はじめ ゆうの観てきた!クチコミ一覧

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醜男

醜男

世田谷パブリックシアター

世田谷パブリックシアター(東京都)

2010/07/02 (金) ~ 2010/07/12 (月)公演終了

満足度★★★★

キモ面白かった(笑
上記タイトルが、この劇の最後の場面が終わって暗転した時に
じんわりと浮かんできた正直な感想。

マイエンブルクに関しては、過去の作品を若干ながら知ってたので
元の顔を取り戻すとか、そんなレベルでは終わんない、きっと一筋縄では
いかないんだろうなぁ、と思ったら案の定。 最高に黒い皮肉に満ちた
終わり方でした。 

舞台が異様に簡素なのに、照明の使い方で場面を上手く切り替えたりと
凄くスタイリッシュだったのにうっとりしたり、序盤からレッテとその妻、
ファニーのやり取りに笑わせてもらったり、細かいとこで得した舞台でした。

入江雅人演じる、整形外科医の人を喰った態度が板に付き過ぎ。
「それは出来ない相談だ。何故なら私は医者ではない!!! 
アーティストだからだ!!!」には笑った。 おまえ誰だよ(笑

ネタバレBOX

最後、自分の顔そっくりに整形したカールマン(マザコン息子の方)と
向き合い、コレが自分の顔か!と気付くレッテ。 そこでお互いに抱き合い
自分への愛情(カールマンへの愛情ではない…と信じたい)を再確認
し合ったところで、老婦人のファニーが「一緒にベッドへ行きましょう!!! 
私たち、理想の自分とお金を手に入れたのだもの」と〆て幕。 

…をいをい、それぶっ飛び過ぎだろう、と突っ込まずにはいられない。
「自分と寝る」気分って…いったいどんなもんなんだ??

結局、レッテは「現代人の肖像」なんでしょうね。

自分のことは本当は良く分からないのに、自意識過剰でいっつも
人とは違った形で認められたがっている。 

人と違う自分。それを求め続けた結果が、最後「グロテスクな自己愛」に
帰結するのはものすごい皮肉と感じました。 こういうこと、形を変えて
結構現実でもありそうだなぁ…。
掃除機

掃除機

KAAT神奈川芸術劇場

KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)

2023/03/04 (土) ~ 2023/03/22 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

俳優がいきなりステージに現れて、ひたすらとりとめのない日常語りを長尺で
展開する「チェルフィッチュ」スタイルを序盤こそ持て余している感あったけど
まさかの「父親」3人登場以降は舞台の主導権を演出家が取り返してそのまま
ゴール決めた感あり。

基になった作品のホンを読んでいないので、セリフがどのくらいまんまなのか
分かりかねる部分があるけど、本谷有希子の暴力的で荒々しい側面とシンクロ
することが後半多くてスリリングだった。

ネタバレBOX

舞台の作りからしていいなって。ベッドとテレビが大きく湾曲化した左右に取り付けられ、
正面と後方は大きく開いて役者が出入りできるという。

引きこもっている人にとって家は一種のすり鉢状の「アリ地獄」みたいなものである一方、
別に家族などに捉われてない人は正面からさっさと外界に出て行っちゃうというメタファーに
なってそうだなと感じました。

この作品のMVPは音楽監督だけでなく、「熱帯雨林」の仕事4日でバックレた労働者役で
キャスティングされた環ROYかと。ひねくれてて楽しいことならオールオッケー!みたいな
軽いノリを崩さない半面、何度か核心を突いた発言を飛ばしてくる「道化」にして「キー
パーソン」の役割を立派に果たしていたかと。

「熱帯雨林監督」にみんな爆笑して、「世界中がクソだらけだったらぁ、どこにも飛び込まないで
その場にじっとしとくのが正解なんすよ!」的な、世界の理を動物的本能で見抜いてるのすごすぎる。
この人を連れてきただけで半分成功してるようなもん。

80代の父、50代で数十年引きこもってる娘、環ROYの仕事仲間で家出たがってる息子のリチギ家に
物語を回す役目の「掃除機」と主要4キャラで「引きこもりを抱えた家の時間が止まったような、
外界から隔絶しちゃってるような状況」を意図的に笑いをきもち多めかつ感情むき出しな調子で
演出してるのが新鮮。

好きな場面、娘がアリ地獄みたいな舞台端の部分に必死にしがみつきながら、「私の人生はずっと
平坦で他の人に比べて平坦だけど」「それでいいんだって思いたい」みたいなことを絞り出すように
独白するあたりかな。娘が引きこもったの、自分の亡くなった妻のせいにする高齢親父に比べて
ちゃんと生きてるよな……。こういう部分あるから、岡田脚本&本谷演出でも不思議と重くならず
どこか前向きに、そして時にはクスッときちゃう感じの作品になってる気がする。

岡田利規の演劇、ダンスの要素とか社会の空気を入れ込んだ難解なもの、というパブリックイメージが
広く共有されていて、「批評」的な側面で語られることが多い気がするけど、

今回の作品のあいさつで「自分が書いた戯曲は演出するのは基本的に自分だけ、つまり他の演出家には
扱ってもらえない、それを常々さみしく思っていました」「本谷有希子さんに演出してもらえる機会を
いただき、まずはそのことがとてもありがたいのです」と書いているあたり、そういう文脈から
逃れたかったのかな?という気もする。

本谷自身もインタビューで、自分とは真逆だと言っていた気がするし、全然タイプ違う作家がコラボ
するの面白いよね。
温室

温室

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2012/06/26 (火) ~ 2012/07/16 (月)公演終了

満足度★★★★

正しい事はどこにあるのか
ノーベル文学賞受賞劇作家にして、「不条理演劇」の大家、ピンター。

ピンターの作品の特徴は、部分的にみると全く支離滅裂なのに
全体でみると何故か綺麗に流れる台詞回し、全てが不確かな
状況説明、夢幻的で不穏な舞台の雰囲気… そして痛烈な皮肉。

本作、『温室』は、そのピンター独自の個性と魅力が最も先鋭的に
出ている作品で、それ故演出には大変苦労されたと思います。
演出家、役者共に健闘している、素敵で、異空間を旅するような
感覚のお芝居を120%体験出来て本当に良かったです。

ネタバレBOX

今作、『温室』は療養所と思しき場所(明示はされない)で、
収容患者の一人が死に、一人が何者かにより男子を出産
させられたことが報告される場面から始まります。

真紅に統一された家具が点在して置かれる他は簡素ともいえる
舞台は客席の中央部分に設置され、丁度、観客は舞台をのぞく
仕組みになっています。また、舞台は終始、時計回りに回り、
時として緊迫した雰囲気をかもすかのように早くなります。

