うさぎライターの観てきた!クチコミ一覧

1-20件 / 494件中
病んだらおいで

病んだらおいで

ソラトビヨリst.

新宿シアターモリエール(東京都)

2012/07/26 (木) ~ 2012/07/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

病んでる時代
“異色セラピストコメディ”とうたっているが、個々のエピソードにホロリとくる。
出演者も多いがよく整理された構成と充実の劇中劇がテンポよく進み、
終わってみれば「私も行きたいクリニック」であった。

ネタバレBOX

内海心理治療クリニックは、飲み屋街の一角、
元スナックだった所に開業したクリニックだ。
カラオケステージやミラーボールがそのまま残っている。
内海年也(濱仲太)は、押さえ込まれた自分を開放するため、患者に演劇療法を施す。
ここへ、ヤクザの親分と舎弟、看護師、役者、数学の教師、女子プロレスの選手など
超個性的な面々が救いを求めてやってくる。

内海先生が当て書きする台本通りにセリフを言ううち、次第に素の自分が顔を出す。
堪え切れずに溜め込んでいたものを吐き出し、自分をさらけ出すようになる。
この過程がとても面白い。
コメディを面白くするのはマジなキャラと意外なバックグラウンドなのだと痛感する。

女子プロレスの赤マムシ三太夫(五十里直子)やリストラされた尾久(田口勝久)の
切羽詰った告白には思わず泣きそうになってしまった。
国会議員(中山英樹)の横柄な態度が素晴らしく板についていると思ったら
ゲイだったとわかって、それを隠そうともしないところがまた面白かった。
このクリニックは元スナックだった場所だが、
集まった中でも突出して愛想よくチャラい感じの男(濱崎元気)の
「実はここで店を経営していたのは自分で、破産して店も家族も失った」
という告白は、本当に切ない。
ヤクザの親分(二川剛久)と舎弟(原ゆうや)のストーリーには、
このエピソードで1本芝居が出来そうな重みと悲しみがある。

笑いながらも共感できるのは、一つひとつのエピソードが現実的なこと、
劇中劇が充実していて単なる再現ドラマに終わっていないことがあると思う。
参加者一人ひとりにスポットを当てるなど、照明もわかりやすくよかった。

全体を束ねる内海先生は常に「大丈夫です、やってみましょう」と励ましてくれる。
誠実さと温かさが伝わって来てとても心強い先生だ。
超個性的な相談者をまとめていく説得力とオーラがあって、観ている私にも安心感を与えてくれる。
彼自身も心に傷があり、それを忘れずにここでクリニックをやっている、
単なる熱血医師ではないという設定が良い。
ラスト、みんなでボールを回して最後に死んだ少女が持ったところで
じいんときてしまった。

「精神」という言葉の中には「神」がいる。
この神様は脆く繊細な神様で、この神を守るために私たちは闘っているのだという。
守りきれなくなったときに駆け込むのが、こんなクリニックであればいいな。
疲れた夜、だけどこのまま家に帰るのは辛い夜、ここへ来たら少し上向きになるような気がする。
今日、セラピーを受けたのは、実は私の方だったのかもしれない。
Turning Point 【分岐点】

Turning Point 【分岐点】

KAKUTA

ザ・スズナリ(東京都)

2012/02/23 (木) ~ 2012/03/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

KAKUTAの大切な場所
3人の脚本×3人の演出のリレー形式によるオムニバスという
この冒険が大成功していると思う。
メリハリがあり、同時に貫く芯のようなものがくっきりした。
ここには、劇団が分岐点に立った時常に立ち返る大切な場所が描かれている。
温かく、雑多な、居心地の良いその場所は、
「変わらないこと」、「変わり続けること」、この二つの根っこは同じなのかもしれないと思わせる。
KAKUTAを初めて観たが、これまでもすごい役者さん達とやって来て、これからもやっていくんだろうなあ、と私も分岐点の端っこで思ったのだ。

ネタバレBOX

いきなりショッキングな出だしで、女二人のクライムロードムービーみたいになるのかと思いきや、第一話の繊細な音響と照明にすっかり魅せられてしまった。
蝉、ひぐらし、とんびの声に、なんて素敵な夕焼けの色なんだろう。
第二話は何と言ってもキローランの高山奈央子さんでしょ。よくぞここまでという感じ。みなさん振り切れるとこまで演ってるから面白くないはずがない。
Gカップの海老原(桑原裕子)さん、いいキャラだなあ、好きなタイプ。
第三話で貴和子と絵里が本音をぶつけ合うところでは、何だかボロ泣きしてしまった。反発しながら離れられない、そしていつも傷つけ合う心の底をさらけ出すところ。
ギャグが打率100%、ひとつもスベッてない。これってすごくレベル高いことだと思う。
キツネの嫁入り

キツネの嫁入り

青☆組

こまばアゴラ劇場(東京都)

2012/05/25 (金) ~ 2012/06/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

めでたし
厳選された台詞と音響、極めて日本的な題材をモダンな空間で魅せる
素晴らしい舞台だった。
吉田小夏さん、凄い人だなあ。

ネタバレBOX

土俵のように少し高くなった白い八角形の舞台は、なだらかに裾が広がる。
和な感じの格子や行燈のような照明が天井から下がっている。

「むかーしむかし・・・」で始まり「めでたしめでたし」で終わる昔話。
それが未来に語られる昔話となれば、話はこの2012年から少し経った頃か。
一輪の花を手にした出演者が客席の間を通って舞台へと向かう。
とても静かな、しかし打楽器の響きと共に強烈な印象を残す出だしだ。
このオープニングで一気に、現実と幻想が入り混じった不思議な世界に惹き込まれる。

あることが起こってそれ以後女の子が生まれなくなった小さな島の物語だ。
島の反対側には危険なものがある“行ってはいけない場所”がある。
父親と二人の息子、それに甥っ子の4人が暮らす男所帯にキツネが嫁に来る。
長男の妻が亡くなって1年後、島の存続のためにもという
村長のたっての頼みもあり長男はキツネの嫁をもらう。
島の暮らしには湿り気のある古い日本の地方色が濃く出ていてとても懐かしい。
蝉の声、蜩の声、波の音など定番中の定番が、これ以外に考えられないほどハマる。

知的障害を持つ次男を演じた青年団の石松太一さんが素晴らしい。
ただ一人、純粋さを損なわずに大人になった人間として
素直に心情を吐露する人に、一分の隙もなくなりきっている。
後ろ向きの時でさえ、その表情が手に取るようにわかって
共鳴せずにいられない。

全体のテンポが、若い人の作品とは思えないほどゆったりしていて
厳選された台詞が際立つ。
あの会話の丁寧な間とタメは吉田小夏さんの作品に共通するものなのか、
若い世代には貴重な、自然な忍耐強さを感じる。
情報量を多く、ボリュームを上げて急いで喋る芝居が多い中で
これは「語り」のテンポとでも言えようか、言葉がひとりでに立ち上がるようだ。
その結果人物像がくっきりして、会話は静かでも緊張が途切れない。

ひとつの役を複数の役者が演じる場面が多いが、
とても上手くつながっているのは役者の力と構成の上手さかと思う。
現実と幻想、過去と現在が自在に交差する構成と
それに伴う人の出入りに工夫があって複雑なのにわかりやすかった。
被災地を思わせる表現の仕方にもセンスと女性らしい繊細な視点を感じる。

「めでたし、めでたし・・・」で終わるこの昔話、
終わってみればSFかホラーか寓話か、そしてとても哀しいおとぎ話だ。
今の私たちには協力してくれる心優しいキツネもなく
人間は愚かな行いの果て一直線に滅びて行くのだろうか。
それもまた「めでたし」なのかもしれない・・・。

骨唄

骨唄

トム・プロジェクト

あうるすぽっと(東京都)

