bannohiroshiの観てきた!クチコミ一覧

1-20件 / 20件中
ロロvol.6 『常夏』

ロロvol.6 『常夏』

ロロ

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2011/10/25 (火) ~ 2011/11/05 (土)公演終了

満足度★★★★

きわめて文芸的なDNA
とにかく100分を飽きさせないのは並大抵のことではない。驚くべきは、基本はテンションの高いスラップスティックであるのに「調子に乗った」ところがまったくないことだ。
調子に乗りきってしまう直前で、よくいう「緻密に計算されている」というのとは少し違う方法で手綱が引き戻されている。だから100分もつのだ。
筒井康隆の「脱走と追跡のサンバ」(それと、もしかしたら1970年代の荒巻義雄)を読んでいるときと同等に近い浮遊感を、これほど強く芝居から感じたことはなかったかもしれない。
アフタートークで演出家が「書いているときは音楽のことはまったく頭にない」と言っていたが、その筈だと思う。
これはきわめて文芸的なDNAから発現し、それを阻害する要素を排除しながら作り上げた芝居だと思う。心地よかった。

Kと真夜中のほとりで

Kと真夜中のほとりで

マームとジプシー

こまばアゴラ劇場(東京都)

2011/10/14 (金) ~ 2011/10/24 (月)公演終了

満足度★★★★

視線の劇場
初見。内容的な前知識はほぼゼロだったけれど、評判の高さが納得できた。
面白かったのは役者同士の視線。異なるエピソードのラインにいるのに、役者同士がアイコンタクトする。それが芝居全体に不思議な吸引力をもたらしている。こういうのは初めて見た。
重厚なドラマツルギーが支配していた時代、役者の目線は客席の頭上を越えてどこか遠くに向かっていた。
静かな芝居(私はこれが苦手だったけど)が来て、その目線はなんだかわからないところをさまようようになった。静かな芝居とは、目を閉じて耳を澄まそう、という芝居だったのだから(と勝手に私が決めているだけだけど)、それも当然だろう。
この芝居の、いや、生まれつつある新しい芝居の役者たちの視線は、さまよわないし、永遠も見ない。それはたとえば仲間の役者達を(役柄と独立に)冷静に見守り、あるいはもはや「見得を切る」という圧力抜きで客席に向かうことができる。そういう獲得を、芝居は手に入れつつある。
芝居というのは昔からある古くさいものだ。新しい芝居なんていうものはない。ただ芝居が、新しい人間を獲得するのだ。
たとえばオーケストラを見たことがない人が楽器一式を与えられて、その新たな使い方を再発見する快感。
リフレインも肉体酷使もことさら新しくはない。新しいのはそういう発見に向かう精神の自由さだと思う。

猟銃

猟銃

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2011/10/03 (月) ~ 2011/10/23 (日)公演終了

満足度★★

高級な学芸会
中谷美紀はがんばった。開口一番そんなことを言うのは傲慢な上から目線と思われても仕方ないが、それを敢えて言うのは、次に続くのが「そしてわれわれ客席もがんばった」だからである。
劇場という空間を支配する力は、それが必要になったからと言って簡単に湧き出てくるものではない。
そして彼女にそれがあるかどうかは、たいした問題ではない。
この芝居が結果的に「中谷美紀でなければならなかったもの」に、なっているのかどうか、実のところ問題はそれだけだし、その答えはNoだろう。
役者は全力を出している。脚本も演出も舞台も音も明かりも、手を抜いていない。それなのに「高級な学芸会」のような結果になる。だから客はがんばらざるを得ない。
結果論に過ぎないと承知で言えば、この場合、作劇のプロセスのどこかで、誰かが、手を汚して「できあがってしまいつつあるバランス」を破壊すべきだったのだと思う。
芝居でなにが難しいといってこれほど難しいことはない。

四つ子の宇宙

四つ子の宇宙

四つ子

アトリエヘリコプター(東京都)

