満足度★★★★
悲恋物語と日本国家成立までの残酷物語という、2つの物語が同時並行で
絡み合うさまが巧みだなと。手塚治虫『火の鳥 太陽編』を思い出しました。
ラスト、妻夫木さんの悲しみように、こちらまで涙が止まらず。
ネタバレBOX
物語は、耳男、マナコ、オオアマの3人の若者がヒダの国の王の
娘・夜長姫に捧げる像を作るべく、ヒダの国を訪れるところから
始まります。
夜長姫に翻弄されつつ、耳男は像を彫り始めますが、その最中、
オオアマの正体が帝に弓を引いた大海人皇子だということも
判明。姫に像を献上した後、耳男は姫と一緒に登った鬼門の
てっぺんで大海人皇子に率いられた軍勢が謀反の戦を起こすところを
目撃します。
このシーン笑ってしまうのが、大海人皇子の軍勢も、相手と交戦する
軍勢も必死でやり合ってるのに、門の上の2人は何だか入り混じって
よく分からない人たちが門の周りをぐるぐるぐるぐる回ってるだけに
しか見えてないところです。
「あらゆる戦争なんて、端から見てたらそんなもんだよ」と冷めた
調子で言われてるみたいでしたよ。
その後、大海人皇子が勝利し、天武天皇として即位した後の治世で
耳男は言いがかりのような罪を着せられ、ヒダまで追われることに。
まるであやかしの物のようについてきた夜長姫が死を宣告するとともに、
耳男を追跡してきた兵士たちがヒダの人々を次々に討っていく。その
様子を見ながら、大海人皇子が「これで○○の方角の境が定まった」と
冷ややかな顔で宣言する一連の流れ。
さっき触れた『火の鳥』の「黎明編」、「ヤマト編」に書かれている
ことなのですが、まつろわぬ者たちの殲滅が、同時に国家のグランド
デザインの成立につながる話、恐ろしいな…。ヒダって、明らかに
東北のクマソやエビスを下敷きにしていて、ヤマト政権のそうした
人々に対する侵略を匂わせているんだろうな。
最後、耳男が人々の死を願う夜長姫を殺害し、死体の前で「姫さま…」と
呟きながら、嘆き悲しむ様に涙がこぼれた…。そのそばを、天武天皇の
行幸の列が通り過ぎていくことに、こうしたヒダの歴史とその物語が
もはや全然国の「正規の物語」と交差しないことが明らかになる中、
耳男がひとり寂しげにたたずむ中で幕。
美しさと残酷さ、切なさが入り混じる、あっという間の2時間でした。
膨大なセリフと数多くの場面転換を含む作品なので、原作を確認
しておくのがいいかも知れません。
http://ur2.link/NOHB
満足度★★★
仰々しくオーバーな表現と論旨展開の応酬が、舞台を見つめている者に「何が
本当に確かなことなのか」、「ここで起きていることで真実は何なのか」を
分からなくさせる。そんな作品です。
ひたすら言葉、言葉、言葉であらすじはほぼ無きに等しいので中盤退屈してしまう
人もいるかも知れません…。隣席の人は始まってすぐにまどろんでました。
ネタバレBOX
主人公は、互いに「詩人」「芸術家」と名乗る初老の男性ハーストとスプーナー。
舞台は富裕ぶりがうかがえるハーストの自宅の一室のみであり、与えられる確かな
情報はこれだけです。
スプーナーの長広舌により、どうやら2人がパブで出くわし、ここに来たらしいと
いうことが分かりますが、ハーストのよそよそしい態度からそれほど親しい関係を
築いたわけでもないことが読み取れます。ハーストはことあるごとにアルコールを
欲し、どうやらアル中の傾向があるっぽい。
その後、ハーストに仕える2人の若い使用人(らしき男性)の登場を挟み、続く2幕では
夜を超えて朝になった模様。そこから雲行きが怪しくなり、赤の他人だったはずの
ハーストとスプーナーが古くからの知人だったばかりか、お互いの親しい女性をめぐって
わだかまりを持つ仲であることがどちらからともなく語られます。
みっともない老人同士の金切り声を上げての痴話喧嘩の末、ハーストが異常性癖だと
告発した後、スプーナーは相手の肩を抱き、類まれなる詩の能力を後進に伝えるよう
切々と説き始めます。
しかし、ハーストはその依頼を拒絶し、いつの間にか照明がほぼ落とされて朝か夜か
分からなくなった室内で酒をいっぱいあおっておしまい、といった感じです。ラスト、
ほぼ真っ暗な室内に立ち尽くす4人がぶつぶつ意味の分からないポエティックな台詞を
こぼし続ける風景は軽くホラーでしたね。
見た通りに出来る限り合理的に判断するなら、2人は友人の間柄で、ハーストは
スプーナーの申し出を断っただけにみえます。が、2人が友人同士か、芸術家または
詩人なのか、若者2人は本当にハーストの使用人なのか、確かなことは分からない。
今挙げたことはすべて本人たちがただ単にそう語るだけで何も証拠がない。
ハーストはアル中で病院の一室に監禁されてて、永遠に閉じ込められる妄想を見て
いるのかも知れない。または、医師や看護人を友人や使用人と混同するほど病んで
いるのかも知れない。
もしくは、ハースト以外の3人は自身の別人格で、自分の殻を破るよう手を差し伸べた
ところ、ハースト本人が救いを拒絶して、永遠の精神の闇に堕ちていく過程を見せられて
いるのかも知れない。
本来、私たちが小説や舞台に触れる際、向こうから与えられる情報を「前提」「作品内
設定」として受け入れているわけですが、ピンターはわざと荒唐無稽な台詞を連発させる
ことによって、その境界をぶち壊し、「どの前提が正しいのか」「そもそも与えられて
いる前提や設定はそのままこっちが疑いなく呑み込める性質のものなのか」と問いかけます。
そこで、作品の解釈可能性がグッと拡大し、思いもよらなかった作品受け取りの世界が
見えてくることを望まれている気がしました。
満足度★★
1998年初演の本作を再演するにあたり、作・演出の宮沢章夫さん自身があいさつで
「1997年の、神戸のニュータウンで14歳の少年が犯した凄惨な事件や、その翌年、
社会問題になったバタフライナイフを使った殺傷事件の生々しさがこの20年でよく
わからなくなっていることだ」と、不安点を語っていましたが、ドンピシャになった
感じがあります。「らしさ」はあるけど、さすがに古い感じがしました。
ネタバレBOX
舞台は1998年のある中学校。あるクラスが体育の授業中、教師5人が密かに持ち物
検査をすべく、空っぽの教室に侵入。他の先生はどうやら黙認しているものの、
音楽の先生だけ融通の利かない性格を敬遠されてか、ただ独り計画を知らないらしい。
教師たちはダベりながら持ち物検査をするが、会話はかみ合わないまま至るところで
衝突が起こる。あまりにかみ合わないため、「こいつら一体何なんだ?」と思うほど。
もちろん、肝心の持ち物検査は終わらず、1回目は時間切れで立ち去る羽目に。その
