うさぎライターの観てきた!クチコミ一覧

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ゴリラと最終バス

ゴリラと最終バス

ぬいぐるみハンター

駅前劇場(東京都)

2013/01/07 (月) ~ 2013/01/14 (月)公演終了

満足度★★★★

演出とキャラとゴリラ
オープニングからおーっと思わせる池亀三太さんの演出が面白い。
バカバカしいけど真実、真実だけどありえな~い!
きゃーきゃー言ってる合間に点在するきらっと光る台詞。
ベタな家族愛の話なのに、ナイーブな台詞と力のある役者によって
ファンタジーワールドがぐんと広がる。
“ゆるみ”のないコメディの中で、ゴリラの腹がぷよんぷよんと揺れる。

ネタバレBOX

何にもない舞台、奥の壁はゆるい半円を描いている。
出ハケはどこからするのかしらと思いながら開演を待っていたが
短い暗転の直後、いきなり10数人が舞台上に登場していてびっくりした。
どこから出てきたのかと思ったら、半円の壁のように見えていたのは
幅広のゴム(?)で、そこを割って出入りしていたのだった。
この演出で、終始スピーディーな場面転換が可能になっている。

ストーリーを追うよりはキャラの面白さが目を引く。
話の中心となる家族の小学生清盛(松下幸史)とその妹円(浅利ねこ)、
彼らの母茜(片桐はづき)、その姉(神戸アキコ)、
清盛の同級生蛾次郎(北尾亘)、
そしてゴリラ(ぎたろー)ら“はみ出た”人々が超個性豊かで可笑しい。

「んなこと面と向かって言えるかよ!」という“照れ”と“自意識”。
内面深く沈めるか、大音響でがなりたてるか、両極端の自己主張。
現代人のコミュニケーションの不器用さを体現する登場人物たちが
時折はっとするような台詞を言うので、ますます魅力的に感じられる。
ラスト近く、茜と姉がしんみり話すところなどそれまでの落差もあってとても効果的だった。

キレの良いダンス(振り付け北尾亘)にインパクトがあって、2時間を飽きさせない。
ゴリラが回転したのにはマジで驚いた。
ちなみに私は最初、ゴリラは2頭出て来るのかと思ってしまった。
だって五郎の勤め先の小結(橋口克哉)とゴリラ、巨漢で双璧をなしているんだもん。
“太刀持ち露払い”でセットだと思うじゃない?

全体がもうちょっと短くても良かったような気もする。
初見の私にはわからないファンサービスがあったのかなとも思うけど
一つひとつのエピソードがもう少しすっきりしたらテンポが上がって
疾走感がリアルになったのではないか。

力のある役者さんが全力で走る、その振り切れたエネルギーが
観ている私たちに伝わって来て体温が上がる。
それにしてもゴリラ、君はいい奴だなあ。
久しぶりにゴーゴーカレーが食べたくなったわよ。
初雪の味

初雪の味

青☆組

こまばアゴラ劇場(東京都)

2012/12/28 (金) ~ 2013/01/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

【会津編】母の言葉
【会津編】を観劇。
“万感の思い”という言葉が浮かんだ。
ふるさとの「家」は「家族」であり「母」である。
これらいずれ喪うであろうものに対して、切なる寂しさを抱く人にとっては
吉田小夏さんの台詞と役者の力の前に、涙せずにはいられないだろう。
”言外の思いが聴こえる台詞”が素晴らしく、
思い出すと今も泣きたくなる。

ネタバレBOX

舞台に広々としたこたつのある居間が広がっている。
横長のこたつのほかにはテレビもなく、会津の民芸品が飾られた棚がある。
市松柄の障子戸の向こうは廊下で、上手は玄関、下手は奥の部屋へと続いている。
八畳間の清々しい空間。

この家には母(羽場睦子)と次男の孝二(石松太一)、それに母の実弟で
結婚せずに役場勤めをしている晴彦(鈴木歩己)が住んでいる。
長男賢一(和知龍範)と長女享子(小暮智美)が帰省してくる大晦日の夜を、
4年間に渡って描く物語。
最初の年の瀬、母は入院していて留守である。
次の年、その次の年と母は家にいるが、最後の年は葬儀の後初めての大晦日だ。

ふるさとの「家」は「家族」であり「母」である。
そこでは毎年お決まりの会話が繰り返され、それが”帰省”を実感させる。

母は次第に弱っていくが、比例するようにその言葉の重みは増していく。
しばらく帰省しなかった長女が、その理由を話そうとして話せずにいるのを見て
「無茶するな、でもどうしてもしたいことなら無茶すればいい」
という意味のことを言って明るく笑う。
享子は顔を覆って泣いたが、その包み込むような言葉に一緒に泣けてしまった。

死後幽霊となって弟晴彦の前に現われた時は
「旅をしないのも勇ましいことだ」と彼に告げる。
町を出ず、結婚せずにずっと自分を支えてくれた弟の生き方を肯定する言葉に
晴彦は涙をためて姉を見つめたが、私は涙が止まらなかった。

初演は8年前、これが4度目の再演だというこの作品で
羽場睦子さん1人が初演からの出演だという。
この人の体温を感じさせる台詞が素晴らしく、
役者が年齢を重ねることの意味を考えさせてくれる。

弟晴彦役の鈴木歩己さん、素朴で実直な独身男の不器用さが
そのたたずまいからにじみ出るようで秀逸。
姉を喪い、家も買い手がついて、この人のこれからを思うと
どれほど寂しいことだろうかと、私の方が暗澹としてしまう。

次男孝二役の石松太一さん、「キツネの嫁入り」でも素晴らしかったが
定職にもつかず母と同居して、何かしなければと焦っている様がリアル。
女に振られる辺り、多分したたかな女に振りまわされたのだろうと充分想像させる。
素直で世間ズレしていない感じがとても良かった。

吉田小夏さんの作品には、いつも滅びゆくものに対する哀惜の念を感じる。
部屋のしつらい、繰り返される行事、慣れ親しんだ習慣、そして方言。
何気ない家族の会話がひどく可笑しいのは、このおっとりした会津方言の
音やリズムのせいもあるかもしれない。
タイトルの「初雪の味」のエピソードも、人生の苦味を感じさせて味わいがある。
じわりと変化する照明も巧いと思う。

アフタートークには田上パル主宰の田上豊さんが登場、
今回方言翻訳・会津編演出を担当した「箱庭円舞曲」の古川貴義さんとこたつで対談。
田上さんも熊本の方言で芝居を書くそうで、方言の演出についての話が面白かった。
標準語を方言に直すと句読点の位置がずれるという。
個人の言語感覚の根底にあるのだなあと改めて思った。

私の2012年のラストを飾る1本は、
言葉の美しさと台詞の妙、役者の力がそろった作品だった。
滅びゆくものたちへの言葉、それはまさに演じては消える生の舞台の宿命にも似て
だからこそ私たちはまた劇場へと向かうのだろう。
儚いものを目撃するために・・・。
埋める日

埋める日

スポンジ

OFF OFFシアター(東京都)

2012/12/26 (水) ~ 2012/12/30 (日)公演終了

満足度★★★★

観客を信頼して成立するストーリー
最小限の台詞で紡ぐ母親の葬儀の日の出来事。
舞台上に再現された団地の一室のセットが素晴らしく緻密かつリアルで
これから始まる物語の繊細さを予感させた。
そこで繰り広げられた人間模様は、大胆なプロセスの省略によって
より人間関係が際立つ結果となった。

ネタバレBOX

劇場に入ると緻密なセットに目を奪われる。
古い団地のリビングダイニング、流しの上の棚に置かれたジューサーや
下がっている手拭きタオル、冷蔵庫と流しの間の可動式ワゴン、
茶箪笥の中の湯のみ茶碗、隣の畳敷きの部屋のソファ、古めかしい額…。
全てが“誰かの日常”であり、私はそれを覗いている感じがする。

やがてここへお骨を抱えた一族が帰ってくる。
海外出張から飛んできた長女(横山美智代)と秘書らしい男、
この部屋に住んでいた死んだ母親と同居していた次女(太田雪絵)と夫、
葬儀屋の男である。
後から、葬儀に参列しなかった三女(如月萌)とBFのDJの男もやって来る。

この葬儀を終えたばかりの人々の心に、さざ波を立てるような出来事が次々に起こる。
例えば次女の浮気の発覚。
これには伏線があって
母親の介護を次女に押し付けて、君は何も手伝わなかったのかと問うDJに三女は答える。
「だってそんなこと言えない雰囲気ですごかったんだもん」(みたいな意味のことを言った)

浮気が発覚したあと三女に激しく責められ、つかみ合いの喧嘩になった時
次女は短く本音を叫ぶ。
これが本当に短い。
言い訳にもならないほどの短い台詞を吐くのだが、
そして次の瞬間舞台は場面転換する。

次のシーンで、三人は何事もなかったように談笑している。
次女が叫んだあのあと何が起こったのか、それが何となく判るのは何故だろう。
それまでの三人の言動や、互いの行動を見る目からごく自然に判ってしまう。
この“説明せずに場面転換”して話を切り上げる方法が何度か見られたが
その都度この省略に違和感はなかった。

むしろよくある話なら結論だけ伝えてくれればいいのだ。
省略されるにはそれだけの理由があって、つまりプロセスは大したことではないのだ。
大事なことは「浮気がバレた」→「別れるか否か」→「別れない」ということであって
その結果を見ればこれまで築いてきたものがおのずと判る、ということだと思う。

