ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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the Code

the Code

FUTURE EMOTION

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2015/12/03 (木) ~ 2015/12/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

おもりょい!
 タイトルからすっかり暗号物と思っていたのだが、やられた。

ネタバレBOX


 本筋は量子コンピューター開発である。量子コンピューターの噂くらい聞いたことがあるかもしれないが、自分も門外漢なのでさっぱり分からないか、と覚悟していた。だが、多少科学的なセンスがある人なら、科白の中に説明が入っているので、それを聞けば本質は直ぐ掴める。実に面白い。知的緊張とハッカーとの対決や、部内にスパイの居る可能性、内調が実は何を何故狙っているのかという科学研究者としての倫理と名誉や金、社会的地位との天秤問題など、実際に最先端技術分野では必ず起きてくる問題が配置され、良く調べ、考えられたシナリオにセンスの良い展開の演出、役者の演技も適度な愛嬌や適確な役作りでキャラが立っている。コンピュータお宅、太田役の野田 孝之輔、チームリーダー白井役の瀧澤 知恵の演技が気に入った。
手のひらを 透かしてみれば

手のひらを 透かしてみれば

企画室磁場

小劇場てあとるらぽう(東京都)

2015/09/30 (水) ~ 2015/10/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

アザデガンとアフガン戦争の本当の意味
 このタイトルでピンとこないようでは、いかにも日本の政治音痴ではある。だが演劇は無論政治ばかりではない。先ず、舞台美術のセンスの良さに驚かされた。椅子が天井から斜めに吊り下げられている。その間にフィラメントが透ける電球がほぼ等間隔にたっぱ位置をずらしつつ規則性を持って吊り下げられている。板上には、矢張りバランスを考え抜いて何気に置かれた椅子など。

ネタバレBOX


 商社勤めの恩田は、シャッター商店街化した地域の活性プロジェクトに関わり、抜群の距離感と庶民性を装う巧みな力で関係する企業からの信頼も得ていた。彼の会社で唯一気の許せる同僚は、金栗である。金栗は、良く彼の住まいも訪ね、彼女との関係についてもよく知る。信じられないことだが、社会人としてできた稀有な友人である。恩田の彼女は、普通の子。彼との結婚を望んでいる。恩田も、本気で考えている。
 一方、恩田の上司である海野は、安倍商事のエネルギーを担当するエリート部署の次長で、恩田に目を掛けている。だが、彼が中心になって進めるイラクのプロジェクトでは、安倍商事の出資金が英国に本社を置くTTKシステムズの関連企業、ICH社という軍需産業を中心に発展してきた企業に流れているという噂があった。金栗は、真実を確かめ為、資料を集め、疑義を直接海野に糺す。海野は一応淀みない答えを返すが、事態は悪化する一方だ。(初日が終わったばかりなので、ネタバレはここまで。以下蛇足)
 当然のことながら、現政権下の不甲斐ない我々の異議申し立てと、某アメリカのパシリでしかない安倍の暴挙を批判的に作品化しているのだが、アザデガンにしろ、アフガン戦争の本当の理由にしろ、某アメリカはバカな国であるから、力だけで押して、結果的に世界をテロの横行する、中国に漁夫の利を与えるなど、アホなアメ公にとって、自らの地獄に近い世界に変えることによって安心を得るという非常に歪な形にしてしまった。当然のことながら、現在、ヨーロッパなどに押し寄せている難民の85~90%は某アメリカが引き受けるのが筋である。だって、某アメリカこそ、彼ら難民を生み出す原動力なのだから。因果応報は当然のことなのである。彼らが例えどんなに独りよがりに神に選ばれた国の国民だなどと抜かそうが関係ない。神とは、彼らが信じたがっているように総てを創った造物主などではなくて、人間によって作られたイマージュに過ぎないのだから。彼らの論理の根拠そのものが嘘なのである。
 
後ろの正面だあれ!

後ろの正面だあれ!

椿組

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2013/02/27 (水) ~ 2013/03/05 (火)公演終了

満足度★★★★★


 この公演にも亜空間、亜時間が成立している。開演早々、雨音を背景に座敷童子と見まごうアマノウズメが、坐って黙ったまま小さく四角い物を長い間覗き込んでいる。

ネタバレBOX

 観客はこの時点で、長い間(ま)に込められた手管に掛かる。嫌でも応でも、想像力の総てを注ぎこまざるを得ないからである。結果、現実と異界の間に引きずり込まれる。それは、誰もが持つ幼少期の、神話的・御伽的時空の追体験だ。
 ここは、明日取り壊される家で、兄弟5人全員が集まることになっている。ところで、集まって来た兄弟が其処で発見したのは、古い写真だ。ウズメがずっと見ていた物である。観客にはウズメがずっと見え続けており、彼女の妖精的な世界は観客と共にある。亜時間・亜空間を追体験しているのであるから、当然だろう。
 一方、役者陣には、ウズメは見えない設定だ。無論、アメノウズメは日本書紀に登場する女神であるが、天の岩戸を開かせたことで、芸能の神としても祭られているのはご存じだろう。役者や演劇関係者は総て芸事に関わる者だから、ウズメは、芸能の神としても、初脚本、初演出の出し物を寿いでいると考えてよい。但し、この劇の中では、座敷童子の役も担っていると考えられる。
 何れにせよ、観客は特化された時空体験をしており、とても不思議なテイストなのだが、心地よい。友達と悪戯をし、遊び、喧嘩をしたりしつつも何時も一緒に楽しく過ごしたこのユートピアのような世界は、ウズメの過ごす時間としては非常に短いにも関わらず、子供達は大きくなり大人になってちりじりばらばらになってしまう。ウズメの寂しさはいかばかりであろうか? 何より、この充実し楽しく夢のような世界は、1964年のオリンピックを境に急激に変化して行く。日本列島改造計画が実行され、それまでの自然な河川敷や海岸は悉く失われ、しもた屋はみるみる消滅、代わりに高層ビルが林立するようになる。道路・ハイウェイの整備の名のもと、子供達の遊んだ道路が、空き地がどんどん無くなっていった。声高に叫ばれる文明批評など何一つ語られないこの作品の、鋭く激しく、根底的な批評が素晴らしい。
 また、いつも無駄を省いて本質を掴んだ舞台美術を作る加藤 ちかさん、センスの良さが光る振付のスズキ 拓郎くん、ラストの素晴らしい効果を盛り上げた諸子、自然な演技で臨んだ役者陣、シナリオ・演出も巧みである。座長の独特のリズムも、勘を得て良い。

心中天網島

心中天網島

遊戯空間

上野ストアハウス(東京都)

2015/10/29 (木) ~ 2015/11/03 (火)公演終了

満足度★★★★★


 近松門左衛門の心中物の中でも最高傑作の誉れ高い今作であるが、義理(人が人として守るべき人倫の道)と人情(例えば恋、己の理性で律すること能ぬ本能の齎す欲求)の機微を、これほどドラマチックにまた悲劇的に同時に美的に描いた作品は古今東西実に稀である。(追記は文化的なレベルで述べる。前段はここまで。追記2015.11.1午前3時)

