Takashi Kitamuraの観てきた!クチコミ一覧

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五十四の瞳

五十四の瞳

文学座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2020/11/06 (金) ~ 2020/11/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

たいへんよかった。瀬戸内海の小さな朝鮮学校の卒業生たちの若い日々と、在日が歩んだ戦後60年代までの歴史が重なる。小さい物語だが、世界の大きな芝居。帰国運動があったことなど忘れていた。女先生役松岡依都美、女生徒役の頼経明子、女優がよかった。そしてなによりたかお鷹。「働いて働いて働いた」の独白場面は、圧巻だった。

ネタバレBOX

日本人の生徒の事故死した後の、最後のシーンは、なぜか目頭が熱くなった。人々がそれぞれの生活へ散っていくのは「屋根の上のヴァイオリン弾き」と同じで、鄭さんの得意のラスト情景。
ビューティフル【11/24昼は舞台機構の不具合のため公演中止】

ビューティフル【11/24昼は舞台機構の不具合のため公演中止】

東宝

帝国劇場(東京都)

2020/11/05 (木) ~ 2020/11/28 (土)公演終了

満足度★★★★

Wキャストのうち平原綾香の回を観劇。平原とソニンの歌が素晴らしい。それを聴くための舞台なので、あとドラマの彫りが浅いなどと、言っても仕方がない。バックのコーラス、歌手役の人たちもうまい。これは意外な発見だった。キャロル・キングの名前は知らないが「ロコモーション」の曲は有名で、聞いたことがある。
座席の一つおきの市松模様はやめ、ほぼ満席だった。

ネタバレBOX

最後は、16歳で結婚したキャロルとジニーの夫婦が、ジニーの浮気が原因でキャロル28歳の時に別れ、長く結婚をためらっていたシンシアとバリーのカップルは、結婚する。互いの夫婦がクロスするような形で、キャロルの離婚の不幸せを、柔らげていた。
女の一生【京都公演中止/東京公演初日延期】

女の一生【京都公演中止/東京公演初日延期】

松竹

新橋演舞場(東京都)

2020/11/02 (月) ~ 2020/11/26 (木)公演終了

満足度★★★★★

古典として残る戯曲は豊かさが違うと痛感した。人物配置の見事さ、二つの三角関係(プラトニックなものです)が一つの家庭の中にあり、対比的な効果を生んだり、秘めた想いを脇役の叔父が持っていたり。布引けいの一生を取り巻くサブストーリーもよくできている。セリフも粒だった言葉、人生の機微に触れる言葉が多くある。いまさら「女の一生」を見てもという思いで、でも大竹しのぶがやるからには何かあるのだろうと、チケットをとったのたが、見事に浅はかな考えを覆された。
しかも大竹しのぶをはじめ俳優も良かった。とくに大竹の柄の大きさが、この一家を背負って自分の願いを断念した女傑を演じて、ぴったりだった。貫禄と存在感がある。同時に、出てきた時のおしゃまな孤児の演技は、「赤毛のアン」を連想した。アンが「鉄の女」に変わってしまうのだから、変貌ぶりにはびっくり。とくに姉娘の見合いの第4場。見惚れてしまった。

旅順陥落から敗戦までの日本の中国進出・侵略の歴史が、中国との貿易を手がける堤家の家の歴史と絡んでいる。ただの家庭史ではない、厚みがある。しかも、けいが本当は愛していた次男の栄二が、共産党員になる。1945年4月の作品としては勇気ある設定だと思う。共産党が、いわば、時代の象徴を担う役割を果たしていた。別に左翼作家でもなんでもない森本薫がこう書いたことに、感慨というか、胸が熱くなるものを感じる。

ただ、初演の作品と戦後長く上演されたものは手直しがある。45年10月の焼け跡の場が最初と最後にあることを見ても明らか。初演版と、現行版の違いは後で確かめたい。

客席は市松模様。この広い劇場でマイクなし(だったと思う)ので、みなさんなかなかの発声である。

プレッシャー

プレッシャー

加藤健一事務所

本多劇場(東京都)

2020/11/11 (水) ~ 2020/11/23 (月)公演終了

満足度★★★★

ノルマンディー上陸作戦は当初6月5日の予定だったが、暴風雨で6日に延期された。その裏にあった気象学者の予報の努力を描いた。スタッグ博士を演じる加藤健一は正義感と頑固さ、期待と反する結果でも、正直に言わなかればならない苦衷を示して説得力があった。

アイゼンハワーを演じた原康義さんが、わたしはひさしびぶりに見て、感慨深かった。地人会の藪原検校で見たのが、30年前。あの体当たりの演技は今も思い浮かぶすごいものだった。あの若い悪党の悲しみを演じた熱血俳優が、老練の連合軍司令官を演じるのを見るとは。歳をとるのもいいことだという気がする。

