荒野に立つ
阿佐ヶ谷スパイダース
シアタートラム(東京都)
2011/07/14 (木) ~ 2011/07/31 (日)公演終了
満足度★★★
『アンチクロックワイズ・ワンダーランド』発展系
前作以上に夢幻性が増し、自由自在に時間・場所は役者達によって
軽々と乗り越えられていく。 過去、現在。 学校から居間、浅瀬。
殆ど説明無しに次々と変っていくので、役者よりも観ているこちらが
何かに捉われているかのようです。
必要以上に簡素な舞台装置に、支離滅裂とも思える台詞の応酬も
『アンチクロックワイズ・ワンダーランド』の発展系と思える作品ですが
今回は前作よりも笑いが多くなり、テーマもそこそこはっきりは
しているので、まだ観易い作品とは思います。
ネタバレBOX
朝緒、伶音、美雲はそれぞれ別個の人物かと最初は思っていたけど
後半に進むにつれて、『朝緒』という人格の中に生まれた人格か何かで
本当は朝緒=伶音=美雲なのではないかという疑念が拭えないです。
お互いに言及する時、その立場が実は近しいことに気がついたら
一気に謎が解けていくような気がしました。 少なくとも朝緒=美雲
ではあると思います。
主人格である朝緒は過去、具体的には高校~大学までのひどい
体験から、ボロボロになり、近所からは「侵略者」として
みられているような、大型スーパーで日々無感覚、無感動なままに
レジ打ちに従事している。
彼女は別の人格達を形成し、自分の分岐点となった「あの時」に
戻っていく。 その過程で無くしている「目玉」というのは、「真実の
自分自身」であり、「その中に宿る希望」でしょう。 「真実」は
自分の目でしか捉えられないものですから。
朝緒は劇中で、依存が激しい、どちらかというと、自分を
表現出来ないような人物として描かれているような感じ。
その心情を、他の人格(伶音、美雲)が代わりに代弁したり、
時には代わりの人生を務めたりしているわけですね。
だから、この作品は朝緒が夢幻の夕闇、浅瀬から、厳しいけど
先(未来)は見えないほど広がっている荒野を見出すまでの
精神物語と、私は考えました。
そう考えると、荒野が、自分達と身近な居間と繋がっていて
またみんなで動き回るんではなく、「待つ」ことでそれを
見つけたというのは非常に示唆的ですね。
劇は、人を喰ったような、どうでもいいやり取りから、自在に
哲学問答へ展開したり、時には長塚氏や役者達の日々の
思いつきや呟きがそのまま台詞になったと思われる、捉えにくい
ものです。 その中に、時々ハッとするような良い台詞が。
俳優陣はみんな上手いです。 目玉探偵の片割れ役の
転球さんは洒脱でカッコ良い。 中村ゆり、華があり過ぎる。。。
初音映莉子も綺麗だったけど、上ずった、というか、若干
焦り気味の台詞回しが少し気になりました。 演出?
最後、荒野の中で朝緒が「失ったもの」を見つけ、ポケットに
入れ、そして変らない、けどほんの少し音づいて感じられる
「現実」に戻っていく展開は綺麗ですね。 人によっては
感動モノです。
ただ、そこまでの後半の過程はちょっとエピソードが
多過ぎるので冗長、かも。 一時間が長く感じられたな。
おもいのまま
トライアングルCプロジェクト
あうるすぽっと(東京都)
2011/06/30 (木) ~ 2011/07/13 (水)公演終了
満足度★★★★★
もし、あの時別の「選択」が出来たなら
昔、「世にも奇妙な物語」の後継番組で「IF~もしも」という番組が
ありましたが、それとよく似た構成ですね。
一つの出来事を、それぞれ「別の選択をした場合」から追っていく。
個人的には、そういう類の物語は大好きなので凄く楽しめました。
選択の違いによって、細かい部分の設定が変ってきているのも
とっても好感触。
ラストは本当に良かった。 なんか上手くいえないけど
浄化されるような気持ちだった。
ネタバレBOX
中島氏の脚本、特に一幕目は異様に生々しくて(特にアフロ記者の
自己中心的な言い分や独白)、自身の劇団が解散することで
何か思うことがあったのか?と感じる位でした。
でも、Fineberry『守り火』よりは悲劇的ではなくて良かった。
私には、一幕終盤の記者の
「俺、努力しているのにむくわれねえな、と思ってるやつには
そのままむくわれねえ人生が必ず来る」
「思っていることはいつか必ず現実になるんだよ」
「だから好き勝手心の中で何でも思っていいってわけじゃないんだよ!!」
っていう台詞はホントに響いた。 いや~、まさに至言だと思う。
ま、記者二人はフォロー不能なほどの鬼畜なんだけど(汗
でも、こういう人って人殺さないだけで、結構いたりするんだろな…。
二幕目は、一幕目の緊迫した、サスペンスっぽい悲劇展開とは
打って変って、結構なコメディ調。一幕目で明かされた事実や
設定が絶妙に使われ、素直に上手いな、と(五反田での
「アリバイ」の話とか笑 本人にはたまったものじゃないけど)。
最後は、光の中、静かに余韻を残して終わる。 今後、二人の
行き先にどんな「選択」が待ち受けていても、上手く前へ進んで
いける、そんな未来を感じさせるラストでした。
上演前からの光や音響の使い方が言い表せないほど良いんだ。
飴屋氏のこだわりのなせる技だと思いますが、客席、まるで夏の
どこかの爽やかな別荘みたいな雰囲気でした。
上演中も、特に一幕目では、独特のダークな雰囲気作りに
大いに貢献していて、流石!!! と思いましたね。
おどくみ
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2011/06/27 (月) ~ 2011/07/18 (月)公演終了
満足度★★★★
すっごいリアル
青木氏の作品は、本当に観ている人を苛立たせたり、憤慨させる
人物を出してくるのが上手いよなぁ。 褒めるとこなのか、微妙だけど。
好きなのは母娘。 息子は言いたいことは分かるけど、
同性なのでどうしても客観的に観られず、厳しく点付してしまう。。
ネタバレBOX
次郎や祖母、息子のような人物って程度の差こそあれ、本当に
自営業系の家には多いよ。 あ、あと母親みたいな人ね。
「子ども」のままの人と、それを支える「大人っぽい」人。
相反するようで支え合ってる関係性が、一種、DVの構造に似てる。
ほかならぬ自分が自営業系の家に関わりがあるから分かるけど、
サラリーマン家庭と違って、一家皆で家業を支えているから、
「甘え」や「もたれかかり」の構造が生まれ易いんだろうね、多分。
「たった一人の弟」って言葉、多分サラリーマン家庭だとあそこまで
リアリティとか生々しさを持たないと思う。 そこまでみんな余裕ないし。
結局、「家」という所属する場所があるから、みんな選択出来ずに
共依存の関係に陥っているわけで。 その「家」の既範たるものは
既に寝たきりで意志を表すことすらおぼつかないような祖父の、
「長男は家を守らなければいけない」とかいう、既に今では
一昔前の古臭い観念。
半ば死人となった存在が、まだバリバリ生きている家族を
差し置いて家を「規定」しているのが、凄い皮肉だけど、
こういうことって昔は多かったのかなぁ?
