Takashi Kitamuraの観てきた!クチコミ一覧

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シェアの法則

シェアの法則

劇団青年座

ザ・ポケット(東京都)

2021/01/22 (金) ~ 2021/01/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

文句なしに素晴らしい舞台だった。今年の(始まったばかりだが)最大の収穫。シェアハウスの日常のあるあるから始めて(例えば、若い女性が部屋に男を連れ込む)、意外な展開(男が実は息子!!だった)で、背後の個人的社会的問題を示していく。サラ金・闇金、外国人技能実習制度、東日本大震災のトラウマ、家と個人。戯曲の展開と伏線の回収が見事。中年引きこもりの小池一男(若林久弥)の事情も意外で、楽しめた。しかも演劇(小説)が人間の背中を押し、力になるという演劇論、芸術論も大事な内容になっている。

役者陣も自然体で熱演。おっかない大家の夫の噂話を聞きながら、怖いといえば青年座ならあの人だよな、と思っていると、その通りの山本達二が出てきた。予想通りと笑ってしまった。山本龍二の父と子(嶋田翔平=頼り無さそうな感じがそのまま)の最後の和解は、期待通りなのに、その期待の実現に、ホント涙が抑えられなかった。涙腺の刺激の仕方をよくわかっている。(この和解に、小池一男の存在が深い意味を持つ)

正義の人びと

正義の人びと

劇団俳優座

俳優座劇場(東京都)

2021/01/22 (金) ~ 2021/01/31 (日)公演終了

満足度★★★★

「正義」を実現するための「暴力・殺人」は許されるのか。革命組織内の「恋愛」は、組織を離れても続くのか。革命を支えるのは愛か憎しみか。こうした問題を正面から激しく論じ合い、ぶつかり合う。思想劇であり、絵に描いたような葛藤のドラマである。「大公」は殺せても、その甥・姪の子供は殺せないというのは、ドストエフスキーを思い出した。状況は全く違うが、文豪も子供の命が踏みにじられることに耐えられないさまを「カラマーゾフ」に描いた。「子ども」は無垢、イノセンスの化身であり、特別な意味を持たせうる。

テロ実行犯のヤネクを演じた斎藤隆介が知性と感情を兼ね備えた、抑えがたい悩みと葛藤が非常にリアルで、素晴らしかった。その存在感によって、観念的な議論に血が通った。

でも「子どもを殺すより、失敗を選ぶ」と、一人の冷徹な年長者の革命家以外はみんな一致するところは優等生的、穏健的である。革命組織内で、テロのために皆が集中すればするほど、そうしたヒューマニズムは置き去られてしまうのが現実である。それは歴史とイスラム過激派等の現状が示している。カミュはアルジェリア戦争で「一般人へのテロの停止」を提唱したが、全く容れられず孤立したそうだ。

後半(4幕)の独房での大公妃との対話は、キリスト教をテロ行為に対置してやりあったようだが、よくわからなかった。この芝居の中心は正義と子供の命を天秤にかける2幕と、革命と恋がぶつかる3幕にあるだろう。
休憩15分込み2時間半

ネタバレBOX

最後(5幕)ヤネクの絞首刑を聞いて、女のドーラが「自分もテロをする、そして同じ絞首刑に会うことで、彼と一体になる」と叫んで、終わる。カミュの、これが結論でいいのだろうか。次々テロに参加し、そして死んでいく、その連続は終わることがない。カミュはこれを「解決策」とするのか? 大いに引っかかった。
ロボット・イン・ザ・ガーデン

ロボット・イン・ザ・ガーデン

劇団四季

自由劇場(東京都)

2020/10/03 (土) ~ 2021/03/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

賑やかでエネルギッシュなダンスシーンと、しんみり聴かせるバラードと、メリハリの効いた楽しくてジンと来る舞台だった。ダメ男のベンがロボットのタングと次第に心通わせていく「バディもの」であり、かつベンとエイミーの若い夫婦が、離婚の危機から愛を取り戻すまでの恋の物語でもある。さらに、ロボット科学は人間を幸福にするのか、人間を貶めるのかという科学倫理の問題も背景にあり、意外と重層的な深みのある舞台だった。

ロボットのタングがかわいい。ふたりの俳優が後ろに付いて操り、セリフを言い、歌うわけだが、俳優と一体になりつつ、タングとしての仕草(眉毛、まぶたもうごく)がよく、存在感が素晴らしかった。犬のロボットも、チョイ役ながら、やはり人間がつきっきりで動かしているのに、動きが犬らしくて、これも良かった。「ライオンキング」「キャッツ」など人間以外の登場生物で舞台作りを成功させてきた劇団四季ならではだろうか。

