笑いの中にも息を呑み
タイトルからは微塵も読み取れません、既に故人となった歌手克美しげるの
愛人殺人事件を題材に描かれたお芝居でした。
櫻井さんご自身のツイッターでその出来栄えをそこそこ自画自賛されていますが、
それには率直に「激しく同意致します」(!)
ネタバレBOX
『蘇る封印歌謡 いったい歌は誰のものなのか』(三才ブックス)を読んで
事件の経緯を知るだけに、作品世界へストンと入り込めてしまいました。
事件では存在を記されるだけの本妻側家族へも焦点を当て作り込んだ
ところがこの芝居の肝かなと。
愚図愚図と本妻・愛人を抱える生活を止められない男の心理。
それを、男自身でなくその周囲の人物を通して描ききったように見受けた
秀逸さが自分にはツボでした。
ずけずけ(やさ)しー櫻井社長、「あひるなんちゃら」見てるみたいな突っ込みの
堀刑事、カワ…うん、カワイイ子供達。そして特筆すべき本妻雅子。
穏やかな雰囲気に溢れた佇まいだけにその切れ味は最恐。
中でも、生活費を収めた千葉へ子供達ともども土下座する姿には息を呑みました。
感謝の土下座が鬼気迫るものだと感じたことってあっただろうか…イヤハヤ。
父親の持ち歌を涙ながらに熱唱した子供達を誉めていた笑顔もそう、川口雅子さん
恐るべし!!
勿論、トルコ風呂(?!)で働いて貢ぐ愛人みのりの葛藤と、健気さと、明るさに
満ちない笑顔も素敵でした。
テレビドラマ的な題材ですが、演劇だとこんな描き方・魅せ方が出来るんだよと
感じさせ、楽しませてくれる秀作。
主張に溢れていますが、それに留まらず
観劇予定がなかったのですが急遽予定が組み込めて
足を運んだところ「大当たり!!」に出逢ってしまった
お得な気分になりました。
声を出して笑うような面白さではなく顔がニヤニヤと
ニヤけ続けるソレで、全4話を通し9人の出演者で
印象に残らない役者はいないというクセのある後味。
ネタバレBOX
ただ傾向としては下ネタ含む「青年の主張」(?)に溢れて
いますので、それに共感できるか否かで受けとれるモノも
変わってくる作品ではないでしょうか。
女性と男性。
金に困ることを知らない方と貧乏に耐えて生きる方。
異性にモテて当たり前な人生を送ってきた方と
恋愛経験とは片思いという人生を送ってきた方。
後者に当てはまる方の魂を一瞬でも解放するかのような
正しい屁理屈(!!)の連続で、前者の方からすれば
「はぁ?」かもしれないという二面性も潜むお芝居。
バイク、自転車、明治のカール、ファルコンなどの大道具、
小道具にもお金をかけ巧みに利用する。
主張だけに留まらない絵作りにも行き届いた娯楽性を兼ね備え、
2回目もあって良いのじゃないかと待望したくなる企画でありました。
満足度★★★★
KENプロクオリティ(!)とWキャスト
初演の後に催された「嘘つきの姫君~」「RED」へも継承される
北沢タウンホール向け作品のコンセプトに包まれた作品でした。
ネタバレBOX
それはおおよそ、主人公側集団と敵対側集団の抗争と冒険活劇。
主人公側の淡い恋物語やハートフルな展開。
殺陣によるクライマックス。
これらを物語の設定に絡めアレンジし、わかり易く水準作に仕上げる。
「KENプロクオリティ」と勝手に呼称したい良質な作品で、客席にも
いらしたであろう演劇に親しまれていない方でも存分に楽しめる安定感が
備わったつくり。
言い方を変えればいつも通り面白く琴線に触れるけれど、目新しさや
刺激は感じなかった物語だけにミュージカル仕立てはとても心地良い
アクセントとなり、中でも『アラピアンナイト』と『イノシシ』のメロディーは
耳に残り楽しめました。
本作は絵画・仮面両チームを観劇させて頂きました。なので、物語よりか
個人的に目立った登場人物御三方に絞っての印象を述べさせて貰いますと…
アラビアンな魔人といえばハンナ・バーペラ・プロのアニメ「大魔王シャザーン」を
連想出来る者にはスキンヘッドで後ろ髪に顎髭に上半身裸という壺のジン
イフリート役石谷力さんの風貌は役作り以前の説得力で圧倒されました。
シングルキャストにして作品のイメージキャラクターに位置づけてもと
思えるくらい存在感ありすぎでした。
一方の阿部博明さんはビジュアルが異なりすぎるだけに「しょうがねえな!
