つのの観てきた!クチコミ一覧

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窓越し

窓越し

青色遊船まもなく出航

劇場MOMO(東京都)

2020/01/30 (木) ~ 2020/02/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2020/02/02 (日) 12:00

「幸せ」とは何なのか。
それぞれの思いが織りなすほろ苦い群像劇。
以下、ネタバレBOXにて。

ネタバレBOX

いきなり私事で恐縮ながら、まもなく、節目の結婚記念日を迎える我が家。
去年、同じく節目を迎えた知り合い夫婦が離婚。
結婚って何だろう?と思うことが多い今日この頃、そういうタイミングで
結婚と離婚を扱った本作を観劇するのも、巡り合わせというものか。

本作は川を挟んで向かいに住む二組の夫婦を軸に物語は進む。
テーマの柱としてあるものは「幸せとは何か」ということではあるのだけれど、
そんなに単純な話でもない。

まぁ、言ってしまえば、夫組の二人はクズですよ。そしてガキ。
梅沢富美男あたりに一喝されちゃうやつ。
ただなー…男として、夫として、人として、全く理解できないかと言われれば、
そんなこともなく。
さりとて、共感もできない。同情もできない。
この二人に関しては、感情の持っていきどころが非常に難しかった。

まぁ、学はね、わりと分かりやすいアウトだなって思う。
昔の女が忘れられなくて、その女の方でも男の方が忘れられなくてってなったら、
心がぐらつくのは、正直、分かる。
でも、そのくせ、与一のことはよく思わないわけだからねぇ。
あんた、自分勝手だよ、って思うけれど、そんな理屈だけで割り切って生きて
いけないから、辛いんだよなという思いもある。
ただ、共感も同情もしないけれどね。

卓真の方は、パッと見、学以上にクズ感があるし、残念ながらその通りなん
だけど、いや、ホントにこの人は…
何というか、割り切れない人なんだろうなぁ。
卓真が本当にやりたかったことは、目の前で消えかけている命、すなわち、
初季のおなかにいる子を、守ることだったんだと思う。
もちろん、家族を持ちたいのに持てない初季の悲しみを救いたい気持ちはあっ
たろう。
けれど、それ以上に、彼は小さく弱い命が目の前で失われることに耐えられな
かったんだと思う。

それを女性陣が指摘したように「病気」の一言で片づけることは、正直、どうか
と思うが、言われても仕方のないことだとも思う。

多分だけれど、卓真はまた同じことを繰り返すと思う。
彼にとって、大切なのは「彼自身が小さな命を救った」ことであって、それを
永続させることではない気がする。

この物語が象徴するように、誰かにとっての幸せは、誰かにとっての不幸になりうる。
世の中、すべてがWin-Winにはなりえない。zero-sumになることだって少なからずある。

にもかかわらず、卓真は少なくとも、彼自身の目に留まった不幸は、全て自身の手で
救おうとしているように思える。

それ自体は、まぁ、悪いことではないかもしれない。
如何なる事情であれ、目の前にある不幸を見過ごすことが良いことだとはもちろん思わない。

ただ、彼が大変な勘違いをしているのは、彼が与える幸福はあまりにも刹那でありすぎること。
苑子には結婚という幸せを与え、初季には家族という幸せを与えた。
でも、それだけ。
そこから後のことに目が向かない。
幸せを持続させることよりも、不幸な人を幸せにしたい。
それが結局は、大量の不幸を築いていることに気づいてない。
初季の「醒める夢なら最初から見させないで」という主旨の言葉は、何とも象徴的である。

結局、厳しい言い方をすれば、彼の優しさ、使命感は、彼のためのものであって、
他者に対してのものじゃない。

卓真の苑子に対する
「君はひとりでも大丈夫」
という言葉は、自分勝手の極みで、私は席上からロケットパンチを食らわせてやりたい衝動に
駆られたが、彼が苑子に抱えていたコンプレックスを思うと、この部分に関してだけは同情的
になった。

書きながら、ちょっと背筋が寒くなったのは、三戸。
彼はある意味、幸福追求の原理主義者。
幸福は行動しないと手に入らないと信じ、グイグイと突き進む。
彼は天真爛漫であるだけに、平気で紀香に対しても、そして苑子に対しても、幸せに
なって欲しいといって憚らない。

その心意気は良いんだけど…
行く末は卓真以上のクズに進化しそうでちょっと怖い。
卓真は、まだ自分のありように対しての疑問があるだけまだいいのかもしれない。
三戸は…多分、そういうのないだろうから、ちょっとヤバいよねぇ。
EDでベランダから桜を観ている時の表情はすごく良かったけど。
あれはグッと来たな。

まぁ、男ってのは、基本バカで、子供で、ロマンチストでナルシストだなって改めて思う。
皆が皆そうだとは思ってないけれど、そう思ってしまうことは少なくない。

ろくな男がいない中、江田と与一の存在が、この物語に光を与える。
とはいえ、江田はめちゃくちゃいいやつだなと思う反面、柔軟性には欠けるきらいがあるし、
煙草のタイミングをアラームで設定しているというのは、正直、ちょっと引いてしまったけれど、
彼自身、その異常さに気が付いているところが救いだなと思う。
作中では詳細に言及されてはいないけれど、彼は一度ストレスで身体を壊しているのかな。
大好きな羽田さんが演じておられたという事は抜きにしても、男性陣の中では、一番好きな
キャラだった。

与一もまためちゃくちゃいいやつなんだけれど、紀香との距離感は、見誤っている感がある。
まぁ、これも良くある話ではあるんだけどねぇ…
与一はつらいなって思う。
あれだけ献身的に紀香に尽くしているにもかかわらず、当の紀香からは男性としては見られて
ないんだし。

与一と紀香って言うのは、お似合いには見えるのかもしれないけれど、じゃあ、付き合ったら
どうなんだと言われれば、きっと上手くいかないだろうなという気はしている。
根拠はないんだけどね。何となく。

人それぞれベストの距離って言うのがあると思う。
紀香と与一は、性別を超えたところでの繋がりがベストだと思う。
愛だの恋だの言う次元をはるかに超えたところで、人としての繋がりを持ってほしいなって、
個人的には思っているけれど・・・与一はいつか、自分の気持ちを伝えてしまうような気がするなぁ。
そして、それは、埋まらない溝を二人の間に作ってしまう気がする。

江田と与一はともかく、ガキが揃う男性陣に対して、女性陣は総じて大人。
苑子の女神っぷりは、もはや、涙なしでは観られないんだけれど、その女神っぷりが、ある意味では、
卓真を不倫に走らせる要因になったのは、何とも皮肉ではある。
とはいえ、これもよくある話ではあるんだよなぁ、悲しいことに。

あまりにも幼い卓真に対して、苑子は大人であり過ぎたように思う。
もちろん、それは苑子には責任のある話では全くないんだけど、まぁ、男を見る目がなかったとしか
申し上げるほかない。

それにしても幸奈の存在は大きい。
悲惨と言っても良い苑子の境遇に、幸奈の存在がどれほど支えになったろうか。
いくら友達のためとはいえ、なかなか、探偵までは雇えない。
親友というには、あまりにも熱いつながりだなと思う。

本作で一番好きなシーンが二人のやり取りのシーン。
「あの時の私、今のあんたの顔してた」
みたいなやり取りがあったところなんだけど、あのやり取りはすごく好きだったな。
ちょっとウルっとしながら観てしまった。

雇われた探偵の後藤は、実は全キャラの中で一番好き。
ビジネスライク、無関心なようでいて、何だかんだ色々と気にはしているんだよね。
ちょっとおいしい役だな、と思いながら観ていた。
そして着ていたMARVELトレーナーがめちゃくちゃ似合ってた。あれ、私も欲しい。

苑子は男運には恵まれないが、同性の知人には恵まれているなと思う。
幸奈、後藤はもちろんだけど、涼子もそう。
彼女はこれからも妹ではあり続けるんだけど、あらかた片が付いたところで、
苑子を思いギャン泣きするところがあるんだけど、あそこも良かったな。
メッチャいい子だなって思う。
ただ、ちょっと分からなかったのは、
「苑子さんはかわいそうじゃない。かわいそうなのはお兄ちゃん」
っていうセリフ。
あれが未だに呑み込みきれてない。
あれはどういう意味だったんだろうなぁ・・・

「結婚」というものを軸として「幸せ」を考えた時に、紀香、小町、亜矢が思う、
それぞれの「幸せ」の形が面白い。

結婚だけが幸せとは思わない小町。
結婚に幸せを見出そうとする亜矢。
そして。
結婚は必ずしも幸せなことばかりではないが、さりとて、不幸なものでもないと
思う紀香。

小町と亜矢の思想は対極的だ。
そのまさに中間、もっと言えば俯瞰する立場にある紀香からすると、二人の思いに
それぞれ感じるところはあったのではないかと思う。

多分、紀香は結婚するまでは亜矢と同じ考え方だったのではないか。
けれど、結婚してから色々な現実を見たのだろう。
彼女自身が言ったように、結婚相手というのは、家族には違いないが「他人」である。
何もかもが重なるわけではない。

象徴的なのがトイレのごみ箱と、与一の風呂掃除のエピソード。
ひどく些細なことに見えるが、実際の結婚生活で火種になるのは、浮気、不倫の類よりも、
こうしたごくごく日常における意見の相違である。

紀香の中から、結婚に対して抱いていた夢や憧れは、日に日に色褪せていったと思う。
けれど、彼女は、学が「他人」であることを意識したうえで、言うなれば「60点の結婚生活」
に妥協したのではないかと思う。

残りの40点にはトイレのごみ箱や、亜矢との浮気が入っているのだろう。
けれど、それを差し引いても、幸せだと思える60点分が残っていると考えたのではないか。
だから、彼女は自らを
「幸せ」
と言えるのだと思う。
その40点がどれだけ辛いものであったとしても。学をマジで殴り倒したい。

作中、ただ一人、幸せになったといっても良い初季。
ずっと不幸な境遇のまま生きてきた彼女が、望んでいた殆どすべてを一日で手に入れてしまう。
そのことに恐怖し、泣きじゃくる彼女の姿は、非常に印象的だった。
これから先、彼女が幸せに生きてくれることを、個人的には願ってやまないけれど、相手が
卓真だと思うと、彼女の行く末を案じずにはいられない。

川向こうの家の明かりが、温かいものに見えても、その中にある空気が、必ずしも温かいとは限らない。
言ってしまえば「隣の芝生は青い」だけであって、誰しもが、それぞれの思いを抱えて生きている。
幸せの形も人それぞれ。結婚の形も人それぞれ。

本作を観て、すっきりした気持ちで劇場を後にしたかと言われれば、正直、全くそんなことはない。
観劇後、こうして感想を書いている今でも、飲み込み切れない部分は多々ある。

私にとっての幸せ、妻にとっての幸せ、我々夫婦にとっての結婚って、一体、何なんだろうと
考え続けているけれど、その答えもまだ見えてこない。

けれど、そういうことを考えるきっかけが出来たことはとても大きい。
結婚してしまうと、何となく、惰性で時は流れてしまう。
一度立ち止まって、色々と考えてみたいなと思う。
三戸の「行動しない人のところに幸せは訪れない」という言葉が、胸の中でざわついている
理由も考えてみたい。

何はともあれ、人生において観ておくべき演劇を、観ておくべきタイミングで観劇できたと思う。
劇団の皆様、役者の皆様、素晴らしい舞台を本当にありがとうございました。

スノー・ドロップ

スノー・ドロップ

感情7号線

劇場HOPE(東京都)

2020/01/11 (土) ~ 2020/01/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2020/01/11 (土) 14:00

例え「現在」が変わらなくても…
もう一つの並行世界に希望を託した苦しくも美しい物語。
以下、ネタバレBOXにて。

ネタバレBOX

今年最初の観劇。

田中愛実さんからご招待を受けてお邪魔しました。
予約を入れてからは一切の情報を遮断していたので、どんな話なのかはフライヤー以上の
内容は分からないままに観劇。

まさかのタイムトラベルものだったのにはビックリ。
過去にメールを送るという設定は、奇しくも年始に暇を持て余していたときにやった
某有名アニメの原作ゲームでも登場するので、そう言う意味でも驚いてしまった。
巡り合わせってのはあるんですなぁ。

タイムトラベルものはそれこそ多くの作品が存在するので、話としてはどれも似たり
寄ったりになってしまうけど、本作は厳密に言えばタイム「トラベル」ではない。

出来るのはあくまでも「過去にメールを送る」事だけ。
作中でも真白が言うように「逆タイムカプセル」でしかない。

もう一つ面白いなと思ったのが、過去にメールを送ったところで、未来が変わるわけではなく、
新たに並行世界が出来ると言う事。

だから作中表現で言うところの世界Aはもう変えることが出来ない。
けれど、その世界の悲しみを埋めることは出来なくても、その悲しみのない世界Bを作ることは
出来る、、、かもしれない。

その可能性を信じて奔走する真白たちの姿が痛々しくも美しい。

我々観客は世界Bの2026年を知っている。
けれど世界Aに住まうものは、それを知ることは出来ない。

本当に桃花は救えたのだろうか?
確かめようのない事実に、色んな思いはあったと思う。
けれど世界Bが、彼らの望むものになっていると強く信じる彼らの姿は眩しかった。

とは言え、世界Bが本当の意味で、あるべき姿を取り戻すのは2026年。
桃花を助けるためとは言え、多くの仲間を巻き込み、そこに亀裂を入れざるを得なかった
真白たちの苦悩は想像を絶する。
6年だもんなぁ、、、真実が明かされるまで。
長いよね、、、

タイムトラベルものって、どうしても時系列が激しく動くから、演劇のように背景をイジれない
ジャンルでは過去や未来の表現が難しいと思うんだけれど、本作はそう言う意味では世界Aと
世界Bを並べる事で、分かりやすく表現されていた気がする。

ただ屈託のない笑顔が弾ける世界Aに対して、世界Bはどうしても澱んだ空気が立ちこめる。
この辺りのギャップの付け方が巧みだなと思いつつも、私は胸を締めつけられておりました。

世界Bの2026年は、はっきりとは説明されない。
6年という時間は長く重いけれど、願わくばかつての仲間は何らかの形で繋がっていて欲しいなと
思わずにはいられない。

私はネガティブで後悔しがちなタイプだけど、なぜか「あの時に戻りたい」とか「あの時こうすれば
良かった」と言うのがあまりない。
けれど、こういう仲良し大学生たちが登場する演目を観たときは、大学生活をやり直したいなって思う。
もっと勉強したいし、もっと楽しく遊びたかった。
そう言う意味でもこの作品は印象に残ったかな。

それにしてもこのお芝居、素人目に見ても、すごいなと思ったのは、役者の皆様の動き。
本編中、結構長い時間が逆再生に費やされるんだけど、あれってかなり難度が高い動きだと
思うんだけど、あまりにも、皆さん、あっさりとやってのけておられたので、そうでもないんだろうか。
私からすると、驚異的な動きで、結構見入ってしまった。

後ろ歩きで、背の高い純一は頭をドアにぶつけないだろうか、ぶつからずに泥棒とシロの間を縫って
戻ることが出来るんだろうかと、余計なお世話をしてしまうことも。
早着替えもすごかったしねぇ。ちょっと目を疑うくらいに早かった。

そういう意味ではホントにびっくりしたのが二ノ宮が壁に穴をあけるシーン。
いや、もう、あれイリュージョンですわ。
ほんと一瞬で額縁をどけて、さも、今、穴が開いたように見せるあの早業はすごかった。
しかも世界A、B、二回あったしね。
上演中だけど、拍手をしそうになってしまった。

令和二年の記念すべき観劇初めに拝見させて頂いた本作。
おかげさまで気持ちの良いスタートを切れました。
役者の皆様、劇団関係者の皆様、素敵な舞台をありがとうございました。
そして、田中愛実さん。
ご招待いただき、本当にありがとうございました!
すれ違いざまのご挨拶でごめんなさい!
共演者

共演者

2223project

小劇場 楽園(東京都)

2020/01/09 (木) ~ 2020/01/15 (水)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2020/01/13 (月) 14:00

「想像を超えた」大傑作会話劇。
ありのままの人間の醜くも温かい姿がここにある。
以下、ネタバレBOXにて。

ネタバレBOX

観劇のきっかけはフライヤー。
めちゃくちゃカッコいいな、と思ってよくよく見たら、『なるべく叶える』展の
保坂萌さん撮影でした。納得。

楽屋での会話で進行していく物語。
メインである4人の女性の会話は赤裸々で生々しい。
この脚本は絶対に女性が書いたなと思ったんだけど、男性が書いていたので心底驚いた。
うーん、すごいな。

そんな生々しさに、役者さんの熱演が乗ってくるから、もう、とにかく圧力が凄まじい。
二列目という事もあったし、劇場の構造上、舞台が近いという要素はあったにせよ、
あの迫力は、私がこれまでにみた演劇の中では最大級の迫力だった。
シーンによっては、正直、ちょっと怖かったりもしたくらいだ。

この作品で、私がすごく良いなと思ったのは、女性の言葉遣い。
「~だわ」
「~かしら」
「~よね」
という、よく見かける「ザ・女性口調」とでも言うものが一切なかったこと。
私は40年以上生きているけれど、創作ではよく聞くこの口調を、リアルで話す人間を
片手で十分数えられるぐらいしか知らない。
だから、演劇でも何でも、女性がこういう口調で話すたびに、何となく違和感を
感じてしまうんだけど、本作ではそういう違和感が一切なかった。
少なくとも、私にとっては、没入感を高めてくれた大きな要素の一つである。
私の周りは、劇中のような口調で話す女性ばかりなので、非常に入り込みやすかった。
女子同士の会話って、実際あんな感じだもん。

本作を振り返ってみて感じるのは「ありのままの人間の姿」を見たなぁという事。
高校の同級生4人が旗揚げした劇団。
会話の内容からすると10年以上の付き合いになるんだろうけれど、じゃあ、4人は
仲が良いのかと言われれば、それはまたちょっと違う。
ショウはやっちゃんの演技力に、そしてやっちゃんはショウの女としての強かさに
それぞれ嫉妬の感情を持っている。

この微妙な距離感がものすごくリアル。
やっちゃんがやったことはもちろん許されることではないんだけれど、その気持ちというか
衝動というものは、分からないでもない。

一方でショウは女を武器に出来る強かさを持っているのは確かだけど、その実、一途
な面もあり、損な立ち位置だなという気も。
何だかんだで、この同期4人で芝居をしたいと一番強く思っているのは、ショウなのかな
という気もする。

自分の演技がやっちゃんに及ばないことは、ショウ自身がよく知っているのだと思う。
降板するときの、彼女の
「芝居うまかったらよかったかね」
というセリフはどうにも切ない。

追いつきたいのに追いつけない。
追いつくための努力を認めてもらえない、分かってもらえない。

力はあるのに、客を呼べない。
力はないのに、客を呼べてしまう女との共演。

お互いのストレスが膨れ上がって、ついには弾ける終盤の二人の対峙は、率直に言って
怖かったし、震えた。

ただ、この楽屋で4人がそれぞれの思いを、文字通りぶちまけて、ぶつかり合うこのシーンは
私にとっては、生涯、忘れられないくらいの名シーン。
ショウとやっちゃんの対決も見どころだけれど、そこに割って入るコングがすごく良かった。
暴力的ではあるけれど、彼女の言うことは間違いなく正論だし、説得力もある。

そして最終的にまとめ上げるまなみの姿はもう涙なしでは観られなかったし、さすがは主宰と
いうべきなのか、そのまとめ方も実にお見事。
コングの
「こいつ、すげぇな」
という言葉は、彼女のみならず、私を含めた観客も同じ思いではなかったか。

「想像を超えたい」
っていうまなみの言葉は、ちょっと、ハッとさせられたな。
彼女たちの魂の叫び、胸にしっかりと刻まれた。

・・・が。

この場面に限ったことではないんだけど、本作のすごいなと思うところは、そう簡単には
ハッピーエンドにさせないこと。

楽屋に二人きりになった時、ショウはやっちゃんに、自分の夫が、ピッピであることを告げる。
3年という時と、それ以上のものを奪われたショウの復讐。
そりゃ、そうだろう。ショウの気持ちを思えば、いくらコングやまなみの言葉や思いがあったとて、
そう簡単に納得できるものではない。
それをこういう形で、復讐の思いを遂げさせたことは、ある意味、書き手の優しさであるようにも
感じる。

もしも、このくだりがなく、次のシーンに移ったとしても、それはそれでキレイだし、成立もする。
「ショウは大人だね」と観客もまぁ、納得はできるだろう。
けれど、私としては、ショウがああいう形で復讐を遂げることで、むしろスッキリしたし、納得した。
そんなに人間、キレイなものでも、大人になりきれるものでもない。

やっちゃんにとっても、やられた!という思いはあれど、自身に対する負い目は軽くなったのでは
ないか。
すごく人間味がある、それでいて、スパイスを聞かせた脚本だなと思う。
この時のやっちゃんの、
「芝居だけは渡さない」
っていうセリフが、また良いんだなー。

そして最後のシーン。
ここの展開も実にお見事。素晴らしかった。
ピッピを共通の敵にすることで演出した、ショウとやっちゃんの一体感。
私、この場面で、すごく好きだったのが、まなみがPCを持ってトイレにこもった時の、二人の
静かなやり取り。
周りが脚本の完成を危ぶむ中、まなみの様子を見て、
「いけそう」
「いけそうね」
と脚本の完成を確信する。
これは痺れた。
水と油の二人だけれど、お互い、どこかで信頼し合っている部分がある。
そういう部分を垣間見せる、この演出、ホントに素敵だと思った。

まぁ、とにもかくにも。

これほどまでに「生きた人間」を描いた作品にはそうそうお目にかかれるものではない。
何よりもすごいなと思うのは「胸糞悪い」と言っても過言ではない、人間の醜悪な感情の渦を、
何ら飾りを加えることなく、心温まる物語にしてしまったその手腕。

そしてその素晴らしい脚本を、役者の皆様が完璧以上に舞台の上に展開させたと思う。
特に女性陣は、感情をむき出しにするシーンが多く、その辺りの表現の圧力は冒頭でも触れたように
本当に凄まじかった。
「熱演」というのはまさにこういうのを言うんだろうな。

対して男性陣は三者三様のスタイルで、女性陣ほど、激昂するシーンはないんだけれど、ぴっぴの
真っ直ぐなバカっぽさ(笑)、かーくんのどこまでも深い優しさ、都倉のビジネスマンらしいカリカリ
した感じが、目まぐるしいストーリー進行の中で、良いアクセント、あるいは休符になっていたように
感じる。

さて、私は劇団関係者ではないので、この物語が、どの程度、小劇場の舞台裏をリアルに再現した
ものなのかは、分からないけれど、演劇が出来るまでの過程を知るという上では、興味深い部分も
あったし、勉強になりました。

いやー、しかし、ホント素晴らしいものを見せて頂いてしまった。
映像化されたら絶対に買う。
色々な意味で「ザ・小劇場演劇」だった気がする。
正直、感じたことの半分も伝えられていないのがすごく悔しい。
でも、それだけ、言葉に出来ないくらいの魅力が詰まった作品でした。

役者の皆様、劇団関係者の皆様、最高の舞台を本当にありがとうございました!
マジで最高!大好きです!!
キュート・イズ・ビューティフル

キュート・イズ・ビューティフル

ピンクの汗

小劇場てあとるらぽう(東京都)

2019/12/28 (土) ~ 2019/12/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/12/29 (日) 11:00

崩壊した家庭が行きついた先に見出した活路。
それぞれの思いが交錯する再生の物語。

ネタバレBOX

急遽休みになったこの日。
何か面白そうな演劇はないだろうかと探した中で、候補は4本あったのだけれど、散々迷った末に、
こちらを選ばせていただいた。

候補の演目はどれもこれも面白そうだったけれど、決め手になったのは、ピンクの汗さんにとっては
旗揚げ公演だったこと、そして社会人劇団だと言う事。

私は演劇を作る側に関わったことはないけれど、仕事をしながら、別の何かを運営することがどれだけ
ハードな事かは容易に想像できる。
それでもなお劇団を旗揚げしようというその志がまず素敵だなと思ったし、その熱量のこもった演劇を
感じたいという思いがあった。

年末のこの時期、旗揚げ公演、演目のタイトル、粗筋などなど。
引っくるめて想像するに、崩壊した家庭を面白おかしく描いたコメディかなと思っていたのだけれど、
そんなお気楽なものではなかった。

主宰である山本鹿さんが前説で語ったとおり、過激な描写もそれなりにあるし、崩壊の途上にある
家庭環境が描かれる過程で、胸元を抉られるような思いもあった。

荒れた家庭を象徴するかのように、家庭ごみが散らばったテーブル、そして部屋のあちこち。
照明の当て方が、また実に素晴らしい。寒色、暖色を状況毎にうまく使い分け、影のつけ方も
非常に効果的と感じた。

そして脚本。
パンフレットにもあるように本作は崩壊した家庭を描いた物語。
最後には結局「活路を見出す」ことになるのだけれど、それを最後まで描き切らなかったところが
私はとても良い終わり方だなと思った。

この家庭はもともとはとても仲が良く、幸せな家庭ではあったのだけれど、その崩壊に至った
きっかけ、崩壊から再生に至るまでの道筋は、各登場人物ごとに見解が異なっている。

親にとっての普通は、純粋な子供にとってはインパクトがありすぎ、逆に子供の浅慮は、親の
想像を超えてしまう。

親と子、大人と子供、そして、医者とソーシャルワーカー。
こうした対立の軸、見解の相違。

それらは、ごく当たり前だし、普通のことではあるのだけれど、溶け込みすぎてしまっている
普通を浮かび上がらせ、脚本に盛り込んだ巧みさが秀逸。

話の構成も実にお見事。
終盤、譲路が自我を取り戻したかのように見えるシーンに代表されるように「あぁ、このあとは
こうなるんだろうな」という観客の予想を一瞬、見せておきながら、するりと直後に躱しに入る
あのあたりの匙加減というか、案配が非常に巧み。

全体を通して見ると、その辺りの匙加減が、リアリティを増幅しているような気がする。
観ている側としては、譲路に自我を取り戻しては欲しいけれど、実際のところ、自我を失い、
強迫神経症にまでなってしまった人間が、そんなに簡単に自我を取り戻せるわけがないのである。
そういう現実を見せつつも、どこかに希望を感じさせる、その見せ方が、私はとても好きだった。

ここからは、各登場人物目線で、お話を振り返り。

壇譲路(市川一時間さん)

何といっても終盤で、伊田嶋に対して「ずっと前から守らなきゃ行けないと思っていた気がする」
と語るシーン。
ここですよね~。もう、涙なしでは観られなかった。
そして、市川さんは声が良い。
ガッキーと、譲路で声色を使い分けるけれど、譲路になった時の声がね、とても心地よく劇場に
響くわけです。
YouTubeでの事前配信も、とてもいい味を出しておられた。
楽しく拝見させて頂いておりました。

壇真理(愛美さん)

私は男だけれど、何だかすごく真理の思いが沁みました。
貧乏から来る金銭への執着、かつてナンバーワンキャバ嬢だった自分への執着。
過去にとらわれ過ぎて、変貌してしまった自己嫌悪から来る周囲への疑心暗鬼。
夢をかなえても幸せになれなかったと語る彼女の言葉は胸を抉りまくった。
過去は過去でしかないし、大切なのは今、そして、これから先のこと。
大事なことを教わったような気がしました。
演じられた愛美さん、最後に外部からの支援をついに受け入れることを決意した
時のあの穏やかな表情、とても素敵でした。

壇おとぎ(あさぎりみつはさん)

なかなかのグレっぷりで、あさぎりさんの演技も鬼気迫るものがあって、結構怖かった。
でも、これって間違いなく、家族に対する愛情の裏返しなんですよね。
愛と憎しみは背中合わせとは言うけれど、そんなことを思い出しました。
フライヤーに書かれている、
「逃げないでよ。最後までちゃんと戦って。」
という言葉はおとぎの言葉なんだけれど、美沢と伊田嶋にとってはちょっと心外だったろうな。
壇家のことを思えばこそ、中途半端な自分たちではなく、もっとしっかりしたプロを
連れてこようとしたんだろうけれど、おとぎの目には、面倒になったから逃げるように
しか見えなかったんだろうなぁ。
これ、双方の思いが分かるだけに、すごく良いシーンだと思った。
こういう見せ方が、山本さんは巧みだと思う。
劇場から帰るときに出口で躓いた私を気遣ってくださいました。その節はありがとうございます。
お恥ずかしいところを、お見せしてしまいました…
どうぞ良いお年をお過ごしください!

