Takashi Kitamuraの観てきた!クチコミ一覧

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『熱海殺人事件』  vs.  『売春捜査官』

『熱海殺人事件』 vs. 『売春捜査官』

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2019/07/26 (金) ~ 2019/08/06 (火)公演終了

満足度★★★★

あの娯楽のつかこうへいを、硬派で社会派の坂手洋二がどうしてやるのかと思ったら、舞台中盤で、沖縄の辺野古に話が飛んで納得した。それでテーマが深化するというものでもないのだが、「熱海殺人事件」初期バージョンと、その変奏曲である「売春捜査官」の、猥雑できわどいシーンもたっぷり見ることができ、非常に面白かった。女伝兵衛と、殺されたハナ子を演じた木下智恵の体当たりの演技が圧巻だった。

キャッツ【7月22日~7月30日、12月8日、2月24日昼公演中止】

キャッツ【7月22日~7月30日、12月8日、2月24日昼公演中止】

劇団四季

キャッツ・シアター大井町(東京都)

2018/08/11 (土) ~ 2022/04/17 (日)公演終了

満足度★★★★

昨年8月に続き、二度目のキャッツ。さすがに最初のような新鮮な感動が味わえないのは残念だが、それでも充実した2時間45分だった。前回はゴキブリのタップダンスがやはり良かったが、今回は後半の2幕目の展開にひかれた。

展開といってもストーリーがあるわけではない。音楽とダンスの構成である。劇場猫の海賊が大暴れする劇中劇から、「線路は続くよ」のような明るい曲想の「鉄道猫」(ごみで作る機関車は、もっと見ていたかった)。一転して不気味な悪党猫の、神出鬼没でスリリングなたたかいから、さらわれた長老猫を再び取り戻す「マジック猫」のミストフェリーズの華麗なショーへ。そしてご存じ「メモリー」を歌う娼婦猫グリザベラが、見事天に昇るクライマックスへ。この最後の大仕掛けは忘れていた。

こうして書いてみても、いやあよくできた舞台である。

ネタバレBOX

今回は気張って前方の回転席で見たが、割と横からのせいか、意外と舞台との一体感を得られなかった。ほかの人も書いているが、少し離れてみたほうが、全体を見られてよいのかもしれない。
神の子どもたちはみな踊る after the quake

神の子どもたちはみな踊る after the quake

ホリプロ

よみうり大手町ホール(東京都)

2019/07/31 (水) ~ 2019/08/16 (金)公演終了

満足度★★★★

村上春樹の小説の舞台化は難しい。長編は筋を追うので精一杯だし(何より「海辺のカフカ」はそれで失敗した)、短編はスマートな文章が魅力で、孤独の雰囲気はつくるが核となるドラマ、対立が乏しい。本作も同様の困難を抱えているが、焦点を絞ったことと、短編二つを組み合わせて立体的にしたことで、比較的成功した。連作集『神の子どもたちはみな踊る』から「かえるくん、東京を救う」と「蜂蜜パイ」を原作に舞台化した。

「蜂蜜パイ」パートと「かえるくん」パートが交互に進む。「かえるくん」役の木場勝己が「蜂蜜」パートでは語り手になり、「蜂蜜」の作家である淳平が「かえるくん」の小説を書いているという、相互に浸透しあう構図がうまい。

かえるくんは「カフカ」の猫のように着ぐるみでやるのかと思ったら、カエル頭の帽子をかぶるだけで、キャラ化は抑え気味だった。おかげでベテラン木場の持ち味を生かせたと思う。

ネタバレBOX

何度か読んだことのあるものなので、筋やせりふは小説そのままで、舞台で小説を見る感じであった。かえるくんがミミズとの戦いの後、溶けて崩れて破裂するシーンは、照明を使って感じを出していた。あまり大仕掛けはなく、奇をてらわない正攻法だった。

見ながら感じたのは、「蜂蜜パイ」の話が、男二人の間で、女性を譲ったり、取り戻したりの夏目漱石得意の「ホモソーシャル」な関係を描くものだったということ。淳平が語る二頭の熊のお話は、仲良くなる場面で、淳平はやけに寂しそうで、淳平と高槻のことのように聞こえた。

淳平は高槻に小夜子を譲ったがために、自分の中の何かを決定的に損なってしまったようにみえた。村上春樹が繰り返し描く「喪失」である。淳平は、最後、失われた自己を回復し、小夜子・沙羅の母子を守ろうと男らしく決意する。小説ではそこに熊のトン吉が熊のマサ吉と再び仲直りする話があるが、舞台では省略されていた(と記憶する)。かえるくんの、とりあえずの勝利もあるから、くどくなるのを避けたのだろう。が、非常に大事なラストなので、これを本当に省略したのかどうか、自信がなくなってきた。

来年2月には「ねじまき鳥クロニクル」の舞台もあるそうだ。ホリプロ製作、東京芸術劇場プレイハウス。今度は大長編。作・演出はアミール・クリガーと藤田貴大。これもまた舞台化が成功するとは思えないが、藤田は抽象的な舞台を作る人なので、この大長編のストーリーにあまり付き合わなければ、それがうまくいくかもしれない。
Signs!

