少女地獄
新宿公社
サンモールスタジオ(東京都)
2018/12/12 (水) ~ 2018/12/16 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2018/12/14 (金) 19:00
「少女地獄」3編を個別に演じるのかと思っていたのですが、「何でも無い」に「殺人リレー」と「火星の女」を微妙に関わらせて包み込むような作品。なので、「何でも無い」から始まり、「何でも無い」で終わることから、姫草ユリ子と臼杵夫妻の余韻が濃く、奥田努の怪奇さでぐいぐい引っ張る「殺人リレー」はともかく。「火星の女」の話の輪郭が見えにくい。
しかし、「火星の女」のエピソードを挟み込むことで、うまくバランスを取っていることも事実で、「殺人リレー」「火星の女」が、切ないラブストーリになっているところが、「何でも無い」の虚無的な内容を、ちょっと温かみを感じる(と言っても、かなりつらい話ではあるのだけれど)作品に変容させている。
群盗
劇団俳小
d-倉庫(東京都)
2018/12/12 (水) ~ 2018/12/16 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2018/12/13 (木) 19:00
ドイツロマン主義の傑作。
ピアノ伴奏を入れ、ある面歌唱劇として、メロドラマ要素と役者の躍動を盛り込み、テーブルと椅子の配置で、大芝居をテンポよく描き切った力量には感心。
そもそもが、その舞台設定の大きさから、リーディング劇を想定して書かれたものだったようだが、d-倉庫の奥行を一杯に使って、大劇場にも負けない見せ方だ。(宝塚で上演が予定されているというのも納得)
勝山了、渡辺聡、米倉紀之子、大川原直太、主役4名の、見得の大きな芝居もこうした古典劇を演じるには、必要不可欠。観ているこちらも清々しい。
ラストの、悪役弟フランツの自死、父モール伯爵の衰弱死、自らの罪悪感と仲間のために去り行こうとするカールに懇願して殺される恋人アマーリエ、なんかえらく歌舞伎チックだなあと思って調べたら、日本初演では歌舞伎演目に翻案されて上演されたとのこと。さもありなん。日本人情緒に訴える内容なのだよね。
ただ、この舞台でのメッセージ性と舞台冒頭の設定は疑問。
シラーがこの作品で、カールの自由への強い訴求を描きたかったことは、広く認められているところ、そこで様々な苦悩と悲劇が生まれていく。
そこで、演出に際して、現代の閉塞的な社会状況を打破して、自らの力で自由を勝ち取ろうという、メッセージが強く打ち出される。ラストの登場人物全員による、自由を求める歌(既存の曲なのかどうか、題名も知らないが)の大合唱に、それは集約されている。この合唱はとても心地よい。
ややステロタイプなメッセージのようだが、あくまで描き方が問題なのであって、けして陳腐な古臭いテーマというわけではない。
しかし、カールの自由への訴求は反権力や民衆への共感といったものではない。彼は、義賊的な振る舞いで仲間からも一目置かれながら、仲間を死刑から助けるために、街を燃やし老人や子供、病人を中心に80人以上も殺してしまう。彼自身、自ら自由を求めながら、実は無法に振舞っていただけだと気づき、それを独白している。果たして、カールの生き方は現代に本当に通ずるものなのか?
