アキラの観てきた!クチコミ一覧

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『青いポスト』/『崩れる』

『青いポスト』/『崩れる』

アマヤドリ

王子小劇場(東京都)

2017/11/04 (土) ~ 2017/12/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

『崩れる』

公演が始まり、明らかに「いつものアマヤドリ」とは違うことに気づく。
シーンの重ね方、物語の進める方法がまったく違うのだ。
いつもよりも、さらに台詞のやり取りに重きが置かれているようだ。
しかし、その台詞のやり取りが凄すぎる。
台詞のやり取り、というよりは「会話」の凄さに圧倒された。

演出がいいのか役者がいいのか、その両方なのか。
一見簡単に見えて、このレベルの作品にはまず出会えない。

この凄さは、こういう感じの、若者の普通の会話劇を目指していて「(自分たちは)そこそこできてるんじゃない?」と思っている演劇関係者が見たら震えるんじゃないか、と思うほど。

新しいアマヤドリ! 大歓迎!


(以下ネタバレBOXへ)

ネタバレBOX

大学の同窓生だった男たちがサイクリングの旅に出て、泊まった先の宿で交わす会話劇。
ハリーこと針谷が知らないうちに、他の3人は中止したはずのキャンプをやっていた。
そこに来た女の子・ミライと猪俣が付き合っている。
ミライはハリーも好きな子だ。仲間はそのことを知っていた。
彼らはハリーには猪俣が付き合っていることも、キャンプをしたことも黙っていたのだが、宿でハリーに打ち明けることになった。そしてハリーは怒り出す。

ハリーがキレていく様が本当に怖い。
まったく着地点が見えないからだ。

そこに従業員のこじらせているヤバイ奴・松本のエピソードが挿入されることで、着地点がまったく見えなくなってくるのだ。
松本は「どうすれば満足なんだ」に対する答えがないからだ。
同様にハリーの怒りも、とても冷静で論理的なので、逆にどうしたいのかが見えてこない。

金沢と江田は、実際は自分たちのの話なのに、なんとなく猪俣の話、猪俣と針谷の話に変化させていく。さらに江田はずるく立ち回る。
自分たちが「悪者になる」とかならないとかという会話は、他人事だから出てくるものだ。

だから針谷の怒りに対して、「まあまあまあ」の感じで接しているから、針谷の論理的な怒りには対応し切れていない。

と思っていたら、ぐらりと状況が回転した。

針谷の真意は、同じ会社の猪俣を人員整理したいということだったので、キャンプのことも付き合っていることも知った上で、怒ってみせていたことを明かす。

針谷は論理的に、つまりどこか冷めた頭で怒っていたので、自分の仕掛けた罠を客観的に見てしまったのだろう。だから、自分に嫌気がさして本心(罠であること)を仲間に告白してしまった。

そこに至り、本当に「自分がどうしたいのか」がわからなくなってしまったのだろう。「怒りの着地点」からの移行されていく様がいい。

彼の気持ちの揺れ動きの表現がかなり良い。
そして観客にそのことをきちんと分からせるために、宿の主人・園田が、彼の気持ちをくみ取りながら、話が納まる方向を占めそうとする。カウンセリングのように。
そもそもこの宿は、「行き場のない奴のたどり着く先」みたいな話だったので、宿の主人・園田はこうした面倒くさい人の対応は心得ている、という設定がきちんと活きているのだ。

蜘蛛の巣のように、張り巡らされた設定がすべて上手く絡み合っている。
本当に上手い戯曲である。
さらに台詞やシーンの緩急、動静のリズムが気持ちよく、さすが広田淳一 さんの作・演出であると思わざるを得ない。

シリアスな会話が交わされるのだが、笑いもある。
真剣な他人の会話は、外から見ると面白いというのもあろう。
「フラットな」「ドローン」「ごめんを返す」なんて台詞の面白さもあった。

そして役者たち。素晴らしい。

針谷役の石本政晶さんが、かなりイヤな感じでねちねちと仲間を責め立てるのが、上手すぎ。冷静な顔で責め立てる。こんな風にされたらどうしようもない。

そして江田役の倉田大輔さんがスゴすぎる!
今までもアマヤドリの作品で見て、「ちゃらいのが上手くて、テンポのいい俳優さんだな」とは思っていたが、今回は驚くほどの上手さだった。
台詞の切り返し、気持ちの切り返しの上手さに驚く。ちゃらくてイヤな奴(笑)が、無意識に自分だけを守ろうとして躍起になっている感じが良すぎるのだ。

アマヤドリには、「化け物だ」と思うぐらい凄い役者・成河さんがいたし、そして中村早香さんという、グイグイ来るわけではないのに、つい引き込まれてしまう上手い役者さんもいる。

アマヤドリには、磨かれるとぐいっと出て来る役者さんが常にいるという印象が、倉田さんの登場でさらに強まった。磨き方も上手いのではないか。
この作品を観ると、さらに次にぐいっと出て来そうな人たちもいるようだ。

すでに次回作が楽しみになっている。
九回裏、二死満塁。

九回裏、二死満塁。

パラドックス定数

中野テルプシコール(東京都)

2017/06/10 (土) ~ 2017/06/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

パラドックス定数は、昭和の事件等を取り上げる作品が多いので、社会派の印象がある。
しかしその根底には「男のロマン」「男の哀しさ」がある。

(ネタバレBOXにも少しだけ書いています)

