教室に、かぐや姫がいる。
机が並んでいて、教卓があって、ロッカーには野球のグローブや使いこまれた教科書が入っていて、美しい金魚鉢があって、掃除用具入れがある。
『転校生は、かぐや』というタイトルだし、あらすじからも、かぐや姫のような登場人物がいるのだろうなということは分かっていたつもりだった。いやしかし、それにしたってそこにいるのがあまりにもかぐや姫すぎて、まだ稽古場の扉を開けたところなのに、私はすっかり心をつかまれた。
月から来たと思われるその俳優の名は、村上弦。3人組の劇団、猿博打のメンバーである。

今回、稽古場を見学したアナログスイッチは、2012年、作・演出を務める佐藤慎哉を中心に旗揚げされた、「ゆるくて笑えてほっこりする」ワンシチュエーションコメディを作る劇団。10年以上の時間を共にしている劇団員も多く、アナログスイッチでしか味わえない笑いがある。例えるならば、低温で淹れた緑茶のような旨味の凝縮したまろみのある笑いだ。『転校生は、かぐや』は、劇団の人気初期作品『バンブーサマー』のリメイクである。「この作品が一番好き!」という劇団員もいるくらい、思い入れがある作品。今回、劇団員からの出演は、藤木陽一、渡辺伸一朗、秋本雄基、大迫綾乃、雨宮沙月の5名である。

そして本作のクリエーションは、with猿博打。
猿博打は、大学の演劇サークルで出会った、河村凌、村上弦、板場充樹が2019年に結成した劇団。本年8月上演の『この夏、屋根裏から異世界へ(※行けません)』は小劇場界で大きな話題となり、猿博打が結成時に目標としていた動員数を超えた。彼らは自身の活動を通して、観劇文化の活性に貢献するというビジョンを掲げている。3人ともに、客演ひっぱりだこの旬な俳優だ。まっすぐ客席に届く気持ちの良い声と、ポップな佇まい、演劇への愛情に、演出家やプロデューサーが魅了されるからだと思う。
そんな猿博打の3人が、アナログスイッチの稽古場に揃っている。

『転校生は、かぐや』には、アナログスイッチと猿博打に加えて、浅見紘至(デス電所)、辛嶋慶、小関えりかが出演する。
この日の稽古は、ざっくりとした立ち位置や流れなどを決めたあとの、いわゆる「2周目」の立ち稽古が中心で、シーンとしては、全体の真ん中あたりを詰めていくという内容。
猿博打・村上の演じる高校生「かぐや」が、アナログスイッチ・藤木の演じる同級生と対峙している。かぐやが、藤木の手にしていたものに対して、それが自分のものであることを指摘するシーン。かぐやの表情はほぼ動かず、セリフの抑揚が少なく、感情がない。
(あれ? あの村上さんが、大きな声でポップなことを言わないし笑いもしないぞ??)
(藤木くん、めっちゃ面白いのに?!!)

演出の佐藤は、かぐやが「いつ、どのように、それが自分のものであることに気づいたのか」を、観客にどう気づかせるかの調整をする。かぐやというキャラクターが持つ「表情がない」という特性のせいで、普段は比較的容易なことが難しい。ゆえに観客席からの見え方や気づかせ方を細かく調整することで、かぐやにとって重要だと思われる瞬間が伝わりやすくなるようにしているのだ。客席に対しての体の開き方や、開くための行動に違和感がないか、佐藤自らもその場に立ち、感じながら、村上と話していく。繰り返される調整の中、かぐやとの会話で何度も何度も戸惑い続ける藤木。大きな体から溢れ出るピュアネスがいとおしい。

