うさぎライターの観てきた!クチコミ一覧

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背水の孤島

背水の孤島

TRASHMASTERS

本多劇場(東京都)

2012/08/30 (木) ~ 2012/09/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

饒舌な表現者
綿密な取材に裏打ちされた“リアル”と想像力の跳躍による”近未来”、この二つを一度に堪能できる脚本。
震災という人智の及ばぬ出来事の前に、人はどう生きるのか、どうあるべきか、メディアと国民性、
テレビに出来ないこと、演劇の可能性など
様々なことを考えずにはいられない素晴らしい舞台だった。

ネタバレBOX

客席に入ってまずセットに目が釘付けになった。
テレビ局らしい照明機材や机の上の小型モニター、
モニターの上に置かれている小さくなったガムテ、足元の紙袋のひしゃげ具合・・・。
ここに毎日通ってくる人々がもうすぐ登場するのを待つ血の通った現場だ。
重々しいBGMが流れる中、それを眺めながら開演を待つ。

プロローグ
やがて始まるプロローグでは、震災後まもなくこのスタジオで行われたひとつのインタビューが描かれる。
太陽光発電の1年分の発電量が、浜岡発電所の1時間分にしかならないという事実、
電力不足で、あのトヨタまでもが海外移転を考えているという日本の現実が明らかになる。

前編「蠅」
プロローグの後、数分間流れる字幕とその朗読で説明がなされ、
明けた時には、貧しい被災者が暮らす納屋のセットになっていた。
前編の「蠅」は、被災地の暮らしに密着するドキュメンタリー取材クルーと
被写体として選ばれた“最も貧しい被災者家族”の話だ。
 
急ごしらえの納屋を改造した部屋に父と医大生の娘、高校生の弟が住んでいる。
母親の遺体はまだ見つかっていない。
被災者の窮状をアピールするためには、洗濯機などあっては困るとか、
“知りたい”という欲求の前にはプライバシーなど無いも同然の取材する側の傲慢さ。
“人の役に立ちたい”と言いつつ自分の為に活動していることに気付かないボランティア。
補償金をもらって、働かなくても良くなった被災者の戸惑い。
再建には程遠い被災地の中小企業の現実。
もしかしたら死んだ人より生き残った人の方が悲惨なのかもしれないのが被災地だ。
取材クルーが目にしたのは、極限状態の中で価値観もモラルも
一瞬のうちにひっくり返り、あるいはじわじわと変貌する人間の危うさだった。
実はクルー二人のモラルだって異常事態を理由にとっくに崩壊しているのだが。

まさに“五月蠅い”蠅のぶ~んという羽音が時折客席の方にまで響く。
誰かが何かに群がって利を得ようとすると、その音が大きくなる辺り音響が絶妙。

後編「背水の孤島」
再び流れる字幕で時間の経過が説明され、彼らの7年後が始まる。
後編「背水の孤島」のセットは原発推進派の大臣室である。
開け閉てにびくともしない重厚なドア、調度品、壁面の作りなど相変わらず秀逸。
医大生だった娘は被爆した人々を救う為の研究を重ね、
その論文は海外では認められたが
日本政府は「補償金額が莫大になり財政が破たんする」ことを理由に認めようとしない。
高校生だった弟は、今その大臣の秘書を務めている。
その弟が、テロまがいの脅しで大臣に自分の要求をのませようとする。
その要求とは、姉の論文を認めさせ、それを踏まえた被爆者救済法案の立案と
国債の海外向け発行の中止である。
人を傷つけず、自分が逮捕された後に大臣が変心することを計算に入れた巧みな計画で
説得力があり、見ごたえがある。
(緊張感の極みの場面で銃の弾倉だろうか、外れて落ちたのは残念だった。笑っちゃった…)
最後は国家でもマスコミでもなく普通の人々が「正しいと信じる」選択をして終わる。
苦いけれど爽快で、未来に少し希望が持てそうなラストが良かった。

役者陣は皆役に染まって熱演だが、
父親役の山崎直樹さん、大臣役のカゴシマジローさんが見事にはまり役。
野崎役の龍坐さん、前編の放射能の影響に立ちすくむところ、観ていて怖くなった。

もちろんツッコミどころはあるだろうが、
私が震災のような現在進行形の出来事をテーマにした作品に求めるのは
「別の視点」と「想像力を駆使した可能性」の提示だ。
この作品は、その2つを最大限に見せてくれる。
東電や政治家の言い分も言わせた上で、「それは違うだろ!」と
真っ向から言える脚本がどれほどあるだろうか。
毎回の凝りに凝ったセットにしても、時間の蓄積を雄弁に語るところを目の当たりにすれば
登場人物のキャラ設定同様、背景も大切な表現者なのだと解る。
この暑苦しいまでの、表現せずに居られない体質がTRASHMASTERSのすごいところだ。
さっぱりと洗練されずに、ずっと饒舌な表現者で有り続けて欲しい。
忘れっぽい私にがつんと刺激を与えてくれたことを感謝したいと思う。

うつくしい革命

うつくしい革命

劇団フルタ丸

「劇」小劇場(東京都)

2012/08/31 (金) ~ 2012/09/09 (日)公演終了

満足度★★★★

フルタ丸の進路
結成10年となるフルタ丸が、「ちゃんちゃらおかしい」(当日パンフより)という
理想と現実の狭間で
「演じる」こと、それを「仕事」にすること、それで「生活」することを問いかける。
その上で「当然やるっきゃないでしょ」という決意が示されている。
前半の抑圧された描写の緊張感と、後半真実が明らかになってからのギャップが鮮やか。

ネタバレBOX

元遊園地だったところにある郊外のタウン。
ここには「二度と演じません」という約束と引き換えに
生活を保障された元役者たちが暮らしている。
そこへマツナカ(真帆)というひとりの元役者がやって来た。
彼女は監視員から、演じることや戯曲の朗読、モノマネ等も禁止されていて
禁を破れば銃殺も覚悟しなければならないこと等の説明を受ける。

舞台上手の一段高いところに彼女の部屋は用意され、
その部屋から広場を見下ろすことができるようになっている。
部屋には最初からオペラグラスが置かれていて
マツナカは自然にそれで広場を見下ろすようになる。

やがてこの安定した暮らしを維持しつつ、ここで演じることができるよう
革命を起こそうという密かな動きが現われた。
誘われたマツナカは頑なに拒否するが、やがてあることに気づく──。

“役者で食ってく”事の厳しさから、次第に疲弊して行く残念な現実。
作者はこの根本的な“職業的困難”を憂いつつ
じゃあ、辞めれば楽になるのか、楽になれば幸せなのかと突き付けて来る。
その姿勢に悲壮感はなく、むしろ笑い飛ばしているところが心地よい。
しかもラストはマツナカの選択にウルッと来てしまった。

住民たちの「舞台組」と「映像組」の対立や、内通者の存在などがリアルで
前半は銃の「パン!」という音も緊張感を呼ぶ。
エピソード毎の暗転が頻繁で、少し流れが途切れがちな印象だったが
後半、真実が明らかになってからは勢いがついて気にならなくなった。
勢い余って若干持って行き方に無理も感じられたが
マツナカを現世(?)へ戻す為の「強力なワークショップ」だと思えばいいか。
ならば尚更、マツナカが演じることをあきらめて来た理由づけが弱いのが残念。
ただ所属劇団が潰れたというだけでなく何か強い理由があれば
再びそこへ戻る覚悟が感じられるような気がした。

役者陣が個性的なキャラクターを生き生きと演じていて、
演じることの根源的な意味を考えさせる。
母親を演じ、キャリアウーマンを演じ、強い男を演じ、悪女を演じる・・・。
そもそも人は、どこからが素でどこからが演技なのか曖昧なものだ。

マツナカが食らったビンタの「びたん!」という快音が忘れられない。
あれは“現実”の音だ。
フルタ丸は“現実”を少し距離を置いて眺めながら、
真面目に自分の進路を進んでいて、その青臭いまでのみずみずしさが魅力だ。
フルタさん、うつくしい革命はその航路の彼方にあるんですね。
いい嘘、悪い嘘