2012/06/28 (木) ~ 2012/07/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

今も「骨唄」が聴こえる
再再演とのことだが、私はこれが初めての「骨唄」体験。
客席に着いた途端泣きたくなるような舞台美術が目に入る。
そこかしこに死者の気配が漂う千坊村があった。

ネタバレBOX

火をつければ勢いよく燃えそうな粗末な家。
火の見の為なのか、梯子で上がれる高いやぐらが家にくっついて組まれている。
舞台奥には裏山へ向かう道、手前には町と「エミューの里」と呼ばれる
町おこしの施設へ向かう道が舞台に沿って続いている。
そして無数の白いかざぐるまが時折軽い音と共に一斉に回る・・・。

もう二度とここへは帰らないつもりでいた故郷へ
薫(冨樫真)が18年ぶりに帰って来たところから物語は始まる。
18年前、母の葬儀の日にある事故が元で妹の栞(新妻聖子)は左耳の聴力を失った。
薫はずっとその責任を感じながら生きている。
母の死後、妹とは別々の親戚にひきとられて暮らしていたが
突然その妹が失踪したという連絡を受け、彼女を探しに故郷へ足を踏み入れたのだった。

頑固でわがままで母親を大事にしなかった父(高橋長英)を、薫はずっと嫌っている。
死んだ人の骨に細工をほどこして身近に置くという風習も、
その細工をする職人である父も、薫には受け容れ難いものだ。

父との再会は、逃げ出したエミュー(ダチョウのようなオーストラリア産の大型の鳥)を
捕まえようとするバタバタの中で意外とあっさり果たされる。
この再会がべたべたウジウジしなくて心地よい。
妹を治すという共通の目的をはさんで、確執のあった親子は次第にほぐれて行く。
それと反比例するように栞の病状は悪化の一途をたどり、彼女を奇妙な行動へと駆り立てる。

3人を結びつけるのは「かざぐるま作り」だ。
不器用な薫が次第に腕を上げて、昔駅員がリズミカルにはさみを鳴らしたように
小ぶりのトンカチでリズムをとりながら、1000個のかざぐるまを作ろうと励む。
1000個のかざぐるまが海に向かって一斉に回るとき
伝説の蜃気楼が現われて、1年中桜の花が舞う世界が見える。
そうすればどんな願い事も叶うのだと言う。
壊れて行く妹を、父と薫は守ろうと必死になるが・・・。

土地の風習とはノスタルジーだけではない、何か人を救済する力を持っている。
最後に3人のよりどころとなったのは、この切り捨てられようとする風習や伝説だった。

栞が唄う「骨唄」が美しく哀しい。
新妻聖子さん、繊細な演技とこの歌で冒頭から惹き込まれる。
何と透明感あふれる人だろう。

冨樫真さん、薫の骨太な感じ、父とのやり取りの可笑しさが
哀しいのにどこか土着の力強さを感じさせて素晴らしい。
メリハリのある演技が悲劇を予感させる舞台を明るくしている。

高橋長英さん、こういう父親の愛情表現もあるのかと思わせる。
ラスト、薫に向かって「俺より先に死ぬな」と言う時の温かさが心に沁みる。
残された父と娘が絆を取り戻したことが、観ている私たちを少し安心させる。

これが桟敷童子の舞台装置だそうだが、本当に素晴らしい。
栞の死の瞬間、バックに現われた無数のかざぐるまが一斉に回る。
死者を弔うかざぐるまが生きている者を救う瞬間だ。

不変のキャストで再演を重ねる理由が判る気がする。
このキャストで、また次を観てみたい。
舞台も役者もかざぐるまも回る、私の頭の中で今も回り続けている。
テラヤマ☆歌舞伎『無頼漢 -ならずもの-』

テラヤマ☆歌舞伎『無頼漢 -ならずもの-』

流山児★事務所

みらい座いけぶくろ(豊島公会堂)(東京都)

2013/11/21 (木) ~ 2013/12/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

水野忠邦 VS 河内山宗俊
社会派の中津留章仁さんが寺山修司の原作をどんな歌舞伎に書くのか期待していたが
“体制批判と庶民のうっぷん晴らし”という歌舞伎本来の表現に
時代を反映させて、見事な「平成の歌舞伎」になっていた。
改めて寺山修司という人の作品の力を感じる。
社会の底辺で生きる者に権力者の理想など机上の空論、
お江戸が炎上すれば政権交代、というのは江戸時代か、平成の世か?!

ネタバレBOX

江戸後期、老中水野忠邦の過激な改革のせいで庶民の暮らしは窮屈になる一方だ。
歌舞伎は取り締まられ、花火も禁止、女どもは商売が出来なくなった。
遊び人の直次郎(五島三四郎)は、世の中を変える芝居がしたいと役者を志願する男。
美しい花魁の三千歳(田川可奈美)と恋に落ち、
悪徳商人森田屋に身受けされそうな三千歳を守ろうとする。
三千歳は生き別れた母を探しており、人斬りになった兄を憂いていた。

一方、権力者水野(塩野谷正幸)の近くにいながら、
体制に批判的で“不良”オヤジの茶坊主河内山宗俊(山本亨)は
松江出雲守の妾にされそうな上州屋の一人娘を五百両で取り戻す事を請け合う。

お上に抗う歌舞伎者たちは河内山と共に出雲守の屋敷へ乗り込み、
上州屋の娘と、やはり餌食にされようとしている三千歳を救うため死闘を繰り広げる。
そしてついに江戸の町に火が放たれ、禁じられていた五尺玉の花火が上がる。
河内山は二人を救い出せるのか、三千歳の母親は、直次郎の恋の行方は…?

久しぶりに“暮れの12時間時代劇”を観たような気分。
時代劇の楽しさ満載でわくわくした。
強請集り(ゆすりたかり)で名を馳せた河内山宗俊の台詞もケレン味たっぷりで心地よく
悪い奴ながら庶民の味方をする男は山本亨さんにぴったり。
対する水野忠邦の端正なたたずまいは正統派時代劇風だ。
塩野谷さんの権力の頂点に君臨する侍ぶりが素晴らしい。
普通に脚立を担いで出てきた時は「電球でも取り換えるのか」と思ったが
するする登ると仁王立ちで演説、侍の所作も美しく、鍛えられた動きにほれぼれした。

直次郎役の五島三四郎さん、直情型の遊び人を粋な江戸っ子らしく演じとても良かった。
谷宗和さん、水野の不正を暴こうと一座に紛れて機会を狙う元武士の役で
「花札伝綺」に続いて拝見したが、とても“無頼”の似合う役者さんだと思う。

現代の問題を論理的に追及しつつエンタメに展開するというのが
中津留さんのスタイルだと思うが今回は逆だ。
エンタメの中に社会問題を巧みに織り込んだ感じ。
芝居がかった河内山の台詞など
歌舞伎ベースでありながら台詞が柔軟で随所に現代的な笑いもあった。

上妻宏光さんの三味線がもっと冴えるかと思ったが、歌声に埋もれてしまった感じ。
公演中1度でもライブで演奏したら、すごい音だろうと思うとちょっと残念。
衣装がチャチくなかったのも○。

時代劇ファンとしては、リアルでない歌舞伎っぽいチャンバラも
様式やお約束も、猥雑さも楽しかった。
それに何と言ってもあのエネルギー、体制に反発し束縛を憎む精神が息づいている。
オープニングを野外で行うという、いわば「河原でやっていた頃の芝居」の
再現を宣言するような始まり方も、原点へのオマージュを感じさせる。

あー、やっぱり悪漢が魅力的だと面白い。
この底辺の人間の怒りとパワー、最近調子こいてる
どこぞの腹イタぼんぼん宰相に見せつけてやりたいと思ったぜ。
ピカレスク・ホテル