作戦に向かう兵士たちの犠牲と自分の任務を思って語る台詞は、ただただ拡張高い。感傷でも自己弁護でもない。それまではちょっと軽い人物と見えていたのが、一気に歴史的人物に見えた。
日本軍の将校にこうした哲学のもちぬしをもたないこと。いたとしても知られないこと。知ったとしても侵略戦争と敗戦のゆえに、素直には聞かれないだろうことの不幸を考えた。
その日の自然現象が戦いの帰趨に影響した芝居として、「子午線の祀り」のことを連想した。彼我の共通点はどこにあるか。アイゼンハワーの「神を信じなければ、軍の指揮などできない」という言葉に、全く逆の敗軍の側からだが、敗北を予想しつつ戦い抜いた知盛と重なる。

2時間45分(休憩15分含む)

ネタバレBOX

後半の、予報を巡る全く対立した意見の対立、延期の決断、しかし天候が持ち直しそうな予兆の発見、さらに1日後の決行の決断、結構の深夜の、アイゼンハワー司令官の兵士たちに犠牲に想いを馳せる葛藤はじかんをかんじさせない、迫真のひとときだった。
『迷子の時間』-「語る室」2020-

『迷子の時間』-「語る室」2020-

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2020/11/07 (土) ~ 2020/11/29 (日)公演終了

満足度★★★★

よかったです。前川知大ワールドの入門編という感じ。亀梨和也の舞台は初めてでしたが、今回は語り手的存在で、真面目さと冷静さで物語をクールに進めてました。5年前に起きた幼稚園送迎バスの失踪事件の被害者家族の生活が丹念に描かれていく。消えた幼児の母親役の貫地谷しほりさんがうまい。見惚れました。それと、愛車を盗まれたという、東京からきた霊媒師(古屋龍太)が良かった。謎を解く鍵を握るトリックスター的道化ぶりが、浮くことなく決まっていた。

観劇日は生越千晴さんの誕生日だった。28歳。蓬莱竜太の舞台ではよく見ていたが、今回はガラッと変わった世界観で、別人のようだった。大ベテランや人気俳優に囲まれて大変だったかもしれない。でもこれもよし。

ネタバレBOX

後半になって、霊媒師の元に「僕幽霊なんです」というガルシア(松岡広大)が現れる。戸籍のない彼は、なんと2000年に失踪したバス運転手の残した幼児。2022年からタイムスリップしてきたという。ここで、失踪事件がタイムスリップらしいとわかる。

消えた二人(一人は浅利陽介)も生きていたことがわかり、意外な形で登場する。あまり昔に飛んでしまうと出会いようがないが、そこはほどほどの30年ほど。
結局、観客に謎の答はわかるが、登場人物たちは謎を知らないままに終わる。そこが少々おとなしいところ。大きな発見の落差はドラマの中では起きない。
最近の前川ワールドの、展開の飛躍ぶりからすると、入門編と感じた所以です。
フリムンシスターズ【12月1日(火)と12月2日(水)の大阪公演中止】

フリムンシスターズ【12月1日(火)と12月2日(水)の大阪公演中止】

Bunkamura

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2020/10/24 (土) ~ 2020/11/23 (月)公演終了

満足度★★★★★

ギャグと笑いと毒にくるんで、新宿二丁目のゲイ街や沖縄の米軍基地にまつわる差別や悲しみを描いていく。人生で挫折した登場人物たちの、再起の物語。自由への新たな一歩が最後は明るく華やかに歌い上げられる。松尾スズキには珍しい、メッセージがくっきりとした向日的な作品。たいへんおもしろかった。

ミュージカルなので、歌の場面も物語を盛り上げ、大いに感情を高まらせてくれた。猥雑で下ネタ連発の、少々長い前日譚のあれこれの後、冴えないコンビ店員(実は沖縄のユタの=長澤まさみ)と、落ち目の大女優(秋山菜津子)と付き人のゲイ(阿部サダヲ)が出会う。その第一幕の後半、長澤まさみが街中を突っ走っていく「うちはフリムン」から、物語が一気に活気づく。登場人物をリアルに造形し、観客の感情移入で、その世界を共に生きるというリアリズム演劇ではないので(いうまでもありませんが)、壮大なおふざけの中に、笑いと悲しみ、社会と歴史がうむ切ないあつれき、そしてあすを生きる活力がうまれてくる。デフォルメや人物像の単純化も多いので、そこは要注意。しかし、作者の視線は基本的にあたたかい。