壇憧羽(山本鹿さん)

彼もまたおとぎ同様、家庭の再生に尽力するけれど、非常に短絡で浅慮な手段で、
それを実行する。
大人たちからすると、あきれてしまう部分もあるんだろうけれど、彼自身が言うように
「これしか思いつかなかった」のだろうと思う。
彼の家庭への思いも、並々ならぬものがあったのだと思うと胸を打たれる。
病室のベッドで彼は言う。
「病気になるなんてすごい。それだけ生きようとしてるってことなんだから」
台本がないので(そういえば売ってたんだろうか。今更だけど気づかなかった)、微妙に
違っているかもしれないけれど、あのセリフは刺さりましたねー。
あぁ、そういう見方もあるのか、と。
私にとっては本編中で一番好きなシーン。
作、演出、出演と、本業もありながら本当に大変だったと思います。
旗揚げの志、確かに拝見させて頂きました。
観劇出来て本当に良かったです。

美沢正平(太野太さん)

圧倒的存在感。
これほどの個性を持ったキャラもなかなかいないのでは。私、かなり好きなキャラでした。
飄々としつつ、彼自身の都合もありつつも、壇家の再生を心から願う一人。
最後のじゃんけん、おとぎの思いを知った上で、敢えてグーを出した美沢はかっこよかった。
おとぎには薄情に思えたかもしれないけれど、美沢にとっては、最大限の大人としての
優しさだったように思う。
しつこいけれど、こういう描写が本当に巧み。
演じられた太野さん、美沢を演じるために生まれてきたんじゃないかというほどのはまりっぷり
でした。

伊田嶋美心(木村美紅さん)

伊田嶋は何といっても美沢との絡みが圧倒的に面白く、そして、緊張感がありました。
医者とソーシャルワーカー。それぞれ問題解決に従事する立場ではあるけれど、そのアプローチは
対極的。
プロとしては伊田嶋に圧倒的に分があるけれど、美沢の老獪に丸め込まれて、むしろ
立場を対等にまで持ち込まれてしまっているところが面白い。
まぁ、でも、この人も美沢同様、壇家を思う人で、結局、登場人物の全てが壇家の再生を
望んでいるんですよね。本質的にとてもやさしい物語。
美沢と対峙するシーンは軒並み、なんとなく、演じておられる木村さんが生き生きしている
ような気がして、見ていて気持ちが良かったです。

そんなこんなの旗揚げ公演。
最初だけに役者の皆さんも、劇団の皆さんも、緊張しているように見受けられたけれど、開場から
終演まで、皆さんのおもてなしを感じました。

旗揚げ公演おめでとうございます。
そしてお疲れさまでした。
皆様の旗揚げの志を、共有出来て幸せです。
素晴らしい舞台を本当にありがとうございました。
次回も楽しみにさせて頂きます!
宇宙からの婚約者

宇宙からの婚約者

川口菊池の二人芝居

イズモギャラリー(東京都)

2019/12/18 (水) ~ 2019/12/23 (月)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/12/22 (日) 16:00

相容れぬ二人が選んだ最良の選択。
二人の幸せを願わずにいられない大傑作。
詳細はネタバレBOXにて。

ネタバレBOX

何で拝見したのかは、もう忘れてしまったけれど、川口知夏さんと菊池泰生さんが自主企画で
二人芝居をされるという事を知った。

川口さん出演のお芝居は拝見したことがあったので、その企画を知った時点で行こうとは
思っていたけれど、企画に至った経緯等を知るにつれて、これはかなり熱量の高いお芝居に
なりそうだなと、かなり期待してお邪魔した。

私はバリバリのウルトラマン世代(注:昭和ウルトラマン限定)なので、フライヤーのデザインと
題字で思わずニンマリ。
懐かしいなぁ、これ。

劇場・・・というかギャラリーに入って着席。
見渡すだけで、思わず嘆息。
あぁ、何という生活感。東京電力の請求書まで置いてあったのには脱帽。

このセットを作るにあたって、お二人の間では、色んな議論があったんだろうなぁ。
そこかしこにお二人の情熱とこだわりが散りばめられているんだろうなと思うと、何とも感慨深い
ものがありました。鯖缶とか。

上演時間は1時間程度。
企画の意図からすれば、分かりやすいコメディで、気楽に観られる感じかなと、ちょっと緩めに
構えていた。

ちょっと懸念したのは、舞台をコの字型に囲うような配席だったので、観客の姿が目に入ってしまい、
お芝居に没入できるかな、という事。
舞台も近いが、お客も近い。うーん、などと思っているところに、お二人登場。

菊池さんの前説が始まる。
お決まりの携帯電話云々が始まったので、もう数回チェックした電話を一応、確認。
私、実はしばらくの間、本編に入ったことに気づかず、結構ノロノロと電話をチェックしておりました。
最前列なのに恥ずかしい・・・

もうほんと全然気づかなかった。
指輪のくだりも、私はてっきり小道具の解説をしているのだと思っていて、
「うわー、小道具に給料2.5ヵ月分かぁ。すげー気合いだな、おい」
などと勘違いしていたのだけれど、この導入の仕方はちょっとずるい。
巧みすぎ。気持ちいいくらいに手玉に取られました。ちくしょうめ。

お話としては、予想通りのコメディで、途中から攻守が入れ替わり、ちょっと落語っぽいな、などと
笑わせて頂いていたのだけれど、ペロトン星人であることが発覚したあたりから、ちょっと気楽な
感じではなくなってくる。

私の位置からは時計が見えたので、退屈だからとかそういうことではなく、時計をちらちら
見ながら、
「これもうあと10分しかないんだけど、ほんと、どうやって解決するんだろう」
とかなりハラハラしながら観劇。

いやー、しかし。

この結末には心底驚いた。
彼らの置かれた状況って、誰が悪いわけでもなく、だからこそ、どうにもこうにも解決できない。
落としどころの探りようもないし、時間をかける事すら許されない。

相容れない存在同士が恋に落ちるって言うのは、まぁ、ありがちと言えばありがちなのかも
しれないけれど、ウルトラマンというものを持ち込んでくることで、こんな風に昇華してくるとは。

圧倒的に悲劇の予感しかない中で、泰生の選択は私の頭の中には1ミリもないものだった。

お互いの役割を全うしつつ、お互いの関係も大切にする。
例えこの後すぐに殺し合う仲であったとしても、今この瞬間は恋人でいたい。

あぁ、まいった。
確かにその通り。
この与えられた状況で、最善の手は、もうこれしかないんだ。

なんかねー…

頭を殴られたような衝撃というと、表現として全然面白くないけれど、衝撃だったのは確か。
その時、その時を一生懸命生きていれば、おのずと結果はついてくるというのは、もう、
古今東西言われていることで、それについて異議を唱える人も、あんまりいないと思うし、
頭ではみんな分かっていることなんだと思う。

でも、泰生の決断を見ていて、あぁ、結局、自分自身、そこまでは振り切れていなかったんだって
思った。

この瞬間が大事!と思っていても、その「瞬間」の中に未来の1秒、1分、1日、1年と、いつの間にか
「瞬間」が膨れ上がってきてしまう。

確率的なものを無視すれば、未来のことは1秒先のことだって、本当は分かりもしない。
泰生も知夏も、あと数分後には対峙することになるであろうことは百も承知している。

けれど、泰生は、それでもなお、まさに刹那の幸福を選択した。
あるいは1秒先の奇跡に期待したのかもしれないけれど、それを期待したのは他ならぬ
私であって、泰生は、自分も知夏も、堂々と胸を張って生きて、そして愛し合う「今」を
選んだんだと思う。

それを受け入れた知夏もまたとても素敵だと思う。
「私も宇宙人なんだよね」
っていうセリフ、ちょっとやっつけられました。

ここから先の展開は、なんか、もう目から焼き付いて離れない。
どこか頼りない泰生が「仕事」に向かう時の凛々しい表情。
泰生を見送った後、指輪を見つめる知夏の幸せそうな表情。
そして。
変身するときの、ほんの少しだけ悲しみを滲ませた表情。

圧巻の一言。
本当に素晴らしかった。

観劇前に感じていた懸念なんか、まさしく杞憂でしかなかった。

これまでに役者さんと距離が近い演劇というのは、いくつか拝見してきたけれど、ここまでの
距離感は初めてだった。大げさではなく、手を伸ばせば、間違いなく届く距離だった。
没入感がね、もうすごかったですよ。

没入感が大きかったもう一つの理由は、お二人の演技によるところが大きいと感じる。
芝居臭さがないんですよね、お二人に。
会話の内容も、立ち居振る舞いも、感情の抑揚にしても、ごく当たり前の、身近にいる
人間のそれだった。

これって結構大事な気がしていて、どんなに素晴らしいシナリオであっても、そこに
感情が乗りすぎて、大袈裟になってしまうと、その途端に、熱を冷まされてしまうというか、
悪く言えば白けてしまう。
私は結構、その辺りが気になってしまうタチで自分でも厄介だなと思うんだけれど、
その辺りのさじ加減というのか、案配というのか、絶妙だったような気がする。

いや、私ね、知夏が一方的に別れを告げて部屋を出ていこうとするシーン、あそこ、ものすごく
心削られたんですよね。
私はああいう別れ方をしたことは無いけれど、いやー、これやられたきっついなーと思いながら
ブルブル震えて観ておりました。知夏、こえー。

いやー、まぁ、でも何でしょうね。
このギャラリーで過ごした時間。
楽しかった…って思わず川口さんには帰り際に言ってしまったんだけれど、そんな単純な
ものではなかったな。
ちょっと私の辞書には載っていない言葉かもしれない。もちろん、良い意味ですけど。

脚本の方に目を移すと、今回のお話、あのアガリスクの冨坂友さんが書かれたのですね。
私、実は冨坂さんが書かれたお話を観劇させて頂くのは、今回が初めてだったんですけど、
あぁ、なるほど、ファンの方が多いのも納得だなと思いました。
なんかねー、これも「楽しかった」で括っちゃうのは違うかな。
適切な表現が浮かばないけれど、気持ち良いくらいに、良い意味で手玉に取られた感じです。
余談ですけど、通信機の呼び出し音がウルトラシリーズのいかにもな感じで軽く感動しました(笑)。

あとやっぱり、これは触れておかなきゃと思うんだけれども、とにかくね、何もかもが
温かかったし、熱かったですよ。

ちょっとこの辺について書き始めると、きりがないのでざっくりさせてしまうけれど、
私が観たい演劇って「演劇をやりたい人が作ってる演劇」なんです。

そういう意味では、今回の二人芝居って言うのは、私にとってはまさに観たい演劇そのもの。
それはきっと、私だけではなくて、お客さんの中にも、そういう思いを抱いて来ていた方は
多かった気がするんです。

なかなか、あんなにほんわかした空気の劇場ってない気がする。
少なくとも、私は初めて。
すごく居心地が良かったし、そういう場を、作り手の皆さん、そして、お客さんたちと
共有できたことは、すごく幸せなことだと思う。

舞台のセットもそうだけれど、台本やパンフレットもかなり気合入れて作られたんだろうな
と感じました。
しかも台本は最新版をDL出来るQRコード付き。
なにこれ親切すぎ。

だいたいいつも感想を書くにあたって、台本を読み返してから書くんだけど、今回は
脳内再生だけで書きました。
自分でもびっくりなんですけど、かなり鮮明に覚えてるんですよね。
やっぱり、あれだけ近いと没入感も高まって、そういうものなのかな。
いずれにしても、後でゆっくりと読ませて頂きます。

何はともあれ、素晴らしい時間を過ごさせて頂きました。

川口さん、菊池さん、冨坂さん、そして制作に関わって下さった皆様。
素敵な舞台を本当にありがとうございました!
次回の企画も是非!是非!!是非!!!
何も変わらない今日という日の始まりに

何も変わらない今日という日の始まりに

劇団皇帝ケチャップ

ザ・ポケット(東京都)

2019/12/18 (水) ~ 2019/12/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/12/22 (日) 12:00

その「罪」は一体だれのものなのか。
過酷な運命に翻弄される人々をどこか優しく描いた大傑作。
詳細はネタバレBOXにて。

ネタバレBOX

海チームの千秋楽を観劇して参りました。

皇帝ケチャップさんには前作の『私の娘でいて欲しい』でも泣かされたけれど、今回もやっつけられました。

皇帝ケチャップさんの演目は多分、劇団名、脚本を書いた人を伏せられていたとしても、何となく分かるような気がする。

主宰であり脚本を書いておられる吉岡さんのセリフの言い回しは独特で、テンポも非常に速い。

吉岡節とも言えるそれを好きかと言われれば、実を言えばそこまで好きではない。
けれど、ダーッと一気にダッシュさせて、この流れまだまだ続くんだろうなというタイミングで急停止して、
胸元を抉るようなセリフを一発ぶち込んでくるその手法は、私には非常に効き目があるのは確かで、
時間の経過を全く感じさせない105分だった。

会話のテンポのつけ方も先述の通り巧みだけれど、ストーリー全体の起伏も同様。
これについては前作よりも本作の方が圧倒的に素晴らしかった。

前作でも感じたことだけれど、全編にコミカルなムードをプンプンさせながらも、そこで扱う内容はかなりシビア。

不老ではあるが、不死でもなければ、病気にならないわけでもない。
察するにどこか傷を抱えた人たちが、様々な思いと共に被験者として志願したのだろうと思う。
ある者は新たなる希望を抱き、そしてある者は絶望の果てに辿り着いた場所なのだろうと理解している。

主人公である瑛美の生涯は壮絶と言って良い。
友人である由美を自殺から救えなかった自身の「罪」を抱えながら全てを捨てて不老の被験者になるものの、その選択は結局、
無駄だったと思い知らされてしまう。

何十年という時間。
しかも不老を得ることで、自らが罪を犯したその時間の姿のままで過ごす時間。
同じく死んだ時のままの姿でつきまとう由美の亡霊。
彼女の無邪気さは、むしろ瑛美に取ってはむしろ、自身の罪を追認させられるようで、相応の苦悩があったのではなかったか。

ただそれは瑛美にとってはある種の罪滅ぼし、、、というか与えられるべき罰と捉えていたかもしれないし、そうであって欲しいと
望んでいたかもしれない。
罰を受けることで、背負うものが軽くなるのならば、いつかそれがなくなる日も来るのだから。

ところがである。
由美の死は、瑛美が背負うべき罪ではなかった。
何十年という時間を棒に振ってしまった自身の人生を振り返り、もう現れない由美に向かって「それはあなたの罪ではないのか」
と叫ぶ瑛美の姿から感じた思いは言葉にしがたい。

由美のノートの発覚から、瑛美が雪の降る中、窓を開けて旅立つシーンまでの一連の流れは、照明、舞い散る雪など、見所満載では
あるんだけど、あまりにも残酷すぎて、胸が締めつけられた。

彼女の旅立ちは衝撃的ではあったけれど、どこか納得ではあったし、それで良いとも思えた。
自分でも不思議だけれど、どこか安堵したような、爽やかな空気さえ感じてしまった。

主人公を始めとして、誰もが数奇な人生を送り、あるいは、その人生を終えた物語。

にも関わらずむしろ暖かな心で劇場を後に出来た理由は正直良く分からない。

けれど、悲劇を悲劇として終わらせない何かが、皇帝ケチャップさんの演劇にはある。

その何かが何なのかは全然分からないけれど、こうした気持ちで劇場を後に出来るのは、
少なくとも今のところは皇帝ケチャップさんの演劇だけである。

惜しむらくは台本が売り切れていたことと、私の席は3列目とは言え視界良好とは言い難く、結構、重要なシーンをいくつか
見損ねてしまったこと。
倒れこむ系のシーンはほぼ全滅で、浩と妙が最後、その手を重ねることが出来たのか、何と見ていないのです。
雰囲気的には、手が届かなかったように見えたけれど…やっぱ、届かなかったのかな。
あのシーンもやっつけられたなぁ。

今回出演された役者様は、私はみなさん初めましての方だったのだけれど、皆様が演じられたどのキャラも
非常に魅力的でした。
実は私はまさにたった今、当日パンフレットにようやく目を通し、登場人物の設定を知りました。
あらまー。せめて感想書く前に読めばよかった。

皆様の演技、素晴らしかったので、それを書くだけでこの3倍くらいは書けてしまうけれど、敢えてピックアップ
させて頂くのであれば、私が好きだったのは里見・・・というか正則と呼ぶべきか。正則と薫。
この二人のシーンはどれも好きだった。
二人の最後の抱擁…素晴らしかった。
演じられた佐々木仁さんと加々見千懐さんがまた素敵なんですよね。
私は、お二人の演技も声もとても好きで、魅入っておりました。

そして主演の今出舞さん。
演技も雰囲気も素晴らしかったけれど、何といっても、そのセリフの淀みのなさに驚き、感動しました。
あんなに流れるように、まさに淀みなく、きれいに言葉を紡ぐ方を拝見したことがない気がする。
本当に素晴らしかったです。

とにかく素晴らしい時間でした。

役者の皆様、劇団の皆様。
素敵な舞台を本当にありがとうございました!
THE ROLE OF

THE ROLE OF

埋れ木

Geki地下Liberty(東京都)

2019/12/18 (水) ~ 2019/12/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/12/21 (土) 14:00

果たすべき役割、守りたい友情、そして、苛立ち。
優しい人々が織りなす、非日常的な日常の物語。
詳細はネタバレBOXにて。

ネタバレBOX

まず劇場に入ってみて、バーカウンターにビックリ。
なかなかあそこまで気合いの入ったセットはお目にかかれない気が。
サーバーとかにもちゃんと中身入ってるし、酒の瓶も良くあそこまでそろえたな、と。
しかも、カウンターの足元に足置き?的なものまで置いてあったのには驚いた。
再現度がハンパない。
私の位置からだと冷蔵庫の中身まで見えたんだけど、ちゃんと色々入ってましたしねぇ。
大好きな埋れ木さんの演劇である事を抜きにしても、テンション上がりますわな。

持てる者ゆえの悩み、持たざる者ゆえの羨望と苛立ち、果たすべき責任、義務、自身に課すべき役割、
優先するべきもの、勢いで行くのか、慎重に事を進めるのか、部下、後輩への接し方などなど。
誰しもどこかで抱えている思いをヒーローという存在を軸にして、目の前に提示して頂いた様な気がした。

こういう問題って結局の所、正解がないから難しい。
それぞれの立場もあれば、思想、信条もあるわけで、そこに対しての熱量が大きければ大きいほど、
衝突が生じる確率も跳ね上がる。

本作でも登場人物それぞれに思いはあって、必ずしもそれは一致していないのだけれど、それが大きな
軋轢や衝突にまで至らないところが、個人的には埋れ木さんの優しさであって真骨頂でもあるような気がする。

埋れ木さんの演劇の感想を書かせて頂いているときに、必ず触れている気がするんだけど、登場人物がみんな
大人で優しいんですよね。
相手を否定するところからは入らない。
まずは理解して、受け入れたところで、意見が対立する相手に対して向き合っていく。

私が埋れ木さんの演劇を好きでたまらない理由の一つは、やっぱりそう言う優しさに満ちているからなのかなと思う。

登場人物の物分かりが良いだけに、劇中で議論が紛糾するような場面はほぼ無いと言っていい。
それは物語全体を平坦にしている感はあるけれど、それは決してマイナス要因ではなく、むしろ、
それが埋れ木さんの「味」であると感じる。

そうした「味」について言えば、各人物の会話シーンもそうだと思う。
本作もそうだけれど、埋れ木さんの演劇の会話シーンは、演劇的な大仰さがなくて私は大好き。

台本を読んでいて、改めて感じるけれど、彼らの会話は彼らの中でのみ成立するものであって、よそ者である
観客に聞かせることを前提としていない。

よくよく考えてみたら日常会話なんてそんなものである。
「このあいだのあれ、どうなった?」
みたいな会話は身内同士では普通に伝わるけれど、第三者にはちんぷんかんぷんである。

説明的なセリフを出来るだけ少なくして、会話の不自然さをどう消していくかは、色々な手法があるなと、
色んな演劇を拝見してきて感じるけれど、埋れ木さんの演劇は、その辺りがものすごく巧みな気がする。
セリフの中で説明はしないけれど、それでいて観客が置き去りになることもない。
でも、何もかもを開示してくれるわけでもなく、行間の思いを観客が想像する余地をしっかりと残して
おいてくれていて、何というか、そのかゆいところに手が届くような感じが私はたまらないのです。

会話の内容もそうだけれど、テンポがまた絶妙で私は大好き。
ツッコミのテンポや各キャラの口癖やジェスチャーもうまく盛り込んで、ものすごくリアルな
会話を再現されているような気がする。
埋れ木さんの演劇は、各キャラの会話を聞いているだけで、何となくニヤニヤしてしまう。

毎度のことながら、今回も登場人物は魅力たっぷり。
というわけで、ここからは、各人物と役者様を織り交ぜて振り返りなど。

真島誠(竹内蓮さん)

演劇の世界では愛され青年は数多くいるけれど、マコトはその中でも最大級の愛され男な気がする。
仕方のない事とは言え、色んな疑惑に塗れることになるマコト。
けれども親交の比較的薄いハルコを除いては、マコトに対して疑惑は持ちつつも信頼する姿勢は
崩さなかったのがすごく印象的。
実際、彼は非常に愛らしい。
真面目で不器用で素直。
彼の言葉には虚飾が一切ない。
ちょっとカッコ悪いことも、ダサいことも、照れながらも口にしてしまう。
決して熱血漢ではないし、熱量が高いタイプでもないんだけれど、作家としては結構プライドが
高いんですよね。
自分の作った作品に「ヒーローが作った」っていうレッテルを貼られたくないっていうあの言葉、
私、結構、グッときました。観劇中、思わずうんうんと激しく頷いてしまった。
最後、ヤスヒサと対峙するシーン、ヤスヒサのために自身の力をためらうことなく差し出すところは、
あぁ、だから、この男はこれだけ愛されるんだと再認識させられた。
自身の力を差し出してもなお、ヒーローたらんとするその姿勢、カッコよかった。
こりゃ、ヤスヒサも形無しですわな。
竹内さんの演技も素晴らしかった。
マコトはジェスチャーが特徴的だけれど、見事にマコトを作り上げておられたような気がする。
ドはまり役だったのでは。

安田泰久(新開知真さん)
安田由紀(星野花菜里さん)

持てる者、持たざる者。
それが姉弟という非常に近い距離にいるというのは何とも皮肉な話だなと思う。
姉思いなんでしょうね、ヤスヒサは。
その超能力をなぜ有効に使わないのかという苛立ちはあるにせよ、姉の苦悩もやはり、どこかでは
理解していて、その苦しみから解放したい気持ちがヒーロー狩りへと繋がったのかな、と。
もしも、ユキが超能力者ではなかったら、ヤスヒサは程よいところでヒーローをやっていたような気がする。
皮肉という意味では、彼が忌み嫌うタイツ男が、まさかのマコトだったこと。
あそこの絶叫、胸にずんと来ました。
最終的に、ヤスヒサも超能力者として目覚めるわけだけど、あのシーンは照明の演出も含めて怖かったな。
あそこの新開さんの演技が、ちょっとイッちゃった感じでね。観たことない新開さんだった。すごい。
埋れ木さんの演劇ではちょっと珍しいシーンだった気がする。
ヤスヒサの超能力はX-MENでいうところのローグのそれに近いような気がするんだけど、X-MEN知らなかったら、
あそこのくだりはちょっと分からなかったかもしれない。X-MEN万歳。私はマグニートー寄りですけど。
ヤスヒサが姉思いであると同時に、ユキもまた弟思いだなって思う。
配信を巡ってシノブと対峙するシーンが2回あるけれど、そのどちらも星野さんがすごくカッコよかった。
EDで出動するマコトとヤスヒサに向かって「ワンオペだからね!」と声をかけるシーン、何だかちょっと
ニンマリしてしまった。
あの終わり方大好き。
安田姉弟の非日常的な日常に幸あれ。

田畠タツキ(高村颯志さん)
末次しろ(たなべさん)

めちゃくちゃ良い友達なんですよね、この二人。いや、ほんとに。
こういう仲間は大事にしないといけない。lieber最高。
はっきりしないマコトに対して、モヤモヤしつつも見守る人が多い中、唯一、真っ向から
ぶつかるタツキ。
個人的には、彼の言い分は至極もっともで、マコトに対して、
「もういいじゃん、言っちゃえよ!」と私は心の中で何度思ったか。
でも、彼もマコトのことは大好きなんですよね。
衝突している時も「一緒にやりたい」とポツリと漏らす姿を少しウルウルしながら観ておりました。
まだ衝突する前だけど、彼がマコトに対して
「普通に友達じゃん」
というところ。大好きでした。いいやつ過ぎるぜ、タツキ。

しろもまた良いやつなんですよね。
めちゃめちゃ口軽そうなんだけど、マコトの秘密については頑なに口を閉ざすし、あの手この手で
どうにかこうにか、マコトの疑惑を晴らそうとする。まぁ、あんまり効き目はなかったけれど(笑)。
でも、それが、しろという女の子を象徴していたような気もする。
マコトと同じく、彼女もまたどちらかというと不器用なんだろうなぁという気が。
マコトにとって、唯一、秘密を共有しているしろの存在ってすごく大きかったんじゃないかな。
ある意味、ヒロイン級の存在。

私、高村さんもたなべさんも大好きで、お二人が、大好きな埋れ木さんの舞台に出演するって言う
だけで、嬉しかったのに、同級生っていう設定でもう悶絶寸前。
冒頭、打ち上げのシーンで、楽しそうにしているお二人を見て、私はもうニヤニヤが止まりませんでした。
あぁ、幸せ。二人だけの会話シーンも観てみたかった。
そして、何となく予想はしていたけど、高村さんはやはり歌声も美声でした。

白井サトル(尾形悟さん)
野田央(佐藤友美さん)
竹内剛士(大垣友さん)

実は本作で私が一番涙したのは、サトルのプロポーズのシーン。
いやー、これ・・・どう表現すればいいんでしょうね。
サトルが「結婚しようか」って言った途端、私の涙腺大崩壊。
語彙力がなくて本当に申し訳ないんだけれど、それ以前に、このシーンを言葉で評するのも
なんか野暮というか。
プロポーズとしては映画等含めても屈指の名シーンだと私は思います。
ここに至る直前、ヒーローに対する支援の話題があるんだけど、ここも良かったんですよね。
サトルはそんなに熱いキャラではないんだけれど、このシーンの尾形さんの演技、静かだけれど、
すごい熱量を感じて素敵だなと思いました。
サトル大好き。

とは言え、12年待たされたナカバも、まぁ、我慢したなという感じ。
私の周りには12年付き合ってるのに結婚できずに別れたカップルがゴロゴロいるので、ちょっと
他人事じゃない感じで観ておりました。
何とかなっておめでとうございます。
でも、ホント信じてないと、こんなには待てないですよね。
内心、忸怩たるものはあったろうと思うけれど、お互いを信用していればこその12年間だった気が。
ナカバにしてもサトルにしても、懐が深いんだろうな。ビッグカップル。
佐藤さん演じるナカバは、まさに懐深いナカバだった気がします。
さっぱりした感じが似合ってたなぁ。

マコトの人徳によるものだろうけど先輩にも恵まれてますよね。
ツヨシ先輩、最高すぎでしょ。
まぁ、だいたいバイト先の先輩なんて、面白半分で後輩の恋愛を焚きつけたりするものだけど、
彼の場合、全然、面白半分じゃないんですよね。
全力で応援してる。いいやつすぎる。
そんでまた優しいんですよね。
マコトの悩みを察してはいるけれど、それをlieberのメンバーのように、どストレートに切り込まない。
自信が抱える思いをマコトに明かすことで、話しやすい空気は作るけど、それ以上は促さない。
結局、マコトは彼に話すことは無かったけれど、その優しさはきっと伝わったんじゃないですかね。
すげー軽い感じがする人だけど、めちゃくちゃいい人。大好き。
「やってんなぁ」はちょっと真似したくなる(笑)。
大垣さんがまたはまり役でしたね。すごく良かった。
そして高村さんに劣らぬ美声。
生演奏まで聴かせて頂いてありがとうございます。
私もつられて思わず拍手しそうになりました。

古舘ハルコ(工藤夏姫さん)
矢吹悠(大瀬さゆりさん)

ハルコはユウと話している時が一番魅力的なんだけど、かなり印象に残っているのが、ユキが
持てる者、持たざる者について問いかけるシーン。
ハルコの「良い使い方を見つけてくれたら、うれしいですよね」と答えたのには、思わず心の中で
唸り声をあげてしまった。すげーな、ハルコ。パンチ力十分。
それにしてもハルコのユウへの友人としての愛情が半端ない。
でも、この二人の関係って、観ててすごく素敵だなぁって思った。
終盤、マコトにデレデレのユウにツッコミを入れるシーンが大好きでしたね。工藤さん大好き。
工藤さんは前回公演に続き、物販で応対していただきました。
前回、口約束割りでTシャツを購入させて頂いたので、私はちゃんと約束通りTシャツを着て
観劇しておりました。
余りにも寒すぎたので、インナーのインナーのインナーでしたけど。
お見せできなくて残念ですが、ちゃんと着ていきました。

ユウはヒロインという立ち位置(なんだと思う)。
マコトがあんなんなので、ユウはグイグイ行くタイプかと思いきや、そうでもないんですよね。
二人とも似たような感じなので、何というか、微笑ましくも、初々しくも、危なっかしく
拝見しておりました。
いやー、しかし、それにしてもオープン前のBARでのイチャつきは参りました。
なんか年甲斐もなく、恥ずかしくなっちゃいましたよ。
え?いいの?見ていいの??みたいな。
映画とかだとああいうシーン観ても、あー、へー、みたいな感じで終わるけど、舞台だと
また何ともアレですな。いやぁ、慣れない。
ユウ役の大瀬さんも私は大好きなんですけど、まさか、埋れ木さんの舞台で大瀬さんを
拝見できるとは!
ユウみたいなふんわりした役はやっぱりお似合いになりますね。

寺島武史(藤本康平さん)
久米田耕平(羽田敬之さん)
島袋忍(佐瀬ののみさん)

様々な命題が飛び交う中で、私には一番身近に感じられたものを提示してくれたお三方。

仕事人としての使命、責任と、私人としてのモラル。
揺れ動くテラジマとシノブの議論を、一歩離れたところから見守るクメダ。

シノブは結局、ヤスヒサの配信を諦めるし、観ていた私もそれで良いとは思った。
けれど、プロとしてどうあるべきか。配信者として一定のプライドを持つ彼女にとって、
その決断は非常に重かったであろう事を思うと、手放しで良かったね、とは言えないのかなと感じた。
書き手の意図は別にして、YouTuberとしてのシノブは炎上を以てよしとするようなタイプではなく、
むしろ、ジャーナリストに近いスタンスを貫いていたように思える。
最終的にヒーロー稼業を続けることになったマコトとヤスヒサを、何かしらの形で支えることに
なるんだろうなと思いながら観ておりました。

演じられた佐瀬さん、登場時に名刺を出すシーンがあるんだけど、これがカッコよかった。
思わず、声に出しそうになってしまいました。
そして着ていたジャンパーなのかストラップなのかちょっと分からなかったけど、襟元のPolaroidのロゴ!
あれは私物なんですかね。
わー、あれ良いなーと本筋と関係ないところで、少々テンションを上げておりました。

テラジマとクメダは良いコンビですよね。
私は仕事の有り様と言うことに関しては、頭ではクメダの見解を理解しているし、支持するものの、
身体の反応としては間違いなくテラジマのそれと一致する。
クメダが言う「責任とか、ゆっくりでいいと思うんですよね」って言う言葉は、刺さったなぁ。
心の中で唸り声を上げておりました。

登場時の藤本さん演じるテラジマ、スゴく好きでした。
あのダラっとしためんどくさそうな感じがたまらない。
ある意味、大物感があって、私は当初、テラジマとクメダの関係は逆なのかと思ってました。

さぁ、そして羽田さん。
『降っただけで雨』の大久保と同様、スーツでの登場だったけれど、何だか大久保の未来の姿のように感じて、
一人でニヤついておりました。
頑固で熱血漢だった大久保が、あれから修羅場をくぐり抜けると、クメダのようになるんじゃないのかなって。
妄想が止まりません。
羽田さんはTwitterを拝見していて、あぁ、人柄的にも素敵な方だなと感じてはいたけれど、実際に改めてお姿を
拝見していると、ホントに紳士であり真摯な方だなぁと終演時のコールの一礼を観て感じました。

作・演出 久保磨介さん

まずは2周年おめでとうございます。
私は『降っただけで雨』から観劇させていただいている新参者ですが、あれから色んな舞台を拝見して、埋れ木
さんが提唱する「変わったことはしない」と言う理念をここに来てようやく感じられるようになってきました。
これから先、5年、10年、100年と続くことを願います。
今回も素晴らしい時間を過ごさせて頂きました。

