎ出す
アラに対して焦りながら説教をはじめたり。

この辺のアルトゥルが一番「良い感じ」でした。
素直になれない、子供っぽさが前面に出ててそこが微笑ましいというのか。

でも、アラはホントにアルトゥル好きだし、良い娘だ。

普通だったら、意味の分からない理論を延々開陳する男なんて
「キモイ」の一言で終わりなのに、話を最後まで聞いてやって
会話のキャッチボールはしてあげるわ、結婚は承諾するわ、
どうしようもなさ過ぎるアルトゥルに対しても「(今後の彼の
変化への)希望は持っている」っていうんだもの。

アルトゥルがもう少し早く素直になっておけば良い感じの二人だったのに、とそこが悔やまれるね。 何言ってるの、って感じだけど。。
ダーウィンの城

ダーウィンの城

文学座

文学座アトリエ(東京都)

2010/10/25 (月) ~ 2010/11/07 (日)公演終了

満足度★★★★★

タイトルの秀逸さに驚く
初めてこのタイトルを見た時、正直意味が分かんなかったんですけど
終演後、振り返ってこのタイトルの巧みさにうんうんと頷ける部分が
大きかった。

閉鎖的で暴力的で。 こういう人間の姿と確かな現実とを一部分でも
ハッキリと、そして過激に描いた作品は最近ついぞ観なかったので
非常に刺激的でした。

ネタバレBOX

舞台は(おそらく)近未来。 そこには「スカイタワー」と呼ばれる、
50階近くある超高層マンションがあり、世間的に「インテリ」「勝ち組」と
いわれるような人達が1000人程居住している。

また、その対極として住人達に「地上」「下」といわれる、マンション外の
存在があり、断片的な情報から既に安全神話は完全崩壊、半ば
スラム化が発生している「危険地帯」であることが想像される。

本作は「スカイタワー」内での幼児誘拐事件と女性暴行ビデオ
流失事件が背景となっています。

住人達に共通しているのは「自分は選ばれているのだ」という奇妙な
選民思想と、それに付随したすぐ下の階の住人、また「地上」への軽蔑、
そして恐怖。 彼等の行動を規定しているのはこの位しかない。

社会的には勝ち残ってきた優秀な人間達であるはずなのに、その姿は
どこか病的でいびつで異常だ。 そして、他への過剰な暴力、支配欲が
むしろ人間から退化した存在であるかのように感じさせる。

自分の欲望に忠実過ぎるところが、どこか動物的、というか、
「ケダモノ」なんですよね。 

「ダーウィン」=他の人間を押しのけて勝ち上がってきた優秀な遺伝子達が

「城」=自身を守ろうと外部からの存在を一切遮断して半ば引きこもり状態に
陥っている、その状況

改めて思うけど、本当に秀逸過ぎる、皮肉に満ちたタイトルだと思います。

住人皆、変質者に近いサイコパス的存在なんですけど、なかでも一見
唯一マトモに、普通にみえる「地域の連帯」を唱える初老の競馬好きの
男が、私にはものすごく恐ろしく思えた。 何というか…ナチュラルにヤバい。

言っていること、やっている行動は見た感じでは常軌を逸していない分、
安心して付いていった先にはとんでもない結末が待ち受けているような。
現に、最後この男がやっているのは言葉は悪いけど、治安維持隊、
敵からの防御、治安を乱す存在は許さないといった自警団なのだから。

「ピュアな善意」の裏に、本人もまるで気が付いていない異様性、全体
主義性が見え隠れするようで不気味でした。 

なんか「1984」みたいな世界だよなぁ、常に監視され続けるなんて、と
思ってたら、男の自警団で採用されている制服のデザインが
「Big Brother Is Watching You」というロゴに、デフォルメされた
巨大な眼、とあからさま過ぎて噴き出しそうになります。

最後、優秀な遺伝子を持つ人間(と、住人達は思っている)を集めた
「スカイタワー」から逮捕者が出てこの物語は終わる。

他と交わらない遺伝子、種族は脆弱だという話があります。
「スカイタワー」もそれと同じで、自身の脆弱に耐え切れず、内部崩壊を
遂げてしまったのでしょうか?

私にはそうは思われない。

「外」の世界にまで安全強化が図られた結果、治安が大幅に向上した、と
いう自警団の男の話を信じるなら、成熟の臨界点を超えた「スカイタワー」は
その遺伝子をついに外部に拡散し始めたと考えるのが正しいでしょう。
最初は種に過ぎなかった「スカイタワー」は今や空にそびえる巨木となり、
その種子はどんどん広げられていくのです。

皆が望む望まないは関係ない、優れたものが生残り、タイプ化されるのが
生物の世界のスタンダードだから。

吐き気を催す程気持ち悪く、厭らしさ満開の舞台でしたが、強く衝撃を
喰らわせた、その意味で素晴らしい舞台だったといえます。
こういう生々しい話は大好きですね。 劇団の大いなる挑戦に拍手。
図書館的人生 vol.3 食べもの連鎖

図書館的人生 vol.3 食べもの連鎖

イキウメ

シアタートラム(東京都)

2010/10/29 (金) ~ 2010/11/07 (日)公演終了

満足度★★★

巧みなシェフのフルコース
全四話、どれも起承転結がハッキリしているので、話にどんどん
引き込まれ、本当にあっという間の2時間10分でした。
どれも体感時間は短い位の感じでしたが、その中でも設定を
破綻させず、というか、一見ぶっ飛んでいる設定を納得させてしまう
劇団の手腕がとにかく凄い。