権威を振りかざし、秩序を最大の価値と信じて疑わない所長、
その下で、表向きは従順を装うも、その実、全く尊敬心を
持ち合わせず、足元をすくってやろうと考える専門職員たち。

その微妙なパワーバランスが、冒頭の事件をきっかけに一気に
崩れ、暴力や殺意の気配が後半にかけて徐々に舞台を覆います。
断続的に鳴り続ける不協和音の演出とあいまって、不気味とも
いえる空間でした。

最後の場面で、暴動を起こした収容者たちにより所長以下、
全ての専門職員が殺され、唯一残った一人の職員が昇格して
新しい所長になった事が報告されて、本作は終わります。
しかし、背後関係は分からず、この職員の仕組んだことなのか
それとも、突発的な暴動だったのか、それとも別の原因が
あるのかは全く分かりません。ただ事実のみが淡々と語られる。

ピンターの作品は、故に、ベケットやイヨネスコなどの
系譜を汲む「不条理演劇」に位置付けられますが、全く
訳が分からないのではなく、事実関係は語られなければ
その人だけにしか分からない、そういわれているようです。

誰かにとっての真実は、誰かにとって真実じゃない。
やっぱりピンターの作品は最高だと思いました

高橋一生と山中崇がすごく良かったです。両人とも、表向き
保たれている秩序の中で、本性を現した人間の狂気をよく
演じ切ったと思います。

来年、深津氏が別役実(氏の作品も大好きです!!!)の『象』を
演出すると聞いて、体温がまた上がってしまいました。
夏なのに…。
平田オリザ・演劇展vol.1

平田オリザ・演劇展vol.1

青年団

こまばアゴラ劇場(東京都)

2011/04/28 (木) ~ 2011/05/17 (火)公演終了

満足度★★★★

『マッチ売りの少女たち』
相当にスラップスティックでドタバタと落ち着かない、笑いの多い演出。
登場人物達の、意味のあるのかないのか分からない、かみ合わない
台詞の応酬をぼんやりと見つめていると。

終盤、一気にダークで緊迫した雰囲気に舞台は包まれる。
そのギャップに、ぞっとしました。 全部がこの時の為に
用意されてたんじゃないか、と思えるほど。

ネタバレBOX

恥ずかしながら、別役実の原作は未見なので適当な事はいえないですが
登場人物の立ち位置や人数、台詞は大きく変えられているような感じ。
特に登場人物の役柄配置に、すごくオリザ色を感じました。

『砂と兵隊』でもみられた、とぼけた感じの台詞の応酬が、
特に闖入者である娘たちと家の主との間で繰り広げられる。
これが凄く面白い。 娘たちの絶妙な合いの手の入れ方や
台詞の軽妙さ、あと思わず微笑がこぼれるような表情の作り方に
思わず声を出して笑ってしまう。 笑ってしまうけど。

時々ものすごく緊迫して恐ろしいシーンが、笑いを切り裂いて
飛び出してくる瞬間がある。 

娘の一人が家の主人に向かって過去の「記憶」を告白しながら
スカートをゆっくりまくっていく場面、

「マッチを擦らないで下さい…」と娘たちが家の主の前で
必死に哀願する場面、

目が離せない程の緊張感と不気味な沈黙がアゴラの
空間を支配してました。 普段はすっとぼけた、つかみどころのない
娘たちがいきなり豹変するからなのかな。 

すごく怖い、なんかの『闇の部分』、どろどろしたモノに触れた感じ。

最後が、イカれた、脱力した感じの笑いで終わるのも、このバランスを
なんとか保つ為だったのかな? 色々と深読みが出来る。

後書きによると、別役『マッチ売りの少女』を中心に、『象』『AとBと
一人の女』等をコラージュして作った作品であるとの事ですが、
それを感じさせない、自然な作品と思いました。

ブラックコメディ、不条理演劇が好きな人、『砂と兵隊』が
気に入った人にはたまらない作品ではないかと。
パール食堂のマリア

パール食堂のマリア

青☆組

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2011/07/29 (金) ~ 2011/08/07 (日)公演終了

満足度★★★★

「いのち」の連鎖
会場で配布されていた「作者の言葉」に、この作品への意図の一端が
垣間見えるような気がしました。 「親」から「子」へ、またさらに「その子」へ。

いつしかその場所から建物や独特の「匂い」「雰囲気」のようなものが
消えてなくなってしまっても、「人」を介して「記憶」は受け継がれていく。
横浜の街角の片隅にひっそり在るパール食堂が、その連鎖の一部に
あるような、そんなささやかだけど、広がりのある作品でした。

ネタバレBOX

「生命が幾多の場所を経て、再び回帰する」というのは、
ままごと『わが星』にテーマが近いですね。後半特に
ファンタジックな展開になっていくところも含めて。

ただ、決定的に違う部分も、あります。

「女性であることの哀しみ」「喜び」「温かさ」。全部観ることが
出来たけど、中でも「哀しみ」を強く感じました。何だろう、
心の中に深い悲しみを密かに沈めていても、それだけじゃない。

そういう「人間臭さ」を感じました。 吉田氏の筆致は、説明過剰に
ならずに、地に足のついた「人間の姿」があるのが魅力だと思います。
作者の願望に陥っていない、そこが素晴らしいです。

結構重い背景を、登場人物達が抱えていながらもそれを
中和するような美しい演出、特に照明を使ったものが素敵で
まるで、「一時代に起こった夢の話」を聞かされているような
気持ちでした。 

あの、時間軸、そして場所まで表現する照明は本当に凄い。
舞台の幻想性に相当貢献していましたね。

グッとくる台詞、胸をつかれるような場面は結構あったけど、

・クレモンティーヌの台詞、「『去る者を追わず』と『別れる』とは
違うのよ」
・善次郎がユリを迎えに行くところ、「マリア様みてえだ…」に
至るまでの場面
・ラスト直前、捧げられる百合の花の中、「名無しの猫」が
生まれ変わることを告げ、自身の墓詣でに来た親に、名前を
付けてね、と懇願する場面

は、思わず涙が出ました。 舞台空間と同じように広がりのある
作品でした。マリアのように、そっとそこに佇んでいるような、
誰かを待っているような。
音楽劇「ファンファーレ」

音楽劇「ファンファーレ」

音楽劇「ファンファーレ」

シアタートラム(東京都)

2012/09/28 (金) ~ 2012/10/14 (日)公演終了

満足度★★★★

素直に良いと思える渾身の作品
「ファ」と「レ」しか歌えない少女、「ファーレ」の成長を描く物語―

『わが星』『あゆみ』の柴幸男氏の、待望の新作は誰もが
肩の力を抜いて楽しめるストレートな音楽劇。音楽に、
柴作品では欠かせない「□□□」の三浦氏、振付に
「モモンガ・コンプレックス」の白神氏を迎え、三者で、
この二時間の心地良い物語を描き出します。

