うさぎライターの観てきた!クチコミ一覧

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神様のいないシフト

神様のいないシフト

芝居流通センターデス電所

駅前劇場(東京都)

2012/07/19 (木) ~ 2012/07/23 (月)公演終了

満足度★★★★

びつくり!
軽~いお話かと思っていたら、何だかブラックになって
すごいことになって終わった。
ほんとびっくりした。

ネタバレBOX

ミチル(岸潤一郎)は今日もバイトを休みたいと電話している。
同棲しているナツミ(山村涼子)が宙に浮くのだ。
でもそんなこと言っても信じてもらえないから、適当な嘘をついている。

生演奏(和田俊輔)で歌が挿入されるのが面白い。
とってもゆるい(笑)ミュージカルみたいで、のほほんと若いカップルの
よくある互いを理解するのに必要なプロセスである
“相手を試す可愛い嘘”のお話かと思って観ていた。
ところがナツミの悪魔憑きは嘘だったと判明してからの転がるような展開。
えーっ、そういうことだったのかと後から前半の伏線が浮かび上がってくる。

ナツミが通り魔の犯人であったという衝撃の事実が、それまでの軽い笑いをぶっ飛ばす。
隣の小野寺さん(丸山英彦)に対する優しさの直後の凄惨な殺人、
あれほど望んでいたミチルの「結婚しよう」という言葉に対する返事が
自分が通り魔であることの告白となってしまう。
神様のいなくなった、というか神に見放されたようなこの国で
悪魔のつけ入る隙ならいくらでもあるだろう。
そしてまさにナツミに、悪魔はとり付いてしまった。

豹変するナツミに説得力があるのは演じる山村涼子さんの力だ。
前半と後半のギャップの大きさ、孤独な殺人者の言葉が良かった。
ナツミを好きだった隣の小野寺さん役の丸山英彦さん、
誕生日のプレゼントを渡しに来た時にキャラがにじんでその後の展開を痛々しくする。
ミチルの同僚まどかさん役の國武綾さん、細い身体でパワフルな声、
「ウチが勝手に呼んだんじゃ エクソシストを~♪」と歌い
キレよく踊って存在感大。

当日パンフに挿入歌の歌詞が出ていて
「変わらないことなんか無い」という歌が出ている。

──土が揺れて 煙上がって 泥が汚れるように
  変わらないことなんて無い
  変わらずに居ることなんて無い
  人も 土地も 誰も 彼も 国も 海も
  変わらずに居ればよいと望みはするけれど
  かわっていくものは 仕方が無い♪

震災後の日本の“神様のいない”状態にありながら
変化を受け容れたくない、今までのままがいいと言う自分を自己批判するような歌だ。
作・演出の竹内佑さんの“天から地へまっさかさま”みたいな
ギャップの大きさが描き出す、思いがけなくシリアスなテーマ。
どんでん返しの重なるブラックホラーコメディにびっくりしつつ
神様のいないシフトが当分続きそうなこの国を思い憂えたのだった。
『孤独の惑星 (コドクのホシ)』ご来場ありがとうございました。

『孤独の惑星 (コドクのホシ)』ご来場ありがとうございました。

演劇ユニットG.com

劇場HOPE(東京都)

2012/07/20 (金) ~ 2012/07/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

愛の失敗
フライヤーには赤い大きな星が描かれているが、
当日パンフでは青い星になっていた。
この“赤い太陽”と“青い太陽”が交互に昇る惑星は知性を持っていた。
惑星が知性を持つと、観察していたはずのヒトが観察されるようになる…。

ネタバレBOX

友人の数学者柳葉(藤井びん)に呼ばれてその惑星にやって来た
心理学者冬月(志村史人)は、彼の変わりように驚いた。
ステーションには他に生物学者の砂川(内藤羊吉)と物理学者猿田(園田シンジ)もいる。
何か隠している、そしてここには誰か他の人間がいる…。
そして柳葉が自殺する。

その夜、冬月が目覚めると死んだはずの妻が部屋にいた。
妻は彼との不仲を苦にして自殺したはず。
だが幻ではない証拠に、触れることも会話することもできるのだ。
恐怖と混乱で我を失う冬月。
やがて柳葉たちにも同じように誰かが(お客さんと呼ばれている)いることがわかる。
どうやら一番深い“心の傷”に関わる人物が現われるようだ。
そしてお客さんを送りこんで来るのは、知性を持つこの惑星の海らしい。

忘れたはずの傷がリアルに再現されて男たちはふたたび傷ついている。
今度は失敗しないように努力したり、
辛くて逃げ出そうとして、お客さんをロケットで宇宙へ飛ばしたり、
あるいは殺したり…。
だがお客さんたちはすぐに戻ってくる。
過去の記憶もなく、無邪気に、「不安だから一緒にいて」と──。

こうして過去の”愛の失敗”が際限なく再生される。
忘れようにも目の前に相手がいるのだから忘れられるはずがない。
科学者を惹きつけてやまない惑星は、同時に深層心理に忍び込んで精神に作用する。
観察していた人間は、惑星の海に“観察されていた”のだ
恐怖と懐かしさに翻弄される男たちは次第に疲弊していく。

柳葉は自殺し、砂川は一人地球へ帰った。
冬月はステーションから知性の海へと降りて行く。
ひとり残った猿田は科学者としてこの惑星を離れられなかっただけではない。
永遠の母親の愛を振り切ることが出来なかったのだ。
ラスト、知性を持つ海に立つ冬月を、照明が絶望の色で映し出す。

ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムが1961年に書いた小説「SOLARIS」が原作。
あらためてすごい本だと思う。
「好奇心」と「探究心」に名を借りた人類の傲慢さが完膚無きまでにつぶされる。
「忘れる」という行為がいかに人を救うか、
逆に「忘れられない」ことがいかに残酷なことか。

冬月役の志村史人さん、最初はちょっと格調高すぎと感じたが
その端正な美しさ故、中盤次第にぐだぐだになっていく変化が際立った。
柳葉役の藤井びんさん、さすがのくたびれ具合に説得力あり。
素朴な口調が、翻弄された果てのあきらめを漂わせていた。
科学で説明のつかない出来事を苦悩しながら受け容れた結果
どこかで”永遠の愛”を求め続けて破たんしていくプロセスが鮮烈。
赤い太陽と青い太陽が交互に昇る惑星の時の移り変わりを示す照明がとても良かった。

この小説から50年経った今、人類はますます傲慢になって他の星を征服しようとしている。
だがそこがもし、知性を持つ孤独な惑星(ホシ)だったら
科学者も人類も敗北は目に見えている。
お得意の「忘れる」行為が許されなくては、人は生きて行けるはずがない。
Shambles

Shambles

劇団スクランブル

シアター711(東京都)

2012/07/19 (木) ~ 2012/07/22 (日)公演終了

満足度★★★★

女と犯罪
花で飾られた美しい銃のフライヤーが“女と犯罪”をイメージさせるが
”ヤワ”か”ヘン”な男に比べて、強い女の心意気が楽しい舞台だった。
ラストの「どっひゃー!」が良く出来ている。

ネタバレBOX

仲の良い5人(うち夫婦1組)が、メンバーの一人の父親が所有する別荘へやって来た。
台風に見舞われてようやく辿り着いたのだが、
何とそこには死体が3つと9900万円の現金が入ったアタッシェケース、拳銃付き。
警察へ通報しようにも携帯の電波も入らない山の中だし、車を出そうにも台風だし…。
というわけで謎解きするうちに「これ、山分けしない?」という話になっていく。

実はそれぞれ深刻な“金の悩み”を抱えていたのだ。
シングルマザーは、一人息子の病気の治療のために、
夫婦は友人の連帯保証人になったばっかりに借金を背負い、
別荘の持ち主のパパは、脱税の罪を一人で背負わされて捕まっちゃった…。
職務に忠実だった刑事の真実(竹内もみ)も、友人たちの苦境を知ってついに折れた。

「どうせ被害届なんて出せない金に違いない」
「死体さえなければ事件は無かったことになる」
「だから死体を切り刻んで消してしまおう」

という結論に至るのだが、同時に謎解きも試みられる。
この3人は誰なのか、なぜ大金が(妙に半端な)残されているのか。
銀行強盗説、悪の組織説、仲間割れ説、男女関係のもつれ説等々…。
仮説が立てられるたびに、いきなり死体が動き出して再現ドラマが始まる。
これがメチャメチャ可笑しい。
3つの死体の中でも、ヘンな顔とヘンな動きで“怪しさ全開”の男(中根道治)が
毎回他の2人の女をイラつかせて強烈な印象を残す。