Signs!

ミュージカルギルドq.

渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)

2019/08/08 (木) ~ 2019/08/12 (月)公演終了

満足度★★★★

すっごく良かった。感動した。予想以上だった。長崎高校生平和大使の誕生や、いろんな困難や、広がりのドラマ。斬新で馴染みやすい音楽に、「ちっぽけだけど、その一歩から始まる。世界を作るのは自分たちだから」という心憎いメッセージをのせていて、心洗われた。

岩田華怜さんはじめ、20代の若手メインの総勢41人の若々しい舞台から、平和の願いがまっすぐ伝わって来る。忘れかけてた初心を思い出させてくれる、久々の熱い純真な劇だった。休憩込み2時間45分の長尺だけど、長く感じなかった。

二度目の夏

二度目の夏

森崎事務所M&Oplays

本多劇場(東京都)

2019/07/20 (土) ~ 2019/08/12 (月)公演終了

満足度★★★★★

前回の「いつも空を見ていた」が期待外れだったので、最初はパスしようかと思っていた。しかし、先に見た観劇仲間がすごくよかったというので、急遽チケットを入手。たしかによかった。夫婦とその友人の三人を中心に、男女の間柄の微妙な揺れを丹念に描いていく。

 何不自由なく育った若社長の田宮慎一郎(東出昌大)が、新婚の妻いずみ(水上京香)と暮らす別荘。スマートで嫌みのない慎一郎なのに、なぜか、いずみには少し距離がある(これが大変微妙な距離で、普通には優しい夫にしか見えない)。いずみの遊び相手に、慎一郎は後輩の北島(仲野太賀)を頼んでいる。先代からの女中の落合(片桐はいり)は、北島といずみの近さに気をもむが、そういう落合を慎一郎は、北島を侮辱するものだと一方的に批判する。

 そこに、エキセントリックな秘書の上野(菅原永二)が、若い女中の早紀子(清水葉月)につきまとう副筋がからみ、落合に付きまとう地元の電気屋の松本(岩松)が端役でコミカルさを付加する。慎一郎のスマートさの裏には経済的裕福さの優越感もあることが、北島や上野との関係からほの見えるのも、深みを増している。

 登場人物は7人。昔、若い平田オリザが岩松了の舞台を見て、自分の「静かな演劇」の道に確信を持ったと書いていた。確かに、何気ない会話を続けながら、秘めた何かを示唆するところは似ている。そして、なにより、人物の出入りによって、北島といずみ、いずみと慎一郎など、舞台上の人物の組み合わせの変化を、劇作上の推進力に使うところが一番似ている。

 片桐はいりの少々オーバーアクション気味の演技が、舞台を活気づけて、笑いを巻き起こしていた。それがくさくなく、自然体に見えるところがさすがである。
 慎一郎と落合の会話から、先代の夫婦が冷え切った関係にあったことがわかり、それが意外な結末につながっていく。はっきりとは描かないが、観客に何かを想像させる絶妙のラストだった。

第一部『1961年:夜に昇る太陽』 第二部『1986年:メビウスの輪』 第三部『2011年:語られたがる言葉たち』

第一部『1961年:夜に昇る太陽』 第二部『1986年:メビウスの輪』 第三部『2011年:語られたがる言葉たち』

DULL-COLORED POP

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2019/08/08 (木) ~ 2019/08/28 (水)公演終了

満足度★★★★★

ひさびさに弾ける社会派喜劇を見た。テーマは福島第1原発事故、第2部は具体的には、原発反対派のリーダーから、賛成派の町長に転身し、原発増設要求までやった実在の双葉町町長をモデルにした悲喜劇である。人間の愚かさ悲しさを、笑いとミュージカルでくるんだ出色の舞台である。

