はじめ ゆうの観てきた!クチコミ一覧

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温室

温室

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2012/06/26 (火) ~ 2012/07/16 (月)公演終了

満足度★★★★

正しい事はどこにあるのか
ノーベル文学賞受賞劇作家にして、「不条理演劇」の大家、ピンター。

ピンターの作品の特徴は、部分的にみると全く支離滅裂なのに
全体でみると何故か綺麗に流れる台詞回し、全てが不確かな
状況説明、夢幻的で不穏な舞台の雰囲気… そして痛烈な皮肉。

本作、『温室』は、そのピンター独自の個性と魅力が最も先鋭的に
出ている作品で、それ故演出には大変苦労されたと思います。
演出家、役者共に健闘している、素敵で、異空間を旅するような
感覚のお芝居を120%体験出来て本当に良かったです。

ネタバレBOX

今作、『温室』は療養所と思しき場所(明示はされない)で、
収容患者の一人が死に、一人が何者かにより男子を出産
させられたことが報告される場面から始まります。

真紅に統一された家具が点在して置かれる他は簡素ともいえる
舞台は客席の中央部分に設置され、丁度、観客は舞台をのぞく
仕組みになっています。また、舞台は終始、時計回りに回り、
時として緊迫した雰囲気をかもすかのように早くなります。

権威を振りかざし、秩序を最大の価値と信じて疑わない所長、
その下で、表向きは従順を装うも、その実、全く尊敬心を
持ち合わせず、足元をすくってやろうと考える専門職員たち。

その微妙なパワーバランスが、冒頭の事件をきっかけに一気に
崩れ、暴力や殺意の気配が後半にかけて徐々に舞台を覆います。
断続的に鳴り続ける不協和音の演出とあいまって、不気味とも
いえる空間でした。

最後の場面で、暴動を起こした収容者たちにより所長以下、
全ての専門職員が殺され、唯一残った一人の職員が昇格して
新しい所長になった事が報告されて、本作は終わります。
しかし、背後関係は分からず、この職員の仕組んだことなのか
それとも、突発的な暴動だったのか、それとも別の原因が
あるのかは全く分かりません。ただ事実のみが淡々と語られる。

ピンターの作品は、故に、ベケットやイヨネスコなどの
系譜を汲む「不条理演劇」に位置付けられますが、全く
訳が分からないのではなく、事実関係は語られなければ
その人だけにしか分からない、そういわれているようです。

誰かにとっての真実は、誰かにとって真実じゃない。
やっぱりピンターの作品は最高だと思いました

高橋一生と山中崇がすごく良かったです。両人とも、表向き
保たれている秩序の中で、本性を現した人間の狂気をよく
演じ切ったと思います。

来年、深津氏が別役実(氏の作品も大好きです!!!)の『象』を
演出すると聞いて、体温がまた上がってしまいました。
夏なのに…。
音楽劇「ファンファーレ」

音楽劇「ファンファーレ」

音楽劇「ファンファーレ」

シアタートラム(東京都)

2012/09/28 (金) ~ 2012/10/14 (日)公演終了

満足度★★★★

素直に良いと思える渾身の作品
「ファ」と「レ」しか歌えない少女、「ファーレ」の成長を描く物語―

『わが星』『あゆみ』の柴幸男氏の、待望の新作は誰もが
肩の力を抜いて楽しめるストレートな音楽劇。音楽に、
柴作品では欠かせない「□□□」の三浦氏、振付に
「モモンガ・コンプレックス」の白神氏を迎え、三者で、
この二時間の心地良い物語を描き出します。

柴作品特有の、音楽と動きのある見せ方、優しげな世界観は
そのままに、より多くの人が楽しめる作品が生まれました。

ネタバレBOX

衣装が凄くポップで可愛らしく、ファッショナブルで、でもどこかで
見たような…と思って確認してみたら、faifaiの人がデザインしていました。
この舞台に完璧に映えてて、とにかくセンスがいいなぁ、と思いました。

柴氏の過去の作品に見られた、物語のカットアップやリバースの
手法は本作では息をひそめ、氏の作品を初めて見る人でもかなり
楽しめると思う。

逆に、氏の言葉遊びやヒップホップ、連想ゲーム的な台詞回しが
好きな人は少し普通に感じるかも知れません。今回、結構みんなが
普通に台詞を口にしていたのに驚いたくらいです。

柴氏がいうには、「ファーレ」という女性の過去から今に至るまでの、
文字通り成長の軌跡を描きたかったそうです。成長の中で、「ファ」と
「レ」が歌えるようになるんじゃなくて、他の音を他の人が補完
していく事で何かが生まれる。

そうじゃないか、と思って、この『ファンファーレ』を造ったそうです。

上記の「協働」に関する事は、劇場で配布している「ままごとの新聞」にも
書いてあるんですけど、柴氏がとても良いことをいっています。曰く、
自分ですべてをコントロールしたい欲求から、誰かと一緒に作品を
作り上げていくことへと関心が移ってきたようで。

今後の作品も、そのことを念頭において作られていくようで、
早くも柴氏の次の展開が楽しみだったりします。

話自体はシンプルなんですけど、絶対に堪能して欲しいのが、
この舞台のテーマ曲になっている「うたえば」ですね。「音楽劇」と
銘打たれているだけあって、歌が話の流れで大きな比重を占めます。

この『ファンファーレ』は3幕から成っていますが、そのラスト3幕目の、
本当に良い場面で「うたえば」が鳴り響くので、心を打ちます。会場では
泣いてる人もいましたが、すごくよく分かります。
私も結構涙腺まずかったです…。

「うたえば」(※実際には、もう少しいじられていますが)
http://soundcloud.com/musical_fanfare/0903-1

最後に。やっぱり坂本美雨氏(実際の舞台にも出演!!)の声は素敵だな!
電車は血で走る(再演)

電車は血で走る(再演)

劇団鹿殺し

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2010/06/18 (金) ~ 2010/07/04 (日)公演終了

満足度★★★★

電車は「思い」で走る
本劇団所見で、正直「電車は血で走る」っていうタイトルに若干得体の
知れないモノを感じ気味だったんですけど、終演時には少々泣きつつも
晴れ晴れとした気持ちの自分がいました。 

あらゆる迷いと悩みを吹き飛ばして、未来を前向きに見られるような、
そんな「パワフルで優しい」作品だと感じました。いや、劇中劇は
ぶっ飛んでるんだけど(笑

ネタバレBOX

鉄彦を乗せてきた電車が楽団で構成されているのが、本作タイトルも
相まって象徴的でした。 人々の、それぞれの「思い」が形になって
電車を走らせているし、電車は人々が思わなければ、願わなければ
走る事が出来ない、のだと思う。

終盤、虎川にいいように弄ばれていたのに気がついたフルシアンテが
鉄彦に向って、

「他の人の人生だもん…僕がどうこうすることは出来ない」
「でも、どうすることも出来ないのが悔しくって…」
「僕にはこれしか書けないんだもん!!!!」

と独白するところで、危うく号泣するところだった。 アレはヤバい。
何でもいいからとにかくひたむきに打ち込んだ人は、あれは本気で
心に響くと思う。 私の後ろの席の人も泣いてましたね。。。

