いのちの花
劇団銅鑼
練馬文化センター(東京都)
2021/07/13 (火) ~ 2021/07/15 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ペットの殺処分というのは馴染みのない問題でだが、そこを身近に感じさせてくれた。数年前に聞いたが、いま野良犬というものは日本にいないそうだ。これも殺処分が徹底された成果らしい。いま公開中の映画「犬部!」も、殺処分からペットたちを救おうという若者たちのは暗視で、しかも同じ青森県が舞台。青森を舞台に、この話題が芝居にも映画にもなるのは、なにか理由というか関係があるのだろうか。
他の人も書いているが、ペットの骨を肥料に咲いたマリーゴールドの鉢を手にした、人々の笑顔(映像)がよかった。
29万の雫-ウイルスと闘う-
ワンツーワークス
赤坂RED/THEATER(東京都)
2021/07/15 (木) ~ 2021/07/25 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
多くの当事者に取材したからこその、生き生きした細部に満ちていた。口蹄疫にかかった牛を殺す消毒薬の注射のとき、注射器の中の血液がさっと黒く変わる。出産間近の牛を殺すとき、子どもを産ませてから、親子を殺処分したほうがいいのではないかという、やるせない迷い。ワクチンは牛豚を活かすためではなく、ワクチン接種が、ウイルス封じ込めのために殺処分してしまう。口蹄疫にかかったのならあきらめも付くが、一生懸命消毒して防いできたのに、結局予防のためにワクチンを打つときが一番苦しかったという農家の声。
舞台は、牛舎のセット。十八番のストップモーションの場面が、防護服を着ての、家畜の検査、殺処分の過程を、視覚的に想像させた。証言の言葉が中心の芝居なので、いいブレイク的変化にもなった。ベテランで、いくつも重要な役を演じた奥村洋治がよかった。若手では松葉杖をついた高校生役の川畑光瑠に華があった。
大学教授の講演のかたちで、口蹄疫はじつは治る病気で、その肉を食べても害はないと示された。なぜ殺して埋めるかというと、「清浄国」として畜産物輸出(?)の自由を得る国益のためだと。これは知らなかった。この芝居で得た情報からすると、輸出しないなら(日本の畜産品がそれほど国際競争力があるとは思えない)、無理して殺処分しなくてもいいのではないか。
なお、ウイキによると、発展途上国はワクチン接種で終わらせて、殺処分まではしないことが多いそうだ。
一九一一年
劇団チョコレートケーキ
シアタートラム(東京都)
2021/07/10 (土) ~ 2021/07/18 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
大逆事件というと、幸徳秋水が思い浮かぶが、本作では管野すが子にしぼり、良心的予審判事との対立を軸に、この歴史的フレームアップの実像を描いていく。複雑であろう史実を2時間15分のドラマに落とし込む古川健の脚本はさすが。机と椅子を積み上げた壁を前後させるだけで、場面転換を行う日澤雄介の演出も冴えていた。勉強になった。
良心的検事(西尾友樹)のせりふ「民衆の上に権力が暴力装置となって立ち上がったとき、いかなる事が起きるか知らなかった」で、逆に考えさせられた。12人を処刑した大逆事件は権力悪としてはまだ小さい。戦争こそ巨悪だと。それはこの芝居の後半でも示唆される。
また、「かれらを殺したのは権力ではない。名前のある人間です」というセリフも考えさせられた。
自由とは「自分の顔を持ち、名前を持ち、他人に依存せず、自分の足でたち、自分の頭で考え、自分の口で話すこと」と管野すが子はいう。聞きながら、自由と言われる現代でも、そんな人は少ない。私も含めて、権威に頼って思考停止したほうが(あるいは周囲にああwせたほうが)楽だから。
管野すが子が16歳で継母の手引で知らない男に犯されたとき、絶望から救ったのは新聞の人生相談の堺利彦の言葉だったそうだ「足を踏まれたようなものです、わすれなさい」(だったと思う)。それがきっかけで、堺利彦が唱えた社会主義に惹かれたというのは、意外なつながりで面白かった。この言葉は全然社会主義らしくもないし、関係もないのに、この言葉で救われて社会主義に惹かれたとは。ただ、一緒に見た女性は「女ならまだしも、男がそんな事を言うとは。堺利彦を見損なった」と怒っていた。
管野スガ子役の堀奈津美、私は初めて見たと思うが、はまり役で素晴らしかった。彼女が検事をからかうところ何箇所かで、この重厚な舞台では貴重な笑いも起きていた。
森 フォレ
