「Tip」
円盤ライダー
山野美容学院マイタワー27(東京都)
2019/08/23 (金) ~ 2019/08/30 (金)公演終了
満足度★★★★★
久々3年振り、2度目の円盤ライダー。前回と同じ作・演出村井雄、会場山野美容学院。所謂「劇場」での公演を原則やらない演劇企画体(と呼んでみる)であるが、今回は石坂勇氏プロデュースとある。何だろう・・?この正体知れなさには踏み込むにもエイヤと気合が要る。このたびは休暇をとり、心にゆとりを確保しつつ会場へ赴いた。
客席の大部分が女性なのは前に同じであるが此度は男性の姿も散見し、場違い感なく落着いて観劇できたのはよかった。バーカウンターのある側をステージに、二方向二列の座り心地良い椅子が並ぶ。高い天井まで張られた巨大なガラス面は南北とも縦のブラインドカーテンが引かれ、自然光の間接照明。プラス、天井の照明と、シャンデリアも灯っている。
無言の身体から芝居は始まる。黒スーツ姿の男7人による驚きの舞台であった。・・何に対して?正統に演劇であり劇的である事に対して(殆ど何も言ってないが)。
予期せず胸に溢れた感興を、今は語らず反芻していたい気分である。
堕落ビト
劇団桟敷童子
サンモールスタジオ(東京都)
2019/08/23 (金) ~ 2019/09/01 (日)公演終了
満足度★★★★★
サンモールスタジオでも桟敷童子。
舞台美術に塵芥と並んだ竹邊氏は調べると5年程前に一度だけ観たおぼんろの美術担当であった。客席エリアも装置の一部とし細部に拘った美術が印象的で、桟敷との共同作業というのも頷けた。
すみだパークは横広に使ってなお奥行があるのに比べ、特にクライマックス(屋台崩し的ラスト)の迫力は遠く及ばないが、狭いサンモールを最大限活用。
今回俳優陣が小編成であるのも容量と関係していそうだが役者の丁々発止が加速が止まらないのをどうにか抑制している、と見える程に鮮やかで普段に輪をかけて「芸」の域。
ドラマは近年の桟敷童子が傾斜するペシミスティックな人間観が濃く垂れ籠めて、時代設定は敗戦直後だが現代日本に影が伸びる。ちょうど先日のドガドガ+と同じ時代の「気分」を史実に分け入って再現しながら、舞台としての色彩は全く異なるのが興味深い。
千年ユニコーン
東京演劇アンサンブル
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2019/08/21 (水) ~ 2019/08/25 (日)公演終了
満足度★★★★
アトリエ閉鎖後初の貸し小屋公演。まずはやはり劇場とアンサンブルの芝居とのマッチングが気になっていた。というのも、シアターグリーン(box in box)で観た芝居(過去10本程度だろうか)全てでは勿論ないが「頑張って作ってるのになぜかイマイチ」と感じる事しばしば。原因を手繰って行くと私の見立てではどうやら舞台上に架空空間を作り込めない(チープに見せてしまう)劇場の造りにある、と思っていたからで。ステージの奥行は狭く、客席の勾配に比してステージの天井が低く照明機材も見てしまう。この特徴はブレヒトの芝居小屋(旧アトリエ)とは真逆である。
舞台は健闘していた。可動式の装置、唄、かいぶつのキャラクターや、背景映像など。しかし、劇場の特徴に関連するが、客席から見下ろす条件で見るステージは箱のようで、三つの装置は動くので感覚としては一面の床であるが、これが「黒いパンチ(カーペット)が敷いてある場所」、という具合に見えてしまう。役者が「役」としてでなく本人に見えてしまうのと同様、劇場が架空の空間でなく劇場として見えてしまう。この「素」へ戻される引力にどうにか抗って役者は役を生き、スタッフワークに工夫を凝らし、そして観客は想像力を逞しくして物語世界を泳ぐ事はできた。