「後ろからズドン」で、どんどん人物が死ぬが、死ぬことに悲惨はない。死んだ人は皆、派手な衣装で舞台に現れて、芝居を盛り上げる。ドンパチの見せ場が多く、最後は爆発・火災まであって、観客へのスペクタクルなサービス満点。はやめちゃとも言える様々な伏線をちゃんと最後は回収して、衣装も華やかな大団円だった。

長澤まさみは可愛いだけでなく、大いにはっちゃけていた。秋山菜津子も緩急自在にぶたいを牽引。おねえと江戸っ子をくるくるかわる阿部サダヲのギャグも絶品だった。ゲイの親分・信長とヤクザの親玉・徳川を演じ分けた、存在感たっぷりの皆川猿時の芸達者も素晴らしかった。そして、芸大声楽科で学び元劇団四季の笠松はるの歌が、ずば抜けて良かった。休憩20分含め3時間30分だが、長さを感じなかった。特に第2幕はもっとみていたいほど。

The last night recipe

The last night recipe

iaku

座・高円寺1(東京都)

2020/10/28 (水) ~ 2020/11/01 (日)公演終了

満足度★★★

ある若い夫婦で妻の突然死から始まる。舞台は生前の回想と死後の現在を行き来する。現在と言っても、亡くなったのは2021年3月4日なので実は未来。
ヨリは女性ライターとして、ルポの本を出したくて、父親のラーメン屋で無給で働かされていた良平の「不幸」な生活を取材し始める。ルポがなかなかうまく書けず、「相手の懐に飛び込むため」駆け落ちのように良平と結婚する。が、無口でおとなしく、魅力もない良平との結婚は、非常に無理がある。結婚しなくても、ルームシェアでいいんじゃないかとか。観客も、ヨリの周囲も、全然ついていけない(と思う)。
美人で活発なヨリが、風采の上がらない中卒男にプロポーズとは。
その謎が最後に解かれる。遠くの目標ばかり見つめて、足元の日常を見失っている現代人への、優しいメッセージが胸に残った。

ヨリの死は、ワクチンの接種の夜ということで、薬害が考えられる。先輩ライターのアヤがその疑惑を追おうとするが、あまり話は深入りしない。それよりもヨリと良平の「常軌を逸した」結婚生活、1年と1月を、見つめ直すことに芝居の中心がある。

ミュージカル『ローマの休日』

ミュージカル『ローマの休日』

東宝

帝国劇場(東京都)

2020/10/04 (日) ~ 2020/10/28 (水)公演終了

満足度★★★★★

しばらく席を立てないほど素晴らしかった。タオちゃんの可愛い無邪気な王女様が、1日の自由を満喫した末に、自分の仕事に戻る。この1日は(王女の寝言にもあるように)夢の世界であることが、リアルな映像に縛られないミュージカルだからこそよくわかる。お姫様を助ける騎手(ナイト)の話である。音楽、ダンス、衣装、美術、セット全てを通じて夢を共に体験できた。

そして訪れる別れ、それぞれの責任。王女は声も低くしっかりとなって大人になったことが、くっきりしていた。「ローマの休日」は恋物語だけでなく、王女の成長物語なのだと初めてわかった。大人になるとは夢を断念して責任を引き受けること。ジョーも愛を胸に秘めて自分の生活に戻る。それぞれの立場があるゆえに、思い通りにはいかない大人の恋である。この切なさに、思わず涙がこみ上げた。

ラスト、公開しなかった特種写真がスクリーンに映るところから、目頭がずっと潤んで仕方がなかった。
曲はラストに流れる「ローマの休日」がしみじみといい。もう一つ、ジョーが歌う「変えていくのは自分次第」「笑われても馬鹿にされても夢を持たなきゃ生きていけない、それが人生」と歌う「それが人生」が心に響いた
土屋太鳳、加藤和樹、藤森慎吾の回を観た。

「獣の時間」「少年Bが住む家」

「獣の時間」「少年Bが住む家」

名取事務所

小劇場B1(東京都)

2020/10/23 (金) ~ 2020/11/02 (月)公演終了

満足度★★★★★

「少年Bのいる家」罪を犯した息子を持った母親と父親の、言うに言われぬ感情、迷い、鬱屈、煩悶。それが、俳優たちの所作と表情の端々にかんじられて、人ごとでなく前のめりに見てしまった。セリフが意外と少なく、間の多い芝居だし、小さな声で喋る場面に、結構惹きつけられた。

「どうして」という問いの繰り返しから、これは「不幸が私たちのところに来たんだ」という母親、聖書の「ヤコブの相撲」の話をする保護監察官。そうしたところに、救いの可能性が感じられ、見終わって、気持ちが浄化されたようなじんわりした清々しさがあった。

