Takashi Kitamuraの観てきた!クチコミ一覧

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BRAVE HEART~真実の扉を開け~

BRAVE HEART~真実の扉を開け~

ミュージカル・ギルドq.

光が丘IMAホール(東京都)

2021/04/07 (水) ~ 2021/04/10 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

メディア批判が多い中、頑張る新聞記者が成功する、明るく前向きな舞台だった

ダウト 〜疑いについての寓話

ダウト 〜疑いについての寓話

風姿花伝プロデュース

シアター風姿花伝(東京都)

2021/11/29 (月) ~ 2021/12/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

緊迫感がハンパない恐ろしい芝居だった。舞台60年代のアメリカのカトリック男子校。厳格な校長のシスター・アロイシス(那須佐代子)が、生徒にも信者にも人気のある気さくなフリン神父(亀田佳明)に疑いを持つ。生徒にイタズラをしているのではないかと。何の根拠もない。しかし、若いシスター・ジェームス(伊勢佳世)が、校長の疑いに影響され、唯一の黒人生徒ドナルド・ミラーが、神父と二人きりで話した後、様子がおかしかったと報告に来る。
校長は神父を呼び出して問いただす。これも、逡巡し、嫌がるジェームスを説き伏せて同席させて。最初、クリスマス会の話題という口実を持ち出し、人気の雪だるまの歌も異教的だと批判する校長の「不寛容」を神父がネタにするなど、ユーモアもある。

校長の追及に神父は「はっきりさせない方が生徒のためになる」と逃げていたが、ついに折れ、ドナルドがミサで隠れて祭壇のワインをのんでいたのが見つかり、それを庇っていたと説明する。しかし、校長は神父の説明に納得せず、執拗に神父の正体を暴こうと絡みついていく…

血の通った人間なのか、正義と信念だけの塊なのか。厳格な正義と、寛容な優しさとの対決。那須佐代子なので、厳しい校長にも人間味が感じられる。しかし、神父に対する疑いは、言いがかりとしか思えない。不寛容な潔癖さが人間を追い詰めていくのは、魔女狩りの「るつぼ」を思い起こさせた。あるいは罪のない噂から無実の人間が追い詰められて行くリリアン・ヘルマン「子供の時間」とも重なる。アメリカの、左翼作家がこうした主題を度々描くのはなぜだろうか。大衆の誤まれる一方的行動への恐怖を身近に感じることがあるのだろうか。

ドナルドの母と校長のシーンでは、そっとしておいてくれという母親と校長の狙いがぶつかる。ここでも家庭の秘めた事情と、生徒の意外な素顔もわかってきて、一層、校長のやっていることは平穏をかき乱すだけに見える。それでも、校長は神父に「告白しなさい」「学校を出て行きなさい」と追い詰めていく。スリリングな1時間50分だっった。

ネタバレBOX

フリン神父が、「真実は曖昧で、さまざまな問題を孕んでいて、説教にむきません。譬え話がいいのです」という。この芝居のことを言っているようだ。校長が暴こうとする「真実」が人を傷つけるという意味で、あるいは、この芝居も譬え話だから人々に教訓を与えられるという意味で。この相矛盾する二つの意味で。

神父と校長の対決で、神父は盛んに「司祭に言えば、あなたが辞めさせられる。出ていくのは私ではなく、あなただ」という。そうなるのかなと思っていると、大逆転で、最後は神父が出ていく。(司教に面談して、栄転という形だけれど)

最後になってみると、もしかしたら神父には悪癖があったのかもしれないという疑いが残る。「全てを話すことはできないんです」と泣き言を言うところもある。校長が前任校のシスターに電話して、前科があることを掴んだ、というブラフを否定仕切らなかった。校長は「出て行ったことが、彼の告白よ」というが、そうとも言い切れない。神父にすれば、校長を追い出して、外で行動の自由を与えると、逆に自分への攻撃がエスカレートするので、自らが出て行ったとも受け取れる。どちらの言い分が正しいのか、曖昧という点では「アンチゴーヌ」のようでもある。
糸桜 黙阿弥家の人々ふたたび

糸桜 黙阿弥家の人々ふたたび

新派の子

日本橋公会堂ホール「日本橋劇場」(東京都)

2021/11/29 (月) ~ 2021/11/30 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