かぐやの視線は、ロッカーの上に置かれた金魚鉢に移る。それは美術家のこだわりで用意された、まぁるい月の形をした金魚鉢で、かぐやが見つめていると、そこに月明かりが射していくよう。
かぐやは、金魚鉢を見つめながら、さっきの自分の行動と向き合っている。なぜ自分はそうしたのか。心に芽生えた「なぜ」を見つめる瞬間。かぐやの意識が、金魚鉢そのものから、自分自身に向いていくのが分かる。
さあ、その美しさをどこまで残さず客席に見せられるだろうか。
金魚鉢をロッカーのどの位置に置くと、かぐやの気づきが伝わりやすいかの検証が始まった。稽古場にいる全員が、ロッカーの近くに集合する。金魚鉢の位置が変わることで、そのシーン以外にどれだけ影響が出てくるのか。俳優陣が自分の動線を考えながら、「〇〇のシーンのときに、僕、ここに来ることになってます」「ここに行けば解消できるかも」と伝え合い、金魚鉢の位置を決めていく。最終的にどこに置くことになったのかは、ぜひ劇場で確かめてほしい。

この日検証されたのは、金魚鉢の位置だけではない。それ以外にも、いくつもの細かな段取りが話された。例えば机の横のフックにかかった荷物はどちら側にかけておくのが良いか、荷物が邪魔だなと思ったときは近くのロッカーの上に置くか、床に置くか。この席の椅子はしまっておいた方がいいのか、出しておいても良いか。一つ一つ丁寧に、検証を進めていく。
(アナログスイッチがつくるコメディは、こんなに緻密なことをやっているのか)
私の心の声が漏れていたのだろうか。佐藤が「こんな厳密な舞台じゃないんだけどなぁ」と、笑った。

シーンは次へ。
辛嶋慶の演じる高校生・天井(てんじょう)かぐすけが登場。かぐやとの会話。かぐすけも感情のない役だ。無表情かつ背が高くすらりとした立ち姿は、月から来た人にしか見えない。
かぐすけの視線のありようにも、驚いた。誰もいない空間を見つめているはずなのに、前のシーンで繰り広げられていたガヤガヤを、今、彼が見ているかのように感じられるのだ。それでいてその瞳に、一切の感情はない。

雨宮沙月と大迫綾乃、大人を演じる二人の「視線」も見どころだ。
雨宮は、廃校寸前の学校の先生。生徒を見守る視線はあたたかく、この田舎町で暮らしてきた年月を感じさせる。
大迫が演じるのは、月に帰らなかった月人。かぐやたちの月に帰るキーを握る役なのだが、その瞳には哀しさも希望も宿っている。一体どのくらいの時間を地球で過ごしたら無表情な月人がこの感情を得られるのだろう。
二人は、どんな人たちと出会い、別れてきたのか。いろんなことを聞きたくなるような視線。誰かのセリフを聞いているときの視線にも、ぜひ注目してほしい。

稽古シーンはさらに移り変わる。
アナログスイッチの秋本、渡辺と、猿博打の河村、板場が登場。教室が一気に華やぐ。すこーんと感情が抜けてくる猿博打と、あらゆるおかしみを的確かつまろやかに掬い取っていくアナログスイッチ。これぞセッション!!
「野球をやろうぜ」と校庭に駆け出して、「俺がピッチャーをやる」「俺もピッチャーをやる」と全員がピッチャーをやる流れの中、河村がアドリブで放った「マウンドがいくつあっても足りないぜ!」というセリフが、忘れられない。

休憩時間。
台本にちなんだ雑談から、金魚の大きさについての話になった。金魚は、水槽にあわせて身体の大きさが変わるという。
河村「役者もさ、稽古場のサイズで声の大きさが変わるって言いますよね」
「あーーーホントそうだね(一同、同意)」
「それで言うと猿博打って、稽古場のサイズより若干、声大きめだよね??」
河村「水槽以上の大きさの声出して、水槽を割ろうとしてるから」
(この座組ったら、休憩中も面白いんだなぁ)