ネタバレBOX

今回の作品はまさにいくつかの時空が重ね、男たちのドラマが描かれる。

セットとして階段状のものが舞台中央にある。
これの使い方がなかなかいいのだ。

場所の設定が瞬時にわかるだけでなく、高低差によって登場人物たちの関係や気持ちを察することができる。

時空の重なりが絶妙で、瞬時にその時間・場所に移動するのは演劇ならではであり、その切り替えの演出と役者の対応がとても上手い。

彼らに起こった出来事の真相が明らかになってくるのだが、そのストーリー展開の内容より、それに彼らがどう対応し、何を考えていたのかがテーマとなっているのであろう。

胸に迫るシーンもある、いい作品だった。
やっぱりパラドックス定数は、好きだなぁ。
出てこようとしてるトロンプルイユ

出てこようとしてるトロンプルイユ

ヨーロッパ企画

本多劇場(東京都)

2017/10/20 (金) ~ 2017/10/29 (日)公演終了

満足度★★★★

面白い! ヨーロッパ企画にはハズレはない。
1930年代のパリが舞台。

もともとセットありきの作品が多いが、今回もセットの仕掛けで驚かせ、笑わせてくれる。

「繰り返し」は、笑いの1つの要素としてはあったのだが、今回の繰り返しの多さは予想外すぎだったが、やっぱり大笑いしてしまった。

忉利天(とうりてん)

忉利天(とうりてん)

フェスティバル/トーキョー実行委員会

あうるすぽっと(東京都)

2017/11/10 (金) ~ 2017/11/11 (土)公演終了

満足度

中国の作家による作品。
延々とグロテスクなだけの作品。
単にグロなだけで楽しくはないし、飽きてしまう

(ネタバレboxに少し書いてます)

ネタバレBOX

どうやら元々はクラブでのライブ・パフォーマンスであったものを劇場用として再編成したらしい。
確かにクラブでのパフォーマンスとしてならばアリかもしれないが。

さらにその劇場用作品は、登場人物25名、上演時間2時間半のものであったという。
今回は、音楽を含めて5名、上演時間は約70〜80分。
しかも元は物語があったのだが、「その部分だけカット」したらしい。
で、残ったのがグロでしかないコレだ。

キャストの数や上映時間の制限がわかっていたならば、別の作品を用意すべきだっと思う。
非常に中途半端なモノを見せられたという思いだけが残る。

グロいのはすぐに飽きてしまうので、70〜80分でも退屈してしまった。
男女逆転版・痴人の愛

男女逆転版・痴人の愛

ブス会*

こまばアゴラ劇場(東京都)

2017/12/08 (金) ~ 2017/12/19 (火)公演終了

満足度★★★★

谷崎潤一郎の『痴人の愛』をベースとして、登場人物の男女を入れ替えた作品。
最初に思ったのは、「男女逆転版」とわざわざ入れる必要はなかったのではないか、ということ。
劇場に足を運び、「え! 逆なんだ!」のほうが面白くなったと思う。

(ネタバレBOXにも少し書いています)

ネタバレBOX

谷崎潤一郎の『痴人の愛』は、男が少女を自分の妻にしようと育てようとするが、意のままにならず、彼女に振り回されるてしまう、というストーリーだ。
それを40代の女性が、まるで小鳥を飼うように、10代の少年を育てるというストーリーに置き換えたことで、新たな物語が生まれた。

インモラル度がアップしたし(当社比・笑)、主人公の少年の若さに対するねたみのような憧憬から生まれる哀しさが出てきた。
さらに谷崎潤一郎版『痴人の愛』にはないラストへ、一気にヒートアップしていく。
もやっとした感じで、「それでも生活は続いていく」にはならないラストだ。

ラストはドラマチックになりすぎた感はあるが、ストーリー展開と、主人公や登場人物たちの気持ちの高ぶりからは、これしかないと思わせた。

主人公の安藤玉恵さんは、脚本で独白が多すぎることで、「情念」を醸成するには気持ちの継続時間が足りなかったようで、もったいないと思った。
マスターなど数役をつとめた山岸門人さんが、まるで別人のような切り替わりで、それぞれの登場人物を見事に描いた。
グランパと赤い塔

グランパと赤い塔

青☆組

吉祥寺シアター(東京都)

2017/11/18 (土) ~ 2017/11/27 (月)公演終了

満足度★★★★★

「人と人とのつながり」その本来の姿。

青☆組を初めて観たのは、たぶん10年近く前になる。
アトリエ春風舎での公演『雨と猫といくつかの嘘』だ。
そのときに「上品だ」と感じて、そう感想にも書いたと思う。

そして、その「品の良さ」は今もずっと続いている。
こんなに品の良い作品を生み出している劇団は、ありそうでない。

さらに最近はそれに「風格」も加わった。
それはここまで続けてきたことの、自信なのかもしれない。

(以下はネタバレboxへ)

ネタバレBOX

この作品は、登場人物が多いにもかかわらず、1人ひとりに愛情が込められているので、物語に深みがある。
彼らの背景についていちいち細かく書き込まれていないのに、その背景が台詞の端々からうかがえるのだ。
これが「品の良さ」の源泉であるし、「風格」にもつながっているのではないだろうか。

