阿呆浪士
パルコ・プロデュース
新国立劇場 中劇場(東京都)
2020/01/08 (水) ~ 2020/01/24 (金)公演終了
満足度★★★★
赤穂浪士の「忠臣蔵」を、阿呆浪士の「おまつり蔵」に換骨奪胎する。八(戸塚祥太)が、長町小町のお直(南沢奈央)の樹をひきたいばかりに、「俺は赤穂浪士だ」と名乗るのがきっかけだが、そのまま突っ走るほど科単細胞ではなく、何度も引き返そうとするのに、そのたびに、いろんな見栄や反発からかたき討ちへと突っ走っていく。緩急と名セリフをちりばめた戯曲がよくできている。
演出と役者も笑いのツボをよく抑えていて、楽しめた。
討ち入り場面の立ち回りも見ごたえ=「聞きごたえ」があった。というのは、刀と刀が打ち合う効果音を流すことで、実際には刀がぶつかっていないのに、斬り合っているように見えたから。なかなかの迫力だった。ただ、最後はみんな切腹して死んでしまうので(そこは忠臣蔵ですから)寂しかった。無言劇も切なかった。
アルトゥロ・ウイの興隆
KAAT神奈川芸術劇場
KAAT神奈川芸術劇場・ホール(神奈川県)
2020/01/11 (土) ~ 2020/02/02 (日)公演終了
満足度★★★★
かなりハードルの高い戯曲で、へたをすると歴史の解説やあらすじを追いかけるだけになってもおかしくない。上演時間は今回だって休憩込み3時間5分と長い。そこを、草彅剛というオーラをまとった俳優と、ギンギラの大音量ソウルミュージック(ボーカルは大阪弁)を前面に、コンサートのようなノリで、この歴史アイロニー劇をくるんだところがみそ。薬でトリップさせた替え玉を犯人にさせてしまう放火事件裁判、ローマ(レーム)の粛清、等々、見どころもたっぷりあった。
最初はシカゴのギャングの話(補助金詐欺、商人シートの自殺とか)に、初期のヒットラーのどういう史実が重なるのかわからず、(字幕で理解するものだから)理屈っぽいように、説明っぽいように感じたが、後半は、国会放火事件、オーストリア併合とよく知っている史実を踏まえたものなので、すんなりブレヒトの皮肉や舞台の盛り上がりを楽しむことができた。
こんな怖いウイを支持するか、観客に問いかけ、マシンガンをぶっ放しておどす。最前列の観客は演出の狙い通り、支持の手を挙げていたが、そのより後の反応はちらほらだった。いつものことだが、日本の観客はちょっとおとなしいところが残念。これが本当に観客が熱狂したら、見事なアイロニー劇になるのだけれど。アメリカやドイツではうまくいくのだろうか?
「明日の幸福」「神田祭」
松竹
三越劇場(東京都)
2020/01/02 (木) ~ 2020/01/20 (月)公演終了
満足度★★★★
初めての新派体験。「明日の幸福」、1954年初演の政治家の三代が同居するホームドラマです。意外と(失礼!)今日的な内容で、すっかり見直しました。やはり現代のお客さんを呼ぶ舞台ですから、古臭いものでは通用しません。
騒動のタネとなる家宝の埴輪は、古い家父長制と女を縛る因習の象徴なんです。それに振り回される、女たちのあれやこれやが笑いを誘い、最後には、民主主義の時代の新しい生き方が浮かび上がるみごとなエンディングでした。
波乃さんの時折見せるコミカルさと、水谷八重子のガラガラ声の迫力が印象的でした。
面白くてためになる。いい意味での大衆性と啓発性を兼ね備えた舞台でした。
雉はじめて鳴く
劇団俳優座
俳優座劇場(東京都)
2020/01/10 (金) ~ 2020/01/19 (日)公演終了
満足度★★★★
人間関係の微妙な距離、甘酸っぱい三角関係、愛情一歩手前の親密さを巧みに描く横山拓也らしい舞台。小劇場とは違って、広い舞台を、効果的に使った演出もよかった。
