殊類と成る 公演情報 劇団肋骨蜜柑同好会「殊類と成る」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    鑑賞日2019/12/07 (土) 14:00

    本当に醜悪なものは何か。
    現代版『山月記』は、素晴らしき魂の救済劇。
    以下、ネタバレBOXにて。

    ネタバレBOX

    観劇のきっかけはどこかの劇場で頂いたフライヤー。
    あぁ、かっこいいなと思ってよくよく見てみたら、ずっと観たいと思っていた
    劇団肋骨蜜柑同好会さんの演劇だったので、半ば強引に土曜休日をもぎ取って
    予約。

    「12/7は何があっても出勤できません」アピールを聞かれてもいないのに、
    毎日のようにして、ついにその日を迎えた。

    小田急線の遅延で受付開始から5分過ぎくらいに到着したのだけれど、既に
    10人以上の列で、私は13番目(だったと思う)。

    例によって例のごとくでほぼ最後尾の端をチョイス。
    適度な傾斜と段差のおかげで前の人の後頭部も全く気にならず。
    舞台美術も一望出来て、個人的にはとっても快適。

    期待を裏切らない傑作で、ホントは台本読んで、じっくり理解してから感想も書きたいところだけれど、劇中でマサシも
    「何もかも理解する必要ない」
    みたいな主旨のことを言っていたので、その言葉に甘えて、今回はさっくりと書いてみようかと。
    言葉として形にすることの怖さも、本作では示唆していたし、実感としてもあるので。

    演劇って不思議なもので、たまに
    「これって私に向けて書いてくれました??」
    っていう演目に出会うことがある。

    どの演目でも共感できる部分というのは多かれ少なかれあるんだけど、そう言うレベルではなく、
    もっと、醜い自分に対して、あるいは閉ざしている自分に対して、その扉をバーン!っと開けて、
    「いいから、これ観て目覚ませよ!」
    と言われてるような感覚に捕まる時がある。

    そういう演目は観ていて辛い、、、というか、観ているときはそこまででもないけど、
    帰りの道中で辛くなるし苦しくなる。

    けれど、それは全く不快なものではなくて、
    何というか、見えていなかった自分の姿が見えるというか、霧が晴れてゆくというか、
    そう言うある種の爽快感を伴う。

    本作は私にとってはそうした演目の一つで
    今の自分が観るべくして観ることになった感がある。
    こういうタイミングはある意味、神がかっていて気持ちが良い。
    これについては「何者かに操作されている」のだとしても、個人的には全然アリだなと思う。

    「山月記」をモチーフとする本作。
    「山月記」では主人公は人から虎へと変身してしまうが、本作では、むしろ虚勢を張って
    本心に帳をかける人間をこそ醜悪なるものとして定義する。

    年齢を重ねて、社会に出ると、誰しも自分のあるがままに生きていくことは難しくなる。
    社会というものに適応するためにそれはある程度必要なことではあろうが、そう言うものの
    悪しき到達点というものを感じてしまった。

    「今、自分は『外向きの自分』を演じている」という自覚があるうちは良い。
    けれど、ナカヤマの様に、
    「自分が自分でないような感覚」
    にまで達し、さらには別の何かに上書きされてしまうと言うのは、背筋が寒くなる思いがした。

    私自身は自分が何者か分からなくなると言う感覚は味わったことがない気がする。
    けれど、今の自分というものがいかにして形成されたのかと言うことに関して、これまでは、
    人生経験を積み重ねてきた上での結果と思ってきたけれど、私自身が無自覚のうちに、私自身を
    上書きしてしまっているのだとしたら、、、そう思うと、自分は果たして何者なんだろうか?
    と言うところにつかまってしまい、そら恐ろしさを感じてしまう。

    言葉もまた然り。

    コミュニケーションにおいて言葉は非常に重要であることは、改めて言うまでもないことだけれど、
    思っていることを正確に言語化するというのは、意外に難しい。

    言葉を重ねれば重ねるほど、伝えたいことからかけ離れていく。
    本人にその気がなくても、自分の思いが言葉に変換されたとき、実際よりも重く、あるいは軽くなって
    しまうこともある。

    自分が作り上げた虚像を維持するために、嘘に嘘を重ね、最後には本当の姿が、嘘で塗り固められて
    しまう。

    サンゾウはその才能ゆえに、下りのエレベータに乗ってしまった感はある。
    けれど、私のような凡人も、彼のようにエレベータに乗ってしまう可能性は十分にある。

    それを回避するにはどうすれば...と考えてしまうところにも罠がある。
    その思考の迷宮に入り込むことによって、やはり、闇落ちしてしまう可能性は否めない。
    私自身、そうした領域に半歩足を踏み入れいている感があったので、正直、戦慄した。

    鬱病を患ったサンゾウにマサシはこう答える。

    人生は誰かの敷いたレールに乗っているようなもの。
    ただそこに揺られていればいい。
    けれどそれに疲れたときは途中下車すればいい。
    流れに任せて、理由なんて考えないで過ごしていればいい。

    あぁ、そういうものか、とマサシのセリフを聞きながら思ったし、何だか救われたような
    気がした。
    今の私に欠けている視点を見せてもらえた気がした。
    私、マサシ大好きです。
    日下部さんの演じるマサシは、何だかすごくリアルな適当加減で素晴らしかった。

