『無表情な日常、感情的な毎秒』2022年2月公演
エンニュイ
STUDIO MATATU(東京都)
2022/02/25 (金) ~ 2022/02/27 (日)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★★
配信で鑑賞。いずこかの狭い空間で、居酒屋の座敷とテーブル席のエリアを設え、その居酒屋の店長(恐らくチェーン店の)の葬儀の帰りに現・元従業員の男女6名程が実質「貸し切り」状態でそこに居る。最初客席に向かって並び、気恥かしそうに「始めます」的な挨拶をしてズルっと芝居に入るのが端緒。現実の時間と地続きで境界を消している。超リアルなやり取りゆえ、当然音楽も効果音も無し、ハケはトイレの中座のみ。あとは現従業員が脇の方で駄弁りながら(一人は飲みながら)待機、途中からは店仕舞いして仲間に入る。
殆どが会話で進むが、所謂舞台上の即興というのでなくきちんと作られている。次第に見えて来る「店長の死」が当然軸になっているが、その事実と各人の受け止め、距離感がまたリアル。殆ど感傷がない。「死」を軸に劇の骨格は有りつつも、目を引くのは情景のリアルさ。その事は「脚本のよく出来た」ドラマと違い、「生きてる」人間の様そのものが醸す面白さの勝利に導いている。観客は秘密を共有した感覚になった事だろう。
映像ではこの「リアル」は、突如でかい声を出す野郎の存在と低い声の振り幅がかなりあって鑑賞にとってきつい要素。だが、二度目はイヤホンをして改めて見始めたらほぼ巻き戻しマークをクリックする事なしに「芝居を鑑賞」できた。
感傷を最大限抑制した「劇」では、リアルの純度の高さにより、僅か0.1%濃度の「厳粛さ」でもアルコールのように血を熱くする効果を持つ。過去二度観たエンニュイとは色の異なる、挑戦の姿勢を見受け、好感。
京時雨濡れ羽双鳥/花子
劇団俳優座
俳優座スタジオ(東京都)
2022/03/16 (水) ~ 2022/03/27 (日)公演終了
実演鑑賞
「マリアの首」の作者、田中千禾夫(ちかお)による戯曲の上演を初めて観た(「マリアの首」は観ず終い)。
実はこの日は未見の若手劇団を観劇するぞと決めた矢先に初日が中止になったので、無理に出掛ける事も無いっちゃ無かったんであるが、「口が芝居の口になってた」のでこれを選んで六本木まで出掛けた。
日本の古典戯曲には惹かれるものがある。当時の人々にとってはレトロでも何でも無かっただろう木造家屋や、着物や路地や、口調が、「前時代的」ではなく「いい感じ」になっている。もっとも田中千禾夫は主に戦後活躍し注目された人だから今言った範疇から若干ズレるのかも知れぬが。
この所海外戯曲の秀作舞台を打っている俳優座、果たして今回は・・
サヨナフーピストル連続射殺魔ノリオの青春
オフィスコットーネ
シアター711(東京都)
2022/03/11 (金) ~ 2022/03/21 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
秩序の縁辺に生きる生を多く描いた大竹野氏が、実在の人物を描いた本作は異色作か、代表作か・・舞台を観ての結論は「大竹野正典らしい作品」。役者、演出申し分なく、後方席からほんのり暖かい気の塊のような舞台を眺めて座席に座る感覚を忘れた。
透き間
サファリ・P
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2022/03/11 (金) ~ 2022/03/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
過去観た二作は「悪童日記」「怪人二十面相」と著名な原作だったが今作は知らない作品。舞踊の色が強いユニットであるが今回は舞台上の「現象」をただ鑑賞した。パンフには場面割りが書かれていて、事前に読んでおくのが正解だったかも知れぬ。が、慷慨を知らなくとも面白かった。と言っても最後はストーリー的な着地をしたと見え、純粋舞踊作品というよりやはり「原作の舞台化」を志向するユニットであるのだな、と。
裸の町
秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場付属養成所
青年劇場スタジオ結(YUI) (東京都)
2022/03/04 (金) ~ 2022/03/15 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
衝撃の「動員挿話/骸骨の舞跳」以来、日本の近代古典戯曲を舞台化する青年劇場のアトリエ公演を毎度楽しみにしている。真船豊の作品世界は「鼬」を二回、目にしたのみで他に二三作を戯曲で読んだが本作は初めて。損得ずくの世の中、孤高ではいられない生身の人間の本質を透徹した真船らしい作品で、クラシックを中心にチョイスされた音楽と、暗転で浮かぶ(目線は上の方になる)「町」のシルエットが、作品世界を裏で捉えて秀逸(美術:佐々波雅子)。役者は特に夫婦の二人の比重が大きいが、妻役の形象には目が釘付けであった。真船が刻んだ彫像のような力強い人物像たちを皆が好演した。