台本は読んだことがあるが、舞台で波乃久里子さんや喜多村緑郎さんの声と仕草で見ると、また格別の面白さで、いい舞台だった。蚊帳を張っての本読みの場面や、「作者になるのは止める」と訴えたあとの諍いなど、波乃久里子さんの可愛さと喜多村さんの優男ぶりに見とれた。
坪内逍遥の只野操も貫禄があった。勘当された元養子でおいの三五郎(市村新吾)も、憎めないコワルぶりがよく、女形を思わせるようななよやかさがあった。

ネタバレBOX

最後「お前は私の本当の子だから」という場面にはやられた。血の繋がらない者同士が本当の家族になる、というのは「嘘から出たまこと」だ。
鴎外の怪談【12/16、12/19、12/25公演中止(12/19は1/30に延期公演決定)】

鴎外の怪談【12/16、12/19、12/25公演中止(12/19は1/30に延期公演決定)】

ニ兎社

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2021/11/12 (金) ~ 2021/12/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

松尾貴史の鷗外がすごくハマっている。コミカルな雰囲気の松尾にこんなに鷗外が似合うとは意外だった。おかげで、出色の舞台になった。戯曲のいろんな細部や仕掛けも生きている。
嫁姑の争い、エリスを裏切った負い目、津和野で少年の時に見知ったキリシタン弾圧、鷗外の俗友にして引き立て者の賀古鶴所(池田成志)、紀州のドクター大石の助命をすがる女中(木下愛華)、遊び人だが根は真面目な永井荷風(味方良介)等々。「沈黙の塔」「食堂」の、大逆事件批判を込めた鷗外の作品の解釈もうまくハマっていて、非常に楽しめた。

作者は初演の7年前、特定秘密保護法と共謀罪に危機感を持ってこれを書いたそうだ。しかし当座の政治課題を超えて普遍的な意味を持つのが優れた文学の力だ。権力に首を垂れるメディア批判として今に重なる。朝日新聞連載の「危険なる洋書」とか。司法が政府の悪政を追認して、三権分立が果たされないのも今日的だ。

ネタバレBOX

最後、薙刀を振り回して鷗外を止める母(木野花)の迫力も凄まじかった。こちらもあっけにとられて、山縣有朋への直訴をあそこまで決意しながら、結局実行しない鷗外の行動に納得させられてしまう。
イモンドの勝負

イモンドの勝負

キューブ

本多劇場(東京都)

2021/11/20 (土) ~ 2021/12/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

物語よりも、その場その場のコントを楽しむような芝居。ブニュエル的な笑いと、パンフでケラ氏は言っているが、私はモンティ・バイソン的なずらしの笑いが多いと思った。くだらないことでとにかく笑わせて、3時間飽きさせない。

ジャンケンで大倉孝二が勝ち続けたり、三宅弘城が後出ししても負け続けたり。火事で死んだはずの人たちが、ノコノコ起き出して「この人たち、自分が死んだと認識してないだけ」と言われていたのが、実際死んでなかったり。「生まれ変わった良い探偵です」「どこが変わったの。前と変わんないじゃない」「いや、言ってみただけです…」等々。書いても笑えないし、キリがない。
芸達者の俳優たちで実際笑える。105分、休憩15分、80分。計3時間20分。

蜘蛛女のキス

蜘蛛女のキス

ホリプロ

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2021/11/26 (金) ~ 2021/12/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

よかった。牢獄の政治犯と同性愛者の話なのに華やか。同性愛者のモリーン(石丸幹治)の憧れの大女優オーロラ(安蘭けい)が、モリーンの苦しいときほど明るく艶やかに歌い踊る。石丸の歌、安蘭の抜群のスタイルと歌が魅せる。
1幕100分2幕60分、休憩20分。オケが生演奏で13人もいた。かなり贅沢な編成。奥で演奏してスピーカーで響かせていたが。

ネタバレBOX

政治犯のバレンティン(村井良大)に、反政府派の厳しさと確信が感じられないのは残念。わがままな青二才のよう。原作の小説と比べると、政治的内容がかなり薄められているのも残念。
ラストのモリーナの死は、納得しにくかった。原作は違ったはずと読み直すと、やはり違う。原作はバレンティンの反政府活動への協力が、命の危険に関わるから死ぬ。舞台では、バレンティンのブルジョアの恋人への伝言になっている。その秘密を守って死ぬというのが、ピンと来なかった。活動と無関係のブルジョア娘を、政治犯の恋人というだけで、権力は拷問したり危害を加えたりしないだろう。
ニュルンベルクのマイスタージンガー【8月4日、8月7日公演中止】

