うさぎライターの観てきた!クチコミ一覧

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サスペンデッズ

吉祥寺シアター(東京都)

2012/06/15 (金) ~ 2012/06/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

曼荼羅のような死生観
舞台美術の美しさとスケールに圧倒される。
BGMは終始川のせせらぎだけ。
舞台美術に魅せられ、川を遡るような構成に魅せられた2時間。
私は川のほとりで鮭たちの一生を見た。

ネタバレBOX

冒頭、長い沈黙から始まった和博(佐藤銀銀平)と真澄(橘麦)の別れ話。
その重苦しい雰囲気から、少しずつ時間は遡って
私たちはその沈黙の意味と重みを知ることになる。

彼らの駆け落ちの理由、高校生の頃、さらに小学生の時の出会い。
二人を取り巻く友人たちの死や
父親の暴力、そして一途な片思いなど様々なエピソードが
ひとつの川へと流れ込む。

このストーリーの中で、大事な人はみんな川で死ぬ。
まるで鮭が卵を産んで死ぬために故郷の川へ帰って来るようだ。
だが人が鮭と決定的に違うのは、「理不尽な人生に対する怒り」を持っていることだ。
そのやり場のない怒りを抱えた人々が痛切に描かれていて胸が痛む。

佐藤銀平さん、屈託のないランドセルの小学生が本当に似合う。
運動神経の良い人らしい軽やかな動きとテンションがヘビーな話の救いになっている。
後の鬱々とした人生とのギャップが鮮やかで素晴らしい。

真澄をずっと一途に思い続ける純な孝造を演じた間瀬英正さん、
ナイーブでひたむきなキャラクターがはまって
断られたけれど、今後彼女の支えになるのは彼だろうと思わせるものがある。

舞台手前に深く口を開けた川へ、芳江(新田めぐみ)が飛び込んだ時
思わず「あっ!」と声を上げそうになるほどの衝撃があった。
何とすごい舞台美術だろう。
地下と舞台と、上手から下手にかかる一段高い通路、
そして正面さらに高いところには死者に会えるという噂の深い森がある。
その上客席を見下ろす通路と、吉祥寺シアターの空間をフルに使っている。
輪廻とか死後の世界を感じさせるスケールは、まるで曼荼羅を見るようだ。

一人の役者が親と子と、何役も演じるので複雑に感じるが、作者の問いかけは直球だ。
その素朴な力強さが、繊細な精神世界を超えた自然の摂理を強く意識させる。
誰かが死んでも、残された人間は生きて行くのだ、死ぬまで…。
それはランドセルの和博がくり返す言葉そのものだ。

さらば、豚

さらば、豚

流山児★事務所

ザ・スズナリ(東京都)

2012/06/06 (水) ~ 2012/06/12 (火)公演終了

満足度★★★★

ダークなアングラファンタジー
閉ざされた空間で生命の危機にさらされながら
男たちの夢と現実がぶつかり合う、アングラの匂い立ちこめる舞台だった。
男度100%の芝居は流山児☆事務所の得意とする分野だが、
男の弱さと哀しさがにじんでいて、しかもエンタメなところが魅力だ。

ネタバレBOX

男が一人、九州の廃坑となった炭鉱の中で語り始める。
「全ては3日前に始まった…」

彼は桜組の下っ端ヤクザの郷屋(ごうや・若杉宏二)。
炭鉱が無くなって今やヤクザの収入源は豚を飼うことだ。
上からの命令でもう5年も仲間と豚の世話をしている。
その66頭の豚が、ある日突然姿を消した。
これはやはり豚を飼っていて、敵対する梅組の連中に違いないと考えた郷屋たち5人は、唯一考えられる場所、12年前の忌まわしい廃坑へと豚を探しに行く。
しかしそこで彼らを待ち受けていたのは、同じように忽然と消えた豚を探しに来た梅組のヤクザ達4人だった…。

炭鉱の中で「炭坑節」を歌うと必ず落盤事故が起きるという言い伝えが効いている。
武器を持たなければ不安、誰も信用しない、生き残るためには平気で裏切るというヤクザの習性が、閉ざされた空間の中で疑心暗鬼を増幅させていく。
その結果恐怖にかられたヤクザ達は次々と殺し合い、生き残った者はある究極の選択を迫られる。

上手と下手にひとつずつ、2方に伸びる細い坑道がその先にあるものを想像させて不気味。照明の変化で時間と、夢と現実の境界を行き来するのもとても良かった。

若杉宏二さん演じる郷屋が登場人物を紹介し、状況解説もはさむのだが
これがとても判り易く、ヤクザの個性やその後の行動を納得するのに助けになった。
似たような強面のヤクザにもバックグラウンドがあり、
それぞれの死にざまにつながるから情報が生きて来る。

今回の塩野谷さんは信用金庫の経理担当者からヤクザに転職した変わり種を演じた。
これが、性根がヤクザなのは実はこの経理マンではないかという行動に出る。
びくびくしていたくせに狂気に走るところは、やはり塩野谷さんらしさ全開。

狼と呼ばれる老兵(本多一夫)が彼らに武器を与え、殺し合いをさせたり
「炭坑節」を歌って落盤事故を引き起こすように仕向けたり
幻のような存在ながらヤクザ達を操るというのも、因果応報を感じさせて存在感あり。

いつの世にも時代と組織に翻弄される男の姿は同じ、
足を洗って生き方を変えたいと思いながらまた1日が過ぎて行くのも同じ。
家族の気配薄く、夢ばかり食べている彼らに今の時代が重なる。

郷屋は結局死んだのか、生き残ったのか・・・?
あの“落盤事故の時に空を見るための窓”は永遠に開かないだろう。
「豚は夢をみる」と老兵は言って消えた。
「人はもっと夢をみる」だろう。
その哀しみが強く残る舞台だった。

これが女だったらどうなっただろう。
同じように殺し合うんだろうか?もっと残酷か…。
ふとそんなことも考えた。

NOVEL lie’s

NOVEL lie’s

super Actors team The funny face of a pirate ship 快賊船

ブディストホール(東京都)

2012/06/06 (水) ~ 2012/06/11 (月)公演終了

満足度★★★★

ドラマ1クール分のボリューム
初めての劇場は、舞台に幕があり小劇場とはまた違った雰囲気、客席の年齢層も幅広い。
ミステリーとしては最後まで謎を引っ張る力があって面白かったが
饒舌な台詞による説明でキーワードが埋もれてしまいそうな危うさも感じられた。
主役2人の緩急ある台詞が生き生きしていて2時間以上を飽きさせない。

ネタバレBOX

雨宿りしていた男2人が、その家の芸者置屋に上がらせてもらう。
一人は小説家の野良犬先生(清水勝生)、もう一人は友人の民俗学者(石田滋)だ。
置屋の芸者が親切にもてなすうち、男たちは徳川の埋蔵金の話など始める。
このあたり、野良犬先生の江戸弁と芸者阿璃栖(ありす・金村美波)の口調がそれらしくて古き良き時代劇を観ているような感じ。
民俗学者の話し方が、言葉は古風だが比較的現代風のさらりとした台詞回しなのも心地よい。

