1989年に旗揚げされ、2018年に無期限活動休止を発表したクロムモリブデン。
名前や評判を聞くことこそ頻繁にあったものの、私がその演劇を劇場で目撃することは叶わなかった。観られなかった悔しさの分をなんとか想像力で補填しようと、観たことのある人たちにその感想をたずねると、このような言葉がかえってきた。
「初めて観た時びっくりした」
「衝撃的に面白かった」
「クロムモリブデンでしか摂取できない何かがある」
悔しさがかえって加速するようなリアクションを前に私は過去を悔いるしかできず、ジタバタした。劇団の看板俳優である森下亮は、若手劇団から注目のプロデュース公演まで多様な舞台作品にも相次いで出演しており、折々の横顔に魅了されるその度にホームでの森下亮を知らないことがまた悔やまれた。

そんななか、思いがけないニュースが飛び込んできたのは6月のことだ。森下亮プロデュース、クロムモリシタン始動。「森下亮がクロムモリブデン主宰のアオキヒデキの作・演出で限りなくクロムモリブデンに近い形の公演をすべく立ち上げたプロジェクト」らしい。望外の喜びがあった。別の何かに例えるのは野暮かもしれないが、THE YELLOW MONKEYの再集結ライブが決まった時くらい高揚した。悔しさというものは過去に戻ってリセットできない。そう思って早速取材を申し入れた。新たな悔いが増えないように。できるだけ劇作やクリエーション、その哲学を深掘りできるように。そうして複数日にわたって稽古場を見学させてもらった。演劇を語るうえではしばしば「観たことがある」「より多くの情報を知っている」ということが重視される風潮を感じることがある。しかし、観客はどうだろうか。観たことがある人だけが、知っている人だけが劇場に来るとは決して限らない。いつだって客席には真新しさがあるはずだ。クロムモリブデンを観たことがない私がクロムモリシタンの稽古場レポートを書くということは、そんなまだ観ぬ観客の一人としての強い意志の形でもある。そのことを前置きしたうえで、稽古場の様子を伝えられたらと思う。

最初に稽古場を訪れたのは7月。団体から台本が送られてきて、開幕2ヶ月前にすでに完本していることにも、稽古が着々と進められていることにも驚いたが、何より驚いたのは、1シーンにかける時間とその濃密なクリエーションの重なりだった。
最初の見学日ではおもに前半のシーンが繰り返されていた。

物語の舞台は警察の取調室、だけではない。冒頭のシーンではたしかに男が刑事に取り調べを受けているのだが、その後、放課後の教室、マンションの一室、とある映画の撮影現場と次々と場面が移り変わっていく。登場人物は7人。森下亮演じる記憶を失っているらしい男・与田をはじめ、与田を取り調べる刑事の須藤(久保貫太郎)、事故で行方不明になった夫を待つ教師の春江(渡邉とかげ)、春江の教え子のユーマ(土本燈子)、春江と同じマンションに住む小松(橋爪未萠里)、とある映画の撮影に勤しむ滝本(小林義典)と原口(花戸祐介)である。台本を読破して見学するか、途中まで読んで見学するか悩んだ結果、「いいや、やっぱり!」と全く読まずに最初の見学をすることを選んだ。前情報なしで目の前で起きることが見たい。取材者としての下準備と観客としての欲求を天秤にかけ、後者が勝ったことをここに白状しておきたい。

この日重点的に稽古が繰り返されたのは、春江にユーマが絵日記を見せにくるシーンと、事故の被害者の家族として報道陣に追われる春江と春江の生活をサポートする小松とのやりとり、そして、タイムスリップものか記憶喪失ものしかバズらない映画シーンに辟易しながらも新作を撮ろうと試行錯誤を繰り返す撮影隊の滝本と原口のシーンであった。見れば見るほど、一見無関係に見える人と人、断片的な時間と時間が星座のように結びついていく。記憶のように、とも言えるかもしれない。その全貌に関する言及はここでは避けておくが、どのシーンもそれぞれ本作においてキーとなるシーンである。

前述した通り、それらのシーンの稽古は驚くほどじっくりと、「ああでもない」「こうでもない」を繰り返しながら練られていた。時間にすると、それぞれが5分にも満たないシーンなのであるが、セリフの温度やスピード、俳優の声色やテンション、身体の動きや緩急のあらゆる手札を試していくのである。さらに驚いたのは、作・演出を手がけるアオキヒデキが度々俳優陣に伝えたこんな言葉だった。
「実際にはそんなシーンはないんだけれども、まあ一回やってみましょう」

俳優の積み上げたシーンから派生して、台本には存在しないシーンを作ってみる。そして、そのリクエストに呼応して、俳優陣は突然ホラーのような趣で語り出したり、かと思ったら漫才のような掛け合いが始まったり、はたまたミュージカルのような手触りで音楽に合わせてダンスめいた動きをしてみたりと、とにかくオーダーとアンサーのいずれもの表現の手札が多いのだ。
「あまりに面白いからそのシーンを作ろうか!」
稽古場の熱気に思わずそんな言葉も飛び出した。台本に書かれていることが創作の、演劇の全貌ではない、ということを痛感する一幕だった。