俳優諸氏も自然かつ抑えた演技で、優れたリアリズム演劇だった。特に、問題を抱えながら、それに触れるのを避けて、家族同士がぎこちない前半がリアルだった

「獣の時間」「少年Bが住む家」

「獣の時間」「少年Bが住む家」

名取事務所

小劇場B1(東京都)

2020/10/23 (金) ~ 2020/11/02 (月)公演終了

満足度★★★★

朝鮮人、浮浪児を見下し虐待する日本人舎監たち(内田竜磨、山口眞司)。しかし院長(山口)の娘(伊藤安那)は、若さゆえの純粋さで、海で自分を助けてくれた院生567号(西山聖了。名前もなく、番号で呼ばれる)に優しく接し、熱心に本を読ませる。特にデミアンの「生まれ出ようとするものは、一つの世界を破壊しなければならない」がの一節を何度も。箸の使い方も教える。

しかも567号の愚鈍さ、いじけた性格は、生き残るための芝居で、実は頭の良い少年だった。心を通わせ始める二人。

しかし、それは長続きせず、567号は生き地獄のような孤児院に連れ戻される。
母親(清水直子)が壁面に合間合間にくくりつけて増やすノイバラは、人間性を取り戻す576番を象徴するのかと思うと、全く違う意味がクライマックスで明らかになる。
デミアンの一節が、567号=カン・テスの決断を象徴する言葉になる。

日帝時代にあった、脱走困難な孤島の孤児院「仙甘学院」をモチーフに、日本の朝鮮支配の罪を告発する舞台。二人の男同士の蔑みと反抗、支配と服従の逆転も描き、小品ながら濃密な作品。
舞台中央に開けた矩形の穴が、学院への抜け穴になったり、棺になったり。この作品がどこか違う世界とつながっているような、あるいは地底の底に降りていくような、垂直方向の世界観を視覚化してくれた。

獣道一直線!!!

獣道一直線!!!

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2020/10/06 (火) ~ 2020/11/01 (日)公演終了

満足度★★★★

木嶋佳苗の連続殺人事件にインスパイヤ―されたピンクでブラックなコメディ。「パワハラ女」の登場場面から、スカートの下をさらけ出す最後まで、池谷のぶえのつきぬけた役作りと体当たり演技が出色だった。古田新太もよかったが、少々お疲れ気味? 科白を噛んでいたのがご愛敬だった。
苗田松子(池谷)が、夫の中薮(池田成志)の家で、出所してきた古田とふける「愛欲の日々」がきわどいけれど、笑えた。プロローグの「不要不急の俳優なんてお荷物」ソングや、古田と池田のフェイスガードでベッドインとか、コロナを逆手に取ったギャグも、コロナを笑いに変えるしたたかさが良かった。

池谷と美月ちゃんの早変わり、いれかわりの二人一役の「毒女・苗田松子」も笑えたし、演劇的仕掛けで、「悪い女」の可愛さ、危なさが多面的に感じられた。
とにかく難しいことを考えず、毒と下ネタとコントに気楽に笑えた2時間半であった(休憩込み)

舞台上のカメラを使った演出=絵が、スクリーンに拡大されて出る。も、俳優を大きくみられるからうれしかった。ケラなど、生の舞台で映像を使う作家、演出家が増えてきているのは、いいことだ。生の舞台で映像を使う事には躊躇もあるが、遠慮せずに、色んな使い方印チャレンジしてほしい。野田秀樹作「真夏の世の夢」の、プルカレーテ演出も映像を、出演者の映像をふんだんかつ巧みに使って印象深かった。

ネタバレBOX

「7台の玉突き事故、5人巻き込まれた」という事故で、望月は妻と子を亡くした。しかし望月の車に妻と子は乗っていたっけ? 妻のもとに帰る途中だったから、乗っていない気がする。私の勘違いだろうか?
氷の下

氷の下

うずめ劇場

仙川フィックスホール(東京都)

2020/10/14 (水) ~ 2020/10/15 (木)公演終了

満足度★★

「かもめ」の一幕目でニーナが演じる独白芝居を連想した。空港でどんなに離陸時間におくれて呼び出しを受け続けても、ゲートにいこうとしない女の身勝手な独り言。「コンサルタントは(精神科の)治療だ」「こいつできるけど傲慢じゃない、とクライアントに思わせることが大事だ」と豪語するおとこ。あざらしの大群と白熊のスケートの自作のミュージカルをプレゼンする女。あと女優がもう一人、最初はセーラー服で、最後は、他の女と同じスカートの短いスーツ姿で現れる。

それぞれ絶叫型の独白、力演型のスピーチがつづき、対話や物語はない。自助を求める新自由主義へのけんお、気候変動への関心、コンサルなどの非生産的な無意味な仕事(今で言うとブルシットジョブ)へのひはんがある。