1週間後、今度は綿密な計画を立て、役割分担したはずなのに、検査はやっぱりうまく
いかない。
しかし、そんなこんなである生徒のバッグの中からバタフライナイフを見つけるも、
ナイフを預かった一人の教師がなぜか勢いあまって同僚教師を刺し殺してしまい、
皆が呆然とする中、突然の幕切れ…といった感じです。当時の不穏な空気を吸い込んだ
不条理演劇といった趣なのかな。
https://www.amazon.co.jp/14%E6%AD%B3%E3%81%AE%E5%9B%BD-%E5%AE%AE%E6%B2%A2-%E7%AB%A0%E5%A4%AB/dp/4560035237
筋がほとんどないような作品なので、やり取りを知りたかったら↑の単行本が参考に
なるかも。
ひとつ印象的だったのは、教師のモリシマさんが何度も自分に言い聞かせるように
「わたしたち、何もおかしなことはしてないですよ!」と言ってるのに、誰か教室に
来たと錯覚するや、みんなして机の陰に隠れるし、学校の秩序を守ろうとしてやってる
はずのことなのに、自分たちの方がやましい存在に反転しているその構図ですかね。
満足度★★★
2011年3月11日の震災と、原発にまつわる事故を踏まえた3人芝居。
未来の世代に対する責任の物語ですが、あっさりし過ぎかなと感じました。
ネタバレBOX
時代も、場所も特定できない、とある海沿いの人里離れた住居。
ひっそりとそこに住む元物理学者の夫婦のもとを、38年ぶりに
同僚の女性が訪れる。
3人は久々の再会を楽しむも、事故を起こした原発で現在も働く
若い世代を解放するべく、女性がかつて原発で働いていた技術者たちを
呼び集め、代わりに働きに行こうとしていたことを知るや、一挙に雲行きが
危うくなってくる…。
元物理学者の男性が途中吐血し、もうどうやらそんなに先が長くないという
事実が明らかになったところで、空気が変わり、3人は原発に向かう流れに。
周囲に人がいないため、長距離タクシーを待つ間、女性たちが習慣になって
いたヨガを踊り続ける中で、静かに幕という話。
確かに原発を生み出した責任、自分たちとは関係ないところで起こった過ちの
埋め合わせで若者が頑張っている現状にモヤモヤしないか、と言われたら確かに
分からなくもないけど。
技術者たちも事故までは明るい未来を夢見ていただろうことは想像に難くないので、
安易に「責任取れ」とも言い難い気がする。外国人作家による、海外初演の作品な
こともあって、原発に関与したお前らが悪い、お前らが特攻しろ、という指弾話に
ならず、広く自分たちの世代の誰かが未来に対する責任を果たさないといけないと
いう落としどころにしたのは納得できるところ大きい。
正直、原発に行く決心した物理学者の女性が「わたし、怖い…」と漏らすのはすごく
分かる。世代代表して特攻しないといけない理不尽さ(ともいえるのかな)に直面
したらそういうセリフも出ちゃうよね。自分が同じ状況だったら、事実上の死刑状態に
恐怖して何も言えない、何もできない状態になるだろうし、みんなそうなる気がする。
満足度★★★
鑑賞日2018/05/22 (火) 19:00
座席K列20番
2036年、2006年、2001年に一個ずつさかのぼって話を
展開する連作短編集。イキウメっぽさが希薄なのは、
それまでのどことなく漂ってた不気味さが消えているのと
3話におけるメッセージ性がかなり高かった点だと思います。
ネタバレBOX
#1 箱詰め男
脳科学者だった山田不二夫はアルツハイマー発症を機に、肉体を捨て、
自身のすべての記憶を寄木細工状の箱に入ったPCに移し替え、精神
だけの存在になることに成功。
5年ぶりにアメリカから帰国した宗夫と対面するも、宗夫はPC特有の
不二夫の機械的な受け答えに物足りなさを抱き、五感の中で意識と関りが
深い”嗅覚”を外部センサー取り付けによって再生させることで、人間味を
持たせようと画策。試みは成功するも、不二夫の態度には異変が…。
2話目に出てくる兄弟の30年後が描かれています。また、3話目と円環を描く
構成になっており、一番「らしかった」と思います。感覚を取り戻すことで、
過去の記憶にさいなまれる不二夫(の意識)の苦悩ぶりは見てて怖い。
#2 ミッション
高齢者相手の死亡交通事故を起こし、2年の禁固刑を受けた山田輝夫。
仮釈放を受け、元の職場にも暖かく迎えられるも、「事故当時、衝動に
襲われ、ブレーキを踏まなかった。理由は分からない」と仲のいい同僚に告白。
輝夫の主張は過激さを増し、自身が事故を起こし、相手を死なせたことで、
その高齢者が未来において起こしたかもしれない災厄を防いだと訴え出す。
自分を襲う衝動は、世界がさらなる不幸を未然に防ぐために下した使命なのだと…。
3話目に出てくる職人志望の女の子の元恋人が同僚役で出てきます。ストーカー
行為を起こして、接触禁止命令を受けたっぽい。
この話は…前後2話とあまりテーマ的なつながりを見出せなかった(言い方変えると
異色な)作品かな。輝夫が語る「使命」が結局何なのか、時間が短いせいもあって
何とかオチ付けただけの不完全燃焼で終わった気がする。
# あやつり人形
就活を始めたばかりの由香里は母・みゆきのがん再発をきっかけに、大学中退を
決意。1年交際していた恋人にも突発的に別れを告げ、就活のペースを落とし
始める。しかし、その決定に対し、みゆきも、仕事の出来そうなサラリーマンの
兄・清武も「由香里が後で辛い思いをする」と、その決断に反対するのだった…。
先日の恋人に加え、みゆきが見た夢という形を取って、1話目の内容がリプライズ
します。
話によると、夢に出てきた科学者は家族の懇願により、永遠の生を生きることと
なった。しかし、科学者は自身の命を長らえるスイッチを切るよう、やがて
訴え出した…というのです。
その話から、人が他人に向ける「優しさ」「善意」とは、相手を追い詰めている
「他ならぬ自分だけに対する優しさ」ではないかという指摘が導かれる。
由香里の「私は後悔したいの!」という叫びを、家族2人も受け入れ幕切れ、と
いう話でした。
メッセージ性が相当強くて普通の劇団だったら良作だな、と思う反面、これ、
もっとふくらませて長編にした方がいいかもな、とも感じました。分かり易い分、
イキウメじゃなくても良かった気がしました。
以上の3作、どれも長編に改作できそうな感じだったので、『獣の柱』みたいに
設定と骨格部分だけ残して、大胆に変えちゃうこと希望です。
満足度★★★
鑑賞日2017/10/28 (土) 19:30
座席B列6番
1948年に起こったイスラエル建国。その歴史的事業は、その地に住んでいた