やがて居候が集まる謎の洋館に場面が移ると、レトロとはまた違う”違和感”を覚えた。
屋敷に居候している人々、留学先から戻った息子や友人の探偵など総勢十数人が入れ替わりたち替わり登場するのだが、声良しなのは素晴らしいとして、声を張ったまま大仰な長台詞は少々キビシい。
野良犬先生の、寝ているうちに自分でない誰かが原稿を書いている…という悩みや、どうやらその原稿に出てくる面々が、実際の洋館に集まっている人々を指しているらしいことなど、謎やら伏線やらを全てその長台詞からくみ取るのが難しいのだ。
演出の方針かもしれないが、常に歌舞伎のような朗々とした話し方だと
キーワードを聞き逃すまいとするには少し疲れる。

それにしてもストーリー自体はとても良く出来ていると思う。
美術品ばかりを狙う怪盗「アマツキツネ」や、思いがけない血のつながり、
上海を舞台にした意外な過去、徳川幕府の埋蔵金など
テレビの連続ドラマにしたら1クール十分に持ちそうなボリュームだ。

ちょっと残念だったのはラスト、肝心な事件の発端である阿璃栖の心情が
「愛を確かめたかったから」みたいな一言で説明されていたこと、
それと全てが明らかになった後、野良犬先生が自分の言葉で語らなかったこと。
そこが一番聴きたい、と思ったのは私だけだろうか。

働く女性の権利主張などに時間を費やすよりも
2時間ドラマの崖のシーンみたいに、“まとめの時間”が欲しかった。
要はそれだけ複雑な登場人物と謎解きの面白さが満載だったということだ。
良く出来た「ピカレスク小説」のようでとても楽しかった。

野良犬先生役の清水勝生さん、情けない小説家も良いが
上海でブイブイ言わせていた頃も、もっと見たかったなと思う。
硬軟どちらも素敵な役者さんだと思う。
阿璃栖役の金村美波さん、あだっぽい姉さんの存在感大。

奇想天外な話だからこそ、私たちは日常を離れて芝居の中に遊ぶことができる。
ダイナミックなストーリーが楽しい舞台だった。
鈴木の行方

鈴木の行方

タテヨコ企画

駅前劇場(東京都)

2012/06/06 (水) ~ 2012/06/12 (火)公演終了

満足度★★★★

記憶の四つ角で惑う男
忘れていたことさえ忘れてしまう年齢が四十なのかもしれない。
子どもが大きくなるのに反比例するように小さくなっていく自分。
そんな四十男の存在の頼りなさが出ていた反面、
彼の記憶と事実とのギャップが、登場人物の言動に反映されないもどかしさが残った。

ネタバレBOX

売れない物書きの桂木が久しぶりに故郷の友人鈴木を訪ねてみると、
肝心の鈴木浩道はどこへ行ったのか判らない上、
同級生たちが何故かみんな“鈴木”だと名乗る。
覚えていること、覚えていないこと、そして間違って覚えていたこと…。
それぞれの記憶の曖昧さと思いこみ、どうしてみんな鈴木なのか、
この辺りの桂木の混乱ぶりが可笑しい。

序盤の謎が興味深いし、何より桂木が連れている犬役の向原徹さんが秀逸。
前足の感じ、小さい吠え方などホントにリアルで一気に集中させる。
この犬が桂木の手を離れると過去の記憶がフラッシュバックのように再現される。
さっきまで「おー、久しぶり!」と言い合っていた男たちが
ランドセルを背負って出てきたり、学ランに太いズボンの学生服になったりして
判り易さと違和感がないまぜになって妙におかしい。
帽子をとったら学生頭薄いし(笑)

桂木の記憶と過去の出来事が呼応して、ひとつずつ真実が明かされ、
その結果鈴木の行方に近づいて行く…という展開を期待していただけに
最後で外された感じが否めないのはちょっと残念な感じ。
犬は犬のまま喋らずにいた方が魅力的だった気がする。
エピソードが多くて“鈴木浩道の行方を探す”という本筋が霞んでしまった。
全ての道は鈴木に通ず、という展開の方が集中できたかもしれないと思う。
麻雀のエピソードには笑ったけど。

友人のひとり真也ががんであることや、大地の妹が駆け落ちした事などが
現実の彼らの言動に反映されていないことも魅力を削いだかもしれない。
それによって優しさや哀しみ、相手を大切にする姿が伏線として見られたら
もっと登場人物に感情移入出来るのではないか。

客席を二手に分けた舞台の使い方がとても面白かったが、
通路の確保などをもう少し優先した方が良かったと思う。
桂木が妹をラケットで殴るエピソードがなぜ必要なのか、私にはよくわからなかった。
鈴木浩道役の奥田洋平さん、待っていた男のクールな感じが素敵。

出演者の熱演と初期設定はとても良かったと思う。
誰にでも記憶違いや、記憶の欠落はある。
それはまるで“鈴木”という名字のように、そこらじゅうに埋もれている。
ふと思い出してその記憶を掘り返すのが、惑い続ける四十男なのかもしれない。
人生の折り返し地点に記憶の四つ角で立ち止まる
ちょっと切ない男たちの話だった。
光の帝国

光の帝国

teamりんくす

しもきた空間リバティ(東京都)

2012/05/26 (土) ~ 2012/05/27 (日)公演終了

満足度★★★

ドラマチックな原作と脚本
恩田陸の「大きな引き出し」が原作、キャラメルボックスの脚本、
それにフライヤーの、うつむいた聡明そうな少年の横顔も魅力的だ。
まだ原作・脚本頼みな気もするが、ここからもっと入りこんで作り込んで
面白い作品にして欲しい。






ネタバレBOX

はるか昔から特殊な能力を持った一族が存在していた。
未来を予知したり、遠くで起こっていることを視たり、触れるもの全てを記憶したり…。
「常野(とこの)一族」は、それらの能力が世間に明らかになると
迫害されるのを怖れて転々と住まいを変えながらひっそりと暮らしている。
たまたまその噂を耳にした映画監督が、それを映画にしたいと考える。
15年前、不思議な力を使って映画監督と彼の父とのわだかまりを解いた姉弟が
その映画化を阻止しようとして訪ねて来る。
不思議な能力のことが世間に知られれば、一族は危険にさらされる。
実際彼らの両親は、迫害から逃れて逃げる途中死んでしまったのだった…。

「驚異的な記憶能力」を持つ少年や、狂言回し的な映画監督など、
説明を要する台詞量が多いのだが、声・滑舌が良くてとても判り易い。
姉役の柚木茉季さん、父親役のぽっちゃりイケメン川原圭さんに安定感がある。
全体的にはまだ台詞に気を取られていて、
表現方法を選びながら人物像を深めて行くにはもう少し時間がかかるかも。

ストーリーがドラマチックなので1時間を引っ張るけれど
ちょっと物足りない印象も受けた。
特殊な一族の能力について、実例とそれが引き起こした悲劇的な結末を
エピソードとして充実させ、常野一族の能力故の悲劇の歴史を強調したら
姉弟が映画監督を説得しようと必死になる理由がもっと納得できると思う。
両親が亡くなる場面の緊迫感も増したのではないか。
映画監督が長年温めて来たテーマを、姉弟の懇願を受けてあきらめる場面も
その無念さがより伝わってくるような気がする。

臨終前の医師がこれまで関わった人々と言葉を交わす場面や、
弟がその医師に触れただけで、彼の人生を記憶することが出来る場面などは
印象的でとても良かったと思う。
ところどころにはさまれた笑いネタも受けていて面白かった。

