わたしが悲しくないのはあなたが遠いから 公演情報 フェスティバル/トーキョー実行委員会「わたしが悲しくないのはあなたが遠いから」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    イースト&ウエストの両方を見終わる。

    (以下のネタバレboxへ)

    ネタバレBOX

    ほぼ同じ戯曲が同時に2つの隣り合わせの劇場で上演された。
    一部役者の行き来がある。

    2つを観て思ったのは、常に「一人称で語ることができるのは、悲劇に見舞われ命を落としてしまった人の隣にいる人」だということ。
    命を落としてしまった人たちは、一人称で語ることはできず、三人称で語られる。
    「隣の人(あなた)」となったときに二人称になってくる。
    「手をさしのべる」ということは、三人称を二人称にすることではないだろうか。

    「見ず知らずの人」ではなく「隣の人」となることで、亡くなった人々が、「わたし」にとって「実体」を持つ。
    それが「手をさしのべる」こと。

    この戯曲は、ほとんどがモノローグと状況説明によって構成されている。

    「わたし」と「あなた」の関係性は、東西両方の劇場で同等に扱われている。
    そのことで、世界は「わたし」と「あなた」としかいないように感じる。

    オニビの台詞から思うに、演劇(演劇に限らず当事者以外が行うすべてのこと)にできることは何なのだろうか。
    例えば演劇で災害やテロなどを語ることは、「手をさしのべること」になるのだろうか。
    それが「隣人」にできる唯一のことなのだろうか。
    共感は無理だから…か。

    「見ず知らずの人」を「あなた」にして、世界を観ることは大切なのかもしれない。
    「悲しみ」を「順番こ」に背負うことはできないが、「思うこと」「考えること」はできる。
    もどかしいけどしょうがない。
    少しでもこの世界を「良い世界」にするにはそれぐらいしかない。

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    2018/01/08 03:48

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