ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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苺と泡沫と二人のスーベニア

苺と泡沫と二人のスーベニア

ものづくり計画

上野ストアハウス(東京都)

2020/02/05 (水) ~ 2020/02/09 (日)公演終了

満足度★★★

 余りに幼稚。中心になっているのは27歳の、それもリアリスト傾向の強い女性。この描き方では観客の期待する人間は見えてこない。

ネタバレBOX

 今回の作・演はものづくり計画2度目の勝又 悠氏。普段映画を作っている人だが、前回(2018年ものづくり計画主催の「夜を徘徊」で舞台演出家としてもデビューした。こういった経歴の人なので未だ小劇場演劇の舞台の奥の院についての認識はないようである。今回の作品も中心になる27歳の女子たちの余りの子供っぽさに呆れてしまった。日本人の多くは現在世界各国の同年代と比較して極めて子供っぽいと感じる。分かり易い実例を挙げてみよう。大人と子供の法的な差は、定められた年齢に達して主権者となっているか否かという点で区分できよう。 
 無論歴史的経緯や国籍などの要件で日本国籍を認められなかったりする場合もあるが、分かり易くする為、ここでは取り敢えず一般的なことのみ論ずる。ところで海外で何年暮らそうとも、日本人の殆どは日本人とだけ群れたがる。これでは海外で暮らす意味がない。で、このような海外経験しかできない日本人も、言葉が出来ない訳ではなく、そもそも自分の考えを己の意見として言うことができない傾向がある。それは己が一個の人間として生きる時、少なくとも民主的な社会では権利と義務を負った社会的な存在であり、己の頭で考え他の人々と共存して行く為に必要であり、また人間として当然守るべき倫理や生活態度全般に対し、己の信じる正しいもの・ことに照らして己の思考・行動を審理し、間違っていれば原因を究明して改め社会的責任を果たす主体的自由市民として行動し、生きることであるハズである。然るに今作で描かれている若者のキャラは、そのように当然な人間としての意識も、自由の主体としての市民意識も、己の頭を用いて世相を観察し己の社会的存在を自覚しつつ選んだ結果にも責任を持たず、寧ろ異論・反論がある場合にはぶつかることを避けて通るような情けない生き方のみが猛威を揮って、主体たるべき個々人を内外から腐食してまさしくアパシー的状態に追い込まれた情けないというか、生きながら死んでいる、精神のゾンビそのものであるようだ。こんな状態が招き寄せる未来が暗いのは必然である。
 本来、小劇場演劇の持っていた可能性は、このように腐り切った社会を苛烈な批判的精神によってぶった斬るような精神を持っていたハズである。かつてブレヒトが実践したように。今作はそれとは真反対の作品であった。若い人にはもっと戦って欲しいものである。自由を惨殺するような連中と。
トタン屋根でスキップ

トタン屋根でスキップ

ここ風

シアター711(東京都)

2020/02/05 (水) ~ 2020/02/11 (火)公演終了

満足度★★★★★

 小屋の使い方を観て感心してしまった。一般に舞台美術がしっかりしている劇団は作品の内容も良いという感触を持っている。(べしミル華5つ☆)

ネタバレBOX

物語の展開は町の喫茶店で進行する。従って舞台上の大道具は喫茶店の店内を模したものだが、面白いのは正面奥がガラス窓になっており、そこには一脚のベンチが背を客席側に向けて置かれている点である。このようなレイアウトにすることで舞台自体に奥行きが出て、進展する中で深まってゆく今作のシナリオと照応し合う。
 脚本は、適度な笑いを鏤めながら、ドンドン深まり、作家の人を見る目の確かさを証立てている。殊に苦労人や深い悩みを抱えながらその悩みに誠実に対応した人間のみが持つ正鵠を射た観察力の鋭さや、世の中を下から見る視点による世間解析の確かさなどが随所に見て取れる点もグー。無論、脚本のみならず、役者陣の演技自体、演出も良いことは、苦しみを抱えた人々の特性としてキチンと描きこまれ、表出されている点からも見て取れる。
 今作の作家・霧島ロック氏は北海道戯曲賞優秀賞を受賞しているとのこと。拝見して実際良い脚本であり、良い演出、舞台美術を含め、役者陣の演技は無論のこと良い舞台である。ところで普段北海道で活躍なさっているのだろうか? 霧島は九州の焼酎、それをロックで飲むのが好き、と解釈したが。
鳰の海

鳰の海

劇団TRY-R

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2020/01/31 (金) ~ 2020/02/02 (日)公演終了

満足度★★★★

 どんな物語か短く言うと、伊賀の里の伝承として、鳰の海の央に在ると伝えられた“沖の白石”と呼ばれる岩礁を発見した者は太平の世を戦乱の世に変えることができるとの言い伝えを巡る物語と言えようか。(華4つ☆)