ニュルンベルクのマイスタージンガー【8月4日、8月7日公演中止】

東京文化会館 / 新国立劇場

新国立劇場 オペラ劇場(東京都)

2021/11/18 (木) ~ 2021/12/01 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

前奏曲は有名だが、全曲ははじめてみた。素晴らしかった。第一幕、第三幕はワーグナーの芸術論になっている。芸術の判定を一部の職人から民衆に解放せよ、韻律や形式にしばられた古い芸術の枠を革新せよ。一幕でマイスターの指導者であるザックスはそういいつつ、三幕ではマイスターに認めてもらうことも重要なのだといって、騎士ヴァルターに、形式に(ある程度)寄せた詩作を手伝う。芸術における伝統と革新、変化と持続の両面の尊重がある。

音楽としても大変聴き応えがあった。前奏曲にあるモチーフが一幕のマイスター会議では散りばめられていて、耳に馴染む。2幕はザックスとエーファの抑制されたロマン的音楽は見事。ちなみに3幕でザックスは「トリスタンとイゾルデの悲劇を知っているから、マルク王の幸せを望まないんだよ」という。自作への言及で、ほほえましい。トリスタン的なうねりある音楽や、あちらでは最後の最後に響いた調和の和音が、こちらではヴァルターの「優勝の歌」の導入に際立って鳴るのも、うっとりさせられる。

2幕はほかにエーファとヴァルターのかけおち、ベックメッサーのコミカルな(にせエーファの窓辺での)ロマンス曲、ザックスのハンマーによる妨害(快調なリズムはジークフリートの鍛冶場面を少し思わせる)等、聞きどころが多い。エーファがザックスをしたいつつ、ヴァルターを選ぶ、自立した女性として現れるのも、現代の女性客には共感的だ。知り合いの女性は「1幕より2幕がずっとおもしろかった」といっていた。

そして3幕、「春だけでなく、辛く苦しい秋や冬にも春を歌うのがマイスター」など、セリフもいいものがある。ザックスの歌う「妄念」と血みどろの争いを批判する歌も素晴らしい。歌くらべの開始を告げる豪華絢爛音楽は、前奏曲を再現するようで、これぞワーグナーという圧倒的高揚を作り出す。すばらしい。
2幕ラストの喧嘩シーン、3幕の民衆のまつりのシーンなど、民衆性も高い群衆シーンが素晴らしい(指輪4部作などにはないもの)。これらはワーグナー自身が見た喧嘩や、祭りから着想しているそうだ。現実から学んだ部分と言える。

男性歌手のきかせどころの多い作品だが、いずれも素晴らしかった。やはり主役というべきザックスのバリトンはピカ一だった。休憩30分2回を含み、全6時間。95分ー70分ー2時間10分という超長丁場だが、全く飽きなかった。大傑作の見事な舞台である。

ネタバレBOX

ラストにザックスが、ドイツ芸術を保持してきた「マイスターを敬え」と、外国のガラクタに対してドイツ讃歌を歌う。「妄念」の歌を聞いたときは、反戦思想に見えたが、ここにきてナショナリズム(国粋主義)が前面に出る。ナチスが利用したのもうなずける。(ベックメッサーの扱いが可哀想と思っていたら、やはり以前から指摘があるそうで、ワーグナーの反ユダヤ主義が反映しているらしい)。
今回の演出は、最後の最後に、エーファにマイスターの肖像画を破り捨てさせ、ヴァルターと去っていかせる。ドイツ芸術讃歌をひっくり返す。あっと驚きの幕切れだった。
愛するとき 死するとき

愛するとき 死するとき

世田谷パブリックシアター

シアタートラム(東京都)

2021/11/14 (日) ~ 2021/12/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

ドイツの芝居は滑らかな物語で観客を癒したりしない。非ドラマ、アンチ演劇の舞台。ドイツ演劇の全てがそうではないだろうが、なぜか日本で紹介されるのはそういうタイプが多い気がする。
終始、説明役(コロス)がいて、これが演技にすぎないことを思い出させる。場面は断片的で、人々が苦しむ原因は背景を匂わせるだけ。東ドイツ時代を知る人には大きな喚起力を持つかもしれないが、日本の客にはぼやけた世界で少々歯がゆい。政治を背景にしているのに、セリフは「セックス」を語る方がしばしば。