この舞台で完全暗転は1回だけだったと思う。
ほかはソファの部屋のテレビが砂嵐のように明るく点いて
その間に出演者は自然に(時には言葉を交わしながら)小道具を持って移動する。
この場面転換が新鮮だった。
荷物を持って出て行ったり、グラスを持ってソファへ移動したりする人々を見て
そこに時間の経過を自然に感じる。
真っ暗な中を黙って“段取り”に奔走するだけが場転ではないのだと思った。

淡々としたストーリーながら登場人物の緊張感が素晴らしく
観ている方も緊張して手に汗握ったりするものだから
メリハリがついて飽きさせない。
田所(牧野はやと)が流しの開きを開けようとした時
その場にいる全員が一斉に包丁を遠ざけようとダッシュしたが
あの時は観客も同時に駆け寄る気分だったと思う。
そういう一体感が生まれるような緊張感の共有があった。

斬新な場面転換と省略によって、物語は削ぎ落されたように骨格を露わにする。
敢えて言わずに想像させる、そして大体それは当たっている、という
観客を信頼して成立するストーリーが面白い。
それにしてもスポンジ、繊細な台詞と大胆な演出をする劇団だなあと思う。

掃き出しのサッシを開ける度にマンションの新築工事の轟音が聞こえる。
元は廃校となった小学校で、そこから何か四角い箱が掘り出されたという。
「埋める日」に「掘り出されるもの」「埋め戻すもの」様々が去来する話だった。
弔いの鐘は祝祭(カーニバル)の如く

弔いの鐘は祝祭(カーニバル)の如く

天幕旅団

劇場MOMO(東京都)

2012/12/20 (木) ~ 2012/12/24 (月)公演終了

アーメン
清々しい作品へのコメントと一緒に書きたくなかったので別にここへ書く。

どうしてスマホをいじりながら舞台を観るのか。
小バッグを胸に時々手を突っ込んで返信している。
当然顔を照らすほど明るくなる。
それも一度だけではない。

作品にも演者にも非常に失礼なこういう観客は
きっと誰からも注意されたことが無いから
「えー、けっこう大丈夫だったよ~」とか言いつつ
あちこちでひんしゅく買って歩くのだろう。

もう一度返信したら後頭部を張り倒してやったわ。
そんなに大事な返信なら表へ出ろ、芝居を観るなと言いたい。
舞台人が成長するのに観客が成長しないのは誠に情けない。

ドームコンサートでも、携帯で撮影しようとする客に
やんわり注意するスタッフが客席のあちこちにしゃがんでいた。
客席後方に非常識な輩に注意するスタッフを配置して欲しいと思う。
そして前説ではっきり伝える。

「携帯電話等をご使用になりますと、スタッフがお声を掛けさせていただきます。
近くに使用している人がいる、と思われましたら上演中そっとお手をおあげください。
スタッフがお近くへ行ってその方に注意します。
途中退場など、不愉快な思いをしないためにも皆様電源からお切りください」

神よ、クリスマスを前にこのようなお願いをすることをお赦し下さい。
あのケータイ女に天罰を与えたまえ。
アーメン

弔いの鐘は祝祭(カーニバル)の如く

弔いの鐘は祝祭(カーニバル)の如く

天幕旅団

劇場MOMO(東京都)

2012/12/20 (木) ~ 2012/12/24 (月)公演終了

満足度★★★★★

クリスマスキャロル エピソード 1
この劇団の特徴である美しい舞いのような動き、
ストップモーションとなめらかな動きの組み合わせ、
何かを象徴する時の静かな動作、明確な目的を持った移動と待機時間など
演劇的表現にはまだまだ無限の可能性があるのだと思い知らせてくれる。
この“絵のように美しい”舞台が跡形も無く消えてしまうことが惜しくなる。
たとえそれがまさに天幕旅団の目指すところであったとしても・・・。

ネタバレBOX

円形の舞台の周囲には高さの違うポールが10本程立っていて
その1本ずつにカラフルなチェックのシャツやコートのようなものがかけられている。
冬物らしくネルシャツのようだ。
舞台上には1本だけ奥の方にポールが立っていて、長いコートと帽子がかかっている。

やがて四方から5人の役者が登場、
それぞれかかっているシャツやコートを羽織って歩き始める。
金貸しのスクルージ(菊川仁史)があの長いコートと帽子を身につけると
人々は丁寧にお辞儀をし、挨拶をして通り過ぎる。

スクルージは取り立てが厳しい。
今月3回目の遅刻をした従業員のボブ(佐々木豊)に“クビ”をちらつかせたりする。
年に一度のクリスマス休暇をしぶしぶボブに許可したその夜、
彼の前に“ゴースト”と名乗る少年(加藤晃子)が現れて
彼に過去・現在・未来を再現して見せる。
それは7年前の、親友であり共同経営者でもあったマーレイ(渡辺望)の死にまつわる
後悔と懺悔の旅路の始まりだった・・・。

あのクリスマスキャロルが実はこういう話だったのかと思うほど
自然に本歌取りしていることにまず驚かされる。
情け深かったスクルージが守銭奴と化す理由が素晴らしく良く出来ている。
これは「クリスマスキャロル エピソード1」だ。
あまりの自然な流れに原作を読んでいても混乱しそうなほどの説得力。

マリアの衣装などエッジの効いたロンドンファッションのようにちょっと前衛的だし
チェックを多用したシャツや、不規則な汚しのような柄のジャケット、
それらを人々から奪って何枚も重ね着し、着ぶくれていくスクルージ、
やがて1枚ずつはぎとられ全てを失ってひとり死んでいくスクルージ、
時折掌でコインを小さく投げ上げてチャリ、チャリ、という音を立てるその効果音、
全てが象徴的で美しく、雄弁でありながら厳選されていて無駄がない。

無駄がないと言えば役者の動きも整然としてまさに無駄がない。
舞台をおりて静かに椅子にかけている時も視線は舞台にひたと置かれたままだ。
わずかな小道具である小さなテーブル2つと椅子2脚、
それらが軽々と空を舞うように動き、舞台から消え、
事務所の仕事机として、貧しい家庭の食卓として再び登場する。
それらを流れるような動作で正確に行い、場面転換をし、効果音を入れ、
ポールを移動させて時には階段の手すりに、時にはドアにと変身させる。
ポールにシャツをひっかけ、それを外し、スクルージに奪われ奪い返し・・・。
舞台上で台詞を言う以外に、これだけの動きと流れをたたき込むのは
並大抵のことではないだろうと思う。
常に先の段取りを考えながら目前の台詞に集中する、
当然のこととはいえ素晴らしい。

スクルージ役の菊池さん、最後にゴーストがプレゼントした
死んだマーレイとの再会の場面が秀逸。
自分の死に責任を感じ、冷徹な金貸しとして生きることを選んだスクルージに
「照れくさいから一度しか言わない、ありがとう」というマーレイに
「え?」と大きく聞き返してもう一度言わせようとするが
「さよなら」とマーレイは背を向ける。
スクルージの目から涙があふれて、私はもっと泣いていた。

マーレイを演じた渡辺望さん、作・演出にも突出した才能を感じるけれど
マーレイの根っからドライな金銭感覚・価値観を迷いなく演じて見ごたえがあった。

ゴーストの加藤晃子さん、相変わらず完璧な少年っぷり。
潔癖で一途な少年の優しい気持ちが哀しいほど伝わってくる。
前公演の歪んだ少年も素晴らしかったが、このひたむきさもこの人ならではの存在感。

ボブ役の佐々木豊さん、貧しくても幸せな家庭を築いている男の
優しさと切羽詰まった生活感がとても良く出ていた。
守銭奴と化したスクルージに対して、昔の彼を彷彿とさせるキャラだ。

マリア役の渡辺実希さん、金を借りに来るたびに
暮らしの追い込まれ方が深刻になっていく様が手に取るようにわかる
台詞の変化がとても良かったと思う。
哀れな死に方に説得力が生まれた。

天幕旅団は育ちの良さを感じさせる品の良い劇団だと思う。
台詞の言葉もきれいで崩れていない。
きちんと伝えたい、大事に伝えたいという気持ちに満ちている。
ぽーんと投げて自由に解釈してね、というのとは違う“手塩にかけた”創り方だ。
いろんなタイプがあって良いと思うが、天幕旅団はそういう劇団だと思う。

当日パンフによれば、渡辺望さんは墓地を見下ろす“絶景”のアパートでこれを書いた。
死者からのメッセージは、ある意味クリスマスにふさわしいかもしれない。
弔いの鐘と共にこの素晴らしい作品は降りて来たのだ。
そのアパート、神様の贈り物だと思う。
肉のラブレター

肉のラブレター

MCR

駅前劇場(東京都)

2012/12/19 (水) ~ 2012/12/23 (日)公演終了

満足度★★★★

こんな風に死にたい
櫻井智也さん曰く「父親がリアルにガンになった」ことから
この題材を選んだという、病人とその周囲の物語。
人は「死」を意識して初めて本当の意味で「生」を意識するのかもしれない。
「死にたい」も「死にたくない」も「生きること」の裏返しだ。
大笑いしながら一緒に考えさせられ、笑った後私はまだ考えている。

ネタバレBOX

会場に入ると、全体が少し照明を抑えて薄暗い。
舞台中央少し高くなった所に置かれた自転車が夕陽のような色に浮かび上がっている。
冒頭、北島とスズエが登場、二人乗りしながら最期の時のことをあっけらかんと語る。