ネタバレBOX

但し鳰の海が何を指すか定かではないし、実際に存在するのか否かも定かではない。基本的に5W1Hは一切分からない所から始まる。登場するのは、現にも夢にもあらぬ場所でアショカ王に仕える者ら、「奥の細道」の旅路の松尾芭蕉に供の曾良、安土城を建てた頃の信長とその親族として登場する信勝ら。後代魔王などとも評されることになる信長の新し物好き・短気という気性、天下布武に対する念と覚悟、無論その天才性などもキチンと示されると同時に極めて特異な城であった安土城がなぜ、琵琶湖畔に築城され、その目的は何だったのか? 通常の解釈とは全く異なる今作独自の解釈になっている点もグー。また、北を目指す思想は中国の思想でも儒教ではなく、道教だという点をベースにしているであろうことも面白い。
 芭蕉がわざと間違った振りをして口に出すのは杜甫の「春望」、国破山河在 城春草木深 感時花濺涙 恨別鳥驚心 烽火連三月 家書抵萬金 白頭掻更短 渾欲不勝簪。に無論、芭蕉の生まれ故郷、伊賀の里を信長によって滅ぼされ、自らは老いた身で流浪する流謫の惨めを示唆すると同時に、日本の和歌などの伝統のみならず、漢詩にも素養のあった江戸期文化人の素養の質も示しているであろう。江戸期のみならず明治時代の文豪などの漢文力が頗る高かったことはよく知られている。当然のことだが、往時漢文の素読は勉強の基本中の基本であったから金のある町人や、村方・町方三役、武士は無論のこと、教養ある男子は漢文に長じていたのである。         
 一方、俗説で芭蕉が忍びであったという説を巧みに利用し、壊滅的打撃を被った伊賀の忍びが再度活躍できる時代を作る為に、曾良と別れた後芭蕉が、伊賀上人・百地三太夫の末裔としてその術の総てを尽くし沖の白石発見に挑む姿は見せ場の一つ、また芭蕉の忍者説程人口に膾炙してはいないものの、実際に忍びの為の旅であったなら、若い曾良が忍びで芭蕉は、そのカモフラージュに使われた、と解釈する説もあるとのことだからリアリティーとしては後者を取りたい。が、忍者説自体仮に本当だったとしても、秘密を明かさないのが忍びである以上、詮索に余り意味はあるまい。寧ろ、ところどころ、おちゃらけに芭蕉の句に間違いを意識的に仕込みながら、ちゃんとした教養の質を示し続け、信長の進取の気性と賢さ、海外に迄目を配る先見性などとも照応させ、知的レベルを下げずに話を進めていることを評価したい。
 さて、少し鳰の海についても解説しておこう。現実に存在しているのは琵琶湖であるが、鳰という漢字を分解してみると、“入”と“鳥”に分かれる。これは人が鳥のように飛ぶことを表していると解釈する。安土城の天守の真北に琵琶湖の丁度真ん中はある。道教の関係があるのであろうこの北信仰に絡んでか、精神世界が入り込む。仏教の六道輪廻や仏道の説話、仏も絡み、時空を超えるか、或は量子力学的な古典物理学とは異なる重なり合う世界のイマージュ(シュレジンガーの猫)に近い琵琶湖が鳰の海に変じる方途があるとされる。一つが先に挙げた北方に向け、鳥として真ん中に行き、沖の白石に辿り着く方法、もう一つが百地三太夫の採った北方へ潜ってど真ん中へ辿り着く方法である。二人は各々の方法で沖の白石を発見するが。伊賀の伝説はあくまで伝説であり、答えは普遍的なものであった。ところで曾良は、どのように空を飛んだのか? 信長が協力してくれたのである。安土城の天守閣には、ダヴィンチの考案した飛行用の鳥が置いてあったのだ。曾良は一足遅れたものの、師匠の発見した沖の白石を発見し、伝説の意味する所を解き明かした所で幕。
 照明、音響、衣装もグー。脚本も面白いが、作演も役者も基本的に若いので、脚本に書かれていることの身体化については、もう少し勉強する必要がありそうだ。殺陣が様式化しているのは悪いことではない。メインは脚本にやや重点を置いているだろうからだ。スモークの焚き方、タイミングも良かったし芭蕉が沖の白石発見時の戦争シーンも音響、照明共に効果的であり赤布も効果的に使われていた。
即興インプロ鍋

即興インプロ鍋

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2020/01/04 (土) ~ 2020/01/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