光の祭典
少女都市
こまばアゴラ劇場(東京都)
2019/08/21 (水) ~ 2019/08/27 (火)公演終了
満足度★★★★
兵庫出身の葭(よし)本未織が主宰、作演出のユニット少女都市は、この公演で一旦休止という。聞けば活動は僅か2年と何ヶ月。今回久々の公演。で、兵庫と東京で活動と紹介にあるが、東京での公演は初めて。未だ二十代半ばである彼女の中に流れる時間は長く(時間の速度が遅く)、たかだか2年でもある事を成すに十分な年月という事なのだろう。今後は「兵庫に帰って」、文筆の方に力を入れるのだとか。
これからウォッチして行こうと思った矢先で残念である。
舞台は中々うまい作りで若い役者誰もが目を引く立ち姿。乗峯雅寛の美術は中央に回転する円形の台(同心円の小さいのが上に乗っかる)を置き、効果的であった。
バルパライソの長い坂をくだる話
岡崎藝術座
ドイツ文化会館ホール(OAGホール)(東京都)
2019/08/21 (水) ~ 2019/08/25 (日)公演終了
満足度★★★★★
岡崎藝術座の名は数年前F/Tトーキョーのラインナップで知ったが観たのは横浜。象徴的シーンの並列、役者の身体負荷の小ささ、引っかかりのない抽象画のように何も残らなかった。
過剰なテキストという顔をもって再登場した(私の印象)神里氏は形的には荒削りだが自身の体験をそれこそ武器にした思索の軌跡の提示が、ある可能性を感じさせた(イスラをSTスポット、サンボルハを別集団だがやはり横浜で)。
草月会館近くのドイツ文化センターは3度目になるがどれも芸術性の高い作品であった。岸田賞受賞に納得。軽妙と深まりとが波のように寄せて返し、やはり基本モノローグだが静かな語りが壮大なイメージへ誘う作品である。舞台製作はブエノスアイレスで行なったという。演者はかの地で活躍する優れた表現者である四名。船上を模した多様な客席(バーカウンターや二段ベッド、ベンチ、ソファ、礼拝堂の長椅子数列、広い板だけの二等客席などなど)でゆったりと眺める。場所それぞれに趣きがあって良席不良席の別が無い。損得感情からも解放されるこの感覚はかつて訪れたある途上国の空気だ。
効率性の不徹底を「愚か」と感じる呪縛に当時は無自覚で、どこか相手を見下している自分がぶっちゃけあった。このおかしな時代の到来を目の当たりにして、愚かはどっちかと自問せざるを得ない。
演劇を構成するのは「行為」であると言われるが、この芝居では母を連れて父の骨を受け取りに来た息子が、骨を渡した二人組の相手と別れるまでの、会話の時間である。あるのは語りだけ。いつ終るとも知れないやり取りの時間、想念だけが廻る時間、彼に次の予定は無いのか、等と考えるが、劇の都合上なのか、作者の性格なのか、このドラマには急ぎの用があるといった「テンション」は持ち込まれない。言葉だけが連なっていく(意表を突く演出的趣向はゆるっとあるが)。船での長旅にも似た時間、拘束=日常からの解放たる所以でもある。傑作である。
烈々と燃え散りしあの花かんざしよ
新宿梁山泊
ザ・スズナリ(東京都)
2019/08/13 (火) ~ 2019/08/18 (日)公演終了
満足度★★★★
夏の新宿梁山泊は『楽屋』で十分戴いた気持ちであったが、「もう一本」と欲かくのも人情で。二つの組合せを今一つ飲み込めずにいた所、「朴烈」「金子文子」の文字に気づき、書下ろしでなく過去作のチョイスだというのでこれは観ずばなんねでねが?と再びスズナリへ足を運んだ由。
歴史上の二人の事を調べた事はないが随分前、行き合ったある日韓史専門の退職教授が「金子文子が面白い」と目を輝かせていた。その随分あと古書店で「金子文子」なる著書を見つけ懐かしく購入したが、頁を開かぬまま思い出の品のように本棚に飾ったままである。だが漠然とながら脳裏にあったこの人物の魅力を、舞台上に見ることが出来たと感慨深く劇場を後にした。