ピカレスク・ホテル

ジェイ.クリップ

赤坂RED/THEATER(東京都)

2011/12/13 (火) ~ 2011/12/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

設定の妙が可笑しくて切ない
20年以上前のシリーズが復活したのだと言うが、シンプルなホテルの一室を舞台に男女の会話劇というのが何だか新鮮。90分の2本立てというのもコンパクトで丁度良い。1本目は「高校教師がデリヘルを頼んだら元教え子がやってきた」というストーリー。ラッパ屋のおかやまはじめさん、厳格な教師が別の面を素直にさらけ出すのが可笑しい。ハイバイに出ていた内田慈さんが、ここでは素朴そうに見えたマッサージ嬢が次第に主導権を握っていく過程を力まずに見せて素晴らしい。
2本目は「12年も付き合っていて結婚に踏み切れない女と男」の会話。長い付き合いの男女それぞれのこだわりどころとかみ合わない価値観が浮き彫りになってくる。
江口のりこさんのゆるいけど強情な女が上手い。ピアノの生演奏が会話を邪魔せず心地よい。息の合ったテンポの良い会話劇の楽しさを十分堪能させてくれるこのシリーズ、ぜひ続けて欲しいと思う。

秋の螢

秋の螢

(公財)可児市文化芸術振興財団

吉祥寺シアター(東京都)

2013/10/10 (木) ~ 2013/10/16 (水)公演終了

満足度★★★★★

鄭義信さんの台詞
“第一線で活躍する俳優・スタッフが岐阜県可児市に滞在しながら作品を制作、
可児市から全国に発信する質の高い作品を目指す“というプロジェクトの6作目。
最近毎月どこかしらでその作品がかかっているような鄭義信氏の作品。
彼の生みだす人々はどうしてこんなに弱くてさびしがり屋で温かいのだろう。
メリハリの効いた演出と充実の役者陣によって、生き生きとした人物像が立ち上がる。
その結末に、何だかほっとして涙が止まらない。

ネタバレBOX

タモツ(細見大輔)と修平(渡辺哲)は細々と貸しボート屋をして暮らしている。
タモツの父文平は21年前、兄の修平に幼い息子を預けて若い女と駆け落ちした。
穏やかな生活を乱したのは、失業して終日ボートに乗っていたサトシ(福本伸一)、
さらに周平を頼って突然やって来たお腹の大きいマスミ(小林綾子)。
そして以前からタモツにだけ見える死んだ父文平の幽霊(栗野史浩)が時折やって来る。
「戻ってくる」という父の言葉を信じて待ったのに裏切られたタモツは
「これからは家族だ、嘘はつかない」という周平の言葉を信じて一緒に暮らしてきた。
その周平に秘密があって、自分には何も知らされなかったということがショックだった。
タモツの心は乱れに乱れ、ついに「ここを出ていく」と告げる…。

舞台をきれいに半分に分け、上手部分はボート小屋外の板敷きになっている。
冒頭タモツがそこでホースで本物の水を撒き、盥の水をぶちまけたのでびっくりした。
下手は小屋の内部、今は客に食事を出さなくなって専ら二人のための食堂になっている。
この二つの空間がうまく区切られていて、小屋の壁と小さな窓を境に
登場人物の人に見せない内面や、他の人には見えない父の幽霊との会話等が展開する。

「家族だから嘘はつかない」と言われて必死にそれを信じ
周平と家族になろうとしてきた幼いタモツの心が健気で哀しい。
周平が初めて自分の過去を打ち明け、タモツに謝って言う言葉が
”家族”というものを明確に定義していて忘れられない。

「家族だから嘘をつかないというのは、本当は違う。
嘘をついても隠し事をしても、それを受け入れるのが家族なんだ」

血のつながりも理由もなく、ただ優しさと許して受け入れる気持ちだけで繋がる人々。
みなそれぞれ本当の家族となるべき人を失っている。
その人々が、吹き寄せられたボートのようにこの岸に流れ着いて
肩を寄せ合って暮らしていくのだというラストにほっとして素直に安心する。

タモツ役の細見大輔さん、幽霊の父につっけんどんな態度をしながらも
30歳の誕生日に(幽霊が!)買って来てくれたシュークリームを
泣きながら食べるところが秀逸。
傷ついた分、必死に周平を信じてきた純粋な少年が
どこか幼さをまとった頑なな青年に成長した、その姿がとても自然。

幽霊の父親文平を演じた栗野史浩さん、白いスーツに身を包み軽快に出て来て
いつもタモツに「早くあっちの世界に帰れ!」と言われながらも
息子が気になって仕方ない様が、可笑しくて哀しい。
終盤、最高にカッコよく「じゃあな」と言って別れたのに
ラスト、また出て来てタモツに呆れられたのには笑ってしまった。
栗野さんの華やかな容姿となめらかな台詞、それに派手な衣装で
厳しい状況にある人々の話が一気に明るくなる。

この舞台は、厳しい現実とそれを笑い飛ばす人の底力のバランスが素晴らしい。
鄭義信さんによる、ベタなようで繊細なキャラが吐きだす台詞は
人の心の本質を突いていて真に迫る。
うまくいかない人生なら毎日見聞きしている。
たくさん辛い目に遭って、でも優しい人に出会うこともあって
人生は悪いことばかりじゃないということを
こうして舞台で、リアルなキャラクターが豊かな台詞で体現してくれると
何だかほっとして、私も大丈夫なのだと思えてくるから不思議だなあ。
火宅の後

火宅の後

猫の会

「劇」小劇場(東京都)

2014/10/22 (水) ~ 2014/10/26 (日)公演終了

満足度★★★★★

無頼でなければ面白くない
作家檀一雄をモデルにした“昭和無頼派評伝劇”とのことだが、まさにそれだった。
自分を切り売りするような作品しか書けない作家の苦しみ、
彼を取り巻く編集者や家族の思いと葛藤が鮮やかに描き出される。
時空を超えたかのような謎の男を狂言回しのようにも使った演出も面白い。
斜めに傾いた丸い居間、そこに敷き詰められた白い砂の感触が
観ている私の足裏にさらさらと伝わってくる不思議。
作家役、謎の狂言回し役、太宰治役の3人が強烈な印象を残す。
作品も人生も、“無頼でなければ面白くない”と思わせる説得力が素晴らしい。

ネタバレBOX

舞台中央に作られた居間は円形、手前に向かって傾斜しているのは目の錯覚?
と思ってよく見るとやはり傾斜している。
開演後まもなく、絨毯のように見えた床が
実はさらさらとした砂のようなものらしいことが判る。
歩くと足跡がつき、縁側に見立てた淵から立ち上がればそこから砂がこぼれる。
この不思議な空間で、女と別れて戻ってきた作家、その妻、息子、作家志望の書生、
編集者たちが、ある時は攻防を繰り広げ、ある時は理解し受け入れ合う。

作家の死後、編集者が残された妻に思い出話を聞きに通っている、という設定で始まり
過去に遡って当時を再現、再び現在に戻って冒頭と同じ会話を交わして終わる。
同じ台詞が、最初と最後ではまるで違ったニュアンスに聞こえる…。
“遠くて近い妻”が見てきた作家が浮かび上がる、この構成が効いている。

無頼派の作家篠井五郎を演じる高田裕司さんが素晴らしい。
悪びれもせず放蕩を繰り返しながら平然とまた帰ってくる男、息子には良き父親で、
時には料理をふるまって編集者をも魅了し、人の才能をいち早く見出してはそれを怖れ、
自分の人生を切り売りしながら血の出るような作品を書く男。
すっきりとした立ち振る舞いや豪放磊落な物言いが、
無頼派らしく枯れない中年を感じさせる。
お行儀よく、他人の思惑と空気を読むことに汲々としている
昨今の草食系とは対照的で、非常に魅力的である。