アナログスイッチwith猿博打に、さらなる笑いのベクトルを加えているのは、浅見紘至と小関えりかだ。キュートに周りを巻き込んで、一瞬で面白い瞬間を生みだす。この日も共演者たちは、二人の演技を、観客席にいるかのように楽しんでいた。
本作は、アナログスイッチ with 猿博打であり、浅見と小関がレギュラーで出演しているシベリア少女鉄道の空気感もブレンドされているのだ。お得すぎる。
演出の佐藤は、個性豊かな俳優たち一人一人と細かく丁寧に調整を重ね、この日の稽古は終わりを迎えた。

稽古後、村上に、普段の役づくりと異なることはあるか尋ねてみた。
「いつもとは真逆です。感情がない役ということで、共演者を同じ顔のマネキンだと思うようにしています。そう思い込むことによって相手の表情もわからないし、興味も湧かない。かぐやが倉持のことを安部と間違えるシーンがあるのですが、かぐや自身もこのくらいの認識なんだと思います。あとはとにかく表情を動かさないように、声のトーンを変えないように気をつけています。この舞台は全員がウケを仕掛けてくる。“絶対に笑ってはいけないかぐや”が9ステージあります。それが怖いです」

実際、稽古中の村上はこらえきれずに笑ってしまったこともあったが、リテイクすると、一切笑わない「かぐや」になっていた。「絶対に笑ってはいけないかぐや」を勝ち抜くため、稽古を通してさらなる胆力を身につけていくのだろう。並々ならぬ覚悟で挑む最高難度のかぐや姫は、誰も見たことのない新たな村上弦となるはずだ。
『転校生は、かぐや』、叶うならば月人たちにも観ていただきたい。感情のない月人たちと、面白すぎる地球の高校生たちとの交流。彼らが何を得て何を失うのか。本番が楽しみである。

取材・文/成島秀和
<公演情報>
『転校生は、かぐや』

作・演出:佐藤慎哉(アナログスイッチ)
出演:村上弦、河村凌、板場充樹、浅見紘至(デス電所)、辛嶋慶、小関えりか、藤木陽一、渡辺伸一朗、秋本雄基、大迫綾乃、雨宮沙月
<会場>
駅前劇場
<日程>
2026/09/03 (木) ~ 2026/09/08 (火)
9月3日(木) 19:00
9月4日(金) 14:00/19:00
9月5日(土) 13:00/17:00
9月6日(日) 13:00
9月7日(月) 14:00★/19:00★
9月8日(火) 14:00
受付/開場は開演の30分前/★は収録予定
<料金>
優先入場チケット:7,000円(先行のみ)/一般前売:6,000円/U-25チケット:3,500円/当日券:6,500円
※全席自由席・税込
https://l-tike.com/play/mevent/?mid=733679
https://eplus.jp/sf/detail/4188180001-P0030004?P6=001&P1=0402&P59=1
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2670411
https://www.confetti-web.com/@/tenkagu
<スタッフ>
作・演出:佐藤慎哉(アナログスイッチ)
舞台監督:鳥養友美
舞台美術:小池柊
音楽:福永健人(airezias)
音響効果:天野高志(RESON)
照明:齋藤拓人
映像収録:株式会社彩高堂
衣裳:阿部美千代(MIHYプロデュース)
ヘアメイク:増田加奈・須藤裕美
宣伝美術・WEB:立花和政(デザイン太陽と雲)
写真:山岸和人
宣伝イラストレーション:an
WEBコーディング:阿波屋鮎美(ブラン・ニュー・トーン)
グッズ制作進行:雨宮沙月(アナログスイッチ)、大迫綾乃(アナログスイッチ)
票券:宮野風紗音(かるがも団地)
制作:冨田香奈子(アナログスイッチ)、よしよしこ(アナログスイッチ)
プロデュース:鳥谷規
協力:猿博打、デス電所、PuR、アプレ、豪勢堂、ポエプラス、本多企画、A-PROJECT、忠津勇樹(アナログスイッチ)、丸山香織(アナログスイッチ)
主催・企画・製作:アナログスイッチ
助成:アーツカウンシル東京【東京ライブ・ステージ応援助成】