2011/10/01 (土) ~ 2011/10/16 (日)公演終了

満足度★★★★

名前のない革命
私は見巧者でも目利きでもなく、わからないものはわからない。演るように見る、ことしかできない。
以下はこの芝居を見て思ったことだが、この芝居についての感想ではない。
この芝居は文句なく面白いから、どう面白いかをだらだら書くのはやめたい。
だからこれは「この芝居の感想」ではなく、「こういう芝居を見て面白いと思うこと」への感想である。
今までの芝居というものは、大きな流れで言えば、ある意味で結論ありきだった。
どんな結論か。それは運命だったり、狂気だったり、幸福だったり、なんだかわからないものだったり、要するにそれは、小さな個人の手に負えない「物語」だったのだ。
そうじゃない芝居だって昔からある。もちろんそうだ。どんな時代にも、それ相応の多様性はある。
重要なことは、新しい力の多くがどこを目指すかということだ。
力点が変わりつつあるのだと思う。
象牙の伝統からも、ニッポン一の無責任世代だった団塊の、頑是無いないものねだりからも、もはや距離を置き、結論ありきの重苦しい軛から、芝居は静かに逃れつつある。
結論がなければ、出すしかない。なにかをやればやっただけの結論が出る。
そういう当たり前のスタート地点に、芝居はようやく立ちつつあるのかもしれない。
激しい言葉を使えば、芝居は今、「何も生み出さない幸福」から、「何かを生み出せる幸福以外のなにか」へ向かう待機点にさしかかっている。
たぶん。そう思う。どういうところに足を置き、どういうことを思えばこういう芝居になるのか。そういう見方しかできない私には、そのように思える。

赤色エレジー

赤色エレジー

オフィスコットーネ

ザ・スズナリ(東京都)

2011/10/08 (土) ~ 2011/10/12 (水)公演終了

満足度★★

幻想の昭和
濃密、かつシニカル。それが単なる郷愁でない、詩的な「昭和」を幻出させている。
あの時代にサブカルチャーの洗礼を受けた私のような世代には、
「…昨日もそう思った」
という決めゼリフにクラッとくる。でも単なる懐古芝居じゃない。
というかこれは全然懐古ではない。
じゃあなんなのかと言われると困るようなものだけれど。

家電のように解り合えない

家電のように解り合えない

あうるすぽっと

あうるすぽっと(東京都)

2011/09/24 (土) ~ 2011/10/02 (日)公演終了

満足度★★★★

ごまかしのなさが美しい
このタチが悪いとさえ言える腹立たしいまでの誠実さ、そして過不足のない美しさ。決して万人に薦められるスタイルではない。ではないがしかし、やられた。
言葉にできないエモーションを舞台で表現しようとすることは常道だ。しかしたぶん言葉でも(もしかしたら言葉のほうが)正確に表現できてしまうことを、言葉にならないものにまでわざわざ分解し、それをもういちど言葉にむかって蒸留させようとする、こういう芝居はよぶんな色気やごまかしがあっては作れない。

悩殺ハムレット

悩殺ハムレット

柿喰う客

シアタートラム(東京都)

2011/09/16 (金) ~ 2011/09/25 (日)公演終了

満足度★★★

名試合もあれば…2
お、かっこええ。と思うところがいくつもありました。
以下は「愉快犯」のときに書いたことと、感想としては同じ。
スリーアウトでチェンジなんてダルいよ、ワンアウトでチェンジしようぜ。
このプレーがファインプレーじゃないなんて、ルールがおかしい、変えようよ。
これはそういう芝居だと思う。役者が輝くためにルールを設定する。
お仕着せのルールのなかでどう見せるかではない。それがこの劇団の疾走感を加速している。
そういうスポーツであること自体は、芝居に対して中立だ。
だから個々の感想は「今日の試合はいいゲームだったな」でよい。
今回は「お、かっこいいな」であった私は、それでもちょっと「ここにないものが見たいな」ではあった。

罪

アル☆カンパニー

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2011/09/11 (日) ~ 2011/09/19 (月)公演終了

満足度★★★★

言葉の前にあるものの強さと弱さ
キリスト教圏の家族は、アイラブユーという言葉で左脳的に踏み固めた地盤のうえに成り立っている。日本の家族はそうではない。それは言葉の前にある。だから弱い。否、だからこそ強いのか。
見終わってそんなことを考えた。
すごいと思ったのはテーマ性とストーリー性の配分の加減。日本の家族問題というのはある種普遍的なテーマだが、それを充分踏まえつつ、そこに依存せず、この家族に特殊的な「罪の意識」に起因する「この家族の事情」をストーリーのエンジンにしている。
そうだからこそ、この芝居はああいうふうに終われるのだと思うし、よくある「近代家族もの」から一線を画すことに成功しているのだと思う。