まるで不審者のように登場して、作家や編集者の深層心理を暴き波風を立てる、
謎の“ファン”積木を演じる贈人(ギフト)さんの存在が大変面白い。
「あなたは将来命と引き換えにこの小説を書き上げて
読売文学賞を取るんです!」なんて言い切ったりする。
戯曲を書いた北村耕司さんの分身であろうこの男は、作家の一番の理解者であり
彼の作品を評価する後世の代表者である。
少々強引でシュールなこの展開がリアルな説得力を持つのは、
演じる贈人さんの台詞の素晴らしさだろう。
編集者としての在り方や、作家自身が気づかないスランプの理由を
ズバリ指摘する場面、あの熱のこもった台詞は、
北村さんの檀一雄とその作品に真摯に寄り添った末の声だ。
贈人さんは身のこなしも軽やかにその声を見事に体現している。

作家に自分の作品を見せるため津軽から出てきた青年(後の太宰)
を演じる牧野達哉さん、
登場してすぐ、観客も共演者も聞き取れないような声でしゃべるところが可笑しかった。
女中の久美子(徳元直子)が津軽弁で叱咤するのも可笑しくて、
とても巧いシーンだと思う。
この聞き取れないような声でしゃべる青年が後年自死した後、
作家の元を訪れて語る場面が秀逸。
この時は、出てきた時から“太宰治”以外の何者でもない風貌にまず驚き、
打って変わってクールで明快な語り口に驚いた。
才能を見出した篠井五郎自身が、最も怖れ嫉妬した作家だけあって、
短いシーンながら観る者の心を一発でわしづかみにする。

編集者原役の保倉大朔さんはじめ、周囲を固める役者陣の充実が素晴らしく
作家の我儘に振り回され、私生活を詮索されることに激しく反発しながらも、
その作品によって生活している人々の忸怩たる思いがじわりと伝わってくる。
こんな風にアプローチされた檀一雄という作家の幸せを思わせる舞台だった。
猫の会、次の作品が待ち遠しい。




毒婦二景「定や、定」「昭和十一年五月十八日の犯罪」

毒婦二景「定や、定」「昭和十一年五月十八日の犯罪」

鵺的(ぬえてき)

小劇場 楽園(東京都)

2014/06/12 (木) ~ 2014/06/23 (月)公演終了

満足度★★★★★

君臨する女王(Bプログラム)
あの安部定事件を、逮捕直後の取調室で検証するという設定。
かみ合わず強張っていた刑事と定のやりとりが、次第に変化していく様が面白い。
“女王のように君臨する定”の周りで、理解不能な事件に男たちはおろおろする。
だが定の心情に触れ、変化をもたらしたのもまた、その男たちであった。
たたみかけるような淀みない台詞のやりとりが素晴らしく、ぐんぐん惹き込まれる。
すっきりと美しいハマカワフミエさんの定が、君臨するに相応しい強い意志を感じさせ、
単なる猟奇事件の犯人を超えたキャラを立ちあがらせる。
谷仲恵輔さんが、人間味と余裕を合わせ持つ刑事を演じていて大変魅力的。

ネタバレBOX

平日のマチネ、客席は立錐の余地も無いほどぎっしり入っている。
楽園のあの柱が、セットなのか劇場の一部なのかわからないような装飾を施されている。
私は楽園で初めて、柱の存在を忘れた。

明転すると、取調室の入口に近い小さな机の上に定が正座している。
刑事たちは奥の大きい机の周りにいる。
署の外には、定を一目見ようと群衆が押し寄せている。
惚れた男の首を絞めて殺し、その性器を切り取って持ち去った女に
「男に対する殺意と憎しみがあったはずだ」と決めつける輿石刑事(平山寛人)、
「まあまあそう言わずに、お定さんも話してくれませんか」
と辛抱強く問いかける浦井刑事(谷仲恵輔)。
そこへ突然内務省の役人(瀬川英次)が「自分も取り調べに混ぜてくれ」とやって来た。
2人の刑事と1人の役人は、定の心情に迫るため事件を再現しようと試みる。
だが所詮定の真意には届かず、取り調べは行き詰ってしまう…。

文字通り君臨する定の強さ、迷いの無さ、理屈を超えた情の深さに圧倒される。
自分の物差しで測れない女を、ただ嫉妬に狂ったか金のもつれかくらいにしか
想像できない男たちの代表が輿石刑事だが
その理解できないもどかしさ、忌々しさがビシビシ伝わって来た。
定の話に「理解出来ないが、邪念が無かったということは解った」という
浦井刑事との対照的なスタンスが鮮やか。

そこへ好奇心丸出しでテンション高く定に接する役人が加わり
事態は俄然面白くなってくる。
定になり切って事件を再現しようとする役人の
稀代の犯罪者を目の前にしてミーハーっぽいテンションの上がり方が可笑しい。
瀬川さんの振り切れ方が素晴らしく、一気に「静」から「動」へ切り替わった。
取調室がワイドショーのスタジオになったようで
“わけがわかんないほど大騒ぎする”大衆の心理を代弁する感じ。

「吉さんとは終わっていません、続くんです」と主張する定に対して
終盤、攻防に疲れた浦井刑事がついに個人的な感情をぶつける。
そこから定の態度が一変するラストまで見ごたえがあった。

劇中BGMも無く、台詞も決まった言い回しが繰り返される。
だがそれが不自然でなくむしろ共感を持って聞けるのは
役者陣の説得力ある台詞と絶妙な間の力である。

すっぱりと切り落としたような終わり方で
むしろここから先を観たくなるような印象さえ受けた。
定の、わずか6年で出所してからの人生がどこか投げやりなまでに自由奔放なのは
捕まるまでの人生に満足して、あとはどうでもよかったからではないかという気がする。
ハマカワフミエさんの安部定は、それほどまでに孤高の女王だった。
背水の孤島

背水の孤島

TRASHMASTERS

本多劇場(東京都)

2012/08/30 (木) ~ 2012/09/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

饒舌な表現者
綿密な取材に裏打ちされた“リアル”と想像力の跳躍による”近未来”、この二つを一度に堪能できる脚本。
震災という人智の及ばぬ出来事の前に、人はどう生きるのか、どうあるべきか、メディアと国民性、
テレビに出来ないこと、演劇の可能性など
様々なことを考えずにはいられない素晴らしい舞台だった。

ネタバレBOX

客席に入ってまずセットに目が釘付けになった。
テレビ局らしい照明機材や机の上の小型モニター、
モニターの上に置かれている小さくなったガムテ、足元の紙袋のひしゃげ具合・・・。
ここに毎日通ってくる人々がもうすぐ登場するのを待つ血の通った現場だ。
重々しいBGMが流れる中、それを眺めながら開演を待つ。

プロローグ
やがて始まるプロローグでは、震災後まもなくこのスタジオで行われたひとつのインタビューが描かれる。
太陽光発電の1年分の発電量が、浜岡発電所の1時間分にしかならないという事実、
電力不足で、あのトヨタまでもが海外移転を考えているという日本の現実が明らかになる。

前編「蠅」
プロローグの後、数分間流れる字幕とその朗読で説明がなされ、
明けた時には、貧しい被災者が暮らす納屋のセットになっていた。
前編の「蠅」は、被災地の暮らしに密着するドキュメンタリー取材クルーと
被写体として選ばれた“最も貧しい被災者家族”の話だ。
 
急ごしらえの納屋を改造した部屋に父と医大生の娘、高校生の弟が住んでいる。
母親の遺体はまだ見つかっていない。
被災者の窮状をアピールするためには、洗濯機などあっては困るとか、
“知りたい”という欲求の前にはプライバシーなど無いも同然の取材する側の傲慢さ。
“人の役に立ちたい”と言いつつ自分の為に活動していることに気付かないボランティア。
補償金をもらって、働かなくても良くなった被災者の戸惑い。
再建には程遠い被災地の中小企業の現実。
もしかしたら死んだ人より生き残った人の方が悲惨なのかもしれないのが被災地だ。
取材クルーが目にしたのは、極限状態の中で価値観もモラルも
一瞬のうちにひっくり返り、あるいはじわじわと変貌する人間の危うさだった。
実はクルー二人のモラルだって異常事態を理由にとっくに崩壊しているのだが。