東ドイツ時代、1979年の高校生時代を描く第一部。壁の中の無邪気な青春。映画監督になるため、西へ行こうとした級友(前田旺志郎)はハンガリーとオーストリアの国境で拘束されて、懲役へ、そして兵役へ。40分

第二部が見応えある。映画撮影(監督=浦井健治)のような形で、父が亡命し、母(高岡早紀)と兄弟(小柳友、前田)、かつての抵抗派の同志で12年の収容所生活(クリーニング)を終えたおじさん(浦井)の暮らし。弟の担任の女教師山崎薫)の存在がいい。今は厳格な体制派だが、かつては同志だった。夫(浦井)は辛い経験(内容は不明)で、セイシンを病む、腑抜けのようになっている。その家に母が、弟ペーターのことを頼みに、金(多分ドル)を持ってくる。1時間

第三部、壁は無くなり、ドイツ統一後。妻子と別居中らしい男(浦井健治)は、ミックスの女(高岡早紀)と出会う。男と女のモノローグが交互に続き、対話はない。壁は崩れたのに、幸せはこなかったというかのよう。ただ言明と孤独だけが残った。壁の向こうという「夢」があっただけ、社会主義体制の方が良かったというかのように。20分

休憩が2回、各15分あり、2時間半
芝居の内容についてはこちらが参考になる
https://enterminal.jp/2021/11/aisurutoki-report/

ネタバレBOX

第二部の最後、兄弟、結局弟が車で国境を越えようとして止める。恋人アドリアーナ(岡本夏美)のために。でもおとうとが兵役に行っている間に、女は他の男と。時間だけが過ぎていく。
第三部最後に男は「こうして惑星は消えた」と呟く
イロアセル

イロアセル

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2021/11/07 (日) ~ 2021/11/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

面白い設定なのだが、なんか馴染めない芝居だった。言葉に色がつくところを、グレーの壁や天井にカラフルなインクがワッと広がる。影の薄い町議の白い服が、町長の黒い発言で、黒く色が変わる。こうした設定のビジュアル化は面白かった。

俳優のセリフがやけに大声で怒鳴り合う場面が多い。あんなに力む必要あるだろうか。色のない匿名の発言が、悪意や妬みをどんどん広げていくのだが、そんな話なら芝居にしなくても、先刻承知である。色つきの言葉より、無色透明の言葉が自由と解放をもたらす面が前半はあって、そっちの方が新鮮だった。
俳優の出入りにも偏りがあって、「あのこ(町長、父親など)なかなか出てこないなあ」とか、余計なことを考えてしまった。

THE BEE

THE BEE

NODA・MAP

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2021/11/01 (月) ~ 2021/12/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

再演以来の二度目の観劇。冒頭の、井戸(阿部サダヲ)が何も知らないうちに報道陣に(ゴムで)もみくちゃにされ、メディアの欲しい言葉がないと捨てられる演出が面白い。警察と報道陣を帽子とメガネで切り替える早変わりも。

警察官(川平)にパトカーで犯人宅に行く道中もユーモラスで露悪的で面白い。川平が、警官から子どもに、黄色い帽子ひとつでスッとすり替わるのも面白い。等々、前半の転換に新たな興趣が湧いた。
その後の暴力のエスカレートは、前に見て知っているせいか、それほどの怖さを感じなかった。一種、必然の道行で、一旦入ったら一直線である。

キャスト一新は成功だったと思うが、野田秀樹の主役も捨てがたい。9年前は、英語版などわざわざ見ることないと思い込んでいた。字幕で見る演劇なんて、と。今思うと見ておけばよかった。悔やまれる。

ザ・ドクター

ザ・ドクター

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2021/11/04 (木) ~ 2021/11/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

現代社会の様々な問題がおりこまれているが、アイデンティティー・ポリティクスのことを考えさせられた。人種、ジェンダー、宗教など人の属性(アイデンティティー)による差別・利害を政治的課題とすることをいう。ブラック・ライブズ・マターやミー・ツーなど今大変盛んである。しかし、そういう属性で線を引くと、見えなくなるものがあるのではないか。