パレスチナ人たちを難民化させ、現在にまで続く紛争の端緒ともなっています。
本作は、そうした民たちの生々しい被害の記録です。
『パレスチナ・イヤーゼロ』というタイトルは、おそらくイスラエルとともに
「パレスチナ」が悲劇的な形で誕生し(建国年としての「ゼロ年」)、また
そこから少しも時が動き出さずにいる(静止し、凍り付いたままの時としての
「ゼロ時間」)のふたつを意味しているように感じられました。
ネタバレBOX
この作品の語り部であるジョージ・イブラヒムは「損害鑑定士」として
登場します。いわく、「考古学者になりたかったが、イスラエルでは
パレスチナ人が考古学者になれる可能性はない」と。
しかし、彼は「考古学者と損害鑑定士の仕事は同じである」とも喝破します。
なぜなら、考古学者は「数千年前に起こった建物の破壊原因を診断する」が、
損害鑑定士は「数日前に起こった建物の破壊原因を診断する」、つまり両者は
同じ性格を持っている、というわけです。
その彼が解説する形で、イスラエルが70年にわたってパレスチナに行ってきた
家屋破壊の証言が観客の前にさらされます。
イスラエル兵が隣の家に行くため、その手前にあった家の壁をぶち壊して
突っ切っていく、
古代のユダヤ民族がらみの遺跡発掘を行う最中の振動で、パレスチナ人の
家の壁にひどい亀裂が生じる、
こうした物質的破壊はもちろんのこと、取材に来た「左派知識人」である
ユダヤ人学者の「一見人道的な」、しかし無神経な発言もパレスチナ人の
心を破壊していきます。
こうした証言が終わるたびに、事務所に見立てた舞台セットの背面を大きく
占める書類棚から段ボール箱が運び出され、中のコンクリやガラクタ片が
何度も何度もぶちまけられます。
書類とは「記録」のために用いられるものです。しかし、そのための箱には
がれきの山しか入っていない。まるで、パレスチナ人の70年の記録とは、
そのまま破壊され、粉砕されたコンクリ群である、といわれているようでした。
最後に、「損害鑑定士」だったはずのイブラヒムが役柄を乗り越えて、自らの
皮肉な過去を振り返るのが痛烈でした。
3歳で生地のラムレを追われ、以後、還ることができなかった。しかし、娘が
反体制運動に加担し、当局に捕まり、ラムレの拘置所に送られた奇縁で、
今まで還ることのできなかった生地にあっけなく訪問できた、という物語。
自らの歴史を語り終えたイブラヒムは無言のまま、がれきの上に新たな
段ボールを箱を無造作に積み上げて去っていきます。まるで、明日もまた
破壊の記録が新しく綴られることを示すようで、頭が真っ白になりました。
満足度★★★★
黒沢清監督で『散歩する侵略者』が9月に映画化される前川さんの台本を、
阿佐ヶ谷スパイダースの長塚さんが演出したガチのホラー作品。
序盤の伏線がラストの台詞に活きていて、思わずゾワッっとなります。
不気味な雰囲気の作品が気になる人、サイコホラーが好きな人はぜひ
観に行って涼しくなってください。残暑払いにもってこいだと思います。
ネタバレBOX
今作は、結構複雑な物語構成なんですが。
舞台はある地方都市の出来てまもない劇場。新しく就任した劇場監督は、同地出身で旧知の
劇作家が遺した作品をいの一番で手掛けることを試みる。劇作家は本作の初稿だけ書いて
自室の一室で孤独死しており、作品は至る場面が穴だらけ、結末も途中で尻切れトンボで
終わっているという有様。
しかし、監督は、死後一か月ほど経って発見された作家が「無職」と報道されたことに
心を痛め、作品の上演によって作家の記憶をとどめようと計画する。作家は生前、同作
完成の暁には、台本をネットで公開する計画だったそうな。
さて、この作家の遺作『プレイヤー』の物語は、アマノマコトという名の女性が山奥の
小屋で遺体として見つかったことから始まります。友人だったアマノの死の謎を探るうち、
主人公の警察官は「サトリオルグ」という、名前からして怪しいサークルに行き着く。
ある環境団体の代表が主宰する本サークルでは、意識を集中させることによって、肉体から
解脱することに成功した(=死んだ)魂が、自身の記憶を持つ知人や友人を依り代にすることで
永遠の生を手に入れることを目指しており、なんでも魂は全存在の過去現在未来を言い当てる
能力を持ち得るという。最初、半信半疑だった警察官もいつしかサークルに深入りし始め…。
って感じの台本を、上述の監督が集めた役者や演出家勢で苦心しながら完成作品にしていく、
ってのが大きな流れ。1幕目は稽古の情景を描きつつ、物語の概略をまとめていく感じで
さほどおかしなことは起こりません。
しかし、2幕目の中盤あたりからいきなり物語が狂ってきます。それまで活発に役柄や
設定について口をはさんできた役者たちが、まるで人形のように何も話さなくなり、
ただのモブキャラと化します。そして、稽古を外部から見ていたはずの演出家がなぜか
積極的に物語の「いちプレイヤー」として参加し始めます。
演出家はいつのまにか物語に飲み込まれてしまったのか、それとも、あくまでまだ劇の
外部の存在として声を出しているのか。誰もツッコまないので、モヤモヤしたまま、
作品は続行していきます。
全員が物質世界を去って、「向こう側」に行ってしまう場面。スラっとしたビジュアルの
成海瑠子がナチュラルにヤバい台詞を吐いていくとことか、仲村トオルのカリスマ然とした
危うさとかよかったですね。このあたり、青白い照明の中、無言でただ棒立ちする役者たちが
気持ち悪すぎて、ひとつの画として印象に残っています。
そして、修行が足りず、向こうの世界に行けなかったという警察官が、なぜか稽古を外で見て
いたはずの監督に呼びかけた言葉。これは怖すぎですね。お前、一体誰なんだ、と。
「プレイヤー」って、作家の台本にあるように、過去現在未来という運命に動かされる
「演じ手」であり、向こうの世界の霊的存在が憑依する「依り代」なんですが。同時に、
舞台の外部から見たら、もう死んでいるはずの作家の意志に従って、定められた役割を
寸分違わず演じていく「役者」でもあるんですよね。そのメタ構造が面白い。
制作の女の子が、「今、演じているものって、なんか今こうしている現実とおんなじ
ですよね」みたいなこと言ってたけど、まさにその通りでしたよね。
全部が丸々劇だったのか、それとも、いつの間にか劇とは違う現実に飲み込まれてたのか、
セリフもいくらでも深読みできるので、再鑑賞に耐える作品かなと思います。
満足度★★★
それぞれ過去に傷跡を残す、4人の男と4人の女性。
春から物語が始まって、また次の春の訪れと共にほんの少し、
でも確かに8人が変化する姿が心地よい鑑賞体験をもたらしてくれました。