実は数場の芝居で最初の一場を見逃し、二場の途中に滑り込んで見始めたのだが、椅子に座るや瞬殺で劇に引き込まれ、あれよと最後まで連れて行かれた。優れた舞台である。
リムーバリスト―引っ越し屋―
劇団俳小
萬劇場(東京都)
2022/03/12 (土) ~ 2022/03/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
前々作がやはり暴力描写のある芝居で、同じくオーストラリア産の、入植白人とアボリジニの確執の話だった。今作は現代(携帯電話が出てこないので20世紀の戯曲と推測)のメルボルンの荒廃地区に勤務する二人の警官が、とある日の数時間に体現する暴力とその心理構造を炙り出すような作品。
役者の負荷が大きい戯曲で、violenceが暴発する狂気の瞬間だけでなくそこに至る精神状況の過程を辿る。戯曲の台詞がそれを誘導している。破滅的な結末は、告発的作品な色を帯びなくもないが、カタストロフに浸るだけでは済まさない要素がある。
観たばかりの青年劇場「裸の町」は真船豊による昭和前期の、小さな人間たちを描いた作品だったが、「鼬」と同じく金銭、引いては当時浸透の過程にあった資本制の持つ暴力性を描き、システムの中の人間の闇に触れる。両者全く違う作風だが似た風景を見る感覚を覚えた。
ネオンキッズ
OFFICE SHIKA
座・高円寺1(東京都)
2022/03/03 (木) ~ 2022/03/14 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
OFFICE SHIKAには三度目(位)のお目見え。鹿殺しもそうだがディストーションの掛かったギターでダークな世界観を盛り上げ、照明暗めの印象は今回も通じる。音量大きめ、照明は「ネオン」の青赤緑が基調。つい最近見たトー横キッズを撮ったTVドキュメンタリーの題材がそのまま出て来てオヤ?と思う。だがドキュメントにも登場していた(無論同一人物な訳はないが)面倒見の良い兄貴の「実像」が明らかになる所から芝居はダークサイドへ。
音楽劇ではあるが、それにしても女子がソロを聴かせる歌が多く、歌い終わると拍手の音が大きくやや長。なんだか芝居仕立てのコンサートにコアファンが来てる風な雰囲気だな、と終演後にパンフを見るとAKBメンバーが3名出演していた。芝居も歌も若干3人フィーチャーした感じを持ったがそうだったのねと納得。あの演技で良しとした(演出がOKした)事情にも納得。(いや納得したくはないのだが、容姿の貢献と相殺されてる感は序盤からあると言えばあって、大詰めでもそれは変わらなかったというだけの話。ただ欲を言えば悲しみ絶望自棄っぱちな気分を彼女らが実在のキッズに心寄せて追体験することが出来たなら、それは舞台の感動とリンクした事だろうに、と惜しく思うのみ。)
夜の来訪者
俳優座劇場
俳優座劇場(東京都)
2022/03/06 (日) ~ 2022/03/12 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
以前文字で読んだ時は古い、硬い作品だと印象を持ったが、中々どうして面白く観た。新劇スタイルが避けられない作品に思えるが、仰々しさが回避されナチュラルに見れたのは何故かな、と考えてみるが、やはり「謎の男」の不思議な説得力という所だろうか。地味ながら謎を「謎」とする小間使いの存在だろうか(家政婦は見たではないが「語らぬが見ている存在」は深層部分に影響しそうだ)。
ストーリーも二転三転という所があって楽しく見れる。だがストーリー展開に依存するにはラストあたりに不要な台詞が一つ混じっていて(名作と言われる作品に何故そんなものが・・テキレジの際にうっかり残したか)、禍しそうだがそれオンリーにならない味わい(人物の形象)もあった。
経済的に恵まれ、自己完結した集団であるこの家族が「他者」にどうあるべきか、要は富者は貧者に対し道義的責任はないのかといった種類の問いが根底にあって、そう私がこれを本で読んだ頃(8年位前の感覚だ)には「古い」と感じさせた訓示が、今の新自由主義の時代には根源的な問いになってしまったという事かも知れぬ。
クリキンディの教室
電動夏子安置システム
駅前劇場(東京都)
2022/03/02 (水) ~ 2022/03/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
やはりこの作風が電動夏子、なのかな。それとも近年この感じに? 面白い。そして色々穴もある。しかし楽しい。突っ込み入れたくなるがそれも含めて。
後日突っ込ませて頂く。
蜃気楼を抱け!