これで終わらせるのは勿体ないドラマチックな原作と脚本、
それにこの本を選んだteamのセンスは素晴らしいと思う。
ぜひ次に生かして看板作品にして欲しい。
「知ってるでしょ?僕は忘れませんよ」という光紀の台詞、
私も忘れませんよ。

キツネの嫁入り

キツネの嫁入り

青☆組

こまばアゴラ劇場(東京都)

2012/05/25 (金) ~ 2012/06/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

めでたし
厳選された台詞と音響、極めて日本的な題材をモダンな空間で魅せる
素晴らしい舞台だった。
吉田小夏さん、凄い人だなあ。

ネタバレBOX

土俵のように少し高くなった白い八角形の舞台は、なだらかに裾が広がる。
和な感じの格子や行燈のような照明が天井から下がっている。

「むかーしむかし・・・」で始まり「めでたしめでたし」で終わる昔話。
それが未来に語られる昔話となれば、話はこの2012年から少し経った頃か。
一輪の花を手にした出演者が客席の間を通って舞台へと向かう。
とても静かな、しかし打楽器の響きと共に強烈な印象を残す出だしだ。
このオープニングで一気に、現実と幻想が入り混じった不思議な世界に惹き込まれる。

あることが起こってそれ以後女の子が生まれなくなった小さな島の物語だ。
島の反対側には危険なものがある“行ってはいけない場所”がある。
父親と二人の息子、それに甥っ子の4人が暮らす男所帯にキツネが嫁に来る。
長男の妻が亡くなって1年後、島の存続のためにもという
村長のたっての頼みもあり長男はキツネの嫁をもらう。
島の暮らしには湿り気のある古い日本の地方色が濃く出ていてとても懐かしい。
蝉の声、蜩の声、波の音など定番中の定番が、これ以外に考えられないほどハマる。

知的障害を持つ次男を演じた青年団の石松太一さんが素晴らしい。
ただ一人、純粋さを損なわずに大人になった人間として
素直に心情を吐露する人に、一分の隙もなくなりきっている。
後ろ向きの時でさえ、その表情が手に取るようにわかって
共鳴せずにいられない。

全体のテンポが、若い人の作品とは思えないほどゆったりしていて
厳選された台詞が際立つ。
あの会話の丁寧な間とタメは吉田小夏さんの作品に共通するものなのか、
若い世代には貴重な、自然な忍耐強さを感じる。
情報量を多く、ボリュームを上げて急いで喋る芝居が多い中で
これは「語り」のテンポとでも言えようか、言葉がひとりでに立ち上がるようだ。
その結果人物像がくっきりして、会話は静かでも緊張が途切れない。

ひとつの役を複数の役者が演じる場面が多いが、
とても上手くつながっているのは役者の力と構成の上手さかと思う。
現実と幻想、過去と現在が自在に交差する構成と
それに伴う人の出入りに工夫があって複雑なのにわかりやすかった。
被災地を思わせる表現の仕方にもセンスと女性らしい繊細な視点を感じる。

「めでたし、めでたし・・・」で終わるこの昔話、
終わってみればSFかホラーか寓話か、そしてとても哀しいおとぎ話だ。
今の私たちには協力してくれる心優しいキツネもなく
人間は愚かな行いの果て一直線に滅びて行くのだろうか。
それもまた「めでたし」なのかもしれない・・・。

どうしても地味

どうしても地味

箱庭円舞曲

駅前劇場(東京都)

2012/05/16 (水) ~ 2012/05/27 (日)公演終了

満足度★★★★

人生は線香花火
「地味」と言えば地味かもしれない。
だがこの地味さ加減は私たちの日常そのもの、人生そのものだ。
そしてどんな「地味」の中にも人生における“個人的に劇的な展開”が潜んでいる。
場の転換にアイデアとセンスがあって2時間を飽きさせない舞台だった。

ネタバレBOX

懐かしい、ちゃぶ台がひとつ置かれただけの6畳和室が
灯篭のある純和風の庭に面して開け放たれている。
障子の向こうは廊下。
この部屋が、ある時は過疎地の寺院に隣接した集会所になり、
また線香花火ビジネスでちょっと成功した、仲間3軒それぞれの家になる。
微妙な照明と障子を開けて入って来る人を見て誰の家かと判るという、
このアイデが秀逸で、流れが途切れずテンポも良い。

中国製でなく日本製の線香花火を売り出したところ人気を呼んで、
過疎の村のビジネスには補助金も下り、順調に行っていた。
ところが言い出しっぺの二朗(爺隠才蔵)が、突然「辞める」と言い出した。
思いとどまらせようと必死に説得を試みる博士(小島聰)。
せっかく軌道に乗ったというのになぜ今辞めるのか。

やがてメンバーみんなの様々な“家庭の事情”が見え始める。
上手くいっている夫婦なんてひとつもない。
住職(小野哲史)ももっともらしいことを言いながらとても怪しい。
おまけに居候だか妾だかわからない元風俗の女(笹野鈴々音)と一緒に住んでいる。

だがぐだぐだ言って迷っているうちに自分の意志とは関係ないところで
全てが思いがけない方向へ転がり出すこともある。

放火によって工場は焼け、花火も全て無くなってしまった。
「好きでやってるのか、やらなきゃならないからやってるのか、わからなくなった」
と言っていた二朗がやっぱり自分は線香花火が好きなのだと、失ってから気付く。
だが共に働いてきた仲間も離ればなれになって行く。 
人々はそれぞれ何かを失って終わる。

もう少し早く二朗がなぜ辞めたいと言い出したのか、知りたかった。
辞める理由を引っ張りすぎて、説得する博士の言動が空回りに見える。
反対に火事の後、それぞれがどうなったのかを、もうちょっと説明してほしかった。
あの人その後どうなったの?とイマイチよく判らなかったのは私だけだろうか。 

謎の元風俗嬢を演じた笹野鈴々音さんが強烈な印象を残す。
ピュアで世間知らずのような顔をして、実は人々を操る怖い女を軽やかに演じている。
妻から逃げて居間で寝起きする新一を演じた須貝英さん、
気弱な反面必死な抵抗、仕事は受け身というありがちな男が超リアル。
普通の人々の代表二朗が情けなくも共感を持てるキャラとして印象に残る。
怪しい住職の小野哲史さん、語り口が本当に和尚さんで説得力がある。
説法が上手いと同時に悪事も平気でする坊主がとても良かった。

人生は線香花火のようなものかもしれない。
小さくてささやかで、でもその中には山場も事件もあるのだ。
ちょっと満足しては、迷ってふらふらと彷徨う・・・。
一人ひとりが持つ線香花火にフォーカスした作品に作者の真摯な目を感じる。
首無し乙女は万事快調と笑ふ!

首無し乙女は万事快調と笑ふ!