高校の女性教師ウラカワ(若井なおみ)を避難所にする男子生徒ケン(深堀啓太朗)。サッカー部の新キャプテンになった彼の家は、母親(清水直子)が夜勤に疲れ、酒に頼って家事はできず、ケンが主婦代わりである。いわゆるヤングケアラーとして、健気に母を支えているが、もう限界になっている。父親は母親を見捨てて家を出たまま、2年以上帰ってこない。
一方、新しく学校に赴任してきたカウンセラーのトモエ(保亜美)に、ケンに思いを寄せる女子マネージャー(後藤佑里奈)が、ケンとウラカワが抱き合っていたのを見たと相談を持ち込む。はたしてケンとウラカワは教師と生徒の一線を超えてしまったのか。独身のウラカワは、不倫関係にあるトガワ先生(宮川崇)との関係も終わらせたい。シリアスなドラマに、空気の読めないおせっかいな教頭(河内浩)が笑いをおりこみ、スピーディーで緩急のある舞台は、非常に濃密な時間を作り出す。
俳優は母親役の清水直子や教頭役の河内浩の脇役がしっかりと要所を締め、ウラカワの若井なおみとケンの深堀啓太朗の主役は、落ち着いた抑制的な演技でよかった。カウンセラー役の保亜美が教頭に次ぐ、第二のトリックスターで、洒脱な演技で笑いを誘っていた。
『荒れ野』
穂の国とよはし芸術劇場PLAT【指定管理者:(公財)豊橋文化振興財団】
ザ・スズナリ(東京都)
2019/12/18 (水) ~ 2019/12/23 (月)公演終了
満足度★★★★★
中年以降の夫婦で、夫(あるいは妻)と異性の友人との親しい関係が、妻(夫)の苛立ちをよぶという話は、よくあることなのだろう。親しい関係というのは友人としてで、不倫未満のものだ。劇作家にとっても観客にとても切実な問題なのか、昨年から見た新作の中でも、蓬莱竜太「消えていくなら朝」、横山拓也「逢いに行くの、雨だけど」など、秀作ぞろいだ。ちなみに、「男はつらいよ お帰り寅さん」も、吉岡秀隆と後藤久美子のそういうビミョーな関係がメインテーマである。今作「荒れ野」も、素晴らしい傑作。笑いと、切なさに満ち満ちていて、感情を大きく揺すぶられた。本当に夫婦関係は奥が深い。演劇のネタの宝庫だ。
大火にあうショッピングセンターが「ウエストランド」で、のばすと「ウエ―ストランド」=荒れ地になるという、タイトルの解題は面白かった。セリフで堂々と解説してみせるなんて、やられた。「私たちはみんな荒れ地の住民」という小林勝也演じる老人の言葉に、なるほど、とうなずかされた。
常陸坊海尊
KAAT神奈川芸術劇場
KAAT神奈川芸術劇場・ホール(神奈川県)
2019/12/07 (土) ~ 2019/12/22 (日)公演終了
満足度★★★★
現代(戯曲の初演時で言えば、1945年から1961年は現代そのもの)の時間軸に、750年前の源義経伝説をないあわせた、時空を超えた物語。初演当時は、近代リアリズムの枠を破壊する画期的な発想だったらしい。いまでいえば野田秀樹流作劇術の元祖とも言える。
戦争中の忠君愛国、一億火の玉精神から、高度経済成長期の疲労感と、どこか上滑りで虚ろな「幸福感」への批評が、戯曲の背中に張り付いている。
衣川の戦場で主君源義経をおいて逃げた裏切り者の海尊が、琵琶法師となって、自らの罪の懺悔を語る。ここに私は、鶴見俊輔と同じ精神を見出した。とくに敗残兵となって現れた二幕の終わり。鶴見は「不良少年」を自称し、常に自分は悪人だという自虐意識を、ベ平連やハンセン病元患者支援等すべての活動の根に据え続けた人だ。海尊の敵前逃亡を、鶴見俊輔を手がかりに現代で置き直せば、戦争を止めなかった不行動の罪であり、長いものに巻かれ続ける民衆の弱さ、ずるさではないか。もちろんそこに「転向」という問題も重なる。「転向」をわが身可愛さの卑怯な行為と切って捨てるだけではなく、その誤りから何かをくみ取ろうとする姿勢において。
鶴見が日本人の土俗的な思考形態を取り出し、そこに欧米由来とは違う思想の可能性をみようとしたのと同じように、海尊伝説のような古い伝承に、日本の民の連綿たる何かを託したのではないだろうか。「なにか」というと、あいまいだが、そこが言葉にしにくい。後進性、因習くささともいえるし、頑固さ、しぶとさ、ともいえる。近代になり、科学技術と中央集権国家の世になっても、経済優先の戦後になっても、変わらない何かである。