そして最後の再現ドラマには、刑事の真実が加わっている。
彼女こそが、3人を殺して金を奪った犯人だった。
刑事としての仕事に限界と疑問を感じ、
困っている友人たちを救いたいと決断しての犯行だった。
その再現ドラマの終盤、第一発見者の祐花(藤井牧子)が
死体の次に金に気付いてバッグに詰め込むところが再現された。
そして叫び声を上げて仲間を呼ぶ前に、客席を向いてにやりと笑う。
そのスゴイ迫力に火サスもびっくり。
この人の台詞のテンポやギャグの間にセンスを感じる。
全ては、ラストのこのギャップの為だったのだ。

スピーディーな展開とシャープな切り替え、
個性的なキャラ設定が功を奏して
コンパクトな上演時間ながら充実してとても楽しかった。

犯罪者の背中を押すのは、時に正義だったりする。
たとえそれが独りよがりで偏った正義だとしても。

それにしても己の信じる正義の為なら殺人もやってのける決断力、
こういう腹くくった潔さ、やっぱり男より女だわ。
僕の中にある静けさに降る、騒がしくて眩しくて赤くて紅い雪

僕の中にある静けさに降る、騒がしくて眩しくて赤くて紅い雪

天幕旅団

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2012/07/19 (木) ~ 2012/07/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

驚愕の7人の小人
“白雪姫の遺体”から始まる今回の本歌取りファンタジーは
ダークな、だが今の時代に超リアルなサスペンスファンタジーだった。

ネタバレBOX

劇場に足を踏み入れると、長方形の大きなテーブル、椅子が4つというシンプルな舞台。
その舞台を二方から臨むように客席が用意されている。

暗転の後、テーブルの上には両手を胸の上で組んだ白雪姫の遺体。
3人がそれを椅子に座って見守っている。
やがて時間が巻き戻され、「白雪姫」の物語が始まる──。

白雪姫の渡辺実希さんがとてもきれいで役にぴったり。
イケメン王子の渡辺望さんととても良いコンビだ。
ちょっとごつい佐々木豊さんが女王になった時、一瞬意外な感じもしたがすぐ馴染んだ。
7人の小人を演じ分ける加藤晃子さんのメリハリある切り替えに脱帽。
この人の演技がラストですごい効果を発揮する。

全員が様々なデザインの白い衣装をまとい、複数の役を担う。
役者2人がカラーゴムを持って窓枠や鏡を作ったり、
赤い毛糸で流れる血を表現したり、リンゴになったりといった小道具も面白い。
舞台をハケても丸見えの状態で、役者は待機したり小道具を用意したりする。
天幕旅団の4人の息の合った動き、バランスのとれた個性を見ると
とても良いチームだと思う。

冒頭少し4人のダンスのような動きが挿入されるが
もっとメリハリつけてはっきり“踊る”か、
台詞に集中するかどちらかにした方が良いような気がした。
台詞と説明が早口で最初のうち少し落ち着かなかったせいもある。
言葉が転がってしまって、十分伝わって来ないもどかしさがあった。
コビトが出て来てストーリーが熱を帯びてくるとそれは気にならなくなった。

さて、小人の家で彼らの世話をしながら暮らすことになった白雪姫だが
小人の暮らしは激変した。
最初は衝撃的な出来事も、日々繰り返されるうちにそれは当り前の日常となる。
それが幸福な日常であれば、習慣化するのも早いだろう。
守るべきものを得て初めて、人は失うことを怖れるようになる。
崩壊の予感に怯え、過敏になり、侵略者など到底許せない。
後から来たくせに白雪姫を奪おうとするこの男を受け容れることなど出来るものか。

「白雪姫」の物語の中で善人の象徴みたいな存在である7人の小人が
ここでは屈折したキャラクターとして描かれ、大きな鍵となる。
加藤晃子さんのコビトのキャラが後半揺れて交差するあたり
絶妙のバランスに見とれてしまった。
そうだったのか、7人の小人!
これはまるでコミュニケーションに病み疲れた現代の若者ではないか。
あんまり面白いのでネタバレするのが勿体ない。
ただ一つ言えるのは

「白雪姫よ、お前を憎む女王よりも、
お前を愛する者にこそ気をつけよ」

──これじゃバレバレか。
「宇宙みそ汁」 「無秩序な小さな水のコメディー」

「宇宙みそ汁」 「無秩序な小さな水のコメディー」

燐光群

梅ヶ丘BOX(東京都)

2012/07/02 (月) ~ 2012/07/20 (金)公演終了

満足度★★★★★

「詩」が「劇」になるとき
私にとって初めての燐光群を梅ヶ丘BOXで観る。
「宇宙みそ汁」は詩人清中愛子さんの詩や手記、メールなどを、
坂手洋二氏が一切書き加えることなく編成して劇に仕立てたというものである。
その結果、戯曲として書かれたものではなかったにもかかわらず
「詩」が自然に伸びをして四肢を広げたような世界が現われた。
 

ネタバレBOX

「地球に向かってただ一人 パラシュートで降り立っていく」
と小さな台に乗った役者がバッとエプロンを広げる冒頭のシーン。
主婦の孤独な日常を俯瞰する象徴的なオープニングだ。
孤独なのに、力強くて明るい。

清中愛子の視点は、台所の定点カメラが次第にひき上げられて
東京を、日本を、地球を俯瞰してどんどんヒキの映像になっていくように
そしてまた台所へと戻っていくように伸縮自在だ。
彼女は自分の感情よりも、息子を含めた日常を寄ったり引いたりしながら眺めている。
社会から切り離された親子2人だけの孤独と濃密な時間を
シャカリキになって働く一方で、距離を持って眺める視点を感じる。

「詩」が、朗読ではなく戯曲として成立するのだという新しい発見。
それはもともと「詩」が厳選された言葉=台詞で出来ているからだろうと思う。
清中愛子の言葉は極めて具体的に自分の日常を語り、
聴く者の想像力を大いにかき立てる。
ただし坂手氏による、詩人の手紙やメール等の散文を加筆せずに織り込むという
過程があって初めて実現するもので、この繊細な構成作業が素晴らしい。
この作業の結果、朗読ではない三次元の劇として立ち上がった。

役者の動きも、リーディングによく見られる“控えめな動作”ではなく
“言葉から派生した”動きが、きちんと“振り付け”されているから説得力がある。

もうひとつの「無秩序な小さな水のコメディー」は
「入り海のクジラ」「利き水」「じらいくじら」の、水にまつわる3小品である。
くじらの「頭」「肉」「骨」に分かれた3人の姿勢など演出の工夫が面白く
短いながら戦争や原発問題の本質を突く内容となっている。

詩の言葉が持つリズムと勢いを再現した役者陣は皆熱演で
画期的な本を豊かな表現力で忠実に再現している。
年配の役者さんの言葉に安定感と味わいがあって劇団の個性を感じる。

公演のあとのアフタートークで、20周年を迎えた
梅ヶ丘BOXの歩みや思い出などが語られた。
靴を脱いで上がるこの小さなアトリエに
役者さんの創意工夫と制作のプロセスが沁みついていることが伝わってきて、
改めてしみじみとアトリエ空間をながめた。。

熱い出汁に落とした味噌の塊が次第にほどけていく感じにも似て
「詩」の世界がゆるりと四方に広がり始める。
この場に立ち会えたことをとても幸福に思う。
私もエプロン広げて、みそ汁の鍋を高みからのぞき込みながら──。
東京ノート

東京ノート

青年団

東京都美術館 講堂ロビー(東京都)

2012/07/15 (日) ~ 2012/07/25 (水)公演終了

満足度★★★★

フェルメールなう
東京都美術館の講堂ロビーで行われた公演で、初めての「東京ノート」。
ミュージアムショップの前を通り過ぎた突当たり、階段を降りたところに講堂ロビーはある。
美術館という空間に溶け込むような演技だった。

ネタバレBOX

物語は美術館のロビーで待ち合わせて、久しぶりにみんなで食事をしようと
レストランを予約している家族の会話を中心に繰り広げられる。
独身で親と同居している長女を始めとする5人兄弟に、
長男次男はそれぞれの連れ合いも加えて総勢7人の一族が集まってくる。