水嶋カンナの陰にこもらないキャラとパンチの効いた「演技」が生き、屋台崩しと錯覚させるラストで新宿梁山泊の朴烈・金子文子伝が織り上っていた。
マスカラをしない佐藤梟と子役との回想場面が、舞台としても金子文子のバックグラウンドとしても魅力である。物語上の「現在」即ち、出会いから「大震災~検挙~獄死」へと辿り着くまでの二人の人生の概略紹介では主に彼の仲間たちとのやり取りを通して朴烈の人と思想の輪郭を浮かび上らせる。難題に対処する立ち回りはまるで任侠芝居の主役の趣きで、温泉ドラゴンから起用のいわいのふ健が無二の朴烈の風情を作っていた。もっともこのキャラクターは(根拠はないが)史実とは離れている可能性が高い、とは思うが。
公、世間に抗い悲劇的結末の内に終えた人生を、同じ思いを抱き続けた同志的愛の勝利としてシンプルに力強く描き出したこの作品は、二人が寄り添い続ける事を可能にしたもの、に目を向けさせる。
ギョエー! 旧校舎の77不思議
ヨーロッパ企画
本多劇場(東京都)
2019/08/15 (木) ~ 2019/08/25 (日)公演終了
満足度★★★★
上田誠作・演出舞台は2作目(一作目は「続・時をかける少女」)、ヨーロッパ企画は初である。『ビルのゲーツ』で劇団名を知ったが中々観る機会を得ず、そのかん岸田戯曲賞も取り、昨年は雑誌に載った戯曲を面白く読んだ。で、初観劇。
「笑い」とは何を共有しているかに大きく左右される、とは先般のラッパ屋公演終演後の挨拶で、鈴木聡氏が呟いた趣旨であったが(挨拶を振られてボソボソと喋った文句にしては含蓄があり笑いを誘っていた)、ヨーロッパ企画も笑いの出所は「ヨーロッパ企画的笑い」を共有する観客の記憶、にあった。何が笑えるかは時代や状況により、引いては個々の生い立ちや文化により変わるので、「大勢が同時に笑う」という現象はむしろ希少価値である、くらいに考えるのが正しい。同時代の共通体験、教育やメディアを通じた共通認識、共通感覚は笑いの味方であるが、「これだけしっかり作られているから笑うのが正しい」とは言えないのが笑いの難しい所。
「時をかける」はどうだったかと言うと、こちらもそういった観客によって会場の笑いが加算されていたと思うが、しかし役者の演技の普遍性・伝達力が比較的広範な観客層が理解し得る「おかしさ」を的確に伝えていたという感じがある。ただしその中には(メイク等で判らなかったが)著名な俳優が居てその耳慣れた喋りが過去の記憶を呼び起こし、広い意味での「共有」効果が生まれていた面もありそうだ。
一方今回のは(「時をかける」にも多く出演したに違いないが記憶には残っていない)ヨーロッパ俳優+知らない客演者による舞台。役者たちは実力を見せていたから、本+演出・趣向の中身が「笑えたか」の問題だろうか。。結論は「期待したほどではなかった」。無論それは「笑い」の性質からして自然な結果であって、もっとヨーロッパ企画の俳優を知り、違う作品を味わえば「あの役者がここではこんな事を・・:」と笑いの材料はきっと増えていくことだろう。
’72年のマトリョーシカ
風雷紡
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2019/08/14 (水) ~ 2019/08/18 (日)公演終了
満足度★★★★
4~5度目の風雷紡、と最初つい書いたが調べれば3度目だった(しかも2016、2018と見始めたのは近年)。脳ミソの劣化は言わずもがな、風雷紡舞台の持つ奥行きも一因と推察した次第。
余談は置いて・・
