ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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The Entertainer ~新しき旗~

The Entertainer ~新しき旗~

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シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2018/03/01 (木) ~ 2018/03/05 (月)公演終了

満足度★★★★

 時は西暦2030年頃、イカマサ博士の発明したタイムマシンで未来へ飛んだ幸音の見たもの。それは変わり果てた東京の姿だった。(志の高さを認めよう)(追記2018.3.4 02:49)

ネタバレBOX

丁度彼女と博士が時間旅行に旅立った日、東京には核弾頭を搭載したミサイルが落ち首都は大被害を蒙った。結果、日本経済は崩壊の憂き目を見た。これを受けて、昭和敗戦の時と同様、宗主国面した大国が、この植民地経営に噛んで来た。無論、彼らはこの「国」と「国民」のことは良く知っているから敗戦直後同様天皇を立て、これも敗戦時同様、駐日大使が中心となって植民地高官と話をつけ、復興の為との名目で贅沢とも言える芸能などのあらゆるエンターテインメントを禁止する法を成立させ、検閲によって弾圧した。
 だが、民衆の心は抑えきれない。隠れて表現行為を行う者達が出現、中でも演人と名乗る劇団は、ゲリラ的に出没しては芝居を演じ、規制当局が出向くと逃げる、という形で公演を打ち続けていた。幸音の辿り着いたのは、この劇団の隠れ家であった。だが、彼女は、大好きだった祖父の死に目にエンターテイナーとしての仕事に関わって居た為会うことができず、エンターテインメントは人を救うことが出来ないのではないか!? との疑念に苛まれ表現すること自体の意味を見失いかけた。
 然し、エンターテインメントが禁止されたことに抗い、命を賭けて戦い抜く演人メンバーやリンダを中心としたダンス&ミュージックメンバー達に、その意味する所を教えられ彼らと行動を共にすることとなる。偶々現天皇の唯一の子が女性であった為、立太子として遇されていたカナコと歌うことを通じて仲良くなっていた幸音達の前に、法を改悪した弾圧サイドの魔手が延びてきていた。隠れ場所を漏らしたメンバーが居たのだ。皆を助けたいとの意からではあったというが、そんなことは言い訳になる訳がない。(これは若書きの甘さとしておこう)他にはタイムパラドクスの処理が拙いことが挙げられる。
 志の高さは評価するが、上に挙げたようなことをキチンと処理することも、今後演劇界で生きてゆく為には必要である。
 一方、表現することを全うしようとする行為は、自由を要求する行為と読み替えることも可能だろう。こう読み替えてみれば、今作は、どんどん為政者側だけに有利な法や状況が創られてゆく現実の日本に対する真っ当な異議申し立てでもあるということが出来よう。
PIGHEAD 蠅の王

PIGHEAD 蠅の王

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2018/03/01 (木) ~ 2018/03/11 (日)公演終了

満足度★★★★★

 原作のLord of the fliesから翻訳タイトルと状況設定という枠組みは借りているが、内容のテイストは、寧ろサルトルの「蝿」に近いかも知れない。(必見 花5つ☆)

ネタバレBOX

状況設定を借りているといっても絶海の孤島に閉じ込められた子供達を描いている訳では無論ない。原作からインスパイアされたのは、人間集団が隔離状態に置かれていること、その結果争闘が生じ尖鋭化してしまうことである。
 描かれる人間集団はサラリーマン。私見によれば、サラリーマンとは、即ち仕事ができるとかできないということより寧ろ人間関係のプロという印象が強い。国鉄民営化辺りから労使関係改悪の縺れ対策として、全国的に用いられた手法が苛めであった。その特徴は端的に言うと、苛めの陰湿化である。結果、親の背中を見て育った子供達が学校で、実に陰湿な苛めを実行することになったのは周知の事実である。
 以上のような社会観察から、自分が結論したのは、内実としては、ユマニスムの伝統を持つフランスで無神論的実存主義者であったサルトルが、その慧眼を以て民衆を含めて批判の目を向けている点が、そして蝿の王たるベルゼブブが人間の影の王として君臨する構造を明らかにしていることが、正しくユマニスムという単語の持つ主要な2つの意味、1つは人間主義とでも訳せようが、もう一つの何が人間かを観察する態度によって冷静に描かれている点である。ラストが読めない訳ではない。然しそれが舞台で視覚化されたことが与える衝撃は震撼すべきものであった。実際、背筋を戦慄が走ったのである。
 脚本・演出の素晴らしさ、隙の無い演技と効果的な面の使用、音響と照明の頗る効果的な使用、機能的な舞台美術がいやがうえにも醒めた緊迫感で迫ってくる。
『戦争戯曲集・三部作』

『戦争戯曲集・三部作』

劇場創造アカデミー

座・高円寺1(東京都)

2018/02/22 (木) ~ 2018/02/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

 “大いなる平和”と題されていることから、陳腐な平和の毒についての記述かと思っていたら、トンデモナイ。(花5つ☆)