トロンプ・ルイユ

トロンプ・ルイユ

パラドックス定数

劇場HOPE(東京都)

2011/08/09 (火) ~ 2011/08/14 (日)公演終了

満足度★★★★

不思議な牛丼
初見。レベルが高いです。すごいと思ったのはバランスの良さ。芝居のバランスというのは捉え方がさまざまだ。牛丼に喩えれば(わざわざそんなものに喩えなくてもいいのだけれども)、牛丼自体がメチャ美味い!というのは「完成度」だが、でもちょっとサラダも欲しいな、ケチらず味噌汁もつければよかった、というのが「バランス」の問題だと言えるだろう。芝居というのは吉野家と違って、牛丼単品勝負なのか、定食なのかを事前に客が選択することが困難な商品だ。だから客席に座ってみて、ああこれは単品勝負だろうと思っていたら、急にサラダが出てきてびっくりすることもある。ひとそろい揃っているからと言ってバランスがいいとは限らない。食べ終わってみてはじめて、これが単品だったのか定食だったのかわかる、芝居とはそういう不思議な「牛丼」であり、つまり芝居のバランスとは、芝居がスタートして徐々に固まってくる「単品か定食か」という客の期待値に対して、応じたり裏切ったりしていく、その対応関係のうまさにある、というのが私の考えで、その意味で驚くほど巧みなバランス感覚を見せられた芝居でありました。

ともしび

ともしび

劇団芝居屋

ザ・ポケット(東京都)

2011/05/31 (火) ~ 2011/06/05 (日)公演終了

満足度★★★

わかりやすいわかりやすさ
パンフレットによれば、「わかりやすい見世物」を目指す劇団、とのことだが、これは看板に偽りがない。第一に、この作者が何を「わかりやすさ」と考えているかがとてもわかりやすい。こう書くとなんだか貶してるみたいだが、いや、楽しかった。楽しかったのはわかりやすかったからだろうか。たぶんそうではない。
こういう「わかりやすさ」を、客席が受け止めて楽しむ劇場という空間があること、そういう場所に自分がいることが、たぶん楽しかったのだと思う。
芝居とはつまり、そこにいる人間たちが、2時間だけ全員で大切に育む「嘘」なのだ、と、あらためてそう思った。

散歩する侵略者

散歩する侵略者

イキウメ

シアタートラム(東京都)

2011/05/13 (金) ~ 2011/05/29 (日)公演終了

満足度★★★

実直SF
ビデオでチラ見したことがあるだけで、生は初。不条理っぽいイメージがあったんだけど、素直で直球のSF芝居。元SF少年としては「ちゃんとSFしてる芝居」というだけでもうれしくなる。
素直と書いたけど、ワンアイデアに忠実な芝居作りだと思う。「あ、おもしろいこと思いついた」という、その「面白いこと」に過重な負担をかけず、のびのびとふくらませて無理強いするところがない。
もうちょっとあくどくてもいいんじゃない?という向きもあるだろうし、好みのわかれるところだろうけど、その「実直さ」が魅力になってると思う。

空気ノ機械ノ尾ッポvol.17

空気ノ機械ノ尾ッポvol.17

空気ノ機械ノ尾ッポ

ザムザ阿佐谷(東京都)