劇団の皆さま、役者の皆さま、素晴らしい舞台を本当にありがとうございました!
カタロゴス-「青」についての短編集-

カタロゴス-「青」についての短編集-

劇団5454

赤坂RED/THEATER(東京都)

2019/12/13 (金) ~ 2019/12/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/12/15 (日) 13:00

誰もが抱く「青」の物語。
全ての「青」が人々を優しく染める珠玉の短編集。
詳細はネタバレBOXにて。

ネタバレBOX

そんなに大きな劇場ではないんだろうけど、私がこれまでにお邪魔した劇場の中では、一番きれい。
しかも、今回は指定席で、事前購入済みだったから、受付前から寒い中、並ぶ必要もないので、何となく
気分が楽。
とは言え、結局、開演前には劇場に着いてたんだけど。

開演前の劇場の空気感は、ちょっとざわついてにぎやかな感じ。
男女比、年齢層が適度にばらけてグループで来ている方も結構多かった。
女性比率が比較的高かったかもしれない。

だいたい、開演前の雰囲気がそういう感じの演目は、楽しく気持ちよく観られるものが多い気がするので、
今回もそういう感じで観られるかなと思っていたら、まさしく、その通りの演目だった。

基本的にはコメディなのだけど、ゆるいムード一辺倒では決してない。
「コールドベイビーズ」での亜青と朱井、あるいは紫亜とのやり取りに見られるようなシリアスさ、
「レストホーム」の緊張感のある情景、そして「ビギナー♀」の振り切った笑い…
その辺りがうまい具合に混じり合い、時間を感じさせない2時間を過ごさせて頂いた。

全体を通して照明を含めた演出がまた素晴らしい。
各短編のエンディングは、各主人公から見た「青」。すなわち羨望の対象が、ストップモーションで固定され、
それを主人公が見つめる…というスタイルなのだけれど、これが非常に味わい深いというか、何というか。

私のお気に入りは「レストホーム」のED。
これ、話としてはかなり怖かったんだけど、EDの演出が本当に凄かった。
家を追い出された亮太が照明の中に浮かび上がるのだけれど、亮太の表情が影で隠れるような位置からの光の
当て方は、ストーリーと相まって、何とも言えない哀愁を漂わせた。

「コールドベイビーズ」のEDの演出も素晴らしかった。
亜青にとっての青は、観客である我々。つまりは人間。
青い照明が、我々観客に向けて当てられ、それを見て亜青はつぶやく。
「良いなぁ」
と。

あの演出はしびれました。
あぁ、こんなやり方もあるのかと思うと同時に、我々観客と役者様たちが、本当の意味で同じ空間を共有している
という事が何だかすごく嬉しかった。
納得のダブルコール。

照明以外の演出では、ストップモーションやスローモーションなど、映画などではなじみのある手法を、演劇の場で
再現していたのが面白かった。
こうした試みは、時々、他の演劇でも拝見することが多いので、決して、目新しい試みではないのだけれど、
映画的な手法をただ取り込むのではなくて、演劇という場に最適化したうえで、取り込んでいるような印象は受けた。

印象的だったのは「ロンディ」でのヒョンジュの登場シーンと「ビギナー♀」の試合シーンで使われた、
最後のスローモーション。
あれは本当にすごかった。

確かに映画とかでこういうのよく観るなーと思いつつも、生身の人間が、目の前でそれを再現する凄まじさ。
映画的なシーンを見ながら、あぁ「演劇」ってやっぱりいいなと自然に感じていた事自体が、この作品の
もつパワーだったように感じる。

会場で販売されていたパンフレットでも触れられていた通り、多かれ少なかれ、他者への羨望というものは
存在するものだけれど、劇中、思わぬ人が思わぬ人を羨んでいたりしているのを見ていると、ちょっと考え
させられる部分はあった。

恋人と過ごす友人や妹を羨む一美。
家族を羨む賢人。
仲間を羨むはな。

そんな彼らもまた、劇中の人物たちから羨まれる存在である。

そういう意味で、私が一番印象的だったのが、はなと奈津子の関係。
はなにとって奈津子というのは何もかも分かって、悟ってすらいるように見える、尊敬と羨望、
そして嫉妬の対象であったように思う。

一方の奈津子はといえば、自身を平凡と評し、はなの自由奔放な部分を羨んでいる。

きっと、この二人は、お互いがお互いを羨んでいることを、なかなか納得できないだろうなと思う。

現実に目を向ければ、はなと奈津子、そしてその他の登場人物同士の関係というのは、いたるところに
ゴロゴロしている。
けれど、自身に向けられる羨望というものを意識している人はどれほどいるんだろうか。

少なくとも私にとって羨望は、コンプレックスの反映でもある。
コンプレックスが根底にある以上、私のことを羨んでいる人がいるなどということは、正直なところ、微塵も
思わない。
けれど、本作のように、そんな私のことも誰かが羨んでいるのかもしれないと思うと、羨望にコンプレックスを
重ねることの無意味さを考えさせられる。

誰もが、誰かを羨んでいる。
自分にないものを持っている人に憧れ、そして、自分もまたきっと誰かが持っていないものを持っている。
人はもっと、人を理解し、愛し、尊敬することができる。

EDの亜青の呟きは、我々一人一人が、そんな存在であることを教えてくれたような気がした。

ここからはそれぞれのお話をざっと振り返り。

「コールドベイビーズ」

切ないようなもどかしいようなそんな作品。
コールドベイビーを育てていく過程で、国は理想的な人間を作るべく、色々な教育方法を模索していたのだろうけれど、
亜青が最後に残った一人だったということは、感情を排し、理路整然と行動することができる彼を「究極の姿」と
みなしたということなんだろうか。
泣けなかったという亜青の告白に応じる朱井の姿に、私人としての思い、公人としての思いの狭間に揺れる苦悩を
感じてしまった。
亜青とは対照的な育て方をされたであろう紫亜の届かない思いというものも、切なかった。
EDでの亜青の我々に対しての呟きは、究極の生命体である彼の口から発せられたことに大きな意味があるように感じる。
国家の思惑はどうあれ、亜青にはいつか紫亜の思いに気が付いてほしいなと思ってしまった。

「ロンディ」

何というか非常に生々しいなぁと感じさせられたガールズトーク。
妹や千尋が言うように、一美はなかなかの性格で、正直「この人、ないなぁ」と思うんだけれど、なんかもう、ある意味
振り切ってしまっていて、もはや憎めない(笑)。
そんな彼女がヒョンジュというもはや聖人君子と見紛うほどの出来の良いイケメンにある意味、浄化されていく
物語なんだけれど、思いを伝えるか否かで揺れる一美と、それについて思うところを伝える千尋との会話が好きだった。
ここのやり取りで浮かび上がる一美の人間性というか、本質が見えるわけで、苦悩する一美の姿に、悩んでいる本人には
申し訳ないけれど、ほっこりしてしまった。
あれだけさんざんケチョンケチョンな扱いをされても、何だかんだで付き合いがある一美と千尋の関係性が、すごく
良いなと思った。
余談ながら健のプレゼントアドバイス、ちょっと参考になりました(笑)。
一美役の榊小並さんには終演後、入り口に上がる階段のところで、軽くだけど、ご挨拶させて頂けました。

「レストホーム」

これはちょっと怖かったなぁ。
賢人の真意というものは、結局のところ、私は最後まで見通せなかったんだけれど、本当に亮太を追い出してしまったの
だとしたら、うーん、何とも。
短い話ながら、すごく密度の濃い話で、終始コメディで終わるのかと思いきや、そんな単純なものではなかった。
亮太が終盤、翔子に向かって絶叫交じりに思いを吐露するシーンは、ちょっと胸が締め付けられた。
先にも書いたけれど、EDでの照明演出は本当に圧巻。
ただ、賢人が家族というものを羨むというのは、今はともかく、観劇当時は意外だったかな。
あぁ、こんなに大成した人でもそういうものか、と。
そういう意味でのEDの演出は印象的だった。
それにしても亮太役の村尾俊明さんは素晴らしかった。
亮太登場から数瞬で「あぁ、この役者さん素敵だ」って思ってしまった。
ちなみに村尾さんは終演後の物販の時に、カウンターに立っておられたんだけれど、対応するお姿を横目に見て、
あぁ、人間的にも素敵な人だなと感じました。
買い物を終えた私にもまぶしい笑顔を見せて頂きました。
イケメンすぎるぜ、村尾さん。

「ビギナー♀」

最終話にふさわしいというべきか、非常に爽やかで軽快な物語。私、これ大好きです。ほんとに好き。
何もかもが本当に楽しかったし、好きだった。私にとってはパーフェクトな物語。幸せ。
はな、ちょっと勝手すぎるだろと思わないでもなかったけど、でも、その思いを貫き通すある種の強さが
奈津子にとっては眩しく映るんだろうな、とも思ったし、他のメンバーにも多少なりとも伝わったのかな、と。
この話は、とにかく、登場人物のすべてがとても魅力的で眩しい。キャラがしっかり立っているというか。
みんなすごく個性的で、だれが欠けてもこの話は成り立たなかったと思う。
そりゃ、こんな素敵なメンバーに囲まれていたら、そこから離れたくなくなっちゃうよね。
試合の演出も先にふれたとおり、すごく良かったけれど、練習シーンもそれに負けず劣らずで素晴らしかった。
ステップもままならなかったのが、段々、動けるようになっていく様子は、正直、観ててちょっとうるっとして
しまった。
ちなみに芽衣は結局最後まであんまりうまくはならなかったけれど、全編通じて「忘れてました!」で非常に
素晴らしいアクセントになっている立ち位置だった(笑)。
試合当日、自宅でどてら着て寛いでたのは最高だった。大好き。
健がまたイケメンなんですよね。イケメンすぎる。
試合で審判に頭を下げて説得するシーンなんかはもう号泣寸前。
かっこいいぞ、ちくしょう。
そして奈津子役の森島さんが素晴らしい。
『体温』の時も思ったんだけれど、この方は、演技なのか素なのかが分からないくらい、とにかく自然。
だから私は奈津子が好きなのか、森島さんが好きなのかもう分らない。大混乱。
終演後、劇場を出ようとしたときに、ちょうど袖のところから出てきた森島さんと鉢合わせ。
ご挨拶したかったけれど、思いっきり通路だったので、すれ違いざまのご挨拶で我慢した。がー。

作・演出 春陽漁介さん

ランドリーさんの演劇を拝見したのは、今回が初めてだったのだけれど、すっかりファンになりました。
物販で購入させて頂いたパンフレットがとても読みごたえがありました。
演劇って、わりと作り手の真意が明かされないままのものが多い中で、余すところなく、色々と明かして
頂いていたので、頭の悪い私には非常にありがたかったです(笑)。
劇場に入った時から、劇団の皆さんの「ようこそ!」という空気が満ち満ちていて、終始、居心地が良かったです。

というわけで、とても素晴らしい時間を過ごさせていただきました。
役者の皆様、劇団の皆様、素晴らしい舞台を本当にありがとうございました!
殊類と成る

殊類と成る

劇団肋骨蜜柑同好会

Geki地下Liberty(東京都)

2019/12/05 (木) ~ 2019/12/10 (火)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/12/07 (土) 14:00

本当に醜悪なものは何か。
現代版『山月記』は、素晴らしき魂の救済劇。
以下、ネタバレBOXにて。

ネタバレBOX

観劇のきっかけはどこかの劇場で頂いたフライヤー。
あぁ、かっこいいなと思ってよくよく見てみたら、ずっと観たいと思っていた
劇団肋骨蜜柑同好会さんの演劇だったので、半ば強引に土曜休日をもぎ取って
予約。

「12/7は何があっても出勤できません」アピールを聞かれてもいないのに、
毎日のようにして、ついにその日を迎えた。

小田急線の遅延で受付開始から5分過ぎくらいに到着したのだけれど、既に
10人以上の列で、私は13番目(だったと思う)。

例によって例のごとくでほぼ最後尾の端をチョイス。
適度な傾斜と段差のおかげで前の人の後頭部も全く気にならず。
舞台美術も一望出来て、個人的にはとっても快適。

期待を裏切らない傑作で、ホントは台本読んで、じっくり理解してから感想も書きたいところだけれど、劇中でマサシも
「何もかも理解する必要ない」
みたいな主旨のことを言っていたので、その言葉に甘えて、今回はさっくりと書いてみようかと。
言葉として形にすることの怖さも、本作では示唆していたし、実感としてもあるので。

演劇って不思議なもので、たまに
「これって私に向けて書いてくれました??」
っていう演目に出会うことがある。

どの演目でも共感できる部分というのは多かれ少なかれあるんだけど、そう言うレベルではなく、
もっと、醜い自分に対して、あるいは閉ざしている自分に対して、その扉をバーン!っと開けて、
「いいから、これ観て目覚ませよ!」
と言われてるような感覚に捕まる時がある。

そういう演目は観ていて辛い、、、というか、観ているときはそこまででもないけど、
帰りの道中で辛くなるし苦しくなる。

けれど、それは全く不快なものではなくて、
何というか、見えていなかった自分の姿が見えるというか、霧が晴れてゆくというか、
そう言うある種の爽快感を伴う。

本作は私にとってはそうした演目の一つで
今の自分が観るべくして観ることになった感がある。
こういうタイミングはある意味、神がかっていて気持ちが良い。
これについては「何者かに操作されている」のだとしても、個人的には全然アリだなと思う。

「山月記」をモチーフとする本作。
「山月記」では主人公は人から虎へと変身してしまうが、本作では、むしろ虚勢を張って
本心に帳をかける人間をこそ醜悪なるものとして定義する。

年齢を重ねて、社会に出ると、誰しも自分のあるがままに生きていくことは難しくなる。
社会というものに適応するためにそれはある程度必要なことではあろうが、そう言うものの
悪しき到達点というものを感じてしまった。

「今、自分は『外向きの自分』を演じている」という自覚があるうちは良い。
けれど、ナカヤマの様に、
「自分が自分でないような感覚」
にまで達し、さらには別の何かに上書きされてしまうと言うのは、背筋が寒くなる思いがした。

私自身は自分が何者か分からなくなると言う感覚は味わったことがない気がする。
けれど、今の自分というものがいかにして形成されたのかと言うことに関して、これまでは、
人生経験を積み重ねてきた上での結果と思ってきたけれど、私自身が無自覚のうちに、私自身を
上書きしてしまっているのだとしたら、、、そう思うと、自分は果たして何者なんだろうか?
と言うところにつかまってしまい、そら恐ろしさを感じてしまう。

言葉もまた然り。

コミュニケーションにおいて言葉は非常に重要であることは、改めて言うまでもないことだけれど、
思っていることを正確に言語化するというのは、意外に難しい。

言葉を重ねれば重ねるほど、伝えたいことからかけ離れていく。
本人にその気がなくても、自分の思いが言葉に変換されたとき、実際よりも重く、あるいは軽くなって
しまうこともある。

自分が作り上げた虚像を維持するために、嘘に嘘を重ね、最後には本当の姿が、嘘で塗り固められて
しまう。

サンゾウはその才能ゆえに、下りのエレベータに乗ってしまった感はある。
けれど、私のような凡人も、彼のようにエレベータに乗ってしまう可能性は十分にある。

それを回避するにはどうすれば...と考えてしまうところにも罠がある。
その思考の迷宮に入り込むことによって、やはり、闇落ちしてしまう可能性は否めない。
私自身、そうした領域に半歩足を踏み入れいている感があったので、正直、戦慄した。

鬱病を患ったサンゾウにマサシはこう答える。

人生は誰かの敷いたレールに乗っているようなもの。
ただそこに揺られていればいい。
けれどそれに疲れたときは途中下車すればいい。
流れに任せて、理由なんて考えないで過ごしていればいい。

あぁ、そういうものか、とマサシのセリフを聞きながら思ったし、何だか救われたような
気がした。
今の私に欠けている視点を見せてもらえた気がした。
私、マサシ大好きです。
日下部さんの演じるマサシは、何だかすごくリアルな適当加減で素晴らしかった。

私にとって、この演劇は、きっと生涯を通して、ともに歩む存在であってくれる気がする。
冷たい雨が降りしきる中、この日は劇場に足を運んだが、終演後は雨も上がっていた。
何だか、何もかもが、私のためにこの日を企画してくれたんじゃないかと思えるような
そんな素晴らしい時間を過ごさせて頂いた。

さてさて、ここからは印象に残ったあれやこれやについて。

Twitter等の感想を拝読していると、本作は肋骨蜜柑同好会さんの作品の中では、分かりやすい
部類に属するらしい(私にはこれでも十分難しいなと思ったんだけど・・・)。
エンタメ色も強いという意見も散見されたが、私にとってはかなり硬派に感じられた作品。

上手く表現できないけれど、演劇という土俵で、真っ向から勝負を挑んできているというか、
「演劇って言うのはこういうものなんだ!」という強い意志を感じたというか。

ストイック…とも少し違うのかな。
原理主義的というのか、うーん、分からない。

分からないんだけれど、私はこの骨太な感じが、すごく心地よかった。
視聴覚的に派手な演出があるわけでもなく、効果音に至っては、役者の皆さんによる声での
表現。
あまりお目にかかったことのないタイプの演劇だったけど、私は大好き。
ちょっと中毒性があるタイプの演劇な気がする。

上演時間は確か125分とかだった気がする。
私にとっては2時間越えって、結構苦手な長さだったりするんだけど、退屈することは一切
なかった。
テンポも私にはちょうど良かったなー。

印象に残っているシーンはたくさんあるんだけど、一部を挙げるのであれば、ウナギをお土産に
買ってくるところのくだりだろうか。
あの場面は怖かった。ほんとに怖かった。
タビトがサンゾウに馬乗りになって殴打しまくるシーンは、まさしく、水を打ったように場内は
静まり返った。

同時に林揚羽さん演じる黒猫の仕草の素晴らしさ。
猫を飼っている私としては、ちょっと衝撃だった。
タビトと対峙した時のあの緊張感、そして、そのあとサンゾウに寄り添う姿。
あれはまさしく猫そのもので、私の脳内に鮮明に焼き付いている。

もう一つ印象に残っているのが、最後の病室での診断のシーン。
ナカヤマがタカコと共に診察を受け、横にサンゾウが虎のごとく控えている。
この時の室田さんの迫力がものすごい。
抑圧されてきた本能がまさに牙を剥いて、今にも襲い掛からんとするあの殺気。
びりびりと圧力すら感じられるような凄まじい空気感。
セリフと相まって、忘れられないシーンだった。

まだまだ、あるなぁ、どうしよう。
あとちょっとだけ。

動物園のシーンも素晴らしかった。
ナカヤマとサンゾウが走りながら語るセリフは、山月記の一説であったように思うけれど、
あの場面の疾走感と、演出がとても良かった。
川にたどり着き、水面をのぞき込む場面は、戦慄の一言。

そして病室。
フカダ、クギモトの友情。タカコの愛情。
この時の塩原さん、森さん、嶋谷さんの演技がすごく素敵だった。
全体的に、低温で進行する本編にあって、暖かい空気を生み出すこのシーンはホントに良かった。

そして、ついに上に揚がるエレベータ。

「上へ参ります」

このナースのセリフで、何だか私の気持ちまで一気に解放された。
あぁ、ようやくこの時が来たのか、と。

そして、最後の花見のシーン。
あぁ、良いなぁと思って観ていたところで、フジタさんの桜吹雪。

もう大号泣。
声を出さずに泣くのに苦労した。
演劇史に残る屈指の名シーン。

この花見のシーン、私はナカヤマサンゾウの夢の中での出来事、あるいは旅立った後の出来事ではなく、病気を克服し、詩人として見事に開花した後の出来事だと解釈している。

だって、エレベータは上に揚がったんだもの。
願望ではなく、そうなんだと私は確信している。

帰るときに、脚本を書かれたフジタタイセイさんがおられたので、少しだけご挨拶とお話を
させて頂いた。
『山の中、みたらし』『かわいいチャージ』でお姿は拝見していたのだけれど、念願かなって
ようやくのご挨拶。感無量。
お話の中で、肋骨蜜柑同好会さんでは、毎回、ちがったテイストで公演しておられることを
うかがった。
私は『殊類と成る』の作風が大好きだけれど、フジタさんの中にある、また違った世界を
もっともっと観たいと思った。

今回の感想は思いつくままにサーっと書かせて頂いてしまったので(いつもそうか)、全ての
役者様について言及してはいないのだけれど、どの役者様も、力強く、骨太な演技で、すっかり
引き込まれました。
私にとっては、生涯、忘れえぬ作品になりそうです。

ずっと共に歩んでいける作品に出会えて幸せです。
劇団の皆様、役者の皆様、素晴らしい舞台を本当にありがとうございました。
足がなくて不安

足がなくて不安

たすいち

サンモールスタジオ(東京都)

2019/12/04 (水) ~ 2019/12/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/12/08 (日) 13:00

動物好きなら号泣必至の優しさ溢れるエンターテイメント。
詳細はネタバレBOXにて。

ネタバレBOX

ストーリーについては、後で触れるとして、まずは、それ以外の所から。

とにもかくにもエンタメ性の強い演劇で、見どころ満載。

ゲームやアニメのOPと見紛うほどのセンス溢れるOP。
ああいうスタイルで展開するOPはいくつか拝見したことはあるが、センス、クォリティ共に群を抜く。
あのOPを観れただけで正直、チケット代はお釣りが来るぐらい回収したと思ったほど。
演劇のOPであんなに鳥肌を立てて興奮したことはない。

そして、それを実現させた舞台美術と照明。
まさかあんな仕掛けがセット内に施されていたとは、、、大興奮。

それもさることながら、個人的に素晴らしい仕事をしたなと思っているのが、あの街灯。
点灯、消灯、ゆるい点滅と、状況にあわせて稼働するわけだけど、これがまたね、、、とっても良い雰囲気を醸し出してくれるわけで、日常においても、街灯大好きな私としては、街灯の魅力を余すところなく魅せて頂いて本当にありがとうございます!と言う感じ。

あとはタバコね、タバコ。
ご時世やら、なんとか法やらで、なかなか喫煙シーンも入れづらい昨今だと思うけれど、個人的にはタバコは絵になるから、ルールに則した中で入れ込んで欲しいのが本音。
それを見事に入れて頂いて、私はとっても嬉しい。
あれはもちろんタバコではないんだろうけど、ちゃんと先端が光るようになっているし、紫煙も出るから、見た目にはタバコそのもの。
それをまたね、実に旨そうにすってくれるわけで、もう、最高にカッコいい。

全体的にコミカルでポップなテンポで進行する中、霊能者との対決シーンなどでは非常に緊張感のある空気を作ったり、結婚式のシーンのように泣かせにかかりつつも、それを完全にお涙頂戴に収めず、少し笑える部分を取り込んだりと、その辺りの案配も絶妙だなと思った。

終盤、船出と悪霊たちと対峙するシーン。
この緊張感あふれるシーンからの、人生逆再生への展開は圧巻だった。
単なる逆再生ではなく、そこに加えられる老年期の創のセリフが、何とも言えない温かさを含んでいる。
何だか、もうそれを見ているだけで、聞いているだけで、じんわりと来てしまった。

さて。
ストーリーの方はと言えば。

誠にもって恥ずかしながら、私はストーリーだけに関して言えば、終演後「?」の状態だった。

この作品の魅力の一つにテンポの良さと軽妙な会話があげられると思っている。
ただ、これって、私みたいに頭の悪い人間には少々しんどい。

本編の中で、少々違和感を感じさせるセリフというのはいくつか存在する。
私としては「ん?今のってなんだ??」とちょっと一呼吸置きたいところなんだけど、そんなことを
している間もなく、ガンガン物語は進んでいく。
しかも、会話の情報量が多いから、合間に考える時間などまるでない。

結局、そういう、何だかのどに刺さった魚の骨みたいなものを大量に作りながら、どれも抜け落ちることなく、終盤まで進んでしまい、極めつけはこれである。

「君は犬の幽霊だ」

悪霊、すなわちチノが犬の幽霊であったと明かされたとき、私の頭は真っ白になってしまった。

え?どういうこと???

多分、察しの良い人は、この一言できっとのどに刺さった骨たちが、一気に抜け落ちていくのだろうけれど、私の場合、でかい骨がさらに一本刺さってしまっただけで、軽いパニックになってしまった。

真っ先に頭に浮かんだのは、創が結婚後、飼い始めた犬がチノでその幽霊なのかと思った。
けれど、それだと時系列が全然合わない。

船出やチノのセリフの雰囲気からすると、どうも谷本家とは関係ない犬のようにも思われる。
ただ、これはこれで、色々とつじつまの合わないことも出てくるんだけど、結局、帰りの道中も
頭の中は「?」だらけで、あーでもない、こーでもないと反芻を繰り返す。

結局のところ、終演から30時間近く経った今でも、物語については誠にもって申し訳ないことに、
多分全然理解しきれていない。
とりあえず、今の時点での自分の解釈はチノはやっぱり谷本家で飼われていた犬なんだろうということ。
ただ、それは現在の創、そして、寛史ではなく、もっと昔のどこかの時代の谷本家なんだろうな、と。

要は前世とか転生とかその手のやつで、創の遥か昔のどこかの前世では犬を飼っていて、それが
チノだったのかなと。
まぁ、前世なので必ずしも谷本家である必要はないんだけど、その方がちょっと私の中では
絵になる解釈なので、そういうことにしている。

だから、私の中では、創とありかの子供は何世代目かの寛史である。
もう一代くらい挟んでも良いんだけど、その方が個人的にはちょっと好きなので。

これってもちろん超解釈であることは承知している。
ただ、本編の中で、寛史が創に名前を付ける時に、
「思い出した」と言ってみたり、悪霊とのやり取りの中で
「一回は通る道だと思うんだ。でも創は聞いてこなかった。それは、俺と同じだからだったんじゃ
ないかなって思って」
と言っているのが、どうにもこうにも気になっていて、その辺を軸にして考えると、その解釈が
自分の中では一番しっくりくるかなーって。

もちろん、これはこれで、解決できない疑問が山ほどあるのは百も承知だけど、もう私の中では
これが精いっぱいの解釈。

演劇の解釈は個人にゆだねられているのを良いことに、そういうことにさせて頂いております。
全くの的外れだったら、ごめんなさい、目崎さん。

まぁ、それはさておきである。
チノ・・・というか、動物的な目線で、この物語を追ってみると、台本の文字を読むだけで号泣
できる要素が満載であることに、今更気づく。

チノという犬の出自が何であれ、彼女は捨て子であろうと思う。
それでも彼女は飼い主がいつか迎えに来ることをひたすら待っている。死してなお待っている
のである。
彼女が捨てられた理由は分からない。
けれど、彼女はレイナにこう答える。
「きっと、ワガママだったから、あたしは捨てられたんだよ」

それが本当なのかは分からない。
分からないのである。

本編では猫やシロが人間の言葉を話す。
けれども、それは演出上の話で、彼らの言葉は人間には理解できていない。

「なんか、すげーにゃーわんにゃーわん言ってる」

様にしか聞こえない。

かくいう私も動物と暮らしている。
私と妻、そして二匹の猫と一匹の犬。
私たち夫婦にとっては、大切な家族であり子供であるが、彼らはみな捨て子である。

彼らと同じ時間を過ごしていて、彼らの言葉を理解することが出来れば・・・と思うことは
しばしばある。
犬も猫もいるので、まさに「にゃーわんにゃーわん言ってる」状態は日常茶飯事で、
我々夫婦は、彼らが考えていることを想像でのみ理解して、彼らと接している。

「きっとそうだろう」という想像が必ずしも正しいとは限らない。
言葉を理解しあえない以上、すれ違いは確実に生じている。

チノは自分がワガママだったから捨てられたと思っている。
けれど、この優しい物語の中で、チノはそんな理由で捨てられてしまったとは思えない。
何かやむを得ない事情があってのことだと思いたい(事情どうあれ捨てたことは許せないけど)。

それがチノには伝わらない。
不安を抱かせてしまう。
飼い主の愛情を知ることが出来ないのだとしたら、これほど悲しいすれ違いはない。

成仏できないほどの無念。

うちの子供たちにも、そういう思いをさせてしまうのだろうかと思うと、何とも言えない気持ちに
なった。

劇中、シロが言葉を話すことはあまりないのだけれど、

「いつだって一緒にいたかったよ」

という言葉。
ストーリーを理解できていなかった観劇当時も、この言葉には泣かされてしまった。

シロが旅立った後、創はチノにこう語る。

「あの子はずっと一緒にいてくれたんだよ。ありがたいことにね」
「自分のことでいっぱいで、一緒に入れない時間もたくさんあって…」
「幸せだったかな」

私はもうこのシーン、胸をひどく抉られた。
そうなんだよなー…ほんとにそうなんだよ。

今、私がこうやってPCに向かってせっせとこの感想を書いている間、うちの子たちは
妻に襲い掛かって、毛まみれにしているところだと思うけれど、私も妻も不在の時は、
犬も猫もケージの中である。

うちの犬は妻が拾ってきたこともあって、妻といる時間の方が長いのだけれど、女の子
だからか、間違いなく、私の方が好かれている。
本当は、私ともっと時間を共に過ごしたいのかな、などと思うと、なんだか、どうにも
なんとも、かんともな気持ちになってくる。

猫もシロも旅立った後、猫が幽霊になってチノと一緒にいることを知った創は言う。

「・・・いいなぁ、幽霊」

私も同感である。

この猫とシロの旅立ちのシーン。
非常に印象的な演出である。
この優しい描写に、書き手の人間性が強く表れているような気が私はした。

まぁ、他にも書きたいことは満載なんだけど、ちょっと収拾がつかなくなりそうなので、
強引にここで切って、登場人物と役者の皆様の振り返りなど。

◎谷本家
細田こはるさん、ニュームラマツさん、鳥谷部城さん、小太刀賢さん
瀧啓祐さん
熊坂真帆さん
中村桃子さん
小林駿さん
園山ひかりさん

愛情あふれる家族だなぁ。ほんとに素敵。
ちょっと頼りないお父さんに、どっしり構えたお母さん。
なんだかんだで仲の良い兄妹に、家族の一員たるわんこ。
そして、新たに谷本家の一員になるしっかりもののお嫁さん。
サザエさん一家的な温かい家庭で、観ているだけで優しい気持ちになれました。

細田さん、まさかの少年役。でも、とてもお似合いだった。
元気いっぱいのあのテンションは、やっぱり細田さんならではでニヤニヤしながら
拝見しておりました。

インパクト大の青年期はニュームラマツさん。そして同じ時代を過ごすシロは小林駿さん。
このお二人で印象的なのは、失恋後の部屋で一緒に過ごすくだり。
テンション高めのシーンが多いニュームラマツさんだったけれど、とてもしっとりとした
印象深いシーンでした。