ネタバレBOX

四話のどれも良かったけど、強いていうなら2<3<1<4かなぁ。

1話目は自分の通う菜食主義の料理教室に通ううちに、ものの見事に
ハマり込み、肉を喰いたい夫までも肉に見せかけた菜食料理で徐々に
洗脳し出していく女の話。

もう少し引っ張れば良かったのにと。終わった時、余りの唐突さに
え?終り?とちょっとビックリした。というか、このテーマで一本
そのまま公演打てそうな。 内容も結構ダーク、というか、深いし。

2話目は大好き。 自分の必要とする分の万引きしかしない男と日がな
懸賞で生活する女との奇妙な同居生活。そこに、万引き素人達が
入り込んできて不穏な空気が…

さりげに昨今の社会問題なんかもちらちら見せつつ、最後はすごく綺麗に
まとまってた。 最後のオチは笑うけど、同時に心が温かくなりますね。
そしてメインを張る安田氏は一言発する度に何故か笑ってしまう。

3話目。「単一食」に目を付け、試みるうちに飲血で115歳の年月を
生きることに成功した男の話。

長寿を続けていくうちに、徐々に自分が人間離れした、なにか別種の
「生命体」、いや下手をするとそれにすら当てはまらない存在に
なりつつあることが、男の独白から微かに見てとれる。

「生命は有限」という、生物の絶対的な縛りから抜け出した時点で
既に男は少なくとも人間はやめてしまっている。肉体は生き物を
超越しているのに、意識はそれまでの人間の枠からどうしても
抜けきれない。 これは凄く恐ろしい悲劇です。

よく狂わなかった、という話なんですけど(現に一緒に飲血した
男の妻は半ば発狂状態に陥った揚句、禁じられた食物行為を
行って死ぬ)、結末はもうなるべくしてなる結果なんでしょうね。
切ない系SFを読んでいるような気持でした。

4話目。 正直、良く分かんなかった。
3話目の設定が何気に生かされてたり(笑ってしまった)してたけど
いかんせん短過ぎてあっという間。 伊勢佳世のキュートさが見どころ、
と勝手に思うことにしました(笑

次回作は「散歩する侵略者」ということで、驚喜乱舞ですよホント。
動かない生き物

動かない生き物

らくだ工務店

赤坂RED/THEATER(東京都)

2010/10/23 (土) ~ 2010/10/28 (木)公演終了

満足度★★★

分からない生き物
林和義の佇まいが良かった。 
後半に折り返すところで、観客に背を向けて述懐する場面があるのだけど
まさに背中に哀愁というか、醸し出される深みがたまらないです。

結構登場人物同士の掛け合いが面白く、よくありがちな、狙い過ぎて
外してしまっている部分も殆ど無いので、気持ちよく笑いたい!っていう
人には結構お勧めかも知れません。

ネタバレBOX

動物の気持ちが分かるというボランティアの女性(麻乃佳世)に、
動物園の職員(古川悦史)が言った台詞に思わずハッとした。

「貴方、動物達の何を知っているっていうんです?」

「プレーリードックが何を食べるか、そういうこと分かりますか?」

現実でもよくある、日常のあらゆる場面で遭遇する「表面的に
分かっていること」と「突っ込んでいかないと分からないこと」の違い、
言われてみれば気が付くのに普段は隅に置いておいてしまって
いるものを見事に喝破された気分でした。

自分の目の前にいる人が幸せそうに見えても、実はそのように
表面的にふるまっているだけで、心の奥底では悲しみを
押し殺しているのかもしれない。

自分がした親切に相手が一軒喜んでいるように見えても、その裏側では
やれやれと厄介な風に感じているのを噛み殺しているのかもしれない。

それは、表面的に見ているだけでは分からない。

同じ人間でも、ほんの表面上の付き合いの相手と、気心の知れた
親友という間柄との相手では全然見え方が違うように。

他の何よりも、人間が一番厄介で「分からない動物」なのかも。


役者はみんな上手かったですね。 永滝元太郎の、所謂「ハッキリ
しない」感じが上手く出過ぎてて生々しかったです。 そして一々
面白かった(笑 役者陣、皆笑いの間の取り方が上手いね。
嫌らしくない笑いが良かったです。 
地域演劇の人々

地域演劇の人々

弘前劇場

アサヒ・アートスクエア(東京都)

2010/10/22 (金) ~ 2010/10/24 (日)公演終了

満足度

んー、印象に薄い
ずーっと観てて、あれっ!? もう終わったの? っていうのが正直なところ。

台詞の端々に「らしさ」は見え隠れしているのだけど、今回それが
発揮される前に打ち切られちゃった感じで、結局「ん、こういうのも
アリなのよね」で感想が終わっちゃうんです。 残念。

ネタバレBOX

「夜のプラナタス」大好きで劇中劇に使われたのは嬉しかったけど、
いかんせん長過ぎると感じた。 本編の半分以上を占める劇中劇って。。
「夜のプラナタス」の、台詞の妙を再確認する機会に終わっちゃって。
これだったら、再演にした方がよいかな、と。

自身を題材にした疑似ドキュメンタリー的な内容といい、メタ演劇
手法といい、やっている本人達は何がしかあるのだろうけど、大半の
観客にとっては、そこに意味を感じられなかったら「へー、それで?」で
終わってしまう危険があるから難しいのです。

