ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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時期尚早

時期尚早

家のカギ

スタジオ空洞(東京都)

2019/10/30 (水) ~ 2019/11/03 (日)公演終了

満足度★★★★

 じっくりパック、観客(私)酔っ払いバージョン。にゃ========~ッチ!(追記、酔いから覚めることが出来ればニャ~~~~~~~~--------------)

ネタバレBOX

 今回の公演は盛りだくさん。自分が拝見した“じっくりパック”は尺が短く、もう一つの“わいわいパック”の尺は長い。じっくりとタイトルで表現されると何となく尺も長そうな気がするではにゃいか!? 然し、しか~~~~~~~その3つ前のシなにょら。空洞に行く時、池袋から大きな通りを左折して、美容室か何かの看板に入る前に大通りに面したペットショップには、にゃこがたくさん居るにゃ。自分はにゃこさえ居てくれれば幸せにゃ人間にゃので、今夜は酔っぱらっているのりゃ! にゃこと目が合って遊んだしにゃ。座右の銘は、梁塵秘抄で最も有名なフレーズだからにゃ。エピキュリアンでアナーキストのにゃこ族・ヒト科としては、酒を飲んであそぶにょら、今作、5つの短篇を上演するにょらが、アホな人間の中にも少しは分かったのが居て、今を生きるしかにゃいのら、ということが分かっているにゃ。にゃんでも人間としては相当賢い部類に入るらしい、この人間の名前は、バートランド・ラッセルち! 余りにも当たり前のことをキチンと言ってしまったものだから、有名な知識人とや(あ)らになったらしいにゃ。そしたら、その権威を借りて、日本人たらいう三流以下のヒトが狐の狡猾を盗んでチンケな真似事をしているにょら。己という存在に自分の頭がついていることも知らぬアホが、短絡的に役立つと信じたことを抜き取って、他の地域とは切り離された“島国”の情報レベルの低さを利用して、恰もこの三等以下の「国家」組織がテッペンであるかのように装い、好い加減な情報で更なる劣等をかこつことにも気付かぬ救い難い生き物を「教化」している。にゃこにはそのように読めるヒトという生き物に対するアイロニーを見たのりゃ! 何時になったら、人間はもう少し賢くなれるのかにゃ。アホに言っても無駄か! 我々の言語さえ理解できにゃいアホだからにゃ!!
燃えつきる荒野

燃えつきる荒野

ピープルシアター

シアターX(東京都)

2019/10/30 (水) ~ 2019/11/04 (月)公演終了

満足度★★★★

 船戸与一さん原作の「満州国演義」を舞台化した3部作の最終章だ。(華4つ☆ 追記後送)

ネタバレBOX

敷島四兄弟の陰となり日向となりながらつきまとって来た間垣との因縁も遂に明らかになるが、何より傀儡国家を作り運営してゆこうとする新興勢力・大日本帝国と大航海時代以来多くの植民地を支配してきた欧州、更には米国や蹂躙された清国及びその地に暮らしてきた中国人二大勢力と日本軍との角錐、第二次世界大戦・太平洋戦争やスターリンの動き、各国政治・経済と軍略、軍資金調達の為の阿片栽培、混乱した世界情勢の中で加速した各地の独立勢力との離合集散等々。実に複雑な世界情勢の中で翻弄される人々の意や思惑が縦横無尽に絡み、大団円に流れ込むが、これだけの大作を3部構成にしたのは、矢張り少しキツイように思う。じっくり個々人の苦悩や歴史と、人間のアイロニカルで辛辣極まる悲惨を描くには、物理的時間が矢張り足りないように思うからだ。各パート(一部から三部)の尺をもっと長く取って細部を描き込むか、或いは四部作とすることが可能であったなら、更に観客の魂を震わせる作品になったのではなかろうか。この点だけがやや悔やまれる。
死に顔ピース

死に顔ピース

ワンツーワークス

ザ・ポケット(東京都)

2019/10/24 (木) ~ 2019/11/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

 実話に基づいた作品で、今回は再々演だ。初演が2011年、再演が2016年、そして今回。(流石ワンツーワークス。追記後送)

ネタバレBOX


 クラウン・ドクターとして知られるアメリカの医師、パッチ・アダムスさんの活動に刺激を受けた日本の医師が山口県で始めた医療と、みとべ千希己さんが今作で楠美役を演じた患者さんが話題になり、全国ネットのニュースが流れたという。偶々、このニュースを見ていたみとべさんが、是非芝居にしたいと脚本をお願いしたのが古城さんで、古城さんもこのニュースを見ていて作りたいということで意見が一致、親族や医師に了解を取り、取材をして作られた作品だ。今作で用いられている被り物は、かつて実際にこの医院で用いられていた物をお借りして使っている。被り物は看護師さんたちの手作りである。
 誰もが決して避けることのできない己の死、現在では病院や施設で亡くなる方が殆どだが、病んだ体で迎える最後の時間を、その方の最も大切な方々と共に過ごさないことは、ホントに幸せなことか? 誰もが例外なくぶつかり、気懸りな深い問題をじっくり考えさせる作品である。
野外劇 吾輩は猫である

野外劇 吾輩は猫である

東京芸術劇場

東京芸術劇場 劇場前広場(東京都)

2019/10/19 (土) ~ 2019/10/29 (火)公演終了

満足度★★

 ふにゃ。

ネタバレBOX

 官主導の公演らしい。下らないことをいちいち確かめるつもりもないから“らしい”としている。何れにせよ、本質的な失敗は、手前は何なのか? を実存レベルで問い直していない点にある。だからこそ、このような演出家を選び、結果、焦点を結ばぬ演出になったということは否めないと判断する。
 原作は言わずと知れた漱石の「吾輩・・」である。2点リーダーにしたのは、無論アイロニーだ。原作を換骨奪胎したとは言い難く、換骨脱退と意味不明な結果に終わらせている。唯一評価すべきは、ちょっと好意的に観るならば漱石が最終的に至りついたと言われる“則天去私”に絡めたであろう個性が強くなりすぎて人間関係そのものが窮屈になったと呟く科白が入っていることだけだ。あとは、折角、にゃこが人間というアホな存在をおちょくっているのに、人口に膾炙した漱石の胃に関する話に終始し、追跡症については、その定かならぬ夢的事象で表現したつもりになっているかもしれないが、切れが無い。表現する者として自立する意志があるなら、何故たかだか官におもねるのか? とは思う。官等所詮その程度のものとして、殊に日本のそれはㇾべルが低すぎる。おもねた時点で終わりである。
たとえば、車が跳ね上げた水しぶきを浴びた気分

たとえば、車が跳ね上げた水しぶきを浴びた気分

ガポ

新宿眼科画廊(東京都)

