インタビュー

【出張インタビュー】vol.2 西田悠哉(劇団不労社)from京都府

文筆家 折田侑駿

これまでCoRichでは公演情報のシェアをはじめ、全国の小劇場団体を対象に開催するCoRich舞台芸術まつり!などを通じ、地域を拠点とする団体とさまざまな交流を持ってきました。そんな豊かな出会いや関わりを活かして、Keicobaでは、全国各地で活躍する表現者へのオリジナル連載【出張インタビュー】シリーズを始動。日本の演劇シーンをたしかに彩る団体や劇作家、俳優などアーティストのみなさんにこれまでとこれから、そして現在地についてお伺いしていきます。

Vol.2は、京都府を拠点に活動する劇団不労社より、主宰で劇作家の西田悠哉さんが登場。メンバーとともに歩む劇団不労社の活動や、まもなくせんがわ劇場にて開幕を迎える『サイキック・サイファー』の創作秘話や拠点から見据える今後の展望まで、たっぷりお聞きしました。

撮影:宇治田峻

演劇との出会いは、雨の日

──西田さんの演劇との出会いについて教えてください。

もともと映画が大好きで、大学では映画研究部に入りたいと考えていました。それまでは観る専門だったのですが、自分でもつくってみたいなと。でも僕が進学した大阪大学の映研は、制作よりも鑑賞がメインのサークルだとオリエンテーションに参加して分かりました。その日、外は大雨が降っていて、このまま真っ直ぐ家には帰れない。行き場を失った僕は、ぶらぶらと大学内を歩いていたんです。そこで、一浪した僕よりも先に阪大に進み、演劇サークルで活動をする高校時代のクラスメイトとたまたま会って、もし暇なら新歓公演を観に来ないかと誘われました。この偶然の再会がすべてのはじまりです。公演は僕の演劇に対するイメージを壊してくれるものでしたし、その作品の演出をやっていた人は映研の部長でもありました。物語をつくるなら、演劇もありかもしれない。そう思って入部したんです。

──その雨の日の再会には、どこか運命的なものを感じますね。

でもじつは潜在的に、もっと前から演劇は面白いものだと感じていた気がします。「アオガネの杜」を主宰している中村馨くんも高校時代の同級生で、仲の良い彼に誘われて文化祭での公演を観たことがあったんです。当時の僕はサッカー部で、演劇部のノリがちょっと苦手だった。だから正直、冷やかすくらいの気持ちで観に行ったんですよ。でも実際に物語の世界を目の当たりにすると、そんな気持ちは微塵も生まれなかった。体育館という現実と地続きの空間であるはずなのに、そこに触れることのできない壁が出現しているのを感じました。そのときから演劇って面白いものだと心のどこかでは思っていたんでしょうね。ちなみに中村くんとはその後、偶然同じタイミングに「青年団」入団するという奇妙な縁もあります。

──演劇活動における原体験ですね。そこからすぐに作・演出する側に回ったのですか?

はじめて作・演出を務めたのは、一回生の終わりの新人公演でのことです。それまで脚本を書いたことがなかったので、映画や有名な演目を映像で観て学びました。『熱海殺人事件』や、宮藤官九郎さんの『鈍獣』、大人計画の『ふくすけ』や『マシーン日記』などなど、どれも動画で見たものです。劇場での演劇体験ではありませんが、これもまた僕の重要な原体験になっています。映画はクエンティン・タランティーノ監督などの作品から強い影響を受けていて、作品の枠組みは映画から得たものを、手法としては演劇から学んだものを採用してきました。それと、僕の大学在学時に平田オリザさんがちょうど教授として阪大にいらしたのですが、オリザさんとの出会いも、その後の僕の活動に大きく影響しています。

──西田さんが好む作品群と、オリザさんの手がける作品は、かなり距離があるように感じます。

基本的に過剰さに溢れる作品が僕は好きです。日常生活の中では避けがちな発言も、劇中のセリフとしてなら扱うことができる。日常と地続きでありながらも、圧倒的な虚構を立ち上げることができる。僕が演劇に興味を持ち、可能性を見出したのはこのあたりのことが理由です。かつては激しい感情やシーンを描くためには、自分自身も感情を露わにして向き合わなければいけないものだと思っていました。でも、性格も相まって僕にはそれが難しかったし、違う方法があるのではないかと悶々としていました。そしてこれを払拭してくれたのがオリザさんの存在なんです。オリザさんの創作における方法論が、僕にはしっくりきたんですよね。自分の好きなものや描きたいことと、僕自身のパーソナリティには大きな乖離がある。ヤンキー性とオタク性の両面を持っていると自分でも思うんです。だから不労社の作品には過激なものもありますが、その創作現場は真逆なんですよ。いかに穏やかな環境で、エクストリームなものをつくることができるのか。これが課題なんです。令和のいま、深作欣二監督のような作品をそのままつくることはできませんから。

旗揚げ公演は東京・下北沢で

左からメンバーの荷車ケンシロウ、むらたちあき、西田悠哉、永淵大河
撮影/宇治田峻

──劇団不労社はどのような経緯で旗揚げに至ったのですか?