ネタバレBOX

だからこそ、日本のシェイクスピアとも評される、近松作品の心中物の中でも最高傑作との評価が為されるのであろう。まあ、一般受けする評価などはハッキリ言ってどうでも良い。問題は、観た自分が評価できるか否かに掛かっているからだ。結論から言えば、自分は高い評価を下す。現代日本との直接的関連性を演出家が直接的に意識しているかと問われれば、その点では若干弱いと思う。だが、今作を今、掛けることを選び取った嗅覚ともいえる感覚は確かなものだと思うのである。
愚衆ならいざ知らず、現代日本を単刀直入に見る目を持つほどの者ならば、日本がアメリカの植民地であることくらいは自明であろう。そして植民地として収奪され、誇りを奪われ、奴隷ですら持ちうる反抗の自由・権利を奪われて唯々諾々と従っている体たらくを情けないと思わぬ者は居まい。
近松の生きた時代、国と言えば各藩の領内、そして各藩を統べるのは、徳川幕府であった。して、徳川幕府は何をやったか? 儒教のうち朱子学を幕府御用の哲学として採用し、以て人倫を支配、各藩が持つ軍事力に対する抑えとしては武家諸法度・参勤交代を加えた。天皇家を中枢とする公家に対しては禁中並びに公家諸法度を用いて縛り付けたのである。無論、江戸時代の人口構成の90%以上を占めた庶民からは、総ての有効な武器を取り上げて反抗の為の道具を奪い、豊臣 秀吉の検知以降、人民の所在を明らかにすることに努めたのみならず、538年に伝来し国教ともなっていた仏教のイデオロギー的側面を骨抜きにし、ここでも御用宗教即ち御用哲学と為して、檀家制度の元、人別帳の徹底化・人民支配に利用したのである。百姓が、人口の90%以上を占めた時代の実態は、水呑み百姓が大多数であり、長子相続という形式を守ってさえ食うや食わずの生活であったから、その生活の悲惨は、容易に推察できる。最も端的にそれが分かるのは人口の増加率によってである。1603年から1868年迄の増加率を観てみれば基本的なことは足りる。私見によれば今に至る日本人の畜生根性は、太閤検地によって人別帳を明らかにされ、刀狩によって反抗の為の手段を奪われた民衆が更に徹底的にイデオロギー的にも宗教的にも為政者によって収奪された江戸時代の簒奪によって完成されたと思っている。即ち人民は、数百年、馴致の歴史を持っているということだ。
当時の世界の識字率の平均と比べて圧倒的に高い日本のそれは、この人口増加率の低さに矛盾したデータとして現れるのだが、そのことの意味する所が、今作の眼目でもある。
 江戸時代の日本語と三味線(中竿)、横笛、琵琶、太鼓、拍子木などと南京玉すだれのような形態のもっと重い木で作られた自家製の楽器などが用いられ、日本音階で奏でられるメロディー独特の声調とメロディアスな楽器としてのみならず、リズム楽器として用いられているのではないか(西洋の笛では殆ど考えられぬ)と感じられるような横笛の、空気を切り裂くような用い方が、時空を断ち切り、並行的な楽器のコラボレーションというより、輪唱のようなコラボレーションになっては、観客のイメージの中でいつか輪廻転生をも感じさせる。それが、今作にも表れる仏教観とも繋がり音楽と文学と哲学が微妙に折り重なりながら共鳴し合う。
 一方、ここには、道行以降異様に美しい日本語表現と共に、所謂封建制度下での制度的束縛より、人倫に悖るか否かの、即ち人としての倫理(義理)と恋(人情)に引き裂かれ苦悶する2つの実存の、深く切り裂かれた傷口から見える底知れぬ奈落へ、支えもなくずり落ちてゆく苦悩と共に、蟷螂の斧のように振り上げた反抗の意図もほの見えるようではないか。殊に五障の障りがあると山に入ることを禁じられる立場であった女性の小春が簡単に死ねないのはとどのつまり詰め腹を切らされるのが力の弱い女性であることの反証のようにも思えてならない。この辺りにも演劇の科白を単に意味を伝えるだけの記号ではないと捉えている演出家、篠本 賢一の姿勢が込められていると観た。
 無論、自分のように様々な理屈を持ち込む必要などなく、素直に様々な要素の輻輳する演劇のダイナミズムを楽しんでもらえれば、それで本質は掴めるように作られた舞台である。

ダイニングトーク

ダイニングトーク

T1project

小劇場 楽園(東京都)

2014/04/29 (火) ~ 2014/05/06 (火)公演終了

満足度★★★★★

何度も観たい
 T1プロジェクトからは多くの役者たちが巣だってきた。今回もAmour,Bague,Croix,Diamantと4組が、同一作品にチャレンジするが、自分はCroixチームを拝見した。主宰の友澤氏の作・演だが、彼のセンスの良さと物語を紡ぐ能力の高さ、そして演出の巧みによって、若い役者たちの才能を引き出している。

ネタバレBOX

 なお、ネタバレに関しては近日中、以下のサイトにアップするので、興味のある方は見てほしい。http://pubspace-x.net/pubspace/ペンネームはハンダラである。
グレイな世代 黒とシロ&IN廣島 紐育に原爆を落とす日

グレイな世代 黒とシロ&IN廣島 紐育に原爆を落とす日

獏天

Geki地下Liberty(東京都)

2015/07/28 (火) ~ 2015/09/14 (月)公演終了

満足度★★★★★


 日本で戦中核開発に携わっていた人物としては仁科博士が良く知られているが、今作の主人公は同じく物理学者の彦坂博士である。未だ、アインシュタインやオッペンハイマー、ボーアも原子核の正確な構造を見抜けなかった時代に彼は、その構造を見抜き、原子爆弾を作ることが出来ることを見抜いていた。早く出過ぎた大天才であった。

ネタバレBOX



 近い所で言えば、南部さんレベルかそれ以上の頭脳の持ち主であったと考えられる。彼は、欧米の熱狂するウランではなく、トリウムの研究をしていたと言う。何故なら、膨大なエネルギーを生み出す原爆を作ってもそれを制御できる技術が確立出来た後でなければ、そんな物を作ることが人類の未来に禍根を残すと考えていたからである。軍部の度々の核爆弾開発強制にも断固として首を縦に振らなかった彼の親族もまた、戦争の中で殺されてゆく。優秀な愛弟子も、婚約者を原爆で殺され、少ないウラン燃料を用いてどのように起爆させるかに気付き、陸海それぞれの最も優秀な飛行機乗り達にその方策を示し、奪われたテニアン上空での原爆爆裂を画策するが。
 彦坂博士は、己の研究者としての倫理を賭けて、軍への非協力を貫いた。何故なら、日本が核で応戦したら、負の連鎖が起こり、世界は終末への加速度を益々早めるからである。
 非常に重いテーマに真正面から取り組んだ快作。戦争の酷さを描きながら、技術はどうあるべきか? を深く問い掛け考えさせる、現在の核政策の問題点をキチンと炙りだした作品。彦坂博士役、和興の熱演が特に気に入った。
わかば

わかば

うさぎストライプ

アトリエ春風舎(東京都)