現に、祖父が死んだあとは、みんなそれぞれの生き方を
曲がりなりにも「選択」しているわけで。
家という「胎内」からの脱出、自立の話だったのかな、と
私は感じました。
正直、天皇関係のネタはあんまり興味持てなかったけど、
人をうんざりさせたり、怒らせたり、ムカムカさせたりする
青木氏の筆致は健在で、感情も相当揺れ動いたため、
満足です。 良い作品でした。
最後、「私を看取らせる」って言葉、すっごく意味深で重かった。。
ゲヘナにて
サンプル
三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)
2011/07/01 (金) ~ 2011/07/10 (日)公演終了
少し焼き直し感が…
傾斜の強く、モノが雑多に散らばった舞台、人を煙に巻くような
ねじれた感じの台詞、徐々に壊れていく進行。
いつものサンプルでしたが、それだけに岸田賞受賞後の
第一作としては、随所に強く既視感を覚える部分が多くて
思ったほどでは無かったのが正直なところです。
夏にワークショップ、出演者のオーディションを行う旨、会場での
チラシ告知がなされていたので、それを経ての変化に期待します。
ネタバレBOX
作品のテーマは『自慢の息子』に似ていますね。
どこか親から、周囲の環境から自立出来ないまま、何かに
すがり続けざるをえない若者に、上手く他者との距離感を
つかめない事。 舞台の雑多な雰囲気も似ています。
装置はどこか『あの人の世界』を思い出させました。
何だろう…今回のサンプルはごっちゃになり過ぎで、
分かりにく過ぎたかも。人を喰ったような舞台進行が
今回は観客を疲れさせるだけに終わっていたと感じます。
あの、人力タクシーの二人のエピソードは思い切って
削っちゃうか、お母さんと猫絡みの話を無くすかで
かなりスリムになった気がするのでもったいない。
せっかく女性にだらしない、口が達者な太宰男が、進行につれて
キリスト並の「聖者」然としてくるエピソードは結構楽しかったのに。。
今回は、ラストがやっつけとしか思えないような、暗転なしの
しまりのない終わりかただったから、意外性を感じず、なおさら
面白くなかったのかも。。 「ラブ&ピース」って叫ばれても、ちょっと。。
あと、ペニバンネタはいい加減見飽きたので次回からは
封印して良いような気も。
THIS IS WEATHER NEWS
Nibroll
シアタートラム(東京都)
2011/06/24 (金) ~ 2011/07/03 (日)公演終了
満足度★★★
アトム化する人間たち
不協和音と縦横無尽に舞台の端から端まで金切り声をあげながら
駆け回る踊り手たちを見ながら、つくづく表題にあるようなことを
思ってしまいました。
最後辺りの展開は夢幻的でとっても美しく、激しくて、すごく
印象に残りましたが、全体の中でハッとさせられる部分が
他に乏しかったように思えたのが残念。
ネタバレBOX
バックのスクリーンに映し出される、ブロック状にデフォルメされた
人間が階段を転げ落ちたかと思うとバラバラに分散したり、
放り投げられた人間がまるでモノのようにおんどん落ちモノゲームの
ように積み重ねられるだけの存在になっちゃってたり、
まるで人間が無機質で、ただの「分子」の塊、アトム状のモノにしか
みえないような表現が一杯舞台に溢れてた。 踊り手も意志を持つ、
というより、本能と衝動に操られたような、エキセントリックな動きが
多いように思えました。
ただ… 映像や演出が無機的なのに対し、対比される人間が
余りに生々しく動物みたいなのが個人的には面白味を感じませんでした。
もっと無機的に、機械みたいに扱っても面白いような気が。
ただ、それも全くの好みでしょう。
違和感を覚えたのは、中盤辺りのインタビューっぽいパートと、
その後のスクリーン上の不思議な情報の羅列(人が一生のうちに
いえるこんにちはの数、みたいな)。
正直、ちょっと子供っぽく思えた。 振り返ってみると、踊り手皆で
手をかざしたりする部分とか、少し恥ずかしく思えるんだよな。
一年くらい前だったら、また別の印象を受けていたのかも。
人間落ちモノゲームが終わった後の、ピアノの不協和音に合わせて
踊るパートと、終盤付近の「刺すよ!」って一人が叫んだ後のパートが
とっても刺激的に思えました。 踊り手もなめらかな動きを
見せてくれ、底力を感じることも出来たし。
特に後者。 白い衣装に、白い光と黒い闇が反射し、収斂、そして拡散を
次々に繰り返していく中、どこか不穏な感じの曲に上手く合わせて踊る
人々の姿がとってもスリリングで興奮しました。照明も緑、赤、とどんどん
移り変わっていくんです、夢の中のようでとっても綺麗だった!!!
あそこがハイライトですね。
ベッジ・パードン
シス・カンパニー
世田谷パブリックシアター(東京都)
2011/06/06 (月) ~ 2011/07/31 (日)公演終了
満足度★★★★
「異国」イギリスでの小さな恋物語
まだ「異国」という言葉が有効だったと思われる、遠く明治の時代の
ささやかでほんの少し悲しい恋の物語。
と書くと、わずか二行でまとまる話ですが、そこは三谷氏。
細かく作り込まれた舞台装置(まさか、開演前の遮断幕にまで工夫が
施されているとは思わなかった)に、さりげなく意味を持たせている
浅野さんの十を超える配役、笑い取るだけかと思った要素にも
気づかれないように伏線が仕組まれ、
あぁ、やっぱり三谷さんだなぁ、と。 でも、今回は配役が配役なだけに
素直に笑えて、泣けて、そして最後はきれいにまとまった、文句なしの
作品でした。
萬斎金之助、異様なほどに板についてた。 堅物で生真面目だけど
ひとりの男って感じの金之助は、「夏目漱石」という作家から受ける
印象とは違ってて、近しく思えました。
ネタバレBOX
ベッジ役の深津絵里の魅力を存分に堪能出来ますね、この作品。
コックニー訛りを表すための、少しカン高く、鼻につく感じの話し方も
最初は戸惑ったけど、慣れてくると、その話し方がとっても可愛らしく
思えてきて。
彼女が話す夢の話。 その奥に隠されていたのは「何もない自分が
唯一手に出来るもの」だからであり、そのことがラストの展開に続く
伏線になっているのが素晴らしいです。
というか、ラストの萬斎さん演じる金之助がベッジに自分の想いを
最後切々と訴えかける場面に思わず本気で泣いてしまいました。
いかんね、自分、こういうのには弱すぎる。 そのあとの、ヘッジの、
金之助に向かってそっと語りかける言葉も素敵だ。
二幕始まっての、萬斎×深津の、キュンな展開は良い良い。
こういうのもなんか、好きだなぁ。 机の下のとか、いいのかな?笑
金之助、結婚しているのにー。
鎌塚氏、放り投げる
森崎事務所M&Oplays
本多劇場(東京都)
2011/05/12 (木) ~ 2011/05/22 (日)公演終了
満足度★★★★
笑いが怒涛の如く襲ってくる…!