世田谷パブリックシアター
世田谷パブリックシアター(東京都)
2021/07/06 (火) ~ 2021/07/24 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ベルリンの壁崩壊の年に不本意な妊娠をしたエメ(栗田桃子)から始まり、その娘、現代のモントリオールのルー(瀧本美織)が、古生物学者(考古学者ではない)ダグラス(成河)と、独仏国境地帯のストラスブールにおもむき、自分のルーツをさぐっていく。ルーに最初の手がかりを与える、疎遠だった祖母リュスを演じた麻実れいが素晴らしかった。赤ん坊のときフランスからカナダにつれてこられたあと、「約束」通り母親が来るのを待ち続けた苦しさ、結局かなわなかった悲しさ、そして母のことを伝えに来たサラ(前田亜季)との邂逅。ルーとのもあわせて、二人芝居の密度の高い語り、感情の動きがすばらしい
ココまでが1幕。全3幕。1871年に始まるケレール一族の愛憎劇は、近親相姦と父殺しの話で、ドイツ神話に取材したワーグナーの「ニーベルングの指環」のよう。当主の子(双子)を身ごもって、その息子と結婚するオデットの「あなたの子は代々呪われる」という言葉は呪いのようだ。一族を逃げた息子一家が閉鎖的に暮らすアルデンヌの森は、シェークスピアのアーデンの森とは違い、血なまぐさい惨劇の数々でいろどられる。こうした展開は、レバノン生まれの作者のヨーロッパ文明批判があるのかと思われた。欲望と血とエゴイズムの文明。神はいない
「岸 リトラル」の衝撃は忘れられないが、「森」は全く別の鋭角、作りの芝居であった。通常の芝居の2.5作分くらいの物語の錯綜が一つに込められている。
母と暮せば
こまつ座
紀伊國屋ホール(東京都)
2021/07/02 (金) ~ 2021/07/14 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
素晴らしい芝居だった。畑澤聖吾の戯曲は、笑いのを振りまきながら、涙なしには見られない生と死の葛藤へ。井上ひさしを超えたかも、と思った。そして富田靖子が。これほど迫力のある女優だったとは。「アイコ15歳」でデビューしたのがついこの前のように思えるが、女優としての成長に目を見張った。エアーおにぎりのばめんのほほえましさ、原爆症が現れてきて、もう生きていたくないという鬼気迫る嘆き、振り幅大きく圧巻だった。もう一度希望を持つラストも、富田の存在感で説得力があった。
一方の松下洸平も、死んでいるのに出てきてすまないというようなハニカミが最初あり、でも、最後は去らざるを得ない。死者らしい抑制した存在ぶりがよかった。かっこよくて現代青年らしいところはご愛嬌。
初演のときは祈りの場面がいくつかあったのを、今回は栗山民也の「今は怒りのときだ」と削ったらしい。気づかなかったが、たしかにクリスチャンの家なのに、「陰膳」など日本的風習はあっても、キリスト教的仕草はなかった。コウちゃんがヤソだと子供の頃バカにされたという話はあるが。小学校の先生に頭をものさしで叩かれてハゲができたが、その先生はヤソとバカにしなかったから、5年まで受け持ってもらってよかった、というエピソードも人間の多面性を示していた。
別役実短篇集 わたしはあなたを待っていました
燐光群
ザ・スズナリ(東京都)
2021/06/25 (金) ~ 2021/07/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
噛み合わない会話、思いがけない相手の反応、気がつけば自分の足元が揺らいでポッカリと底なしの淵に落ちていく…。そんな別役実作品が、せつないリアルな感情の芝居として見ることができた。雲の上の訳の分からない別役ではなく、僕たちの隣にもしかしたらいるかもしれない身近な別役だった。
そういう点では、全然非条理ではなく、現状の裏には原因がきちんとある条理の通った芝居だった。
一見理解に苦しむ馬鹿げた日常の世界は、ただ馬鹿げているのではなく、その裏に大きな悲劇が隠れているからなのだと暗示している。被爆者を描いた「象」や、戦災の荒廃を匂わせる「マッチ売りの少女」など、初期の名作と通じるものがある。
「眠っちゃいけない子守唄」の話の通じない老人を演じたさとうこうじがよかった。変人だけど、可愛げがあり、無理筋なのに道理があるように見えて来る。相手のヘルパー役の大西孝洋は、戯曲では女性らしい。「彼との暮らし」「彼と夫婦で」というセリフが出てきてわかったが、そこまではまったく男性のセリフとして聞いていた。ジェンダーニュートラルなセリフに一驚した
首切り王子と愚かな女