ポップンマッシュルームチキン野郎

サンモールスタジオ(東京都)

2012/05/12 (土) ~ 2012/05/20 (日)公演終了

満足度★★★★

号泣を伴うハイテンションブラックコメディ
赤地に人形の首も印象的なフライヤーと、何たってこの劇団名にこのタイトル。
さぞかしイカレた笑いがさく裂するのかと思いきや、なんだよ、これ。
あんなハイテンションで騒ぐから、もっと軽い芝居だと思ってたのに
すごい骨太な話じゃないか、と泣き泣き思った。

ネタバレBOX

冒頭、映画のオープニングを思わせるアニメーションがとても良く出来ている。
オスカーが鞄を持ってドイツの街並みを歩く。
(鞄の中には電源につながれたエマの首が入っている)
エマとオスカー、二人がそれぞれ闘いながら寄り添っていることを象徴するような映像だ。
このクオリティの高さに期待が高まる。

なぜオスカーはエマを生かすことにここまで執着するのか。
発見された記憶を失った男は本当にエマの夫なのか。
オスカーに感謝し、彼が創りだした若干中途半端な改造人間(?)っぽい仲間たちと
賑やかに前向きに暮らしながらも、エマを取り巻く謎は深い。

そしてついに明らかになった衝撃の事実。
それを知ってエマはある決断を下す・・・。

テンポ良く場面が切り替わり、2時間近くを飽きさせない。
過去と現在、失われた記憶を鮮やかに浮かび上がらせる照明がとても繊細で美しい。

扱う素材が悲惨かつシリアスなので、枝葉の部分でこれくらい遊ばないと
“戦争ドキュメンタリー”みたいに暗くなってしまうのかもしれない。
エマが、記憶を失い顔の判別もつかないほど傷つけられた夫と再会した時の言葉、
オスカーが不本意ながら仲間を撃った時の自責の念、
いつも笑っていたエマが、最後にひとり箱の中で大泣きする声、
そして自分を許せないオスカーがもがきながら終わるラスト・・・。
チキン野郎にここまで泣かされるとは思いもよらなかった。
全てはこのラストの為にあったかと思わずにいられない。

ほとんど首だけで芝居していたエマ役の小岩崎小恵さんがいい。
最初は優しい夫に比べて大雑把な感じに見えたが
箱の中で自由を奪われたかたちでありながら、
表情と台詞に説得力があって素晴らしい。
オスカー役の竹岡常吉さん、ただの親切な科学者が
次第に苦悩する姿を見せ始めた辺りから、がぜん奥行きが出て良かった。
エマの夫カミル(野口オリジナル/堀晃大)が収容所で痛めつけられながら
オスカーに合図を送る時、ほとんど叫びたくなるほど悲しかった。

ちょっと途中のギャグが気になったが、レッドゾーンすれすれを行きたいからだろうか?
あえてタブーに触れるような笑いを目指さなくても
この脚本の力があれば硬軟の落差は十分に出る。
戦争やナチスを批判する目を持ちながら弱者を嗤うのは矛盾するような気がした。
上品になる必要はないが、笑いの方向性は選んだ方が効果的だと思う。
あ、それと「首無し乙女」じゃなくて「首だけ乙女」ですよね(笑)

吹原幸太という人はすごい話を書くなあ。
戦争の理不尽さをこれでもかと見せつけておいて
それでも尚生きる人間の悲しいまでの生命力を描いている。
戦争は人に“理不尽を受け容れること”を強要する。
受け容れなければ生きて行けない。
エマもオスカーもカミルも、半端な改造人間達も全てを受け容れていく。
私はあの終わり方がとても好きだ。

Here we are

Here we are

Model Production 2012

世田谷区民会館(東京都)

2012/05/12 (土) ~ 2012/05/13 (日)公演終了

満足度★★★

英語劇でミュージカル
ワイルダーの「わが町」はここ数年世界中で上演され、
震災後は特に“ふるさとと家族”を再認識する意味でも好まれるようになった。
結婚や、死さえも自然な出来事のひとつとして人々の暮らしが淡々と描かれていく。
2012年のMPは、それを生演奏をバックに歌うミュージカルにした。

狂言回しであるStage Manager役の英語がきれいでとても良かった。
最初は硬さがあったが次第に英語本来の抑揚が伸びやかになった。

両家の母親役は、共に無対象の演技が延々続く難しい役だが
動作がとても美しく、見ていて飽きない。

Emily役と彼女の母親役はとても歌が上手い。
古き良き時代のスタンダードナンバーを数曲取り入れていたが
こんなに上手な人がいるならもっとたくさん歌でつないでも良いと思う。

ストーリー自体に劇的な変化がなく、しみじみとした味わいの作品だから
若い人には難しい部分もあったと思う。
日本語で台詞を言うのも難しいのに、英語となればなおさら台詞より言語に気を取られる。
歌はそれらを補うのに効果的だし、若さと華やかさを活かせると思う。

出演者・スタッフ100人近くが参加したこのパフォーマンス、
最後のカーテンコールで全員が舞台に上がって歌とダンスを披露した。
ダイナミックなMPの活動を象徴する場面だった。

会場は学生で埋め尽くされていたが
演劇としてもっと一般の人も呼べるようになって欲しい。
今後の活躍に期待します。

六男坊の嫁

六男坊の嫁

ふくふくや

「劇」小劇場(東京都)

2012/05/09 (水) ~ 2012/05/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

心のおひねり
大衆演劇の匂いがぷんぷんして、カッコよくて、涙と笑いが交互にくる。
芝居小屋の、客の首根っこをつかんでブンブン振りまわしてくれる、あの感じ。
お客が上品だから黙って観てたけど、あたしゃほんとは声かけたかった。 

ネタバレBOX

なんで長男が跡目を継がないのか。
末っ子が連れて来た怪し過ぎる婚約者の正体は?
身内しか知らないはずの情報が漏れたのは何故だ?
次々に起こる事件と一家の歴史が交差して広い和室を狭くする。

一竜組の6人の子どもたちが個性豊かで素晴らしい。
稼業を嫌う気持ち、誇らしく思う気持ち、母を守れなかった自分を責める気持ち、
そして誰かを守るためにみんな暑苦しく生きている。

末っ子が連れて来た婚約者と言うのがまた目を見張る上玉だ(笑)
“暑苦しい”キャラが“暑苦しい”台詞で押しまくる。
この辺りの徹底したエンタメ精神があるから、
中盤から少しずつ語り出す子どもたちそれぞれの本心がすごく効いて来る。
四男薫(塚原大助)がしみじみと兄を思うところでほんと泣けてしまった。

何と言っても生業としてのヤクザのたたずまいが素晴らしい。
長ドスを振りまわす場面こそ出てこないが、着流しの美しさといい
帯の位置(マニアック?)といい、東映に負けていない。
複雑な立場の釧道を演じる浜谷康幸さんが超かっこよい。
台詞回し、身のこなし、眼光、そしてラストの仁義の場面まで一部の隙もなくヤクザだ。

ふくふくやの全ての作品を書き、座長である山野海さんの
心意気みたいなものがビシバシ伝わって来て爽快感がある。
あの仁義、こんなに強い「女が切る仁義を」私は初めて観たと思う。
あふれるような思いが紅絹の色に映えて、マジで泣けてしまった。
暑苦しくて、笑って泣いて爽快感・・・これはもう「サウナ」じゃないか。

今時ヤクザだし、暑苦しいし、好みもあるだろう。
でもふくふくやは芝居の原点を感じさせる。
おしゃれで賢くてスマートな表現の対極にあって
私たちの腹の底に手を突っ込むような強さを持っている。

あの高笑いが耳について離れない。
「これぞ熱い舞台」をほんとにありがとう。
ふくふくやの皆さん、私の心のおひねり、受け取っておくんなせえやし!
オマエの時間くれよ

オマエの時間くれよ

劇団フルタ丸

シアター711(東京都)