子供のように純真で、レッチリのように渋くて熱い奴らの、体を張った
抒情スペクタクル。 堪能させて頂きました。

余談ながら、男前田ドクロをはじめとした、宝塚奇人歌劇団の面々の
毎回の大立ち回りが、なんか良く分かんないけど猛烈に決まってて
カッコ良過ぎ!!!
やわらかいヒビ【ご来場ありがとうございました!!】

やわらかいヒビ【ご来場ありがとうございました!!】

カムヰヤッセン

シアタートラム(東京都)

2013/01/17 (木) ~ 2013/01/20 (日)公演終了

満足度★★★★

生まれ変わった「やわらかいヒビ」
本作品は、2010年に三鷹市芸術文化センター「星のホール」で
初演されたものの再演となる、劇団の代表作であり、また初の
シアタートラム進出作品でもあります。

私は2年前の初演も観ているのですが、当時相当の衝撃を受け、
以来、「カムヰヤッセン」という劇団名が脳裏に刻まれるなど、
本当に想い出深い作品です。今回の再演でも変わりません。

むしろ、ある部分では、再演の方が深く切り込んでいるかもしれない。

ネタバレBOX

本作品『やわらかいヒビ』ですが、

舞台は近未来の日本。そこでは数々の社会問題に対応する為に
各分野の頭脳を集めた施設「アカデミー」があり、主人公、牧の妻、
上谷はその中でも圧倒的な才能を発揮し、空間輸送用ブラックホール
開発に日々精魂を傾けていた。

ところが、本人の研究以外に周囲を顧みる事の一切無い性格や、
妬みから、同僚の計略でアカデミーを追放された上谷の体に、
原因不明の不調が起こる…

といったもの。ジャンルでいうと…一種のディストピアSFですね。

初演では、主演の板倉チヒロの絶叫し、時には鼻水涙を
まき散らしながら泣き叫ぶ渾身の演技、

裏切り、妬み、嘘、偽善といった負の感情・要素が一体で
襲いかかってくる、ラストの破局に向かって突き進んでいく、
一切の希望無しの絶望的なストーリー展開、

そしてその悲しみと余りの美しさが一部で「伝説」になっている
ラストシーンが大いに話題を集めた作品なのですが、

今回、再演に当たって、大幅に脚本が直されています。
重要な役割を果たす人物も新たに加えられて、作者の
言う通り、「まったく別の作品」に生まれ変わりましたね。
劇団員も入れ替わって、役者も大幅に替わっています。

観ていて感じたのが、この劇団特有の人間の酷さ、残酷さ、
非情さを示すような台詞、演出、展開は書き改められて
よりトラムに相応しい「広がり」を覚える作品になったな、と。
初演では確か用いられる事のなかった音楽が、ここでは
より深く感情を揺さぶる効果をもたらしています。

夫婦の息子、慧吉と牧の関西弁を介してのやり取りが
コミカルで、緊迫感が大分緩和されているのもあるけど
初演ではほぼ無かった、「まだ見ぬ未来への可能性」を
今回は強く感じられるようになってて。

劇中、牧と上谷、二人の夫婦のきずなが問われる場面が
あるのですが、初演では、それは先に待ち受ける悲劇を
より強める効果にしかなっていなかった気がします。

今作では、初演のエモーショナルさはそのままに、一層
台詞が身に入って来る感じ。

アカデミーを追放されて絶望する科学者の妻に向かって、
牧が言った「m+1の公式はmが0なら成り立たない。+1は
mという今があるからこそ、出来るんだ」「あなたは…俺より
頭が良いんだから理解出来るはずだ」と必死に訴える、
あの場面、

初演では全然来なかったけど、今回は目頭が痛くなりました。

伝説のラストシーンは今回削除され、より未来の希望を
感じさせる終わり方になっていました。ここは賛否両論
あると思いますが、初演のはどうにもならない悲劇の上に
咲いた、美しい一輪の華のようなものなので、

より「人間を、未来の可能性を信頼する」ようになった、
今回の上演では無くて良かったのかもしれません。

最後に、本作は本当に傑作で、シアタートラムも良い劇場です。
カムヰヤッセンが現在激推しの劇団であることを差し置いても
この作品は観て損が無いと、私は確信を持って言えますね。
やわらかいヒビ

やわらかいヒビ

カムヰヤッセン

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2010/10/01 (金) ~ 2010/10/11 (月)公演終了

満足度★★★★

板倉チヒロすげえ
というしかない。 というのが、まずもっての感想。

涙、鼻水垂れ流しで理不尽さへ憤り時には熱く、時には残酷なほど
温かい、この主人公を熱演した板倉チヒロの役者精神は、出演者が多い、
この舞台でも輝き過ぎてました。 お陰で主人公のシンクロ度マックスです。

「Mと1」の話を語り出した時がこの作品のハイライトと勝手に思ってます。
この舞台の成立は半分以上彼の貢献によるところが大きいと感じました。

そして、ラスト。 幻想的で、ほんの少し、かけら位の希望が感じられる、
美しい光景でした。 よく考えれば残酷でもあるけど、それも含めて
「生きる」ことに少しだけ思いをはせました。

ネタバレBOX

事前の想像よりも、結構ダークで残酷な物語でした。

他の方が気を悪くしたら申し訳ないけど。。
6月に観たひょっとこ乱舞「水」を思い出していました。
「生きる」ことが美しいだけでなく、時に暗くて残酷だ、というテーマ、
構成や場面転換が複雑ながら巧みに練られていること、時々入る
冷静だけど詩的で核心を突く長台詞。

共通点を感じました。

登場人物が多い作品だけど、何人共感出来るかで評価が決まりそう。
私は牧、佐々木(弟)、ラミアは好きだけど、美津子、小原、上谷、タダシは
ド真ん中で嫌いなタイプだなぁ。 

上谷は牧、タダシは「化学が人を傷つけない世界」に反射させて
結局自分しか映って無いのだもの。 結局は自分のエゴが透けて
みえてくるというのか。。 だから、自分は良くても人がどう思うか
想像の及ばない発言を繰り返しちゃうんだよね。。

あの場面で、「私を殺して」って、理解はものすごく出来るけど
絶対に言えない台詞だよ。。 牧の心情を考えたら。。
ただ、自分が男なのでそう感じるだけで、また他の人は違うかも知れない。

思うのだけど、「アカデミー」に選抜された人達。 ある分野に
秀でたはずの、いわば「エリート」集団なのに、自己中心が過ぎて
子供の集団のようなイメージを持ちました。

佐々木(兄)をいびってた連中とか、上谷と共同研究チームを組んでた
二人組とか。 でもああいうのってエリートに限らず純粋培養されて
しまった人にはよくありがちな性格なのだけど。

そのアカデミーを事実上支配するのが、「大人になれない、
永遠に子供のまま」のタダシだなんて、皮肉にも程があるよ。

そんな人間ばかりの「ノアの方舟」なんて「進むも地獄、戻るも
地獄」だね、まさしく。意図しての設定だったら脚本家は凄過ぎだけど。

あと、タダシが何故末期状態の上谷を連れて帰ろうとするのか
よく分からなかった。 最初、故意にボロボロにして、その状態を
研究して何かに役立てるつもりなのか??と思ったけど、どうも
ブラックホールの開発に彼女が必要らしい。 じゃ、なんで
ボロボロにする必要があるんだろ?