ネタバレBOX
「自分の高校の教師に恋してしまい、その記憶を清算しようと
アフリカに旅立つ女性1」「好き勝手やっているミュージシャン
志望の弟に不快感と憧れを抱いていた高校教師の男性1」
「鉄道自殺を遂げ、今は記憶となっているミュージシャン志望の男性2」
「その男性と交際しつつ、今は別の男性3と結婚し、新しく母親になる
不安を独り抱えている女性2」
「交際相手だった男性3の子供を流産したことがきっかけで別離し、今は
花屋の男性4と交際するも、なかなか結婚に踏み切れない女性3」「女性4と
つかのまの結婚生活を味わうも、どこで歯車が狂ったのか、離婚してしまい、
女性3となんとなくな関係を保っている男性4」
「男性4と離婚後、妻のいる男性と不倫するも別れてしまい、宙ぶらりんな
状態でいる、女性1の友人である女性4」
…といった具合で、みんながみんなどこかでつながり合っているという連関
関係の中で、それぞれが互いに突っ込んだ手紙を出し合うことで、過去と
折り合いをつけていくという物語です。
日本から発とうとする女性1を追って、男性1が空港に姿をみせた場面が良かった。
自分に一生消えることはないであろう「恋愛」を刻んだ男性に複雑な感情を
抱きつつ、最後は新しい場所に飛び立っていく女性の後ろ姿に、「行ってこい」と
やっとの思いで激励する教師の心情を思って、涙した。
女性2との間に子供が生まれそうで、近々父となる予定の男性3がうじうじとした
手紙を女性3に宛てるんだけど、一喝されるという場面も良かったね。ああいう
ところに、男性と女性の違いを感じます。いつまでも過去を引きずる男性と、
ガンガン前に突き進んでいく女性と…。
冒頭場面で、語り部の女性2が女生徒の姿をかつての自分と重ね合わせ、過去を
懐かしむのに対し、ラストの場面ではまだ見ぬ子供をお腹の中に抱えた妊婦を
自分と重ね合わせ、未来を予感させるような作りで〆ているのも、よくできた
作品だなと感じさせるに十分でしたね。
満足度★★★★
2004年初演の英演劇であり、突然の停電に見舞われた
お隣さん同士の3家庭を描いた作品。題は「停電」と
「心の闇」をかけているようです。
とにかく出てくる人が全員何かに後悔し、追い込まれている上、
どこかで絶望しており、いい意味で苛立ちを感じることが多々
あるでしょう。
ネタバレBOX
典型的なひきこもりの息子ジョシュを持つ老夫婦のジャネットと
ブライアン、
ビデオレンタル店を営み、近所からはもっぱら「幼児性愛者」だと
噂される中年男のジョンとその老母エルジー、
ひどい育児ノイローゼにかかっている、1人目の子供が夭折している
若夫婦ルイーザとバーナビーといった3組が主人公ですが、
どいつもこいつも自己中心的で自分がいかに軽く扱われているか、
どれだけパートナーのせいで不幸なのかを喚き散らすという塩梅です。
隣同士なのに、お互いを全く知らない、また込み入ってるんだろうなと
感じても関わらないというのが、英国のみならず、日本でもみられる
「砂漠」となった現代の姿をよく表してるのかなと。
そもそもの舞台が、子供たちが夜になると路上で騒ぎ立てる、また
警官もさほど取り締まりに熱心ではないようなところなので、あんまり
上等な場所ではないんだろうなと予測できるんですよね。
そんな3家族を突然の停電が襲います。うろたえ、懐中電灯やろうそくを
探しに家の中、そして隣家を訪れる中、
引きこもりのジョシュに対する老父ブライアンのひそやかな殺意だったり、
誰にも頼れず、過度の育児疲れから愛していたはずの我が子の死を一瞬
願ってしまうルイーザの不安といった、ドロドロした思いが顔をのぞかせます。
それは強い光の下、物陰からじわっと染み出してくる闇のようでした。
実はこの作品、一家を動機不明のまま全員惨殺した父親の話を開始早々
ニュースで流すといった展開にしてて。
だから子供が殺されるとか、3家族が狂気に導かれて凄惨な殺し合いを
演じる流れになるのかなと暗い予想をしてたんだけど、一線は守った感じ。
ただ、何度か本当に最悪の展開になりそうな場面はあって、舞台をはらはら
しながら見てました(苦笑
とにかく他人に無関心極まるブライアンをはじめ、胸糞悪くなる人物が
多くって、ジョンとエルジーのまるでかみ合わない、無神経だけど漫才
めいたやり取りが無かったらイライラしっぱなしだったかなと思う。
ただ、終盤あたりから徐々に笑える場面もチラホラ。ブチギレたジャネットが
ジョシュの部屋のPCを木っ端みじんにぶっ壊すとことか。
ラストも、ブライアンが何らかの発作で昏倒して暗転…というショッキングな
オチだったので、最後までどこかに連れ回されたいという人はぜひどうぞ。
満足度★★★★
鑑賞日2017/02/08 (水)
座席N列21番
2016年2月に起こった、高市早苗総務大臣(当時)による「放送法違反を
根拠とした電波停止是認」発言を基としたブラックコメディです。
※当時の大臣側の言い分は以下の通り
https://www.sanae.gr.jp/column_details807.html
まさに時代の「空気」をそのまま反映している作品なので、高市大臣に当時
賛成した人も、反対した人も一度観て、自分の考えを整理するといい気が
します。
ネタバレBOX
舞台はあるテレビ局。先の「電波停止」発言に憤激した報道番組クルーが
「戦う民主主義」を掲げるドイツを訪れ、放送法で縛られる日本の報道を
現地のメディア人から批判してもらい、問題点を提示する番組を制作。
しかし、日本のメディアの現況を「クレイジー」と評した部分などをめぐり、
自殺した硬骨漢のジャーナリスト然とした先任者に代わって、数か月前から
新しく就任したアンカーが陰に陽に修正を求めてくる。
このアンカーですが、「政治的中立」を旨とするものの、現役記者時代は、
ある総理候補の議員と昵懇の関係を結び、この議員が総理就任後逮捕されると
悔しみの涙を流したと告白するような人物です。
ところが、政権とも近いこの人物の発言に振り回される形で、実際の番組から
日本のジャーナリストたちが政権に抗議する冒頭の場面、ドイツ人ジャーナリストが
日本のメディアに苦言を呈する場面などの削除を求める声が、局の上層部から次々
下ってきます。
断固として削除に反対する者、削除には反対だが局の空気に飲み込まれかけている
若手ディレクター、上司の顔をうかがう事なかれ主義の編集マンなど、見えない、
そして気色悪い「圧力」を前にして、一枚岩で戦えない現状もそこで浮き彫りに。
様々な人の思惑に苦悩しつつも、番組の編集長は一切の削除をはねのけるために
専務の部屋を訪れるのですが…。