生ピアノを使った音響(二番目の女が弾く)がゆにーく。あざらしのパンパンに膨らんだぬいぐるみと、白熊の着ぐるみはおもしろかった。

ネタバレBOX

そうそう後半で錯乱した三人がそれぞれ別々のセリフを、同時に叫び合い、最初の女、居内陽子が、机の上に仁王立ちして機関銃を乱射し、銀行で皆殺しする。呆気にとられる場面だった。居内は机の天板を外し、透明プラケースになっているその中に沈み込む。面白い演出だった。

そこで終わった方がよかったのではないか。
リチャード二世

リチャード二世

新国立劇場

新国立劇場 中劇場(東京都)

2020/10/02 (金) ~ 2020/10/25 (日)公演終了

満足度★★★★

タイトルロールの岡本健一の演技に尽きる舞台だった。前半の落ち着いた王から、後半の嘆きへりくだり錯乱する、失脚した王へ。えんじゃ皆、歴戦の俳優ばかりで、セリフが聴き取りやすい。安心して、シェイクスピアを楽しめた。この芝居は、ストーリーは単純で、セリフの機智や修辞が聴きどころなのでなおのこと良かった。

全体を上手く刈り込んだテキストレジーで全体を3時間20分(休憩20分込み)と適度な長さに。王が降伏する城壁が、舞台左前の小さな踏み台になっていたり、「棺」を、遺体を覆う布で済ませたりと、簡素だが雰囲気をよく出す美術・小道具も良かった。
また特筆すべきは衣装。とくに王侯貴族たちの威厳を、落ち着いた色合いとシンプルだが華のあるデザインでよく示していた。衣装にこれだけ手間をかけられるのは、新国立劇場の企画公演ならではだと思う。

センポ・スギハァラ

センポ・スギハァラ

劇団銅鑼

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2020/09/17 (木) ~ 2020/09/22 (火)公演終了

満足度★★★★

劇作家・平石耕一さんの出世作にして代表作。杉原千畝の話は今や有名だが、顕彰の先鞭を切った作品でもある。ビザ発給の決断がひとつのポイントだが、満州で見た日本人の専横ぶりをナチスに重ねることと、外交官として子供に誇れる仕事かどうかという角度から迫る。子供の存在は独楽を通して象徴され、それがキーアイテムとなる。津上忠さんの教えのように、小道具を三回生かしていた。

杉原役の館野元彦が、気さくな気骨の人をえんじてよかった。妻の中村真由美も夫を支える気丈さを示していた。ユダヤ人家族のパートも横手寿男、山形敏之ら、好演していた。
領事館とユダヤ人アパートの転換を一瞬でできる、パタパタ式の美術も良く出来ていた。

私はだれでしょう

私はだれでしょう

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2020/10/09 (金) ~ 2020/10/22 (木)公演終了

満足度★★★★★

いろいろなことを考えさせられた。まず、初演も再演も見ているのに、3度目の今回見て、大事なことを全く覚えていないことに愕然とした。同じことは井上ひさしの「ムサシ」の再々演でもあったが、今回はあまりにひどい。実はそこにこの戯曲の深さと難しさがあると思ったので、書き留めておきたい。以下、戯曲分析が中心になります。

初演は川平慈英の記憶喪失の元軍人役が見事だった。様々なキャラクター、見事なタップダンスを演じ分けて、それが最も印象が強かった。それと絡んで、戦後のGHQの検閲下に置かれたNHKラジオの「尋ね人」のスタッフの話で、その責任者がGHQの意向に逆らって最後は連れて行かれる。覚えていたのはそれだけだった。

今回見て、主人公の河北京子の弟が特攻任務に抗命の罪で自殺した「赤縄」の話、CIEのフランク馬場の二重国籍と日本の孤児院支援の話、そして「尋ね人」でGHQから問題にされるのが、原爆の広島・長崎からの投書を読んだことであることを、全く忘れていた。これはこの戯曲の三つの肝とも言うべきテーマなのにである。(例えば「きらめく星座」で言えば、「大日本帝国の大義、ありや、なしや」を忘れてしまうようなものだ)

ここで考えてみると、実はこの戯曲は大きく二つのプロットがある。メインが「尋ね人」の室長のたたかい。サブが、記憶喪失の山田太郎の話である。初演で川平慈英が演じた。この二つの話は実は互いに独立している。ところが、サブの山田太郎の話の細部が面白いために、私の記憶の中で、メインの細部が霞んでしまったのだと思われる。