旗揚げ公演は2015年のことで、関西ではなく東京・下北沢にある「ステージカフェ下北沢亭」で、『下北スモーキンブルース』という作品を上演しました。当時の阪大の演劇サークルでは自主企画を立ち上げることが流行っていて、この作品もそのうちのひとつでした。地元の富山に帰省した際、「アオガネの杜」を旗揚げする前の中村くんと一緒にやってみようよとなったんです。当時の彼は慶應の演劇サークルに所属していたので、そこから有志を募って公演を打ちました。ここで便宜上の団体名義にしたのが「劇団不労社」です。「劇団」と言いつつ、当時のメンバーは僕一人で、終演すれば座組は解散となるわけですが、その後『熱海殺人事件』を演出・出演した際にもこの名義を使い、気づけば個人活動の屋号のようになった。これが不労社の誕生の経緯です。

──現在は劇団員のみなさんと、次々に挑戦的な作品を生み出していますね。

不労社が本格的に動き出したのは、第3回公演『生きてんだか死んでんだか』(2017年)からです。この公演に荷車ケンシロウさんとむらたちあきさんが出演してくれており、永淵大河さんはチラシやチケットを作ってくれました。その後、大学を卒業して、映像制作会社に就職したことで僕の心境に大きな変化が起きました。社会人としてクリエイティブの世界に進んだわけですが、モノづくりはモノづくりでも、僕が演劇の世界で志向している芸術なるものとはまったく違う。この実感から、自分の純粋な表現の場を持っておくことの必要性を感じるようになりました。不労社が本格的な劇団へと発展した理由はこれです。現在のメンバーとは大学在学時から接点がありましたが、劇団員として声をかけ、ここまで密な関係になったのは2018年以降のことでした。

『サイキック・サイファー』稽古風景

──西田さんの作劇や演出ももちろんですが、不労社の魅力は俳優のみなさんの力に拠るところも大きいと感じています。不労社の作品に触れると、観劇体験そのものだけでなく、俳優のみなさんのことも忘れられないという。

これは自分たちの間でも話題になるのですが、みんな“2.8次元”的な佇まいですよね。僕らの共通のコードとして「表情芸術」というものがあるのですが、これはつまり、顔を起点に演劇をつくろうというものです。演劇ってけっきょくは、舞台上に立つ人間の顔に視線が集まるじゃないですか。視線の先にどういう顔があるのか、どんな表情があるのかは、演劇づくりをするうえでかなり重要だと思うんです。方向性を誤るとただの“顔芸”になってしまいかねないのでシェアするのは難しいのですが、不労社の作品固有のリアリティラインの中でベストなパフォーマンスを実現するためにも、これがとても重要なんです。そして、メンバーは三者三様のユニークな身体性を持っています。上演空間に合わせて自然と振る舞いが変わるので、非常に動物的な身体だと感じています。

FLOW series vol.1『悪態』(アートコミュニティスペースKAIKA)
撮影/肖藝凡

──脚本は当て書きなのですか?

不労社の作品は基本的に俳優への当て書きです。だから俳優の方々につくらせてもらっている感覚が強くありますね。いまの時代に、この社会で何を描くか。そのモチーフとなるものは僕自身が見つけますが、作品世界の中にどんな人物がいて、どのような言動を取るのかは、俳優たちから与えられる視覚的なイメージが関わってきます。そしてそれは演出にも大きく関わってくる。とくに劇団員の俳優とは、「表情芸術」をはじめとした上演のコードを10年以上かけて構築してきました。だから自分は劇作家や演出家である前に、「劇団代表」としてのアイデンティティが創作に深く関わっていると思います。

新作『サイキック・サイファー』では 満を持してラップ表現を採用

集団暴力シリーズ『MUMBLE-モグモグ・モゴモゴー』
(ロームシアター京都×京都芸術センター U35創造支援プログラム“KIPPU”として上演)
撮影/宇治田峻

──不労社には、ムラ社会的なコミュニティを舞台にした「集団暴力シリーズ」と、実験的な作品を創作する「FLOW series」がありますね。これについてもお聞きしたいです。