パルコ・プロデュース
PARCO劇場(東京都)
2021/06/15 (火) ~ 2021/07/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
民を次々処刑する残酷な王子トル(実は可哀想な存在である=井上芳雄)と、王子の世間知らず=無垢な幼さに気づいた愚かな女ヴィリの出会いと別れの物語。いつのどことも知れぬ王国の、ファンタジーであり、寓話である。独白、というより傍白(=わきセリフ)が多く、物語の展開も含め非リアリズムの芝居である。その点では野田秀樹をほうふつさせる。家族劇などのリアリズム演劇で大きな成果を上げてきた蓬莱隆太の新たな挑戦であり、彼の持つ幅広さを示した。
冒頭、トルと兵士長ツトム(高橋努)
の首切りの処刑と、がけから飛び降りて死のうとしたヴィリの二人の出会いから、ズカリと王宮の核心に入っていく。トルの母、女王デン(若村麻由美)が実際は王国を仕切っている。兄王子ナルの3ヶ月後に生まれたということから不吉がられ、北の孤島に幽閉されていたトル。ナルが不治の病の床に伏したため、トルは呼び戻され、女王の手足となっている。
トルは王女ナリコ(入山法子)を抱こうとせず、ナリコはイケメンの兵士ロキ(和田琢磨)と影で密会している。王子の世話係になったヴィリは、「トルは子ども。首を切らされてるだけ。必要なのは遊び相手」とカードゲームの相手になり、王子を慰める。ヴィリは実は王族の歓心をかって、出世しようという下心もある。
数年前に家を出ていったヴィリの姉が王の家臣になっていた。近衛騎士リーガン(太田緑ロランス)である。リーガンは実は圧政をひく王を倒す組織の幹部であり、部下に、競馬に出場する王を狙い撃ちさせた。(この競馬はおもちゃの木馬を使って、なかなか見せる)そのとき、ヴィリが身を挺して王を守った。リーガンはとらわれ、ヴィリは第二?王女に取り立てられる。(ここまでが1幕)
キネマの天地
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2021/06/05 (土) ~ 2021/06/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
感想には、さすが井上ひさしだ面白いと、井上ひさしにしてはいまひとつというのと、二手に分かれている。私は面白い!と思うのだが、「今ひとつ」という意見もわかる。この作品は1986年に松竹で初演されたあと、一度だけ2011年にこまつ座が再演している。家にパンフがあるので、私は再演を見ているはずだが、全然記憶がない。このように、見たときには女優たちの鞘当て合いや、推理劇のどんでん返しが面白いのだが、作者の社会批判や歴史観がほとんどないため、感動が軽く、記憶に残らないのである。
さすがに今回はこれだけ復習したので忘れることはないが、やはり軽量作であることは否めない。新国立の「人を想う」シリーズでは、斬られの仙太>東京ゴッドファーザーズ>キネマの天地という順で、芝居が軽かったといえよう。ただ、井上ひさしの演劇愛はひしひし伝わる。とくにどんな端役でも俳優に対する愛情がこの作では強い。大部屋俳優で警察役を演じる尾上竹之助(佐藤誓)の、二幕の見せ場の好演が光った。
ある八重子物語
劇団民藝+こまつ座
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2021/06/17 (木) ~ 2021/06/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
初期の井上ひさしらしい趣向と、新派にオマージュした人情話が融合したおもしろい芝居だった。趣向としては、一夫の女装と、それを死ンダ姉そっくりと勘違いする紙問屋の第二幕がやはり笑える。
昨年末に続き、今回の再演(続演)を見たのでで、細かい井上ひさしらしさにいろいろ発見があった。患者の夫の大工が、診察代を屋根の修繕の手間賃と相殺してくれというと、医院のものが、「大工の手間賃を八百屋が大根んで払わせてくれと言ったらどうなる」「しんちく費用を先生がブドウ糖のお注射で払ったら」と大袈裟な冗談を、次々広げていくところなどまさにそう。
水谷八重子論を開陳するところも、理屈っぽくならないよう、うまく筋にのせてある。でもその筋の展開自身が相当論理的に作られたものだが。冒頭の、八重子の映画の声の話の伏線から、花代の八重子似の声に、古橋先生がタクトを振りながら聞いているところなど。
民藝の俳優陣が好演。下町人情のキップの良さと、落ち着いたコミカルさをよく出していた。10分の休憩を二度挟む三幕もので、合計2時間55分。