そうこうしているうちに、それぞれのシーンで「これかもしれない!」という塩梅に辿り着く。しかし、そうなると、またアオキからこんな言葉が投げかけられる。
「このスピードとテンションがいいということの確信を高めるために、真逆のスピードとテンションもやってみよう」
どうやら、現段階で「正解」を決めるつもりは毛頭ないらしい。さらに悩ましいのはそれぞれのアプローチが各々多様に面白いということだ。数多の可能性から一つに絞り出すということ。その一つの背景には無数の積み重ねがあるということ。いくつもの分かれ道を舗装し、大きな通路を作ろうとすること。稽古とはまさにTry and Error、そして、Under construction(=建設中)なのである。

この日もう一つ印象的だったのは、タイプの違う音楽をBGMにしてシーンを紡いでみるという試みだった。音楽が変われば、芝居が変わる。芝居が変われば、シーンの質感が変わる。同じシーンを返しているはずなのに、全く別のシーンを見ているくらいの変化があって、それは当然作品全体の印象に大きく影響する。
『歌を歌わないように食べる昨日』というアンビバレンスなタイトルに違わず、歌をあえて歌わないように咀嚼する。そんなクリエーションが繰り広げられていた。

二度目の稽古見学は8月中旬。開幕まで1ヶ月を切ったくらいのタイミングだった。外ではつい気が滅入ってしまうような暗い雨雲が立ち込めていたのだが、稽古場に入ると、たちまちそのことを忘れてしまうような白熱があった。シーンに分かれて作戦会議が練られていて、「一昨日はこんな感じじゃなかったよね」「あっちの方がよかった気がする」「これで一回やってみよう」とUnder constructionは続いていた。

この日の稽古では、冒頭にもある、記憶喪失の男・与田と刑事の須藤のやりとりが入念に繰り返されていた。このシーンは観客にとって物語を追う導線のようにも機能するのだが、二人が決してストーリーテラー的役割だけでは終わらないところが見どころでもある。要所要所にカットインするこの取り調べのシーンは実に謎が多いのだ。

その謎で存分に遊びながら、観客を惑わせていく森下亮と久保貫太郎の負けず劣らずの攻防はまさにベテラン技の総決戦。大いなるサービス精神とパンチの効いた瞬発力で観客をドッと沸かせる久保と、場の温度や硬度を瞬時に捉える鋭いアンテナと、それを経由した繊細なアウトプットで空気を一変させる森下。クロムモリブデンの劇団員として培われた積年のチームワークを見せつけられるような思いがして、改めて本作の始動に胸が高鳴る。

他のシーンでも引き続き、「正解」を決めぬ果敢な旅が続いていた。
春江と小松のやりとりでは渡邉とかげのコミカルとシリアスを大胆に横断する豊かな表現力と、それに呼応して距離感や間合いを絶妙にチューニングし、シーンの魅力を増幅させる橋爪未萠里のリアクション力の高さに舌を巻く。なんてことのない日常から次第に思惑が錯綜するその様のリアリティも見どころの一つだろう。「隣人が何を考えているかわからない怖さ」を二人は時にポップに、時にショッキングに表現する。

絵日記を見せにくるユーマを演じる土本燈子もまた、文字通り“UMA(未確認生物)っぷり”を遺憾無く発揮していた。さまざまなコメディ作品でも大活躍の土本は、その強みを活かして観客の笑いを大いに誘う。しかし、本作では、笑ったそばから背筋の凍るような表情を見せるところにもさらなる魅力が光るのだ。「幼く、無知であること」を謳歌しているようにも利用しているようにも見える、子どもならではの残酷さ。そこにもまた本作の劇作の妙が宿っているのだ。

当然ながら、映画を撮ろうとする滝本(小林義典)と原口(花戸祐介)のやりとりも見逃してはならない。世の中をあっと驚かせるような映像を撮ろうとする二人は、徐々に「他者の人生の消費」という命題にぶち当たる。ひょんなことから目の前に現れた記憶喪失の男・与田を自分たちの“バズ”に利用しようと奔走する二人の姿には、世の中で起きている様々な出来事を投影することもできるだろう。明るさの中に狡猾さや焦燥感などの複雑な感情を忍ばせる小林と、沈黙や行間の中にも等身大の人間臭さを宿らせる花戸。アオキ作品への高い察知能力を武器に、クロムモリブデン劇団員として再びバディを組む二人にも是非注目をしてほしい。

「最速でやることで振り落とすものがあるかを試したい」
「もう一度ふるいにかけたいから一回キャラを忘れてコントのように遊んでみよう」
前回の稽古から2週間以上が経過していたのだが、トライはまだまだ尽きないようで、アオキからは今日も今日とて様々な創作の手札が、演出のアイデアが飛び出していく。舞台中央でセリフを話している時だけではない。俳優が袖にはけていくその瞬間に至るまで鋭く、そして温かく目を光らせ、俳優の心理や生理を見極めながら、あらゆる可能性を見出し、すり潰し、また見出していくのだ。