端的にいうと、前者が本公演で、後者が番外公演です。僕がムラ社会的なコミュニティに関心を持ったのは、東京生まれで富山に移住した経験からです。ローカルコミュニティの持つムラ社会性は、現実に存在するさまざまな集団に当てはまります。どこにでもある普遍的なものですし、これを不労社としては描き続けてみたい。その試みが「集団暴力シリーズ」なんです。これに対して「FLOW series」は、さまざまな制約から解き放たれた作品を創作するシリーズです。本公演は美術を立て込んでの上演を行いますが、こちらは少人数制で身軽で、ポータブルに上演ができるので、ツアーや演劇祭での上演も念頭に置いています。

──作・演出家としての西田さんの触れ幅の大きさ、引き出しの多さに驚かされます。

そんなに器用ではないですよ。ただ、影響を受けているものがとにかく多いんです。それらを、タランティーノ作品のようにサンプリング的に組み合わせていき、ソースのバラエティと組み合わせの妙でオリジナリティを獲得する。これがいまの僕の手法です。とはいえ、まだスタイルを固める時期ではないと思うし、まずは自分が飽きることなく創作をしていきたい。そんな思いからシリーズを分けて展開しているんです。それに、どちらを観たかで不労社の印象は大きく変わるはずなので、明確に分けるべきだろうという戦略的な意図もあります。

FLOW series vol.3『悪態Q』東京公演(北千住BUoY)
撮影/西田悠哉

──まもなく開幕する『サイキック・サイファー』は「FLOW series」の第4弾で、第15回せんがわ劇場演劇コンクールでオーディエンス賞を受賞した短編作品のフルスケール版ですね。本作の着想源についても教えてください。

僕の個人的な関心は、人が何を信じ、どのような世界観を自ら選択して生きるのかということです。これは熱心な仏教徒である父の存在が影響しています。いまなぜ僕らが生きているのかについて、ずっと言われ続けてきましたから。だから『サイキック・サイファー』をつくるに至った内的な動機のひとつとして、宗教との戦いがありますね。いつかは自分も仏教的な考えにたどり着くのだろうという予感があるいっぽう、ちょっとまだ反発したい気持ちもあるんですよ。これは父親との関係がベースにあるからこそかもしれませんね。

──信仰というものに強い関心があると。本作では“陰謀論”をモチーフにしていますよね。

陰謀論とはまさに、個人が各々の世界観とリアリティの選択をした結果として生じるものです。都市伝説やオカルト的なものって、かつてはネタやエンタメとして消費されていたじゃないですか。でもいつからか、メディアの力も手伝って、これが現実にも影響を及ぼすようになってきた。そしていまでは宗教的な存在感すらあり、「陰謀論 2.0」とも呼べる局面に突入していると思います。これを演劇作品の中で扱いたい。では、どう扱おうかと考えたときに、ラップだなと。

──ラップですか。

映画の知識もそうですが、僕はRHYMESTERの宇多丸さんから多大な影響を受けています。中学生の頃にヒップホップにハマり、自分でも音源を出したりしているのですが、演劇の手法としてラップを採用することに関しては、これまではしっくりきていませんでした。学生時代に出会ったままごとの『わが星』はいまだにマスターピースですし、演劇におけるラップ表現としては、あの作品が自分の中のひとつのハードルとしてありました。ではなぜ今回、ラップ表現に取り組んでみようと思ったかというと、ここにはラッパーの志人さんの存在が関係しています。

──2024年の『悪態Q』の京都公演にて、アフタートークでご一緒されていますね。

そのときに、「ラップは星座をつくるのに似ている」という話になったんです。僕らは宇宙に点在する星々をつないで、そこに何かしらの絵を見出しますよね。これに対してラップとは、本来は関係ないはずの言葉と言葉を韻律によってつなぎ合わせて、絵を描くものだといえる。志人さんがそんなことを言ったんです。すごく面白い話ですよね。では陰謀論はどうか。点と点をつなぎ合わせて何かしらの物語を見出すというのは、まさに同じようなメカニズムです。この世界に点在する事象と事象をつないで、そこに絵や物語が見えたとき、きっと誰だって気分が高揚すると思います。ラップと陰謀論の高揚のメカニズムには、非常に近いものがある。この気づきが、ラップ表現に取り組もうという僕の気持ちを後押ししたんです。

