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ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所

ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所

遊園地再生事業団

座・高円寺1(東京都)

2010/10/15 (金) ~ 2010/10/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

「眠り」×「コラージュ」="ドラマ"
宮沢氏の言葉から「メタ」で「前衛」的で分り難い作品なのかな、と
思ってたら、結構考えさせられたり、思わぬところで笑わせられたり
集中して観ることが出来た、面白い作品でした。

宮沢氏のエッセイに出てくる、真面目な感じの中ふと放りこまれる
笑える言葉。 アレが好きな人は結構ツボじゃないかと思います。

ネタバレは、「大いに混乱していますが、それによって読み手が
集中出来ることもある」と信じてます。 書いている私自身は(苦笑

ネタバレBOX

私は基本的に「メタ」「セカイ系」という言葉って大嫌いなんです。
どうでもいいこと、分り易いことをワザと小難しくて針小棒大に語るので
いっつもアホくせーと思ってきたわけだけど。

遊園地再生事業団の、ゼロ年代(この言葉も嫌いですが)を突き抜けての
「ジャパニーズ・スリーピング」は確かにその匂いも感じつつも、どこか
開けて、前向きで、「メタ」「セカイ系」の持つ子供っぽさ、独りよがりさとは
凄く遠い作品のように思えた。 それがまず嬉しかったです。

パンフレットの、野田氏との対談を読むと

「物語」―無邪気に「感動」「メッセージ」「サービス」の集合

が量産されることに深い危惧を感じているようですね。
正直、すごく共感しました。 

「物語」には力があると、よく言われる。
実は、私は本当にそうなの? とずっと前から考えることが多かった。
「整理され」「分り易くされ」「山があって谷があって」、そして最後は
「余韻を残して終わる」。  

そんな、演劇に限らない、全エンタメに共通する、期待を裏切らない
感情を揺さぶってくれる、そんな「文法」に辟易しててどっかでそれを
裏切ってくれないかな、と思ってました。 誰かに。 

本作品は、序盤に登場人物によって解説されるように、
一定の流れに沿わない、混乱した構成を持っている。

人々へのインタビュー、眠りをめぐる数々のエピソード、古今東西の
書物からの眠りについての部分の抜粋…

それらはコラージュされ、バラバラにつなぎあわされた構成のまま、
観客の前にぶつけられる。 時々、語られる内容が「眠り」なのか
「現実に起こったこと」なのか。

語りが何度も繰返される中、境界線が徐々に分らなくなってきたところに、
今度は本当の(私たちがまさに実際に日常で体験している)「現実」が
呟きのように、でも生々しく入り込んでくる。 その光景は何というのか…

「演劇」を真面目に考え続けた結果、それを飛び越えて「現代アート」の
領域にまで越境してしまった感じ。 あの舞台美術も目にしてまず
脳裏に浮かんだのは、その印象。 

観ながら、この「ジャパニーズ・スリーピング」を世界で上演した場合、
観衆はどういう反応を取るのだろう、と考えていました。

「アメリカン・スリーピング」になるのだろうか? 「チャイニーズ・
スリーピング」になるのだろうか? いや、なれるのだろうか?
その一点に興味が俄然わきましたね。 

また同時に序盤で言われるように「一定の法則にしたがって
流れる「物語」を排することで、改めて人々は俳優に、ドラマに
集中する事が出来る」。 次に何が起きるか分からない。
そのスリリングさに一番人は刺激を受けるのです。

この作品の台詞はよく耳を傾けていると分かるけど、
ちゃんと計算されて丁寧に練られて書かれていると思います。
だから、言葉がすうっとはいっていくし、印象に残り易い。

皆が一種の気持ちよさをこの作品に感じるのは、何よりも
「音楽的」だからではないでしょうか。 冷たいけど、どこか
透明な印象を与える、水の中のような舞台美術も、

恐ろしく程に緩急付いて、自分をコントロールし切っている、
空間と一体化している俳優達も、

全て調和がとれていて一定で、耳障りなところ、ノイズが入るところが
一か所も無い。 これは、私よりも、年間数十~百本演劇を観て、
映画を観て、その声高っぷりに一種鬱陶しさを感じる人の方が
共感すると、私は確信しています。

ヘンな感情移入を避けるために、意図的に切り刻まれているだけで
そうすることで観客は台詞に、言葉に集中し、かえってそのことに
気が付くのではないでしょうか?

宮沢氏の名著「演劇は道具だ」(2006)に、「ただ立っていることの強さ」に
言及している箇所があります。 曰く、

「ただ立っていることで、あなたは裸にされ、その強さも弱さもたちどころに
見透かされる」
「その時、触れれば立ちどころに崩れ落ちてしまうからだではいけない。
強いからだをもたなくてはいけない」

本当にそうだと思う。 そして、「ジャパニーズ・スリーピング」は。

弱いからだ―「物語」にもたれかからない、強度の強い「drama」(決して
playではない)と感じました。

最後に。

笑いを入れるところが絶妙ですね。 張り詰めたところに、牛尾千聖が
バスタオル何枚も重ねて~とぶっ飛び出した時には思わず笑った。
牛尾千聖良いなあ、やついの、無視されキャラっぷりも大いに笑う(笑

眠れないことに悩み続ける三人組が脳内物質を見つけにどっか
行っちゃうエピソードもウケた。 「何処へ行くんだ?」「メラトニンを
見つけに!!!」「そっか…頑張れよ(やけに晴れやか)」 見つかるのかよ(笑

あと、女性陣が妙に官能的でした。 というか、過ぎでした。

最前列で観ていたので田中夢が後ろのスクリーンにドアップで
映写された時、本当にどうしようかと思った。 山村麻由美の、
静謐な佇まいも、負けず劣らずなんかエロティックでした。

役者の立ち位置が皆ホントに良い。 ピタリとはまりこみ過ぎて
この人は、もうこの役しかあり得ない、と思えてくるのが、宮沢さん
凄いと言わざるを得ないです。

来年も、遊園地再生事業団で本公演あるらしいので、大いに
期待したいところです。
カラムとセフィーの物語

カラムとセフィーの物語

文学座

文学座アトリエ(東京都)

2010/10/01 (金) ~ 2010/10/14 (木)公演終了

満足度★★★★

最後は「抜け出した」二人
原作は、本国で高評価のシリーズものの第一作、しかも400頁と
相当な長さの作品。 それを三時間近くにまとめたその手腕が素晴らしい。

それを可能にさせたのはまず何をおいてもスピーディーでパワフルで、
緊張感をうまいこと持続させていた演出によるところは大きいですね。
最後辺りは、何とか最悪な悲劇だけは回避されますよう…と半ば
祈るように観ていました。

この作品、結構肉体的に痛い部分やキツい言葉が出てきたりするので
ほんの少しだけ、そこは理解して観た方がよいかも知れないです。

多分原作と劇作では結末部分が大きく変わっているようですが…
そこはネタバレで。

ネタバレBOX

11歳と13歳から始まるカラムとセフィーの関係。 

その二人の関係は年を追うごとに、周囲の環境が変わっていくごとに、
同じように激変していく。 

かたや決して裕福とはいえない、被差別種族のノート人のカラム。

かたや、支配種族であるクロス人、しかも副総理の父を持つセフィー。

本人達の「二人でいたい」というささやかな願いも、人種間の際限の無い
憎しみの中に翻弄される。

ノート人の解放義勇軍に参画し、爆破テロを起こした咎で父親を
殺害されたカラムは家を出、兄に誘われるまま、自身も解放義勇軍に
身を置く。 

セフィーとの、一緒に駆け落ちしようという約束は、ちょっとした
行き違いから反故となり、再びの三年後の再会の時、かつての
心優しいカラムはいない。 彼はセフィーを誘拐し、組織の身代金の為の
人質とする。

ここでの、セフィーの、カラムへの悲痛な訴えは心が痛いです。

二人で向き合ううち、三年前の約束の反故が誤解とすれ違いに
よるものと分った二人はそのまま情を交わす。
アジトを警察に突き止められ、逃避行の中、カラムはセフィーを
無事逃がすことに成功する。