手助けしてやるか!」的なアニキ風を吹かせたイフリートを感じさせる演技。
それが、単に「世話の焼ける妹達」と化した可愛い壺使い魔ララやリリと
良い雰囲気で組み合わさる妙味でした。
絵画のジン、イブリース役を男女で演じ分けるというのも実験意欲のある配役でした。
多賀啓史さんの見開いた瞳、無表情に近い不気味さ、台詞回しは最強のジンらしく
あの風貌の石谷イフリートを嘗て打ち負かしたという設定のリアリティを持たせるに
うってつけの佇まいでした。
友部由菜さんのイブリースに不可がある訳ではないものの、魔女という役柄とは
ちょっと違う上、配下4人も全員女性で固めらた女所帯で、悪役以上の個性を
色付けするにはハンディキャップが拭えない気の毒さも見受けました。
ライラ姫、白城華奈さんはボーカル部分での評価が色々(?)かもしれませんが
主役シャイク同様に個性を色分けされたWキャストで、世間知らずの我儘お嬢様
というヒロイン像の確立に適役だったと思います。
胸の谷間が強調された衣装などもビジュアル担当といえる白城さんならではの
魅せどころでありましたし。
一方、芳月実桜さんの伸びやかで美しいボーカルと「ザ・お姫様」とも称せるような
わかり易い品の良さは、橋本深猫さんのこれぞコメディリリーフという芝居やボーカルと
併せ、所属役者が「KENプロクオリティ」の安定感を下支えしていることを
再認識させてくれるものでした。
KENプロデュース公演は通常Wキャストがスタンダードですが、公演期間・回数の
少なさや高めのチケット料金とを鑑みるに「出来れば両方観て欲しい」というより
「知り合いか、好きなキャストが出ている方、どちらかを観て欲しい」との姿勢へ
軸足が置かれているようにも勘繰れます。
一公演回の動員率を高めてペイするリスク回避や、1人でも多くに出演機会を提供
しうる利点を認めることは容易ですが、良質な創作が成されているだけに
「この公演はこの姿形(キャスト)だ!これを絶対見て欲しい!!」と太鼓判の作品も
出来るだけ提供して頂きたいと望まずにいられません。
それに拘らないところが劇団では無い、プロデュース公演たる所以でしょうが、リスクを
背負わない無責任な立場からの希望ながら、今後へ気に留めていただけたらという
想いです。
今回は初演DVDの物販を見かけなかったので、今公演のに予約を入れてきましたが
こちらは両チームの同梱版。DVDでは「両方観て欲しい!」の姿勢?!
作品以外の感想を書く苦しさ
魂と熱の籠ったパフォーマンスに間近で接して、心に何も感じないわけでは無いのですが
おぼんろを応援したい気持ちと嗜好との溝が埋めきれない事を痛感した舞台でした。
作品の感想を綴ってはみたものの、個人の嗜好に起因する側面を持った感想は、
主体性と方針を確立されている劇団に対して「自分の趣味に合わせろ」という不遜な要望と
受け取られるのも本意でなく公開を躊躇するものでした。
「趣味に合わないから、おぼんろ作品とはこれっきり」というのも実に惜しく、今後の
‘よすが’となるのか、嗜好を離れた作品以外の感想を添えてお茶を濁すとしたく…?