ワイルダー「わが町」からヒントを得て、語り手に飼い犬(冒頭で癌で死ぬので、死者の声でもある)を配して、自体を客観視する視線を確保している。それでも、東大卒の若手エリートの、口先八丁の取り繕いに乗っかって、主人公が原発反対から賛成派へ転じる第1段階、さらにチェルノブイリ事故後、「日本の原発は安全です」と歌い踊る第二段階、見事な皮肉だった。このミュージカルシーンは、笑いを通り越して泣けた。

サルトルやハイデガーを犬が語るのもご愛嬌である。主演の岸田研二の東北っぽい(訛りそのものではない)朴訥な台詞回しが効果的だった。エセ論理で安全神話を捏ね上げるエリート秘書役の古河耕史が、舞台の肝にリアリティを与えていて、大変良かった。

フローズン・ビーチ

フローズン・ビーチ

KERA CROSS

シアタークリエ(東京都)

2019/07/31 (水) ~ 2019/08/11 (日)公演終了

満足度★★★

ナイロン100℃の舞台は見ていないが、今回は戯曲に忠実すぎたせいか、笑いが弾けなかった気がする。客席の反応も今ひとつだった。もう少し演出と演技でメリハリをつけたほうがいいのではないか。やはり犬山イヌ子がやった役を、舞台初経験の人がやるのは苦しい。ブルゾンちえみの突き抜けた芸が見られなかった。SNSの感想を見ると、皆面白かったと書いてあるのだが、本当だろうか。

ネタバレBOX

3幕劇。1幕は1987年、かつてスペイン領の大西洋の島の豪邸に若い女性、千津(鈴木杏)市子(ブルゾンちえみ)二人がやってくる。この豪邸は高校の同級生の愛(花乃まりあ)の父親が事業で成功して買ったもの。愛には双子の姉の萌(同)と、父の後妻の咲恵(シルビア・グラブ)がいる。

愛は高慢な鼻持ちならない娘らしいが、花乃はいやらしさが不足。少し足りない市子が、千津の言葉を真に受けて、愛をベランダから突き落とし、殺してしまう。この殺しも必然性を感じない。

一方、咲恵は萌が心臓麻痺で死んだのを自分が殺したと誤解して警察に電話。この電話が、千津がかけたまま忘れていた日本とのでんわで、千津の子の幼児が出て…。ここも笑えるはずなのに、今ひとつ。

そこに死んだはずの愛が生きていて、萌の死体を見つけ(あまりくどくやるとあざといが、リアクション不足では?)、一計を案じて、萌の振りをして、千津たちに愛を殺した罪悪感を植え付けるが、咲恵は、萌が生き返ったので驚き…。ここまでが1幕。

2幕は1985年。地下鉄サリンの年である。同じ豪邸に、愛がやってくるが、なんとオウムに入信。事件後も尊師を信じている。指名手配の信者をかくまってくれと愛に頼むが、断られる。ところが、お土産の八ツ橋に毒が持ってあり、咲恵は痺れて動けなくなる。もうすぐ死ぬと千津は脅す

愛は、解毒剤を出せと千津に詰め寄り、言うことを聞かない千津をナイフで殺してしまう。そこに市子が起き出してきて、毒はウソだと咲恵に告げる。一時的に痺れるだけだと。それが、8年前に死んだ振りをして私たちを苦しめたのと釣り合う復讐だと。この2幕が一番面白かった。鈴木杏のコチコチのオウム信者ぶりも笑えた。
ただ、市子の超能力で愛が生き返ると言うのもご愛嬌である。

3幕は2003年。初演時は近未来だったので、麻原が釈放されたとか、現実とはずれた話があるが、オカルト的設定の話には、かえって噛み合っていた。
島は地盤沈下で沈みかけており、島民は皆脱出。破産した愛が、ヘリコプターで懐かしい家に戻ってくる。ピストルを持っていて自殺するつもり。そこに、あとの3人もやってきて、となるのだが、後日譚的場面で、大きな事件はなかった。

萌の心臓麻痺は、千津が自分が薬を多くあげすぎたからではないかと悔やんでいると言う話が印象に残った。ここでもオカルトがあらわれ、16年前からずっといる虫が、大きな笑い声でみんなを怖がらせる。最後は、みんなでベランダから海に飛び込んでおしまいであった。

憎めない悪意、あっけない殺し、オカルト、笑い、とケラの持ち味がよくわかる作品。岸田戯曲賞受賞もうなずけた。「黒い三谷幸喜」と言われたのも納得。
マシュー・ボーンの「白鳥の湖~スワン・レイク~」

マシュー・ボーンの「白鳥の湖~スワン・レイク~」

ホリプロ/TBS/BS-TBS

Bunkamuraオーチャードホール(東京都)