柴作品特有の、音楽と動きのある見せ方、優しげな世界観は
そのままに、より多くの人が楽しめる作品が生まれました。

ネタバレBOX

衣装が凄くポップで可愛らしく、ファッショナブルで、でもどこかで
見たような…と思って確認してみたら、faifaiの人がデザインしていました。
この舞台に完璧に映えてて、とにかくセンスがいいなぁ、と思いました。

柴氏の過去の作品に見られた、物語のカットアップやリバースの
手法は本作では息をひそめ、氏の作品を初めて見る人でもかなり
楽しめると思う。

逆に、氏の言葉遊びやヒップホップ、連想ゲーム的な台詞回しが
好きな人は少し普通に感じるかも知れません。今回、結構みんなが
普通に台詞を口にしていたのに驚いたくらいです。

柴氏がいうには、「ファーレ」という女性の過去から今に至るまでの、
文字通り成長の軌跡を描きたかったそうです。成長の中で、「ファ」と
「レ」が歌えるようになるんじゃなくて、他の音を他の人が補完
していく事で何かが生まれる。

そうじゃないか、と思って、この『ファンファーレ』を造ったそうです。

上記の「協働」に関する事は、劇場で配布している「ままごとの新聞」にも
書いてあるんですけど、柴氏がとても良いことをいっています。曰く、
自分ですべてをコントロールしたい欲求から、誰かと一緒に作品を
作り上げていくことへと関心が移ってきたようで。

今後の作品も、そのことを念頭において作られていくようで、
早くも柴氏の次の展開が楽しみだったりします。

話自体はシンプルなんですけど、絶対に堪能して欲しいのが、
この舞台のテーマ曲になっている「うたえば」ですね。「音楽劇」と
銘打たれているだけあって、歌が話の流れで大きな比重を占めます。

この『ファンファーレ』は3幕から成っていますが、そのラスト3幕目の、
本当に良い場面で「うたえば」が鳴り響くので、心を打ちます。会場では
泣いてる人もいましたが、すごくよく分かります。
私も結構涙腺まずかったです…。

「うたえば」(※実際には、もう少しいじられていますが)
http://soundcloud.com/musical_fanfare/0903-1

最後に。やっぱり坂本美雨氏(実際の舞台にも出演!!)の声は素敵だな!
わが星

わが星

ままごと

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2011/04/15 (金) ~ 2011/05/01 (日)公演終了

満足度★★★★

「私たちの星」のように美しい物語だった
星のホールに着いたのが開演10分前の7時20分。
この時点でも、入場を待っている長蛇の列がずっと奥まで
連なっているのを見るだけでも、この作品に対する皆の
期待の強さをグッと感じるのです。

客席がぐるりと円になって舞台を囲み、何も無い空間に
これから始まる事を想像してワクワクする。

「これから四秒後に照明を消させてもらいます」という案内の声で
始まった物語は、とても美しく、哀しかったけど、温かく思えました。

ネタバレBOX

「ちいちゃん」という、地球をモチーフにした一人の少女とその一家の
運命がそのまま「宇宙」における星のそれと重ね合わされていく、という
相当に壮大な物語。 で、ボーイ・ミーツ・ガールなSFファンタジーでもある。

この、一歩間違えると相当にイタい話になってしまいかねない物語は
不思議とどこか「広がり」や「透明感」、風通しの良さを感じさせました。

その理由を考えてみたのですが、相当に抑制が効いていることが
理由に挙げられますね。 

言葉は連射されているようでいて、物語の根幹の「日常を生きて、
死んでいく」に沿ったものが選ばれていて、言葉遊びでもって
どんどんヴァイブを生むように紡がれているんです。

ただ、自己満足的に騒がしく言葉を発しているわけではないので
言葉のリズムに心地良く乗ることが出来ます。

お父さんとお母さんの、日常をラップしながら踊る場面。
息の合い方、凄まじかった。 さりげないようでいて、絶対丁寧に
そして徹底的に稽古されている作品なんだなぁ、と。

もう一つの理由は、「ちいちゃん」と少年だけでなく、その周りの人達の
存在をしっかりと描いていること。 

「ちいちゃん」と「つきちゃん」。
「ちいちゃん」とその家族。
「ちいちゃん」と先生。

それぞれの関係がリピートされたり、逆に早送りされたりして
描かれている。 それが、ありがちな狭い「二人の世界」に、
最後の場面で陥ることを拒んでいます。

芝幸男という人は、ロマンチストで子供の心を持った人ですが
決して閉じていない、大人の幅広い象像力を兼ね備えているのだと
思います。

最後の場面、「ちいちゃん」のところへ少年が自転車で乗り込んで行く
ところに、思わず興奮してしまった。 あそこ、熱過ぎる!!!!

そして、「百億年ずっとみていてくれたんだね」の言葉に、胸の底から
こみあげる何かを確かに感じました。 ホントは、少し前の場面から
感じていたけど。 

「宇宙」はどこかで「人」とつながっていて、「人」はどこかで誰かに
想われることに安心しているのかもしれない。 そんな、普遍的で
大らかなものを感じさせる、「青く美しい地球のような」作品でした。
ネズミ狩り

ネズミ狩り

劇団チャリT企画

こまばアゴラ劇場(東京都)

2011/03/03 (木) ~ 2011/03/13 (日)公演終了

満足度★★★★

黒過ぎるブラックコメディー
タイトルでは「群像コメディ」と銘打たれているけど…。
正直、長男の化粧絡みのネタでしか笑えなかったというのが
本当の所。 デフォルメの効いたキャラ達の会話の中、
見えてくるのは、

「僕ら、一体どれだけ目の前の相手、事実を分かっているの? 
本当は、分かっているつもりが、表面的なものしか見えて
ないんじゃないの?」

という相当キツめの皮肉。 いやー、触れ易そうに見えて、結構
ビターな作品でした。

ネタバレBOX

陪審員制度が導入されて結構な時間が経つ今だから、死刑の問題が
取りざたされるようになってきている今だから再演されたのだと思うけど、

実は、「冤罪」っていう側面で観た場合、相当怖い劇だよ、これ。

長女がいうように、死刑になった少年が、実は清水君一人しか
殺して無いかもしれないのにも関わらず、最後に死刑になり、

同時に、痴漢被害のせいで精神に深い傷を負って電車に
乗れなくなった次女が電車に乗れるようになった。

一人の死によって、もう一人の精神が回復される。
しかも、それは全くのグレーゾーンに基づいたもので、つつけば
問題点がぶわっと噴き出してくるような代物。

だけど、その代物は周囲の人間達によってさも正しい事のように
広められ、そしていつの間にか異議を挟めない「常識」になってくる。

「常識」が「常識」でなくなる時には、既に手遅れである事は
往々にしてあり。 そして、皆、またそれを当然のこととして
受け入れていく。

まるでさも、それがずっと前から当然であったように。

私は、そのことが本当に怖くてしょうがないですね。
何度同じことを繰り返すのか、と。

チャリT企画には、今後も「考えさせられる重喜劇」を望みたいですね。
私小説、家族劇的な劇が多い中、本当に貴重な存在ですよ。
ハーパー・リーガン

ハーパー・リーガン

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2010/09/04 (土) ~ 2010/09/26 (日)公演終了

