常陸坊海尊 公演情報 KAAT神奈川芸術劇場「常陸坊海尊」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    現代(戯曲の初演時で言えば、1945年から1961年は現代そのもの)の時間軸に、750年前の源義経伝説をないあわせた、時空を超えた物語。初演当時は、近代リアリズムの枠を破壊する画期的な発想だったらしい。いまでいえば野田秀樹流作劇術の元祖とも言える。
    戦争中の忠君愛国、一億火の玉精神から、高度経済成長期の疲労感と、どこか上滑りで虚ろな「幸福感」への批評が、戯曲の背中に張り付いている。

    衣川の戦場で主君源義経をおいて逃げた裏切り者の海尊が、琵琶法師となって、自らの罪の懺悔を語る。ここに私は、鶴見俊輔と同じ精神を見出した。とくに敗残兵となって現れた二幕の終わり。鶴見は「不良少年」を自称し、常に自分は悪人だという自虐意識を、ベ平連やハンセン病元患者支援等すべての活動の根に据え続けた人だ。海尊の敵前逃亡を、鶴見俊輔を手がかりに現代で置き直せば、戦争を止めなかった不行動の罪であり、長いものに巻かれ続ける民衆の弱さ、ずるさではないか。もちろんそこに「転向」という問題も重なる。「転向」をわが身可愛さの卑怯な行為と切って捨てるだけではなく、その誤りから何かをくみ取ろうとする姿勢において。

    鶴見が日本人の土俗的な思考形態を取り出し、そこに欧米由来とは違う思想の可能性をみようとしたのと同じように、海尊伝説のような古い伝承に、日本の民の連綿たる何かを託したのではないだろうか。「なにか」というと、あいまいだが、そこが言葉にしにくい。後進性、因習くささともいえるし、頑固さ、しぶとさ、ともいえる。近代になり、科学技術と中央集権国家の世になっても、経済優先の戦後になっても、変わらない何かである。

    白石加代子のおばばは出色の出来。彼女があってこそのこの舞台であることは衆目の一致するところだろう。
    二幕、疎開先の寒村の囲炉裏端の後ろで、静かに雪が降り続ける演出が素晴らしい。その後で、背後の桜の花で、季節の変化がわかる。子どもが重要な役割を果たすが、子役も頑張っていた。本物のようなミイラ、津軽の義経伝説のある寺の境内など、美術もよかった。

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    2019/12/22 00:45

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