いい嘘、悪い嘘

山田ジャパン

ウッディシアター中目黒(東京都)

2012/08/29 (水) ~ 2012/09/02 (日)公演終了

満足度★★★

嘘とホラ
後から思い出しても、すぐに役名と役者名が結びつくのは
濃いキャラ設定と役者陣の熱演の賜物だが(親切なパンフもある)
個人的にはもう少しリアルな嘘の方が笑えたかと思う。

ネタバレBOX

下町のカフェ&ケーキの店で
貧乏劇団の座長でもある店長と座員、常連客たちが
即席ウソ劇団を結成、出張演劇の依頼に応えてミッションに挑む。
「不倫の恋人と別れたい・・・」

嘘が嘘を呼び、嘘に嘘を重ねて話はどんどん拡大していく。
SPに守られたり、爆弾処理したり、果てはゾンビに宇宙人・・・。
ゾンビ辺りから、その嘘の大きさについていけなくなってしまった。
誰も騙されない嘘って、それは嘘じゃなくてホラじゃないだろうか。

ハタから見る嘘の面白さとは、
“小さなウソが次第に自分の手に負えなくなっていくさま”ではないかしら。
悪気どころか、良かれと思ってついたささやかな嘘が身の破滅を招いたり
収集がつかなくなってパニックになったりするところが可笑しいのだと思う。

早々にありえない方向へ行ってしまうと、もうあとはハチャメチャしかない。
それもひとつの面白さだろうと思うけれどこのストーリーは、
親子が互いに素直になったり、芝居を諦めるという主人公を説得したり、
不倫の精算も不器用ながら誠実だし、誰もが生きることに真摯だし・・・と
“ちょっといい話”がラストにあるのでなんだか勿体ない気がする。

この力技みたいな脚本に役者陣はよく応えていて
天然石のブレスレットを売る会社員高橋(小林大介)や
シングルマザーの美里(相原美奈子)などはキャラに無理なくはまって
台詞もよくなじみとても面白かった。

しかしウッディシアター、詰め込んだねえ。
小さい座布団が重なるように並べられて
常に隣の知らないオヤジと腿が触れ合う1時間30分。
もう少し快適な観劇環境を提供することも考えていただけたらと思った。
【全日程終了!!!】鬼FES.2012【ご来場有難う御座いました】

【全日程終了!!!】鬼FES.2012【ご来場有難う御座いました】

ロ字ック

APOCシアター(東京都)

2012/08/24 (金) ~ 2012/08/26 (日)公演終了

満足度★★★★

女子は AB-normal
3日間で18劇団が30分ずつの演目を披露、
ビールやかき氷片手にスタンディングで観劇するという夏のフェスの2日目
拘束ピエロを観る。
6月に観た「so complex semi-normal」が男の子バージョンなら
こちらは女の子バージョンということで興味深々出かけた。

ネタバレBOX

セットは椅子がひとつだけ。
さほど奥行もない横長の舞台をフルに使って
いじめられる側が「リセット!」の一言でいじめる側に周り、
髪を切られて、回りまわって仕返しされて、・・・と
加害者と被害者がくるくる入れ替わる様は男の子バージョンと似た展開。
ゲーム感覚で暇つぶしのようにターゲットを決めては複数で痛めつける。
白いドレスを着せられたら、さあ、今度はあなたがいじめられる番。

ここで責められるのは「いじめた人間」ではなくて
「いじめを見ていて助けてくれなかった人間」だ。
助かるチャンスも、変わるきっかけも奪った人間、
自分が標的にされることを恐れた卑劣な傍観者だ。
ちくっと胸が痛むけど、適当に言い訳しながらすり抜けて行った奴。

簡単に立場が入れ替わって誰もがいじめていじめられて
でもその中には時間がたっても絶対に許せない人間もいる。
だから仲直りして後ろに回って髪を切ってあげていた彼女は
そっと大きなハサミに持ち替える。
そのハサミがギラリと光った瞬間に暗転・・・。

──やっぱり女は殺しちゃうんだ。
この鋭いラストと、冒頭ゲームのように標的が決まるキレの良い演出が秀逸。
長い髪と白いドレスが次々と移って行って
今いじめられているのが誰だかわからなくなるような感覚。
30分で見事に完結する中身の濃い舞台だった。
役者陣の台詞も緊張感をキープして見ごたえがある。
この1回で終わるのはまことに勿体無い。
男の子バージョンとセットでやったら面白いのに。

いじめる人間は何を満たしたいのだろう?
男子が暴力支配による自己顕示欲なら
女子は論理なき女王様願望だろうか。
そんな単純なものではないだろうが、いずれにしてもその理由は虚ろなものに見える。
男の子バージョンもそうだったが
この日のいじめも、こちらが痛くなるようなリアルな描写で
相変わらずの容赦ない感じが強く印象に残る。
そこそこの写真

そこそこの写真

各駅停車

OFF OFFシアター(東京都)

2012/08/23 (木) ~ 2012/08/27 (月)公演終了

満足度★★★★

淀みない台詞
半分しか血の繋がらない姉妹たちが、父の“余命2ヶ月”を機に実家へ集合する。
軽やかな会話の裏にある、半分だからこそ
その絆を大切にする姉妹の切ない気持ちが伝わってくる舞台だった。
説明的でない、台詞の質を堪能した。

ネタバレBOX

舞台は田舎の広い一軒家の庭である。
素朴な木のテーブルの周りに手製の木の椅子が3脚、ベンチが一つ置かれている。
その奥は懐かしい縁側、サッシではなく木枠のガラス戸は常に開け放たれている。
客入れの段階から蝉の声と夏祭りの笛の音が小さく流れていた。
駅からも遠い不便な場所だが、この庭からの眺めは素晴らしいという設定。

槙田家の4人姉妹のうち次女が父親とふたりで住む家に
次々と他の姉妹たちが帰ってくる。
一度倒れた父が、いよいよ余命2ヶ月と宣告され、次女が知らせたからだ。
好き勝手に生きてきた父のおかげで彼女たちは母親の違う姉妹である。
父の最期を見守るため皆しばらく滞在することになる。

なめらかに、転がるように姉妹たちの会話が弾む。
その会話の中に4人姉妹の性格がそれぞれ豊かに描かれている。
おっとりした長女(桜かおり)は、休みは簡単にもらえたと言うが何か秘密がありそうな様子。
おおらかに姉妹達を迎える次女(梅澤和美)には、母親とではなくこの父と暮らす理由があった。
三女(長沢彩乃)と四女(加藤尚美)は顔を合わせれば口喧嘩ばかりしているが
実は誰よりも相手のことを心配していて、喧嘩はその裏返しみたいなものだ。
次女のキャラクターがとても魅力的で安定感がある。
彼女を軸に、父親の死をめぐって姉妹たちの過去と現在が描かれる。

「槙田さんちのちっとも似てない4姉妹」と言われながら育った子ども時代を共有する彼女たちは、
その絆が片方だけであるがゆえに、一層強く結びついているように見える。
父親の再婚によって同居することになったとはいえ、
本来なさぬ仲の4人が互いの存在を認め合うのにはそれなりの時間がかかっている。
後半、突然の五女(小瀧万梨子)の出現に誰もが驚いたが
それを素直に受け入れる土壌が自然に出来ているのもとても良かった。

初日の舞台ながら、淀みなく交わされる台詞の応酬が心地よく
縁側から出入りする緩やかな生活空間が、のどかな地方の暮らしを思わせて楽しい。
姉妹の他に、父の民芸品作りを手伝う弟子の青年(大金賢治)や
ただ一人結婚している四女の夫(伊藤毅)、
民芸品ビジネスを手伝う女性(日向彩乃)らがみな個性的で
姉妹が奏でるアンサンブルに程よい変化と客観性をもたらしている。
“説明させる”のではなく、何気ない会話の積み重ねによって
登場人物のキャラクターを浮き上がらせるのは“質の高い台詞”によるものだと思う。
微妙に変化する照明も、繊細でとても良かった。