そこが腑に落ちなかったのが残念。

それにしても、最後の場面のラミア含むセットの美しさと幻想性は
今後ずっと覚えていそう。 でも、あれって上谷が死んで、ラミアが
「解放」されたからこそ、のあの光景なんだよね、よく考えたら。

「生きる」って、「生命」って残酷なものだな。
でも、あのシーンだけでも観に行って良かった、と思えた。
カラムとセフィーの物語

カラムとセフィーの物語

文学座

文学座アトリエ(東京都)

2010/10/01 (金) ~ 2010/10/14 (木)公演終了

満足度★★★★

最後は「抜け出した」二人
原作は、本国で高評価のシリーズものの第一作、しかも400頁と
相当な長さの作品。 それを三時間近くにまとめたその手腕が素晴らしい。

それを可能にさせたのはまず何をおいてもスピーディーでパワフルで、
緊張感をうまいこと持続させていた演出によるところは大きいですね。
最後辺りは、何とか最悪な悲劇だけは回避されますよう…と半ば
祈るように観ていました。

この作品、結構肉体的に痛い部分やキツい言葉が出てきたりするので
ほんの少しだけ、そこは理解して観た方がよいかも知れないです。

多分原作と劇作では結末部分が大きく変わっているようですが…
そこはネタバレで。

ネタバレBOX

11歳と13歳から始まるカラムとセフィーの関係。 

その二人の関係は年を追うごとに、周囲の環境が変わっていくごとに、
同じように激変していく。 

かたや決して裕福とはいえない、被差別種族のノート人のカラム。

かたや、支配種族であるクロス人、しかも副総理の父を持つセフィー。

本人達の「二人でいたい」というささやかな願いも、人種間の際限の無い
憎しみの中に翻弄される。

ノート人の解放義勇軍に参画し、爆破テロを起こした咎で父親を
殺害されたカラムは家を出、兄に誘われるまま、自身も解放義勇軍に
身を置く。 

セフィーとの、一緒に駆け落ちしようという約束は、ちょっとした
行き違いから反故となり、再びの三年後の再会の時、かつての
心優しいカラムはいない。 彼はセフィーを誘拐し、組織の身代金の為の
人質とする。

ここでの、セフィーの、カラムへの悲痛な訴えは心が痛いです。

二人で向き合ううち、三年前の約束の反故が誤解とすれ違いに
よるものと分った二人はそのまま情を交わす。
アジトを警察に突き止められ、逃避行の中、カラムはセフィーを
無事逃がすことに成功する。

時は経ち、二人は自分達が幼少の頃、よく遊んだ思い出の浜辺で
落ち合う。 そこで、カラムはセフィーの口から、彼女が自身の子供を
身ごもったという事を知る。

喜びの中、二人は子供の名前を。 カラムは自分達がよく遊んだ
庭に咲くバラからRoseを、セフィーは息子だったら彼の殺された
父親にちなんでRyan、娘だったらカラム-Cullumを崩してCallieを提案。

しかし、二人だけの時間は突如終わりを告げる。 突如現れる警察。
カラムは連行され、その後死刑判決を受ける。

死刑の十分前、現れたセフィーの父親から、娘の生まれてくる子供が
自分の子供ではないことの証明書を書けば恩赦を与える、という取引に
証書を破り捨てることで応じたカラムは、刑場でセフィーと互いに愛を
叫び合いながら息絶える。

やがて。
セフィーは娘を出産。かつての約束通りCallieと名付け、自身も今後は
カラムの「マクレガー」姓を名乗ることを発表。

半ば勘当された身のセフィーは娘と共にかつての二人の思い出の
浜をゆっくり歩く。 自分の恋人はすぐそばにはいない。
しかし、「あの日」書いた二人のRoseとCallieの文字はしっかと残り続ける…

結局、この物語の中ではクロスとノートの諍いは終わらなかった。
でも、時に憎み合いさえもした二人の子供はこうして生きて憎悪の
連鎖、それしかない世界、それが終わらない世界とは別の世界を
生きる可能性と希望を持っている。 

そして、それは二人の両親の決断のおかげ。
二人が子供を守ったから、この子は「二人の子供」として生を
受けることが出来たことは忘れてはいけないのです。

現実は厳しく、決して自分達の世代では好転しないかもしれない。
それでも、小さなことからわずかに変わる希望があるのかもしれない。
そう思うと、明日に明るさを少しでも覚えることが出来るかも知れない…と
考えることだって出来ます。 そうでしょう。


『カラムとセフィーの物語』。 原題―Noughts and Crosses

説明書きによると、○と×を三つ並ぶように置いておく、日本でいう
オセロゲームみたいなもので「相手にミスが無く両者が真正面から
真剣に向き合う場合には、勝負がつかない」そうです。


あとから、振り返るとこの解説が、この物語の本質を衝いている気がする。
人対人。 簡単ではないけど、そこにこそ光がある気がする。
わが星

わが星

ままごと

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2011/04/15 (金) ~ 2011/05/01 (日)公演終了

満足度★★★★

「私たちの星」のように美しい物語だった
星のホールに着いたのが開演10分前の7時20分。
この時点でも、入場を待っている長蛇の列がずっと奥まで
連なっているのを見るだけでも、この作品に対する皆の
期待の強さをグッと感じるのです。

客席がぐるりと円になって舞台を囲み、何も無い空間に
これから始まる事を想像してワクワクする。

「これから四秒後に照明を消させてもらいます」という案内の声で
始まった物語は、とても美しく、哀しかったけど、温かく思えました。

ネタバレBOX

「ちいちゃん」という、地球をモチーフにした一人の少女とその一家の
運命がそのまま「宇宙」における星のそれと重ね合わされていく、という
相当に壮大な物語。 で、ボーイ・ミーツ・ガールなSFファンタジーでもある。

この、一歩間違えると相当にイタい話になってしまいかねない物語は
不思議とどこか「広がり」や「透明感」、風通しの良さを感じさせました。

その理由を考えてみたのですが、相当に抑制が効いていることが
理由に挙げられますね。 

言葉は連射されているようでいて、物語の根幹の「日常を生きて、
死んでいく」に沿ったものが選ばれていて、言葉遊びでもって
どんどんヴァイブを生むように紡がれているんです。

ただ、自己満足的に騒がしく言葉を発しているわけではないので
言葉のリズムに心地良く乗ることが出来ます。

お父さんとお母さんの、日常をラップしながら踊る場面。
息の合い方、凄まじかった。 さりげないようでいて、絶対丁寧に
そして徹底的に稽古されている作品なんだなぁ、と。

もう一つの理由は、「ちいちゃん」と少年だけでなく、その周りの人達の
存在をしっかりと描いていること。 

「ちいちゃん」と「つきちゃん」。
「ちいちゃん」とその家族。
「ちいちゃん」と先生。

それぞれの関係がリピートされたり、逆に早送りされたりして
描かれている。 それが、ありがちな狭い「二人の世界」に、
最後の場面で陥ることを拒んでいます。

芝幸男という人は、ロマンチストで子供の心を持った人ですが
決して閉じていない、大人の幅広い象像力を兼ね備えているのだと
思います。

最後の場面、「ちいちゃん」のところへ少年が自転車で乗り込んで行く
ところに、思わず興奮してしまった。 あそこ、熱過ぎる!!!!