アトリエ・センターフォワード
OFF OFFシアター(東京都)
2022/03/03 (木) ~ 2022/03/10 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
なぜか分からないが、親近感が湧く。主宰のキャラのせいだろうか、何だろうか。芝居も面白く観た。100パーを振り切るかに思えた前半から、後半若干停滞も感じたが、好感の持てる舞台であった。
難点と感じた事から挙げると、選曲がいまいち。あと、幼馴染の二人が他の二人の仲間との思い出を語る、しんみりさせる場面の筆運びが・・もう少し。
だが現在の半ばリアルな社会観を逆手に、金を得る当然の権利を行使する居直り、詐欺をやる決意の悪びれの無さ、私には痛烈な皮肉で社会批評である。近年若い書き手にも多い「お利口」「良い子」な規範意識とは異なり、金、金で突き進む。義理人情も出てくるが、良識や遵法意識の要素は排している。という事は全編が痛快なわけで。
薔薇と海賊
アン・ラト(unrato)
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2022/03/04 (金) ~ 2022/03/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
三島由紀夫戯曲を観る貴重な機会(これでやっと4作目か)。引き込まれて観たが、最終的な着地はどこに?主宰・演出はこの戯曲をどう読んだのか、関心は何にあったのかが見えなかった、というのが舞台の印象。後日詳述。
プルーフ/証明
DULL-COLORED POP
王子小劇場(東京都)
2022/03/02 (水) ~ 2022/03/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
後で調べると本作はDULL-COLORで何度となく上演されている。2009年初演?では、今公演Bバージョン中田氏が出演(パンフに「オーディション以外にもこちらからオファーした人もいた」とあるのはこの人か..)。以前、風琴工房で詩森氏翻訳による本作を観ていて、今回2度目だ。その時は台詞に付いて行けない箇所があったのと、脚本の落とし所が若干気に食わなかった微かな記憶が..。Aバージョンの「プルーフ」を観ていてその原因が奈辺にあったかを思い出し、そして芝居は満足できるものだった。
当パンの谷氏挨拶によればA~Cバージョンは「演出」が異なり、Bはガラステーブルのみの抽象空間、Cはリアル空間、Aは木製チェアと台と枯葉、とある。その線で言えば風琴のバージョンは洒落た抽象空間で演じられた「高踏遊民の話」とでも。さて今回の舞台は・・。
数学者だった父とその娘の物語。他には娘の姉と、父の助手である青年が登場する。青年は父の生前一度娘と会っているが、今回対面し、改めて彼女を思う気持ちを芽生えさせている。父の才能を遺伝的に受け継いでいる娘は、精神の病をも受け継いでいるのではないかと恐れている。父の遺した膨大なノートを調べに自宅を訪れた青年に、彼女は徒労だと言う、「得るものは一つもない、私も見たから」と。父の死を聴いた姉も遠方から戻って来て、彼女にニューヨークに来ないかと勧めている。邸を売り払い、忌まわしい土地を離れるべきだと言う。姉は妹の父譲りの「異常」な性質を肉親として知っていて、医者に診てもらうのが最良だと考えている。まずこの姉との間に、娘は断絶を覚えている。さらに青年との間にも。娘の中では、数学の才能において助手の男との間に内的な葛藤がある。葬儀の夜、彼女は青年との間で悶着を起こすが、彼への疑惑が百八十度逆の答えとして返って来る。彼女は泣く。後日彼女は男の恋心に答え、その後ある「秘密」を男に告げる。家に籠っていた晩年の父が何か貴重な数学的着想を残していないかと期待に膨らんだ青年に、父の机の引き出しの鍵を渡してそこに入っているノートを取り出せと言う。姉もいるリビングに、暫くして男が血相を変えて飛び込んで来る。