医師ルース(大竹しのぶ)が「人間である前に私は医師です」というセリフの意味はそこにある。白人、ユダヤ人、女性etcという範疇で「神父の入室を拒んだ行為」を批判されるが、医師として医療として考えなければならないという訴えだ。2幕のテレビ討論番組ではこれが焦点になる。
1幕は病院の役員会での議論場面がつづき、少々疲れる。しかし2幕でいろんな仕掛けがなされて、舞台の奥行きがぐっと広がる。

1幕では、死んだ娘のカトリックの父(益岡徹)が「中絶という大罪を犯した娘が、罪の許しを得ないまま、地獄の業火で苦しみ続けているんだぞ」と泣き崩れるところが心に響いた。カトリックのまじめな信者は、そう考える灘、だからルースの行為が大問題なんだと。私も宗教に疎いので、その場面でようやくことの意味が分かった。

ネタバレBOX

神父(益岡徹=2役)は黒人という設定だが、元戯曲は白人が演じるように指定している。これはうまい。観客はルースが黒人だから拒否したのではないのに(事件が起きた時は白人が演じているので)、あとで「黒人差別だ」という非難が的外れであることが明瞭にわかる。今回は当然、黒塗りなどしないで演じている。

討論番組で、よく遊びに来る大学生サミ(天野はな)のことを、「トランスジェンダーの子がいて」とお語るのもちょっとした驚きだった。それまで普通の女性としか見えないので。しかし、このアウティングにサミ自身が傷つくと後でわかる。本人とはわからないように語っているのに、近しい人にはわかるから。難しい問題をうまく提示している。

冒頭で流れるルースの声の録音の意味が、最後にわかる。かたくなで杓子定規とも思えたルースの、心の奥の深い喪失感がわかり、舞台の見え方が変わる。

イギリスではこの芝居の提起する問題が刺さるが、日本に持ってくると、どこか実感が薄く感じられる。特に階級の違いは、舞台から感じられなかった。これは仕方のないことではあるが。
ジャンガリアン

ジャンガリアン

文学座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2021/11/12 (金) ~ 2021/11/20 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

横山拓也作、松本祐子演出の信頼できるメインスタッフと、文学座の安定したアンサンブルで、時間を短く感じる舞台だった。老舗豚カツ屋を継いだ長男琢己(林田一高)が、リニューアル工事にかかる前日に突然倒れてしまう。そこから歯車が狂っていく。

モンゴル人の留学生(奥田一平)が「ジャンガリアンハムレット」をネズミ退治(ナワバリ意識を使う)に持ってきたのだが、琢己の入院中に、雇ってくれという。妻の愛(吉野美沙)が雇うと決めるが、自分のいない間に決められた琢己は面白くない。必要以上に意固地になって、「外国人なんて胡散臭い奴らだ」と差別意識をむき出しにする。
急にいろんな軋轢が起き、言わないでもいいことを言ってしまい、傷つけたり自己嫌悪に陥ったり。人間関係と内心の機微を丁寧に描いてよかった。
琢己と愛の夫婦の衝突と和解が心に響いた。

ネタバレBOX

板前の大将(高橋克明)が、最初は家族の口論に、どっちつかずの生返事の責任回避が笑いを誘った。最初はモンゴル人を嫌がっていたのが、次第に昔の自分と同じじゃないかと、考えを変えていくのがいい。

ベテランたかお鷹が、家を出て行った父親役として、いい味を出していた。ジャンガリアンも店のリニューアルも彼が知恵を出していたというから、裏のキーパーソンだ。70歳の設定だが、「店はどんな人も、いらっしゃいませとうけいれなきゃだめだ。客も従業員も同じだ」という教えに説得力があった。
更地

更地

KUNIO

世田谷パブリックシアター(東京都)

2021/11/07 (日) ~ 2021/11/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

演劇のあり方をとことん考え詰めた太田省吾らしいシンプルで抽象的とも言える二人芝居。そこを杉原邦生は、あの手この手の変化をつけて、80分飽きずに見られる芝居に仕上げた。更地になった昔の家のあとに来た夫婦が、自分たちの過去を思い出し、語り合う。言葉と俳優の存在だけで、そこにないものを現前(リプレゼント=ミメーシス)させる。