まさに“五月蠅い”蠅のぶ~んという羽音が時折客席の方にまで響く。
誰かが何かに群がって利を得ようとすると、その音が大きくなる辺り音響が絶妙。

後編「背水の孤島」
再び流れる字幕で時間の経過が説明され、彼らの7年後が始まる。
後編「背水の孤島」のセットは原発推進派の大臣室である。
開け閉てにびくともしない重厚なドア、調度品、壁面の作りなど相変わらず秀逸。
医大生だった娘は被爆した人々を救う為の研究を重ね、
その論文は海外では認められたが
日本政府は「補償金額が莫大になり財政が破たんする」ことを理由に認めようとしない。
高校生だった弟は、今その大臣の秘書を務めている。
その弟が、テロまがいの脅しで大臣に自分の要求をのませようとする。
その要求とは、姉の論文を認めさせ、それを踏まえた被爆者救済法案の立案と
国債の海外向け発行の中止である。
人を傷つけず、自分が逮捕された後に大臣が変心することを計算に入れた巧みな計画で
説得力があり、見ごたえがある。
(緊張感の極みの場面で銃の弾倉だろうか、外れて落ちたのは残念だった。笑っちゃった…)
最後は国家でもマスコミでもなく普通の人々が「正しいと信じる」選択をして終わる。
苦いけれど爽快で、未来に少し希望が持てそうなラストが良かった。

役者陣は皆役に染まって熱演だが、
父親役の山崎直樹さん、大臣役のカゴシマジローさんが見事にはまり役。
野崎役の龍坐さん、前編の放射能の影響に立ちすくむところ、観ていて怖くなった。

もちろんツッコミどころはあるだろうが、
私が震災のような現在進行形の出来事をテーマにした作品に求めるのは
「別の視点」と「想像力を駆使した可能性」の提示だ。
この作品は、その2つを最大限に見せてくれる。
東電や政治家の言い分も言わせた上で、「それは違うだろ!」と
真っ向から言える脚本がどれほどあるだろうか。
毎回の凝りに凝ったセットにしても、時間の蓄積を雄弁に語るところを目の当たりにすれば
登場人物のキャラ設定同様、背景も大切な表現者なのだと解る。
この暑苦しいまでの、表現せずに居られない体質がTRASHMASTERSのすごいところだ。
さっぱりと洗練されずに、ずっと饒舌な表現者で有り続けて欲しい。
忘れっぽい私にがつんと刺激を与えてくれたことを感謝したいと思う。

その頬、熱線に焼かれ

その頬、熱線に焼かれ

On7

こまばアゴラ劇場(東京都)

2015/09/10 (木) ~ 2015/09/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

ヒロシマの25人
原爆乙女と呼ばれた女性たちがケロイドの治療の為に渡米したことは聞いていたが
選ばれた25人の、その選択がどれほど苦悩に満ちたものであったか、
改めて等身大の女性たちの声として聴く思いがした。
戦後70年に相応しく、また女優7人のユニットに相応しい脚本が
声高でないだけに、じわりと沁みこんで素晴らしい。
隙のない演技の応酬が見応え満点、会話劇の醍醐味を味わった。

ネタバレBOX

対面式の客席に挟まれた舞台は極めてシンプル、ボックス型の椅子が4つのみ。
冒頭、アメリカに到着したばかりの原爆乙女を代表して敏子(尾身美詞)が挨拶をする。
長い髪でケロイドを隠すように俯きがちに話したあと、まるで義務のようにケロイドを晒す。
大きな音でフラッシュがたかれ、その音に思わずたじろぐ。
25人の原爆乙女たちは順番に手術をうけるのだが、
ある日、簡単な手術といわれていた智子(安藤瞳)が、麻酔から覚めないまま死亡する。
善意で無報酬の手術を引き受けてきたドクター側にも、原爆乙女たちにも衝撃が走る。
これで手術が中止になるのは嫌だという者、手術が怖くて受けたくないという者、
双方の意見が対立する中、死んだ智子と交わした会話を思い出しながら
初めてそれぞれの思いを吐露していく…。

麻酔から覚めずに死んでしまった智子が狂言回しの役割を果たす構成が秀逸。
他者を受け入れる優しさと包容力を持った彼女は、生前ほかのメンバー達と
深いところで触れ合う会話を交わしていた。
そんな彼女との会話を思い出しながら、皆否応なく自分をさらけ出していく。
同じようにケロイドがありながら審査に落ちた仲間たち、
傷の程度を比較しては幸せを計り、妬んだり羨んだりする被爆者の社会、
日本ではマスクして歩いていたがアメリカでは顔を出して歩けるという開放感、
ピカによって損なわれた人生、容貌、可能性を、ただ想像するだけの生き方でなく
アメリカで手術を受けることで変えようとする強い意志…。
舞台はそれらを反戦や正義感から声高に訴えるのではなく、
等身大の女性に語らせることで一層切なく理不尽さを突き付ける。

「死に顔をきれいにしたい」という弘子(渋谷はるか)の言動が良きスパイスになっている。
前向きに仲間同士励まし合って…という流れに逆らい、ひとり突っかかっていく弘子の
緊張感のあるキャラの構築が素晴らしい。

北風と太陽のように、じわじわと頑な弘子の懐に入っていく
智子の強い優しさが印象に残る。
安藤瞳さんの淡々と語りながら包み込むようなまなざしが、
この作品全体を俯瞰している。

片腕を失って尚、いつも周囲を励ます信江(小暮智美)が
たった一人の身内である祖母の話をした時は涙が止まらなかった。

ラスト、帰国した敏子は、髪を一つにまとめてまだケロイドが残る頬をすっきりと出し
力強く感謝の意と希望を述べて挨拶をする。
死んだ智子が微笑みながらそれを見ている。
この終わり方が一筋の救いとなって、観ている私たちも少しほっとする。

私はこんなに傷ついた身体になっても“生きていることに感謝”できるだろうか。
木っ端みじんになった人生を立て直す気になれるだろうか。
ヒロシマ・ガールズたちの強さは、そのまま哀しみの目盛りに重なる。
昨今は学校における原爆教育そのものが敬遠されがちになっているとも聞くが、
平和ボケ甚だしい日本にあって、このような意義のある作品に感謝したいと思う。
『うれしい悲鳴』/『太陽とサヨナラ』(終演しました! ご来場ありがとうございました!)

『うれしい悲鳴』/『太陽とサヨナラ』(終演しました! ご来場ありがとうございました!)