最後に、権力に対して弱者は「負けて負けて負けて負け続けて、積み上がって勝ちになるまで」戦い続けるのだという歌がある。この作品の最大のメッセージが込められた歌だ。これも全然忘れていた。「負けて負けて負け続けて」ということが、10年前、3年前に見たときよりも、胸にこたえる心境の変化だろうか。それだけでなく、山田太郎の「私はだれでしょう」のサブプロットが、「尋ね人」のメインプロットを食ったせいもあると思う。
そもそも「私はだれでしょう」のタイトル自体がサブプロットのもので、メインプロットがタイトルになっていないことに、作品構造のずれがある。公演の宣伝のために、タイトルは、戯曲を書くよりも前に決める。推測だが、最初は記憶喪失の男の話がメインに絡む予定だったのが、戯曲を書いているうちに、ずれたのではないだろうか。(あくまで勝手な推測です。井上ひさしさんすいません)
メインプロットに、折々の闖入的にサブが絡む構図は、「きらめく星座」の脱走兵の息子、「頭痛肩こり樋口一葉」の花蛍、「人間合格」の活動家の友、「太鼓たたいて笛吹いて」の行商の弟子など、井上ひさしのお得意のものである。しかし、いずれもタイトルはきちんとメインプロットから取られている。また、サブとメインが有機的に絡んでいる点も、ずれが目立つ「私はだれでしょう」とは違う。

この作品は井上ひさしの最後から5番目の作品。戦争を描いたのは、この後では朗読劇「1945年口伝隊」があるだけである。それだけに、集大成的要素がある。原爆は「父と暮せば」、やくざの若親分の話は「雨」、記憶喪失の話は「闇に咲く花」からの借用でもある。日系米人の将校はアメリカの日系人収容所を描いた「マンザナ、我が町」に通じる。実際、実在のフランク馬場の両親は収容所に入れられ、本人も入れられる危険があった。最後に「ラジオの魔法」は、井上ひさしの言い続けた「劇場の奇蹟」に通じる。人生に文化芸術(演劇、ラジオ)はどういう意味があるのかという芸術論である。

そして晩年めざした音楽劇という形式。「誰かの鉄砲玉になるのはもう嫌だ。これからは、私は誰になるべきでしょうを考えていきます」というセリフは、東京裁判三部作のエッセンスと言ってもいい。
とにかく集大成なだけに情報量が多い。(初演は休憩15分入れて3時間20分の長さだった。再演からは休憩込み3時間に少し縮めている)そして一つ一つは割と無造作に置かれていて、見逃しやすい。再演、再再演に価値があるし、何度も見て、新たな発見があるゆえんだと思う。

馬留徳三郎の一日

馬留徳三郎の一日

青年団

座・高円寺1(東京都)

2020/10/07 (水) ~ 2020/10/11 (日)公演終了

満足度★★★★

大変笑えた。山村の過疎の老夫婦宅に、東京にいて何年も帰らない息子の、部下を名乗る男がやってくる。オレオレ詐欺師らしい。老父は金に困っているなら仕事を紹介するといい、それがなんと「ロシアのスパイ」。金髪美人にロシア語を習える、という。怪しげなロシア語まで操り、爆笑した。
いっぽう、近所の親子三人が用もないのに何度も来る。最初は詐欺師に、息子の部下なら息子の似顔絵をかけという。詐欺師を追い詰めるかと思うと、だんだんこの親子自体がおかしなことを言い始める。別々にやってきては、息子は両親がボケ始めえてるといい、両親は息子が若年性アルツハイマーだという。互いに、相手が逃げた、行方不明だと言っては助けを求めて、混乱させる。
かと思うと、別の村人が「この家の息子は死んだ。あんた調査が足りない」といい出し、老妻は「いや、生きてる。今海外で商社マンだ」と。
いつの間にか、詐欺師は家の息子に扱われ、甲斐甲斐しく朝食を作る…。

同じ人でも、出てくるたびに言うことが変わる。コントの連続のようで、笑いにはことかかないが、なにが真実かというと、つかみどころがない。すべての解釈をするりとかわす、軟体動物のような舞台。老人役の三人が、自然体でユーモアがあって良かった。これは痴呆化(高齢化)進む日本の桃源郷かもしれない。ボケても人は幸せに生きていけると。

途中の場面の区切りに、テレビの甲子園中継の音が効果的に使われていた。冒頭の老人の会話からして「加山雄三と歌丸は同じ歳だぜ」「嘘だろ」と、懐かしい昭和ネタでくすぐっていた。歌丸が司会の「笑点」といい、甲子園テレビ中継と言い、古き良き時代のノスタルジーをくすぐる。高齢者を描くツボにはまっていた。