実際のテレビ制作現場の様子を知らないのですが、OA前なのに、「国民の会」
(どんな団体か、推して図るべし)から抗議が来たり、少女の視聴者を装った
国粋勢力が内容の聞き出しに打って出たり、果ては削除に反対するスタッフに
対し、介護中の母親の隠し撮り写真を送り付けて、圧力を加えたり。
テレビ局に攻撃を仕掛ける側の恐ろしさと、そのしたたかさが存分に表現されて
いると思います。これがかなりの程度本当であるなら、「中の人」の抱える
ストレスも相当なものなんだろうなと想像せざるを得ないでしょう。
結局、編集長は圧力に負け、高所からの自殺未遂を起こして、そのまま退社。
3年後に局を訪れるも、編集マンは「国民の会」に加入、ディレクターは
局の空気に耐えかねて退社、アンカーマンはすっかり政権寄りのコメントを
繰り返す御用ジャーナリストになっていたというオチ。
そうした光景の中で、編集長は在野のジャーナリストとして活躍することを
誓うも、頭上から戦闘機を思わせるような音が響き渡り、すっかり戦争の
気配がそう遠くなくなった日本の空気を暗示するように幕引きとなります。
どこからともなく忍び寄る圧力の気配、相手に「イヤ」と言わせない雰囲気、
局内がそんな不穏なもので充満しているという事実が、客席にいてもむんむん
漂ってくるため、スリリングさでいったら下手なサスペンスを超えています。
政権に賛成する者、反対する者、まずはここでのメッセージに虚心のままで
触れ、そこから新たに思うところを育てていけばいいのかなと思う一作です。
満足度★★★
かなり奇妙なラブストーリー
数学でいう、横軸の役割を果たす「x」と、縦軸の役割を果たす
「y」とがお互いを捜し求めて、中学から高校の教科書の世界を
さまようという物語。一種の擬人化譚ともいえるかもしれないです。
個人的には、終盤までの展開は詰め込みすぎて、観客を振り回し
過ぎな気がしたので、さくっと削ってもよかったかもしれないです。
ネタバレBOX
この作品、脇役の「点A」「点B」「点P」がすごくいい味を出して
いますね。問いにしたがって、答えを出すために、何週も何週も
その場を走らされている点Pが、「神様に手紙出すわ。もう走るの
止めさせて下さいって!」と陳情の手紙を書くところとか秀逸。
人間にも苦労があるけど、確かに数式の世界にもこっちが分からない
苦労があるのかもな、って思わされました。この作品、ところどころに
そういった面白い着眼点が活きています。
それだけに、後半に差し掛かるにつれて、メタ的な要素が入り込んで
くるのが、正直なところ、なんだかな、って感じました。
「x」「y」の2人は「二次関数」の世界を探して、果てはメタ数学の
領域にまで足を踏み入れていきます。そこでは、もうすでに、
数学の在り方を根本から見直そう、みたいな感じになっていて、
言語レベルでの問いになっちゃってて。
いわば、解き手である人間の手を離れてしまった段階に至って
誰も教科書を読まなくなった。解き手がいてこそ成立する数学の
世界はその時点で自己矛盾を起こし、数学の時空を自由に行き来
できる「郵便配達員」によって、その世界の公式を成り立たせる
要素(点A・点B・点Pやx・y)の抹殺という形で消去させられる。
この辺から妙に難解なストーリーになってきましたね。次の場面で
全員が生き返っているのは、別の数学次元だから、ということなの
かな? どこの時空で起こったことなのか、途中、追いきれなくなって
きたので、あんまりいらなかったかも。yを点A・B・Pの三人でぐいぐい
恋バナで追い込んで勝手に盛り上がっていた場面とか面白かったので
なおさらそうですね。
ラスト、永遠に一瞬しか交わる事のない数学の世界を抜け出して、
人間の世界に行く事にした二人。「無限の代わりにずっと一緒に
いられることがない」場所から「有限の代わりに一緒にはいられる」
世界で再び二人が出会う場面で終わりなんですが、ベタなだけに
素直にいいですね、こういうのは。
満足度★★
消えた町の日常
「遊園地再生事業団」立ち上げから間もない時期に初演された
作品の再演。初演と比較しようもないのだけど、宮沢氏の近作と
比較すると、かなりの部分で「物語」というフォーマットが残って
おり、不思議な気がしました。ここではうっすらとした形で提示
されていたものが、後年では、明確なストーリーと交代するように
前面に出てているように思います。
ネタバレBOX
「ヒネミ」(日根水)という架空の町に過ごす人たちと、そこに「外からの
人」として赴任してきた銀行員、渡辺のある一日を描いた本作。とはいえ、
特に大事件が起こるわけでもなく、風変わりな日常の様子が
描き出されます。
「ウルトラ」という正体不明の物品、「サルタ石」を捜し求めてさまよい続ける
正体不明の女、贋札製造をにおわせる印刷工場の主人。不可解なもの、
謎を秘めたものはたくさん出てくるのですが、その秘密が明かされることは
なく、淡々と進んでいく作品は、どこか脱臼したような、気の抜けたような
登場人物のやり取りと共に始まり、そして終わりを迎えます。
最近の作品と比べた場合、今と比べて、登場人物同士の会話が大きく
ウェイトを占め、演出もいわゆる従来の演劇に則っています。加えて、
宮沢氏の近年の作品の特色である、「ドキュメンタリー」「メディア」との
親和性はまだ希薄で、会話の端々に差し込まれる「批評性」「テーマ性」も
少なくとも目に見える形ではほとんど現われません。
どこかゆるゆるとしていて、始まりと終わりの境目が曖昧な、「ポスト会話
劇」の作風は『五反田団』に通じるものがあると思いました。時折、とぼけた
冗談が入ってくるところとか特に。そういう作品が好きな人には、いわば
「親」「源流」を知る意味で触れる価値はあると感じます。
満足度★★★★
サンプルの原点にして帰還点
2007年に、「青年団リンク サンプル」として初演された作品の
再演。当劇団にとっては事実上の処女作に当たります。近年の
作品に比べると、物語の組み立てかたがしっかりしており、筋も
見えやすい分、この劇団が一貫して追求しているものがはっきり
分かりやすい内容になっています。正直、近作より面白かった。
ネタバレBOX
結婚してある旧家に住むことになった元教員の男。
妻の家は、「オシラサマ」という神の白い子を誕生させた名家として
かつては有名だったが、先祖伝来の土地にダムができ、立ち退きを
余儀なくされて以来、零落。今では、周囲にも相手にされず、街から
距離があることを幸い、隣家の男を中心に不気味なコミュニティを
つくり上げて生活していた。「相撲」と称して乱交していたりします。
窮余の一策として、妻の母親は、同じ旧家にあたる隣の家の男と