北島(北島広貴)が不治の病になった。
櫻井医師(櫻井智也)によると「現代医学ではどうしようもない、まだ名も無い病気」らしい。
恋人百花(百花亜希)は動揺し、いつも北島の側にいるスズエ(金沢涼恵)のことを
問い詰めたりする。
共通の友人堀(堀靖明)は、彼らの間で翻弄されながらもいつも側にいる。
看護師の小川(おがわじゅんや)やスズエ達は、北島に「生きる意味」を与えようと
何か目標を持つことを勧め、みんなで一緒にダンスをしようと張りきる。
しかし当の北島は、みんなそれぞれ自分の為に何かをしたがっているのであって
そのために北島の病気を利用しているに過ぎないと感じている。

北島とスズエが共に孤児院で育ち、一緒に無茶をした仲間であるという
強烈な体験を共有する者だけが持つ“同士”の感覚が、まず前提にある。
スズエは彼の最期を見届ける覚悟で、恋人に出来ないことも自分なら出来ると信じている。
百花は病人の自分に気を使うだろうから別れようという北島が理解できない。
それはたいして好きじゃないからだろう、スズエと一緒にいたいからだろうと考える。
医師、看護師、ダンスの先生、友人たち、
それにストリートミュージシャンとその追っかけまで巻き込んで
彼らは生きる意味を考え始める、北島の為だけでなく自分自身のこととして。
そして北島の“余命”が少しずつ終わりに近づいていく・・・。

櫻井さんが医師というスタンスがまず絶妙。
患者やその身内の人間でなく、情も思い入れもそこそこの医師が
ビジネスライクに、またノーテンキに新種の病名を考えたりするところが可笑しい。
「内蔵バンバン病」って・・・(笑)
この医師が、ダンスがヘタで歩くことしかできないくせに時々いいこと言うんだよなあ。

堀靖明さん、見た目も説教も暑苦しい(すいません)友人堀の心の中にある
優しさや切なさが伝わって来るその熱い語り口、ほんと隙がなくて素晴らしい。

北島広貴さん、まるで素のような飄々とした口調で冷静さを装ってはいるが、
実は誰かに最期まで見ていて欲しいというすがるような気持ちがにじむ。
「このあとどうする?」と言いながらスズエと無茶した時代の回想シーンが泣かせる。
“このあと”が無くなって行く者にとって、あの時代の輝きが哀しい。
スズエの本心が吐露されるこの場面がとても印象的だ。

ストリートミュージシャンの追っかけを演じた伊達香苗さん
初日の少し硬い舞台にあって、素晴らしい滑舌と台詞回しが光っていた。
口下手なミュージシャンに代わって歌詞を解説するところ、ほんと素晴らしかった。

百花亜希さん、余命宣告された恋人から「別れよう」と言われる混乱ぶりがリアル。
最後にはきちんと自分から別れを告げる潔さと誠実さが美しい。

ダンスの先生(上田楓子)も含めて、みんな余命宣告された北島に積極的に関わろうとする。
それが時に方向違いであっても、だんだん足が遠のく寂しさに比べたら
北島にとってはどれほど心強いことだろう。
面倒な病気であればあるほど、人は次第に遠ざかるものだ。
かけるべき言葉を探してうろうろするのが苦痛だから、
見ていられないから・・・。

どう見ても意味の良くわからないフライヤーの写真も(踊ってるんだね)
舞台を観終わって見れば「生きとし生ける肉体からのラブレター」のような気がして
「こんなことするのも生きている間だけなんだなあ」と愛おしくなるから不思議だ。

初日に観たのに体調を崩して投稿が遅くなってしまった。
たった2,3日寝込んだだけで人は心細くなるものだ。
死ぬ時はひとり、とかいうけれど、死に至るプロセスはひとりでいたくないと思う。
やはり誰かに「一緒に踊ろう!」なんて言われたいなと思ったのだった。
ゴジラ

ゴジラ

雀組ホエールズ

千本桜ホール(東京都)

2012/12/18 (火) ~ 2012/12/23 (日)公演終了

満足度★★★★

やっぱりゴジラじゃだめなのか?
離れて見るとますます素敵なフライヤーも魅力的な「ゴジラ」。
あり得ない話にどんどん客の心を惹き込むのは、主演の迷いのなさ。
世間知らずでピュアなお嬢さんの一途な思いがゴジラに火を吹かせる。
それにしても、恋をするなら「ヒト」でなくてはダメなのか?

ネタバレBOX

畳敷きの部屋に丸いちゃぶ台。
この家の三姉妹のうち、長女のやよいがカレシを連れて来たからさあ大変。
何と言ってもカレシはゴジラだし、身長50メートルで火なんか吹くし。
反対する家族を説得しようと奮闘するやよい。
ついにゴジラはウルトラマンに変身したやよいの許嫁ハヤタ(阪本浩之)との対決に及ぶ。
そして思いがけない決断をするのだった・・・。

劇団離風霊船 大橋泰彦さんの荒唐無稽な作品には
「愛ってなに?」という普遍的な問いと同時に
「それでもあなたは愛せるか」という障害を前にした者に対する問いかけがある。
この場合障害が「あまりにも大きい」ので、のっけからコメディになるのだが
冒頭から“夢見る夢子”の如きのやよい(棚橋幸代)の台詞にブレや迷いが一切無いので
一直線の純愛のスタートと同時に客も一緒に走り出す感じ。
当日パンフにある通り、ゴジラの大きさは観客の想像力に委ねられている。
そこにゴジラ(持永雄恵)のなりきりぶりと効果音のタイミングがあいまって
千本桜のゴジラは一気に50メートルの怪獣と化した。

円谷英二の登場や配給会社絡みのネタも楽しいが
円谷英二のゴジラに向ける親心にはほろりとさせられる。
ザ・ピーナツの「♪モスラ~」の歌とダンスも懐かしくとても良かった。
当日パンフの「みんなの怪獣大ずかん」も
教室でジャミラとかピグモンの物真似をした世代としては大変嬉しい。

ひとり山へ戻る決心をしたゴジラの悲痛な気持ちが伝わってきただけに
見送るやよいにもっと混乱と絶望感があったら、さらに泣かせただろうという気がする。
それがラスト、島から避難する途中やよいがひとりの青年(持永雄恵)と出会った時
再び心に火が灯る場面につながって幸せな気持ちが倍増するから。
ちょっと気になったのは畳の部屋に靴をはいて登場するシーンがけっこうあったこと。
演出上仕方がないのかな?と思った。

やっぱり「ゴジラ」じゃダメなのか?
人は人しか愛せないのか?
確かに「ゴジラは痛みを感じない」「ヒトは痛みを感じる」
けれど人間だって他人の痛みは所詮想像力でしか感じられない。
去って行く50メートルの背中に私は呼びかけたくなった。

「ゴジラよ、そこらへんの小さい男なんかより
あなたの方がずっと人を幸せにする」
すべての夜は朝へと向かう

すべての夜は朝へと向かう

劇団競泳水着

サンモールスタジオ(東京都)

2012/12/12 (水) ~ 2012/12/24 (月)公演終了

満足度★★★★★

そして人は朝を待つ
特別な事件は起こらないが、リアルでありながら厳選された台詞と構成が素晴らしく、
群像劇の登場人物がそれぞれ丁寧に描かれて“おまけのキャラ”なんてひとりもいない。
”芝居のリアル”の面白さを堪能させてくれる作・演出が秀逸。
泣くような話じゃないのに、ラスト何だか涙が出て来た・・・。

ネタバレBOX

舞台は上下2つの空間に分かれている。
それぞれにソファとテーブル、上は元予備校教師修(武子太郎)の部屋で
下は神田夫妻(根津茂尚・細野今日子)の部屋だ。

冒頭、修が登場して自分の恋愛顛末を一人称で語り始める。
予備校講師だったとき、生徒の高校生千晴(相楽樹)と交際して振られ、
別に職場にバレたわけではなかったが、結局予備校を辞めてしまった。
今はバーテンとして働いている。
高校生千晴の姉が、下の空間の妻・神田真希だ。

修の部屋に飲みに来た予備校講師仲間4人それぞれの恋愛模様と
神田夫妻の静かなすれ違い生活が描かれる。

妻の心を知りたくて友人に「妻を誘って反応を教えて欲しい」と持ちかける夫、
彼の妻に近づきながら次第に心惹かれていく男、
年下の彼氏に執着し過ぎて振られる女、
喧嘩しないと本心が伝えられないカップル、
ひと回りも年下の男の子から告白される女・・・等々
みんなすんなり転がらない恋に悩んでいる。

上野友之さんの脚本・演出は奇をてらったものではないし、大事件も起こらない。
でも登場人物の心の揺れが水のように沁み込んで来て深く共感してしまう。
照明の効果でテンポ良く場面が切り替わって、次のカップルに焦点が当たるという構成。
一人ひとりに丁寧に添うような無駄のない台詞と自然な仕草。
ヘタな役者なら退屈になりかねないところだが、皆見事にはまって生き生きとしている。
客は“不自然”に敏感だし、リアル過ぎると余計なものまでついて来る。
“芝居のリアル”は日常から普遍性を抽出したものであると思うが、そこの加減が絶妙。

元予備校講師修を演じた武子太郎(たけしたろう)さん、
艶のある声で、でも張り過ぎず、不思議な色気のある人だ。
どこかで聴いた声だと思ったらサイバー・サイコロジックの「掏摸」に出ていらした。
その時は役の特殊性もあってあまり入り込めなかったのだが
今回どこにでもいる普通の男という逆に難しい役を自然に繊細に演じて素晴らしい。