「お父さんが死んだらみんなで写真撮ろうか」という長女の言葉の
本当の重みがわかるのは物語の終盤になってからだ。
その写真は、“そこそこ”どころか
これからの彼女たちを支える大切な一枚になるに違いない。
ラスト、次女が長女にかける「いってらっしゃい」という言葉に
思わずほろりとさせられた。
窓からは夏の空が・・・

窓からは夏の空が・・・

演劇集団Nの2乗

「劇」小劇場(東京都)

2012/08/21 (火) ~ 2012/08/26 (日)公演終了

満足度★★★★

離婚の理由
築40年の一軒家のリビングを舞台に、離婚したい人、離婚したくない人、
離婚した人、一人で寂しい人など様々な人間模様が繰り広げられる。
役者陣がそれぞれのキャラを生き生きと演じていて充実の舞台だが、
それだけに離婚したい「理由」が語られないことが最後まで気になった。

ネタバレBOX

ダイニングテーブルに椅子が2脚、上手に2人掛けの長椅子というさっぱりしたリビング。
築40年という年代を感じさせるものは特に見当たらないが
壁に掛かった数枚の和な感じのタペストリーが少し雰囲気を醸し出す。

この家の住人瞳(大室由香利)が修造(藤原基樹)に離婚届を突きつけ
署名捺印を迫るところから物語は始まる。
もう瞳の引越し先も決まり、あとは修造が身の振り方を
決めるばかりになっている。
なんとか少しでも結論を先延ばしにしようと悪あがきをする修造。
そこへ職場の先輩や大家、それに四国にいるはずの修造の姉までが
次々とやって来て、ことはちっとも進まない。

さらに不動産屋が、新しい借り手早苗(江口ヒロミ)と幸一(高沢知也)を
連れてやってくる。
ついに業を煮やした瞳が皆の前で離婚を宣言、
雑誌の離婚特集に背中を押されたと話す。
偶然なことに新しい借り手早苗は、その雑誌の副編集長だった。
瞳は、この時とばかりに早苗に特集の内容について尋ねる。
すると早苗の口から意外な言葉が・・・。

登場人物がくっきりと表現されていてとても魅力的。
特に女性誌の副編集長で11歳年下の読者モデルと再婚した早苗を演じた江口ヒロミさん、
キャリアウーマンとしての自信と、再婚した幸せオーラのバランスが素晴らしい。
所謂キャリアウーマンによくあるヤな女ではなくて
思慮深く温かみのある女性として描かれていたのがとても良かった。

彼女の「好きという気持ちが、信頼や尊敬という気持ちに移行できるかどうか」が結婚の鍵だという言葉、本当にその通りだと思う。
この説得力ある言葉と、年下の幸一との絆を感じさせる初デートのエピソードが
その場にいたすべての人の心に染み入るのがわかる。

瞳も修造もチャーミングな人間なのに今ひとつ感情移入できなかったのは、
瞳の「離婚したい理由」がよくわからないからだ。
離婚の理由なんて一つではないかもしれないし、言葉では表現しにくいものだろう。
でもその“表現しにくいものを一生懸命表現して相手に伝えようとすること”が
“相手と向き合う”こと、最も”エネルギーを要すること”ではないだろうか。
だとしたら修造にも観客にも曖昧なら曖昧なままに、伝えようとして欲しかった。
あんなにひとりで先走って(いるように見える)離婚したがる理由は何なのか、
修造のはっきりしない性格だけが問題なのか、私は知りたい。
四国から家出してきた姉が離婚したい理由も「いろいろあるのよ」って
そりゃそうだろうけど、あなたの「いろいろ」のさわりだけでも話してくれませんか?

ラスト、姉は四国に戻り、二人は話し合って離婚となったが
あの“ぐだぐだ逃げ一点張り”だった修造が
いったいどんなふうに向き合って、何が変わってそのさわやかな表情になったのか、
そのプロセスが一切描かれないので、若干置いてきぼり感を覚えたかな。
あの二人がもう一度考え直す余地がありそうな結末は、
希望の気配があって良い終わり方だったと思う。

それから聞きにくいことを率直に口に出しちゃっては
周囲から口を抑えられたり「それを言っちゃう・・・」とたしなめられたり、
というパターンが多すぎて、その言い方でしか質問できないのはちょっと残念。
この辺がコントっぽくて、魅力的なキャラのなのに会話の仕方が勿体無い気がした。

終盤、真ん中から外へ左右に大きく押し開く窓を開けた修造の視線の先には、
夏の空が広がっているのが感じられた。
人を呼び人を包み込む、この古い一軒家の佇まいが浮かぶようだった。
今夜此処での一と殷盛り

今夜此処での一と殷盛り

風雷紡

サンモールスタジオ(東京都)

2012/08/11 (土) ~ 2012/08/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

探偵は二階にいる
大正13年、長野県諏訪で謎の多い凄惨な事件が起こるまでと、
昭和22年東京大森の探偵事務所での謎解きが交互に照らし出される構成。
暗い歴史のリアルさとコミカルな探偵事務所のやり取りのバランスが素晴らしく
演出の妙を堪能した舞台だった。

ネタバレBOX

劇場に入るとまず囲炉裏を切った土間のある古い家が目に入る。
部屋の壁には柱時計が3つ、いずれも紐でぐるぐる巻きになっている。
上手2階の高さには御簾がかかっていて、その奥に部屋があるらしい。
庭の垣根の前に糸車が置いてあり、
この糸車が照明に浮かび上がってひとりでに回るところから舞台は始まった。

御簾の奥は探偵事務所、と言っても野崎(谷仲恵輔)が間借りしているささやかな部屋だ。
昭和22年、ここへ一人の少女(吉永雪乃)がやってきて
「先日亡くなった祖父のことを調べて欲しい」と依頼する。
謎の多い祖父の人生、大量殺人事件の噂、一夜にして地図から消えた村、残された遺書など観ている私たちも、事件の真相を知りたくなってくる。

古民家の囲炉裏端は大正13年の長野県姫淵村である。
養蚕業が成り立たなくなってからというもの、ここでは村の娘を売って生活していた。
「見目がよければ宿場町、手先が起用なら工場町」という言葉の通り
お婆様(横森文)の占いによって決められ、売られていく。

やがてこの村を支配する御子柴一族の複雑な人間関係や
それがもたらす歪んだ憎しみが明らかになっていく。
一族の言うままに娘を売ることになった一人の父親が絶望して首を括り、
母親は村と因習を呪ってついに凶行に及ぶ・・・。
そこに行き着くまでに、彼らを取り巻く人々の優しさと悲しみが丁寧に描かれているので
このおどろおどろしい出来事が本当に哀れに思われる。

片目のお婆様を演じた横森文さん、凄みがあって存在感ありまくり。
東京から戻った御子柴家の長男太一郎を演じた及川健さん、
育ちの良さが透ける涼やかな声と容姿ながら、母親への屈折した思いが滲んでいた。
この村の因習を断ち切ろうとするかのような壮絶なラストが強く印象に残る。
そして探偵野崎役の谷仲恵輔さん、表情がイマイチはっきり見えない御簾越しの演技だが
大仰な動きと声がコミカルな味を出して、暗い時代との対照が際立つ。
中原中也の詩の朗読も、次第に哀愁を帯びるように変化していってとても良かった。
大家のお駒(吉永恭子)との掛け合いも息が合っていて
“二階の探偵”シリーズになりそうな雰囲気。

ちょっと物足りなかったのは、
少女のお世話係としてついてきた、鍵を握る女性累(松葉祥子)が
情報を小出しにして真実へと探偵を導いたその真意がイマイチわからないこと。
“火サスの崖”じゃないけど、最後に累がその出自や本心を語ってくれたら
もっとわかりやすく、腑に落ちたんじゃないかなあという気がした。
私の理解力不足かもしれないけど・・・。

オープニングの音楽や舞台の作り、脚本構成すべてが厳選されていて
そこに役者がぴたりとはまりこんでいる。
御簾がかかると照明が柔らかくなり、悲惨な時代とのコントラストがより強くなる。
明と暗、軽と重、強と弱、その計算され尽くした対比の結果、時代と人の心が一層浮き彫りになった。
タニンノカオ~人命救助法2012