満足度★★★★

認め合う
端的にいうと、母娘三代の衝突、そこに血を分けた人達でありながら
容易には埋められない「壁」を感じつつも、

本気で本音をぶつけ合う事でうっすらと見えてくる共通点に少し安堵し
最後には互いを、ほんの数センチだけど確かに「認め合う」。

そんな、微かに希望がのぞけるような、観終わった後には色々なことへの
ためらいがしゅんと消えていくような懐の広い劇でした。

ネタバレに書きますが、公演前のインタビューで小林さんが言及していた
最後のシーン、あそこはホントに良いね。 結構響いた。

話全体は女性にささげられているものと感じたけど、最後の場面は
男はじんとするんじゃないかと思う。

ネタバレBOX

主人公ハーパーは、観た限りでは、

・相当我が強く、
・恐ろしくまじめな人で、
・またすごく頭の良く、
・最後に非常に透き通るように純粋

な女性と見受けられました。 この「ハーパー」という女性の考え、選択肢を
受け入れられるか、がこの劇を認めるかどうかの大きなポイントですね。

私は、父親の死んだ直後のハーパーの行動は結構理解出来る。
立ち寄った先の居酒屋で男をグラスで殴りつけたり、行きずりの男と
浮気してしまったり。

上記の特徴を持つ人は、自分の世界を強力に確固に造り上げている人。
人にはその内側を明かさない為、第三者(例えば、娘のサラ)的には
「変な人」に見えるけど、実際はその人だけの行動原理にしたがって
理にかなった動きをしているだけなんですね。

ハーパーの場合は、「父親の存在」が彼女を支配していた。
その父親が死んだことで、自分を支える存在を無くした彼女は
「古い自分」を捨て、「新しい自分」を見つけた。

それが自分の、自分に本当は良く似た「母親」であり、「娘」であり、
そして「家族」であった、というのが凄く感動する。

木野花の、ハーパーの母、アリソン婦人は短い登場時間だったけど
存在感がものすごかった。 何とかして自分の存在を認めてもらいたい、
自分を理解して欲しい、という切実な想いが母ではなく、女性ですらない
私にも一直線に突き刺さってきました。

そしてセス。

彼は良い。 女性が大きな存在の、この劇で私が感情移入したのは
セスでした。 いや、もしかしたら児童ポルノ撮影愛好の、変態野郎
なのかもしれないんだけど(苦笑 

コミカルな中に、彼の女性二人、妻のハーパーと娘のサラへの愛情が
透けて見えるのが切ない。 

この劇は、不器用で卑小な人しか出てこない、愛らしい劇ですけど
その中でも彼はダントツで好きですね。

最後、庭での家族三人そろっての朝食の席で彼が語る十年後の
未来予想図、夢、

「娘のボーイフレンドは正直者で男気があって、僕の学会の発表会にも
一緒についてきてくれるんだ」

「サリーでも、どこへでも来てくれるんだよ」

あのシーンに、脚本家の「父親」の姿が垣間見えてなんかホッとした。
何故か嬉しくなりました。

そう山崎一がしみじみとした表情で語るのを、神妙に、そしてほんの少し
安心、幸福そうに聞く二人の様子、そこに差し込んでくる明るい陽光の
シーンが、

それぞれは違う人間だけど、どこかに「自分と同じもの」を見つける
ことは出来る、それがどんなものでも許す…というより認め合おう、という
幅の広さを感じ、自分のどこかが浄化されるような思いでした。

…思ったけど、あのシーン、スパイダーズ「ACWW」の
ラストシーンと被るよねぇ。

作品のテーマも重なり合ってるし、長塚さんはこういう話が最近は
好きなんだろうなぁ。
アルカサバ・シアター『アライブ・フロム・パレスチナ-占領下の物語』

アルカサバ・シアター『アライブ・フロム・パレスチナ-占領下の物語』

川崎市アートセンター

川崎市アートセンター アルテリオ小劇場(神奈川県)

2011/02/11 (金) ~ 2011/02/13 (日)公演終了

満足度★★★★

知られない「日常」
普段私達が「ニュース」「情報」として見聞きしているパレスチナの状況が
まさに同時進行の「日常」であることを否応なしに理解させられます。
「ニュース」は決して過去のものではなく、伝えられる対象がいる以上、
海の向こうの国で、確実に起こったことであり、

そして、今後も似た事が起こることを暗に示しています。

ネタバレBOX

この劇で見知ったパレスチナの状況。

それは、子供たちが「Mで始まるもの何だ?」的な遊びに、次々と
「シャロン」だの、「爆弾」だの物騒な名刺を嬉々として挙げる状況。

銃弾が、逃げまどう人々のどてっ腹に「海を越えた国が見え」そうな
位の空気穴を開けるような、極限状況。

恋人達は、各々のプレゼントに銃弾だの、爆弾だのを屈託なく
渡す、ブラック過ぎる状況。

そんなにわかには信じられない「状況」が時にシリアスに、時に
皮肉たっぷりに繰り広げられる。

パレスチナの民はアラブ民族でありながら、周辺諸国からは
完全に見捨てられ、イスラエルからは完全な「虫けら」「二級市民」として
扱われ続けている。 それも、もう数十年に及ぶ。

海外では、パレスチナの民は「難民」であり、「可哀そうな存在」であり、
その姿は「ニュース」でもって全世界に発信される。しかし、それで
何が変わったろう。 そう、ニュースはただの「情報」だ。
見ず知らずの人の意識まで変えるのは容易ではない。

本作は、普段顧みられることの無いパレスチナの人々の
閉塞状況、自分達を圧迫し、苦しめ続ける存在への怒り、
存在を認めてくれ!という、希有な叫びのように私には思えた。

人間の苦しみは「死ぬこと」もあるが、何より「忘れられ、関心を
持たれない」のが一番だと思う。 彼等は劇でもって、その無関心に
石のつぶてを叩き込んだわけであり、その点非常に有意義な作品と
いえます。
ソムリエ

ソムリエ

靖二(せいじ)

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2011/01/28 (金) ~ 2011/02/01 (火)公演終了

満足度★★★★

まさに「Take It Easy」
上手いな、と思った。 
取り立てて変ったところのある話ではなく、むしろありがちな筋だけど
俳優がみな自然体だったこと、構成が巧みなこともあって二時間余りの
舞台でも、退屈せずに観ていられました。 クセのある人物達もここではGJ!