2012/05/11 (金) ~ 2012/05/15 (火)公演終了

満足度★★★★

公開ゲネを観た
時間を売買出来る法律が出来て10年、今度は政府がそれを禁止した。
時間を買うとどうなるのか、時間を売ったらどうなるのか。
未来の話はいつの間にか、現代の私たちの話になっていた・・・。

ネタバレBOX

公園の遊具を作る小さな会社に市役所の担当を名乗る女性が現れる。
謎の物体をとにかく作って欲しいと、パーツの描かれた絵の一部を持ちこむ。
少しずつ作られるパーツを最後に組み立てると・・・。

時間を買った女は21歳、時間を売った女は48歳。
二人は同級生だ。
そこへ昔の男が現れる・・・。

本来誰もが平等に持っているはずの時間を売買するとどうなるのか。
それをリアルに見せてくれるのが面白い。

自分の時間を売ったマリエには、ある理由があったのだが
この時マリエを演じる政木ゆかさんの目に涙が光って一気に惹き込まれた。
こういう中年女の事情を丁寧に見せると、荒唐無稽な設定が説得力を持つ。
時間は「若さ」であり、「寿命」であり、台詞にもあったように「金」でもある。
それを売り買いして得たもので、人は幸せになれるのかと問いかけてくる。

舞台は複数のエピソードが平行して語られ、その都度暗転して場面が変わるのだが
オムニバスみたいにひとつずつまとめて、最後に全てがつながる
という展開でも良かったかもしれない。
それぞれのエピソードが内容的に充実しているので。

どのエピソードにもきらりと光る台詞があって心に残る。
遊具の会社の女性が、自分がここで働く理由を語るところ。
昔の男が自分の時間を1秒だけ残してくれたら、後は全て売ってもいい
と言うところ。
そしてダンサーの女性が時間を買うか買わないかを決心するところ。

いい言葉だなあ、と思う台詞がいくつもあって
フルタさんの気持ちが伝わってくる。
私にこんな時間をくれて、こちらこそありがとう。
東京バンビ『他人の確率』御来場ありがとうございました!次回は10月!お待ちしております!

東京バンビ『他人の確率』御来場ありがとうございました!次回は10月!お待ちしております!

元東京バンビ

OFF OFFシアター(東京都)

2012/05/04 (金) ~ 2012/05/15 (火)公演終了

満足度★★★★

家族の定義
ふざけてはしゃいで、でも結構深いことを突き付けて来る東京バンビ。
台詞でもう一歩踏み込んで欲しかった気もするが
血のつながりに頼らない家族を作ろうとする人々が温かい。

ネタバレBOX

家族って何だろう。
血のつながりか、同居する人か、一緒にいたい人か。
ゲイという、社会においてマイナーな存在の人々が
普通とは違うやり方で家族を作ろうとする姿が優しい。

登場する“変な人”へのなりきりぶりが徹底していて面白い。
悪気はないが挙動不審な人々がお節介で人と関わりたがる。
人間関係に疲れたり上手く行かなかったりしたはずなのに
それでも誰かと関わらずには暮らせないゲストハウスにやって来るという設定が生きる。

父にも、父を取り巻く人々にも嫌悪感を抱いていた息子が
次第に自分の本当の気持ちに気付き、わからないなりに認めていく過程がいい。

息子役のアダチヒロキさん、振れ幅の大きい人々の中で
普通の人の戸惑いが自然に出ていて、両者の違いが鮮やかになった。

バイトの青年を演じた佐野バビ市さん、
ミルクホールではいつもファンサービスに徹して女装することが多いが
今回は化粧も美脚も封印して男役(?)、安定感があってとても良かった。
身体は華奢だけど男っぽい人なのだろう、台詞や表情にメリハリがあって
男100%の役も上手いなあと改めて感じた。

思い切った設定とバラエティに富んだキャラがとても面白いのだが
個人的にはもう少し踏み込んだ台詞が欲しい気がした。
肝心な議論を「もういい!」で片付けずにリアルでは言えないことを
言わせて欲しかったと思う。
亡くなったオーナーの「家族になろう」という言葉はとても素敵だし
それを信じてつながった人々の気持ちも暮らしも前向きだ。
そのことを息子に伝えるために、もっと言葉を尽くしても良かったのではないか。

「自分ではない誰かと一緒にいることを他人の確率100%とするか否か」
作・演出の稲葉信隆さんが言うとおり、それを選択するのは私たち自身だ。
一緒にいる確率の高い他人──それも大切な家族と言えるかもしれない。





翔べ!原子力ロボむつ

翔べ!原子力ロボむつ

渡辺源四郎商店

ザ・スズナリ(東京都)

2012/05/03 (木) ~ 2012/05/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

演劇の力
大好きななべげんの舞台、それもこのタイトル。
興味津々で出かけるとスズナリはぎっしり、
次々と補助席が設けられる盛況ぶりで年代層も幅広い。
設定の妙と完成度の高い役者陣の演技に
面白うてやがて哀しき日本の行く末を深く考えさせる素晴らしい舞台だった。

ネタバレBOX

原発を想像させるシンプルなセット、ジャージかスポーツウェアの衣装。
衣装らしい衣装はロボット1号2号の二人だけだ。

高レベル放射性廃棄物の最終処分場を町に誘致する、と決めた36歳の若き町長。
物語は、100年後の状態を見届けるために自ら冷凍睡眠を申し出た町長エイスケが、
ついに解凍され、予定より長い1000年の眠りから目覚めたところから始まる。

畑澤さんが提示するのはひとつの「日本の未来像」だ。
荒唐無稽な話がリアリティを持って迫ってくるのは
“ありそうなこと”だからに他ならない。
政治家や企業が言いそうな、やらかしそうなことが起こり、
マジでこれに近いことが起きるんじゃないかと思わせる世界観がある。

畑澤組の出演者はいつも完成度が高いけれど、
今回の台詞の間といいタイミングといい抜群の冴え。
中でもロボット1号2号のコンビは素晴らしい存在感を見せた。
その完璧な台詞のハモリは、始め音声をデジタル処理しているのかと思ったほどだ。

タイトルにある「原子力ロボむつ」の哀しみは、人類の失敗を象徴している。
宮崎駿のアニメに出てくる「巨神兵」のようなイメージを想像したが
この「むつ」とロボット1号2号が、皮肉なことに
エイスケを最後まで支え、人類の失敗と闘う原動力となる。

設定が可笑しくて、登場人物が名乗りを上げる度に客席から笑いが起こる。
それに津軽弁。
この温かくユーモラスな響きが、時に問題を地方に丸投げしている東京に鋭い疑問を突き付ける。
方言の使い方が上手いなあと思う。
全体をほんわり見せて、こちらが油断したところを棘でちくっと刺してくる感じ。

ロボット1号2号の機械的な台詞に感情が乗って来るあたりが巧みで
この二人、若いのに凄い役者さんだと思う。
1号2号が狂言回し的な役割を担ったのも功を奏している。

私は”ぷよぷよ”の北魚昭次郎さんが(特にその声と腹が)好きだが、
善人も癖のある人もまるで地であるかのように深く演じるところが魅力的だ。

エイスケ役の山田百次さん、素朴だが使命感溢れる男の
孤独と情熱を力まずに演じていて素晴らしい。
ロボむつとエイスケは表裏一体なのではないかと言う気がする。

畑澤さん、あなたが青森から発信し、東京で訴えかけるこの芝居に
小難しい理屈や声高な主義主張はない。
でもたくさん笑ったあとでこんなに泣けるのはなぜなんだろう?
孤独なエイスケの最後の記憶が幸せなものであったことが唯一の救いだ。
これでいいのか?
いいわけないだろ?
その率直な問いかけに、観る者は立ち止まって考えざるを得ない。
演劇の力とはこういうものなのだと、改めて強く意識した舞台だった。
FIRELIGHT