美術、衣装、照明、ダンスも非常に洗練されていて、視覚的にも楽しめる。カリフォルニアの場末のホテルのセクシーなパーティーシーンなど、ウエストサイドストーリーのようにスタイリッシュ。マッドサイエンティストの島での最新式アンドロイドの女性たちが銀色の近未来的スーツとヘルメットで整列したシーンはSF的で「クーッ! かっこいい!」とうなった。

ネタバレBOX

ベンは家に帰って妻に「旅の間、ずっと君のことを考えていた」という。たしかに、ベンとタングの長大な旅と並行して、イギリスのエイミーの様子やエイミーとの思い出が並行して描かれていた。よくできた構成である。
エイミーとベンの子供がうまれて、お兄さん(?)になったタングが赤ちゃんを抱いて「ようこそ、この世界へ」と、生命の喜びを一言で言うところで、目頭が熱くなった。

ベンとエイミーの歌声の発声は独特のもので、オペラとも、ポップスとも違う。最初どこか技巧的な声の感じがしたが、すぐなれた。今まで四季で「キャッツ」など見ても発声法が違うと気にならなかったが、今回少し変えたのだろうか?
トスカ

トスカ

新国立劇場

新国立劇場 オペラ劇場(東京都)

2021/01/23 (土) ~ 2021/02/03 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

METライブビューイングも含めて4回目のトスカ。4年前の新国立は、これが生のオペラ初体験だったせいか、何かなじめなかったが、今やほれ込んだ。非常によくできているオペラ。主役のトスカが1幕では嫉妬深い、面倒くさくて、うまく警察に泳がされるコマッタ女なのに、2幕で強い女に変貌し、3幕で悲劇的な死を迎える。悪役スカルピアがトスカを追い詰めた結果、彼女を変化させるわけだが、スカルピアが光る。色男カヴァラドッシは、正義感なんだけれど、この二人の間では少々影が薄い。

今回はテノールがよかった。ソプラノ、バスはもちろん。
ただ、急に仕事が入って、2幕までしか見られず。でも、その分、3幕の映像を家で見たり、モチーフを後で復習したり、全部見られなかった不全感にはメリットもあった。

アチャラカ

アチャラカ

オフィスワンダーランド・(一社)演劇集団ワンダーランド

劇場MOMO(東京都)

2021/01/28 (木) ~ 2021/01/31 (日)公演終了

満足度★★★★

「私の青空」の歌が要所要所で歌われ、カーテンコールは大合唱。井上ひさし芝居を思い出し、それだけでも見た甲斐があった。劇音を、キーボード、ドラムス、サックス、バイオリンの四人の生バンドでやるのも贅沢。BGMとしてサックスが時折、やはり井上芝居で聴いた曲をやる。調べると、三文オペラノ「マック・ザ・ナイフ」。「夢の裂け目」のラストで使っていた。これも耳に馴染む曲で、良かった。実はアームストロングなど何人もがカバーして、ジャズのスタンダードなのだそうだ。

戦争末期、若いエノケンの人気に怯え嫉妬する、人気に翳りのロッパの話である。でも、舞台の見所は、「喜劇など不謹慎」という憲兵と婦人会役員を、部隊に巻き込んでしまう劇中劇と、戦後の焼け跡で、ほとんど人のいない野外で演じる「はりきり忠臣蔵」のコミカルな討ち入り、立ち回り。

憲兵の弾圧や焼け跡が、コロナ禍の自粛・緊急事態宣言や観客のいなかったりすくなかったりする劇場に重なって見えた。2013年の初演?の再演なので意図したのではないようだが、意外な普遍性に驚いた。

1945年3月に娯楽の緩和令が出て、喜劇などの上演も許されたという。本当だったらすごい。知らなかった。戦局が悪化し、苦難ばかりだから、政府・軍部も笑いの必要を察したからということらしい。

アチャラカ 昭和の喜劇人・古川ロッパ、ハリキる

アチャラカ 昭和の喜劇人・古川ロッパ、ハリキる

オフィスワンダーランド・(一社)演劇集団ワンダーランド

紀伊國屋ホール(東京都)