2019/10/25 (金) ~ 2019/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

 すっかり引き込まれてしまった。脚本の面白さ、演出、演技、小道具の使い方迄、中々見せてくれる秀作。べシミル。(追記2019.10.28)

ネタバレBOX

 鰻の寝床のような小屋だが、比較的オーソドックスな用い方だ。小屋入口側に客席、正面奥が舞台で板正面奥に袖を設ける為の白い衝立。若干のスペースを取って上手、下手に矢張り白の屏風、下手のそれは曲部を斜めに設え、壁と看做して花を描いた絵画が掛けられ、上手は衝立と小屋の側壁の間を少し空け、出捌けを通り易くしてある。白屏風はちょっとクランク型に。手前が洋室、大き目のテーブルに椅子2脚。無論役者が腰掛けた時、顔が客席と対面するように置かれており、机の下には洗濯物を入れる籠とゴミ箱。テーブル下手にフレコンバッグのような形状の大きな袋様の物が置かれている。
 物語りは別れ話を持ち出された千佳が荒れている所へ若い女・信子が現れ丁度、携帯で別れ話の最中にドアホンが鳴ったため、彼が辛辣なジョークを飛ばしたと思い込んだ千佳が「鍵は掛かっていないから入って」と言ったことから始まる。千佳はてっきり、入って来たこの女のせいで彼が別れると言い出したのだと早とちり、今度は猛烈に信子に噛みつく。だが、信子は件の男のことなど知らない、と言う。サスペンス要素も入っているのでネタバレは此処まで、終演後に詳しく内容は書くが、最初ケレンとも思えた導入部から、話は二転三転、ストーリー展開の巧みにドンドン引き込まれるし、女優2人の演技もグー、歌って踊ってなどのシーンもあって、飽きさせない。タイトルが突拍子もないものだったので、内容的に薄いかも知れない、と予想していたのだが、実にキチンとリアルを見据え、而も話の展開には条理が通り、随所で小道具も効果的に使われて自然に進行してゆくと同時に、深い科白が要所、要所に鏤められてリアリティーを増す。手応えのしっかり感じられる秀作である。
  さて、少し内容についても触れておこう。千佳が結婚を望んでいるのは、研修医を自称する男である。彼女自身は施設の出身であり、以前DVに耐えかね同棲していた男を殺し掛け2年収監されたというが2年で済んだのはDV被害が認められたからである。高校も入学はしたものの直ぐ止めて援交してもいたので男を手玉に取る術も無論心得ている。他にもヤク、風俗で働いた経験も長いし、相当の手練れではある。だが、彼女の本質は、恰も日本ではレミゼ位しか知られて居ないかも知れない仏19世紀最大の文学者(大詩人・大小説家)であったヴィクトル・ユゴーが不幸な女達を庇って歌った有名な詩「おお、落ちてゆく女を決して」に描かれたような仏ユマニスムの伝統に則り、その精神の根底に純粋で気高い魂を持つ娼婦、生き方の達人ではあるが傷つき深い傷を抱えた女として好意的に描かれているのと似た視座。
 ところで、当初謎として現れた女・信子は、彼女らの両親が自殺して果てた後、施設で一緒に暮らした妹であった。信子は、親切な夫婦に養子として貰われ豊かで社会的地位も高い両親の下で暮らしてきたのだが、小さな時、施設に入る前に飢えと渇きに苦しんで泣く自分の為に泥棒を働いて守り、決してそのような犯罪行為を妹の自分には明かさずに面倒を見てくれた姉に対し、深い感謝と愛情を抱き、それ故猶更申し訳なさが募って何としても会いたいとこの20年間思い続けて来、義父に頼んで姉の身上調査をして貰った。その結果、姉が貢いでいる男は、詐欺師であり、女・年寄り等金になれば誰でも騙しカモる屑であることが判明、実際に姉に会って姉の気持ちと真偽を確認しようと近づいたのであった。義父夫妻は姉妹共々養子にしたいと手続きを進めていたのだが、千佳は己の自由が損なわれるような気がして断り、信子の歩んだ幸せからは逸れた。結果先に話した人生を送ることになったのであるが、信子は、自分だけが幸せになったことが許せず、下司との関係を姉が傷つかずに断てるように準備万端を整え、姉の所に転がり込むことに成功すると、自らの出自を証し共同生活を始める。この過程で家族・肉親の温かさを骨身に沁みて感じた千佳の心も徐々にほどけてゆく。最終的に信子は千佳に過去の総ての清算を承諾させることに成功し、千佳がホントに世話になったパトロンとのスイス旅行から戻ってきたら、自分の主人になる人物の関わる会社への就職の内定も義父を通して纏まっていたのだが、1通の手紙が届く。千佳からのもので、航空便であった。その内容は。千佳の歩んで来た過去が必ず信子やその婚約者、義父母など関係者に迷惑を掛ける。だから自分は姿を隠す。但し20年後、今回出会えた20年を過ぎて必ず千佳から信子に連絡を取る、と約したものであった。リアルではないか?
 

「La Fierté」(ラ・フィエルテ)

「La Fierté」(ラ・フィエルテ)

スラステslatstick

ステージカフェ下北沢亭(東京都)

2019/10/24 (木) ~ 2019/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★

 売られた喧嘩は買う。上等! って、案外痛快。(華4つ☆追記後送)

ネタバレBOX

 構造的にはベケットの「ゴドーを待ちながら」に似ているが、ファッション業界誌で世界一を目指す編集長、カメラマン、通訳兼コーディネーターVSファッショニスタの話である。業界屈指のファショニスタは今迄一度も取材記事が載せられたことはない。だが、登場するチームは、取材申し込みを受けいれられた。然しファッショニスタは気難しい。ギャラも破格なら突き付けてくる条件も極めて厳しい。業界ではこれらの要求が余りに厳しいので結果的に皆降りてしまったのだとの噂がずっと流れて来たし、今もって流れている。
 
ひとり語り芝居『よだかの星』

ひとり語り芝居『よだかの星』

お茶祭り企画

あさくさ劇亭(東京都)

2019/10/25 (金) ~ 2019/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

 タイトルの「」外に他、とあるが、よだかの星ほど知られてはいないが、実に興味深い作品が演じられる。これは観てのお楽しみだ。劇亭は小さなスペースだし、良くあるように地下に設えられている訳でもない。路面かそのまま出入りできる最も小さな演劇空間に属すスペースである。だが、ここには、賢治の世界が在った。(華5つ☆)