ネタバレBOX

第三部も緊張の連続であり、いい意味で裏切られた。
 客観的状況は一・二部と変わらない。何せ核戦争で地球上のありとあらゆる地域が汚染され、人々は被ばくの恐怖と寄り添う形で生きてゆくしかないのだ。動植物の殆どが死に絶えているから、食糧確保も並大抵の苦労でないのは、砂漠化したエリアでの生活が描かれるパートでは同様である。
 第1部では、組織を代表する軍隊の論理を貫徹する為に用いられる論理と組織維持を最優先することを前提とし得る状況の、前提条件が言外に描かれていた。同時に一旦始動した軍が、争闘の論理を、軍の規律を守るという規則の論理にすり替え、他の一切の論理の可能性と考えるという行為を圧殺する模様が描かれた。
2部では核爆発の猛威によって、自らの生と死の判断を下すことすらできなくなった人々や、核爆発は生き延びコミューンさえ作って発見した缶詰を食糧に何の苦労もなく生きていた人々は、新たに生きている人間に接し、幸か不幸かコミュニティーメンバーが死んだことからパンデミックを疑い、境界領域で猜疑心を膨らませ、それによって自滅しかける様を悲喜劇として描くアイロニーパート。
 第3部は、漸く数々の試練を経た後にも生き残った人々相互は、互いに出会うことになったが、個々の自由とシガラミとの葛藤の中で結局何をどのように選ぶのか? という問題に関しては総てを統一的に捉えることのできる論理・実践を見つけ出すことができない、というこれまた皮肉な結末。
だが、如何にも西洋の戯曲らしく、個々人の自由が最優先されてその意味で、救いが無い訳ではない所に救いを見出すことはできよう。何れにせよ、大変な傑作である。
『戦争戯曲集・三部作』

『戦争戯曲集・三部作』

劇場創造アカデミー

座・高円寺1(東京都)

2018/02/22 (木) ~ 2018/02/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

 現代イギリスを代表する劇作家の一人、エドワード・ボンドの戦争戯曲三部作の第一部、第二部である。(花5つ☆)

ネタバレBOX

かつて日の沈まぬ国と謳われ世界の覇権を握っていたイギリスは、多くのエリートが母国を見限り去った後も、それなりの国力を維持し、現在も国連の常任理事国5か国の一つを占めている。かつて支配したエリアへの三枚舌外交などで未だに解決不能な問題の種を播き散らし、キチンとその尻拭いをしていない国であるから、国内でテロを起こされ、テロ対策を名目として様々な軍事行動を起こしたり、軍需産業を維持しているという実態もあって、日本で暮らす我々より遥かに戦争に対する認識がリアルである点に、今今作を日本で上演することの大きな意味があろう。
 戦争を始めるのは比較的容易い。終息させることに比べれば遥かに容易いのであるが、この程度のことも、今の日本人の多くが理解していない。だからネトウヨのような好い加減が流通するのである。
 今回の上演は、卒制という位置づけである。役者陣は皆若いが基礎をしっかり学び、実にいい仕事をしている。身体の用い方は無論のこと、三作全編を通じて一人だけ滑舌(発音が不明瞭・生得的なものでこれを直すとすればそれこそ命懸け)な人が居たがそれ以外の人は皆科白の通りも良く素晴らしい演技であった。
 舞台美術はシンプルだが、効率的・効果的であり、殊に正面スクリーン下に描かれた空景は、照明とのコラボで実に効果的に用いられていた。
 演出もエッジの効いた素晴らしい出来であり、核戦争後の荒廃と僅かに生き残った人々の心理を見事に浮き上がらせている。無論、原作の素晴らしさ、訳・脚本の良さは前提である。
疫病神

疫病神

ピヨピヨレボリューション

北とぴあ つつじホール(東京都)

2018/02/21 (水) ~ 2018/02/25 (日)公演終了

満足度★★★★

 何もかも順風満帆に思えたメグの人生はその絶頂を迎えようといた。

ネタバレBOX

大好きな恋人との婚約も決まり“もう産んでもいい”と内心思えるような幸福が目の前にぶら下がっているのだ。だが、その絶頂期に彼女は、頭痛や軽い捻挫、腹痛やイライラに苛まれるようになる。否、前からそのようなことはあったのだが、殊更それらが気に掛かるようになり、それに応じて仲間や友達が、実は自分を嫌ったり排除しようとしているのではないか? 本当は実力も無い癖に演出家との関係でいつもいい役に就き華やかな役を演じて‼ と妬まれているのではないか? 等々の疑義が湧き彼女を苦しめるのだった。遂にそのヒステリー症状が嵩じて、我を失い大切な人々を攻撃し始めた時、大切な人絡みの推薦もあって彼女は優秀な精神科医の下へ通うようになった。彼女を再生させたのは、まず自分の症状をノートに記し、実際何が起こっているのかを知って、自らの内部を客観視すること。彼女は自分の中にあるトラウマや他者との関係を見つめ直すことができるようになった結果、自らが疫病神であるとの認識から、自分に取り憑いた疫病神と対峙し戦い勝利するに至った。だが、物語はこれだけで終わらない。消されようとする疫病神も自らの精神作用が産んだ歪と捉えた彼女は、遥かに大人になり、疫病神を抱えたままコントロールできるようになっていたのである。
 この過程を歌あり、踊りありという形式で表現、楽しめる。
かくしごと

かくしごと

AiRi演出・振付公演

Half Moon Hall(東京都)

2018/02/22 (木) ~ 2018/02/23 (金)公演終了

満足度★★★★

 振付・演出は1995年生まれの22歳。出演者は6人、白と黒のコーディネイトが基調であれば、衣装の形は自由である。だから、一人一人の衣装は異なる。だがこれでは、表面さえ異なれば内実が仮に一緒であっても問題化しない、という意地悪な解釈すら可能であろう。
 何れにせよ“隠し事”というタイトルはかなりのインパクトを持つ。(追記2018.2.24)