 実は、この公演2019年のクリスマスイブにプレシンポジウムがあった。

ネタバレBOX

 堤中納言物語に登場する姫は13歳、当時13歳といえばやんごとなき女性は結婚をする年頃、眉毛を抜き、歯を鉄漿で染めてというのが高い身分に生まれた女性の常識であったが、この姫は、そんな慣習に頓着するようなウツケでは無い。それどころか掌に芋虫などを載せて良く観ている折「本地尋ぬる」とのたまう。これは仏教の概念だそうで本質を見るという意味だとか。芋虫が蝶々になれば誰しもが美しいとか、飛び方が素敵とか讃嘆の声を漏らすが成虫になって仕舞えば残る寿命は僅かだ。蝶々になれば美しいがその時、命は風前の灯、寧ろ姿は醜くとも蝶々になる為に懸命に生きている。このことが本質なのではないか? そのようにけなげな姿を見た時、命そのものを愛おしく思う心を、姫は“愛づる”という言葉で表現しているのだと、生物学者の中村 桂子さんはおっしゃる。そして姫の愛はLoveではなくギリシャ語起源のPhilosophyのsophyを愛する方だとおっしゃる。自分も先生のおっしゃることに同意する。科学や技術が凄まじい勢いで発展し我らの生活は便利になった。然しそれと引き換えに失われたもの・ことも実に多く例えば地球温暖化等も我々の化石燃料使用や原発の温排水等の影響も無視できるハズが無いこと明らかである。何となれば100万KW級の原発1基が稼働した状態では1秒間に70トンの水の温度を7℃上げる。河川名を具体的に挙げて示した方が良かろう。これは多摩川と荒川2本の河川の1秒の流量を合わせたほど膨大なものだ。無論、制御棒を差し込んで炉心の反応を停止させても崩壊熱が出続けるからエネルギー放出量は漸減しても0になるまで非常に長い時間が掛かる。これが福島第1原発人災の水素爆発の原因だということ位知っていよう。更に言えば地球上のCO2 の殆どは水に溶け込んでいる。こんなに水温が上がれば水中にあったCO2が大気中に出てくること位、子供にも簡単に分かる。3.11人災の実害を矮小化しようと国・政治屋(安倍以下利権政治屋の面々)(通算、文科、外務他の、公僕であるハズの官僚共)もチェルノブイリ・フォーラムに関わった推進機関(IAEA,FAO,UNDP,UNEP,OCHA,UNSCEAR,WHO,更に世銀。)他にICRP、放影研、福島医科大、沖電を除く電力会社、原発建設や原発そのものの製造、メンテなどに関わっている・いた企業(GE,ウエスティングハウス、アレバ、東芝、日立、三菱重工、ロスアトム、斗山重工業、各ゼネコン)こいつら総てが単に利権の為に子供、妊産婦の未来を台無しにしている。放射性核種がどれほど排出されたのか基礎的データは人災後随分時間が経った所で発表されたが、計算の起算日が約1週間遅れた時点から開始されていた。こんな初歩的なマヤカシですら見抜けない日本人が圧倒的多数であったろうことは、この人災について本を書いている人間以外自分は数十人に訊ねてみたが正解は1例も無かったことからもほぼ断定できる。訓練された政治的白痴の実例、大多数の日本人。実に残念なことだ。何れにせよ既に多くの子供、若い女性が深刻なダメージを受けていると考えて行動した方が良い。時代状況とこの「国」の特徴である非人間性がこのような状態であればこそ、中村 桂子さんの本質を観る目と深い知性に裏打ちされた認識周辺でだけ、何時まで経っても大人にはなれない男の子(おのこ或いはおのわらわ)らが歌い戯れることができるのだろう。それもこれもDNA自体の健康あればこそである。ところで放射線核種による被害は無論こんなことだけで終わってはいない。日本では一切が無視されている内部被ばくについてもその影響は如実に現れている。イラク南部のバスラ周辺では、米軍の使ったDUの影響としか考えられない癌、奇形児出産や死産、白血病等々が湾岸戦争終結から数年で多数みられるよういになったし、コソボでも似たような事例は多く報じられた。自分が実際に小児科や産婦人科の医師から見せて貰ったデータは、戦場カメラマンにも多くの友人を持つ、死体の写真には慣れているハズの自分が言葉を失う程凄まじい実例であった。無論マスメディアでは、余りにも痛々しくてこんな写真は発表できない。更にチェルノブイリ原発事故の真実を追い求め弾圧や投獄の憂き目をみながら真実を明かしていったウクライナ、ベラルーシ、ロシア3か国の被災の酷かった地域では2011年時点で、即ち事故後25年で大幅な人口減少が観られている。死亡率は死産を含めて出生率の2倍以上、地域差はあるものの人口率の減少は20%程度である。而も1986年4月26日に事故が起こった後、半径3Km圏内は翌日、強制退避、その後1~2カ月で半径30㎞圏内の者も退去させられ現在尚基本的に立ち入ることは出来ない。(少数のお年寄りなどが退去を拒否している例はあるが、年齢が高くなれば被ばく感受性は子供や妊産婦の数十分の一で済む。この原因は新陳代謝が不活発だからだ。良く共産主義や社会主義の何たるかも分からず、アナーキズムに至っては言葉だけを聞いたことがあるような人々が判で押したように共産主義は自由が無く抑圧的云々とのたまうが、今迄地球上で共産主義が実現した国は一つも無い。また、何も知らずに知ろうともせずに知的怠慢を貪りながら彼らが批判していたソ連ですらが、事故後の対応は日本などより遥かに迅速で時宜を得ていたし、日本は計測値が低くなるように細工をした上で空間線量しか計らない好い加減な計測だが、日本より遥かにマシで空間線量以外に土壌線量も計測している。ちゃんと生き物として人間を含む動植物に対しているのだ。文科省の官僚を議員会館に呼び出して疑義をぶつけたことがあるが、出席した2人の官僚は答弁としては何ら意味の無いことを何度も繰り返し応えるだけで、当に木で鼻を括った、人を人として扱わない下司の内実を見事に明かしていたし、元通産官僚だったという30代前半の奴と話をした時放射線核種による被害についてどう考えるか? 訊き糺した所、突然変異の可能性があると応えられた。無論、その可能性はある。然し生体が突然変異を起こした場合生き残る確率は極めて低いので、更に質問をした。子供は居るかを訊ねると、居るという答えだったので、じゃあ、お前の子を連れて福島や汚染の酷い地域に行って住めるのか? と問うとだんまりを決め込まれた。それでも自分の話した元通産キャリアの人物は多少はマトモな所があったのだろう。早くに見切りをつけて辞めた訳だから。
様々な所で仕事をしていた時、良く見掛けたのが公僕であることすら意識できない官僚が偉そうに、関係業者から接待を受け続け、矢張りデカい面をして政府方針などを押し付けるのみならず、天下りはし放題の状態だった。官々接待やノーパンしゃぶしゃぶなどの破廉恥行為も散々報じられた。何故こんな下司共に諂わねばならないのか? 彼らは公僕に過ぎないというのに。政治屋共も然り。税金で生かして貰っているのに、当選しちまえばこっちのものとばかりに利権・利害で動き、民意など一切反映しないのが自公などの下司だ、安倍晋三のように学生時代皆のパシリだったようなチンケでアホな人物が長期政権を担えるのは重厚長大産業(三菱重工、日立製作所、東芝、川崎重工、新日鉄等々とそれらを各グループで束ねる三菱UFJ銀行、住友等の金融機関との露骨な連携があるからだ。三菱重工を叩くにはローソンの不買運動なども効果的だ。ローソンの幹部は現在三菱系であるから戦車等の武器を作って海外の市場を狙うような三菱の息の掛かった店では買わない、と実践すれば良いだけのことだ。民意を舐めるとどういうことになるか思い知らせる必要がある。政治屋共を叩くには、現在の小選挙区制を大選挙区制に改める。現在、法で禁止されている直接民主制を導入する。政治家を人や党で選ばず公約とそれを実現する為のロードマップで選び実現できなかった場合は直ぐリコールできるようにする。また公僕たる官僚が民意を反映しない場合に任免権を国民が持つ、最高裁裁判官全員のこれまでの判決事例と判決趣意書を提出させ日米地位協定に対する立場を表明させる。マスコミはこれら総てに関してキチンと報道する。閣議決定は基本的に禁止、どうしてもという場合は関わった総理、閣僚総てが各案件に対して絶対的責任を負う。失敗した場合は個人財産は総て没収、政界を追放するのは第1弾に過ぎない。メディアは閣議決定に関わった政治家総ての氏名を閣議決定の度に総て発表することを法制化するなど。また民意を反映しない戦争への道に繋がるような政策に加担する政治には税金を払わない権利を法制化するなど。但し、国民は自らの選んだ政策が実現化した時には主権者としての責任を個々のレベルで負わねばならない。だいぶ横道に逸れたが、阿保な日本を変えるのもまた政治の力が大きいのだ。
残機尽きるまで私は戦う~再演~

残機尽きるまで私は戦う~再演~

U-33project

高田馬場ラビネスト(東京都)

2020/01/30 (木) ~ 2020/02/02 (日)公演終了

満足度★★★

 高校を卒業して6年、久しぶりに仲間5人がみっちゃんの部屋に集まりパーティーを開くことになったが。(追記2月2日0時5分)