麗花役の中村桃子さんは、このシーンでも絡んでくるんだけど、ドア越しの二人の会話が
すごく好きでした。
なんだかんだでお互いを思いやる優しい兄妹。

この兄妹の関係性が、私はとても好き。
ブラコンでもシスコンでもない。適度な距離間の仲の良さ。
父の葬儀の時のやりとりがなんだかすごく印象的でした。
壮年期を演じた鳥谷部城さんとの絡みになるんだけれど、父の死に対する兄妹それぞれの
温度差。
鳥谷部さんの語り口はとてもやさしくて柔らかい。
彼の見解は、麗花にとってはひどく冷めたように感じられたのかもしれないけれど、私は
ちょっとわかる気がしたかな。
ああいう見送り方が出来るのって、幸せなことだと思う。

母親である奏を演じられた熊坂真帆さん。
「母性」を象徴するような役柄。おおらかで、芯があって、懐の深いその所作がとにかく
印象的。
優しくも強い母であるが故に、病気のシーンは切なかったです。
息子を前に気丈にふるまう奏。
なんかその姿だけで、じんわり来ました。
奏での死後、チノのもとを訪れた寛史が帰るときに、それを待っていた奏。
セリフはないんだけれど、色んな示唆に富んだシーンで、何だか胸が締め付けられました。

寛史を演じられた瀧啓祐さん。
こわっぱちゃん家での公演では見かけなかった役柄で、意外に思いつつも楽しく拝見させて
頂きました。少年時代すごかったー。
でも、子供たちに寄り添うすごくいいお父さん。
父というよりは男として息子に接する姿が、すごく好きだったなぁ。
私は人間の父親になる予定はないけれど、もしもなるんだったら、子供にはああいう接し方を
したいな。
真骨頂は死ぬ前にチノと交わす会話。
この二人の会話は、どの場面も好きでした。
なんか、お互いに、答えを知ったうえで話しているというか、そんな緊張感のあるやりとりが
見ごたえありました。

須本ありかを演じられた園山ひかりさん。
こんな先輩がいたら、そりゃ、惚れるよなぁ。
「私の代わりに、読んで感想を聞かせてほしい」
とかちょっとずるいほど、パンチあるよね。俺も文芸部はいるわ。
印象に残っているのは、やっぱりプロポーズのシーンかな。
会場の空気、めちゃめちゃ温まった。
フィクション史に残る珠玉のプロポーズシーン。
なんか園山さんはありかを演じているというよりは、ありかそのもののような感じがしました。
はまり役っていうのは、こういうのを言うんですかね。

さて。
老年期を演じられた小太刀賢さん。
なんでしょうね。ちょっと言葉にしがたい素晴らしさだった。
鳥谷部さんもそうなんだけど、小太刀さんもまた、語り口がすごく心地よいんですよね。
劇中、老年期の創がちょいちょい出てきて、回想をするんだけど、そのシーンのたびに、
何だか安心してしまうというか、うまく表現できないけれど、心が穏やかになるような
そんな感じでした。
シロと絡むシーンは、どれも素敵だったなぁ。そして、そのたびに泣いてました、私。

◎幼馴染たち
大和田あずささん、布施知哉さん

いわゆる腐れ縁三人衆だけれど、この3人の関係性ってすごくいいなって思う。
私もこういう腐れ縁が欲しい。
蓮を演じた布施知哉さん、なんていうか「腐れ縁」な感じが本当にすごく良かった。
腐れ縁な感じってなんだ?って話だけど、お調子者感というか、そういうのがすごく好きだった。
この3人が集まっているシーンって、どれも楽しくて好きなんだけど、一番好きなのは
結婚式の後のやりとりかな。さっぱりした感じが大好き。

藍子役の大和田あずささん。
まさか生まれた直後から壮年までを演じられるとは。
赤ちゃんの時の創にパンチするシーン。大好き。
藍子もすごくいい子なんだよなぁ。
考えてみれば創っていうのは、とても幸せな人だなって思う。
初恋の人と結婚し、生まれた時から一緒に過ごしている親友がいるなんて、なかなかあるもんじゃない。
藍子と創の関係性で素敵だなって思うのは、愛だの恋だのが絡んでこないこと。
まぁ、読み取り方によっては、そういうのを感じる描写もあることにはあるんだけれど、私はあえて
そこは無視。
この二人にはね、そういう愛だの恋だのといったところをはるかに超えたところで繋がっていてほしいなって思う。男女間の友情は存在する派なので、私。

◎霊にまつわる皆様
大森さつきさん、中野亜美さん、中田暁良さん、永渕沙弥さん、白井肉丸さん

まずはレイナさん演じる大森さつきさん。
おキレイでしたね~。霊にまつわる皆様に共通することだけど、衣装がすごくお似合いなんですよね。
今、パンフを見ていて気付いたんだけど、衣装はなんと永渕さんがご担当なのでしょうか。すごい!
浮遊霊という設定どおり、軽やかに舞うような所作。素敵でした。
でも、レイナも霊ではあるので、前世では結構、ひどいめに遭ってたんだろうなぁと思うと、ちょっと切ない。

そう思うとね、中田暁良さん演じるマモルにもちょっと思うところはあるわけです。
彼は悪霊だけあって、本当に悪いやつなんだけど、彼にもまた悪霊になってしまった理由というものがあるわけで、彼の孤独を思うと、同情できる部分はあるのかなという気も。
ただ、この作品は、全編になんともいえない優しさが漂っているから、完全に悪役であるマモルもどこか、ちょっと憎めない部分があったり。
ちなみに私はキャラ的には、マモル大好きです。
衣装もかっこいいんだけど、やっぱりあの所作がね。真似したくなっちゃう。しないけど。

猫を演じられた中野亜美さん。
さっきも触れたとおり、私は本編のストーリーに関してはあまり理解できてません。
なぜかと言えば、繰り返しになるけど、頭が悪いうえに、テンポが速くて理解が追い付かなかったから。
そして、もう一つの理由は、猫に夢中で、ところどころ会話に集中しきれなかったから。
いや、ホントにびっくりしました。
「え、あれ、もう猫じゃん!?」
っていうくらい猫。
私、人間があんな風にしなやかに、軽やかに、音もたてずに動ける生き物だなんて知らなかった。
見惚れました。脱帽です。
人間の動きであんなに感動したのは、ジャッキー・チェンの酔拳以来かもしれない。
役どころも良かったですね。
チノのことが心配で、幽霊になってしまうくだり、ちょっとホロリとしてしまった。
チノと猫、レイナのガールズトークはどれも好きだったなぁ。

霊能者、船出真理を演じられた永渕沙弥さん。
最高にかっこよかったですね。
煙草を吸う女性って好きなんですよね。絵になるし、かっこいい。
そして強い。
最初にチノと対峙するシーンで、やり合う準備をしていないと言いつつ、チノと同等以上の
力を見せつけるんだけど、この辺の見せ方が、憎いばかりに素晴らしい。このシーン大好き。
永渕さんの演技も素敵なわけですよ。
ああいう姉御っぽい語り口、大好きなんですよね。声にも力強さがあるし、芯もあるから、すごく似合う。
もうなんてったって、この人の最大の見せ場はやっぱり最後のシーンでしょう。
「駄目だ。許さない。親になるんだろ!」
っていう叱咤は震えた。
このセリフだけじゃないんだけど、このシーンでのビリビリとした緊張感は、永渕さんの演技あっての
ものだと思う。いやー、もう、このシーン全般、ホントぞくぞくした。

悪霊、いや、チノを演じられた白井肉丸さん。
私にとって、この物語の主人公はチノ。
チノのセリフで一番印象に残っているのは何といってもこれ。

「呪い、まだ必要ないよやっぱり」
「あたしだって忘れてたのに」

これねー…
なんかもう書いているだけで泣きそうになる。
この言葉を創から聞いたとき、チノはすごく幸せだったと思うんですよね。
捨てられた、言い換えれば、忘れ去られたことに対して、強烈なトラウマを持っているだろうチノが、
自分から言い出したにもかかわらず忘れていた約束を、大切にしている創から聞けたことは、彼女に
とっては驚きであると同時に嬉しくもあったんだろうなぁと思う。

チノと創の関係性の移り変わりは、この作品の見どころでもあるんだけど、そのちょっとした温度差に
少し切ない思いはあったかな。

彼らの思いって、なかなか一致しない。
一致しないというか、すれ違ってしまうというか。
別のシーンで、創がチノの存在をありかに話してもいいか質問するシーンがある。
創にとって、チノというのは、家族や親友に並ぶような存在になっていたんだと思う。
だからこそ、その存在を、同じく大切にしているありかに知ってもらいたかったんだと思うんだけど、
チノにとっては、その思いはともかく、そういう形で表現されることを求めてはいなかった気がするんですよね。

本編の始めの方で、子供時代の創に対して、
「創、君は私のものだ」
っていう言葉。
チノはこの言葉を、特に意図なく使ったんだと思うけれど、創にとっては、ある意味、呪いのごとく、
この言葉は刻み込まれて、ずっと、それを忘れずにいたわけで。
なんか、もどかしいというか、むずがゆいというか、心地よくもあるというか、そんな感覚が、
終始、彼らの間にはあったように思う。
そういえば、書いてて気づいたけど、なんで、チノはこの時点で創の名前を知ってたんだろ?
んー…まぁ、いいや、後でゆっくり考える。

そういった、チノの心中の揺らぎのようなものを、白井さん、とても見事に繊細に表現されていたよう
な気がする。
色々と思い出すだけで、ちょっと泣けてきますな。
素晴らしかった。

◎脚本・演出
目崎剛さん

目崎さんの書かれた演劇を拝見するのは先日の『いまこそわかれめ』に続いて今回が二本目。
『いまこそわかれめ』もそうでしたが、今回も完全にお話を理解しきれませんでした。
せっかく作って頂いたものを汲み取り切れず、申し訳ない思いです。

けれども、全編に優しさの漂う作品で、これが目崎さんの世界なのかなと思っています。
観劇から数十時間を経てしまいましたが、ようやく、少しずつ、染み込んできました。

心に残り続ける作品をみせて頂いたと思います。
劇団の皆様、役者の皆様、素晴らしい作品を本当にありがとうございました。
「日曜日よりの使者2019」

「日曜日よりの使者2019」

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2019/11/22 (金) ~ 2019/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/11/23 (土) 20:00

「あちら」と「こちら」を繋ぐ場所で紡がれる
二つの旅立ちの物語。
詳細はネタバレBOXにて。

ネタバレBOX

feblabo X 羊とドラコさんの『日曜日よりの使者』『いまこそわかれめ』。

別々に感想を書こうかと思ったけれど、これは一緒の方が良いかなと思い直したので、
まとめて書きます。

2本合わせて75分。
非常に簡素なセットと、照明機材。
そして、わりと少なめな座席と、少なめな割に中央に通路まで確保されており、
小劇場特有の、あの濃密な空間とはちょっと空気感が違った。

主宰である池田さんの丁寧な誘導に始まり、ゆるっとした前説。
ガツンと劇場の空気を上げるのではなく、ほんのり、じわじわと上げていく感じが
とても心地よくて、本編の内容も相まって、終始、非常に温かい空間だった。

今回上演された2本は再演とか再々演とかそんな感じらしい。
ちなみに私は2本とも今回が初めて。

というわけで真っ白な気持ちで観劇させて頂いたが、いやー、何というか、言葉にするのが
難しい楽しさだった。

新鮮な体験ではあったんだけれど、うーん、どう表現したらいいものか。

取りあえず、本編の感想を書きながらつらつらと。

①『いまこそわかれめ』

開演5分前くらいから大和田さん演じる諏訪が席に着き、本を読み始める。
それを横目に…すらしない感じで前説が入る。

あぁ、こういう入り方大好き・・・とその時は思ったけど、もしや、この
「横目にすらしない」というのも既に演出の一環だったんだろうかと書きながら思った。
もしそうだとしたらすごいなぁ。ひー。

本作は、卒業式を終えた諏訪と桐場が、なじみの喫茶店で「仰げば尊し」を読み解きながら
談笑していく。
大和田さんは『じゅうごの春』以来のお姿拝見だったけれど、全然、あの時とは
違うなー、すごいなー、歌上手いなーなんて思いながらのんきに観劇。

対する桐場を演じる塩原さんは、かっこいいなぁ、でも高校生にはちょっと見えないよなぁ
などと、こちらものんきに観劇。

読み解きが進み、ついにタイトルの「いまこそわかれめ」の解釈。
さー、来るよ、なんか来るよと右の脳で思いつつ、左の脳で「いまこそわかれめって
そういう意味なんだ」などと思いながら、舞台上での有事に備えて待機する。

ところがである。

なんかちょっとしんみりした感じにはなったけど、諏訪は出て行ってしまった。
トイレかと思ったが、全然戻ってこないし、残された桐場は泣いているではないか。
しかも、結構長い間。

私、大混乱。

何が起きてるんだこれは?と思いながら、真っ先に頭に浮かんだのは、ざっくり言えば、
桐場は失恋したんだろうかということ。

いやいや、それだと全然話のつじつまが合わない。
なにこれ、なにこれ、なんだこれ??

と思っている間にお会計のシーン。
そして、桐場も店を出て、ついに本編も終わってしまった。

ひー!?なんだこれ???

余りにもわからなすぎる。
ただ、本編が始まった時から、所々に違和感を覚える箇所はいくつもあった。

例えば、桐場が店に入ってきたとき、諏訪が先に待っているにも関わらず、
なぜ、
「あの席で」
という言い方をしたのか。

店員はなぜコーヒーとオレンジジュースを桐場の側にまとめておいたのか。

卒業したばかりなのに、
「もう大人なんだから」
と諭す諏訪。

微妙に噛み合わない、会話の中の時系列。

学ランなのになぜか締めているネクタイ。

「ん?」と思いつつも、どれもこれも、無理やり解釈できないことはなかった。

席のくだりは、私はてっきり「連れがいるんで」的な言い方をするものとばかり思って
いたので、桐場の表現に違和感は感じたが、まだ、この時点では桐場という人物の人となりも
分からないので、この人はこういう人なのかもしれないと思ったし、コーヒーについても、
気が利かなそうなじいさんだから、こういう置き方するかなとも思ったし、高校生にとっては
卒業した時点で大人と思うこともあるかなと思った。

ただ、やっぱり、どうにもそれでは説明がつかない。

結局、分からずじまいで帰宅して、うーんと思いながらTwitterを眺めていたところで、
とある方の感想ブログにたどり着く。

ちょうど前日に同じ演目をご覧になっていて、その感想もネタバレと共に書かれていたので、
読ませて頂いて、ようやくわかった。

桐場が締めていたネクタイは喪服のネクタイ。

私、これ全然気が付かなかった。
だから、喫茶店の店員もハマオなのかー。
うわー、ひー、まじかー、すげー。

私、このブログ書いてくださった方に、感謝しないとですよ。
そうでなかったら、絶対に分からずじまいだったと思う。
すごい慧眼。そこに気づくことができる感性が素晴らしい。

そういう前提で振り返りをすると、色々なものが腑に落ちてくる。
この時、台本に初めて目を通したのだけれど、やっぱり、その解釈ですんなりと
理解できる。

ただ、ブログを書いてくださっていた方も指摘しておられたが、台本に書かれているのは、
今回の公演のものとは別Ver。
台本のVerだと、より一層、気づかない気がする。
私は無理。絶対に無理。

とは言え、である。

細かな部分に関しては、観客の側にまだまだ大幅に想像の余地が残されている。

そもそも、この喫茶店は現実に存在しているものなのか。

『日曜日よりの使者』に登場する喫茶店に生きている人間は登場しない。
ただ、リクオは死んだことを自覚していないことを思うと、この喫茶店は
あの世とこの世の間、言ってみれば三途の川のほとりにでもあるイメージなんだと思う。

『いまこそわかれめ』と『日曜日よりの使者』はもちろん全く別の作品。
作品同士の関連はないのだけれど、この二本が同じ日、同じ時間帯に演じられたことを
踏まえると、私としては、同じ世界の軸線上に位置すると思いたい。

だからこそ『いまこそわかれめ』の舞台である喫茶店はハマオが営んでいるのだと思う。

私にとって、この喫茶店は、この世を旅立った者を、あの世へと迎え入れる場所である。
もう少し、踏み込んで言うのであれば、成仏しきれない者を、あの世へ連れていくための場所
ではないか。

諏訪はもう間違いなく死んでいる。
けれど、彼女がこの喫茶店にとどまるのは、彼女への思いを断ちきれない桐場の思いが
あったから…なんだろうか。

諏訪に対しての願いを聞かれた桐場が「卒業」と答える場面がある。
この部分、本編を観ていた時も、台本を読んだ時も、ちょっとよくわからなかった。

初めは諏訪が死んだのは在学中だったので、卒業させてやりたかったという意味なのかと
思ったが、彼女は仰げば尊しを歌ったと言っているし、卒業証書も持っているし、
何より諏訪自身が、桐場の答えについて「したよ」と答えている。

仰げば尊しの解釈の中で、彼らは「卒業」を「もうここにいちゃだめ」と定義する。
桐場が諏訪に対して求めた「卒業」、彼が指し示す「ここ」とはこの喫茶店ではなかったか。

この世に対して執着し、あの世に旅立つことを拒んでいたのは、他でもない諏訪自身で
あったように思う・・・んだけれど、これは桐場も然りなのかなぁ。

多分、諏訪が死んだのは卒業式の直後なんだと思う。
会計時のアルコール云々のくだりからすると、桐場はもう成人しているから、最低でも
諏訪の死後、3年は経っている。大人云々のくだりからすると、個人的にはもう少し
経っているような感覚はある。

諏訪は死んでいるので当然、もう年は取らない。
けれど生者である桐場は年を重ね、そして、その思想、思考も成長していく。

「あたし、今を生きてっから」
「私が知ってる桐場より、頭がだいぶ良くなったみたい」
という諏訪のセリフは、二人の境遇を如実に表していて、残酷ですらある。

若くして死んだ諏訪の無念は決して晴れることは無い。
桐場とて、親友を若くして失った悲しさ、無念さ、憤りはあったろう。

言ってみれば、諏訪の魂が、あの世とこの世の間にとどまることは、双方にとって
都合が良かったのかもしれない。
どんな形であれ、お互いに会うことが出来るわけだから。

ただ、日々成長を重ねる桐場は、親友が成仏できていない、その歪みに気づいたの
かもしれない。

今年こそ諏訪を成仏、彼女の言葉で言えば「卒業」をさせようと、意を決して
店のドアを開けたのが、この物語の冒頭だったのかもしれない。

いずれにせよ。

諏訪はついにあの世へと旅立つことを決意する。
彼女は桐場に対して弱いところは見せない。
それは強いということではなく、弱いところをみせまいとする強がりなのだと私は思う。

仮にこの世に対しての執着が、彼女の中だけにあったとしても、彼女はその強がりで
桐場に執着心を転嫁していたのだと思う。

きっと高校在学中は、強がるまでもなく、彼女の方が精神的にも強い立場だったような
気がする。

けれど、桐場だけが年齢を重ねることで、いつしか、横並びになり、越されてしまった。
桐場は、そんな諏訪の強がりを知っていながら、それを黙って飲み込んだのかもしれない。

「今、は、わかれましょう」

諏訪が語った最後の言葉。
いつかの再開を示唆したこの言葉は、桐場だけでなく、彼女自身に言い聞かせるための
言葉であったようにも思う。

そう思うと、最後の長い嗚咽のシーンの演出は素晴らしすぎる。
名作すぎんか、これ。

私、本編観てるときに、諸々気づかなくて正解だったかもしれない。
何もかも分かったうえで観てたら、これ上演を妨げるレベルで声に出して泣いちゃう。
もう、シアターミラクル出禁になっちゃう。

まぁ、でもねー。
全部は無理にしても、もうちょっと本編観てるときに気が付いておきたかったな。
我ながら、感性の低さが憎い。
クリスマスプレゼントは感性を希望です。

さてさて、最後の会計のシーン。
1000円払ったところでなぜか返される200円。

これ、本編観てるときは、何もわかっていなかったので、じいさん、しょーがねーな、
くらいにしか思ってなかったんだけど、事ここに至ってみると、何かしらの意味があると
しか思えない。

思えないんだけど、これがどうにも・・・

今のところ、思いつくのは、無事に、諏訪をあるべきところへと送り出してくれた桐場に
対しての、心ばかりのお礼なのかなというのはあるけれど、ちょっとパンチが弱い気も
するしねぇ。

宿題にします。
鈍い感性でもう少し考えます。

ところで・・・この感想の始めの方で、
「塩原さんが高校生に見えない」
と書いたんだけど、そりゃそうだよね、だって劇中では高校生ではないんだもん。
微に入り細を穿つ演出に脱帽。神がかってる。

とにかく、素晴らしい作品でした。
感想書きながら、号泣です。

②『日曜日よりの使者(東京版)』

というわけで、ようやく、こちらの感想です。
思いのほか、長くなってしまって、やっぱり分けて書くべきだったかと、ちょっと反省しております。
すいません・・・

さて『いまこそわかれめ』をちっとも理解できないまま終わってしまい、しょんぼりしているところで
本編スタート。

こちらはと言えば、比較的わかりやすく、頭の悪い私でも、そこそこすんなり、リアルタイムで
飲み込めました。やったぜ。

とは言え、恥ずかしながら途中まで、堀さんと池田さんが果たしている役割に気づけなかった。
どのタイミングで気づいたのかは覚えてないけれど、お二人で音楽、効果音を担当されてるんだと
気づいてテンション爆発。

だから、この演劇は照明以外は一切、電力を使用していない。

超究極のアナログ劇。

着替えも目の前、演奏も、効果音も、全てが観客の視界の中で行われる。

これはねー…

ちょっとビックリしました。
きっと大昔の演劇って、こんな感じだったんだろうなって思う。
だから、新鮮って言うと、ちょっと語弊があるというか、自分でも違和感のある言葉になって
しまうんだけど、とにかくすごいとしか言いようがない(語彙力)。

本気で感動したのは、競争のシーン。
この臨場感というか、3D感(?)はホントにすごかった!

あんな狭い舞台だから、全力で50メートル分も走れるわけがなく、足踏みに近い形で、
ちよっとずつ前に進んでくるんだけど、そこでまず抜きつ抜かれつを演出。
その後、弧を描くようにして、斜めに進んでくるんだけど、ここの臨場感!!

私は入り口に一番近い後方の列に座っていたので、私の方に向かってくるような格好。
その位置が良かったのかもしれないけれど、いや、何しろ、あれはホントにすごかった(しつこい)。

デジタル全盛の時代にあって、一切の機材を使わずに、身体一つで、あんな風に表現が
出来るんだってことが、驚きであるよりも、嬉しかったなぁ。

これこそが、演劇、小劇場での演劇における醍醐味なんじゃないかって気がした。
野外劇だったら、もっと面白いんじゃないかって、観ている時に一瞬思ったんだけど、
野外だと情報量が多すぎちゃって、没入感がきっと薄れちゃうんだろうなぁ。

このほぼ何もない簡素なセットだからこそ、我々観客は、色々なものを想像して、
この世界に飛び込むことが出来るんだと思う。

観客との一体感もすごく良かった。
共謀カモメ、じゃなくて狂暴カモメ(あながち間違いでもない)襲来のシーンも、
私は後列だったので、軍手カモメ組にはなれなかったけど、ちゃんとこっちまで
来てくれて!
しっかり襲わせて頂きました。

大和田さん、塩原さんもカモメになって登場してくれたのは嬉しかった!
複数班による短編集だからこそのゲスト参戦!
このお祭り感が、すごく楽しい。

で、最後は主宰扮するボスカモメとの対決。
しかも、それを相撲でって言うね(笑)。
あんなに劇場で笑ったの初めてかも。ほんと楽しかった。

また、島田さんにしても萩山さんにしても、盛り上げ上手なんですよね。
アドリブなのか、織り込み済みなのか分からないけど、堀さんに絡んでみたり(笑)。
めちゃくちゃ暖かい公演だった。

かと思えば、開演前にレーズンチョコを渡して、劇中でそれを一緒になって食べて
ちょっとしっとりさせてみたり。

演奏、音響がオール生音って言うのも素敵。
ギターでの生演奏、池田さんが鳴らす道具を使った効果音。

私の席からは、舞台上の役者さんよりも、むしろ、袖にいる池田さんが一番よく
観えたんだけど、波の音を鳴らしてくださっているのを観て、
「あぁ、そうそう!波の音ってこうやって鳴らすんだよね!!」
と思いながら、感動していた。

なんか、姿を敢えて見せることで、そうやって感動させるのも、何もかも計算づく
なんだろうなぁ。
『いまこそわかれめ』にしてもそうだけど、神がかってるというか、もはや悪魔がかった
演出。
すごすぎんか、マジで。

演出面でもすごかったけど、もちろん、役者様の演技もすごかった。すごすぎた。

もうだって、島田さんも萩山さんも汗びっしょりだもん。
まぁ、そりゃ、あれだけ動き回ればそうなんだけど、なんかねー…あの汗だくの姿が
感動的に美しいなぁって思いました。

あぁ、今、目の前でこんなに一生懸命、すごいものをみせて頂けてるんだっていう感動。
役者様に対しては、いつも、感謝の気持ちを持っていたいと思ってるけど、この公演では
それを、一層強く感じた。

書きながら色々と思い出してるんだけど、ホントに楽しかった。
ニヤニヤしちゃう。

そんなこんなで、終始楽しく、本編は進んでいくんだけど、最後はやっつけられたなぁ。

だってリクオ死んでるんだもん。

この部分の一連の二人のやり取りがとにかく秀逸だった。
ハマオの慈愛に満ちた声掛けが、本当に素晴らしくて、もう無理、号泣。

「1回なってみたかったの。じじい」

明るく言うんだけど、これ、結構重い言葉だよなー。

「安心しろ、蒲団の上だ。安らかだったぞ」

ここもねー…
ちょっと私の語彙力では表現できない。
でも、なんて優しい、慈愛に満ちた言葉なんだろう。
このシーン、大好き。

そしてめでたく終演。

池田さんのゆるっとした後説と、それにツッコミを入れる役者様方。
もうほんとに、最初から最後まで温かい空間だった。
75分とはとても思えない、素晴らしい時間だった。

そういえば、スタッフの方に見覚えのある方がちらほらと・・・
間違ってるといけないから、お名前は出さないけれど、もしも、ご本人たちだったとすると
思いがけないところで、お姿を拝見できて嬉しかったです。

とても幸せな時間でした。
劇団の皆様、役者の皆様、素晴らしい舞台を本当にありがとうございました!!
だからどうした

だからどうした

HYP39LOVE

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2019/11/07 (木) ~ 2019/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/11/17 (日) 15:00

大人になり切れない男の魂の叫び。
恋愛にとどまらない、人間のありようを描いた一大エンターテイメント。
以下、ネタバレBOXにて。

ネタバレBOX

11/17の15:00開演。高円寺チームの千秋楽。
開場は14時15分。
劇場に到着したのはそのさらに5分ほど前だったが、既に数人の
列が出来ていて驚く。

受付の様子を眺めていると、リピーターの方が多い印象。
何となく小劇場の演劇って、一人で観に来る方が多い気がしているんだけど、
友達やら仲間やら恋人やらと連れ立って来ている方が、それなりに多かった。
そして、年齢層が比較的若いなとも思った。

スタッフの方や、主宰の表情豊さんが、適度な感じで場を盛り上げる感じで、
開演前から劇場内の空気はすでに温まっていた。
この時点で、本編への期待値もグンと上がってくる。

見事に期待を裏切らない作品だった。
全体的にコメディ調で進む本作だが、そのテンポや笑いの組み立て方が、
私にはぴったりハマって、気持ちが良かった。

しかしながら、本編で語られる男女を取り巻く事情や情事は、正直、笑えない
ぐらいリアルで所々で胸を抉られるシーンも。

何しろこの物語は容赦がない。
この手の入り組んだ恋愛事情は、高円寺界隈のみならず、古今東西どこにでも
転がっている話だ。
そこに特段の目新しさはない。

事実は小説より奇なり、の言葉通り、ここで語られる物語よりも、さらにハードな
恋愛事情など、日常には掃いて捨てるほどあるだろう。

フィクションという形にそれを落とし込むとき、少なからずオブラートに包んだり、
あるいは逆に誇張したりすることで、結果として「フィクション臭さ」が出てしまう
ものだけれど、本作について言えば、そういうものを感じなかった。

小説が事実と肩を並べてしまった。
フィクションにしてフィクションにあらず。
その生々しさに気持ちを(良い意味で)蹂躙されたような気がする。

だからこそ、この作品は私はもちろん、会場にいた観客の皆様にも大きな衝撃を与え、
結果として、あのダブルコールに繋がったのではないか。

ダブルコールなるものが、世の中に存在することは知っていたが、目の当たりにしたのは
初めて。

え?なに?ほんとに?いいの?え?出るの?え??
みたいな表情を浮かべながら、再び舞台に戻ってくる役者の皆様。
着替えの途中だったのか、慌ててまた着なおして戻ってくる方もいた。

どこに並ぶの?さっきと同じ??え?ねぇ、どうすんの??
という感じ丸出しで、オロオロ、ワタワタとする皆様。

私、たぶん、あの場面、もう死ぬまで忘れないと思う。
役者の皆さんの、ありのままの表情。
戸惑いつつも、喜んでいただいてけているあの表情。

勝手な想像だけれども、あの時、役者の皆さんの中に、
演劇に関わっていて良かった。
役者でいて良かった。
そんな思いがあったように感じた。

もし、それが当たっていたとすれば、観客の側として、これほど幸せなことは無い。
そういう場に立ち会わせて頂くことが出来たということが、とても嬉しくて、
幸せだった。

私がこの公演で感じたのは、劇団の皆様の「楽しんでいってもらおう」という
強い気持ち。
一部とはいえ、本編の撮影を許可していたことや、物販、先にも触れた開演前の
スタッフの方の気遣いなど「居心地の良さ」を感じさせる場面は多々あった。

観客の皆様も温かい方が多かったような気がする。
印象的だったのは、開演前に台本完売のアナウンスがあったのだけれど、あそこで
一部から拍手が上がったのである。

それを聴いた時に、あぁ、なんて素敵なお客さんなんだろうと思った。
観客としての精進がまだまだ足りないと感じた瞬間。

演劇を創る側、受け止める側、双方の高い熱量がまじりあって、稀にみる、素晴らしい
公演だったと思う。

これほどまでに、観客に愛された公演を観たのは初めて。
本当に観劇できてよかった。

ここからは、それぞれの登場人物を中心に、本編を振り返り。

カズ(金田侑生さん)

何というか・・・若いころの自分を見ているようで、微笑ましい思いも、ほろ苦い
思いもあった。
嘔吐するまでには至らないにしても、同じ道をたどった私としては、彼の潔癖な
姿勢と思考はとても共感できたし、納得できた。

彼が思い描く理想の女性は、あまりにも人間離れしすぎているのだと思う。
言ってみれば、カズが恋をしているのは「恋愛」そのものであってユミでは
なかったのかもしれない。

けれど、作中で色々な経験をする中で、カズはようやく「恋愛」ではなく、
ユミを好きになることが出来たような気がする。

演じられた金田さん、「熱演」という言葉がぴったりで素晴らしかった。
顔を真っ赤にして演じられた嘔吐のシーン。
ライブシーンでの絶叫交じりの告白。
ラストシーンでみせた、様々な表情。
どれをとっても本当に素晴らしかった。
ダブルカーテンで最後に、何度も何度も観客席に頭を下げていた金田さんの
姿、本当に印象的だった。

ユミ(吉田のゆりさん)

「したいことをしているだけ」
まさしくその通り。
潔癖なカズに対して、ユミは奔放ではあるんだけど、彼女の生き方というのは
ごくごく自然で、結局のところ、生きるということは、そういうものなのだと
思いながら観ていた。

ただ、ありのままに生きているユミを絶賛し、美化し続けるカズのことを微笑ましいと
思う反面、居心地の悪さもあったと思う。
こうしたミスマッチは、現実の中でも、ちょくちょく見かけるシチュエーションなので、
非常に生々しく感じた。

大人として生きているユミに対して、カズはあまりにも幼い。
典型的にうまくいかない組み合わせだとは思うので、結末は個人的には正直、意外だった。

カズの真っ直ぐ過ぎる告白を、幼いと感じつつも、その純粋さに胸を打たれたのか、
あるいは、忘れていた何かを思い出したのか。

後日談が個人的にはちょっと気になる。
うまく…いくのかなぁ。
いや、うまくいっては欲しいんだけど。

マツ(保さん)

カズとはちょっと違った意味で幼さを感じるマツ。
そして同じようにちょっと違った意味で真っ直ぐでもあるんだと思う。

彼女がいるにもかかわらず、ヨコを抱いてしまった、自己嫌悪。
自分でも戸惑うその感情をコントロールしきれずに、周りに当たり散らす。
そんな彼に幼さを感じつつも、彼の愚直さを象徴しているようで、個人的には
ちょっとした微笑ましさも感じた。
すごく不器用だな、とも思うけれど。

結局、彼は、ヨコと付き合うことになった…ということでいいのかな。
他のカップルには、どこか今後に危うさを感じさせるものがあるんだけど、
マツとヨコに関しては、安定感抜群な印象。
末永くお幸せに。
エリはちょっと、かわいそうだなと思うけれど…

エリ(長友美聡さん)

作中に登場する人物の中で、唯一、幸せになれなかった感のあるエリ。
マツと過ごす時間が少なくなってきたことから、彼の自分に対する気持ちを疑い
始めてしまったのだけれど、村田が指摘するように、マツがバイトに明け暮れるように
なったのは、エリのことを思えばこそだったのだと思う。

これもよくある話だけれど、ちょっとしたボタンの掛け違いが大きな歪に
なってしまい破局に至ってしまったのかな、と。

初対面の村田と一夜を過ごしてしまうというくだりも、これまた、よくある話…
とまでは言わないにしても、それなりに見聞きする話だけれど、それを一夜限りに
出来なかったのが、エリの純粋さであり、そして、ある意味、幼さであったようにも
思う。

エリとユミが作中で絡むシーンはないのだけれど、もしも、エリがユミに恋愛相談の
様な話を持ち掛けていたら、少し話は違った方向に動いたのかなという気もする。

エリを演じられた長友さんは『降っただけで雨』以来のお姿拝見。
ご挨拶はかなわなかったけれど、舞台上で拝見する久々のお姿に心が躍った。
お元気そうで何より!