白石加代子のおばばは出色の出来。彼女があってこそのこの舞台であることは衆目の一致するところだろう。
二幕、疎開先の寒村の囲炉裏端の後ろで、静かに雪が降り続ける演出が素晴らしい。その後で、背後の桜の花で、季節の変化がわかる。子どもが重要な役割を果たすが、子役も頑張っていた。本物のようなミイラ、津軽の義経伝説のある寺の境内など、美術もよかった。
タージマハルの衛兵
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2019/12/02 (月) ~ 2019/12/23 (月)公演終了
満足度★★★★
シンプルな二人芝居。タージ・マハルを作ったムガール帝国の王が、同じ美しい建築が二度と作られないように、建設に携わった2万人の手首を切り落とすように、二人の衛兵に命じた…という、事前のあらすじ紹介だった。その命令に従うかどうかの葛藤が描かれるのかと思ったら、もう二万人の手首を切り落としたあとから問題が始まるというのは、予想外だった。しかし、この方が、絵になるし、行為の重みがずっしりくる。なるほど「後で説明」のパターンではないが、まず葛藤から始める。作劇としてはうまい。
しかも、最後にこのふたりがまた大きな試練に直面する。残酷である以上に、切ない芝居だと思った。
芝居の語る思想的意味については、公演プログラムに内田樹、岩城京子がこれ以上ないほどスッキリ解説している。権力を支えるのは権力に従うものだという逆説や、ふたりの衛兵の対立のドラマツルギーはわかりやすい。
それ以上に、この舞台の見どころは、成河と亀田佳明のふたりの熱演、好演にある。掛け合いも見事。思想の図解になっていない。血の通った悩める人間、弱い人間の、ささやかな夢と大きな愚行を、笑いとメリハリのある見事な劇に仕上げていた。
戯曲は『悲劇喜劇』1月号に掲載。
私たちは何も知らない
ニ兎社
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2019/11/29 (金) ~ 2019/12/22 (日)公演終了
満足度★★★★
「青鞜」は「元始女性は太陽であった」だけではない。そのことを全然知らなかったと気づかされた。なにより出てくるキャラが面白い。場面転換の工夫でテンポもよい。
劇評で、背景のギロチンの刃のような影が次第におりてきて、時代が戦争と弾圧へ進んでいくことを暗示していると書いてあった。背景は確かにギロチンのようだったが、その隙間がだんだん狭くなっていたとは気づかなかった。本当だろうか。
風の谷のナウシカ
松竹
新橋演舞場(東京都)
2019/12/06 (金) ~ 2019/12/25 (水)公演終了
満足度★★★★
夜の部を観劇。昼に比べると、おとなしくなった印象。ナウシカたちはオームを追ってドルク帝国の奥へ奥へ、腐海の中へ中へと旅する。ロードムービー化するのだけれど、途中、大きな見せ場がクシャナの軍が虫に襲われるところしかない。皇弟ミラルパとナウシカのたたかう場面が、けがのせいでカットされていることも影響していよう。
「ワンピース」が歌舞伎になってヒットしているように、ロードムービーが悪いわけではない。実は、この後半は「腐海の謎を解く」ことがテーマであり、理屈っぽくなるのである。それが、やはり歌舞伎でも少しイメージを縛ってしまった感がある。
泰山木の木の下で
劇団民藝
三越劇場(東京都)
2019/12/06 (金) ~ 2019/12/18 (水)公演終了
満足度★★★★