2016/05/01 (日) ~ 2016/05/09 (月)公演終了

満足度★★★★★

渇きと乾き
 独特の乾いた感覚処理が良い。

ネタバレBOX

また、ここで描かれている登場人物たちの背景に広がる世界が、実にグロテスクなものであるらしいことを感じさせる点も良い。実際、我らの生きている状況はグロテスクそのものである。文部科学大臣が大学の自治を否定したりhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201603/CK2016031502000125.html、環境省が、核の塵を一般塵として処理する法律を作ったりhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201604/CK2016042802000267.html、自由を否定し、民衆の為の報道を力でねじ伏せるべく総務相がメディアを恫喝しまくる。http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201602/CK2016021002000126.html。要は、地球上の総ての生命に対する冒涜である行為、即ち放射性核種をばらまく愚か極まる下司が支配者であるという現実。これがグロテスク以外の何だと言うのだ!! 社畜と言われてへらへらし、血税を宗主国であるアメリカに収奪されながら、喜んで尻尾を振る奴隷根性の塊、それが日本人(・・・)だろう。
 とはいえ、今作で以上のことが直接描かれている訳ではない。ただ、歪んだ人間関係の発露が、極めて効果的に描かれているだけである。登場人物は2人。タイトルの“わかば”は登場しない。実際にわかばが(居る・居た)のかどうかさえ定かでないように組み立てられた作品だ。自分は、既に彼女は死んでいると解釈した。というのも、登場する人物の1人である男は、わかばの主人、そしてもう1人はわかばの妹と名乗る女であり、彼女は戻らない(・・・・)姉の代わりに、姉との約束(・・)を守り続ける義兄と、終には子作りの行為をし妊娠するのだが、男は生まれるのは娘だと言い張り、その名を“わかば”と命名する。
先代わかばは、子作り行為の前にDVを揮われることを要求し、その後行為に及んでいたのだが、恐らくはその暴力が、先代わかばを死に追いやったのである。無論、殺意があった訳ではなく、過失致死だろう。だが、殺してしまったからこそ、代理である妹(・)の妊娠した胎児に姉と同じ名を付けることによって再生を図った訳だ。一方、先代わかばにも奇妙な傾向があった。夫が外出して仕事をすることを禁じ、上半身をぐるぐる巻きに縛って食事の時さえ腕の自由を奪うと共に、真っ赤なハイヒールを寝る時さえ履かせて、2人で始めていた社交ダンスの練習を強制したりもしていた。夫は、部屋に居ても受注できる仕事しかさせて貰えず、1日中、閉じ込められている訳である。だから、真っ赤なハイヒールを履いた状態で足を使ってパソコンを操作している。で、子作り行為の前には必ず、暴力を揮うよう強制されていたのである。このような歪の生まれる背景として自分が想像したのが、上に書いた事柄と言う訳だ。観客の想像力を信じた、面白い作りである。そして恐らくこの作品の成功は、この登場人物たちが抱えている心の・魂の叫びとしての渇きの切実な苦悩すらも、作家によって砂漠の砂のように太陽に灼かれる物として描かれている点にある。その視座の適確、乾きの距離とでも言うべき隔たりによって、対象化されている痛さこそが挙げられよう。
韓国新人劇作家シリーズ第二弾

韓国新人劇作家シリーズ第二弾

モズ企画

タイニイアリス(東京都)

2013/11/27 (水) ~ 2013/12/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

メタ演劇
 上演回によって、演目が異なるので、よく確認のこと。

ネタバレBOX

罠 
 閉店間際に飛び込んで来た偏執狂的な客と量販店のカメラ売り場店員、店長、警官を巻き込んでのファルス。客の職業は弁護士だが、デートの約束がある女店員を相手に、来店の目的を一言、箱の表記と中味が異なるので交換に来た、と言えば済むものを、交換に来た、とだけ言うものだから、店員は、当然、商品に不具合があるものと考えて、その点について質すと、言い方に難癖をつける、人権問題だと食って掛かる、おまけにパソコンで確かに、この客が、昨日、この店で、この商品を買ったことなどを確かめただけなのに、48回分割払いにしたことについて、個人情報収集に当たるのでは云々を言いだす。総てが、こんな調子なので、偶々、戻って来た店長と対応するが、一々、文句をつける態度は変わらない。終に堪りかねて警察に連絡、警官が来るが、、その時、強盗だ、と言って警官を呼んだことに対する抗議は延々と続き、20時少し前に来た客は0時を回り、朝を迎えるかも知れない状況で、互いのバトルが繰り広げられる。店側の反撃は、客が店長と女店員の写真を撮ったことを肖像権の侵害、と言う、それに対して客は、客が、カメラテストの為に、撮影をしたからと言って店員の肖像権が成立するのか、と反論する。或いは女店員に対するセクハラ容疑写真についても、幕切れで反論を始める。
 この作品の基本はファルスなのだが、受賞作となった原因は、このラストが、ホラーに転化し得ているからだろう。余りにもくどい、店員たちへの顧慮等一切ない、偏執狂的言質で、一般人を追い詰めてゆく弁護士より、観客は、店員たち、警官を気の毒に思って観ている。つまり観客のメンタリティーは、一般人に同情的なのである。だが、その彼らが漸く手にしたかに思われた勝利は、弁護士の反論によって覆されるかもしれない、という所で幕を下ろすことによって、ファルスはホラーに転化したのである。
 更に、俯瞰的に見てみよう。作る側と観客とのオルタナティブな関係が、演劇を成立させることに思いを馳せるならば、作る側はこのメタ作品を呈示することが役割、一方観客はこの構造を見抜き、再びファルス次元に戻して現実に戻るのが、役割だ。即ち、作る側の提示した作品と観客とが想像力の綱引きをすることによって、劇場を後にすることが出来るか否かをも問い掛けているだろう。そのように知的なゲームであることによって、今作は、喜劇たり得ているのである。
ピクニック
 年老いた母は、アルツハイマーを発症している。彼女は、娘を1人産んだが、その潔癖症と神経症的傾向から、娘の行動範囲を厳密に結界で区切り、自由を奪って育てた。その潔癖症は、1歳になるかならぬかの娘が、食事を食い散らげることをも許さない有り様。おむつにする排泄物に関しては、推して知るべし、である。その娘も子を産んだ。自らの経験に内心我慢ならない娘は、自分の子を自由に育てたいと望む。従って結界を設けない。漸く、立ちあがってよちよち歩くことができるようになった頃、子供は、海へ行きたいと願う。ピクニックである。3人は連れだって海辺へ出掛けたが。アイスクリームを買いに行った娘が戻り掛けると、子供は、海に面した弾劾に向かってゆく。老母は蕎麦に居るが。アイスクリームが溶ける。若い母は立ち尽くす。
 この時の経験を巡ってアルツハイマーを発症した老母と若い母とは、延々と過去と現在を往還する。その束縛と自由への憧れ、起こったはずの事実と事実を認識する狭間での乖離、互いの認識ギャップと認識主体の崩壊過程に於ける不如意を、聖職者の着るちくちくする着衣のような老母の編み物と若い母の悔痕の情・母性、客観的なもの・ことを総て曖昧化してしまう老母の妄想を、蝋燭の朧げな光でないまぜにし、想像力の時空へ誘う金 世一の能を意識した演出が巧みである。また、文字を打ち出す時のスタッカートのような切れ、雷鳴、子供が操り人形で表現されている点にも注目したい。映写シーンで糸の絡まる人形の大写しが映し出されるが、このシーンの象徴性にも着目すべし。
帰還

帰還

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2013/05/31 (金) ~ 2013/06/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

観るべし
 坂手演劇の特徴の一つに、その劇空間を通常あり得ない出会いの場として構築してゆく、ということがあろう。今回もその手法は健在である。メインストリームとしては川辺川ダム建設問題をモデルとし乍ら、GHQによる農地改革と積み残し、六全協以前の日本共産党の活動及び挫折を経た組織の自己批判や路線変更。組織とタイムラグのある、地下に潜った活動家及び家族の実態、支援者と活動家などの諸関係を通じ、組織的論理の援用で民衆を評価した活動家は、支援者に対する倫理的裏切り行為を為したのではないかなど、深く本質的な問題が、鏤められている。と同時に、第二次大戦敗戦以降、完全に実質宗主国となったアメリカと被植民国家、日本の間にある歪んだ関係等々が、緻密で重層化した織物として編まれている。