タニンノカオ~人命救助法2012

シンクロナイズ・プロデュース

東京アポロシアター(東京都)

2012/08/09 (木) ~ 2012/08/19 (日)公演終了

満足度★★★★

スキャンダル!
人間の“欲望の行き着く先”を描いた二つの作品は、不条理というより
スキャンダラスな新聞の三面記事のよう。
コミカルとシリアス、全くテイストの違う2作品で1時間45分とコンパクトながら
ストーリーの面白さと演出の違いがとても面白かった。

ネタバレBOX

「人命救助法」
溺れた人を助ければ、表彰され名誉を得てその結果金になる・・・(マジっすか?)
だから4人で協力して“やらせ”の人命救助をしよう!という話。
冒頭のコーラスが楽しい。
♪わら、わら、わーら♪
と藁をも掴む輩を揶揄する歌詞で結構上手に歌うもんだからますます可笑しい。
銀行の融資やら、校長への昇進やら様々な思惑を抱いて腹黒い4人が結託する。
ところが案の定裏切り者が出て水の中で足の引っ張り合い。
このスローモーションの格闘がとても面白かった。
ブラックなそれもあっけないブラックな結末で、
掴む藁を間違えるとこういうことになるんだと実感。

薄暗い舞台上で背中を向けて着替える役者を見せながら次の作品に入っていく・・・
しかもとてもスマートに行われていて感心した。
2つの作品が関連性を持っていること、
そして同じ役者がここからスイッチを切り替えていくことが伝わって面白い。

「タニンノカオ」
施設の爆発事故で顔を失った男。
欠損した人体のパーツを本物そっくりに作る医師が彼に新しい仮面を与える。
見た目と機能を補えば、人工パーツによって元の生活を取り戻すことができるのか、
それはパーツが「顔」でも同じなのかという
東大医学部卒の安部公房らしいこだわりが感じられる。
首から上をすっかり白い包帯で覆うという姿は、
他のどの部分の怪我よりも非日常的で、もはや普通の人生とは思えない悲劇が漂う。

周囲や妻と、それまでのような人間関係を築けなくなった男は
全く新しい「顔」を得ることで自分の存在を取り戻そうとする。
「他人」になりすました男は、外で出会った妻を誘惑して交際を始める。
だがあっさり自分の誘いに乗った妻に対する不信感に悩み
ついに自分が夫であることを告白する。
だが実は、妻は「他人」が夫であることに気づいていた・・・。

冒頭、包帯男の声のトーンがちょっと不自然に聞こえたのは
包帯のせいでくぐもっていたのか、それとも
1本目と違うキャラであることを強調しているのか理由は定かでない。
自宅では相変わらず包帯の「夫」、外では新しい仮面で「他人」と
2人の役者がひとりを演じる、切り替えの演出が面白い。
自分を取り戻そうとしてやったことなのに、取り戻すどころか
さらに失うことになった男の混乱と失望が浮き彫りになる。

「顔」は単なる身体の一部分ではなく、
取り替えの効かない「自己」そのものなのだと改めて感じる。
同時に、妻ばかりか大家の知恵遅れの娘にも正体がバレていたという事実に
「顔」が変わっても「自己」の本質は変わらないのだとも言える。
彼は一体何のために新しい顔を手に入れようとしたのか?

個人的には2本目の「タニンノカオ」のストーリーと演出が好み。
人間の喪失感と変身願望が、今の時代を感じさせてとても面白かった。
約50年も前の作品のテーマに、改めて普遍性を感じた。
コングラッチュ ユー

コングラッチュ ユー

チャーミーゴリラ

小劇場 楽園(東京都)

2012/08/07 (火) ~ 2012/08/19 (日)公演終了

満足度★★★★

ダンスと歌のレベル高し
役者陣の濃い目の演技と、マジなダンスと歌が良い対比を見せる。
軽くて楽しくて笑って終わるかと思っていたらなんだか涙が出てきちゃった。
おまけに私がファンクラブに入っている
あのアーティストの歌に乗せて踊りまくるから思わず☆が増えそうになった。

ネタバレBOX

ラジオから流れた「姫島の霊媒師」の話に引き寄せられて
この島へとやって来たケンタ(中村恭平)。
島の人々や他の観光客と一緒に、死んだ姉の霊と語り合うことで
周囲も自分も変化し成長するというコメディ。

脚本はイマドキのお笑いセンスで細かく笑いを入れてくるタイプ。
やりすぎるとコントをつないだようになりがちなところを
役者陣の濃いキャラ作りでバランスをとっている。
ダンスと歌が本格的でびっくりした。
なんでこんなに上手いの?
と思ったらそちらの分野で活躍しているプロの方だった。
でも他の役者さんたちも、メリハリの効いたダンスがとても素晴らしかった。

終盤姉の霊と話すシーンがしんみりさせて良かった。
「自分らしく」「自分のために」生きることばかりが強調されがちな時代だが
やっぱり”誰かのために生きる”“誰かの分まで生きる”ってあると思う。
それは人を支えるし、人を大きくするだろう。

ちょっと出ハケが頻繁で落ち着かない展開だったが
もう少しストーリーを整理したら“誰かのために生きる”という
ケンタの決意がさらに際立ったような気がする。
笑いと涙のコントラストがはっきりすれば、物語に深みが増すと思う。
そこそこ歌って踊る劇団はいくらでもあるが、このくらいのレベルになると
劇団の個性としてとても面白い。

イッチー役の後藤健流さん、キレの良いダンスが素晴らしくて見とれてしまった。
コウヘイ役の竹村つとむさん、ラストのアカペラが泣かせる。
いい声だし、いい歌だった。
タケシ役の藤枝直之さん、この濃いキャラを一貫してブレずに演じて面白かった。
サブストーリーの充実に大いに貢献している。

超個人的に挿入曲の選択が良い。
「歩いて帰ろう」がガンガン流れて私はあやうく立ち上がりそうになった。
チャーミーゴリラ、終わってみればなんだかウホウホな気分であった。
THE TUNNEL

THE TUNNEL

ユニークポイント

座・高円寺1(東京都)

2012/08/10 (金) ~ 2012/08/14 (火)公演終了

満足度★★★★

これが答えだ
奇しくもオリンピックのサッカーで日韓の関係性が浮き彫りになった昨今
カラフルなスコップのフライヤーも印象的なこの公演は
異文化と歴史の対立を超えた未来の可能性を考えさせる。
トンネル反対派に対する説得力に欠けるのが残念だが、
この作品の制作意図、制作体制こそがその答えではないか。

ネタバレBOX

舞台にはトンネル工事現場と思しき小高い山が2つ。
2つのあいだには通路が架っており、1つはなぜかてっぺんから滑り台で降りられる。
冒頭、上手と下手に役者が別れて並び、そこから順番に小高い山に駆け登って
話したり踊ったり肩を組んだりして滑り台から下りて来ては、それを繰り返す。
それがあんまり嬉しそうで楽しげなので
障害が多いに決まってるこの話が、明るい結末を用意しているのだと判る。
役者陣の豊かな表情と身体表現から、どうやってここに至ったのか知りたくなる。

福岡―釜山130キロをトンネルで結ぶという国家プロジェクトが始動し
賛成反対、賛否両論渦巻く中で、様々な立場の人々を描く物語。

トンネル工事現場の作業員が面白い。
日本側の作業員と班長(栗原茂)の、仕事や家族に対する考え方が変化していく様がリアル。
韓国側の作業員を演じる韓国の役者さん二人が、とても達者な方たちだった。
韓国語にはバックに字幕が映し出されるが、なくても想像できるほど豊かな表現力。

公園の女(石本径代)、おおらかで野性的なキャラクターがとても良かった。
達観した眼差しで、リヤカーで旅をする一家や学校へ行かない少年を見守る。
ギターをかき鳴らしながら唄う姿が強く印象に残る。