関係を結び、「オシラサマ」を再び誕生させようとするが、過去からの
近親結婚がたたり、不具の子どもしか生まれない。
ということで、次に考えたのが妻の夫と母親がまず関係し、生まれた
子どもと妻とが結ばれることで「オシラサマ」を誕生させようという計画。
まぁ、完全に狂っていますね。
当たり前なのですが、妻の夫は逆上。「自分は種馬なのか」と食って
かかるのですが、妻の姉から返ってきた言葉が「種馬ですらありません。
中和剤ですよ」。きついなぁ…。
最後は、家の外にある大型商業施設「トピカ」に通いつめて、一家から
浮いている姉が、そこの御曹司とくっつくという衝撃の展開を迎え、
開発兼自分たちの住居をつくるために再度の立ち退きを迫るなかで、
一家が現実逃避していく様を見せて終わり。そう遠くない日の破滅を
予感させる物語でした。
相撲の土俵を模した輪で大きく囲まれた舞台の上から吊るされた
ガラクタの数々が舞台美術で、今のサンプルと比べるとかなり
質素。というか、床にゴミが散らばっていない分、整然とした佇まい
すら感じさせられますね(笑 吊り下がったガラクタを時折下ろしたりして
小道具に使ってたりと、「観せる」だけのものに終わっていないのもいい。
この作品には、後のサンプルを貫く全要素の萌芽が見てとれました。
即ち、「狭くて歪な、外界とのつながりを絶って成立したコミュニティ」
「そのコミュニティの中で絶対君主のようにふるまうリーダーと、命令に
したがう構成員」「主に性的な要素を通じてつながり合っている関係」
です。そのモチーフはじょじょに「擬似家庭」「擬似コミュニティ」と、
形を変えて発展していくことになり、『自慢の息子』あたりでピークを
迎えることになります。
よどんだ気配をたたえ、ゆがみきったコミュニティが崩壊していく、
あるいは再生していく過程を、まるで外部から実験レポートの
ように感情を交えず、語っていくサンプル。本作は、その始まりであり、
ある意味、最初の到達点でもあるのでしょう。
満足度★★
なかなかないテーマ
東京都写真美術館の展示でときおりその作品を観ることが
できる写真家、「渡辺克己」をモデルに、新宿ゴールデン街を
舞台にした演劇。なかなかないテーマを扱っており、その点、
勇気があるなと思いました。それだけに、ラストの展開は、
もう少しなんとかなったのでは、と残念に思えます。
ネタバレBOX
この作品は、渡辺をモデルにした写真家が、学生運動を撮影
している最中、学生たちに追われて行き着いたバーで、ママさんと
出会い、そして恋に落ちる…というストーリーです。
写真家は、自分の「第2の故郷」となった新宿ゴールデン街を舞台に
次々と作品を取り続け、その写真は大きな賞を受賞するほどに、
高く評価されていくことになります。それとともに深まっていく、
写真家とママさんの関係。やがて、写真家はママさんから、彼女が
元々は男性で女性に性転換したという事実を告げられるのです…。
基本的には、写真家が有名になり、告白を受け、それを許容するも
やがてママさんが彼のもとを去る、という話です。気分が重くならない
ようにか、結構重要なテーマを扱っているのに、そこはさらりと流され
結構あっけない最後を迎えてしまったのはもったいないな、と感じました。
せっかく、「楽園」という、密な空間なのだから、もっとそこを突き詰めても
よかったのでは、というのが、正直な感想です。
「楽園」なのですが、換気が悪いのか、ものすごく暑くって、途中何度か
意識が飛んでしまいそうになりました。時期がら厳しいとは思いますが
多少は涼しくしてもよかったのでは。
満足度★★★
見えてこない部分が心地よくもスリリング
「青☆組」の舞台は、すべてが説明されないのがいいです。
まるで良質の心理小説でも読んでいるかのように、不思議を
感じつつも心のどこかで納得させられてしまう力があります。
今回、舞台美術が素敵すぎてグッときました。
ネタバレBOX
障子をモチーフにした舞台美術に囲まれて、伝統的な日本
家屋がセットされているのを見て、その美しさにドキドキしました。
日本の家って、こんなに趣深いものなのだなと、初めて知ったような
気がしました。
これは「昔々の未来のお話」。一年を通して雨が降り続ける、人魚の
伝承を持った村の物語です。
この村、一時、女性が生まれなくて、男性たちは代わりに海の人魚を
嫁にもらった、初め、人魚たちは陸の生活に慣れなくて、雨の日にだけ
地上に上がってきた。雨を望む人魚たちの声に応えるように、この村は
雨ばかり降るようになった、と説明されていたけど、
過去に、戦争が何かがあって、そこで放射能兵器かそれに近いものが
使用され、文明は一気に退行すると同時に、異常気象が起こった(現に、
東の方にある町は逆に雨も降らないようなところらしい)、と考えたほうが
いいのでしょうね。そう解釈すれば、「女子が生まれない」という理由も
何となく見えてきます。
すべてがこんな感じで、この物語、筋だけ追えば、2年前に台風の海に
消えた女性の靴が見つかり、その女性の実家で葬儀がつつがなく
行われ、そして以前と同じ感じの日常が戻っていく…という話なのですが
一家の主である父親の少年時代・現役の教師時代の回想がそこに
境目なく混ざり合うことで、どこか不思議なニュアンスを覚えさせることに
成功していますね。
一家の長女が嵐の海に消えた本当の理由は? 過去に、父親と同じく
教師をしていた長男は、ある嵐の日に家まで送り届けた教え子の子と
本当に何かあったのか? 妻を亡くし、義理の父親の住まいで今なお
同居する男に密やかな恋心を抱く次女(ちなみに既婚者)。
すべてはあっさりしていると言われかねないほどに、物語の中で
さらっと描かれているので、気を付けて観ていないとそのまま
流してしまいそうなことばかりです。しかし、そのちょっとした描写、
役者の動作がそのまま、人物たちの計り知れない、計算立て不能な
「人間」を表しているように、私には思えました。
吉田小夏氏の作品は、舞台の上ですらあまり見なくなった生々しさ
(それは女性の艶やかさなどほんのりとした性的な部分も含みますが)の
部分にこだわっているようで、すごく人間的な気がします。朝食のシーン、
湯気立つ様も込みで堪能させて頂きました。生前の妻のつくる食事に対し、
「うん、おいしい、おいしい」を何も考えないように連呼する男の姿に、
あぁ、男性だよなぁ、とつくづく感じました(笑
満足度★★
ラストの展開に震えが走る
「コメディ」と銘打たれていたけど、実際はかなりビターな
物語かと思います。「プラトニック・ギャグ」の意味も辛い。