不倫や失業倒産や子供の非行や、そんな不幸な話はなにもない。赤ん坊の頃、思春期の性の目覚め、出会い、出産、子育て…。ほんわかした彼女彼氏の平凡だがかけがえのない出来事。女(南沢奈央)が半泣きで懇願する「本当にあったことがいっぱいほしい。なんでもない日のなんでもないことがいっぱいあって、そうなれば…。黄金(おうごん)の時がほしい」というセリフが主題を表している。
夫婦で見るのにいい芝居だ。「屋根がなくなったから見ることのできた月」のように、過去になったから全てが美しく見えてくる。実はこういう芝居は珍しい。だいたい不倫だなんだと、生臭くて、大なり小なり身に覚えのある夫婦で見ると気まずくなるのが多い。相手の話している間にあくびをして、平謝りするなど夫婦あるあるが面白かった。

戯曲の初老の夫婦の設定を、今回は若い俳優(男役の濱田龍臣は21歳!)でやったのが新機軸である。これは大成功だった。なんてことない若い頃の思い出話が、若い俳優の肉体と声を得て、リアルに立ち上がった。動きも多く、メリハリが付いた。現在より、過去を現前させる芝居なのでかみあっていた。初老より若い俳優のほうが見目麗しいので、視覚効果だけとってもいい。

見る前は、動きの少ない地味な芝居でつまらないだろうなと危惧したが、完全に杞憂だった。予想をいい意味で裏切られた。

ネタバレBOX

変化としては、開幕前の超スローモーから(大変珍しい演出)、ロックの音楽、白い舞台にいくつか小道具をおき家を再現。スパゲッティを指(!)で食べたあと、舞台全部を黒字に白抜きの更地幕でおおう。そのうえで過去を演じならが、出会い場面のラップでは帽子とサングラス(男)と、マイクも使う。時折小道具を黒幕の下に潜り込んで探したり、照明もスポットライトだけにしたり、霧のピクニック場面では男自らスモークマシーンを引っ張り出したり…。古いカセットレコーダーでクラシックも。

そして、みたことのないような星空と、雨上がりの「虹」が舞台に立ち上がる。若い俳優を選んだのは「未来を感じてほしいから」と杉原氏はいっていた。そのとおりに、前向きな気持になれる芝居だった。
パ・ラパパンパン

パ・ラパパンパン

Bunkamura / 大人計画

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2021/11/03 (水) ~ 2021/11/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

最初から笑えて、最後まで素直に楽しめる舞台だった。作家と編集者の松たか子と神木隆之介のコンビがボケとツッコミの役割を果たしていて、神木のツッコミで松の天然ぶりが笑いになる。二人の執筆活動と、作中劇「クリスマス・キャロル殺人事件」の登場人物たちの相互作用関係も、影に陽に演技に出て面白い。松たか子の作家の、創作の苦しさと八つ当たり、破れかぶれには作者の実感が感じられる。そこから飛翔して、見事に伏線を回収するラストの大団円は、最後まで書き上げた充実感が重ねられて、満足感も2倍になった。守銭奴スクルージの優しさを示したのも、ハートウォーミングであった。

廻る礎

廻る礎

JACROW

座・高円寺1(東京都)

2021/11/04 (木) ~ 2021/11/11 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

前回の田中角栄評伝劇もそうだが、こういう著名な歴史的人物を演じる場合、形から入るのが常道だ、今回の吉田茂も基本、よく似せているのが良い。吉田が首相就任を最初に辞退したときに、「それでも、てめえ男か」と内縁の妻のこりきが啖呵を切る場面がすごく良かった。思わず拍手が出た。あとは議論が続くので少々ハードな芝居である。

自主憲法制定派の鳩山、岸に対して、吉田は護憲派だったというのは、単純化してはいるが、多分そうだろう。憲法は変えずに警察予備隊=自衛隊をつくる、アメリカの改憲・軍拡要求には、要求を値切り値切り付いていくというのが吉田の敷いた路線だった。ただ、吉田の護憲は日米安保=米軍基地温存とセットだということがよく分かる。米軍基地撤去と自力防衛の改憲派に対し、再軍備反対(後に軽武装)の護憲派は日本防衛は米軍の力を借りる考えだった。これは憲法1条と9条がセットであるのと同じ、暗黙の了解事項であり、平和憲法が抱えるアポリアである。

この芝居に出てくる戦後を舵取りした宰相たちにくらべ、90年代の竹下登以降の顔ぶれの小物ぶりはいかんともしがたい。小泉純一郎は例外的な一種の傑物と思うが、安倍晋三に至っては。この芝居に、岸信介の長女と安倍晋太郎との縁談話が出てくる。それにしても、安倍晋三のような中身のない人間が戦後最長の政権記録を立てるとは。先の縁談を持ってきた佐藤栄作が草葉の陰で泣いていよう。