結局、劇中劇に食われて本編の内容が薄くなり、つられて台詞(私は
弘前劇場の、軽妙だけどいきなり重みを醸し出す台詞に魅力を覚える)の
比重もぐっと減ってしまったのが、とどのつまり敗因なのかな、と。
ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所

ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所

遊園地再生事業団

座・高円寺1(東京都)

2010/10/15 (金) ~ 2010/10/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

「眠り」×「コラージュ」="ドラマ"
宮沢氏の言葉から「メタ」で「前衛」的で分り難い作品なのかな、と
思ってたら、結構考えさせられたり、思わぬところで笑わせられたり
集中して観ることが出来た、面白い作品でした。

宮沢氏のエッセイに出てくる、真面目な感じの中ふと放りこまれる
笑える言葉。 アレが好きな人は結構ツボじゃないかと思います。

ネタバレは、「大いに混乱していますが、それによって読み手が
集中出来ることもある」と信じてます。 書いている私自身は(苦笑

ネタバレBOX

私は基本的に「メタ」「セカイ系」という言葉って大嫌いなんです。
どうでもいいこと、分り易いことをワザと小難しくて針小棒大に語るので
いっつもアホくせーと思ってきたわけだけど。

遊園地再生事業団の、ゼロ年代(この言葉も嫌いですが)を突き抜けての
「ジャパニーズ・スリーピング」は確かにその匂いも感じつつも、どこか
開けて、前向きで、「メタ」「セカイ系」の持つ子供っぽさ、独りよがりさとは
凄く遠い作品のように思えた。 それがまず嬉しかったです。

パンフレットの、野田氏との対談を読むと

「物語」―無邪気に「感動」「メッセージ」「サービス」の集合

が量産されることに深い危惧を感じているようですね。
正直、すごく共感しました。 

「物語」には力があると、よく言われる。
実は、私は本当にそうなの? とずっと前から考えることが多かった。
「整理され」「分り易くされ」「山があって谷があって」、そして最後は
「余韻を残して終わる」。  

そんな、演劇に限らない、全エンタメに共通する、期待を裏切らない
感情を揺さぶってくれる、そんな「文法」に辟易しててどっかでそれを
裏切ってくれないかな、と思ってました。 誰かに。 

本作品は、序盤に登場人物によって解説されるように、
一定の流れに沿わない、混乱した構成を持っている。

人々へのインタビュー、眠りをめぐる数々のエピソード、古今東西の
書物からの眠りについての部分の抜粋…

それらはコラージュされ、バラバラにつなぎあわされた構成のまま、
観客の前にぶつけられる。 時々、語られる内容が「眠り」なのか
「現実に起こったこと」なのか。

語りが何度も繰返される中、境界線が徐々に分らなくなってきたところに、
今度は本当の(私たちがまさに実際に日常で体験している)「現実」が
呟きのように、でも生々しく入り込んでくる。 その光景は何というのか…

「演劇」を真面目に考え続けた結果、それを飛び越えて「現代アート」の
領域にまで越境してしまった感じ。 あの舞台美術も目にしてまず
脳裏に浮かんだのは、その印象。 

観ながら、この「ジャパニーズ・スリーピング」を世界で上演した場合、
観衆はどういう反応を取るのだろう、と考えていました。

「アメリカン・スリーピング」になるのだろうか? 「チャイニーズ・
スリーピング」になるのだろうか? いや、なれるのだろうか?
その一点に興味が俄然わきましたね。 

また同時に序盤で言われるように「一定の法則にしたがって
流れる「物語」を排することで、改めて人々は俳優に、ドラマに
集中する事が出来る」。 次に何が起きるか分からない。
そのスリリングさに一番人は刺激を受けるのです。

この作品の台詞はよく耳を傾けていると分かるけど、
ちゃんと計算されて丁寧に練られて書かれていると思います。
だから、言葉がすうっとはいっていくし、印象に残り易い。

皆が一種の気持ちよさをこの作品に感じるのは、何よりも
「音楽的」だからではないでしょうか。 冷たいけど、どこか
透明な印象を与える、水の中のような舞台美術も、

恐ろしく程に緩急付いて、自分をコントロールし切っている、
空間と一体化している俳優達も、

全て調和がとれていて一定で、耳障りなところ、ノイズが入るところが
一か所も無い。 これは、私よりも、年間数十~百本演劇を観て、
映画を観て、その声高っぷりに一種鬱陶しさを感じる人の方が
共感すると、私は確信しています。

ヘンな感情移入を避けるために、意図的に切り刻まれているだけで
そうすることで観客は台詞に、言葉に集中し、かえってそのことに
気が付くのではないでしょうか?