時は経ち、二人は自分達が幼少の頃、よく遊んだ思い出の浜辺で
落ち合う。 そこで、カラムはセフィーの口から、彼女が自身の子供を
身ごもったという事を知る。

喜びの中、二人は子供の名前を。 カラムは自分達がよく遊んだ
庭に咲くバラからRoseを、セフィーは息子だったら彼の殺された
父親にちなんでRyan、娘だったらカラム-Cullumを崩してCallieを提案。

しかし、二人だけの時間は突如終わりを告げる。 突如現れる警察。
カラムは連行され、その後死刑判決を受ける。

死刑の十分前、現れたセフィーの父親から、娘の生まれてくる子供が
自分の子供ではないことの証明書を書けば恩赦を与える、という取引に
証書を破り捨てることで応じたカラムは、刑場でセフィーと互いに愛を
叫び合いながら息絶える。

やがて。
セフィーは娘を出産。かつての約束通りCallieと名付け、自身も今後は
カラムの「マクレガー」姓を名乗ることを発表。

半ば勘当された身のセフィーは娘と共にかつての二人の思い出の
浜をゆっくり歩く。 自分の恋人はすぐそばにはいない。
しかし、「あの日」書いた二人のRoseとCallieの文字はしっかと残り続ける…

結局、この物語の中ではクロスとノートの諍いは終わらなかった。
でも、時に憎み合いさえもした二人の子供はこうして生きて憎悪の
連鎖、それしかない世界、それが終わらない世界とは別の世界を
生きる可能性と希望を持っている。 

そして、それは二人の両親の決断のおかげ。
二人が子供を守ったから、この子は「二人の子供」として生を
受けることが出来たことは忘れてはいけないのです。

現実は厳しく、決して自分達の世代では好転しないかもしれない。
それでも、小さなことからわずかに変わる希望があるのかもしれない。
そう思うと、明日に明るさを少しでも覚えることが出来るかも知れない…と
考えることだって出来ます。 そうでしょう。


『カラムとセフィーの物語』。 原題―Noughts and Crosses

説明書きによると、○と×を三つ並ぶように置いておく、日本でいう
オセロゲームみたいなもので「相手にミスが無く両者が真正面から
真剣に向き合う場合には、勝負がつかない」そうです。


あとから、振り返るとこの解説が、この物語の本質を衝いている気がする。
人対人。 簡単ではないけど、そこにこそ光がある気がする。
牡丹亭

牡丹亭

TBS

赤坂ACTシアター(東京都)

2010/10/06 (水) ~ 2010/10/28 (木)公演終了

満足度★★★★★

アジアの至宝
「日本」の、ではなく「アジア」の至宝、と敢えて言いたいと思います。
1幕45分、2・3幕各40分(途中休憩5分、20分)の総計2時間45分の
長丁場にも関わらず、本当にあっという間の舞台でした。

一年間徹底した猛稽古の結果、中国の役者と見まがうまでの発声を
身に付けた坂東玉三郎。 自身の舞いもさることながら、脇を固める
春香役の方の息も恐ろしくぴったりで、一幕「游園」から華麗な動きに
圧倒され、美しさに食い入るように見つめている私がいました。

ネタバレBOX

四幕「離魂」で恋煩いの果てに、自身を梅の木の下に埋めて欲しいと
懇願する娘の姿に涙を流すしか出来ない母と春香の姿。 
両脇に設置されたスクリーンでの翻訳も格調高いものであり、
この場面では引きこまれ、私もつい涙がこぼれてしまうほどに
移入しました。 

なんというのか…動きの全て、首のかしげ方、手のかざし方一つとっても
意味が込められていて、その時々の心情が見ているこちらにしっかと
伝わるんですね。 

二幕「驚夢」で、春を司る神がその従者と舞いを踊るのですが、
その動き一つとってもさざ波を表現していたり。 表現が巧みと感じます。

一幕で苔むす庭園に心寄せたり、最小限の動きで心情を最大限に
表現したりする手法。 ふと「もののあはれ」「能」と日本文化の粋と
いわれるモノとの共通点も微かに感じたりと、どこか遠かった中国
芸能に俄然興味が出ましたね。 今後は、その辺りの関係も勉強
したいと考えます。。 でも、奥が深そうだなぁ。。

ともあれ、荘厳で、かつ繊細な芸能に触れたいと思う人全てが
見るべき舞台と最後に述べたいですね。 素晴らしい!!!! 
ロールシャッハ

ロールシャッハ

KKP

本多劇場(東京都)

2010/10/06 (水) ~ 2010/10/17 (日)公演終了

満足度★★★

細かい部分で妙に面白い
色んなところにさり気なく仕込まれた小ネタと、それを使っての動き、
間の取り方が絶妙に上手い。 ガハハと大笑いするより、ニヤニヤ
クスリとするタイプの笑いで、あっという間に引っ張られた2時間10分。
個人的には、後半のネタがツボに入りました(笑

最後の、思いもかけない展開とタイトルに込められた意味、
綺麗なまとまり方にも拍手。

ネタバレBOX

「開拓隊」なる存在が6つの島を開拓してきた中の一つ、「壁際島」。
そこには世界の果てのような場所が存在し、一つの灰色の巨大な
壁により、その向こうは謎に満ちている。

怒りっぽすぎるため外国人工員が何人も辞めていくのに悩む工場長、

「パーセントマン」という3Dマンガにハマリっぱなしの少オタク気味な青年、

人に合わせがちな、軽いノリの典型的な若者な男、

この三人が開拓隊より、この世界の果てにそびえる壁に大砲で穴を
開ける任務を命じられることから、この物語は始まります。

内容が分ると最後の場面のカタルシスが無くなるので伏せますが、
「今の自分」と「本当はなりたい自分」の両面、「壁のこちら側」と
「壁の向こう側」、どちらも違うようで本当は鏡に向き合うように同じものだよ。

そういう意味がこのタイトルにはこめられ、観客は大砲訓練にいそしむ、
というか、四苦八苦する三人を観ながら気が付いていくでしょう。

ちなみに、ネタ的には「串田発泡手!!!」と「朝の小ネタラジオ体操」に
ものすごく笑いました(笑 特に前者。

「お前っ!!!! 俺の職務聞いて笑っただろっ!!!!」

いや、笑いますって。 観客席も大爆笑の個人的笑いハイライト。
腹筋ヒクついたわー。
ガラスの葉

ガラスの葉

世田谷パブリックシアター

世田谷パブリックシアター(東京都)

2010/09/26 (日) ~ 2010/10/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

重なり合う「葉」の家族達
白井氏の演出は、観る人色々感じると思うのですが、生々しく艶やかな
陰翳にあるような気がしてならない。 闇が妖しくうごめき、
その中を光が鮮やかに照らす。 いつもそう思うのです。

その独特の演出が、一見はごく普通の家族達の裏に潜む思惑や
攻撃性、狂気、崩壊感覚を上手く抉り出していて、ここ最近の観劇の
中では群を抜いて脳裏に刻まれました。 観客が多いとはいえず、
空席も結構目立ったのが不思議な位の、高レベルっぷりでした。

余談ながら局面、局面で流れる、音数少なめなのに妙に耳に残る
ピアノの響きが気になって気になって、後で調べたら「中国の
不思議な役人」でも楽曲を提供している三宅純氏の手になるものと知り、
それなら当然か!!と膝を打った次第。

ネタバレBOX

私は、芥川龍之介「藪の中」が大好きなのですが、この作品にも
同じ匂いを感じますね。 こういう話はものすごく好み。

あの物語では、「誰が若主人を殺したのか」、そのことをめぐり、
証人達の言う事が食い違い、結局全ては「藪の中」に終わるわけですが。

局面、局面で兄スティーブン、弟バリー、母親の証言がことごとく
食い違う。 同じ時、同じ場所にいたはずの人物達が全く違う事を
証言する。 まるで、同じ映画を観ているのに、解釈が食い違う。
そんな有様を見せつけられ、観客は戸惑う。