ネタバレBOX

で、肝心の内容についてだが、ダンスの技術は一応合格点。然しながら若干厳しいことを言うと動から静へ移る動作の中で静止ポーズをとる際、キチンと静止できる人は非常に少ない。プロを目指すのであれば、こういう点でぶれない所まで体を鍛えておかなければ話にならないのは無論である。
 ラストに近いパートで3人が各々、目、耳、口を手で塞ぎ、見ざる、聞かざる、言わざるを演じ、2人が拘束され、捉われたり・何らかの行為を受ける役を演じ、残る1人がマジョリティに紛れ込むことで己を消し“我関せず”という姿勢を演じるのだが、このパフォーマンスは強烈である。
真に苦しんでいる人々に対するシカトは、日本人の本質的特性だからである。無論、自分は絶対的安全圏に立った上で、気の毒な方々に対して援助を惜しむようなことを日本人はしない。然しながら、少しでも自分自身にマイナスになると考えると上記のような態度で臨むのが日本及び日本人の本質であろう。この点に対して恐らく殆ど無意識に創られたこのパートが鮮烈な光を放っている点が興味深いのである。
『RUR』

『RUR』

「戯れの会」

学習院大学西1号館特設劇場(東京都)

2018/02/22 (木) ~ 2018/02/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

 原作はチェコの作家・ジャーナリストとして活躍したカレル・チャペックが1920年に発表した「RUR」初演は1921年である。

ネタバレBOX

元々労働や賦役を意味する“robota”というチェコ語から語末のaを取り除いて創られた造語で、これが現在のロボットという言葉になったことでも有名な作品であるが、興味深いのは、現在我々がロボットという言葉からイメージする金属や超合金、歯車や様々に組み合わされた駆動装置とコンピュータは、今作のロボット概念とは全く異なるという点である。寧ろここで描かれたロボットはフランケンシュタインやその後医学分野で発展するDNA操作などによって創造される“生体”としてのロボット(ヒューマノイド)なのであり、その目的は安くて合理的な労働力の供給である。
 極めて重要な点は、この“生体”としてのロボットが、人間をして正しく生き物としてのロボットという認識に至らしめることである。今作でロボット解放を提案するのが、母性を持つ人間の女性であることは極めて示唆的であるといわねばなるまい。また時代的にも近い1926年の映画フリッツラング監督の「メトロポリス」が、極端に機械化された社会に於ける搾取される労働者階級と資本家というテーマの作品を描き、女神が労働者の救世主として描かれていることも考え合わせると極めて興味深い。
 また歴史的事実に即して言えば、10月革命以降、実権を掌握したボルシェビキが1918年~干渉戦や内戦を何とか終息させ22年ソヴィエト連邦を成立させるに至った。
 世界初の社会主義国家誕生のみならず第1次世界大戦が勃発して長い戦争の時代が続いた後、世界は再編されるに至ったのでもあり、極めて変動の激しい時代であったということができる。それまで支配的であった為政者の顔ぶれも大いに変わったのである。恰も現代の価値観の大変動に拮抗しているかのごとく。
舞台『想咲の結』(そらのむすび)

舞台『想咲の結』(そらのむすび)

ヒエロマネジメント

ウッディシアター中目黒(東京都)

2018/02/20 (火) ~ 2018/02/25 (日)公演終了

満足度★★★★

 娘2人、息子1人の5人家族。父は工場勤めの工員でいつも作業着を着ていて授業参観でもこの服装で来るので娘は恥ずかしくて堪らない。(追記2018.2.24)

ネタバレBOX

おまけに運動会では、大声で応援団式のエールを送るのだ。姉の優花は成績も良く、しっかり者だが心臓が悪い。何時も姉と比較される次女・志織は矢鱈と反発、長男でサッカー好きの浩介も距離を置いている。思春期の難しい子供達を抱えた母は、何かと口やかましい。父はそんな母の気持ちと子供達の間に立って、わりに呑気な風を装っているが、家族思いの優しい父である。こんな、どこにでもありそうな一家に訪れた姉、妹の尖鋭な対立。弟の問題行動、母の癌死を通して家族の絆、再生が描かれる。
 さて優花は、大学を諦めて就職した。自分の医療費が家計を圧迫してきたこと、弟妹の進学を考えるなら自分が働いて少しでも彼らの将来の為に軍資金を調達しておきたいことなどである。更に母はとても大切なことを亡くなる前に話していた。それは、優花は、血の繋がりが無い子であるということだった。父には、絶対内緒と言われていたことだが、志織の反発や浩介がサッカーを止めて荒れていたのは、単に自分が花形選手ではなく、そう言う事が分かったら、自分の居場所も失くして暴れていたのだと悟る。そして改めて顧問に再入部を申請した。
 一方優花は、心臓ドナーが現れる可能性の低いこと、求婚者の父が主治医で医者として何時発作を起こして死ぬことになるか分からない娘を、それがどんなに良い子であっても息子の嫁としては迎えられないと強行に反対されたことから、愛する者の為に身を引く決意をするが、工員である「父」が主治医に命を張って懇願した為、もし育ててくれた父に何かあった場合、ドナーとして彼の心臓を移植するという約束をしており、交通事故で亡くなった為、父の心臓を移植、適合性は高いだろうと判断されていた通りであった為、オペは成功、目出度く求婚者の求めに応じることになるという結末。
 牽強付会だとの批判もあるかも知れないが、人間関係の基本にある不信とそれを解きほぐす恐らく唯一の感情である愛情を描き、涙を誘う作品である。
search and destroy

search and destroy

うんなま

王子小劇場(東京都)