ネタバレBOX

みっちゃんを除く4人は他の1人に対してこれだけは許せない、と感じている所があり、その点でいつも喧嘩になる。それを止めてきたのがみっちゃんだったが、6年経って皆変わっているのでは? と期待していたみっちゃんの想いはアッサリ裏切られることになった。今やCIAのエージェントとして活動している彼女はC-4(プラスチック爆弾の一種、可塑性がありTNT火薬の1.34倍程度の爆発力があるが、爆弾として用いるときは一般に雷管や信管を用いる)。
当パンを基本的には敢えて読まずに観劇することを心掛けている自分が、その状態で感じたことを先ず挙げておく。みっちゃんがCIAエージェントだと分かったシーン以降が面白いと感じたのだが、理由は女性の生き方を一般的にいうと底を明かさないという方法だろうが、その社会的対応がそのまま表出され、狡さも含め、作家がその点を意識の俎上に載せている点を評価した。(当パン記載の作家名では男性・女性の弁別は判然としないと考えた。無論一応男性と読める表記ではあるが、小野妹子の名や紀貫之の「土佐日記」冒頭“男もすなる日記というものを云々”の例もある)然し帰宅後に当パンを読んでみると2016年7月の初演とある。かなり間が空いているのに、当パンの書きぶりだと余り内容は変えていないらしい。だとすれば問題である。これだけの時間がありながら社会に対する認識が殆ど変っていないことになるからである。みっちゃんがCIAのエージェントであることは、まあ良いとしよう。日本には正力松太郎を始め多くの売国奴が居た(る)わけだし。だが、スパイ組織ともあろうものが、たかが友人同士のいざこざ如きに介入するハズもない。スパイである以上、目立たぬことが第一であるから。この程度の認識は、多少知的戦いを経験したことのある者なら誰もが身に着けている基本である。(この点で現実認識に弱点があることが見て取れる)
一方、タイトルに用いられている残機という単語はゲーム用語で、最初音だけ聞いた時には“慙愧”などと随分難しい単語を知っているではないか‼ と驚いたのだがチケットの表記を見て、ハテ? となったのは自分がゲームには疎いからである。何れにせよ、ゲームでしか頭を満たしていないのであれば、足掛け4年の年月も何ら社会的知の拡大に繋がっていない状況が腑に落ちた。つまり作家は3年半というもの、相変わらず社会的成長を遂げていないという恐るべき状態にある訳だ。なるほどこれだけ悪い方へ極端に変わっている日本の政治状況を認識する術すら持たぬほど、そしてその危険に自らの力では気付けないほど訓練された白痴というものを作ることに専念しているのが、文科省が勝手に作っている指導要領の結果かとも思い、真面目にそんな馬鹿げた要領に反抗もしない「マトモ」な優等生的感性かとは思ったが、無論、教育は教科書だけで成り立つものではない。社会、マスコミ、人間関係や本人の語学力、情報収集能力や分析力、好奇心とイマジネーション等々様々な生きた経験の及ぼす力が大きい。だが今挙げたようなこと総て・即ち自分自身で自分を磨かなければならないということに気付ける能力とその開発に用いるべき時間がゲームのような蛸壺的な世界に代替されているとしたら、これは実に危険なことだと言わねばなるまい。下らない文科省指導要領に従っているようでは、人間的な成長は基本的に生まれようもないからだ。こんな自分の想像が正鵠を射ていないことを願うばかりだが、自分の想像通りであれば、実際に爆弾は炸裂し、その後のことが記された作品と読むことも可能だ。爆弾は、無論C-4ではない。空疎、否、より正確に表すなら空虚そのもの、即ち日本流に言えばこの爆弾の爆発の結果、鵺が蘇ったとでも言うべきか。訓練された白痴が自ら選び担う泥船の行き先、その明らかな被害者とその具体的被害状況のアウトラインも更に明確に見えてきた。残念至極!
ストリッパー物語

ストリッパー物語

URAZARU

オメガ東京(東京都)

2020/01/15 (水) ~ 2020/01/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

 余り一般の人々に気付かれないことから書いておいた方がよかろう。

ネタバレBOX

差別は実際には極めて微妙なものだ。ヘイトスピーチの如く、どんなに鈍感で自分の頭で考える力の無い者にも露骨にアピールする力だけある政治的言辞というものはある。しかし実際に差別を受ける者にとって差別というもの・ことは無論、ヴァイオレンスや虐殺が無いではないが、日常生活の只中で遥かに深く静かに被差別者の精神の屋台骨を蝕む獅子身中の虫、油断すれば己が思考さえ差別者の思考に重なる。当然のことながら差別する側の者の殆ど総てが差別のこういった構造に気付いていない。
 今作で最も緊迫した場面が連続するのは序盤から、彼女の病変にヒモが気付く辺りまでであり、終盤失踪した彼女が最後に大阪のストリップ小屋で発見される一件を除けば、終盤は、つかが一般向けに極めて分かり易く解説して見せているということになろうか。
 この辺りのことをキチンと読み取ることができる観客には、売春捜査官や熱海のように顕在化された差別ではなく、見えぬ差別の根深さと地獄をこれほど見事に描いた作品の名作ぶりが感じられるであろう。その証拠に「落ちて落ちてどん底迄落ちて選ぶことを止めた」と、選ばされることを逆手に取って起死回生の一手を打ったヒモの、総てを許すことによって、否それを自ら選び取ることによって、人間としての最後の証明、即ち優しさを命を賭けて獲得したストリッパーとヒモの差別構造そのものを相対化しようとする営為の持つ優しさの意味する所は分からない。
 演出、演技、照明、音響何れも高い評価を与えることのできる舞台であった。
全段通し仮名手本忠臣蔵(2020)

全段通し仮名手本忠臣蔵(2020)

遊戯空間

浅草見番(東京都)

2020/01/29 (水) ~ 2020/02/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

 初日を拝見した際、30日は休演日ながら、ワークショップをやるというので、これだけ優れた舞台を作ることのできる方法、手法とは何か? と在り来たりな発想で伺うことにしたのだが。13時から17時まで途中10分の休憩を挟みあっという間の4時間。ただ、観ているこちらも参加型でもあり、全十一段を通した後は呆けたような状態であった。全身全霊、作品との格闘である。ワークショップも無論華5つ☆。(追記2月1日02:17)

ネタバレBOX

 役者陣に交じって朗読に参加した人達の中には、腹筋が痛くなったという方もいたぐらい、実は激しいトレーニングである。というのも全十一段のうち息抜きができるような部分が無い。七五調の古文によって描かれる台詞内容は、殆ど総ての段で命賭けの対峙である為、気の休まる暇もないのである。だから、ぼんやり眺めて居るだけなら立ったり座ったりと動作は大して大きくないように見えるかも知れないが、演じる者の内面では実に激しい精神的・知的・肉体的葛藤を通して内面化されたもの・ことを身体表現として表出すべく、将に格闘が行われているのである。それは、古語によって描かれた命そのものの葛藤と現代日本に生きる我々との真向勝負でもある。
パズル

パズル

A.R.P

小劇場B1(東京都)

2020/01/28 (火) ~ 2020/02/02 (日)公演終了

満足度★★★★

  多くの日本の喜劇に言えることだが

ネタバレBOX

観客に阿って彼らを洒落のめす作品が極めて少ない。この点に日本人の自己批評の脆弱性を見る。この傾向は我々の日常のありとあらゆる側面に表れている。無論、喜劇である以上笑いを取ることは必要だが、それが常に体制内で許容される笑いだけなら、表現としては爆発的な力を持つまい。
 将に今、日本丸が泥船と化し沈没の危機にあるなら、この馬鹿げた世相の全容を洒落のめす作品が出てきてもよかろう。しかしそのような作品は極めて少ない。この傾向は今作に限らず、日本人の作り出す表現の殆どに通底する傾向ではないか? この一般的な日本の問題を除けばかなりよくできた作品だが、この小屋は」型に客席があり、拝見した回は、」の縦側に客は1人。横側はほぼ満席だった。が、シチュエイションを説明するスクリーンの向きが1人しか観客のいない側に見やすくなっていたように感じた。可能であれば、観客の多い方にスクリーンの向きを調整してもらいたい。
 作品全体の構造はオーソドックスで、様々な要素が一か所で同時に起こることによる滑稽が描かれており、これが基底を成す。場面、場面で桁外し、誇張など基本的な笑劇の要素が鏤められ楽しめる。
全段通し仮名手本忠臣蔵(2020)

全段通し仮名手本忠臣蔵(2020)

遊戯空間

浅草見番(東京都)

