実演鑑賞
満足度★★★★★
「人生、不幸せの次には幸せがくるなんてうそだ。幸せと不幸せのバランスはこの世界全体で取れていて、幸せが重なる人がいる一方で、不幸せばかり続く人がいる。誰かが幸せになると、その分の不幸せが、別の人にかぶせられる」。このセリフ(記憶なので細部は違います)に、本作の世界観が集約されている。でもそんな不公平を愛の力で(変えるとまでは行かないが)のりこえる物語だ。
父が去り、母が消え、自分の殻に閉じこもって生きてきた月人(げっと、田中圭)。自分と同じ喪失を抱えた星子(せいこ、小島聖)と出会い、初めて愛を知る。でも、悪戯な運命は星子を奪い、月人は、幼い日、押し入れの中の画集でみたゴッホの「星月夜」の糸杉(キリストの十字架に使われた木)のような、高い杉の木で首をつる。
冒頭、3,5分、テーマ曲が無人の舞台で流れたあと、場面は月人が自殺未遂指摘から落ちて目覚めたところから始まる。(メロウで弾むポップ癖のいい曲。ただ、癖のあるボーカルで歌詞は判別しづらい。パンフにあるテーマ曲の歌詞を見ると、芝居の物語が見事に歌われていた)。三日月の精(黒羽麻璃央)の語りかけに、耳をふさぐように、月人は子供の頃から自殺までの半生を語る。これが1時間50分のこの芝居の前半。多分40分くらい。三人しか出ない芝居だが、前半はとにかく田中が早口で語り続け、セリフ量はハンパない。
そして冒頭の場面に戻る。月の精は「ただ死んじゃだめだ。その生命を人のために使うんだ」と、絵のうまい月人に「命を描くスケッチブック」をくれる。植物でも動物でもこのスケッチブックに描くと、どんなに死にそうでも、もともとの寿命が蘇り、かわりにその分の月人の寿命がなくなる。いま35歳の月人は90まで生きられる運命なので、55年。こうして、月人は死んで星子にもう一度出会うために、死にそうな生き物を探しては描いて、知らない街をさまよい、ふと水族館に入る。
そこで出会ったのが虹子(にじこ、小島聖)。「男が一人で水族館に入るときは2つしかない。思い出に浸りたいときか、魚を食べたいとき」などと、図星を指されて、月人は虹子に惹かれる。彼女が応援する病気のアザラシを救う、25年分の命を与えて。
こうして虹子のスナック「フルムーン」での幸せな生活が始まる。常連客とも打ち解け、死ぬのをやめた月人だった。しかし、そんな日は長く続かず、のっぴきならない選択を迫られる日がやってくる…。
と、ファンタジーも盛り込んだ、喪失と献身の物語。芝居は言葉でできていることを実感させた。それと俳優の存在(声)。「僕がアドバイスしたように、星子は迂回して、車を止めたとき、トラックが突っ込んできて、4トンのトラックの下敷きになって死んだ」と田中圭が語ると、その出来事は起きてしまう。「寺田さんがミオちゃんを殺したの」と小島聖が言えば、それは事実になる。だから、スケッチブックに命を描けば、命は本物になるかもしれない。そんな連想が働く舞台。
美術も良かった。正面に大きな円盤が掲げられ、それが映像によって三日月や、満月や、ミラーボールになったりする。その下の舞台も円形で、上の円盤と同様に様々な絵が投影されて、物語を彩る。映像と言っても現実物ではなく、殆どは抽象的な色面や絵。大道具もバーの椅子と机以外は抽象的で、言葉と俳優にフォーカスした舞台だった。社会批判はないけれど、人間の悲しみと、美しさを感じさせ、大きく人生を肯定する、いい芝居だった。