とりあえず、ラストの展開は衝撃的で、いきなり別の作品
観ているような気分に陥りました。
ネタバレBOX
明らかにファンタジーの世界の学校に通うノアとナギが
出会って、恋に落ちて、修学旅行などのイベントごとで
まわりの邪魔が入りつつもお互いの距離を縮め合うサイド、
子どもの頃からいつも一緒にいた4人組が、成長するに
したがって、ある人はいい仕事先に恵まれ、そして海外で
NPOに従事する意識の高い人物になり、
紅一点の人は、中学の頃から意識していたガキ大将的な
立場にいた子と付き合うようになり、やがて結婚を意識する
ようになる…と、よくありがちな流れが描かれるサイドの二通りが
暗転とともに、順番に説明されていくのが、今回の作品。
劇場で爆笑していた人には申し訳ないと思いますが、ギャグは
あまり刺さってこなかったです。ちょっとハイテンション過ぎて
おいてけぼりをくらった感じかな。
「コメディ作品」を期待して観ていた自分としては、ちょっと…と
思っていたんです。途中までは。
やがて、物語の2つのサイドのうち、ファンタジー世界の方は
もう片方の「現実」のパートで、いつもハイテンションでズレた
発言を繰り返す、他人とのコミュニケーションにかなり難のある
最後の一人、トウジの頭の中で繰り広げられる妄想だということが
分かります。
4人の中で、その人だけ、素っ頓狂な言動で道化役のような
立場になってしまっていて、他の3人がそれぞれの未来や
幸せをつかんでいくのを目の当たりにしながら、やるせない
気持ち、そして心の中の闇を深めていく…。
ファンタジー世界で、ノアとナギ、二人の距離が縮まらないように
いいタイミングで邪魔が入るのも、その世界の「神」であるトウジが
そう望んでいたから。でも、その制約を破って、ついに二人は
クリスマスの日、結ばれたカップルは永遠の幸せを叶えられる日に
お互いの気持ちを告白しようという流れになります。
現実では友人たちに取り残され、自身が王であるはずの
ファンタジーの世界でも思うようにならないことに精神の
均衡を崩し始めたトウジ。さて、クリスマスの日に何をしたでしょうか。
ファンタジーの世界に入り込んで、最初の一声を上げようとした
ノアを刺殺します。そして、ナギを抱きしめて、こう言うんです、
こう繰り返し続けるんです。「行かないで。ここにいて」。
最初と終幕の温度差があまりに違うので、本当に別の作品かと
思うほどでした。でも、ここまで、人間の心の闇を描いた作品、
しかもコメディ仕立てで、となると、本当に久しぶりな気がします。
多分、自身の分身であるノアとナギがくっつきそうになるのって
心のどこかでトウジ自身が望んでいたと思うんですよ。誰か
自分の理解者が現れて、自分を救ってくれる、愛してくれる。
自分の心の中のある部分を手にかけたことで、トウジの心の
闇は完成してしまって、それって本当に恐ろしいことだな、と
思いましたね。
この劇団には、シリアス風味の、非コメディ作品を望みたい
ところですね。なんか、その方がいい気もします。
満足度★★★
きわめて切れ味のいい作品
ここ数年、話題に上るようになった「ネット右翼」について 真正面から
笑い抜くという、ありそうで実はなかった作品。 パロディも無理なく
散りばめられ、とにかく笑いました。タイトルにまずセンスを感じます(笑
ネタバレBOX
大学生あおいの同棲相手、蒼甫(この辺の凝り具合がある意味
すごい)は仕事先を一年持たずに辞めたばかりのいわゆるニート。
中学の先輩の内藤に影響され、「日本は洗脳されている」と信じて
疑わない、すごく単純な人。韓流スターとの握手会ばかり企画する
スーパーや日本に批判的な大学教授に抗議活動を行う日々を
過ごしている。
その様が、警察の生活課係長であるあおいの父親にすっかり
マークされており、迫る検挙の危機。あおいは何とか抗議活動を
止めさせようと、蒼甫に迫るのだが…
「そうですね!」でお馴染みの某番組を、「タモさんのウヨっていいとも」と
パロったところに、まず大爆笑。確かにタモさんではありますけど(笑
でも、実際のネット番組って、こんなノリなんだろうな…。
難癖に近い講義を受けて面くらうスーパーの店主と内藤とのやり取り、
「何がKARAだ。状況劇場でも呼んでおけ!」「唐十郎なんて呼んで
どうするんですか!」とのやり取りも、本気で笑うよね。すみません、
完全に演劇ネタです。
終盤、あおいと別れ、恋人ができてすっかり抗議活動に力が
入らなくなった内藤(「俺がモテないのは、日本が洗脳されている
からだ」「俺は恋人が出来ないんじゃない。作らないだけだ!」とか
言っちゃうイタい人)に見切りをつけて、一人で切腹しようとする蒼甫。
三島由紀夫の格好している蒼甫もアレだけど、某陛下になりすました
スーパーの店長に、感激して遺言を読み上げようとするところに、
店長が「ああ、私に手紙はいいから~」とたしなめるところ。あそこが
客席の笑いのハイライトだったと思います。客席が沸いたのなんの。
はい、これは、某山本さんの園遊会でのアレをパロったものですね。
笑いだけではなく、なかなか考えさせられるところもあり。
私は、スーパーのバイト店員で、あおいの友人の子が、
「あなた、なんでも韓国に結びつけようとするけど、本当は嫌い
じゃなくて好きなんじゃないの!? だって、普通の人はそんなに
韓国のことばっか考えて生活してないもん」
いや、本当にそうだと思います。
あと、係長が、「俺は国家権力の中枢にいる男だ。 …お前らが
国を愛しているほどに、国はお前らを愛してなんかいないぞ」、
係長の部下で、もと在日の警察官が、自分は在日だが国を愛するが
ゆえに帰化して警察官になった、逆にお前は何をしているんだ、と
蒼甫を喝破した上で、
「恋愛も国への愛も同じ。自分の一人よがりの愛を相手にぶつけて
いるだけ。それはストーカーの愛だろう」
というところも良かったな。
現代社会の風刺劇としては、バランスも取れていて、非常に良いと
思います。ラストの爽やかさもいいです。
満足度★★★
政治+恋愛+コメディという離れ業
ここ数年、話題に上るようになった「ネット右翼」について
真正面から笑い抜くという、ありそうで実はなかった作品。
パロディも無理なく散りばめられ、とにかく笑いました。
ネタバレBOX
大学生あおいの同棲相手、蒼甫(この辺の凝り具合がある意味
すごい)は仕事先を一年持たずに辞めたばかりのいわゆるニート。
中学の先輩の内藤に影響され、「日本は洗脳されている」と信じて
疑わない、すごく単純な人。韓流スターとの握手会ばかり企画する
スーパーや日本に批判的な大学教授に抗議活動を行う日々を
過ごしている。