つきあっている年上の女に別れを告げ、ひとまわりも年上の女性に告白する
元ひきこもりの青年を演じた大柿友哉さん、ストーカーめいた行為に辟易しつつ
勇気を振り絞って別れを告げるところ、ひきこもりだったというコンプレックス、
それらがとても素直に伝わってきて、東京駅での告白に“朝”が来たことを感じさせる。

高校生役の相良樹さん、恋の意味は良く分かっていなくても、
姉夫婦の不和は微妙に感じ取る繊細さを持つ千晴を自然に演じている。
制服の高校生を演じると妙に力が入る役者さんを見かけるが、千晴の適度な脱力感が超リアル。

終盤、千晴と修は街で偶然再会するのだが
千晴が立ち去った後、修は「本当に好きだったんだ」とつぶやく。
その短い言葉に、千晴より大人で“執着”や“替え難さ”を覚えた男の哀しみが溢れていて
せつなくて泣きそうになった。

「明けない夜はない」けれど、時に「明けても夜のままの人生」はある。
それでも私たちは「朝」を信じて眠りにつく。
その繰り返しの中でちょっと立ち止まって考えさせる舞台だった。
「朝」って、きちんと向き合わないと訪れないものなんだね。
バルブル

バルブル

げんこつ団

駅前劇場(東京都)

2012/12/12 (水) ~ 2012/12/16 (日)公演終了

満足度★★★★

「芸者を呼べ!急げ!」
フライヤーの熱帯ムード(?)に象徴される暑苦しい程のオーバーアクト。
“女だけの芝居は理屈っぽい”というイメージを持っている人、
このナンセンスアマゾネス軍団を観よ、ここには論理など存在しない。
だいたい前説からしてふるってる。
「他のお客様のご迷惑になるヘンな癖のある方は存在を消してください」って、確かに。

炊飯ジャーの製造会社社長多根松氏に、社員から“一代記ビデオ制作”がプレゼントされた。
制作会社からやってきた取材スタッフ2人は、社長や社員の話を聞くが失望する。
彼らが欲しいのはそんな“いい人”の話ではない、
もっと劇的で悲惨でドラマチックな“別の人生”の話。
そこで社長の人生を源流へとさかのぼって、時々バルブを開けたり閉めたりすると
選択されなかった別の人生が流れ出すのだ・・・、脈絡もなく。

なーんてストーリーを追ったりするのはやめだ。
「腰布一枚の」息子を探して歩く聖母マリアが時折通り過ぎたりするのだから。
げんこつ団副団長の植木早苗さん、この人がどうしてこういうテイストに走るのか…?
と思うほど素顔は“ヅカ風”のキリリとした美人だ。
なのに惜しげもなくハゲのヅラでオヤジと化す所が潔い。

それにダンス。
サラリーマンネオみたいに全員がスーツで踊る、これにはびっくりした。
なんでみんなこんなに上手いの?
映像の使い方も洗練されていて舞台の延長線上のように感じられた。

テレビで時々見る「もしも…」のコントをふくらましたような
そこをゲバゲバ90分が横切るような
っていう表現は劇団に失礼かしら?
でも女同士、小奇麗にまとめた“ほっこり”“心温まる”“ほろりとさせる”コメディじゃなくて
“強烈なナンセンスしかもブラック”にこだわるところに超個性的な劇団の存在価値があると思う。
今回客席の反応が良かった所を強調するためにも、
もう少しテンポ上げてコンパクトにしたら
もっと笑いが来る気がするけどどうだろうか。

緊急時に警察じゃなくて「芸者を呼べ!」と叫ぶところが好きです。
植木早苗さんがはんてん着て転がってるところが好きです。
この人が普通に美しいところもぜひ観てみたい。

しかし駅前劇場、「演出の都合上寒いので」とブランケットの貸し出しがあったが
ホントに寒かった。
どんな演出であんなに寒くなるの?
バルブを開けると風が出るってことか?

見渡すかぎりの卑怯者

見渡すかぎりの卑怯者

ジェットラグ

赤坂RED/THEATER(東京都)

2012/12/08 (土) ~ 2012/12/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

卑怯者の国
「自分を評価するのは常に自分以外の人である」という事実は、時にひどく人を苛む。
いくら自分を信じても、誰も正しいと言ってくれなければそれは勘違いに他ならない。
精神病棟を舞台に「正しい人間」「正しい治療」「正しい選択」をめぐって
患者・医師・家族全ての人々が自分を責めながら悩んでいる。
まるでサイコサスペンスのような、ラストの衝撃が空恐ろしい。

ネタバレBOX

舞台正面に巨大なキャンバスを据えて、黒ずくめの男がひとり絵筆を握っている。
彼の妻が、謝罪して頭を下げる担当医に投げつけるように言う。
「謝らないで下さい!それじゃまるでこの選択が間違っていたみたいじゃありませんか!」

画家の権田(若松賢二)は、どうして自分が精神病院などに入れられたのか判らない。
誰かの首を絞めたらしいのだが覚えていないのだ。
患者を平気でキチガイ呼ばわりして薬物治療を信じる院長(三浦浩一)は
権田の担当医(内田亜希子)とことごとく意見が合わず衝突してばかりいる。

権田の病室にはもう一人の入院患者、坂東(若松武史)がいる。
彼は権田の絵の師匠で、権田は偶然の再会を喜ぶが
坂東もまた妻の首を絞めてここに入れられたのだという。
坂東の妻(佐藤真弓)は担当医と頻繁に話し合いにやって来る。
ここには又、指示待ちタイプの看護師(若葉竜也)がいてぼんやり患者を見守っている。

ここで言う「卑怯者」とは
「うすうす感づいているくせに気付かないふりをしている奴」のことだ。
精神病棟という特異な空間に慣れ切って感覚がマヒしているかのような院長が
権田の錯乱をきっかけに深い洞察を見せるところが面白い。
院長の「治るって何なんだろうな」という一言は
患者にとって自然な状態を、「治療」と称して敢えて不自然な状態にすることへの
強烈な違和感とそれに加担する職業のジレンマを表わしている。
この「サイテー医師」から「立ち止まり悩む真摯な医師」への変化、
患者の錯乱状態で目覚めたと言うだけではイマイチきっかけが弱い気もしたが
三浦浩一さんの演技は、どちらもひとりの医師の中にある葛藤で
根っこは同じなのだという人格の統一感が感じられた。

一見正義感あふれるかに見える担当医が、実は「治してみたい」という
自分の欲望に抗えず、院長に内緒で実験的な治療を施してみたりする。
周囲の承諾を得たとは言え、結果的に彼女のエゴが権田の人格を崩壊させていく。

夫が精神病院に入院した事によって経済的・世間的に大きな影響を受ける妻は
「治って欲しいのか治って欲しくないのか」自分でも良く分からなくなっている。
もう一度絵を描いて欲しいが、精神病患者の絵などもう売れないかもしれない。
新しい治療をすることで国からの手当てがもらえなくなるのは困る。
夫を追い詰めた要因のひとつは自分の言動であることに、彼女は気づいているのか。
佐藤真弓さん演じる妻は“ひとりだけ素人”の立場からの発言が率直で可笑しい。
なめらかな声で、天然のボケぶりとしたたかさを持ち合わせる妻を演じた。

若松武史さんの、どこか泣き笑いのような表情が哀しい。
抑圧された自己と向き合う為には、こういう方法しかなかったのか。
飄々と軽やかな台詞回しの中に、追いつめられた者の叫びが聞こえる。

松田賢二さんの、身体の動き・強張り方・苛立ちがリアルで
人格の入れ替わりが良く分かった。
どうして入院させられたのか全く思い当たらないという混乱ぶりに
観ている私も自然と感情移入出来た。

非常に興味深いのでネタバレするのが惜しいから敢えて書かないが
脚本がとても面白くて謎も緊張感も尻上がりに高まって行く。
箱庭円舞曲の作・演出である古川貴義さんは、台詞にメリハリがあって聴かせる。
劇的な照明と共に、テンポの良い展開と場面転換でキメの台詞が際立つ。

そしてラスト、冒頭と同じ場面が繰り返されるが、今度の画家は白ずくめだ。
客席を振り向いて「卑怯者・・・」とつぶやく彼の視線の先には
ここもまた見渡す限りの卑怯者が並んでいたことだろう。
Knight of the Peach

Knight of the Peach

劇団パラノワール(旧Voyantroupe)

サンモールスタジオ(東京都)

2012/12/05 (水) ~ 2012/12/09 (日)公演終了

満足度★★★

正邪いっぺんに観たい
エロ・グロもキャラ設定も面白いが、似たようなシーンが多くてちと長い。
邪道に2時間10分費やすより、1粒で2度おいしい公演にしたら
登場人物の魅力がより伝わるような気がする。
もっとコンパクトにして正道・邪道いっぺんに観たいというのは我儘か?