ネタバレBOX

 この作品の優れている点は、以上に挙げただけでも非常に本質的で、未解決な問題を提起している点ばかりではない。坂手自身述べているように、これらの事象を歴史上無かった形で再結合し提示して見せている点である。“五木の子守唄”で知られるこの界隈、川辺川ダム建設(これについては多くの報道、書物などがあるのでご存じの方も多かろう)の推進派、反対派の二項対立という単純なレベルに物語を収束させず、農地改革の矛盾や、その本質としての、農地の世襲問題、言い換えれば、長子相続の伝統にあぶれた二男、三男などの農家の子供達と時代の産業との密接な関係を炙り出しているのだ。これと軌を一にして“五木の子守唄”を挿入し、その意味する所を語らせることによって、地主三十三人衆と小作人との関係をさりげなく示してもいる。五木村に関して言えば、鎌倉時代に迄遡ることができるし、江戸時代の無宿人狩りなど時代劇にも良く出てくるテーマは、農家の二男、三男など長子以外のなれの果てであることを思い起こすならば、時代、時代で彼らが社会参加した形まで射程に含めることのできる想像力の核を埋め込んでいる。言う迄もないが、今でもその流れは続いている。サラリーマンにせよ、工場労働者にせよ、或いは他の勤め人にせよ、多くの労働者は、農村からあぶれた者であることは、言うを待たないのだから。
 一方、物語としては、ダム建設に反対の立場を村民に執らせた本人は、「平」とされており、五木村創設の為に鎌倉幕府が送り込んだ三十三人衆の敵、平氏一門の末裔を想像させるであろう。そして、民俗学で言われる稀人との関連も直ぐに見えてくるはずである。その彼が、共産党の地下活動家として描かれている点も、注目して良いかも知れぬ。何となれば、この「国」に於いて真に革命的な者は、土にしかその活動領域を見出せないからである。平は、村に滞在した2年の間に山間の農業を振興させ、農作物を育てる為の水を村民リーダー達と共に確保する。
(追記後送)
美しい日々

美しい日々

TEAM 6g

萬劇場(東京都)

2015/08/26 (水) ~ 2015/08/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

花五重丸
 三拍子揃った素晴らしい劇団を発見した。笑いも随所に織り込みながら、オープニングからラスト迄、一貫して程よい運びで否応なく観客を虜にしてくれる。

ネタバレBOX

信の構造
  基本的に舞台は終始病院の相部屋で展開する。相部屋に同居しているのは、自称ミュージシャン、ピザ屋のバイトで生計を立てている岩瀬、岩瀬といつも漫才のような口論を戦わせている元甲子園のエースで現在は2軍の秋山。院内で落語をやり、おばあちゃん方に特に人気の守、野球部顧問だが、部員達が万引きを見つかりそうになり、無実の生徒に罪をなすりつけたことを目撃してしまった事実を公表できず、無実の生徒が校舎から飛び降り意識不明の重体となった事を悔い、自らも飛び降りて死にきれなかった直人、そして少し遅れて入院してくるのが、交通事故で怪我を負ったレストラン経営の桃井。彼は事故のショックで一時的な記憶喪失に陥っているが、妻とは離婚前提の別居中で、バイトの春香とできている。
 ところで、この病院には10年前に医療過誤による事件を隠蔽したとの噂があった。然し、証拠は挙がっていなかった。そんな噂の真偽を確かめようと守の落語のファンで弁護士の咲が入り込んでくる。事実は、如何様であるのか? という推理も無論可能だが、今作・この劇団の凄さは、上っ面ではなく、誰しもが抱える葛藤を描いている点である。その葛藤とは、卑怯。単純極まる世界を複雑怪奇な怪物に変えてしまう嘘という罠を拒むことのできない懶惰。一旦、嘘をついたが最後、それを誤魔化す為には嘘をつき続けなければならない、という単純明快な事実を背景にした悩み、と言えば通りがよいか。
 この誰しもが抱える卑怯者の壁を超える為には、自らの未来を敢えて棒に振り、取り敢えず成立している利害という名の人間関係を壊し、たった独り戦わねばならぬ、と皆考える。それで、問題解決の唯一の条件、勇気を挫かれてしまうのだ。この現実をしっかり見据えて描いているに留まらず、その解決法として信を舞台化していることが凄いのだ。この劇作家の深い人間理解と観察力、そして絶望に抗うパースペクティブに、心からなる賞賛を送りたい。また、巧みに筋を配置し構成している演出も、自然な仕上がりに達している。役者の力量も高い。
荒野ではない

荒野ではない

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2016/11/23 (水) ~ 2016/11/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

花五つ星
何と美しく悲痛な!(追記2016.11.25)

ネタバレBOX

青鞜に集まった女性たち、平塚 らいてう、伊藤 野枝ら主幹となった女性をはじめ、野枝の夫となった大杉 栄、らいてうのツバメのオクムラ ヒロシ、女流作家の千代子、跳ねっ返りのコウキチ、天才博徒の彦六、らいてうを支えるトミエ、皆から先生と呼ばれる理解者でもある支援者、イクタ チョウコウらの群像劇。Baudelaireの詩ではないが、人々から石を投げつけられ、唾を吐きかけられてもおかしくない程、時代のそして意識のレベルを遥かに超えていたアナーキーで真摯な姿が伝わってくる秀作。
 青鞜は、100年以上前の1911年9月から1916年2月迄発行された雑誌だが、この雑誌の作・編集部が今作の舞台である。発行しては、発禁を食らい、部数を伸ばすことは愚か、講演を打つことも会場を貸さないという形で禁じられ、剰え為政者のプロパガンダに載せられた民衆から石礫を投げつけられながら、女性、弱者の解放の為に戦った人たちの姿を描いた群像劇である。
 無論、登場する個々人のうち社会的弱者に関しては、より深く描かれている。村外れに住んで居た彦六の父は、中々やり手であった。結果、村の中心部に住む人々よりいい家を建てた。ある日、村の中心部の人間よりいい家を建てたのは生意気だとして、実家を燃やされ、家族を奪われた。因みに村の境界領域に住んだのは被差別部落民であり、これは差別の具体的で的確なイメージであろう。野枝が、この話を聞いて激高し、彦六の家族に仇為したる連中の家々を打ちつけて出られないようにし、油を撒いて火をつけてやれ、と叫ぶように言うシーンなど、その優しさ故の共感と真摯な怒りを突き付けてくる。
 更に、増々右傾化する世の中で、それでも諦めず粘り強くしたたかに生き、己の精神を荒野にせぬよう努める姿勢も良い。
 芝居を観なれている観客にとっては、演出の見事さも、見所である。ファーストシーンなどは、一挙に作品に引き込まれるだけの演出センスを見せてくれるし、シナリオの質も高く、役者陣の演技レベルも高いことは言うまでもない。舞台下手に植物の影がずっと映っているのも、非常に好印象である。弱者の声のように決して強くはないが、普遍的な生命の在り様を示しているようにも感じられるからだ。照明、音響の使い方も上手い。

空想、甚だ濃いめのブルー

空想、甚だ濃いめのブルー

キ上の空論

新宿眼科画廊(東京都)