FIRELIGHT

たすいち

吉祥寺シアター(東京都)

2012/04/27 (金) ~ 2012/04/30 (月)公演終了

満足度★★★★

幻覚の美しさが光る
主催の目崎剛が「娯楽、エンターテイメントを提供したい」と言う通り
舞台から飛んでくる直球が心地よく、演出のセンスの良さもあって楽しかった。
キャラの立った出演者の熱演と設定のアイデアが光る舞台だった。

ネタバレBOX

3年前の大火事で家族を失った人々が肩を寄せ合うように暮らしているスラム街。
このスラム街に、「マッチ売りの少女」が出没する。
彼女が売っているのはマッチタイプのクスリ「FIRE LIGHT」だ。
見たいものが幻覚となって現われるという心の麻薬で、連日大勢の客が来る。

火事の原因は放火だったのか、犯人は誰か?
一体誰が「FIRE LIGHT」を作ったのか?
記憶喪失の少女は何を知っているのか、何を見たのか?
家族や恋人を喪った人々と、真相を追う警察がスラム街をぐるぐるめぐる。

空間を活かしたセットがストーリーを立体的に見せる。
アンサンブルも含めると総勢30人近くが舞台を出入りするのだが
上手下手の他、二階建セットに合計6か所くらいの出入口があって
場面の切り替えもスピーディーに行われる。

スラム街の人々のキャラクターが所謂典型的なタイプではあるが
それが気持ちよくはまっていて安定感がある。
それに対して警察メンバーの行動にイマイチ納得できないところもあった。
犯人を撃った男は逮捕されたのか?
警官としての職務はあれでいいのか? 等々も・・・。

ラスト、一気に謎が解ける場面でちょっと緊張感が途切れた。
火サスの崖のシーンじゃないけど引っ張り過ぎると終わりが締まらない。
それより、犯人の動機をもう少し丁寧に描いた方が納得できたと思う。
スラムの人々が魅力的なだけにそれを破壊するだけの理由づけがないと腑に落ちない。
ファンタジーの中で真実=人の心のありようを描くなら
真実がリアルな方がどちらも際立つのではないかという気がする。

しかしそういう「?」を蹴散らすだけのアイデアが随所にあった。
見たいものを幻覚として見せるクスリ「FIRE LIGHT」という発想が光る。
幻覚の場面の演出も秀逸、シンプルながら儚くて哀しくてとても良かった。
効果音や劇中の音楽もセンスの良さを感じさせる。

あの客入れの時の歌、すごくいいですね。
あれは誰が歌っているのか知りたいと思った。
淋しいマグネット

淋しいマグネット

ワタナベエンターテインメント

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2012/04/08 (日) ~ 2012/04/28 (土)公演終了

満足度★★★

White
「淋しいマグネット」Whiteを観た。
美しいセットの中で4人の少年の成長と残酷な言葉、
そしてそれがもたらす悲劇・・・。
結果を受け止めるには余りに辛すぎるのか、若すぎるのか・・・。

ネタバレBOX

海を見下ろす崖。
切り抜いたような青空が見える。
荒い波の音が聞こえる。
このセットが美しい。

ここで出合った4人の少年が共に成長し、バンド仲間となる。
その中の1人がこの崖から身を躍らせて消える、という事件が起こる・・・。
その原因の一端は自分にあると3人の誰もが思いながら大人になっていく。

舞台は、9歳で出会った4人の少年たちの無邪気な時代と
19歳で、少年の独占欲や孤立、残酷な言葉によって1人が欠けた時の衝撃、
そして29歳になった彼らがあの事件をどう受け止めているかが描かれる。
3つの時代が交差する合間に、消えた少年リューベンが遺した
ファンタジーと呼ぶにはあまりに痛切な叫びを持った物語が繰り広げられる。

リューベンの物語は苦しい本心であり、切ない願いでもある。
”愛し合っているのにNとSが反発し合って一緒にいられない
”磁石=マグネットは、自分で自分を壊せば一緒にいられると考える・・・。
誰かと一緒にいるためには自分自身を壊すしかない、という
このマグネットが最後に下した決断を、リューベン自らも辿ることになる。

屈託のない9歳の少年を演じる時の方が不思議と無理が無いように見えた。
友人の死を引きずって生きるという“負の青春”を言葉にのせ切れなかったのか
再会した3人はずっと同じトーン、同じパターンで会話している。
最後にシオンが作った機械が動き出したとき
多分3人の心が堰を切ったように溢れ出すはずなのだろうけれど
「あれ?おしまい?」と唐突に終わってしまった感があるのは
そこへ辿り着くまでの葛藤が聴こえてこないから。

一番呑気に見えたシオンが、実は誰よりも壊れているのではないか、
トオルも自分を壊したくて、敢えてシオンを裏切り続けているのではないか、
ゴンゾだけが、後悔の気持ちに押しつぶされ、それをみっともなく晒しながら生きている、
誰よりもリューベンの近くにいようとして・・・。
それら全てが吹き出すように伝わってくるのを期待したのだがちょっと残念だった。

スコットランドの作家による原作は、乱暴な若さ故の悲劇を等身大で見せる
とても良い脚本だと思うが、消化しきれていない感じがした。
劇中のダンスが素晴らしく、マグネットをはじめとする「モノたち」の
失敗と哀しみが伝わってきた。

スコットランドの洗練されない町の泥臭さが似あわないほど
イケメンBOYSたちはスマートですっきりした若者であった。
演じる彼らが、ラストで一気に解放されて花びらの中で号泣するような
そんな芝居を見せてくれる日を心待ちにしている。



















俺以上の無駄はない

俺以上の無駄はない

MCR

駅前劇場(東京都)

2012/04/12 (木) ~ 2012/04/17 (火)公演終了

満足度★★★★★

クズ野郎、好き
このタイトルで、自称「クズ野郎」の芝居とくればこれは観たい。
そう思った時点でもうやられてる・・・。
台詞が時代の空気を感じさせるから、軽い笑いでいなすのかと思いきや
役者陣の充実ぶりと、実は鋭い痛みを伴う展開に
最後はなんだか泣けてしまった。

ネタバレBOX

長椅子のほかに2、3個の椅子が置かれた部屋。
色とりどりの立体的な窓枠が壁一面に取り付けられている。
この部屋が、主人公櫻井と姉の住む部屋になったり
倒れた姉のかかりつけの病院になったり、
「不幸の泉に顔をつける会」というよくわからない会の集会場所になったりする。
短い暗転と小さな照明の変化でテンポ良く場面が切り替わる。

姉弟のバトルがマジで激しいので、この二人が抱える問題の深刻さが浮き彫りになる。
まるで共依存のように、互いを必要とし思いやり、そして面倒くさがっている。
櫻井智也さんの巻き舌罵倒は定番(?)として
巨漢の姉の石澤美和さんもすごい存在感でスキのないキレっぷり。
これがのちに脳腫瘍のために現われたもう一人の“人格の良い美和”に入れ替わるとき
絶大な効果を生んで素晴らしく可笑しいのだ。