歴史的事件を題材に独自の脚色を施す劇団(吉水女史戯曲)の特色は今作にも堅持され、浅間山荘事件を同じく長野の蓼科に舞台を移し(蓼科山荘事件)、人質となった主婦とその家族・親族の物語を織り込んで再構築した。
同じ題材の舞台にチョコレートケーキ「起て、飢えたる者よ」があり、最近シライケイタ演出で若松孝二監督映画の舞台版があった(こちらはリンチ粛清事件が主。舞台版は見ず)。同時代のテロ集団の閉塞を描いた鐘下戯曲も蘇ってくる。映画も多く視点は多様にあり得る中で、冒頭人質と犯人とのやり取りが始まり、一瞬食傷気味が襲ったが、すぐさま風雷紡の語りに引き込まれていった。人質主婦の人生をドラマを通す線に据え、事件渦中から抜け出た「その後」の時間を、事件またそれ以前から連なる時間として描き出し、緊張感ある構成である。
毎回演出を外注しているユニットだが今回は箱庭円舞曲・古川氏(初)、私も数年前に劇団公演を一度観たきり、久々2度目の仕事を拝見し好感触であった。
シリアス劇志向にとっての会場の条件不利を懸念していたが、出入口の両側にL字客席、対する面をパネル等でうまく処理し、注意の拡散を防ぐ設えであった。
俳優諸氏の特徴的演技が芝居を非常に立体的に、判り易く伝えていた。
工場
青年団リンク 世田谷シルク
こまばアゴラ劇場(東京都)
2019/08/13 (火) ~ 2019/08/18 (日)公演終了
満足度★★★★
二三年前の横浜公演が最後だったか、久々の世田谷シルク。もっとも初観劇は「赤い鳥の居る風景」(座高円寺)だから大した数を見ていないが...気になる作り手の一人。修行を経ての現・世田谷シルクをアゴラで鑑賞した。
今作は身体パフォーマンスを封印し、主宰自身も結構喋る現代口語劇は世田谷シルク的に新鮮だったが、師匠の土俵に敢えて乗っての勝負だろうか。演劇人やるのも「楽じゃない」オーラが堀川女史の小さな体躯から滲むせいか(勝手なイメージ)、題材へのこだわりもそぐわしく、そしてその期待を裏切らぬ酸味と渋味の効いた一編だった。
無論、架空の国の設定ではあってもリアルの芝居なればリアル基準での評価は避けられないが。
4 A.M.
青年団若手自主企画 川面企画
アトリエ春風舎(東京都)
2019/08/08 (木) ~ 2019/08/12 (月)公演終了
満足度★★★★
経験と実績を積んだ若い演劇人が修行のために門を叩く青年団併設無隣館。ハイバイ川面千晶の名を見てオヤと思ったが、確かハイバイで川面作品をやった何か公演があった(未見だが)。骨のある俳優というイメージは滲み出る人柄だろうか、狭いアトリエ春風舎とはいえ早々に完売なのには驚いた。
この企画は菊池明明と二人で立ち上げたという。パンフの協力者欄には豪華な演劇人の名前が並び、一体何の協力を?と興味が湧く。
舞台「4 a.m.」は2時間に及ぶケラ作品。(先般モメラスが上演した同名の短編ではなかった。)成長株山田由梨の演出も見ものだったが、初めて目にするケラでない演出によるケラ作品舞台には様々発見があり、芝居としても(春風舎だと忘れる程。失礼)面白かった。
川に沿った国境を南から北へ移って来たある夫婦の家のお話。屋根は持ち得ているが食糧難、政情不安定。場所(国)、時代とも、どこかに重なりそうで重ならず(虎が出てくる等着想は北朝鮮に違いないが)、荒唐無稽だが一定のリアルを保ち、信憑性あるドタバタ故に深刻になる暇がない、ケラ流ディストピア劇をが現出していた。
役者も大奮闘、また「奇妙な現象」を起こす舞台上の仕掛けたち、とりわけ赤いアレを作った小道具に拍手。
名探偵ドイル君 幽鬼屋敷の惨劇
糸あやつり人形「一糸座」
赤坂RED/THEATER(東京都)
2019/08/08 (木) ~ 2019/08/12 (月)公演終了