2018/02/17 (土) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

 演出手法がユニークだ。

ネタバレBOX

現在の日本で暮らす若者の心象風景が見えるような設定が、ストーリー展開からも、衝立に張られた様々な単語から強制される体制的イデオロギーや方向付けからも見て取れる。
決して荒々しくはないが真綿で首を絞めつけ、逃れようともがけば、反抗的と目され、人々の目の届かぬ片隅に追いやられた上、反抗の根を絶つ迄陰湿極まる苛めや扱いを受ける。これが、この植民地の実体であり、為政者及びその取り巻きは、宗主国の顔色を窺ってばかり、結果宗主国の意を忖度して、自らの本当の主人である「国民」の窮状には一切顧慮せず、かつての発想同様一銭五厘で使い捨てようと日々邁進しているのである。
その結果多くの場合、反抗しても糠に釘、暖簾に腕押しという鵺のような社会へのふがいない蟷螂の斧に終わらざるを得ないような、腐敗臭すら防臭した底なし沼がそこかしこ・至る所にその暗渠の大口を開いている。
一方体制側は、膨大なフェイク情報を流し、ファクトを告げる者達にはその職を干して口を封じ、嘘と無責任で世情を覆い尽くすと共に、大手メディアに対しては甘い汁を吸わせることによって大本営発表だけを配信させる。つまり真に必要な情報を隠し、偽情報の大津波を浴びせかけることで“恰も「自由」を享受する社会に生きて居ながら情報に溺れて正しい情報にアクセスできないだけだ”とのスタンスを作り上げ操作することができる為政者サイドは、翻弄された大多数からの・翻弄された末に痛い目を見た主体として、エポケーに陥った若者達からの異議申し立てを受けることになった。例えその異議申し立てが、既に言葉にもならない、呟きにも満たない亜語であるにしても、彼らは社会的存在であることを殆ど止めることによって、この異議申し立てを完結するのである。極めて鋭くアイロニカルな作品。
川、くらめくくらい遠のく

川、くらめくくらい遠のく

ムニ

新宿眼科画廊(東京都)

2018/02/16 (金) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★

 ある街に住む普通の人々の起きてから寝るまでの日常を、唯淡々と抑揚を押さえた棒読みのような発声と単純な動作の繰り返しで延々と描く作品。

ネタバレBOX

その余りの非演劇的表現によって一体何を否定したいと願っての表現なのか? という単純な疑問が湧いたので、帰宅後、入場時に貰ったメモに記されていた制作過程を見ることができるというURLにアクセスしてみたが指定通りに入力したURLは存在していないという以外の情報は得られなかった。
 以上の条件でつらつら考えてみると、否定的に表現したかったもの・ことがあるとすれば、それは、この余りにも凡庸な日本の庶民の持っている存在自体の腐敗だという考えが浮かんだ。日本人は内側から腐っていて、既に自力で回復することはできず、それを望んでもいないということだとも取れる。だとしたら、この先に待っているもの・ことは唯一つ、滅亡である。
 
テンペスト

テンペスト

劇団つばめ組

シアター風姿花伝(東京都)

2018/02/15 (木) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★★

 この換骨奪胎ぶりをどうみるかで評価が大きく分かれよう。(花4つ☆追記2018.2.24)

ネタバレBOX

 開演前の前説が結構変わっている。翻訳物の難しさ、即ち各言語の単語レベルに於けるコノタシオンについての説明があるのが面白い。コノタシオンとは、単語が内包する意味内容のことである。同じ単語がいくつも意味を持つ場合、この各々の意味の総てがコノタシオンの内容であるということだ。今作のタイトルで言えば“テンペスト”という単語は嵐と訳されることもあれば、大騒ぎ、バカ騒ぎと訳されることも在る訳だが、日本語では一語でテンペストの持つ内包を表す単語が存在しない。そこに翻訳の難しさが存在し、原文の持つニュアンス総てを翻訳し切ることはできないというのは、このようなことである。このようなことを、前説仕立てで説明すると共に、原作の換骨奪胎を宣言してもいる訳である。
 実際に演じられた内容を観ても、この解釈は変わらない。
 原作の内容については、述べない。そも演劇に興味を持つ者にとってシェイクスピアは、小田島さんの全訳を含め、少なくとも翻訳では全巻読んでいて当たり前だから、粗筋などは述べない。
 ナポリ王、ベニス大公の因縁にプロスペローとエアリアス、王子と大公の姫との恋等々を交えつつ政治の持つ本質的瑕疵としての裏切りや権謀術数、権力争いの趨勢などと共に、それらが収束する形として相互認知と信頼・融和が対置されていることにも注意したい。これは、単に観客に対して作家が作劇術として選んだハッピーエンドというより、このような方法でしか人間社会の健全は保てないという原作者・シェイクスピアからのメッセージかも知れない。
耳障りなシンフォニー

耳障りなシンフォニー

tYphoon一家 (たいふーんいっか)

新井薬師 SPECIAL COLORS(東京都)