友人が「久しぶりに新劇らしい新劇を見た」と言っていた。私にとっても「新劇」についていろいろ考えさせられる舞台だった。広島の原爆がその後の被爆者の人生にもたらした数々の悲劇、とくに子供に奇形児が生まれる不安、差別が主題である。それを今日改めて芝居で見て感動を得られることは、残念ながら私にはなかった。
井上ひさし「父と暮せば」は、被爆者のサバイバーズギルト(「生き残ってしまって申し訳にゃあ症候群」)を打ち破り、自ら幸せをつかもうと前向きに生きていくところに感動があった。「泰山木…」の場合、被爆がもたらす不安から抜け出すのではなく、登場人物はそれを抱えて生きている。こういう姿勢が、自分の問題としては響いてこなかった。
かつては被爆者の苦しみを、国民全体の苦しみと共感する同時代体験が日本人にあったのだろう。時代が変わった。あるいは世代は変わった。私の見た昼の回でも高齢者の多い客席からは、すすり泣きが漏れていたので、こういう問題をわが事と感じる世代が確かにいるのだと思う。
私が「新劇」について考えさせられたというのは、まず、戯曲のセリフ。冒頭から「ここだ、ここだ、泰山木の下の古ぼけた一軒家。神部ハナ、と表札にある」と、木下刑事が一人で、状況を説明するところ。誰に聞かせているのか、というと観客に聴かせるセリフだからだ。ハナのセリフも、必要以上に情報量が多い。(おしゃべり、という性格も示しているが)セリフですべてわかるように書いてある。観客の想像力にゆだねる「余白」がない、あるいは少ない。
これがかつては日本の現代演劇の当たり前だった。俳優の演技も、ゆっくりと明瞭にセリフを聴かせることに重点を置いている。ここを壊すところから、唐十郎も、つかこうへいも、野田秀樹も、永井愛も始まったのだとわかる。
場面転換も、小島のハナの家、本土に渡る船の上、町の警察署の取調室、刑事の馴染みの女の部屋、ハナの病室と、きちんとそれらしいセットを交換する。今なら、ほとんど何もない舞台で、場面の背景は観客の想像力にゆだねるのが主流であるが、それとは違う。8場~9場という構成の数、転換のテンポをみると、そういう演劇スタイルに合わせて戯曲が書かれている事がわかる。
でも、狂言や歌舞伎がないと、そうした「旧劇」と「新劇」は何が違ったのかわからなくなるように、オーソドックスな「新劇」も、現代演劇が何をめざしたのかがわかるために、こうした現代の古典の上演を絶やしてはいけないと思う。
2時間35分(前半1時間25分、休憩20分、後半50分)
五稜郭残党伝
温泉ドラゴン
サンモールスタジオ(東京都)
2019/12/11 (水) ~ 2019/12/19 (木)公演終了
満足度★★★★★
戊辰戦争で五稜郭後も降伏を拒み、蝦夷地を奥へ奥へ逃げ続けた二人のサムライと、連れになった一人のアイヌ男。「俺たちに明日はない」的な、彼らのロマンとニヒルと人情が温かい。和人のアイヌをしいたげる非道への怒りが舞台を熱くにえたぎらせる。
追う側の政府軍の上官の非情さには恐怖を覚える。薩摩に押さえ込まれた長州の人間で、手柄を焦る気持ちが、その無慈悲な執念に説得力を与える。阪本篤が現実味のある悪役を好演。その執念深さはレミゼラブルのジャベール警部のようだった。
ロードムービーならぬ、ロードプレイ。テンポ、ホンの人物像の具体性、場面と出入りの整理、衣装、日本刀などの小道具、和太鼓の細撥の乱れ打ちなどを使った大音響の暗転の迫力など、総合的な舞台づくりも良かった。
最後の決闘の殺陣も見事。2時間5分休憩なし。佐々木譲の原作を読みたくなった。
月の獣
パソナグループ
紀伊國屋ホール(東京都)
2019/12/07 (土) ~ 2019/12/23 (月)公演終了
満足度★★★★★
非常に簡潔だが奥深い舞台だった。家族の絆という普遍的テーマが、静かに静かに浮かび上がる秀作だ。ほとんどは夫(真島秀和)と、彼が写真だけで故郷の孤児院から選んで呼び寄せた15歳の妻セタ(岸井ゆきの)の二人芝居。舞台は1921年のアメリカ・ミルウォーキー。質素なアパートの一室で、時間は経過するが、場所が変わることはない。