凄い発見がそこには書かれていると言う。彼女は、実はそれは自分が書いたものだと言う。父を看病する期間、合間を縫って数学的閃きを綴ったノートだと。姉はこれを妹の虚栄心の表れ、又は数学の道を諦めない往生際の悪さ、姉に同道してニューヨークに行かない口実、といった意味に取り、最初から疑惑の目をギラギラと向ける。一方青年は、年端も行かない女の子だった頃を知っており、今もまだ女学生の年齢である彼女が、数学の才能を持ち合わせている事などあり得ないと考えている。自らは天才的閃きを持たなくとも、天才の業績の評価眼は持っていると自負する彼は、尊敬する亡き師の全盛期に匹敵する数学的発見がここには書かれてあり、君にはとても出来ない事だと告げる。
後日談は省くが、ここにはその数学的な発見が一体何であるかは一切書かれていない。以前観た「PLOOF」に対する不満はそこにあった事をぼんやりと思い出す。だがこの物語のテーマは、真実はどこにあるか、ではなく、実証しえない物を巡る人間の態度のあり方について、である。言わば「信頼」に関する寓話。
ただし、「芝居」は要求する。役者が具現する数学者らしい振る舞い、若き日に開花した頭脳との折り合いに失敗し精神を破壊した者らしい姿、またその内的生活の姿、そして数学に取りつかれそこに美を見出す至福を知る者だけが持ち得る、共感の表出である。これに迫るのは役者の仕事であって、この脚本の舞台に満足できるか否かがそこにある、そういう種類の作品に思える。Aバージョンを演じた役者諸氏に、敬意を表する。
夜叉ヶ池
SPAC・静岡県舞台芸術センター
静岡芸術劇場(静岡県)
2022/01/22 (土) ~ 2022/03/05 (土)公演終了
実演鑑賞
ふじのくに21→22最後を飾るのは宮城聰演出、棚川寛子音楽のこの演目。泉鏡花の著名な作品だから以前読んだアレ、と思って見始めたが、小説「高野聖」と勘違い。「その口になってた」のでやや落胆であった(勝手にしろという話だが)。
長の別れを惜しみつつの観劇(また訪れるとは思うが..)。さすがと言える出来ではあり、あっと言わせる演出、小気味よい場面、溜飲を下げる場面とポイントを稼いでいる。だが「厳しいな」と感ずる部分もあった。
第一はこれ、マスクの着用。ステージと客席の距離からすれば通常はマスク無しで問題ないはず(厳密には、発声により微小飛沫が生じれば2m離れてようが飛んでは行くのだが)。「表現」の点からすると、マスクをつけても声はよく届くものの、障害は半端でない。言葉は正直聞き取りづらく、それ以上に表情が見えないのは決定的だ。本当は見てほしいんだけど・・と目が言っているのが悲しい。
以前も書いたが地方における対コロナの許容ラインは恐らく都会よりシビアに違いない。だが感染リスク・ゼロ信仰を乗り越える事なしに日本の今後は無い、という事を考え合わせつつ、また客席はディスタンス無しに入れている事も考え合わせれば、別の判断は十分にあり得る。
感染防止の最大の武器は換気で、これによってマスク縛りを乗り越える事を考えてほしい。観客・市民と話合いを持つことができないのかとも思う。
たきいみき演じる池の白雪姫だけは、艶やかなマスクを外す時間がある。だが、チラ見せでも相貌が見える事が「貴重」という価値観は妙なものだ。マスク無しで一しきり動きを演じた後、台詞のある場面に戻り、思わず喋ろうとして従者に止められ、「そうじゃった」という無言のやり取り、マスクをつけ直して台詞を言う、というくだりが笑いを取っていたが、私は笑えなかった。演劇人の「敗北」に見えてしまうのである。
第二は、最終場面からコールに行く所。私は宮城氏はどうかしてしまったのかと思ってしまった。
