
―家を出よう、という時間になって雷がゴロついてきた。光から少し遅れて音はやってくる。そうとは知っていても、いや、知っているからこそ身をこわばらせながら、稲光と雷鳴の隙間を縫うように私は劇場へと急ぐ。予想通り、小ぶりだった雨はじき土砂降りになった。空から地面に、上から下へと叩きつけるように降るこの雨は、やがてそのさらに下の下水へと流れていく。コトリ会議『この上のない下水筒』は、まさにそんなある雨の日の話である。
6月12日(金)、アトリエ春風舎にてコトリ会議『この上のない下水筒』(作:山本正典 演出:山本正典/原竹志)東京公演が開幕した。本作は2007年より兵庫県を拠点に活動するコトリ会議の新作で、東西を巡るツアー公演。6月5日からの4日間、扇町ミュージアムキューブCUBE02での公演を経て、東京公演は6月12日(金)から6月17日(水)までの6日間上演される。昨年は『おかえりなさせませんなさい』で第3回関西えんげき大賞最優秀作品賞・観客投票ベストワン賞をW受賞。さらに同作で第69回岸田國士戯曲賞最終候補作にノミネートされるなど、大きな話題を集めた。『この上のない下水筒』はそんな注目の劇作家・山本正典の新作戯曲でもあり、関西公演の盛り上がりもさることながら5年ぶりとなる東京公演にも注目が集まっている。キャストはコトリ会議のメンバーである花屋敷鴨、原竹志、山本正典のほか阪本麻紀(烏丸ストロークロック)、のたにかな子の5名。本記事では大阪公演の写真を交えながら、東京公演のゲネプロの様子をレポートする。
※本公演及び本記事には「自死」に関する描写や言及があります。

舞台はとある古びたアパートの一室。段ボールがいくつか積み上げられた6畳ほどの和室の真ん中に椅子が転がっている。無造作であるが、無作為ではないらしい。椅子を蹴飛ばした張本人が事の顛末をぽつりぽつり、と独白するところから物語は動き出す。ぽつりぽつり、と始まったのは独白だけではなかった。独白の声を覆い隠すように、はたまたその事実を詳らかにするように、雨足は次第に強まっていく。

いくらかの時間が流れ、同じアパートにひとり、またひとりと人々が訪れる。同アパートの居住者である朝倉くんの訃報を受け、中学の同級生たちが集まってきたのである。30年ぶりの、いや、28年と3ヶ月と8日ぶりの再会。中学時代、ゴミ拾い部として活動を共にしていた4人、いや、5人の部員たちは中学卒業ぶりに顔を合わせることになったのだ。同じ部活で青春の日々をともにした5人の交流が長年途絶えてしまっていたことには理由があった。ゴミ拾い部はある出来事をきっかけに解散となり、程なくして朝倉くんも不登校になってしまったのだ。

かつてゴミ拾い部の部長を務めていた木戸(阪本麻紀)を中心に、一際騒がしく悲しみや憤りをあらわにする尾田(原竹志)、対して温かく穏やかそうだが、服装は誰よりも派手な小間井(花屋敷鴨)、一人だけ喪服を身にまとった磯部(のたにかな子)が続々と集まり、朝倉くんの弔いを行おうとする。のだが、その中心に一人見知らぬ男が座っている。彼の名は「朝倉くん」、もっと言うと、「仮の朝倉くん」(山本正典)なのだと言う。
こういうパターンは往々にして幽霊だろう。そう思った矢先に、幽霊ではないことが告げられ、まず戸惑う。さらには、似ているわけでもないらしい。顔も声も何もかもが本人とは異なるただのおじさんなのだ。戸惑いに次ぐ戸惑い…。しかし、この想定外の展開が、不思議で奇妙な感触こそがコトリ会議節でもあり、「弔い」の場に似つかわしくもなく私の胸はつい高揚してしまう。
そんな私の戸惑い(や高揚)もどこ吹く風、「仮の朝倉くん」は、徹底して「朝倉くん」として振る舞う。「自分は仮にも朝倉くんなのだから」という矜持すらあるかのように。当然ながら、朝倉くんを除く4人の同級生たちも、観客の私同様に決してその展開に戸惑っていないわけではない。しかし、会話を重ねるごとに「仮の朝倉くん」を仮のまま、しかしどこか必然の出来事であるかのように受け入れていく。まるでその存在にわずかな糸口や救いを見出すかのように。会えなかった時間を埋めるかのように。そうして、朝倉くんの命は不在のなか、仮の朝倉くんの存在を交えて、弔いの夜は深まっていく。