ネタバレBOX
毎度終演後、末原主宰からシアターコクーンへの想いを耳にしますが、何故その劇場を、
どうして目標にされるのかが語られない「一緒に行きましょう」へ常に共感出来ない
気持ちに包まれて会場を後にします。
あらゆる情報に目を通せている訳ではないので、実は語り尽くされたことなのかも
しれませんが全ての参加者へ直接周知させなくては共感出来なくて然りです。
共感出来ない最大の理由はコクーンの上演作品から一目瞭然です。
メディア等で著名な出演者の集客力を頼る企画公演が主の商業演劇で、人気・実力を
育んできた劇団が成長の暁として単独公演を打つ聖地などでは無いからです。
直近では綾野剛さんや前田敦子さん等の主演作が上演されていますが、前田敦子さんが
コクーンの舞台を念願叶えて立ったわけでも無いと推察します。
つまりそんな劇場が、どうして小劇団の聖地となるのか、その精神なりが語られないと
個人的な見栄か野望にしか窺えません。
3,672人動員は44公演という凄まじい持久戦(消耗戦)の末、積み上がった誉で、
地方公演もあり単純比較は出来ない乍ら前作26公演との平均動員数では80人→83人と
大飛躍は有りませんでした。
コクーン(座席数747)だと約90%が空席という現実は目標でなく夢です。
その夢も2万5千人(5万人から半減)という動員を意識されていることからスポット公演では
ないようですが「良い物語を紡ぎ続ければ集客が増え、いずれ夢に届く」では
永遠に辿り着かないと思います。
おぼんろの面々が街を歩いてて、周囲からの視線を浴びたり、更には写真や握手,
サインを求められることがどのくらいあるでしょうか。
娯楽のありふれた東京で、しかも演劇が2万5千人を集めるという意味はつまりは
そういうことで極論、作品の内容は関係無いのです。
高難度な目標なのに、その方法が他力本願の倍々作戦とは無計画そのもので、
他意(単に集客効果としての共通モチベーション維持等)があれば別ですが、純粋に
本気ならば、 自力(実力とは別)の集客力でしかそれは掴めません。
不本意かもしれませんが、舞台を抑え映像の世界で勝負することも「急がば回れ」なのでしょうが…
コクーンという目標が疑問なだけで、末原主宰の演劇界における集客現実へ対する
挑戦姿勢、高橋さんの接客や芝居への深慮などは応援の理由にもなっており、
作品嗜好の壁は簡単に取り除けませんが、それでも気に掛かる存在であるのは
真摯な努力の賜物に他なりません。
見返りなき増税、インフレが進む時代に突入しエンタメは観客の側も選択を迫られる
支出の分野です。固定客と一部の熱い支持に留まるのか、高額チケット代金を払っても
中劇場で観たいと大衆に支持される劇団へ飛躍はあるのか。
これからの取り組みにも注目を続けてゆきたいです。
満足度★★★
実直さという色
接点がない限り把握しづらい職業、臨床心理士を描かれている為
その有無が観劇後の印象に濃淡を添えるようにも思えましたが、
職業柄を離れた部分で12人の出演者が皆、人は持ちつ持たれつ、
支え支えられるという関係を築きながら存在出来ることを意識させてくれる。
そんな姿を各々演じて魅せてくれました。
それは一方的に支えられているように見える患者側も医療の側の成長を
支える役割を担っているという、あたかもユニットの作風としていらっしゃる
「現実の中の理想」が登場人物へも映し出されているかのようでした。
ネタバレBOX
そんな関係が築かれている様を主要人物が明確化された台本で12人の
役者により2時間弱の中へ描き切ることは容易ではありません。
明確な個人像が見て取れるのだから、もっと掘り下げて描いて欲しいと
感じられた登場人物が一人二人でないところはとても勿体ない部分でした。
臨床心理士が患者の心をケアする物語ですので、心理学門外漢の観客と
してはどんな「金言」を拝聴出来るものかと舞台を観ていたのですが、
そのような言葉は聴かれません。
素直になれというというありきたりに感じられる呼びかけ。
そして号泣しながら抱えていた死にたくない本心を吐露する患者。
このクライマックスは、お互いが特別でないというか普通と思える言葉や
感情のやりとりで、ここまで迫真のテンションで引き込まれてしまう場面へ
辿り着けるものかとカウンセリング(演出)の奥深さに感嘆させられました。
けれどその奥深さは門外漢には物足りなくもあり、その後の患者夫婦の
仲睦まじい会話に触れ、「カウンセリングはあったけど、結局は奥さん
そのものの存在が一番のケアだったのではないか」と勘繰ったりもみたり…!?