ヨコ(金井愛さん)

いやー、切ない。
繋がりが強い近くの自分よりも、繋がりが薄い遠くの相手を選ばれてしまった挙句、
異性としてすら見てもらえないって、これまた実際によくある話だけど、やっぱり、
目の当たりにしてしまうと残酷だなって思う。

個人的には男女の友情はありうると思っている人なので、愛だの恋だので結ばれる
よりも、本作の冒頭のシーンのように、異性を意識することなく、他愛ない話で
ゲラゲラと笑いあえる間柄の方がよほど幸せだと思うんだけど、好きになってしまうと、
なかなか、そうも行かないですよね。
男と女ってホントめんどくさい。

異性として考えることができないって、個人的には誉め言葉でもあるって思ってる。
性別を超越した部分で繋がってるって、個人的には解釈してるんだけど、恋愛感情が
あるとかないとか以前の問題として、あんまり良い表現ではないのかな…
ちょっと反省。

ヨコって確かに男受けは良いと思う。
でも、エリみたいな嫌悪感を持つ女性も多いのかな。
見方によっては、媚びてるように映ってしまう部分もあるかもしれないし…
繰り返しになるけど、男と女って、ホントめんどくさい。

ヨコを演じられた金井さんは『いつもの致死量』『先天性promise』に続いてのお姿拝見。
今回もそうだけど、金井さんが演じられる役は、いつもさっぱりした女性で大好き。
本作のヨコも大好きでした。

ニーナ(佐倉仁菜さん)

ひたすら感じ悪い女で終わってしまうんだろうかと思っていたが、ユミとのやりとりで
ちょっとときめいてしまった。
すげーツンツンしてるんだけど、意外に同性にはすごく優しかったりって、ちょっと
グッとくる私。

でも、別にツンデレが好きなわけではないので、村田の前では甘えた姿を見せるのは、
おぉ!とは思いつつも、そこは別にときめかなかった(笑)。

しかし、まさかヨコヤマと一緒になるとは…

心を動かされたとすれば、あのヨコヤマの魂の告白だろうけれど…

もしかするとニーナはあんな風に愚直な告白をされたことがなかったのかもしれない。
美人であるがゆえに、高嶺の花と思われて、告白すらされない。
告白されても、見ているのは、自分の外面ばかり。

そんな中で、普段からケチョンケチョンな扱いをされているにもかかわらず、自身への
愛を語るヨコヤマに、他の男どもとは違った何かを感じたのかな…

アユ(きみと歩実さん)

さすがにここまで極端な女性は、なかなかいない気もするけれど、これに近い人は
身近に居たことがあるので、ちょっと懐かしい思いで見ていた。

カリンの課金、無課金の例えは、正鵠を得ていて面白い。
ホント、どうしようもないくらい自分勝手な女だなとは思うんだけれど、カリンと
一緒にいる時のアユは結構好き。

男同士もそうだけど、女同士の友情っていうのも良いなって思う。
アユのカリンへの思いは友情という枠を超えている気もするけれど、見ていて気持ちが
よかった。

カリンにキスをするシーンのくだりは、本作屈指の名シーン。
友達にしたいとは思わないんだけれど、アユはすごくいい子だなと思う。
だからこそ、カリンも色々と振り回されつつも、アユを見捨てきれないんだろうなぁ。

いずれは自立を果たすであろうアユ。
その姿を見てみたい。

カリン(年代果林さん)

幼馴染であるアユとの長い長い関係の中で、コンプレックスを抱いた事も少なからず
あったと思う。

けれど自身を「課金ユーザー」と称することができている今は、少なくともコンプレックスは
かなりの部分が解消されている気がする。

カリンとアユをつなぐものが、幼馴染という関係、そして強い友情なのだろうと思っては
いる。
ただ、意地の悪い見方をすれば、重課金を施すことで、今となってはアユよりも自分の方が
格上と自覚しているであろうカリンは、自堕落なアユといることで、自身の価値というものを
追認しているのかもしれない…というのは、あまりにも邪な見方だろうか。

まぁ、もしも、そうであったとしても、カリンの献身には脱帽。
アユが自立を果たした時、彼女にとって、カリンがどれほど大きな存在だったか、
改めて気づかされるんだろうな。

村田さん(村山新さん)

台本の人物紹介は「スーパーヤリチン」。
ひどい言われようだなとは思うんだけど、まぁ、嘘ではないから仕方がない。

彼はある意味、非常に残酷。
弱っている女性に対して、彼はきっと思っている通りの言葉を投げかける。
そこに下心はないんだろうと個人的には思っている。

けれど、結果として、あーなって、そーなって、最終的につけられた称号が
「スーパーヤリチン」になってしまったんじゃないのかな、と。

ただ、たぶん彼の中では、夜な夜な女を抱きしめるのは、ユミの表現を借りるのならば、
弱っている彼女たちに「必要なこと」だからだと思っているのだと思う。

だから、その関係は一夜限りのものであり、それを恒久的な関係にしようとは思っていない…
と私は思ってるんだけど、どうなんだろうか。

思っている通りだとすれば、彼はエリのことをひどく傷つけただろうし、ニーナも
然りだったかもしれない。

終盤、カズのライブでの絶叫。
高円寺という街で情熱的かつ、淡白に生きてきた彼にとっては、わき腹を突かれた
思いだったのかもしれない。

遅ればせながらのアオハルを見つけるために、彼は高円寺を去ったように感じた。

村田を演じる村山さん(ややこしい)。
『ヘニーデ』以来のお姿拝見だったが、実は観劇当日まで、出演されていることを
知らず、舞台上の村山さんを見て大喜びしてしまった。
まさかの再会に、勝手ながら心をときめかせておりました。

ヨコヤマ(横山大河さん)

完全にネタキャラかと思いきや、本作の優勝者。
結構、要所要所で、場面を引き締めにかかってくる。

ニーナへの魂の告白は圧巻。
あぁ、若いなぁ純粋だなぁ、と思いつつも、ある意味、カズやマツよりも大人だな
という気はしている。いや、何となくなんだけど。

まぁ、でも、あの告白、ニーナはもちろん、ユミにとっても刺さってしまった
言葉なんじゃないだろうか。

もしも、あの告白がなかったら、事と次第によっては、カズとユミのあのエンディングは
訪れなかったんじゃないかという気もする。

いやー、しかし、まさか、通い詰めていた風俗嬢と結ばれてしまうとはねぇ…
お二人ともお幸せに!という気持ちはもちろんあるけれど、それよりなにより、
びっくりした気持ちの方が強い(笑)。

作・演出 表情豊さん

表情豊さんの演劇を観劇させて頂いたのは初めてだったけれど、この方は生粋の
エンターテイナーなんだろうなぁと思った。

この物語は非常に残酷で、生々しい。
人間関係の、表と裏、そして、その隙間を、恋愛を題材にしながら、余すところなく、
そして、容赦なく描いた。

けれども、それを単なるリアルに終わらせず、ほんの少し、隠し味的な要素を
注ぐことで、気持ちよく笑える演劇にしてのけたのは、すごいことだなと思う。

劇団の皆様、役者の皆様。
素晴らしい公演を本当にありがとうございました。
融解

融解

白猫屋企画

live space anima【2020年4月をもって閉店】(東京都)

2019/11/05 (火) ~ 2019/11/09 (土)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/11/09 (土) 15:00

真っ直ぐな、そして歪んだ兄妹の愛の物語。
以下、ネタバレBOXにて。

ネタバレBOX

予想していたよりもはるかに重い作品だった。

兄妹の愛が一つの柱になっている本作。

だが、それぞれが、求めている「愛」の形は異なっていたように思える。

兄はどちらかといえば「親子」のような家族としての愛を。
妹はどちらかといえば「夫婦」のような家族としての愛を。

朔はどこか蜜に対してよそよそしいというか、壁を一枚作っているように
感じた。
劇中、恋人と電話で話すシーン。
そこには、一人の男としての朔の人間臭さがあった。
それに比べると、蜜への態度は何となくよそいきな感じに見えてしまうのである。

朔は蜜に対して、非常に深い、兄としての愛情を間違いなく持っている。
両親を失ったのちは、父親としての愛に近い感情も持っていた気がする。

兄妹とは言え、年は多少離れている。
そうした部分で、意識はしていないものの、朔は蜜のことを、誤解を招くような
表現でいえば、対等の相手としては見ていなかったように思える。
一方の蜜は、兄である朔を一貫して、一人の愛する男としてとらえていたように
感じた。

両親を失い、動転した朔は妹との一時を過ごしてしまうが、そのことが
きっかけで、朔から蜜に対しての愛情は、家族としての純粋さを多少なりとも
失ったのではないか。

朔の蜜に対する愛情は、少しずつ融解していき、蜜が望む形へと姿を
変えてゆく。

蜜が融解の続編を、窪田家のノンフィクションとして書いた理由は、
なぜなのだろう。

本作の冒頭で、執筆中の続編を朔に見られることを頑なに拒むシーンがある。
仕事に出ていった朔に対して
「ごめんね」
と謝る蜜。

続編を読んで、それが窪田家の物語であると分かりえる可能性のある人物は、
朔、蜜、そして朔の婚約者。

蜜の望みは朔と二人で生きてゆくこと。

その障害になる朔の婚約者に結婚を思いとどまらせるべく書かれたのが融解の
続編ではなかったか。

事の真相を知って、朔は蜜を厳しい言葉で断罪する。
のみならず、彼は授賞式の場ですべてを明かしてしまう。

朔は蜜の罪をここで清算してやりたかったのかもしれない。

秘密は秘密にしてこそ意味がある。
秘密が秘密でなくなれば、それはもう秘密ではない。
秘密は心の重荷になる。

人目を忍んで生きていく中で、朔は蜜の重荷を少しでも軽くしてやりたかったの
かもしれない。

この後、二人がどうなるのかは分からない。

けれど、私としては、そこに至るまでの経緯が、非常に繊細かつ重いものであった
としても、少しずつ異なっていた、それぞれの「二人で生きていくこと」という
思いが融解し、一つの思いに融合してくれればと思う。

きっと、その時は、朔は蜜のことを対等な一人の女性として見ているだろうから。

私にとっては、初めての二人芝居。
非常に濃密な時間で50分とはとても思えなかった。

蜜を演じた中野亜美さんは『体温』以来のお姿拝見。
今回は最後尾の席だったとはいえ『体温』の時よりも距離が近かったので、
その演技をつぶさに拝見させて頂いたが、表情が素晴らしかった。

そして手話がすごい!
私は手話は分からないけれど、自在に手話をこなしておられて、相当、練習され
たんだろうなぁと思いながら拝見しておりました。

ご挨拶は叶わなかったけれど、物販を待つ間、見るともなしに、お知り合いの
方と談笑されている姿を拝見してしまったが、とても柔らかい表情だったのが
印象的だった。

終演後のtweetも熱量が高く、こういう方が演者として参加された演劇を拝見
出来ることは幸せなことだと思った。

朔を演じられた澤田慎司さん。
初めてお姿を拝見させて頂きました。
何といっても、蜜のドレスをかき抱きながら、婚約者と電話するシーンが印象的。
そして、衝撃の指くわえシーン。
一連の演技がとにかく圧巻。
劇場から出る時に、爽やかな笑顔で見送って頂けたのが、印象的でした。

演出の今村美乃さん。
開演前まで座席の位置やら何やら、細かいところまでずいぶんと気を配って
下さっていた。
スタッフの方に「よしのさーん」って呼ばれているのを聞いて、おぉ!この方が!
とビックリ。
おキレイな方で、物販の時も何だかしどろもどろで意味不明な事を話した気がする。
恥ずかしい…

それにしても、二人芝居で、あの狭い劇場。
どんな風に展開されるんだろうと思ったが…素晴らしかった。

照明の使い方がとにかく素晴らしい。
圧巻だったのは、やはりあの指のシーン。
欲情の妄想が、具現化されたような錯覚を想起させる名シーンはあの照明の効果が
あればこそだったと思う。
その場が凍り付き、時が止まったようなあの緊張感あふれるシーンは、忘れようにも
忘れられない。

音響もまた良かった。
私が一番感動したのは、ドアの音。
いや、もうほんとにあの奥にドアがあるんじゃないかと思うような臨場感。
私、ドアの音が結構好きな人なので、ちょっと興奮してしまった…

音響と言えば、開演前、終演後に流れてた音楽がすごく良かった。
あれは、何かの有名な曲なのかな…
場の雰囲気にもあっていて、素敵な選曲だったと思う。

台本が売ってなかったので(※のちに通販が決まった。嬉しい!)、パンフレットを
買って帰ってきたが、これがとても読みごたえがあった。

実は私は今回の融解が再演だというのを知らなくて、パンフ掲載の座談会の記事で
初めてそれを知った。

ちょっと調べてみると、初演はなんと脚本のうえのやまさおりさんと、演出の今村
美乃さんの二人芝居だったらしい。
しかも兄妹ではなく姉妹の設定。

それが時を経て、かつての演者は作る側に回り、新たな演者を迎えて再演なんて、
何だかすごく熱いエピソードだなと思った。

色々な思いが詰まった50分の二人芝居。
その思い、確かに受け止めさせていただきました。
まだ、全ては受け止め切れていない気がするけれど、それでも十分に濃密でした。

劇団関係者の皆様、役者の皆様。
素晴らしい演劇を本当にありがとうございました!
あの星にとどかない

あの星にとどかない

くちびるに硫酸

アトリエ5-25-6(荒川区南千住5-25-6)(東京都)

2019/11/02 (土) ~ 2019/11/04 (月)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/11/03 (日) 18:00

儚くも美しきその世界。
家公演で彩られた、やわらかな「大人の絵本」

ネタバレBOX

観劇のきっかけは劇団名と演目名。
「くちびるに硫酸」さんの「あの星にとどかない」。

私、3度の飯の次の次の次の次くらいに、タイトルと人の名前が大好きな人なので、
自分のストライクゾーンに、そういうのがうまい事入ってくると、もうそれだけで
アドレナリンを沸騰させられる。

もちろん、あらすじはチェックした。
とりあえずガチなホラーでない限りは観られるので、問題なさそう。

しかも、私にとっては伝説の家公演になっている『金星』のgekidanUさんのプロデュース
公演ということで、迷うことなく予約させて頂いた(日程だけ迷った)。

約60分という比較的短い演目ではあるが、かなり濃密。
一度観ただけでは、正直、整理しきれない部分もあり、ダメ元でネットで台本を探したところ、
初演版が販売されていたので、それを何度か読み返したところで、この感想を書いている。

それでも、まだ整理しきれていない部分もあるのだけれど、本作が「絵本」であることを
思えば、あまり深入りせずに、さっと感じたままに飲み込む方がもしかすると良いのかも
しれない。

ただ「絵本」と称しているものの、その内容はかなり重い。
マコトにせよ、チコにせよ、カオルにせよ、そして、ある意味トコにとっても、残酷な
現実を突きつけられる。

初演版の台本を読むと分かるが、実はいくつかのシーンがカットされている。
とは言え、それで物語が薄くなるということは無く、むしろ、説明的な描写が省かれる
事で、想像の余地が多くなり、解釈に自由度が増していて、個人的には、再演版の方が
「絵本」として美しく仕上がっているように思う。

愛する者が死にゆく運命であると知った時、マコトは自らの心を閉ざし、本来、現実の
世界で生まれてくるはずであったトコを、幻想の中で生み出す。

トコの言葉は、かつてのチコの言葉でもある。
トコを幻想の中で住まわせることで、彼はチコの死から逃れようとしたのかもしれない。

彼のそうした現実逃避は、トコも言うように、いつかは目を覚まさなくては行けないものだ。
ずっと、その場にとどまるわけにはいかない。

けれど、
「幸せの最期を目にする瞬間、僕は不幸せだ」
という言葉を聞いてしまうと、彼の逃避を糾弾する気にはとてもなれない。

一方で、チコの置かれた境遇もまた残酷だ。
恐らくは緑色の雪の影響で、子供を宿せなくなってしまったチコ。
セリフから察するに、目に見えない器官のみならず、容姿においても、少なからず緑色の雪の
影響はあったのだろう。
突然奪われることになった自分の命。
マコトに忘れ形見を残そうにも、それすらも叶わない。
マコトを愛する者としても、一人の女性としても、さぞかし無念であったろう。

カオルの置かれた立場もまた微妙である。
緑色の雪が降ることを知っていながら、結果として何も出来なかったその無念。
個人的には仕方なかったようにも感じるが、当の本人からすれば、そう簡単に
割り切れるものではないことも理解できる。
チコの遺骨がロケットで打ち上げられるとき、彼女はどんな思いだったろうか。
月が滲むのは、乱視のせいだけではなかったような気がする。

マコトの幻想が産み出した、産まれるはずのなかったトコ。
チコの分身であったはずのトコは、最後には、本当のトコになる。
トコが自らの意思で語りかけるマコトへの言葉。
現世に生を受けることは叶わなかったが、トコにとっては儚くも
幸せな時間だったのかもしれない。

二人だけの結婚式。
チコの最後の望み。
そして、別れ。

言うまでもなく、物語の最大の山場。
目の前に広がる世界は、もう一軒家のリビングではなかった。

絵に描けるものなら描きたいくらいの美しい情景。
私は、個々の演劇というものを比較して、ランク付けすることを好まないが、
これほど美しい場面にはそうそう滅多にはお目にかからない。
私の脳内に鮮烈なイメージと共に、この場面は刻み込まれている。

この物語はとにかく美しい。
線のハッキリした写実的な美しさでもなければ、ボンヤリとした印象派的な美しさでもない。
強いて言えばその中間になるのだけれど、何となく私の中での世界は、少し霧がかかったような、
ふんわりとした情景だった。

ただ、それであるがゆえの不気味さ、冷たさもある。

過去に観測された人工衛星からの毒物の漏洩は、伝承やおとぎ話として記録されている。
その表現だけでは事の本質は読み取れない。
だからこそ、底知れぬ不気味さが、美しいおとぎ話の中に見え隠れする。

この辺りの見せ方がとても巧みでかつ美しく感じられた。
一つのキーワードでもあった木苺の香りも、作品にふくよかさを与えていたように思う。

この儚く、美しい世界を家公演、すなわち、一軒家の広いリビングでそれをどう表現
するのだろうかと思っていたが、そこはgekidanUさんの本領発揮。
とにもかくにも照明と、各スペースの使い方が素晴らしかった。

特にベランダ。
ここを病室に見立てた舞台美術は本当に素晴らしかった。

私は専門的なことは全然分からないけれど、照明の繊細さも素晴らしい。
照明の効果を1ミリたりとも見落としてなるものかと、視界の脳内感度は最大までブーストした。

非常に繊細な照明の点灯、消灯なので、ぼんやりとみていると、その瞬間を見逃して
しまうのである。
それは非常にもったいないので、そこに関してはかなり集中した。

エンディングでの照明効果は圧巻の一言。
無数の星が広がり、流れ星が走る演出は、思わず声が出そうになった。
そして、浮かび上がる勿忘草。
あぁ、もう無理。号泣。
思い出すだけで、泣いちゃう。

一連の照明の演出はgekidanUさんがTwitterで公開されているので、よろしければ、
ご覧あれ。

https://twitter.com/gekidanU/status/1191308350014705665

けれど、役者さん抜きだし、ここだけ見ても…という部分もあるので、実際は、この
1億万倍くらい素晴らしいんだということを、念押しさせて頂く。
こういうのは、やっぱり現場で観るのが一番。

家公演というのは、ものすごい可能性を秘めているなと改めて
感じた。
劇場の規模というのは、もちろん、演劇において重要な要素の
一つではあると思う。

しかしながら、大きければ良いのか。
設備が整っていれば良いのかということに関しては、大いに
考えさせられたような気がする。

家公演だからこそできること。
『金星』の時にも感じたが、今回も、改めてその可能性を目の当たりに
させて頂いた。

「くちびるに硫酸」さんの世界観をgekidanUさんが見事に形にした、素晴らしい
公演でした。

劇団関係者の皆様、そして、役者の皆様。
素晴らしい公演を本当にありがとうございました。
かわいいチャージ’19

かわいいチャージ’19

人間嫌い

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2019/11/01 (金) ~ 2019/11/04 (月)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/11/03 (日) 14:00

「かわいい」とは一体何か?
未知の領域を垣間見た、濃密な会話劇。

ネタバレBOX

そもそも「かわいい」ってなんだろうか。
観劇後、ふとそんなことを思って、Wikipediaで調べてみると(敢えて辞書を引かない)、
パッと見で嫌になるくらいの難しいことが書いてあったので、5文字くらい読んで止めて
しまった。

世の中「かわいい」だらけである。
「かわいい」と思う気持ちは私のような中年男性、砕いて言えば「おっさん」にもある。
我が家の家族であるイヌもネコは世界で一番かわいいと思っているし、私の嫁殿も同様に
彼らを「かわいい」と思っている。

しかし、そういう男女共通の感覚としての「かわいい」の他に、男性にはよく分からない
女性特有の「かわいい」というのも間違いなく存在するし、その逆もまた然りではあろう
と思う。

本作はその女性特有の「かわいい」の物語である。
劇場の物販で販売されていたスピンオフでも、分かりやすく線引きをして表現されていたが、
言うなれば、近年、文化として成立した感のある「kawaii」の物語と言っても良いのかも
しれない。

物語は「kawaii」文化の象徴の一つでもあるメイドカフェが舞台。
「かわいい」に惹かれた女性たちが集う場所ではあるが、彼女たちが語る、その「かわいい」
観は実に多種多様である。

これがまずとても面白かった…と言うのが適切かは分からないけど、非常に興味深く、身体は
まっすぐ、気持ちだけ前のめりになりながら、じっくり拝見、拝聴させて頂いた。

正直に言えば、私のようなおっさんにとっては、若い女性が「かわいい!」と思う気持ちの
8割以上は理解しがたい。

本作を観て、聴いて、それを理解できるようになったなどと言うつもりはないが、少なくとも
「垣間見た」様な気はしている。

彼女たちが語り、そして、目指す「かわいい」はある種の哲学である。
それは黒か白かという単純な話では全くなく、非常に奥が深く、かつ入り組んでいる。
彼女たちが語る「かわいい」観は、きっとその全てが正解なのだと思う。
それであるがゆえに、何とも言えないもどかしさを内包する。

その言葉の持つ意味とは裏腹に「かわいい」は女性にとっては、ある種の呪縛なんだというのは
ちょっとした衝撃である。

劇中でエリカが言う

「女にとって「かわいさ」って逃げたくても逃げられない課題」

というのは男としては理解しがたい。

しがたいがゆえに、個人的には軽視しがちな概念だが、それが女性にとっては、非常に大きな事なんだと
不肖、ワタクシ、人生の終盤に差し掛かり初めて知った次第であり、非常にズシリと来たのでございます。
何というか、色々と申し訳ない・・・

そして、この概念をしっかりと正面から見つめたうえで、この物語を反芻すると、ポップなタイトルと
舞台美術に反して、非常に重く、苦しい物語である。

各登場人物については、ちょっと後で掘り下げるとして、舞台美術について、少々。

開場して、席について、まず目を瞠ったのが舞台のセット。
私、メイドカフェは行ったことないんだけど、去年の夏から今年の初めくらいまでコンカフェにハマって
いた時期があったので、あの「いかにも」な感じのセットに軽く興奮してしまった。
いや、ホントにありそうだもん、ああいうお店。

それもさることながら、照明がすごかった。
冒頭、部屋のカーテンを開けて朝を表現するシーン。
思わず、声を上げそうになってしまった。
あんな事、出来るんですなー。

それ以降の照明の使い方も素晴らしくて、本編はもちろんだけど、セットとか照明、音響の存在感が
ものすごかった。

というわけで、これ以降は役者様と登場人物を絡めて、本編を振り返り。

らぶ(たなべさん)

劇中最年少。だからというわけではないんだろうけど、まだ「かわいい」の呪縛には囚われていない
ただ一人の人物。
エリカの言葉を借りるならば「純粋に「かわいい」を楽しんでる」。

であるがゆえに、まさしく、対極的な位置にある鈴奈とのやり取りは、非常に見ごたえがあった。
劇中、初めて出会って、テーブルをはさんで二人で会話をするシーン。
お互い、全くの平行線なんだけど、それでも、ニコニコと楽しそうに話すらぶがすごく眩しかった。
劇中で一番のお気に入りシーン。

らぶはかなり極端な「かわいい」信者のように見えるけど、実際にらぶみたいな女性って結構、
いらっしゃるんだよなー。
コンカフェ通いをしていたころは、らぶみたいなキャストさんをしばしば見かけた。
当時は、いまいち、理解できない部分もあったんだけど、本作を観て色々と納得。
久しぶりにコンカフェに行きたくなりました。
らぶに限った話ではないんだけど、登場人物がみんなリアルなのが良かった。

それにしても、らぶは「かわいい」に関してだけではなく、ホントに純粋で気持ちが良い。
鈴奈を店から見送るシーン。
「かわいい」観が全く合わない鈴奈を呼び止めて「バイバイ」と声をかけるシーン。
こちらも思わずニンマリ。
かわいいって言うのは、こういうのを言うんだ。

たなべさんは『瓶に詰めるから果実』以来のお姿拝見。
同作でも出演しておられた二宮さんとの絡みが多く、個人的には、何だか嬉しかったです。
たなべさんのセリフ回しの時の「溜め」というのか「間」というのか分からないけど、それが
すごく好きでした。
ラストシーンのお二人のやり取り、最高でした!