2019/07/11 (木) ~ 2019/07/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

あの白鳥を、男たちが踊る伝説のバレエを初めてみました。男たちのバレエシーンはさすがに、見ごたえ、聞きごたえ(音楽・チャイコフスキー)たっぷり。バレエは、音楽と踊りと美術・衣装で物語を語る無言劇だなあと認識した。所作以外の、様々な視角要素を動員するところが、パントマイムとは違うし、メインは何といってもダンス。普通のダンスとはちがう、様式化されたダンスが見せ場というところは、日本でいえば歌舞伎とも通じる。

面白かった。主人公の王子の恋人になるアメリカ女性の格式張らない正直さがコミカルに演じられていたのが、非常によかった。舞台を活気づけるユーモアがあり、あれがないと退屈だろう。いまでいえば安倍首相の昭恵夫人のような、危うい天真爛漫さだった。

ネタバレBOX

もとになった「白鳥の湖」のストーリーを基本踏まえているのだが、どこがどう違うかを確認しておきたいと思う。音楽も最初は、アレンジしているのかと思ったが、良く知っている人に聞いたらチャイコフスキーそのままだった。ただし生演奏ではなく、録音。
『その森の奥』『カガクするココロ』『北限の猿』

『その森の奥』『カガクするココロ』『北限の猿』

青年団国際演劇交流プロジェクト

こまばアゴラ劇場(東京都)

2019/07/05 (金) ~ 2019/07/28 (日)公演終了

満足度★★★★

「その森の奥」観劇。マダガスカルにある日韓仏の研究者がいる霊長類研究所の日常会話を描きながら、その話の端々に日韓、フランスとマダガスカルの民族差別・抑圧を垣間見させる。「ソウル市民」以来の、平田オリザの得意の作劇術で安心してみられる舞台だった。

「100年前のパリ万博では人間を展示したんだ」の、人間はアフリカの黒人。それを見た日本人が、日本でも同じことをやり、その時展示したのは沖縄人と韓国人。という話はど切り落とさせられた。人類館事件というそうだ。
観光業者が類人猿を見世物に、観光開発を企画することと、こうした民族差別をダブらせながら、動物虐待(差別?)批判の裏に民族差別批判を忍び込ませる。そういう手の込んだ批判の仕方が、嫌味でなく、物事の複雑さを感じさせた。
休憩なし1時間35分

ネタバレBOX

フランス人の女性新人研究者が、芝居の半ば過ぎに、ここに来た理由は「息子の自閉症治療のヒントを類人猿研究から得るため」「自閉症の猿を、脳手術などでつくりたい」と、「秘密の暴露」を行う。さらに、韓国人男性研究者が、娘をなくしたせいで、妻がチンパンジー研究にストレスを感じるようになって、研究を中断しているという秘密も告白する。この二人の内面の苦しみ、葛藤に深く引き込まれた。この場面が一番よかった。(それぞれフランス語、韓国語のセリフなので、内容は字幕で理解することになる)
こうした深い内面の吐露は、平田オリザには珍しいのではないかと思った。しかし、繰り返すが、ここが一番よかった。
トゥーランドット[新制作]

トゥーランドット[新制作]

新国立劇場

新国立劇場 オペラ劇場(東京都)

2019/07/18 (木) ~ 2019/07/22 (月)公演終了

満足度★★★★★

3年前に、METライブビューイングで見た時は、変な話だなというのが第一印象だった。ヒロインは血に飢えた冷酷女だし、ピンポンパンの幕間劇は全体の中で浮いているし、それまで誰も解けなかった三つの謎をカラフがいとも簡単に解くのは非現実的だし。謎解きは、昔ばなしでは大体主人公を助ける影の知恵者(特別な老人、ねずみその他)がいるものだ。この作にはそういう仕掛けはない。

そう思っていたのだが、二度目の今回は音楽の見事さに大いに気づかされた。重く凄みのある幕開きの低音のモチーフ、不安と移ろいを表す前衛的な音楽と親しみやすいメロディーの両立。客席を圧倒する豪華なオーケストレーションなど。有名な「誰も寝てはならぬ」のメロディーも、カラフが歌うアリアの場面以外にも効果的に使われている。その前に一度伏線として、またプッチーニ死後に補作されたフィナーレで大々的に演奏されて、この大作のしめくくりになっているのも見事である。

バスチューバ(?)や銅鑼など、超低温を効果的に使って、権力のこわさ、不気味さ、死の儀式を感じさせる箇所が多い。ここには、第一次大戦を体験したプッチーニの暗い気持ちがあらわれているそうで、なるほどと思った。