ネタバレBOX

黒っぽい舞台の奥、中央のひときわ高い所は王様が座る場所だ。
左右から段差の大きい階段で上るようになっている。
鬼ヶ島に棲む王様と兄君は、供される素行の悪い女ども「桃姫」を食べて生きている。
王様は「桃」=「お尻」しか食べない。
この「人を食う」場面を中継する番組があって、世界中に愛好者がいる。
御前と呼ばれる大財閥の会長は有力スポンサーだ。
あろうことか、この御前の娘キジが生贄として島に送り込まれてきた。
この会長と娘の親子関係、桃太郎と父親の世代交代、食われる桃姫たちのプライド、
裏ビジネス・・・それらを軸にストーリーは展開する。

出演者の「桃」は確かに魅力的だし(桃太郎の桃も!)、
「桃姫」たちの衣装も、台詞を言うたびに腹筋の動きが見えて面白い。
正道バージョンと表裏一体で初めて個々のキャラが立体的に見えるのかもしれないが
邪道バージョンだけ観たのでは人物像が少し物足りない。
興味深い桃太郎の親殺しの心理や、桃太郎に食べられる事を選んだキジとの関係、
桃太郎を助ける従者サモエドの心理等を丁寧に描いたらもっとドラマチックになっただろう。
番組放送シーンや桃姫折檻シーンを減らしてもそっちが知りたかった。
ラスト30分、桃姫の一人が舌を切られる場面からメリハリがついて一気に引き込まれた。

御前役の秋山輝雄さん、でっぷりしたお腹に着物が良く似合って存在感大。
「これは筋肉だ」という台詞に大いに笑った。
キジ役の川添美和さん、よく分かる台詞でヤンキー娘らしさ全開。
父親に中指立てて桃太郎に食われるラストシーンは最高!
サモエド役の伊藤亜斗武さん、キャラを活かした変化のある台詞が良かった。
この人にもっと硬軟取り混ぜたキメの台詞を言わせて欲しかった。
桃太郎ビズラ役の平良和義さん、台詞の少ない役だったが強烈な印象を残す。
それだけに正道とセットで観て、その行動の裏を知りたくなる。
同じ人を食う鬼でありながら、父親と兄を退治するに至るプロセスが分かって初めて
エログロシーンも生きて来ると思う。

2バージョン方式は流行りかもしれないが
片方しか観ない客をどこまで満足させるかが、鍵かなと思った。
テロルとそのほか

テロルとそのほか

工場の出口

アトリエ春風舎(東京都)

2012/12/01 (土) ~ 2012/12/07 (金)公演終了

満足度★★★★

他人の思考を思考する作品
プロセス共有チケットを購入して、最初の稽古見学に行ったのは11月17日だった。
稽古は合計3回見に行って、12月1日初日の舞台を観た。
俳優の提出したテーマを作・演出の詩森さんが共有して脚本を書き
稽古の過程でさらに双方向から意見をぶつけ合って変化させていく。
この「他人の思考を思考する」というプロセスで創られた作品は
初日今度は「観客が思考すること」を求めて来た。
多少なりとも思考する人間は、交差する複数の思考回路へ足を踏み入れるだいご味を味わう。
漫然と見て「何かくれ」タイプの人には向かない作品かもしれない。

ネタバレBOX

作・演出の詩森さんが好きだという、俳優や照明が映えそうな黒っぽい舞台には
公園にあるようなベンチとテーブル、椅子が全て裏返しになって置かれている。

やがて私たちが入ってきた入口のドアが少し開いて
ダークスーツの男が中を一瞥してから入って来た。

「今不安に思うことは、ターゲット以外の誰かを巻き込むかもしれないということだけだ」
舞台中央に立ち、テロリストは語り始める。
「わたくしの一生をすべて無にしてまで撃つべきものは権力である」
淡々と語るテロリストヒガキを演じる朝倉洋介さんの論理に思わず引き込まれる。
3ページに及ぶモノローグ、少し手ぶりは入るが足元は微動だにしない。

稽古でこの人のモノローグの場を見ることが出来なかったことが本当に残念だった。
完成形に至る不完全なかたちを見ておきたかったのに・・・。
稽古場で話しかけて下さったとき、
「自分が提出したテーマでも、台本になって渡されると言いにくいところもあるし、
自分の言葉だけに熱くなりすぎたりする」
と笑っていた朝倉さん。
誰よりも早く台詞が入り、他の人の台詞を受けて変化する余裕さえあった。
緊張感が途切れないのに力みのない声、直前まで普通の市民として存在した
まさにテロリストにぴったりなキャラは
ヒガキか、朝倉洋介か・・・?

このヒガキを中心に、タカハシ、コレエダ、キジマの4人が久しぶりに集まった。
共通の友人マエカワが死んだことがきっかけだった。
その死に方の異様さに、4人は衝撃を受けている。
中でも、かつてルームシェアしていて親友同士だと思っていたコレエダ(西村壮悟)は
まだこの事実を冷静に受け止め切れずにいる。
親友だと思っていた自分が、一言の相談もしてもらえなかったことに打ちのめされている。

コレエダを演じる西村壮悟さんは、クールな声とルックスで淡々と友人の死を語る。
稽古の時詩森さんから
「言えなかった、でも言いたかった、そしてもう言えなくなった言葉」を
今口にする気持ちを考えるように、というアドバイスがあった。
西村さんは涙で言葉を詰まらせ、私はそのモノローグに泣いた。
初日の舞台で、西村さんはもう泣かなかったが、私はやっぱり泣いてしまった。

キジマ(生井みづき)はそんなコレエダと別れようとしている。
コレエダも今いっぱいいっぱいだが、キジマもまた別の意味で限界だと思っている。
放射能や遺伝子組換え食品、食品添加物を浴びるように取り入れて暮らす私たち。
経済や効率、生産性を優先する世間の価値観と、
それに反発しつつも完全に排除できない自分の生活。
そういう自分を説明することを、もう止めたいと思う。
そしていつか説明しなくても共有できる人と共に過ごしたいと思うのだ。

超マイペで自分の関心事を常に優先したいキジマの長ゼリ。
詩森さんが「自分の気持ちを伝えるには事実を伝えることだ」と言ったが
キジマの目下の最大関心事である食品をとりまく事実をきちんと伝えることが
キジマの気持ちを伝える効果的な方法だという意味だった。
カレシの優しさを拒否してでも、今この問題を突き詰めたいという必死さが
生井さんの台詞からあふれていた。
その結果客席からは何度も笑いが起こった。
二人が必死になればなるほど、かみ合わないズレが大きくなって可笑しかった。

大学生タカハシ(有吉宣人)は、大学を辞めようかと考えている。
現在の教育システムに失望し、小学校教師を目指して一からやり直そうというのだ。
ヒガキ先輩に相談して、妙に熱く語ったかと思うと
自信の無さからか背中を押してもらいたがったり
とにかくタカハシは自分の回りをぐるぐる回っている。

タカハシ役の有吉さん、稽古では結構ダメ出しされていたと思う(笑)
「声が大き過ぎる」に始まって「興奮して喋ってるだけ」「ひとりで空回りしてる」
「テンションが上がり過ぎて制御不能になった」等々。
4人の中でひとりあからさまにオロオロするキャラだから、難しいこともあるだろう。
狂言回しとしての役割もあって切り替えも必要だ。
だが本番で私はタカハシの空回りに人柄の良さを感じた。
「なにみんな平気な顔して遺品整理してんですか!?」という
“ウザいけどいい奴”キャラが、有吉さんにはまっていたと思う。

4人の俳優が提出したテーマにそれぞれデータによる裏付けをして、厳選した台詞で語らせる。
詩森ろばさんの脚本は巧みな構成で交差する4つの人生を描く。
静かな落ち着いた場面転換の動きや映像の使い方も洗練されている。
いずれも岐路に立つ出来事を抱えている4人のうち
未来を語るタカハシの言葉で終わるというのもよかったと思う。
はっきりしなかったタカハシに最終決断させたのはテロリストヒガキの存在と行動であった。
「その行動を支持はしないが、ヒガキ先輩は大好きだ」というタカハシがとても良い。

稽古場とは比べ物にならない空間の違いが、距離感を変え台詞を変える。
改めて企画の意図とキャスティングの妙が面白かった。
俳優個人と役が重なって、台詞が自分の言葉になる。
考えてみれば「他人の思考を思考する」とは演劇の原点であり
コミュニケーションの原点ではないか。
作・演と俳優、俳優と俳優、作品と観客、皆他者の心理を想像するところから始まる。
一番難しくて、誰もが欠落していて、でも上手く行けばこの上なく幸せな作業だなあと思った。
カラスの楽園

カラスの楽園

Trigger Line

小劇場 楽園(東京都)

2012/11/15 (木) ~ 2012/11/25 (日)公演終了

満足度★★★★

圧倒する演説
あまりにも有名な「ケネディ大統領暗殺事件」を
フィクション・ノンフィクション織り交ぜての作品。
巧みな構成と役者の熱演で、誰もが知る結末ながら
最期まで緊張の糸が途切れることがない。
ラスト崩れ落ちるレナードの姿が脳裏に焼き付いて離れない。

ネタバレBOX

ジョン・F・ケンドリック(ケネディ)大統領には信頼できる側近たちがいる。
司法長官は弟のレナード・F・ケンドリック(ロバート)、
レナードの親友でもある補佐官のジミー、スピーチライターのハリー、
そして大統領の妻ジェシカ(ジャクリーン)。

対立する副大統領のランドリー・ジャクソン(ジョンソン)には
側近のエル・クレイトンがついて悪知恵を働かせている。

この人間関係がとても分かりやすくて良かった。
人物像が誇張され気味ではあるが、逆にリアルなだけだったら
ここまで権力にしがみつき欲望に翻弄される孤独な姿が描かれなかっただろうと思う。

楽園の舞台を活かしたスピーディーな人物の出ハケ、
歴史を踏まえた細かい事実の積み重ねもさることながら
何と言っても、そこに至る人間の腹の底から出て来る台詞が素晴らしい。