2013/09/05 (木) ~ 2013/09/08 (日)公演終了

満足度★★★★

2021年の中野MOMOでの公演を観た。「私の青空」の歌が要所要所で歌われ、カーテンコールは大合唱。井上ひさし芝居を思い出し、それだけでも見た甲斐があった。劇音を、キーボード、ドラムス、サックス、バイオリンの四人の生バンドでやるのも贅沢。BGMとしてサックスが時折、やはり井上芝居で聴いた曲をやる。調べると、三文オペラノ「マック・ザ・ナイフ」。「夢の裂け目」のラストで使っていた。これも耳に馴染む曲で、良かった。実はアームストロングなど何人もがカバーして、ジャズのスタンダードなのだそうだ。

戦争末期、若いエノケンの人気に怯え嫉妬する、人気に翳りのロッパの話である。でも、舞台の見所は、「喜劇など不謹慎」という憲兵と婦人会役員を、部隊に巻き込んでしまう劇中劇と、戦後の焼け跡で、ほとんど人のいない野外で演じる「はりきり忠臣蔵」のコミカルな討ち入り、立ち回り。

憲兵の弾圧や焼け跡が、コロナ禍の自粛・緊急事態宣言や観客のいなかったりすくなかったりする劇場に重なって見えた。2013年の初演?の再演なので意図したのではないようだが、意外な普遍性に驚いた。

1945年3月に娯楽の緩和令が出て、喜劇などの上演も許されたという。本当だったらすごい。知らなかった。戦局が悪化し、苦難ばかりだから、政府・軍部も笑いの必要を察したからということらしい。

東京原子核クラブ

東京原子核クラブ

アイオーン / ぴあ / オフィス・マキノ

本多劇場(東京都)

2021/01/10 (日) ~ 2021/01/17 (日)公演終了

満足度★★★★

マキノノゾミの代表作を初めて舞台で見られてよかった。朝永振一郎(舞台は友田)をモデルにした群像劇。前半は、今一つ舞台の人々の悩みと騒動にのれなかったが、後半の戦争激化から敗戦後までは引き込まれ、時間を忘れた。

二幕の冒頭、研究仲間が「友田さんは神様です。人間が神様をやっかんでも仕方ない。ボクは自分のできることをやります」と、サバサバというのにまず共感した。
葬儀が父親かと思ったら、実は犬のガロアだったというシークエンスも見事。巧みな勘違いのコントで思い切り笑えた。

戦局が進むにつれ、出征の見送り、原爆研究の葛藤も迫るものがあり、原爆投下の閃光と真っ暗で大轟音が長く続くのには、肉体的に実感としてゾッとした。そしてカラッと明るくなった戦後。「土足!」のギャグは文庫版の戯曲にはないが、最後に繰り返されることで、気持ちいいエンディングだった。

浅野雅博(仁科芳雄にあたる、西田)、平体まひろ(下宿屋の娘)が、要所要所で芝居の緩急をよくつけていた。平体の「前の友田さんの方が好きでした」のセリフは、意外と厳しい口調でドキとした。霧矢大夢も、シスターになってからのギャグと外見のずれが絶妙だった。餞別の十字架のお金をちゃっかり要求するところは笑えた。主演の水田航生が知的な科学者に見えないのがちょっと残念。

ネタバレBOX

当初予約していた木曜夜の会が緊急事態宣言で、夜8時までに終了の「働きかけ」で中止になって困った。さいわい、土曜の夕方に振り替えられ、席も前列の中央ブロックで、良かった。
眠れない夜なんてない

眠れない夜なんてない

青年団

吉祥寺シアター(東京都)

2021/01/15 (金) ~ 2021/02/01 (月)公演終了

満足度★★★★

転換なし、音楽なし、セミパブリックスペースで様々な人々がすれ違いながら、その世界が見えてくる。平田オリザのスタイルが貫かれている。音楽については、舞台設定の時代(1988年の昭和天皇のご病気時代)に流行った歌のカセットと、初老の男たちが歌う懐かしの軍歌(!)、「ハイマオの歌」はある。

考えてみれば、平田氏は海外の日本人を書くのが好きだ。「ソウル市民」からそうだったし、新・旧「冒険王」はイスタンブールのバックパッカー宿にたむろする日韓の若者たちだった。「その森の奥」はマダガスカルの研究所。これらは、日本人以外も出てきて、いわば国際性があるが、今回は外国なのに、日本人だけの「老後マンション」で、日本論がいっそう前面に感じられる。
「日本がどこまでも追いかけてくる」とか「帰りたくない」とか、嫌うことも含めて、「日本」をつねに意識している人たち。