親の老後、離婚問題、仕事や結婚などそれぞれの抱える悩みが
ちょこちょこ顔を出しては押し戻されたり押し殺したり…。
「久しぶりなんだからそんな話はよそう…」と言いつつ
「そんな話」しかもう話題がなくなっているかつての家族──。

この一族の他にもロビーには様々な人々が行き交う。
ヨーロッパで起きた戦争は次第に拡大しそうな様相を見せていて、
NPOの平和維持活動に参加するという恋人を引き止めたい若い女性や
かつての恋人と偶然再会した女子大生、
この美術館に父親から相続した絵を寄付しようとしている女性、
美術館の学芸員等々…。

戦争というとんでもない現実が日本にも影響を及ぼそうという時に
人々は足元の日常ばかりを見つめ
半径3キロメートルの生活圏で嵐のように翻弄されたりしている。
爆弾でも落ちてこない限り、戦争も原発も遠いところで起きているにすぎない。
悲惨なニュースを見ながら普通にごはんを食べるような両極の混在。
戦争を話題にし、時に涙し、十分憂えてもいるのに、
取り敢えず当面の大事は親の面倒を誰がみるか…それが日常。

相変わらずのリアルな同時多発会話に自分がロビーにいるような錯覚を起こす。
いや、本当にロビーにいるのだ。
そして役者たちが「フェルメールの絵」のことを話している。
今会期中の話題の画家について、まるで展覧会と連動しているみたいだ。

「私たちはこの絵の光の当たっている部分しか見ていない。
 光の当たらない暗い部分は無いも同然・・・」という意味のことを言っている。
これは世界のごくごく一部だけを見て生きている私たちそのものだ。

大事なことを話す時、私たちはこんなにためらい、沈黙を必要とするのか。
どれほど他人の気配を感じながら、目の前の人と会話しているのか。
改めて日々のコミュニケーションを観察する思いで舞台を見つめる。

長女を演じる松田弘子さんの存在感、リアルなキャラが印象に残る。
一人で親をみる覚悟と不安、それを吹き飛ばすための前向きキャラ、
明るい押しの強さ、「人の不幸話を聞くと嬉しい」と素直に口に出す呑気さなど
「こういう人いるいる」感満載。

画家の絵画表現と人生の重ね方が巧みで、今回のフェルメールの企画の一部みたい。
美術館の構造を生かした舞台も面白い。
東京都美術館の奥行きあるスペースを取りこんでいたので
役者さんの移動に若干時間がかかり、その分テンポが落ちた気もするが
それさえも場の個性と言えるかもしれない。
美術館によって別の動線、別の演出になるだろうし、その変化も面白そう。
空間の力を味方につけた芝居であり、観る側もそれを楽しめる芝居だった。
「20世紀少年少女唱歌集」

「20世紀少年少女唱歌集」

椿組

花園神社(東京都)

2012/07/13 (金) ~ 2012/07/23 (月)公演終了

満足度★★★★★

役者の力と演出の力
客席のあちこちから知り合いを呼びとめる弾んだ声、
団扇パタパタ、ビール飲みながら開演を待つ。
見下ろすセットは土埃巻き上がる廃線路引き込み線の奥、野原、立ち並ぶバラック。
歌謡曲がたっぷり流れて昭和の匂いが立ち上る。
野外劇の喧騒と解放感が今年もやって来た。

ネタバレBOX

紙芝居屋(外波山文明)が自転車をひいて出て来る。
紙芝居仕立てで客に注意事項を伝え、これも恒例となった
「花園神社は新宿区の避難場所に指定されております!
 皆さまはもうすでに避難しているのです!」
という言葉に今年も客席は爆笑、こうして夏の椿組が始まる。

舞台は関西の地方都市。
戦争で傷ついた身体を寄せ合うように4姉妹とその家族が暮らすのは
廃線路の引き込み線の奥にある小さな一角。
バラックの汚れとしみったれ具合、トタン屋根などがリアルに再現されたセット。
戸口にかかる布が花園神社を吹き抜ける風でハタハタとひるがえり
吹きっつぁらしの野原の風が客席まで通る。
野外劇の土と空間を生かした素晴らしい舞台美術(島次郎)だ。

国から立ち退きを迫られている場所であり、「むこう」側へ出て行く住民もいる。
「むこう」は楽園だと信じる若者、どこへ行っても同じとあきらめる者、
ここに残ってもがいている者、小さなコミュニティは毎日嵐のようだ。

物語は、4姉妹の長女冬江の娘ミドリの子ども時代を中心に
長じてミシンの訪問販売の仕事で再びこの町を訪れた彼女の心情を挟みつつ展開する。

この子ども時代のミドリを演じる青木恵さんが素晴らしい。
ミドリは「俺は男になって船乗りになるんや!」と叫ぶ“男になりたい少女”である。
男性が演じているのだと思って当日パンフを何度も見たが
可愛らしい女性の写真にびっくりした。
少年役の中で最も男の子らしい男の子だった。
話す口調、仕草、黙って立っている時から、潔癖な子どもらしさまで
21歳だという若さだけではない、なりきりぶりと作り込みが素晴らしかった。

長女冬江役の水野あやさん、美しい人なのに
徹底的に水商売のケバくてくたびれたおばちゃんになっていてとてもよかった。
子どもミドリの為に水商売に入ったであろうに、その職業ゆえ
ミドリから「お母ちゃんみたいになりたくない」と言われてしまう。
その哀しみが伝わって来て最後じーんとしてしまった。

次女秋江役の福島まり子さん、“大助花子”の花子みたいなおばちゃんが
あまりにもハマっていて、大いに笑った。

三女春江役の井上カオリさん、足の悪い(こちらが痛くなりそうな歩き方が上手い)
全てをあきらめて笑っている菩薩のような女かと思いきや
実は自分に正直な業の深いところを合わせ持つ複雑な女を熱演。

この春江をめぐって男二人が争う場面がものすごい迫力でハラハラした。
春江の夫役池下重大さんと、夏江の夫役亀田佳明さんが取っ組み合いのけんかをするのだが
井戸端に置いてある桶の水に顔をつっこんでいるうち、
亀田さんの口の辺りから超リアルな血が流れて
客席が一瞬ひやりとしたのを感じた。
だって血糊をつける暇なんて無かったはずだし、
でも口からシャツが真っ赤だし、血糊より薄い色だし、あれ本物じゃない・・・?
大丈夫だったんでしょうか、亀田さん?

秋江の夫役恒松敦巳さん、片腕を失って尚一家の大黒柱であり、情に篤い男の
誠実な人柄がにじみ出ていてとても良かったと思う。
この人が出て来ると場が安定して落ち着く。

ミドリを含む少年たちの遊びのシーンに、定型でない勢いがあって
それがテントの中の空気を一気に“あの時代”に変える。
ストーリー全体に骨太な演出の力強さを感じる舞台だ。
ラスト、大人になったミドリが、大嫌いだったあの町のあの時代を
ずっと大事に抱えながら生きてきたことがしみじみと伝わってくるが
それを丁寧に説明するあまり若干引っ張り過ぎた感がある。
向日葵のシーンが出色なだけに
そこへ辿り着くまでが少し冗長な印象を受けた。

これも恒例の“毎日打ち上げ”と称する公演後の飲み会も楽しかった。
このセットを組み、芝居をし、バラして、役者たちはまた次の仕事に備えるのだろう。
21世紀になって、あのころよりずっと暑い夏が過ぎて行く──。
『(諸事情により)よろず相談始めました。人間科学隙間研究所』~お陰さまで全日程終了致しました。次回作も御期待下さい。

『(諸事情により)よろず相談始めました。人間科学隙間研究所』~お陰さまで全日程終了致しました。次回作も御期待下さい。

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2012/06/29 (金) ~ 2012/07/16 (月)公演終了

満足度★★★★

二度観チケット
二度観チケットとは、チケット1枚で1度観てもよし、2度観てもよしという
観客へのサービス精神と己に鞭打つサディスティックな試練に満ちた取り組みだ。
この日、私は2度目だが他のお客さんの多くは1度目だろう。
そのどちらも満足させる舞台をどう作るのか、楽しみに出かけた。

ネタバレBOX

「2度目のお客様に差し上げております」と
受付で素朴なオリジナルプリントのエコバッグをいただいて中へ入る。
このエコバッグ、“夏休みの提出物”っぽい柄なんだけど
夢現舎らしさ満載で何だかかわいい。