宮沢氏の名著「演劇は道具だ」(2006)に、「ただ立っていることの強さ」に
言及している箇所があります。 曰く、

「ただ立っていることで、あなたは裸にされ、その強さも弱さもたちどころに
見透かされる」
「その時、触れれば立ちどころに崩れ落ちてしまうからだではいけない。
強いからだをもたなくてはいけない」

本当にそうだと思う。 そして、「ジャパニーズ・スリーピング」は。

弱いからだ―「物語」にもたれかからない、強度の強い「drama」(決して
playではない)と感じました。

最後に。

笑いを入れるところが絶妙ですね。 張り詰めたところに、牛尾千聖が
バスタオル何枚も重ねて~とぶっ飛び出した時には思わず笑った。
牛尾千聖良いなあ、やついの、無視されキャラっぷりも大いに笑う(笑

眠れないことに悩み続ける三人組が脳内物質を見つけにどっか
行っちゃうエピソードもウケた。 「何処へ行くんだ?」「メラトニンを
見つけに!!!」「そっか…頑張れよ(やけに晴れやか)」 見つかるのかよ(笑

あと、女性陣が妙に官能的でした。 というか、過ぎでした。

最前列で観ていたので田中夢が後ろのスクリーンにドアップで
映写された時、本当にどうしようかと思った。 山村麻由美の、
静謐な佇まいも、負けず劣らずなんかエロティックでした。

役者の立ち位置が皆ホントに良い。 ピタリとはまりこみ過ぎて
この人は、もうこの役しかあり得ない、と思えてくるのが、宮沢さん
凄いと言わざるを得ないです。

来年も、遊園地再生事業団で本公演あるらしいので、大いに
期待したいところです。
カラムとセフィーの物語

カラムとセフィーの物語

文学座

文学座アトリエ(東京都)

2010/10/01 (金) ~ 2010/10/14 (木)公演終了

満足度★★★★

最後は「抜け出した」二人
原作は、本国で高評価のシリーズものの第一作、しかも400頁と
相当な長さの作品。 それを三時間近くにまとめたその手腕が素晴らしい。

それを可能にさせたのはまず何をおいてもスピーディーでパワフルで、
緊張感をうまいこと持続させていた演出によるところは大きいですね。
最後辺りは、何とか最悪な悲劇だけは回避されますよう…と半ば
祈るように観ていました。

この作品、結構肉体的に痛い部分やキツい言葉が出てきたりするので
ほんの少しだけ、そこは理解して観た方がよいかも知れないです。

多分原作と劇作では結末部分が大きく変わっているようですが…
そこはネタバレで。

ネタバレBOX

11歳と13歳から始まるカラムとセフィーの関係。 

その二人の関係は年を追うごとに、周囲の環境が変わっていくごとに、
同じように激変していく。 

かたや決して裕福とはいえない、被差別種族のノート人のカラム。

かたや、支配種族であるクロス人、しかも副総理の父を持つセフィー。

本人達の「二人でいたい」というささやかな願いも、人種間の際限の無い
憎しみの中に翻弄される。

ノート人の解放義勇軍に参画し、爆破テロを起こした咎で父親を
殺害されたカラムは家を出、兄に誘われるまま、自身も解放義勇軍に
身を置く。 

セフィーとの、一緒に駆け落ちしようという約束は、ちょっとした
行き違いから反故となり、再びの三年後の再会の時、かつての
心優しいカラムはいない。 彼はセフィーを誘拐し、組織の身代金の為の
人質とする。

ここでの、セフィーの、カラムへの悲痛な訴えは心が痛いです。

二人で向き合ううち、三年前の約束の反故が誤解とすれ違いに
よるものと分った二人はそのまま情を交わす。
アジトを警察に突き止められ、逃避行の中、カラムはセフィーを
無事逃がすことに成功する。

時は経ち、二人は自分達が幼少の頃、よく遊んだ思い出の浜辺で
落ち合う。 そこで、カラムはセフィーの口から、彼女が自身の子供を
身ごもったという事を知る。

喜びの中、二人は子供の名前を。 カラムは自分達がよく遊んだ
庭に咲くバラからRoseを、セフィーは息子だったら彼の殺された
父親にちなんでRyan、娘だったらカラム-Cullumを崩してCallieを提案。

しかし、二人だけの時間は突如終わりを告げる。 突如現れる警察。
カラムは連行され、その後死刑判決を受ける。

死刑の十分前、現れたセフィーの父親から、娘の生まれてくる子供が
自分の子供ではないことの証明書を書けば恩赦を与える、という取引に
証書を破り捨てることで応じたカラムは、刑場でセフィーと互いに愛を
叫び合いながら息絶える。

やがて。
セフィーは娘を出産。かつての約束通りCallieと名付け、自身も今後は
カラムの「マクレガー」姓を名乗ることを発表。

半ば勘当された身のセフィーは娘と共にかつての二人の思い出の
浜をゆっくり歩く。 自分の恋人はすぐそばにはいない。
しかし、「あの日」書いた二人のRoseとCallieの文字はしっかと残り続ける…

結局、この物語の中ではクロスとノートの諍いは終わらなかった。
でも、時に憎み合いさえもした二人の子供はこうして生きて憎悪の
連鎖、それしかない世界、それが終わらない世界とは別の世界を
生きる可能性と希望を持っている。 

そして、それは二人の両親の決断のおかげ。
二人が子供を守ったから、この子は「二人の子供」として生を
受けることが出来たことは忘れてはいけないのです。

現実は厳しく、決して自分達の世代では好転しないかもしれない。
それでも、小さなことからわずかに変わる希望があるのかもしれない。
そう思うと、明日に明るさを少しでも覚えることが出来るかも知れない…と
考えることだって出来ます。 そうでしょう。


『カラムとセフィーの物語』。 原題―Noughts and Crosses

説明書きによると、○と×を三つ並ぶように置いておく、日本でいう
オセロゲームみたいなもので「相手にミスが無く両者が真正面から
真剣に向き合う場合には、勝負がつかない」そうです。