もったいない位の妻という役(!)を演じた春口さんの美しさと佇まいに
はぐらかされてしまった(?)のは事実ですが、恐らくはこれが実態かも
しれない臨床心理士のカウンセリングぶりはドラマチックという要素と距離を
置いた実直さで、それ故に自分の心の揺さぶられ方も小幅なものに留まった
のは本音です。
その実直ぶりは作・演出の酒谷一志さんのweb上の稽古場日誌と被ります。
稽古場ブログは出演者が交代でというのが主流ですが、613では酒谷さんが
一貫して定期的に、しかも時系列で綴られていて、さながらネタバレの無い
メイキングレポートです。
演劇に造詣の深く無い方でも理解できるような用語の説明も含め,丁寧な
中身の日誌を残されています。
そのような実直さを窺わせてくれる酒谷さんの描く臨床心理士、そして想いを
端々、隅々まで込めた作劇が、ハッタリをきかせたドラマチックを詰め込まない
ことを察するのは難くなく、違和感が無いといえばこれほどまで違和感の無い
作りもないだろうという一貫性が感じられます。
613の確かな色というものが伝わってくる作品に触れることが出来ました。
満足度★★★
後出しオンパレード
作品の舞台が市民感覚を計る目的の独法運営「オシラス」内での
仮想現実陪審であるという設定がパンフレットや宣材のみに記され
劇中では触れられません。
そのままで陪審員入室場面から始まり、延々芝居が続いてゆく
ところが電夏らしいといえばらしさなのですが…
当然そういう設定を開演前にしっかり把握している酔狂(=自分)
ばかりがお客さんではないわけで、そこの説明を劇中で織り込むのも
ちょっとした気配りかなとは感じました。
本作は審議内容より陪審をする人間の心理に軸足が置かれたコメディ
でしたが観劇中は混沌とした心境で展開を追いかけてました。
ネタバレBOX
全員が事件当事者の視覚・聴覚をトレース出来るムシロに座りながら
映像を見ることが出来た者とそうでない者が混在し、見た者の証言が
次から次と後出しされることで陪審員により判断が二転、三転、それ以上。
そのうえ見れなかった者も見たふりで審議に加わり続けるものだから
見れたという陪審員も実のところ同様に思い込みだけで発言を続けて
いるのではないか(事実、中田悟=添野豪サンがそうだった)という
疑心暗鬼に包まれながら、落ち着かない観劇を続けるはめに…
これはもう審議の行方というストーリーを追いかけるよりは右往左往する
陪審員の役者陣を楽しむ芝居だと認識してからは、確かにボケやツッコミ
に溢れた台詞がおおいに愉快ではありましたが、何だかこう…
例えて言うなら、打った、抑えたの個人対決が見せ場の中心で勝敗二の次の
プロ野球オールスターゲームを見ているような感覚に。
滑稽な陪審員や愉快な台詞が楽しい反面、物語の柱たる審議の中身が証拠も
何もない発言だけによる新事実の後出しオンパレードを最後まで積み重ねて
締め括るに至っては、役者陣の魅力によって支えられたお芝居という後味を
否めませんでした。
とはいえ自分と重ね合わせて判断するという陪審員の心理描写など、込められた
テーマは伝わる芝居で、映像が見えた者の証言とそうでない者の虚言がなぜか
微妙に噛み合いながら物語の縦糸を紡いでゆく巧みさも垣間見れました。
(※観劇の感想も「観たい」ものが観れたら満足。観れなかったら不満足という
この陪審員の心理に似てるような)
そして最後に無罪を同意した三好(根津茂尚サン)の「何もむきになって
有罪にする必要もない。所詮お遊びですから」は本作フィクションの設定に
対する否定のようで、とても面白く受け止めました。
市民感覚を計る為にこんなお遊びを催す「オシラス」運営の独立行政法人って
いったいどんな組織なのかという。
現実でも存在する補助金泥棒な独法の存在に対してのアンチテーゼみたいでした。
満足度★★★★
お祭りに参加できました
「随分と線引きの甘い地図」が世界と物語と時間を軸にした本作の幹となるストーリー。
「檻の中にいるのはお前の方」は電夏らしい論理的仕掛けが組込まれた枝分かれストリー。
「机の上ではこちらが有利」は境界線プラザと人型機関ALを掘り下げ、一番心情表現が
詰め込まれた枝分かれストーリー。