満足度★★★★★
こいつぁケッサク。ハチャメチャだが好みである。
例を挙げれば、以前観た名取事務所「背骨パキパキ回転木馬」の感じが近い。これは別役実の「新作」ではあったが、演出ペーター・ゲスナーに拠れば病床にある別役氏から渡されたのは殆どエッセイに近い短文のコラージュのようなものだったとか(逐語的ではないがそういう趣旨)。要は別役戯曲の醍醐味たる「会話」が殆どない。しかし、脈絡のない場面の連なりの中に通底する気分や雰囲気は確かに流れており、これが何とも言えず美味であった。
さて作・演出天願大介、幽鬼屋敷が舞台と来れば、冷気が漂うmetroの隠微で猟奇な世界を想像したが、真反対とも言える乾いた笑いのある舞台。文脈無視スレスレの際どさがあり、自由と言えばあまりに自由に様式の壁を超え、拡散気味であるが私には「散漫」でなく包摂を感じさせる「気分」があった。
人形劇の懐の広さの秘密に接近した気もする。操る人間と、人形との関係が既に見えている(晒されている)特質が、人形の出ない場面にも波及していた。
「ドイル君」では、人間と人形というサイズ的(だけではないが)開きの間にドワーフが加わる事により、何でも可という条件が整い、最大化しようというベクトルが働いたかも知れない、と想像する。役というより本人そのものであるマメ山田の役との距離感・遊び方は唐十郎の域。言わば「素」場面がシュールに成立する事が最大の現れで、ヒール役がマイクを持って歌えば本来味方役である綺麗どころ2人がノッてライブノ盛上げ役をやるというハミ出し場面まである(ここだけはとっつき兼ねたが)。
物語として大したカラクリは無いが、この気分と雰囲気は希少であり、買いであった。そして「幽鬼」屋敷の住人である(人類を異種配合して改造したという)異形の生物らの「存在じたい阿鼻叫喚」の造形はやはり人形劇ならでは。嫌悪に笑うしかない。
そう言えば物語には関わりのない、人形だけで演じる情緒たっぷりな無言劇など挿入されるが、なぜか違和感なくウェルカムであった。
ただしこれは全て計算ずくの成果だろうか・・偶然の要素も幾分ありそうに思う。いずれにせよ演劇の「不思議」の賜物であり、言うまでもなく、実力ある演者の芸の賜物でもある。
楽屋 流れさるものはやがてなつかしき
新宿梁山泊
ザ・スズナリ(東京都)
2019/08/08 (木) ~ 2019/08/11 (日)公演終了
満足度★★★★★
パンフに書かれた「楽屋」の上演歴(5回ばかり)の中程に2003年満点星(新アトリエ)とあるのを見て、当時劇団から届いていた案内葉書に『楽屋』とあったのを朧ろに思い出した。この時足を運んでいたら『楽屋』は果してmy favouritレパとなったか。。(否、と思う)
しかし私の初演劇体験のテントに確かに居た、度会久美子と三浦伸子、以後20年以上梁山泊の舞台に彩りを与えてきたレギュラー残留組二女優を幽霊コンビに据えた「楽屋」は開幕から魅せた。
細部の処理によって無限に近い正解がある(が不正解もある)この演目の、今回も目から鱗の発見があり、主宰金守珍にはその確かな演出力を改めて見せつけられた。そして4女優の細やかな演技、金氏がつけただろう細かな動きや趣向。幸福な70分であった。感謝、感謝。
怪物/The Monster
新国立劇場演劇研修所
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2019/08/03 (土) ~ 2019/08/05 (月)公演終了
満足度★★★
作者A・クリストフが「悪童日記」で小説家デビューする以前(70年代)に寓話的な短編戯曲を物していて、邦訳されたのが2巻に収められている。舞台で観たのは「エレベーターの鍵」と「道路」で「怪物」は初めて。しかも新国立の本公演より面白い事もある研修所公演だけに期待大であったが・・