今回は(も)、作の吉田小夏さん自身につながる家族の話がベースにある。
「もはや戦後ではない」と言われた頃から東京タワーが完成する、昭和30年代前半が舞台である。
1956年ごろから1958年ごろではなく、あくまでも「昭和」30年代前半なのだ。
西暦ではなく元号「昭和」で切り取られるべき世界。

青☆組は、『パール食堂のマリア』など、この作品と同時代を舞台にしたものはあるが、現代を舞台にした作品であっても、「平成」と言うよりは「昭和」の香りがする。
それは古くさいということではなく、「人のつながり」においてスマホやパソコンで「つながっている」と「勘違い」している「平成」の世界ではなく、「人と人」が「顔を合わせ」ることで「つながっている」世界があった時代ということだ。
その時代が「昭和」のイメージに重なり、確実に行われていたのが、高度成長期が始まる前あたりだった。
戦争からようやく一段落して人心も落ち着き、さあがんばろうという時期。

そういう「人と人とのつながり」こそが本来の人の姿である、としているのが青☆組ではないかと思うのだ。
だから殺伐とした話になるはずもなく、「わかり合えないこと」があったとしても、「信頼できる関係」を築くことができる。

この作品には、「家族ではない」つながりの人々が出てくる。
従業員やお手伝いさんだ。
しかし、彼らも「家族」の一員としてそこにいる。もうひとりの母、古い友、良き兄、弟として。
だから楽しいこともあるが、苦しくなることもある。
それこそが人と人とのつながりではないか、ということを示してくれている。

東京タワーと同じ歳の私としては、この作品で描かれる生活や家族は、その時代(作品の時代には生まれてなかったりするが)に体験したものと比べてピンとはこないのだが(しゃべり方だったり台詞内の単語だっり)、その「空気」には懐かしさに似た匂いを感じる。「確かにそんな感じだった」「家族の会話」や「人々の佇まい」「居住まい」は、と。

それは単なるノスタルジーではなく、「やっぱりそうなんだよな」という、反省にも似た感覚だ。
つまり「人は自分を取り巻く人たちの幸福を願い、きちんとつながっていくのがいい」ということだ。

しかし人とつながることは、甘い話だけではなく、例えば今回の作品で言えば、若いお手伝いさんの過去の話を聞き、求婚した男に「それでもいい」と軽々に言わせないところが、現実的である。こうしたエピソードが作品を物語の上からもきちっと締めている。
登場人物を愛するあまりに、ここはハッピーエンドにしたいところだとは思うのだが、そうしないところが、吉田小夏さんの上手さではないだろうか。

青☆組の公演は、吉祥寺シアターサイズの大きな劇場では、セットに高低差を作っている。
これの使い方が非常に上手い。
人の出し入れが左右、上下、さらに前後と立体的で、効果も上がっている。

登場する役者さんたちはどの人も良かったのだが、特にお手伝いさん役の大西玲子さんが印象に残る。
彼女は幼児からネコ(笑)まで演じる女優さんだが、今回は彼女の上手さが滲み出ていた。

彼女の腰の据わり方がいいのだ。そこから見えるのは、この一家への愛情。
全体が浮き足立つようなシーンの中にあっても、しっかりと腰を据えて立っている。
そのことが作品全体にも効いているのではないだろうか。
歳を重ねるごとに、さらに深みを増して良くなっていく役者さんではないかと感じた。
今後が期待される。

あと、やっぱり「歌」。
青☆組の「歌」のシーンはいつもグッとくる。楽しいシーンであってもグッときてしまう。
その人を知らず

その人を知らず

劇団東演

あうるすぽっと(東京都)

2017/06/29 (木) ~ 2017/07/10 (月)公演終了

満足度★★★★

文学座・文化座・民藝 ・青年座・東演という新劇5劇団の合同の公演。
三好十郎の戯曲は骨太で、どれも面白い。
キリスト教(というよりは主人公の信じる神)の教えを守り、召集を拒み続けた男が主人公。
彼の戦中・戦後。

(以下はネタバレboxへ)

ネタバレBOX

前に東京デスロックで観たが、それとは違った印象。
東京デスロック版では主人公(夏目慎也さんが演じた)が、実際に十字架に掛けられているように丸太に両手を縛られて演じていた。
彼を縛るモノは彼の中にあること、そしてそれは誰から見ても明らかであり、主人公に対する視線が強化されていた。

それに対してこちらは、主人公を取り巻く人々の視線、戸惑いや憐憫、そして自らに戻ってくる痛みといったものを痛烈に感じさせた。
彼自身のことよりも、彼の行動により「巻き込まれてしまった」人間の哀しさを感じたのだ。
「転向しないと生きていけない」世の中において、主人公の存在は、「痛い」ものである。誰もが正しいと思っても同じことはできるはずがない。
主人公を取り巻く人々の後ろめたさが、逆に主人公の存在の「怖さ」を浮かび上がらせた。

タイトルにあるものと同様の台詞がラストに出てくる。
それは聖書の中の一節だが、使われ方は聖書とは異なり真逆。

ここまでのシーンで登場するのは、主人公の行動に「巻き込まれてしまった人々」だったのだが、ラストの台詞の男は、主人公の心に触れたことで「自ら変化することを選んだ」ということではないだろうか。
異常とも思えるほどに頑なに自分の信じる神に従ってきた主人公が、本当の意味で影響を与えた唯一の、あるいは最初の、1人なのかもしれない。