ネタバレBOX

 受付やスタッフの対応、何より演者2人の内、朗読劇ではなく、敢えて“ひとり語り芝居”、という余り馴染の無いコンセプトで作品作りをなさっている川島 むーさんという名の女優さんが賢治について実に良く調べ、賢治の本質を掴んだ上で、というよりこのユニークなアプローチのしかたによって賢治の抱えていた最も本質的で重大な問題を見事に浮き上がらせてくれた。タッグを組んでいる作曲・演奏家の本多千紘さんの腕も素晴らしくピアノばかりでなく様々な効果音を小さな楽器で創り出すのだが、賢治の世界を見事に立体化しているむーさんのイマージュにぴったり呼応して、的確でもう一つ次元の異なる世界を積み上げてくれる。お二人のコラボレーションも素晴らしい。
浅草福の屋大衆劇場と奇妙な住人達1982 改訂版

浅草福の屋大衆劇場と奇妙な住人達1982 改訂版

東京アンテナコンテナ

六行会ホール(東京都)

2019/10/23 (水) ~ 2019/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

 下平さんの筆の冴えを見せつけられる思いのする公演だ、東京アンテナコンテナは無論、喜劇を上演する劇団だが、そのベースに人情噺を上手に埋め込むと、こんなにも深い、情趣に満ちた作品になるのか!? と感心することしきりであった。無論、役者陣の演技、演出、イジリーさんのアドリブ、下平さんとの掛け合い、筋運びの妙等々、見所満載だ。(追記後送)

ゼロイチ

ゼロイチ

劇団龍門

シアターシャイン(東京都)

2019/10/23 (水) ~ 2019/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

 タイトルから分かるようにコンピュータの絡む話でディストピアSFの体裁を採っているが、設定がしっかりしていることと、現実が今作に描かれていることと軌を一にしているという現実認識が自分にはあって、頗るリアルな物語との印象を持ちながら拝見した。(華5つ☆)ベシ観る! 初日なので更なる詳細は、追記後送

ネタバレBOX


 オープニングの演出も見事である。その描かれる内容物の差異の象徴性による表現と内的対比、美しさ、物語りコンセプトとの一致等々。あっという間に劇的世界に引き込まれる。(アンドロイドの形態模写も見事である)
 板上は、下手に天辺が踊り場になり踊り場への登り階段は左肩上がり8段の階段が客席側に取り付けられ階段下手は黒布で覆われた出捌け、踊り場下は開き戸のついた出捌け、上手にも矩形のかなり大きな構造物があり、この奥が出捌けになっている。中央はフラット。この小屋の構造を知っている方にはセンターの仕掛けは分かろう。
 さて、物語は近未来、話の中核を占めるのは、廃棄アンドロイド修理とリサイクルをしている町工場だから、階段の材にもリベットが打たれているのが見える。本来のAI(自らアルゴリズムを組み自走する)は、当然の「ことながらその進化の過程で人間などという愚かな生き物の能力を遥かに超えてしまっている。だが、心迄持ったか否かは当初明らかではない。然し人間の飽くなき欲望は母星・地球を滅ぼす瀬戸際迄追い詰めてしまった。何らかの意志が働き、地球誕生以来原初生命体の根源が生じて以来の歴史はリセットされようとしている。無論、原因は人間の愚かさだ。
なにもおきない

なにもおきない

燐光群

梅ヶ丘BOX(東京都)

2019/10/02 (水) ~ 2019/10/23 (水)公演終了

満足度★★★★★

 「なにもおきない」延長公演(10月23日まで・21日休演詳細は燐光群へ)が決定したというので2回目の観劇。besimiru

ネタバレBOX

ホントに面白い作品である。導入部の演出は一般的なものになって、好みから言えば、自分は最初の演出の方が好きだ。為政者を奈落に送り込む話については、今回は個人名を挙げず代わりに立法府の長としている点が頗る良い。
 この公演の前回レビューにも挙げた挿話の中には対比されているものがある。(以下再録:原発が原因の被ばく問題に繋がる核施設とロシアのぺテルゴフに当初ピョートル大帝の命によって建設が開始された「夏の宮殿」の噴水群の話である。この噴水は24時間総ての噴水から水を噴出させることができるが、その原理は高低差を基本とし水源は地下湖などである。水路を繋ぐパイプの総延長は56㎞に及び、原発の冷却水等のパイプに比べると短いがそれでもイメージで途轍もない規模だと想像するには充分、一方は、人々に美と安らぎと癒しを与え、而も無害で動力にも自然の摂理を利用しているのでエネルギー効率に無駄が無いが、一方は人類どころか地球上の総ての生命を危うくする危険を齎し、不効率で人々には不安、病と望まざる死や凄まじい苦痛、苦悩、不安と解決不能な災厄を齎す絶対悪の対比である。)更にエネルギー関係で比較されているのが炭鉱である。小出裕章さんの「隠される原子力 核の真実」P.37~38の記述によれば、原発のエネルギー源であるウランの利用できるエネルギー換算量は、石油の数分の1、石炭の数十分の1でしかない、という。石炭と石油は火力発電の原料として用いられているが、原発でも火力発電でも燃料を用いてやっていることは、湯を沸かすことだ。そこから発生する蒸気でタービンを回し発電しているのである。発電効率は極めて悪い。殊に原発は余りに危険だから人口密集地に作ることが出来ない為送電線が無駄に長くなりコストが膨らむばかりではなく、送電中のエネルギーロスも多く、今年のように台風被害が多い場合には復旧も手間取る。一方、我々の日常生活はかなりの割合で電気に依存しているから停電が長引けば命に関わる。以前にも書いたが、こんな問題を根本的に変えるには水素発電をメインに再生可能エネルギーを用いた発電をサブにエネルギーシフトを図るべきである。そうすれば、今作に描かれたような炭鉱労働者同士の悲恋とその結果のリンチや、親の知らぬ間に年端も行かぬ子供の他の山への売買、無理な掘削による炭塵爆発「事故」、一酸化中毒死・廃人化等々の悲劇も生まずに済む。原発は、炭鉱どころの騒ぎでは済まないのは自明である。今作でも防護服を着た作業員が高濃度汚染地域に転落し絶望視されていたのが、「神を見た、神が助けてくれた」と奇蹟の生還を果たすシーンがある。が、助けてくれたのは人間は入れない危険エリアで作業に従事するアンドロイドであった。美しい女性の形をしたアンドロイドが核汚染地域で働かされているのである。心が痛まないか?
 戒厳令が敷かれたと言って洞窟に逃げ込んで来たのは、4.3事件で米・韓軍の虐殺を逃れてきたチェジュド島民であった。多くの日本人は4.3事件を知らないだろう。ところで鶴橋は知っているかも知れない。旨いキムチの産地として地名を冠し、スーパーでも良く売られているから。鶴橋は大阪環状線の駅名でもある。かつてこの駅からは猪飼野に行けた。現在、猪飼野は無い。というか地名変更されてその呼称が消えた。だが、このエリアには在日の人々が数多く暮らす。住民にはかなりチェジュド出身者が多いが、4.3事件のあった当時、チェジュドから大阪へは直行の船便があった。虐殺を逃れた難民としてチェジュドの人々が命からがら逃げ延び辿りつき、定住したのが猪飼野であった。この人々に日本の官憲は随分辛く当たった。戦後の彼らの生活の一端は開高健の「日本三文オペラ」小松左京の「日本アパッチ族」に描かれ、金時鐘という優れた詩人を生み、ヤン・ソギルというユニークな表現者を生んだ。キム・チョリが主催する劇団Mayの傑作「風の市」は4.3事件絡みの作品、観なかった人はDVDが出ているから観ることをお勧めする。
 「なにもおきない」どころか今作は、我々の多くがそのように信じ込まされていることを、一皮剝けばヤバイことや、眼を背けたくなる事実が絡み合い蝟集していることをこそ、告発している。