そして、「百億年ずっとみていてくれたんだね」の言葉に、胸の底から
こみあげる何かを確かに感じました。 ホントは、少し前の場面から
感じていたけど。 

「宇宙」はどこかで「人」とつながっていて、「人」はどこかで誰かに
想われることに安心しているのかもしれない。 そんな、普遍的で
大らかなものを感じさせる、「青く美しい地球のような」作品でした。
モナカ興業#12「旅程」

モナカ興業#12「旅程」

モナカ興業

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2012/10/19 (金) ~ 2012/10/28 (日)公演終了

満足度★★★★

新しい出発?
舞台上で鳴り続ける不協和音に、シンプルで影を作りやすい照明、
最初見た時、「ノアの方舟」を思わせた、逆台形の形をした
巨大なセット。

そこで繰り広げられるのは、徹頭徹尾ダークで、普段は笑顔を
見せるような人の裏側に隠れた醜さや冷たさ、無関心さ。

誰も抜けられないような蟻地獄のような世界観で、一時間半
観続けるには体力もいる、緊張感の溢れた舞台ですが、
きれいなものを見飽きた人にはこれほどうってつけの作品は
無いんじゃないかと思います。

ネタバレBOX

基本的な登場人物は、

・夫婦と娘。夫が株式投資で妻が実家から受け継いだ家を抵当に
入れ、大失敗。それがもとで一家は離散。娘は喧嘩する両親が
嫌で家出、男子学生に暴行を受ける。

・建築資材会社社員たち。明らかに出来るが、少し生真面目で
 頑張り屋の女性に、その恋人のあまり有能とはいえない感じの男。
 その後輩の、今風で仕事も女性関係もスマートそうな子。

ちなみに、両グループは、投資に失敗した夫が建築資材会社の
監査室長ということでつながります。

モナカ興業特有の、最初から物語を説明しないつくりは、観客を
おいてけぼりにしかねない危険性があるのですが、巧みな台詞や
人物の見せ方でぐいぐいと引き付けていきます。

登場人物に、いわゆる「良い人」が一人もいないんですよね…。
表面的には良い人でも、あるきっかけで一皮むけば、陰惨な
実態が白日の下にさらされる。でも、えてして、人間って誰でも
そういう一面があるんじゃないかと。

だから、強く心をとらえて離さないんじゃないか、と。そう思いましたね。

どうも自社が不祥事を起こしているらしい、との疑いで、社内調査
チームに選出された女性社員が持ち前の鋭さと熱心さで、腐敗の
実態を監査室長に報告するも、事なかれ主義での室長はもみ消して
明らかにしない。

そうこうしているうちに、社外に実態がリークされ、大問題に。
内部告発を疑われた女性社員は監査室長により、チームを外される。

食い下がる女性社員に監査室長が言い放った言葉が秀逸すぎました。

 「オレは家庭を背負っているんだよ!」
「ちゃらちゃら男と遊び歩いているお前とは違う!」

と言い放っていましたが、既に一家崩壊していく過程を目の前で
見せつけられている観客からすると、なにをかいわんやの世界です。

今作も、崩壊に向かっていく家族、恋人、会社それぞれの終幕、
そして新しいスタートを、「旅程」―旅の始まりと、その過程に
なぞらえて語っていますが、正直それを前向きととらえるか、
後ろ向きととらえるかは難しいところでしょう。

結局、人生は長い旅程で、プラットホームではそれぞれが交わるが
最後に列車に乗るのは一人、ならぬ独り。最後の場面で、そんなことを
思いました。
アミール・レザ・コヘスタニ [イラン]『1月8日、君はどこにいたのか?』

アミール・レザ・コヘスタニ [イラン]『1月8日、君はどこにいたのか?』

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2012/11/02 (金) ~ 2012/11/04 (日)公演終了

満足度★★★★

イランを覆う閉塞感の片鱗を垣間見る
映画『ペルシャ猫を誰も知らない』、『これは映画ではない』からも
その一端が分かる、現イランの生活全般にわたる、目に見える・
見えない形で行われる抑圧。

本作は、その抑圧が一気に強まった2009年の大統領選挙前後の
イランの空気を、実験的な手法で見事に表現したものです。その
閉塞感はもしかしたら、現在の日本にも通じるものかもしれません。

ネタバレBOX

『1月8日、君はどこにいたのか?』は、兵役からの休暇で
戻ってきた恋人が不用意に持ち出した銃を盗み出した
女性たちが電話でやり取りする、その模様を舞台化した
なかなか実験的な作品になっています。

最初、銃を盗み出した理由が分からない上、次々に電話を介して
登場人物や場所が移っていくのについていけず戸惑いましたが、

徐々に会話から伝わる、銃を盗むに至った理由が判明すると
ともに、イラン社会の封鎖性と閉鎖性、保守性がよその国の
私たちにもひしひしと伝わる内容となっています。

基本的に、男は権威的で、すぐに逆上して怒り出すくせに
真実を衝かれると、すぐに怯えてしまうような、情けない
存在として描かれています。さながら、権力をまとった、
張り子の虎のよう。

その男たちが動かす、イランの国家も、見せかけだけの
中身が伴わない存在と指弾しているかのようでもあります。

登場人物たちは、目の前に対する暴力的な抑圧に対して、
抵抗するすべを持たない。例え、銃を手にしても、それで
戦おうという意思は希薄で、手にした武器でますます
自分の壁を高くして閉じこもってしまう、

そんな絶望的な、何もできない、閉塞感すらじわじわと
伝わってくる、そんな作品でした。

若い芸術家、サラが銃を手にして何をするか、と問われた
ときに、自分の血を使って作っている作品に向かって、
血液を入れた袋を銃で撃って撒き散らしたら真に迫るでしょ、と
答えた時、私は限りない切なさを思わず感じてしまいました。

そういうやり方でしか、抵抗を示せない状況下におかれているのかと。
でも、彼女は芸術を通して、自分の意見を開陳できる力を少なくとも
備えているわけで、その背後には、数え切れないほどの声なき声を
持つ女性たちの存在があると思うと、なんだか、ね。