アゴタ戯曲は、読んでその喩える所を考えるには楽しい読み物だが、舞台化は難しい(不可能ではないだろうが)と思っている。「怪物」は、未開時代のとある村に現れた「怪物」を廻る年代記で、時間経過を挟んだ数場面から成る短編。各章の記述も最小限なので、読む分には想像力で余白を埋め、もしくは保留しながらでも読み進む事はできる。結語に皮肉を読み取ってにんまりしたりゾクッとしてみたり。
だが舞台上の時間を進めるとなると、演出的工夫を要求する粗さがある。
戯曲を大きく分ければ二つ。前半は異臭と醜さを放つ「怪物」(ある日獲物をしとめる罠にかかっていた)を、最初村人は退治しようとするが手を尽くして叶わず諦め、やがて怪物の背中の花が放つ匂いの虜になってしまう。そうして幸福感に満たされた人間が怪物の口の前に姿を現わすと怪物は人間を食み、大きさを増して行く。後半は、怪物が肥大して二つ目の村も飲み込まれてしまったのを受けて、敢えて怪物を避け花の匂いを嗅がずにいる(怪物を憎み続ける事が出来ている)主人公の青年と村の長老が、「村が消えた」村人の不安感を追い風に、怪物の周囲に高い石塀を作り、近づく者は容赦なく殺す、という取り決めが作られた。時が経ち、二人を除いた最後の村人だという男が塀の前に現われ、村人たちは全員殺され生き残ったのは自分だけである事、生きていても意味がないので怪物に食われて死ぬために禁を侵してやってきた事を青年に告げる。男は、「最後に花の匂いを嗅がせてくれ」と懇願するが、青年は無慈悲に答える「あと一息で怪物はようやく消える。今人間を食べればまた膨れ上がり、元に戻るのに何十日も掛かる。私はここに近づく人間を殺してきた、村人も、自分の肉親さえも。勝利は目の前だ」
男がフラフラと石塀に近づくと青年は容赦なく撃ち殺す。長老は青年を讃え息絶える。
この話は「怪物」も花も姿を見せないし(見せてみたとしても象徴的提示にしかならないだろう)、村人の生業や慣習、人間の三大欲求と怪物の放つ香りとの優劣や棲み分けなど、全体として理解する(リアルに想像する)ディテールがない。従って、観劇においては全てを象徴と捉えその含意を汲み取る、という事が求められる。
ではどう読めば良いのか。(長文につき後半はネタバレで)
『熱海殺人事件』 vs. 『売春捜査官』
燐光群
ザ・スズナリ(東京都)
2019/07/26 (金) ~ 2019/08/06 (火)公演終了
満足度★★★★
燐光群とつかこうへいの取り合せは以前沢野ひとしをやった時のような意外性からの成功のパターンか、失敗かのどちらか・・迷ったが好奇心には勝てず千秋楽を観た。
つかこうへい作品のエッセンスは、あるアマ劇団の気合いの入った舞台を一度観て辛うじて片鱗に触れたのみだが、それでも十分なインパクトがあり、当時の日本演劇の画期であった所以を了解した(つもり)。従って今回はつか作品の換骨奪胎が勿論狙いではなく、つか演劇という実体を掘り起こして現代という土俵に据える試みに大いに期待をした。
(続きは後程)
月がとっても睨むから
Mrs.fictions
すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)
2019/08/03 (土) ~ 2019/08/12 (月)公演終了
満足度★★★★
Mrs.fictionsの数少ない長編作、それも昨夏上演がお流れとなった新作の仕切り直し公演。どんな様相であろうか、若干尻込みしつつも興味が勝って近ごろ桟敷童子以外の利用も盛況のすみだパークスタジオへ赴いた。