インク
劇団俳優座
俳優座スタジオ(東京都)
2021/06/11 (金) ~ 2021/06/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
大衆に、読むべきものではなく、読みたいものを、という「ザ・サン」のモットーは間違っていないはずなのに、その行きつく先はヌードで売る新聞。日本は新聞はそうなっていないのはなぜか。政権党とべったりのよみうり、産経の一方で、朝日が批判的スタンスをたみっているのは重要。大衆の求めるものが日英で違うのか。
日本で言えば週刊誌の部数競争。ただヘアヌードは終わり、中高年セックスも息切れして、ゴシップとスクープの原点に戻ったのが今ではないか。テレビの芸能化(とくに民放)は、マンネリそのものだが。
紐カーテンをスクリーンや目隠しや透かし見に使った演出、美術がうまい。俳優陣もよかった。マードックの千賀功嗣さんが風雲児らしくかっこよかった
ウィット
文学座
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2021/06/05 (土) ~ 2021/06/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
女性教授の高慢、衒学、空虚なプライドを誇張して表現。彼女のがんで入院した病院も、へつらい、野心、足の引っ張り合い、「人間より研究」「患者やモルモット」といういびつな医師たちを誇張してよく伝わってきた。シリアスな劇だが、ユーモア(これがウィットなのかもしれない)が感じられた。
末期がんの教授役の富沢亜古さんは、髪の毛も丸坊主にして、嫌味な人物をスマートに演じていた。大量のセリフを覚えて舞台を引っぱり、素晴らしかった。張平さんも、日本人俳優の中に混じって、中国訛りの日本語が、日本の舞台に新しい刺激を与えていた。今後、日本の舞台の多様性を広げる活躍に期待したい。
オペラ座の怪人
劇団四季
JR東日本四季劇場[秋](東京都)
2020/10/25 (日) ~ 2022/01/10 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
映画を前に見たが、舞台は初めて。素晴らしいの一言。親しみやすく迫力ある音楽、豪華シャンデリアが宙を舞う華麗な美術、劇中劇のクオリティ、クリスティーナのソプラノ、ファントムのバリトン(?)の説得力等々、どれをとっても揺るぎなく、高いレベルで調和した傑作。劇団四季の商業路線、洋物のコピーという限界は知りつつも、やはりこれだけの舞台を日本で長年公演してきた実績には感嘆しかない。素直に脱帽したい。
目頭を押さえた
パルコ・プロデュース
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2021/06/04 (金) ~ 2021/07/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
林業が廃れた田舎の大きな家のちゃぶ台のある居間と、庭にはモヤ(喪屋)といわれる掘っ立て小屋のような離れ。高校3年生の遼(筒井あやめ=乃木坂46)が、村の人達の肖像写真を「遺影」と称して撮っている。いとこの同じ高校3年生の修子(秋田汐梨)をモデルにした写真が全国コンクールで大賞を受賞した。最初は父(山中崇)も、修子の父母=遼の伯父伯母(梶原善、枝元萌)も手放しで喜んでいたが、遼が写真部顧問の教師坂本(林翔太)のすすめで、東京の芸大(写真科のある)進学を望むところから、波紋が起きていく。
遼の進学に心を乱される父、修子の複雑な思いが吐露されていく過程はリアルで切なく、さすが横山拓也の戯曲だと感心した。ただ要所要所で設定・展開に疑問が湧いた。解決しないまま置き去りにされる伏線(謎)が多い。
客席は男性客が7割。演劇では見たことない。筒井あやめのファンなのだろう、20代から30代が多い。
夜への長い旅路
Bunkamura
Bunkamuraシアターコクーン(東京都)
2021/06/07 (月) ~ 2021/07/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
家族4人の誰もが精神を病んだ、どこか壊れている。前半の幕では「あのとき」とか、母親に何かがあるとか、婉曲な言い回しで、この家族に何があるのかわからない。しかし、言葉の端々に何かがありそうな不穏な感じが、内面の緊張をずっと持続して、大変密度が濃い。母親役の大竹しのぶが、高い声で、健気に振る舞っている。が、仮面を脱いで、時折低いズシッと響く声で「みんな過去から逃れようとしている。でも人生はそんなこと許さない」などと、怖いことを言うと迫力がある。