彼を助ける一言に対しても彼は嘘をつくことができず、連行されてしまう。
どこまで行っても「彼は彼」であったいうことなのだ。
とても苦しい話である。

鵜山仁さんの演出は確かだ。思わずこみ上げてきそうになるシーンもあった。
新劇5劇団の合同公演だけあって、演技はオーソドックスで確実。とてもわかりやすいし感情移入しやすかった。中でも山本龍二さんが印象に残った。
忘れる日本人

忘れる日本人

地点

KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)

2017/04/13 (木) ~ 2017/04/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

地点がKAATで行う公演は、とにかく驚かされる。
ほかの劇場では不可能ではないか、と思うような大がかりなセットが組まれることが多い。
そして、地点の役者(演出)たちはそのセットに負けないぐらいキョーレツである。
上手いのである。

(以下ネタバレboxへ)

ネタバレBOX

今回劇場内に入ると舞台の真ん中に木造船が置いてあった。
演劇のセット用に作ったとは思えない、本格的な木造船だ。
たぶん本物だろう。重さも十分にあることは後ほど判明する。

使われるテキストは、松原俊太郎さんの作。
このテキストが滅法面白い。
とにかく面白いので、カットアップされていたとしても聞き入ってしまう。

いつもの地点節的な節回しがあったりなかったりなのだが、それとのマッチングが見事。

地点はセットの驚きだけでなく、役者に無理を強いているように感じるのが特徴でもある。
舞台の上を延々と走らせたり、坂になった舞台を上らせてみたりと。
今回は足を擦りながら歩かせる。「摺り足」とも微妙に違い、足をずりずり動かしながら移動する。
これは結構大変だ。

さらに重そうな木造船を御神輿のように担がせる。
木造船は御神輿の担ぎ棒のように丸太の上に固定されている。
実際役者だけでは持ち上げることができずに、観客の参加を促す。
そしてなんとか持ち上げ移動させる。

ヒモで区切られた中にあって、見えない壁のようなものから出るとノイズがする趣向もある。

役者の衣装には日の丸のシール。
そして台詞の合間には「わっしょい」のかけ声。
木造船を御神輿のように担ぎ上げるので「わっしょい」とはそのことか、と思いつつも、「わっしょい」の言葉の多さと日の丸に、ハタと気づく。

確か「わっしょい」の語源は「和を背負う(わ を しょう)」ではなかっただろうか。
つまり「和=日本」を「背負う」のだ。
そこでタイトルの『忘れる日本人』だ。

日本人はいろいろ「忘れて」きた。「忘れたことにした」。
「針」のように身体を刺すものがあって、それを感じたり感じなかったりしながら。

重くなった「日本」をかけ声とともに、人々は手助けしながら背負う。
「声をかけたら」「手助け」してくれるのは舞台の上から声をかけたときだけなのか。
これからもずっと背負わなくてはならないのだろうか。

ヒモで区切られた狭い世界の中で、外に出ることも出来ず(出るとノイズ)、重くなった日本を背負いながら右往左往する姿は、今の、そしてこれからの「日本人」なのだろうか。
わたしが悲しくないのはあなたが遠いから

わたしが悲しくないのはあなたが遠いから

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2017/10/07 (土) ~ 2017/10/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

イースト&ウエストの両方を見終わる。

(以下のネタバレboxへ)

ネタバレBOX

ほぼ同じ戯曲が同時に2つの隣り合わせの劇場で上演された。
一部役者の行き来がある。

2つを観て思ったのは、常に「一人称で語ることができるのは、悲劇に見舞われ命を落としてしまった人の隣にいる人」だということ。
命を落としてしまった人たちは、一人称で語ることはできず、三人称で語られる。
「隣の人(あなた)」となったときに二人称になってくる。
「手をさしのべる」ということは、三人称を二人称にすることではないだろうか。

「見ず知らずの人」ではなく「隣の人」となることで、亡くなった人々が、「わたし」にとって「実体」を持つ。
それが「手をさしのべる」こと。

この戯曲は、ほとんどがモノローグと状況説明によって構成されている。

「わたし」と「あなた」の関係性は、東西両方の劇場で同等に扱われている。
そのことで、世界は「わたし」と「あなた」としかいないように感じる。

オニビの台詞から思うに、演劇(演劇に限らず当事者以外が行うすべてのこと)にできることは何なのだろうか。
例えば演劇で災害やテロなどを語ることは、「手をさしのべること」になるのだろうか。
それが「隣人」にできる唯一のことなのだろうか。
共感は無理だから…か。

「見ず知らずの人」を「あなた」にして、世界を観ることは大切なのかもしれない。
「悲しみ」を「順番こ」に背負うことはできないが、「思うこと」「考えること」はできる。
もどかしいけどしょうがない。
少しでもこの世界を「良い世界」にするにはそれぐらいしかない。
わたしが悲しくないのはあなたが遠いから

わたしが悲しくないのはあなたが遠いから

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2017/10/07 (土) ~ 2017/10/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

東京芸術劇場シアターイーストとシアターウエストという隣り合った劇場で同時に行われる公演。

(以下はネタバレboxへ)