2020/01/29 (水) ~ 2020/02/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

 必見、華5つ☆(1回目追記2月1日 10時35分、2回目追記2月2日11時5分)

ネタバレBOX

 雷門から浅草寺本堂左脇を越え影向堂が正面に見えたら左へ。境内を抜けると目の前に花やしき通りの看板が見えるから境内を出てすぐ右折、直進すると車通りの多い道に出るから信号を渡って真っ直ぐ。道右側を見ながら暫く歩くと浅草検番はある。雷門から男の足で10分程度は歩く。この小屋は初めて行ったが、渋い。演目は二階で演じられ、靴は一階で脱いで階段を上がると障子が連なり、客席に通じる中央通路には和歌を記した衝立。久しぶりに純和風の建物に入った感覚に普段は忘れていた風情を感じ打たれた。客席は最後列2列は椅子だが、殆どが座椅子である。
 何れにせよ、達筆な文字の書かれた額が正面に。舞台奥には六尺、六曲一双屏風が二つ。音響は生演奏の尺八、横笛、拍子木、太鼓など。この演奏も素晴らしい。が何にも増して江戸時代の言語で書かれたこの作品を上演する演者たち各々が古語をよく理解し、深く内面化させた上で内側から発現するような表現にまで身体化し得ていることに、ほとほと感心させられた。流石は遊戯空間の作品である。
 これだけの難物をよくぞ、ここまでと思わせるのは、自分は皆が一所懸命に勉強していた時に遊び呆けていたうつけ者故、古典の素養は無いに等しいのだが、その自分にすら、解説を読まずとも脚本の素晴らしさが生き生きと伝わってくる見事な出来であり、演出であり、音曲とのマッチングも実に微妙、精妙。打てば響くとはこのこと。むろん、衣装もよく考えて合理的に作られたもので、黒衣に白の襟を付けただけで討ち入りの陣羽織に変ずる優れもの。こういった細かい点にまで神経の行き届いた見事な作品である。
 前段最初に「難物」と書いたのも、例えば語り手はタイトル、「大序」から始まって十一段目まで総て声に出して読んでゆくのであるが、黙読を常としている我々、現代日本人の多くはタイトルを始め、大序、~段目などを殆ど無意識のうちに飛ばし読みしてしまうから、実際舞台に上がって直ぐこの習慣が完全に改まるか否かすら難しい。なんとなれば習慣とは第二の天性、本能ともいうべきものだからであり、改めるにこれほど難しいこと・ものは滅多にないからである。この辺りが先ず日常生活を生きる我々生活者と演劇表現に携わる人々との決定的な差であろう。更に例えば九段目をどう読むか? 古語としてクダンメと読むのが正しいのか、或はキュウダンメと読むのが正しいのか? といった実に単純な問いにさえ容易に答えを出せないのが素人の我々ということだ。無論、演じている役者陣、今回の脚本・演出を担当している篠本氏と雖も我らの同時代人、こういった基本の基本を含め総て日々の学習、鍛錬の結果身に着けてきた成果である。それがこのような形で花開いているのだ。観に行って損はない。否、是非とも観るべき作品である。
 無論、これだけ質の高い上演だから、照明も気が利いた腕前を見せている。何か所かでハッとさせるようなセンスを見せられた。
 当パンに記されていることと重複するが、今作の原作が書かれたのは史実の47年後。とはいえ幕藩体制は続いていたから、下手に目を付けられれば発禁、上演中止などというリスクを伴いかねないばかりか、原著者三名は入牢などもあり得ようから、態々「太平記」を設定に用い言い逃れ可能にしていることは火を見るより明らかだ。太平記の設定にしている以上、赤穂藩主・浅野内匠頭、家老・大石内蔵助などの名が出てこないのは必然であり、討たれる仇・吉良上野介の名も同様に出てこない。また、原作通りの脚本で全段通すと十時間を超える作品になってしまうから、現実に完全に原作通り演ずるのは殆ど不可能だ。そこで篠本氏が今回上演されるこの長さ迄原作を刈り込んで脚本化している訳だが、大切な部分は省略しておらず、全体の流れがよく見えるような形で脚本化しているので、歌舞伎などでは省略されがちな二段目と九段目との関係、太平記の筋と仮名手本忠臣蔵原作の筋二つの筋が絡み合い、作品を重層化している所が良く分かる点もお勧めだ。無論、原作の脚本も非常に優れた作品だから、丁度作品の真ん中を占める六段目、歌舞伎では勘平役を二枚目役者が演じ序破急の央を華のある場面にしている。
「朝日のような夕日をつれて」

「朝日のような夕日をつれて」

株式会社STAGE COMPANY

本所松坂亭(東京都)

2020/01/14 (火) ~ 2020/01/19 (日)公演終了

満足度★★★

 ベケットの「ゴドーを待ちながら」

ネタバレBOX

を何とか越えようと努力しているのは分かるが、ベケットにはある深刻さが飛んでしまって、内実の無い日常の耐え難さも精神をワヤにしてしまう地獄の‟待ち“も何ら表象できていないので、薄っぺらで表層的な作品に堕してしまった。この空疎と表層しか見ぬ態度、それで良しと己を納得させているのが、現代日本の姿であり、それが新自由主義と呼ばれているなら、その姿をアイロニカルに描けばよいし、そのような視座で作られていたのであれば、極めて面白い作品になったであろうが、残念である。元々、「ゴドーを待ちながら」は、サンドイッチよろしく中身はなんでもござれを許す作品構造を持っているのだから、この点をもっとシリアスに時代の迷妄を貫き通すほど強く、鋭く突き破って欲しかった。
 現代日本の体たらくは、自分の頭で考え抜き、根源・原理に到達したなら、それを如何なる形で社会に還元するかを考え、新たな世界観を創生して、自分の発想を現実化する為の現実的方法に思いを馳せてプロトタイプを作り実験を重ねて検証した後、世間に発表しその原理なり発想なりが世界に認められるか否かを問うわけだから、時間も費用も掛かる。だが、日本はこういうことをやってこなかった。更に悪いことにこのような発想をすることができ、現実化できそうなタイプの人材を寄ってたかって潰してきた。結果、数十年前から頭脳流出が激しく有為な人材の比率はどんどん下がってきたというのが現実だろう。このままではオリンピック迄は何とか誤魔化せても、泥船であることに変わりはない。現時点はフェイクだのズルだの嘘だの詭弁だのありとあらゆる卑劣な手を使って、真実を覆い隠しているに過ぎないことくらい小学生にも分かる。この愚劣が進む先を見せるのも演劇の大切な役割だろう。私とは他者であり、その視点でも己を見ながら異なる身体を持つ他者と、認め合う部分は共有し競合すべき部分はフェアに競合して自他共に作る社会を見る必要がある。
 無論、これがデキない社会だからこそ、今作を上演しているのであろうから、この無能な社会の非に警鐘を鳴らす為に、このようなヴィジョンを作品中の適当な箇所に埋め込んでおいて欲しかったのである。
はざま