高校の演劇部はまるで社会の縮図のようだ。
トンネル開通式典での出し物を依頼された高校演劇部は喜びに沸き立っている。
父親がトンネル工事の仕事をしている生徒もいる。
ところがトンネル反対運動のメンバーの話を聞いて
自分たちの活動に疑問を持ち始めた一人の生徒が、式典参加を取りやめようと言い出す。
演劇部が分断される事態に、顧問の先生は無理に説得をせず
みんなの総意なら取りやめても構わないと話す。

結局、式典当日の反対運動メンバーによる妨害にもかかわらず
最後はみんなで歌ってハッピーエンドになるのだが
この持って行き方に説得力がないのが残念。
妨害されて思わず壇上に上がり、自分の心情を訴える高校生の言葉に
「それでも自分はトンネルの向こうにある未来を見たいのだ」という説得力がない。
未来を担う者が、たとえ拙い言葉でもその先にある未来を切り拓く決意を語らずして
一体他の誰がここで演説するべきだろうか。
一番の見せ場で「私の高校生活」を語っても、
反対派の心を変化させる理由にはなりにくいと思う。
ここが弱いので、ハッピーエンドになだれ込むのが安易に見えてしまう。

「それがみんなの意見なら、式典参加を取りやめてもよい」と理解を示す
顧問の先生(渋谷はるか)はとても良い先生ぶりではまっている。
ただこれも、反対運動に傾く生徒に語りかける言葉に力がない。
真摯に教師に向かって疑問をぶつける生徒の方がよほど力強い。

「自国の文化が損なわれる」と危惧する反対派に
両国の市民レベルの交流とか、互いを理解するための具体的な行動など
抽象的な不安を払拭し、それを凌駕するだけの流れが示されないので
せっかくの大団円が虚ろなものに見えてしまってとても残念だった。

白い衣装で人々を見守る明花さんが奏でる韓国の楽器は
個性とメリハリのある音で良かったと思う。

個人的にはトンネルの完成後、淡々と次の現場へ行くという班長と
それを支える妻(齋藤緑)、姉と弟の一家が現実的で温かく
自国の文化とはこういう市民が家庭において守っていくのだなあと感じた。

演劇人がこういうテーマに取り組む姿勢、制作体制は素晴らしいと思う。
こういう動きこそが今後の両国を変えていくのだと
私はトンネル反対派に訴えかけたい気がするが、
山田さん、どうだろうか?
富裕

富裕

monophonic orchestra

新宿眼科画廊(東京都)

2012/08/10 (金) ~ 2012/08/15 (水)公演終了

満足度★★★★

リーディングのだいご味
リーディングの面白さは、動きが限定される分台詞に集中できる事だ。
それはそのまま役者さんの力量が露わになることでもある。
須貝英という人の抽出する会話のリアルさが際立つ公演だった。

ネタバレBOX

「浮遊」に登場するのは1人の男(大石憲)と2人の女(安川まり、伊佐千明)。
“失踪”というちょっと衝撃的なキーワードが介在する微妙な関係の3人。
富裕とは所有する“量”ではなく“質”の問題なのだと思う。
多くを所有することより、何をどこまで所有するか、その深さが問われる。
所有の仕方が浅いと、人は不安になって
相手を試したり傷つけたくなる──。

安川まりさんの、どうしようもない喪失感が痛々しく
ラストの悲しみと同時にどこかほっとした表情が良かった。

3人の関係が、過去と現在を行き来しながら描かれる。
それにしても男はどうしていつも答えを出さないのか。
女が突きつけたものに従って生きているように見える。

「ファーファーファーファー、ファーラウェイ」は2人芝居(片桐はづき、櫻井竜)。
台詞の醍醐味とリアルさで、この日一番印象に残った作品。
高校生2人の電話での会話から始まるこの話は、
冒頭のリアルなやりとりで一気にひき込まれた。
ディズニーシーに2人で行きたいけど、相手が少しでもそれをためらうようなら
みんなで行こうって言おう・・・という手探りの期待感が伝わって来て微笑ましい。

上手と下手に離れて向かい合っていた役者2人が
少しずつ歩み寄ったり離れたりするのが彼らの関係を視覚的に示して面白い。
ここでも女が「もう友達同士には戻れないのを覚悟の上で」告白しても
男は明確な返事をしない。

その後も節目節目には電話で連絡を取り合いながら細いつながりを絶とうとはしない2人。
自分が所有したい相手から、「所有したい」と言われない失望感を抱えてきた女が
「さよなら」と言ったとき、ようやく大人になったのかもしれない。
告白のときの片桐はづきさんの初々しい覚悟と
ラストの「さよなら」が切なくて泣けてしまった。

生き生きと躍動感ある会話が楽しく、話の弾む高校生の会話を隣で聴いているよう。
この会話の再現が素晴らしい。
単なるイマドキのてれてれした会話の再現ではない。
きちんと再構成されていながら“平成24年の会話”になっている。

あえて間を置かずに会話の内容で時間の経過を知らしめる方法も、
テンポを落とさず全体の流れを止めることもなくて良い。
2人が常にテンション高く、快活で、話題を選んでいるのは
相手に不機嫌な声を聴かせるほど親しくなれない2人の関係を物語る。
この戯曲は、リーディングでもう完成されているような気がする。

もうひとつは「一人寝の夜に」という小説の朗読。
ホチキスの村上直子さんの朗読で
須貝さんの繊細な目が感じられる作品。

「浮遊」の本公演はどこがどんなふうに変わるのだろう。
須貝さんの人間観察の鋭さと共に興味が尽きない。
わずか20名ほどの観客を前に演じられるという贅沢なひとときを堪能した。
「ごらく亭」の夏休み

「ごらく亭」の夏休み

オフィス・REN

北沢タウンホール(北沢区民会館)(東京都)

2012/08/09 (木) ~ 2012/08/09 (木)公演終了

満足度★★★★

究極の一人芝居
最近は創作落語で人気が出る噺家が多い中、
役者が古典を選ぶところが面白いし嬉しい。
もはや“役者さんの落語”ではないレベルを堪能。

開口一番の前田一知さんは故桂枝雀師匠の息子さん。
演目「平林」、枕の声が枝雀を彷彿とさせてちょっとびっくりした。
普段はバンド等の活動をしていて落語は“最近趣味で始めた”と言っているが
もはや趣味の域ではないし、古典に向いた声だし、もっと落語をやってほしい。

松永玲子さん(ナイロン100℃)が落研出身とは知らなかったが素晴らしい。
男勝りの女房となよなよしたお妾さんのキャラが、
練り上げた声で見事に対比されて、さすが役者さんの落語。

ラサール石井と小倉久寛の漫才が、この日一番笑いをとったかもしれない。
小倉さんのキャラを存分に生かしたネタで、これは鉄板。
終始自信なさげな彼の言動に大いに笑った。

ラサール石井さんの「つる」、大ウケで拍手が出たのが
言い間違った時だったのはご愛嬌。
トチるとすぐバレるのも古典ならではだろう。

トリは松尾貴史さんの「宿屋の富」。
日頃クールなキャラの松尾さんが、くじが当たって動転する男を演じるのが可笑しい。

全体に一つの演目にかける時間が短く、みんな駆け足なのが残念。
皆さんせっかく稽古するのだから、お座敷芝居なしでゆっくり噺を聴きたいと思った。
落語は究極の一人芝居、時代の空気や人情を写すのに間とテンポは必須だ。
それが役者の豊かな演技力によって再現されるところが魅力なのに
オチに向かって転がるように話すのは勿体無い。
来年は一人一人の噺をもっとたっぷり聴けたらいいなあと思った。

荒野1/7【全日程終了・ご来場いただきました皆様ありがとうございました!】

荒野1/7【全日程終了・ご来場いただきました皆様ありがとうございました!】

鵺的(ぬえてき)

ギャラリーLE DECO(東京都)

2012/08/07 (火) ~ 2012/08/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

すごいタイトル
親の事情で離散した7人の兄弟姉妹が再会する。
再会を呼びかけた長兄の思い、「忘れたいのに何を今更」と渋々やってきた者、
厳選された言葉と動きの少ない演出によって
それぞれが抱える荒涼とした風景が姿を現す、素晴らしい舞台だった。