昨夏の穴埋め企画で見た「花柄八景」(映像)、再演「伯爵のおるすばん」そして今回と、短い期間内に長編Mrs.舞台を立て続けに鑑賞する事に。
このユニット固有の持ち味それは実直さと丁寧さだろうか。笑いとシリアスいずれに関わらず、どちらかと言えば間を取る方を選ぶ場面の作りにその表れを見るのは単に錯覚だろうが、それが長所に思えているのは舞台の成功の所以だろう(もって回った言い方だが)。
書き手目線では、作者が力を注ぎ込んだ痕跡と成果を劇作の随所に見た。錯綜する多様なideaを一本の筋に織り上げ、言葉に息を通わせ、一つの物語世界を作り上げる。お蔵入りには惜しいと言わせるレベルに(当然ではあろうが)仕上げた。
涙目コント
MONO
三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)
2019/08/01 (木) ~ 2019/08/04 (日)公演終了
満足度★★★★
前川氏のみ既成作品、横山・平塚両氏が書き下し、短編を入れ構成した土田氏と合わせ、四名の作者による「屋上」で展開するドラマ。企画に惹かれて観た。
やや時代がかった6階建て雑居ビルのさほど広くないリアルな屋上が、星のホールに組まれ、互いに関連しない人物が出て系統の異なる芝居をやる。同じ装置を別物として使い回すのでなく、同じ(ような)ビル屋上(一般人が入れる設定)として使われており、その点では趣きのある写実的な装置が用意でき、それでいて多様なドラマが展開するので不思議な感覚である。
星の王子さま
B機関
座・高円寺1(東京都)
2019/08/02 (金) ~ 2019/08/05 (月)公演終了
満足度★★★★
「~機関」の名に何処となく時代的な響きがあり、古手と思っていたが、2016年始動したばかりという。年一回公演を打ち、今年4回目、今の所全て寺山修司作品である。主宰の舞踏家・点滅(という名)自身は90年代からパフォーマーとして活動。不勉強だが寺山と舞踏を近しく感じるのは共にアングラの出自からか。(天井桟敷は確か見世物小屋の復権などと唱えていたような。白塗り裸体が妖しくうごめく隠微と、舞踏=身体性への遡及?とは形は似てるが果して...?)
劇団については全く知識0だったが、顔を知る役者の出演で足を運んだ。流山児・伊藤女史、我が神奈川の若い劇団より鈴木千晴。後で気づいたが名に覚えのある近童弐吉はガッツリ新宿梁山泊の俳優(ほぼ20年前中野の新アトリエで『愛の乞食/アリババ』をかぶりつきで観た朧気な記憶)。
さて出し物。開演前から白塗りが4体蠢いている。寺山戯曲に絡めた「双子」の逸話は主宰が絡めて翻案したらしい(となると相当な改稿だから違ってるかもだがパンフにそれっぽい記述)。舞踊プロパーと演技プロパーが別個で判り易く、ドラマ語りの生硬さが舞踊表現で緩和されている。最後の最後に飛び出る論理の混線、反則スレスレ(?)の処理は、「時代の産物」たる戯曲の限界を超えようとの試みだろうか(戯曲を知らないので何とも言えないが)・・それでも時代がかった印象を拭えない展開であったが、二女優のイノセントの佇まいがこの反則による空白を埋め、どうにかこうにかラストを迎えた。
試みは場合によっては大変刺激的になった可能性があるが、論理的タフさも詩情も、私の納得に達せず、疑問符を残した。
座高円寺のステージを埋める大装置と、壮大な音楽は酔わせるものあり。ちょいちょいエロあり(どちらの翻案か不明)。
『怪人二十面相』
サファリ・P
こまばアゴラ劇場(東京都)
2019/08/01 (木) ~ 2019/08/04 (日)公演終了
満足度★★★★
観劇過去2作品のみだが期待を裏切らず、流麗な動きとドラマの文脈を示唆する華麗なアンサンブルが、目の前に展開していた。