なにしろ、誰の言葉を信じるかで、登場人物達のキャラクターまで
変わってくるのだから。 

兄の言う事を信じるなら、弟は父親の死を受け入れられない、
限りない妄想にとりつかれた心の弱い人間になるし、逆に
弟の言う事を信じるなら、兄はとんでもない偽善者で母親は
息子可愛さにその片棒を担ぐ共犯者、ということになるのだから。

そもそも、物語の根幹をなす「父親の死」についても、観客に
明かされる要素が少ない。 これは物語を通じ全てにいえるが。
何故死んだのか、だいたい自殺なのか事故なのか。

人物達の言葉が全て嘘とはいえず、かといってまんま真実を
語っているとは思えないので、自然他の部分から読み取っていくことに
なるのですが。 微かに分かるのは。

①死んだ父親はどちらかといえば内向的で、子供たちを恐れてか
 引きこもりの傾向がみられること。

②一応兄は母親の、弟は父親のお気に入りという事にはなっているが
 実は互いに愛しながら、心の深奥では必ずしも完全に心を許さず
 憎んでいるきらいすらあるということ。

③②の「隠された憎しみ」の理由はどうも、兄、弟、母親が相互に
 相手の中に「死んだ父親」を見ており、その互いの存在に密かに
 耐えがたいものを感じているらしいということ。

①~③は私の解釈なので、他の人はまた違ったものを思うかも
知れません。 特に、生前の父親がどういう人間か、その受け止め方で
かなり変わってくると思います。 私は…ノーマルな人とは思えなかった。。

舞台は緊張感に満ち、知性と暴力の相反する要素がふんだんに
盛り込まれた台詞の応酬で時間はあっという間です。
舞台の、時折バチバチと点灯する蛍光灯が良い感じ。 あのせいで、
なんか普通の変哲ない部屋が、まるで息苦しい地下室にでもいるような
雰囲気を良い具合に持てました。

最後、観客はきっと身近な存在の家族でも何一つはっきりしたものは無い、
確かなことはその人だけにしか無い、人生はその繰り返しだ、好む
好まざるに関わらず、との感触を多かれ少なかれ抱え家路に着くでしょう。

皆上手かったけど、銀粉蝶はどんなに仰々しい台詞でも、挨拶くらいに
自然に聞かせる、見せる有様が流石と思いました。
そして田中圭。 前半のぶっ飛びっぷりと、後半の純粋過ぎるバリーの
ふり幅の広過ぎる役柄を違和感なしに見せてくれ、今後も大いに期待。
やわらかいヒビ

やわらかいヒビ

カムヰヤッセン

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2010/10/01 (金) ~ 2010/10/11 (月)公演終了

満足度★★★★

板倉チヒロすげえ
というしかない。 というのが、まずもっての感想。

涙、鼻水垂れ流しで理不尽さへ憤り時には熱く、時には残酷なほど
温かい、この主人公を熱演した板倉チヒロの役者精神は、出演者が多い、
この舞台でも輝き過ぎてました。 お陰で主人公のシンクロ度マックスです。

「Mと1」の話を語り出した時がこの作品のハイライトと勝手に思ってます。
この舞台の成立は半分以上彼の貢献によるところが大きいと感じました。

そして、ラスト。 幻想的で、ほんの少し、かけら位の希望が感じられる、
美しい光景でした。 よく考えれば残酷でもあるけど、それも含めて
「生きる」ことに少しだけ思いをはせました。

ネタバレBOX

事前の想像よりも、結構ダークで残酷な物語でした。

他の方が気を悪くしたら申し訳ないけど。。
6月に観たひょっとこ乱舞「水」を思い出していました。
「生きる」ことが美しいだけでなく、時に暗くて残酷だ、というテーマ、
構成や場面転換が複雑ながら巧みに練られていること、時々入る
冷静だけど詩的で核心を突く長台詞。

共通点を感じました。

登場人物が多い作品だけど、何人共感出来るかで評価が決まりそう。
私は牧、佐々木(弟)、ラミアは好きだけど、美津子、小原、上谷、タダシは
ド真ん中で嫌いなタイプだなぁ。 

上谷は牧、タダシは「化学が人を傷つけない世界」に反射させて
結局自分しか映って無いのだもの。 結局は自分のエゴが透けて
みえてくるというのか。。 だから、自分は良くても人がどう思うか
想像の及ばない発言を繰り返しちゃうんだよね。。

あの場面で、「私を殺して」って、理解はものすごく出来るけど
絶対に言えない台詞だよ。。 牧の心情を考えたら。。
ただ、自分が男なのでそう感じるだけで、また他の人は違うかも知れない。

思うのだけど、「アカデミー」に選抜された人達。 ある分野に
秀でたはずの、いわば「エリート」集団なのに、自己中心が過ぎて
子供の集団のようなイメージを持ちました。

佐々木(兄)をいびってた連中とか、上谷と共同研究チームを組んでた
二人組とか。 でもああいうのってエリートに限らず純粋培養されて
しまった人にはよくありがちな性格なのだけど。

そのアカデミーを事実上支配するのが、「大人になれない、
永遠に子供のまま」のタダシだなんて、皮肉にも程があるよ。

そんな人間ばかりの「ノアの方舟」なんて「進むも地獄、戻るも
地獄」だね、まさしく。意図しての設定だったら脚本家は凄過ぎだけど。

あと、タダシが何故末期状態の上谷を連れて帰ろうとするのか
よく分からなかった。 最初、故意にボロボロにして、その状態を
研究して何かに役立てるつもりなのか??と思ったけど、どうも
ブラックホールの開発に彼女が必要らしい。 じゃ、なんで
ボロボロにする必要があるんだろ?

そこが腑に落ちなかったのが残念。

それにしても、最後の場面のラミア含むセットの美しさと幻想性は
今後ずっと覚えていそう。 でも、あれって上谷が死んで、ラミアが
「解放」されたからこそ、のあの光景なんだよね、よく考えたら。

「生きる」って、「生命」って残酷なものだな。
でも、あのシーンだけでも観に行って良かった、と思えた。
ゴジラ

ゴジラ

リブレセン 劇団離風霊船

かめありリリオホール(東京都)

2010/09/27 (月) ~ 2010/09/27 (月)公演終了

満足度★★★

ゴジラの愛
前作「さて、何が世界を終わらせるのか」が結構好きだったので
観に行きましたが、笑いの部分で弱いような気がした。
今となってはやっぱり設定に余りにも無理があり過ぎるよなぁ。。。

でも、やっぱり橋本直樹のケレン味溢れる演技は凄く好きだ。
そして、ゴジラ演じる竹下知雄は上手いと思いました。


ネタバレBOX

ラスト、山の噴火の場面でやよいがゴジラの話振っても
家族はじめとして皆さらっとスルーしていたのは、この物語が
純真さそのもののやよいの願った幻想だったからなんだろうか?? 