ネタバレBOX

衝撃的な事件によって、幼い7人の兄弟たちは名前を変え
別々の家に引き取られて育った。
長兄が声をかけて初めて再結集したものの、
皆今更なんで?という思いで気持ちはバラバラ、
懐かしさは同時に苦い思い出でもあった。
長兄の問いかけに、次第に記憶を辿り始める3人の弟と3人の妹たち。
──父親は悪い奴で母親は可哀想な被害者
彼らが事実を変形させて記憶していたのには、それなりの理由もあって
辛く悲しい現実から逃げたいという子どもの心を責めることはできない。

長兄は皆が大人になるのを待っていたのだ。
事実から目をそらすな、逃げるなと呼びかける。
でもそんなすぐには変われやしない・・・。
あの父親の面倒を見るなんて、到底受け入れられない。

ルデコ5の横長のスペースに、木の丸椅子が7つ並んだだけの舞台。
一人ずつ登場して全員客席に向かって座る。
見事に一点に置かれた視線を動かさずに会話が始まる。
皆自分だけの孤独な荒野を見つめている。
ほかの誰ともクロスしない。
この図の素晴らしさは、話が進むにつれて効果を上げていく。

長兄役の成川知也さん、ストーリーを引っ張るのが
この方の魅力的な声なので冒頭から引き込まれる。
親を見るなら全員で、捨てるのも全員でという
強い決意のもと結集を呼びかけた長兄の思いが切ない。
最後に一人残った妹に
「家族が無いから不幸なんじゃない、家族があるから不幸なんだ」
と吐露する場面で、誰よりも荒涼とした風景を視ていることが伝わってくる。

理佐役の古市海見子さん、その意思的な強い視線が忘れられない。
瞬きをしないその視線の先にある過去、そして現在の孤独な結婚生活が感じられる。

4男を演じた小西耕一さん、一人イマドキの若者っぽくしゃべるのが超リアル。
本能的に傷つかない方向へ身をかわしながら生きる今の若い人を見事に再現する。

作・演出の高木登さんは、「家族の事情」という極めて個別のテーマを芯に
時に「あってもなくても不幸」な「家族」の普遍性を描いている。
この台詞と演出の前では、ぬるい幸福論など吹っ飛ぶだろう。

長兄は「今日で兄弟解散だ!」と叫んだ。
だが私は、このエンディングに何かほの明るいものを感じる。
「もう二度と会わないだろう」と言って去っていった者でさえ
きっとまたこの兄の元を訪れるような気がする。
新しい命の存在もそれを予感させる。
親はともかく、この「荒野」を共有できるのはこの7人しかいない。
元はひとつだった荒野を、7人で分け合っているからこそ兄弟なのだから。

「荒野1/7」、なんてすごいタイトルなんだろう。
口紅を初めてさした夏 (再演) 無事公演終了致しました!ありがとうございました!

口紅を初めてさした夏 (再演) 無事公演終了致しました!ありがとうございました!

TOKYOハンバーグ

ワーサルシアター(東京都)

2012/08/02 (木) ~ 2012/08/14 (火)公演終了

満足度★★★★

夏休み
人は、いろんなものにつかまりながら立ち直っていくものなのだと感じさせる物語だった。
仕事や、仲間や、時には反発する相手にさえ、支えられている。
受け止める安定感ある大人たちを得て、達者な子役が圧倒的な存在感を見せる。この子はこれからどんな演技をするんだろう。

ネタバレBOX

舞台は毎日近所の常連客で賑わうスナック。
客の一人清水が交通事故により突然亡くなって、
彼からプロポーズされていた店のママ「まちこ」が失意のどん底にある姿から、話は始まる。
清水の一人娘の小学生「れん」と、
恋人に子どもがいるとは知らされていなかった「まちこ」の
反発しながら次第に理解し合っていく過程が描かれる。

子供特有の、自分の疑問に誰も答えてくれないことへの不満と孤独。
大人を問い詰めては「嫌われてる・・・」と落ち込む、彼女はまだ小学生なのだ。
「れん」の「早く大人になりたい」という叫びには、必死なものがある。
「れん」役の斉藤花菜さん、鋭い台詞の応酬での間が素晴らしい。

「まちこ」役の吉村玉緒さん、前半は
こんなに小学生相手に感情をぶつけるものかしらと思うほど怒鳴るが、
口紅をつけてあげる場面の表情は秀逸。
「れん」に自分の子供時代を重ね、喪失感を共有して次第に歩み寄っていく二人の関係を
巧みにリードしている。

店のチイママ(?)(役名を忘れてすみません)役の長澤美紀子さんが
衣装も客あしらいも実にリアル、絶妙なポジションを立体的に魅せる。
五郎役の鳥枝明弘さん、観客の声を代弁する台詞に情があって「いい奴だなあ」と思わせる。

ほろ苦いラストも、その後の展開を匂わせて上手い。
「れん」は自然と大人になっていくだろう。
「まちこ」は別の寂しさを覚えるだろう。
それを見守る店の人たちと常連客が変わらず温かいはずだ。
ハッピーなだけでない、こんな優しさのかたちもあるのだと思った。
忘れられないみんなの夏休みが過ぎていく──。
『熱海殺人事件』(作・つかこうへい)

『熱海殺人事件』(作・つかこうへい)

モウムリポ(ポップンマッシュルームチキン野郎課外活動)

新宿ゴールデン街劇場(東京都)

2012/08/04 (土) ~ 2012/08/05 (日)公演終了

満足度★★★★

疾走するパン一男たち
前説のCR岡本物語が白いブリーフ一丁で登場したとき、その姿にある予感がしたが
“ガガ”に扮して歌い踊った増田赤カブト以外、
出演者は全員ボクサーパンツ一丁である。
パン一の男たちは、立ち見も出たゴールデン街劇場を90分間走り抜けた。

ネタバレBOX

伝説の刑事木村伝兵衛の元へ、富山から熊田留吉が赴任してくる。
伝兵衛の下には水野朋子という部下兼愛人がおり、
捜査報告書を捏造するくらい日常茶飯事の有様。
女工を絞殺したとして犯人の男が逮捕され、取り調べが始まるが
伝兵衛の望むストーリーに話はどんどん書き換えられて・・・。
シケた殺人事件が一流の事件になるにつれて、登場人物の”愛”が浮き彫りになってくる。

木村伝兵衛(サイショモンドダスト★)は首にお約束の蝶ネクタイ、
熊田留吉(野口オリジナル)は普通のネクタイ。
犯人(渡辺裕太)は装飾なし。
水野朋子(NPO法人)はショッキングピンクのパンツで、首にスカーフといういでたち。

ストーリーは想像と決め付けによってどんどん変化していくが
その中で語られる個々のエピソードが強烈な印象を残す。
犯人にも熊田にも、そして伝兵衛や朋子にも、共通する“愛”の迷走がある。
みんな上手くいかなくて孤独で、伝兵衛なんか朋子がほかの男と結婚することになっている。
これはつまり、事件の捜査というかたちを借りて
自分の恋愛のどろどろを白日の下に晒すという作業でもあったのだ。

改めてすごい本、台詞の質・量だなあと感じる。
その台詞をあれだけ聞き取りやすく大音量でキープしているのは
全員素晴らしいと思う。
ただ、のっけからハイテンションで始まるこの舞台は、終盤までそれを保とうとすると
台詞が単調な怒鳴り合いになってしまう。
サイショモンドダスト★という人は、伝兵衛の、硬軟・清濁入り混じった
ダメダメで時に哀愁漂うキャラにぴったりだと思う。
目や声に色気のある人なので、時には音量を落としても十分説得力はあるはずだと思う。
少し違った演出の、彼の伝兵衛も観てみたい。

朋子役のNPO法人が落ち着いた声で話す場面が多く、それがほっとさせた。
揺れる女心をとても繊細に表現していて良かったと思う。
ちなみにヒゲのまま頬紅を差した顔がめちゃめちゃ可笑しかった。