割と盛沢山なストーリーに思えるのだが、時間は正味2時間10分と、意外とコンパクトなのも発見だった。休憩込み3時間(1幕45分、休憩25分、2幕45分、休憩25分、3幕40分)3幕はアルファーノの補筆をトスカニーニがカットした、もっとも演奏されている版。これがいいと思う。

来日したバルセロナ交響楽団が、ピットに入るというのも驚いた。通常は主要ソリストは海外からよぶものの、オーケストラは在京の交響楽団が交代で入るもの。専門的なことは分らないが、それでもバルセロナ楽団の音楽は素晴らしいものだった。弱音もはっきり聞こえるバランスと、大音響のときも繊細さと豊かさを失わない。なかでも低音の迫力は圧巻で「トゥーランドット」にあっていた。

ネタバレBOX

最後は新解釈の演出だった。リューの自己犠牲に、愛の在り方を気づかされ、自分の非を悟って、トゥーランドットが自害する。カラフとトゥーランドットが結ばれる従来のハッピーエンドをひっくり返すものだったが、違和感なく納得できた。客席からも何のブーイングもおこらず、みな拍手喝采だった。

同じ新国立劇場で去年演奏されたベートーヴェン「オラトリオ」もハッピーエンドからバッドエンドにひっくり返す悲観的な新解釈だった。こちらはブーイングの嵐だったのと、今回は対照的である。
明日ー1945年8月8日・長崎

明日ー1945年8月8日・長崎

劇団青年座

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2019/07/10 (水) ~ 2019/07/17 (水)公演終了

満足度★★★

映画にもなった井上光晴原作の有名な作品の舞台化で、すでに何度も上演されているが、初めて見に行った。ラストの出産シーンではころころとした妊婦役の田邉雅菜の若々しい必死さが光った。その前の、市電の運転手(高松潤)と新妻(田上唯)の、明日の弁当についてのほのぼのしたシーンも、短いが、印象に残る。精神薄弱児の子を明日引き取りに来いと病院からいわれて、当惑する夫婦(五十嵐明、山口キヨ)も、子を思う気持ちと苦しい生活の板挟みをよく演じていた。(最後の方からで申し訳ありません)

観劇後にパンフで知ったが、出産も、市電運転手の家庭も実際にあったことだという。そこまで、事実に基づいていたとは知らなかった。丹念に事実を調べて吟味し、作品として昇華させていることは原作者、脚色家、劇団の大きな手柄だと思う。
休憩なしの2時間弱

ネタバレBOX

登場人物も異なるエピソードをいくつも並べた形で、ドラマとして葛藤が次第に高まり、解決するという一貫した筋はない。それは作品の性格上、仕方がないし、見る前からわかっていること。すべては明日、長崎に原爆が落ちるからこの人たちの姿が、愛しく、切なくなる。それも実は見る前からわかっていること。そういう、事前の作品知識を超えるものというと、私には物足りなかった。

1989年の初演から30年たった。年年歳歳、被爆体験(国民的体験)は薄らいでいく。その風化に抗して記憶と感情を更新するには、もう少し強いものが必要だろう。ただ一つ、他の方も書いているが、バイオリンとチェロとピアノの生演奏は非常によかった。地味な芝居をしっとりと彩っていた。
チック

チック

世田谷パブリックシアター

シアタートラム(東京都)

2019/07/13 (土) ~ 2019/07/28 (日)公演終了

満足度★★★

映画にもなったドイツのベストセラーの舞台化。退屈で友達もいないマイク(篠山輝信)と、ぶっきらぼうなロシアからの転校生チック(柄本時生)。チックが盗んだ自動車ラダで、夏休み、ふたりは旅に出る。篠山は、昔Eテレ「しごとの基礎英語」で英会話に苦労する新人社員役を毎週見ていたので、懐かしかったし、気弱な少年を好演していた。2時間45分(休憩15分)だが、長さは感じなかった。

ほかの方は大変評価しているのだが、私はあまり乗れなかった。場所はどんどん変わるので、舞台は最低限の簡素な装置で、後の説明はマイクの語りでずっと通していく。麦畠の映像や、劇場の天井を使った星空などもあるが、私には案内役のマイクの語りがうるさかった。ロードムービーという舞台にしにくいものを舞台にする工夫だが、やはり舞台に乗り切らなかったものが多すぎた。でも、ドイツではこの舞台が人気で、シェイクスピア以上に何度も各地で上演されているというのだから、不思議だ。おそらく生徒向けの学校公演ではないだろうか。