とにかく笑いと勢いでぐいぐい押していく、そして舞台も呼応するように
360度回転して最初から最後まで慌ただしい雰囲気。
こっちも思わず流されるように、食い入るように観て笑って…。
こんなに屈託のないコメディは久々にお目にかかったよ。
倉持さんは、「審判員」もそうだったけど脱臼コメディの方が断然
向いているような気がしてならないですね。
ネタバレBOX
しかし、いっつもながら片桐仁の、突拍子も無い動きとすっとんきょうな
発話は、それだけで客を沸かす特効薬だよなあ。 今回は、それに
三宅弘城の掛け合いが加わって、笑いの点でもう収拾のつかない事に
なってました。 二人して、テーブルを叩き合う場面はウケたなぁ。
三宅さんの、仕事がめちゃ出来るのに、融通がきかなくてなっかなか
素直になれないアカシ、
ともさかりえの、ほんの少し強気で意地悪だけど、ふと見せる愛らしい
態度がとんでもないレベルで可愛らしいケシキ、
この二人の、まるでかみ合わないけど、お似合い過ぎる応酬が
繰り広げられる度に、私はすっごくウキウキしてました。
なんかすっごく微笑ましいんだもの。
劇中ほんの少しだけ明かされる二人の過去話とか、昔を想像させて
ホントその辺り上手いなぁ、と。 というか、倉持さんは言外に潜ませた
背景とか関係とかなんか色っぽいと感じます。
ひたすらみんなしてドタバタ、本筋からずれまくった展開してたのに
綺麗に収拾がついて、しかもあのラスト。 最後の最後で、鎌塚氏、
素直に男を見せて、もとい魅せてくれました。 もう、最高に綺麗な場面。
幸せに、って感じです♪
今年の暮れの新作もコメディらしいし、倉持さんはこのままの路線が
一番しっくりとしている気がするのだけど、どうでしょ?
散歩する侵略者
イキウメ
シアタートラム(東京都)
2011/05/13 (金) ~ 2011/05/29 (日)公演終了
満足度★★★★
最も大きな概念、それは
白を基調とした舞台が、そのまんま「漂白」でもされたような、
不思議で、ほんの少し不気味な雰囲気を醸し出していました。
役者の演技もどこか不気味。 というか、表情の造りが上手いね。
心ここにあらず、の様子をよく表していました。
メディアファクトリーから前川氏自身による小説版「散歩する侵略者」が
出ているので、本作が面白かった人は読むとよいと思います。
基本、鳴海視点で語っていて、これまた興味深いでしょう。
ネタバレBOX
昔の作品なのかどうか知らないけど、いつもより後半にかけての
メッセージ色が強めな気がしましたが、これは賛否両論でしょう。
個人的には、あんまり物語の本筋に関係あるようには思えなかったので
高らかに述べたてる必要は無かったように思いました。
途中で、真治(に憑依した宇宙人)が、今の自分は「在る可能性のあった
真治の姿」だといっていたけど、これを信じるのなら、「彼」は宇宙人ですら
無いのではないだろうか? いってみれば、「種」のようなもので。
終わっていたはずの二人の間に、「愛」の概念が生まれ、やがてそれは
元の通り失われていく。 なんか短い間の夢みたいだ。。。
「宇宙人」の存在は、その媒介に過ぎないのかなぁ。
それにしても、伊勢佳世がときたま見せる笑顔は本当に反則ですね。
きゅんとしてしまいます。。
平田オリザ・演劇展vol.1
青年団
こまばアゴラ劇場(東京都)
2011/04/28 (木) ~ 2011/05/17 (火)公演終了
満足度★★★★
『マッチ売りの少女たち』
相当にスラップスティックでドタバタと落ち着かない、笑いの多い演出。
登場人物達の、意味のあるのかないのか分からない、かみ合わない
台詞の応酬をぼんやりと見つめていると。
終盤、一気にダークで緊迫した雰囲気に舞台は包まれる。
そのギャップに、ぞっとしました。 全部がこの時の為に
用意されてたんじゃないか、と思えるほど。
ネタバレBOX
恥ずかしながら、別役実の原作は未見なので適当な事はいえないですが
登場人物の立ち位置や人数、台詞は大きく変えられているような感じ。
特に登場人物の役柄配置に、すごくオリザ色を感じました。
『砂と兵隊』でもみられた、とぼけた感じの台詞の応酬が、
特に闖入者である娘たちと家の主との間で繰り広げられる。
これが凄く面白い。 娘たちの絶妙な合いの手の入れ方や
台詞の軽妙さ、あと思わず微笑がこぼれるような表情の作り方に
思わず声を出して笑ってしまう。 笑ってしまうけど。
時々ものすごく緊迫して恐ろしいシーンが、笑いを切り裂いて
飛び出してくる瞬間がある。
娘の一人が家の主人に向かって過去の「記憶」を告白しながら
スカートをゆっくりまくっていく場面、
「マッチを擦らないで下さい…」と娘たちが家の主の前で
必死に哀願する場面、
目が離せない程の緊張感と不気味な沈黙がアゴラの
空間を支配してました。 普段はすっとぼけた、つかみどころのない
娘たちがいきなり豹変するからなのかな。
すごく怖い、なんかの『闇の部分』、どろどろしたモノに触れた感じ。
最後が、イカれた、脱力した感じの笑いで終わるのも、このバランスを
なんとか保つ為だったのかな? 色々と深読みが出来る。
後書きによると、別役『マッチ売りの少女』を中心に、『象』『AとBと
一人の女』等をコラージュして作った作品であるとの事ですが、
それを感じさせない、自然な作品と思いました。
ブラックコメディ、不条理演劇が好きな人、『砂と兵隊』が
気に入った人にはたまらない作品ではないかと。
わが星
ままごと
三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)
2011/04/15 (金) ~ 2011/05/01 (日)公演終了
満足度★★★★
「私たちの星」のように美しい物語だった
星のホールに着いたのが開演10分前の7時20分。
この時点でも、入場を待っている長蛇の列がずっと奥まで
連なっているのを見るだけでも、この作品に対する皆の
期待の強さをグッと感じるのです。
客席がぐるりと円になって舞台を囲み、何も無い空間に
これから始まる事を想像してワクワクする。
「これから四秒後に照明を消させてもらいます」という案内の声で
始まった物語は、とても美しく、哀しかったけど、温かく思えました。
ネタバレBOX
「ちいちゃん」という、地球をモチーフにした一人の少女とその一家の