みるく(青山美穂さん)

どうしても鈴奈の苦悩が目立つ本作ではあるんだけど、みるくの置かれた境遇もなかなかだなって
思いながら観ていた。
劇中で、彼女だけが、将来に希望を見いだせていない気もする。
そういう意味では、レイも同じかもしれないんだけど。

みるくは24歳。
彼女自身が言うように、メイドカフェ界隈では若くはない。
「かわいい」は好きだし、楽しいけれど、いつまでもこのままではいられない事には危機感は
持っている。
ところが、困ったことに、他人に対しての依存度も高いので、一人ではどうすることもできず、
まーくんの所に転がり込むのを画策するも、あえなく頓挫…

私、知り合いに、みるくに似た気質の人がいるので、ちょっと他人事じゃない感じでみるくの
ことは見ていたんだけど、まぁ、最終的には私の知り合いも、今では結婚して幸せになってる
ので、みるくもいずれはきっとどうとでもなるんだとは思うけど、劇中のみるくは、レイに未来の
自分を重ねていたような気もする。

かわいいには違いないが、それ以外に特に取柄もなく、結婚もせずに29歳にまでなってしまう。
勝手な想像だけど、みるくにとって29歳というのはメイド稼業での寿命はとっくに過ぎているものと
いう認識であるような気がする。

レイだからこそ、成り立ってはいるけれど、自分は果たして、そこまで引っ張れるのか?
正社員という境遇ですらないことを思えば、心中、穏やかではなかったのでは。

みるくのセリフでハッとしたというか、胸を抉られる思いだったのはTinderの下りで、
「自尊心を取り戻したいだけなの」
というところ。

これはねー…
ちょっと切なかったなぁ。
そんなことする必要ないのに…って思っちゃう。
結局のところ、みるくにとっては、まーくんも好きというよりは、自分が一人になるのが怖いって
いう方が先なんだろうなと思う。

みるくにとっては、劇中の時間というのは、なかなかに試練の多い時間で苦しかったと思うけど、
個人的には、みるく好きなので、ED後も幸せになってほしいと思う次第。

それにしても、自分で考えたものではないにせよ、みるくのおまじないはなかなかキワドイ。
聞きおえて、
「これ、本当にいいのかな?」
と思いながら、思わず、客席をざっと眺めてしまった。

演じられた青山さんは、今回お初にお目にかからせて頂いたのだけど、いや、素敵でした。
まーくんに振られたあと、鈴奈に自身の不安を語るシーン、何とも言えない思いで拝見させて
頂きました。
終演後の「無事、7人のまーくんと別れました」tweetは素晴らしかったです。

かおる(一美さん)

私、かわいいよりもかっこいい女性が好きなので、登場していただいてありがとう感が
とても強かった。かおる大好き。

キャストの中では圧倒的にバランス感覚に優れていて、レイにとっても、エリカにとっても、
頼りにしていた存在なんだろうなと思う。

仕事を放り投げて、まーくんに会いに行こうとするみるくを、釘をさしながらも、送り出して
やるところなんかは、個人的にグッと来た。

終盤のゴタゴタも、見事に丸く収めてしまうし、店舗拡大の際は、かおるが新店舗の店長に
なること間違いなし。
かおるがいる店なら通いたい。
こういうのをかっこいいって言うんだ。

なんか、やっぱりあのさっぱりした感じが良いんだなー。
メイドカフェよりは、コンカフェでよくお見かけするタイプな気がする。
「もう、それガストじゃない?」
には声を出して笑わせて頂きました。
あのシーン大好き。

一美さんも今回が初めまして。
かおるもカッコよかったけど、一美さんも当然カッコよかった。
はまり役だったと思います。

ここあ(浦田すみれさん)

台本の人物紹介では「幽霊メイド」って書いてあるんだけど、劇中での存在感は非常に大きい気がする。

どこか無機質というか、淡白というか、そんな印象があるものの、その口から発せられる
言葉は極めて正論。

鈴奈と二人だけで店内で話すシーンは、らぶと鈴奈のそれと比較して、非常に緊張感が高い。
鈴奈の激昂を誘いながらも、淡々と自身の意見をぶれることなく話すここあ。
そんな二人のやりとりは見ごたえがあってとても印象に残っている。

この時のここあの口調は、いつもどおり、フラットなのだけれど、言葉の端々に、彼女なりの
プライドが見え隠れするような気がする。

かわいい人間はそれだけで楽が出来ると言わんばかりの鈴奈に対して、ここあは努力の必要性を
説く。

ドキリとしたのは、

「かわいい人を僻むようなことをいうような人にとって、整形は必要努力だと思う」

というセリフ。

勘繰りすぎかもしれないけれど、見えないところで色々苦労してるんだという、ここあの苛立ちを
感じてしまった。

浦田さんも今回が初めまして。
淡々としたトーンでのセリフが多い中、雨で前髪を潰されて店内に戻ってきたときの、イラついた
ここあの演技が好きでした。
らぶにパーソナルカラーとかの話をするところも良かったです。
「骨格はウェーブ」が特に(笑)。

店長(星澤美緒さん)

メイドカフェ界隈にメイド、あるいはメイド服を「尊い」と表現する人たちは一定数いる。
私はただ単に「すごく好き」という気持ちを「尊い」という言葉に置き換えただけなんだろうと
思っていたし、実際そういう人たちもいるんだと思う。

ただ、それではどうにも説明がつかないほどの熱量と共に「尊い」という言葉を使う人がいるのも
確かで、今までは、ちょっとその辺りがよくわからなかったのだけれど、レイがエリカに語る自身
の思いを聞いていて、あぁ「尊い」というのはそういう事なのかと初めて理解した。

レイにとって「かわいい」というのは、生きることそのものなんだろうと思う。
さしたる才能もない(と本人は思ってるんだと思う)彼女が、唯一、有している「容姿」という
武器。

彼女にとっては、それをどこまでも伸ばし、そして、維持することこそが、ただ一つの生存の
術。
だから、どこまでもストイックになるし、貪欲。

眼帯をつけてメイド服を着るなど、彼女にとっては到底受け入れられるものではなかったろうし、
エリカが言う「こだわりやプライド」などという簡単なものではなかったのだと思う。

レイの中にも、みるく同様に、このままでいいのか?という思いはあったように思う。
30歳という、人生においての一つの節目を目前にして「かわいい」を維持し続けることの難しさ
は感じていたのではないか。

彼女が生きようと、つまりは、かわいくあり続けようとすればするほど、妹である鈴奈を追い詰め
ていくことになるのは、何とも残酷なことだと思った。

鈴奈が、レイを理解できなかったように、レイもまた、鈴奈のそんな気持ちを理解できていなかった
気がする。

けれども、そのことで、お互いを責めるのは余りにも酷だとも思う。
他人にとって「どうでもいいこと」に見えるものでも、本人にとっては、まさに生死を分ける重要な
ポイントになっていることが、ままあるということを、改めて教えられた気がした。

きっとレイにとって、鈴奈の存在は眩しいものであったのだろうと思う。
例え容姿がレイに及ばないとしても、鈴奈には生きていくための選択肢が、まだ、数多く存在している。
自分のように窮屈な生き方になることは無いと思いながらも、生きる選択肢をさらに増やすために、
レイは鈴奈に、容姿についてのアドバイスを事ある毎に送る。

それは鈴奈にとっては迷惑ではあったのだろうが、さながら母親のごとき愛情を鈴奈に注ぐ姿は、
レイが「かわいい」だけではない優しい女性だということの証でもあったと思う。

きっと、レイは結婚してもしばらくは「かわいく」あり続けようとするのだと思う。
でも、いつかはその呪縛から解放されて、もっとのびのびと生きてほしいと願うばかり。

演じられた星澤さんの演技を拝見するのは『降っただけで雨』『ヘニーデ』に続いて三度目。
それ以外でも、観たいなと思ったが、観ることが出来ない演劇のキャスト陣に名を連ねておられることも
しばしばあって、何となくご縁を感じさせていただいている役者様。
私、まだ観劇回数がそんなに多くないので、3回観劇させて頂いた役者様って、実は星澤さんの他、
お一人だけ。
にも関わらず、実はまだご挨拶をさせて頂いたことがないので、いずれ、ちゃんとご挨拶させて頂き
たいと思います。
今回もありがとうございました!

エリカ(金田一佳奈さん)

劇中で唯一「かわいい」の呪縛を克服し、パートナーとして上手につかいこなしている、
敏腕かつ剛腕の若き起業家。

一人の社会人として、すごいなと純粋に思う。
劇中でも評されるように、立場、年齢を問わずに部下と接する姿勢は、本当に素晴らしい。
ああいう上司の下で働きたい。

とは言え、敏腕であるがゆえに、ことビジネスの話となるとなかなかに厳しい。
眼帯をつけてきたレイと揉める場面は、外野の観客ながら、ちょっとおろおろしながら観ていた。

エリカの言うことはまさしく正論ではあるんだけれど、あの場面ではちょっとなぁ。
とはいえ、レイの主張を、単なるこだわりやプライドとまでしか汲み取れなかった以上、まぁ、
ああいう物言いになってしまうかなという気も。

ただ、この人のすごいなと思うところは、切り替えがものすごく速い事。
ついさっきまで、結構イラついて、感情丸出しになっていたのに、執事とメイドを期間限定で
トレードするという妥協案が見つかって以降、すぐさま、いつものエリカに戻る、あの切り替えの
早さはすごい。
有能な人物は、やっぱりそういうところが違うよな、と内心で舌を巻いておりました。

かっこいいなって思うけど、男としては有能すぎて、ちょっと近寄りがたいなとも思ったり。

ところで彼女の経営する「KAWAII CHARGE」は彼女の趣味かつ節税対策で経営されているようだけど、
似たような話をメイドカフェ界隈でも聞いたことがあるので、設定の芸の細かさにちょっと
ニヤついておりました。

金田一さんは今回、初めてお姿を拝見させて頂いたけれど、演技の圧力がすごかったなぁと素人ながらに
驚嘆。
若き起業家を、実に見事に切れ味鋭く演じておられたように思います。
鈴奈に対する
「あなたも大変ね。なかなか頑固な姉をもって」
と語るシーン。
このシーン、大好きでした。
セリフの中に色々な思いが織り交ぜられている感じがして、こちらにも染み渡りました。

鈴奈(二宮咲さん)

劇中、もっとも「かわいい」の呪縛に囚われていた鈴奈。

そうでなくても完成されている姉が、整形という手段でさらに上を目指そうとする姿勢に、鈴奈は激しい
感情をぶつける。

鈴奈の立場からすれば、それはそうだろう。
既に大きな差をつけられている部分に、さらなる追い打ちをかけるような真似をなぜするのか?
内面を磨いて、勝負をかけていこうとしているところに、容姿面でのアドバイスをしてくるところも、
腹立たしかったに違いない。

姉同様に、妹もなかなかに頑固だが「持たざる者の、持てる者への劣等感、敗北感」は、正直、
共感できる部分が多々あった。

彼女自身「かわいい」を武器にして生きている女性たちが、何の苦労もなく生きているわけではないこと
は薄々感づいてはいる。
それでも「かわいい」の巣窟とも言って良い「KAWAII CHARGE」の面々の生きざまは、彼女にとっては
そんなに簡単に受け入れられるものではなかったろう。

けれど「かわいい」の中にも、様々な潮流というか思想があることを知って、鈴奈はさらに迷いつつも、
何かしらのヒントを手にしたように感じる。

エンディングで、らぶから渡されたクマのぬいぐるみを見つめて、小さく頷くシーンで、ちょっぴり涙。
劇中では、苦しむ描写が圧倒的に多い役だったのでなおさら。
かわいいって言うのは、こういうのを言うんだ(二回目)。

なんだかんだで、雨の中、わざわざ傘を届けにやってくる優しい妹。
すぐには難しいのかもしれないけれど、少しずつ、姉妹間の溝が埋まっていってくれればと良いなぁ。

たなべさん同様『瓶に詰めるから果実』以来のお姿拝見。
先日は池袋演劇祭で、新人賞的なものをとられたようで、おめでとうございました。
重く苦しい役柄だったように思いますが、お疲れ様でございました。
何というか胸を痛めながら、しかと拝見させて頂きました。
たなべさんとの共演も、前回とは違った形で拝見できて嬉しかったです。

まーくん(フジタタイセイさん)

まーくん、ダメでしょ。
こいつは、ダメだ。
そりゃ、黙ってメイドカフェで働いてたのはアレだと思うけど、いーじゃんね、そんなの。
「じゃあ、俺もその店行っちゃおうかな」
くらい言えばいいのに。

まぁ、メイドさんに彼氏がいるとなると、今度は客がざわつくから、それはそれでダメなんだ
ろうけど。

とは言え、自分の彼女がメイドカフェで働いているというのは、確かに良い気はしないかな。
まーくんが言う、女を消費してどうのこうのっていうのは思わないけど、なかなかどうして、
色々とアレな界隈だからなぁ。
そういう意味で個人的には嫌かも(話題がデリケートかつセンシティブすぎてこれ以上触れられない)。

そんなヘボ彼氏を演じておられたのはフジタタイセイさん。
『山の中、みたらし』以来のお姿拝見。

しかし、すごかった。

もう、まーくん登場して一気に劇場の温度が上がった気がした。
劇場の視線総なめ。
存在感がすごかったです。

他の日のまーくんの面々もすごい顔ぶれでびっくり。
全部、観たかったなぁ。

日替わりまーくんもそうだけれど、私が行った回はスタッフの方も、お客様も錚々たるメンバーで
びっくり。

個別のお名前を挙げるのは控えるけれど『瓶に詰めるから果実』のあの方、『ヘニーデ』のあの方、
『いつもの致死量』『先天性promise』のあの方がおられて、いや、もう個人的にはオールスター
状態で開演前からアドレナリンを沸騰させておりました。
同じ時間を共有させて頂けて、本当に幸せ。

さて、本作は2年前の演目の再演らしい。
主宰の岩井美菜子さんは17歳で劇団を立ち上げられて、今に至っておられるのだとか。

すごいなぁ、その熱量が素晴らしい。
『人間嫌い』という劇団名に込めた思いや、作品への思いを色々と勝手に想像させて頂くと、
何というか、胸が熱くなる思いです。

「メンヘラが泣いて、おじさんも泣いた」素晴らしい作品でした。
関係者の皆様、役者の皆様、素晴らしい舞台をありがとうございました!
『GUNMAN JILL 』&『GUNMAN JILL 2』

『GUNMAN JILL 』&『GUNMAN JILL 2』

チームまん○(まんまる)

萬劇場(東京都)

2019/10/03 (木) ~ 2019/10/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/10/17 (木) 19:00

痛快無比な大西部劇。
味付けは思いのほか上品なヒーローアクション、

ネタバレBOX

チームまん〇さんの10周年記念公演にして、GUNMAN JILLの続編。

といっても、私はまん〇さんの演劇は初めてな上、続編なのに前編を
観ていないという、なんとも不届き千万な状態ではあるのだが、役者様との
ご縁であったり、あれこれとタイミングも合ったので、観劇させて頂いた。

詳しいわけではないけれど、西部劇は好きである。
西部劇が好きというよりは、西部開拓時代のあの雰囲気が好きなのである。

でも、小劇場で西部劇ってどうすんだろ?
と思いつつ、事前にTwitter等で情報を漁っていると、まん〇さんの公演は
何と写真撮影OKらしい。
下手の横好きだけど、写真も趣味の一つではあるので、これはちょっと
血が騒ぐ。
前説中も、何やらトークイベント的なものがあるようで、既存の演劇とは
ずいぶんと趣が異なる。

期待半分、「?」半分で、いざ劇場へ。

この日は昼間に近隣で別の公演を観劇していたので、劇場にはずいぶん早く
到着してしまった(そうでなくてもいつも早く到着するんだけど)。

これまでの感覚からすると、この時間なら一番乗りではないにしても、2番手
3番手は固いかなと思っていたら、すでにちょっとした列が出来上がっており、
私は9番目。
あれよあれよという間に列はどんどん伸びていく。

そして開場。
写真を撮るならむしろ後ろの方が全体を見渡しやすいかと思い、最後尾の列の
端を選択。

10年の歴史がある劇団なので、固定のファンは多いのだろう。
最前列周辺の慣れている感じはすごかった。
脚本の小山さん自ら前説を担当するわけだが、お客さんを巻き込んで、ぐんぐんと
場内の空気を温めていく。

あぁ、こういうのも良いなぁと思った。
私、小劇場での観劇は確かに好きなんだけど、唯一、ちょっと微妙だなと思うのは
殆どの場合、自由席であること。

私は前とか後ろにはこだわらないんだけど、とにかく端の席が好きな人なので、
私にとっての良席を抑えようと思うと、それなりに早くから待機しなくてはいけない。

となると開場と同時に突入になるのだが、そうなると今度は開演までの30分間を
ぼんやりと過ごさないといけない。
忘れるの嫌だから、席に着いたらさっさとスマホの電源も落としちゃうし。

まぁ、たかが45分程度の事なんだけど、私、待つのも並ぶのも苦手な人だから、
ちょっと、うーんと思ってしまう。
もっとも、指定席であったとしても、結構、早く行っちゃうんだけど。

だから、前説が楽しい演劇はちょっと嬉しい。
中には前説で劇中につながるちょっとした演出が組み込まれているものも
あったりして、そういうのにあたると、早起き万歳!と思ったりもする。

そういう意味では、まん〇さんの公演はトップクラスに楽しい。
役者様の生の声というか、素の声というか、そういうのが聞ける時間って殆どないから、
この時間の使い方はとても嬉しい。

しかも!

この日、トルネード吉田さんがいらしてて、腰が抜けるほど、びっくり。
劇場にいる方は、殆どご存じなかったようだけれど、ゲーム史上に残る名作
「メタルギアソリッド」に登場するリボルバー・オセロットの中の人ですよ。

本作でガンアクション指導をされているのは知っていたけど、まさか、本人が
いらっしゃるとは!

そして、目の前で披露していただいたガンプレイ!
ひー!すげー!!
慌ててスマホを取り出し、写真を撮るが、私、写真が趣味でもスマホで撮るのは
苦手なので、使い方がよくわからない。
あたふた撮っている反面、最前列のガチ勢は一眼レフで余裕しゃくしゃく。

まじかー!
だったら俺も持ってくればよかった!うわー!!

というわけで劇中の写真でお見せできるようなものはあまりない。
がっかり。
絵になるシーンたくさんあったのに…

そんな楽しい前説も終わり、いよいよ本編。

物語としては超王道の西部劇。
ゴールドラッシュに沸く谷をギャングに占拠され、それを追っ払うために
立ち上がる…という感じなんだけれど、非常に面白かった。

前説の時点では、
「西部劇を下ネタ満載でぶちこんでみたので、みんな大笑いしてすっきり
帰ってね」
という感じの本編の展開を予想していたのだが、ところがどっこい、そうでもない。

いや、そうでもないことはないんだけど、この下ネタの立ち位置というか、
本編への組み込み方が、ものすごく巧みに感じた。

下ネタって、個人的には取扱注意の劇薬だと思っている。
うまいことはまれば、一気に場を取り込める力がある反面、やりすぎると、
何もかも台無しにしてしまう可能性だってある。

本作は事前の予告通り、下ネタ満載である。
ところが、それを上品に収めているというか、話の中に自然に組み込んでいるというか、
ちょっとうまい表現が見当たらないのだけれど、下ネタ全開であるにも関わらず、
下を感じさせないのは、脚本の素晴らしさによるものが大きいと感じた。

いかにもジャンクフード的な外見なのに、食べてみたら、ものすごく上品な
味だったという感動。
自分の感覚としては、それが一番近い表現かも。

本編の起承転結も鮮やか。
私はてっきり最初の7人が味方になると思っていたので、ずいぶん、早く
集まったけど、大丈夫かなと思っていたら、その7人、まさかの全員寝返り。
新たに結成された7人は一般市民という設定は、やられた!と思った。
タートルヘッドの最終目的も、王道の西部劇を予想していただけに、これまた
ちょっとやられた感じ。

観劇後に振り返ってみると、観客としての心理を見事に手玉に取られたなという
気がする。
ただの下ネタコメディじゃない。
普通に、いや、普通以上に激しく面白い。

また、キャラの設定がとにかく秀逸。
全員、存在感ありすぎ。もう、みんな大好き。
そして衣装が良い!!
歴代の西部劇で登場するコスチュームはほぼ全て網羅されていたのでは。
スナイパーであるアレハンドが、ロングコートだったのは、個人的には
もうこれ以上ないくらい最高でした。万歳!

アクション面でもクイックドローあり、ロングレンジショットあり、二丁拳銃も…
まぁ、一応はあり(笑)。
ホリーの身体能力、ほんとにすごかった。驚愕。

女性陣がみんな強い女性だったのも良かった。
強い女性は良いですよ。
劇場に響く、力強い、女性陣の声が耳に心地よかったです。
私、声フェチなんですけど、どっちかというと男性の低い声が好きなんです。
でも、本作の女性陣は、みんな声がかっこよかった。
最高すぎる。
あー、今更だけどリハのDVD買えば良かったなー。
昼間のリハーサルをなんとその日の夜にDVDにして販売するという神速。
こういうところが、チームまん〇さんの魅力の一つでもあるのもしれない。

終演後、別の作品の時にはご挨拶できなかった日芥さん、小野寺さんと
ようやく初対面。
やっとご挨拶がかないました。

そしてちゃっかりトルネード吉田さんにも挨拶させて頂いちゃった。
やったぜ!

笑いの絶えない、とても居心地の良かった萬劇場での素晴らしい一夜。
思う存分、スッキリさせていただきました。

チームまん〇の皆様、役者の皆様。
素晴らしい舞台を本当にありがとうございました!!
じゅうごの春

じゅうごの春

やみ・あがりシアター

アトリエファンファーレ東池袋(東京都)

2019/10/17 (木) ~ 2019/10/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/10/17 (木) 14:00

そこで観たのは「どこにでもある日常」。
極めて緻密かつ精密な、技巧に富んだ超怪作。
衝撃の結末をどう読み取るか。
以下、ネタバレBOXにて。

ネタバレBOX

初めての観劇をどれにするかで迷っていた時に、最後の最後まで候補に挙がっていたのが
やみ・あがりシアターさんの『サンカイ』。
結局、この時は行けずじまいだったが、それ以来、気にはなっていた劇団で、今回、ようやく
観劇をさせて頂くこととなった。

同劇団のコンセプトは、

「ヒトのやんでるところとあがってるところを両方、病気が治ったばかりのようなハイテンションでお届けしたい」

ということらしい。

本作『じゅうごの春』の告知文は、

中学三年生のじゅうご君は、夏休みの宿題が終わらないまま秋を迎えています。
彼にやってくるのは、どんな春なんでしょう。

🍉🍉🍉夏休み延長戦🍉🍉🍉
🔫🔫🔫自由研究乱射🔫🔫🔫

である。

正直よくわからない。
フライヤーのデザインも素敵だとは思ったが、告知文と合わせても、演劇の内容は
窺い知れない。

ただ、ピンクとグレーの対比、表情の見えない男子学生、咲き乱れる桜のごとき
膨大な量の研究ノート、そして、舞い落ちていくノートに残る弾痕。

底抜けにハッピーな話ではないだろうとは思っていた。
ただ、それでも、そこまでハードな話ではあるまい、とも思っていた。

結果から言えば、本作品は非常に重い。
これまでに見た演劇はもちろん、映画等の映像作品を含めても、最大級と言って良い。
私の中では、これまで映画の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が最大重量だったが、
見事というべきかなんというべきか、現在は、本作が文句なしの一位である。

重さもさることながら、私のように頭の悪い人間にとっては、非常に難解な演劇だった。
時系列は行き来し、現実と虚構も入り混じる。
登場人物の心理や行動原理も読み取りづらく、率直に言えば、終演直後はただただ
衝撃が残り、話の全容を理解しきれなかった。

台本を何度も読み返し、こうして、感想を綴っていく中で、ようやく、ある程度は
見えてきたように思うが、それでも、まだ、解釈に戸惑っている部分もある。

しかしながら、全容が見えていないとはいえ、私なりに解釈が落ち着いてくると、
本作の設定の緻密さ、周到さに戦慄する。

非常に想像力を必要とした本作だが、その観客の想像力すら手玉に取られたような
そんな印象すらある。

振り返ってみると本作を構成する約100分に散りばめられたあらゆる描写に、無駄なものは
一切なく、全てがどこかに繋がっているように思われる。
私は今の時点では、全ての繋がりを把握できてはいないが、全てを把握できた時、
一つの壮大な絵が完成するように感じている。

今、私は必死である。
この演劇が一体どんな絵となって完結するのかを見てみたい。

私は基本的に映画であれ小説であれ、考えるということをあまりしない。
例えば推理小説であれば、探偵より先に犯人を見つけてやろうなどとは全く思わない。
読み進めていけば、犯人は捕まると分かっているので、それをただ眺めて、
「わー、すげー」
と思って終わりである。
意味の分からない描写をいちいち掘り下げることは滅多になく、分からなければ、
そのまま読み進めてしまう。

しかしながら、本作に関して言えば、私は必死になって考えた。
考えなくてはいけなかったからだ。

盛っているわけではなく、とある作品について、これほど真剣に、かつ必死に
なって考えたことなど、生涯通じて一度もない。

本作は冒頭からかなりのハイテンションで進む。
序盤から中盤にかけて、遅々として進まない自由研究の描写が続き、私にとっては
無駄にしか思えない拘りを貫くじゅうごをイライラした気持ちで見つめていた。

ところが、中盤、谷中家は実は4人兄妹ではなく、2人姉弟であると私が気づいてから
本作は、それまでのコメディ調から一転、重苦しいムードを醸し出し始める。
単調とも思えた序盤の鬱憤を晴らすように目まぐるしく展開していく中盤以降。

少しずつ壊れていく物語。
しかし、終盤、それは、また少しずつ修復を遂げていき、新たな春を予感させたところで、
響くあの銃声。

倒れこむ鴻池、まき散らされるノート、飛び散る麦茶。

あの飛び散る麦茶は、今でも私の中に鮮明に残っているし、その飛び散る様子は、
さながらスローモーションのようにも思えた。

映画でもドラマでもない。
編集不可能な、生の演劇である。
にも関わらず、私の目にはスローモーションに映った。

ありとあらゆる映像作品(演劇も含む)で、最も印象に残っているシーンは何かと
問われれば、今の私は躊躇することなく、このシーンを選ぶ。
そのぐらい衝撃的なシーンだった。

私は当然、その後があると思った。
まさか、ここで終わることは無いだろう、と。

思いつつ、どこか、嫌な予感もよぎる。

そして、集まってくる役者様たち。
カーテンコール。
終演。

いつもは先陣を切るように拍手をする私だが、今回は一瞬、拍手をすべきか迷った。
半ば強制されるような思いで拍手をしながら、その音で現実に少しずつ帰ってくる。

この物語は一体何だったのか。
あの最後のシーンは一体何だったのか。

私は基本的には、こうしたフィクションについては、作り手の意向を汲み取り、それを
曲解することなく、素直に受け入れることをよしとしている。
だから、作り手の思いというものを、どんな作品であれ、知りたいと思うし、本作についても
同様である。

しかしながら、本作に限って言えば、それよりもまず、私自身の解釈を明確にしたいと
思った。

だから、私はあのシーンについて今の時点では明確には表現しない。
引き金はひかれた。銃声も響いた。
その結果については言葉にしない。
あの麦茶が、さながら別のモノのように見えて、それを示唆するために用意されて
いたのだとしても。

誤解のないように言っておくと、私は本作の結末に不満を持っているわけではない。
あのシーンは観たモノが全てで、それ以上でもそれ以下でもないと、言われたとしても、
それはそれで受け入れることはできる。

ただ、もっと考えたい。
放たれた弾丸が最後に何をもたらしたのかを、もっともっと考えたい。
観たままで終わりにしてしまっては、絶対にいけない。
私はそう思ったのである。

観劇後、数日しか経ていない今では、まだまだ、頭の中で整理しきれていない部分が
あまりにも多い。

そんなわけで、ここからは、私の整理も含めて、各登場人物と、その演じ手の皆様を絡めて、
物語全体を振り返り。

◎じゅうご(石村奈緒さん)
◎にじゅうご(林廉さん)

台本上は、こうした括りになっているが、当然、同一人物。
15歳か25歳かの違いだが、彼はこの10年間、精神的には全くと言ってよいほど成長していない。

率直に言って、私はじゅうご、にじゅうごについては、見ていて非常にイライラする。

一度、ペースを崩すと、そこから立て直すことが出来ない。
自身の不甲斐なさを自覚していながら、それを素直に受け入れられず、
「俺は最強だ!」
と嘯く。

大和、佐川という得難い友人、愛情深い父や姉を持っていながら、それに感謝することもなく、
そばにいるのが当然のように、当たり散らす姿は、舞台に上がって、殴り飛ばしてやりたい
衝動にも駆られる。

谷中じゅうごという男のことを、どうにも、理解できないまま、終演を迎えてしまった。
本作を解釈するにあたっては、まず、彼という人物を理解できないことには始まらないのだが、
劇場から帰る電車の中で、台本を読んでみても、やはり、よくわからなかった。

その翌日、会社で仕事をしている時、
「順調なときは良いけど、一度、乱れると立て直すの結構苦手だなー」
などと泡を吹きながら仕事をしている時、はっとした。

同族嫌悪。

私がじゅうご、にじゅうごを好きになれないのは、まさに、これだ。
奇しくも私は世代的にはよんじゅうごである(注:早生まれなのでまだ五にはなってない)。
私の30年前、20年前を振り返ってみると、彼と重なる部分は、少なからずある。

じゅうごとにじゅうごは10年も経過しているのに、変わらなすぎだろ、と観劇中は思いもしたが、
リアルに照らし合わせてみると、それは全く不思議なことではない。
私自身、15歳から数えれば30年経過している今、変わった部分ももちろんあるが、変わっていない部分と
いうのもある。

そう思うと、この物語は、一気に現実味を帯びてきて、背筋が寒くなってくる。

かつての自分と重ねるようになって、じゅうごの気持ちというものが、身近になった。
ただ、入り口に立っただけで、まだ、中には入れていない。
何かをきっかけに、私は彼をもっと身近に感じられるような気がする。
そうなったとき、この物語の本質が、もう少し見えてくる気はするが、今はここまで。

私は彼ほど、激情家でもないし、根性があるわけでもない。
ついでに言えば、引きこもりになったこともない。

そのおかげでというべきか、こうして、平々凡々と暮らしているのだが、一方で、じゅうごに
対して、半ば不承不承ではあるが、彼に対して畏敬の念もないわけではない。

事情どうあれ10年間も自由研究を続けるなんて、よほどの精神力だと思うし、引きこもるというのは、
ある意味で、非常に勇気のいることだ。

それだけの大きな武器を持っていることを、彼が自覚することが出来れば、それこそ、最強なんだ
と思うけど、自分がこのくらいの年齢の時に、そんなこと、自覚は出来なかったよなぁ。

そうした忸怩たる思いが、またリアルを醸し出す。
ここでも何だか主宰の笠浦さんに手玉に取られているような感じがしてしまう。
考えすぎなのかもしれないけれど。

じゅうごという男、そして本作を理解するにあたってキーワードとなるのは、
「最強」
「世界一のくず」
「ジャンプ」
「間違い」
「自由」
「卵が先か鶏が先か」
なのだろうと思う。

「最強」という言葉は、彼自身が本来認識している自身の属性「世界一のくず」に対しての
虚勢であろうと思う。
半面、矛盾してはいるのだが、彼は同時に自分自身を「最強」と考えている節もある。
ただ、彼がどのタイミングで、そうしたコンプレックスを抱くようになったのかはいまいち
よくわからない。

先天的にそうしたものを抱いていたのか、あるいはゴランこと青木との出会いによる
ものなのか。
それについては、まだまだ考える余地があるものの、「最強」を自認する彼を、
「結果として」青木は否定する。

じゅうごと青木の終わらない闘争はここから始まる。
当の青木には、これは「闘争」でも何でもなかっただろうけれど。

青木については、また別途書くとして、その他にも、15歳のじゅうごは、彼の人生において
大きな転換点となるきっかけがいくつもあった。

その一つ一つはごく些細なことであったけれど、そういうものが、人生の歯車を大きく
動かしてしまう事は珍しくない。

彼もまた、そうした経験をした一人。
彼という存在を私がはっきりと理解できたとき、彼のよんじゅうご、そして、ごじゅうごが
希望に満ちてはいないまでも、せめて月の明かりくらいは感じられるような人生を歩んで
いてほしいとは同族としては、願うばかり。