レナード役の林田一高さん、最初は端正なたたずまいだったが
兄を死なせたという罪の意識から立ち直って大統領選に出馬するまでの
変化の過程がとてもよかった。

特に演説、黒人執事デボラをかばってデモの群衆に呼びかけるところ
そして最期の大統領候補予備選挙での演説が素晴らしい。
客席に背を向け、聴衆に語りかける背中が雄弁で自信にあふれている。
マイクが彼の言葉にエコーをかけて会場の臨場感Max。
この後暗殺されると判っているのに、撃たれた瞬間は息が止まるほどの衝撃だ。
混乱する周囲が右往左往する中、しばらく棒立ちで取り残されたようなレナードが
崩れるように膝から落ちるラスト。
照明のドラマチックな効果もあって忘れられないシーンだ。

対する副大統領を演じた経塚よしひろさん、
権力が無ければ誰も寄って来ないような男を
まばたきしない誇張した描写で、その孤独な人生まで描いて見せた。
「大統領にしてもらった男」の慟哭が聴こえて来る圧倒的な存在感。

副大統領に仕えながら常に「俺がお前を大統領にしてやった」と思っている
側近のエル・クレイトン役のヨシケンさん、
悪役ながらたっぷりした台詞が心地よくて聴き惚れてしまう。

暗殺者の大道芸人を演じた三上正晃さん、
最初登場した時に見せるジャグリングの手さばきがスゴかったので
この人何者?と思ったが即興演劇集団インプロモーティブというところの方だった。
このほとんど台詞の無い暗殺者がこんなにも似合う役者さんは少ないのではないか。
ピエロのようなメイクで正体を隠す大道芸人という設定がはまりすぎ。
エル・クレイトンと自爆するシーンは圧巻で音響・照明ともとても良かった。

少し気になったのは音量のこと。
客入れの時のBGM、選曲はとても良かったのだが音量が大きかったように思う。
私のすぐそばに立っている前説の方の声が聴きとれないほど。
銃声や爆発音が際立つのは良いが、音楽は控えめが効果的な気がした。

撃たれて崩れ落ちたレナードの姿で暗転した後、
客を見送る林田さんの顔が青白く、まだレナードの面影が
色濃く残っていたのが印象的だった。
「カラスの楽園」の答えを、私は今も考えている。
傭兵ども!砂漠を走れ! -サバンナ&オアシス-

傭兵ども!砂漠を走れ! -サバンナ&オアシス-

劇団6番シード

シアターKASSAI(東京都)

2012/11/14 (水) ~ 2012/12/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

6時の方向
ある紛争地域の日本人ばかりが集まっている外国人傭兵部隊。
“コンバットコメディ”と謳っているが女性メインのオアシス編は
「侠気(おとこぎ)あふれる戦場の女たち」が素晴らしく熱くて泣かせる。
はっきりしない日本に見切りをつけて伍長の元に集結したくなる舞台だった。

ネタバレBOX

明転すると舞台上にジープがあってびっくり。
実物より小さくてタイヤは動かないが、軽やかに乗り込むと
周囲にいる人たちがそのジープをくるくる回して方向転換、
スピード感あふれる疾走シーンが再現された。
ちっちゃいけどリアルで、このジープが出て来ただけで“傭兵感”ありまくり。
ヘルメットを被った“黒子”二人が土嚢のセットを素早く移動させて
銃撃戦を立体的に全方向から見せる。
機動力のあるセットにアイデアと工夫が詰っていて、冒頭からいっぺんに魅了される。

ゲリラが潜む可能性のある空き家を爆破するのがメインの部隊は全員日本人女性。
対立するゲリラの抗争に巻き込まれた現地の少女をめぐって
関わるなという本部の指示に従うか、トラブルを覚悟で少女を救出するか。
新人隊員の必死の訴えが、伍長はじめ仲間の心を動かし
ついに無謀な「けん玉作戦」が決行される・・・。

伍長役の宇田川美樹さんが素晴らしい。
この人は日頃から「俺」と言っているに違いない(笑)
どうしても声を張って叫ぶシーンが多い中、この人が静かに語る場面は説得力が際立つ。
緩急、シリアスとコメディ(歌と野グソ担当)と、自在に行き来する
伍長のリーダーシップがストーリーを牽引している。
銃器アクションにリアリティがあってすごくカッコいい。

新人隊員ボンクラ役の椎名亜音さん、
部隊の決定を覆そうと必死に向かって行く姿が、表現力豊かでとてもよかった。
いじめに遭っていた妹の自殺を止められなかった自分、
そんな自分が嫌で変えたくて傭兵志願したという告白に
客席はオヤジの鼻をすする音で満ちあふれた。
テレビドラマでもよくある話なのに、泣けて泣けて仕方がなかった。
入隊後から、ラスト少女を連れて海を泳いで渡るまでの成長が鮮やかだ。

ボンクラ、ゴクツマ、ガクレキ…と言ったあだ名で呼び合うのも
コンバットらしくて楽しい。
“女”を封印して徹底的に傭兵として行動するのも爽快。
「女のくせにボクとか言うな!」という台詞くらいしか
“女”を思い出させる台詞は無かったと思う。

男性メインのサバンナ編も観たくなるが、
「男にしておくのは惜しい」ような傭兵どもなんだろうなぁ。
きっとまた私の涙が6時の方向に流れるに違いない。
行方不明

行方不明

ブラジル

赤坂RED/THEATER(東京都)

2012/11/17 (土) ~ 2012/11/25 (日)公演終了

満足度★★★★

櫻井は櫻井
MCRの櫻井智也が主演、客演する彼を観るのは初めてだ。
いつもは自分が書いた台詞を喋る彼が
人の書いた作品をどんな風に演じるのか興味もあって楽しみに出かけた。
スーツの櫻井智也も初めてだったが、いつもの“あの感じ”があって嬉しくなった。
私はなんでこんなにこの人の台詞が好きなんだろう?

ネタバレBOX

舞台は数段の階段で、上と下とのスペースに分かれている。
ここを行き来することで場面転換したり、遠く離れた相手との距離を表したりする。
全体が黒っぽく色彩の無い舞台。

年下の上司から理不尽ないじめを受けながら新しい職場で働く小野(櫻井智也)。
生まれて来る子どもの為にも我慢しようとするが、ある日とうとうキレて会社を辞める。
家に帰れば妻(幸田尚子)の不倫現場に出くわし、離婚を切り出される始末。

途方に暮れて数日前に電話をくれた友人手塚(諌山幸治)に電話してみたが通じない。
彼の住む高知県へ飛び不動産会社の家を訪れると、5日前から行方不明だという。
彼の妻はどうやら若い従業員と怪しい仲。
手塚が通っていたという喫茶店のマスターと共に彼の足取りを追う小野は、行く先々で彼に関する信じがたい話を耳にする。
どうも手塚は、小野の知っている手塚ではなくなってしまったらしい。
かつて、小野がとった行動が原因で手塚は自殺未遂を起こした。
そのことも行方不明の原因の一つではないか…と必死になっていく小野。
やがて小野は、人を食うという“牛鬼伝説”が伝わるこの地で
信じられないような光景を目にする・・・。

冒頭、手塚が小野に電話して来る場面の会話にもう引きこまれる。
男同士の“久しぶり”な会話が、どうにも妙な距離を置いているように見える。
あとになって、ある重大な出来事が二人の距離を決定的なものにしたのだと判るのだが
さりげなく、だが確実に違和感を覚えさせる櫻井智也の会話が上手い。

この人の台詞はいつもドロップアウトした人の目を感じさせる。
──俺もたいしたことねーけどよ、てめぇのそれは人としてどーなんだ?
という開き直った怒りがにじんでいる。
それが今の世の中で結構真っ当だったりする。

もうひとつ、櫻井智也の演じるキャラクターは他人に執着しない。
罵詈雑言は立て板に水だが、自分については多くを語らない。
自分の中ではぐだぐだでも、他者に対してはあきらめがよい。
そもそも期待していないからかもしれないが、そこが彼の“優しさ”のような気がする。

MCRの“櫻井語”がこの作品にも自然に出ていて
あてがきとしか思えない台詞は生き生きとしている。
ぶっきらぼうだが、拭えない後悔を一生引きずって行く小野は
手塚の変化を受け容れられないし、責任も感じている。
理解できない友人の幸せを、それでも祈って止まない。

ブラジリィー・アン・山田さんの本は、
この櫻井智也の個性を100%活かしていると思う。
品の良いエロとあっけらかんとしたグロ、
ブラックでシュール、全てのバランスがとても良い。
ぼかさないグロさはカラッとしていて不快感もない。
指先を切るシーンより、首がすっ飛ぶシーンの方が
非現実的で生々しさが無いものだ。

櫻井智也の周囲を夢とも現実ともつかないキャラクターが往来し
牛鬼の存在を浮かび上がらせる。
片腕の工場長、犬の不動産屋、外国人労働者・・・。
外国人労働者は面白いが、少し長さを感じたところもあった。

不倫妻の色気と牛鬼の凄み、両方を自在に演じる幸田尚子さんが素敵だ。
ブラックドレスで平然と男の首を絞める怪力の持ち主を軽やかに演じている。

びっくりするような展開はすべて妄想の中だったのか。
ひとりになって思うことはやはり死んだ友人のことだったのか。

夢と現実の境界線も曖昧なまま、別れた元妻が幸せそうなのを見かけて
小さく笑って立ち去る男。
いつになくスーツで出ずっぱりの櫻井智也が、えらくカッコよかった。
私は桜井智也の乾いた声が好きなのだと改めて気付いた舞台だった。
からくりサーカス~サーカス編~