運命がそのまま「宇宙」における星のそれと重ね合わされていく、という
相当に壮大な物語。 で、ボーイ・ミーツ・ガールなSFファンタジーでもある。
この、一歩間違えると相当にイタい話になってしまいかねない物語は
不思議とどこか「広がり」や「透明感」、風通しの良さを感じさせました。
その理由を考えてみたのですが、相当に抑制が効いていることが
理由に挙げられますね。
言葉は連射されているようでいて、物語の根幹の「日常を生きて、
死んでいく」に沿ったものが選ばれていて、言葉遊びでもって
どんどんヴァイブを生むように紡がれているんです。
ただ、自己満足的に騒がしく言葉を発しているわけではないので
言葉のリズムに心地良く乗ることが出来ます。
お父さんとお母さんの、日常をラップしながら踊る場面。
息の合い方、凄まじかった。 さりげないようでいて、絶対丁寧に
そして徹底的に稽古されている作品なんだなぁ、と。
もう一つの理由は、「ちいちゃん」と少年だけでなく、その周りの人達の
存在をしっかりと描いていること。
「ちいちゃん」と「つきちゃん」。
「ちいちゃん」とその家族。
「ちいちゃん」と先生。
それぞれの関係がリピートされたり、逆に早送りされたりして
描かれている。 それが、ありがちな狭い「二人の世界」に、
最後の場面で陥ることを拒んでいます。
芝幸男という人は、ロマンチストで子供の心を持った人ですが
決して閉じていない、大人の幅広い象像力を兼ね備えているのだと
思います。
最後の場面、「ちいちゃん」のところへ少年が自転車で乗り込んで行く
ところに、思わず興奮してしまった。 あそこ、熱過ぎる!!!!
そして、「百億年ずっとみていてくれたんだね」の言葉に、胸の底から
こみあげる何かを確かに感じました。 ホントは、少し前の場面から
感じていたけど。
「宇宙」はどこかで「人」とつながっていて、「人」はどこかで誰かに
想われることに安心しているのかもしれない。 そんな、普遍的で
大らかなものを感じさせる、「青く美しい地球のような」作品でした。
ネズミ狩り
劇団チャリT企画
こまばアゴラ劇場(東京都)
2011/03/03 (木) ~ 2011/03/13 (日)公演終了
満足度★★★★
黒過ぎるブラックコメディー
タイトルでは「群像コメディ」と銘打たれているけど…。
正直、長男の化粧絡みのネタでしか笑えなかったというのが
本当の所。 デフォルメの効いたキャラ達の会話の中、
見えてくるのは、
「僕ら、一体どれだけ目の前の相手、事実を分かっているの?
本当は、分かっているつもりが、表面的なものしか見えて
ないんじゃないの?」
という相当キツめの皮肉。 いやー、触れ易そうに見えて、結構
ビターな作品でした。
ネタバレBOX
陪審員制度が導入されて結構な時間が経つ今だから、死刑の問題が
取りざたされるようになってきている今だから再演されたのだと思うけど、
実は、「冤罪」っていう側面で観た場合、相当怖い劇だよ、これ。
長女がいうように、死刑になった少年が、実は清水君一人しか
殺して無いかもしれないのにも関わらず、最後に死刑になり、
同時に、痴漢被害のせいで精神に深い傷を負って電車に
乗れなくなった次女が電車に乗れるようになった。
一人の死によって、もう一人の精神が回復される。
しかも、それは全くのグレーゾーンに基づいたもので、つつけば
問題点がぶわっと噴き出してくるような代物。
だけど、その代物は周囲の人間達によってさも正しい事のように
広められ、そしていつの間にか異議を挟めない「常識」になってくる。
「常識」が「常識」でなくなる時には、既に手遅れである事は
往々にしてあり。 そして、皆、またそれを当然のこととして
受け入れていく。
まるでさも、それがずっと前から当然であったように。
私は、そのことが本当に怖くてしょうがないですね。
何度同じことを繰り返すのか、と。
チャリT企画には、今後も「考えさせられる重喜劇」を望みたいですね。
私小説、家族劇的な劇が多い中、本当に貴重な存在ですよ。
アルカサバ・シアター『アライブ・フロム・パレスチナ-占領下の物語』
川崎市アートセンター
川崎市アートセンター アルテリオ小劇場(神奈川県)
2011/02/11 (金) ~ 2011/02/13 (日)公演終了
満足度★★★★
知られない「日常」
普段私達が「ニュース」「情報」として見聞きしているパレスチナの状況が
まさに同時進行の「日常」であることを否応なしに理解させられます。
「ニュース」は決して過去のものではなく、伝えられる対象がいる以上、
海の向こうの国で、確実に起こったことであり、
そして、今後も似た事が起こることを暗に示しています。
ネタバレBOX
この劇で見知ったパレスチナの状況。
それは、子供たちが「Mで始まるもの何だ?」的な遊びに、次々と
「シャロン」だの、「爆弾」だの物騒な名刺を嬉々として挙げる状況。
銃弾が、逃げまどう人々のどてっ腹に「海を越えた国が見え」そうな
位の空気穴を開けるような、極限状況。
恋人達は、各々のプレゼントに銃弾だの、爆弾だのを屈託なく
渡す、ブラック過ぎる状況。
そんなにわかには信じられない「状況」が時にシリアスに、時に
皮肉たっぷりに繰り広げられる。
パレスチナの民はアラブ民族でありながら、周辺諸国からは
完全に見捨てられ、イスラエルからは完全な「虫けら」「二級市民」として
扱われ続けている。 それも、もう数十年に及ぶ。
海外では、パレスチナの民は「難民」であり、「可哀そうな存在」であり、
その姿は「ニュース」でもって全世界に発信される。しかし、それで
何が変わったろう。 そう、ニュースはただの「情報」だ。
見ず知らずの人の意識まで変えるのは容易ではない。
本作は、普段顧みられることの無いパレスチナの人々の
閉塞状況、自分達を圧迫し、苦しめ続ける存在への怒り、
存在を認めてくれ!という、希有な叫びのように私には思えた。
人間の苦しみは「死ぬこと」もあるが、何より「忘れられ、関心を
持たれない」のが一番だと思う。 彼等は劇でもって、その無関心に
石のつぶてを叩き込んだわけであり、その点非常に有意義な作品と
いえます。
浮標(ブイ)
葛河思潮社
吉祥寺シアター(東京都)
2011/02/01 (火) ~ 2011/02/13 (日)公演終了
満足度★★★★★
な、なんだこれは…!