ネタバレBOX

経営コンサルタントの伯父さん、てっきり土地を騙し取る系の悪徳
ビジネスマンかと思いきや、なんか結構良い人だったなー。
振り返ると皆良い人ばっかで、それが作品の雰囲気にも表れてたかも。

役者では土屋雄さんの一々どこか可笑しいっぷりと、石井舞さんの
健気で芯の通った女子っぷりがすごく好印象でした。
土屋さん、笑いの間が上手いんだよなぁ、クスリとしてしまう…。

身近に自営業者があるので、劇中の一家が結構他人事に思えなかった。
あの、思いつめたような苦境っぷりとか状況的に似通った部分もあるし、
どこも大変だよなぁ。

「変化」は自分のちょっとした選択や何かがきっかけでいきなり
訪れるわけだけど、それが吉となるか凶となるかは自分自身の
心持ち次第、っていう隠れた主題は、自分自身最近までそうだったんで
異様なほど共感してしまった(苦笑 いや、本当にそうだよね・・・。

まさに「Take It Easy」、そのままですね。
つーか、この曲大好きなので劇中でかかった時、凄く嬉しかった!
作・演出の人はイーグルス好きなのかなぁ? 気になりました。
散歩する侵略者

散歩する侵略者

イキウメ

シアタートラム(東京都)

2011/05/13 (金) ~ 2011/05/29 (日)公演終了

満足度★★★★

最も大きな概念、それは
白を基調とした舞台が、そのまんま「漂白」でもされたような、
不思議で、ほんの少し不気味な雰囲気を醸し出していました。
役者の演技もどこか不気味。 というか、表情の造りが上手いね。
心ここにあらず、の様子をよく表していました。

メディアファクトリーから前川氏自身による小説版「散歩する侵略者」が
出ているので、本作が面白かった人は読むとよいと思います。
基本、鳴海視点で語っていて、これまた興味深いでしょう。

ネタバレBOX

昔の作品なのかどうか知らないけど、いつもより後半にかけての
メッセージ色が強めな気がしましたが、これは賛否両論でしょう。
個人的には、あんまり物語の本筋に関係あるようには思えなかったので
高らかに述べたてる必要は無かったように思いました。

途中で、真治(に憑依した宇宙人)が、今の自分は「在る可能性のあった
真治の姿」だといっていたけど、これを信じるのなら、「彼」は宇宙人ですら
無いのではないだろうか? いってみれば、「種」のようなもので。

終わっていたはずの二人の間に、「愛」の概念が生まれ、やがてそれは
元の通り失われていく。 なんか短い間の夢みたいだ。。。
「宇宙人」の存在は、その媒介に過ぎないのかなぁ。

それにしても、伊勢佳世がときたま見せる笑顔は本当に反則ですね。
きゅんとしてしまいます。。
モナカ興業#12「旅程」

モナカ興業#12「旅程」

モナカ興業

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2012/10/19 (金) ~ 2012/10/28 (日)公演終了

満足度★★★★

新しい出発?
舞台上で鳴り続ける不協和音に、シンプルで影を作りやすい照明、
最初見た時、「ノアの方舟」を思わせた、逆台形の形をした
巨大なセット。

そこで繰り広げられるのは、徹頭徹尾ダークで、普段は笑顔を
見せるような人の裏側に隠れた醜さや冷たさ、無関心さ。

誰も抜けられないような蟻地獄のような世界観で、一時間半
観続けるには体力もいる、緊張感の溢れた舞台ですが、
きれいなものを見飽きた人にはこれほどうってつけの作品は
無いんじゃないかと思います。

ネタバレBOX

基本的な登場人物は、

・夫婦と娘。夫が株式投資で妻が実家から受け継いだ家を抵当に
入れ、大失敗。それがもとで一家は離散。娘は喧嘩する両親が
嫌で家出、男子学生に暴行を受ける。

・建築資材会社社員たち。明らかに出来るが、少し生真面目で
 頑張り屋の女性に、その恋人のあまり有能とはいえない感じの男。
 その後輩の、今風で仕事も女性関係もスマートそうな子。

ちなみに、両グループは、投資に失敗した夫が建築資材会社の
監査室長ということでつながります。

モナカ興業特有の、最初から物語を説明しないつくりは、観客を
おいてけぼりにしかねない危険性があるのですが、巧みな台詞や
人物の見せ方でぐいぐいと引き付けていきます。

登場人物に、いわゆる「良い人」が一人もいないんですよね…。
表面的には良い人でも、あるきっかけで一皮むけば、陰惨な
実態が白日の下にさらされる。でも、えてして、人間って誰でも
そういう一面があるんじゃないかと。

だから、強く心をとらえて離さないんじゃないか、と。そう思いましたね。

どうも自社が不祥事を起こしているらしい、との疑いで、社内調査
チームに選出された女性社員が持ち前の鋭さと熱心さで、腐敗の
実態を監査室長に報告するも、事なかれ主義での室長はもみ消して
明らかにしない。

そうこうしているうちに、社外に実態がリークされ、大問題に。
内部告発を疑われた女性社員は監査室長により、チームを外される。

食い下がる女性社員に監査室長が言い放った言葉が秀逸すぎました。

 「オレは家庭を背負っているんだよ!」
「ちゃらちゃら男と遊び歩いているお前とは違う!」

と言い放っていましたが、既に一家崩壊していく過程を目の前で
見せつけられている観客からすると、なにをかいわんやの世界です。

今作も、崩壊に向かっていく家族、恋人、会社それぞれの終幕、
そして新しいスタートを、「旅程」―旅の始まりと、その過程に
なぞらえて語っていますが、正直それを前向きととらえるか、
後ろ向きととらえるかは難しいところでしょう。

結局、人生は長い旅程で、プラットホームではそれぞれが交わるが
最後に列車に乗るのは一人、ならぬ独り。最後の場面で、そんなことを
思いました。
メゾン・ド・ウィリアム

メゾン・ド・ウィリアム

劇団バッコスの祭

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2011/01/09 (日) ~ 2011/01/17 (月)公演終了

満足度★★★★

かなりの良作
序盤、丹羽氏演じる公岡を中心とした大立ち回りがとにかく凄かった。 
結構迫力があって目が釘付けに…本当に軽やかな身のこなしでした。 
実にさり気なく連続バク転を決めてみせた女史もスゴイの一言。
ここまでのアクションシーンは、なかなか観れないよなぁ。