最後、偶然、銃を手にすることになった、不法占拠した
土地に住む明らかに弱い立場の若者は、観客に向かって、
自分の家が取り壊されようとしていることを告げ、言う。

「家の塀を乗り越えてきたら、これを見せて、家を
壊したかったら、まず自分を殺してからにしろと言うんだ」
「家を潰したかったら、自分も一緒に潰してしまえばいい」

劇は、この若者が最後の電話を誰かにかける場面で
終わるのですが、鳴り響く呼び出し音が到底、最後の
脱出口になりえない、それどころか破局へのトリガーにすら
聞こえ、衝撃的な作品を観た、という気持ちを覚えましたね。
裏切りの街

裏切りの街

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2010/05/07 (金) ~ 2010/05/30 (日)公演終了

満足度★★★★

緊張の「人間ドラマ」
観終わって感じたのが、「演劇」というより、三時間弱の「ドラマ」、または
「映画作品」だな、と。 構成も、ストーリーの流れも、すごくそこを意識
しているように思えました。 

テレビの画面、スクリーンの中ならこう、カット切るだろうな。
そう思う場面が結構あった。 「ボーイズ~」脚本を手がけていた影響?

全体通して緊張し通しで三時間あっという間。
舞台を前面に使ったセットが次々に切り替わって時に緊迫、
時に弛緩し切った雰囲気を上手く出してましたねー。

観る前は「え?三時間?」「裏切りの街、って何か二時間ドラマの
タイトルみたい…」と思ってたけど、終わった後は何だか納得。

ネタバレBOX

二幕開始直後に、秋山演じる「智子」の妊娠が発覚してからの展開が
どんな修羅場になるのか想像がつかなくて、正直胃が痛くなった…
結構あっさりと流してくれてて本当にホッとした。

皆、明日の自分より今日の自分に忠実、欲望のまま生きてきたら
こうなっちゃいました、って感じの人ばかりだけど、米村演じる「伸二」は
したたかだね。 おかれてる立場は田中圭の「菅原」と同じだけど
器用で身軽で。 この先、どうなっても要領よく楽しんでるのは彼だね。
他にも不幸体質っぽい上京者の「裕子」とか、あんま要領よくなさそうな
「田村」くんとか、脇役がむしろ光ってたのに登場の場が少なくて残念。。

個人的には松尾スズキの「浩二」がホント怖い。
妻や部下の前では、少し譲歩しがちな愛情たっぷりの夫、上司なのに
「菅原」の前に出てきた時にはヤクザみたいにじわじわなぶってくる。

自分の子供が別の男のものだって知ってるのに、それを育てようとする
その心情。 白タイ焼きくわえながら「俺がさー、こんなんでつられるとでも
思ってんの?」って一瞬素の表情を見せる瞬間。

全て知ってて、それを上手いようにコントロールしているような。

一番キャラ的に興味深いのは「菅原」でも「智子」でもなく
「浩二」だと思いました。
ベッジ・パードン

ベッジ・パードン

シス・カンパニー

世田谷パブリックシアター(東京都)

2011/06/06 (月) ~ 2011/07/31 (日)公演終了

満足度★★★★

「異国」イギリスでの小さな恋物語
まだ「異国」という言葉が有効だったと思われる、遠く明治の時代の
ささやかでほんの少し悲しい恋の物語。

と書くと、わずか二行でまとまる話ですが、そこは三谷氏。
細かく作り込まれた舞台装置(まさか、開演前の遮断幕にまで工夫が
施されているとは思わなかった)に、さりげなく意味を持たせている
浅野さんの十を超える配役、笑い取るだけかと思った要素にも
気づかれないように伏線が仕組まれ、

あぁ、やっぱり三谷さんだなぁ、と。 でも、今回は配役が配役なだけに
素直に笑えて、泣けて、そして最後はきれいにまとまった、文句なしの
作品でした。

萬斎金之助、異様なほどに板についてた。 堅物で生真面目だけど
ひとりの男って感じの金之助は、「夏目漱石」という作家から受ける
印象とは違ってて、近しく思えました。

ネタバレBOX

ベッジ役の深津絵里の魅力を存分に堪能出来ますね、この作品。
コックニー訛りを表すための、少しカン高く、鼻につく感じの話し方も
最初は戸惑ったけど、慣れてくると、その話し方がとっても可愛らしく
思えてきて。

彼女が話す夢の話。 その奥に隠されていたのは「何もない自分が
唯一手に出来るもの」だからであり、そのことがラストの展開に続く
伏線になっているのが素晴らしいです。

というか、ラストの萬斎さん演じる金之助がベッジに自分の想いを
最後切々と訴えかける場面に思わず本気で泣いてしまいました。
いかんね、自分、こういうのには弱すぎる。 そのあとの、ヘッジの、
金之助に向かってそっと語りかける言葉も素敵だ。

二幕始まっての、萬斎×深津の、キュンな展開は良い良い。
こういうのもなんか、好きだなぁ。 机の下のとか、いいのかな?笑
金之助、結婚しているのにー。
聖地

聖地

さいたまゴールド・シアター

彩の国さいたま芸術劇場 小ホール(埼玉県)

2010/09/14 (火) ~ 2010/09/26 (日)公演終了

満足度★★★★

地続きの「境界線」
9月は、「自慢の息子」、そして「聖地」と松井ファンにとっては狂喜乱舞な
月となったわけですけど。 それ、私にいえることなんですけど。

「聖地」は「自慢の息子」と若干テーマを共有しつつも、結末は全く正反対の
印象でしたね。 向こうが「冷」なら、こっちは「暖」みたいな。
正直、松井氏の作品から「暖色」の印象を受けるとは思わなかったので
何か別の作者の作品を見てるような気持でした。 

作品全体を通じて松井氏の意外な振幅の広さ、そしてそれに対する
演出の力を感じました。

勝手が違う作品を前に健闘以上の調理を見せた蜷川氏、そして
長丁場の舞台に耐え切った劇団員の皆様には本当に感謝。

ネタバレBOX

場内に入って、陽光を模した照明に照らされた瞬間から、もうお手上げでした。
窓の隙間から差し込む眩しくて心地よい陽光、白を基調とした調度品の数々…。

サンプルの薄暗くて風通しの悪そうな、カビ、蒸れてすえた匂いで
充満してそうな雰囲気の舞台との余りの違いにショックを受けますね。。

個人的には自分も年取ったらここに住みたい…って何十年先の話だ(苦笑

ストーリーは、チラシにもあるように老人達がホームを占拠して
「聖地」を築き上げる第一部までは割とオーソドックスに、しかも結構
良い話な感じで進行するものの、地ならしを終えた第二部からは徐々に
松井色が舞台を覆い始めます。

さながら、普通の絵の上に徐々に歪んだレイヤーをかけていき、
別の絵にすげかえてしまうように。

第二部では、入居者の一人、認知症患者の瀬田さんにかつてのアイドル
キノコちゃんが憑依、「聖地」の共同体の中心にいつの間にか入り込む。

それとともに、「聖地」設立の目的、老人達が安心して過ごせる共同体、
という触れ込みも徐々にキノコちゃんを中心とした、その体制保持の為の
集まり、というものに侵食され、変質していく。