おしゃれ紳士×神保町花月 presents「オシャレ紳士のオクトーバーフェスト」

おしゃれ紳士×神保町花月 presents「オシャレ紳士のオクトーバーフェスト」

神保町花月

神保町花月(東京都)

2019/10/16 (水) ~ 2019/10/25 (金)公演終了

満足度★★★

 一応、宮澤 賢治の「銀河鉄道の夜」を下敷きにしてはいる

ネタバレBOX

のだが、賢治の描いた阿空間とジョバンニ、カムパネルラの邂逅と別れは背景にロマンティスムがあって初めて成立する謎めきながら極めて本質的な世界なのだが、肝心な所を全部壊してしまっているので完全な別物。
 様々なパフォーマンスが演じられるが、器械体操的な動きに至っては素人が簡単にできるレベル。中国の雑技団などの身体演技の足元にも及ばない。板上で演ずるなら、少なくとも観客を唸らせるだけの技術を磨くか、ピタゴラスイッチ的な動きをパロるのであれば、オリジナルの奇抜さ、センスの良さ、知的悪戯の素晴らしさを超えるだけのセンスが無ければ唯の中途半端、ワヤである。
海底0.02マイル〜東京ver〜

海底0.02マイル〜東京ver〜

タッタタ探検組合

劇場HOPE(東京都)

2019/10/10 (木) ~ 2019/10/14 (月)公演終了

満足度★★★★

 いつもより湿っぽい感じがしたが、海底だから当然か?

ネタバレBOX

 導入部で浦田が自殺を図るシーンが映像表現される。そこに亀喜という名の呼び込みが誘いを掛けてくる。亀喜は、浦田が何をしようとしていたのか、難なく図星を指す。無論、浦島伝説をベースにしているのだが、どうせ死ぬつもりの人間なら人間を連れて来てはならない、という,スナック・リュウグウへ連れて行ってもトボケられると踏んだ亀喜、成績を上げなければ減給という厳しいお達しを何とか逃れる為に、不都合には目を瞑り、浦田を案内するが。リュウグウのママは元竜宮城の姫・宇坪。去った浦島太郎が何時の日か必ず戻ってくると信じ、左巻きになった竜宮城を一旦は手放したものの、姫君がバイトの鬼となって以前城の在った一画にリュウグウと言う名のスナックを開店、今に至っている。然しいくら玉手箱に入っていた煙とは逆の効果を持つ若返りの煙を吸っても流石に寄る年波には勝てず、最近ではもっぱら車椅子暮らしの毎日で病院通いが常態化している。
 一方、浦田は、様々なことが身の上に降り掛かり一時は仮死状態に陥ったり(この後何度か)と不思議の国のアリスではないが、余りに不思議な世界に来てしまったのでアイデンティティーが覚束ない。(この辺りをもっとシャレノメスと更に面白くなったハズ。また自殺の原因をもっと明確に示した方が良い。その描くべき世界観は、ブラック企業に限らず、一般に多くの日本人に健全でしっかりした企業だと思い込まれている、Mグループ、Sグループを始め日本の総ての企業が現在既にレームダック状態であり、本来ならこれを回復すべくパラダイムシフトを果たすような人材が何らかの方策を採って回復を目指すべき所であるにも関わらず、日本の社会というものは、このような才能をよってたかって潰すことしかしてこなかったが為に、既に新規に本当に新たな社会観を創造し、人々の心象風景と経済生活を成立させる根本的な生産システムそのものの改変ができるような才能は日本に居ない。当然である。日本に居ても唯、卑怯なやり方で邪魔されたり、葬られるだけなのは明らかだから。自分の友人にも海外で活躍できるから日本何ぞに絶対戻って来ない本物のエリートは多い。ホントはこの辺りの事情をからかって欲しかった。それには、浦田が自殺願望を持った原因を掘り下げても良い。岡田さんには、例えばジェレミー・リフキンの「限界費用ゼロ社会」が描くようなシェアリングエコノミー社会、現代思想で特集された加速主義や「負債論」を書いているグレーバーが、ブルシットジョブ(bullshit job)について書いているのを参考になさったら如何か? 世界を排除する所から始めようとするアホな日本社会から見ていては実は何も見えない。喜劇を書く為には、社会をおちょくれるだけの高い知性と世界の中で何がどのように動いているのかを見極める確かな情報がなければならない。スノーデンが指摘したようにアメリカは総ての同盟国に対し、同盟関係を離脱した暁には、枢要な箇所に既に仕組んであるマルウェアが作動し日本のみならず同盟を解消した総ての国は終わる、と警告していた。原発の全電源落されたらそれだけで日本は完全に終わる。原発に迄マルウエアを仕込んでいるか否かは定かでないが。アメリカは態々タイプの異なる原爆を実戦使用した唯一の国であるばかりではない。ABCCは被曝者をモルモットにして冷戦時代の核攻撃の基本データとして用いた。この事実を重く見るべきである。こういう基本的な知識を持って書かないとドライな作品にはならないとは言えるように思う。喜劇はドライであるべきだ。)今回、役者の演技{特に宇坪を演じた斎藤啓子さんの浦田(浦島)との別れのシーンでの彼女の深い表情は役を生きていて素晴らしい}で作家の普遍的だが、事新しくは無い哲学がそれなりの説得力を持ったが、喜劇としては弱いように思う。
猩獣-shoju- <東京公演>

猩獣-shoju- <東京公演>

壱劇屋

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2019/10/11 (金) ~ 2019/10/14 (月)公演終了