宣伝美術/永淵大河

──お話を聞いていると、『サイキック・サイファー』の表現手法はラップ以外ありえないのではないかと思えてきます。

この作品で描こうとしているのは、陰謀論の是非ではありません。人が何かを信じ、そこに絵や物語を見出してスパークするときに生じる、グルーヴそのものです。僕らの日常の中に隠されているものが明らかになっていく瞬間に立ち合う感覚を、この作品をとおして生み出すことができるんじゃないか。そんな仮説が起点になっています。タイトルに「サイキック」という言葉を冠したのは、目まぐるしく変容するこの世界で、いま一度サイキックなものが必要だと感じているから。かつての僕は合理主義者でしたが、いまは理屈じゃ説明できないほど、この世界はめちゃくちゃです。陰謀論が加熱する中で、スピリチュアル的なものの復権もあるんじゃないかと。仮想通貨だって、物質として存在しないものを信じる世界観のものですしね。不労社内ではPayPayのやり取りを頻繁に行っているのですが、これもひとつの着想源です。サイファーっぽくもありますし。

──東京のせんがわ劇場で上演したあと、ロームシアター京都の敷地内にて野外上演をされるそうですね。

もともとレパートリー化しようと思っていた作品で、場所を変えて上演を重ねる構想がありました。でも、これまでの「FLOW series」の作品は、上演する劇場空間の環境に寄せたものばかりだったんです。これは制約でもあるので、レパートリー化するのは難しい。そこで『サイキック・サイファー』の裏プロジェクトとして、“スーパー・シアトリカル・マシン計画”を立ち上げました。これ、僕が言ってるだけなんですけどね(笑)。テントを改造し、スクリーンをドッキングさせたもので、要はどこにでも持ち運びができる舞台セットです。これがあれば、『サイキック・サイファー』をどこでも上演できる。どこでも上演できるなら、僕らとしては野外上演の可能性を探ってみたい。そんな思いからツアーを組みました。

『サイキック・サイファー』初演(第15回せんがわ劇場演劇コンクールにて上演)
撮影/青⼆才晃

新世代の関西演劇シーンの中心に

──不労社は京都が拠点ですが、関西圏を飛び出しての活動が目立ちます。上京する必要性はとくに感じていませんか?

大学進学とともに大阪に移り住み、長い時間を関西で過ごしてきました。でも、僕の生まれは東京で、育ちは富山です。ときどき、自分の故郷はどこなのだろうと考えます。ヒップホップ用語でいうところの「フッド」が僕にはないんですよね。「FLOW series」は実験公演をフラフラとあちこちで上演することを目的にしていますが、これは僕個人のアイデンティティが強く関係しているんです。そんないまの不労社にとって、京都に拠点を置くというのには、いろいろと利点があります。東京のほうが段違いに市場規模が大きいのは当然ですが、京都だとひとつの決まった稽古場を継続利用しながら創作ができる。稽古場を転々としなければならないのは、少なくとも不労社の創作にとってはかなりのマイナスだと僕は考えています。それから京都にかぎらず関西は、ほかの演劇人の顔が見えるのもいいですね。良くも悪くもみんな顔見知りで、これは僕の関心のあるムラ社会的なるものとも関係しています。大きなことをいうと日本人は、このムラ社会性と付き合い続けてきました。ここから逃れることで得るものがあれば、失ってしまうものもあると考えています。

『サイキック・サイファー』稽古風景

──西田さんが呼びかけ人となって発足した西陽〈ニシビ〉についてもお聞きしたいです。関西舞台芸術シーンの再興/再考を軸にしつつ、団体間を越境し合っての活動を展開されるプロジェクトですよね。これはどういう想いからスタートしたのでしょう?

劇団の活動って、密で強度が高いがゆえに、あまり再現性がないんですよね。個人と個人の偶然のめぐり合わせによって、いまの不労社があるし、これまでの作品は成立してきました。先人たちや周囲を見回してみても同じようなものだと思います。そこにはやはり再現性がない。これが僕の問題意識としてありました。再現性を獲得していくためには、不労社がより広い世界で発展していくこととは別に、自分たちが身を置いているシーン全体の土壌を耕していかなければならない。そう考えたときに、劇団とはまた違うコミュニティを築く必要性に思い至りました。そうして立ち上げたのが西陽〈ニシビ〉なんです。劇場やNPO団体のような公的機関が主導するのではなく、インディペンデントな環境でのギルドのようなものです。プロジェクトの第一弾として戯曲集『篇西風』を刊行し、24時間のイベントを開催したりしました。僕は呼びかけ人ではありますが、リーダーではない。風通しのいい環境で同じような問題意識を持つメンバーたちと、オルタナティブな活動を標榜していこうと思っています。