あとから、振り返るとこの解説が、この物語の本質を衝いている気がする。
人対人。 簡単ではないけど、そこにこそ光がある気がする。
牡丹亭

牡丹亭

TBS

赤坂ACTシアター(東京都)

2010/10/06 (水) ~ 2010/10/28 (木)公演終了

満足度★★★★★

アジアの至宝
「日本」の、ではなく「アジア」の至宝、と敢えて言いたいと思います。
1幕45分、2・3幕各40分(途中休憩5分、20分)の総計2時間45分の
長丁場にも関わらず、本当にあっという間の舞台でした。

一年間徹底した猛稽古の結果、中国の役者と見まがうまでの発声を
身に付けた坂東玉三郎。 自身の舞いもさることながら、脇を固める
春香役の方の息も恐ろしくぴったりで、一幕「游園」から華麗な動きに
圧倒され、美しさに食い入るように見つめている私がいました。

ネタバレBOX

四幕「離魂」で恋煩いの果てに、自身を梅の木の下に埋めて欲しいと
懇願する娘の姿に涙を流すしか出来ない母と春香の姿。 
両脇に設置されたスクリーンでの翻訳も格調高いものであり、
この場面では引きこまれ、私もつい涙がこぼれてしまうほどに
移入しました。 

なんというのか…動きの全て、首のかしげ方、手のかざし方一つとっても
意味が込められていて、その時々の心情が見ているこちらにしっかと
伝わるんですね。 

二幕「驚夢」で、春を司る神がその従者と舞いを踊るのですが、
その動き一つとってもさざ波を表現していたり。 表現が巧みと感じます。

一幕で苔むす庭園に心寄せたり、最小限の動きで心情を最大限に
表現したりする手法。 ふと「もののあはれ」「能」と日本文化の粋と
いわれるモノとの共通点も微かに感じたりと、どこか遠かった中国
芸能に俄然興味が出ましたね。 今後は、その辺りの関係も勉強
したいと考えます。。 でも、奥が深そうだなぁ。。

ともあれ、荘厳で、かつ繊細な芸能に触れたいと思う人全てが
見るべき舞台と最後に述べたいですね。 素晴らしい!!!! 
ロールシャッハ

ロールシャッハ

KKP

本多劇場(東京都)

2010/10/06 (水) ~ 2010/10/17 (日)公演終了

満足度★★★

細かい部分で妙に面白い
色んなところにさり気なく仕込まれた小ネタと、それを使っての動き、
間の取り方が絶妙に上手い。 ガハハと大笑いするより、ニヤニヤ
クスリとするタイプの笑いで、あっという間に引っ張られた2時間10分。
個人的には、後半のネタがツボに入りました(笑

最後の、思いもかけない展開とタイトルに込められた意味、
綺麗なまとまり方にも拍手。

ネタバレBOX

「開拓隊」なる存在が6つの島を開拓してきた中の一つ、「壁際島」。
そこには世界の果てのような場所が存在し、一つの灰色の巨大な
壁により、その向こうは謎に満ちている。

怒りっぽすぎるため外国人工員が何人も辞めていくのに悩む工場長、

「パーセントマン」という3Dマンガにハマリっぱなしの少オタク気味な青年、

人に合わせがちな、軽いノリの典型的な若者な男、

この三人が開拓隊より、この世界の果てにそびえる壁に大砲で穴を
開ける任務を命じられることから、この物語は始まります。

内容が分ると最後の場面のカタルシスが無くなるので伏せますが、
「今の自分」と「本当はなりたい自分」の両面、「壁のこちら側」と
「壁の向こう側」、どちらも違うようで本当は鏡に向き合うように同じものだよ。

そういう意味がこのタイトルにはこめられ、観客は大砲訓練にいそしむ、
というか、四苦八苦する三人を観ながら気が付いていくでしょう。

ちなみに、ネタ的には「串田発泡手!!!」と「朝の小ネタラジオ体操」に
ものすごく笑いました(笑 特に前者。

「お前っ!!!! 俺の職務聞いて笑っただろっ!!!!」

いや、笑いますって。 観客席も大爆笑の個人的笑いハイライト。
腹筋ヒクついたわー。
ガラスの葉

ガラスの葉

世田谷パブリックシアター

世田谷パブリックシアター(東京都)

2010/09/26 (日) ~ 2010/10/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

重なり合う「葉」の家族達
白井氏の演出は、観る人色々感じると思うのですが、生々しく艶やかな
陰翳にあるような気がしてならない。 闇が妖しくうごめき、
その中を光が鮮やかに照らす。 いつもそう思うのです。

その独特の演出が、一見はごく普通の家族達の裏に潜む思惑や
攻撃性、狂気、崩壊感覚を上手く抉り出していて、ここ最近の観劇の
中では群を抜いて脳裏に刻まれました。 観客が多いとはいえず、
空席も結構目立ったのが不思議な位の、高レベルっぷりでした。

余談ながら局面、局面で流れる、音数少なめなのに妙に耳に残る
ピアノの響きが気になって気になって、後で調べたら「中国の
不思議な役人」でも楽曲を提供している三宅純氏の手になるものと知り、
それなら当然か!!と膝を打った次第。