犯人が出てきて少し空気が変わった。
彼が変化して、熊田が変化して、朋子が変化していくのが面白かった。

朋子が戻ってくるラスト、ディープなキスに笑いながらちょっと安心した。
いい終わり方だと思った。
「熱海殺人事件」は、そのテイストがポップンに向いている本だと思う。
パン一男の熱い90分、果敢な挑戦に大きな拍手を送りたい。
点描の絆

点描の絆

東京ストーリーテラー

シアターKASSAI(東京都)

2012/08/02 (木) ~ 2012/08/05 (日)公演終了

満足度★★★★

ウェルメイド
初めての東京ストーリーテラー、初めてのシアターKASSAIは充実の一言。
終演後希望者のみに“ネタバレ・パンフレット”を配布するという姿勢、
作・演出の久間勝彦さん自らが観客に感謝の言葉を伝える前説など
劇団として「観る人が参加して初めて完成する演劇」を大切にしていることが伝わってくる。

ネタバレになるので多くを書けないのが残念だが、
それもこの作品を鑑賞する上でぜひとも必要なことだろう。
最後まで真実がわからない筋立てが素晴らしく、
ありがちな予想を立てていると見事にひっくり返される。

筋立ての面白さに加えてもう一つ、
登場人物の彫りの深い造形が、“ことの起こり”に説得力と必然性を与える。
濃密な世界を共有する師弟関係が、時間の経過とともに丁寧に描写されていく。
弟子の少年役が素晴らしくて、何も起こらないうちから泣けてしまった。

冒頭、主人公の説明的な台詞がテンションに引きずられて少し上滑りになった感があるが
ラストの別人のような表情は素晴らしかった。
「点描の絆」は、この瞬間のために語られてきたのだということがわかる。

こんな人間関係もあるのだと知らされる、幸福な謎解きだった。

招待されなかった客「ご来場誠にありがとうございました!」

招待されなかった客「ご来場誠にありがとうございました!」

劇団東京乾電池

アトリエ乾電池(東京都)

2012/07/28 (土) ~ 2012/08/04 (土)公演終了

満足度★★★★

毎日が”不条理”
別役実の不条理の世界、しかも二人芝居とあって楽しみに出かけた。
役者の個性なのか、演出なのか、“不条理”なんて忘れて普通に笑っちゃった。
それにしてもアトリエ公演、なんと素敵な空間なんだろう。

ネタバレBOX

下北沢のアトリエ乾電池へ初めて行った。
入口のスタッフさんといい、靴を脱いで入るアトリエといい、とてもよい雰囲気で
フライヤーのなんだか可愛い絵と同じ柄の当日パンフやチケットも嬉しい。
セットの“魔女の家”も、おどろおどろしいのではなくて“小さい魔女”の感じ。
横長のテーブルには乱雑にボトルやグラス、本などが置かれている。
上手側のテーブルには「わが町」のミニチュア、白い人形が配置されている。

やがて魔女(角替和枝)が登場、風邪をひいてアスピリンを探しているのが可笑しい。
魔法で治せないのかしら。
その家を訪れたのがマシュウ・ホプキンス神父(ベンガル)。
招待状を持ってきたのだが、招いた覚えのない魔女は困惑する。
二人の噛み合わない会話が始まり、次第に互いのことが明らかになっていく・・・。

魔女と神父の会話を聞いていると“不条理”とは
噛み合わない会話、すれ違う思惑、自己中な物言いのことだという気がする。
自分の価値観とずれている相手はみんな“不条理”なのだ。
真のコミュ二ケーションが成立しにくい今の時代では
毎日が“不条理”の連続だと気づく。
そしてそれこそがリアルな会話であることもわかる。

「だから、さっきからそう言ってるじゃないか」
「自分が言ったんだろう?」
「それはこっちの台詞だよ」
「はあぁ?」

1日に1回は口にしそうな言葉、
そう言いたくなる状況こそが“不条理”の世界なのである。

会話がひどくリアルなのは役者の力量だ。
静かなコントみたいに随所に笑いがにじむのは、
成立しないコミュニケーションをそれでも受け入れる経験値のなせる技だ。
だから若い役者さんにはこういう“不条理”は難しいのではないかと思う。

衣装、特に魔女の靴と神父の帽子が可愛くて見とれてしまった。
またよく似合ってるんだな、これが。

魔女も神父も孤独な人たちであり、孤独な商売である。
その二人が「わが町」の濃密な家族意識に向かい合うとき、
その孤独が共鳴して思いがけない親近感を呼ぶ。
相反する立場であるはずの魔女と神父が一緒に列車に乗って(多分無賃乗車で)
どこかへ旅立とうというラストは、それこそが“不条理“な話だろう。
にもかかわらずこの説得力はなんだろう。
孤独な二人が一緒に旅をする・・・そのことに
妙に安心してアトリエをあとにしたのであった。
浮遊するfitしない者達

浮遊するfitしない者達

劇団TEAM-ODAC

紀伊國屋ホール(東京都)

2012/07/26 (木) ~ 2012/07/30 (月)公演終了

満足度★★★

理想
「早く楽になろうよ」と囁く天使と「生きていればいいこともある」という悪魔。
二つの声に、雑居ビルの屋上に佇むツバサは今日も結論を先送りしたが
姉から渡された睡眠薬と「これ飲んで死ね」という言葉に、衝動的に自殺を決行する。
ラストは明るいが強い違和感を覚えたのは私が性悪説だからか。

ネタバレBOX

ツバサが目覚めるとそこは無人島。(って彼を取り巻く人々が全員いるんだから無人ではない)
そこで彼は理想通り、得意の空手を使ってこれまでの人間関係を逆転させる。
そこから天使と悪魔、それに死神が加わって翼の心の葛藤が始まる。
本当は色々な思いが有るのに伝えることができない、素直に表現できない人々の行動。
彼らの真意が明らかになってツバサは悩む。
自分を散々苦しめた者達を許すべきか否か、人は変われるというが本当なのか。

結論から言えば
「受け取り方次第で相手を理解するチャンスはあったはずだ」ということらしい。
睡眠薬を飲んで意識不明のツバサの元へ人々がやってきて
謝罪したり、考え直したり、修復したり・・・。
そして目が覚めたツバサは、もう一度生きてみることにする。

でも「これ飲んで死ね」と言って薬を渡した姉を許せるものだろうか。
いじめる人の心理や思惑まで考えていじめられる人なんているだろうか。
これでは死ぬほど追い詰められたツバサの気持ちは、ただの“勘違い”だ。
私はこの考え方の軽さ、解決方法に疑問を持たざるを得ない。
むしろ「いつでも俺を頼って来い」と言ってくれる空手の先生のような存在こそが
現実的には彼の救いになって欲しいと思う。
性善説をとって明るい終わり方をしたのだろうけれど
fitしない人を救うのはもっと別の方法ではないかという気がする。

この違和感があるせいで、天使・悪魔・死神の3人のギャグにもイマイチ入っていけない。
こなれたギャグだということはわかるしタイミングもいいのだが
ツバサがいじめや孤独に苦しむ姿があまりに痛々しくて笑えない。
さんざんツバサをいじめてきた友人や姉が(姉はべッド脇で泣いていたが)
反省の言葉もなくみんな仲良しになるのも納得できない。

現実を忘れてファンタジーとして楽しめばいいのかもしれない。
でも実際いじめにあっている、あったことがある人がこれを観たら、
どう思うだろうか。

天使のキャラは良かったし、
クワバタオハラの小原正子さん、説得力ある台詞で熱演。
現実の世界と無人島を切り替えるセットや照明はとてもよかったと思う。

客席で3~4歳の子どもを膝に乗せて見ていたお母さん、
いくらなんでもそりゃ無理ってもんだよ。
ぐずるし飽きるし動き回るし、子どもがかわいそうだ。
まだ終わるまで30分もあるっていうのに煌々とケータイ光らせる人が1人ならずいるし
小劇場の熱い観客とはあまりに違う雰囲気にびっくりがっかり。
観客もいろいろなんだなあと思った。
病んだらおいで

病んだらおいで

ソラトビヨリst.

