全段通し仮名手本忠臣蔵(2020) 公演情報 遊戯空間「全段通し仮名手本忠臣蔵(2020)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

     必見、華5つ☆(1回目追記2月1日 10時35分、2回目追記2月2日11時5分)

    ネタバレBOX

     雷門から浅草寺本堂左脇を越え影向堂が正面に見えたら左へ。境内を抜けると目の前に花やしき通りの看板が見えるから境内を出てすぐ右折、直進すると車通りの多い道に出るから信号を渡って真っ直ぐ。道右側を見ながら暫く歩くと浅草検番はある。雷門から男の足で10分程度は歩く。この小屋は初めて行ったが、渋い。演目は二階で演じられ、靴は一階で脱いで階段を上がると障子が連なり、客席に通じる中央通路には和歌を記した衝立。久しぶりに純和風の建物に入った感覚に普段は忘れていた風情を感じ打たれた。客席は最後列2列は椅子だが、殆どが座椅子である。
     何れにせよ、達筆な文字の書かれた額が正面に。舞台奥には六尺、六曲一双屏風が二つ。音響は生演奏の尺八、横笛、拍子木、太鼓など。この演奏も素晴らしい。が何にも増して江戸時代の言語で書かれたこの作品を上演する演者たち各々が古語をよく理解し、深く内面化させた上で内側から発現するような表現にまで身体化し得ていることに、ほとほと感心させられた。流石は遊戯空間の作品である。
     これだけの難物をよくぞ、ここまでと思わせるのは、自分は皆が一所懸命に勉強していた時に遊び呆けていたうつけ者故、古典の素養は無いに等しいのだが、その自分にすら、解説を読まずとも脚本の素晴らしさが生き生きと伝わってくる見事な出来であり、演出であり、音曲とのマッチングも実に微妙、精妙。打てば響くとはこのこと。むろん、衣装もよく考えて合理的に作られたもので、黒衣に白の襟を付けただけで討ち入りの陣羽織に変ずる優れもの。こういった細かい点にまで神経の行き届いた見事な作品である。
     前段最初に「難物」と書いたのも、例えば語り手はタイトル、「大序」から始まって十一段目まで総て声に出して読んでゆくのであるが、黙読を常としている我々、現代日本人の多くはタイトルを始め、大序、~段目などを殆ど無意識のうちに飛ばし読みしてしまうから、実際舞台に上がって直ぐこの習慣が完全に改まるか否かすら難しい。なんとなれば習慣とは第二の天性、本能ともいうべきものだからであり、改めるにこれほど難しいこと・ものは滅多にないからである。この辺りが先ず日常生活を生きる我々生活者と演劇表現に携わる人々との決定的な差であろう。更に例えば九段目をどう読むか? 古語としてクダンメと読むのが正しいのか、或はキュウダンメと読むのが正しいのか? といった実に単純な問いにさえ容易に答えを出せないのが素人の我々ということだ。無論、演じている役者陣、今回の脚本・演出を担当している篠本氏と雖も我らの同時代人、こういった基本の基本を含め総て日々の学習、鍛錬の結果身に着けてきた成果である。それがこのような形で花開いているのだ。観に行って損はない。否、是非とも観るべき作品である。
     無論、これだけ質の高い上演だから、照明も気が利いた腕前を見せている。何か所かでハッとさせるようなセンスを見せられた。
     当パンに記されていることと重複するが、今作の原作が書かれたのは史実の47年後。とはいえ幕藩体制は続いていたから、下手に目を付けられれば発禁、上演中止などというリスクを伴いかねないばかりか、原著者三名は入牢などもあり得ようから、態々「太平記」を設定に用い言い逃れ可能にしていることは火を見るより明らかだ。太平記の設定にしている以上、赤穂藩主・浅野内匠頭、家老・大石内蔵助などの名が出てこないのは必然であり、討たれる仇・吉良上野介の名も同様に出てこない。また、原作通りの脚本で全段通すと十時間を超える作品になってしまうから、現実に完全に原作通り演ずるのは殆ど不可能だ。そこで篠本氏が今回上演されるこの長さ迄原作を刈り込んで脚本化している訳だが、大切な部分は省略しておらず、全体の流れがよく見えるような形で脚本化しているので、歌舞伎などでは省略されがちな二段目と九段目との関係、太平記の筋と仮名手本忠臣蔵原作の筋二つの筋が絡み合い、作品を重層化している所が良く分かる点もお勧めだ。無論、原作の脚本も非常に優れた作品だから、丁度作品の真ん中を占める六段目、歌舞伎では勘平役を二枚目役者が演じ序破急の央を華のある場面にしている。

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    2020/01/30 10:24

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  • 皆さま
    2回目追記しておきました。

    2020/02/02 11:06

    皆さま1回目の追記しておきました。

    2020/02/01 10:37

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