時々、語り手(久保酎吉)があらわれて背景を補足説明する。「アルメニアの男は子どもを持つことを何よりも大事にしていた」とか。休憩後の後半になると、もう一人、孤児の少年ヴィンセント(升水柚希)が、時々、二人(3人)に絡み、二人の関係を変えていく。
夫婦の二人はトルコの迫害から逃れてアメリカにきたアルメニア人ということで、事前の宣伝でもそこが強調されていたが、実際の舞台では迫害の話は二人の記憶の奥底にあるもので(特に夫)、前半には全く出てこない。後半になって、夫が封印していた、自分の家族の最期を語ることがいつまでもしっくりこなかった二人の「新しい結合」の一歩となる。が、それにしても迫害の問題、民族の問題は事前に思ったより比重は低く、このドラマは夫婦、家族の物語である。
舞台には、最初からずっと、顔をくりぬかれた5人の家族写真があり、写真屋である夫は、その穴に自分の顔、妻の顔と、新しい顔を張って埋めていく。残った3人の子供の顔も新しい写真で埋めたいのだが、妻に子どもができない。そこに彼の重いトラウマと、何よりこだわる願望託されている
前半は夫が子供を求めても、それにこたえられない妻との融け合えない関係がずっと続く。最初は過去のトラウマで、新床にも入れない妻だが、それを超えて1年経ち、二年たっても妊娠しない。夫はそのためにいら立ち、妻につらく当たる。ここら辺は、今では考えられない、妻は「産む機械」的発想の夫で、何のためにこれを今やるのかと考えてしまった。
そうした発想の根元にあるのが「聖書」で、夫は食卓でいつも聖書を朗読する。しかも、妻は夫に従え、いつもつつましくあれ、と言った保守的な部分ばかり。セタは実は弁護士の娘で、教養も芸術を愛する心もあり、聖書の開明的な部分を暗誦して対抗する場面もある。「聖書」は矛盾したことが平気で共存しているので、ここは面白かった。
2時間25分(休憩15分含む)。戯曲は『悲劇喜劇』1月号に掲載。世界20国で上演されたというが、確かに、
獣唄
劇団桟敷童子
すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)
2019/12/03 (火) ~ 2019/12/15 (日)公演終了
満足度★★★★
日中戦争の時代、九州の山深い村で「花人(はなと)」(山の断崖に咲くランをとる仕事)の父と娘たちの物語。ハナトというものになじみがなく、想像もしにくく、なかなかしっくりこなかった。父(原口健太郎)は花のことばかりで、家を顧ず、妻も自己で山で死んだ。その父に、娘3人は反発していたが、ハナトになりたくて長女・トキワ(板垣桃子)が頭を下げたのを皮切りに、父子関係は好転する。
ところが不幸が村と親子を次々襲う。戦争による緊縮政策による「花禁止令」、三女のしたう都会の青年に赤紙、徴兵逃れを指南したために憲兵隊に呼び出された長女の恋人・山浦(三村晃弘)……。
村落共同体の土俗的な暮らしと人間関係をベースに、見えない赤い糸にがんじがらめになるようにして、次第次第に主人公たちが追い詰められていく。それは桟敷童子の十八番。今回は3人の女性(娘たち)が次第に追い詰めあっれていくのは、私のお気に入りの作「その恋、覚え無し」と似ている。
メモリアル
文学座
文学座アトリエ(東京都)
2019/12/03 (火) ~ 2019/12/15 (日)公演終了
満足度★★★
ここまでの前衛劇は見慣れないせいか、まったくよくわからなかった。たまたま同じ回を見た知り合いは「面白い」と言っていたが。
アメリカの花嫁、疑似家族、皇居、ミチコ、創価学会等々、断片的な言葉は分るが、それがどうつながるのか。