私は「笑い」の要素をまず期待して観に来ていたのですが、少し
性急ながらもいい感じのツッコミで、程々にクスリと面白がる事が
出来ましたね。 牧田巡査がいい味出してたように思います。

ネタバレBOX

結構メインストーリーの「いじめ」の問題が後半思っていたよりも
大きくクローズアップされてきたのにはビックリ。
一人二役を用いながらの、いじめで自殺した少女の周囲、そして
復讐に堕ちていく元教師・公岡の姿は、観ているこっちが指弾され、
追い詰められているようで…。

「学芸会も」「遠足も」「私の写真だけ塗り潰されているんです」

上の件は、演出も相まって少し圧迫感すら覚えたよ。
実際にいじめの現場にいた人が観ていたら、プレッシャーって、私の
比じゃないだろうな…。 なんかものすごくリアルな様子だった。
実際にあってもおかしくないような。

中盤、辻氏の真理奈の独白が伏線になって、最後の衝撃的、かつ
感動的な再会に至る部分は少し出来過ぎな気もしたけど素直に
ああ、良いなあ、と思えた。 何より、最後の真理奈の呼びかけが
胸に響き過ぎた。 なかなか力強い台詞でしたね。

「私は、今は元気だよ!! 上の部屋、掃除して待っているからね!!」

登場人物も、それを演じる役者も、ホンも唯一の魅力を持った良作、だね。
秋の再演作品にも期待。
覇王歌行(はおうかこう)

覇王歌行(はおうかこう)

BeSeTo演劇祭

こまばアゴラ劇場(東京都)

2010/07/08 (木) ~ 2010/07/11 (日)公演終了

満足度★★★★

中国劇の力の一端がここに…
現在の世、項羽が自身の時代を振り返り、物語る形で本作は幕を開ける…。

いや、凄かったですね。
観ようかどうか迷っている人は観た方が良いと思います。
中国という国の、演劇力の高さに「わずか」に触れた一夜でした。

項羽と虞姫。二人が初めて出逢った時に姫が見せた艶やかな舞。
ひらひらと軽やかな身のこなしに合わせてふんわりと舞っていく生地の
動きに合わせるように、音楽が鳴り響いた時にははっとさせられ、

有名な「鴻門の会」のエピソードの時の、劉邦を狙う項荘の剣舞の
身のこなしの凄まじさに目を奪われる。

中国の役者は迫力があるね。 つい食い入るように見てしまう。
惜しむらくは、もっと広いステージで上演したらさらに迫力ある舞台に
なっていたのではないかということ。

ネタバレBOX

演出も素晴らしかったけど、脚本・潘軍の項羽の解釈が素晴らしい。

野心に満ちて、なおも満ち足りることを知らず、傲岸不遜であれど
誇り高く、自分を、信を曲げることをしない男。 そして夏の空のように
大きい思慮を持ち、ロマンチックな男。
正直、憧れますね。 素直に格好良いと感じます。

対して、劉邦は人質となった祖父と妻を、項羽の計略にびびって
助けることが出来ず、果ては「二人を煮汁にするのなら、その一部を
私にも分けて下さい」と言い募る、腰ぬけ男。 
計略には巧みだが、本質的にはならず者で信義を知らない。

項羽の独白にも「信を裏切るのは最大の恥知らずだ」という言葉が
あるように、この辺は中国の激動の70年代を潜り抜けた作者の
人間観がそのまんまストレートに出ていますね。

結局、項羽の悲劇は自身が「見え過ぎる」ことにあるのでしょうね。
虞姫が「将軍の悲劇は常勝であること」と喝破していましたが、
項羽自身自分の気質が天下には求められていない、故に滅ぶ運命しか
用意されていないことを見通していた節があります。 その運命を
気高い項羽は甘んじて受ける。 一種の悲劇です、これは。

最後の場面での「四面楚歌」。 一般的には、自分の周りには
もう一人として味方は無いのだ、と理解されがちだけど。

項羽は言う、

「私には隠されたある一面が見えていた。あれは漢軍の敬意の
表れなのだ」

つまり、これから滅びゆこうとしていく一人の英雄に対しての隠し切れない
万人の尊敬の念と、ある時代の葬送歌だというのです。 この解釈は
ハッとさせられましたね。 深い洞察です。

虞姫がいわれてるより、出番が少なくてそこは残念だったけど
一人の男の語る「物語」としては素晴らしく、まさに時を超えて過去に
自分を重ねるような思いがしました。
冒した者

冒した者

葛河思潮社

吉祥寺シアター(東京都)

2013/09/20 (金) ~ 2013/10/13 (日)公演終了

満足度★★★★

三好十郎の最後の到達点
三好十郎という劇作家は、今ではあまり記憶されることのない
作家のように思えますが、その心血を注いだ、裏表のない
言葉の数々は、何十年経っても変わることなく人を打つ威力が
あると思います。長塚氏は、その圧倒的事実を、巧みに観せて
くれました。心から感謝します。

ネタバレBOX

手元にある片島紀男『三好十郎傅 悲しい火だるま』(五月
書房)によると、「現在の時期というものと、この日本という
場の真ん中に生きている私という実感から直接的に生まれた」
ものが、本作『冒した者』であり、この作品は、三好の最後の
長編戯曲となります。

この作品は、数年前に、青空文庫で読んだんですよね。その
時は、それまでにない、サスペンスに近い作風に、まったく
相変わらずの熱い独白が延々続くスタイルにしびれて、この
作品、舞台化ならないか、とは思ってたんですが、限りなく
小説に近づいてしまっていて、舞台転換などが難しい、と
感じ、ちょっと諦めてたところがあります。

それだけに、長塚圭史氏が演出、上演を手がけると聞いて
感動しましたよ、本当にね。

『冒した者』は、戦争の記憶そう遠くない、朝鮮戦争の時期、
そして日本の再軍備が近づき、またの戦争が始まるのでは、
という気配の中で書かれた作品です。

なので、世相を反映して、敗戦と共に力を失った軍人や
政治家が再び徒党を組んできな臭い動きを見せたり、左翼
マルキズムに根ざした反体制平和運動に屋敷の住人の一人が
加担していたり、時代の混乱がまんま出ています。

戦時を引きずったかのような時局をよそに、屋敷といわれる
三階建て、塔付きの奇妙な設計の屋敷に居住する9人の
住人は、表面的には平穏で平和な日常を過ごしつつも、
危ういバランスの中、お互いを牽制し合っているようにもみえます。

そんな中、最近恋人との心中に失敗し、その両親や近所の魚屋を
殺して逃げてきた須永という青年が屋敷をひょいと訪れたことで
その均衡が一気に醜く崩壊していく…という話。