満足度★★★★★

 べシミル! と言っても東京公演は本日で楽。また来て欲しい劇団だ。

ネタバレBOX

 科白一切なし。殺陣と体術で見せる。作・演・主役の竹村 晋太郎さん、お見事! 音響、照明の良さも効果を盛り上げる。奥の壁に大きな墨絵が描かれているが、この墨絵も実に上手い。迫力のあるもので感心させられた。戦う一対の鬼のような異形の者(猩獣?)を描いてあるのだが、筆致が凄いのだ。
 科白が無い分内容はシンプルだが、それが功を奏している。物語は、村を襲い気に入った女を浚っては自分の妾にしている悪辣な集団に女を奪われ一旦滅茶苦茶にされた村に猩獣が現れ、傷ついた者を癒し、仮面を与えると、死んだと思われた男は、女を守ろうと自ら猩獣と化した。浚われた娘には相思相愛の男がおり、猩獣と化した男はそのナイーブなメンタリティー故に想いを告げることができなかった。最後の最後迄、このナイーブな男の秘めた念は念のまま、襲撃グループの四天王を総て討ち己も重傷を負って、助けた女に手向けた白い花は血潮に染まった真っ赤な物であった。ずっと彼の念に気付かずに来た女が、ここに至って遂に気付き相思相愛の男との板挟みに苦悶の表情を浮かべる下りも良い。
 悪党共のボス(庄屋)は、猩獣に手傷を負わされ逃げ戻った3名のうち、布を操り奇妙な体術を使う女以外は散々に打ち据える。可也冷酷な男だが、戦いの核心を為す四天王の術を紹介しておこう。最強の戦士は居合いの達人でもあるような剣捌きをし、体を回転させながら打ち込む戦法も示現流のような凄みをみせる。一人は大長刀の使い手、柄の部分を背中に回して縦横無尽に繰り出す闘法は手ごわい。一人は数十㎝の切っ先鋭い山刀のような武器を二本用いながら、巧みな体術や手下共に操らせた梯子を用いて高所、梯子の間、梯子の天辺に反り返った体制からの攻撃等、スピードと思いがけない攻撃で油断がならない。猩獣と化した男は、村の仲間共々娘を救おうと躍起になって戦うが、敵もさるもの、仲間を独りずつ四天王の補佐として付け猩獣を襲うシーンもあるのは、無論、そうしなければ女や他の囚われた仲間の身に害が及ぶからである。幕が上がってから最後の決着がつくまで殆ど殺陣のシーンの今作、物語のシンプルだが訴求力のある内容と殺陣、体術の見事さで飽きさせない。拍手が鳴りやまなかったのも当然だろう。
マジョギター 〜焦がす火花と魔女の指〜

マジョギター 〜焦がす火花と魔女の指〜

バカバッドギター

上野ストアハウス(東京都)

2019/10/12 (土) ~ 2019/10/13 (日)公演終了

満足度★★★★

 一見馬鹿げた外観を提示し露悪的? (追記2019.10.15)華4つ☆

ネタバレBOX

にト書きを読み上げる等に関わる狂言回し風のキャラも登場するがこれでメタ化を図っているという感じはない。寧ろ、ケレンではないか? との思いの方が強い。これに対してキッチリ構成されているのが、魔女の国VS帝国の敵対関係と戦争すること、戦争遂行という名目で無駄に大量生産、大量破壊を繰り返すことで経済を回し、環境を破壊するという三つ巴関係のうち最後の環境破壊に目を瞑り、経済を回すことだけに特化して恰もゲームのように恒常的な殺し合いをし続ける軍産複合国家同士の二項対立を、ドラゴンという鋼も炎も跳ね返す鱗を持ち知的レベルも非常に高い、生物界の王者と戦わせることによって互いの殺し合いを止めさせようと図るのは、今作のヒロインQuatre。-以下はちょっと専門的な話も入るので飛ばして頂いても構わない。この名が仏語から採られているとすると4という意味だから、直ぐ思い浮かぶのがギリシャ等で唱えられた4元素{(土、水、気、火)であり、現代で言えば素粒子物理学レベルをも前提とする宇宙物理全般に関わる物理学最前線の知である。}無論魔女は魔女狩りが行われた時代にあっては、超自然な力を持つとされ、悪魔と関わりを持ち、超自然を操ることにより現世に禍を齎すとして断罪され、火炙りの刑に処されたことは日本でも知られている。そして、猫が魔女に使役されたとして魔物として扱われ、たくさんの猫が虐殺された事実も猫に飼われる身の自分にとっては余りに悲痛な事実である。自分は手元に大した資料は持っていないのが残念であるが、興味のある方はモンテーニュの「エセー」に“びっこについて”という章があるからホントに16世紀フランス語が読めるなら原文で、ジャン・ボダンの“魔女の悪魔憑き”と比較しながら読むことがベストである。自分の仏語力は其処までラテン系知識が無いので孫引きであるが、モンテーニュの主張は魔女とされた者達が実は精神を病んだ者達であることと彼女らの側にモンテーニュは立つということの表明及び彼の論理的根拠としての観察・事実及び人間性という倫理を背にせぬならばその論理を守れぬが故の覚悟を示唆していることが着目すべき点であると自分は信じる。一方ボダンは事実を事実として評価せず、当時絶対的と評価されていた所(例えばキリスト教的価値観)から始め、その内側で総ての彼の論理を打ち立てる事によりイタリアのマキャベリ、イギリスのホッブスと並び称される政治学者・インテリ・権威であった。その権威を嵩に着て論理を展開し当時、史実として捉えられていた聖書に現れた記述や拷問の末に取られた自白等々の裁判記録を根拠に論陣を張ったのである。(モンテーニュはボダンの著作を数多く読んでいたし、常に彼の意見に敵対していた訳ではないが、こと人の命や尊厳が脅かされる場合には、己の信ずる所と観察・実証・事実に従って論陣を張ったのである。)-
 話を今作に戻そう。形式論理に則るならボダンの論理は完璧である。然し乍ら実証や観察・事実検証が伴わない為、彼の論理は現在通用しない偏狭で非合理的なものでしかなくなってしまった。
 さて、ここで視座を少し変じてソクラテスがソフィストたちに対してどのように対峙したか思い出したい。知られているようにソクラテス自身は己の思想を書き残していないが、それは彼の弟子たちによって明文化され現在に伝わっている。その記述の日本語訳によれば、彼の方法はソフィストたちと対話を交し、ソフィストたち自らが述べた論理の矛盾を突いて彼らの過ちを明らかにし、以て新たな論理の次元へと思考を開示するものであった。これがソクラテスの用いた弁証法である。今作でQuatreが用いたのも実は弁証法だ。己の用いる魔法によって彼女は人々にドラゴンが出現したという幻影を見せ、彼らのメンタリティーをコントロールすることによって帝国と魔女の国の戦争を抑えたのである。これほどくっきり形象化された弁証法は珍しいくらい鮮やかで明確な弁証法である。無論、彼女は大切な友であった軍手の死は、Quatreの謂わば「現実世界」でのアウフヘーベンをその死によって普遍性に高め更に高次のアウフヘーベンを果たしているのは明確である。そして、この作品の主張する弁証法的哲学主張によってこそ、今作はメタ化されているのである。
 作家さんの性格によるののかも知れないが、余りケレンに頼り過ぎずに正攻法で今後もやっていってくれたら有難い。
Sound Of Scenes