アマヤドリ

吉祥寺シアター(東京都)

2013/10/23 (水) ~ 2013/11/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

圧倒する台詞
ひょっとこ乱舞時代も含めて、私にはこれが初めての広田作品。
冒頭から“伝わる”台詞の素晴らしさに圧倒された。
劇場の広さに負けない声と滑舌、聴きとりにくい台詞もなく豊かな表現力が素晴らしい。
役者さんは大変だろう長台詞満載の芝居は、若干饒舌で長さを感じるものの
最後まで柔軟なパワーにあふれていて飽きさせない。
社会や政治に対する明快な批判と、詩情豊かな台詞、
広田さんって両方書ける人なんだなあ。

ネタバレBOX

近未来の日本では、有権者が提案した政策案を政府が抽選で法律化するようになる。
制定された法律は“アンカ”と呼ばれ例外なく実行される。
実行するのは“泳ぐ魚”と呼ばれるエリート国家公務員集団だ。

泳ぐ魚のメンバーマキノ久太郎(西村壮悟)は、
子どもの頃エレベーターに閉じ込められる事故で父と弟を喪い、自分は痛覚を失った。
その久太郎が、アンカ遂行中に出会ったミミ(藤松祥子)と恋に落ちる。
ミミは、“なんでも過敏症”で無菌状態の部屋から出ることが出来ない。

やがて新たなアンカにより、植物状態の患者は移植のために臓器を提供することになる。
それは、くも膜下で倒れたミミの母親を殺すことを意味する。
そしてミミは、「母親を殺すなら私も殺せ」と一歩も譲らない。
母親の臓器は取り出され、決断を迫られた久太郎はついにミミの首に手をかける。
その直後、政権は倒され、泳ぐ魚は解散となった…。

痛覚とは何だろう。
痛覚を持たない久太郎の方が、泳ぐ魚の他のメンバーよりずっと痛みを知っている。
にもかかわらず組織に抗えなかった彼は、ミミを殺してしまう。
組織の空気に負けてしまったから。
“空気による政治”が今の日本や官僚、会社人間たちを端的に表わしていて面白い。

久太郎役の西村壮悟さんは長台詞になると“素”が顔を出すような気がする。
「工場の出口」に出演されていた時もそう感じたけれど
役と距離を保つのを止めて、素で語り始めるような
久太郎なのか西村壮悟なのか境界線を曖昧にして一気に入って行くように見える。
それが観ていてとても自然で心地よい。
エレベーターの中で、他の8人が次々と死んでいく
暗闇の中での1週間を語るところなど、その皮膚感覚がリアルに伝わってくる。

病気のせいで周囲から隔絶されているミミが、小学校卒業と同時に親友を拒絶し
母親とだけは「何があっても一緒にいる」と決意するところ、
感情を爆発させて、謝って、でもやっぱり独りになるのがどうしても怖いという
逡巡するミミの長台詞に説得力があって思わず涙がこぼれた。
「母親と一緒に死にたい」という極端な主張の理由として納得させるものがあった。

螺旋階段や地下と繋がる四角い穴など、広い空間を縦横に使って清々しい。
時折挿入される群舞が、高揚感を共有する感じで効果的。
役者陣は隙が無くてみな上手いが、特に印象的だったのは
比佐仁さん、西川康太郎さん、鈴木アメリさん、百花亜希さんなどまた観たいと思った。

底の浅い政府が提示する価値観の無意味さと、それに追随する虚しさ、
“空気”ごときに支配される社会などいずれ崩壊する。
しっかりしようぜ日本人、でなけりゃ妙な指導者が現われて憲法をいじり始める。
ひょっとこ乱舞ってこういうのだったのか、
伝えたい事がたくさんある作者が、演劇という手段を選んだ情熱を強く感じる。
次は新生アマヤドリの作品を観たいと思う。











火葬

火葬

らくだ工務店

OFF OFFシアター(東京都)

2012/01/25 (水) ~ 2012/02/15 (水)公演終了

満足度★★★★★

「火葬」見届けました
あんな風に時折笑いながら観ていて良かったのか?
教師たちの秘密もさることながら、衝撃のラストシーンが
一夜明けた今でも頭から離れない。
もう一度落ち着いて検証しながら観たら
また違った物が見えるような気がする。
これ、世に溢れる「普通の善い人」全てに観て欲しい。

さよならを教えて

さよならを教えて

サスペンデッズ

ザ・スズナリ(東京都)

2013/12/04 (水) ~ 2013/12/09 (月)公演終了

満足度★★★★★

大人になっちまった悲哀
もの想う大人は皆解っているのだ、自分のダメなところくらい。
だけど解っているのにダメな方へと傾いて行ってしまう。
そしてだんだん大事な人を大事にしなくなる。
早船さんの無駄のない台詞で、それもまた人とのつながり方のひとつなのだと気づく。
コテコテダンスもありの濃い目の味付けながら、やはり毎日食べても飽きない”人の心の普遍性”を描いていてその切なさにどうしようもなく涙がこぼれる。
婚約している二人の関係が壊れていく時の緊張感がどきどきするほど秀逸。
山田キヌヲさん、とても上手いしきれいだった。衣装も素敵。

ネタバレBOX

舞台は壁紙などの内装工事を請け負う小さな会社。
宏美(岩本えり)は父の代からのこの会社を受け継いでいる。
婚約者の洋介(佐野陽一)は中学の同級生だが、彼は勤めていた会社で
大きなプロジェクトに失敗してから変わってしまったと宏美は感じている。
異動先の部署で部下の女性からパワハラと訴えられ
結局会社をクビになった洋介を見かねて「ウチを手伝ってくれない?」と持ちかけた宏美。
今は一緒に仕事しているが、昔からのやり方に批判的な洋介とことごとく対立する。
同じく中学の同級生で、病気退職して戻って来た夏子(山田キヌヲ)も
ここで仕事を手伝っている。

職人や、地主で大家の夫妻等が出入りするこの事務所で
次第に相手に寛容でいられなくなっていく宏美と洋介。
ネットでのバーチャルな世界に逃げ込む職人、大家夫妻の嫁姑問題、
そして夏子の驚愕の行動…・。
小さな世界で絡まり、引っ張り合い、ほどけてしまう人間関係の脆さ哀しさが描かれる。

「終わりが見えるとやさしくなれる」という洋介の言葉が沁みる。
このまま続くと思うから、うんざりして粗末に扱ってしまう私たちの習性を言い当てている。
「結局自分に自信がないんだ」という言葉もリアルに説得力がある。
自信がないから強い態度に出る、相手を威圧する。
デスクに向かう洋介を演じる佐野さんの全身から、
自分にも周囲にも苛立っている様子が伝わって来たし
それをそのまま宏美にぶつけるところでは観ていてこちらも緊張した。
ありがちなハッピーエンドでないところもよかった。

夏子のクールな観察とストレートな物言いが爽快。
入院前事務所に来て、会社を去る洋介と見送る宏美に
「別れてもいいから二人で(見舞いに)来て」というところ。
“さよならの仕方”を考えさせていいなあと思った。
かわいいニットキャップが似合う山田キヌヲさんがとても素敵だった。

大家の奥さんを演じた野々村のんさん、
この方は“困った人”を可愛らしく見せるのが上手いと思う。
情熱的な“なりきりダンス”が面白かった。

中学時代の回想シーンを挿入して
もの想う大人になってしまった哀しみと不安を際立たせた結果
宏美が夏子を思いやって泣く場面に説得力が増した。
ここもまた、子ども時代と決別するもうひとつの“さよなら”だったような気がする。

ひとりごとターミナル

ひとりごとターミナル

劇団フルタ丸

キッド・アイラック・アート・ホール(東京都)

2013/02/02 (土) ~ 2013/03/16 (土)公演終了

満足度★★★★★

ひとりごとは本音のコミュニケーション
コミュニケーション下手な6人の人生が絶妙に交差するターミナルを舞台に
人生をギュッと絞ったような台詞を言わせる。
こういう濃くて短いやつ、大好きだ。

ネタバレBOX

深夜のバスターミナルに居合わせた見ず知らずの5人。
それぞれ事情を抱えて、これからバスに乗り込もうとしている。
が、実は彼らの人生は微妙に交差していたのだった。

恋人を年上OLに盗られた女。
年下の男の子どもをひとりで産もうとしている妊婦。
事故を起こして以来バスに乗れなくなったバスの運転手。
バスの事故で姉を喪ってから医師を目指して医大へ進み、年上OLに転んだ男。
医大を5浪の末、合格したにもかかわらず医師ではなくマッサージ師になった男。
大学卒業後、履歴を詐称しながらバイトを転々として来た男。