さて、舞台は中盤まで前回と同じだったが、
相談者が来た辺りからちょっとずつ削ったりしてテンポ良く進む。
そして「魔方陣」(エロイムエッサイムの魔法陣ではない)が出て来たあと、
前回とは全く違った展開を見せた。
何と大天教授(益田嘉晴)が客席へやって来たのだ、電卓を持って…。
おっとそう来たかという展開に笑ってしまった。

研究所の職員は皆大天教授を尊敬していたのに
次第に教授の過去が明らかになり、彼の“逃げ”の人生も明らかになる。
でも「あの時のあんたのひとことで俺の人生は狂ってしまった」
「私を救ってくれるのはあなたしかいないんです」
な~んて言われてもねぇ教授、困りますわな。
他人の人生にそこまで責任を求められる、生きにくい世の中であり、
“思いこみ”と“他力”に頼って生きる人が多くなったということか。
その結果ストーカーや通り魔事件、宗教がらみの事件などが増えたのかもしれない。

しかし大天教授は「知らねーよ、そんなもん!」とは言わず、彼らの前から姿を消した。
テレビで引っ張りだこの有名人だったのに
どこかで責任を感じ、自分を責めて、社会の隙間に逃げ込んだのだ。
いい加減な人のようで、実は一番誠実な小市民は彼ではなかったか。
その彼を救ったのはただ一つ「まあ、いいか」という言葉だったのだ。
誰も言ってくれないから、自分で言うしかなかったのだ。

役者陣は皆熱演だが、振れ幅の大きさ、自在さと言う点では
大天教授(益田嘉晴)が群を抜いている。
どんどん顔色が悪くなっている研究員溝口(高橋正樹)の
糸電話による告白シーンはとても面白かった。
夢現舎はこの二人によって色が決まる感じ。
その意味で以前の「ああ、自殺生活」の濃密な空間に最もそれが色濃く出ていたと思う。

「人間科学隙間研究所」…それは大天教授が唯一逃げ込める小さな空間だった。
あの変な狭いところから“貞子”のように這い出て来る、その奥の空間が
教授の平穏を保つただひとつの場所だったのである。

研究所を閉鎖し所員もバラバラになって、彼らはこのあとどうなるのか。
次なる隙間を求め「諸事情」を抱えて、それぞれの人生を探しに別れ別れになっていった。
きっとまた新たな隙間を見つけて、自分の居場所を確保するものと私は信じている。
ああ大天教授よ、どこへ行く・・・。


追伸
これまで3回のロンドン公演、エディンバラ演劇祭全期間出場を自力で敢行した夢現舎が
次はフランス公演を目指して参加者(俳優・制作・スタッフ等)を募っている。
すごい!自力で海外公演?!
この”無謀なる”企てに参加したい人、どうぞ応募してください!
私は何もお役に立てないが、あとでDVDなど観たいと思います。
(人間が小さくてすいません…)


アリスのいる部屋

アリスのいる部屋

メガバックスコレクション

ART THEATER かもめ座(東京都)

2012/07/07 (土) ~ 2012/07/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

構成・役者・美術
劇場に足を踏み入れた途端、あの美しいブルーのフライヤーの続きが現われ
一体この部屋の主はどんな人なのだろうと想像しながら開演を待った。
最後の最後まで目が離せない脚本構成の上手さと
2時間15分緊張を途切れさせない役者のレベルの高さが素晴らしい舞台だった。

ネタバレBOX

フライヤーを再現したかのような照明に浮かび上がる部屋が美しくて見とれてしまった。
ぎっしり並んだ本や、木の温もりと古さを感じさせるベッド、机、ベンチ、テーブルなど。
舞台の左右には木が枝を伸ばしている。

ぴちゃん、ぴちょん…という水滴の落ちる音に引かれて
アメリカ各地から7人が辿り着いた場所、それがこの部屋だ。
彼らに面識はなく、関連性も無い。
ここがどこなのか、なぜ自分たちがひき寄せられたのか誰も分からない。
なぜアメリカでアメリカ人なのか、その必然性はあとになって判る。

第1章から8章まで、8冊の本全てを見つけ出した時全てが分かる、
しかも見つかる本の順序はバラバラ、というこの構成が素晴らしい。
中盤、神父が見えない相手に向かって自分の想像するストーリーを叫ぶのだが
これが時空を超えた物語を整理してくれて、観ている私たちに大きな助けになった。
その後の展開が判りやすく、謎がくっきりと浮き彫りになった。

こういう設定によくあるヒステリックな女性を一人混ぜたりせず
7人のキャラクターが類型的でなく魅力的なのもとても良かった。

役者陣のレベルが高く、“信じ難いことを信じて結束していく”様が
鮮やかに描き出されている。
Aバージョンの神父役BOBさん、謎の多い奥行きある性格が舞台に緊張感を呼ぶ。
同じくAバージョンの学生役山上広志さん、苦痛の演技がリアルで説得力抜群。
医師役の下田修平さん、イケメンでチャラいイメージだったのが
次第に医師としての責任を全うしてリーダー的な役回りも担う変化が素晴らしい。
役者全員に、台詞のない時でも自然と目が行くようなサスペンスのだいご味があった。

このテーマ、この構成を書く滝一也さんとはどんな人なんだろう?
オープニングなど、もう少しテンポ良く進んで2時間で収まったらと言う気もするが
暗転の度に思わず(何これ、すごい…)とつぶやいて、ラストはじわりと涙がにじんできた。
メガバックス、余韻にひたりつつもう次を楽しみにしている。
ウイルス

ウイルス

大駱駝艦

世田谷パブリックシアター(東京都)

2012/07/05 (木) ~ 2012/07/08 (日)公演終了

満足度★★★

69歳のキツネ
私はダンスをよく知らないし、ほとんど観たことがない。
友人に勧められてようやく今回大駱駝艦を初体験したのだが、
漠然とイメージしていたよりはるかに洗練されていて、かつ
麿赤児のしなやかさが強烈に印象に残る舞台だった。

ネタバレBOX

私が日頃観に行く舞台とは少し客層が違う。
「ダンスやってる」系の若い人や、「アートが仕事」なおじさん風が多い。
歴史あるカンパニーだからだろうか、ファン年齢層の幅広さに驚く。

蜘蛛の巣のような太いネットが舞台いっぱいに張り巡らされ大勢の人がうずくまっている。
やがて音楽に合わせて彼らの身体が震えはじめる。
震えるだけで腹筋が鍛えられそうなほど長く続くその動きに
スポーツのような肉体の鍛錬を感じる。

次に男性が大きなワニの人形を持って踊っているうちに早くも少し飽きてしまった。
ダンスを観るポイントを知らないからどこを見ればよいのか判らない。
勢い、リズムとか動きの斬新さ・美しさを期待してしまうからなのだろう。

舞踏は、静止している時の身体がそのクオリティを表わす気がする。
鍛えられていなければ、長い時間同じ姿勢を保つことなど出来ないだろうし、
しかもそれが美しく緊張感を保持しているところがすごい。

麿赤児がキツネに扮して踊った時が、私的には一番盛り上がった。
くるくる変わる表情、顔ではなく身体全体で表す表情が豊かで楽しい。
ためらったり疑ったり、決心したり思い切って進んだり、という変化が鮮やか。
キツネは、何を言っているのか判らない言葉をもにょもにょ言って
そのたびに会場から笑いが起こる。
音としか聞き取れない中に、感情が見え隠れしてひどくおかしいのだ。
69歳の肉体が観賞に堪えるというだけでも感動する。

大向うから歌舞伎のようなかけ声が飛んだ時にはびっくりした。
年季の入った渋い声で
「麿!」
とやるのは、よほどの古参ファンだろう。

舞踏を見慣れない者としては、公演時間がもう少しコンパクトで
ソロと群舞が交互にあったりしたら、間延びしなくて楽しいのになと思う。
ファンは少しでも長く観ていたいのかもしれないが・・・。

最後の挨拶で、全員が御大を中心に楕円形を作り
その密度と厚みを崩さずにゆっくりと舞台前方へにじり寄ってきたとき
改めて大駱駝艦の凄さを感じた。
個々のメンバーの完成度と全体としてのバランスが集約されている感じ。
そしてやはり、顔といい動きといい、麿赤児さんが強烈な存在感を示した公演だった。
『(諸事情により)よろず相談始めました。人間科学隙間研究所』~お陰さまで全日程終了致しました。次回作も御期待下さい。

『(諸事情により)よろず相談始めました。人間科学隙間研究所』~お陰さまで全日程終了致しました。次回作も御期待下さい。

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2012/06/29 (金) ~ 2012/07/16 (月)公演終了