Sound Of Scenes

企画室磁場

北千住BUoY(東京都)

2019/10/11 (金) ~ 2019/10/14 (月)公演終了

満足度★★★★

 高校を卒業後、地方から東京へ出てきた男が不動産会社に勤め、(華4つ☆)

ネタバレBOX

ドンドン素朴な価値観を失って金を神と崇める亡者に成り果てるのと軌を一にしたのと反比例するかのように彼の視力は衰え、遂には失明するに至るが、その失明前と後を描いた作品。登場する役者は1人であるが、友達との会話や彼女とのやりとり、外の雑音などが様々な位置に置かれたスピーカーから流れてくるので実際に多くの役者が共演しているような錯覚に捉えられる。(それほど音響オペも上手い)実に珍しい演出手法でこの技術力と発想の面白さには感心したが、更なる高みを目指すならば、方法的制覇のみならず、哲学的、人間的な深みも追及して欲しい。無論、今作でやや暗めの照明の中で演じられる今作の内容が健全な視力を持つ者とそれを失った者の対比としても描かれている中で、視覚と聴覚の対比をも狙っていることは、無論である。そういう基本的な部分をしっかり構成している点でも整合性を感じるが、清水に魚は棲まず、ということもある。
 膨大な科白をキチンとこなし、実に当事者にとって大きな変化を、そして時には他者が捉え難い当事者の心象を演じた神保良介さんという役者の演技も気に入った。
私家版 孤島の鬼

私家版 孤島の鬼

K'srutan produce

新中野ワニズホール ( Waniz Hall )(東京都)

2019/10/09 (水) ~ 2019/10/13 (日)公演終了

満足度★★★

 原作は江戸川 乱歩、脚本は柳井氏と豪華な顔ぶれだし役者陣の演技も悪く無い。(少し追記10月14日:0:08更に少しだけ追記)

ネタバレBOX

 然しイマイチしっくり来ないのは、父親の妄想が、いくら孤島という設定でその地の名家を乗っ取った権力者という表層レベルでの為政者という設定ではあっても矢張りリアリティーが薄く合点は行かないと感じたからである。著作権が切れているのか否か調べていないので、変更できない部分があるという事かも知れないが、ゴシックロマン調の作品の常とはいえ、ホントに不気味を出すのなら「なにもおこらない」という今の日本の為政者共の大嘘と隠蔽、プロパガンダの途方もない悪辣を通底音として響かせるような仕掛けが欲しい。そういう事実との断絶の恐ろしさを示すのであれば、その断絶そのものを何らかの工夫で示唆して欲しかった。同じ乱歩の作品「芋虫」の一節をどこかで対比させるとか。これも著作権が許せばであるが。何も起こらない、フリをしている件を少し足しておこう。関電の不祥事も税絡みでの摘発が無ければ返済もしなかったのであろう。それは、第三者機関が検証した訳でもないし返済時期を見れば誰しも疑う点である。以下に記すのは台風19号が何故こんなに勢力を保ち続けることができるのかについてだ。専門家も指摘するように海水温の上昇が大きな原因とみてよいのだろう。では何故こんなに海水温が上がってしまったのか? 1つには原発の冷却水問題があるのではないか? 100万キロワット級原発1基が稼働すると冷却水として用いられる海水や河川の水70tが1秒に7℃温度を上げる。1秒に70tという水量がどれほどかというと、通常の河川の流れる状態で多摩川と荒川の流量を合わせた程の量だ。こんな勢いで水を温めればどういう結果を齎すか? 如何に想像力の乏しい政治屋共にも分かっているハズ、分かっているからこそ、何も起っていない振りをし続けているのではないか? どう思う? こういうぞっとする話を背景に流すとか、現在MMTなんて茶番で茶を濁している奥の奥の話をそれとなく背景化すれば迫力が増すようには思う。
 それとも、島嶼部という場所、この時代設定で情報過疎社会を通して以上のことを流しても観客は、その意味する所を想像できないほどイマジネーションが欠如しているのであろうか? だとすれば、この先彼らが体験する現実は95%までミエミエだな。
リリスの憂鬱

リリスの憂鬱

有機事務所 / 劇団有機座

阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)

2019/10/11 (金) ~ 2019/10/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

 秀作である。べシミル!!(少し追記2019.10.12)