ネタバレBOX

個々の話は繋がらないので、どうやって終わるのかと思った。最後はリアルで幻想的で切ない終わりだった。
老妻が老夫に「どちら様ですか?と、急に認知症がひどくなる。そして、二人が知り合った高校時代、高校球児だった夫が、県予選の決勝で負けて甲子園に彼女を連れて行けなかった悔いを告白する。妻は(ボケているので)、決勝で勝った思い出を語りだし、夫も同調。ふたり、かつての破れた夢の記憶を塗り替え、甲子園に行った恍惚に浸るなか、暗転。
All My Sons

All My Sons

serial number(風琴工房改め)

シアタートラム(東京都)

2020/10/01 (木) ~ 2020/10/11 (日)公演終了

満足度★★★★★

戯曲はすでに古典的な有名作だが、初めて舞台を見た。すばらしい傑作だった!!。戯曲、演出、俳優、美術と3拍子も4拍子も揃った充実の舞台だった。ケラー家の庭での朝から翌未明にかけての一日の出来事。古典的な三一致の法則にのっとったかのよう。最初はご近所たちとのたわいもない話で幕を開けるが、次第にこの家をむしばむ「罪」が明らかになる。背景の二階家は、内面で傷ついた家庭を象徴するかのように、一部が焼け焦げて崩れている。庭のど真ん中の、大風で倒れた木は、リンゴ。聖書にあるように「罪」を象徴するようだ。

次男のラリーの戦死を受け入れずに現実を逃避する、母親役の神野三鈴がとくにすばらしい。あらためて気づいたが、声がいい。低音が混じり奥深く響く。しかも、この現実逃避した母親が、最も現実に近づいていたことが最後に分かる。つまり、他の人は気づかない怖ろしい深淵を、ただ一人予感していたから、母親は逃避するしかなかったのである(現実は、母親の予感以上に過酷なものだったが)。
父親役の大谷亮介は、最初はただ偉そうにしているだけに見えたが、それが自分の秘めた罪を虚飾するものとわかってくる。元共同経営者スティーブ(パイロット21人が死んだ大事故の原因の、欠陥部品納品の罪で刑務所にいる)の息子のジョージ(金井勇太=好演)に対し、悪いのはスティーブだということを、自信たっぷりに丸め込む場面は見事だった。長男・クリスの田島亮はかっこよく、死んだ次男の恋人だったアンの瀬戸さおりも美しく素敵だった。

日常のリアリズム芝居から、奥深い思想、戦争批判、おカネが人を狂わす資本主義批判へ。「戦争も平和もつまりはカネだ」という資本主義・帝国主義の醜い事実を照らし、「戦争で儲けたやつら」に裁きを下す。井上ひさしの「闇に咲く花」「太鼓たたいて笛吹いて」を思い起こさせられた。似ているところが多々ある。

最後に。日本で戦争を批判すれば戦争指導者(天皇も含むかどうかは別にして)による無謀な戦争がまず批判の第一になるが、アメリカのこの劇に、その要素はない。「正義の戦争」だからだ。「戦争で儲ける奴ら」への批判が第一となる。それが、逆に普遍的な資本主義批判につながる。
また、子世代が父世代を批判する厳しさも欧米的なもの。ドイツのナチス世代を批判する戦後世代も同じ。日本では、元兵士だった父親を息子たちはあまり批判しない。あるいは、戦死した戦中世代が、戦前世代を批判したりしない。あるいは批判は少数にとどまる。この違いはどこから来るかはわからない。

ネタバレBOX

最後にならないと、欠陥部品の責任が父親ジョーにあることがわからない。それが後半の二幕になって、次第次第に明らかになっていく経過が、推理劇のように見事。最初は隣の奥さんのスーの憶測話からそしてジョージの登場以降、二転、三転しながら、悲劇のクライマックスへ。ジョージに向かって、「いるんだよ。責任をとらずに、人が縛り首になるのを見捨てる奴が」と語るジョーの、自分のことを言っているのに気づかないような、平然と語る姿が怖い。戦争成金の自信に満ちた表情の裏の、「原罪」の恐ろしさを抉り出す。

ブルーストッキングの女たち

ブルーストッキングの女たち

劇団青年座

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2020/09/26 (土) ~ 2020/10/04 (日)公演終了

満足度★★★★

宮本研はこの芝居で「真っ直ぐに生きる人間」「一途な人生の輝き」を描いたのだろう。だから中心は伊藤野枝と大杉栄になる。あるいはこのふたりを中心にした結果、「一途に短く生きた人生」がたちあがることになる。人生観や社会論の作者の考えは表面には出てこない。大杉に対して「理想はいいけれど、現実を見ないとしっぺ返しを食う」「3人の女の戦いで、勝ったのは野江さん」など、ふたりの人生へのコメントがあるくらい。青鞜内部の女性たちの家庭や社会での地位や性をめぐる議論もほとんど踏み込まない。同じ青鞜をモデルにした永井愛の「私たちは何も知らない」を去年見たばかりなので、比べる形になった。