はざま

Reading Bitter

ザ☆キッチンNAKANO(東京都)

2020/01/25 (土) ~ 2020/01/26 (日)公演終了

満足度★★★★

 仏教で謂う所謂「中有」から発想を得ているのかもしれないが、

ネタバレBOX

脚本から感じる感性の柔らかさからは若い女性作家という印象を持った。無論、キリスト教が西欧を席巻する以前の人々が死後赴く場所と後のキリスト教徒に考えられた冥界でもあるまい。
 面白いのは、中有と同じように“はざま”に滞在できる時間は限られており、はざまにいる間、個々の「主体」は何らかの特殊能力を持つ。ただどのような特殊能力が何時発現するかは神も答えを持たない。全能である神はすべての権能を持つが、余程の危機でない限り全能力を発現することは禁じられているからである。何となれば、その能力を発現せねばならないような危機は、神と敵対する勢力が、神の技を盗み使いこなす危険のある今、神や敵の存在のオーダーそのものをリセットしてしまう危険を伴うからである。
 ということになっている。だが、このシナリオに描かれてはいないが、決定的な欠点は表現する者にとっては最早語るも恥ずかしい、神の視座の問題を蔑ろにしている点である。即ち、ゲームを作る者の視座で書いていることの無視である。脚本の内側の、作家の意思でどうにでもなることを、恰も絶対的危機として単純に表明している所に難がある。こういった基本的な点を無視すれば、物語の展開はそれなりに面白いし、先に上げたように感性の柔らかさも評価できる。彼と彼女の関係にサスペンス要素と愛も埋め込まれていてかなり面白い。
 然しながら、台本を持ってのリーディング公演で噛む場面が何か所もあった。これは勘弁願いたい。
カラカラ。

カラカラ。

劇団もっきりや

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2020/01/23 (木) ~ 2020/01/26 (日)公演終了

満足度★★★★★

 タイゼツベシミル。(華5つ☆)

ネタバレBOX

差別・被差別の話だが、この問題を描くことには大きな困難が伴う。実に微妙な問題だからというのは無論のことながら、あっちやこっちから横やりが入るという状況をも意識せざるを得ないからである。その困難を押して作品を仕上げた作家に先ずは敬意を表すると共に、演出の意図を正確に読み取り自然な演技に昇華した役者陣の創造力・イマジネーション、身体性も高く評価したい。
 ところで、今作 成功の鍵は、直球で勝負している点にあろう。差別は、される側のほうがその本質を掴む。それは多くの場合、差別する側は、自分の頭を用いて深く考えずに、予断や習慣といった謂わば第二の「自然」に立脚して知的怠慢に陥るのみならず、それが知的怠慢でしかないことさえ気付かぬか気付かぬふりをするからだ。理由は、無論その方が楽だからであるに過ぎない。この辺りの曖昧さに対して、作・演出家は真っ向から向き合っているが故に、直球勝負なのだ。この姿勢には微塵も偏向や偏見がない。そして、この最も肝要な点を全員が理解し、創造していることから今作の素晴らしさが生まれている。本物の芝居である。
 無論、更に深読みすれば、差別が固定化することにより差別を受ける人々は、戦争の央であれ、或いはその準備の段階であれ、まっとうな意見を無視されるのみならず、故無きバッシングや恫喝、嫌がらせ、非人間的扱いなどありとあらゆる辛酸を嘗めさせられる。在日の方々、アジア・アフリカなどからの労働者、沖縄出身者やアイヌの血を引く人々などが、どれだけ不利で理不尽なもの・ことを押し付けられているかちゃんと目を見開き、バイアスをかけずにみれば誰の目にも明らかであろう。
 王は王であるがゆえに王であるわけではない。臣下や民が王と為すから王で居られるだけである。
イヨネスコ『授業』

イヨネスコ『授業』

楽園王

サブテレニアン(東京都)

2020/01/21 (火) ~ 2020/01/26 (日)公演終了

満足度★★★★

 16年前に上演したものの再演とのことだが、

ネタバレBOX


教授を演じたのが女性ということで、
男性が教授を演じるバージョンでは、男女の性を抉る演出になることが多いようだが、戦争が進行する世相や階級差などジェンダーに関する部分がより明確に浮き上がる作品になっていた。
 思えば2014年7月1日には、集団的自衛権が閣議決定され、完全に後戻り不可能にな
ったわけで、ここから先日本は行きつく所まで行ってなお目覚めない、阿保そのものの坂道を地獄まで落ちてゆく。秘密保護法が強行採決され、共謀罪が成立した段階で終わっていた。というか天下分け目の選挙で自民が大勝した時点で終わっていたにゃ。それが、今作の主張であればより面白かったのだが、そこまでの掘り下げはなかった。
COLORS -TONICA SPECIAL CONCERT VOL.2-

COLORS -TONICA SPECIAL CONCERT VOL.2-

トニカ・ウィンドオーケストラ

国立オリンピック記念青少年総合センター・カルチャー棟・大ホール(東京都)

2020/01/13 (月) ~ 2020/01/13 (月)公演終了

満足度★★★★

 様々なミュージカルで歌われたナンバーから16曲。

ネタバレBOX

 下手にグランドピアノ下手奥と中央奥にパーカッション 上手奥に男女コーラス、前面には3つに分けた管楽器、下手管楽器とパーカッションの間に挟まれるように様々な打楽器。ミュージカルナンバーを歌う4人は主として舞台客席側で歌うという形だが、オープニングでは、硬くなったか英語のイントネーションが悪い歌い手が居た。コンセプトの紹介等も通り一遍で書いてあることをそのままぶきっちょに読み上げるような稚拙な様を見せる者もあり、演奏が良いだけにゲンナリさせられたが、4人のうちただ1人最初から最後迄ぶれずに自分の音楽に対する態度や覚悟をキチンと歌に載せて表現し、歌唱の合間のべしゃりも自分の言葉でしっかり語った若者が居た。現在20歳、東京芸大の声楽科3年生、岡 拓未氏。4人の中で最もポテンシャルが高い。今後が楽しみである。
十二人の怒れる男 -Twelve Angry Men-

十二人の怒れる男 -Twelve Angry Men-

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2020/01/10 (金) ~ 2020/01/20 (月)公演終了