満足度★★★★

老舗の蕎麦屋
劇団史上もっとも長い名前だという今回の公演は、
人生や世の中の隙間を研究して来たこの研究所が経済的についに立ちゆかなくなり、
本来の研究ではない裏ビジネスを始めるというものである。
ダメダメ教授の「言葉」へのこだわりにひき込まれていつしか「隙間」へと入り込んでいく。

ネタバレBOX

よろず相談と言っても、相談員も怪しげなら相談に来る方も怪しいことこの上ない。
ピンクのシーツ(?)をマントみたいに首に結んで「空を飛びたい」という男とか、
相談されてもなーと思うような面々がやってくる。
ところが実は彼らには密かな目的があったのだった。
そして所長の謎に包まれた過去が明らかになる・・・。

劇団夢現舎は、その案内に始まって「二度観チケット」システムや
家でゆっくり書いて返信用の封筒で送るアンケートの方法など
手作り感あふれる対応が楽しい劇団である。
大勢お客さんを呼びたいというよりは
顧客満足度を上げることに重きを置いているような所があって
老舗の蕎麦屋のごとく1日限定20食を丁寧に作って出す感じに似ている。
コストパフォーマンスとしては大丈夫なのかと余計な心配をしたくなるが
いずれその辺りも聞いてみたい気がする。

今回も客に「二度観」を勧める以上、
少しずつマイナーチェンジをするはずで
「な~んだ、何にも変わってないじゃん」と言われないようにするのは
相当なプレッシャーだろう。

夢現舎の芝居の面白さは、「言葉の追求」だと思う。
日常の中で聞き流す言葉を拾い上げて、分解したり磨いたり削ってみたり…。
「ま、いいか」と言わず徹底的に「言葉」にこだわりこねくり回すところから
シニカルな面白みが「隙間」からにじみ出て来るのだ。

今回も研究所職員同様、観ている私たちも
教授(益田嘉春)に翻弄されたのであった。
しかも懲りずに二度も翻弄されに行く予定。
二度目は何がどうなるのか、ぜひ比較して観たい。
変化に気づかなかったらどうしよう…。

「ま、いいか」
骨唄

骨唄

トム・プロジェクト

あうるすぽっと(東京都)

2012/06/28 (木) ~ 2012/07/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

今も「骨唄」が聴こえる
再再演とのことだが、私はこれが初めての「骨唄」体験。
客席に着いた途端泣きたくなるような舞台美術が目に入る。
そこかしこに死者の気配が漂う千坊村があった。

ネタバレBOX

火をつければ勢いよく燃えそうな粗末な家。
火の見の為なのか、梯子で上がれる高いやぐらが家にくっついて組まれている。
舞台奥には裏山へ向かう道、手前には町と「エミューの里」と呼ばれる
町おこしの施設へ向かう道が舞台に沿って続いている。
そして無数の白いかざぐるまが時折軽い音と共に一斉に回る・・・。

もう二度とここへは帰らないつもりでいた故郷へ
薫(冨樫真)が18年ぶりに帰って来たところから物語は始まる。
18年前、母の葬儀の日にある事故が元で妹の栞(新妻聖子)は左耳の聴力を失った。
薫はずっとその責任を感じながら生きている。
母の死後、妹とは別々の親戚にひきとられて暮らしていたが
突然その妹が失踪したという連絡を受け、彼女を探しに故郷へ足を踏み入れたのだった。

頑固でわがままで母親を大事にしなかった父(高橋長英)を、薫はずっと嫌っている。
死んだ人の骨に細工をほどこして身近に置くという風習も、
その細工をする職人である父も、薫には受け容れ難いものだ。

父との再会は、逃げ出したエミュー(ダチョウのようなオーストラリア産の大型の鳥)を
捕まえようとするバタバタの中で意外とあっさり果たされる。
この再会がべたべたウジウジしなくて心地よい。
妹を治すという共通の目的をはさんで、確執のあった親子は次第にほぐれて行く。
それと反比例するように栞の病状は悪化の一途をたどり、彼女を奇妙な行動へと駆り立てる。

3人を結びつけるのは「かざぐるま作り」だ。
不器用な薫が次第に腕を上げて、昔駅員がリズミカルにはさみを鳴らしたように
小ぶりのトンカチでリズムをとりながら、1000個のかざぐるまを作ろうと励む。
1000個のかざぐるまが海に向かって一斉に回るとき
伝説の蜃気楼が現われて、1年中桜の花が舞う世界が見える。
そうすればどんな願い事も叶うのだと言う。
壊れて行く妹を、父と薫は守ろうと必死になるが・・・。

土地の風習とはノスタルジーだけではない、何か人を救済する力を持っている。
最後に3人のよりどころとなったのは、この切り捨てられようとする風習や伝説だった。

栞が唄う「骨唄」が美しく哀しい。
新妻聖子さん、繊細な演技とこの歌で冒頭から惹き込まれる。
何と透明感あふれる人だろう。

冨樫真さん、薫の骨太な感じ、父とのやり取りの可笑しさが
哀しいのにどこか土着の力強さを感じさせて素晴らしい。
メリハリのある演技が悲劇を予感させる舞台を明るくしている。

高橋長英さん、こういう父親の愛情表現もあるのかと思わせる。
ラスト、薫に向かって「俺より先に死ぬな」と言う時の温かさが心に沁みる。
残された父と娘が絆を取り戻したことが、観ている私たちを少し安心させる。

これが桟敷童子の舞台装置だそうだが、本当に素晴らしい。
栞の死の瞬間、バックに現われた無数のかざぐるまが一斉に回る。
死者を弔うかざぐるまが生きている者を救う瞬間だ。

不変のキャストで再演を重ねる理由が判る気がする。
このキャストで、また次を観てみたい。
舞台も役者もかざぐるまも回る、私の頭の中で今も回り続けている。
12人のそりゃ恐ろしい日本人 2012

12人のそりゃ恐ろしい日本人 2012

劇団チャリT企画

座・高円寺1(東京都)

2012/06/28 (木) ~ 2012/07/01 (日)公演終了

満足度★★★★

全部のっけ
四畳半に現代日本の問題点を全部盛りにした感じの“ふざけた社会派”は
ふざけていちゃあ出来ないようなマジな問いかけを投げて来た。
受け止める私たちに心の用意はできていたか?

ネタバレBOX

ほとんどの登場人物には名前がない。
女子高を舞台に生徒同士が呼び合う場面以外は
「大家さん」「先輩」「隣の女」「下の女」「裁判長」・・・これで十分なことに愕然とする。
私たちは名前など無くても全然オッケーな社会に生きているのだ。
逮捕されテレビに出て初めて、個人の名前は連呼される。

その連呼された「林眞須美」被告の裁判員裁判で、
最後は聞き入れられなかった少数派意見の男の部屋が主な舞台だ。

彼の部屋には職探し中の友人が転がり込み、
裁判員仲間が「やっぱり納得いかないですよね?!」と押し掛けて来る。
押し入れを開けてもトイレを開けても、絞首刑になる被告の姿が現われて
男はゲーゲー吐いてばかり、誠に気の毒な状況だ。

マスコミの報道があらゆる判断を主導するこの国の危うさ。
「裁判は仇討。被害者の家族に代わって無念を晴らす」という国民性。
ウルトラセブンの歌にのって「♪ 死刑!死刑!死刑!…」と
元気よく歌って踊る日本国民は確かに異様に映る。
だがこれが私たち小市民の現実ではないか?
「ほんとかな~」と言いつつ「テレビで言ってた」「新聞に出てた」と
報道の流れにのって私たちはぞろぞろと巨大な船に乗り込む。
何たって「事件は現場で起きているんじゃない、会議室で作られているんだ!」から。

松本サリン事件の被害者を「犯人」として吊るし上げた日本国民である。
冤罪のひとつやふたつ“誤差のうち”だ。
忙しいんだよ、次から次へと事件は起こるし人は死ぬし、
隣にテロリストが住んで、お札が葉っぱになって、もう大変なんスから。
今月は「毒物カレー事件強化月間」だぁ!
というわけで、報道陣も一億総コメンテーターの小市民も多数決を頼みに言いたい放題、
”素人の感覚が大切”なはずの裁判員制度だって、
検察側の手慣れた誘導で素人裁判員はどんどん引っ張られていく。
この辺りの描写が”テレビの前のあなた”を如実に表していて面白い。