ネタバレBOX

私は、芥川龍之介「藪の中」が大好きなのですが、この作品にも
同じ匂いを感じますね。 こういう話はものすごく好み。

あの物語では、「誰が若主人を殺したのか」、そのことをめぐり、
証人達の言う事が食い違い、結局全ては「藪の中」に終わるわけですが。

局面、局面で兄スティーブン、弟バリー、母親の証言がことごとく
食い違う。 同じ時、同じ場所にいたはずの人物達が全く違う事を
証言する。 まるで、同じ映画を観ているのに、解釈が食い違う。
そんな有様を見せつけられ、観客は戸惑う。

なにしろ、誰の言葉を信じるかで、登場人物達のキャラクターまで
変わってくるのだから。 

兄の言う事を信じるなら、弟は父親の死を受け入れられない、
限りない妄想にとりつかれた心の弱い人間になるし、逆に
弟の言う事を信じるなら、兄はとんでもない偽善者で母親は
息子可愛さにその片棒を担ぐ共犯者、ということになるのだから。

そもそも、物語の根幹をなす「父親の死」についても、観客に
明かされる要素が少ない。 これは物語を通じ全てにいえるが。
何故死んだのか、だいたい自殺なのか事故なのか。

人物達の言葉が全て嘘とはいえず、かといってまんま真実を
語っているとは思えないので、自然他の部分から読み取っていくことに
なるのですが。 微かに分かるのは。

①死んだ父親はどちらかといえば内向的で、子供たちを恐れてか
 引きこもりの傾向がみられること。

②一応兄は母親の、弟は父親のお気に入りという事にはなっているが
 実は互いに愛しながら、心の深奥では必ずしも完全に心を許さず
 憎んでいるきらいすらあるということ。

③②の「隠された憎しみ」の理由はどうも、兄、弟、母親が相互に
 相手の中に「死んだ父親」を見ており、その互いの存在に密かに
 耐えがたいものを感じているらしいということ。

①~③は私の解釈なので、他の人はまた違ったものを思うかも
知れません。 特に、生前の父親がどういう人間か、その受け止め方で
かなり変わってくると思います。 私は…ノーマルな人とは思えなかった。。

舞台は緊張感に満ち、知性と暴力の相反する要素がふんだんに
盛り込まれた台詞の応酬で時間はあっという間です。
舞台の、時折バチバチと点灯する蛍光灯が良い感じ。 あのせいで、
なんか普通の変哲ない部屋が、まるで息苦しい地下室にでもいるような
雰囲気を良い具合に持てました。

最後、観客はきっと身近な存在の家族でも何一つはっきりしたものは無い、
確かなことはその人だけにしか無い、人生はその繰り返しだ、好む
好まざるに関わらず、との感触を多かれ少なかれ抱え家路に着くでしょう。

皆上手かったけど、銀粉蝶はどんなに仰々しい台詞でも、挨拶くらいに
自然に聞かせる、見せる有様が流石と思いました。
そして田中圭。 前半のぶっ飛びっぷりと、後半の純粋過ぎるバリーの
ふり幅の広過ぎる役柄を違和感なしに見せてくれ、今後も大いに期待。
やわらかいヒビ

やわらかいヒビ

カムヰヤッセン

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2010/10/01 (金) ~ 2010/10/11 (月)公演終了

満足度★★★★

板倉チヒロすげえ
というしかない。 というのが、まずもっての感想。

涙、鼻水垂れ流しで理不尽さへ憤り時には熱く、時には残酷なほど
温かい、この主人公を熱演した板倉チヒロの役者精神は、出演者が多い、
この舞台でも輝き過ぎてました。 お陰で主人公のシンクロ度マックスです。

「Mと1」の話を語り出した時がこの作品のハイライトと勝手に思ってます。
この舞台の成立は半分以上彼の貢献によるところが大きいと感じました。

そして、ラスト。 幻想的で、ほんの少し、かけら位の希望が感じられる、
美しい光景でした。 よく考えれば残酷でもあるけど、それも含めて
「生きる」ことに少しだけ思いをはせました。

ネタバレBOX

事前の想像よりも、結構ダークで残酷な物語でした。

他の方が気を悪くしたら申し訳ないけど。。
6月に観たひょっとこ乱舞「水」を思い出していました。
「生きる」ことが美しいだけでなく、時に暗くて残酷だ、というテーマ、
構成や場面転換が複雑ながら巧みに練られていること、時々入る
冷静だけど詩的で核心を突く長台詞。

共通点を感じました。

登場人物が多い作品だけど、何人共感出来るかで評価が決まりそう。
私は牧、佐々木(弟)、ラミアは好きだけど、美津子、小原、上谷、タダシは
ド真ん中で嫌いなタイプだなぁ。 

上谷は牧、タダシは「化学が人を傷つけない世界」に反射させて
結局自分しか映って無いのだもの。 結局は自分のエゴが透けて
みえてくるというのか。。 だから、自分は良くても人がどう思うか
想像の及ばない発言を繰り返しちゃうんだよね。。

あの場面で、「私を殺して」って、理解はものすごく出来るけど
絶対に言えない台詞だよ。。 牧の心情を考えたら。。
ただ、自分が男なのでそう感じるだけで、また他の人は違うかも知れない。

思うのだけど、「アカデミー」に選抜された人達。 ある分野に
秀でたはずの、いわば「エリート」集団なのに、自己中心が過ぎて
子供の集団のようなイメージを持ちました。

佐々木(兄)をいびってた連中とか、上谷と共同研究チームを組んでた
二人組とか。 でもああいうのってエリートに限らず純粋培養されて
しまった人にはよくありがちな性格なのだけど。

そのアカデミーを事実上支配するのが、「大人になれない、
永遠に子供のまま」のタダシだなんて、皮肉にも程があるよ。

そんな人間ばかりの「ノアの方舟」なんて「進むも地獄、戻るも
地獄」だね、まさしく。意図しての設定だったら脚本家は凄過ぎだけど。

あと、タダシが何故末期状態の上谷を連れて帰ろうとするのか
よく分からなかった。 最初、故意にボロボロにして、その状態を
研究して何かに役立てるつもりなのか??と思ったけど、どうも
ブラックホールの開発に彼女が必要らしい。 じゃ、なんで
ボロボロにする必要があるんだろ?