吉祥寺シアターの、二階バルコニー席。
役者の顔、動きが十分に見える位置だったので、心の底の方から
絞り出すような台詞が、衝動的で動物の様な動きが、
本当に時々弾丸のように私の感情を直撃してきて…
とにかく、ラスト周辺ではタイトルの様な言葉しかいえない。
☆5個じゃ足りないぞ、これは!!!
迷っている人は以下で『浮標』の原文を読んで、ひっかかる台詞が
一つでもあるのなら絶対に行くべき。 後悔は絶対にしない作品。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001311/files/49776_36893.html
ネタバレBOX
三好十郎は去年『峯の雪』を観て、うわ、何て嘘が無くて美しいんだ、と
本当にショックを受けて。 それから作品に当たり続けました。
とにかく氏の作品は「嘘が無くて」「身体の奥底から絞り、引き出すような」
「創り物っぽくない、活きた」台詞で溢れていて。
もう亡くなって50余年経ちますが、恐ろしく古びない作品ばかりですね。
『浮標』は去年の段階で既にホンは読んでいました。
ひたすらに、生々しく、「創り物」でなく本当の人間だったら
いいかねないような台詞の応酬で(こんなに芸術的ではないけど)、
特に八方ふさがりで、自暴自棄に、狂気すら孕んでいく五郎のさまに
深く共感し、何度泣いたか分からない。
傑作であり、三好十郎の中ではもの凄く好きな作品です。
パンフレットにもあるように、自分の拠って立ってきたプロレタリア思想との
決別、愛妻の死、既に倒壊し、滅びゆく日本、といった極限状況のさ中で
1939年に構想され、五週間程の執筆期間の後、1940年の3~4月に
築地小劇場で丸山定夫等によって初演されています。
この作品について、直後に出版された作品集『浮標』(1940年)の
「あとがき」で三好自身は以下のように述べています(以下、引用は
断らない限り片島紀男『三好十郎傳』(五月書房)に拠る)。
「いずれにしても私にとって劇作の仕事は、自己の見聞の「報告」で
あるよりも、その報告を含めた上での、自分の生きる「場」である(中略)」
「ほんとの戯曲らしいものが書けるならばこれからだという気がしきりにする」
では、そんな自信作に対し、初演の様子はどうだったか。
「(終演の後)しかし、客席はシーンと静まりかえっている。ア、やっぱり
駄目だったのかと思った途端、ずっしり幕がおりきって、一瞬、二瞬、三瞬、
沈黙しきっていた百名足らずの観客が、一時に爆発したように拍手-
それがなりやまない」
「私(演出の八田元夫)が、監事室を飛びだしても、まだなりやまない。
まっしぐらに楽屋に飛込んで行った。丸山が眼に涙を浮かべながら、
両手で私の右手をおれるばかりぎゅうっと握りしめた」
まるで眼に浮かぶようですよ。 その時の様子が、今でも。
戦前日本には「七生報国」という言葉がありました。
文字通り、七回生まれ変わってもお国の為に尽くそう、という
そんな意味の言葉ですが、三好は劇中こんな台詞を五郎に
吐かせています。
「人間死んじまえば、それっきりだ。それでいいんだ。全部真暗になるんだ。そこには誰も居やしない。真暗な淵だ。誰かを愛そうと思っても、
そんな者は居ない。ベタ一面に暗いだけだ。ただ一面に霊魂……かな?
とにかく霧の様な、なんかボヤーツとした雰囲気が立ちこめているだけで、
そん中から誰か好きな人間を捜そうと思っても見付かりやしないよ」
「入りて吾が寝む、此の戸開かせ(筆者注:五郎が美緒に読み聞かせている
万葉集の一節)なんて事は無くなる。人間、死んだらおしまいだ」
「生きている事が一切だ。生きている事を大事にしなきゃいかん。
生きている事がアルファでオメガだ。神なんか居ないよ! 居るもんか!
神様なんてものはな、生きている此の世を粗末にした人間の考える事だ。
この現世を無駄に半チクに生きてもいい口実にしようと思って誰かが
考え出したもんだ。現在生きて生きて生き抜いた者には神なんか要らない」
戦時はまさに「死ぬこと」、国家の為に「生を捧げること」が徹底的に
叩き込まれ、それが一般通念としてあった時代でした。
自分が拠って立つものの為に死ねば、次の世も生きられる。
別に戦前日本に限らず、現在の、内戦状態、戦争状態にある場所なら
当たり前のように生きている思想です。
その、一見希望があるも、実は捨てっ鉢な思想を、自身の経験から
三好は嘘だ、と見抜いていた。 だからこそ、嘘におんぶにだっこで
乗っかるという、不誠実なことなど出来ず、逆にキツいパンチを
お見舞いしてしまったのでしょう。
とにかく、当時の日本の情勢に真っ向から反逆するような台詞であり、
私はただただよく上演出来たな、と驚くのです。
そして、その勇気と一本気が凄く、わたしには励みになる。
『浮標』に触れると、自分真剣に生きていないな、と恥じ入り、背筋が正されるような思いになります。そして、自分が死んでも、その後に必ず続くものが
ある、と優しく言われているような気がして希望が持ててもきます。
全てが確信と気概に満ち溢れているんですよね。
短いですが、役者の話に。
とにかく田中哲司さんが凄かった。凄過ぎだった。
その凄まじさの一端は劇場販売パンフレットにもあるように
「24時間『浮標』の事を考え続けた結果、みるみるうちに痩せていった」
「完全に五郎が憑依していた」
と壮絶の一言ですが、結果、恐ろしく精悍で、万事に熱く、熱過ぎて
狂気をもはらんでしまう、そんな「芸術家五郎」の姿をそこにみるようでした。
特に、一幕目、尾崎に向かってどうしようもならなくなったら美緒を「殺す」と
言い放った時と、二幕目の、追い詰められてしまい、何処を見ているのか分からない、
そんな時の五郎演じる哲司さんは、本当に狂っているのでは?と
思ってしまう程で。 役ではない、真正の「五郎」をそこに観る想いでした。
藤谷美紀さんの美緒も美しかった。 台詞の一つ一つが「人間」でした。
自分の奥から絞り出すような台詞を聞き逃すまいと、集中し過ぎて
少々疲れもしましたがそれも、とても豊かな時間。
