跡 2018 公演情報 世田谷シルク「跡 2018」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

     殆ど科白のない舞台公演だ。

    ネタバレBOX

    科白はオープニングで東女人物がポリフォニックに己に起きた事柄を語るシーンのみである。その後は、終演までの総ての時間、影絵、身体パフォーマンス、音響効果、照明で綴られる。科白が無いから、当然、複雑な事象を表現することは端からできない。このような形式を選んだのは、字幕を読む煩瑣な事象を避ける為だと言うが、創作者たちは、最終的に演劇を選んでいるのかパフォーマンスを選びたいのかに関わる選択なので己の実存を掛けて先ずはやること、目指す方向を今の内に決めておいた方が良い。言うまでもなく創作の世界は才能の弱肉強食の世界である。今更言うまでもないこのようなことを俎上に載せざるを得ないのは、表現の可能性を自ら狭めているように思うからである。
     演劇関係で多くの実験をやった人の中で一般人の間で寺山 修司ほど著名になった人は、この数十年で彼一人だろう。彼は、基本を演劇と映画に置いていたように思う。そしてその可能性を引き出し得た人だったからこそ、これだけ知られており、ファンも多いのだろう。作品も古典的手法を駆使したものから、シュールレアリスティックな手法を用いた物、常識外れの発想によって既成概念を震撼させたものなど強いインパクトを与えるものが多かったが、その根底には、ロートレアモンを彷彿とさせるようなラディカルな情念が蜷局を巻いていると感じさせ、見る者を誑かす計算と醒めた目が働いていた。それが、彼をして人間性の内に潜むダークなもの・ことを表現に高める契機を与えたのであろう。
     然しながら、今作の作家にはそのような深みを予め感じない。このような立ち位置からでは、センスの良さで勝負する他あるまい。あとは、子供のイマジネイションを刺激し共に楽しむ世界であろう。作品を拝見すると、当初の予想が一切外れなかった点が気に掛かった。海外とのコラボを容易にする側面がある反面、以上のような懸念を払拭できるだけのスタンスを確保するなり、何をどのように目指して表現してゆくのかを若いうちに考えておくことも有益であろう。初めて行った会場の作りは建築としても一時流行った配管などが露出し、天井裏丸見えの様式で、このような作品にはお似合いのスペースだったし、色調ベースが白で統一される中、椅子と机ばかりが塗料を塗らない生の味を活かしたものであり、衣装も一部ナマハゲをアレンジしたような古層が飛び出すなど面白いのだが、これらの要素総てが各々抽象的であり、観客の理性に訴えても感情や情念の深い所には作用しない。おまけに脚本そのものが、総ての要素を集約させ、カオティックになった世界から本質を取り出すような作業を一切目指していないので、後々残るものが無い。今後長く創作活動を続けるのであれば、こういった事柄にもコミットしておかなければ、世界に一時出ても残ってゆけない懸念が残る。

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    2018/02/16 02:17

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