その様が、警察の生活課係長であるあおいの父親にすっかり
マークされており、検挙の危機も迫る。あおいは何とか抗議活動を
止めさせようと、蒼甫に迫るのだが…
「そうですね!」でお馴染みの某番組を「タモさんのウヨっていいとも」と
パロったところに、まず大爆笑。確かにタモさんではありますけど(笑
「カードキャプター櫻井よし子」もかなりウケます。
難癖に近い講義を受けて面くらうスーパーの店主と内藤とのやり取り、
「何がKARAだ。状況劇場でも呼んでおけ!」「唐十郎なんて呼んで
どうするんですか!」とのやり取りも、本気で笑うよね。
終盤、あおいと別れ、恋人ができてすっかり抗議活動に力が
入らなくなった内藤(「俺がモテないのは、日本が洗脳されている
からだ」「俺は恋人が出来ないんじゃない。作らないだけだ!」とか
言っちゃう人)に見切りをつけて、一人で切腹しようとする蒼甫。
三島由紀夫の格好している蒼甫もアレだけど、某陛下になりすました
スーパーの店長に、感激して遺言を読み上げようとするところに、
店長が「ああ、私に手紙はいいから~」とたしなめるところ。あそこが
客席の笑いのハイライトだったと思います。客席が沸いたのなんの。
はい、これは、某山本さんの園遊会でのアレをパロったものですね。
笑いだけではなく、なかなか考えさせられるところもあり。
私は、スーパーのバイト店員で、あおいの友人の子が、
「あなた、なんでも韓国に結びつけようとするけど、本当は嫌い
じゃなくて好きなんじゃないの!? だって、普通の人はそんなに
韓国のことばっか考えて生活してないもん」
いや、本当にそうだと思います。あと、係長が、「俺は国家権力の
中枢にいる男だ。 …お前らが国を愛しているほどに、国はお前らを
愛してなんかいないぞ」、
係長の部下で、もと在日の警察官が、自分は在日だが国を愛するが
ゆえに帰化して警察官になった、逆にお前は何をしているんだ、と
蒼甫を喝破した上で、
「恋愛も国への愛も同じ。自分の一人よがりの愛を相手にぶつけて
いるだけ。それはストーカーの愛だろう」
というところも良かったな。
現代社会の風刺劇としては、バランスも取れていて、非常に良いと
思います。ラストの爽やかさもいいです。
満足度★★★★★
「私たちはどこにいて、どこに向かうのか」に応える作品
『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』以来の
チェルチィッチュです。ダンスと演劇の融合をはかったような
作風は正直、あんまり合わないな、と思っていましたが、
本作は多くの人に届く言葉と演出に思えました。岡田氏は
こういうスタイルの方が全然いいですね。
ネタバレBOX
それにしても、『現在地』っていうタイトルからしてしびれます。
英語で「Current Location」。「現在」―「現代」に対する最新
アニュアル・レポートみたいです。
「日本」「地球」「コミュニティ」を思わせるような、「村」と呼ばれる場所。
そこに住む人々は一見平穏に生きているようで、不安や閉塞を抱え、
生きている。彼らの不安は、青く光る雲や急に吹く風に象徴される。
その不安は、どうも来るべき「破滅」「破壊」の兆し、それだけでなく、
その終わりをも待ち望んでしまうような行き場のなさも含んで大きく
なるよう。
台詞がすごく響く作品でした。多分、何回も推敲を重ねられているの
だと思う。登場人物の一人が図書館で遭遇した、濡れそぼって、
「雨に濡れたら一巻の終わりよ!」と叫ぶ老婆の存在とか、まんま
「3.11」後の放射能の雨を象徴しているのでしょう。
このケースに限らず、震災後、人々の心に澱のように溜まった
感情が、クールなトーンの発話で語られていきます。
「噂を信じるか」「信じないか」の問いで私が真っ先に
思い浮かべたこと。それは、Twitter上、現実問わず、多くの噂や
言葉が飛び交う中で、なすすべもなく翻弄されてしまう人たちの
ことでした。
この作品、セリフのほとんどが「~だわ」みたいな形で
締めくくられるから、演劇、というより、寓話っぽい感触。
個人的には登場人物の一人が、客席のほうを向いて
独白した、「あなたたち、私のことを狂っていると
思っているでしょう…? …もう、ちょっとした次の瞬間に、
そう思う人はぐっと少なくなっているはずだわ」という言葉。
村の人々に向けられているのか、客席の私たちに向けられているのか
分からなくなるような、メタ的な演出で挑発されているように感じました。
最後の展開って、半年間雨が降り続いた、って言っていたけど、
確実に旧約聖書「ノアの方舟」を下敷にしていますよね。
この作品のラストは本当にいいです。
逃げるにも、留まるにも、可能性を残している、と解釈するのか、結局
留まっていれば何も変わらない日常が来るのか、それは他者から
みたら終わってるのも同然なのか。なんか色々な解釈ができそう。
台詞は深刻なんだけど、音楽や衣装がハイセンスでいい。バックの
映像も良くって、すごくおおらかで、器の広い作品に思えました。
とっても安らいで観ることができました。素晴らしい作品だと思います。
ここが限界点か…?
オーストリアの作家、エルフリーデ・イェリネクの作品を、
宮沢章夫氏が演出。
氏の過去作品『トータル・リビング1986-2011』や『夏の
終わりの妹』の延長線上にあると思われる演出でしたが、
やっぱり自身の作品と異なるためか、うまく言葉を拾い出す
余裕がない印象を持ちました。
ネタバレBOX
『トータル・リビング』の最後の場面を彷彿とさせる、モノで
いっぱいの舞台場。そこを4人の女優たちが、さらにモノを
運びながらつぶやき続ける。そのつぶやきは、拾われ、
舞台から客席へとエコーがけられて拡散していく。
つぶやきの内容。それは意味のない言葉ばかりだけど、
一人言葉を失ったと思しき女性が必死の思いで「私は
記録するための紙もペンも無くしてしまったので、ただ
覚えておくことしかできない」と、つっかえながら話す
様子が恐ろしく印象に残りました。
ストーリーはほとんどないに等しく、ラスト、舞台、向かって
左手正面に差す光を目指して、まるでレミングの群れのように
役者たちが歩いていくのですが、ちょっと安易すぎやしないかと。
結局、イェリネクは海の向こうから日本を見ているので、
どうしても距離を感じる。中盤、役者の一人が「ガイガー
カウンター」の話を始めたときに、なんだかなー、と思って
しまいました。
こういう時って、「言葉を疑う」ことも必要だけど、寄り添える言葉が
何よりも欲しいです。「震災」、もしくは「その後の世界」というテーマと
向き合うには、イェリネクは観念的過ぎると思います。