そこが腑に落ちなかったのが残念。

それにしても、最後の場面のラミア含むセットの美しさと幻想性は
今後ずっと覚えていそう。 でも、あれって上谷が死んで、ラミアが
「解放」されたからこそ、のあの光景なんだよね、よく考えたら。

「生きる」って、「生命」って残酷なものだな。
でも、あのシーンだけでも観に行って良かった、と思えた。
ゴジラ

ゴジラ

リブレセン 劇団離風霊船

かめありリリオホール(東京都)

2010/09/27 (月) ~ 2010/09/27 (月)公演終了

満足度★★★

ゴジラの愛
前作「さて、何が世界を終わらせるのか」が結構好きだったので
観に行きましたが、笑いの部分で弱いような気がした。
今となってはやっぱり設定に余りにも無理があり過ぎるよなぁ。。。

でも、やっぱり橋本直樹のケレン味溢れる演技は凄く好きだ。
そして、ゴジラ演じる竹下知雄は上手いと思いました。


ネタバレBOX

ラスト、山の噴火の場面でやよいがゴジラの話振っても
家族はじめとして皆さらっとスルーしていたのは、この物語が
純真さそのもののやよいの願った幻想だったからなんだろうか?? 

最後、ゴジラによく似た男がやよいにスミレを差し出して(二人の出会いの
きっかけがスミレの花だった)二人で避難しに走り出して幕、は何か
釈然としないものを少し感じたけど、良いエンディングで良かった。

それにしても、ハヤタの空回りっぷりには笑いました(笑
でも、好人物だよなー、ハヤタ。 若干KYですが。。
砂と兵隊/Sables & Soldats

砂と兵隊/Sables & Soldats

青年団

こまばアゴラ劇場(東京都)

2010/09/16 (木) ~ 2010/10/06 (水)公演終了

満足度★★★★★

終わらない歩み…。
この作品、結構好きかも、と観終わった後思う自分がいました。
不条理劇は結構好きなんですけど、それに加えて結構笑わせる
ところもあり、あっという間の観劇タイムでした。

将校の「岩本」を演じた山内健司の、飄々として若干おとぼけな
隊を率いる軍人らしからぬ佇まいが、逆に強く印象に残りました。
「西川」演じる石橋亜希子の笑いの取りっぷりも良かった。

ネタバレBOX

オリザさんの「上演にあたって」、ものすごい作品のネタバレなので
最初から伏せておいた方が良かったのでは…。 皆、普通は
一番最初に読むだろうし。

「戦わない軍隊」「敵に遭遇したことの無い軍隊」…。
暗に「自衛隊」のことを指しているんだろうなぁ、と感じても
表だって言われるのと言われないのとではやっぱり感じ方の
強度が違ってくるし…。

それでも些細な台詞、だべりの応酬からいきなり核心を突いてくる
脚本は凄かった。

母親を探して砂漠を彷徨う一家の会話で、長女が父親に、

「涙を拭いて無理に笑顔を造って走って戻ってきた
かもしれないじゃんか!!!!」

は痛烈だったね。 長女の今に至るまでの寂しさ、理解されにくさが
あの台詞に思いっきり凝縮されているように感じられました。

最後、一番最初のシーンと同じように出てきた軍の一隊が
最初のとは若干ヴァリエーションの異なった会話を交わして
去っていくシーンで終わったのに上手いと思い、さらに登場人物達の
彷徨が順々に永遠に続く(脚本には「観客が全員去るまでこの動作を
繰り返す」と指定あり)演出の執拗さに思いっきりビックリ。

とまれ、上質の不条理劇でした。 またいつか広い所で観てみたい。
表に出ろいっ!

表に出ろいっ!

NODA・MAP

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2010/09/05 (日) ~ 2010/09/28 (火)公演終了

満足度★★★

裏「ザ・キャラクター」
中村勘三郎ファンが多かったのか、一挙手一投足に観客大ウケ。
でも、勘三郎さんはサービス精神旺盛でした。 歌舞伎パロディやって
笑わせてたり、他ではしないようなぶっ飛んだ動きしてたり。 
その捨身のパフォーマンスがすごく面白かった(笑
若手女優さんも溶け込んでた、というより溶け込み過ぎてた(笑

特に序盤の、若干引きそうになる程の高テンションについてこられるかで
結構決まってくるかな、と思います。

しっかし最後の台詞、相当キツい皮肉だねぇ…。

ネタバレBOX

内容は、まんま上の「説明」に書いてある通りです。
母親はいい歳して若年アイドルグループ、父親はアトラクション、
娘は… あの「書道教室」にモノの見事にどっぷりハマってしまっている。

前半は「ザ・キャラクター」と同じく三者間のドタバタで進行していくけど
ひょんなことで娘の行き先がバーガーショップのおまけ目当ての行列ではなく
「書道教室」ということが発覚してから、舞台に何ともいえない黒い雰囲気が
立ち込めてくる。