前半は青鞜の編集局で主要人物が顔を揃える。ついで辻潤宅。次の「人形の家」の終結部の劇中劇が長くて驚いた。子供を置いて家を出たノラに野枝(のえ)を重ねる構図になる。
最初「私は子供を置いていくことはしない」と言っていたのに、辻潤と分かれると、二人の子を手放した皮肉。最初は子供に未練はない強い女を装っていたが、その母性の葛藤は、後半、辻潤が長男のマコトと現れた場面で噴出する。野枝が息子に詫びるのに対し、息子は「父さんはいつも野枝さんはいい人だ、と言っています」と無愛想に答える。息子の口を通じて、辻潤の未練が伝わる仕組み。その、自分を愛してくれる夫を子供とともに捨てた事実が、野枝を更に苦しくさせる。

後半は大杉栄をめぐる妻と、愛人の市子と、野枝の四角関係から、甘粕事件まで。日影茶屋事件での市子(小暮智美)の刃物を持って愛を迫る場面は迫力あった。
抱月と須磨子のシで終わる同志関係が、大杉と野枝にも重ねられている。ほかにも平塚らいてうと奥村の(籍は入れないものの)小市民的夫婦関係も対比される。
大杉を演じた石母田史郎のダンディぶりが良かった。野枝の田上唯は、野枝のエキセントリックな激しさよりも、純粋さ、真面目さが感じられた。関東大震災の殺害直前のふたりの、真っ白い衣装が白装束のように眩しかった。

細かいところでは、辻潤(松田周=役よりもかなり若いが、好演)と息子の放浪の姿には映画「砂の器」が重なった。大杉栄の自由恋愛?論には、サルトルとボーヴォワールを思わせた。また、りんごが小道具として生きている。大杉が最初かじっていて、子供がりんごを売り、最後に殺害犯の甘粕がまたリンゴをかじる。「小道具は3回使え」の津上忠さんのセオリー通りだ。

『夜鷹と夜警』(よだかとやけい)

『夜鷹と夜警』(よだかとやけい)

東京No.1親子

ザ・スズナリ(東京都)

2020/09/11 (金) ~ 2020/09/22 (火)公演終了

満足度★★★★★

皮肉たっぷりの「政治屋」批判が後半連発されて、笑い転げた。。「政治家はやめられません。われわれの決断一つで、多くの人を(幸せにできる、というのかと思いきや)貧乏にできる(ウマイ!!)」「悪政を敷きながら、いかに当選を勝ち取るかの、そのスリルがたまらない」(ここまで本音いう政治家がいたらサイコー)などなど久々に笑った笑った。絶妙のコントの連続だった。

しかも、笑わせるだけでなく、ほかにも詩情や慧眼にみちたせりふが多い。夜、散歩しながら「太陽の影は厳しすぎる。月明かりの影は、合づち上手で一人ごとのリズムを作る」などと言って、ひとりごとしたり。「田舎は王様の顔が見えやすくていやだろ。都会は自分が誰の奴隷かわからないからすごしやすい」とか。
結婚式専門のカメラマンの科白「どれだけ幸せな二人を世に放てば、悲しいニュースが亡くなるのか」などなど

蝙蝠と格闘しながら友情が芽生えるコント(佐藤B作のまじめなとぼけが面白い)、ギター歌手が、突如辻斬り侍に変身する(村上航)、美人で演技のうまい安藤聖、有名なオヤジと共演して、何も臆する様子のない(どころか、芝居を引っ張る)佐藤銀平、役者たちも良かった。

十二人の怒れる男

十二人の怒れる男

Bunkamura

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2020/09/11 (金) ~ 2020/10/04 (日)公演終了

満足度★★★★

戯曲は名作中の名作、役者もベテラン、若手、いずれも名のある人たちが結集、演出はロンドンの実力者。これでは見ないのが損だろうと見た。期待通りではあったが、期待を越えるものはなかった。そこが微妙なところ。こちらの期待が高すぎるのかもしれない。以前、戯曲を読んだ気がするが、有名な映画は見ていない。でも、忘れていて、見ながら、探偵小説のように、証言の信ぴょう性を一つ一つ崩していく展開がやはり一番面白かった。現場に出かけたり証人に尋ねたりできない、一種の安楽椅子探偵ものである。

ネタバレBOX

階下の老人が「ぶっ殺してやる」という少年の声を聞いたというが、そのとき、効果の鉄道に電車が走っていた。その騒音で聞けるの? 足の悪い老人の歩行実験、など。やはり舞台で見ると、心に刻まれる印象の強さが違う。

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