照明の中、じっと目をつぶったままの姿を、不思議と清らかに感じました。
なんというのか…「生」が「性」につながり、そして「聖」へと至る、
そんなことすら考えてしまう程。 とにかく、色んな事を4時間の中で
感じ、考え、そして心打たれて涙しました。
そんな体験、なかなか出来ないですよ。
私はよく評論でいう、「役者の身体性」という言葉が嫌いです。
往々にして身体性とやらに拠りかかり、独りよがりの、全く役を
映し出せていない劇が多過ぎるからです。
そんな状況の免罪符になっているんですよ、この言葉は。
でも、この『浮標』を観た後なら、その言葉も少しは信じられる気もします。
それだけ、役者一人一人が、それぞれの役と真剣に格闘し、その真意を
必死に汲み取ろうとした結果が、舞台の上に表れていたからです。
なりふり構わない、その姿を、人間の姿を私は感動的だと思ったんです。
不毛の砂の上に、ただ生きるは人間。現世もそれと同じ。
ラストシーンで、そうした砂の中をただ一人、「生命」を象徴する
万葉集を抱えながら佇む、哲司さん、というより五郎。
それを左右から静かに屹立して見つめる役者達の姿。
すごく美しい光景でした。
一言、こんな素晴らしい舞台を観せて、ならぬ魅せてくれて本当に
ありがとうございました。 役者、演出、全ての関わった人にただただ感謝。
国民傘
森崎事務所M&Oplays
ザ・スズナリ(東京都)
2011/01/21 (金) ~ 2011/02/13 (日)公演終了
満足度★★
「戦争」は至るところに転がっている
試みは凄く面白いと思いました。 台詞も恐ろしく良いものが
ぽんぽんと飛び出してきたし、それだけなら凄かった。
それだけに、ここまで構成を捻ってしまうのはどうだろう、という気も
しなくはないです。 これだったら、それぞれがゆるく繋がっている
感じの連作オムニバス集でも良かったと思う。
ネタバレBOX
「戦争は少女が寡黙になる時期」
「どこにも帰れない者たちが、戦争という場所へ帰っていくんだ」
上の台詞には痺れた。 なんて、詩的で格好良い台詞…。
本の中に出てくる母娘が、別の場面では物語の中の人物に、
さらにそこの場面の登場人物達は、最初の母娘が国民傘を
動かした罪で収容されている牢の看守が読んでいる物語の中の
人物達へと変わっている。
それが繰り返されていくうち、誰が「実際の人物なのか」「誰が
物語の中の人物」なのか、どんどん曖昧に、分からなくなっていく。
存在すらあやふやになっていく中で、唯一実感出来るのは何だ?
ていうのがこの「国民傘」の主題な気がする。
思えば、「戦争」という極限状態だと、自分が誰で、何をやっているのか
だんだん分からなくなってくるのは当たり前に思えるし。
それを、この形式で表現しようとしたのかな?
ただ、二幕目は言葉に、完全に舞台が負けていたような…。
話の筋は何とか追っていけるけど半ば言葉に頼り過ぎて、
少し退屈だったかな。 幕切れもアレじゃちょっと投げっぱなしな気が。
舞台装置や言葉のリズムは最高に切れていたのに、思弁的に
過ぎたような印象を受けました。
ソムリエ
靖二(せいじ)
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2011/01/28 (金) ~ 2011/02/01 (火)公演終了
満足度★★★★
まさに「Take It Easy」
上手いな、と思った。
取り立てて変ったところのある話ではなく、むしろありがちな筋だけど
俳優がみな自然体だったこと、構成が巧みなこともあって二時間余りの
舞台でも、退屈せずに観ていられました。 クセのある人物達もここではGJ!
ネタバレBOX
経営コンサルタントの伯父さん、てっきり土地を騙し取る系の悪徳
ビジネスマンかと思いきや、なんか結構良い人だったなー。
振り返ると皆良い人ばっかで、それが作品の雰囲気にも表れてたかも。
役者では土屋雄さんの一々どこか可笑しいっぷりと、石井舞さんの
健気で芯の通った女子っぷりがすごく好印象でした。
土屋さん、笑いの間が上手いんだよなぁ、クスリとしてしまう…。
身近に自営業者があるので、劇中の一家が結構他人事に思えなかった。
あの、思いつめたような苦境っぷりとか状況的に似通った部分もあるし、
どこも大変だよなぁ。
「変化」は自分のちょっとした選択や何かがきっかけでいきなり
訪れるわけだけど、それが吉となるか凶となるかは自分自身の
心持ち次第、っていう隠れた主題は、自分自身最近までそうだったんで
異様なほど共感してしまった(苦笑 いや、本当にそうだよね・・・。
まさに「Take It Easy」、そのままですね。
つーか、この曲大好きなので劇中でかかった時、凄く嬉しかった!
作・演出の人はイーグルス好きなのかなぁ? 気になりました。
わが町
新国立劇場
新国立劇場 中劇場(東京都)
2011/01/13 (木) ~ 2011/01/29 (土)公演終了
満足度★★★★★
色々振り返り、考えさせられた
70年前の劇とは思えないほど、台詞や心情が現代的だと思った。
ものの考え方とか、結婚観とか現代とは大きく違っている部分も
多く見受けられたけど、「変化」に対する考え方には共感する事が多かった。
というか、これからの人生真面目に生きなきゃな、と痛感してしまった(苦笑
優れた演出が、舞台を、たちまち緑なす庭や、冬の大通り、冷たい
墓地へと姿を変えさせ、出演者も皆それぞれの「人生」を演じていたと感じる。
原作読んだ時には、よく意味が分からなくてふーんと思ったラストに
危うく涙腺をもっていかれそうになり、耐えるのにかなり必死だった。
最前列で観てたら危なかったな。
全年代、あらゆる境遇・環境の人が何かしら「自分」に近い部分を
感じられる内容だし、作者もそれを意図しているでしょう。
また、それを表現出来る深度を持っている舞台だと思います。
「演劇」を観た、と思いました。
ネタバレBOX
この物語、「わが町」は舞台監督が、登場人物達がいうように
「平凡な町」の、「平凡な人達」の、「平凡な一生」を描いたものです。
でも、本当にそうか?