2018/02/17 (土) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★★

 父の遺言(リヴィングウィル)によって脳死判定で生命維持装置を外すことに同意した兄弟・姉妹5人が集まった。

ネタバレBOX

セットは、病院の待合室といった風情。ソファの左右に椅子が若干並べてある他、ソファ前には小振りのテーブル。
 背景には背景が透かし見える幕。ここからピアノの音が聞こえるが、それは彼らの父親が良くピアノを弾いていたことに内容が密接に関連するからであり、このことがこの物語で重要な役を果たすからである。(因みに電子ピアノは生演奏で設定上はピアノバー)
 日本は、常に先頭に立つことを嫌う官僚たちの小賢しい判断の為、唯一の原子爆弾による被爆国であるにも関わらず正しいことを積極的に推し進めることができない「国」であるから、リヴィングウィルについても本人の生前の意志を尊重できない。オランダなどヨーロッパ先進国と比して雲泥の差がある。然しながら高齢化社会は否応なく進み逆三角形を為す人口構成の中、植物人間化した親族を養わねばならぬ残る家族の負担は増大するばかりである。人倫の問題については聊かの議論が必要でるが、家族の気持ちの問題は、家族自身が判断すれば良い問題であって、国家が判断すべき問題ではあるまい。こういった現在進行中の実際問題にも目を向けさせる作品である。
 この一家、母が早くに亡くなっていて一番年上の長女が母代わりを務めてきた。年齢的には次が長男、次男、次女、末娘である。長男が、一番だらしが無く家業のワイナリーを継いだものの倒産寸前迄経営を悪化させた挙句、逃げをうったためずっと他の兄弟と会わずにきた。その穴埋めをしたのが、銀行勤めを止めて兄の代わりをした次男である。次女は売れない陶芸家と結婚していて、美術品ギャラリーを経営しており、陶芸家は妻に食わせて貰っているので、長女には受けが悪い。末娘はTV局のアシスタントディレクターである。
 兄弟間のいざこざは、いつも肝心な時に嘘を吐き逃げてばかりの長男を、父の生命維持装置を外す日とはいえ、何故呼んだのか? に対する紛糾と次女夫妻の経済問題、母代りに皆の面倒をみて来た姉の揮う強権に対し、各兄弟が選んだ人生についての鬩ぎ合いを通しての現状理解と納得が得られる。この間兄弟間の紛糾に何くれとなく関与しモデレイトするのが、唯一の他人である陶芸家である。彼の介在もあってラスト、父の大好きだった曲が皆を一つにする。
皆殺しの天使

皆殺しの天使

“STRAYDOG” Seedling

ワーサルシアター(東京都)

2018/02/14 (水) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★

 ストレイドッグとワーサルシアターの提携公演ということだ。ストレイドッグサイドは、若手の出演である。最近若い人たちの舞台に多く登場するのがダンスシーンなのであるが、殆どの場合、このシーンと物語の間にダンスシーンがなければならない必然性が無いのが実情である。今回の作品もこの例に漏れなかった。

ネタバレBOX


 ドラマツルギーに対する否定的な態度を鮮明にし、今迄の演劇理論に対する批評として機能している訳でもない。何ら必然性の無いこのような手法は感心できない。今回のダンスシーンは、レディースで踊り自体はかなり上手いだけに残念である。ダンスシーンを入れるなら、シナリオレベルで踊りが必然的に必要になるシチュエイションを設定するか、メタ演劇としてこれまでの演劇手法を批評するような視座をキチンと提示すべきであろう。
 弱者に対する温かい視座はグー。例を挙げれば、外国人差別やジャピーノ(ナ)に対する差別を糾弾している点などである。今作に登場するバーの店主が娘として育てているジャピーナが、オーディションで自らの生い立ちから来る実母の国への憧れと戻りたい希望を述べるくだり、よりましな暮らしを求めて借金をし日本へやってきたものの、借金を返済する為に体を売らされている麗花の魂の底にある可憐と純情は心を撃つ。それらを理解できる日本人が実は詐欺まがいの男であるという点も素晴らしい。
 これに対するに警察の対応は、法的には理解できても根本問題を解決する為に用いるべき方法でないことは明らかであり、掛かるが故に、弱者がヤクザの支配下で呻吟せざるを得ないという実情が担保されてしまう。
 このような問題を炙り出してくれた点は評価したい。気に入った役者は、ジャピーナ役、麗花役そして詐欺師役、医者役の4人。
人形の家〜neo TOKIO DOLLS〜

人形の家〜neo TOKIO DOLLS〜

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)

2018/02/16 (金) ~ 2018/02/25 (日)公演終了

満足度★★★★

家出女房はノラならぬオラ。流れ着いたは錦糸町、その名も人形の家なる踊り子キャバレー。ここに流れてくる奴は、皆心に傷持つ者。オラも無論例外ではない。然しながらその傷口が決してその痛みによって焦点を形作らないのも、ここが中心性を喪失しているからだ。華4つ☆(第1次追記2018.2.20第2次追記2.24)