2008年初演時の設定を大きく変え、1988年の天皇重態の「自粛」に時代を置き、今のコロナの感染予防の自粛・制限と重ねている。これは見事な設定である。

ネタバレBOX

40代から60代の登場人物が、しっかり戦争体験者であるというのも、今から見ると「そんな時代があったんだなあ」という感慨を覚えた。80年代は私が20代だったわけだが、その時代、今の私くらいの年齢の男女はみな戦争体験者だったんだなあという感慨である。

時代をずらしたせいか、登場人物が、女子高校生時代にチューインバムをパシリで買わされていたというのは、1955年くらいのことになるけど、そんなこと、この時代にあったのだろうか。「ひきこもり」という言葉も出てくるが、この言葉が言われ始めるのは、90年代以降である。
モンテンルパ

モンテンルパ

トム・プロジェクト

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2021/01/23 (土) ~ 2021/01/30 (土)公演終了

満足度★★★★★

死刑判決などを受けたBC級戦犯108人の生死という、重い課題を描き、心に迫る感動的舞台だった。まず、14人が死刑執行される場面での、絞首台の踏み板が落ちる、ドーン、ドーンという音に全身を揺さぶられ、冷や汗が出た。

「あ>、モンテンルパの夜は更けて」を歌って、助命嘆願に奔走した渡辺はま子(島田歌穂)、フィリピンの刑務所の過酷な状況を見て「日本人戦犯たちを導く、いたわるというより、自分が同じ苦難に飛び込まなければ」と、刑務所で同じ食事をしながら、死刑囚たちの恩赦をローマ法王に嘆願書を送り続けた教誨僧の加賀尾(大和田獏)の努力、願いが描かれていく。ついには、はま子のモ刑務所慰問が実現するところは、歌もしっかり聞かせて、よかった。

そして、加賀野のキリノ大統領(真山章志)への面会が実現する。この場面が圧巻。真山さんの大統領の威厳と人間性を体した演技に圧倒された。
キリノ大統領に渡したオルゴールから、「あ>…」のメロディーが流れ出しただけで、涙が込み上げた。108人の命を握るキリノ大統領の、罪の償いの必要と、復讐の連鎖を止めたい思いに引き裂かれる心。戦争中に妻と子供3人を殺した日本軍の残虐行為への抑えがたい恨みを吐き出す。

大変見ごたえのある舞台だった。

ネタバレBOX

キリノ大統領が、加賀尾に、「ローマ法王から、寛大な処置を求める手紙が来た」と語る。加賀尾が何度も出した嘆願書が、ついにローマ法王の心を動かしたと。加賀尾は、いったいどんな言葉と論理で嘆願したのか、日本軍の残虐行為への責任追及は法王だって考えなければならなかったと思う。手紙の内容を知りたいと思った。
ザ・空気 ver. 3

ザ・空気 ver. 3

ニ兎社

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2021/01/08 (金) ~ 2021/01/31 (日)公演終了

満足度★★★★

冒頭、政治評論家(佐藤B作)がコロナ禍の体温測定で「37度4部」だったという設定から笑えた。現在只今のコロナを舞台に乗せて笑いのネタにしてしまうとは、何たる大胆不敵。さらに学術会議の任命拒否の裏情報をめぐる、メディア内の興奮と忖度と萎縮を見事に芝居にしていた。

評論家の翻心のきっかけに少しオカルトを使っていた。超自然現象を取り入れるとはご都合主義ではないかと思ったが、考えてみれば、評論家の抑圧された本心が無意識に現れたものとも取れる。ギリギリの線を攻めてきた際どい作劇である。

編集権を経営者から報道の現場が取り戻せ、そのための記者たちの話し合いをと語る。永井愛にしては珍しくストレートな訴えで、よほどの危機感なのであろう。笑いをまぶした社会批判劇といい、井上ひさし劇をほうふつさせる秀作である。

ネタバレBOX

政権批判する女性プロデューサー(神野三鈴)もじつは、所詮上から潰されるという安全地帯で騒いでいただけではないか。すでに「落とし穴」に落ちていたという指摘が胸に残る。そこまで言うと、現状でどんなに騒いでも騒いだふりをしているだけとなってしまうけれど。
スルース~探偵~

スルース~探偵~

ホリプロ

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2021/01/08 (金) ~ 2021/01/24 (日)公演終了

満足度★★★★

吉田鋼太郎があすがの貫禄で、舞台を仕切っていた。妻の若いツバメである柿澤勇人を手玉に取る老獪ぶり、すっかり相手を見直して「愛」を告白する本気ぶりが良かった。いずれもユーモアも含んだ抑制がイギリス紳士風であろうか。柿澤はパンチ一枚になる、鍛えた肉体にはほれぼれした。