ネタバレBOX

東京芸術劇場シアターイーストとシアターウエストという隣り合った劇場で同時に行われる公演。

2つの隣り合った劇場で行われる公演。「隣り合った」が作品をより具体化する。他人の悲しみや痛み、苦しみは理解することはできないが、「隣人を想うこと」はできる。
さらに言えば「隣人を想うことができるか」「想うだけでもいいのではないか」ということ。
被害に遭う者の「隣人」となった者にも、痛みも悲しみもある。

「隣人」とは単に友人・知人ではなく、すべての人を指すのではないだろうか。「私」の傍らにいる「すべての人々」。

知らない「隣人」であっても、具体的に何かできることはなくても、「気持ちの手」はさしのべることができる。
きっとできると思う。
それが「隣人を想うこと」ではないだろうか。
そんなことを思った。
「ベルナルダ・アルバの家」

「ベルナルダ・アルバの家」

無名塾

無名塾 仲代劇堂(東京都)

2017/11/23 (木) ~ 2017/12/03 (日)公演終了

満足度★★★★

仲代達矢さんが主催する無名塾の稽古場公演。
仲代劇堂は、仲代達矢さんの自宅稽古場だが、素人目にも都内にある多くの小劇場と比べてもかなり設備はいい。

『ベルナルダ・アルバの家』は、スペインのロルカが銃殺される2カ月前に書き上げた作品。つまりロルカの最後の作品だ。

(以下はネタバレboxへ)

ネタバレBOX

夫を亡くし、8年間喪に服することを5人の娘たちに科そうとする母。その姿は強権的で独裁的。ロルカの生きた時代のスペイン、つまりフランコの独裁を暗示しているようだ。

「家」の「格」を守るために、娘を嫁に出すことさえもしない母。上の娘はすでに39歳になっている。
家の壁の「こちら側と向こう側」にこだわる。つまり「体裁」を気にしているのだ。

しかし娘たちは母の思い通りにはならない。「血のつながりではなく男」の台詞が印象に残る。

あえて女性だけの設定にしたのは、「男女の違い」といったような支配される側とする側の「違い」を感じさせないためではないだろうか。
「外」ではなく、「中」の問題。同じ国民たちの問題。

ラストは「家の崩壊」を予見させながら、さらに悲劇的である。
「血」をもって現状を破るしかないということなのか。

母役の岡本舞さんの強い存在感。例えば、娘に振り上げる杖が、本当に殴りそうなほどの気迫を感じた(役者は、この場合、制止されることがわかっているので、それを想定した動き、つまり動きが止まってしまうことが多いのだが)。

台詞の噛み合い方が気持ちいい。
2階や舞台としての段差などを使ったりする立体的な演出もいい。

演劇では、実際の年齢とは異なる役を演じることがあるが、なぜか実年齢よりも若い役は無理をあまり感じないのだが(例えば30代で小学5年生を演じても)、実年齢よりもわずか10歳年上を演じてもなぜか違和感を感じてしまう。結構不思議だ。もちろん中に年寄り役がはまる人も、いるにはいるのだが…。
この舞台でも実年齢よりも上の役を演じていた俳優さんがいたのだが、動きや台詞回しを工夫しても、やはりしっくりこない。
熱演なんだけど……。
『なんども手をふる』ご来場ありがとうございました。

『なんども手をふる』ご来場ありがとうございました。

Antikame?

ギャラリーLE DECO(東京都)

2017/11/29 (水) ~ 2017/12/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

静かすぎる舞台の上に、人のつながりと、ふわっとした、うまく言葉にできない不安を鮮やかに描いた。

(以下はネタバレboxへ)

ネタバレBOX

「静かな舞台である」と開演前にアナウンスがあったが、本当に静かなシーンが連続する作品だった。

静かなのは、普通に会話しているということもあるが、ほとんどがモノローグで構成されているからだろう。
ル・デコというギャラリー公演にふさわしい内容であるとも言えよう。
モノローグ率が全体の80%(個人的な印象)な作品ということもあり、「小説的」な作品でもあった。

モノローグが多いのだが、退屈はしない。

先日観た、ままごとの柴幸男さんの作品『わたしが悲しくないのはあなたが遠いから』もモノローグが多用されていた。
しかし、それとは印象が異なる。こちらのほうがより内省的なのだ。説明ではなく。
しかも、それが1人の主人公が語るモノローグてはなく、4人の女性が並行して語る。

それぞれの人物の背景は書き込まれていないのに、その人が浮かび上がる。
しかし、くっきりとした輪郭を持つわけではない。
4人の女性たちは、ゆるく触れあい、淡い雑踏の中に消えていく。

ラスト近くの手を振るのを「見る側」からの台詞が、かなりぐっとくる。

キャスティングがいい。
特に4人の女性の。
衣装も相まってその人が形を帯びてくる。

それぞれの女性の描き方が上手い。
そして交わされる会話がかなりいい。少ないけれども。

ふわっとした、うまく言葉にできない不安が、4人の女性たちの上にぼんやりとある。
それが日常の一部であり、明日もまた「日常が続く」のだ。
そのことが印象づけられる、それぞれの女性たちの「結び」(終わりではなく)が上手い。