ネタバレBOX

   
 武家社会になって以来、実権は都の遥か東の地に在りながら都は千年以上西に在り続けたという近代以前の長い地域史も関わるかも知れない。この雅な都市に於ける中心性の喪失は、都市と農村という対比の中にも現れているが、二項対立だけで片付くほど単純ではないのは、更に農村部を侵食する空虚を象徴するもの・こととしてノラの借金の原因・パチンコが機能していることをみても明らかである。
 ではこの地域に根付いた空虚を実体化させる為にどのような解決策が、伏線として張られているかについてだ。
 先ずは想像妊娠する才能が、探偵という職業のアンテナとして機能している有明が登場すること。女性であること、即ち子を孕み、産む可能性を通して、未だ定かならぬ未来に対する想像力を否応なく負わされる立場であることが、この空虚を埋め得るものとして提示されていることが大変重要である。
 但し、同じ探偵事務所に所属する助手でレスビアン的傾向を持つ常盤のキャラクター及び、彼女が探偵見習いの蟹蔵というアンチキリスト(ヴァンパイア)に血を吸われる存在である点も見逃せない。而も蟹蔵の自己認識は“死んで埋められてやがて来る甦りを待って、遂に永遠の生を持つに至るだけなら救世主と変わらない存在だが、時折血を啜らなければならないマイノリティー”だ。だからヴァンパイアではありながら、噛まれた人間が総てヴァンパイアになる訳ではなく、実際常盤は永遠の命を授からない。(これには中心性の喪失という命題も関わってこようが)
 無論ノラの新たな恋人として浮上する鞠男が、キリストを暗示し、彼との新たな恋を通してノラの新生をも示唆している点も、空虚に対するアンチテーゼとしての人々の念を集約する結節点を構成している。
 同時に錦糸町の全生物体系の頂点に立つ、No.1ホスト生島と人形の家No.1絵島が、仇花世界の住人同士であるに関わらず“マブな恋”をしていることも。この意味する所を正確に理解し支える人形の家のママ、ローズが存在していることも極めて重要である。
また、非人間性の極北たる大銀行の突撃隊長であったサラ金大手・武不死メンバーが、法改正の煽りを喰らった為とはいえクライアントに対して軟化した態度で接している点にも注意したい。無論、不死の文字が社名に入っている以上表層の変化をそのまま受け取る訳にはゆかないが、社長の不死丸がコートの下は裸同然の姿で登場する点、探偵達のクライアントである点には、人情という被膜が貼られて目くらましの役割を果たしていることも見逃せまい。
 即ち、錦糸町という街が空虚の入れ物として機能する都市であり、この空虚を埋める為にこそ踊り子キャバレー“人形の家”の面々、錦糸卵のホスト達、武不死メンバー、そして実体である地方を象徴する、オラの元亭主・兵米が登場するのである。
 今作が、小劇場演劇としては極めて珍しく二幕物である点も示唆的ではないか。一幕での空虚は、蟹蔵に血を吸われた一夫は永生を得ること、新たに街を仕切ろうとする輝彦や牡丹がスマホを用いSNSを機能させて集まる理由を純血などでは無く、不安だとその真を抉り出して見せていること、更に頂点に立つ者が時として実際に用いる支配術“気まぐれ”と“見せしめ”によって恐怖を植え付け、怯えさせることによって縛りを掛ける術といった誰にも分かるリアルが嵌め込まれている点も見逃せない。無論、有明が想像妊娠ならぬ想像出産までして虚を実数化している点も見逃すことはできまい。(数学に出てきた虚数を考えてみること)

跡 2018

跡 2018

世田谷シルク

BUKATSUDO (横浜市西区みなとみらい2-2-1 ランドマークプラザ B1F)(神奈川県)

2018/02/13 (火) ~ 2018/02/15 (木)公演終了

満足度★★★★

 殆ど科白のない舞台公演だ。

ネタバレBOX

科白はオープニングで東女人物がポリフォニックに己に起きた事柄を語るシーンのみである。その後は、終演までの総ての時間、影絵、身体パフォーマンス、音響効果、照明で綴られる。科白が無いから、当然、複雑な事象を表現することは端からできない。このような形式を選んだのは、字幕を読む煩瑣な事象を避ける為だと言うが、創作者たちは、最終的に演劇を選んでいるのかパフォーマンスを選びたいのかに関わる選択なので己の実存を掛けて先ずはやること、目指す方向を今の内に決めておいた方が良い。言うまでもなく創作の世界は才能の弱肉強食の世界である。今更言うまでもないこのようなことを俎上に載せざるを得ないのは、表現の可能性を自ら狭めているように思うからである。
 演劇関係で多くの実験をやった人の中で一般人の間で寺山 修司ほど著名になった人は、この数十年で彼一人だろう。彼は、基本を演劇と映画に置いていたように思う。そしてその可能性を引き出し得た人だったからこそ、これだけ知られており、ファンも多いのだろう。作品も古典的手法を駆使したものから、シュールレアリスティックな手法を用いた物、常識外れの発想によって既成概念を震撼させたものなど強いインパクトを与えるものが多かったが、その根底には、ロートレアモンを彷彿とさせるようなラディカルな情念が蜷局を巻いていると感じさせ、見る者を誑かす計算と醒めた目が働いていた。それが、彼をして人間性の内に潜むダークなもの・ことを表現に高める契機を与えたのであろう。
 然しながら、今作の作家にはそのような深みを予め感じない。このような立ち位置からでは、センスの良さで勝負する他あるまい。あとは、子供のイマジネイションを刺激し共に楽しむ世界であろう。作品を拝見すると、当初の予想が一切外れなかった点が気に掛かった。海外とのコラボを容易にする側面がある反面、以上のような懸念を払拭できるだけのスタンスを確保するなり、何をどのように目指して表現してゆくのかを若いうちに考えておくことも有益であろう。初めて行った会場の作りは建築としても一時流行った配管などが露出し、天井裏丸見えの様式で、このような作品にはお似合いのスペースだったし、色調ベースが白で統一される中、椅子と机ばかりが塗料を塗らない生の味を活かしたものであり、衣装も一部ナマハゲをアレンジしたような古層が飛び出すなど面白いのだが、これらの要素総てが各々抽象的であり、観客の理性に訴えても感情や情念の深い所には作用しない。おまけに脚本そのものが、総ての要素を集約させ、カオティックになった世界から本質を取り出すような作業を一切目指していないので、後々残るものが無い。今後長く創作活動を続けるのであれば、こういった事柄にもコミットしておかなければ、世界に一時出ても残ってゆけない懸念が残る。
沈黙の音

沈黙の音

演劇企画アクタージュ

参宮橋TRANCE MISSION(東京都)