ここで怖いのは、別にキノコちゃんが絶対的な権力者として君臨している
わけではないんですね。 キノコちゃんを絶対視しているものもいれば、
全然お構いなしにそれまでの生活を営んでいて気にしないものもいる。

なんかリアル過ぎる組織図なので、逆に笑えてくる。

徐々に話は進行し、本当にキノコちゃんが瀬田さんに憑依しているのか
それとも認知症で生前のキノコちゃんと仲が良かった瀬田さんの狂言に
みんな乗せられているのか、だんだん分からなくなってくる。

その疑念が頂点に達した時、警察が踏み込んできてこの物語は幕を閉じる…。

最後、その一連の物語でさえも、ある一人の老婆の死に際の夢で
あるかのような描写がなされ(この女性が本物のキノコちゃんである可能性も
あり、その死に際の願望・妄想が今作、という解釈もできそうだけど、本編では
明示は無し)、静かに美しく暗転。

結局、何が本当で何が偽りなのか分らないままですが、「自慢の息子」と
違い、音楽や照明が暖かいんですね。 慈しみに満ちているというか。

実際の蜷川さんは、暖かくて真摯な人だ、といわれているけどそれは十二分に。
舞台の雰囲気も含めて、そこは松井氏との演出手法の違いをひしひしと
感じました。

全く性質が違う、しかも世代も違い過ぎる作家の作品をここまで
自分の作品にした蜷川さんはやっぱり凄い人だ、と感じます。
なにより、その新しいことをしようという勇気に惚れるし、尊敬。 

…けど、公演のチケット、毎回高いので何とかして欲しい(苦笑
今作はその意味でも感謝。
エゴ・サーチ

エゴ・サーチ

虚構の劇団

紀伊國屋ホール(東京都)

2010/09/10 (金) ~ 2010/09/19 (日)公演終了

満足度★★★★

活気にあふれた好作品
とにかく役者が騒ぐ、動く、そして笑わせる!!!!!
ホントは事前のチラシとか見てて、もっと深刻な話なのかな?と
思っていたけど、結構アッパーで若々しくて楽しかった!!!!
それでいて、最後はしんみりさせられる良く出来たお話でした。

しかし、 小野川晶の笑いのとりにいきっぷりは凄かったね。
相当舞台の雰囲気を明るくすることに貢献してたと感じます。

ネタバレBOX

話は面白かったけど、タイトルの「エゴ・サーチ」、あんま本筋に
関係なかったかも。。 二つの話を強引につなげた感があって
序盤~中盤までごちゃごちゃしてて理解がちょい大変でした。
ギジムナーの登場も少し無理あったし。。。 複雑過ぎ?
そこまで入り組んだ構造にする理由がよく分かんなかった。

これだったら、最初から舞台沖縄方面にして、「男女○人夏物語」
みたいにした方が合ってると思うけど、そんな単純なのは
やりたくなかったのかな?

↑で色々言っちゃったけどそれを遥かに上回って舞台の雰囲気が面白い!!!
稽古の場で出たアドリブやアイデアがそのまま本番に
採用されたのでは? と思えるような動きや台詞もふんだんにあって
かなり良い意味で「勢い」がありました。

つーか、あの、路上で一杯いそうなバンド「骨なしチキン」の、

フル・オブ・フラワー(後半「レインボー」に変わる)~♪

の歌が頭から離れない(笑) というか、あの歌、何気に結構良曲だと
思うんだけど、他の人はどうなんだろう?

緩急付いた、明るい雰囲気の劇が好きな人にはお勧めですね。

小野川晶も超楽しかったけど、大久保綾乃の、「スターウオーズ6本
ぶっ通しで観て~」の件は、なんかツボにはまって笑ってしまった。
そういうことありますねー。

というわけで、次回作は近未来ドタバタSFコメディ(歌踊りあり)を希望!!
木をめぐる抽象

木をめぐる抽象

モナカ興業

こまばアゴラ劇場(東京都)

2010/06/02 (水) ~ 2010/06/08 (火)公演終了

満足度★★★★

人をめぐる抽象
タイトルと内容説明で、うんと損をしているとしか思えない本作。
これだけで内容分かれ、という方が無理だと思う。

ある人が見ているその人の姿と、別の第三者が見ているその人の姿は
全然違う、どれが本当なのか、どれも本当だろう?
皆がかっこ良いと認めていた人が自宅の敷居を跨げば、はやだらしない
格好に早変わりというのはよくあること。 誰もその人の本当の姿はコレだ!
とはいえない。 

だから、「人」というままならないものをめぐる「具象」じゃなくて「抽象」。

ネタバレBOX

ある会社の説明会を運営するイベント会社の社員と、説明会主宰会社の
社員達が会を翌日に控えてから、無事説明会の終了を迎えるまでの
28時間をえがく作品。

自分のことで頭いっぱいで要領悪過ぎる、どこにでもいそうな仕事出来ない感じの内村さん、面倒見がよく気遣いも上手い犬上さん、その二人が
認めている多田さんが運営会社社員。

仕事バリバリ出来る、いかにもやり手なキャリアウーマンの小林さんが
説明会主宰責任者。

劇が進むにつれて、犬上さんがフラストレーションためまくりの、ありがちな
人で、しかも自分の旦那と多田さんの浮気を疑っていたり、

いかにも出来る、皆のあこがれの的だった多田さんは、自分の上司との
不義の愛に溺れた挙句、妊娠中絶の為、会社を休んでいたという事実が
分かったり、

キャリアウーマンな小林さんは、その直情一本っぷりが上司はおろか
部下にまで密かに疎まれ、栄転という名ばかりの左遷で近々飛ばされる
だけでなく、自分の旦那との別れ話はこじれにこじれてる。。。

人に見せている顔と、裏の顔は実は違うんだよ、ということを皮肉たっぷりに
描く秀作。 台詞と構成が上手いですね。
最初の方の伏線の張り方も見事でした。

多田「(明るげに)部長、終りました」
部長「ああっ、ご苦労だったな」

ブラック過ぎでしょ、ここの場面。

内容自体は結構ありきたりだけど、最後まで時間を気にせず観れました。
自慢の息子

自慢の息子

サンプル

アトリエヘリコプター(東京都)

2010/09/15 (水) ~ 2010/09/21 (火)公演終了

満足度★★★★

王のいない「王国」
ストレートに分り易くなったなー、というのが第一印象。

一癖も二癖もある人物達を今回も配しながら、相変わらず巧みに
舞台装置を用いながら、台詞もメッセージ性も「ハコブネ」の時以上に
一直線に観客に伝わってくるのが今作。

逆に、何が起こるのか分らない、その予測出来無さを楽しみに
サンプル、松井作品を観に来ている人は、今作は結構想定出来る
感じなので物足りないかもしれません。

ただ…ラストシーンのある台詞には背筋が凍った。 
アレって…暗示してるの一つだけだよね。。。

ネタバレBOX

世界を正しく導くために、父親に「正」と名付けられた男。
彼がアパートの一室を「王国」と名付けることから、この話は始まる。。

といっても、部屋の一室が便宜的に「王国」となっても何も変わらない。
通貨も無ければ、言葉もロクに考えられてない、そもそも王しかいない
王国は果たして王国といえるのか?? 