西陽〈ニシビ〉プロジェクトメンバー 左より時計回りに泉宗良、中村彩乃、キャメロン瀬藤謙友、吉岡ちひろ、川村智基、西田悠哉、

──西陽の活動として、そして、西田さん個人の活動として、最後に今後の展望について教えていただけますか。

不労社が上京しない理由には、東京だと演劇市場のゲームに飲まれてしまう気がするというのもあります。資本的な観点から見ても、東京には市場がありますよね。そしてこの市場があるがゆえに、多くの人々がやらなくてもいいゲームに巻き込まれている印象がある。たまに巻き起こるSNS上の議論のほとんどが実態のないもののように思うし、そこでは演劇の本質を見失っているように思ってしまいます。僕個人はいろんなものに影響を受けていますが、正統な演劇教育は受けていないし、直接的に技術や心構えを教わった本当の意味での師匠も先輩もいません。それでも、いや、そうだからか、つねに演劇に携わることへの疑いや自問自答があり、結果として東京の外に拠点を置きながらも、クオリティとしては遜色のないものをつくり続けられていると実感しています。東京ばかりに面白い人たちが流れていかないようにするためにも、西陽〈ニシビ〉などの活動もとおして、地方における演劇との関わり方を模索してみたいです。僕は演劇は原始的な営みであり、資本とは異なる力学で動いている部分もあると思うので、市場経済の中でお金を稼いだり生計を立てる手段とは、根本的に切り分けて考えたほうがいいと考えます。「なぜ演劇なのか」という問いに、いつも立ち返る必要があるのではないでしょうか。

取材・文/折田侑駿
稽古場撮影/丘田ミイ子

<プロフィール>
⻄⽥悠哉/1993年東京生まれ、富山育ち。大阪大学在学中に劇団不労社を旗揚げ。青年団に所属しながら、京都を拠点に活動。ハイカルチャーとローカルチャー、恐怖と笑いをハイブリッドに掛け合わせながら、現代社会に潜む歪な人間模様を滑稽かつグロテスクに描く作劇を特徴とする。これまでの受賞歴に、関西演劇祭2021ベスト演出賞、若手演出家コンクール2022 優秀賞のほか、演劇人コンクール2024にて18年ぶりとなる最優秀演出家賞および観客賞を受賞。

劇団不労社/2015年に代表の⻄⽥悠哉が⼤阪⼤学を⺟体に旗揚げ。2022年よりKAIKAアソシエイトカンパニーとして、京都を拠点に活動。メンバーは西田のほか荷車ケンシロウ、むらたちあき、永淵大河、猪岡瑛斗の5名。団体の主な受賞歴として、第2回 関西えんげき大賞優秀作品賞・観客投票ベストワン賞、第1回 日本みどりのゆび舞台芸術賞HOPE賞など。

<公演情報>
FLOW series vol.4『サイキック・サイファー』
作・演出:西田悠哉
出演:荷車ケンシロウ、むらたちあき、永淵大河、西田悠哉
音楽:in the blue shirt

<東京公演>
‐第15回せんがわ劇場演劇コンクールオーディエンス賞受賞公演 –
5⽉29日(金)20:00
30⽇(⼟)12:00/17:00
31⽇(⽇)12:00/17:00
会場:調布市せんがわ劇場

CoRichチケット!:https://ticket.corich.jp/apply/444045/

<京都公演(野外公演)>
6⽉12日(金)19:30
13⽇(⼟)19:30
14⽇(⽇)19:30
会場:ロームシアター京都 ローム・スクエア

CoRichチケット!:https://ticket.corich.jp/apply/444046/

劇中映像:岡本昌也 
舞台装置:竹腰かなこ
照明 :中村仁(東京公演)、渡辺佳奈(京都公演)
音響 :おにぎり海人
舞台監督 :しますえ茶髪(東京公演)、脇田友(京都公演)
演出助手 :上村陽太郎、田中陽太
ドラマトゥルク:森岡拓磨、 三橋亮太
制作 :劇団不労社制作部
制作協力 :石塚晴日、河﨑正太郎、吉岡ちひろ
当日制作 :千田ひなた(東京公演)、渡邉裕史(京都公演)
進行管理 :荷車ケンシロウ
宣伝美術 :永淵大河
特設ホームページ : 三村るな
所作指導 :櫻井拓斗
技術監修 :三橋琢
協力:かまどキッチン、黒猿、 劇団美辞女、 合同会社nochi、 コーポ 指、コトリ会議、小骨座、人身工場ゲロリスト、ソノノチ、譜面絵画、ベイビー、ラン、 ぺぺぺの会、 よた、 冷凍うさぎ
主催・企画・製作:劇団不労社
助成:公益財団法人セゾン文化財団、公益財団法人全国税理士共栄会文化財団、芸術文化振興基金

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