逆転、また逆転のストーリー、とくに1幕の最後から2幕のはじめはまったく予測不能で、驚いた。こんな手があったのかという感じ。そのあと、柿澤演じるマイロが復讐するところは、少々迫力不足だったか。設定もアンドリューがそんなに焦るような話ではないと思う。

映画版だとふたりの階級差、英国人とよそ者(イタリア人)の格差がもっと際立つそうだが、今回の舞台はそこはかあまり感じられなかった。甘いマスクの柿澤から労働者階級の移民2世のルサンチマンを感じろといわれても難しい。例えば西尾友樹なら、感じが出るかもしれない。
それは実はもう一方の吉田鋼太郎にも言える。公私ともに充実の人気絶頂だけに、老いと肉体へのコンプレックスを読者に感じろと言われても難しい。(そう言うセリフが長々とあるわけでもない)
演出も今回は、それぞれのルサンチマンはさらりと触れる程度で、互いに相手に負けないぞという対抗心丸出しのマウンティング合戦で通していた。

作者がシェーファーというから、「ブラックコメディ」の作者と同じかと思ったら、あちらはピーター。こちらはアントニーで、双子の兄弟だった。「スルース」は2度映画化されているそうで、

ネタバレBOX

最後のカーテンコールで、3人いたが、一人はスタントマンだったようだ。多分、階段落ちのシーン。ここは肝なので迫真の演技が必要だが、そうすると危険があり、代役をたてたようだ。そこまでするか、とこれも驚いた。
プライベート・ジョーク

プライベート・ジョーク

パラドックス定数

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2020/12/04 (金) ~ 2020/12/13 (日)公演終了

満足度★★

こちらに予備知識がないせいか、つかみどころのない舞台だった。学生寮でそれぞれ映画監督、画家、詩人を目指す3人の学生。互いに悪ふざけしたり、励ましたりは、若き日のアルアルだろう。お客さんで来るふたりの紳士が、話の内容からピカソとアインシュタインを模しているとわかる。しかし、史実ではない。それらしき人物にとどまる。
時間が、数年後、さらに数年後となって、学生寮には詩人だけが残っている。だんだん、ここはスペインとわかるセリフもある。そこに5人が集ってくるのだが、次第に政治が悪くなり、詩人が抵抗して最後は殺される(と、話からわかる)。そういう歴史とドラマがあるのだが、舞台で続くのはあくまで世間話。やはり隔靴掻痒だった。

ネタバレBOX

3人の学生は、ダリ、ロルカ、ブニュエルをモチーフにしていることが、当日パンフの参考文献から分かる。作者もそう明記はしていないくらいの、ほんのりモチーフである。舞台では、特にダリなど、それらしさは感じなかった。
こうもり

こうもり

新国立劇場

新国立劇場 オペラ劇場(東京都)

2020/11/29 (日) ~ 2020/12/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

二回目なのだが、前回よりもいろいろな発見があった。初回よりも余裕を持って見られたせいだろう。アイゼンシュタインの家の女中アデーレ(ソプラノ、マリナ・ナザロワ)が、パーティーでは女優になって、主人を凹ますところなど。この芝居で、一番華やかなのはアデーレだった。間男のテノール(村上公太)が、アルフレードと間違えられて捕まり、第三幕の牢屋のシーンでは歌で、看守を困らせるところ。歌わない看守のとぼけたコントも面白く、特に外人俳優が日本語を適当に織りまぜるだけで笑えた。

妻ロザリンデ(アストリッド・ケスラー)のハンガリー舞曲チャルダーシュも見せ場。ハンガリーは当時、オーストリア帝国の一部だったという事情がある。アイゼンシュタインが弁護士になって、妻とやり合うというのも、忘れていた。男女のずるさ、身勝手さがあからさまになって、面白いところ。有名なワルツは自然に体がうごくよう。一緒に行った友人も「楽しかった」とご満悦だった。

コロナ禍でも、外国人歌手も参加できて、新国立のオペラも再開、何よりである。しかし、12月26日に、1月末まで外国人の入国全面禁止になってしまった。これからの公演はどうなるだろう

ネタバレBOX

この「こうもり」は、崩壊間近のオーストリア帝国の内外多難なとき、人々が現実を忘れるために見て、ヒットしたとか。そうなると、これを見て「ああ、楽しかった」でいいのか、平野啓一郎「本心」ではないが、考えてしまう。
ある八重子物語