ネタバレBOX

 旧約聖書の楽園追放を描いた絵には、1匹の蛇が描かれており、悪魔の化身だという話が人口に膾炙しているし、イブが知恵の実を食べたのは「悪魔」に唆されたのが原因とされ、為にヒトは善悪を知り楽園を追われたことになっているが、旧約の別の部分には神が己が姿に似せてヒトを創った時、男と女を創った(旧約聖書創世記6日目)とされており、アダムの最初の妻はこの時創られた女であったと考えられる。一方、イブはアダムの肋骨から創られたと言われ楽園で追放されたのはアダムとイブであった。ところで、楽園追放の絵に描かれた蛇が実は蛇に姿を変えられたリリスであった、という解釈が今作の最も大切な点だ。この辺りの事情の細目は無論、作品上で述べられ、聖書がヘブライ語からラテン語に翻訳された時の翻訳ミスが原因でカソリックでは、リリスが悪魔視されたとするが、今作の解釈では、リリスは自立心に富む女性で性行為の際、女性は男性の下の位置に体を横たえるべきだとされていたことに反発した為、蛇に姿を変えられ、悪魔と看做されもしたというのだ。(閑話休題 日本神話には、これと似た話がある。言うまでもない。伊耶那岐と伊耶那美との間に生まれた最初の子・蛭子にまつわる話で「古事記」に収められた有名な話だから誰でも知っていよう。一応内容を記しておくと、子作りの際に女神である伊耶那美から先に男神の伊耶那岐に声をかけタブーを破ったのが原因で不具の子・蛭子が生まれた為、眼も鼻も口も耳も無い蛭子は、葦の舟に乗せられ流されてしまい、神々は儀式をやり直したという話だ。)
 話を元に戻そう。リリスは自立心の強い女性であったという点から彼女は現代の何処かに実在し得る男女同権論者として現在も脈々と生き続けているキャラとして描かれている。一応、話はチトー亡き後大混乱に陥り内戦迄経験したユーゴ辺りを彷彿とさせ、極めて現代的な緊張感ある社会で生活するブルジョア家庭を舞台に展開する。(この辺りの設定も実際の紛争中にバイオリンを弾き映画にもなった作品があるので、増々身近に感じられる作品でもある。)
 無論、現在の日本の社会状況が、戦前のそれにそっくりだと、多くの知識人、お年寄りが表現する通り、現代日本の社会表層のみならず、産業構造、産業体制、そして高度経済成長を支えてきた製造業の空洞化があり、金融破綻があることも見逃していないのは、貨幣についての言及があることからも明らかである。これはグローバル経済の根幹にある大問題、貨幣とは何か? に通じ、信用創造をどう解釈するかにも通じるばかりではなく、資本主義の長期停滞傾向から、欧州では既にスペイン、イタリア等の国内で現実化している協同組合による企業経営(全企業の1割程度)や社会性を持つ産業の起業を援助する金融システム構築の試み等、MMTのような一時凌ぎの非本質的な理屈では無い議論が巻き起こっていることも考慮するなら、極めて本質的な問い掛けが為されていると言っても良いであろう。この辺りの情報については近い内に更に詳しい情報が某所からリーフレットになるから、追って追記する。
 ところで、今作にも登場するパルチザンの内部分裂に関する自分の意見を述べておく。普通の人が自己規定をし、其処から論理を発展させてゆく場合、先ず殆どの人は、己の規定した論理の基底に戻って再検証を繰り返すという作業をしない。その結果、あるオーダーを規定の物としてしまうことでその論理は尖鋭化以外の道を失ってしまう。論理の性質とは、そのようなもので他の道は無い。だからこそ、対論・討論が大切なのだが多くの人はその点を見失い、尖鋭化すればするほど、最初はほんの1mmの差に過ぎなかったものが無限の差になって現れ、遂には力にものを言わせて決着を付ける他無くなるのである。(特に日本は、議論や討論をすること自体が和を乱すとされて敬遠されるから、煮詰まった後は基本的に力による対立しかなくなる。これには無論集団差別である村八分的なもの総てが含まれる)この点に気付いて議論や討論の方向に舵を切ることができるか否か、ここが、分かれ目・分水嶺である。これができない者は、結局愚かの誹りを免れまいが、では、例えば今作のような具体的な事件に巻き込まれた人物の心情は、これで収まるのか? という実に難しい問題が矢張りいつでも鎌首を擡げてくる所に、単に愚か者と呼ぶことを躊躇させる心の問題があるのだ。今作は、そのような極めて実存的な問題をも提起している。
 おっと、書き忘れる所であったが、リリスが憂鬱を抱えるのが、この男の闘争の論理であることは言を俟たない。彼女は、何とか争いの無い世界を実現したいのだ。そしてその為には、皆が互いを尊重し合い、対立が在る場合には、議論を尽くして妥協点を見出す知恵を実践する他やはり無いのだ、ということをも表しているのは、今作のタイトルからも明らかである。
ホテル・ミラクル7

ホテル・ミラクル7

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2019/10/04 (金) ~ 2019/10/14 (月)公演終了

満足度★★★★★

 第七の罪は“色欲”ぞな! 総じて役者陣の演技がグー。小道具の数々もラブホらしい雰囲気をさりげなく・過不足なく醸し出している。

ネタバレBOX

 例によって「ホンバンの前に」が入るが、今回は7回目、池田さんの脚本らしくこなれていながら意表を突き、センスの良さが光る。さて、今回の執筆陣は4名敬称略、上演順に「Pの終活」byハセガワアユム 「光に集まった虫たち」by本橋龍 「48 MASTER KAZUYA」by目崎剛 「よるをこめて」by笠浦静花
「Pの終活」:
 3Pの話。中年男・黒田は既婚ではあるが孤独を抱えている。妻はもう一つの孤立と言う訳だ。彼は恐らくその優しさ故に、孤独の齎す懊悩に耐えきれず、既に疲れ果てているにも関わらず流浪し、世界屈指の大都会の不夜城とも言われる風俗界を漂っているのだ。ちょっとセンチな言い方をすれば彷徨(即ち生きながらの死)を生きている。
一方、世界は風俗界と雖も活気に満ちているから、彼のような生きながらの死を生きる者には必敗の個人史しか刻まれない。掛かるが故に彼の人生は本質的に受け身であり、それは自ら流されゆく憂き身をマゾヒズムの更新に当てる他無いので、取り敢えず金にあかして3Pというスタイルを選び、ユキを指名し続けた。ユキは中々美しいが、バツイチ、子持ちである。初期の目的貫徹の為、黒田はアシスタントに奨学金返済の為この世界に足を突っ込んだ理樹を呼んでいるのであるが、黒田の懊悩は、この3人の関係を徐々に変えて行き、遂には彼自身自死を図るに至る、だが。

「光に集まった虫たち」
 既婚の中年女とそのツバメ。ラブホにしけこんだが、虫嫌いの彼女の前にホトケノウマが現れ、コガネムシが現れ、玉虫が現れと次々に奇怪なことが出来する。而も深夜のラブホに正体不明の老女が出現、それまで宇宙の話等もしていたカップルの前に突然現れたこの老女は己の生まれた時の記憶を思い出し情景を語るが、宇宙人? 将又虫の精!? 夢のような時間の中で老女は蜘蛛に変身し、地上に出たら1週間程しか生きられない蝉となった中年女を巣に絡め取って今襲おうとしている。♀は子を産みたい。然し蜘蛛の毒牙が目前だ。

「48 MASTER KAZUYA」
 珍しく勧善懲悪物。衣装は「ドラゴンボール」に登場する悟空のものと似ている気がするが。自分はもう漫画を読まなくなって長いので詳しいことは分からない。何れにせよ、4話の中で最もコミカルな作品である。というのもKAZUYAなる若者は四十八手の奥義を極め、向かう所敵なしの性豪としてその名を馳せていたのだが、男性にレイプされたトラウマから一切の性技に反応しなくなった女性グループに快楽を取り戻させる過程で幹部の一人に完敗を喫してしまった。死に損なう程のダメージを負った彼の下へ師匠が現れ、初心を思い出させる。激烈な死闘の果てに漸くKAZUYAは雪辱を果たしたが。その根底にあったのは、好きになった相手のことを心底知りたいと願う心であった。幹部のうち1人は救ったものの、未だ組織には未知の強者が何人いるか分からない。KAZUYAの愛の喜びを回復させる戦いは続く。

