満足度★★★
おいしくて、危険なホン
去年見たときは「役者依存度が高い」という感想でした。今回も同様。その資質と表裏一体なんだと思うけど、彼の芝居は、「論文性」が高いんだと思う。
言いたいことがある→それを芝居にする、その過程で「過度なストーリー性や古色蒼然としたドラマ作りのギミック」を極力排するという、意図して選択しているスタイルが、結果として論文っぽさ(というか「授業の一環としての模擬裁判」のようなテイスト)を生み出している。同時にそれは「見せ物」としての訴求力の大半を、役者に譲渡することに繋がっている(それが役者依存度が高く見える理由)。物語性と論文性のバランスをどう取るかが課題、ということに(常識的には)なるのだろう。
他方、役者の立場になってみれば、このテキストの「どうとでも演れる」感は、おいしくもあり危険でもある。たとえばこの芝居を、一切のテーマ性を抜いて、単純に「気まずい沈黙」が主役の芝居、と解釈することもできると思うけど、沈黙が多いということは、役者から見れば沈黙を「破る」機会が多いということだ。会話の大半が「反射」であるのに対して、沈黙を破るセリフというのはそれだけで「事件性」を持っている。そういう類の、動機付けの難度が高いセリフがこんなに大量にあったら、役者はそうとう気を引き締めてかからないといけない。おいしいセリフの「おいしさ」は、ある程度は「希少価値」に依拠しているからだ。
もちろんどんな芝居だって、最後は現場で事件を構成する役者にすべてを依存しているのだけれど、ツアーにたとえれば、いちおうありきたりな見所を押さえたプランを組んでおくか、三日間フリータイムで「お任せ」にするか、というような違いかな。今回(も)、「お任せ」度は高かった。この先どういう方向にいくのか楽しみにしています。
お疲れ様でした。