ある八重子物語

劇団民藝+こまつ座

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2020/12/18 (金) ~ 2020/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★

月乃(吉田陽子)、ゆきゑ(桜井明美)、花代(有森也実)と、三人の芸者それぞれの身の上話が一~三幕の中心になる。やはり二幕の、ゆきゑと、女形を研究する京大生の弟・一夫(塩田泰久)の話が抜群に面白い。これは新派の芝居『滝の白糸』の、白糸と村越欽弥と重なるそうだ(パンフレットの水落潔原稿による)。姉弟の再開・身の上話にはジンときた。珍しく目頭が熱くなった。

さらに二幕には、女装した一夫が、「姉と瓜二つ」と池田徳蔵に求婚される勘違い喜劇もある。徳三は『日本橋』の葛木晋三だそうだ。これを女装した男に男が惚れてしまう「勘違い喜劇」にしたところが、井上ひさしの趣向…だとおもう。まさか新派で、そんな展開はないと思う。
一夫役は新派で初演した時、中村勘九郎が演じ、特に客席をわかせたそうだ(『全芝居』扇田昭彦解説)。今回、全く別の俳優でも、一夫役が一番花があった。第三幕は一夫が出てこないので、少々寂しく感じるほど。華のある役者に当て書きした役は、役自体にその役者のオーラが乗り移るのだろうか?
 
ユーモアと、ドタバタコメディまで盛り込んだ楽しい芝居は、民芸には珍しい。でも自家薬籠中のものとして、楽しく、笑いの多い芝居に仕上げてくれた。ただ、神田川に架かる「柳橋」を、舞台奥の2階に作っていたが、舞台手前の空きスペースを橋に見立てたほうが、見やすかったと思う。

病院従業員の三人の掛け合いは、「闇に咲く花」のお面工場の女性たちのようだ。
また、うっかり入営に遅れて逃げている一夫は「きらめく星座」の脱走兵の長男のよう。これは「人間合格」の地下活動家や、「太鼓たたいて」の農家の男、「私は誰でしょう」の記憶喪失の男にも共通点のある人物。時々現れて舞台のトリックスターになる。
このように井上ひさしの得意技がしっかり盛り込まれていた。

いきなり本読み! in 東京国際フォーラム

いきなり本読み! in 東京国際フォーラム

株式会社WARE

東京国際フォーラム ホールC(東京都)

2020/12/25 (金) ~ 2020/12/25 (金)公演終了

満足度★★★★★

面白かった。何度も思い切り笑わせてもらいました。まず、大倉孝二が女の役を男と間違えてスタートするのがご愛嬌。さらに後藤剛範が演出の岩井から「記憶とかいろいろを失っているように」といわれて、アジア人のカタコト日本語風に。岩井も「なんか根本からなくした感じでいいですね」とうけて、盛り上がった。
同じく「ヤンキーの感じで」とか「低いヤンキーで、岩岡力也のように」などといわれて、後藤ががらっと演技を変えて、笑った。さらに神木隆之介くんはカミだった。人間を超えたクールさを淡々と出して、見本を示したし、歯のない老人役ですぐに「フガフガ」調で読んで、会場、爆笑、爆笑だった。「ポリデントないんですか?」「忘れたってことで」とか、台本外のやりとりも当意即妙だった。
紅一点の松たか子は、特におかしいことをするわけではないが、後藤や神木の演技に素直に笑い転げる性格の良さが、いい感じだった。「安岡力也」風の後藤の演技には、松が笑ってセリフが読めなくなってしまったのもご愛嬌である。

なんの台本を読んだかは、あえて書かないでおく。岩井も最後まで明かさなかったが、私は映画版を見たことがあったので、割と早くに分かった。でも、最後の別れのシーンは、忘れていた。今回、舞台を見ながら、ラストでジーンときた。この台本に、こんないいシーンがあったとは。台本もナイスチョイスである。休憩20分入れて2時間半。
WOWOWで3月に放映する予定とのこと。

チョコレートドーナツ【12月7日~19日公演中止】

チョコレートドーナツ【12月7日~19日公演中止】

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2020/12/07 (月) ~ 2020/12/30 (水)公演終了

満足度★★★

ハッピーエンド好きだったマルコの好みとは相反して、アンハッピーな結末に驚いた。ゲイカップルが世間の偏見と闘うという構図に、母からも愛されないダウン症の障害児が受ける不利益が重なる。どうもお定まりの物語からはみ出すものに欠けた。周囲の人物が、もう少し裏表のある人間だったり、善意はあっても、立場から辛くあたらざるを得ないというくじゅうがあるとよかったのではないか。