2013/12/06 (金) ~ 2013/12/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

マンネリ打破(Bチームを拝見)
 「私は大きな樹になります」で始まり、同じ科白で終わるゲームという形式の中で、大筋だけを与えられた役者達が、アドリブで創作して行く、という実験的な手法の芝居だ。

ネタバレBOX

 時折、演出家が、ストップを掛け、ダメダシをして、作品が創り変えられて行く。
 大枠だけ決めてアドリブで作って行くという方法が、一種の緊張感を持たせるので、観ている側も常に、軽い緊張感を伴い乍ら観劇することになるのも心地良い。更に、隋所に役者達の芸質が見える点、演出家のダメダシが、演出プランに組み込まれてメタ構造化している点、その舞台裏を見せている点でも興味深い。
 また、タイトル横の劇団名に“キ上の空論”とあるのは、机と樹或いは木の掛け詞であることは今更指摘するまでもあるまい。この公演では、効果に音楽を一切使っていないが、無論、意識的にである。その代わりと言っては何だが、時間や空間を役者達の発声によって代置してゆくことによって作品のリズムを醸し出している。殊に、3.11直前のシーンでは、暗転し分単位で時を告げるだけの科白の切迫感で、当時の記憶を生々しく再現される。2年前、自分は、川崎のアパートに居たが、あの時の揺れに纏わる有象無象が追体験されるようであったのには、我ながら驚かされた。
 ところで、今作は、キ上の空論初の実験公演であるが、作・演出の中島 庸介君は、リジッター企画の主宰者でもあるので、ちゃんと社会との接点を持つ、このような作品を創作し得たのでもあろう。
 3.12以降のことで言えば、メルトダウンする前の段階で消防車を用いて、1~3号機の格納容器内にある燃料棒を冷却する為に、注水を試みたことがあったのだが、毎時必要な約10tの水に対して75tもの水を注入し続けたにも拘わらず、メルトダウンが防げなかったことの背景にあったのが、机上の空論(複雑過ぎる配管構造を無視した)であったことを思えば、この作品は、この事実が新聞発表される遥か以前に、この事態を予見していたと見ることもできよう。表現というものの持つ力の一端がここに在る。
(参考までに東京新聞の以下のコーナーで関連記事を読むことが出来る)http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013121402000120.html
泥の子

泥の子

劇団 きみのため

劇場HOPE(東京都)

2014/10/29 (水) ~ 2014/11/03 (月)公演終了

満足度★★★★★

デジャビュ
感がある。自分のホントに小さな時、ここ迄悲惨ではないものの、雰囲気は残っていたからだろうか。(追記2014.11.12)

ネタバレBOX

敗戦3年後の東京、ニコライ堂の鐘の音が、響く病院アパートには、大家面した元小使いの老婆が、爆弾にやられたこの建物を人々に貸して日銭を稼いでいた。彼女、爆発で耳をやられて音が聞こえない。然し、その日の宿代の払えない者は遠路無く追い出すという冷静な面を持ち合わせている。中々因業な老婆である。
 現在、部屋を借りているのは、元鬼検事と自称する初老の男、何やら般若心経やら、観音経やらを誦し、鈴を振る。綽名は、先生だ。年齢は初老といった所か。帰還兵も居る。曹長だったとかで、中国大陸では若娘に酷いことをしたらしい。年中魘されている。猫を被ってはいるが、悪には違いない。綽名は復員。シナリオライター志願のヒロポン中毒者、ポン中。血を売ってはシャブを買っている。知識はあるが、ナイーブな男。靴を盗んでは金に換え、何と銀行預金を12万3千円もしているカッパ。自称大地主の息子で農地改革で財産を失った男。凶暴な犯罪を犯すタイプでもないが、ちゃらんぽらんな所もある。因みにカッパはカッパライから来ているのは、誰にも直ぐ分かるだろう。
その他姉弟が1組。貧しさから奉公に出されたが、年頃になると、器量の良いことから妾にされた。そんな暮らしが嫌で飛び出した後は、ストリッパーやパンパンをしながら中学生の弟を養って来たが、学の無い娘に他にどんな仕事があったというのだろう? それでも、弟に悪影響を与えられないと売春を止め、バーで女給として働くことで何とか身を立てていたが、彼女の美しさが仇を為した。チンピラヤクザにヤサを見つけられ、レイプされかかった際に、聞き及んだ居たヤクザの顔役の名を出して撃退したことから、このヤー公のレコにアヤをつけられた揚句、ヤー公から焼きが入ってレイプされた。おまけに、唯一の夢であった弟のマーボーは結核性の病に倒れて、薬の手配もままならない。唯一、治療に効果のありそうなペニシリン注射は1回1000円もする。薬代を稼ぐ為に再びパンパンに身を落としたが、名前を使った件に関してのレイプを1回で済ませ、シャブ漬けにもアヘン漬けにもしなかったのは、彼女の気性をヤー公が評価したからだった。然し、目を掛けたスケが誰彼構わず股を開いたとあっては、このヤー公の顔が立たねえ、となって2度目の焼きを入れられた訳であるが、本人は出張ってこない。手前のバシタのやっかみが怖いということもあるだろう、格好をつけて舎弟と例のチンピラを寄こした。舎弟がこのチンピラ命じた為に、この間のカラクリがばれていたこともあり、チンピラにも焼きを入れられる始末。
 それでも、鶴は弟の前で、金の心配をさせまいと「人気のある踊り子だから金は手に入る。心配はない」と嘘をついていたのだが、姉の不自然な態度をいぶかしんだ弟に質問されて、事実は、元パンパンの同僚、トンボの口から漏れてしまった。父と同じ病に罹ったと知っている弟は、父が患ってからの母の苦労を思い出し、姉の負担をいやがうえにも想起させた。優しい弟は終に自殺してしまう。
 弟を大学へやって世間を見返す為もあって、男断ちの誓いを立て、被ってきた泥を清めたハズの鶴であったが、レイプされて穢れ、たった一つの生きる目的・希望であった弟に先立たれて、ショックの余り床についてしまった。
 鶴の看病をしていたトンボは、就職してマッポになったを幸い、カッパを逮捕した復員に2万で手を打ってパイにして貰ったが、復員のあくどさはこんなものではなかった。復員が2万どころか彼の通帳を狙って首を絞めて来たので、反抗して自分も復員の首を絞めたが、気付いた時、復員の息は無かった。それで一旦、ヤサへ戻り、看病の為に其処に居たトンボを復員から奪ったワッパで拘束してトンコしてしまった。
 畳の上で往生したがっていた先生は、本当は鬼検事などではなく、主人家族を殺した殺人犯で、空襲で務所に火が回ったドサクサに紛れてトンコした脱走死刑囚であるとホントの事を話し、穏やかに息を引き取る。この辺り、最終的に、ホントのことを誰かに聞いて貰いたい、という人間実存の欲求を示してリアルである。
 一方、鶴は思うのである。死刑囚が観音に願って願いを聞き届けられ、畳の上で穏やかに死んだのに反して、苦労しかしたことのない姉弟が、人としての尊厳を踏みにじられたのみならず、最愛の者を奪われ、友人を失い、惨めさに泣くことさえできぬような苦悩を負わされる。そんな、神や仏とは何か!? と問う鶴の叫びは悲痛である。
 そして、このような叫びは至る所に在った。井上 ひさし作の東京セブンローズでも描かれていることであるが、戦い破れ、武器を取り上げられてしまった男なんぞ、何の意味もない。実際、戦後のどさくさに家族を守ったのは、女性達である。パンパンを余儀なくされた者もあったであろう。女を武器にした者もあったであろう。然し、現実に、戦前の飢饉や戦費調達に実質的に大いに貢献したのも女性の力が大きかったことを考えれば、売春をしていたからと言ってそれだけで彼女達を非難することは過ちである。からゆきさんの墓は、墓碑銘が総て古里に背中を向けていると言う。それだけ深い絶望を彼女らに味あわせたのが、我々の過去なのだ。そして、この過去を我々は未だ引きずっている。何故なら、既に多くの日本人がこの過去を忘れ、嘗て、売春婦を嘲ったように現在も差別し続けているからである。自分は、故あって無神論者である。然し乍ら、死者に対する冒涜とは、忘れ去ることであることぐらい知って居る。そして、忘れ去るとは、儀式化も含む。死者は、我らに、我らが生々しさを以て感じ続けることを要求するのだ。
 今でも、劇中のトンボの科白「自分は汚れている」という深い心の傷を抱える女性は多い。実際に、そういう傷を抱えながらも立派に社会復帰を果たし、他の人の面倒も見たりしてしっかりした生活を送っている方も多いのだが、また、知的職業に就いて、良い仕事をしている方もいるのだが、彼女達の心の傷は生涯癒えない。それでも、生まれてしまった彼女ら・我らは、誰しも自らの傷を生き延びねばならない。今作は、そのような覚悟の作品である。
 因みに神も仏も疾うに死んでしまったが!!
注:トンコ 脱走、逃亡のこと。
  シャブ 覚醒剤
  レコ 女
  バシタ ステディ
  パイ 釈放
  ヤサ 家、住まい
  ワッパ 手錠
  マッポ 警察、警官
バグダッドの兵士たち