場面場面にいいところはある。チックが秘密を告白する場面や、ラストのプールの場面など。それでも私が乗れなかったのは、結局父は破産で母はアル中の、うだつの上がらないマイク少年に感情移入できなかったからという気がする。チックはラスト近くまで、自分をさらけ出さないわかりにくい少年であったし。私が変にすれた大人だから少年の冒険に乗れなかったのか、狭い舞台に広々とした田舎をみる想像力の不足か、家庭の不幸や自意識過剰の解決はこんな簡単じゃないよと思うせいか。

一緒に見た連れは「面白かった」「最後のプールがきれいだった」とほぼ満点の評価だったので、なぜ私が乗れなかったのかが引っかかる。

ガラスの動物園

ガラスの動物園

文学座

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2019/06/28 (金) ~ 2019/07/07 (日)公演終了

満足度★★★★

足が悪く内気な姉と、それを気に病む母、家を出て行きたい弟。母に頼まれて、弟は同僚の男を夕食に誘う。身の丈以上のおもてなしに見栄をはる母は滑稽だが可愛い。その男は、姉の高校時代の憧れの人だった。夢のような一夜が、ガラスの動物園のように輝いた後、何も変わらない朝が来る。夢を見た後だけに、その朝の変わらなさはは一層つらい。
一度だけでも夢を見られて良かったのか、夢など見ない方が良かったのか。作者が精神病の姉への贖罪意識から書いたと言われる作品。見終わって何かスッキリすることは何もない。いつまでも頭の片隅にこの劇の問いが引っかかっている。

朝のライラック

朝のライラック

彩の国さいたま芸術劇場

彩の国さいたま芸術劇場・NINAGAWA STUDIO(大稽古場)(埼玉県)

2019/07/18 (木) ~ 2019/07/28 (日)公演終了

満足度★★★★

ISに支配される中東のある街で、不信仰者と烙印を押された若い教師夫婦。離婚して妻を差し出すか、処刑されて妻を未亡人にするかという理不尽な要求を突きつけられる。
後半になって、教え子のフムードがIS戦士になって出てきてからが、緊密で、葛藤もはげしく、大変引き込まれた。

IS支配とイスラム教という馴染みのない舞台で、どれくらい入り込めるか、事前には心配していたが、生きるか死ぬかをギリギリの選択が、宗教に関係なく、自らのものに感じられた。ISがくる以前の、美しい妻に、田舎の男たちが色めき立って、長老が暗い欲望の炎を燃やすあたりも含め、大変普遍的な舞台になっていた。100分、目が離せない。

ネタバレBOX

作者が、IS支配の町で、新婚装束で心中した夫婦の話を知って、それをもとに書いたという戯曲。二人が死ぬことはいわば運命なわけだが、それでも途中、希望も一瞬見えたりして、ドキドキさせられる。二人がナイフで心中するラストは、「曽根崎心中」のようだった。様式的ながら、写実的で、ナイフが肉体に入り込む痛みをグイグイ感じた。二人の迫真の演技だった。
美しく青く

美しく青く

Bunkamura

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2019/07/11 (木) ~ 2019/07/28 (日)公演終了

満足度★★★★

とある田舎町の猿害対策の自警団を軸に、人々の日常の些細な出来事を描き、寂しさやつらい過去や感情の波立ちを一瞬垣間見せる。認知症、老人の一人暮らし、青年の離村、夫婦仲のひびなど、誰もが思い当たる出来事を、一つ一つ小さな短編のような場面にしながら、それをネックレスのようにつなげて全体を2時間10分の芝居にしている。最後まで説明しない過去の謎があったりして、カタルシスは得にくいが、最後は夫婦仲に希望を見せて、後味はよい。

 あらすじが、事前の紹介と全然違うので書いておく。
 農作物や人家まであらす猿の害に苦しむ田舎町。青木保(向井理)が団長の自警団が、猟銃やおもちゃの銀玉マシンガンをもって、森で猿狩りをし、村内をパトロールするが、あまり成果は上がらず、村人からは疎まれている。
 保は家に妻(田中麗奈)と、認知症の義母(銀粉蝶)がいて、家では妻がいつも義母に口やかましく指図している。順子(秋山菜津子)が営む居酒屋では、自警団仲間(役場の箕輪=大倉孝二=もいれて)6人が毎日のように集まって盛り上がる。
 妻を亡くして一人暮らしのがんこな片岡(平田満)は、保たち自警団から、アパート住民のゴミ出しを、猿の餌にならないようにしっかり管理しろと再三注意されるが、従わない。さらに保は、片岡の庭の柿の木が、実を取らないまま放置されて、サルのえさになるから伐採するとすごむ。無口な片岡は黙って聞いているが、最後に「狂ってる、お前ら。正義面したやつが一番危ない」と、保たちの行き過ぎた行為を指摘して、良識を垣間見せる。