そして、このメッセージを伝えるために、舞台と現代を通じさせるための演出として、冒頭では、登場人物たちが現代の若者として、自らの価値観や求めるものについて面白おかしく、酒を酌み交わしながら議論をする。
そして、ある男の発言(フランツ役)から、舞台は本筋に入るという趣向なのだけれど、これがどうもわかりづらい。こういう導入なのだとすれば、最後でそれに対するアンサーがあってしかるべきだが、それがない。カールの独白から本筋に入るというのであれば、ラストのカールの行動や合唱は一応のアンサーになっているとは思うのだけれど。
もっと、魅せることのみに邁進しても、よかったと思う。
それができるだけの十分な舞台美術や、役者の言葉と動きがあったのだから。
惜しむらくは、主役の方々が盛り上がるところで、ちょっとずつ噛んでしまったこと。
それと、これだけの舞台なのに、ちょっと客席が寂しかったのが残念。
THE PILLOWMAN
Triglav
山王FOREST 大森theater スタジオ&小劇場(東京都)
2018/12/12 (水) ~ 2018/12/16 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2018/12/12 (水) 19:00
座席1列
ハロルド・ピンター作品で旗揚げした次作では、マーティン・マクドナー作品。劇団の嗜好性あるいは志向性が判る(というと「判ってたまるか」というくらいに骨太な)選択です。
その上で、翻訳を劇団員自らが前作同様に行っていることに、強い作品への愛着と敬意を感じます。
マーティン・マクドナー作品は、長塚圭史氏や現新国立劇場の芸術監督である小川絵梨子氏の出世作であり、森新太郎演出もあったり。これら日本を代表する若手(?)演出家の舞台に立つのは、錚錚たる顔ぶれの役者陣。
最近では世田谷パブリックで最新作「ハングマン」が上演され。まさに日本演劇史に強い影響力を持つ作家です。
そうした背景の中で、今回の舞台は見事!!!
称賛しかありません。
まずは小劇団の宿命、限られた短い時間の稽古で迎えたであろう初日、噛むこともなく淀みなく進む舞台。明治大学でシェイクスピアプロジェクトを中心に揉まれてきたとはいえ、設立わずか1年の劇団舞台としての完成度は高い。他の大御所のマクドナー作品の舞台と比しても、そう遜色ないように思われる。
そして3幕の長尺作品なので、過去の上演記録を見ても、長いと3時間超、短くても
2時間をゆうに超える作品であるにも拘らず、2時間ちょうど(それも、前説で宣言したように時間がぴったり)にまとめあげたのは、やはり演出、の妙というべきだろう。
それも、短縮したり省略したりすることなく、狭い劇場を左右に区切り、その上、場面転換するところを、うまく紙のシルエットで観客の想像力に働きかけることで、テンポよくストーリーを摘むんで行く。舞台監督を置き、演出の意に沿う工夫を考案したことも大きい。
女中たち
風姿花伝プロデュース
シアター風姿花伝(東京都)
2018/12/09 (日) ~ 2018/12/26 (水)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2018/12/11 (火) 19:00
座席1階A列9番
「女中たち」言いえて妙な題名だと思う。
フランス語に「女召使」「お手伝い」「家政婦」などと言う表現の区別があるのかは知らないが(ソランジュはたびたび自身のことを「召使」と呼んでいるので、その程度の違いはあるのかも)、これはやはり「女中」でなければいけない。
冒頭の、横柄な奥様と卑屈な女中のやりとり、すでに散々書かれているが、これは女中姉妹のソランジュとカリーナとのごっこ遊び。連綿と続く日常のうさばらし風景と言えばそれまでだが、観客はこの場面を通して、ジャン・ジュネにより1つの世界観の中に放り込まれることになる。
それは、粗野で野蛮で下卑た世界。言葉は暴力を持ち、行為は隠蔽と加害に満ちている世界。
女中衣裳に着替えるカリーナは、普段の荒い言葉使いに戻り、ソランジュは妹を馬鹿にした表現をまき散らす。
舞台中央に彼女たちは設けられた回転式のオブジェは、彼女たちが鏡像で一体であることを常に表象し、お互いの言葉と行為が、相手と自らを傷つけながら癒し合うという、対照関係を見せる。
まだ3日目、中嶋朋子さんと那須佐代子さんのコラボは、ますますよくなるだろう。コトウロレナさんも、もっとこなれてくるでしょうし。(ただ、シースルーのノースリーブワンピース、とても似合っているのだけれど、役柄からすると少し違和感があるなあ。もう少しシックな装いの方が女中たちとのバランスもよいかと。)
そこで、評価は現時点でのもので。
魔女の夜
劇団キタラヅカ
本所松坂亭(東京都)