バグダッドの兵士たち

ピープルシアター

シアターX(東京都)

2015/11/18 (水) ~ 2015/11/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

役者の身体能力・鍛錬に注目
 初演は5年前であった。あの時よりずっと真に迫ってくるのは、日本の右傾化・軍事化が着々と進み、直ぐにでも日本人がここで描かれているような体験をしなければならないということに現実感が伴うからだろう。
 宙空に設えられたヒジャブをつけたイスラム女性の後ろ姿のようなオブジェや、上手・下手などに矢張りヒジャブを纏った黒衣の女性が立つのも、殺人者そのものである米兵を追い詰める民衆の影の圧迫感を表して効果的である。また、役者たちの身体鍛錬の見事さも素晴らしい。彼らのプロ意識に敬意を表する。また本日19日マチネ公演後と明日ソワレ公演後には来日している原作者のマガノーイのアフタートークがある。これもお勧め。(追記2015.11.20:02:43)

ネタバレBOX

 ここで描かれている米国人は、兵士であるが、イラク戦争時、最悪の行動をとっていたのは、無論、傭兵である。彼らは人を殺すのが楽しみと考えているとしか思えない。女性をレイプし、人々を拷問に掛けて楽しんだ挙句惨殺していた。代表的なのは、ブラックウォーターの傭兵たちである。無論、傭兵の方が悪いことを平気でするのには、訳がある。国軍の兵士は、ジュネーブ条約などで禁じられている行為を為した場合、戦争犯罪を犯したとして軍法会議にかけられ処罰される。だが、私兵である傭兵にはこの懸念がない。今作で一般市民を殺した兵士達が処分を気にしているのはこの為である。単に、人間として悩んでいるだけではないのだ。
そもそも、人間として悩むくらいなら、兵士になるかならないかのレベルでもっと深刻な悩みを抱えているだろう。そんなことも想像できない知的レベルにアメリカの大衆が置かれていることの意味する所を考えていないのは、当しく現在の日本の大衆と変わらない。そして、この程度の頭脳では、たかが貧乏程度で、己の魂を売ることに大きな抵抗はないのだ。考える人間なら、貧乏を恥じることはない。恥ずべきは魂の弛緩であるという程度のことには気付く。この程度のことを自分の頭で考え実践することもできない連中は所詮、人間らしい生き方など望むべくもないのは当然のことだろう。
根本的な問題として、アメリカ人の誰がISの行為を責められるか? 今作でもたくさんイラク人を蔑視した言い方が出てくるが、バカを言っちゃいけない。そもそも大量破壊兵器が無いことを証明せよなどという難癖をつけ、何の罪もないイラクに殴り込みを掛け、残虐極まる攻撃を仕掛けたのは米英である。彼らは新たな武器の宣伝に、古い武器の刷新に、イラクの良質で豊富な石油の収奪に、また軍需産業の儲けと回転に、更には自分達で破壊しておいて建設を請け負うというマッチポンプ収奪迄してきた。イラクの国宝の多くがアメリカに盗まれたのは周知の事実である。にも関わらず、国籍がアメリカだというだけで、彼らはイラク人より偉い、或いは命が重いと考えているらしい。愚か者である。
どういうアイロニーか。今作では、おまけに医者になりたいと言う者が人殺しを生業としているのだ。精神的に穢れていることにも気付いていないかのようではないか? 少なくとも遠い木霊のようにしか彼らの魂には響いていないのだ。そして、心は正常を装っている。何と悍ましい欺瞞であることか! おまけにそれを軍に来なければまともな人生が歩めないせいにしているのだ。よその国に出掛けて行って頼まれもしない人殺しをし、あまつさえそれを正当化する為手前のスケベ根性を丸出しにしていやがる。下司野郎! それがアメリカ人の姿だろう。少なくとも一方的にやられる側からはそのように見られて当然である。
ISが、各地で騒動を引き起こしている。しつこいようだが、そもそもISのような組織ができてしまった主たる原因がアメリカ・英国が中心になって起こしたこのイラク戦争であった。はっきり言って英米はイラクにいちゃもんをつけ、無辜の民を虐殺、レイプ、拷問に掛け恥辱を与え大地を穢した。バクダッドのような人口密集地で大量のDU弾を用い地球の年齢ほどの半減期を持つ放射性核種で汚染した。
無論この汚染に関して国連も英米も知らんぷりを決め込んでいるが、これは明らかな人道に対する罪、戦争犯罪として賠償させるべきである。仮に彼らの主張するように原因がDUの放射線ではないにせよ、重金属毒性の可能性も含めて国際的な第三者委員会による検証が必要である。そして客観的判断で英米のDU使用に非人道性があったと認められた場合、彼らは、国家が破綻しても払いきれぬだけの借財を背負うべきである。当然のことだ。 
殊に副大統領であったチェイニーの悪、ブラックウォーターの創設者、エリック・プリンスらの戦争犯罪は国際的に指弾されるべきである。ブッシュにも無論罪はあるが、彼の最大の罪は愚かであったこと。愚かであり続けていることである。丁度、パシリ安倍のように。
今回の観たいで自分は原作者が殆ど原作を書くためのデータをインターネットで集めた、と書いたが、彼は全部をインターネットで集めたと言っていた。こちらが自分が聞いた正確な話である。観たいでは少し遠慮して書いたのだ。だが、恐らくネットで集めた情報は、一般的米兵の言質に近かったのだろうと再演を拝見して思う。露骨な表現がたくさん出ていることからも、在日米兵から得るデータ・印象からも、非公式な場所でホントに語られていることに近いだろうと思うのである。その生の感覚を吉原さんの見事な翻訳は、日本で暮らす我々にも届けてくれている。この自然な日本語にトランスレイトされた翻訳の、本質の正確な捉え方がなければ、今作は、ここまでキチンと我ら観客に届くことは無かったであろう。
紛争地域から生まれた演劇シリーズ8