ただ、東山紀之の歌うボブ・ディランの名曲「I Shall Be Released」(いつか自由に)が、すごい絶唱ですべてを浄化した。 この歌が聴けただけでも、いったかいがあった。

てにあまる

てにあまる

ホリプロ

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2020/12/19 (土) ~ 2021/01/09 (土)公演終了

満足度★★★

藤原竜也の仕事と家族と過去においつめられて、次第に常軌を逸していく演技が圧巻だった。彼の、異常心理で目のすわった役はピカイチ。柄本明は食えないオヤジを飄々とやっていた。このふたりがぶつかるシーソーゲームが軸の芝居だった。さらに佐久間由衣(藤原の妻役)と柄本の対決も見応えあった。佐久間が理性と常識を掲げて「(長男を虐待死させたことに)反省はないんですか?」とつめより、柄本が平然と「ないね」と答える。柄本の「学級会の外にも世界はある」という乾いたニヒリズムが非常に説得力があった。
1時間40分とコンパクトにまとまっている。

ネタバレBOX

藤原が、父に反発、糾弾しつつ、実は自分も父と同じように娘を虐待し、妻をいびっている。この二重高層がだんだん見えてくるのも面白かった。さらに母親が死んだ長男をずっと愛し、次男の藤原を「あんたは父親にそっくりだから」と愛さなかったことも。これは(よくあるトラウマだが)辛いだろうなあと思った。

藤原が凶行に走るのはまったく意外だった。その驚きがショックでいいとも言えるし、唐突で、そこまでの必然性を描けていないとも言える。「朝日」の劇評にもあったが、最後の父・柄本にアプリが不気味に迫るのは、中途半端。全てが息子・藤原の仕掛けた復讐だった、となれば、最後のどんでん返しなのだろうが、そこまでのカタルシスはない。
No.9 ー不滅の旋律ー

No.9 ー不滅の旋律ー

TBS/キョードー東京

赤坂ACTシアター(東京都)

2020/12/13 (日) ~ 2021/01/07 (木)公演終了

満足度★★★★

何が良かったといって、ベートーヴェンのピアノ曲と交響曲の触りを、ベートーヴェンの人生とともにたっぷり堪能できたのが良かった。稲垣吾郎はわがままで起こりっぽいベートーベンを、抑え気味にクールに演じていた。そのクールさはナテッネ(村川絵梨)とマリア(剛力彩芽)の姉妹に求愛するところで強く感じた。意外とそっけないのです。女性に対する不器用さを表現していると思った。女優二人が、華やかさと芯の強さを兼ね備えた演技で素晴らしかった。稲垣吾郎のベートーヴェンとのトライアングルがこの舞台の肝であった。

ベートーヴェンの父親に対する恨み・トラウマが、回想シーンや、現在の幻影として度々出てきて、楽聖の人物に深みを与えていた。また、ウィーンの警官のフリッツ(深水元基)が、ずぼらな遊人から、強権的な秘密警察へと豹変することで、自由が狭められていく時代の動き、革命の理想の幻滅を示していた。

休憩20分込み3時間10分(70分ー20分ー100分)。市松模様の排斥で、間隔をあけていた。既に満席にしている劇場も(新国立や東急、東宝系など)多くなっている中、慎重な劇場の姿勢だった。

ネタバレBOX

舞台の美術で、梁の一部付いた柱が、奥に向かって左右に並んでいる。それが上からの何本ものワイヤーにつながっているのだが、あのワイヤーはなんだろうか。舞台の大も四隅に上からのワイヤーがある。ほかの壁などの装置は、上から釣り下ろしたり、引き上げたししたが、あの柱は動かなかったと思うし、大に至っては絶対動かない。それでもあるワイヤー。多分、天上への、至高の世界へのベートーヴェンの意識を示したのだろう。

最後の「歓喜の歌」は、一緒に行った友人は「鳥肌が立った」と言っていた。しかし、私はスピーカーからのオケと合唱の大音量が録音ぽくて、生の舞台の雰囲気とのズレを感じた。すごいのだけれど、すごすぎるという感じ。第一部の幕切れの「歓喜の歌」の合唱の方が、生っぽくて、素直に気持ちが乗れた。大音量で聴かせるよりも、舞台の生の声を大事にしたほうがよいのではないだろうか。
23階の笑い