純潔な二人の男女が最後に非業の死を遂げ、舞台中央で折り重なるが、紗幕の向こうにスポットで二人を照らす中、フェードアウトせずに舞台前部分に白い明りを入れて、二名以外の役者が登場し拍手となった。だが一旦そうした後、役者がはけると明りが落ちて、元の暗がりが出来、奥の光だけうっすらと照っている。つまり、コールを挟んで本当のラストは次に来る、という雰囲気になる。当然二人を照らす明りがついに落ちて終幕、となるだろうと思っていると、またコール用のまぶしい明りが入り、「同じように」役者が袖から、2コールを呼ばれたような顔で出てくるのだ。え?と思う。まだスポットは二人を照らしている。「頼むから終わらせてくれ」と思い、もう一度待つ。ところがやはり消えない。
拍手をする観客の側から言えば、最初に役者がコールに応じて登場した後は、拍手をしていた手は当然止めず、「本当の終幕」を待っている。ところが役者が満面の笑みで出てくるものだから、ああ、と思って拍手をしてしまう。それで引っ張って引っ張って、結局4コールぐらいやった後、二人を照らしたライトが消える。
演出としては紗幕の向こうを時間の止まった「絵」のようなものにしたかったのだろうが、私には「絵」に見えなかった訳である。絵画化するにはもう一つ何かが欲しく、それが無くちゃ認めないぞ、というつもりはないのだが、動き出しそうな感じがするものだから、そういう形は早く闇に溶かして欲しいと思ったのだな。恐らく「形」の問題だろう。
新平和
烏丸ストロークロック
こまばアゴラ劇場(東京都)
2022/03/03 (木) ~ 2022/03/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
広島発、作演出をストロークロックの柳沼氏に委託した合同公演の格好だが、一言でその特徴を言うならローカルな、リージョナルな、である点。チエ子という老人が介助担当の青年を伴って平和公園を散策しながら、生い立ちから戦争、原爆、戦後を丁寧に回想し再現していく構成。原爆投下、被爆者の存在、非核三原則といった従来全国区のイシューであったものが今、地方の生活圏域から、郷土史的視線から、光を当てられる時代なのだと思わされた。風化の現実を感じる反面、この舞台の目線が持つ強度は、人が想像し得る「時と場所」がある事に拠り、「具体」が持つ底力に釘付けになる。それでいて「抽象」即ち歴史を俯瞰する視野が確保され、安易に物語に回収させず物語を超えて迫って来るものがある。
甘い傷
一般社団法人横浜若葉町計画
WAKABACHO WHARF 若葉町ウォーフ(神奈川県)
2022/03/03 (木) ~ 2022/03/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
5年前龍昇企画で上演された作品で配役も重なっている(7人の内3人)。とは言うものの演出西沢栄治、今回出なかった俳優に外波山文明、藤井びん、様変わりと言える。
コロナの間に様々な描き手が白壁に絵を描き込んだ若葉町wharfの企画公演として、参与の龍昇が持ち込んだと思しい本作には横浜縁りの中山朋文(ヨコハマヤタロウに出てた人ネ)やTOKYOハンバーグ舞台で目に馴染みの小林大輔、若い役は若いのが演じ、オールメイルで女役二人も本域で演じ、しっとりと趣きある芝居であった。個人的にハマったので星5つ。
RENT
桐朋学園芸術短期大学演劇専攻
俳優座劇場(東京都)
2022/02/27 (日) ~ 2022/02/28 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
桐朋学園学生による「RENT」。在学二年の卒業公演でこの大作にどれほど迫れるのか・・客席に座りながら、早くも本作の名曲、名場面の現前を待ちかねる私。
17:30整理券配付開始、番号を呼んで列を作り、順次入場というテント芝居で見かける手順をロビーで行ない、キャストの家族知人や学生ら観客の熱がロビーから会場に満ちている。
18:30開演。バンドマンの入場、声が飛ぶ。楽器のチェック、そしてキャストの入場。ライブの流儀で観客も出迎え、開幕は申し分ない。
終わってみれば、未熟さは多々あれど見事に「RENT」を見せられていた。
Speak low, No tail (tale).