満足度★★★★★

 舞台は1950年代のアメリカ。18歳の少年が父親殺しの容疑で挙げられた。

ネタバレBOX

状況・目撃証言によると少年は圧倒的に不利な展開だ。ところでアメリカの陪審員制度について当パンに書いてある説明を少し引用させて頂く。
 陪審を務めることはあらゆる市民の義務とされているという。陪審員は裁判に立ち会うのは無論のこと、検察並びに弁護側から提出されたあらゆる事実を聞いた後、裁判長からその犯罪に関する罰則説明を受け、退廷後、陪審員室に集まり評決を出す。その際、有罪にせよ、無罪にせよ全員一致せねばならない。意見が一致するまで討論するか、意見の一致を見なかった場合は法挺に戻って一致しなかったことを裁判長に報告する。この場合、裁判所は新たな陪審員を選出し新たに最初から裁判をやり直すのだという。中々、大変な制度ではないか。が、基本的に陪審員は日数や手間暇の掛かることを除けば損得は無い。掛かるが故に罪は客観的に判断されると考えられるようだ。
 何れにせよ、有罪になれば18歳の少年は極刑である。十二人の陪審員は陪審員室に入った。

  一般的にヒトの判断を狂わせる原因にバイアスや習慣がある。だから理性的にもの・ことを判断するためには、この二つを予め排除して掛からなければならないのは無論のことだが、これが中々できないのが人間の性でもある。この辺りの普遍的な人間という生き物の性質を上手に出しつつ、而もアメリカという移民社会の特徴とアメリカ人気質を実に巧みに表現している今作、演出の池田さんの手腕も見事だが、池田さんの要求に良く応えて各々の演者がそれぞれアメリカ人のアメリカ人らしさを上手に肉付けし、国家アメリカではなく、アメリカ人の暮らすアメリカ社会を活写している点、旧き良き時代のアメリカらしさを出しえている点が素晴らしい。
共演者

共演者

2223project

小劇場 楽園(東京都)

2020/01/09 (木) ~ 2020/01/15 (水)公演終了

満足度★★★★★

 Baudelaireでは無いが、

ネタバレBOX

まこと芸術とは売春の趣味だ。今作は演劇部同期の4人の女子が旗揚げし、小劇場劇団としてはそこそこの成功をおさめたと言って良い劇団の、否劇団ならではの内輪話を劇化した作品だ。1人で200人の観客を動員できる女優がいる。シナリオ担当者は、メディア向けのシナリオも書いており好評だ。而も劇作家兼演出家である彼女自身女優でもある。この2人が一目置く演技をする女優もいる。己の演技力のみならず、社会をキチンと観、押さえてそれらを作品に取り込んでゆく社会的な眼を具えた女優も居て頼りになるなど。劇団の構成員としては可也理想的でスキルの高さも中々のものである。が掛かるが故に問題は発生するのだ。力量のある役者は個性が強く、それぞれの主張にいちいち一理あるだけに、個性がぶつかり合い、時には嫉妬、時にはプライドの張り合い、時にはこれらに男女関係が絡んでくるから、生き物としての本能がぶつかり合うのだが、本人たちは、それが生物というものが根本的に抱えている組成自体の好い加減から来るなどということは微塵も考えない。あくまでそれぞれの個性なり、人格なり、プライドなのである。
 つい先日、生物学者の中村 桂子さんのお話を伺うチャンスがあったのだが、既に亡くなったパスツール研究所の研究員でノーベル生物学賞を受賞したフランソワ・ジャコブは生き物を定義して2つのことを語ったという。1つは生き物は予測不可能だということ。もう1つは生き物は鋳掛屋のやっつけ仕事のようなもので有り合わせで出来ているということ。中村さんは、もう1つ加えて生き物は矛盾の塊だとおっしゃった。実に面白い。アホな政治屋や官僚共はヒトをヒトとも考えられず「働き方改革」などと生き物を機械扱いすることで単に収奪できる物と扱う訳だが、この辺りに彼らの救いようの無いアホぶりが如実に現れているから、どっこいそうは問屋が卸さない。アホな政治屋、下司官僚共にじっくり見せてやりたい血の通った面白い作品である。演劇ファンなら猶更楽しめよう。だって人間なんだから。
即興インプロ鍋

即興インプロ鍋

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2020/01/04 (土) ~ 2020/01/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

 2部構成、第1部はかぐやavecアインシュタインの流れから「竹取物語」を変容させた物語、今作はポーランドのワルシャワとポズナンで先行上演されその報告上演である。流石に海外の舞台で上演してきただけあって古語の持つ様式に演者の血が通い、様式が単に型ではなく、生きて血の通うヴィヴィッドなものに変容している点、殊にかぐやに振られる男総てを1人で演じた宇佐美雅司氏の演技に成長が見えた。第2部は、様々な演者によるパフォーマンス、ダンス、歌等の即興。ラストを誰が演じるかだけ決まっていて、外は名前の書かれたカードをシャッフルして引き抜き、名前が出た者が演じるという形式。実に楽しい。5日は観客も参加する形になりそうだ。因みに今回のテーマは堤中納言物語に収められた1編”蟲愛ずる姫”である、(追記1月7日)

ネタバレBOX

 第2部の取りを飾ったのは中村桂子さんのダンス、「DNAの踊り」中村さんは大きな白いヴェールを頭から被り、傷ついていないDNAなら生きる命をこのように寿ぎ、嬉しく感じて軽やかにたおやかにリズミカルに生命を迸らせたであろうというイマージュそのもののスキップダンス、パフォーマンスを為さった。会場を訪れていた観客席からも多くの方が参加、極めてヴィヴィッドで楽しい生命の賛歌と言えるダンスパフォーマンスであった。中村さんは生物学者であるがJT生命館館長である。まあ、肩書などどうでも良い。科学的知をベースに生命の本質を良く理解し、他の生命との共生の中でヒトも生きるということを実践なさっている研究者だ。彼女はお話の中に既に亡くなっているがパスツール研究所の研究者でノーベル生物学賞を受賞したフランソワ・ジャコブの言を引用して生き物を定義した。それによればジャコブは「生き物は予測不可能なものだ」ということと「生き物は鋳掛屋みたいなものだ」と定義していたそうだ。現代流にいうならやっつけ仕事で色々なものを集めたブリコラージュということになろうか。何れにせよジャコブの2つの要件に彼女は「矛盾の塊」という定義を加えた。
 ブリコラージュの例として中村さんの挙げた具体例を書いておくと、蝶々が卵を産み付ける植物を選ぶために幼虫が食べる葉の味見をするのだが、その際足の先でつんつんと葉をつついて味を確かめる。蝶の味を感じる器官(人間の舌でいえば味蕾)は脚先についているからだそうである。而もこの器官は蝶も人間も変わりがない。これに反して機械を作るとなるとその使用目的や使用条件に従って最も合理的な素材を選び、設計も無駄なく合理的に動かせるように兎に角、合目的的に作られるが、生き物は高等生物であろうが下等生物であろうが、味わうためには既にある味わえる器官を、見る器官なら既にある見える器官を流用し有り合わせのものを使ってやっつけ作業でできているのが、生命体の基本原則なのである。有り合わせで間に合わせている訳だから矛盾が生じることも多々あろうし、状況が変化した時、生活環境が激変した時、何がどのように作用して、どのように変化(進化)してゆくのかも予測不能である。(DNAの個々の塩基がどのような時に目覚め、どのように機能するのか未だ殆ど分かっていない)。ただ生き物はこのように生き残ってきたし、対応できなかった者は死滅した。厳しい生存競争と生環境の激変に遭えば必ず生き残る僅かな種と絶滅する大多数の者が分かれる。現在地球を支配している種も例外ではないことは、恐竜の絶滅をみても明らかだろう。だからこそ、生き残った命は自らの生存と存在を根本的なレベルで寿ぐのであり、これは本質的な喜びだ。中村さんのダンスを拝見して自分はこのようなメッセージを受け取った。
ものすごい覚せい剤