からくりサーカス~サーカス編~

カプセル兵団

笹塚ファクトリー(東京都)

2012/11/15 (木) ~ 2012/11/18 (日)公演終了

満足度★★★★

スピンオフもいける
先日LINX’SでシアターOMの「うしおととら」を観た後なので
この原作者藤田和日郎さんのテイストが少しわかってきたところ。
”冒険活劇”という言葉がぴったりのアクション満載、スピーディーな展開を楽しめた。
前説で「3時間半を予定しております」と言った途端、客席から笑いが起こった。
「え~、マジかよー、もう笑うしかないべ」みたいな。
パイプ椅子にエアクッションがあれば、3時間半でも結構快適だと知った夜。

ネタバレBOX

手前へ花道が伸びる舞台を3方から客席が囲んでいる。
あらすじを追ってもすぐには把握できないほど壮大な物語なのでここには書かないが
時間も空間も壮大であること、人形を操って闘うこと、
それに単純な勧善懲悪でなく、悪者にも逡巡があり改心したりする“心の揺れ”が
物語の特徴と言えるだろうか。
“人形を操って闘う”ということがきちんと見えて来ると、
操る動きと人形の動きがリンクしていて流れるような美しい動作に目を奪われる。

とにかく出ハケが高校野球みたいに全力疾走でスピーディーなところに感動した。
3時間半の間、数え切れないほどあった出ハケに迷いやミスが皆無だったことや
効果音・照明のタイミングも完璧であったことから
非常に訓練された集団という印象を受けた。
短いエピソードを際限なく積み重ねるように見えるのは
全43巻という原作の長さと、週刊で毎週ひとつの山場を迎えるという事情もある。
座長の吉久直志さんが当日パンフで脚本構成の苦労を語っているが、
出ハケがメリハリのある区切りになって、緊張感も集中力も心地よいリズムで持続できる。

時々役者が演じながら今起こっていることを解説する。
「鋭い剣が正面から飛んで来てグサ~!」みたいなことを叫ぶのでめっちゃ可笑しい。
このアナログな表現が漫画の面白さをうまく再現していると思う。

はっきりしたキャラクターの振り切れた演技が秀逸。
ハーレクインを演じた西沢智治さんの台詞とアクションなど素晴らしかった。
中途半端だったらコントで終わってしまいそうな役を
表現力豊かな台詞とキレの良いアクションで魅力的な悪役に魅せた。

女優陣が皆素晴らしいプロポーションでびっくりした。
アンジェリーナ役の永峰あやさん、しろがね役の森澤碧音さんは
その衣装も素敵だし、露出しているボディも素晴らしい!
またこんなに魅力的なアンサンブルを私は初めて観た気がする。
ダンスの繊細さと力強さがとても素敵だった。

欲を言えば、原作のコアなファンならいざ知らず
普通の演劇ファンにはもう少し解説が欲しいところ。
漫画は戻ってもう一度確認できるが、舞台ではそれが出来ない。
時々大事なポイントを復習する時間が必要ではないか。
当日パンフの「登場人物相関図」を見てもよくわからないし。

スピード重視の流れの中でも、ストーリーの根幹に関わる台詞は
立ち止まってきちんと伝わるように言って欲しい。
誰かに台詞で言わせるとか、ナレーションを入れるとか工夫したらダメかしら。
原作の雰囲気をそこなうとか、マイナス面もあるかもしれないが。
もう少し整理した相関図や、前回までのあらすじ、登場人物プロフィールなど
補足資料によって開演前や休憩時間に情報を得られたらもっと楽しいと思う。

スピンオフが作れそうなほど魅力的なキャラクターがそろっているのだから
何部かに分けてもそれぞれ充実した舞台になると思うがどうだろうか。
それにしても、先入観を持たずにいろんなものを観てみるものだなあとつくづく思ったのであった。
閨房のアライグマ 

閨房のアライグマ 

“STRAYDOG”

Geki地下Liberty(東京都)

2012/11/10 (土) ~ 2012/11/18 (日)公演終了

満足度★★★★

台詞の瞬発力
無理やり腕を掴まれて引っ張られるような勢いで始まったと思ったら
なんだよこの親子、ボロ泣きしちゃったじゃないか。
ひとつひとつの充実したエピソードが積み重ねられて最後のオチまでハラハラし通し。
キャラの立った登場人物と役者が見事にマッチしている。
歌って踊ってこの構造、森岡利行さんの繰り出す台詞にマジで泣かされた。

ネタバレBOX

桜子の父親サクジロウ(伊藤新)は、昔よくお話を読んで聞かせてくれた。
まるでホラ話のような父の創作物語は、桜子を楽しませ無限に広がっていく。
月日は経って、そのサクジロウが死んだ。
火葬場で、喪服の桜子(森田亜紀)は白装束の亡き父作次郎(中原和宏)と語り合う。
やくざの兄利夫(柴田明良)、中国人と偽装結婚した叔父忠利(酒井健太郎)、
桜子の出自に関わる、交通事故で重い障害を負ったレイコ。
桜子の娘愛美(長澤佑香)がなさぬ仲であることも絡んでドラマチックな
あまりにドラマチックな親子を取り巻く人生が語られる・・・。

舞台上隅の方に長椅子がひとつ、さっぱりしたセットは火葬場である。
白装束の亡き父と語りながら、父の言葉に次第に変化していく桜子の表情が素晴らしい。
最初の淡々とした語り口が、自分の出自や娘との確執に及ぶラスト
愛情が溢れ出して、観ている私たちがいつしか桜子の感情にぴったり寄り添っている。

人情やくざの兄利夫を演じた柴田明良さん、悪者やくざ役の重松隆志さんがはまりすぎ。
Vシネテイストあふれる緊迫したやりとりが素晴らしく迫力があって
これから始まる悲劇へと自然に流れ込んでいく。

障害を負ったレイコ役の住吉真理子さん、あまりのリアルな障害者ぶりに
初め“痛すぎ”の感も覚えたが、もし仮にこれが曖昧な表現だったら
その後の悲劇的なレイコや利夫の行動に説得力が生まれなかっただろう。
どれほど勉強し、工夫しただろうかと思わせる演技だった。

出稼ぎ中国人麗華を演じた桐山玲奈さん、変な日本語が上手くて可笑しい。
単なる物まねでないキャラが立っていて、哀しみと共に存在感が“有馬温泉”。

若き日のサクジロウを演じた伊藤新さん、真面目でひたむきな公務員らしさと
“面白味のない性格”と言われながらも“それでいいじゃないか”と
自分を奮い立たせる孤独な強さが自然に共存していてとてもリアルだった。
この父親がベースにあっての、桜子の思いなのだということが伝わってくる。

亡くなった作次郎を演じた中原和宏さん、その存在感に圧倒されっぱなし。
もう素なんだか役なんだかわからないくらいの歌(上手いのだこれが)が
アングラの香りをぷんぷんさせていい味を出している。
この“歌うオヤジ”がバリバリ関西弁で、
若き日のスマートなサクジロウとすんなり重ならないのが難と言えば難だろうか。
どこかでちょっとリンクさせる台詞があれば、逆にその変遷も面白かったかもしれない。
それにしてもこのホラ親父の言葉は味わい深くていい台詞だなあ。

住吉真理子さんの歌うビートルズの「In my life」(だと思ったけど)が
あんまり素敵でぴったりで、ラストめちゃめちゃ泣けてしまった。
父を喪いたくないという桜子の気持ちが切ない。

当日パンフで作・演出の森岡氏が語っているが、この作品は
いろいろあったけれど20周年を共に迎えたメンバーに喜んでもらおうという
気持ちで書いたのだそうだ。
「自分は劇作家ではなくシナリオライターだから、新作を書くのは辛い」と言うが
ひとつひとつのエピソードが持つ台詞の力が素晴らしい。
台詞の瞬発力とでもいうのだろうか、”キメの台詞”と”自然体の台詞”とが混在している。
桜子が、現実の人々からドラマチックな想像を膨らませていく二重構造も自然だし
何と言ってもそれが亡き父から受け継いだ性格であるということが、
親子の強い絆を表わしている。

桜子が亡き父に語りかける「閨房のアライグマ」のエピソードが
思いがけないイメージから人生を深く洞察していて泣かせる。
こうしてひとつ終わる毎に、私たちはまた毛づくろいして歩き出すのだ。
地響き立てて嘘をつく

地響き立てて嘘をつく

ガレキの太鼓

こまばアゴラ劇場(東京都)

2012/11/14 (水) ~ 2012/11/21 (水)公演終了

満足度★★★★

男には出来まい
“バカバカしいほどの人間賛歌”とフライヤーにある通り
何千年経っても同じことをくり返している愚かな人類を
笑いながらも愛おしく見つめる舘そらみさんの視点が超ユニーク。
確かに、“泣きながらでも神輿を担ぐ派”らしいエネルギー溢れる舞台だった。

ネタバレBOX

舞台中央に色とりどりの衣類を並べて円陣が出来ている。
強い原色ではなく、アースカラーの穏やかな色あいだ。
ここが、時代は移っても常に“父親”のいる場所として子どもたちが戻ってくる場所となる。
舞台上手に2階へ上がる梯子、下手には階段状に高いスペースが作られている。

