満足度★★★★
名前のない革命
私は見巧者でも目利きでもなく、わからないものはわからない。演るように見る、ことしかできない。
以下はこの芝居を見て思ったことだが、この芝居についての感想ではない。
この芝居は文句なく面白いから、どう面白いかをだらだら書くのはやめたい。
だからこれは「この芝居の感想」ではなく、「こういう芝居を見て面白いと思うこと」への感想である。
今までの芝居というものは、大きな流れで言えば、ある意味で結論ありきだった。
どんな結論か。それは運命だったり、狂気だったり、幸福だったり、なんだかわからないものだったり、要するにそれは、小さな個人の手に負えない「物語」だったのだ。
そうじゃない芝居だって昔からある。もちろんそうだ。どんな時代にも、それ相応の多様性はある。
重要なことは、新しい力の多くがどこを目指すかということだ。
力点が変わりつつあるのだと思う。
象牙の伝統からも、ニッポン一の無責任世代だった団塊の、頑是無いないものねだりからも、もはや距離を置き、結論ありきの重苦しい軛から、芝居は静かに逃れつつある。
結論がなければ、出すしかない。なにかをやればやっただけの結論が出る。
そういう当たり前のスタート地点に、芝居はようやく立ちつつあるのかもしれない。
激しい言葉を使えば、芝居は今、「何も生み出さない幸福」から、「何かを生み出せる幸福以外のなにか」へ向かう待機点にさしかかっている。
たぶん。そう思う。どういうところに足を置き、どういうことを思えばこういう芝居になるのか。そういう見方しかできない私には、そのように思える。