闖入者である須永は…ひとことでいうと、「死に魅入られた、死
そのもの」ですね。時代精神に押し潰され、恋人を失い、夢遊の
中で人を殺してしまった彼は、その時点で生者との接点を失い、
まるでゾンビのようにただ徘徊する存在になってしまったのです。

面白いのは、戦争をくぐり抜けて生き延びてきた、タフな屋敷の
住人達が、須永の存在になすすべもなく、自身の本質をさらけて
いくところ。その存在に過度に思い入れたり、恐れたり、そして
意味づけしてみたり。

そうすることで、須永という、自分達とは異質な、いや、異質と
思いたいけど、実は近しい存在をなんとか理解しようとして
みるけど、途中から、須永が生きているのか、屋敷の住人が
生きているのか、それともみんな死んでいるのか、よく
分からなくなってきます。その辺が、闇を巧みに用いた
ライティングなどの演出によって、うまい具合に浮き彫りに
されていきます。じわじわ得体の知れないものに侵食されるよう。

場面展開なども、以前の『アンチクロックワイズ・ワンダー
ランド』や『荒野に立つ』のように、シームレスにつないで
いく手法を用いて、ああ、うまいな、と。

この作品、60年位前の作品なんですけど、同時代性があり過ぎて
ちょっと怖いです。何が起こるか分からない不透明な世相に、
動機がはっきりしない殺人事件、現在と同じく時代の圧力で
圧迫されながら生きる意味を失い、死人と近しくなっていく
人々(特に若者)、人を死に導く原爆(現在では原発)の存在…。

三好十郎が、おそらく自身を仮託している「私」の言葉では
「YESでもNOでもない、第三の道がきっとある」
「自分を圧迫するピストンの存在に苦悩しつつ、立ち向かい、
再び生の実感を取り戻そう」
という言葉が、そんな中で、とりわけ印象に残りました。

役者では、証券屋を演じた中村まことの啖呵と、理知的だけど
得体の知れない医師を演じる長塚圭史の不気味さ、茫洋として
つかみどころのない青年、須永の役である松田龍平が印象に
残りましたが、皆、良かったです。
ザ・空気

ザ・空気

ニ兎社

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2017/01/20 (金) ~ 2017/02/12 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2017/02/08 (水)

座席N列21番

2016年2月に起こった、高市早苗総務大臣(当時)による「放送法違反を
根拠とした電波停止是認」発言を基としたブラックコメディです。

※当時の大臣側の言い分は以下の通り
https://www.sanae.gr.jp/column_details807.html

まさに時代の「空気」をそのまま反映している作品なので、高市大臣に当時
賛成した人も、反対した人も一度観て、自分の考えを整理するといい気が
します。

ネタバレBOX

舞台はあるテレビ局。先の「電波停止」発言に憤激した報道番組クルーが
「戦う民主主義」を掲げるドイツを訪れ、放送法で縛られる日本の報道を
現地のメディア人から批判してもらい、問題点を提示する番組を制作。

しかし、日本のメディアの現況を「クレイジー」と評した部分などをめぐり、
自殺した硬骨漢のジャーナリスト然とした先任者に代わって、数か月前から
新しく就任したアンカーが陰に陽に修正を求めてくる。

このアンカーですが、「政治的中立」を旨とするものの、現役記者時代は、
ある総理候補の議員と昵懇の関係を結び、この議員が総理就任後逮捕されると
悔しみの涙を流したと告白するような人物です。

ところが、政権とも近いこの人物の発言に振り回される形で、実際の番組から
日本のジャーナリストたちが政権に抗議する冒頭の場面、ドイツ人ジャーナリストが
日本のメディアに苦言を呈する場面などの削除を求める声が、局の上層部から次々
下ってきます。

断固として削除に反対する者、削除には反対だが局の空気に飲み込まれかけている
若手ディレクター、上司の顔をうかがう事なかれ主義の編集マンなど、見えない、
そして気色悪い「圧力」を前にして、一枚岩で戦えない現状もそこで浮き彫りに。

様々な人の思惑に苦悩しつつも、番組の編集長は一切の削除をはねのけるために
専務の部屋を訪れるのですが…。

実際のテレビ制作現場の様子を知らないのですが、OA前なのに、「国民の会」
(どんな団体か、推して図るべし)から抗議が来たり、少女の視聴者を装った
国粋勢力が内容の聞き出しに打って出たり、果ては削除に反対するスタッフに
対し、介護中の母親の隠し撮り写真を送り付けて、圧力を加えたり。

テレビ局に攻撃を仕掛ける側の恐ろしさと、そのしたたかさが存分に表現されて
いると思います。これがかなりの程度本当であるなら、「中の人」の抱える
ストレスも相当なものなんだろうなと想像せざるを得ないでしょう。

結局、編集長は圧力に負け、高所からの自殺未遂を起こして、そのまま退社。
3年後に局を訪れるも、編集マンは「国民の会」に加入、ディレクターは
局の空気に耐えかねて退社、アンカーマンはすっかり政権寄りのコメントを
繰り返す御用ジャーナリストになっていたというオチ。

そうした光景の中で、編集長は在野のジャーナリストとして活躍することを
誓うも、頭上から戦闘機を思わせるような音が響き渡り、すっかり戦争の
気配がそう遠くなくなった日本の空気を暗示するように幕引きとなります。

どこからともなく忍び寄る圧力の気配、相手に「イヤ」と言わせない雰囲気、
局内がそんな不穏なもので充満しているという事実が、客席にいてもむんむん
漂ってくるため、スリリングさでいったら下手なサスペンスを超えています。

政権に賛成する者、反対する者、まずはここでのメッセージに虚心のままで
触れ、そこから新たに思うところを育てていけばいいのかなと思う一作です。
イントレランスの祭

イントレランスの祭

サードステージ

シアターサンモール(東京都)

2012/10/30 (火) ~ 2012/11/11 (日)公演終了

満足度★★★★

色々と考えさせる作品
「不寛容」「差別」の問題を正面から扱うなら、いろいろ意見が
あると思うけど、この位が限界なのではないかと思います。
これ以上やってしまうと、陰惨でかつ重い、エグい作品に
なってしまう危険性があるので…。

入場時に配っていた、鴻上氏の、英国留学体験を交えた
挨拶文、恐ろしくリアルで、本作に対する見方が変わるほどです。

ネタバレBOX

ラスト直前で、「宇宙人を殺せ!」コールと共に、ケンゴが
花束でホタルを殴りつけるシーン、結構辛くて正視に
たえなかったんですが、これ以上にリアルにすると
後味が悪すぎますよね…。