力業のような展開を見事なまでにリアルに見せるのは役者陣のなりきりぶりの凄さだ。
2つの人格が激しく入れ替わる姉や、大好きな親友の為に自分を投げ出す男、
あからさまに姉に下りる金目当てにやってくるへらへらした元夫、
みんな振れ幅の大きい役なのに、必然的にそうせざるを得ない人間として
説得力のある存在に見せる。
怒号飛び交う中でただひとり、怒鳴りもせず笑いながら当然のように
金目当てでやって来る元夫を演じた小西耕一さん、
クズ野郎とはこの男のことだろうという役を
「こうなって当然」と思わせるほど憎たらしく演じて秀逸。

「不幸の泉に顔をつける会」や、姉の人格が割れるアイデアに
櫻井智也の素晴らしさを感じる。
人の心臓をつかみ出して見せるような、深層心理を容赦なく晒すところ。
どうして彼はいつも疲れているのかと聞かれた“良い人格の姉”は答える。
「智也は人よりちゃんとしなくちゃ、と思い過ぎるから疲れるのよ」
こういう台詞がいいんだよなあ。
私たちが理由もなく言いようのない疲れを感じることをちゃんと分析している。

巻き舌で罵倒しながら、疲れた櫻井はいつも「どうでもいいよ」とつぶやいていた。
しかし最後に決断を下す時には「どうでもいいことなんて無いんだよ!」と叫んだ。
そう、どうでもいいことなんてひとつもない。
全てのものは、決断し選択されることを待っている。
私たちは疲れたと言わず、嬉々として選択しよう。
今日のように熱い舞台を選択すれば、終わって暗転した途端
「ちきしょう、めちゃくちゃ面白いじゃないか!」と泣けるのだから。
FOXTROT

FOXTROT

Project ONE&ONLY

小劇場 楽園(東京都)

2012/04/11 (水) ~ 2012/04/15 (日)公演終了

満足度★★★

魅力的なキーワードと小道具
“fox-trot”には3つの意味があるという。
①八重咲きのチューリップの一品種。
②2人で踊るダンスのステップの名前。
③乗馬用語で、なみあし(Walk)からはやあし(Trot)に変わる時の小走りの歩調。
物語はこの3つのエピソードをめぐる指輪の旅を追って行くのだが、
この魅力的なキーワードと小道具を活かしきれなかったのちょっとが残念。



ネタバレBOX

正方形に近い舞台には中央にこんもり砂場のようなアイランド。
そこに続くあぜ道のようなくねくねした道も砂で出来ている。
天井から吊るされた細い流木のような木が揺れる。
この流木が縦に長くなるとそこは山深い森になる。
波の音がして、今はここが砂浜だということが分かる。

照明でがらりと変化するセットがシンプルで素敵だし、
二手に分かれた客席の間を通って役者が出入りするのも空間を活かしていて面白い。
このセットが、効果音ひとつで海になり、砂場になり、山奥になる。

「FOXTROT」というキーワードが持つ意味の多様性がまず面白い。
それを上手く活かしたエピソードが指輪でつながって行くアイデアも良い。
セットもセンスがあって素敵だと思う。
だけどどうも共感しきれないまま終わってしまった感じがするのは何故だろう。
最後まで、もっとストレートに言って欲しいと思いながら観ていた。
一度だけ、津波警報のような激しいサイレンが鳴った時
これで全てが明らかになるのか、と期待したが
やはり観客の想像力に任された感じで、何となく判然としなかった。

東北を思わせる「何かで壊滅的な打撃を受けた町」、
「自分が放してやった馬」を探しに危険なエリアへ入って行く男、
砂山を作っては壊す少女、
どれもイメージを漠然と伝えてくるがはっきりとはわからない。
一番分かりやすそうな元ダンスのパートナーの男も
突然「ここで待っててくれ」と言い残していなくなるのは何故?
馬を探しに来た男と出会ったもう一人の男は誰?
あの少女は死者のイメージ?

打撃を受けた町で、ひとつの指輪が傷ついた人々の手に渡るたびに
ささやかな奇跡が起こり、小さな幸せが灯る・・・。
というストーリーでは、分かり易いだけの平凡な話になってダメなのかな。
でもせっかく奇跡が起こって砂浜にチューリップが咲いても
何だか誰にも感情移入できないままではどうも残念。
他の人は作品をもっと理解出来たのかもしれないけれど・・・。
設定と小道具が凝っているだけに、それを十分活かしきれていない感じがした。

震災の被災地を思わせる設定ながら、それをぼかし過ぎたかもしれない。
あの現実を突き付けられた今となっては
今さらぼかしたり控えめにしたりしても、反ってもどかしさを覚える。

「立ち上がることができたら歩いてみる
歩くことができたら駆け出してみる
ほんの少しだけ、早足で・・・」

という台詞に、打ちのめされた人を思いやる気持ちがにじんでいて印象的だった。
この温かい言葉には救われた気がする。
それと、犬役の女優さんの強い視線がとても良かった。
ばばあめし

ばばあめし

cineman

ワーサルシアター(東京都)

2012/04/04 (水) ~ 2012/04/08 (日)公演終了

満足度★★★★

魅力的な店主
「ごはん食べて行きませんか」という尚子の声がまだ聴こえる。
上手く言えない、上手く行かない人生の苦さと温もりを感じさせる舞台。
素朴な日常と再生の物語は饒舌過ぎず、ほろりとさせられた。

ネタバレBOX

登場人物の会話が硬質な印象を受けたのは
尚子の話し方が端正なためだろう。
家族なのに距離のある話し方に最初少し違和感を覚えたが、
やがてそれがそのまま人間関係の距離感だと判る。
母と異母姉弟、住み込みの女性、そこへやって来る人々。
皆どこか力を抜けないまま時にぶっきらぼうに、
あるいはことさら一生懸命にしゃべったりする。

「ごはん食べて行きませんか」
「食べられない物はありますか」
初対面の人にも丁寧に問うて、食事の支度をする尚子は何と魅力的なことだろう。
よその家のお母さんから、こんなことを言われなくなって久しい。
弱くなったり壊れかけたりした人間関係を尚子はきっちり受け止める。
誰もが彼女のごはんを食べて、人生をリセットして行く。
尚子役の眞田恵津子さん、声も振舞いも尚子そのまま端正で素晴らしい。
後半脳梗塞で倒れて半身が少し不自由になってもなお、その居住まいは変わらない。

犬のハジメが観ている私たちの代弁者のように、ツッコミを入れるのが可笑しい。
このハジメに対しては誰もが素直に接して来て、彼は全てをお見通し。
ハジメ役の石蔦弘忠さんは、人々の会話に入れないのに敏感に呼応する犬を
抜群のタイミングで演じる。
そう言えば顔も犬っぽいか・・・。

平凡なだけが日常ではない。
出会ったり別れたり、生まれたり死んだり、壊れたり修復したり・・・。
日常は多くを内包し、しかも簡単に失われたりはしないのだ。
この一家を見るとそれが感じられる。
最初2つだった食卓の椅子が、最後は4つになった。
尚子と子音、守、そしていなくなったけど(いつか戻ってくるかもしれない)葵の存在。
全部見届けて15歳の老犬ハジメが静かに眠っている・・・。
このラストがまた淡々として良かった。