そんな色分けが施された三部作という雰囲気を感じつつ見終えました。
ネタバレBOX
役者も3作どれかで存在感を示せる作品があり26人の役者に居場所を
きちんと与えられていたのは良かったです。
個人的には「机の上ではこちらが有利」が一番印象に残る内容でしたが、
「檻の中~」ともども展開に間延びした感が否めず、もう少し短い時間で
纏めてあったら残る印象もより良くなったかもしれませんが、そこが
3劇場連動のあや。
早く観客が退場する劇場があって面会客を長く待たせるのは…で、尺伸ばし
の配慮もあったことでしょう。
仮想未来のお話だけに作品世界の設定や用語を飲み込みつつ物語を追う
鑑賞の仕方が落ち着くまで舞台へ完全に集中出来なくて残念でした。
3作通して観ても文句なしに傑作という満足感に包まれるほどでもありませんでした。
でも、凄いことやってるな、成し遂げたなという偉業へ立ち会えたという充実感には
包まれました。
そう思うとパンフに記された「お祭り」という表現に納得します。
時間と空間に人間を連動させるという制約を見事克服し得たお祭り。
1つの劇団の観客が同時刻で三分割されることは興行的リスクが大きすぎます。
それでも、お祭りだからやってしまえ、楽しんでしまえというエネルギーと
バイタリティに溢れた場所を創造出来たことだけで貴いと思える企画でした。
今後、これを上回るお祭りを開催する団体は当面出ないかもしれません。
満足度★★★★
物語世界に浸りつつも
病原菌というよりは細菌兵器とでもいうクグルを擬人化して
みせるところがおぼんろワールドの真骨頂でしょうか。
若林めぐみさんが表現する精一杯の無邪気さに悲劇の余韻が
増幅されて伝わってきました。
ネタバレBOX
込められたテーマを時代・国籍不明の童話(寓話)世界に
溶け込ませ置換する。
それによって生々しさをぼかしつつ、伝える・訴えるでなく
紡ぐという主張には説得力をも覚えます。
(本作はテーマなど意識せず物語を追うだけでも飽きずに
観れる娯楽作へ仕上げられてはいますが)
とはいえ長所が短所ということも往々にして。
おぼんろが描いたテーマは多くの方に伝わるものである故に
「おぼんろワールド」を通して表現するスタイルの展望が
いずれ論じられてくるのではないでしょうか。
非現実世界を通して紡がれる物語には、受け手にも感受性や
想像力を求められ、バラつきというか「伝わる人には伝わる」と
いう勿体ないメッセージとなってしまう心配も。
多くの観客に支持されることを目指し活動されており、また
そうあって欲しいと期待するだけに、拘りは残しつつも良い
意味での裏切りを見せてくれる…そんな成長も期待してやみません。
満足度★★★★
ちょっと、ちょっと、ちょっと のお楽しみ
がんばれ美香子「何そのタイトルやめてよ」
タイトル選定理由を確かめるのも今回観劇で
お楽しみのひとつ。
ネタバレBOX
この演目を公演タイトルに持ってきた理由は
インパクト重視(!)と受け止めました。
「がんばれ~」は遜色無い出来の小品でしたが、
やはり3話めが時間も人数も多くをあてがい
オムニバスの締めに相応しい力の注ぎようが
感じられました。
3話を通した共通のテーマ性というのも感じられず
バラエティ公演の面白さを素直に楽しみました。
セットは机、椅子程度ながら、背景イラストの入った
布を施し、ちょっとした工夫で場面の雰囲気を醸し出す
姿勢にも好感が持てました。
「ちょっと足を運んでちょっと楽しんで」といった
軽い感覚で観劇出来た芝居には案外、縁がなかった
ことに気付いて「ちょっと良い出会い」をしたような
ちょっとお得な気分に浸れました。
満足度★★★
あやめ十八番(花組芝居)初見の「印象度」
感想を書ける時間がとれなくて今頃になって誰も見てない
だろうとシレ~っと書き込み。
観たい!割引を受けて観劇しただけに最低限のことは…
ネタバレBOX
円形舞台の下で常に役者が待機している光景。
演出家が指示を出す劇中劇もどきの場面。
岡本篤さんの唐突すぎるアドリブ風の物真似披露などなど。
型にはめなかったり意表を突いたりの演出ぶりは型通りの
演劇を見慣れている者には抜群の印象度を残してくれました。
人、色々様々な想いを平易でない見せ方で詰め込んだみたく