最後、ゴジラによく似た男がやよいにスミレを差し出して(二人の出会いの
きっかけがスミレの花だった)二人で避難しに走り出して幕、は何か
釈然としないものを少し感じたけど、良いエンディングで良かった。

それにしても、ハヤタの空回りっぷりには笑いました(笑
でも、好人物だよなー、ハヤタ。 若干KYですが。。
砂と兵隊/Sables & Soldats

砂と兵隊/Sables & Soldats

青年団

こまばアゴラ劇場(東京都)

2010/09/16 (木) ~ 2010/10/06 (水)公演終了

満足度★★★★★

終わらない歩み…。
この作品、結構好きかも、と観終わった後思う自分がいました。
不条理劇は結構好きなんですけど、それに加えて結構笑わせる
ところもあり、あっという間の観劇タイムでした。

将校の「岩本」を演じた山内健司の、飄々として若干おとぼけな
隊を率いる軍人らしからぬ佇まいが、逆に強く印象に残りました。
「西川」演じる石橋亜希子の笑いの取りっぷりも良かった。

ネタバレBOX

オリザさんの「上演にあたって」、ものすごい作品のネタバレなので
最初から伏せておいた方が良かったのでは…。 皆、普通は
一番最初に読むだろうし。

「戦わない軍隊」「敵に遭遇したことの無い軍隊」…。
暗に「自衛隊」のことを指しているんだろうなぁ、と感じても
表だって言われるのと言われないのとではやっぱり感じ方の
強度が違ってくるし…。

それでも些細な台詞、だべりの応酬からいきなり核心を突いてくる
脚本は凄かった。

母親を探して砂漠を彷徨う一家の会話で、長女が父親に、

「涙を拭いて無理に笑顔を造って走って戻ってきた
かもしれないじゃんか!!!!」

は痛烈だったね。 長女の今に至るまでの寂しさ、理解されにくさが
あの台詞に思いっきり凝縮されているように感じられました。

最後、一番最初のシーンと同じように出てきた軍の一隊が
最初のとは若干ヴァリエーションの異なった会話を交わして
去っていくシーンで終わったのに上手いと思い、さらに登場人物達の
彷徨が順々に永遠に続く(脚本には「観客が全員去るまでこの動作を
繰り返す」と指定あり)演出の執拗さに思いっきりビックリ。

とまれ、上質の不条理劇でした。 またいつか広い所で観てみたい。
表に出ろいっ!

表に出ろいっ!

NODA・MAP

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2010/09/05 (日) ~ 2010/09/28 (火)公演終了

満足度★★★

裏「ザ・キャラクター」
中村勘三郎ファンが多かったのか、一挙手一投足に観客大ウケ。
でも、勘三郎さんはサービス精神旺盛でした。 歌舞伎パロディやって
笑わせてたり、他ではしないようなぶっ飛んだ動きしてたり。 
その捨身のパフォーマンスがすごく面白かった(笑
若手女優さんも溶け込んでた、というより溶け込み過ぎてた(笑

特に序盤の、若干引きそうになる程の高テンションについてこられるかで
結構決まってくるかな、と思います。

しっかし最後の台詞、相当キツい皮肉だねぇ…。

ネタバレBOX

内容は、まんま上の「説明」に書いてある通りです。
母親はいい歳して若年アイドルグループ、父親はアトラクション、
娘は… あの「書道教室」にモノの見事にどっぷりハマってしまっている。

前半は「ザ・キャラクター」と同じく三者間のドタバタで進行していくけど
ひょんなことで娘の行き先がバーガーショップのおまけ目当ての行列ではなく
「書道教室」ということが発覚してから、舞台に何ともいえない黒い雰囲気が
立ち込めてくる。

家元のいう、「世界の終り」を信じる娘は、それゆえにそれを信じない
両親と対立、家元から授かったという「人魚の粉」を飲むといい出す。
なんでもこの「人魚の粉」を飲むことで人は生まれ変われるらしい。

…「ザ・キャラクター」を観た人は、ここでこの場面の雰囲気が
あの「地下室」でのやり取りと被ることに気がつかされます。
実際照明も、あのシーンと全く同じものにされててぞくっとした。
三人が互いを鎖でつなぎ合ってるのもまるで同じ。

三人を外に行かせない為につけられた鎖はそもそも三人が
自分の信じるものを強硬に捨てられないことの結果。
それなのに、それに呪縛され自分ではその鎖を脱して外に
脱出することが出来ない。

結果的に自分で招いた鎖を外すことことすら他人に期待する、その滑稽さ。

でも、決して三人を笑えない。

ここで「演劇」をレビューしている私が鎖につながれている、それを自分で
外せないでいる、そのことに気がつかないでいるかもしれないし。。

ちなみに、最後勘三郎さんが演じる能楽師の

「神様でも泥棒でもいいから水を飲ませてくれ!!!」

はキツかった。 

結局窮地に陥った時には、自分の全てを賭けると言い張ってた趣味嗜好も
水以下、張り子の虎だったわけで、じゃ、そんなの今まで信じちゃってた
貴方って一体何なんですか? という皮肉な一撃をくらった感じ。
聖地

聖地

さいたまゴールド・シアター

彩の国さいたま芸術劇場 小ホール(埼玉県)

2010/09/14 (火) ~ 2010/09/26 (日)公演終了

満足度★★★★

地続きの「境界線」
9月は、「自慢の息子」、そして「聖地」と松井ファンにとっては狂喜乱舞な
月となったわけですけど。 それ、私にいえることなんですけど。

「聖地」は「自慢の息子」と若干テーマを共有しつつも、結末は全く正反対の
印象でしたね。 向こうが「冷」なら、こっちは「暖」みたいな。
正直、松井氏の作品から「暖色」の印象を受けるとは思わなかったので
何か別の作者の作品を見てるような気持でした。 

作品全体を通じて松井氏の意外な振幅の広さ、そしてそれに対する
演出の力を感じました。

勝手が違う作品を前に健闘以上の調理を見せた蜷川氏、そして
長丁場の舞台に耐え切った劇団員の皆様には本当に感謝。

ネタバレBOX

場内に入って、陽光を模した照明に照らされた瞬間から、もうお手上げでした。
窓の隙間から差し込む眩しくて心地よい陽光、白を基調とした調度品の数々…。

サンプルの薄暗くて風通しの悪そうな、カビ、蒸れてすえた匂いで
充満してそうな雰囲気の舞台との余りの違いにショックを受けますね。。

個人的には自分も年取ったらここに住みたい…って何十年先の話だ(苦笑

ストーリーは、チラシにもあるように老人達がホームを占拠して
「聖地」を築き上げる第一部までは割とオーソドックスに、しかも結構
良い話な感じで進行するものの、地ならしを終えた第二部からは徐々に
松井色が舞台を覆い始めます。

さながら、普通の絵の上に徐々に歪んだレイヤーをかけていき、
別の絵にすげかえてしまうように。

第二部では、入居者の一人、認知症患者の瀬田さんにかつてのアイドル
キノコちゃんが憑依、「聖地」の共同体の中心にいつの間にか入り込む。

それとともに、「聖地」設立の目的、老人達が安心して過ごせる共同体、
という触れ込みも徐々にキノコちゃんを中心とした、その体制保持の為の
集まり、というものに侵食され、変質していく。

ここで怖いのは、別にキノコちゃんが絶対的な権力者として君臨している
わけではないんですね。 キノコちゃんを絶対視しているものもいれば、
全然お構いなしにそれまでの生活を営んでいて気にしないものもいる。

なんかリアル過ぎる組織図なので、逆に笑えてくる。

徐々に話は進行し、本当にキノコちゃんが瀬田さんに憑依しているのか
それとも認知症で生前のキノコちゃんと仲が良かった瀬田さんの狂言に
みんな乗せられているのか、だんだん分からなくなってくる。

その疑念が頂点に達した時、警察が踏み込んできてこの物語は幕を閉じる…。

最後、その一連の物語でさえも、ある一人の老婆の死に際の夢で
あるかのような描写がなされ(この女性が本物のキノコちゃんである可能性も
あり、その死に際の願望・妄想が今作、という解釈もできそうだけど、本編では
明示は無し)、静かに美しく暗転。

結局、何が本当で何が偽りなのか分らないままですが、「自慢の息子」と
違い、音楽や照明が暖かいんですね。 慈しみに満ちているというか。

実際の蜷川さんは、暖かくて真摯な人だ、といわれているけどそれは十二分に。
舞台の雰囲気も含めて、そこは松井氏との演出手法の違いをひしひしと
感じました。

全く性質が違う、しかも世代も違い過ぎる作家の作品をここまで
自分の作品にした蜷川さんはやっぱり凄い人だ、と感じます。
なにより、その新しいことをしようという勇気に惚れるし、尊敬。 

…けど、公演のチケット、毎回高いので何とかして欲しい(苦笑
今作はその意味でも感謝。
THE OLD CLOCK

THE OLD CLOCK

劇団PEOPLE PURPLE

SPACE107(東京都)