亡命者の兄弟は所謂「危険な関係」にあり、それを隠すために
この新国家に亡命してきている。 

しかも、兄の方はいつも懐にナイフを忍ばせているような
強迫観念に駆られている男で、物語では明示はされないが
本当に二、三人は思わず殺ってしまっちゃってるんじゃないだろうか? 

隣室に住んでいる女は、いもしない「陽」という自分の息子の幻影を見、
必要のない洗濯を日がな何度も繰り返す。。

そしてこの国の王たる正は…部屋に引きこもってはぬいぐるみのミニ
人形と専ら戯れているだけの、女性経験全く無し、職歴も全く無しの
もう絵にかいたような典型的な生活不能者…ですな。

そのような現実から「亡命」してきた人間達が便宜的につつけばすぐに
破れるようなベッドやらカーテンやらのシーツの塊でこねくりだしたのが
この王国の正体。 つまり、すぐにでも破綻することは必定。

「国民」や「王」も必要があるから共犯よろしく、この抜け殻の王国を
持ち上げているだけで、意味がなくなればすぐにベッドからシーツが
はぎとられるように消えてなくしてしまおうと、新しく創っちゃえばいいじゃん?
位に考えている。

この作品,観ていてNODA MAP「ザ・キャラクター」を思い出しました。
現実の中に架空の、偽りのコミュニティを造り出して、そこで醒めない
夢を見続けるんだろうな、という点で…。

最後、二代目「陽」になった兄が妹に向かって放った言葉、

「陽は土の中で眠っているーーー!!!!」
「やがて脱皮して新しく生まれ変わるまでーーーー!!!!」
「土の下でお前を支える支えになるからなーーー!!!!」

に、心底背筋が凍った。 コレ、陽って子は既に母親に虐待を受けて…
で、土の下で「眠っている」ってことでしょ? 瞬時に想像してすんごく怖かった。

最後、みんなしてシーツを掲げたあの光景、アフタートークで松井さんは
ドームって表現していたけど、私には今まで、そして未来永劫漂流し続ける
ヨットの帆にしか見えなかった。 そして、ナイフを自動人形よろしく
掲げ続ける妹の姿に本気でびびった。

変態度も、意味わからなさも若干後退気味で、その分上記に書いたような
テーマ的な部分は大きくクローズアップされているので、この劇団に
興味がある人にはリトマス試験紙的な意味で良いかも。
アルカサバ・シアター『アライブ・フロム・パレスチナ-占領下の物語』

アルカサバ・シアター『アライブ・フロム・パレスチナ-占領下の物語』

川崎市アートセンター

川崎市アートセンター アルテリオ小劇場(神奈川県)

2011/02/11 (金) ~ 2011/02/13 (日)公演終了

満足度★★★★

知られない「日常」
普段私達が「ニュース」「情報」として見聞きしているパレスチナの状況が
まさに同時進行の「日常」であることを否応なしに理解させられます。
「ニュース」は決して過去のものではなく、伝えられる対象がいる以上、
海の向こうの国で、確実に起こったことであり、

そして、今後も似た事が起こることを暗に示しています。

ネタバレBOX

この劇で見知ったパレスチナの状況。

それは、子供たちが「Mで始まるもの何だ?」的な遊びに、次々と
「シャロン」だの、「爆弾」だの物騒な名刺を嬉々として挙げる状況。

銃弾が、逃げまどう人々のどてっ腹に「海を越えた国が見え」そうな
位の空気穴を開けるような、極限状況。

恋人達は、各々のプレゼントに銃弾だの、爆弾だのを屈託なく
渡す、ブラック過ぎる状況。

そんなにわかには信じられない「状況」が時にシリアスに、時に
皮肉たっぷりに繰り広げられる。

パレスチナの民はアラブ民族でありながら、周辺諸国からは
完全に見捨てられ、イスラエルからは完全な「虫けら」「二級市民」として
扱われ続けている。 それも、もう数十年に及ぶ。

海外では、パレスチナの民は「難民」であり、「可哀そうな存在」であり、
その姿は「ニュース」でもって全世界に発信される。しかし、それで
何が変わったろう。 そう、ニュースはただの「情報」だ。
見ず知らずの人の意識まで変えるのは容易ではない。

本作は、普段顧みられることの無いパレスチナの人々の
閉塞状況、自分達を圧迫し、苦しめ続ける存在への怒り、
存在を認めてくれ!という、希有な叫びのように私には思えた。

人間の苦しみは「死ぬこと」もあるが、何より「忘れられ、関心を
持たれない」のが一番だと思う。 彼等は劇でもって、その無関心に
石のつぶてを叩き込んだわけであり、その点非常に有意義な作品と
いえます。
STRIKE BACK 先輩

STRIKE BACK 先輩

芝居流通センターデス電所

ザ・ポケット(東京都)

2011/12/21 (水) ~ 2011/12/25 (日)公演終了

満足度★★★★

この時期観るにはかなり陰惨
幸せな音楽流れ、街に笑顔が溢れるこの時期、完全完璧に
異物感発し過ぎな作品でした。あらすじの前半は、ここの
「説明」欄にある通りですが、後半はもっと陰惨になっていきます。

ここでの「陰惨」というのは、「残酷」というより、皆に平等に
「救いが無い」、がずっと近いですね。

ネタバレBOX

ふとしたことから殺人の片棒を担がされるようになった三木夫妻は
その後もブラックホールに吸い込まれるように、「先輩」こと樅山の
指示するままの人形となっていきます。

動機はよく分からないのですが、樅山は自分に対する絶対的な
権力を背景に、自分の取り巻き達に親族を殺させ、その死体を
自分のホームグラウンドである猫カフェの地下で解体させている、
言い方妥当か知らないけど、一種の殺人狂。

口癖は「皆が平等に幸せになる事が俺の望み」。
本当のところは、「皆が平等に不幸せになって」いきます。

愛理は死体処理のショックから立ち直れず、正常を保つ為に
玉沢さんに教えられた「自分の周囲の何かを数える方法」を
保つうちに、余計常軌を逸していく。

一方の直人は、樅山を嗅ぎ回る刑事を片づける為のひと悶着に
巻き込まれ、左足を撃ち抜かれた結果、よりによって既に正常を
一歩飛び越えてしまった自分の妻、愛理によって足を麻酔無しで
切り落とされることになる…。

ここまでで相当ダークな話ということは想像に難くないのですが
時折わざとらしく挟み込まれるギャグやネタが何とか観客を
決定的に落とさないよう、最高の効果をもたらしています。
多分、そのおかげで最後まで観られた人多いと思う。