嫌悪感がある反面、愛すべき存在でもあるのが、私にとってのじゅうごであり、にじゅうごであり、
そして、さんじゅうご以降の彼なのである。

さて彼ら、というか彼を演じたのは、石村さんと林さんだが、ある一人の人物を、全く別の人物が、
何の違和感も感じさせず、それを演じきったというのは、ものすごいことだと思う。

役作りに当たっては、お二人で色々と悩んだり、壁に当たった部分もあるのでは?と想像したりもする。
演じるうえで、メンタルやられる部分もきっとあるんだろうなぁ。
そして、きっと一つの公演で消費する体力も精神力も膨大なものであったと思う。

さっくりとご挨拶させて頂いたが、お二人とも大変、お疲れさまでした。

◎さんじゅうご(稲波聖大さん)

恐らくはジャンプを買わなくなったころから、じゅうごは外面、内面共に大きくその姿を
変えていく。

感情をむき出しにして生きてきた彼は、35歳にして、その攻撃性は鳴りを潜め、どこか
余裕すら感じるように見える。

「ジャンプ」に対しての、じゅうごの認識はその年代ごとに異なる。
15の時には「くだらない」存在であったが、25の時には没頭する存在になり、そして、
再び「無駄」な存在へと変わっていく。
そして10年後、もはやその存在は過去のものとなり、無駄であるという認識に変わりはないものの、
自宅という極めて狭い世界の中に暮らす彼にとっては、カレンダーとしての価値はあったの
かもしれないと考えているように見える。

ジャンプ、すなわち少年ジャンプが象徴するものは何だろう。
構成される漫画群はヒーロー色の強いものが多い気がする。

「最強」を目指すじゅうごにとって、恐らく、どの年代の彼にとっても、バイブル的な存在
ではなかったか。
けれど、それを安易には受け入れられない、彼自身の年代ごとの思い、もう少し突っ込めば
プライドがあったように感じる。

彼がジャンプを捨てたのは、彼がついに到達した「あきらめ」であったようにも思う。
ゴランこと青木からの解放を夢見て、不断の努力を重ねてきたにもかかわらず、あろうことか数少ない
理解者である姉と結婚、つまりは切っても切れない親族になってしまう。

彼にとって、まさしく半生をかけてきた戦いに終わりがないと気づいた時の、彼の心中を思うと
絶句する。

姉の結婚以降の、彼の自由研究は、もはや解放のためではなくなってしまったのだと思う。

新しい世界へ踏み出す恐怖もあったろう。
10年という長い時間をかけてきた、彼自身の戦いを不毛にしたくない思いもあったろう。

そんな終わらない自由研究に終止符を打ってくれるかもしれないと、彼自身も認識し始めていた
鴻池に彼は引き金を引く。

観劇からこの感想を書くに至るまで、私は彼が引き金を引いた気持ちが分からなかったが、
さんじゅうごの振り返りを書いていて、ようやく分かってしまったような気がする。

「間違い」が呼んだ「間違い」。
間違いとすら呼べないような、ありきたりな出来事。
「偶然」が呼んだ「偶然」という方が正しいのかもしれない。
回避のしようもない事だったのかもしれない。
そもそも、恐らくは誰一人間違ってなどいない。

現実には十分に起こりうることだし、たぶん、今この瞬間も、世界のどこかできっと
起きている。

引き金を引いた後、彼は必死に、間違いの理由を探す。
私が、その理由を探したのと同じように。

でも、多分、理由なんてない。
「そういうもの」なのかもしれない。

さて、さんじゅうごを演じておられた稲波さん。
終演後、ご挨拶させて頂いた時、
「1時間くらいすれば、あぁ、そういうことかってつながってくると思う」
という主旨のお言葉を頂いたが、いやー、全然、ダメでした(笑)。
数日たった今でも、だいぶ怪しいです。
頭悪くてすいません。

◎五郎(岡崎貴宏さん)

現実と虚構が入り乱れる本作にあって、彼の観察日記が、本当の現実を拾い上げる
材料になるわけだけど、20年という長きにわたって、観察日記を続けてきた父親の
愛情に、もう涙せずにはいられない。

私には子供がいないので、父親の気持ちというのは、正直よくわからない。
ただ、父親と同じ世代にたどりつき、社会での立ち位置というものを共有できる
立場になってみて、朧気ながら見えてきたものは数多くある。

五郎という父親は、子供たちに決して強制しない。
それは彼が父親として弱いということではなく、彼の深い愛情ゆえであることは、
彼の8/1の観察日記を読めばよく分かる。

この8/1の日記は、名文中の名文である。
観劇中、私は本作を理解しきれていなかったので、全編通じて、思わず涙する気配は少なかったが、
この日記が鴻池によって読まれたときだけは、泣きそうになった。

最後の一文、

「谷中じゅうご。15歳。次の春には高校生になる」

この部分のパンチ力が凄まじい。もう無理。書いているだけで泣いちゃう。

ただ、悲しいかな、この手の愛情というのは、なかなか、伝わりにくい。
特にそれが、子供の世代であればなおさらだ。

私自身、父から受けた愛情の大きさは、今にしてようやく分かる。
谷中じゅうごという男が、私に少なからず似ているものだと思えば、恐らくは
彼が父親の愛を実感したのは、鴻池がこの日記を読んだこの時が初めてではなかったか。

息子の引きこもりの一因たる青木が親族になると分かったとき、五郎の胸中はいかなるものであったろうか。

観劇当時、五郎が一美の結婚に驚くシーンは私には少し意外だった。
「え?お父さんも先生嫌いなの??」
と。

だが、今にして思えば、青木がどうこうよりも、息子に与える影響を心配したのだと思う。

だが、娘の結婚に反対するわけもいかない。
彼が「大事なのはこれからのこと」と言ったのは、彼自身に向けての言葉でもあったのだろうと思う。

岡崎さんには残念ながらご挨拶は叶わなかったが、子を思う愛情深い父親を、とても柔らかく
演じておられたように感じた。

リトルマーメイドのポイントカードを、何だかんだでひっそりと納めてしまうシーン大好きでした(笑)
そして、たった今、リトルマーメイドというパン屋さんが実在すると知って、軽い衝撃を受けているワタクシ。

◎一美(加藤睦望さん)
◎ユウ(依田玲奈さん)

序盤からスゴいテンションで登場する二人。
私が暮らす地元は田舎なので、ガングロ文化が流入してくることはなかった、、、気がするが、
そういや、ああいうの流行ってた時期あったなぁと思いながら観ていた。

10年経ってもユウの本質が変わらないのに対して、一美の方はと言えば、その家庭環境ゆえか、大きな変化を感じる。
この辺の対比のしかたが面白かった。

かつては弟のゲームボーイを破壊したり、非常用リュックをくすねるなど、暴虐非道の限りを尽くしていた姉も、
その当時から、弟に対して、家族としての愛情は注いでいたことは垣間見える。

この「ゲームボーイの破壊」が銃を手にするきっかけになったことから、のちのち一美にとって
重荷となってのしかかることになるが、破壊のきっかけになった言葉を放ったのは、じゅうごだし、
言葉を放つきっかけになったのは、一美が非常用リュックをくすねたから、、、と遡っていくときりがない。

劇中の時系列だけでは、何が本当のきっかけかは判断できない。
奇しくも彼女の弟が言うように
「卵が先か鶏が先か」
と言う話になってくる。

ただ事情どうあれ、一美の10年と言うのは重かったろう。
青木は結局、殺されなかったとは言え、計画の立案を促進するきっかけを与えてしまった重み。

10年後の一美とユウの再会、ユウが生き生きとしているのに対して、一美はどこかやつれた印象を
受けたのは考えすぎか。

弟の抱く殺意は一美にとっても、少なからず共感できるものであったろう。

にも関わらず、自身の精神状態や、年齢等の要因で、青木と結婚するに至る経緯は実にリアルだ。

にじゅうごには理解できないだろうが、こうした結婚の例は、世の中至る所に転がっている。
意外に統計を取ってみれば、そう言う結婚の方があるいは多いのかもしれない。

「姉ちゃん、間違えちゃった」
「ごめんね、ばいばい」

この台詞、言葉以上の重みがある。

一方のユウもまた、彼女なりの思いがあるように感じた。
保険業界と言えば、リーマンショックの際に相応の打撃を受けた業界だ。
誰もが保険からの離脱を検討する時勢に、笑顔を振りまき営業に奔走するストレスは相当なものだろう。
そんな中で、未だに自由研究の呪縛から逃れられないニートの存在というのは、許しがたい存在に見えたのかもしれない。
彼女の怒号と、

「みんな。みんな仕事してる」

と言う言葉は、彼女の本心であるが故に、にじゅうごの心には深く刺さってしまったろうと思う。

そんな二人を演じたお二人。
17歳と27歳の演じわけが圧巻だった。
体当たりの演技と表現するのは簡単だが、そう言う次元を超えていたように思う。

ご挨拶が叶わなかった依田さんは事前にTwitterでお姿を拝見していたので、正直、27歳のユウとして
登場するまで、分からなかった。演じ分けが半端ない。全然違う。違いすぎる!

加藤さんはちょこっとご挨拶させて頂けた。
劇中でもっとも振り幅が大きい役で、ご苦労もあったかと思われるが、デリヘル嬢として現れた
西野に金を渡すやり取りは、尋常ではない緊張感を伴い、素晴らしかった。
加藤さんの演じ分けも、そりゃ、すごかった。

「台本に載ってないだけで、実は女子高生二人は、他の役者が演じてました」

と言われても、全然、普通に納得する。
お二人ともそのくらいお見事でした。ほんとにすごい。

◎大和(小池琢也さん)
◎佐川(東象太朗さん)

姉に破壊されたゲームボーイの変わりに自身の宝物を差し出し、一緒に自由研究を考え、
不登校期も彼にプリントやノートを渡してやる。

じゅうごにとっては、欠くべからざる友人二人だが、じゅうご、そして、恐らくは
にじゅうごにとっても、そう言う自覚はなかったろう。

じゅうごにしてみれば、彼ら二人の友情は、当たり前のものであり、それがいかに貴重で
ありがたいものかは自覚できていなかったように感じる。

ともすれば、彼にとっては役立たずであるどころか、ほのかに恋心を抱いていた西野を
奪った憎い存在ですらあったかもしれない。

そう言う空気を感じながらも、彼らはじゅうごを友人として思い、陰に日向に、じゅうごを
支えようとする。

西野と佐川が付き合っていた事実を知ったじゅうごが大和に八つ当たりし、
大和が激高するシーンは、全編通じてとても印象に残っている。

大和の怒号は私の気持ち1ミリたりとも違わずに代弁した。
彼の怒号は間違いなくじゅうごに響いたであろう。
だからこそ、彼は、またしても「俺は最強だ」と声を上げる。
この期に及んでも、じゅうごは恐らく、大和たちの存在の重さを認識できなかったと思う。
彼にしてみれば、脇腹を突かれた思いであったろうし、そんな大和を恨みもしたような気がする。

大和と比べると佐川は、じゅうごとは少し距離を置いていたように感じる。
いつまでも自由研究を続けるじゅうごに、見切りを付け始めた部分もあったのではないか。

いずれにしても、じゅうごには勿体ないような、優しい二人。
彼らの貴重さを理解できるのは、恐らくはさんじゅうご以降であろう。
そう思うと、彼らのじゅうごを思う気持ちが何とも切なく思えてくる。

二人を演じられた小池さん、東さん。
15歳時のすごいテンションは、観ていて何だか清々しさすら感じました。
上でも書いたじゅうごに対して怒号を浴びせるシーンは圧巻。
25歳時の同窓会シーンも、10年という長きにわたって、抱えてきた重苦しい思いが感じられて、
観ているこちらも重くなりました。

東さんには少しご挨拶できたが、小池さんは帰り際のご挨拶のみ。
けれど、笑顔がとても眩しかったです。

◎西野(川口知夏さん)

強烈な個性を伴う西野。
親はヤクザもの、頭は良いが成績は悪く、素行も一般常識からすると大きく逸脱する彼女は、
校内においては、教師からは面倒がられ、異性の同級生からは安い女と見なされる。

自身がそうした扱いを受けることに対して、彼女がどの程度のストレスを感じていたかは、劇中では語られない。

彼女の言葉を額面通りに受け取るのであれば、余り気にしている様子はないが、自分に関わろうとしない
教師陣の中で、見守る姿勢を崩さない青木を「貴重」と評するところに、彼女のこれまでの人生の負の部分を
垣間見てしまうし、同世代のじゅうごと比較して圧倒的に成熟している。

じゅうごが青木の射殺に成功する虚構の世界で、西野はデリヘル嬢として登場する。
少なくとも青木の殺害については無罪の父親が投獄され、自身はデリヘル嬢として生計を立てる。

決して見放すことのなかった青木を殺害した上、自身はまんまと逃げおおせ、働くこともなく、
大学院にまで進んでいるにじゅうごに対して、好印象など持つはずもなく、「チェンジ」と言う辛辣な
表現で、彼を糾弾する。

そして放った、

「お前なんか死んじゃえ」

と言う言葉。

激しい感情を表に出すことのない西野にとっては、最大限の怒りであったろう。

去り際の、

「また来ます」

と言う台詞。

この一連のやり取りは、非常に印象に残っている。
一言で言うならば、とにかく恐ろしいシーンだった。

西野というキャラは、台本上での印象と、舞台上での印象が大きく異なる。

台本だけで西野というキャラを追ってみても、さほどの個性を感じないが、舞台の上での西野は、
強烈な個性を放っている。

演じられたのは川口さんだが、ご本人がTwitterでも触れられたように「難しい役」だったと思う。

台詞では表現されない、西野というキャラの悲哀をいかにして再現するかについては、相当な
試行錯誤があったように思われる。

結果として舞台の上に現れた西野は、台本以上に西野であったのではなかろうか。
台本に命が吹き込まれると言うものを目の当たりにしたような気がする。

熱演と言うよりは怪演と言うべきか。
川口さん出演の演劇を拝見するのは、今回が二回目だが、前回と、今回とでは印象がまるで違った。
素晴らしかったです。

今回、初めてご挨拶をさせて頂いた。
終演後の真っ白な状態に加えて、あの衝撃のラストだったので、もう放心状態だったが、気力を振るってご挨拶。
何言ってるのか自分でもさっぱりでした。
何だか色々スイマセン。
でも、ご挨拶できて良かったです。

◎先生(山田太郎さん)

青木という男は、劇中でまさに蛇蝎のごとく忌み嫌われる。
私にしてみれば、青木という男は、まぁ、色々とどうかなと思うところもあるけれど、教師として、
というよりは、人間として一定以上の魅力を備えているように見える。

彼はどこか超越している。
その言葉は高潔で美しく、立ち居振る舞いもどこか爽やかだ(と思うんだけど)。
生徒に対しては、高圧的にならず、生徒の意思を尊重し、その背中を押す。
弱点らしき、弱点も表向きは見当たらず、言うなれば劇中で「最強」の存在が青木だと私は思う。

とは言え、彼もまた人の子である。
じゅうごを励ます練習をする彼の姿からは、いつもの堂々たる気配は感じられない。
彼もまた、悩み苦しみ、自分を時には偽りながら、生きているのかもしれない。

彼は恐らく、教師たるもの、弱い姿を見せてはならぬと思い定めているのだろう。
だからこそ、彼は堂々と生きている。
きっとそれが彼にとっての理想の教師像なのだ。
だが、その隙のなさ、教師たらんとする姿が、生徒諸君には鼻持ちならないのだろう。

もしも、彼が、自身の弱い姿をもっと他人に見せることができていたら。

この物語は、あるいは、別の方向に進んでいたようにも思われる。

彼は忌み嫌われる一方で、弱者からは愛される。
孤立しがちな西野然り、殺人を犯したかもしれない弟を思う一美然り。

じゅうごにとって、青木というのはいかなる存在だったのだろう。
青木の特異性は、じゅうごにとって、ある意味、尊敬の対象であったように私は思う。
ことによると、西野に対しての好意に近いものだったかもしれない。

そんな青木に彼は認められたかったのかもしれない。
青木からすれば、じゅうごにはもっともっと高いところを目指し、そして、目指し
続けてほしいのだと思う。
だからこそ、彼はじゅうごに対して、去年以上の自由研究を要求する。

じゅうごからすれば、それは不満だったのだろう。
彼はその時点でのベストを尽くしている。
すなわち彼の中では完結した頂点、最強の位置に達している。
にも関わらず、青木は現状を評価しつつも、更なる高みを要求する。

青木は恐らくじゅうごに対して、その時点での100点を与えている。
だからこそ、彼はじゅうごの成長を見込んで、その上を求める。

じゅうごにはきっとそれは分からない。
100点は取った。もうそれで完結だろう。
上を目指せということは、彼にとって100点を与えられたことにはならない。

「最強」の定義を問われた青木は「自由であること」と答える。

最強の研究は、すなわち自由の研究。
青木がいる限り終わらない自由研究。
自由研究を終わらせることで得られる自由。
手元には銃。
自由研究は、銃の研究に。
そして20年後に迎えることになる『銃「後」の春』。

ちょっとした認識の違い、定義の違いが、いたるところでぶつかり合い、
大きなうねりとなっていく。

この物語は、そんなうねりにさらわれた、とある日常の物語なのかもしれない。

「銃後の春」を迎えたとき、青木は自身の義弟にどんな言葉をかけるのだろう。

この時ならば、さんじゅうごは、青木の言葉を受け入れられるような気がしている。

青木を演じる山田さんにも残念ながらご挨拶はかなわず。
どういう思いで、青木を演じておられたのか聞いてみたい気もするけれど、終演後に
そこまで頭は働いてないだろうから、きっと聞けなかっただろうな。
山田さんの演じる青木、好きでした。
ところで、山田さんはTwitterはやっておられないのかしら。
どうしてもアカウントを見つけられない。リアルでもSNSでもご挨拶できず、非常に残念。
いつか劇場でまたお会いしましょう。

◎鴻池(大和田あずささん)

西野に並ぶ強烈な個性を放つ鴻池。

明るく、一生懸命だが「しくじり」が非常に多い。
支援するはずの相手に、悩み事を打ち明け、逆に支援されてしまったりしたかと
思えば、思いやりの深い言葉で、しっかりと支援をしたりもする。

将来が極めて有望と思われる鴻池は、職務に忠実であろうとしつつも、結果として、
さんじゅうごに対しては、人として対等に接していく。

「いまの足元を見ても、ずっと遠くを見ても、怖くなるばっかりです。
 それはみんなそうなんですよ。ちょっとだけ先のことを考えましょう」

は本作きっての名言で、私も心の中にしっかりと刻ませて頂いた。

彼女は間違いなく、さんじゅうごを解放しうる存在だった。

しかし、彼女が意図的、あるいは偶然にはなった一言が、文字通り引き金を
引いてしまう。

この時、彼女がどうなってしまったかは、ここでは触れないが、問題はこの後である。

本作『じゅうごの春』はそのタイトルに様々な意味を含めているように思う。

じゅうごであり、
十五であり、
自由の後であり、
そして、
銃を撃った後、すなわち銃後でもあるのだと思う(後方支援を意味する本来の銃後ではなく)。

だとすれば。

この物語には続きがある。

『銃後の春』はやってくるのである。

それがいかなるものなのかは、私の中では、まだ整理がつかない。

ただ、鴻池、そして新たに親族となった青木を含めた谷中家の面々が、新たな生き方を
さんじゅうごに対して示し、彼もまた、それを受け入れているものだと思いたい。

本作のキーワードでもある「間違い」。

鴻池はしくじりのデパートである。
その彼女が、自らのしくじりにより引き金を引かせるのは、何という皮肉だろうと、
感想を書き始めた当初は思ったが、ここにきて、その思いも変わりつつある。

劇中、鴻池を含めて、多くの人物が自らの「間違い」について言及する。
そうした「間違い」の積み重ねが、大きく人生を歪めてしまう事を、本作では
示唆しているようにも感じたが、ここにきて、その思いは揺るぎつつある。

結局のところ、誰一人「間違い」など犯していないのではないか。

鴻池が「間違い」を犯したとすれば、銃声が響く直前の彼女の言葉だ。
もしも、彼女が別の言い回しで同じ主旨の表現をしていれば、引き金は
引かれることはなかったかもしれない。

彼女は恐らくは意図的にあの表現を使った。
それは、さんじゅうごの冬が終わり、春を迎えるであろう実感を持ったからだと
私は思う。

さんじゅうごもまた、同じ実感はあったろう。
この20年で青木を含めた親族以外では、もっとも心を開きえたのは鴻池で
あっただろうから。

人は親密になれば、なるほど、相手を乱暴に扱いもする。
だからこそ、彼は引き金を引いたし、言い換えれば「引けてしまった」のだと
思う。

青木に引き金を引けなかった理由は、今でもよくわからない。
けれど、鴻池に引き金を引けた理由は、ここにきて、ようやく少しわかったような
気がする。

「銃後の春」はさんじゅうごが引き金を引いたからこそ、やってくる。
弾倉に弾が一発だけ残った状態では、春がやってきたのかどうかは分からない。

さんじゅうご自身が、引き金を引いた後でいうように、数多くの「if」の可能性はある。
けれど、それこそ「卵が先か鶏が先か」と同じで堂々巡りだ。
本当のスタートにはたどり着けない。

劇中の人物のみならず、我々もまた、そういう世界に生きているんだと思う。

どこにでもある、ありふれた日常。

誰が何を間違えたのか、誰が正しかったのか。
誰だって、わざと間違えようと生きているわけじゃない。
誰かの間違いは、誰かにとっての正解で、逆もまた然りだろう。

すべての人が100点を付けられる回答は存在しない。

今だって、きっと、どこかで銃声は響いている。

演じられた大和田さんには稲波さんと揃ってご挨拶をさせていただいた。
時間切れになってしまったので、あまり、お話は出来なかったが、鴻池という
役をどういう思いで演じられたのだろうか。

いずれにしても、素晴らしい演技であったと思う。
西野が台本以上に西野であったように、鴻池もまた、台本以上に鴻池であったように思う。

本作全般に言えることだが、コミカルな面と、シリアスな面のギャップが非常に
激しい。
それがやみ・あがりシアターさんの特徴なのだろうけれど、演じる方は大変だろうなと
素人ながらに感じる。

登場から中盤までの鴻池は、非常に愛らしく、鴻池が登場するだけで、場が温まるような
気もしたが、中盤以降、核心に迫っていくシーンでは、張り詰めた緊張感とともに、別人の
如き鴻池が現れる。

自由研究、観察日記を読み上げるシーンは圧巻。
その文章の美しさもさることながら、大和田さんの読み上げ方も良かったし、きれいだった。
ノートの落とし方、そのテンポ、何もかもがピタリとはまっているような感じだった。

そして、最後のシーン。というか、その直前。

さんじゅうごに対して、春の訪れをやさしく語るシーンは鴻池の持つ人間性を余すところなく
表現されていて素晴らしかった。

私としては泣く準備は整いつつあったが、銃声が響いたので、驚きのあまり引っ込んでしまったけれど。
鴻池…大好きです。

◎脚本・演出 笠浦静花さん

開演前、前説と合わせて、エアコンの風など細かいことを気にかけてくださった女性がいた。
ずいぶん、色々なところに気を配って頂いているなと思っている内に開演。

そして終演後の挨拶にもご登場。
挨拶の最後に名前を名乗り、さっとロビーへ去っていく。

それが笠浦静花さんだった。

ぜひともご挨拶申し上げたかったが、役者様へのご挨拶に時間をかけすぎた上に、
帰り際もお取込み中だったので、目礼すらかなわず劇場を後にしてしまった。

あろうことか、アンケートまで持ち帰ってきてしまい、誠に申し訳なかったのだが、
代わりにcorichさんに感想を記載させて頂いている。

終演から時間が経てば経つほど、この演劇の凄さを実感している。
冒頭でもふれたように、その感覚はまさしく「戦慄」と言って良い。

ここで書かせて頂いた感想は、私自身の解釈であり想像である。
それが笠浦さんの思いと、どれほどの差異があるかは、それこそ想像するほかはない。

だが、私の解釈がどうのこうのいうことは、全くどうでもいいことで、私は、
自身がこれほどまでに何かを真剣に考えるきっかけになった演劇を作って頂いた
笠浦さんに、最大限の感謝を申し上げたい。

言葉は悪いが、いいように笠浦さんの手玉に取られた思いである。

谷中家の一間を模した舞台は、小劇場のそれらしく、開演から終演までそのセットが
入れ替わることは無い。

それを逆手に取り、時系列の異なる人物、すなわち、じゅうご、にじゅうご、さんじゅうごを
同時に出演させることで、観客側の観ている時系列を混乱させるその手法は実に見事だった。

鴻池が観察日記を読み上げるシーンでは、時系列は新しいものから読み上げられる。
観客が理解しやすいのは、間違いなく、古い順に読み上げることだ。
それを敢えて逆から読み上げさせたのは、意図あってのことであろうと思っている。
「多分こういうことだろう」というのはあるけれど、間違ってたら恥ずかしいから言わない。

照明の使い方も実に巧みで、特にさんじゅうごと鴻池が話をするシーンで使用された
白色系の光の使い方が素晴らしかった。
硬くもなく、柔らかくもない光だが、そこで浮かび上がる陰影は、場の緊張感と、
静かな冷たさ、そして、なにか、背筋に寒いものが走るような不気味さを増幅し、
強烈な引力を舞台から放っていた。

何もかもが本当に素晴らしかったです。
自由研究で作られた緞帳、ゆっくり見たかったな。

劇団関係者の方、役者の皆様。
素晴らしい作品を本当にありがとうございました。
体温

体温

白米少女

オメガ東京(東京都)

2019/10/03 (木) ~ 2019/10/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

ごくありふれた日常の中にある、ほのかな温かさ。
心の中に残り続ける傑作。
以下ネタバレBOXにて。

ネタバレBOX

観劇のきっかけは毎度おなじみTwitter。
TLに流れてきた情報では、会話劇ということくらいしか
分からなかったが、主宰である、やないさきさんのお言葉に
熱量を感じて、観劇させていただくことにした。

結論から言えば、とても良かった。
ただ、それを「どう良かった」のか表現するとなると、これが
また難しい。
そもそも「良かった」という表現すら、適切かどうかがちょっと
怪しい。

面白い、楽しい、素晴らしい、素敵、感動などなど…
観劇後の自身の心情を表してみようと、色々な単語を頭に浮かべるが、
どれもしっくりこない。
強いていえば、やはり「良かった」が一番近いような気がする。

率直に言えば、この演劇については、自分の中でまだ整理しきれて
いない部分も多々あって、そういうものがすべて解消されてから、
感想を書こうかとも思ったのだけれど、白米少女の皆様へのお礼も
兼ねて、まずは今の時点での感想を書かせていただこうと思った。

白米少女さんの紹介分を改めて読んでみると、こんな一文がある。
「いつだってしょうじきに、ひたむきに、誰かのにちじょうに
寄り添う、絵本のような存在でありたい」

これを読んで、少し腑に落ち始めてきたような気がした。
そう、絵本を読んだ時の感覚。
それに近いのだと思った。
あたたかくて、ほっこりするような。
漢字やカタカナではなく、ひらがなのみで表現できるような
そんなふんわりとした世界。

とはいえ、物語としては、童話でもファンタジーでもない。
ごくありふれた人たちの、ありふれた日常。
モノローグで紡がれる、彼らの心中もまた、ごくありふれては
いるが、無意識に展開される自身の日常を代弁された部分もあり、
個人的には、今の時分にまさに重なる部分もあってハッとなる
場面も少なからずあった。

「体温」というフレーズは劇中の終盤でようやく登場するが、
振り返ってみれば、この演劇においては、象徴的なフレーズで
あるような気がする。

体温というのは、インフルエンザとかに罹ったのでなければ、
そもそもあまり意識することはない。
けれど、自分で自分の身体に触れてみればわかることだが、
そこにははっきりと体感できるだけの温度というものがある。

当たり前のようにそこに存在しているので、気づきにくいが、
確かにそこにあるもの。

そう思った時に、この演劇の懐の深さがじわりじわりと染み
入ってくる。

ありふれた登場人物たちの日常。
あまりにも日常的過ぎて意識下にない「体温」は、彼ら自身も
含めて、周りを取り巻く人々にも確実にある。
そう思うと、劇中の彼らのみならず、自身の日常にもまた、
あらゆる体温を感じるような気がしてくる。
忘れていた何か、というか、常にそこにある存在というものを
改めて認識することができた気がする。

演出的な面でいえば、照明の演出が本当に素晴らしかった。
他の演劇同様、場面に応じて、照明の効果は変化していくが、
その切り替えの仕方が非常に自然で繊細で、実のところ、中盤
まで照明のその変化に気づくこともなかった。

舞台演出として、間違いなく機能しているのに、さながら体温の
ごとく、それを意識させることなく、存在させたその演出は、
素人の私にとっては驚愕だったし、素晴らしいと思った。

大きな感情のうねりを伴うような演劇ではない。
号泣することも、爆笑することもなかった。
けれど、まさに日常レベルで、私は軽く涙腺を緩ませ、
そして、微笑んでいた(自分でいうと変な感じ)。

ここまで書いても、まだ心の整理はつかないが、それでも、
間違いなく、私の中には、静かに、でも、きっと死ぬまで
ずっと残る作品だと思う。

私の日常が、月も隠れる曇天の夜に入った時、この作品を
思い出すことで、朧に浮かぶ月を見つけられるような気がする。

素晴らしい作品に出会えた。
関係者の皆様、キャストの皆様、素晴らしい舞台を本当に
ありがとうございました。
先天性promise

先天性promise

こわっぱちゃん家

「劇」小劇場(東京都)

2019/09/20 (金) ~ 2019/09/23 (月)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/09/22 (日) 13:00

心優しい人々が織りなす、魂の救済の物語。
以下、ネタバレBOXにて。

ネタバレBOX

こわっぱちゃん家の公演を拝見するのは「いつもの致死量」に続き2度目。
前作も良かったので、安心して観ることが出来たが、本当に素晴らしかった。

130分という長めのお芝居にも関わらず、全くそれを感じさせないテンポの良さ。
今回は前から2列目という恵まれた席で観ることが出来たので、役者の皆様の演技は、
表情の微妙な変化も含めて、しっかりと拝見。

あまりにも書きたいことがありすぎて、書いては消して、書いては消しての連続に
なったが、最後までまとまりそうになかったので、この劇を彩る素晴らしい登場人物と
気になるセリフを振り返りながら、感想をつらつらと。