1913年(第三幕) : 翌年(1914年)6月に「サラエボ事件」勃発、第一次
世界大戦の開始。
1938年(『わが町』初演) : 3月、ナチス・ドイツによるアンシュルス
(オーストリア併合)実施、9~10月、
ナチス・ドイツによるチェコスロバキア占領、
12月、日本軍の重慶爆撃開始…
上記のように、ワイルダー自身が舞台として1913年を選んでいるのは
実に象徴的です。
何故なら、後世「未曾有の総動員戦争」とまでいわれた、この
第一次世界大戦によって、時代は「それ以前・以後」に分かたれ、
舞台の中でもいわれていた「多少の変化」は決定的に「急激な変化」となり、
「その後の世界」を襲ったからです。そして「それ以前」の世界は
戻ってこなかった。
もう永久に。
つまり、第三幕は「平凡(とされていた)時代の終りの兆し」を、迫りくる
「変化」を人々が感じる時期であり、決定的な「一時代の終わり」を、
平凡な一人の一生と重ね合わせているとも読めるのです。
なお、第二次世界大戦は初演時の1938年にはまだ勃発しておりませんが、
翌年1939年9月にはナチス・ドイツのポーランド侵攻が起こり、世界は
再びの世界大戦に巻き込まれていきます。
作者ワイルダーがそこまで予期していたかは分からないけど、
洞察力の高い作者は現状が「あの頃」-「第一次世界大戦」と
酷似した雰囲気に包まれている事を敏感に感じ取っていたの
かもしれません。
本作品では「戦争」の匂いは巧妙に抑えられております。
主題は「生」と「死」、そして「変化」であると。
人間に限らない、万物の生は全てが変化にさらされています。
生まれ、成長し、死して、土に帰り、その一部として今度は永遠となる。
それは全てにいえることですが、それを知覚しているのは人間のみでしょう。
人は上記の一連の流れを何とか万人に伝えんと記録を残し、
墓を建立します。
しかし、百年、一千年のスパンで見たとき、我々は歴史に埋もれ、
その砂の山から頭をのぞかせる事が出来るのは、それこそ「古記録」や
遺跡の類の、ほんの一部であり、確実に私達は忘れ去られる運命にある。
そして、生者と死者とは、いうまでもないですが全く別個の存在です。
死者は死して、その生豊かなることに初めて気がつくのですが、
逆もまたしかり。
古くは中世の「死の舞踏」「メメント・モリ」にみられるよう、またフロイトの
「タナトス」の概念(人間が自己破壊や死に惹かれる根本衝動)に
現れるように、生者も生の中で死を常に意識しているのです。
それは、同時に両者が決して一緒になることも示しています。
残酷なようですが、冷厳たる事実です。
「わが町」でワイルダー作品に初めて触れましたが、氏の視点には
醒めた、というより「冷静な観察者」と、人を完全には突き放せない
「寄り添う友人」としての二つがあり、それが本作を大人のものにしています。
決して触れ合えない生者と死者がそれを知りつつも一瞬だけ交わった
ラストシーンは奇跡的な美しさとワイルダー自身のそっけなく、でも深い
優しさに満ちていてまさに必見です。
今、これを書く為に「生きるって辛いことね…」の台詞を想い出してたら、
少し泣けてしまった。 持続性がある作品だなぁ…。
断食
おにぎり
座・高円寺1(東京都)
2011/01/26 (水) ~ 2011/01/30 (日)公演終了
満足度★★★
良くも悪くも予想と違った
今トップに映っている、三人の顔が詰め込まれている相当
コメディちっくなチラシ絵。
ここから連想されるものと内容が思いっきり食い違っているので
観た人の中にはもしかしたらうんざりしたり、強く不快に感じたり
した人がいる可能性が大きいですね。 私? はい、そのクチです(苦笑
ネタバレBOX
終演後、アフタートークで演出のいのうえ氏がいみじくも
「これ、『断食』っていうタイトルだからてっきり三人のダイエット
コメディだとみんな思ったと思うんだよね」
「で、ふた開けてみたらコレでしょ…」
「(演出)自分に出来るのか、他の人の方がいいんじゃないか?と」
と言い放った台詞が、観客全ての感想にそのまま通じる舞台、ですな。
一言。 かなり重いです、そして120%救いが無い、カタルシスも無い。
ちなみに、コメディ要素はあるにはあるのだけど、あまりに本筋から
ズレたところに位置する笑いなので序盤を除き笑えないです。
うん、笑いを、コメディを期待すると下手すると爆死します。
舞台は、近未来。
既に海洋は、地上は破壊され、汚染され、マトモな食べ物が
手に入らなくなり皆が人工食品を食すような、そんな時代。
上京してから音沙汰の無かった母親の死を契機に15年ぶりに
故郷に帰った、そんな男。 その彼に、自分の母親のクローンが
生存していたことが知らされることからこの物語は始まります。
観ていて思うのは、正しい・正しくないは関係なく「リアルでないもの」
「現実でないもの」はゴミクズのように排除され、現実を受け入れている
者だけがただ生きることを許される、ここはそんな世界なんだなぁ、と。
男によって、一回は「処分」を逃れ、「生存」を許された母親のクローンは
結局は男の都合によってクローン保健員に「処分」される。
男も、その中で自分の過去、自分の生前の、実際の暗い影を持った
母親の過去がフラッシュバックしていき、次第に全てが現実なのか
それとも自分の思いこみなのか境目をなくしていく。
それは、彼が食していた金目鯛の煮つけのように、一味は母親の
手料理の味に似ていても所詮は遠い人工食品のよう。
人工食品が母親の手料理の味なのか、母親の手料理の味は
そんな程度のものになってしまっていたのか。
最早、母親との「現実の記憶」すら定かでなくなってしまった男。
それなのに、まだ手からこぼれおちる砂のような、不確かな
「現実」にすがろうとする男は、最後一刀のもとに保険員に殺される。
「お前、気持ち悪いんだよ」
という一言と共に。
結局最後、創り物みたいな現実をそのまんま受け入れている保険員、
彼が生き残った。 後はみんな死んだ。 でも、保険員にも未来が無い。
何故なら、彼もただ「食って生きている」だけの、死人みたいな存在だから。
誰も、救われない。 徹頭徹尾、ダークな舞台ですよ、これは。
ある意味真逆な、この作品といのうえ氏はよく対峙したと思います。
台詞も結構エグくて、演出によっては相当落とされる作品だけど
ぎりぎり一握りの温かさは伝わってきたかな。。
断食道場で、記憶の中の母親と男が対面する場面で
泣きそうになりましたね。 そこで感動させないで
落としにかかるのが青木氏らしかったけど(苦笑
覚悟の上で観に行けば、好き嫌いはともかく損はしない