2011/05/19 (木) ~ 2011/05/22 (日)公演終了

満足度★★★

ポップなベケット
ここ1年で唯一、2回同じ劇団の芝居を見ました。基本的にここの芝居は「好き」なので、「いいところ」を探しながら見るということはない。ただ「いいな~」と思いながら見ている。だからあんまりコメントが出てこないんだけど、個人的には「ポップなベケット」というコピーを勝手につけています。
今回は再演ということなので、再演についての雑感を書こうと思います。
再演は、難しい。初演とは「これでいいのか?」と「これでいいはずだ!」の比率が変わってくるからだ。あれこれやって自信もつけて、昔の芝居に戻ったときに、「これでいいはずだ」の分量は増えている(はずだ)。ところが再演における「これでいいはず!」には、「これでよかったはず…」が微妙に混ざり込む。そして実は「ぜったいにこれでいいはず!」の躍動感を下から支えていたのは、「ほんとうにこれでいいのか?」であったことに、あらためて気づかされるのだ。
だから本当に難しいのは、「これでいいはず!」の量を増やすことではなく、適量の「これでいいのか?」を再注入することなのだと思う。
それに成功したかどうか、それは私にはわからない。たぶん本当のところは演った当事者にしかわからない。私にわかっているのは、たぶん次も行くということだけである。
ありがとうございました。

わたしのゆめ

わたしのゆめ

ガラス玉遊戯

「劇」小劇場(東京都)

2011/05/11 (水) ~ 2011/05/15 (日)公演終了

満足度★★★

おいしくて、危険なホン
去年見たときは「役者依存度が高い」という感想でした。今回も同様。その資質と表裏一体なんだと思うけど、彼の芝居は、「論文性」が高いんだと思う。
言いたいことがある→それを芝居にする、その過程で「過度なストーリー性や古色蒼然としたドラマ作りのギミック」を極力排するという、意図して選択しているスタイルが、結果として論文っぽさ(というか「授業の一環としての模擬裁判」のようなテイスト)を生み出している。同時にそれは「見せ物」としての訴求力の大半を、役者に譲渡することに繋がっている(それが役者依存度が高く見える理由)。物語性と論文性のバランスをどう取るかが課題、ということに(常識的には)なるのだろう。
他方、役者の立場になってみれば、このテキストの「どうとでも演れる」感は、おいしくもあり危険でもある。たとえばこの芝居を、一切のテーマ性を抜いて、単純に「気まずい沈黙」が主役の芝居、と解釈することもできると思うけど、沈黙が多いということは、役者から見れば沈黙を「破る」機会が多いということだ。会話の大半が「反射」であるのに対して、沈黙を破るセリフというのはそれだけで「事件性」を持っている。そういう類の、動機付けの難度が高いセリフがこんなに大量にあったら、役者はそうとう気を引き締めてかからないといけない。おいしいセリフの「おいしさ」は、ある程度は「希少価値」に依拠しているからだ。
もちろんどんな芝居だって、最後は現場で事件を構成する役者にすべてを依存しているのだけれど、ツアーにたとえれば、いちおうありきたりな見所を押さえたプランを組んでおくか、三日間フリータイムで「お任せ」にするか、というような違いかな。今回(も)、「お任せ」度は高かった。この先どういう方向にいくのか楽しみにしています。
お疲れ様でした。

ゴドーを待ちながら

ゴドーを待ちながら

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2011/04/15 (金) ~ 2011/05/01 (日)公演終了

満足度★★★★

ベケットの恐るべき吸引力
2時間半余、片時もたゆまず、見る者の集中を吸い込み続けてビクともしない。ブラックホールのようなベケットの恐るべき吸引力。
たとえば一夜明けて裸木にしょぼくれた葉っぱがついている。それにはべつに「意味」なんかないよ、そうベケットは言っている。意味を求めて踏み込む観客の背中を、その行為の無意味さを、観客自身が眺めている。ベケットの吸引力の強力さの源泉は、その無限遡及にある、と私は解釈する。
そのベケットのDNAを表現型に結実させたのは、戯曲翻訳者、演出をはじめとするスタッフと、橋爪功を筆頭とする演者の力である。満腔の賞賛をおくりたい。

ロング・ロスト・フレンド

ロング・ロスト・フレンド

アタリ・パフォーマンス

本多劇場(東京都)

2011/02/17 (木) ~ 2011/03/06 (日)公演終了

満足度★★★★

文句ございません
これだけきちっと芯を食えば、たいていの文句は引っ込む。やられまいとしてもやられる。オーソドックスな大衆演劇の神髄というのは、やられまいとするヒネた客の心をこじ開ける力業にあるのではなく、やられたい心、とでも言うものをついつい起こさせるところにある。対旅人用太陽作戦。その典型のような芝居。ほとんど全展開が読める(芯を食って作るというのはそういうことでもある)にも関わらず、そんなことをモノともせずに、確実にコートを脱がせる、北風ではなく太陽の力。文句はございません。