紛争地域から生まれた演劇シリーズ8

公益社団法人 国際演劇協会 日本センター

東京芸術劇場アトリエウエスト(東京都)

2016/12/14 (水) ~ 2016/12/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

 年末に上演されるこのシリーズも8回目を迎える。何とも感慨深いではないか。

ネタバレBOX

漸く日本の文化人も何とか世界に目を向けようとする時代にはなったか!? そうは言っても、普段評論が書ける方は兎も角、多くの演劇関係者がイスラムの内実については殆ど何も知るまい。「インシャラー」という科白でフランスのリセーアンが何故笑うのか? この程度の単純なことすら多くの日本人には分からない。更にハラルミートなどの宗教的タブーに関することも多くの日本人には分かるまい。自分は知らぬことを攻撃しているのではない。外部に目を開こうとしない多くの日本人の態度に対して批判しているだけである。既に日本には多くのムスリムが住み、日本人とも接触してきた。にも関わらず、彼らの価値観や人間関係のありようをアメリカ流のバイアスを掛けてしか見ない日本人が多数存在するように思うのだ。無論、そうでない日本人も自分の周りには多いが、日本人全体としてはマイノリティーであろう。
 まあ、ヨーロッパ人は、アメリカの大衆ほど単純ではないからムスリムに対して様々な対応を取るが、それでも“テロとの戦争”を標榜してブッシュがイスラム圏に仕掛けて以来、多くのヨーロッパ諸国でもイスラムフォビアが猛威を奮ってきた。今作の原作者イスマエル・サイディはベルギーで1976年に生まれたモロッコ系の人物である。ジハードは彼の三作目の戯曲である。現在までに205回もの公演が打たれ、観客の延べ人数は7万を超えるが、そのうちの4万人はリセーアンなどの若者である。一方で彼の笑いに富んだ作品は多くの世代に受け入れられているのも事実である。実際、突き付けている問題の深刻さ、鋭さを見事に笑いで緩和しつつ、キチンと問題提起をしている点で彼の優れた才能は高く評価されてしかるべきであるし、自分も原文で読んでみたい作家である。興味のある向きは仏語版を探して読んでみることをお勧めする。自分もこれからちょっと調べて読んでみるつもりである。
夏の砂の上

夏の砂の上

作戦会議

Ito・M・Studio(東京都)

2014/09/03 (水) ~ 2014/09/07 (日)公演終了

満足度★★★★★

ボディブロー
 見終わった瞬間、この作品は、ボディブローのように後になって効いてくるだろうな、と感じた。ただ、これでもかというほど、「なにも無い」日常をくどく描く必要は、ないのではなかろうか? その点だけ気に掛かった。

ネタバレBOX

 蝉の鳴き声が苦痛になるほど体力が奪われる一瞬、ラストシーンをどう解釈するかで評価はガラリと変わる。自分は、2回目の長崎への原爆投下乃至は核の重大事故と解釈した。そう判断したのは、通常なら、戯曲作家が当然、それを題材として、戯曲を仕上げるようなテーマがたくさん挿入されているにも拘わらず、とば口だけ見せて、一切、発展しない作りになっていること。登場人物の喉の渇きが、何度となく描かれていること。水が来ないことが、諦めと共に描かれていること。立山と優子が鏡の破片で光を反射して悪戯をする時、異様な嫌がり方をすること。更に、雨水を「おいしい」と言って複数の人間が夢中になって飲むこと。これは決定的である。また、思春期の優子の気まぐれであるかのような訳の分からない、この街に対する嫌悪も、BaudelaireのAny where out of the worldに匹敵する強さで迫ってくることも。
 我々は広島・長崎で原爆が爆発した後、黒い雨が、凄まじい勢いで降った、という事実を知っている。まだ、息のあった被災者達は、それを命の水のように飲んだに違いない。無論、このように酷く汚染された水を命の水のように飲まねばならなかった被爆者たちの体は、焼け爛れ、皮膚のずるむけになった赤黒い体表からは、血とリンパ液が滴り落ちていた。それ故に、体中の細胞が呻いていたのだ。水ヲ下サイ、と。
 この事実に気付いた時、今作を観た観客は、背筋に慄然たるものが流れるのを感じるであろう。原 民喜の有名な詩を以下に引用しておこう。http://yoshiko2.web.fc2.com/hara.html
水ヲ下サイ
水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ
死ンダハウガ マシデ
死ンダハウガ
アア
タスケテ タスケテ
水ヲ
水ヲ
ドウカ
ドナタカ
 オーオーオーオー
 オーオーオーオー 天ガ裂ケ
街ガ無クナリ
川ガ
ナガレテヰル
 オーオーオーオー
 オーオーオーオー

夜ガクル
夜ガクル
ヒカラビタ眼ニ
タダレタ唇ニ
ヒリヒリ灼ケテ
フラフラノ
コノ メチヤクチヤノ
顔ノ
ニンゲンノウメキ
ニンゲンノ


銀色の蛸は五番目の手で握手する

銀色の蛸は五番目の手で握手する

ポップンマッシュルームチキン野郎

シアターサンモール(東京都)

2013/12/27 (金) ~ 2013/12/30 (月)公演終了

満足度★★★★★

命の輝き
 離島の山奥に不時着したUFOには、臨月の宇宙人が乗っていた。

ネタバレBOX

 彼女は、偶々異変に気付いて近付いた老人に子供を頼み息絶えた。老人は1人暮らしであったから、生まれたばかりの子を連れ、育てることにした。だが、この子は、銀色の皮膚をし、足が11本もある子だった為、村の子達のからかいや苛めの対象になり、一人泣く姿がよく見受けられた。そんな中、村で最も可愛いと評判のハナ子だけは、彼にも優しく声を掛け友達にもなってくれた。そんな彼女の父は、体を壊し寝付くことが多かった。そんな父の快復を願い、彼女は四葉のクローバーを探していたのである。オサムと名付けられた遺児は、彼女と一緒になって四葉のクローバーを探すが、この時には見付けられなかった。そんな山間での学生時代を終える頃、ハナ子は、先輩でサッカー部の主将、皆の憧れの的である池畑と付き合い始めた。オサムは、ガールフレンドとして付き合って欲しい、と思っていたが、あっさり夢は断たれてしまった。
 失意のオサムにおじいは東京へ一緒に行かないか? と誘う。おじいは読者モデルなどをするつもりなのである。始め、島の仲間達とまだ過ごすつもりだったオサムは、飛来したUFOが自分の生まれた星からのものだと思い、生まれ故郷へ帰ると友達に告げ、ハナ子から四葉のクローバーを送られ、皆に挨拶を済ませてUFOに乗り込もうとするが、全然、別の星から来たUFOで相手にされず、じいと一緒に東京へ出る。一方、ハナ子も池畑と共に東京へ出てきていた。彼女は看護師になったと言う。池畑は商社マンで随分忙しく働いている由。
 オサムの手足は8本になっていた。それは、かつてじいが大怪我をした時じいを救い、高熱を出して寝込んだ時に、腕がもげてしまったからであった。以来、じいはその力を使わないよう命じていた。(追記2013.12.31)
 然し、オサムは知ってしまう。ハナ子が決して幸せではないことを、それどころか、池畑はすっかり駄目になっており、仕事もせずにハナ子に春を鬻がせ、自分の子ではないかも知れないなどと悪態を吐いてはDVに走る。ハナ子は終に堪忍袋の緒を切らし、彼を殺害してしまった。その罪を救ったのは、オサムであった。じいに禁じられた不思議な能力を用いて池畑を助けたのである。無論、オサム自身は体調を崩し、現在は世界のトッププレイヤーとして活躍する彼は休場。その後10日間も寝込んでしまうが、漸く何とか昏睡から目覚めた彼の前には、子供が泣くのを、隣室から何度も咎められ、赤ん坊の口を枕で覆って死なせてしまったハナ子の窮状があった。彼は、今回も彼女を助ける。その結果、総ての腕を失い、2本の足だけになったが、漸くキーパーをさせられずに済むようになった彼は、フォワードとして復帰、終にシュートで得点を上げた。
 宮澤賢治の描く「夜鷹の星」などのような純粋な自己犠牲と命の輝きを、切り捨てられた沖縄基地問題や未亡人製造機と揶揄されるオスプレイ強行配備などの対局に置いて痛罵しながら、軽々と高く舞うポップンマップチキンの清々しさよ!! 爪の垢を安倍に飲ませてやりたいものである。
【韓国】第12言語演劇スタジオ『多情という名の病』