物語という安心できる流れに身を任せることを徹底的に拒んだ戯曲。断片的な言葉とは、現実そのものともいえる。現実に近い不快感に身をさらさせるということだろう。そこから意味をくみ取り、脈絡をつくるのは観客個々の仕事。つまり、主体的に考えなければならず、非常に疲れた。
風の谷のナウシカ
松竹
新橋演舞場(東京都)
2019/12/06 (金) ~ 2019/12/25 (水)公演終了
満足度★★★★★
新作歌舞伎「ナウシカ」昼の部、面白かった。三幕のうち、第一幕でアニメの最後までやっちゃって驚いた。
第二幕は、松也と右近の大量の水を使った大立ち回り。先日見たスーパー歌舞伎2「オグリ」の血の池よりすごい。
第三幕は主役菊之助のけがでナウシカの立ち回りや宙乗りはすべてカット。ここは盛り上がらなくなって残念だった。
でもよかった。セットも衣装もアニメの場面のように贅沢に作り込んで、すごい金かけてる。
ドルク帝国の兵士は帷子風の鎧とか、トルメキア軍の衣装も着物のようとか、和風にアレンジしした衣裳も歌舞伎と合っていた。
見栄や様式的な歌舞、立ち回りなど、ナウシカと歌舞伎が意外と相性が良いのが驚き。めったに見られない特別な体験だった。
ドルク帝国の皇弟ミラルパ役の巳之助が「筋書」本で、「ミラルパ役は『車引』の時平のような大敵の作りです」と語っている。「時平」を知らないが、根っからの悪役ということはわかる。このミラルパだけでなく、「ナウシカ」の登場人物とあてはまる歌舞伎の役が、それぞれ役作りに生かされている。
尾上右近のアスベル役が意外な拾いものであった。
椿姫
新国立劇場
新国立劇場 オペラ劇場(東京都)
2019/11/28 (木) ~ 2019/12/07 (土)公演終了
満足度★★★★
基本的には素晴らしかった。ヨーロッパ人のテノール、ソプラノに伍して、日本人のバリトンが非常に良かった。拍手も彼が一番多かった。
1幕の「乾杯の歌」と「愛のテーマ」の、恋の始まりの明るさ。2幕の、男の父親が現れて、ヴィオレッタと互の悩みを語り合うみ重賞のドラマが何より見事。恋の葛藤と、愛ある別れの切なさ。最後の三幕の許しと死の悲しみと平穏。男女の愛の誕生から死までの春夏秋冬、全ての感情が盛り込まれ、音楽になっている。
ミー・アット・ザ・ズー
悪い芝居
シアタートラム(東京都)
2019/12/04 (水) ~ 2019/12/08 (日)公演終了
満足度★★★
動物園をひとつの足場にして、人とうまく付き合えない不器用な妹と、妹を笑かしてやりたい芸人志望の兄の兄妹愛の物語。…だということが、見終わってわかる。
まずは兄の3年の刑を終えた出所から始まる。ついで、兄が犯した罪=嵐の夜の動物園でヒゲの男への暴行のシーンが象徴的に現れ、そして、あれはなんだったのかという感じで謎のまま、本編に入っていく。二人組の芸人として、仲間の女性たちと、笑えないギャグをユーチューブで流す兄の生活。一方で、動物園でバイトを始める妹。互が最初は全く無関係なのに、妹の疾走から、動物園の秘密が明らかになり、嵐の夜の事件がなんだったのかも明らかになる。
しかも二つの別々の話を語りながら、時間も行きつ戻りつさせる、高度な構造ながら、あまり混乱せずに、クライマックスまで持っていく作劇力は大したものだと思った。「見る・見られる」関係、人間は檻の外にいて動物は中なのか、あるいはその逆なのか、という議論も、よくある思弁ではあるが、作品でよくこなされていた。
ただ、共感できる人物がほとんどいない。妹と兄以外は、人物の目的・キャラクターが立っていない。あえて、3番目に言えば動物園の園長代理の握光か。それ以外の7,8人が妹と兄を支え物語を動かすためだけの存在になっているのは、芝居が意外と膨らみに乏しい原因だと思う。
フィクション
JACROW
駅前劇場(東京都)
2019/12/04 (水) ~ 2019/12/08 (日)公演終了
満足度★★★★