その場にいない人をその人を知らない観客に想像させること。それは、演劇という表現が持ち得る一つの可能性であり、魔法のようなものでもあるが、コトリ会議の演劇にはことさら強くこの魔法が通底しているように私には感じられる。28年と3ヶ月と8日もの間音信不通だった同級生たちが一人の急逝をきっかけに集うことになり、皮肉にもそのことが彼や彼女たちにさまざまなことを握らせていく。かつての自分たちの姿を。そして、それぞれが抱えるどうしようもない現実を。「不在」という強烈な存在感が、その手触りが生々しく浮かび上がる風景を眺めながら、いつの間にか、私もまた彼や彼女たちの同級生であったかのような気持ちに、この奇妙な同窓会に参加をしているような心持ちになった。
物語や台詞の妙もさることながら、俳優の表現力の高さも極めて大きい。降り出した雨のように細切れに吐き出す独白の端々に背負いきれない責任感を滲ませる木戸。阪本のその横顔には、劇中では描かれていない、かつて部長だった頃の眼差しもが垣間見える。一人かしこまった服を着て同級生たちと一定の距離を保とうとするのは、のたに演じる磯部だ。物哀しく、それでいて何か強い決意を秘めていそうなその視線の先を、私は何か手がかりを求めるような気持ちで追っていた。そんな磯部と特別仲が良かったのが、花屋敷演じる小間井である。時を経てもなおかつての絆にすがるように、母性と友愛が混ざり合ったかのような切実をぶつける花屋敷の表現力に舌を巻く。

その傍らで再会までに流れた月日を文字通り指折り数え、脇目も振らず取り乱すのは尾田である。登場した瞬間から感情の追いつかない身体の宙ぶらりんさを携えながら、心の内を露わにする原の叫びは時に痛々しく、時に可笑しく響く。仮の朝倉くんとの連れションを咎められ、「人は孤独だ!」と吐き捨てるその姿には思わず笑ってしまうような愛嬌が光っていた。そんな中で、「仮の朝倉くん」はただただ静かにみんなの様子を見つめる。周囲の心の揺らぎを一心に受け止めながら、しかし誰よりも何かを言いたげにそこに「存在」する「不在」のはずの朝倉くんを山本がありありと表現する。
劇場の外で降っている雨の音とふと聞き間違えてしまいそうな繊細な音響と、「生」と「死」を、「過去」と「現在」を区切るようにも、融合するようにも映る饒舌な照明に縁取られながら、28年と3ヶ月と8日ぶりの夜が、一度きりの夜が朝へと向かっていく。落ちていても、拾われてもそのことを気にも留められないゴミや、地面に落ちたその時から下へ下へと流れていく雨、不要な水分として体外に放出されていく人の尿や汗や涙。そして、遺体となって焼かれる肉体。「いらないもの」とされたものたちは、本当の意味ではどこへいくのか。いつの間にか乾いていた服の裾を握りながら、私はそんなことを考えていた。

―劇場を出たら、さっきまでの土砂降りが嘘かのように空は晴れていた。できるだけ物語の、演劇のそばでその様子を綴りたくて最寄りのファミレスに入り、パソコンを開く。体から少し遅れて心はやってくる。そうとはわかっていても、わかっているからこそ、身体と精神の隙間を縫うように私は筆を進める。空から地面に、上から下へと叩きつけるように降っていたあの雨たちは、もうとっくにそのさらに下の下水を流れ、やがてどこかへ巡っていくだろう。コトリ会議『この上のない下水筒』は、まさにそんな雨の日の話だった。雨が降り、そして上がるまでの時間を、過去を抱きながら未来にしか進めない人々を描いた演劇であった。

取材・文/丘田ミイ子
<公演情報>

コトリ会議『この上のない下水筒』東京公演
作:山本正典
演出:山本正典+原竹志
出演:花屋敷鴨、原竹志、山本正典(以上、コトリ会議)、阪本麻紀(烏丸ストロークロック)、のたにかな子
<会場>
アトリエ春風舎
<日時>
2026年6月12(金)〜6月17(水)
12(金)19:30
13(土)13:30/19:30
14(日)15:30/19:30
15(月)15:30/19:30
16(火)19:30
17(水)19:30
受付開始:45分前 開場:30分前
上演時間 90分(予定)
<料金>
一般:3800円
18歳以上25歳以下:2000円
遠方割:1,000円
18歳以下:500円
障害者手帳割:各券より300円オフ
※遠方割は関東一都六県外からご来場の方 ※各種割引は当日受付にて証明書を提示
<チケット>
https://kotorikaigi.corich.co/kotori2026tokyo/common
<スタッフ>
舞台監督:三津田なつみ
音響:佐藤武紀
照明:石田光羽
照明操作(東京):真田貴吉
舞台美術:竹腰かなこ
衣装:大平順子(安住の地)
宣伝美術:小泉俊(KODEMA[小泉デザイン製作所])
チラシイラスト:花屋敷鴨
特設サイト:三村るな
舞台写真:河西沙織(壱劇屋)
記録映像:坊内文彦(TRANSIT FIELD)
制作:菅本千尋(演劇空間ロッカクナット)、若旦那家康(コトリ会議)
協力:兵庫県立ピッコロ劇団、株式会社明治産業