燐光群
新宿シアタートップス(東京都)
2022/02/18 (金) ~ 2022/02/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
幅広い燐光群の作品でもカテゴライズしにくい異色な系譜の中で光っているのが10年以上前、沢野ただし(作品及び本人)に題材を取った『放埓の人・・(長いタイトル)』、これに近い空気を期待して足を運んだ。通ずるものあり(自分の中では)。
戯曲は作家である小沼氏に発注したと言い、観劇後に見たパンフには三作がクレジットされており、あれらは別作品であったと知る。もっとも小沼氏の文章には、坂手氏に渡した戯曲以外にも過去発表した散文や何かまでコラージュされていて驚いたと書いてある。
異なるエピソードが交わらずに並行するが一つの作品として納得させる坂手氏の腕は健在。生起する現象はシンプルだが、多くの要素がひしめき、擦れ合って熱を発している。
不思議の国のアリス
文化庁・日本劇団協議会
ザ・スズナリ(東京都)
2022/02/23 (水) ~ 2022/02/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
流山児委託劇団協公演ちゅう事で、あとCHAiroiPLIN「FRIEND」を痛恨見逃したリベンジ的な意味で、拝見。そう言やスズキ拓郎氏演出の舞台は久々で、氏のエンゲキの「過剰さ」が苦手な回があった事を思い出すが、真逆に絶賛する向きも必ずいて、感性の違いを如実にあぶり出す所が興味深かった事も思い出した。
恐らく「過剰」の理由は、舞踊作品の場合であれば物語の抽象化によって大胆に「抄訳」されるのに対し(上演時間も短くなる)、拓郎氏の欲するエンゲキでは、戯曲に即して進むところへ舞踊の要素が追加盛りとなるため、ボリューミーになってしまう。舞台上の意味的な重複が生じている感じというか。。
ちなみに冒頭は戯曲のト書きにある作者の哲学的な文言がリフレインされる、おかしげなムーブが秀逸で期待感は最大値に。
だが別役実の多登場人物の戯曲(初期作品)を、クロスオーバーなアレンジで通すのは一筋縄では行かない。別役戯曲を「借りた」舞台にはなっても、戯曲そのものの魅力が表現されていたかどうか。。
声から特徴ある丸山厚人は、以前くちびるの会だったかに出演した(共演に確か橘花梨が居たような)時初めて観て、なかなかのインパクト、はまり役(アングラ系?)を与えればいい仕事しまっせな風情だったが今回はどうだったか。装置演出諸々、アイデア豊富で気張っているのに、それぞれが今一つ「活きない」後手に回った印象を残像に残して行くという塩梅で(それがため声量のある丸山氏が悪目立ち?)、ただただ役者たちは走り回り動きをこなし、沈没せずにどうにか航海し終えたという所。
ラストに向かっては紅日女史が長く登場して本領発揮、色彩の統一感が漸く生まれ、「終わりよければ」と相成る。だが肝心の物語の方はいまいち伝わって来なかった。「核が見えない」というのが言い当てているだろうか。
拓郎氏的には、安部公房「友達」の後の別役初期作。不条理劇の土壌を用意したとも見える安部公房の「友達」を、別役氏はかつて詳細に分析して「不条理劇が目指されているのにそうなっていない」(意訳)との批判を展開したが、社会の不条理を映した「友達」(ストーリーがある)と、別役戯曲の構造自体が持つ「不条理」とは次元が違い、要は難しい。・・正確に言えば、私が望む別役戯曲の理想形にするには、難しい。
【2月27日まで上演中】夜を治める者《ナイトドミナント》
お布団
こまばアゴラ劇場(東京都)