とにかく人があっさり死んで、ゴミのように解体されていきます。
敢えて生々しくは描写されない解体模様や血潮が、異様な程
真に迫った狂気ぶりと相まって、凄絶さを増しています。

何だろう… 樅山を頂点として、「愛」とか「承認」を奪い合って
生きている人達の連鎖がそこにあるんですよね。皆、自分は
凄い、凄くない、誰かに認めて欲しい、の感情で溢れてます。

そこを、地元の「絶対的な存在」(と、皆が無条件に思い込んで
いるだけ)の樅山に上手いように掌握されているのです。猫カフェで
鎖につながれているように、誰もそこから逃げられない。

最後も、殆ど救いの無い、でも何故か感動的なラスト。
ヘンにわざとらしくない展開は賛否分かれると思うけど、
無理に明るく〆ないところは、個人的には好感触。
というか、ハッピーにもっていきようがない、のが正直なところ。

「信じない!」の連打、残酷だけど、どこか真実。

葛木英と吉川莉早可愛らしい。配役マッチし過ぎだと思います。
おどくみ

おどくみ

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2011/06/27 (月) ~ 2011/07/18 (月)公演終了

満足度★★★★

すっごいリアル
青木氏の作品は、本当に観ている人を苛立たせたり、憤慨させる
人物を出してくるのが上手いよなぁ。 褒めるとこなのか、微妙だけど。

好きなのは母娘。 息子は言いたいことは分かるけど、
同性なのでどうしても客観的に観られず、厳しく点付してしまう。。

ネタバレBOX

次郎や祖母、息子のような人物って程度の差こそあれ、本当に
自営業系の家には多いよ。 あ、あと母親みたいな人ね。
「子ども」のままの人と、それを支える「大人っぽい」人。
相反するようで支え合ってる関係性が、一種、DVの構造に似てる。

ほかならぬ自分が自営業系の家に関わりがあるから分かるけど、
サラリーマン家庭と違って、一家皆で家業を支えているから、
「甘え」や「もたれかかり」の構造が生まれ易いんだろうね、多分。
「たった一人の弟」って言葉、多分サラリーマン家庭だとあそこまで
リアリティとか生々しさを持たないと思う。 そこまでみんな余裕ないし。

結局、「家」という所属する場所があるから、みんな選択出来ずに
共依存の関係に陥っているわけで。 その「家」の既範たるものは
既に寝たきりで意志を表すことすらおぼつかないような祖父の、
「長男は家を守らなければいけない」とかいう、既に今では
一昔前の古臭い観念。 

半ば死人となった存在が、まだバリバリ生きている家族を
差し置いて家を「規定」しているのが、凄い皮肉だけど、
こういうことって昔は多かったのかなぁ? 

現に、祖父が死んだあとは、みんなそれぞれの生き方を
曲がりなりにも「選択」しているわけで。

家という「胎内」からの脱出、自立の話だったのかな、と
私は感じました。

正直、天皇関係のネタはあんまり興味持てなかったけど、
人をうんざりさせたり、怒らせたり、ムカムカさせたりする
青木氏の筆致は健在で、感情も相当揺れ動いたため、
満足です。 良い作品でした。

最後、「私を看取らせる」って言葉、すっごく意味深で重かった。。
パール食堂のマリア

パール食堂のマリア

青☆組

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2011/07/29 (金) ~ 2011/08/07 (日)公演終了

満足度★★★★

「いのち」の連鎖
会場で配布されていた「作者の言葉」に、この作品への意図の一端が
垣間見えるような気がしました。 「親」から「子」へ、またさらに「その子」へ。

いつしかその場所から建物や独特の「匂い」「雰囲気」のようなものが
消えてなくなってしまっても、「人」を介して「記憶」は受け継がれていく。
横浜の街角の片隅にひっそり在るパール食堂が、その連鎖の一部に
あるような、そんなささやかだけど、広がりのある作品でした。

ネタバレBOX

「生命が幾多の場所を経て、再び回帰する」というのは、
ままごと『わが星』にテーマが近いですね。後半特に
ファンタジックな展開になっていくところも含めて。

ただ、決定的に違う部分も、あります。

「女性であることの哀しみ」「喜び」「温かさ」。全部観ることが
出来たけど、中でも「哀しみ」を強く感じました。何だろう、
心の中に深い悲しみを密かに沈めていても、それだけじゃない。

そういう「人間臭さ」を感じました。 吉田氏の筆致は、説明過剰に
ならずに、地に足のついた「人間の姿」があるのが魅力だと思います。
作者の願望に陥っていない、そこが素晴らしいです。

結構重い背景を、登場人物達が抱えていながらもそれを
中和するような美しい演出、特に照明を使ったものが素敵で
まるで、「一時代に起こった夢の話」を聞かされているような
気持ちでした。 

あの、時間軸、そして場所まで表現する照明は本当に凄い。
舞台の幻想性に相当貢献していましたね。

グッとくる台詞、胸をつかれるような場面は結構あったけど、

・クレモンティーヌの台詞、「『去る者を追わず』と『別れる』とは
違うのよ」
・善次郎がユリを迎えに行くところ、「マリア様みてえだ…」に
至るまでの場面
・ラスト直前、捧げられる百合の花の中、「名無しの猫」が
生まれ変わることを告げ、自身の墓詣でに来た親に、名前を
付けてね、と懇願する場面

は、思わず涙が出ました。 舞台空間と同じように広がりのある
作品でした。マリアのように、そっとそこに佇んでいるような、
誰かを待っているような。
散歩する侵略者

散歩する侵略者

イキウメ

シアタートラム(東京都)

2011/05/13 (金) ~ 2011/05/29 (日)公演終了

満足度★★★★

最も大きな概念、それは
白を基調とした舞台が、そのまんま「漂白」でもされたような、
不思議で、ほんの少し不気味な雰囲気を醸し出していました。
役者の演技もどこか不気味。 というか、表情の造りが上手いね。
心ここにあらず、の様子をよく表していました。

メディアファクトリーから前川氏自身による小説版「散歩する侵略者」が
出ているので、本作が面白かった人は読むとよいと思います。
基本、鳴海視点で語っていて、これまた興味深いでしょう。

ネタバレBOX

昔の作品なのかどうか知らないけど、いつもより後半にかけての
メッセージ色が強めな気がしましたが、これは賛否両論でしょう。
個人的には、あんまり物語の本筋に関係あるようには思えなかったので
高らかに述べたてる必要は無かったように思いました。

途中で、真治(に憑依した宇宙人)が、今の自分は「在る可能性のあった
真治の姿」だといっていたけど、これを信じるのなら、「彼」は宇宙人ですら
無いのではないだろうか? いってみれば、「種」のようなもので。

終わっていたはずの二人の間に、「愛」の概念が生まれ、やがてそれは
元の通り失われていく。 なんか短い間の夢みたいだ。。。
「宇宙人」の存在は、その媒介に過ぎないのかなぁ。

それにしても、伊勢佳世がときたま見せる笑顔は本当に反則ですね。
きゅんとしてしまいます。。

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