23階の笑い

シス・カンパニー

世田谷パブリックシアター(東京都)

2020/12/05 (土) ~ 2020/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

第2場の最初、最若手で語り手のルーカス(瀬戸康史)が、間違って机でボヤを出し壁を黒焦げにしたら「こいつもイカれてる」と認定されて採用された、と語る。言われてみると、壁には黒々と、天井までの焦げ跡。1場ではなかったのに。私はここで笑いのスイッチが入って、それまでのストッパーが外れた。あとは舞台のコントに素直に笑い続けられて、最高だった。

なにより、みな芸達者。なかでも病気ノイローゼで遅刻常習犯のアイラ役(梶原善)が、本当に、ねじが外れてた。声量も他を圧するボリューム。ブライアン(鈴木浩介)との、コント合戦も笑えた。コメディアンのマックス(小手伸也)も、いかれぶりがハンパなかった。ジュリアス・シーザーのコントの練習が最高潮の一つ。ルーカスがブルータス役なのに、足が震えて、シーザー(マックス)に剣を向けることができず、マックスが「ブルータス、お前もか!」の決め台詞が言えないために、じれまくる場面は爆笑だった。唯一作家ではない秘書のヘレン(青木さやか)の一回だけの幕間のコントも良かったし、またいかれた放送作家たちにはかなわないずっこけぶりも良かった。

テレビの人気バラエティ番組を支えた構想作家たちのドタバタ、おかしな毎日を描く業界裏話なのだが、赤狩りが物語のなかで意外に強調されている。最初にマッカーシーによる英雄将軍も共産党員呼ばわりから始まり、スターリン死去もはさんで、マッカーシーへのけん責決議で終わる。彼らの作る番組がどんどん時代から取り残されていくところに、ただのドタバタではないペーソスが生れる。予算カットで7人の作家のうち、1人を首にするためのくじで「マックス」という名前が出てくるところは、大笑いしながらも、ぞの優しさがジンときた。ただ、マックスの凋落と赤狩りとは直接関係ない。
サイモンにのっとりながらも、今の日本の観客向けに脚色しているところが、成功のもう一つの要因だろう。翻訳臭さがなかった。三谷幸喜にとって「ヒトの本」だけど、三谷カラー全開で、楽しくやれたのではないか。

ネタバレBOX

最後は、部屋を飛び出し、街灯セットのような下での小手伸也のふけないサックスで終わる。カーテンコールのようだ。サイモンの戯曲ではなく、三谷の台本ではないか。
エーリヒ・ケストナー〜消された名前〜

エーリヒ・ケストナー〜消された名前〜

劇団印象-indian elephant-

駅前劇場(東京都)

2020/12/09 (水) ~ 2020/12/13 (日)公演終了

満足度★★★★

感動しました。反ナチのケストナーと、ナチスの女神になったレニ・リーフェンシュタールを鉢合わせにする発想がうまい。共産党員でゲシュタポに殺された俳優ハンスと、ナチにすり寄って映画監督になったヴェルナー。ケストナーと寄宿学校以来の親友だったという二人の変化を絡めた、1923年から1945年までのナチスの台頭と破滅と、ケストナーの執筆禁止の中での、映画脚本という誘いを受けての葛藤。少数の登場人物たちの人間関係の変化と時代の変化を絡めるのは井上ひさし芝居のようでした。

特に前半は、中学生のロッテの怖いもの知らずの一途さといい、レニをめぐるヴェルナーとケストナーの掛け合いと言い、活気がみなぎっていた。

ナチスの弾圧が始まると、それぞれの立場が硬直して、人物が与えられた枠を越えられないところは残念。でも、最後、ドイツ降伏後の場面は、戦争協力を責められて反論するレニのセリフが光っていた。「女には権力に擦り寄るしか映画を撮る道はなかったのよ」なぜ私だけが」「あなたは私を見ると、鏡のように、自分の姿が見えて苦しいのよ!」
「雪山の道なき道を必死で登ってきたのよ。雪が溶けてから、本当の道は違ったと言われても、どうしようもないわ」等々。

戦争協力を、男社会で女性が実力を発揮するためのやむを得ない選択、という見方は、きわめて今日的だと思った。女性活躍が未だにお題目だけの日本の現実に刺さる

ネタバレBOX

「ホラ吹き男爵の冒険」をケストナーが匿名で映画の脚色をしていたのは知らなかった。これをナチスへの屈服、協力ととるか、やむを得なかった偽装ととるか、そもそもただの娯楽映画ととるか。難しいところである。

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