ぽに

ぽに

劇団た組

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2021/10/28 (木) ~ 2021/11/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

いわく言い難い芝居だった。松本穂歌演じる決断のできない弱い女と、藤原季節演じる身勝手男の関係が軸である。「まじ?まじ?」「ていうか」「全然、いいから、いいから」等々、現代若者の口調をそのままコピーしたような会話のリアリティーが高い。最初はグダグダした会話でしまりがないと思ったが、地震の事件から、緊迫感がぐっとます。二人の会話も同じで、男の本能的な責任回避の責める言葉と、女の次第にすがりつくように変化していく心理を示す言葉が非常にリアルだった。

幼児れんの両親が、連のシッター活動を放棄した円佳を責める言葉も、同様にリアルだった。実際はもっと激するだろうが、感情を抑えに抑えて、それでも抑えきれない言葉に人を刺すものがあった。

平田オリザ、岡田利規の現代口語演劇の系譜にまた新しい才能が登場した。

白鳥の湖<新制作>

白鳥の湖<新制作>

新国立劇場

新国立劇場 オペラ劇場(東京都)

2021/10/23 (土) ~ 2021/11/03 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

古典バレエを初めて生で見た。チャイコフスキーの音楽はもちろん、ダンサー、衣装、美術などあいまって見事なダンスパフォーマンスであった。ワルツ、ソロ、デュエットetc、なんといってもバレエの多彩なダンス表現を堪能。言葉を使わない、セリフを遠くまで聞かせる必要がないので、マイクのない時代の大劇場でも、これなら楽しめたとわかる。

物語は別にすじを教えてもらわないと、舞台を見ただけではわからない。それは仕方のないところ。大きな枠組みがわかった上で、場面場面のダンスを楽しむのが良いのだろう。

前に男だけによるマシュー・ボーン版「白鳥の湖」を見たが、物語は大分違っていた。あちらは魔法使いの娘がオデット姫に姿を変えて現れるなどなく、舞台も現代。拝金主義や通俗的享楽への批判があった。

いのち知らず

いのち知らず

森崎事務所M&Oplays

本多劇場(東京都)

2021/10/22 (金) ~ 2021/11/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

いわく言い難い芝居で、見ながら終始スッキリしないもやもや感がつのった。中学からの親友で一緒にガソリンスタンドを経営する夢を持つロク(勝地涼)とシド(仲野太賀)。ある施設の門番をしているが、先輩門番モウリ(光石研)から、「この施設では死者を生き返らせる研究をしている」といわれ、戸惑う。モウリの話だけで、観客もそんなことは信じられない。当然、アリもしない話をもとに、ああだこうだともめる舞台をうさんくさい思いで見ることになる。

すると見えてくるのは男たちのマウンティング合戦。モウリとロク、ロクとシド、シドとモウリ、という二人組の会話を軸に(「二度目の夏」と同じ)腹のさぐりあい、非難のぶつけ合い、優位の競い合いになる。ここらへんは話の不条理性といいピンターのよう。不条理といえば、来るかどうかわからない何かを待っている「ゴドー」のようでもある。

「しょせん言葉じゃないか」が口癖の高校時代の共通の友人は、言葉の裏など探らない、ストレートな言葉の使い手だった話。学ランを木に引っ掛けて、これからの夢を、過去にあったことのように語り合い、みんな死んでしまったあとのフリをする「学ランごっこ」の思い出。ロクとシドがそれぞれに相手には隠している問題。施設で療養していた双子の兄を探しに来たトンビはどうなったのか。などなど、互いに関係ないようなこれらが、最後にパッと結びつく。

ネタバレBOX

何が本当かわからない不条理劇的テイストが、ラストで意外な結末になる。冒頭と同じ、所長に呼ばれたシドが帰ってきた夜の続き。シドが録音したはずの声が、テープには録音されていなかった。この結末自体、どううけとるかは単純ではない。素直に取れば、それまでの疑いが一気に晴れ、こちらの解釈が全部ひっくり返るような驚きだった。
Home, I'm Darling

Home, I'm Darling

東宝

シアタークリエ(東京都)