後半は、隠れていた家族の実像がさらけだされ、どうしてそうなったかの、生い立ちや、過去の夢を語る、語る、語る。いずれもすごい長台詞。聞き手はいるものの、あまり口を挟まないので、ほとんど独白に近い。シェイクスピア俳優だった父親に捧げるかのような、シェイクスピアばりの(それ以上の)長台詞。これだけの長台詞で客席を引き込む、演出、俳優陣のリアリティーがすごい。一箇所、リアリズムという言葉が、次男アンドレイのセリフで出てくる。パンフで翻訳者が書いているが、他のセリフからは浮いた、特別な感じが聞いていてもする。これは意味が深い。
この悲惨な家族のそれぞれの姿が、ほぼ、作者のユージン・オニールの家族そのままというのだからすごい。3時間半、とくに後半が110分と長いのだが、全く時間を感じなかった。自分のダメさがわかっていて反省もするのに、反省した次の瞬間、同じ過ちを繰り返す。わかっていてもやめられない、自分に絶望する一方、そうなる自分に開き直る人間の悲しさがひしひしと迫る。すごい芝居である。
外の道
イキウメ
シアタートラム(東京都)
2021/05/28 (金) ~ 2021/06/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
山鳥と寺泊の二人の男女の体験した奇妙ま話から、それぞれの見る世界、出会う人たちが歪んでいき、閉塞していき、出口のない内面世界に潜り込んでいく。この二人の閉塞ぶりは、二人以外の演者が、二人の内的世界の住民としてしか出てこないことでもわかる。全員が出突っ張りで、用のない時も、舞台の喫茶店の空いた椅子に座って待機している。
山鳥、寺泊の体験を、演者が動いて示しながら、その声を別の俳優が語るというやり方も興味うかい。これまで見てきた前川知大の大きな世界観(設定)を土台に持ったSF的芝居と違い、観念的に内向していく。スピリチュアルという意見もわかる。まったく真っ暗な時間も二度ほどあった。俳優の動き方、空間の使い方はおもしろいが、物語としての驚き(落差)、カタルシスは乏しい。これまではそこが前川知大作品の魅力だったのだが、
十一夜 あるいは星の輝く夜に
江戸糸あやつり人形 結城座
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2021/06/02 (水) ~ 2021/06/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
結城座初観劇。江戸操り人形は目や口は動かないシンプルなものだが、冒頭の古典劇の三味線弾きのバチ捌き、竿を上下する動きの見事さはなかなか。シェイクスピア十二夜の翻案十一夜は、筋や人物像は原作通り。セリフを人形劇向きにアレンジ。人形の表情が動かない分、演者の声の表情を大袈裟に演じてもおかしくなく、その両方が相まって、リアルな感情を作り出していた。客演の道化(阿呆)の植本純米の飄々とした滑稽さが素晴らしかった。
終盤、双子の勘違いによるゴタゴタが、もう気付いてもいいだろうと思っても、さらに延々と続いた。イライラ、モヤモヤがかなりフラストレーションになったが、このストレスが、この舞台を見て1番の感情の体験かもしれない。イライラへの耐性を高めて、日々の生活で多少のイライラは平気になるという効用があるかもしれない。
アカシアの雨が降る時
六本木トリコロールシアター/サードステージ
六本木トリコロールシアター(東京都)
2021/05/15 (土) ~ 2021/06/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
同僚が「笑って笑って、最後泣いた」と、絶賛するので見に行った。70年代、ベトナム反戦運動の青春へのオマージュ。おばあちゃんが認知症になって、自分を20歳の女子学生と思い込み、ベトナム反戦運動に熱心に取り組む。よかった。大学のキャンパスで、学生誰彼かまわず、反戦運動への参加を話し込むのは戯画的。かつての学生運動への揶揄のようにも取れたが、おそらく、作者にそんなつもりはなく、あれは本人たちは一途でも、はたから見ると迷惑で滑稽というものなのだ。息子がアメリカ人に化けて、それでも「日本語で日本語で」、というあたりは爆笑ものであった。
見ながら、現在の若者たちはなぜ立ち上がらないか、「沈黙は罪」なのにという気がしてくる。そこからさらに、今からでも遅くない、「この闇の向こうには輝く明日がある」と励まされる。