このうち医大生を除く5人がバスターミナルで出合う。
舞台では、彼らの“事情”が再現されるが、
みんな相手が立ち去ってひとりになってから真実を語り始める。
つまり相手に直接伝えない、ひとりごとは唯一の本音なのだ。
その本音に対してこれまた本音のひとりごとで返す、
これは究極のコミュニケーションと言えるだろう。

相手と目を合わせず、明後日の方向を向いてしゃべるのは
劇中語られるように「責任が半分になる」ような“逃げ”のスタンスでありながら
明らかに“余計なお世話”的に他人と関わりを持とうとしている。
この”逃げながら積極的に関わる“姿勢が、とてもリアルに感じられる。

本編終了後に、“エピソード0”的な「おまけの公演」として、
一人芝居で事の発端を語るというのがあった。
これが、よくある“蛇足”ではなくて、本当に良かった。
一人ひとりの役者さんの力量がモロに出る緊張感あふれるひとり芝居だった。
5浪男を演じた清水洋介さん、毎年合格発表を見に行く男の変化がとても面白かった。
篠原友紀さん、年下男を合コンでゲットする様が活き活きして超リアル。
宮内勇輝さん、事故を起こした運転手の振れ幅の大きい演技が面白かった、熱演。

時代を切り取ったような設定の妙と、台詞の面白さが際立つ舞台だった。
照明による時間の切り替えもスピーディーで良かったと思う。
フルタジュンさん、これからもこのタイプ観せてください!
ナイアガラ

ナイアガラ

劇団HOBO

駅前劇場(東京都)

2012/09/05 (水) ~ 2012/09/10 (月)公演終了

満足度★★★★★

シリーズ化して欲しい
新宿中央公園に暮らすホームレスたちを描くほろ苦ストーリー。
“脇役体質の役者が全員脇役に徹する”とどうなるのかと思ったら
“ちゃんと舞台で会話する”とこんなに面白いということを見せてくれた。
厳選された台詞とそれを租借する役者の力、意外に(?)洒落た演出で
笑いながら、この笑いは久々の上質な笑いだと思った。

ネタバレBOX

奥行きのある舞台、ブルーシートの小屋が建っているので
ホームレスの話かと予想する。

暗転の後、座っている老人の見事な老けっぷりにびっくりした。
この山さん(喰始)、度々失禁するが、哲学的な発言で皆の尊敬を集めるインテリじいさんだ。
口元の衰えなどが自然で、喰始さんってこんなよぼよぼだったっけ?と思うほど。
この山さんを、口は悪いが親身になって世話する元建設会社社長のクマ(省吾)や
元床屋の拓(本間剛)、手癖の悪いのが玉にキズのガンちゃん(西條義将)、
最近仲間に加わった、リストラされた谷田貝(おかやまはじめ)など
ユニークな面々がそろっている。
ルポライターだという川本(古川悦史)も毎日のように通って一緒に飲んでいる。
彼らを束ねるのが、役所や支援団体・ヤクザとも“ナシをつける”社長(林和義)だ。
彼のさばき方が実に気持ちよく、それは距離感の保ち方が上手いからだと解る。
ここの住人の、互いの尊厳を大切にしながらさらりと協力し合う姿が実に良い。
普通の人のようにスーツ着て日銭稼ぎの仕事に行ったりするが
やはりどこか“ドロップアウトした人間”の哀しみと日陰感が漂う。

──この世には3種類の人間がいる。
   敵と味方と無関心だ。

──暑さ寒さも空腹も工夫すれば何とかなるが、
   孤独だけはどうしようもない。
   だから人との関係だけは断ち切ってはいけない。

山さんの言葉をみんな噛みしめていて、
初めて野宿しようと公園にやって来る挙動不審な人に
さりげなくかける言葉や眼差しにその気持ちがあふれている。

脇役体質がそろうと何が違うのだろう、と思っていたが
相手の台詞を受ける芝居がこんなに会話を面白くするのかと目から鱗の体験。
かしわ手の場面とか、酔っぱらって同じ話をする件など爆笑もの。
アドリブなんだか綿密な演出なんだかか分からないけど可笑しさ全開。

ここから抜け出して行く者、故郷へ帰る者、フクシマへ稼ぎに行く者、
そしてそっと一生を終える者・・・。
様々な人を見送って一人公園に残った谷田貝が、新入りに声をかける場面。
その労わるようなさりげなさは、かつて自分がしてもらったことそのままだ。
この終わり方が力んでなくて秀逸。
台詞と言いこの終わり方と言い、すごく洗練されていてある意味洒落た演出だと思う。
これ、「ナイアガラシリーズ」にならないかなあ、
毎回変なおじさんが出て来て、みんないろんな人生があって面白そうだと思った。

本編ではないが、劇団HOBO ホームページの「予告CM」がめちゃめちゃ笑える。
喰始さんの「森の熊さんを詩吟でやります」って可笑し過ぎでしょ。

力で押すのではなく、受ける芝居ってこういうことなのかと再認識した舞台。
この台詞、この会話、私にとって絶対次も観たい劇団となった。
初雪の味

初雪の味

青☆組

こまばアゴラ劇場(東京都)

2012/12/28 (金) ~ 2013/01/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

【会津編】母の言葉
【会津編】を観劇。
“万感の思い”という言葉が浮かんだ。
ふるさとの「家」は「家族」であり「母」である。
これらいずれ喪うであろうものに対して、切なる寂しさを抱く人にとっては
吉田小夏さんの台詞と役者の力の前に、涙せずにはいられないだろう。
”言外の思いが聴こえる台詞”が素晴らしく、
思い出すと今も泣きたくなる。

ネタバレBOX

舞台に広々としたこたつのある居間が広がっている。
横長のこたつのほかにはテレビもなく、会津の民芸品が飾られた棚がある。
市松柄の障子戸の向こうは廊下で、上手は玄関、下手は奥の部屋へと続いている。
八畳間の清々しい空間。

この家には母(羽場睦子)と次男の孝二(石松太一)、それに母の実弟で
結婚せずに役場勤めをしている晴彦(鈴木歩己)が住んでいる。
長男賢一(和知龍範)と長女享子(小暮智美)が帰省してくる大晦日の夜を、
4年間に渡って描く物語。
最初の年の瀬、母は入院していて留守である。
次の年、その次の年と母は家にいるが、最後の年は葬儀の後初めての大晦日だ。

ふるさとの「家」は「家族」であり「母」である。
そこでは毎年お決まりの会話が繰り返され、それが”帰省”を実感させる。

母は次第に弱っていくが、比例するようにその言葉の重みは増していく。
しばらく帰省しなかった長女が、その理由を話そうとして話せずにいるのを見て
「無茶するな、でもどうしてもしたいことなら無茶すればいい」
という意味のことを言って明るく笑う。
享子は顔を覆って泣いたが、その包み込むような言葉に一緒に泣けてしまった。

死後幽霊となって弟晴彦の前に現われた時は
「旅をしないのも勇ましいことだ」と彼に告げる。
町を出ず、結婚せずにずっと自分を支えてくれた弟の生き方を肯定する言葉に
晴彦は涙をためて姉を見つめたが、私は涙が止まらなかった。

初演は8年前、これが4度目の再演だというこの作品で
羽場睦子さん1人が初演からの出演だという。
この人の体温を感じさせる台詞が素晴らしく、
役者が年齢を重ねることの意味を考えさせてくれる。

弟晴彦役の鈴木歩己さん、素朴で実直な独身男の不器用さが
そのたたずまいからにじみ出るようで秀逸。
姉を喪い、家も買い手がついて、この人のこれからを思うと
どれほど寂しいことだろうかと、私の方が暗澹としてしまう。