2010/09/15 (水) ~ 2010/09/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

美しい「大きなのっぽの古時計」誕生秘話
とにかく凄く混んでましたね。
大入り満員過ぎて桟敷席が現れ、それでも足りず若干の立ち見まで。

キャラメルボックスの方も客演していたりと、綺麗で切なく、でも最後には
希望に溢れた、観終わった後素直に良かったと思える舞台でした。
体調悪かったけど、観に行って本当に良かった。

余談。

鑑賞後、気になって「大きなのっぽの古時計」について調べてみたら
登場人物のヘンリーは実在の人物みたいで。 奴隷解放運動の賛同者で
ホテルの人間から聞き取った話を元にこの名曲を創ったというのも事実みたい。

ネタバレBOX

スティーブンが生まれた日にジョージホテルにやってきた大時計。
その時計の精霊であるアリーシアとスティーブンは、ホテルの歴史と共に
一緒の時を過ごす。 星座の話を聞いたり、共に遊んだり。

時は経ち、母が、古くから仕えていたリッチが、そして弟のリチャードが
次々に世を去り、あとにはスティーブンとアリーシア等モノの精霊達、
そしてスティーブンにほのかな恋心を寄せ続けた使用人の
ウィンスレットだけが残される。 否が応にも孤独、そして老いを感じる
スティーブン。

そしてやがてスティーブンにも死の手が訪れる。
死に瀕した彼の願いを受け、精霊達は彼の愛した「パッフェルベルのカノン」を
演奏する。 その演奏に導かれるように昇天していくスティーブン。

精霊は年を取らない。 しかし、たった一つだけ願いを叶えることが出来る。
スティーブンの死を見届けた後、アリーシアは渾身の想いで願う。

――スティーブンの魂と天国へ

と。 かくして大時計は永遠に時を刻むことが無くなった。

その話を今は年老いた(しかし、昔の可憐さはなくバイタリティのある
おばあちゃんに(笑))ウィンスレットから聞いたヘンリー。
彼は奴隷解放運動に共鳴し、南北戦争にも関与していたが戦争の
真実の姿を目の当たりにし、曲を書くことが出来なくなっている。

その彼が一晩で書きあげたのが「大きなのっぽの古時計」。

スティーブンを愛しつつも、結局結ばれることの無かったウィンスレットの
想いを歌に織り込んでの「My grandfather's clock」をヘンリーが披露する中、
精霊達、そして今は天国にいるスティーブンとアリーシアが高らかに合唱し幕。


バッハ遠縁のブッファ氏等にぎやかなオモロキャラを配して上手く笑いを
とりながらも、基本はスティーブンとアリーシアの物語です。
自分のこれまでを振り返りながら観ると感動が倍加しますね。
相変わらず地に足のついた、浮つかない骨太な作品でした。

正直、ファンタジーとか嫌いなんだけど何故だろう、すごく素直に
観ていられた、な。 設定に逃げず人間がちゃんと書かれてたからかな。。
すごく共感し易い台詞の数々。

メインのスティーブンを演じた植村氏には脱帽。
38歳、45歳、老年のスティーブンを変化をつけつつ、純真な心を持ち続けた
地に足のついた一人の男として演じた、その存在感はやっぱり凄い。

あと、脚本・演出で、今回「のっぽの古時計」を作曲したヘンリーを
演じた宇田学氏の演技も、実は相当良いのではと感じます。

「ORANGE」の時の頼れる兄貴分消防士とはまた違った、落ち着いた感じの
演技で、なんというのだろう、懐が広いというのか、滋味のある動きをしますね。
今後は役者としての宇田氏をもっと観てみたいですね。
エゴ・サーチ

エゴ・サーチ

虚構の劇団

紀伊國屋ホール(東京都)

2010/09/10 (金) ~ 2010/09/19 (日)公演終了

満足度★★★★

活気にあふれた好作品
とにかく役者が騒ぐ、動く、そして笑わせる!!!!!
ホントは事前のチラシとか見てて、もっと深刻な話なのかな?と
思っていたけど、結構アッパーで若々しくて楽しかった!!!!
それでいて、最後はしんみりさせられる良く出来たお話でした。

しかし、 小野川晶の笑いのとりにいきっぷりは凄かったね。
相当舞台の雰囲気を明るくすることに貢献してたと感じます。

ネタバレBOX

話は面白かったけど、タイトルの「エゴ・サーチ」、あんま本筋に
関係なかったかも。。 二つの話を強引につなげた感があって
序盤~中盤までごちゃごちゃしてて理解がちょい大変でした。
ギジムナーの登場も少し無理あったし。。。 複雑過ぎ?
そこまで入り組んだ構造にする理由がよく分かんなかった。

これだったら、最初から舞台沖縄方面にして、「男女○人夏物語」
みたいにした方が合ってると思うけど、そんな単純なのは
やりたくなかったのかな?

↑で色々言っちゃったけどそれを遥かに上回って舞台の雰囲気が面白い!!!
稽古の場で出たアドリブやアイデアがそのまま本番に
採用されたのでは? と思えるような動きや台詞もふんだんにあって
かなり良い意味で「勢い」がありました。

つーか、あの、路上で一杯いそうなバンド「骨なしチキン」の、

フル・オブ・フラワー(後半「レインボー」に変わる)~♪

の歌が頭から離れない(笑) というか、あの歌、何気に結構良曲だと
思うんだけど、他の人はどうなんだろう?

緩急付いた、明るい雰囲気の劇が好きな人にはお勧めですね。

小野川晶も超楽しかったけど、大久保綾乃の、「スターウオーズ6本
ぶっ通しで観て~」の件は、なんかツボにはまって笑ってしまった。
そういうことありますねー。

というわけで、次回作は近未来ドタバタSFコメディ(歌踊りあり)を希望!!
自慢の息子

自慢の息子

サンプル

アトリエヘリコプター(東京都)

2010/09/15 (水) ~ 2010/09/21 (火)公演終了

満足度★★★★

王のいない「王国」
ストレートに分り易くなったなー、というのが第一印象。

一癖も二癖もある人物達を今回も配しながら、相変わらず巧みに
舞台装置を用いながら、台詞もメッセージ性も「ハコブネ」の時以上に
一直線に観客に伝わってくるのが今作。

逆に、何が起こるのか分らない、その予測出来無さを楽しみに
サンプル、松井作品を観に来ている人は、今作は結構想定出来る
感じなので物足りないかもしれません。

ただ…ラストシーンのある台詞には背筋が凍った。 
アレって…暗示してるの一つだけだよね。。。

ネタバレBOX

世界を正しく導くために、父親に「正」と名付けられた男。
彼がアパートの一室を「王国」と名付けることから、この話は始まる。。

といっても、部屋の一室が便宜的に「王国」となっても何も変わらない。
通貨も無ければ、言葉もロクに考えられてない、そもそも王しかいない
王国は果たして王国といえるのか?? 

亡命者の兄弟は所謂「危険な関係」にあり、それを隠すために
この新国家に亡命してきている。 

しかも、兄の方はいつも懐にナイフを忍ばせているような
強迫観念に駆られている男で、物語では明示はされないが
本当に二、三人は思わず殺ってしまっちゃってるんじゃないだろうか? 