本作『イントレランスの祭』ですが、

地球人と宇宙人、見かけ、そして立場の違いから生まれる、
区別、差別、「不寛容」―イントレランスを扱った作品で、

宇宙人と地球人の区別を気にしないケンゴが、安心を得て
太ってしまったホタルの姿をなかなか受け入れようとしない。

逆に宇宙人にとっては人物の痩せ太りはさほど気にならない
問題なのが、ホタルの皇位継承権第9位という立場は自分達の
統合のために何が何でも必要なもので、

そのためにはケンゴの「路上アーティスト」という肩書は釣合が
取れない、抹殺すべきもののように映る。

ある場面では区別・差別されるものが別の場面では区別・差別し、
区別・差別するものが、またある場面では区別・差別される立場に
変わる。

自分が重く区別・差別される立場でありながら、敢えて差別集団
ジャパレンジャー」に肩入れし、自分たちへの差別感情をよそへ
持っていこうとするテレビディレクターの男の姿に、ただの正義では
割り切れない、この問題の複雑さをひしひしと感じさせました。

威勢のいいことを言っていた「ジャパレンジャー」の隊長が、自分が
想っていた弁当屋のバイトの娘が宇宙人のホタルと気が付いてからの
狼狽えようが笑えるけど、悲しい。そして、見えない敵と闘っている、
この手の存在の滑稽さが、こうして客観的に見せられると痛々しい。

ラストは爽やかに終わったと思いきや、結構、人物たちの言葉の
端々から、それでいいのか!? という思いを募らせられる、なかなかに
苦い物語になっていました。

今、思ったけど、花束で殴っていたのは、この後の永遠の別れを
想ってのことだったのかな? そうだとすると悲恋の話でもありますね。。

演出は…正直、ちょっと古い感じがする。でも、その古さ、いなたさが
逆にいい味を出していた場面もあるので、一概にはいえないですね。

結構、殺陣のシーンなんかは楽しめたくちです。あれだけ激しい動きを
綺麗に見せられる劇団員はやっぱり凄いな、と思いますね。次回作にも
歌と踊りは入れてほしいと思ってます。
母を逃がす

母を逃がす

大人計画

本多劇場(東京都)

2010/11/15 (月) ~ 2010/12/19 (日)公演終了

満足度★★★

変わらないけど変わった生活は続く
とにかく一番最初からケレン味とテンションの高さでは他を圧倒する
勢いで突き抜けていく。 この劇の楽しみ方は何も考えず、ただ目の前で
繰り広げられるネタの連打に身を任せる。 それに尽きます。

冷静に見ていると、何か疲れるので…ね。 というか、クドカンと
サダヲ、良々のゴールデントライアングルの息の合い方が過ぎてて
何度ツボ衝かれた事か。

ネタバレBOX

十年前に初演された作品の再演だそうですけど、多分初演は
もっと意味が分からなくて貧乏臭くて、ダークな雰囲気に
満ち溢れてたんじゃないかと想像。 ここはもっと黒くした方が、というか、
確実に当時はブラックに観せてたよな、と思える個所がちらほら。

今回はダークに展開するよりは笑いに振り切れてたけど、見様によっては
相当落ちるよなぁ。 トビラをモノにしようとする場面とか…!!

村の住人は皆無邪気でどこか大人じゃ無い感じ。 「純粋」が
真空パックされたまま、手つかずで残されているのがここクマギリ。
それはどこの、誰にでもある部分なので、最後「平凡な日常が
続いていく」というモノローグがものすごくささやかなのに忘れがたい。

松尾さん演じる狼中年が、村の危機に覚醒し、カンフーばりの
瞬殺技で一本さんを沈めた時は、ポージングの怪しさに笑った。
松尾さん、やっぱ役者の時が一番輝いてる。 体の動きが怪し過ぎる笑

でも、セルフ・カーテンコールの劇団員紹介が一番面白かったのは
ホントにここだけの話。 紙さんが綺麗過ぎでした。 惚れます。
ロドリゴ・ガルシア『ヴァーサス』

ロドリゴ・ガルシア『ヴァーサス』

フェスティバル/トーキョー実行委員会

にしすがも創造舎 【閉館】(東京都)

2010/11/20 (土) ~ 2010/11/24 (水)公演終了

満足度★★★

Versusの意味
Versus(前置詞)

1. (訴訟・競技等で)…対、…に対して

2. …に対して、比較して

観終わった後、この作品はもしかしたら作者ロドリゴ・ガルシア自身の
総決算的な意味あいを持つものなのではないか、とふと思いました。
事前情報で考えていたよりずっと詩的、かつ私的で、その背後に
彼、ロドリゴ・ガルシアという人間の一端が見え隠れするような気がした。

ネタバレBOX

社会批判、風刺に満ちた挑発的な過去作のタイトルの羅列から
今作もその系統かと思いきや、社会批判色は後退気味で、むしろ
相当に自分と他人とを深く見つめた作品のように思えました。

「対"自身"」(I vs I)、「対"他人"」(I vs other)…

衝動的で暴力的、どこか人間の当初とオーバーラップするような
原始的な振る舞いを見せる登場人物達の口、それを追うように
頻繁にバックに映写されるモノローグを通じて、作者自身、ロドリゴ
自身の肉声が迫ってくる。

その多くは、端的に言うと、
「愛は肉体的関係に終始するだけでなく、それだけの方が他の
何よりも上手くいく」
「芸術なんて、退屈で徒労に満ちた、暇つぶしにもならないもの」

といった感じの、どこか諦めや軽い絶望を思わせる、叫びというより
ぼそぼそとした囁きのよう。 その言葉自身に苛立つかのように、
役者達はお互いに意味の無い暴力を振い合い、痙攣し、暴れて
本を引き裂き、投げ捨てる。 

まるで、書物の知恵がクソのようなもので、暴力、攻撃が人間の
本性であることをみせびらかすように。

自分にどこか苛立ち、他人にも苛立ちを感じている。
海を越えても、同じ感覚を共有する人間がいることを発見し、
当たり前と言ってはそうなのですが、驚きを隠せなかったのです。

とどのつまり、ロドリゴ・ガルシアという人間は、どこか純粋で
傷つきやすく、芸術肌でありながら現実をよく知っている。
そんな社会的な人の一人なのでしょう。 だから、彼の、延々と
続くモノローグ、特に後半のそれは私の胸に微かに疵をつけていくような、
そんな気がしました。

「そんなのは嘘だ。みんな俺をなぶり殺しにしたいだけなんだ」

その一言をもって、この『ヴァーサス』は幕を閉じます。

だけど、そういうことを言う人間が、実はまだほんの少しの希望を
誰よりも隠し持っていることはよくあることです。
本当に諦念に満ちた人間はそういうことは言わないし、そもそも言えない。
そこに、私は作者の「芯」、「真摯さ」をはっきりと感じ取りました。

ただ、個人的には社会風刺色の強いロドリゴ・ガルシアの作品も
大いに気になるところでありますが。。 

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