解釈を受け手に委ねる奥深い物語を紡いでくれます。
ただ素直な感想として、この作品を観終え、受け取った印象ほどに
「面白い芝居だった」という満足感に包まれたかといえば
「面白さではさほどでもないかな」という淡々した味わい。
物語が進んでいく中でぐいぐい作品世界に引きこまれていく
磁力のようなものが自分の中に生じず、舞台で起こっている
出来事を黙々と追いかけているような観方になってしまいました。
歌、踊りも一種の寸断作用を及ぼしていたかもしれませんが、
どこかありがちな心情、風景と感じられたモノに惹きつけられ
なかったというか…
一つの例としては鈴の両親・兄への告白の仕方やその反応など。
ストリッパー自体、踊りのレッスンに追われたりポラロイド写真
販売で客から直の反応に晒されたりと、露出を除けばアイドルと
大差無い芸能寄りな実情だったりするものの、鈴の恬淡とした
報告に加え、両親の大袈裟な嘆きぶり。
それらはAV女優か風俗産業で働く娘と家族の風景であって
「淡仙女」への憧れから今に至る鈴の描写へ意味を持つ場面
であったのか「う~ん」と唸ってしまうくだりでした。
役者は皆さん好演でした。中でも出番・台詞が多い訳でも
無いのに客演の堤千穂さんの佇まいと醸し出す雰囲気には特に
眼を奪われるものがありました。
公演もそうでしたが終演後のトークショーで残っていたのは
大半が女性のお客さん。
花組芝居がお客さんを大切にし、良いご贔屓に支えられている
様子が窺われ、そちらの印象度も抜群だったと添えさせていただきます。
満足度★★★★
役者陣で踏みとどまる
劇場の満席ぶりはユニット派生元の人気を反映してか、
さすがの盛況。
ネタバレBOX
性を笑いへ昇華させた芝居の痛さ、生々しさは
払拭しきれず、爆笑ほどまではいきませんでしたが
長編コントという後味だけ残して終わらせなかった
演劇作品としてのギリギリの踏み止まりは見応え
ありました。
それを作演した白坂氏のさじ加減は認めるものの
本作は役者陣の総力でそれを踏み止まらせたと
称えたいです。
楽しみながら馬鹿をやっても流せそうな作風の中で
舞台演技のテンションに乗せる微妙さ、滑稽さ。
人物設定、展開はどなたが演じても下衆な可笑しさで
溢れているだけに、各人の『自分だから』を作り上げる
模索ぶりが笑いの随所に垣間見れました。
(誰か名前を挙げるとすれば特に肱川要亮さんが印象に)
中身が無いと自虐するお馬鹿芝居でも、それとなく纏まりの
ある仕上がりに出来るものだと感心させられましたし
『みんなでやれば恥ずかしくない?!』という一体感も
伝わってくる作品でした。ということにしといて下さい。
満足度★★★★
初演DVD,M班,V班を観ました
いい加減な通訳でも食い違いつつ噛み合う(?)展開の妙が
楽しかったです。
加えて役者陣も訳の分からない言語が織り交ぜられた台詞を
覚えさせられたり、時間軸の表現でパントマイムを用いた為
出ずっぱりになったりと、愚直に労が伝わってくる味わいある
作品でした。
ネタバレBOX
ただ「聞き違い」という個人・単語(短文)レベルで生ずるものが、
集団かつ会話の所々で起こる特異さへ感じた違和感。
本作の見所を生む肝であるとはいえ、パズルの組み合わせみたく
理屈っぽさを作品へ反映してきた劇団が『理屈抜きで納得しないと
前へ進めない』設定を押し出す粗っぽさに釈然としないものも
残りました。
MとⅤでは染谷班長(道井氏・凪沢氏)小松(横島氏・澤井氏)
本郷(新野氏・犬井氏)の役柄へ大きな差異を見受けました。
殊に道井氏の染谷は他作品の名物キャラ「小野部長」ならぬ
「小野班長」かという位、個性に染まった役柄が感じられ
表情が豊かすぎる新野「本郷」と併せ舞台の空気を温めてくれました。
一方のⅤは両班長が大人ムードを漂せていたことも含めMほどは
弾けてはいないものの、それが却って初演に割かし近い雰囲気を
臭わせていました。
初演と同じ役を3名が演じていたMよりもオリジナルっぽさが
感じられたというあたり、本作の核は会話と通訳の当事者以上に
直接通訳へは携わらぬ両班長とその描き方に置かれていたのでは
という私見を覚えました。
満足度★★★
演劇の底力!?
