実演鑑賞
満足度★★★★
山崎哲と言えば昔よくTVのインタビューに答えて時代評論など語る眼鏡の人であったが、実は「演劇を作る人」であった。犯罪事件に触発された戯曲を書く。確か二、三年前に「転位21」名義の小さな公演チラシを見た他は近年の活動の詳細知らず。ただ此度は「触発され」芝居一本脱稿めでたき也、とスズナリへ出かけた。
本作は容疑者女性のTVに映った残像が脳裏に焼き付いた「あの事件」が題材(この時の取材攻勢は批判の的となった由)。ただ事件の記憶は薄れ、劇の進行を真実のありかを探るサスペンスな時間となった。
父に認められず、近隣社会では疎外感を覚え、娘との二人暮らしの心許なさを埋め合わせる交際相手といった、やがて「事件」へと導かれる素材が置かれる。ただし「客観的事実」と作者の「類推」「想像(創作)」の境界が、事件を正確に知らない事もあって自分の中ではあやふやになる。
この「連続殺人」の第一、即ち娘(実子)殺害を否認し、第二の殺人=二軒隣りに住む亡娘の同級生男子殺害の背景として、「警察に娘の捜索を依頼したのに応じてくれなかった」被害感(地域からも同様の扱いを受けていた疎外感と重ねた)を訴える容疑者に寄り添ったストーリーが、これを「わざとらしい演技」と揶揄するご近所目線も挟みつつ、辿られる。だが終幕近く、ようやく女性が後に供述する事になる(公判に入ってからは否認=後で調べ)娘の殺害の線が彼女自身の態度から浮かび上がる。
私の記憶ではこの事件は母親が子供二人ともを殺した、であったが、この芝居では解釈に幅を持たせている。子供が好きだった海の魚の絵本をめぐる交流が、少女を「水」へ引き寄せたのではないかと悩む叔父(母の弟)を登場させ、「娘が橋の欄干に上りたがり、そこへ駆け寄ったがその後何があったか分からず気づけば娘はそこから姿を消していた」という、母の証言の一つと相関させたり、また心神耗弱に至る母親の内面描写を試みたりしている。
私にこの舞台が「力作」と感じさせた要因は、(私がそのように見た)母親の犯人性の所在ではなく、ある抗えない道筋を辿って「ここ」に辿り着かざるを得なかった一個の人間を描き出そうとする意思である。
もっとも先述したように、「事実」と作者の「推測」「創作」の境界がどこに引かれるかで受け止めはどうしても変わって来るのであるが。。