 村の海辺では巨大な防潮堤が建設中で、東日本大震災の被災地らしいが、その被害については特に何も出てこない。作・演出の赤堀雅明が公演プログラムで「書き進めるうちに、震災の部分は戯曲の水面下に潜む要素となり」と書いているように、執筆過程で大きく変わったらしい。「被災地をドラマの都合、感動の材料にしない」と心がけた結果のようだ。

 赤堀作品は初めて見た。「芝居」的な大げさな誇張や作為を極力排す作風らしい。舞台上で、素でいてくださいと。出演のベテラン俳優にとっても普段と勝手が違うというが、見ながらあまり特別フツウには感じなかった。平田オリザの舞台を見慣れているからかもしれない。そういえば、二組の会話を同時に進めて、聞き取りにくい場面など平田オリザのようだと思ったところがあった。ただ、言われてみれば、平田満や銀粉蝶など、もっと柔軟に動ける俳優が、ただぼーっとしている動きが多かった。それはそれでよかった。
 舞台セットが、森の中、保の自宅、居酒屋、片岡家の庭、防潮堤の下と、全く違うものを5つも、それぞれリアルに作り込んだものを転換させていて、その美術の方が印象的だった。けっこう大がかりな転換だが、回り舞台ではない。ひとつのセットを4つか5つの大きめのパーツにし、それぞれが車輪で動くようにして出し入れし、スピーディーで感心した。

ネタバレBOX

主役の向井理演じる青木保が、猿対策の自警団にのめり込み、「狂ってる」といわれるほどエキセントリックな部分がある人物で、感情移入しにくい主人公というのは一つの特徴だった。かれが、最後に、目が覚める、我に返るところに、この戯曲のポイントがある。ここにはそれだけ書いておきます。
エダニク

エダニク

浅草九劇/プラグマックス&エンタテインメント

浅草九劇(東京都)

2019/06/22 (土) ~ 2019/07/15 (月)公演終了

満足度★★★★

序盤から終盤のクライマックスへと、笑いがどんどん増えていくと同時に、登場人物3人の葛藤も最高潮へ。2時間弱だったと思うが、このテンション・チャートの見本のような盛り上げぶりはすごかった。
横山拓也戯曲は三度目。前二つが、家族の不倫(夫婦仲の亀裂)も絡んだ話だったが、今度は汗臭い(だけではなく、本当に臭い)男の職場のドラマで、スカッと見られた。

歴史的には差別問題など難しさもあると殺場をネタに、これだけ労働者の滑稽と悲哀を描き、笑いではじけさせたのはすごい。演出の鄭義信の見せ方もうまかったと思う。俳優陣もみごとな熱演だった。

笑う門には福来たる〜女興行師 吉本せい〜

笑う門には福来たる〜女興行師 吉本せい〜

松竹

新橋演舞場(東京都)

2019/07/03 (水) ~ 2019/07/27 (土)公演終了

満足度★★★

面白かった。主演の藤原直美の間と存在感は別格だった。前進座の津上忠さんは「小道具は三回使え」というのが口癖だったと聞いたが、この舞台の「冷やし飴」の扱いは、まさにそのセオリー道理で感心した。
「興行主には間が大事屋」というセリフや、駆け落ちした芸人も、吉本せいの人生の節目節目に現れて、まさに3度繰り返される中で、主題を深めていた。

藤原直美演じる一代記なので、年齢に応じて、衣装やかつらをどんどん変えなければならない。そのための時間をとるための、場面作山熊のコントも巧みだった。そうした芝居作りの上でも、いろいろ教えられるところが多かった。ただ、思ったよりも笑いが少なかった。

ネタバレBOX

「東京ブギウギ」の笠置シズ子と、吉本せいの跡取り息子が結婚を誓った仲だったというのは、実話だと知って驚いた。しかも、あとで調べたら、シズ子は、彼の急逝後、女児(せいの孫になる)を生んで、未婚の母として苦労して育てたそうだ。いやあ、知らなかった。歴史には意外なつながりがあるものだ。
骨と十字架

骨と十字架

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2019/07/06 (土) ~ 2019/07/28 (日)公演終了