大塚由祈子さんが、出会い系で出会った男と交わす会話の中で、かなりいい表情をする。
その相手の男役の檀上太郎さんは、悲しいほど適役。

俊えりさんと新納だいさんの微妙な年齢差と、その会話もいい。それぞれの「人」が見えてくる。

ラスト近くで、40代の夫が見せる行動は、イカニモな感じ、というか狙いすぎて、せっかく積み上げてきた世界観を壊してしまったのは残念。
本当にそこだけが残念。

Antikame? は初めて観る。
出演者からのツイッターによるDMで案内された。
これも縁なので、行けそうであれば行くことにしている。
お陰で新しいカンパニーに出会えた。
次回作も期待できそうだ。

久しぶりに渋谷のギャラリーLE DECOに行ったが、改装されていたことを知らず、つい、通り過ぎてしまった。中も白を基調としてきれいに改装されていた。

海の賑わい 陸 オカの静寂―めぐり

海の賑わい 陸 オカの静寂―めぐり

山海塾

新国立劇場 中劇場(東京都)

2017/11/25 (土) ~ 2017/11/26 (日)公演終了

満足度★★★★★

美しい! とにかく美しい! 
肉体が音楽や舞台装置と一体となる動く彫刻。
年齢それぞれの肉体がある。

残念なことに天児さんが体調不良で出られなかったため、2015年に観た初演とは少々雰囲気が異なった。
天児さんが1人で踊るとはの緊張感が、たまらなく好きなのだ。
天児さんの病状は快方に向かっているとのことで一安心。

半眼の蝉丸さんは生きている仏像のよう。
岩下徹さんのシャープなカッコ良さ。

山海塾は、日本では2年に1度ぐらいしか観ることができない。
海外での公演が多く、すでに700都市を巡っているという。
今回の公演は再演ながら貴重なものであった。

舞踏の公演が、国立の劇場主宰として開催されるのは、初めてだという。意外だった。
そして来年は、舞踏のもう1つの柱、大駱駝艦が新国立に登場する。期待大

Die arabische Nacht|アラビアの夜

Die arabische Nacht|アラビアの夜

shelf

The 8th Gallery (CLASKA 8F)(東京都)

2017/06/02 (金) ~ 2017/06/05 (月)公演終了

満足度★★★★★

一般的に思い浮かべる「演劇」とは別のところにあり、扱いにくいはずなのに、面白過ぎるという、結構面倒くさい(笑)戯曲『アラビアの夜』。それをshelfだから見事に捌くことができた。


(以下はネタバレboxへ)

ネタバレBOX

ホテルやカフェがある、おしゃれスポット(笑)CLASKA内のギャラリー公演。
shelfにはこういう、いわゆる劇場とは異なる空間での公演が似合う。

shelfの公演は、舞台があって客席があって、舞台の上では演劇を、客席には観客が、という「安定した場所」を嫌うところがあるからではないだろうか。
つまり、「日常の中」に「異物」のように「演劇」が入り込むという感覚がshelfの得意とするところ。
なので、セットを組んだりしないし、装置も極めて少ない。

役者の台詞と演技(演出)ひとつで、日常に異空間の空を広げて見せてくれる。

今回の作品は、まさにその最たるものであったと思う。

時間、空間を、不自然に行き来するのだが(マンションの階数が異なる空間だったり、砂漠だったり、瓶の中だったりする)、観る側にはそれは苦にならずにすんなりと入り込むことができる。
空間が異なる登場人物たちが、「同じところ」にいるのもかかわらず、すんなりと飲み込める。

今までのshlefでは「台詞の間」にイメージが広がっていたが、今回は「台詞そのもの」でイメージが広がり、さらにもう一歩奥への広がりが、観客にゆだねられる感覚であった。

その「ゆだね方」が見事だ。無理がまったくない。

shlefの舞台では、例えば『小さなエイヨルフ』という作品を上演しても、場面展開や場所の移動は、舞台の上に「イメージの世界」を出現させるだけて、セットを変えるなどということをするわけではない。フィヨルドであっても家の中であっても、観客が実際に目にしているのは「素の舞台」である。
そういう意味において、今回の作品はshlefにふさわしい作品だったとも言える。
ほかの劇団であったら、そのあたりは苦労したのではないかとも思う。

結構、取り組みにくくて、「演劇」っぽくない戯曲だと思う。
その「演劇っぽくない」戯曲はローラント・シンメルプフェニヒの作。

これがとにかく面白すぎる。
おっ! という展開から、おおお! となる。
ほぼ全編が登場人物たちの独白で占められ、誰もが考える「演劇」とはかけ離れているのだが、「演劇」として面白いのだ。
この感覚は今までなかった。

つまり「演劇っぽくない」はずなのに、「演劇じゃなければ面白くない」戯曲でもある。
時空の重なり方、一瞬の変化など、「同じ舞台の上に別の時空にいることになっている役者が立っている」ということの、面白さがあるからだ。

この公演を見終わったときには、ローラント・シンメルプフェニヒの戯曲を読みたくなった。
すぐにローラント・シンメルプフェニヒ『アラビアの夜/昔の女』『前と後』を読んだ。
やはり面白い。
shlefでまた取り組んでほしいと思った。


全編奇妙な感覚で「面白い」のだが、私の観た回に「え? ここで笑う」という観客がいた。
若い男が次々と女のところで引っかかっていくあたりが面白いと思っていたようだが、そこは笑えないシーンではないかと思った。というか、非常に怖いシーンである。瓶の中や砂漠と同じぐらいの「悪夢の中」に彼はいる。
仏教的なそれぞれの「業」で「地獄」に彼(ら)はいるに違いないのだから。
ていで