2018/12/08 (土) ~ 2018/12/09 (日)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2018/12/09 (日) 13:30
女性2人の心理劇。1人の男を巡っての駆け引きだということが、次第に判ってきて、果たして女優の言っていることはどこまで本当なのか、マネージャーが隠していることは何なのか。
スカイライト
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2018/12/01 (土) ~ 2018/12/24 (月)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2018/12/08 (土) 13:00
座席1階c列18番
先日のフジテレビ「ぼくらの時代」で、蒼井優さんが、「200ページ近い台本のセリフを覚えなければならない」と言っていたのは、この舞台のことだったんだなと得心。
総計2時間25分、ひたすら出ずっぱりの彼女は、セリフを続けるだけではなく、走り、着替え、シャワーを浴び、何とスパゲティを作り、ウィスキーの水割りを作り、ワインの栓を開け、それを飲み、眠り、、、凄いな。舞台というのは、演出でも脚本でもなく、最終的には役者の力量に収斂されていくということをまざまざと見せられた。
浅野さんの役柄にも十分満足がいったけれど、この役を故中嶋しゅうさんがやりたかったのだろう、という記事を朝日新聞で読んだとき、彼が演じたらどんな芝居になっただろうか、と思い馳せることは、許されてよいと思う。
話としては、けして好きなものではなかったが(こうした男女の口論劇はちょっと辟易する)、とにもかくにも蒼井優という役者の力量に脱帽。これに☆を5つ挙げなくて、何の評価であろうか。
空想科学II
うさぎストライプ
こまばアゴラ劇場(東京都)
2018/11/29 (木) ~ 2018/12/09 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2018/12/07 (金) 19:30
タカハシヒデキは存在したのか?それとも、、、女の妄想の産物だったのか。
とにかく、これほど着替えの多い舞台はないな。主人公2人はひたすら着替えている。
時間感覚の欠如。とにかく明日の予定を考えて、また寝る生活。
不条理劇とは、会話の整合性、時間の不可逆性や論理の一貫性、時空間一元性、生理的な均衡、そうしたものを踏み外したものだから、言うまでもなく過剰な追加や、不足のさらなる欠落があっても驚くべきではない。
舞台中央の大きなベッドは、邪魔なのだけれど、それでも舞台上の舞台として機能していて、軽やかに舞台中央で回り続けるのだった。
その恋、覚え無し
劇団桟敷童子
すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)
2018/11/27 (火) ~ 2018/12/09 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2018/12/05 (水) 14:00
座席1階2列
神目4人のうち、タケを除く3人がそれぞれに恋心を抱いている。
コマメはその心に鬼が住んでいると思い、ウタには嫉妬と憎悪とにまみれた心として抱かれ、カイには荒んだ心の癒しとなっている。
ただ、彼女たちは一様に、その恋心をかき消そうとしているという話。
ただし、この話は前面に出てくることはなく、むしろ、この舞台で展開されるのは、昭和という時代に入って、かなぐり捨てられようとしている古い因習の話だ。
この因習によるしがらみを捨てるということは、盲目の彼女たちに平穏と安寧を与えるものであると同時に、その端境期には彼女たちの生活の礎を損なうものにもなりかねない。神目である彼女たちには、祈祷が生活の基盤であり、それを否定することでもあるのだから。
今回も舞台が見事。始まりと終わりに嵐を描くために、大量に水を降らし、その受け皿として大きな池を配置し、そして恒例のラストの場面転換。
今回は、桟敷童子おなじみの人間の屑がいないので、かなり気持ち良く観れるけれど、
コマメとハルの悲劇は、胸が締め付けられるようだ。もっとハッピーエンドはないのか。(うーん)
梟倶楽部
Pカンパニー
西池袋・スタジオP(東京都)
2018/11/28 (水) ~ 2018/12/02 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2018/12/01 (土) 14:00
座席1階1列
いやあ、面白かった。
舞台上には小道具が一切なく正面に3つのドア、左右に2つづつのドアがあるのみ。
何となく朗読劇的な展開を予想していたので、椅子にあたるものがないのにも?
