ハーパー・リーガン 公演情報 パルコ・プロデュース「ハーパー・リーガン」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    認め合う
    端的にいうと、母娘三代の衝突、そこに血を分けた人達でありながら
    容易には埋められない「壁」を感じつつも、

    本気で本音をぶつけ合う事でうっすらと見えてくる共通点に少し安堵し
    最後には互いを、ほんの数センチだけど確かに「認め合う」。

    そんな、微かに希望がのぞけるような、観終わった後には色々なことへの
    ためらいがしゅんと消えていくような懐の広い劇でした。

    ネタバレに書きますが、公演前のインタビューで小林さんが言及していた
    最後のシーン、あそこはホントに良いね。 結構響いた。

    話全体は女性にささげられているものと感じたけど、最後の場面は
    男はじんとするんじゃないかと思う。

    ネタバレBOX

    主人公ハーパーは、観た限りでは、

    ・相当我が強く、
    ・恐ろしくまじめな人で、
    ・またすごく頭の良く、
    ・最後に非常に透き通るように純粋

    な女性と見受けられました。 この「ハーパー」という女性の考え、選択肢を
    受け入れられるか、がこの劇を認めるかどうかの大きなポイントですね。

    私は、父親の死んだ直後のハーパーの行動は結構理解出来る。
    立ち寄った先の居酒屋で男をグラスで殴りつけたり、行きずりの男と
    浮気してしまったり。

    上記の特徴を持つ人は、自分の世界を強力に確固に造り上げている人。
    人にはその内側を明かさない為、第三者(例えば、娘のサラ)的には
    「変な人」に見えるけど、実際はその人だけの行動原理にしたがって
    理にかなった動きをしているだけなんですね。

    ハーパーの場合は、「父親の存在」が彼女を支配していた。
    その父親が死んだことで、自分を支える存在を無くした彼女は
    「古い自分」を捨て、「新しい自分」を見つけた。

    それが自分の、自分に本当は良く似た「母親」であり、「娘」であり、
    そして「家族」であった、というのが凄く感動する。

    木野花の、ハーパーの母、アリソン婦人は短い登場時間だったけど
    存在感がものすごかった。 何とかして自分の存在を認めてもらいたい、
    自分を理解して欲しい、という切実な想いが母ではなく、女性ですらない
    私にも一直線に突き刺さってきました。

    そしてセス。

    彼は良い。 女性が大きな存在の、この劇で私が感情移入したのは
    セスでした。 いや、もしかしたら児童ポルノ撮影愛好の、変態野郎
    なのかもしれないんだけど(苦笑 

    コミカルな中に、彼の女性二人、妻のハーパーと娘のサラへの愛情が
    透けて見えるのが切ない。 

    この劇は、不器用で卑小な人しか出てこない、愛らしい劇ですけど
    その中でも彼はダントツで好きですね。

    最後、庭での家族三人そろっての朝食の席で彼が語る十年後の
    未来予想図、夢、

    「娘のボーイフレンドは正直者で男気があって、僕の学会の発表会にも
    一緒についてきてくれるんだ」

    「サリーでも、どこへでも来てくれるんだよ」

    あのシーンに、脚本家の「父親」の姿が垣間見えてなんかホッとした。
    何故か嬉しくなりました。

    そう山崎一がしみじみとした表情で語るのを、神妙に、そしてほんの少し
    安心、幸福そうに聞く二人の様子、そこに差し込んでくる明るい陽光の
    シーンが、

    それぞれは違う人間だけど、どこかに「自分と同じもの」を見つける
    ことは出来る、それがどんなものでも許す…というより認め合おう、という
    幅の広さを感じ、自分のどこかが浄化されるような思いでした。

    …思ったけど、あのシーン、スパイダーズ「ACWW」の
    ラストシーンと被るよねぇ。

    作品のテーマも重なり合ってるし、長塚さんはこういう話が最近は
    好きなんだろうなぁ。

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    2010/09/12 17:05

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