※台本の人物紹介順に書かせて頂いております。

中山三次郎(瀧啓祐さん)
「大丈夫、大丈夫。ちゃんと幸せでいてくれる」
本編を見たときに、このセリフは正直、あまりピンとこなかったのだけれど、台本を数回読み返し、
回を重ねれば、重ねるほど、この言葉の重みというか、苦しさを感じた。
日向に真実を告げないのは、彼の優しさなのだろうけれど、同時に、本当にこれでいいのかという
迷いも心のどこかにあったのだと思う。
このセリフには、そんな迷いを払拭したい、あるいは払拭したんだと言い聞かせようとする彼の思いも感じられた。
三次郎は中盤以降、特に笠原から決断をするように促されるが、同じ立場に立ったとして、そう簡単
には踏み切れないよなぁ、と思う。
日向に真美の存在を告げることが出来なかった自身を「最低」と評したが、それはあまりに自責が
過ぎるだろうと思った。
三次郎は自分自身の気持ちをむき出しにすることはあまりないが、そういう人間が、感情のままに
行動するときの、独特の迫力を瀧さんが巧みに演じられていたように思う。
終盤、水元に「そんなに簡単じゃない」と押し殺しつつも、強い口調で応えるシーンは見ていて
鳥肌が立った。
色んな人や思いに背中を押されたとはいえ、最後には真美の存在を明かすことを決断するが、
彼の決断が、中山家にとって最良の選択であったと思いたい。

中山日向(岩崎舞さん)
「いくらなんでも結婚なんてそんな幸せなこと忘れるわけないじゃん」
最初は正直、痛い彼女なのかと思いながら観ていたが、まさかの設定に絶句。
単なる記憶障害ならまだしも、結婚したいと思っているのに、結婚している事実を忘れているという
言葉にすると、あまりにも残酷な境遇で、見せ方によってはいくらでも残酷な見せ方はできると
思うのだけれど、それを必要最低限のところにとどめて表現するのが、トクダさんの書き方なのかな
と思った。
それでもこのセリフは日向にとっても、そして三次郎にとってもあまりにも重たい。
この言葉を聞いてなお、真美の存在など、明かせるはずもないと個人的には思う。
笠原の「三次郎が苦しむのと、自分が苦しむのとどちらを選ぶか」と迫られるシーンに即答する日向。
あのシーンが日向という人の全てなんだろうと思う。
岩崎さんの非常に緊張感ある演技に圧倒されたが、このセリフのシーンは、なんというか、もう、
世界が静止したような、そんな独特の感覚が劇場内に走ったように感じた。
岩崎さん演じる、真美とともに過ごす日向も観てみたいと、書きながらふと思った。

笠原(鳴海真奈美さん)
「私は、何をしてあげればいいですかね?」
笠原は三次郎に対して一切の恋愛感情はないと言い切るが、本当にそうなんだろうかという下衆な
目線でずっと観ていた(すいません)。
それ自体は下衆の勘繰りなので、どちらでも良いのだけれど、尊敬する人間に対して、自分自身の
存在を認めてほしい、あるいは認めさせたいという気持ちはちょっとわかるような気がした。
笠原にとっては、同期で対等に接し得る佐々木、そして妻である日向の存在は羨望の的であり、
ごくごくわずかとはいえ嫉妬の思いもあったのではないかと、日向に真実を告げようとするシーンで
感じた。
まっすぐでまっすぐでまっすぐな笠原。
それであるがゆえに、佐々木に対して先のセリフのように、自身のありようをド直球で問いかけ、
苦しむ三次郎を助けるために、暴挙とも言ってよい行動に走ってしまうのだろうと思った。
日向を質問責めにするシーンでは、言葉は穏やかだが、そこに多少の毒気を感じてしまったのは
観ている私の心の汚れゆえだろうか。そもそも「質問責め」というほど責めてもいないし。
笠原の心中は分からないにせよ、日向と直接話すシーンでの鳴海さんの演技は迫力があった。
うわー、ちょっと怖いなー、この展開、と思いつつ、もう釘付けになってしまったのは、
鳴海さん、岩崎さんの演技の引力なのだろうと思う。
怖かったなー、ここ。

佐々木(山田梨佳さん)
「じゃあ、それは自分勝手だね」
好きなシーンをいくつか挙げろと言われれば、間違いなく、この佐々木と笠原のやりとりのシーンを
選ぶ。
どの登場人物も魅力にあふれているけれど、それでも一番好きだなと思うのは佐々木。
佐々木は大きい。とにかく人間的にものすごく大きいと思う。そして何よりかっこいい。
後輩である笠原との絡みのシーンが大半を占めるが、佐々木から見れば、笠原の行動というのは、
ツッコミどころ満載なのだろうと思うけれど、それを頭ごなしに否定するのではなく、全てを
知ったうえで、ゆっくりと、でもはっきりと笠原に問いかけ、言葉をかける。
「三次郎が辛いときには目を逸らしてあげて」なんて、笠原でなくたってびっくりする。
こんな同期か先輩欲しかったなぁ。
時間が出来たら佐々木語録を作りたい。
佐々木というキャラに命を吹き込んでくれたのは山田さんだけれど、もうとにかく、素晴らしかった。
劇中で、対顧客、対同期、対後輩と3つの異なる空気感を演じておられたわけだけど、その演じ分けが
凄いなと思った。声のトーン、仕草、距離感等々、その微妙な使い分けが、非常にリアルで、
もう演技なのか、素なのか分からないくらいに素晴らしかった。
よく通り、凛とした声での語り掛けではあるものの、そこに悪い意味での演技臭さはなく、鮮烈に
記憶の中に刷り込まれた。
台本を読んでいるだけでも、このシーンは空気感まではっきりと思い出せる。
そして泣ける。
このシーン、本当に大好き。
佐々木も大好き(しつこい)。
終演後、山田さんのお姿を見かけて、飛びつくように挨拶をさせて頂いた。
何だか、頭の中が真っ白で、何を言っていたのかもあんまり覚えていないけれど、お伝えしたかったのは
こういうことです。
多少なりとも伝わっていれば、嬉しいなぁ。

水元(トクダタクマさん)
「簡単じゃないから、そこに想像力と愛情が必要なんでしょ!」
立場上、半歩引いたところから議論に参加している感のあった水元。
彼が唯一、強い口調で迫ったこのシーンが私は大好き。
この台詞の直前に「三次郎さん、その想像を全くしてない」と言う場面があって、ここを皮切りに
彼は三次郎に想像の必要性を説いていくのだけれど、少しずつヒートアップしていくあの演技は、
何度思い返しても、スゴいと思うし、泣けてくる。
「全く」という部分にアクセントを置いて、まくし立てると言うほどではないが、気持ち早口で畳みかけてくる
絶妙な加減の台詞回しが素晴らしかった。
トクダさんの声は、とても優しく、聴き取りやすい。それ故か、彼の言葉は強くとも愛に満ちているような気がする。
「いつもの致死量」でも感じていたことだけど、トクダさんが書く世界の登場人物は総じて優しい。
本作は終始、議論がメインで進んでいくので、当然、紛糾する場面も出てくるが、無秩序な紛糾ではなく、
畑中の言葉を借りるなら「自制された」紛糾で収まる。
個人的には、紛糾の場面も含めて、全編、どこか自制、あるいは抑制された雰囲気を劇中に感じる。
それはパワーがない、物足りないと言うことでは全くなく、トクダさんの思い描く「理想のリアル」を追求した
結果なのではないかと思う。
瞬間的な爆発力ではなく、じわじわと染み入り、気がつけば、すっかりその色に染まって行くようなところが、
トクダ作品の醍醐味なのかもしれない。
実は本編に関しては、個人的には色々と謎というか、掘り下げが足りないように感じられた部分も色々とあったの
だけれど、終演後、彼自身の口から、ディレクターズカットの存在が語られたので、きっとその辺りで、色々と
補足されるのかなと思っていた。
ところが実際にそれを手に取り、読んでみても、本編との差はあまり感じられなかった。
私の中では、間違いなく自殺志願あたりのエピソードがもう少し盛り込まれるかと思っていたので、ちょっと
意外だったのだけれど、あえてそういう部分にかなりの含みを持たせるところが、彼自身の狙いなのかなと、
今では感じ始めている。
それこそ水元が言うように「想像」するほかないのだけれど、その想像もまた楽しい。
ぜひともご挨拶申し上げたかったのだけれど、訪れる方がなかなか途切れず断念。
色々とお伺いしたかったけど、終演後のあの状態じゃ、質問する心の余裕なんてなかっただろうなぁ。

倉持(金井愛さん)
「だから私はあいつの嘘に殺されたんだなぁって思って」
体育会系を地で行くモッチー。
感情を露わにしやすいが、自身に非があると思えば躊躇うことなく頭を下げる。
そんなモッチーが大好きなのだけれど、この台詞はあまりにも重かった。
まっすぐで気も強いが、容姿に関しては少なからずコンプレックスを感じさせるモッチーにとって、初恋の人の嘘、
それも浮気という最悪な形での嘘は、死を決断させるには十分すぎる要素だったのかもしれない。
その告白は、抱える重さとは裏腹に、比較的、軽い口調でなされるが、金井さんのその演技が、逆に涙を誘った。
終盤、琴子と二人で語り合う場面も良かった。
「ガランとしてて、心の中がスッキリしてて、でもそこにはまだ余熱が残ってて、変な感じ」
こういう表現は「トクダ節」とも言っていい、非常にきれいな表現の仕方だと思う。
このセリフを語る金井さんの表情も、とてもスッキリしていて魅力的だった。
金井さんの笑顔、もうほんとに眩しいんだよなぁ。
通りすがりレベルで挨拶させて頂いた。ほんとはもっとお話ししたかったけれど、ロビー激混みだったので。
次回はぜひともご挨拶を。

吉内はじめ(小川タケルさん)
「俺ね、たぶん初めて嫉妬してるんですよ」
何てすばらしい夫婦なんだろう。我が家とは大違い。
何もかも知り尽くして、愛だの恋だのいう次元をはるかに超えたところにいるという自覚は、
はじめの中にあったんだと思う。
だからこそ、自分の知らない良子がいるかもしれないという感覚を「嫉妬」と表現したのだろうし、
その思いに戸惑いもあれば、悔しさもあったのだと思う。
でも、それは逆に言えば、吉内夫婦が、もはやすでに極めて強固な夫婦の絆で結ばれていることの
証だと思うし、この件を機にさらに強い絆で結ばれるであろうことを思えば、世の中にこれほど
幸せな夫婦もないのではないかと思う。
この後、夫婦で二人で語るシーン、小川さんのこれまでのコミカルな演技とは打って変わって、
照れつつも、素直に、まっすぐに伝える演技がとてもかっこよかった。
酒を取ってこようとする良子を止める演技が、個人的には、非常にツボ。
良いなぁ、こういう夫婦。見習わないと。

吉内良子(小山ごろーさん)
「こいつは根深いですなぁ」
思わずニヤリとしたこのシーン。
良子とマモルの絡みがあるシーンは、私は全部お気に入りなのだけど、このシーンが一番大好き。
あくまでも理想を追い求めるマモルに対して、良子はそれを肯定しつつも、現実を視るように
諭すのだけれど、マモルとプチトのエピソードを聞き及ぶにつれて、そう簡単にはいかないなと
感じたところでのこのセリフなのだと思うのだけど、良子がニンマリとしながらこのセリフを
話すのがとても好き。
根深いし、手ごわいとは思いつつも、どこかで二人がうまくいくことを確信していたからこその
このアクションなのではなかったかと個人的には思っている。
相手に対してのアプローチは違うものの、佐々木に近い立ち位置のキャラだと思っていて、
要所要所で、見事な調停者ぶりを発揮する。
モッチーと畑中が一触即発になる場面での、
「まず、ありがとうじゃないかな?」
と諭す場面は、すごいなと思った。
誰のことも悪者にせず、誰のことも不愉快にせずに、その場をまとめ上げる手腕は、自営業に
より培われたものなのか、それともはじめも知らない過去ゆえなのかは、それこそ「想像」する
ほかないが、マモルと二人だけの時に見せる少々厳しい表情からは、色々なものを感じてしまう。
小山さんのその演じ分けは見事で迫力もあったが、現実の厳しさを説きながらも、マモルを説く
その演技には、慈愛に満ちつつ、押しつけがましくならない、絶妙な加減があって、大好きだった。
吉内夫婦の店、行ったら楽しいだろうなぁ。

HAL9000(田中愛美さん)
「船を補強してなんとか12人乗れるようにできないでしょうか?」
質問者でさえ想定しなかった全員での脱出を提案し、最終的にチームの答えをそこに持ち込む。
この発想がハルを象徴して、なおかつ、本作がどこに向かおうとしているかを冒頭にして、
説明した、とても印象深いシーン。
ハルという人物は、暗い過去を背負っているうえに、かなりのヲタク気質なため、ちょっと
色物感があるのだけれど、要所要所で核心を突いてくる。
振り返ってみると、他の登場人物が一様に、新たな気づきがあるものの、彼女に関しては、
どちらかというと、気づかせる側に立っている。
彼女がチームに「選別」された一番の理由は、そこなのかなと思う。
暗い過去を背負いながらも、見事にそれを克服し、今ではそれを微塵も感じさせない。
その強固なる精神の持ち主に、チームの影の柱としての役割を期待したのではないか。
そもそものところ、チームを選別したのは誰なのだろう?
もしかすると、すでに開発されているAIによる選別なのでは??
もしかすると、はじめの想像したように、ハル自身が選別したAIなのでは???
田中さん演じるハルは何というか、そういう解釈にも含みを持たせるような、良い意味での
淡白さというか、無機質さがあったようにも感じる部分もあるのだけれど、はじめに対して、
「過去のどこを見たって、そこに未来はない」と語るところは、深い慈愛とつらい過去を
克服した事で得られた強さを感じさせた。
やっぱりハル=AI説は却下かな。
あれはAIには語れないセリフだ。

横山(川口知夏さん)
「そのごめんねは誰の心も癒さない自分勝手な気持ちです」
このセリフを聞いた時に、自分の中で何かが大きな音とともに突き刺さったような気がした。
そして涙腺崩壊。
全編通じて、間違いなく、最大の名シーン。
何かに対してごめんねという思いを抱くことは多々ある。
そうすることで、何かからの許しを得られると、無意識下で思っているのかもしれない。
けれど、横山が言うように、それは誰の心も癒さないし、何よりも自分勝手で、自己満足で
しかない。
「ごめんねよりもありがとう」
この言葉は、マリコのみならず、私自身にとっても大きな言葉になった。
彼女の言葉に重みがあるのは、彼女自身が同じ経験をして、そして、ごめんねから訣別することで
前向きになることが出来たから。
経験者の言葉は重い・・・のだが、横山を演じた川口さんは川口さんであって横山ではない。
川口さん自身、Twitterで話されていたように、各方面から情報を集め、横山という
役に挑んだのだとは思うが、私の目の前で涙を流し、語り掛ける横山は、架空の人物ではなく、
間違いなく、リアルに存在する横山であり、川口さんだった。
私は演劇の素人なので、役者様の演技について、講釈を垂れることなど出来ないが、素人目に
観て、この場面の川口さん、雅野さんの演技は、もう真に迫っているというレベルを超越
していたように思う。
横山の告白のシーンもまた素晴らしかった。
「私ね、あそっかって思ったんだ」
表面上はさらりと話す横山に対して、明らかに変調をきたし始めるマリコ。
その対照的な演出も素晴らしかったが、思い告白をひどく軽い言葉であえて表現した
脚本に鳥肌が立つ。
この情景、何というかものすごくリアルだなぁと思った。
重い告白って、いざ言葉にしてみると、こうしてあえて軽い言葉にしてしまうものだと思う。
そして、それを見事に舞台上で表現してのけた川口さんの演技がまた素晴らしく、素晴らしいだけに
胸が痛んだ。
川口さんにもぜひともご挨拶申し上げたかったが、なかなか来訪の列が途切れず、断念。
無念の極みではあるけれど、素晴らしい演技を見せて頂いたことにまずは「ありがとう」と
この場を借りてお伝えしたい。

マリコ(雅野友里恵さん)
「できることがね増えるっていうことは、それと同時に出来ないことも増えるんだよ」
うわー、そう、そうなんだよなぁと思いながら聞かせて頂いた。
本当にその通りで、マリコと横山というのは、言うなればないものねだりというか、隣の芝生は
青く見えるというか、そんな関係だったように思う。
私にとって、雅野さんは本作に登場するすべての役者様の中で、ただ一人、ご挨拶を
させて頂いたことのある方で、そういう意味では、他の役者様とは、また少し違った
見方を無意識にしていたように思う。
私は今年に入ってから観劇を始めた素人中の素人だけれど、回を重ねるごとに、色々な
ところに少しずつ目が届くようになってきている気がする。
雅野さんの演技を見ていて、役者が自分とは異なる人物を演じるというのはどういうもの
なんだろうかということについて考えさせられた。
横山と語り合うシーン、私は2列目だったので、川口さんと雅野さんの演技はごまかしの
効く距離ではなかったと思う。
お二人の流す涙は、真に迫るというよりは「真」そのものであったように思う。
役にシンクロしてこそ、それは出来ることではなかったか。
そう思うと、横山の告白を聞きながら過呼吸になるシーン、かつて自分の子供を目の前で
失ったことを回想するシーン…シンクロするにはあまりにも重いシーンを雅野さんは
背負いながらこの公演をこなしておられたのだと思うと、その役者としての矜持というか、
魂に感嘆の思いを禁じ得ない。
横山とマリコが語り合うシーンは、私にとっては、小劇場、演劇というものに対する
思いを大いに揺さぶられた思い出に残るシーンとなった。
上演後、ご挨拶させて頂いたとき、覚えていてくれてるかなぁと、ちょっと心配して
いたのだけれど、どうやら覚えて頂いていたようでホッとしました。

プチト(大瀬さゆりさん)
「流れはさ、自分で選んで流されなきゃ」
トクダ節炸裂。
うーん、なるほど、そういうものかと、心の中でうなってしまった。
美月もまた、プチト同様に流されて生きていくタイプという設定だが、自らの意思で
流されていくのか、他者を意識して流されていくのか、確かにそこには明確な違いが
あるが、そういうことを考えたことがなかったので、かなり斬新に響いたセリフ。
プチトという女性は、ふわふわしているように見えて、実際のところは、本人が
自覚しているかはともかく、ある種の哲学に基づいて生きているような気がする。
「生活には正直余裕はないけど、気持ちには誰よりも余裕がある自信があるもん」
と言い切るプチトはすごいと思う。
生活にも気持ちにも余裕がない自分には、非常に眩しいプチトという存在。
大瀬さんは「いつもの致死量」のムーミン役もはまり役だったが、今回も大当たり。
ご挨拶させて頂いたが、なんというか結構、ムーミンやプチトと同じオーラを
まとっている感じで、お話ししながらかなり癒していただいてしまった。
ところで、台本の人物紹介のページを読んで、プチトがガールズバー勤務ということを
知ったのだけれど、ちょっとというか、かなり意外で驚いた。
まぁ、いたら人気でそうだよなぁと思いつつ、マモルの心中やいかに、と想像が
膨らんでしまった。

マモル(杉浦雄介さん)
「その人の言ってたことの中に嘘はなかったんじゃないかな?」
紛れもない嘘で傷つけられたモッチーに対して、語られた理想を信じた結果、それに傷ついた横山。
横山の元カレにマモルは自分の姿を重ねたように思う。
マモルは理想を追い求める青年であり、酸いも甘いもかみ分けた良子からすれば、その姿は
眩しくも危うく映るのかもしれない。
ただ、当の本人にはもちろんそんな気持ちは一切なく、ただひたすらに自身が正しいと
思う道を進んでいる。
プチトが自分を待ち続けることで、あるいは横山と同じ轍を踏むことになるかもしれない…と
マモルが思ったかどうかは分からないが、マモルにしてみれば、横山の元カレを擁護したい
気持ちは多少なりともあったように感じた。
彼にとって、良子の言葉は、新たな一歩を踏み出すための力になるが、必ずしも耳に心地よい
言葉ばかりではなかったろうと思う。
耳が痛い部分も多々あったろうが、それよりも何よりも「書きたい小説」を書くのではなく、
「売れる小説」を書くことへの転換は、彼にとって魂を売るに等しい苦渋の決断ではなかったか。
彼の中にどんな思いがあったにせよ、最終的に彼が踏み出した世界は、彼が夢想した世界以上に
素晴らしい世界だったのではと思う。
マモルを演じておられた杉浦さん、めちゃめちゃいい声してんなーと思いながら、終始、彼の
セリフを聞いておりました。
個人的にはあの男らしい体躯と、低い声で、大好きなのはりぼんの世界なのかぁと、内心で
ニヤついておりました。
バリバリの男らしい野太い役を演じるところもいずれ是非拝見してみたい。

琴子(鶴たけ子さん)
「こういうタイミングだから言えることってありますよ」
モッチーに告白を促すシーンのセリフだが、これまでの琴子だったら、このセリフを言えただろうか。
人に嫌われることを恐れて、終始、無難な発言に終始し、決して踏み込まない彼女にしては、
そうとう踏み込んだ発言だったと思う。
この言葉を発した時、琴子は自身の成長を感じたかどうかは分からないが、個人的には、自然に
出た発言のような気がする。
後になって振り返って「わたし、あんなこと言ってたんだ」と驚いたのではなかったか。
彼女の人物紹介の項を見ると「抜本的な能力が低い」と結構な書かれようだが、何事にも消極的な
彼女の姿勢は、どこか自分に重なる部分もあり、ちょっと他人事じゃないなぁと思いながら、
観劇していた。
ただ、序盤で笠原に対して、辞退を申し出るシーン。
あれって結構勇気がいることだと思うんだけど(しかも何人かその場にいる中で!)、悩みつつも、
それをやってのけた琴子は、個人的には、芯の強さがあるんじゃないかと思っている。
終盤、モッチーと二人で飲むシーン、積極的にモッチーに話す琴子は、どこかスッキリとした
雰囲気で、私としては、横山もさることながら、琴子もまた、大きな成長を遂げた一人なのでは
ないかと思う。
彼女は序盤から、人当たりの良い、明るい雰囲気ではあったので、全体的なテイストは終始、
変わらない。けれど、作られた明るさと、自然な明るさという、内包するものは大きく変化
しており、その辺りの微妙な変化を、鶴さんがとても繊細に、そしてきれいに表現されていたよう
に思う。

畑中(大薮みほさん)
「でも、こんな変わり方嫌だぁ」
登場時から、これは結構頑固なのが来たな、最後まで手を焼く系かなと思いきや、序盤から、
琴子を羨んだり、変わりたいと、言葉にまで出してしまう姿を見て、おやおや?と思っていたら
中盤でこれである。
全編通じて、舞台上も、そして客席も一番、暖かくて柔らかい空気が流れたのが、この場面
だったような気がする。
「かくあるべし」というイメージが非常に明確であるがゆえに、そこから外れることは、
本人には屈辱的とも言ってよい事なのだろうと思うが、その副産物として、自分がずっと
願っていた「変化」を手にする。
トクダさんも良い意味での意地悪な演出をするなと思うが、畑中にとっては彼女自身の人生に
おいて大きな転換点になるのだろうなと思う。
畑中を演じる大薮さんは「嫌悪」の表現がとても秀逸で、序盤の琴子が持ち帰ってきたパンの
くだりは素晴らしかった。嫌悪の表現って、どこか大袈裟になりがちで、ちょっとやりすぎでは?
という演技もあったりするのだけれど、大薮さんのそれは、表現は抑えつつも、それが何だか妙に
リアルに感じた。
かと思えば二日酔いのシーンのように、素の表現も見事にしてのけて、演技の振り幅が素晴らしいなぁ、
ご挨拶したいなぁと思っていた。
実は終演後、席を立ったら、本当に目の前におられて、終演直後の感動と、いきなりご本人が
目の前にいた驚きに頭が真っ白になり、結局、幼稚園児のような感想しか言えなかった。
次回はもっとしっかりとご挨拶したい。

美月(星野李奈さん)
「でも、私は、もう少ししっかりしなきゃですね」
え?そうなの??と思ってしまった。
しっかりしてるかどうかはともかく、個人的には、美月は全然、そのままで十分に魅力的な
人間だと思うし、プチトがいうように「人の目気にして流されに行っちゃう」とも思わなかった。
だが、台本を読み返し、色々と思い返してみると、あぁ、言われればそうなのかもしれない
と思い始めた。プチトの慧眼、おそるべしである。
私は美月のことがかなり好き。オシャレで、快活で、気さく。一緒にいたら絶対に楽しいだろうな
と思う。
そう思わせる人間は、世の中に一定数いるわけなのだけれど、そういう人にも、そういう人なりの
悩みというものがあるのかな、と思った。
台本を読み返すと、超序盤で「そう考えたら、私すごい嘘つきだなぁ」と語るシーンがあるのだけれど、
これこそが、美月の影の部分の象徴なのかもしれない。
でも、美月は好きだなぁ。
星野さんの演じる美月はすごく眩しかった。どんな場面でも美月がいると、何となく、場が和むというか
華やかになるというか、空気感が変わるような気がしていた。話し方にも芯があるというか、
力強さを感じて、気持ちが良かった。
美月と琴子が腹を割って語り合うシーンを見てみたかったような気がする。

※番外
運営 森谷菜緒子さん
私が初めて森谷さんの演技を拝見したのは埋れ木さんの「降っただけで雨」。
うわー、すごいな、この人。かっこいいなぁ。
そんな森谷さんがこわっぱちゃん家の「いつもの致死量」に出演されるということで、観劇。
あぁ、やっぱり、すごいなぁ、素敵だなぁと思っていたら、まさかの卒業。
しょんぼりしつつも、こわっぱちゃん家という素晴らしい劇団に出会い、こうしてまた素晴らしい
舞台を観劇することが出来たのだから、なかなかに、人生、そして小劇場界隈というのは、面白い。
もうこの界隈で森谷さんをお見かけすることはないだろうと、勝手に思っていたので、スタッフとして
働いているお姿を見ても、最初は「ずいぶんきれいな人がいるな」くらいにしか思わなかったの
だけれど、まさかの本人で大驚愕。
物販も担当しておられて、その時に本当に少しだけご挨拶させて頂いた。
いやー、こんなことあるんだなぁとちょっとしたミラクルに感動。

どの演劇も終演後は役者の皆様一人一人にご挨拶をしたくなる。
ただ、時間的にも場所的にもそれはなかなか、というか、かなり難しいことで、挨拶できない、
もしくは数人のみというのが常。

それでも演劇の感想は、やはり関係者の方にはお伝えしたいので、これまで感想はなるべく
書くようにしてきたが、今回ほど、時間をかけて書いたのは初めてのこと。

感想を書く都合もあったが、台本を何度も読み返すという経験も初めてで、読むたびに新たな
発見や、思い出が深まり、改めて、本作のすばらしさを実感した。
私のこれからの人生にも少なからぬ影響を与えると思う。

正直、まだまだ伝えきれていない思いはあるのだけれど、とりあえずは、いったんここで終了。
無駄に長いだけで、伝わりにくい文章だけれど、一番お伝えしたいことは、とにかくこれ。

素晴らしい舞台を本当にありがとうございました!
ヘニーデ

ヘニーデ

AURYN

中野スタジオあくとれ(東京都)

2019/09/12 (木) ~ 2019/09/16 (月)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/09/15 (日) 14:00

ネタバレしかないのでネタバレBOXにて。

ネタバレBOX

超能力とかが出てくる話だとは思っていなかったので、
面食らったが、何となくX-MENを思い出しながら見ていた。
あれは異能を持つ者がもっと当たり前にいる世界だから、
環境は違うけれど、異能を持つ者、持たざる者との壁が
描かれている点では似た部分があるかもしれない。

町田、瀬名が超能力者であるということが発覚し、
各々の思いが剥き出しになるシーンは見ていて辛くもなるが、
これが現実だろうなと言う思いも。

超能力者の存在でブーストされてはいるものの、物語の本質としては、
「自分にはないものをどう捉え、どう扱うか」と言うことの様に思えた。
彼らの言い分は賛否はともかくとして、納得も理解も出来るものであり、
だからこそ、胸が痛む。

結局の所「ないものねだり」なんだろうと思う。
自分が持たない「力」について、どう落とし所を作るのか。
象徴的に感じたのは、菅生、汐田、川本が才能について語り合うシーン。
努力で越えられないものは無いと、半ば呪縛のように信じる川本と、
天才は確実に存在すると言う立場の菅生、そして人智を越えた力の
存在を徹底的に否定するリアリストの汐田。
彼らは持たざる力について、どちらかというと妬みに似た、ネガティブ
な捉え方をするが、鳥丸と埴谷が恋愛について語り合う場面では、
鳥丸は、自分にない力(というか個性)を持つ埴谷に純粋な
羨望を抱く。

個人的には、この二つのシーンが非常に印象的だった。
川本という男の頑固さは、いかがなものかと思うが、彼の努力というものに
対するひたむきさと、才能なんてないと言い切るその強さは、
例えそれが強がりであったとしても、私にとってはとても眩しく、
尊敬の対象ですらある。

一方で、対極的な位置にある鳥丸の、自身の人生と存在を平凡かつ
つまらないと言いつつも、彼女なりに人生を楽しもうとする姿勢は
痛快であり、二人の個性が光る素晴らしいシーンだったと思う。

ちょっとずるいくらいにおいしいところを攫っていったなと
思うのが蓬沢。
象徴的な出来の悪いYouTuberかと思いきや、終盤、川本に対して、
「自分は自分にしかなれない」と言い切ってみたり、瀬名に対して、
その力を羨むどころか、その力ゆえの苦悩をある意味、町田よりも
察して見せた。
瀬名を前にして、あっさりと自身の心の内を見せるところなども、
小渕には及ばないものの、器の大きさを垣間見た。個人的には
ちょっとかっこよくて悔しい(笑)。

それ以降、終盤は見せ場たっぷりだったが、鳥丸と瀬名の氷解、
そして、鳥丸と虎尾の対決は見ていて気持ちが良いくらいに清々しく、
そして痛快だった。

汐田、川本にとっては、いささかすっきりとしない終幕だったかも
しれない。
けれど、瀬名の告白をきっかけに、未知のものに対して、様々な
アプローチの方法があることを目の当たりにした彼らの今後に、
少なからぬ影響を与える機会にはなるんだろうなと思う。

外から見ている私自身も、考えさせられる部分は多かったが、
蓬沢の意見が一番しっくりと腑に落ちてきたかなという気はする。
悔しいけど(笑)。

役者の皆さんも素晴らしかった。
今回は2列目で観劇という恵まれた環境であったので、皆様の
演技も間近で拝見することができたが、その表情の微妙な変化
も含めて、非常に見ごたえがあった。

今回は小学生のような感想ながら、ちょっとだけ何人かの役者様には
ご挨拶させて頂いた。
「知り合いよりも、初めてのお客さんの挨拶の方が役者さんも嬉しいと思う」
と背中を押してくれた観劇三昧、下北沢店のスタッフ様に感謝。

素晴らしい舞台をありがとうございました。

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