ていで

ナカゴー

浅草九劇(東京都)

2017/07/26 (水) ~ 2017/07/30 (日)公演終了

満足度★★★★

ナカゴーは、毎回演劇というものを、まるで1つひとつ丁寧に確認しながら解体し、思いつくまま組み立てているようだ。

例えば開演前の舞台の上の様子、例えばあらすじの紹介、例えば台詞や動作の変な引っ掛かり、例えば下に置いた照明、今回はそれほどではなかったが、度を超した繰り返し台詞……等々。
解体して組み立て方をわざと間違えているような、そんな感覚もある。

「ていで」ってそういう意味なのか。確かにいろいろな「ていで」で私たちは生きているな。
今までの「凄まじく狂った感」がないが、それでも面白いのは確か。金山寿甲さんの上手さが日常との接点。
しっかりした劇場なのに照明はいつものナカゴーのまま(笑)。

朝鮮総聯幹部の息子

朝鮮総聯幹部の息子

劇団 鳳仙花

新宿ゴールデン街劇場(東京都)

2017/10/25 (水) ~ 2017/10/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

劇団鳳仙花 旗揚げ公演。

俳優の李昌赫さんが自分自身の体験をもとにした舞台。
朝鮮総聯幹部の息子であり、親の期待を裏切り役者になりたいという主人公が李昌赫さんなのだ。

製作・監修の松枝佳紀さん(劇団アロッタファジャイナ)のツイートで知り、昨今の情勢もあり、非常に気になり出かけた。

(以下ネタバレboxへ)

ネタバレBOX

タイトル通り「朝鮮総聯幹部の息子」として経験した様々な出来事が語られていくのだろうと思っていたら、確かに前半はそうであった。

特殊な環境ではあるが親が思う子ども将来像に当てはまらない希望を子どもが持ってしまうことへの、親子のぶつかり合い、という視点からであると、(極端すぎるのだが)まあ、「あるあるなのかな」と思っていたが、その「特殊な環境」は考えている以上のものであり、押さえつけられて生きてきた主人公にとり、とても厳しいものになる。

さらにラスト前からの展開は、血を吐くようなものになっていく。
血を流さないと終わらない物語なのだ。
心に響いた。

主人公の(元)恋人と主人公の母親を同じ女優さんが演じていた。
母親と同じような人を愛してしまう息子の感覚を表現しているのではないかと思っていたのだが、ラストでその本来の意味が一気に姿を現した。

息子が恋人を刺してしまうのだ。
つまり、恋人を刺してしまう主人公は、同時に「母親殺し」をしてしまう。
寺山修司のような展開に震えた。

しかも、主人公が恋人を刺すことで選んだのは父親であり、「同胞のために役者になる」と言い続けた主人公の言行と一致していく。
それが彼が選んだものだったのだ。

自分自身の一番根っ子の部分を、旗揚げ公演で露わにした。
次はどういう展開で作品を作っていくのか、気になる。
しばらくは目が離せない。

朝鮮総連、民団(在日本大韓民国民団)、済州島(チェジュとう)出身者のこと、等々、公演を観るためにある程度知っていたほうが良い知識があるので、当日パンフあたりに解説があればよかったと思う。

この公演の前の時間に、イギリスのミュージシャン、ピーター・ハミルの歌詞についてのディスカッション・イヴェントに参加した。
彼は「自分の書いた歌詞には自分があらわれている」「しかし、告白はしていない」(「告白」には宗教的な意味合いも含まれるらしい)と言った。

そしてこの舞台である。
主人公であり、作・演出をした李昌赫さんは、この作品で「告白」まで行ったのだろうか。それが帰り道ずっと頭の中をぐるぐる回っていた。
ななめライン急行

ななめライン急行

ホナガヨウコ企画

吉祥寺シアター(東京都)

2017/12/01 (金) ~ 2017/12/10 (日)公演終了

満足度★★★★

ダンス+演劇、みたいな公演は意外とよくある。
舞踏+演劇、なんていうのも珍しくない。
(余談ではあるが、ダンス+演劇(的要素)のカンパニーであれば、ミクニヤナイハラプロジェクトが最強ではないかと思う)

この作品もダンス+演劇(さらに+音楽もあるが、まあ音楽はダンス公演では欠かせないのだが)であり、つまり「ダンス+演劇」が斬新だ! とは言えないぐらいの、それだけでは「売り」にはならない中での公演。

まずはダンスである。
とにかく4人のダンサーが素晴らしい! 
彼らのダンスはいつまでも観ていられる。
出演者全員がハイレベルな感じはなかなかない。

ホナガヨウコさんはダンサーであり、振り付け師でもある。
NHKの『シャキーン』とかMVなどの振り付けもやっていたと思う。
だから(こちらの思い込みか)「振り付けされたダンス」の印象が強い。それぞれのダンサーから溢れてきたダンスというよりは。
振り付けをきちんと踊っている、という感じ。
でも上手い。惹き付けられる。

中でも杉山恵里香さんのしなやかさにキレがあるダンスがカッコいい。特にさよならポニーテールの曲のときの。
上田創さんの武道的なカタもきまっていた。
ただ1人ダンサーではない新谷真弓さんのキャスティングもナイス!

