生きてる風/ ブタに真珠の首飾り 公演情報 アマヤドリ「生きてる風/ ブタに真珠の首飾り」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    「豚に真珠の首飾り」観劇。かなり久々のアマヤドリ、実はもう一つの演目を観るつもりで居たのだが二演目ある事を忘れ時間の都合で(確実に開演に間に合う)日へ後で変更し。。中身が違うと気づいたのは劇場入口での事。
    もっとも両者とも未知の演目なんであるが、ただ新作にはコロナの影響が幾許かでも、この作者にどう及んだか窺えるのでは、というのが関心であったので、完全に予定外。が逆に機会である。1時間半というスパンの劇は久々に観た。(昔は割と標準で手頃な長さだったような。最近は1時間+α、2時間~3時間というのが多い気がする。)

    結果、厳しい事を言えば謎解き的には先へと引っ張り過ぎ、そして説明に時間が掛かり過ぎ。ただ4人の女共の喋りの瞬間的輝きは何箇所かあった。
    披露宴の縁故客の控室(花嫁側)に来た4名の会話で、二人組と一人が知らない同士、両者共通の知人が一人という構成で、二人組と共通知人が近い年代の先輩後輩関係、一人が若く、花嫁を通じての知人同士。
    最初一人(若い)と共通知人の2人の会話があり、共通知人が去って一人若が残った所へ二人組の登場、2人の慣れた感じの会話(あけすけな後輩と彼女に気を許すお喋り好き先輩)で見せる本音トークは面白く、離れた所で見守る一人若と、やがて自己紹介、さらに二人組の会話が続き、今回の花嫁にまつわる「問題」、それがどうやら連れ子にある事、などが見え、そして二人(特に一方)が今現在不在の共通知人にわだかまりをもっているらしい事も見え、やがて当人登場4人揃う、と暗転。仕事で披露宴を早めに抜け二次会には参加できないらしい共通知人が、一人若と控室に戻ると、仕事に行かなくて良くなったとの連絡。挨拶までして中座したのに、と悩みつつも二次会に行く事になる様子、と、そこへ残る二人組登場し、そこからわだかまりを吐き出す本音の会話へ展開する。
    さてこの小品の命はやはりリアリティであると思う。控室に4人だけの必然性は特に気にならず、演劇の都合でも良い。問題は、中心的話題となる話のリアリティがどこまで追求されたか、が重要、というのも混迷から抜け出す手がかりであるメッセージの重みに、そのまま掛って来るので。共通知人(確かミユと言った、以後ミユとする)に対し引っかかりを持つ後輩(根明なもう一人はそのさらに後輩)は最初「仕事で披露宴を抜ける」と言っていたらしい事に憮然とし、個別事情よりそういう彼女の人間性の変容を問題にしていた。が、本題に入るとそれは花嫁(確かアヤと言った)に対しミユが「ひどい事を言った」事にある、と説明される。
    ミユと二人組は元高校のダンス部の繋がり、一方なぜかもう一人のミユの若い知人はダンサーへの夢を遂げたく渡米しようとしている。しかし最近彼女は自分が世話になった人たちに更に世話になりっ放しで、自分の事しか考えていない自分で良いのかと悩んでいる。ここでの伏線は、後に開陳される本題=すなわち花嫁の連れ子(重い障害を持つ)を、ミユと共に気にかけていた、として回収されるようだが、渡米への逡巡をこの「後で開陳される障害のある子どもを置いて行く後ろめたさ」に集約させるにはもう一つ必然性が盛られていない。
    ミユに対する後輩の不満が、言わば後に謎解きされる事になる「謎かけ」なのであるが、この不満が一本に絞られて行かないのも憾みだ。
    かつて部活時代にミユの金魚の分であった後輩が、成人以後の変貌(成長)に一方的な願望とのズレを感じ(最初はそういう種類の感情が仄めかされていた気がする)、最後にはやはりそこに着地するようなのであるが、謎解かれる本題は、ミユがあや(花嫁)に対して言ったという言葉、すなわち(24時間医療ケアを要する障害を持つ子供のために自分の人生を犠牲にする事はない、という意味で言った)「諦めてもいいんだよ」の方である。
    打ち明けられた後輩は、たまたま弱っていた時に自分に話をしたに過ぎないし、ミユ先輩とあやさんの絆の方が深い、と自ら認めるのであるが、そう認めながら「不満」は持ち続けるという心理は中々理解しがたい。憧れの先輩であり続けてほしいといった子供っぽい願望と、この問題発言に対する違和感といったものは、質が異なる。これが並列に語られる事で、役者は心理を作りあぐねて苦しんでいた(と見えた)。

    リアリティの面で決定的なのは{これも苦言です)、披露宴に出席し、その「子ども」を諦める諦めないといった会話がヒートアップしているのに、新郎の話題が全くでない事だ。むしろ子供を引き受けて行く事になる旦那がどう考えているらしいのか、一言も出ないのは戯曲の欠陥で、深い会話ができた事をもって相殺できるレベルでないと思う。それこそ会話は「余計な心配」であり、不毛な会話という事になる。
    もちろん旦那の事を差し置いてついついそういう会話に発展する事も、またそういう舞台も「あり得る」と思うが、深刻に悩み、会話が展開する(軽快→深刻→軽快)ドラマ性で勝負する劇としてはやはり厳しいものがある。
    ただこの欠陥に関わらず舞台を華やぐものにしていたのは、キャラの棲み分け、自然体の演技、それを発現させた台詞とは言える。

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    2021/03/28 08:58

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