「観たい!」でKENプロは映像化も可能な作品を創作している旨、
記しましたが、本作については逆でそれに不向きな感想を持ちました。
熱血夢追い人の回想劇。映像作品にしたら少々浮世離れした臭さに溢れて
しまいそうな物語でしたが、舞台では不思議と何とか持ちこたえました。
生身の演者によるものだからこそ伝わる、届くものがある。
そんな演劇ならではの魅力、底力によって支えられた舞台というのが
率直な評価です。
AB両班を観劇。大別して括ればA=年少組、B=年長組かと。
本作の実直な内容からは芝居巧者なBのワイルドラビットよりも外連味の無い
Aのソレが雰囲気にはマッチしているような印象を受けました。
加えてAの戸川さんは「愛情表現が下手な父親」というありがちな設定の
役柄を自分の色で演じ切りAの引き締め役と思える位に存在感を魅せてくれました。
また演劇部のキャラの濃さ、楽しさもA班の方により感じられました。
(特に橋本さん、暁さん)
唯一両班に出演の西村さん、ダブルで配役しないのも なるほど頷けるような
キャラクターでした。出ずっぱりお疲れです。
(※何気に山姥3人組も交互に全公演出演!!)
満足度★★★
ファンタジームードからギアチェンヂ
開場から開演時まで舞台セット上でアラジンが佇んでいる異様な光景。
これに、眠れず悶々とし続けるアラジンの心理・状況描写の意図があるなら
手が込みすぎて気付かれ難いけど、憎い演出。
千一夜物語の雰囲気に包まれた序盤から歴史ドラマのようなクーデターや
謀略の殺伐した物語への進展は、役者陣が醸し出していた和やかさに
浸っていただけに気持ちのギアチェンヂを多少手古摺ってしまった。
千一夜物語を用いたことで表現出来たファンタジームードと他の題材でも
描けるだろう歴史風ドラマの融合に多少の違和感を垣間見た。
役者、演出を含めた舞台としての絵作りは見事。
バラエティな魅力が前面に押し出されて見える故、物語に込められた
メッセージ性がやや伝わり難いのは致し方なしか。
注目していた藤宮潤さん、両性具有が如く声音を使い分ける場面のある
役柄で個性が光る芝居を魅せてくれていた。
満足度★★★★
人間模様のぱれえど
『今日はお祭り。あんたの分まで踊ろう』という
コピーはあるものの、インパクトを受けた仮フライヤーに
あったコピーの方が内容に適っているかも。
11人の「生きてゆく人間」と「死んでゆく人間」の姿。
各々の姿を教訓や共感、主張を露骨に喚起することなく
受け手の感情に委ねる人間模様の描き方。唯一「死んでいる
人間」地獄人タミラも狂言回しに陥ることなくこの人間模様へ
浮いているようでしっかり溶け込んでいる。
『それでも生きる。それでも死ぬ。』を噛み締める作品でした。
満足度★★★
コレって~
レイプ魔との格闘を一人時間差(!)で演じたり、残された生パンティ(!!)が
あんまりエロくなかったり(笑)…
そこはかとなく緩さに包まれながらもバイオレンスストーリィを兎にも角にも
一人で激しく演じ切られた。
そこから林生弥さんの溢れるエネルギーと表現者としてのバイタリティを
感じ、受け取ることは容易です。
されど、それを“あるのは起・承・転・結だけ”といえる位、ひねりが全く無い
ストレートな展開と架空社会の設定で見せようとした意図とは果たして…
演者・作品ともども判ったこと、見えたものがある反面、判らないこと、見えないものも同様に。
コレって「実験」と「挑戦」が描き出す“新世界”???