引用されている「二十歳の原点」を見て、読みたくなってしまった。非常に文章が良い。詩情がある。私は「二十歳の原点序章」しか読んだことがなく、その印象は、なにか幼い感じで惹かれなかった。高野悦子も「序章」から「原点」へ、数ヶ月、1年の間に急速に成長した気がした。
おばあちゃんの20歳騒ぎだけでなく、息子の会社での急の取引先からの打ち切りのしうち、孫の父、母へのアンビバレンツな心情と、重層的なシナリオも、作劇上のヒントがあった。シンプルな作りなので、作劇上の構造がよくわかった
ロミオ&ジュリエット
ホリプロ/東宝/TBS/梅田芸術劇場
赤坂ACTシアター(東京都)
2021/05/21 (金) ~ 2021/06/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ロック調のミュージカルに、現代を舞台に、エネルギッシュなダンスシーンが見どころの、若者向けのロミジュリ。キャピュレット家の家族関係を、原作以上に彫り込んでいるのも、奥行きが増した。キャピュレット夫人の意外な告白には驚いた。
ジュリエットの乳母役の原田薫が、ユーモラスとお茶目さがあって、彼女の歌うシーン「あの子はあなたを愛している」は、若さと悲劇のエネルギッシュな舞台の中の、無垢な献身を見せる一服の清涼剤であった。自由を謳った「世界の王」も、カーテンコールでも歌われたが、いい曲だった。
最後のロミオとジュリエットの死の場面は、背後に、十字架とキリストの磔刑像が大きく配されて、二人の死が、単なる愛の死ではなく、争い合う人類のための贖罪の死に高められていた。キリストの死と重ねられていたわけである。残された親たちの歌う歌にも、「神はなぜ二人を見捨てたのか」という言葉がある。これもキリストとダブル。カトリック国フランスらしい演出だと思った。一番のテーマ曲の「エメ」は、おそらく「アーメン」である。こんなところにも、演出の宗教的強調がある。
約3時間5分(休憩25分)。
東京ゴッドファーザーズ【5月2日~5月11日公演中止】
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2021/05/02 (日) ~ 2021/05/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
前の口コミを見ると、評価が割れているようだが、私はすごく楽しめた。ちなみに今敏のアニメは未見です。それでも、ホームレス三人が、互いに喧嘩しながらの、捨て子の赤ん坊の親を探してのロードムービーは十分面白かった。オカマのハナの松岡昌宏が出色。ホームレスのギンちゃんのマキタスポーツのうらぶれた感もよかった。競輪選手と嘘をついていた見栄と寂しさもよくわかったし、娘との再会シーンも素直にジンと来た。夏子の突っ張ってみせるけど、本当は素直で優しい思春期の女の子の感じもよく出ていた。赤ん坊の母親役の池田有希子の、ちょっと心を病みかけた、余裕のない必死さもリアルだった。
「歓喜の歌」が要所要所で流れてテーマソングのよう。最後の大団円は第九のオケと合唱のフルバージョンで高らかに歌い上げるのに、素直に感動した。みんな幸せになれてよかったと、素直に温かい気持ちになれる、「大晦日の奇跡」ともいうべき舞台だった。
舞台を立体的に使う演出がうまくいっていた。上下だけでなく、細長い島式舞台の左右中央で3つのシーンが同時並行したのも、面白い。平田オリザ式同時多発会話ではなく、隙間補い合い型の、互いに少しずつタイミングがずれていて、どのシーンの会話もクリアに聞こえるというタイプは初めて見た、気がする。
終わりよければすべてよし【6月12日~6月13日公演中止】
彩の国さいたま芸術劇場
彩の国さいたま芸術劇場 大ホール(埼玉県)
2021/05/12 (水) ~ 2021/05/29 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
スピーディーな展開に、吉田鋼太郎のフランス王の圧巻の貫禄と、横田栄司の哀れでコミカルな従者パローレス。十分楽しめました。イタリアの娼家の娘(だが、純潔な処女)ダイアナと、傲慢なバートラム(藤原竜也)のシーンを、戯曲ではまだベッド・イン前の駆け引きのところを、ベッドでのやり取りに演出したところが、男と女の欲望とバカしあいの内容にふさわしかった。女が活躍する舞台で、男は愚かでダメな奴ばかりというのが、(芝居ではよくあることだが)おかしかった。
曼珠沙華が咲き乱れる舞台を、吊り物の上げ下げで、場面転換させる美術も良かった。