「朝日のような夕日をつれて」 公演情報 株式会社STAGE COMPANY「「朝日のような夕日をつれて」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

     ベケットの「ゴドーを待ちながら」

    ネタバレBOX

    を何とか越えようと努力しているのは分かるが、ベケットにはある深刻さが飛んでしまって、内実の無い日常の耐え難さも精神をワヤにしてしまう地獄の‟待ち“も何ら表象できていないので、薄っぺらで表層的な作品に堕してしまった。この空疎と表層しか見ぬ態度、それで良しと己を納得させているのが、現代日本の姿であり、それが新自由主義と呼ばれているなら、その姿をアイロニカルに描けばよいし、そのような視座で作られていたのであれば、極めて面白い作品になったであろうが、残念である。元々、「ゴドーを待ちながら」は、サンドイッチよろしく中身はなんでもござれを許す作品構造を持っているのだから、この点をもっとシリアスに時代の迷妄を貫き通すほど強く、鋭く突き破って欲しかった。
     現代日本の体たらくは、自分の頭で考え抜き、根源・原理に到達したなら、それを如何なる形で社会に還元するかを考え、新たな世界観を創生して、自分の発想を現実化する為の現実的方法に思いを馳せてプロトタイプを作り実験を重ねて検証した後、世間に発表しその原理なり発想なりが世界に認められるか否かを問うわけだから、時間も費用も掛かる。だが、日本はこういうことをやってこなかった。更に悪いことにこのような発想をすることができ、現実化できそうなタイプの人材を寄ってたかって潰してきた。結果、数十年前から頭脳流出が激しく有為な人材の比率はどんどん下がってきたというのが現実だろう。このままではオリンピック迄は何とか誤魔化せても、泥船であることに変わりはない。現時点はフェイクだのズルだの嘘だの詭弁だのありとあらゆる卑劣な手を使って、真実を覆い隠しているに過ぎないことくらい小学生にも分かる。この愚劣が進む先を見せるのも演劇の大切な役割だろう。私とは他者であり、その視点でも己を見ながら異なる身体を持つ他者と、認め合う部分は共有し競合すべき部分はフェアに競合して自他共に作る社会を見る必要がある。
     無論、これがデキない社会だからこそ、今作を上演しているのであろうから、この無能な社会の非に警鐘を鳴らす為に、このようなヴィジョンを作品中の適当な箇所に埋め込んでおいて欲しかったのである。

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    2020/01/27 20:43

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