ひとんちで騒ぐな

ひとんちで騒ぐな

万能グローブ ガラパゴスダイナモス

こまばアゴラ劇場(東京都)

2011/02/03 (木) ~ 2011/02/06 (日)公演終了

満足度★★★

新しい時代の芝居
なんか久しぶりに「劇団」の芝居を見た、と思った。そうそう、そうなるよね、「劇団」はね。演技ウツるよね、とか…。劇団芝居、私は好きだ。
この芝居に新しいものは何もないけれど、「劇団」と「芝居」のアンバンドルが新しいとも思わないし、新しくなければ駄目だとも思わない。
演劇に歴史はいらない。いらないという言い方に語弊があるなら、演劇史に進歩史観はそぐわない、と言い換えてもいいと思う。こういう芝居を若い世代が再発見する、それを観客も再発見する。明るく、元気に。
とうとう芝居は、仮想敵を必要としなくなった。映画もマンガもアニメもテレビも、ただ共存するべき他者として、負い目も蔑視もなく存在する。芝居は、新しい古いという物差しから離脱して、芸術全般の潮流に合流しつつある。
地方の若い劇団がこういう芝居をするということは、そういうことだと思う。

チェーホフ?!

チェーホフ?!

東京芸術劇場

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2011/01/21 (金) ~ 2011/02/13 (日)公演終了

満足度★★★★

せつないほど、シュール
美的だし精緻だしシュールだけど、どれも感想の言葉としては違う。たとえて言えば美術館で、何気なく横目に通り過ぎた巨大な絵を、そこを出てしまってから、やおらとって返してもう一度、3メートル離れて眺め直したい衝動に突然襲われる、そういう芝居でした。
「最初から”思い出”として設計された出会い」、「胸が高鳴るシュール」。そんな宣伝文句を捧げたい。

投げられやすい石

投げられやすい石

ハイバイ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2011/01/19 (水) ~ 2011/01/30 (日)公演終了

満足度★★★★

私小説
ホンがいいし、役者も上手。長さもちょうどいい。役者のうまさは、「なんでもできる」系のうまさではなく、「この芝居にはこの演技しかありえない」と思わせてしまううまさ。日本の私小説の伝統がこういうところに生き残っているような、そんな気が、なんとなく、した。

愉快犯

愉快犯

柿喰う客

大阪市立芸術創造館(大阪府)

2011/01/21 (金) ~ 2011/01/25 (火)公演終了

満足度★★★

名試合もあれば凡試合もある
東京芸術劇場で見ました。
目と耳が心地よい。おもしろいから褒めたいんだけど、これ、褒め方が難しいな。だいぶん後ろまで退っていろんなものを視界に入れないとちゃんと褒められない気がする。そういう意味ではやっかいな芝居。敢えて言えば、これはスポーツ観戦のような見方をする芝居だと思う。

空気ノ機械ノ尾ッポvol.16

空気ノ機械ノ尾ッポvol.16

空気ノ機械ノ尾ッポ

テアトルBONBON(東京都)

2010/12/01 (水) ~ 2010/12/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

鮮やかで気持ちいい切り落とし
ちょっと維新派っぽいなと思いながら見始めた。意外な完成度の高さ、かつ、おもしろかった。この両者が揃い踏むことはなかなかない。うれしくなって、作演出の松川晃子サンと喫煙所で少しお話させてもらった。松川さん、自己紹介もせず失礼しました。
なにがよかったか。つまるところは、やりたい&できること「だけ」をやっているからだろうと思う。そんなこと誰にだってできる。ところが意外とそうではない。それはやりたいことをはっきりさせ、できることを見極める難しさだけではない。やりたくない&できないことをすっぱり切り落とすこと、これが難しいのだと思う。その切り口が鮮やかであれば芝居は活気を帯びる。躊躇い傷だらけの切り口を晒せば、それは芝居の活力を奪う。チケプレで只で見せてもらったんだけど、次は金を払おうと思いました。
萬野展 http://officebanno.com

このページのQRコードです。

拡大