昭和虞美人草 公演情報 文学座「昭和虞美人草」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    マキノノゾミの新作公演、と記憶をまさぐってみたら、思い出した。昔、MOP(だったと思う、違ったかな)とかいう京都でのマキノ氏の拠点劇団の最終公演(に近い公演)を観た。懐かしい。
    名は知られているがそれだけに大衆好みとの予想通り、ウェルメイドチックな、社会派でも笑いの涙にまぶした「メッセージ性あってうまいけど甘い」舞台であった。
    (殊に戦争を扱ったにしては「思いがあれば正義は勝つ」的なメッセージに集約させた、ちょっと文句の言いたくなる舞台を私はここで目にしていた。)
    他のマキノ作品ではSPAC「高き彼物」(古館寛治演出)が絶品、先日の「東京原子核クラブ」も楽しめた。「高き彼物」は性的マイノリティを扱い、役者を選びそうな戯曲だが、「先生」の変人性が写実的風景の中に収まって「主張」らしい要素がなく、じんわりと、やがて高まる感動に導かれた。見ると著名なマキノ戯曲の殆どが外部への書き下しであるので、執筆方法に違いがあるのだろうか、等想像してしまった。

    現代能楽集など話題作を逃し、(先のMOPのを除いて)「新作」を逃していたので、現在まだ無敗の文学座アトリエ公演となれば一も二もなくである。
    ただし予約は「支援会」会員で最初埋まったとか。「今、席を作っている所、来週あたり出す予定」と週末に聞き、日曜夜にwebフォームを覗くと残一席、速攻で予約した。(この客席が奇妙不可解、後に記述。)

    この芝居、音楽評論雑誌の事務所というピンポイントな風変わりな場所を舞台に選び、1970年代の楽曲(主にロック)が頻回に流れ、プログレやアメリカンニューシネマの話題に夢中になるシーン等、個人的には懐かしさに小踊りする代物であったせいで、随分肩入れした見方になったに違いないが、翻案された「虞美人草」(読んでないが)は漱石の時代にもあっただろう「恋愛と人生」のモチーフが見えてくるにつけ、ドラマの深みへと誘われる。作者がパンフにも吐露していた原作中無性に良かったシーンの台詞が、本舞台でも光っている。明治から遠くなりぬ現代に、こうした感動に出逢う幸福を噛みしめた。

    舞台全体の印象としては全開コメディではないがそこはかと喜劇要素の漂うマキノ戯曲をシリアスとの絶妙な塩梅で仕上げるのは高いハードル、文学座の俳優層でも中々大変そう(特にラストへ向かうあたり)。ネタバレになるが「突撃」は「玉砕」とせず「そう言いながらも・・」と含みを持たせるのが絶対正解に思うのだが。。

    俳優は文学座でも若い世代が中心だったろうか。殆どがお初の方々で、目に(耳に・・声を)した事のあるのは二三名ほど。中で平体まひろ氏は、昨年7月中津留氏の配信「パンデミック・パニック」で初お目見えしてより、秋に座高円寺「フランドル農学校の豚」、冬「東京原子核クラブ」(配信で)、今回で四度目で最若手にしてはよく目にした(今割と売れっ子のようだ)。ただ今回のは同じマキノノゾミ作の「東京・・」の役を引き摺ったかと思われる顔演技があるのが少し気になった。が特徴的な風貌は見る側が何かをそこに投影したくなるようで、強みだ。

    ネタバレBOX

    客席が「奇妙不可解」のわけ。
    今回も文学座アトリエの定番、横長に階段状の席(パイプ椅子)を組む形。自分は追加席を予約したが(ネットで座席指定。といっても残席1つであったが)、前から4、5列目で両脇が袖のこすれ合う密な席であった。それはそれだが、前の客席を見ると、パイプ椅子一つ分より少し狭い程度の間隔が開いていて、互いに斜めの位置関係で椅子が置かれ、私の座った上段下手寄りの5,6席だけが密集している。と、上手の方を見るとそこにも袖すり合う席の列がある。このアンバランスな配置は何?とまず思う。間隔のあいた席と席の間には「ここから降りないで下さい」という貼り紙があって、これを無にしないための配置なのかな、と思う。そして私の座った段の通路挟んだ左手にも
    6,7脚の椅子が密に並んだ列があり、開演時点で誰も座っていなかった。後にそこは当日客と思しい客で埋まって行ったが、一つおきに座ったりして、予約客より余裕有り。
    コロナ対応では何を優先し何を犠牲にするか、取捨判断に悩むこれもその一例なのだろうが、諸々「謎」な客席ではあった。

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    2021/03/12 20:04

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