2018/02/15 (木) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

 初めに、タイトルに含まれる矛盾に興味を惹かれた。

ネタバレBOX

作品の内容を拝見してこの矛盾に合点がいった。実際、埴輪雄高ではないが”不合理故にわれ信ずという態度は、表現することを職業としない人々が犯すことの多いミスや、表現する者に於いても拘りが強すぎて本人が矛盾に気付かず表現してしまうこともあろうし、現実自体が矛盾に満ち満ちているから、それをそのまま形にしてしまうと、正確ゆえに矛盾するという事態が起こる。このように矛盾は、真を求める者にとっては題材の宝庫なのである。今作は、先ずこの点に着目して入っていることからして、力のある作品である。
 初日が終わったばかりなので、サスペンスの内容について余り細かいことはここでは記さないが、二転三転どころではなく容疑が次々に湧き、その一々が追及される構造になっているので緊迫感が途切れず楽しめる。
 尺も80分程度で良く纏まっている他、ラストに掛かる歌がSound of silenceでタイトルと呼応している点も洒落ている。
葵上~源氏物語より~

葵上~源氏物語より~

演劇ユニット 金の蜥蜴

ブディストホール(東京都)

2018/02/14 (水) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

 年一度の公演を続ける金の蜥蜴の本年度公演だ。生の和楽器演奏が入り、舞台を盛り上げてくれるが衣装も豪華である。演劇用の特別仕立てのものもあるが、形は正絹の十二単である。目方もかなりのものだ。ものの本によるとあの時代、女御、更衣らの着ていた十二単の重さは十四、五キロあったという。当然のことながらそんな重い着物を着て何時も姿勢を正して居た訳ではなく、プライベートな時間には寝そべったりしていることが普通だったという。

ネタバレBOX


 何れにせよ、今とは相当異なる意識を持った時代であったことも事実である。出掛ける時に方位を気にしてみたり、もののけを恐れたりなどという感覚は現代人には殆どあるまい。どだい闇の消された時代に生きている我々にとって深い闇の体験を持つ者は極めて少なかろうし。夜の闇の中、山歩きをした経験を持つ者などほぼ絶無だろうから。
だが、今作を観る者は、このような闇が例え貴族という上流階級にも日常であったことに思いを馳せなければならない。ま、一般教養として源氏物語を読んでいるのは当たり前のことだから、内容をくだくだしく説明することはしない。今作でも葵上と六条御息所の関係及び源氏が真に心を惹かれていた実母桐壷に生き写しの藤壺との関係については、原作通りキチンと押さえられているし、賀茂の祭りでの牛車の事件なども上手に表現されているばかりではない。生霊となって葵を恨み夜毎現れて苛んでいたものの、殺すには至らなかったものが、呪い殺すに至る決定的経緯がこの事件だから、極めてドラスティックに描かれている。このくだりで能の手法と身体的挙措が用いられているのは無論偶然ではない。能で用いられる音響も含め、ワキ、シテ、ツレなどの役割や、その描く世界があの世とこの世の対比であることや、物狂いの世界であることと密接に関連しているのだ。
 無論、式部の描いた源氏物語の本質、即ち人間存在の不如意と女性・男性の本質、人として在ることの寄る辺なさ故の哀しみと孤独、そして恋に身を焦がす業の深さと己の業の深さを断じようとする人としての意識の葛藤を、極めて端的にそして煌びやかに表現している。場面、場面に応じて演奏される篠笛の音、鼓の音や発声の素晴らしさも劇にのめり込ませてくれる。
『タバコの害について』ほか1篇

『タバコの害について』ほか1篇

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2018/02/13 (火) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

 これだけの難物を見事な舞台に昇華している。華5つ☆

ネタバレBOX

 チェーホフが晩年迄の16年間に何度も推敲を重ねた作品「タバコの害について」を見事に、そして忠実に、而も当意即妙に立体化し得た舞台だ。換言すれば人生そのものの精緻で正確であるのみならず、的確な見取り図である。夫と妻という社会的・人間的そして獣的相互関係は、同時に知的・生理的・社会的・文化的敵対関係を包摂しつつ、同居する。生活という自由を蝕む不気味と共時的に。目には見えず、音も立てずに忍びより、あくび一つで世界を丸ごと呑む。この恐るべき侵食を講演という形を採ることによって顕現させ、その内実を脱線させることで、子を為させ家庭という牢獄に夫を縛りつけようとする妻という存在の本質が夫に求めさせるAnywhere out of the world.を描いている訳だ。無論、こんな男女のどのような組み合わせにも等しく襲い掛かる老いについても、この作品は、見事で全く余計な要素のない筆致を用いて描いている。
 極めて深く、微妙で本質的なこの難物を見事に読み込なし、味付けして提示した今回の舞台。ほろ苦い大人の、切実で深い本音を紡いで見事である。演じた益田 喜晴さんの作品解釈の見事さに裏付けられた演技の深さ、表現技術の素晴らしさも見所である。
 チェーホフの「タバコの害について」は、1902年の作品だが、夢現舎の「たばこの害について」は2018年の作であり、煙草に漢字を当てていないのは、外国人であるチェーホフ作と夢現舎作を一目で見分ける為であろう。公演では、第一部で夢現舎のオリジナル作品「黄金時代(仮)」から一部抜粋し今公演の為に短編に改編された2018年作が使われている。(最終行、当パンをほぼ踏襲して作成)
 因みにたばこ平仮名版では、男女の関係のうち男はアートと作品化する為の自由を得ているのに対し、同居女性は、彼の世話を焼き、身の周りのことを総てこなしている生活に縛られているのに、妻にもなっていないことから来るストレスを抱えており、このことを対立軸として芸術と芸術家、そして生活が、彼らが浴槽で飼っている獰猛極まる魚と捉えられているが、実はかなり臆病なピラニアに仮託されつつ描かれ、本編の前座という構成で本編とは対比される内容になっている点は流石である。而も本編は一人芝居であるのに対し、こちらは二人で演じられ、子供が本編では女の子ばかり7人居るのに対しこちらは零である点も興味深い。このように全体として対立軸を用いる構成も演劇的であり的確である。無論、本編にも出演する益田さんの相手役をしている三輪 穂奈美さんの演技もグー。
旗裏縁-本能寺異聞-