隣室に住んでいる女は、いもしない「陽」という自分の息子の幻影を見、
必要のない洗濯を日がな何度も繰り返す。。

そしてこの国の王たる正は…部屋に引きこもってはぬいぐるみのミニ
人形と専ら戯れているだけの、女性経験全く無し、職歴も全く無しの
もう絵にかいたような典型的な生活不能者…ですな。

そのような現実から「亡命」してきた人間達が便宜的につつけばすぐに
破れるようなベッドやらカーテンやらのシーツの塊でこねくりだしたのが
この王国の正体。 つまり、すぐにでも破綻することは必定。

「国民」や「王」も必要があるから共犯よろしく、この抜け殻の王国を
持ち上げているだけで、意味がなくなればすぐにベッドからシーツが
はぎとられるように消えてなくしてしまおうと、新しく創っちゃえばいいじゃん?
位に考えている。

この作品,観ていてNODA MAP「ザ・キャラクター」を思い出しました。
現実の中に架空の、偽りのコミュニティを造り出して、そこで醒めない
夢を見続けるんだろうな、という点で…。

最後、二代目「陽」になった兄が妹に向かって放った言葉、

「陽は土の中で眠っているーーー!!!!」
「やがて脱皮して新しく生まれ変わるまでーーーー!!!!」
「土の下でお前を支える支えになるからなーーー!!!!」

に、心底背筋が凍った。 コレ、陽って子は既に母親に虐待を受けて…
で、土の下で「眠っている」ってことでしょ? 瞬時に想像してすんごく怖かった。

最後、みんなしてシーツを掲げたあの光景、アフタートークで松井さんは
ドームって表現していたけど、私には今まで、そして未来永劫漂流し続ける
ヨットの帆にしか見えなかった。 そして、ナイフを自動人形よろしく
掲げ続ける妹の姿に本気でびびった。

変態度も、意味わからなさも若干後退気味で、その分上記に書いたような
テーマ的な部分は大きくクローズアップされているので、この劇団に
興味がある人にはリトマス試験紙的な意味で良いかも。
ハーパー・リーガン

ハーパー・リーガン

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2010/09/04 (土) ~ 2010/09/26 (日)公演終了

満足度★★★★

認め合う
端的にいうと、母娘三代の衝突、そこに血を分けた人達でありながら
容易には埋められない「壁」を感じつつも、

本気で本音をぶつけ合う事でうっすらと見えてくる共通点に少し安堵し
最後には互いを、ほんの数センチだけど確かに「認め合う」。

そんな、微かに希望がのぞけるような、観終わった後には色々なことへの
ためらいがしゅんと消えていくような懐の広い劇でした。

ネタバレに書きますが、公演前のインタビューで小林さんが言及していた
最後のシーン、あそこはホントに良いね。 結構響いた。

話全体は女性にささげられているものと感じたけど、最後の場面は
男はじんとするんじゃないかと思う。

ネタバレBOX

主人公ハーパーは、観た限りでは、

・相当我が強く、
・恐ろしくまじめな人で、
・またすごく頭の良く、
・最後に非常に透き通るように純粋

な女性と見受けられました。 この「ハーパー」という女性の考え、選択肢を
受け入れられるか、がこの劇を認めるかどうかの大きなポイントですね。

私は、父親の死んだ直後のハーパーの行動は結構理解出来る。
立ち寄った先の居酒屋で男をグラスで殴りつけたり、行きずりの男と
浮気してしまったり。

上記の特徴を持つ人は、自分の世界を強力に確固に造り上げている人。
人にはその内側を明かさない為、第三者(例えば、娘のサラ)的には
「変な人」に見えるけど、実際はその人だけの行動原理にしたがって
理にかなった動きをしているだけなんですね。

ハーパーの場合は、「父親の存在」が彼女を支配していた。
その父親が死んだことで、自分を支える存在を無くした彼女は
「古い自分」を捨て、「新しい自分」を見つけた。

それが自分の、自分に本当は良く似た「母親」であり、「娘」であり、
そして「家族」であった、というのが凄く感動する。

木野花の、ハーパーの母、アリソン婦人は短い登場時間だったけど
存在感がものすごかった。 何とかして自分の存在を認めてもらいたい、
自分を理解して欲しい、という切実な想いが母ではなく、女性ですらない
私にも一直線に突き刺さってきました。

そしてセス。

彼は良い。 女性が大きな存在の、この劇で私が感情移入したのは
セスでした。 いや、もしかしたら児童ポルノ撮影愛好の、変態野郎
なのかもしれないんだけど(苦笑 

コミカルな中に、彼の女性二人、妻のハーパーと娘のサラへの愛情が
透けて見えるのが切ない。 

この劇は、不器用で卑小な人しか出てこない、愛らしい劇ですけど
その中でも彼はダントツで好きですね。

最後、庭での家族三人そろっての朝食の席で彼が語る十年後の
未来予想図、夢、

「娘のボーイフレンドは正直者で男気があって、僕の学会の発表会にも
一緒についてきてくれるんだ」

「サリーでも、どこへでも来てくれるんだよ」

あのシーンに、脚本家の「父親」の姿が垣間見えてなんかホッとした。
何故か嬉しくなりました。

そう山崎一がしみじみとした表情で語るのを、神妙に、そしてほんの少し
安心、幸福そうに聞く二人の様子、そこに差し込んでくる明るい陽光の
シーンが、

それぞれは違う人間だけど、どこかに「自分と同じもの」を見つける
ことは出来る、それがどんなものでも許す…というより認め合おう、という
幅の広さを感じ、自分のどこかが浄化されるような思いでした。

…思ったけど、あのシーン、スパイダーズ「ACWW」の
ラストシーンと被るよねぇ。

作品のテーマも重なり合ってるし、長塚さんはこういう話が最近は
好きなんだろうなぁ。
マルチメディア

マルチメディア

ペピン結構設計

こまばアゴラ劇場(東京都)

2010/08/28 (土) ~ 2010/08/31 (火)公演終了

満足度★★★

切なくなる
これは… 主人公たちと同世代、20代中盤~30代前半辺りまでの
観客はほぼ同じ体験をしているだろうし、ああ、分かる分かる!!!!と
思わず自分もそこに一瞬戻ったような感触を受けると思う。

その後、自分も、自分の周りのものも変わってしまう、ということに
思いが至って、観終わった後は少し切なくなると思いますね。

ほんの少し、自分が見てきた昔の風景、今も殆ど変わらないけど
でもやっぱりちょっと今のものとは一致しない風景を懐かしく感じました。

ネタバレBOX

酒屋がコンビニに、タバコ屋が「MULTI MEDIA」ステーション(多分、昔
少ししゃれた町の中心に設けられた科学記念館みたいなものだと思う)に
変わり、そのステーションも平成の終わりと共に閑散とし、潰されて
ユニクロに変わる運命を待つのみ。

そんな、自分のうちの近所でも当たり前にありそうな、寂れてシャッター街に
なりかけの商店街の住人達の物語。

昔は必要とされていた酒屋やタバコ屋、電気屋なんかが姿を消し、そこの
住民達は商店街を後にしていく。 それを淡々と告げる狂言回しのアサヒ。

昔の友人がやむを得ない理由で自分達のコミュニティから外れていく。
それほど悲しいことは無いんだよね。 やがて帰ってきても、もう感覚を
共有することが難しいんですね。 

「この街」の、じゃなくて既に「あそこの」人になっちゃって、そこに意識が
根付いちゃってるから。

この物語には、昭和から平成へ移り変わり、否応なしに変化を求められる中
変化を拒み、時の止まった中、ただ生きる人たちもいる。

その人たちに、「時間は動いてる、変化してる」と告げてしまう事って。

果たして、良いことなのか、悪いことなのか。


序盤の、映画館がポルノとかアニメしか流さないようになった、ってエピソード、
自分の周りにも同じことがあったから、他人事とは思えなかったよ。。
主人公が自分の身の回りの人、かつての自分のように感じられてならなかった。



ログログ

ログログ

キリンバズウカ

シアタートラム(東京都)

2010/08/26 (木) ~ 2010/08/29 (日)公演終了

「役者は」上手い
ただ、内容が…ちょっと。
世界観が狭い中に色々ぶち込んじゃったので、最後整理出来ずに
強引な力技でねじふせた印象。 最後の展開は個人的には「無かった」。

なんかニイムラの存在が軽くなっちゃってて、誰かに都合よく動かされる
人形みたいだ。。。 

ネタバレBOX

導入部分の、ニイムラの屋上からの転落をめぐるアレコレが結局本筋と
全然絡んでこなかったり、相手の記憶を自分のものと混合する性質も
最後の最後で思い出したように使われるだけなので、最後の尻すぼみ感が
凄かった。。 