「暗い話だと暗い色使ってるでしょ」
「それは面白くないなあ 暗い色には明るい色で 或いは明るい話を暗い色で」
絵日記を巡る春江とユーマのやりとりにあるこのセリフもまた、本作の創作を象徴しているように思えた。たしかに、教師と生徒の絵日記を巡るやりとりが微笑ましいものだとは限らないし、女性が女性に手を差し伸べることがシスターフッドとも限らない。時に不穏に満ちた時間と空間にもなり得るそれらは、観ている側の思い込みや固定観念を揺さぶるものでもあった。とにかく遠回りをすること。あらん限りの「色」や「歌」の可能性に当たること。「無駄」だと切り捨てられそうなことや、「非効率」だと選ばれなさそうな手順の全てを踏んでいくということ。そんな贅沢なクリエーションの余韻を噛み締めながら稽古場を後にした。

稽古場からの帰り道、ふと、本作に寄せた森下のコメントの一節を思い出す。
「大好きな作品、思い入れのある作品は数あれど、やはり自分の心の奥の方に刺さって刺さって痛気持ち良いままで居続けるのはアオキヒデキの作品なのです」
このコメントに書かれている「アオキヒデキの作品」という言葉は、きっと舞台上に上がっているもののみを指しているわけではない。クリエーションの一つ一つの瞬間を含んだものなのだ。遅れはとってしまったけれど、そのことをこうして知れたことを私はとても嬉しく思うのであった。

クロムモリシタン『歌を歌わないように食べる昨日』は、現時点でクロムモリブデンの最後の公演となっている『たまには海が泳げ!』が上演された王子小劇場(現インディペンデントシアターOji)で再びスタートを切り、かつてのホームであった大阪でも上演される。そして、それはおそらく、クロムファンはもちろん、本作で初めてクロム作品を観る人たちをも魅了するものだろう。ちなみに、私はTHE YELLOW MONKEYの再集結以降、足繁くライブに足を運んでおり、そこで自分よりも若いオーディエンスの姿を度々目にしている。おそらくTHE YELLOW MONKEYをオンタイムで知らなかった人々もそこにはいる。それと同じことがクロムモリシタンでも起こるといいなと思う。いや、起こるはずだと確信している。私のようなまだ観ぬ観客がきっともっといる。悔しさというものは過去に戻ってリセットはできないが、今後を生きる上ではなかなかいい教訓になる。大丈夫、開演にはまだ間に合う。

取材・文・稽古場写真/丘田ミイ子
<公演情報>
クロムモリシタン『歌を歌わないように食べる昨日』

作・演出:アオキヒデキ
出演:森下亮、久保貫太郎、渡邉とかげ、小林義典、花戸祐介(以上クロムモリブデン)、橋爪未萠里、土本燈子
【東京公演】2026年9月9日(水)〜20日(日)
会場:インディペンデントシアターOji
9月9日(水) 19:00
10日(木) 19:00
11日(金) 19:00
12日(土) 14:00/18:00
13日(日) 14:00
14日(月) 19:00
15日(火) 休演日
16日(水) 19:00
17日(木) 14:00/19:00
18日(金) 19:00
19日(土) 14:00/18:00
20日(日) 14:00
【大阪公演】2026年9月25日(金)〜27日(日)
会場:インディペンデントシアター2nd
9月25日(金) 19:00
26日(土) 14:00/18:00
27日(日) 14:00
<料金>
一般 5,500円
29歳以下 4,500円
学生 2,500円
高校生以下 1,500円
当日券各プラス500円
クロムモリシタン丸ごとお楽しみチケット9,660円
※こちらのチケットお申込みには住所の登録が必要です。クロムモリシタンを公演前から公演後まで丸ごとお楽しみ頂ける特別特典付(上演台本、稽古初日読み合わせ映像、非売品の公演前リーフレット、千穐楽終演後トークショーご招待(東京・大阪共に開催され、どの回のクロムモリシタン丸ごとお楽しみチケットをお持ちでもご入場頂けます)
※全席指定・税込
※各種割引には受付にて証明出来る物をご提示下さい。
<チケット>
【東京公演】
https://cromemorishitan.corich.co/utatabe/common
【大阪公演】
https://cromemorishitan.corich.co/utatabe-osaka/common
<スタッフ>
舞台監督:西廣奏、桐渕孝信
舞台美術:およぐひと
照明:黒太剛亮(黒猿)、村上桜佳(サンバーチャイチャイ)
音響:古川直幸、井上直裕
演出助手:入倉麻美、平井隆也(吉祥寺GORILLA)
衣裳:中西瑞美
小道具:辻朝子
宣伝美術:吉田電話(クロムモリブデン)
宣伝美粧:増田加奈
広報:日野七海
制作協力:大橋さつき、野崎恵(クロムモリブデン)
制作:安井和恵(クロムモリブデン)
プロデューサー:森下亮(クロムモリブデン)
協力:クロムモリブデン、キューブ、リコモーション、フクダ& Co.、イマジネイション、POE+、エンパシィ、ファザーズコーポレーション
企画・製作・主催:クロムモリシタン
公式HP:https://morishitangusten.wixsite.com/cromemorishitan
<お問い合わせ>クロムモリシタンcromemorishitan@gmail.com