満足度★★★
キャラクタードラマに特化した印象
山田ジャパン史上最高(最も高さがある)のセットも大阪で
再現し大阪用バージョンに改めた部分も無く東京と同内容。
会場客席は女性客の割合が高く盛況でした。
癖のある普通ならざるキャラクター達を楽しむドラマ。
そして登場人物の心の叫びが織り込まれたメッセージも
盛り込んだ同劇団のスタンダードな作品でした。
しかし、コミュニケーションをテーマにした5組の夫婦の
亀裂は深堀りの足りない表面的でありがちな描き方。
男の子も少女も両方いけちゃう変態さん(!?)に壊された
蒲生家の姿もどこか共感に繋がらない現実味の薄さが
感じられました。
寧ろその分キャラクタードラマの趣をより濃く漂わせ、
アクセントとしての笑いでなく、笑いそのものを狙った
コント調場面など下ネタを絡めて楽しませる作りに
比重が置かれたという受け止めです。
巨乳、貧乳、スベスベ論議は東西ともウケが良かった場面
ですが、瑣末すぎる内容に一笑も出来ず自分はそっちの意味で
「ん?」を繰り返す状態でした。
満足度★★
演劇?
特撮・アニメ的な世界観に拒絶反応はありません。
ただ映像向きの素材だけに演劇らしく成立させるには
一捻りも二捻りも工夫が迫られるわけでが、あまりにも
素直な直球を放り込みすぎたような。
不自由でもないドームの外へ「出たい」理由の源が自由への
欲求では、ぼんやりとした動機で「脱出」といえるような
闘争や葛藤が伝わらず主人公らへの共感は涌かず。
負の感情の怪物の成り立ちや戦いに焦点が注がれこの作品は
つまりアクション活劇を意図したということなのでしょうか。
ルックスもなかなかな若手役者陣の熱演ぶりは目に焼きついた
ものの演劇的な味わいには浸れなかったという拍子抜けは
否めませんでした。
満足度★★★★
手段が目的にすり替わる。それが帰属意識?
解っていてもやめられない、形式の束縛から逃れられない。
そんな人間の滑稽さ、恐ろしさ、切なさが内包されていたような後味でした。
そもそも入れ札の発端は上沢茂が桑木の枯れた原因を山岡勝に因縁つけた
ことが口火で勝が実施の言いだしっぺです。
目的は腹いせによる茂の追放≒因習にかこつけた人身御供選び。
入れ札は単にその手段。
ゆえに最初の寄合ではお互いが標的にした上沢茂と山岡節子で札が二分
されたわけですが…
ネタバレBOX
入れ札がやり直されるにつれ標的は徐々に曖昧になってゆき最後山岡と
上沢が手打ちするに至っては元々の目的が無くなったのだから入れ札も
やめれば良いのにと見ていて思うわけですが…
手段が後付けの因習や人々によって目的へすり替わってしまう滑稽さを
繰り返される入れ札が浮き彫りにしてゆくように感じました。
人身御供の無意味さを自覚していた事実も明らかにされます。
娘の一声で直前に入札名を変える山岡家の例など馬鹿馬鹿しい様々も
見せつけらます。
それでも兄の捕縛を実は知ってながら一本杉で待ち続けた美代の姿が
重なることで自覚出来てもやめない、やめられない人間の姿へ馬鹿馬鹿しい
だけでは括れない複雑な余韻を覚えます。
入札票推移に係る村人模様に謎含みの里見夫妻が絡む笑いとミステリィの
融合へ楽しく眼を奪われつつも娯楽だけに終始しない深読みを味あわせて
貰いました。
ただラストに里見が早合点で深沢の存在を明らかにする説明台詞の大自爆
ぶりは物語を一挙に終結させるが如くの強引すぎる力技に見て取れます。
加えて絢子が書いた最後の入札記名や橋本の敵討ちへの心境が唐突に
サラリと説明されるだけでは、黒川みたく頭がさがるほどの恐ろしさを
感じられなかったのも偽り無い実感です。