何だろう、ニイムラが自分の母親に殺されかけたエピソードを語るとこは
生々しくてとっても響いたのに。 第二部に入るところから役者の演技に
反比例してホンが現実味を無くしてって没頭出来なくなりました。

割と出番の多いアズミがいかにも「男男し過ぎて」好きになれなかったのも
大きいよなぁ。 ちなみに、シマちゃんが一番好きかな、この劇の中では。
言いたいこととやってることが登場人物の中では一致してる方だと思うんで。

脚本が二十年前の話を語りたかったのか、「記憶」をテーマにしたかったのか。
見せたいものの優先順位を整理して欲しかったです。
歸國

歸國

富良野GROUP

赤坂ACTシアター(東京都)

2010/08/12 (木) ~ 2010/08/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

「あの戦争」についての新しいクラシック
時間の流れだけは誰にも止められない。
嘆いても、叫んでも、諦めても、1年、10年、100年…と時間は平等に
人の上を通り過ぎていく。 

それは悲しく辛いことばかりとも言い切れない。

自分が当事者だった時は見えなかったもの、しかし本質的なものが
時間の経過に洗い流されて顔をのぞかせることは良くあること。

倉本聰氏は、抑制され、冷静で、上品な筆で65年前の英霊を、
「造られた作者の分身」ではない本物の英霊を赤坂の舞台に生々しく蘇らせた。

川の中の石は流れに削られ、水に磨かれ、さらに端正に輝きを増す。
夏に、「忘れられず記憶される」べき新しいクラシックが誕生した、といえます。

ネタバレBOX

正直、「あの戦争は非道だった」とか「戦後の日本は間違っていた」という
メッセージを声高に叫ぶ作品だったら今、ここにレビューを書いていないと思います。

今残された記録に触れるだけでも、様々な「思い」や「記憶」がある。
そこを無視して、「戦争ハンタイ!」とか「日本の誇り」と単色で
描いてしまうのは、造り物の英霊の口だけ借りて「思想」を
語らせているだけで危険だし、かえって過去の人を侮辱しているといえる、とこの際言ってしまう。

人間を単純に見ている、ということでしょう? それは。

倉本氏はそこに与せず、性急に答えを求めず、ただ丹念に65年前の英霊達の姿を
そのままの姿で描いていく。 時間が解凍されたように、リアルな人々がいた。

うわずみだけさらった幾多の作品と異なり、書き手が当時の人間と完全に重なり合う事を
求められる分時間もかかり、先入観も一切放り捨て、いわば「無我」を必要とする、と私は
ここで氏の苦労を想い、さらに突っ込んで氏の意志を感じた。


作中、もともとドヤ街のワルだけど人情に溢れた宮本のエピソードが凄い。

浅草の劇場で働き、戦後は一人息子を苦労して育て、そして縮こまるようにして
亡くなった自分の妹について、彼は語る。


「今日妹が死にましてね…」

「あいつ腐りかけのバナナが好きだったんですよ」

「『腐りかけのが美味しいのよ』なんて言っててねぇ…」


感情を抑制した筆致で描かれる台詞の数々は表現の美しさもあって
人間的で、印象に残るものが多かった。


自分の故郷が長い年月を経てダムの底に沈んだことに慨嘆した兵士が

「変わらなかったのは木の間から見える月だけだったよ…」


兵士達の人間周りを丹念になぞっていくことで、時に現代と65年前の
戦時を交錯させるファンタジックな演出で、逆に戦争状態の悲惨さ、
そして戦後の現在を生きる人々、徐々に当時を意識しないでいくことが
宿命づけられている人々への「忘れることは仕方ない、けどふと
自分達を想い出してみてくれないか」という望みをそこにみることが出来ます。

話は深刻だけど、美しく凛とした劇作と受け取りました。
通りゃんせ

通りゃんせ

ユニークポイント

座・高円寺1(東京都)

2010/08/05 (木) ~ 2010/08/10 (火)公演終了

満足度★★★

肩の凝らない「異文化交流劇」
とりあえず、雰囲気が良かった。
「異文化交流」というと、結構「衝突」「相互理解」というところに
スポットが当たりがちで、重くなり易いきらいがあるように思うけど
凄くバランスの取り方が上手く、良い空気を保ちながらも
伝えたいところはしっかり押さえられている。 

この種のテーマのものでは良作品だと思います。

ネタバレBOX

最初、時間軸と場面、登場人物が交錯して誰が誰で
どの場面なのか結構つかみづらかったです。
慣れてきて話に入り込んでくると、あー、この
キャラにはこういう背景があったのね、と腑に落ちる点もあったけど…。

個人的には、話の本筋的にも星野さん他数人の人物は削った方が
分り易さの点では良かったんじゃないかなー、と。

印象に残ったのは。

結婚相手の姉にバツイチに関わる事情を徹底追及され、苛立った
長女がふと漏らした一言、「結婚、面倒くさい!」に、
韓国人の旦那が、

「あいつ面倒くさい」「仕事面倒くさい」「生きるの、面倒くさい」

「面倒くさい、ってそういう言葉でしょ?」

「五秒以内に謝って」

「今なら忘れてあげるから。忘れるのが僕の特技だし」

って向かって、謝らせたシーンかな。
あそこに秘めた怒りを感じて、言葉がボディブローのように響いてきて。

思うに「面倒くさい」って相手をやんわりと拒絶する冷たい言葉なんですよね。
それでいて、自分は傷つかない、便利で「空気も読める」、けど厭らしい
言葉だなぁ、って恥ずかしながら、あの場面で初めてハッと気付かされました。

あと、気付かされたけど韓国語というのか、韓国人というのか。
とにかく向こうの文化は、物事をあいまいにはさせておかない、と
いうのもこの作品では巧みに描いていますね。

唯一長女のお披露目式に参加しなかった長男と、その恋人なのか
友達なのか良く分からないあいまいな立ち位置の娘との関係がまさにそう。

娘の方は韓国語で直接的に愛の告白を投げかけるけど、当の
言われている長男は曖昧な「えっと、何言ってんの」的な返ししか
出来ない。 というか、しようとしない。

この二組のカップルの、些細なやり取りに日本と韓国、双方の
違いがさりげなく描かれていて、巧いな、とうならされました。

ラストも含めて全体的には淡白でしたが、雰囲気は終始柔らかくて
クスリとさせる場面もところどころで用意されてたりするのでお勧めです。

余談。全面的に出張ってくる二人組の妖精的(?)存在の女二人のしぐさや
表情がいちいちキュート過ぎる。 この劇のMVP。
ザ・キャラクター

ザ・キャラクター

NODA・MAP

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2010/06/20 (日) ~ 2010/08/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

「マボロシ」と「マドロミ」
とみに最近色々と個人的に思う事があったのですが、そんな中野田さんの
「感じる=信じる」の話には頷ける点が多く。

雑誌「+act」でチョウ・ソンハ他が「野田さんは本気云々」という話を
していましたが、この時期にこの作品は相当リスクが高過ぎると思うのです。

1. 猛烈に現実に寄った作品なのでお客が逆に白けたり、引いてしまうリスク
2. 「眠っている人」に冷や水を浴びせかければ、当然猛反撃を返されるリスク

個人的には「よくやってくれた!!!」「よく言ってくれた!!!」と思う。 
ますます「深い眠りに包まれ続けていく」日本で、空気読むどころか
意図的にぶち壊した氏の、反発恐れず、爆死覚悟で強烈な一撃を放った勇気と
暑苦しいほどの真面目さに心から称賛を贈りたいと思います。

ネタバレBOX

相当ダークで残酷なこの作品。
相当難産だっただけあって、後で振り返るとちょっとしたシーンが後での
伏線になっていたりすることに気がつく。 

「人間を(窓から)投げ捨てた」がそのまま「人間(の心を窓から)投げ捨てた」、
「セイレーンの歌声」が最後の終幕での「サイレーンの唸り声」と結び付き。
今覚えているのはその二つだけど、他にも色々。