もし自分が間違っていて、これが冤罪だったら…という恐怖心を
人はねじ伏せて勢いよく「有罪」に挙手をする。

男(熊野善啓)の、周囲からいいように振りまわされる優柔不断ぶりがリアル。
しみったれた生活感あふれるセットとドラマチックな照明も素晴らしい。
ちょっと四畳半に詰め込み過ぎかと思うほどの“全部のっけ”状態で舞台は回る。
人種差別、DV、テロ、イラク問題、女生徒と教師、孤独死、ホームレス・・・。
劇団初見の私は想像するしかないが、
80分でエピソードを絞った初期のバージョンも観てみたい気がする。

シュールな展開に戸惑いがちな後半、力技で現実に引き戻し問いかけて来るのは
顔も体型も激似の林眞須美被告(下中裕子)だ。(作っているのかもしれないけど)
日常生活に支障はないかしらと、余計な心配をしたくなるほど似てる。
彼女が「やってません!」と叫ぶ声を、私たちはどこまで検証しただろうか。

主宰の楢原拓氏は、“茶番コメディ”と言っているが
それを真に受けて口開けてぽけっと観ていると、家に帰ってから絞首刑が夢に出そう。
こういうテーマをエンタメとして成立させようという試みは貴重だと思う。
チャリT企画、これからもがつんとやってください。
パンザマスト【ご来場ありがとうございました】

パンザマスト【ご来場ありがとうございました】

青春事情

駅前劇場(東京都)

2012/06/27 (水) ~ 2012/07/01 (日)公演終了

満足度★★★★

あまりにも青春
「パンザマスト」って夕方児童の帰宅を促す放送という意味もあるそうだ。
「♪夕焼け小焼けで日が暮れて~」みたいなやつ。
ストーリーはベタな青春ものだし、わかりやすい展開だけど
仲良し3人組が一度途切れた糸をもう一度つなぎ直す作業に立ち会ううちに、
何だかうるうるして来ちゃったのはあまりにも素直な青春のせいか。

ネタバレBOX

チケットが「明向小学校 同窓会のご案内」と書かれた小ぶりの葉書になっていて
自分も2次会に参加するような気分♪

冒頭このクラスの担任影山(かげやん・大野ユウジ)が入って来て机で探し物をしている。
同僚が呼びに来て会議の為に一緒に出て行く。
誰もいなくなった教室の黒板に「パンザマスト」の文字がなめらかに映し出され
黒板消しで消すように左から消されていく・・・。
この映像が素敵だ。
先生の動きに若干“段取り感”が拭えなかったのが惜しい。


この教室に深夜、元6年1組の同窓会メンバーがやって来る。
母校の小学校で教師をしている影やんは
3次会代わりに懐かしい教室で盛り上がる仲間たちを抑えるのに必死。
この辺りはパターン化してちょっとダレたかな。

面白くなったのはガールズトークの辺りから。
女性陣のリアルな会話に場がこなれて自然になった。
この日一番客席が沸いたのは、美咲(貫井りらん)が
6年の頃好きだった御子柴君(本折智史)に現在彼女がいるのかどうか確かめるシーンだ。
期待が失望に、さらに何だか面白くない気分に変化していくところが
よく表現されていて大いに笑ってしまった。
貫井りらんさん、間と声に表情がある。
あー、わかるわかる、腹の中で「ちぇっ」て感じ。

御子柴君の名前が出る度に顔を曇らせるアッキー(加賀美秀明)とそれを気遣う影やん。
みんなの思い出話から、3人の仲良しぶりがわかるにつれ、
御子柴君が引っ越して以来、それっきり会っていないという状況に
3人の間に何かよほどのことがあったのだろうと想像がかき立てられる。

“同窓会の盛り上がり”と“謝りたいのに謝れない2人”がぐるぐる回る教室で
「臆せず悩む姿」こそが大人になりきれない証拠なのだと思う。
自分に言い訳しながらスルーする術を身につけたりして、大人は要領よくなっていく。
でもここではかっこつけずに「ええ、そーですよ、悩んでますよ」的な姿を晒す。

ラスト、影やんの応援で素直になれない御子柴君とアッキーが
あの日実現できなかった運動会のリレーを再現、バトンを手渡ししてハッピーエンド。
水戸黄門ばりにわかっている結末なのにじいんとしてしまったのは
やっぱり大人になっちゃって残念がっている自分がいるからかなぁ。

青春事情、男性陣に力の抜けた会話の面白さがあればもっと変化がついて面白いと思う。
めちゃめちゃ子どもなテンションと、大人の間と声。
いやでも大人になってしまった私としては
その両方でノスタルジーが完成するから。

それにしても影やん、最初は頼りなかったけど等身大の良い先生だ。
くじけずに教師を続けて欲しいと思わせるキャラ。
用務員さん(鈴木規史)のリレーの実況中継をするキャラもよかった。
それと二宮金次郎の学校の怪談(?)、あれが利いていて可笑しかった。
大魔神みたいな顔した金次郎が教室横切って窓から出て行くし(確か2階…)。

「もう帰る時間だよ~」と鳴るパンザマスト。
でもまだ帰りたくない…、大人になんかなりたくないもん…。


水無月の云々

水無月の云々

中津留章仁Lovers

タイニイアリス(東京都)

2012/06/21 (木) ~ 2012/07/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

「血筋」ではなく「理由」
140人のオーディションから選ばれたという14人の
“若手あるいは無名の実力ある”俳優が中津留氏のもとに集結した作品。
俳優のレベルの高さと登場人物の彫りの深さ、
そして何と言っても“犯罪の理由”に迫る緊張感ある脚本の素晴らしさ。
重低音が正面から腹に響くようなすごい舞台だった。

ネタバレBOX

昔ながらの商店街にある、健康食品などを扱う店愛甲家の茶の間が全ての舞台だ。
店から上がった和室に座卓がひとつ、隣のダイニングルームにはテーブルがある。
奥に冷蔵庫のあるキッチン、浴室などがあり
二階へ上がる暗い色のつやつやした階段が数段見える。
紺色の暖簾、あふれそうな状差し、どこにでもある絵がかかった部屋。

店主の愛甲健介は63歳、弟がいたが殺されてしまった。
殺したのは健介の長男大海だった。
愛甲家には、健介と次男雫のほかに長女水希、
それに殺された弟の娘千尋が同居している。
水希の婚約者や元カレ、雫の恋人、近所の電気屋、弁護士なども出入りしている。
そこへもう一人、刑務所にいる長男大海の嫁留偉が引っ越してくるところから話は始まる。

冒頭舞台が明るくなると、雫の部屋を兄嫁の瑠偉に明け渡すための引っ越し作業中。
首のタオルで汗を拭きながら水希の婚約者と雫が段ボールを運んでいる。
エアコンが壊れている為ハンパでない暑さ。
その暑さとだるさ、複数人で作業する高揚感を一瞬私自身が体感している感覚にとらわれた。
そのなめらかな動きと表現力に、のっけの1分ではらわた掴まれた感じ。

登場人物の設定が特殊で、よくある典型など当てはまらない人物像ばかりだ。
加害者の弟と、被害者の娘が愛し合うようになったり(いとこ同士)
結婚したけれど夫への不信感から酒におぼれて行ったり
そして美しく正義感にあふれ、常に(異様に)前向きな犯罪者の妻・・・。
登場人物全てがスポットライトを浴びるだけのバックグラウンドと号泣する理由を持っている。

ちょっと違和感を覚えたのは、何人もがひとつ屋根の下で暮らしているにもかかわらず
みな無防備で、秘密を隠そうともせずに行動すること。
大声で罵り合い、抱き合い、男を誘う・・・。
普通の感覚なら場所を変えるとか何か工夫(?)するだろう。
演出の都合上、みんな茶の間でやらなくちゃならないのだろうか?
いとこ同士が反対されながらも堂々と愛を深めて行くところは好感を持てたけど。

雫役の田島優成さん、冷静さをもったピュアな青年がはまり役。
世間が認めるはずのない恋愛を育んでいこうとする強さ、
犯罪者の家族という共通の闇を抱えた者同士の哀しさが伝わってくる。

長女の婚約者走馬役の坂東工さん、振れの大きい台詞がほとばしるように出てくる人だ。
冒頭の引っ越し場面で、そのリアルな立ち振る舞いに目が釘付けになった。
弱さをさらけ出した時には、心根の優しさがにじみ出るようだった。