家元のいう、「世界の終り」を信じる娘は、それゆえにそれを信じない
両親と対立、家元から授かったという「人魚の粉」を飲むといい出す。
なんでもこの「人魚の粉」を飲むことで人は生まれ変われるらしい。

…「ザ・キャラクター」を観た人は、ここでこの場面の雰囲気が
あの「地下室」でのやり取りと被ることに気がつかされます。
実際照明も、あのシーンと全く同じものにされててぞくっとした。
三人が互いを鎖でつなぎ合ってるのもまるで同じ。

三人を外に行かせない為につけられた鎖はそもそも三人が
自分の信じるものを強硬に捨てられないことの結果。
それなのに、それに呪縛され自分ではその鎖を脱して外に
脱出することが出来ない。

結果的に自分で招いた鎖を外すことことすら他人に期待する、その滑稽さ。

でも、決して三人を笑えない。

ここで「演劇」をレビューしている私が鎖につながれている、それを自分で
外せないでいる、そのことに気がつかないでいるかもしれないし。。

ちなみに、最後勘三郎さんが演じる能楽師の

「神様でも泥棒でもいいから水を飲ませてくれ!!!」

はキツかった。 

結局窮地に陥った時には、自分の全てを賭けると言い張ってた趣味嗜好も
水以下、張り子の虎だったわけで、じゃ、そんなの今まで信じちゃってた
貴方って一体何なんですか? という皮肉な一撃をくらった感じ。
聖地

聖地

さいたまゴールド・シアター

彩の国さいたま芸術劇場 小ホール(埼玉県)

2010/09/14 (火) ~ 2010/09/26 (日)公演終了

満足度★★★★

地続きの「境界線」
9月は、「自慢の息子」、そして「聖地」と松井ファンにとっては狂喜乱舞な
月となったわけですけど。 それ、私にいえることなんですけど。

「聖地」は「自慢の息子」と若干テーマを共有しつつも、結末は全く正反対の
印象でしたね。 向こうが「冷」なら、こっちは「暖」みたいな。
正直、松井氏の作品から「暖色」の印象を受けるとは思わなかったので
何か別の作者の作品を見てるような気持でした。 

作品全体を通じて松井氏の意外な振幅の広さ、そしてそれに対する
演出の力を感じました。

勝手が違う作品を前に健闘以上の調理を見せた蜷川氏、そして
長丁場の舞台に耐え切った劇団員の皆様には本当に感謝。

ネタバレBOX

場内に入って、陽光を模した照明に照らされた瞬間から、もうお手上げでした。
窓の隙間から差し込む眩しくて心地よい陽光、白を基調とした調度品の数々…。

サンプルの薄暗くて風通しの悪そうな、カビ、蒸れてすえた匂いで
充満してそうな雰囲気の舞台との余りの違いにショックを受けますね。。

個人的には自分も年取ったらここに住みたい…って何十年先の話だ(苦笑

ストーリーは、チラシにもあるように老人達がホームを占拠して
「聖地」を築き上げる第一部までは割とオーソドックスに、しかも結構
良い話な感じで進行するものの、地ならしを終えた第二部からは徐々に
松井色が舞台を覆い始めます。

さながら、普通の絵の上に徐々に歪んだレイヤーをかけていき、
別の絵にすげかえてしまうように。

第二部では、入居者の一人、認知症患者の瀬田さんにかつてのアイドル
キノコちゃんが憑依、「聖地」の共同体の中心にいつの間にか入り込む。

それとともに、「聖地」設立の目的、老人達が安心して過ごせる共同体、
という触れ込みも徐々にキノコちゃんを中心とした、その体制保持の為の
集まり、というものに侵食され、変質していく。

ここで怖いのは、別にキノコちゃんが絶対的な権力者として君臨している
わけではないんですね。 キノコちゃんを絶対視しているものもいれば、
全然お構いなしにそれまでの生活を営んでいて気にしないものもいる。

なんかリアル過ぎる組織図なので、逆に笑えてくる。

徐々に話は進行し、本当にキノコちゃんが瀬田さんに憑依しているのか
それとも認知症で生前のキノコちゃんと仲が良かった瀬田さんの狂言に
みんな乗せられているのか、だんだん分からなくなってくる。

その疑念が頂点に達した時、警察が踏み込んできてこの物語は幕を閉じる…。

最後、その一連の物語でさえも、ある一人の老婆の死に際の夢で
あるかのような描写がなされ(この女性が本物のキノコちゃんである可能性も
あり、その死に際の願望・妄想が今作、という解釈もできそうだけど、本編では
明示は無し)、静かに美しく暗転。

結局、何が本当で何が偽りなのか分らないままですが、「自慢の息子」と
違い、音楽や照明が暖かいんですね。 慈しみに満ちているというか。

実際の蜷川さんは、暖かくて真摯な人だ、といわれているけどそれは十二分に。
舞台の雰囲気も含めて、そこは松井氏との演出手法の違いをひしひしと
感じました。

全く性質が違う、しかも世代も違い過ぎる作家の作品をここまで
自分の作品にした蜷川さんはやっぱり凄い人だ、と感じます。
なにより、その新しいことをしようという勇気に惚れるし、尊敬。 

…けど、公演のチケット、毎回高いので何とかして欲しい(苦笑
今作はその意味でも感謝。

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