ものすごい覚せい剤

宇宙論☆講座

JOY JOY THEATRE(東京都)

2019/12/28 (土) ~ 2020/01/01 (水)公演終了

満足度★★★★★

 公演タイトルに“覚せい剤”と入っている分、当に幻覚と幻聴のミュージカルなので、ウーロン茶や照明機材が俳優となって演技し科白も吐くのだ。各自脳内麻薬最大限に発揮して観賞せよ!

ネタバレBOX


 無論、覚せい剤(広義にはコカイン等も含むが、通常はアンフェタミンかメタンフェタミンを指す。)はとてもヤバイ。止めて何年、何十年経ってもフラッシュバックを起こし、その幻聴・幻覚に惑わされて犯罪を犯してしまうことがあるのは、化学的に作られた覚醒剤が、脳内麻薬(ドーパミン、セロトニンやエンドルフィン)の制御をしている部位を溶かしてしまい、その細胞が新陳代謝によっても再生できないからである。打たずに、公演打とう! というフレーズは、表現者としての誇りを意味していよう。
因みに、今作多くの人が捉えているほど訳が分からない訳ではない。その証拠に、前説をやろうとして殆ど何も言えない“やってる人”役の演技などただ事で無いレベルの演技力であり、一見ハチャメチャで何処迄が脚本で何処からがアドリブなのか不明と見える舞台もかなり脚本に忠実だ。おまけにモニターには映るが現実の舞台には参加していない社長役は、今作の中で矢張り異次元領域を見える形にしている訳で幻覚・幻聴に対応している訳だし、覚醒剤婆婆役は亡くなった母なのであり、電子的イタコとして再臨している訳だから、これも幻覚・幻聴と近い関係にあろう。更に言えば、今作はSFでもある訳だから、2重、3重…以上の重層化を為した舞台なのである。この作り方で何を表現しようとしているかと問われれば、我らが生存の根底に持つ本能の混沌、生命の予知不能性及びその鋳掛屋的成り立ちそのものであろう。掛かるが故に今作は面白いのだ。
 一応、言っておくけど、今作でも作品中でやっちゃいけないと何度も繰り返しているように、そしてちゃんとオチもつけているように、絶対やっちゃダメだよ。結局、苦しむのは自分なんだからさ!
春と修羅.EP

春と修羅.EP

街の星座

サブテレニアン(東京都)

2019/12/25 (水) ~ 2019/12/29 (日)公演終了

満足度★★★

「春と修羅」は賢治の詩集名だが、(追記後送)

ネタバレBOX

著名な幾篇かの詩と極めて優れた序は、賢治発掘以降の人々なら誰でも知っていようし、「銀河鉄道の夜」「よだかの星」「風の又三郎」「貝の火」「シグナルとシグナレス」「注文の多い料理店」「セロ弾きのゴーシュ」「オッペルと象」「カイロ団長」「烏の北斗七星」「革トランク」「グズコーブドリの伝記」「どんぐりと山猫」「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」「ポラーノの広場」「ひかりの素足」等々はパッと思いついたタイトルを挙げただけだが、まだまだ幾つもの作品名が頭に浮かぶ。夭折した賢治の真の理解者は、妹のトシであっただろう。「永訣の朝」で賢治に雪の椀をせがんだ彼女は、賢治の周りで唯一人、彼の天才を理解し柔らかく包み兄妹の紐帯を通して真の想像力を互いに羽ばたかせ深め更に遠くへ飛ぶための膂力を養い合うことのできた精神的パートナーであったのではないだろうか? この詩に描かれた並々ならぬ切迫感から自分はそう解している。賢治もトシもその並々ならぬ感受性の鋭さと高翔することのできる知、想像力の大きさに、更に力を与える自由な内面的世界を持ち得る個性であった。無論、ジェンダーや時代・地域の支配的イデオロギーの影響はある。然しそれらを凌駕して余りある本質を見据える魂とバイアスの無い目で見、己の頭で考えたことをインテグラルとして関係総体の中に位置付けることができる程度の知性を二人は前提としていた。
『光差スル未来』

『光差スル未来』

中央大学第二演劇研究会

吉祥寺櫂スタジオ(東京都)

2019/12/26 (木) ~ 2019/12/28 (土)公演終了

満足度★★★★★

 1本のストレートプレイと思いきや「陽サス詠愛」と「灯サス路傍」の2本のオムニバス形式、2本目「灯サス路傍」(風邪気味後送)

ネタバレBOX


間に15分の休憩が入る。先ず「陽サス詠愛」から。家庭用アンドロイドが普及し何世代ものアンドロイドが廃棄処分される時代、人間は他国との戦争により激減、無論経済も振るわなくなっていた。それを立て直したのが、現在アンドロイド製造を一手に引き受けている企業の社長であるが、彼は政治家でもありこの世の春を謳歌していた。が、その足下にはたくさんの廃棄アンドロイドの体躯が埋まっていた。社長は部下に命じて型落ちしたアンドロイドに軍用訓練を施し戦地へ売り飛ばしていた。そこで役に立たなくなったアンドロイドや戦力外とされた躯体は無論廃棄されるが、何千万体のアンドロイドの中には、意志を持ち戦場から失踪する者が出始めた。今の所大した数ではないが、社長は己の力で思考し判断するアンドロイドに極めて強い警戒感を持って居た為、殲滅を指示する。社長の属する陣営は地上7000Kmに位置し、地下5000Kmの敵軍と戦っていたが、ある新月の晩、彼の娘と地下の若い兵士が一瞬邂逅する。彼と、彼女は互いに大切な人から譲られた魂の交感機器を持っており、互いに通信を取り合おうと互いに発信し続けていた。だが彼女の父は、自分の選挙を優位に進める為に娘を政敵に嫁がせる算段を凝らし、姉にスパイを強要していた。だが、姉は父に面従腹背、結婚を強要されている妹に魂の交感器を与えたのも姉であった。然しながら状況は恋人たちに敵対的である。あとは観てのお楽しみにゃ~。

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