2023年の東京、木更津、札幌の3家族の生活を描きながら、不景気、災害、外国人という日本社会の直面する3大テーマを考えさせる。そこに家族の中核である、3家族3様の夫婦関係を軸に据えた作劇で、決してお説教ではないし、見ていて飽きない。ひとつの家族の話が佳境に入ったところで、別の家族の話へと、三つへ移行しながら続けていく。それは変化があって飽きないのだが、一つ一つの家族の話の凝集力を弱める危険もある。そこを今作では、三つとも単独でも短編劇として完成度が高く、最後に相互の話が結びつけられることで、大きな現代日本の絵が見えたと思った。
家出してキャバクラに勤める勝気な妻役の福田真夕が、色気と強さ健気さをおりまぜた感じで非常に良かった。彼女は衣装もぴったり。前科から立ち直ったコンビニ店員役の森田匠も、コミカルさと真面目さを併せ持った芝居でうまかった。
『Q:A Night At The Kabuki』inspired by A Night At The Opera
NODA・MAP
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2019/11/09 (土) ~ 2019/12/11 (水)公演終了
満足度★★★★★
二度目の観劇。かなり早くから伏線を張って、結末をほのめかしていることに気づいた。というのは、ジュリアとロミオが出会うパーティーの場で「滑野(スベリノ)」と手紙で予告している。
この他、前半と後半で繰り返され、意味を深めるセリフが多い。「恋と壁は超えるものと思っていた」「…諦めるものの思っていた」の最初のセリフが、あとでは「寄りかかるものと思っていた」と変わったり。
セリフも緻密だが、クイーンの音楽もまた、内容に合わせて選ばれていることに、帰ってCDを聞いて(歌詞カードを見て)発見。じつにうまく噛み合っている。
最初の方で、ジュリアが水着で海水浴するシーンのバックは「Seaside Randezvous」(シーサイド・ランデブー)でそのものずばり。シベリアに送られる直前には運命を示すかのように「預言者の唄」。
何より、テーマ曲のように何度も流れる「Love of my life」の歌詞の、別れた恋人に「Bring it back」(それを返してくれ)と訴えるリフレインが深い意味を持っている。ジュリエットの「ああ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの」という有名なセリフが元になっている「名を捨てる」という行為、その「名前」を失ったことが、個人の幸福追求権を放棄し、戦争という殺戮に巻き込まれた人間の悲劇になっていることを野田は作劇の柱に据えたのだが、それと歌詞が見事に重なっている。この「it」はクイーンの歌詞はそこまで考えていないのに、野田秀樹は重大な意味をそこに負わせたのである。
舞台も遊び心と批評性を併せ持ったものだと、見てわかるが、戯曲(『新潮』12月号掲載)とQueenのリリクスをまた読み込むと、一層緻密なセリフと音楽の絡み合いが見えてくる。傑作である。
地球防衛軍 苦情処理係
サードステージ
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2019/11/02 (土) ~ 2019/11/24 (日)公演終了
満足度★★★★★
コメディーにしてシリアス。しかもウルトラマンシリーズばりの正義のヒーローと怪獣のアクションてんこもり!!とくれば、面白くないわけがありません。地球防衛軍の戦闘行為が住民にも被害を及ぼす。隊員のその苦悩に、宇宙から来た正義の味方の、任務と愛をめぐる苦悩。地球を守る任務をとるか、愛情をとるか…。
まるで、北朝鮮と韓国のスパイ同士の恋愛サスペンス映画のようでした。
最後に流れた音楽も「君の名は」のラドウインプスのようで、はまっていました。
子供にも楽しめる、世代を超えたエンターテインメントです。