新宿シアターモリエール(東京都)

2012/07/26 (木) ~ 2012/07/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

病んでる時代
“異色セラピストコメディ”とうたっているが、個々のエピソードにホロリとくる。
出演者も多いがよく整理された構成と充実の劇中劇がテンポよく進み、
終わってみれば「私も行きたいクリニック」であった。

ネタバレBOX

内海心理治療クリニックは、飲み屋街の一角、
元スナックだった所に開業したクリニックだ。
カラオケステージやミラーボールがそのまま残っている。
内海年也(濱仲太)は、押さえ込まれた自分を開放するため、患者に演劇療法を施す。
ここへ、ヤクザの親分と舎弟、看護師、役者、数学の教師、女子プロレスの選手など
超個性的な面々が救いを求めてやってくる。

内海先生が当て書きする台本通りにセリフを言ううち、次第に素の自分が顔を出す。
堪え切れずに溜め込んでいたものを吐き出し、自分をさらけ出すようになる。
この過程がとても面白い。
コメディを面白くするのはマジなキャラと意外なバックグラウンドなのだと痛感する。

女子プロレスの赤マムシ三太夫(五十里直子)やリストラされた尾久(田口勝久)の
切羽詰った告白には思わず泣きそうになってしまった。
国会議員(中山英樹)の横柄な態度が素晴らしく板についていると思ったら
ゲイだったとわかって、それを隠そうともしないところがまた面白かった。
このクリニックは元スナックだった場所だが、
集まった中でも突出して愛想よくチャラい感じの男(濱崎元気)の
「実はここで店を経営していたのは自分で、破産して店も家族も失った」
という告白は、本当に切ない。
ヤクザの親分(二川剛久)と舎弟(原ゆうや)のストーリーには、
このエピソードで1本芝居が出来そうな重みと悲しみがある。

笑いながらも共感できるのは、一つひとつのエピソードが現実的なこと、
劇中劇が充実していて単なる再現ドラマに終わっていないことがあると思う。
参加者一人ひとりにスポットを当てるなど、照明もわかりやすくよかった。

全体を束ねる内海先生は常に「大丈夫です、やってみましょう」と励ましてくれる。
誠実さと温かさが伝わって来てとても心強い先生だ。
超個性的な相談者をまとめていく説得力とオーラがあって、観ている私にも安心感を与えてくれる。
彼自身も心に傷があり、それを忘れずにここでクリニックをやっている、
単なる熱血医師ではないという設定が良い。
ラスト、みんなでボールを回して最後に死んだ少女が持ったところで
じいんときてしまった。

「精神」という言葉の中には「神」がいる。
この神様は脆く繊細な神様で、この神を守るために私たちは闘っているのだという。
守りきれなくなったときに駆け込むのが、こんなクリニックであればいいな。
疲れた夜、だけどこのまま家に帰るのは辛い夜、ここへ来たら少し上向きになるような気がする。
今日、セラピーを受けたのは、実は私の方だったのかもしれない。
ポンポン お前の自意識に小刻みに振りたくなるんだ ポンポン

ポンポン お前の自意識に小刻みに振りたくなるんだ ポンポン

ハイバイ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2012/07/18 (水) ~ 2012/08/01 (水)公演終了

満足度★★★★★

みんなプライドで生きている
荒川良々ちょっと上手すぎの感もあるが、ガタイのいい12歳二人が
繊細な小学生のプライドを見せて泣かせる。
意地悪でやがて優しきハイバイの人間観察。

ネタバレBOX

ゲームがつながれたテレビと時折出てくる丸いちゃぶ台以外何もない部屋。
開演前は漫画やシャツが散らばった雑多な感じだったが
まもなくお母さんに叱られた欽一と吾郎によってあっという間に片付いた後は
人が変わるだけでこの部屋が2軒の家の居間になり、芝居の稽古場になる。
ドアノブだけの“ハイバイドア”がひとつついている。

友達の欽一とお金を出し合って新しいファミコンを買いに行った吾郎(荒川良々)は
店員(岩井秀人)に丸め込まれ反撃できない性格も災いして、
欲しくもないものを買わされて来てしまった。
おまけにその欽一(平原テツ)の家でおしっこを漏らしてしまう。
それも居間で・・・。
ちぎれそうなプライドを抱えて帰る吾郎、周囲の大人が彼に温かくて
見ている私がちょっと安心。

大人も子供も「察すること」を求められている。
うまく言えないけど察してくれよ、これじゃない、違うんだよ・・・。
察してくれよ、たまにはぱあっと飲んで金使いたいんだよ・・・。
察してくれよ、おしっこ漏れそうなんだよー!
察してくれよ、これがダメだとどうしていいかわかんないんだよー!

「察してくれない」ことに対する逆ギレという面倒なことも起こる。
演劇教室主催の橋本(岩井秀人)が、
別の解釈を提案する劇団員(欽一の母・川面千晶)を罵倒するのは、
自分の意見が無条件に一番と評価されないことに対して
どう対応したらいいのかわからないほど混乱するからだ。
“察してくれる”人の中でだけ評価されてきた人間の小さなプライドの崩壊。
相変わらずこういう”混乱をごまかそうとして屁理屈こねながら崩れていく”男を
岩井さんは上手いんだよなあ。
強気な言葉で攻撃しながら、実は必死に守りに入っているのがわかる。

日本的な「察する文化」のおかげで、言葉なんか要らないくらいにスムースに進むこともある。
演劇教室の場面で一番面白かったのは、
「台詞なし、動きだけでコンビニで買い物する場面」。
ゆっくりと舞うような動きでレジ袋に商品を入れ、
それを受け取って店を出る・・・。
この間客席から笑い声が途切れない。
”観客を育てる”とは言い得て妙、客が全てを察してくれれば
どんな芝居も成り立つわけだ。

首の皮一枚みたいなプライドを修復するにはどうしたらいいのだろう?
吾郎の場合は、欽一が来て思いがけない方法で一気に修復させる。
吾郎の家の居間で、欽一はおしっこを漏らしたのだ。
これで同じだ、という究極の“恥の共有”。
”察する”なんて精神論を超えた本能的な共有だと思う。
自分だけじゃないんだ、という思いが人を救う現場に立ち会ったような感じがした。

荒川良々さんの“大人っぽい”12歳が秀逸。
キャラにハマりすぎ、上手すぎなほど。
平原テツさんの欽一も好きだなあ。
ガタイのいい、あまり考えていないような欽一が、
実は吾郎の気持ちを一番思いやっている。
ラストその優しさあふれる長いお漏らしがとても感動的だった。(暗転してもまだじょーと音がしてた)

安藤聖さんのへなへなしない強い母ちゃんが美しくて良い。
言い訳と屁理屈の挙句逆ギレして逃れようとする夫(岩瀬亮)に、
胸ぐら掴んで最後通告するところ。
「実家の父は帰って来いって言ってる。あたし吾郎連れて出て行くからね」
あんまり「わかってくれよぅ」と甘えるとこうなるという感じ(笑)

その後父と子とがご飯を食べながら交わす会話がおかしい。
父に「(母を)好きなだけじゃダメなんじゃない?」と言う12歳の吾郎。
おしっこ漏らすくせにこういうこと言うから笑っちゃう。
岩瀬亮さんの父親が、ここでは素直に小学生の言葉に耳を傾けて微笑ましい。

この場面、珍しく本物のご飯と味噌汁、唐揚げみたいなおかずが並んで、
食べながらのリアルな会話に、“飯食いドラマ”のリアリティを思い出した。
上手い人は、食べながら台詞の間を自然に調節できるんだなあと感心。

大人も子供もプライドに支えられて生きている。
プライドを守るために働き、閉じこもり、逆ギレし、いじめ、神経をすり減らす。
大人にはもう、欽一のような修復はできないことかもしれない。
こうして見ると、このフライヤーの図は深いなあと改めて眺めてしまった。

さて、私に恥を共有する“おもらしの友”はいるか──。

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