2022/02/11 (金) ~ 2022/02/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
このユニットにもやっと初お目見え。予想していたより「演劇」の形をしていた。抽象性との接続は舞台装置、音響、テキスト映写等により風通し良く確保され、俳優の「普通の演技」がそれと対照的に感じさせるが、言葉の正確な伝達を優先しているためか。アート志向や静かな演劇が、台詞を「聞こえなくても良い」くらいの自然主義でやり勝ちなのとは一線を画し、好感が持てる。即ち、議論の前提である明快な自論の提示があり、言葉によるレスポンスが歓迎されている態度が伝わってくる。
対象に関心があって行う意見の交換は、異論を全く拒否しないどころか喜んで受け入れるのに対し、自分が正しかったり優れている事を示したい欲求のために対象を利用し、成果を誇示する一方通行のコミュニケーション(演劇で言えば小難しく批評しづらい作品を作り込んで悦に入ると言った感じ?)では、当然議論は好まれない。
民主主義という制度が利益誘導のための代表を送り込む制度だと理解されている「公共精神の薄い」日本では、「優れた結論を導くプロセス」という最も大事な機能の価値が顧慮されないのと、意味的に通じるものがある。
さて舞台に対する応答は、また改めて。
オペラ『あん』
オペラシアターこんにゃく座
俳優座劇場(東京都)
2022/02/10 (木) ~ 2022/02/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
約一年、待ちわびた舞台。
樹木希林主演の映画を観、ドリアン助川の原作小説を読んで珍しく周囲に勧めたりなんぞしていた作品が、意外にもこんにゃく座のオペラになる。想像もつかないが寺嶋氏に作曲を委託、上村氏を演出に招いた事から本気度が伝わってくる。完全2チーム制、「どら組」の最終日を押えていたがついにその日が来た。
「どら焼き~ いかがで・す・か。」、やる気の無い男の売り声。同じ呼び声のメロディを歌うコロスの中学生らによる、しょぼい店の紹介で笑わせてから、物語の中心人物・徳江さんは早くもやって来る、アルバイト募集の紙をその手に持って。「あまり美味しくないという噂も聞いた」と言って自作のあんを置いて行くがこれが絶品、やさぐれ店長は「このあんこで借金に縛られた生活から抜け出せる!どら焼き屋から解放される!」と夢見顔。「焼きそこない」の皮をもらいに時々訪れる中学生のワカナも味見してびっくり。「でもあのおばあさん、指が少し曲がっていたな。」「気にすることないよ。」「そうだあんこだけ作ってもらおう!」
軽快なこの序盤からこみあげてくる。人生に躓いた店長の千太郎と、母一人の片親家庭の苦労を背負うワカナに、訪問者・吉井徳江を受け止める素地を微かに見出す。二人の何気ないやり取りが静かに、ふつふつと物語を歌い始めるのだ。
創立50周年第2弾の「ドン・キホーテ」(2021)にも、湧き起る憤りがあったが、本作では怒りの向けどころのない内腑を抉る「事実」から、自らの人生の答えをまるで奇跡の賜物のように見出した徳江という存在との、二人の出会いの悦びが歌い上げられる。もちろん徳江の「奇跡」が輝くのは果てしなく長く深い絶望があったからなのだが。そして今尚差別の残る社会への憤りと、無力でちっぽけな自身へのやるせなさに嗚咽する千太郎に自分を重ねている。
詩が好きで国語の先生になるのを夢見つづけていた徳江さんならではの人生賛歌は、ハンセン病(隔離政策)という受苦から生まれ、全ての人間の生に桜の花のように降り注ぐ。明確なイメージを伝える演出、台詞、音楽であったが、今回はもう一つの組(春組)の千秋楽も観るという贅沢をさせてもらった。比較しての感想もいずれ。