    私にとって、この演劇は、きっと生涯を通して、ともに歩む存在であってくれる気がする。
    冷たい雨が降りしきる中、この日は劇場に足を運んだが、終演後は雨も上がっていた。
    何だか、何もかもが、私のためにこの日を企画してくれたんじゃないかと思えるような
    そんな素晴らしい時間を過ごさせて頂いた。

    さてさて、ここからは印象に残ったあれやこれやについて。

    Twitter等の感想を拝読していると、本作は肋骨蜜柑同好会さんの作品の中では、分かりやすい
    部類に属するらしい(私にはこれでも十分難しいなと思ったんだけど・・・)。
    エンタメ色も強いという意見も散見されたが、私にとってはかなり硬派に感じられた作品。

    上手く表現できないけれど、演劇という土俵で、真っ向から勝負を挑んできているというか、
    「演劇って言うのはこういうものなんだ!」という強い意志を感じたというか。

    ストイック…とも少し違うのかな。
    原理主義的というのか、うーん、分からない。

    分からないんだけれど、私はこの骨太な感じが、すごく心地よかった。
    視聴覚的に派手な演出があるわけでもなく、効果音に至っては、役者の皆さんによる声での
    表現。
    あまりお目にかかったことのないタイプの演劇だったけど、私は大好き。
    ちょっと中毒性があるタイプの演劇な気がする。

    上演時間は確か125分とかだった気がする。
    私にとっては2時間越えって、結構苦手な長さだったりするんだけど、退屈することは一切
    なかった。
    テンポも私にはちょうど良かったなー。

    印象に残っているシーンはたくさんあるんだけど、一部を挙げるのであれば、ウナギをお土産に
    買ってくるところのくだりだろうか。
    あの場面は怖かった。ほんとに怖かった。
    タビトがサンゾウに馬乗りになって殴打しまくるシーンは、まさしく、水を打ったように場内は
    静まり返った。

    同時に林揚羽さん演じる黒猫の仕草の素晴らしさ。
    猫を飼っている私としては、ちょっと衝撃だった。
    タビトと対峙した時のあの緊張感、そして、そのあとサンゾウに寄り添う姿。
    あれはまさしく猫そのもので、私の脳内に鮮明に焼き付いている。

    もう一つ印象に残っているのが、最後の病室での診断のシーン。
    ナカヤマがタカコと共に診察を受け、横にサンゾウが虎のごとく控えている。
    この時の室田さんの迫力がものすごい。
    抑圧されてきた本能がまさに牙を剥いて、今にも襲い掛からんとするあの殺気。
    びりびりと圧力すら感じられるような凄まじい空気感。
    セリフと相まって、忘れられないシーンだった。

    まだまだ、あるなぁ、どうしよう。
    あとちょっとだけ。

    動物園のシーンも素晴らしかった。
    ナカヤマとサンゾウが走りながら語るセリフは、山月記の一説であったように思うけれど、
    あの場面の疾走感と、演出がとても良かった。
    川にたどり着き、水面をのぞき込む場面は、戦慄の一言。

    そして病室。
    フカダ、クギモトの友情。タカコの愛情。
    この時の塩原さん、森さん、嶋谷さんの演技がすごく素敵だった。
    全体的に、低温で進行する本編にあって、暖かい空気を生み出すこのシーンはホントに良かった。

    そして、ついに上に揚がるエレベータ。

    「上へ参ります」

    このナースのセリフで、何だか私の気持ちまで一気に解放された。
    あぁ、ようやくこの時が来たのか、と。

    そして、最後の花見のシーン。
    あぁ、良いなぁと思って観ていたところで、フジタさんの桜吹雪。

    もう大号泣。
    声を出さずに泣くのに苦労した。
    演劇史に残る屈指の名シーン。

    この花見のシーン、私はナカヤマサンゾウの夢の中での出来事、あるいは旅立った後の出来事ではなく、病気を克服し、詩人として見事に開花した後の出来事だと解釈している。

    だって、エレベータは上に揚がったんだもの。
    願望ではなく、そうなんだと私は確信している。

    帰るときに、脚本を書かれたフジタタイセイさんがおられたので、少しだけご挨拶とお話を
    させて頂いた。
    『山の中、みたらし』『かわいいチャージ』でお姿は拝見していたのだけれど、念願かなって
    ようやくのご挨拶。感無量。
    お話の中で、肋骨蜜柑同好会さんでは、毎回、ちがったテイストで公演しておられることを
    うかがった。
    私は『殊類と成る』の作風が大好きだけれど、フジタさんの中にある、また違った世界を
    もっともっと観たいと思った。

    今回の感想は思いつくままにサーっと書かせて頂いてしまったので(いつもそうか)、全ての
    役者様について言及してはいないのだけれど、どの役者様も、力強く、骨太な演技で、すっかり
    引き込まれました。
    私にとっては、生涯、忘れえぬ作品になりそうです。

    ずっと共に歩んでいける作品に出会えて幸せです。
    劇団の皆様、役者の皆様、素晴らしい舞台を本当にありがとうございました。

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    2019/12/10 21:30

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