雫を愛するいとこ千尋役の勝又絢子さん、ジェットコースター的展開を
大げさでなく悲劇のヒロインでなく、気持ちの変化を丁寧に見せる。
次第に強く明るくなっていく様がとてもよかった。

世間には“犯罪者の血筋”というものを真面目に信じる人がいる。
ワイドショー的に“あの家は代々○○の家だから”と言ったりする。
だが人を犯罪へと駆り立てるのは「血筋」ではなく「理由」だ。
その理由がはっきりわからないから、私たちは“血”のせいにする。
私たちは知らないうちに、誰かに犯罪の理由を与えている。
何かの目的を達成するために、無意識のうちに誰かを傷つけている。
そして時には“犯罪以外に道はない”ように誰かを追い込んだりするのだ。
明確な意図を持って、「理由」を示唆し、人を犯罪へと駆り立てる悪人もいる。

中津留さんの脚本は、正義と正義を唱える人の胡散臭さを容赦なく暴く。
勝ち組の理論に飲み込まれるものか、と立ちはだかる。
震災後の日本が“善い人とひたむきな努力だらけ”になっていることへの
不安と気色悪さを、ちょっと離れて眺めるような視点を感じる。
驚愕のラストに、ちょっとすぐには立ち上がれなかった。
何てすごい脚本だろう。
次は一体どこへ連れて行ってくれるのだろう。

それにしてもタイニイアリス、座席もタイニイであった。






失恋ワークショップ

失恋ワークショップ

シネマ系スパイスコメディAchiTION!

新宿シアターモリエール(東京都)

2012/06/22 (金) ~ 2012/06/24 (日)公演終了

満足度★★★★

セラピーか新しいビジネスか?
別れようとしている7組のカップルが「失恋ワークショップ」に参加する。
自分達の出会いから別れ話に至るまでを脚本にし、それを演じることによって過去を振り返るというもの。
“人の恋見て我恋直せ”、他人の恋バナを客観的に聞く楽しさと
こういうセラピーあるんじゃないかと思わせるものがあった。
構成の上手さが光って楽しめる。

ネタバレBOX

別れる理由がはっきりしないから、どのカップルも悶々としている。
その理由を確かめるために、フッた側、フラれた側に分かれて
出会った頃の自分を演じ、また赤の他人の恋を演じてみる。
そして最後は裁判で多数決を採って、別れるか否かを決めるというワークショップ。

これが今風で面白い。
劇中劇のような再現ドラマと、その後の意見交換を経て
思い込みと像力の欠如で自分本位にしか考えられなかった参加者が
次第にいろんなことに気付き、変化していく。
それぞれのサイドに進行役がついて、カップルを紹介、話をまとめてテンポ良く進む。
7組14人の別れの理由がとても判りやすく、組み合わせも間違えないのは
この進行役が上手く回していくこと、加えて照明の効果だ。
BGMや整然とした場面転換もセンスの良さを感じさせる。
このパターンが気持ちよく繰り返される。

「笑い」と「芝居」と「映像」の融合を目指す劇団と言うだけあって
映像の使い方が上手い。
冒頭7組の別れ話が紹介された後の、
キャストの紹介やワークショップ台本用聞き取りの様子が映像で流れるあたり
とてもわかりやすいし、コンパクトに編集されていてTVドラマか映画のよう。
びっくりするほど充実の当日パンフも素晴らしい。

バンドマンとファンのカップルのみが、結末を考えさせる終わり方だったのも面白い。
最後まで「フッた理由を言いたくない」と言った彼女の本心はどこにあるのだろう。

戦隊もののヒーロー緑山役の中澤丈さん、情緒不安定な感じがよく伝わって来て面白かった。
ゲイ役のキム木村さん、こなれた演技で安定感抜群、揺れるゲイの気持ちを繊細に表現する。
それぞれのキャラの設定が強烈なだけに、台詞について行くのが大変で
女性陣は少し台詞が浮いていた気がするが回を重ねると自分のものになっていくのかも。

はっきり理由を言わずにぼかして終わりたがるのは現代風の優しさなのか逃げなのか。
言われた方もよくわからないまま「多分こうだろう」くらいで引き下がる。
このありがちな別れ方は後悔と疑問を残し、その後長~く引きずるよ・・・。
と思っているのは私だけか?
そんなコミュニケーションのあり方に一石を投じ、新しいビジネスモデルを提示する(?)ワークショップ、じゃなくて舞台だった。


人斬り海峡

人斬り海峡

タイガー

OFF OFFシアター(東京都)

2012/06/20 (水) ~ 2012/06/24 (日)公演終了

満足度★★★★

ラストそー来るか!
作者が愛する『仁義なき戦い』の
“一度やってみたいシーン”をみんなでやってみた感じのヤクザもの。
これが笑ってるうちにびっくりの結末で、客席が一瞬シーンとなった。
やっぱり『仁義なき戦い』だ・・・。

ネタバレBOX

裏切りだの内通だのといったお決まりの出来事に加えて
まー、おかしなキャラがいっぱい並んだこと。
組長(亀岡孝洋)が貫禄あって(頭も)本物みたい。
血気にはやる組員山崎(野仲真司)、下ネタ込みの活躍に勢いがあって
指を詰める所なんかとても面白かった。(血が出なかったけど)
インドから来た刺客・ラジャライオン(宮本正也)、
なぜか鳥取から呼ばれたらしいがクールな天然で、いでたちからして可笑しい。

それにしても「例のブツ」って何よ?
チャイナ・マフィアだからひょっとしてパンダかと思ったが
あのアタッシェケースには入らないな。
中から光り輝いてたし。
あの盛り上がり方、私も後ろへ回ってのぞき込みたくなった。

最後まで「例のブツ」を引っ張ったのが良かった。
そして何と言ってもラスト。
そーかそーか、そー来るか。
客席マジで一瞬シーンとなった。

下ネタ結構だが、田舎へ帰ってカタギになるのに“天狗”はまずいと思う。
シリアスなヤクザもいけそうなキャラだからこそ、あの外さない笑いが起こるのだろう。
とっても面白かった。
空の記憶

空の記憶

演劇集団阿吽

スタジオAR(東京都)

2012/06/20 (水) ~ 2012/06/24 (日)公演終了

満足度★★★★

泣かないアンネ・フランク
「アンネの日記」を書いたアンネンフランクは
隠れ家から強制収容所に連れて行かれ、7ヵ月後にその生涯を閉じた。
そして父オットー・フランクは91歳まで生きている。
物語は、91歳になったオットーが
アンネ終焉の地ベルゲン・ベルゼンを訪れるところから始まる。
相変わらずのど元過ぎればきれいに忘れるダメダメな日本人を
痛烈に批判する鋭い視線をもった舞台だった。

ネタバレBOX

冒頭ひとりの男(蓮池龍三)が登場して語り始める。
「ここはベルゲン・ベルゼン、無数の命が奪われた場所・・・」
ベルゲン・ベルゼンというあまりなじみのなかった地名が
抑制の効いたトーンだがリフレインの度に痛切な響きを増していく。
声と言葉に人類の忘れかけた“失敗”を呼び起こす力があって一気にひき込まれる。

91歳のオットー・フランクはようやくこの地へ足を踏み入れた。
アンネとマルゴー、二人の娘が最期を迎えた場所。
一人生き残って「アンネの日記」を出版し、これを広く世界に訴えるため
精力的に講演活動などして来たが、やっとここへ足を向ける気持ちになったのだ。

そこへ白い衣装のアンネが現われる。
15歳で亡くなったアンネは、50歳になっている。
化粧っ気を排して少女がそのまま中年になったようなアンネ(熊谷ニーナ)。

隠れ家でのこと、「アンネの日記」が世界中で読まれていることなど
二人の思い出話は尽きないが、アンネの言葉は次第に核心に迫って行く。

「私たちを乗せた長い長い列車は砂漠の中を走ったのではない。
 ベルゲン・ベルゼンへ行くまで町中を通って大勢の人がそれを見ている。
 だからきっと誰かが助ける準備をしているはずだと信じていた──」

「収容所でお母さんは私の為にパンを盗んだのよ。
 私の為に、あのお母さんが!
 そして痩せこけた顔で笑ったのよ」

「100人以上の子どもたちが外で待たされている。
 ガス室がいっぱいで入りきらないから、順番を待っているの。
 これは一体何?
 ちゃんと見なさい!見るのよ、この事実を!」