ハジメの使い方次第ではコメディにもなりがちな設定だが、台詞も演出も控えめで上品。
このバランスのおかげで、誰もが持っている
「上手く言えない、上手く行かない」日常のほろ苦さがリアルになった。
その結果ちょっとくらい失敗しても、日常は再生するのだということに説得力が生まれた。

鬼界ヶ森

鬼界ヶ森

劇団め組

吉祥寺シアター(東京都)

2012/03/29 (木) ~ 2012/04/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

黒沢映画のテイストもあり
時代劇ファンの私としてはとても楽しみに出かけた。
あの“毎日が死に近い”緊張感が好きだ。
印象に残る美しい衣装と立ち姿、効果的な音楽と映像美のような照明、
そして忘れ難いいくつもの台詞。
フライヤーのイメージ通りの美しさ。
黒沢映画のテイストも感じさせる素晴らしい舞台だった。

ネタバレBOX

吉祥寺シアターの奥行きある舞台の、さらに奥にある巨大な扉が開くと
そこには階段があり、異界への“きざはし”となっている。
細長い行燈のような照明が二本、天井から吊り下げられていて
少し薄暗い舞台が時代劇らしい雰囲気に包まれている。

鬼退治のため森へ入って行く一行の面々が魅力的だ。
虚空役の新宮乙矢さん、過酷な運命の果てに
虚無的な人生を送る孤独感が漂っていた。
立ち回りの際に足元が揺るがないところが素晴らしい。
武蔵役の藤原習作さん、落ちぶれた城主だが
かつての家臣を引き連れて歩き、人を惹きつけ包み込む温かさを持つ男が魅力的だった。
出家した道雪役の秋本一樹さん、潔く内省的な人柄がにじんでいて
武蔵と共に、虚空の心と人生を変える言葉に説得力があった。

そして鬼の正体、淀殿の生霊を演じた高橋沙織さん、
登場した時から圧倒的な存在感。
家康の豊臣家に対する仕打ちを恨むあまり生霊となって
関ヶ原の戦いで死んだ者達を呼び寄せ、さらに仲間を募る為に
男たちをさらって心を操り、支配下に置いていたのだった・・・。
一時は時代を動かし、その後時代に置き去りにされた女の口惜しさが
きれいな立ち姿と緋色の袴で槍を構える全身から立ち上るようだ。

ダイナミックな日本映画を観るようなこの舞台は
何と言っても台詞の素晴らしさだろう。
淀殿の生霊が虚空の剣に刺し貫かれるとき
「わらわは、母上のようにはならぬ」と叫ぶ、あの悲壮な声が忘れられない。
「人の心は操れぬ」という虚空の言葉も。
凝縮された無駄のない台詞が全体を引き締めていてあっという間の2時間弱だった。

ちょっと残念に感じたのは、村の女性たちの台詞が少しすべって聴こえたこと。
時代劇の台詞は返事一つでも現代劇とは違う。
着物を着たホームドラマならそれでもよいが、
ここまで丁寧に作り込んだ舞台となると男性陣の台詞の重みとの差が目立つ。
元々武家の女たちなのだから、もっと落ち着いて喋っても良かったような気がする。

階段の最上段に細川ガラシャの鬼を横たえた時と、淀殿を横たえた時の
照明とスモークの演出がとても幻想的で、
かつ自然に成仏した感じが伝わって感動的。
般若の面をつけてしゃべる時のスピーカーから聴こえる声や、
音楽の音量が程良く個人的にとても快適だった。

ラストが浪人二人の後ろ姿に見送る僧という、まるで黒沢映画のような
ちょっとユーモラスで明るい幕切れと言うのもよかったなあ。
再/生

再/生

東京デスロック

富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ(埼玉県)

2012/03/24 (土) ~ 2012/03/25 (日)公演終了

満足度★★★★

だんだんわかってくること
白いスクリーンのほか、何のセットも無い空間。
やがて1人の女性が客席の方から登場。
彼女が“幸せ”について短く語ったあと、録音されたその声が繰り返し流れる。
彼女に続いて5人の役者が登場、合計6人による「再/生」が繰り広げられる。
まるで「再生ボタン」を押し続けるように正確なくり返し・・・。

ネタバレBOX

日常生活を表すような淡々とした無対象の動き。
ハンドルを握ったり、テーブルを拭いたりするような動きが繰り返される。
サザンオールスターズの「TUNAMI」やビートルズが流れ、
曲が頭に戻って繰り返されると人々もまた同じ動きを始める。
人々はすれ違い、交差し、営々といとなまれる日常が繰り返されていく。

曲が変わって次第に動きが激しくなる中、人々は不意にバタン!と倒れる。
それはまるで力尽きて二度と起き上がらないかのように見える。
だがまた起き上がって続きを始める。
憑かれたように腕を振り回し、五体投地のように倒れ込み、激しく足を踏み鳴らす。
やがて音楽が止み、汗だくの人々は倒れ込んで激しく息を弾ませている。
しばらくして 起き上がってまた客席の奥へと向かって歩き出して終わる・・・。

この動きの合間に7月からのツアーの様子がリアルに語られる。
横浜、京都、袋井、ソウル、福岡、北九州、青森と、
それぞれの土地での印象や
ひとつ終わった安堵感がにじむ劇団員のリラックスした会話が再現されて思わず笑ってしまう。

説明するとこんな文章になるが、とにかく身体表現の雄弁さに圧倒される。
激しさを増しても、動きは常に同じ腕の高さ、角度、勢いを保っている。
「言葉」に頼らない表現は「言葉」の制限を持たない分自由に広がる。
身体はその最強のツールであり、
役者はそのツールを最大限に活かそうとする。
アフタートークで多田さんが語ったところによると、あのくり返される動きは
「アドリブで動いたあと、それを正確に再生している」とのこと。
何度も同じ動きをくり返すうちに、だんだんと
良い意味での慣れと安定感が生まれるのがわかる。

曲が頭に戻ると一瞬うんざりした表情を浮かべつつ、
手を抜かずにまた動き始める姿に
前に進むしかない私たちの人生を垣間見る思いがする。
そして時折静かに前へ歩み出て立ち止まり、
はるか彼方へ視線を投げかけている。
後悔か、不安か、疑問か、誰もみな幸せを求めているはずなのに
その顔はあまり幸せそうに見えない。
切羽つまったようなその表情をみていると、何だか涙がにじんで来た。

くり返される日常の中に、時に大波小波が訪れ、
私たちは翻弄され流されながら暮らしている。
その素朴な幸せの手触りを確かめるのは皮肉にも
望まない力によって日常が分断された時だ。
何度も音を立てて倒れ込む人々の姿にその衝撃と絶望が重なる。
今度は立ち上がれないだろうと思っていると、また立ち上がるのだ。
それはまるでゾンビのようで、たくましさと同時にしかし痛々しさも感じさせる。
私たちの暮らしはまさにこんな風に「再生」と「/(分断)」のくり返しだ。
そしてこの日常が暴力的に損なわれることを
私たちは今、ひどく怖れている。

多田さんが
「ツアー中、東と西とでは震災の受け止め方に違いを感じた」と言っていたが
そうした地域性や風土をも、ライブで演劇の中に取り込む手法に
ダイナミックさを感じる。

私の好きな夏目慎也さんが今回もまた修行のように肉体を酷使していた。
お疲れ様でした、夏目さん。
「再/生」は、役者の痩せるようなストイックさで出来ている。

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