2021/10/20 (水) ~ 2021/11/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

外に出たくない女性の、現実逃避から、どうやって抜け出るか、の芝居である。ジュディ(鈴木京香)の花柄ワンピースのかわいい奥様ぶりにおどろく。甲斐甲斐しい主婦ぶりとあわせて、倍賞千恵子に似ていると思った。時間が立って思い返すと、前半はかなり図式的な気がする。後半、夫ジョニー(高橋克実)が「君は夢の世界に住んでいる。僕にはこんな生活はいらないんだ」と本音を言い始めるところからが見どころ。もう一つは、母シルヴィア(銀粉蝶)が娘の勘違いに腹を立てて、50年代の混乱と家父長制と女性のいきにくさを語る圧巻の長台詞。びっくりした。

シルヴィア「あんたのやっている(専業主婦)ことは男が望むことよ」
ジュディ「どうして家事は評価されないの」
シルヴィア「男がやらないからよ」
ジュディ「働け、働けって、それって、資本主義的すぎない?」
男の保護家から抜け出ようとすれば、資本主義の賃金奴隷になってしまう。自営業は別だが。その矛盾をサラリと示したセリフで、注意を惹かれた。

ネタバレBOX

隠しておいた銀行の督促状が夫に見つかって、幸せの拒食が剥がれるところ、「人形の家」みたいと思った。パンフによれば、作者もイギリス初演の俳優陣も現代版「人形の家」と十分意識していたそうだ。ただ、家に閉じ込められていたノラと違い、ジュディは必死に家に閉じこもっているのだが。

最後「まだ愛しているわよね」「愛しているよ」と確かめ合う。「愛している」と日本人は普通あまり言わない、日本人の戯曲にもあまりない。「紙屋悦子の青春」は「迎えに来る」「待っている」と行為に託すし、「フタマツヅキ」も父母は「家族じゃない?」「続けてほしいの」といい、息子カップルは「今告白する?」「同棲しよう」「入り浸るよ」など。工夫である。
フタマツヅキ

フタマツヅキ

iaku

シアタートラム(東京都)

2021/10/28 (木) ~ 2021/11/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

売れない芸人と、それを支え続ける妻(清水直子)、父親が嫌いな息子。何を言われても決して怒鳴らないでユーモアある話芸風に返す父親(モロ師岡)の飄々とした生き方に感心する。息子のカラク(杉田雷麟)もいい。小学校で父親の高座を体育館で開いたとき、舞台で父が息子をいじったためにクラスで笑われて以来の積もり積もった父への嫌悪を、20歳の、思春期ではないが大人でもない、少ない言葉とあからさまな態度で表していた。

なかなかシリアスな舞台だが、息子にモーレツアタックするバイト仲間の女性(幼馴染らしい=鈴木こころ)の天真爛漫な明るさが救い。この二人も支え、支えられる関係になりそうで、父母の関係とだぶるのは心憎いつくりである。

装置は、舞台中央の4畳半の畳の部屋とテーブルを置いた板の間の、ふすまで接した「二間続き」のセットだけ。くるくる回転して、この二間の家以外の場所もあらわす。

ネタバレBOX

若いスグル(長橋遼也)とマサコ(橋爪未萌里)が、沢渡小劇場のあるビルの屋上で出会ってから付き合うようになる場面が同時並行で描かれる。これが現在の父母の若い頃とは最初はわからない。(劇場の名前や「笑うカド」の企画、スグルの名で、注意していればわかるが)が、なぜ妻がそこまで夫を支えるのかが、死のうとしていたときに救われたからと言う過去があるからとわかってきて、納得できる。

落語「初天神」を父と息子で演じるクライマックスも良かった。あれ、短いなと思ったら、この落語は「凧揚げ」のネタが続くそうで、その前に息子が下げてしまったということだそうだ、

友人は「どんなときでもやめないで頑張れと応援してくれるのは励みになる? 重荷になる?」と、そこを気にしていた。私は息子の「支えてもらう生活だって、自分で選んだものじゃないか。だったら最後まで貫けよ」というセリフが刺さった。ロビーで作者の横田さんに「つらぬくことがだいじですよね」と感想を話したら、「それで苦しんでいる人の話なんですけどね」と返された。それはそのとおりだ。苦しいからこそ、貫くことは重みがあるし、迷いも起きる。

横山拓也の芝居は私のお気に入り。「エダニク」「熱い胸さわぎ」など笑いと痛みに満ちた傑作だった。今回も秀作である。

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