そしてアンネの素朴な一言が胸を突く。
「せっかく生まれて来たのに・・・。
 大人になれないうちに死ぬなんて」

“泣かせどころ”などという陳腐な山場などないのに、観客は終始誰かしら泣いている。
しかしアンネ役の熊谷ニーナさん、この人はこの舞台で泣かない。
この設定でこの台詞なら誰が考えても泣くのは簡単なのに
「世界よ、私の声を聴け!」とばかりに決然として立っている。
こんなのおかしい、泣いている場合か!と収容所で己を叱咤し続けた
15歳のアンネ・フランクが今も疑問と怒りにまみれてそこにいる。

作者の浜祥子さんの台詞には、取材を重ねた事実ならではの説得力がある。
アンネがその怒りと無念さをぶつける相手として
生き永らえて戦後再婚もした91歳の父親という設定が良い。
父に対する尊敬と甘えを帯びて全てをぶつける娘、
家族を一人も救えなかったのに新たな家族を得たという、痛恨の思いを抱く父。

オットー(側見民雄)が若々しくどう見ても60代くらいで91歳に見えないのが残念。
父親の“生きているうちにこの地へ”という思いが伝わりにくい気がする。

前半、アンネの台詞が少し抑え気味で単調に感じた。
もっと少女らしい振れの大きさがあればメリハリがついたかと思う。
後半話がシリアスになり台詞も大きくなるが、そこへ行くまでが長く感じられる。

タイトル「空の記憶」が若干弱くて勿体ない。
舞台を見れば、この“見ていたのは空だけだった”歴史の哀しみが理解できるが
“もうひとつのアンネの日記”や“ベルゲン・ベルゼンのアンネ・フランク”を
史実と結びつけて訴えかけるようなタイトルがあったら
もっと多くの人を惹きつけるような気がするがどうだろうか。

あの悲劇は、一人の独裁者の狂気によって引き起こされたのではない。
世界中があれを放置したのだという鋭い批判。
目を見開いたまま死んでいく者たち。
その目にベルゲン・ベルゼンの空が映る。
泣かない少女が、射るような目でこちらを見ながら裸足で立っている。
so complex semi-normal

so complex semi-normal

拘束ピエロ

プロト・シアター(東京都)

2012/06/16 (土) ~ 2012/06/17 (日)公演終了

満足度★★★★

男子の偏差値
一軒家プロレスじゃないけど誰かの隠れ家を貸切状態でお芝居を観る感じ。
荒川ユリエルさん率いる若い劇団が、まさに今だから表現できるテーマ。
運動部並みの運動量で、10代の痛みにもう一度塩をすりこむようなひりひりした舞台だった。

ネタバレBOX

劇場に入ると硬い床の上にいくつかの○が描かれている。
客席は右と左の二方に分かれている。
開演10分前くらいから、役者さんがしゃがんだり携帯をいじったりしながら
舞台に留まっている。
まだ客入れは続いている。
半分始まって半分準備中みたいな感じが面白くて眺めていた。

やがて主催の荒川ユリエルさんが挨拶して深くお辞儀、
顔を上げた時には右の頬に黒いバッテンのテープが貼られて
怪我をした顔で芝居が始まった。

5人の男子が順番に思い出を語り始める──。
記号のように名前が入れ替わり、お前誰だっけ、誰でもいいや状態が廻る。
彼らは他人との偏差値の中で自分の存在価値を見いだそうとする。
自分はあいつより強いはずだ、もてるはずだ、できるはずだ、上なはずだ・・・。
一番下の者はいじめられ、サンドバックにされ、優越感の確認対象みたいに扱われる。
時には性的な興味と発散の対象として支配下に置かれたりもする。
「──な~んて事は無かったけど」のひと言で
マジ同情していた客はハズされたりもするわけだが。
本当はあったことなのに、無かった事にしたいのか・・・。

怪我したのは自分なのに、いつのまにか被害者である自分が仲間外れにされる、
という仲間意識のすり替えみたいな残酷さや
いじめられながら「自分がいなければこいつは困るだろう」と考える
存在意義の歪んだ見いだし方など10代特有の煮詰った学校生活が、
はじけるような躍動感あふれる動きと交差しながら描かれる。

実際の役者さんの年齢が20代だから
思い出を語ってもまだ新しく、それだけに再現場面はリアルだ。
まだまだ痛みの記憶を引きずっているうちに表現しておくにはベストのタイミング。
体力的にもハンパない運動量だし。
役者がその時しかできない表現ってこういうものなのかも、と思う。

台詞にリズムがあって、5人が声をそろえるところなど
共有する秘密が浮き彫りになるようで秀逸。
同時多発的な台詞や会話が飛び交うのもリアリティがあって
“人の話を聞いてない”社会のイマドキ感を感じる。
5人の台詞力が均一でこぼれる所がないから成立する演出かもしれない。
作品全体に何か作者の潔癖な性格が見え隠れするのも面白く感じた。

制服を思わせる白いシャツに黒またはグレーのパンツという衣装も効果的。
若い人の現実を眺めながら、実はいい大人もちっとも変っていないのだと愕然とする。
相変わらず他人や社会の偏差値の中でしか存在できない自分を再確認して鬱々…。

フライヤーやチケットの色の美しさ、
台詞の重ね方と、激しいがきれいな動きにこの劇団のセンスを感じる。
20代でこれを作る人が、これからどんなことにフォーカスし、
どんな台詞を書くのか、提示する普遍性をぜひ観てみたいと思う。
汚れた世界

汚れた世界

無頼組合

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2012/06/15 (金) ~ 2012/06/18 (月)公演終了

満足度★★★★

青春直滑降
新宿のシアターミラクルはぎっしりの人で、補助椅子目いっぱい出しての公演となった。
ハスに構えた劇団名とは裏腹に、青春の疑問符が対象に向かって
直滑降で疾走する舞台だった。
テーマや緊張気味の舞台挨拶に、この劇団の純粋な姿勢が表れていて好感度大。

ネタバレBOX

黒一色の壁に赤いラインが不規則に走る。
黒い椅子が2つあるだけのシンプルな舞台。

地球上の資源が枯渇する中、偶然アフリカで新エネルギー資源が発見される。
それまで民族紛争に悩むその国を見て見ぬふりしていた大国は
一転してその資源目当てに軍隊を送りこんで来る。
「人道主義」を掲げて、この国も徴兵制度を復活させ戦争は拡大の様相を見せている。

そんな中赤紙を受け取った、殺され専門の自称三流役者グン(滝澤信)は
「NOと言わないこと」に疑問を感じ、異議を唱えて徴兵を拒否、
刑事、高級娼婦、テロリスト集団、公安を巻き込んでの逃走劇が始まる。

バイクや車での追跡シーンが、無対象ながら迫力があった。
間違えればコントになりかねない場面だが、緊張感があってとても面白かった。

上の方で意志決定されることに疑問を抱かず、抱いてもあきらめて何も言わない
東電も原発も消費税も、戦争だってきっとこんな風に始まるのだろう。
飼いならされた私たちに「それでいいのか、オレは死んでも嫌だ!」と叫ぶグン。
あまりにストレートな青春疑問符疾走雄叫びロードムービーが
やけに新鮮なのは今の時代と重なるからか、自分と重なるからか。

自身の無理解から妻を死なせてしまった刑事クガを演じる酒井秀人さんの台詞に
深い理解と味わいがあって、この人の他の芝居も観てみたいと思った。

テロリスト集団アシタバのメンバー、ムロイ役の
筏“ジャック”道彦さん(不思議な名前だ)、大阪弁の飄々としたキャラがユニーク。
テロリストに絶妙なリアリティを与える“潜伏感”があった。

女性陣の台詞がまだ“台詞台詞”していて“言葉”になりきれていないのが惜しい。
必要悪の秘密クラブ(?)の女主人マリア(芝山えり子)とアテナ(堀江麗奈)の
身勝手な理屈が狂気と化しているあたり、面白いキャラでとても頑張っているが
公演後半でもう1ステージ上がったら素晴らしいと思う。

グン役の滝澤信さん、グンの持ち前の素直さ・明るさが
未来を断ち切られようとした時を境に怒りに変わるところが良かった。
途中短いダンスシーンに目を見張るものがあって“踊る人なのか”と感心した。
青臭いほど直球なストーリーを引っ張るのはこの人の雄弁な表情が大きい。

一人ひとりのモノローグに説明を頼り過ぎている感じもあるが
場面の切り替えがスピーディーに運ぶのはこのスタイルの効用かもしれない。

グン、殺され専門の三流役者なんてとんでもない。
あの死に方、一流だったぜ!

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