「よるをこめて」
 四作の中で最も大人びた内容の作品。一見すると、無論男女の関係を実に抜き差しならぬ正解等何処にも無いような形で提起した秀作だが、その有様を今作は、自我と本能のぶつかり合いに悩む互いに惹かれ合い、互いにこれ以上合うカップルは将来も現れないであろうと思うからこそ、妥協できない点が出てくることが自己自身の内的整合性を保つ上で許せないのだが、現実には同時に、互いの相手への思いやりもあって引き裂かれアンヴィヴァレンツな己を自覚するが故に答えの無い問いを繰り返す徒労感とインポテンツに増々出口の無さを自覚せざるを得ないが、自我の葛藤を創出する以上のような要素の複雑な絡み合いの中に抗い様も無く湧く本能と世間体やら習慣、常識という思い込みも作用して解決不能に陥り悩んでいる。ここに、金さえ払えば依頼者の秘密はキチンと守り、具体的解決策を齎すと評判の社の後輩が呼ばれ、二人の問題解決の為に第三者として関与しアプローチもするという話だ。
 ところで今作が現代日本社会の縮図とも解釈できる点についてだが、他人の悩みや弱み、必要や不幸に付け込んで、ちょっと知恵や頭を使うことで殆ど労せず、最大限の利益を確保するというのが、資本主義社会に於ける「正しい」生き方であるから、カップルより若い資本主義イデオロギーの申し子たる後輩はこの鉄則に従って行動し、まんまとかなりの額の現金を僅かな時間で稼ぐのだ。が、この有様が、当しく現代日本の経済構造そのものである所に作家の並々ならぬ才能を見る。無論、後輩が金を得た後、ラブホに来る前に呑んでいた店で散財し「“宵越しの金は持たねえ”主義なので」と嘯くことで、要領の良いこの後輩もチンピラの貧乏人に過ぎないことが表されている。何故なら宵越しの云々は江戸の貧乏長屋の住人が虚勢を張って言ったフレーズであることは、誰しもの知る所だから、ちょっと頭が回るようにみえても所詮、後輩もチンピラなのである。大人の苦い、苦い作品である所がグー。
糸瓜咲け

糸瓜咲け

URAZARU

上野ストアハウス(東京都)

2019/10/02 (水) ~ 2019/10/08 (火)公演終了

満足度★★★★★

 板上下手手前に糸瓜棚奥の出捌けから客席方向へ延びる通路を挟み和室をL字形に囲む濡れ縁、正面には沓脱石、和室下手奥のコーナーに小机、一輪挿しを活けるような小さな花瓶も置かれているのは、花を愛でた子規の心根を表しているかのようだ。和室奥の桟を通して出入り口が覗く。客人、友人等は主にここから入ってくる。和室とこの玄関の間に廊下、この上手にも出捌け、妹・律や母・八重はこちらから出てくるから奥は台所と考えられる。上手側面壁に戸があり、原稿用紙・執筆原稿等に関連した物が入っている。この舞台美術も実に丁寧に作られ、無論無駄は一切ない。(華5つ☆ スタンディングオベーション! 追記2019.10.8)

ネタバレBOX

 オープニング早々、闇鍋を囲み、闇から生まれた宇宙談義を始めとする、恰も現代になって漸く存在が予測されるようになったダークマターを予見するかのように深く本質的な、而も人類史に冠たるギリシャ・ローマ時代の哲学、科学知を前提とし、更に地元の食べ物という日々我らの命を養う食物に着地する人間活動そのものの神髄を話題に始まる所、天才の臨む限りない碧空にかっ飛ばされた白球の吸い込まれる様は、当に天才たちが集う子規の部屋(=宇宙)に相応しい。序盤で鷲掴みされた子規の特徴をど真ん中の直球で決める手際も見事である。更に幸田露伴に初の小説作品を送り評価を願った件に絡んで後の夏目漱石から評され、小説を断念する下りに実によく詩人と散文家としての小説家の本質的差異が描かれている。ここでは子規の天才詩人としての特性である本質を直感し掴み取る卓越した能力と漱石の知的・論理的で精密な散文家としての天才が対比されており、背筋がゾクゾクするような素晴らしいシーンである。このシーン以外にも序盤には、オッペケペ節を皆で歌い踊るシーンがあるが、この時代自由民権運動の時代でもあったハズでこのオッペケペで現れた体制批判には、無論ルソーの「社会契約論」の中の民主主義思想があったハズだ。勘違いしてはいけない。社会契約論に書かれた民主主義の目指したものは、間接民主主義などという茶番ではない。即ちかつて竹内芳郎が「社会契約論」第3部15章を引いて指摘した通り“人民主権の集中する立法権にあっては、人民は決して代表されない、人民は代表者を持つや否や、最早自由ではなくなる。最早人民は存在しなくなるのだ!”とのルソーの叫び通りのことを基礎にしている。一方、これを馬鹿騒ぎと捉えた妹・律は知能が低いのではない。真逆である。生活者として人間生活全般を仕切り設計してゆく謂わばSE(System Engineer)としての女性の位置と賢さが対置されていると見るべきである。或る意味、男は何時まで経っても子供で生活という地道で苦労の多い而もちまちましているように見える世界に対応するように育てられない。そんな事情もあって生活には疎いのである。際立った女性の賢さが端的に表されたシーンがもう1箇所ある。病床の子規を漱石が見舞うシーンだったと思うが、母・八重が律を促して席を外す的確さは、流石に天才の母と妹の賢さを印象ずけるに充分である。
 また臨終の際、あのような苦しみに耐えた子規が糸瓜の葉の揺れから、他の誰もが指摘できなかった露が一滴垂れたという微小を指摘して息絶える今作の美しさ、写生句を提唱し完成した子規の偉業と、花を愛でる細やかなふるえる神経の蒙り・耐えた痛みの痛切と深みを捉え・定着した天才の宇宙を描き切って見事である。
9.807

9.807

ぺぺぺの会

SCOOL(東京都)

2019/10/04 (金) ~ 2019/10/13 (日)公演終了

満足度★★★★

 打ちっぱなしの床の表面は黒っぽい。長方形の空間だが、壁は白、板中央辺りに、簡易テーブル一応クロスが掛かっておりテーブル中央には水槽、中にはトマト等が入っており、エアが送られて居る為、中でプランクトンのように浮遊している。水槽の周囲には花。(追記後送 華4つ☆)

ネタバレBOX

客席は各長辺に沿った1列ずつ、短辺の一方には丸椅子が8脚、出演者は全員黒い衣装を着て、演じる時以外には、この場所に座っている。作・演、役者陣総てが若い人達のグループなので、脚本はちょっと詩的な言語表現になっており、体内にエネルギーを溜めて、表現する際にも可也圧を掛けて内圧を高め、その有様を観客に感じさせるような演技なので役者陣は相当大変な負荷を負うが、それが現代日本を生きる若者の体験している深い社会矛盾からの圧に対抗し必死に悩み、耐えているように感じられて、今のような日本を結果的に赦してしまった自分達先達としては申し訳ないようにも思うが、若者は今後自分達の力で何とか生きる道を掴んでゆかなければならないから、サジェッションだけは後程することにしよう。

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