数人の女たち(男性も演じている)が「産まれた!」と子どもを抱いて喜び合っている。
時は縄文時代、男は狩りに行き、女・子どもは木の実を拾い水を汲むのが仕事だ。
そして女は子どもを産むときによく死ぬ。
「さーちゃん」と「ムサシ」は子どもの時から兄弟のように育った。
ムサシはさーちゃんが大好きだが、さーちゃんは自由奔放でムサシは常に振り回される。
この二人の“2000年”に及ぶ人生を追いかけるというストーリーだ。

時代はあっという間に弥生、平安、戦国・・・と歴史の教科書通りに進む。
舞台上で“大雑把な”衣装に着替えながら
時代の価値観を反映したさーちゃんの恋愛騒動が繰り広げられる。
強い男に惹かれては騙されたりして、その都度ムサシに泣きついて来る。

平安時代のガールズトークがフツーに現代語で交わされたり
戦国の世に、男が敵の首を取ってさーちゃんにプレゼントしたりする所で爆笑。
さーちゃんとムサシの役は、時代が変わると役者も変わるが混乱はない。
むしろいつの世にもいる「さーちゃん」と「ムサシ」の普遍性が感じられる。

気になったのは、2階から解説をする先生(?)みたいな現代人。
下で繰り広げられる世界に少しなじんでいない気がした。
台詞台詞している感じは、次第にこなれて来るのかな。
着替えに手間取る時代もあるが、それはまあご愛敬か。

多少寿命が延びたくらいで、私たちはずっとこうして生きて来たんだなあと思う。
男は小さな嘘をつき、女は大きな嘘をつく。
でも笑って踊って、「よしとしよう!」みたいなエネルギーが一貫して明るい。

こんなありえないほど壮大なスケールで、しかも“雰囲気だけ”の衣装で
男と女・親子を描いて尚「変わらないもの」を明確に取り出して見せる。
この大きさと大雑把な感じ、ちまちましなくておおらかな表現は
まさに”大地の生命力”を感じさせる。
同時に”命のはかなさ”をはらんでいて、そのバランスが良い。
いやー、男にはちょっとできないだろ。
一番の嘘つきは、やはりこの作者かもしれない。
震災タクシー

震災タクシー

渡辺源四郎商店

こまばアゴラ劇場(東京都)

2012/11/09 (金) ~ 2012/11/11 (日)公演終了

満足度★★★

リアルな体験だけに・・・
「架空の劇団」の代表くらもちひろゆきさんの3.11体験をベースにした話。
あの日、常磐線が止まってしまったので居合わせた人々に声をかけ
目的地いわきまでタクシーで移動することになった男(くらもちひろゆき)と他の乗客5人。
親切なタクシー運転手と共に被災地を抜けて走り続ける・・・。

7人の役者が7つのパイプ椅子だけを使って演じるロードムービー(?)。
被災県に住みながら“大して被災していない”人々の微妙な距離感がリアルだが
その体験が事実に忠実であればあるほど、現実の方がそれをはるかに超えている
という事実を意識せざるを得ない。
テレビのドキュメンタリーでくり返しあの日の惨劇を見た私たちにとって
“大して被災していない”人々の実話はどうしてもぬるく退屈に感じてしまう。

違うのは、彼らが「深刻な被害を受けた人々に近い場所で暮らしている」ということだ。
この申し訳ないような、近くて遠い距離感が何としても拭えないというのは
ある意味とても繊細な、そこに住む人ならではの心理だろう。
アフタートークでも「地元では、観客とそれを共有していると感じた」と語っている。
だが演劇としては若干インパクトに欠ける。

今回作・演出に、くらもちひろゆき・畑澤聖悟・工藤千夏と3人名を連ねているが
アフタートークで語られたように
もともと2時間程あった脚本を1時間半にし、
「走れメロス」を伴走させる演出や、
「ふくいち(福島第一原発)」を見下ろすシーンを入れるなど
かなりの演出が畑澤・工藤両氏によって加えられている。

それらの演出と役者陣の良さが心に残る。
タクシー運転手役、加藤隆さんの自然な職業人らしさが際立っていた。
いつもながら年齢不詳少女を演じた音喜多咲子さん、
大人に対するクールでぶっきらぼうなコメントの間が完璧。
乗客の中で、この少女だけは本当は亡くなっているのではないかと思わせる
不思議な存在感と喪失感を漂わせて素晴らしい。
この人が存在する限り、なべげんに子役は要らないだろう。

演じる畑澤聖悟さんを初めて観たが、やっぱり面白いひとだなあ。
くらもちさんと畑澤さんが兄弟のように似ていて(頭も)可笑しかった。

もし、この体験をベースに100%フィクションで芝居を創ったら
また違った説得力を持つような気がするが
たぶんそれでは”中途半端な被災者”の忸怩たる思いが永遠に消えないのだろう。

私は、なべげんの「翔べ!原子力ロボむつ」のように
刻々と変わる現実に追いつき追い越すかのような“俯瞰する視点”こそが
忘れん坊の私たちにあの日を思い出させるきっかけになると信じている。
そういう作品を被災地が発信することに意義があると思うし、それを共有したいと思う。

僕から見れば僕が正しい、君から見れば君が正しい

僕から見れば僕が正しい、君から見れば君が正しい

MacGuffins

シアターKASSAI(東京都)

2012/11/07 (水) ~ 2012/11/11 (日)公演終了

満足度★★★★

絶妙のタイトル
オムニバス形式で5話、1と5が父親殺しというシリアスなテーマを扱い
真ん中3話がおバカなコメディなのだが
“ひとつのテーマが緩くつながりながら広がっていく”という
オムニバスの良さが存分に発揮されていて大変面白かった。
絶妙なタイトルと合わせて、これは「コミュニケーション」の明暗を描く力作だと思う。
Aバージョン観賞。

ネタバレBOX

「僕から見れば僕が正しい」
母親に暴力をふるう父親を刺殺してしまった高校生(黒岩拓朗)が逮捕される。
彼は直前に同級生の少女(金魚)と「今夜11時に親を殺す」という約束をしていた。
父の死の間際に、その暴力の理由が母親にあったことを知り
少年は自分は何も分かっていなかったことを思い知らされる。
そしてその日、殺人事件はひとつしか起こらなかった・・・。

「会議は踊る」
冒頭のショッキングなストーリーから一転、
新商品「ヒトの匂いを消す消臭剤」のネーミングに頭を悩ます会議の席。
様々なアイデアが飛び出す中、上司の秘密が暴露されたりして
会議は踊り続けて何にも決まらな~い!
社員がひねり出すネーミングが爆笑もの。

「帰宅部全国大会出場」
小宮山(横田純)が野球部と思って入部したのは実は「帰宅部」だった。
「はじめてのおつかい」のように親から依頼されたおつかいを
ビデオに撮ってテレビに投稿するという(これが全国大会を意味する)帰宅部。
今日は全員でテーマパーク、ロマンチックランドへおつかいに行くことに。
さて誰が一番ロマンチック・・・?

「コミュニケーション記号体系」
弟に借金を返すため、その弟になり済まして学校に就職、そこで
“ハナデルマン共和国”の“ハナデルマン語”を教えることになってしまう兄の話。
激しい身体表現(ほとんど踊り)、ターンが多いほど好意的であることを表わす
ハナデルマン語をめぐって職場の嘘と真が入り乱れる中、男は真の自分を見出していく。
何と言っても兄(水越健)とハナデルマン共和国の親善大使(渡慶次信幸)の
ハナデルマン語、それにタイミングよく絡む通訳(横田純)が抜群に面白い。
ノンバーバル言語の極みとも言うべき動きとスピードが素晴らしい。
妄想助平親父の教頭(小林龍二)の俗物ぶりも、無さそうで有りそうで笑わせる。

「君から見れば君が正しい」
冒頭の父親殺しの少年と、約束を破った少女が街で再会する。
なぜ約束を破ったのか、それを語る少女。
淡々とそれを聞く少年は、「誰かと関わる時は終わる時のことを考えてしまう」と言う。
「間違ってもいいから前を向いて進むのが人生」と語る少女。

全体を貫くのは“コミュニケーションの様々なかたち”だ。
饒舌なだけがコミュ二ケーションではない。
悲惨な事件の陰にはコミュニケーションの欠落があったとはいえ、
それは努力を怠ったせいではなかった。
あの父親にとってはそれがたったひとつの発信手段だったのだ。
だがその結果は殺人事件だった。
「君から見れば君が正しい」で、少女は懸命に語りかけるが
ここは言葉を尽くしても一方通行では虚しいだけだということを晒している。
片方の自己満足だけでは、コミュニケーションとして成立しない事を痛切に訴えて来る。

激しい動きの中で早口の台詞の応酬が多いが、よく訓練されていることに感心した。
一人が何役もこなし、切り替えも鮮やか。
強靭な持久力で充実したストーリーを展開している。
映像の使い方も洗練されていて、身体能力と共に劇団の個性と言える。

ちょっと残念だったのは、ラストのまとめ方に無理が感じられたこと。
彼女が語れば語るほど、約束を破った言い訳に聞こえて
約束破っておいてそれは無いだろう・・・と思ってしまう。
むしろ少年の胸の内を知りたかった。

オムニバスという形式のメリットを最大限に活かしたテンポの良い展開、
明と暗両方の見せ方など工夫があってとても良かった。
それにしてもこのタイトル、コミュニケーションと言うものを
実に言い得て妙、としか言いようがない。
世の中全て「僕から見れば僕が正しい、君から見れば君が正しい」でしょう。
これをつけた時点でもう、大成功してる。

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