が、アゴラの最上段最奥で条件悪くもあっただが、隣の迷惑客のために理解は半減、終演に向けての高揚も(あったなら)味わい損ねた。
怪人二十面相。恐らくは一編のストーリーを組み立てる形ではなく、江戸川乱歩のこのシリーズの何に着目し何を抽出して呈示するか。それを見極めるには一定密度の集中を要し、特に数少ない台詞の場面がその大きな手掛かりである。初日ゆえか役者たちは若干甘噛み気味もあって、台詞を聞き取るのに懸命だったのだが、、隣は相撲観戦でもするかのように落ち着きなく、注意を殺がれる事度々。初め音が気になり次に態度にムカつき、どのタイミングで空咳をかますかも読めて来るとお手上げであった(自分の神経を制御し難いのは免疫反応=花粉症に似て始末が悪い)。
これしきでは収まらないので後日詳述。
朝のライラック
彩の国さいたま芸術劇場
彩の国さいたま芸術劇場・NINAGAWA STUDIO(大稽古場)(埼玉県)
2019/07/18 (木) ~ 2019/07/28 (日)公演終了
満足度★★★★
ITI主催の年末のリーディング企画「紛争地域から生まれた演劇」で紹介されている中東や第三世界の戯曲には興味津々だが、多忙な時期で中々行けない。さいたまネクストシアターでこれを舞台化する試みが今回で3回目。初年は知らず逃したが、昨年と今年の二度彩の国さいたま芸術劇場くんだりまで訪ねた。NINAGAWA STUDIOというから稽古場のような場所かと思いきや、立派な小劇場である。
演目は一昨年末のリーディングの一つ。惜しくも逃したという私的伏線と、演出家の名が後押しして遠方へ出張ったが、見応え十分。シリア内戦の一場面を切り取った激しいドラマだが、情緒を揺さぶるものがあり、客席に鼻水をすする音が聞こえていた。
この話には、芸術を愛しそれを生業とする若い夫婦と、内戦以降彼らに受難を強いる非寛容な原理主義の対の図式がはっきりあってその意味では判りやすい。
ISを想起させる勢力は一定距離を置いた存在であるが、直に夫婦に理不尽を迫るのは「長老」と呼ばれる地元の宗教者、言わば強者にすり寄り、あわよくば美人の人妻を我が物にしようと画策するのがいる一方、救いの手を差し伸べるのは夫の元教え子で現ISメンバー。決して単純でない状況をシンプルな構図に落とし込んだ。夫婦の最後の選択には異論もありそうだが、教え子の台詞を引き出し、一つのドラマに昇華させる組立であった。
戯曲に書かれた微妙なニュアンスを芝居にどの程度反映できたのかは判らないし、意外な光景から色々と想像が膨らむ余地もあった。何しろ我々はアラブ世界を知らない。単純図式化を拒絶するささやかなディテイルが、台詞の端々にあったようにも思う。
偉大なる生活の冒険
五反田団
アトリエヘリコプター(東京都)
2019/07/27 (土) ~ 2019/08/05 (月)公演終了
満足度★★★★
新年工場見学会以外で五反田団を私は観た事があっただろうか、、と思い出してみたがどうやら観てない。生きてるものはいないのか、は読んだだけで。いつだったかポツドールや三条会やで「S高原から」を競演する「ニセS高原から」という企画の事を熱っぽく語る知人から、五反田団なる脱力な劇団名を聞いたのが最初で、10年以上になりそうだ。
ドライな印象しかなかったのが、意外にもドラマチックな要素があったのには驚いた。偉大なる生活の冒険とは、働かない40歳男が最後に勇断を行なったあれだろうか、それともこういう生活自体を冒険と呼んでおるのだろうか。。
妹の死は師匠平田オリザ言う所の後出しじゃんけん嫌疑が濃厚だが、居候先の女と男の関係の「変化」を想像させる仕掛け。だがそれ以上展開が無く想像のフックにとどまる。現代口語劇を師匠に近いテイストで継承する一人と改めて認識した。