さよならポニーテールの曲の振り付け&ダンスもさすがだ!
MVを観ているようで、楽しい。

残念ながら演劇パートがもうひとつ。演出次第でもっと面白くなりそう。
ストーリーは単純だが、悪くはないのだから(上からの偉そうなコメント? 笑)。

神々の黄昏

神々の黄昏

新国立劇場

新国立劇場 オペラ劇場(東京都)

2017/10/01 (日) ~ 2017/10/17 (火)公演終了

満足度★★★★

『ニーベルングの指環』の3日目にあたる作品。
上演時間5時間55分(!)

さすがにお腹いっぱい! かと思っていたら、そうでもなく楽しめた。
非常にわかりやすいのは、演出の力なのだ、と納得。

「槍」を象徴的にイメージした装置類。中央に刺さるような槍の穂先が、場面に効いてくる。
抽象的でシンプルなセットなのだが、もう少し何かあってもよかったのかな、とも思う。

ジークフリートは、英雄というよりも、ぽっちゃりの体型と、落ち着きがなかったりする演出のためか、やんちゃな暴れ者というイメージ。
ブリュンヒルデが上手い。

読響の演奏はとても良かった。

『ゴールデンバット』『セブンスター』

『ゴールデンバット』『セブンスター』

うさぎストライプ

アトリエ春風舎(東京都)

2017/11/29 (水) ~ 2017/12/09 (土)公演終了

満足度★★★★

『ゴールデンバット』

地下アイドルが主人公の1人芝居。
面白い!!

(以下はネタバレboxへ)

ネタバレBOX

地下アイドルが観客に語りかけるという設定なので、一人芝居であることに無理がなく、物語に入りやすい。

菊池佳南さんの熱演&昭和歌謡&フォークの熱唱で、主人公がどんどん魅力的になっていく。
そういう中で、彼女の生きる力の強さも同時に感じる。
「生きる力の強さ」というのは、「彼女ならば、この先もなんとかやっていけるだろう」と思わせるような、そんな感じのことである。

さらに年齢が彼女の2倍ぐらい上の、かつて歌手を目指していた瑛子の人生と、徐々に重なり合い、ラストのカーペンターズの『Yesterday Once More』で2人が交差するラストは感動的。
なんていい選曲なんだろう。

主人公は何度か設定を変えている地下アイドルなのだが、現在は喪服の似合う未亡人アイドルという設定になっている。
これって、彼女を捨てた元彼への当てつけなんだろうか(笑)。
『ゴールデンバット』『セブンスター』

『ゴールデンバット』『セブンスター』

うさぎストライプ

アトリエ春風舎(東京都)

2017/11/29 (水) ~ 2017/12/09 (土)公演終了

満足度★★

『セブンスター』

一人芝居って、面白くするのが難しい。
役者の力量がモロに出てしまうし(相当なレベルが必要)、演出も複数の役者が出てくるものとは、気の使い方が異なると思う。

(以下ネタバレboxへ)

ネタバレBOX

いい感じ系の話だが、兄に対する憧れ度というか、兄の魅力自体がわからないのと、小6ならば種子島がどこにあるのかぐらいわかるだろう! という突っ込みでストーリーに乗れず。

この話は、「弟と兄」の関係を軸に、弟から見た話に集中すべきではなかったのか。
それがテーマになっていくのだから。

「兄のしてくれた話を友だちに(学校で?)話す」なんて台詞があったのだから、弟が塾で仲良くなった女の子を家に呼んで、宇宙の話をするときに、そんな感じが出るべきであろうし、言葉の端々に「兄」のこと「兄自慢」みたいなことが出てもよいのではないか。
最初のガレージ(?)をスペースシャトル内に見立てたシーンの台詞にも「兄」が出てくるべきではないかと思う。「兄の作ったこのスペースシャトルで…」みたいな。

兄のほうは中学でタバコを吸っているし、途中で学校にも行かなくなっている。せっかくそんな展開があるのだから、弟の兄に対する憧れも嫌悪に変わってもいいのではないか。そしてまた「誇れる兄」になっていき、現在に至るという心の変化も出せたはずだ。

小学校6年生ぐらいであれば、種子島がどこにあるかぐらいは(ロケット打ち上げを知っているのであれば、ニュースなのか兄からなのか、そのソースはわからないが)わかって当然な気もする。

さらに小学校高学年になるとスポーツタイプの自転車を買ってもらうことが多くなり、友だちと遠出をすることも始まる。そのときには、ます違いなく地図で行き先の道順を確認する。実際、自分たちもそうして、サイクリングをした。そうしなければ、家からどう行くのか方角もわからないからだ。したがって、何も考えずに海に沿って、みたいなことはあり得ないなあ、と思いつつ観ていた。小学校低学年ならばあり得るけど。

せめて演出か演技にキレがあって勢いで見せてくれれば…。
シーンの切り替えとか、もう少しどうにかならなかったのかなあ。

劇場の壁を黒板のように使っていて、チョークで絵を描くのだが、それがそれほど効果的ではない。せっかく黒板あるのにホワイトボード使う必要があった? 
むしろ黒板を使ったほうが、他の絵と混ざって効果的だったと思うのだが。

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