満足度★★★

ヒトの進化論の研究者で、かつイエズス会司祭であったテイヤール(神農直隆)を中心に、信仰と科学をめぐる議論と葛藤を描いていた。テイヤールを審問するドミニコ会道士(近藤芳正)との対立が、一番の対立軸だが、作劇上はそこが少し弱い。

テイヤールの真面目な人格を信じているイエズス会の総長、弟子、同僚神父がテイヤールを支えている。力関係は1対4なので、どうしてもドミニコ会士の分が悪い。神による人間創造説の非科学性とあいまって、対等な対立にならないので、あまり議論に引き込まれなかった。これは少々マイナス。

しかし、一緒に見た同僚は大変感心していた。大学がキリスト教系で「キリスト教概論」の天地創造やアダムとイブの荒唐無稽についていけなかったそうだ。「聖書の話はすべて比喩ではないですか」というセリフに、「そうだったのか。そう考えれば悩まずに済んだのに」と膝をうっていた。信仰と科学の一体化を目指すテイヤールの話に、かつて疑問を覚えたキリスト教の神とは違って、親近感を覚えていた。

ネタバレBOX

テイヤールは神を信じていないのではない。科学をとって聖書を捨てるなら話は簡単だが、そうではない。彼にとっての神は「人類の進化の到達点に神がいる」というように、人間の最終目標のようなもの。バチカンの、天上の超越者としての神とは全く異質である。そこが正統派カトリックから、異端扱いされるわけだが、神を信じるという点は同じ。実は、ここの議論が、キリスト教と縁の薄い日本人にはわかりにくい。

二幕で、北京原人の化石発見後のテイヤールは、ヨーロッパに帰ったのに、なぜか寂しげで大人しい。イエズス会での教育者の椅子や、大学での教授職が提示されても、どちらも断り、「静かな祈りをしたいだけです」とひきこもる。これでは、議論があまり深まっていかず、どうしても不完全燃焼になってしまう。

テイヤールと北京で研究仲間だった神父エミール・リサンは「テイヤールが進化論の研究を続ければ、神を否定することになる。彼は危険な存在だ」と、テイヤールを批判するようになる。教会上部だけでなく、かつての「同志」とも対立するようになったわけで、それが理由の孤独かと思った。

が、別の見方もある。リサンの説は、実は図星で、テイヤールが自らは語らない心の内を解説していたのではないか。テイヤールはこれ以上進むと神を捨てることになることをうすうす感づいていたために、寂しさを覚え、大学の教授になることも断って、自分の信仰が崩れる手前でとどまったのではないかと。

議論がどこか不完全燃焼で終わったように感じたのは、そのせいかもしれない。覇気をなくしたテイヤールに対し、正統派のドミニコ会士(近藤芳正)の追及も、途中で矛を収めたような格好だった。
三人姉妹

三人姉妹

地点

KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)

2019/07/04 (木) ~ 2019/07/11 (木)公演終了

満足度★★★★

全く斬新であっけにとられたまま終わる75分。九人の登場人物は、四つん這いで現れ、くんずほぐれつ、相手を変えながら、二人組で絡み合い転げ回りながら、コラージュされたセリフをしゃべる。

舞台の上には舞台はばほぼいっぱいの透明の2メートルほどの高さのアクリル板の壁がある。それを登場人物たちが力一杯押したり引いたりするのも、舞台の運動量をあげる。セリフは叫ぶような大声で、チェーホフと聞いて思い浮かべるような陰影はない。衣装も体操着のような動き回りやすい気能的なもの。韻を踏むような、単語を解体するような独特のセリフ回しは、音楽性の回復なのか、意味の解体なのか。

チェーホフの人物たちの抱えた鬱屈は、表面のベールを剥ぎ取れば、身悶えするような、熱いマグマがたまっているということなのだろうか。心理の熱量を肉体の運動量に変換してみせた。
まだるっこしい駆け引きでできた、19世紀ロシアの社交芝居を3時間見せるより、オブラートを全て取り去って、75分の悶絶パフォーマンスを見せるという潔さがすごい。観客に小手先の演技でなく、文字通り体を張って挑戦してくる。それが、意外にケレンに終わらず、じかに響いてくるものがあった。大音量の効果音やアクリル板を叩く大きな音もその点で効果があった。

六月大歌舞伎

六月大歌舞伎

松竹

歌舞伎座(東京都)

2019/06/01 (土) ~ 2019/06/25 (火)公演終了

満足度★★★★★

よかった。期待に違わぬ出来。冒頭、学芸会のようなところから、しっかり笑わせる第二幕、そして、盛り上げて感動を与える第三幕と、素晴らしい作劇だった。

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