次男孝二役の石松太一さん、「キツネの嫁入り」でも素晴らしかったが
定職にもつかず母と同居して、何かしなければと焦っている様がリアル。
女に振られる辺り、多分したたかな女に振りまわされたのだろうと充分想像させる。
素直で世間ズレしていない感じがとても良かった。

吉田小夏さんの作品には、いつも滅びゆくものに対する哀惜の念を感じる。
部屋のしつらい、繰り返される行事、慣れ親しんだ習慣、そして方言。
何気ない家族の会話がひどく可笑しいのは、このおっとりした会津方言の
音やリズムのせいもあるかもしれない。
タイトルの「初雪の味」のエピソードも、人生の苦味を感じさせて味わいがある。
じわりと変化する照明も巧いと思う。

アフタートークには田上パル主宰の田上豊さんが登場、
今回方言翻訳・会津編演出を担当した「箱庭円舞曲」の古川貴義さんとこたつで対談。
田上さんも熊本の方言で芝居を書くそうで、方言の演出についての話が面白かった。
標準語を方言に直すと句読点の位置がずれるという。
個人の言語感覚の根底にあるのだなあと改めて思った。

私の2012年のラストを飾る1本は、
言葉の美しさと台詞の妙、役者の力がそろった作品だった。
滅びゆくものたちへの言葉、それはまさに演じては消える生の舞台の宿命にも似て
だからこそ私たちはまた劇場へと向かうのだろう。
儚いものを目撃するために・・・。
エクソシストたち

エクソシストたち

渡辺源四郎商店

こまばアゴラ劇場(東京都)

2011/12/02 (金) ~ 2011/12/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

まるで井上ひさし作品のよう
丸いちゃぶ台だけのセットなのに、照明で鮮やかに場面が切り替わる。
3.11をあんな風にとらえた作品を私は他に知らない。
どこのクラスにもいる老け顔の小学生。
あとで大学生と知って驚愕した。
突っ立っているだけで、複雑な家庭に翻弄される11歳になっている。
イタコに呼びだされて戻ってきた元夫の台詞の「間」の素晴らしさ。
このテーマ、この構成を選んだ畑澤氏に脱帽。
しかも怪しいエクソシスト達の可笑しさと言ったら・・・。
シリアスなテーマにユーモアを混ぜ込んでくるくるねじって見せる、
畑澤さん、これはまるで井上ひさし作品のようです。

ちょっと待って誰コイツ!こんなヤツ知らない

ちょっと待って誰コイツ!こんなヤツ知らない

ポップンマッシュルームチキン野郎

シアターKASSAI(東京都)

2014/03/14 (金) ~ 2014/03/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

踊るPMC野郎
客入れパフォーマンスのあと、6つの短編とそれをつなぐ幕間のショートストーリー、
そして終演後に30分のアフターイベントまで付くという
まるで“数量限定春のスペシャル幕の内弁当”みたいに盛りだくさんで素敵な企画。
通常公演とは違ったテイストのラインナップが楽しく
キレの良いダンスの素晴らしさにびっくりした。
エンタメ精神全開の構成もポップンらしくて好きだが
作品自体に力があるのだから、もっとシンプルな構成でも成立すると思う。
ただ短編を並べただけでも、個々の作品は十分際立つはず。
★の5つ目は素晴らしいダンスに捧ぐ。

ネタバレBOX

開演前のパフォーマンス、今回はCR岡本物語さんのももクロに代わり
増田赤カブトさんの“あの歌姫”ガガ。
これがマジで面白くて、まー会場が盛り上がること。
初期の頃はただ衣装と目玉だけで“ガガって”いたが
今回はそのパフォーマンスに努力とセンスが表れていてとても素晴らしかった。
ボリューミーなボディながら顔の輪郭などが引き締まってその変化に驚く。
「私の彼は甲殻類」で見せたひとり芝居の充実ぶりにも、目を見張るものがある。
笑いを取る間とタイミング、ピュアな台詞など、ポップンで鍛えられたんだなあと思った。
吹原幸太さんとコンビで仕切る司会も臨機応変でゆとりが感じられ、とても良かった。

「ふたりは永遠に」、近未来SF世界に夫婦の相手を思いやる心が満ちていて
あっと驚くラストの真実がすごい。
「触り慣れた手のひら」のホラーもセットや演出が効いていて大変面白かった。
吹原さんはぶっ飛んだ設定やあり得ないシチュエーションの中で
普遍的な人の欲望や矛盾、弱さなどを際立たせるのが巧い。
危ないギャグも下ネタも、一本通った太い幹の枝葉だからこそ笑って済ませられる。
短編というコンパクトなサイズで、それが強調されたところが面白かった。

黒バックの舞台にオレンジ色のキューブが椅子やベンチとなる
シンプルなセットが鮮やか。
最終話では壁の一部が開いたりして、スタイリッシュな一面を見せた。
この最終話でのサイショモンドダスト★さんとNPO法人さんのやりとりは
クールで味わいがあってとても良かった。

そして何と言っても「悪魔のパンチ」で見せた迫力あるダンスシーン。
塩崎こうせいさんの素晴らしい動きから目が離せなかった。
正直、ストーリーが吹っ飛ぶくらいの強烈な印象。
この方の所属する劇団X-QUESTを観てみたくなった。
女の子みたいにきれいな顔だけど、意外に力強い野口オリジナルさんにもびっくりした。
岡本さんは、“挙動不審のおどおどタイプ”と“謎の大魔王タイプ”
それに“脱いだり着たり”とマルチぶりをいかんなく発揮してやっぱり素晴らしい。

別にオネエ系ではないのに何だかいつも女性役を振られるNPO法人さん、
やっぱり女性の繊細さが出るから納得してしまう。
アフターイベントのようなお遊びタイムに中途半端でなくきちんと演技するから
ポップンは面白いんだなあ。
妙なお題を出されてもちゃんと個性が表れて感心するもの。

短編ダーク編、短編ホラー編など、吹原作品の別の顔をもっと観てみたい。
これから毎回最後に全員のダンスを入れるっていうのはどうでしょう?
開演前も終演後も踊る踊る…これからはこのパターンか?!(希望)



東京ノーヴイ・レパートリーシアター 第8シーズン公演

東京ノーヴイ・レパートリーシアター 第8シーズン公演

TOKYO NOVYI・ART

東京ノーヴイ・レパートリーシアター(東京都)

2012/02/03 (金) ~ 2012/05/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

孤独な美しい旅
初めての東京ノーヴィ・レパートリーシアター、
「銀河鉄道の夜」を選んだのは、一体どんな宇宙を創るのかぜひ観てみたかったからだ。
そしてその宇宙の旅は、今思い出しても泣きそうになるほど
果てしなく、孤独で、美しい旅だった。

   

ネタバレBOX

冒頭、子ども達を演じる役者さんの年齢が少し気になったが、場面が銀河鉄道の列車に移った辺りから気にならなくなった。
台詞の上手さとか技巧ではない。
ジョバンニを演じる金子幸代さんの、他者の台詞に涙をいっぱいためて反応するのを見ると、どうしようもなく泣けて来る。
ジョバンニはカンパネルラがもう死んでいることを知らないはずなのに
死者の言葉と知って聞けば、その台詞はひとつひとつ重い。
「ほんとうの幸い」とは何か。「ほんとうにいいことをしたら幸い」なのか。
たったひとりの友を喪ったジョバンニの孤独と相まって、死者の語る「幸い」は
あまりにも悲しい。
誰かのために死んでしまって、それを幸いと語る人にマジで泣いてしまう。

私が見たかった空間の創り方に関して言えば、期待をはるかに上回る素晴らしさだった。
足元の川の流れ、マリア像の照明、闇を横切る小さな列車、ケンタウル祭で川に流される灯篭。全てが息を飲むほど美しい。

この劇場の、この空間で「銀河鉄道の夜」を観ることに幸せを感じる、そんな舞台だった。

このページのQRコードです。

拡大