旗裏縁-本能寺異聞-

ThreeQuarter

萬劇場(東京都)

2018/02/10 (土) ~ 2018/02/12 (月)公演終了

満足度★★★★★

 「敵は本能寺にあり」今更言うまでもない、明智光秀謀反の号令として知られるフレーズだが、今作通常の歴史的解釈とは異なる解釈で成立している。ちょっと尺は長く140分程度と当初言われたのだが実際には150分超。

ネタバレBOX

だが一瞬も集中を途切れさせることのない舞台になっていたのは、脚本が良く練られていることと、主要登場人物に対して我々が何となく抱いているイメージを作品内の登場人物に上手く重ね合わせて不自然な感じを持たせないこと、役者陣が基礎をキチンとこなしていることが伝わる演技・滑舌の良さに加え、登場人物が26名と非常に多いにも関わらず、各々の動きをキチンと計算して配剤した演出の上手さ、音響効果を充分に考慮しつつ観客を引き込む技術の巧み、照明とのコラボ他、脚本自体がセンチメンタリズムを排することで戦さの酷さをキチンと最後まで過不足なく伝え得ていることが大きい。
 実際にはどのように各登場人物を造形していたかについて、具体例を挙げておこう。信長の性格については極めて合理的で奔放、進取の気に富むというイメージがあると思うが、これを天下布武をその合目的性とし、戦世を終わらせる為に頂点に立った人間として描くと同時に、極めて優れた想像力と聡明な頭脳により他人の気持ち、行動を的確に予測した上で行動する人物として描かれ、而も権威だの伝統だのが非合理的であれば歯牙にもかけぬ人物として描かれる。
 また、油断のならぬ信長を相手に間者を用いて、天下布武をサポートしつつ、己の目指した世界の実現へ着々と歩を進めてゆく秀吉の抜け目のなさ、耐えに耐え、義に殉じ武士としての価値観の下に自己実現を図ったしたたかな家康、知的で家柄も良いのだが、愚直な郷土愛を大切にするが故に乱世の価値観を根底では容認しえぬ優しい側面を持ち、かかるが故に戦の酷さを容認し得ぬ光秀といった具合である。
 無論、他の登場人物それぞれがキャラの立った科白で脚本化されると同時に演じられていることから分かるように、演出の力、演技力も並大抵ではない。
 またこの小屋、劇場前方の席には段差が無いので、後列に腰かけた観客は見切れが起きやすいことを踏まえ、殺陣の多い作品で役者達には足腰に負担が掛かって大変なのだが、舞台中央から上手にかけて階段を付け、上がり切った所を踊り場にして観客から舞台が観易いように配慮してあるばかりでなく、小道具の使い方もグー。タイトルにも大いに関係してくる各武将の旗が、象徴的に軍の動きを示したり、どの武将が、どのようにプロットに関わっているのかを無駄なく表現していた。裏回りのスタッフたちの対応も優れたものであった。
 

必殺!道化危好~ジョーカーキッス~

必殺!道化危好~ジョーカーキッス~

劇団零色

新宿スターフィールド(東京都)

2018/02/10 (土) ~ 2018/02/12 (月)公演終了

満足度★★★

 寄合がセリに掛けるのは依頼された件、仕事の依頼は基本的に殺人である。

ネタバレBOX

これを殺し屋達が落札して、各々の件を片付ける。但しセリの形は通常とは逆で、最も高い値が最初に付けられ、その値を下げてゆくことで成立している。当然利益は薄く下手を打てば赤字、而も内容を一旦見てキャンセルをすれば組織によって始末される。これがお約束である。
 ところで、腕っこき4人の殺し屋集団・カゲロウはこれまでしくじりもなく、組織からも他の殺し屋グループからも一目置かれる存在。現在のメンバーは4人だが8年前には5人だった。リーダーが消えていたのだ。現在、その経緯を知っているのは、ショウだけである。だが、彼は実際何が起こったのかを、語ろうとしない。
 リーダーの失踪を巡る謎解きをメインストリームとし、サブにビジュアル系ガールズエアバンド・堕★天使’sを巡る因果を軸に展開する。恋が絡み、母子家庭問題が絡んで物語は展開する訳だ。
 今回が6回目の本公演であるが、メンバーが皆若いことからくる経験不足、即ち基礎力の不足からくる演技自体のイマイチ感。脚本が受けを狙って本筋に太く強い背骨を描けていないこと及びショウが8年間も真実を明かせなかった理由が、描かれた程度のことだというのは理由として弱すぎるという印象を持たざるを得なかったのは、描き方にも問題がある。夾雑物が多すぎるのだ。文章を書くとは、余分なものを削ることでもある。また秘密裡に人を消すことがプロの条件であるハズの殺し屋達が、サイレンサーを付けない銃を発砲するなどあり得ない。この点を見逃す演出の甘さは拭えない。一人だけ役をこなしている役者(カゲロウ・スナイパー役)が居たが、他の役者は、己の明確なヴィジョンを持った上で、役を創り表現しているとは思えなかった。良い役者というものは、板についた時点で、その佇まいを通して人間が生きて在ること、観客に役の持つ位置・意味あいを悟らせるものである。まだまだ若い人ばかりの劇団なので、今後しっかり力をつけ、良い舞台を作って欲しい。現状ではまだお勧めできるというほどの力を持っていないが、熱気は伝わってきたので頑張って欲しい。

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