真剣な作品だと思います。 再三だけど笑いはあまり期待出来ないよーと。
ろくでなし啄木
ホリプロ
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2011/01/05 (水) ~ 2011/01/23 (日)公演終了
満足度★★★★★
もう一つの啄木物語
観劇当日、激疲れていた上に上映時間三時間、という話を聞いて
あー、こりゃ寝るな、、と思っていたのですが…。
始まってみれば一幕が本当にあっという間。 凄い引き込まれ方でした。
役者達は、笑いを中心に据えつつも、嫌らしくもわざとらしくも無い。
バランスの取れた動きと発声をしていました。
演出も序盤から物語が気になるように小出しにされつつ、上手い。
三谷氏は、映画よりも制約の多い舞台の方が演出を生かせるの
ではないかと感じました(映画の場合、凝りに凝り過ぎて疲れること多し)。
エンタメ演劇ここにあり!といわんばかりの作品でした。
ネタバレBOX
一つのある夜の出来事を三人の人物の視点で観ていく、開陳していく、と
いう構成も古典ミステリーみたいで、集中力が途切れない理由かな。
こういう話って思わぬ「気付き」があるから面白いんだよね。
あの時、裏ではあんな事が…って何かワクワクするし。
そう。吹石一恵の声って独特だと思ってたけど、今作ではすごくよく通って
魅力的だと思いました。 低く呟くように発声する時はなんか艶やかな。。
藤原竜也も相当コミカルで笑いの起きる動きの数々を見せたかと思うと
打って変って終りの方では苦悩に満ちた独白を聞かせる等、幅のある、
二面性のあるピンちゃんこと啄木を隙なく演じていました。
三谷さんの演出は役者の違った部分の魅力を一気に引き出す意味で
群を抜いていると思います。 既に手がけた作品で顕著ですが…。
普段からよく人を観察していないと出来ない事ですね。
人の観察といえば、テツがついにキレて啄木を追い詰める時の場面。
一言一言、鋭いナイフを向けるように、啄木の小物っぷりを
衝いてきていたけど、あそこの問い詰めっぷりは、あー、こういう人
確かに啄木じゃなくてもいるよなぁ、とついつい思ってしまった(笑
三谷さん、人を追い詰めている時のシーンの台詞がなんか輝き過ぎ(笑
あの場面もあってか、個人的にはこの作品あんま直球コメディには
思えなかったな。 テツが有刺鉄線でアレ傷つけた話を披露する
辺りの啄木と一緒になってのはしゃぎっぷりは微笑ましかったけど。
観てて、啄木に抱いた感想はただ一つ。 「可哀そう」。
自分で自分を勝手に孤独に持っていってるだけでなく、自分は
小物じゃない、と必死に言い聞かせている様がなんか滑稽。
実際と嘘の自分のギャップに荒れ狂う姿も、自分を熱弁すれば
するほどなんか哀れになってくね…。 良くも悪くも自意識過剰な芸術家。
でも、そういう自分を最後客観視出来る辺り、まだまだ「人間」だな、と。
芸術家は本当に自分の事しか考えないから…自己表現が仕事の人達だし。
最後も、凄く(三谷さんらしくスマートに)綺麗に終わったし満足満足。
そうそう、障子が左右から迫ってきて交差した瞬間、人が現れる…あの演出、
手品みたいに洗練されてて観てて気持ち良かったです。
あれ、どういう仕組みなんだろ?
メゾン・ド・ウィリアム
劇団バッコスの祭
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2011/01/09 (日) ~ 2011/01/17 (月)公演終了
満足度★★★★
かなりの良作
序盤、丹羽氏演じる公岡を中心とした大立ち回りがとにかく凄かった。
結構迫力があって目が釘付けに…本当に軽やかな身のこなしでした。
実にさり気なく連続バク転を決めてみせた女史もスゴイの一言。
ここまでのアクションシーンは、なかなか観れないよなぁ。
私は「笑い」の要素をまず期待して観に来ていたのですが、少し
性急ながらもいい感じのツッコミで、程々にクスリと面白がる事が
出来ましたね。 牧田巡査がいい味出してたように思います。
ネタバレBOX
結構メインストーリーの「いじめ」の問題が後半思っていたよりも
大きくクローズアップされてきたのにはビックリ。
一人二役を用いながらの、いじめで自殺した少女の周囲、そして
復讐に堕ちていく元教師・公岡の姿は、観ているこっちが指弾され、
追い詰められているようで…。
「学芸会も」「遠足も」「私の写真だけ塗り潰されているんです」
上の件は、演出も相まって少し圧迫感すら覚えたよ。
実際にいじめの現場にいた人が観ていたら、プレッシャーって、私の
比じゃないだろうな…。 なんかものすごくリアルな様子だった。
実際にあってもおかしくないような。
中盤、辻氏の真理奈の独白が伏線になって、最後の衝撃的、かつ
感動的な再会に至る部分は少し出来過ぎな気もしたけど素直に
ああ、良いなあ、と思えた。 何より、最後の真理奈の呼びかけが
胸に響き過ぎた。 なかなか力強い台詞でしたね。
「私は、今は元気だよ!! 上の部屋、掃除して待っているからね!!」
登場人物も、それを演じる役者も、ホンも唯一の魅力を持った良作、だね。
秋の再演作品にも期待。
愉快犯
柿喰う客
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2011/01/07 (金) ~ 2011/01/16 (日)公演終了
満足度★★★
人体スプリングのような
丁々発止の台詞のやり取り(というか、マシンガントーク)に合わせての
役者全員の全身バネさながらの動きが凄い。 おいおい、この動き、
激し過ぎるけどここで制御出来ちゃうって何? といった感じで、
伸縮自在、緩急自在の動きを十二分に堪能した舞台でした。
役者の衣装も少し奇抜で、でも洒落てて良い感じ。
ネタバレBOX
身体能力は凄いんだけど、肝心要の台詞の方が
あまり合わなかったかな…。
身体の動きとセットで、発話や台詞も構成・演出されているのは
ハッキリしているし(そのおかげで役者の演技と重なって独特の
グルーヴ感が舞台上に生まれてました)、スリリングだったけど
いかんせんケレン味が溢れ過ぎてて。。
後半、叫びが過ぎて耳が少し痛くなってしまった(苦笑
最前列の人は大変だったろうな。
笑わせようとして相当滑ってたこともあったし、舞城王太郎ネタや
ジョジョネタまで頻繁に披露するのはちょっと…イタいかな。
舞台は、歌舞伎か何かのそれを模した恐ろしく簡素なもので、
去年観た「表に出ろい!」のセットを少し思い出しました。
場所によっては相当急だし、足の踏ん張りの意味で、役者への
負担は大きかっただろうなー。 と、コレは余計なお世話か?