【韓国】第12言語演劇スタジオ『多情という名の病』

BeSeTo演劇祭

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2013/11/05 (火) ~ 2013/11/06 (水)公演終了

満足度★★★★★

知的演出
Polyamoryを実践する多情という女性の生き方はMonoamoryが当たり前と考える社会で成立し得るのか? という問いが今作の基本テーマである。実際問題、異性と付き合うに当たって一人と付き合って自分の望む異性像の総てが満たされるということは殆ど無いだろう。あれば、奇跡だ。精神的な部分で相性が良くても、体力、年齢差、身体的相性など、総てが完璧などということは、完全に無いとは言えないだろうが、先ず無いと断言して構うまい。ということは、一見、どんなに不足が無いように見えるカップルでも、1つや2つの相違、行き違い等は、誰しも抱えているのに、総てが満たされるなどということは無い、と皆知っているから妥協しているだけ、というわけだ。

ネタバレBOX

 今作のタイトルは高麗時代に書かれた「多情哥」という有名な詩から取られている。作・演出のソン・ギウンは、謙遜して私的な世界と言っているが、これは、現代だけの問題ではなく、男女間にある普遍的な問題であるということができる。初演は2012年6月ソウル。
 作・演出のギウン本人が、彼役の役者が居るにもかかわらず、作品に登場したり、多情役の女優が二人居たり、多情という女性には、モデルが居て、その女性はホントに多くの男とリアルタイムで付き合っていたり、と。リアルな世界と舞台とが、舞台上で入れ子細工になるとても知的で面白い演出方法で、演劇手法に興味のある人には堪えられない舞台である。
 誰しも嫉妬などの生臭い関係を想起するシチュエイションを救っているのは、ギウンが、恰も社会学の研究者のように多情とその恋人達の関係を捉えようとすることによってである。例えば、factを表にした彼女と付き合う男達のデータ分析である。この表を見ることで、彼女と男達の付き合い方がパターンとして見えてくる。どろどろの関係が、抽象画の面持ちで現れてくるのだ。だが、この知的転換が、多情にとっては、ゲーム的で、対ギウンで愛憎半ばする原因であり、ギウンにとっての救いなのである。
 多情は本気である、と信じている。唯、心の動くままに愛し別れるのだ。だから、変わってゆくと。一方、ギウンは、その知的作業を自らの意識の地平で行う為に、破綻・発狂という事態を生じない限り、己のディメンションを超えることはない。(追記後送)
ドアを開ければいつも

ドアを開ければいつも

演劇ユニット「みそじん」

atelier.TORIYOU(東京都)

2015/06/13 (土) ~ 2015/10/05 (月)公演終了

満足度★★★★★

日本が良く描けている
  シナリオは良く計算され、導入部のアットホームな雰囲気から雨漏り事件を経て、中盤、終盤のクライマックスへ登り詰め、潮が引くように収束部に向かって収斂するという構造。
明日14日が6月の楽日なので本日はこれまで。追記後送にゃ~~~~~~~っち。

ネタバレBOX


 舞台は鳥料理屋二階の座敷である。階段を上がった奥が舞台空間、手前が客席。本物の日本家屋の間取りになっているのが、如何にも自然な感じを齎し効果的に使われている。もとより屋敷内は女性の活躍して来た場所であるから、女ばかり四人の出演陣も自然なキャスティングだ。
 設定を明かすと、実は、母の七回忌を明日に控え、姉妹四人が久しぶりに集まったのである。この集まり方も上手に計算されている。三十四歳の長女は、飛行機で北海道から飛んで来た。彼女は20時過ぎに到着。11歳9カ月で初潮を迎えた娘と男の子が居る二児の母である。迎えたのは現在、父と一緒に暮らしている三十一歳の二女。勤めをしているが、結婚はしていない。暫くすると三女がやってくる。アーティストなのでフォーマルな服装は用意していない。色は黒なのだが、腰には金属製で金色のベルトを巻いている。二十八歳で抽象画を描く美術教師と結婚している。夫は、油絵画家であり、紫に拘っている。服装は、七回忌だし、長女、二女はフォーマルだし、三女はアーティストだから、いっか、という話になった。22時間近になって漸く四女が帰宅。残業が多いのは、無能な上司の所為だ、と嘯く二十四歳。彼女は冬から家出中なのだが、ベッド以外は殆ど荷物を残したままなので、年中戻って来ては必要な物だけ持ってゆく、というちゃっかり娘の甘えん坊だ。四人が揃う間に、こんな具合に其々の性格や職業、現在の暮らし向きや幸せ感などが伝わる自然なシナリオが優れているばかりではなく、各々の個性を活かした演技、演出も勘所を弁えた上でさりげなく振る舞い頗る良い感じである。長女の化粧道具を末娘を除く皆が使ってああだこうだというシーンが入るのも、如何にも女性の暮らし向きが出ていて良い。ひとまず、全員のプロフィールが観客に知れ渡ると、事件が起こる。ところで、今回は梅雨バージョンなので活けてある花は、無論、紫陽花。切り花にするには、どうするかもちゃんと教えてくれるし、紫陽花は、多くの花言葉を持つ花でもあるので調べて愉しむのも面白かろう。因みに部分的に毒も持つ。
 
MID騎士(KNIGHT)ミラージュ

MID騎士(KNIGHT)ミラージュ

無頼組合

シアターKASSAI(東京都)

2015/12/11 (金) ~ 2015/12/14 (月)公演終了

満足度★★★★★

泥臭いダンディー
というのが、このシリーズの本音という気がする。ハードボイルドというより、泥臭ダンディーという方がしっくりくるように思う。その視点で見ると、実にかっこいいのだ。そもそも、泥臭いのにダンディーというのは、語義矛盾である。然し、ここには、それが、絶妙なバランスで成立しているのだと言いたい。
 感心するのは、このテイストでシリアスな内容をよくぞ、ここまで表現したという点である。殊に、遠いところで単に事件として起こったことが、その地域で苦労している人と友人になることで、自分の問題として捉えられるようになるということや、だからこそ、自分で調べ、自分の頭で考えて、自らの行動を自ら選択してゆくという、社会人としての基本を、普通の人間の内側から描いている点に、作家の極めて真っ直ぐな視座を観る。実は、この視点こそ、表現する者にとって最も大切なことなのである。
 背景に描かれた、都会の寂しさを象徴するような美術のセンスも、また、照明によって効果を変える手法も素晴らしい。(追記後送)

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