思ったけど、後半に進むに従ってメッセージ色はどんどん強くなっていくけど
逆に作品自体の温度はだんだん醒めてくるというか、冷静さが増していくような。
感情に流されない、を念頭に相当考え抜かれ書き直されたことが分かりました。

------------------------------------

「マボロシ」は見果てない「ファンタジー」を見続け、そこから抜けられない人。

「マドロミ」はそんな「マボロシ」の危なさ、おかしさに気付きつつも
信じてすがって見ないようにして眠り続ける人。

今回、たまたま「あの事件」がモチーフだったわけですけど、
二人のような人は「あの事件」の中だけじゃなく、今でも
「ネット」の中、「テレビ」の中…沢山溢れるほどいますね。
みんな冷蔵庫に、扉の中にこもったまま出てこれない。 

正直、終盤まで「マドロミ」が好きになれなかった。
無実で被害者の弟と綺麗なままの自分とを照らし合わせ、重ねている、
そんな距離の取れていない危なさがあったので。 

教団側との底知れない親和性を感じたので。

現実社会で「私は純粋なんです」と言っちゃったり、ネットに書き出す人に
表だって言わないけど内心ドン引きしてしまう感覚ですね。 アレに近い。
本筋とはズレますが「純粋で傷つき易い」って今若干肯定されている感があるけど
自分としては本当はとてつもなくヤバいと思っている。
教団の信者が、「みんな変身しています!!!」という大家の言葉に
導かれてみせた、ニンマリして空っぽなスマイルと何かオーバーラップするのです。

「マドロミ」の印象が変わったのは自分の弟が殺人者であることを知り、
弟の背中に「幼」と書きつけたところ。

私にはあれが弟との、直視出来なかったもう一人の自分との決別宣言のような気がして
ただ逃げ回ってるだけ、「探し回っているだけ」の人だと思っていたのが
その後の長い独白も含め今でも脳裏に浮かびます。

「眠り」から醒められる人は傷つくことを恐れない、勇気のある人と感じる。
その姿は本当に生々しくて胸打たれる。 今では希少なものとなったけど。

--------------------------------------

個人的にヤバい、と思ったのは中盤の、みんなで一心不乱に四つん這いになって
無言でシャカシャカと音が出そうな勢いで「信」の字を書き殴って、それを掲げ持ち、
ビシッ!ビシッ!ビシッ!とポーズを決めちゃうシーン。

何かもう…人じゃない、虫かなんかに見えちゃって。
本人達は真面目にやっているのが分っている分、かえって滑稽に見えて
笑いそうだったけど、客席からは嘲笑も含めて何も無し。 沈黙。

その後も文字の敵だということで秋葉原のPCを破壊して回ったりと、
第三者的にはぶっ飛んでいる発想だけど、客席誰も笑わないのは
それがぶっ飛んでいるのしろ、その集団の行動原理、論理であることを
みんなが認めているから。 この集団は「こういうもの」だとそれまでの
流れで観客が知っているから。

でも、どの集団も皆同じ。行動原理に則ってそれを疑わないのは
皆同じ。そう考え、自分の周りに目を向けるとゾッとしますね。

ギリシャ神話ではゼウスは色んな姿に身を変え、人間の前に
姿を現すそうです。

今回はたまたま「家元」「教祖」の姿だっただけに過ぎない。

ゼウスは忘れた頃に変身してまた何度でも世に現れる。

でもどんなに姿が変わっても、その本性は変わらない。

でも、また別の変身した姿で世に出ても誰ひとりとして
気がつかないと。 そう確信します。

みんな「物忘れ」、なので。
  
最後に。

「ザ・キャラクター」のモチーフの「あの事件」、当時私は小学生くらい
だったのだけど思ったのは「犯罪ってこんなふつーの感じの人も
でっかいのなの起こせるんだ。なんかすごい」と。

その時まで「犯罪=いかにもな人がいきなりやっちゃう」という
イメージがあったので隣家にいそうな人が何かよく分からない
事件を起こして、それがテレビになるなんて単純にビックリでしたね。

今に至る「動機のはっきりしない、"透明"な凶悪事件」のはしりで
やっぱりその意味では分水嶺だったな、と振り返って思います。
そんなに驚くな

そんなに驚くな

BeSeTo演劇祭

こまばアゴラ劇場(東京都)

2010/07/17 (土) ~ 2010/07/19 (月)公演終了

満足度★★★

死体をめぐ…らないブラックコメディー
結構前から、色んな演劇人のインタビューで韓国の俳優は凄い、という
話をちらほら聞いていて、気になってた矢先に本作品の案内。
どんなものか?と軽い気持ちで観に行きましたが。

とりあえず日本のと比べて、色々とあけすけ、というかズバッと
言っちゃう、核心をついちゃうことが多いと感じた。
日本の劇団だったら雰囲気に任せてはっきり口にしない、客任せな部分も
韓国のホンだとえッ?と思っちゃうほど明確に口にしますね。
本作品では、特に後半部分に顕著でしたが。。。

そして、よくも悪くもよくしゃべり、よく動きます。 日本人的感覚では
ちょっとやり過ぎじゃ?と思う動きの派手さも、慣れれば新鮮で良いですね。

劇団・本谷由希子とか楽しめる人にはぴったりかと思います。

ネタバレBOX

下の方で詳細、かつ的確なネタバレがあるので。
簡単な人物のアウトラインを。

父…序盤ですぐに首を吊ってしまうので細かいことは不明だが。
   どうも自殺を図った時は情緒不安定だったようだ。
   死体となった後もほとんど意識されないことから、生前も
   ほとんど空気に近いような存在だったことが推測される。

長男…大物映画監督を目指すが、正直その器でない、良くて二流の人。
     本人もそれに気が付いているのか、必要以上に映画にのめり込み
     家庭をないがしろにして後悔も反省もしていない。
     本人の言動、また自分の妻にスナックの仕事を斡旋しておきながら
     その事実を全く覚えていない等、自分のことにしか関心の無い
     典型的な現代人。

次男…既に自宅から一歩も出てない生活が数年来続く典型的なヒッキー。
     後述の兄嫁に横恋慕し、その写真を自分の日記に貼っている、
     情緒不安定なせいかモノが食べられず、常にひどい便秘に
     苦しみ続ける、等自他共に認める「人間のクズ」。

義姉…夫が家庭を顧みなくなったせいで情緒不安定に陥っているばかりか
     それに加えて結構重度のアル中持ちの、相当ボロボロな人。
     寂しさを埋め合わせる為に、自分の店の客と頻繁に性交渉を
     結んでいる様子。 

以上でも分るように、個々人がバラバラでお互いの都合ばかりを叫び合う
この家庭は、父親が死んだところでどうといった変化は起こらない。

父親がぶら下がっているトイレの、扉を隔てた向こう側では、義姉が
男を連れ込み、たまに帰ってきた長男は弟相手に壮大な(でも、いつ
撮られるのか分らないような)映画の構想をぶちまけ、興奮に浸る。

父親? それは表面では悲しまれつつも、その実、各人の都合で
天井から降ろされもせず、まして葬式も挙げてもらえない、トイレに
設置されている壊れた換気扇以下の存在になってしまっている。

後半に進むにつれ、父親はほとんど忘れ去られ、義姉、そして
彼女としけこんでいた間男をめぐっての一家内バトルの様相を
呈してくる。 死人の処遇<浮気の話し合い な、この不気味な構図。

結局、最後に死んだ父親の口から一カ月経っても、まだ梁から
下ろして貰えずぶら下がったまま、との報告がされて幕。

終始、重くならず、どちらかといえば軽めの、笑いもしばしば
ちりばめられたこの作品は、それだけに黒さとエグさが高いです。

個人的には義姉のぶっ壊れたテンションの高さと、長男の、人を
小馬鹿にしたような目の演技が見事。 

長男が、浮気相手から「あんたがこの女の旦那だってこと証明して
見せろよ」と迫られて返した答え、「僕と妻はずっと昔に結婚しました。
それで充分じゃないですか」はこの映画監督の、他人への関心が
いかに低いかを如実に表現した、本作品随一の名セリフだと思う。

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