しかし、このドアが効果的な演出を生み出していました。
ドアがあるということは、そこを通じてある世界と別の世界が通じているということであり、いつでも身を隠すことができるということでもあり、それを使って別の何かになれるといった暗喩であります。
掴みの主人公の梟倶楽部訪問場面から、一通り笑いを取り、
すぐに「綺麗は汚い 汚いは綺麗」(シェークスピア)→「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」(江戸川乱歩)とセリフの置き換え。これは舞台劇ではないよ、小説の世界だよ、という切り替えが見事。
「目羅博士」というちょっとマニアックな作品を世界をドアと窓枠だけで描き切り、「お勢登場」のラストへの捻り、
ちょっと見ない乱歩世界の創造です。
他の乱歩作品も見たいなあ、と思わせる中毒性の高い舞台でした。
六月の斬る
グワィニャオン
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2018/11/28 (水) ~ 2018/12/02 (日)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2018/11/30 (金) 19:00
座席I列4番
島田魁こと西村さんの新撰組衣裳を、また観られたのは感謝。やはりこれを見なきゃね。
舞台の入りは何なのか、というと、これは最後に繋がる(士気)高揚劇の一幕。
日清戦争に突入する時代、「侍」としての矜持を保ち続ける永倉新八、斎藤一、島田魁
彼らにとっての明治を描きながら、明治になって失われたものは何かを綴る舞台となっている。そして、新撰組3人に、川上音二郎や伊藤博文、樋口一葉、千葉さな子らが絡む。
前半の展開は、グワィニャオンらしく活劇と笑いに包まれたテンポの良い。
新撰組3人個々の登場シーンは、それぞれの個性をよく引き立ててていて、
(永倉の剣術、斎藤の純情、島田のユーモア)とにかく、カッコ良い男達だなあと、惚れ惚れさせる。
以下ネタバレへ
オイディプス=罪名
クリム=カルム
新宿眼科画廊(東京都)
2018/11/30 (金) ~ 2018/12/05 (水)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2018/12/01 (土) 11:30
入口で渡されるチケットは、「嘆願の小枝」。
観客はテーバイの民として、、、、会場に迎え入れられる。
会場は中央に幾つかのオブジェによって遮られ、観客席はそのオブジェに沿って正反対に設けられている。一応、正面となるのは入口から左手なのだけれども(そちら側にオディプスと神官らが常在、右手にコロスが常在)、2人の女優は双方を行き来する。
席は双方で16席くらい。スタッフによる女優配置の説明があって、すでに満席状態の入口左手に対して、右手は私ともう1人。それならばと、1つ空いている左手の席に移動しようかと一瞬思ったのだが、スタッフの「後ろを振り返る必要はありません。その視線こそが、見えないものを見せるのです」的な言葉が移動を押しとどめる。
そうか、ならば見てやろうではないか、の意気で。
舞台(?)はちょうど1時間。かの「オディプス」を読誦(脚本を持たぬ方もいたが、意図的に持たされている方もいる)とポージングで見せる朗読劇。
後ろを見なかったので、オディプス他の2人のお顔は全く覚えていない。
果たして見えないものが見えたのかと言うと、私なりに見えたような気もする。
「オディプス」の世界が、心地よい緊張感と共に、役者さんを捉える視界と、小声で各人のセリフをなぞるコロス、真っ白な壁によって、体に沁み込むようだ。
アンティゴーヌを連れて行きたいと言う盲目のオディプス、それをさせない義弟で後の国王クレノス。その後のまた悲劇は、皆さん知るところ。
十一月新派特別公演 犬神家の一族
松竹
新橋演舞場(東京都)
2018/11/14 (水) ~ 2018/11/25 (日)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2018/11/21 (水) 16:30
新派の舞台を演舞場で観るのは初めてかもしれない。
舞台全体を通して、「うわあ、新派だ」的な観劇が半端ない。
「犬神家の一族」のような推理劇は、ともするとラストの謎解きが冗長になって、どうも締まりのない舞台になりかねない。
映像であれば、謎解き場面でも、殺害シーンを挿入するとか、登場人物の表情をズームにするとか、変化のつけようもある。
また、明智小五郎のようなスタイルであれば、アクションや派手な演出でアクセントをつけることも可能だ。
そこで、この舞台は、謎解き自体を全て打っ棄って、あくまでも人間の情念を描くことに徹したのは潔い。(前半の幕間直前に犯人が判るようにしておいて、そこからは観客にストーリーを追うことに専念させている)
喜多村緑郎の金田一耕助も、舞台の進行にうまく組み込まれて、嫌味が全くない。
ただし、物語りのキーとなる野々宮珠代役の川合宥希の印象が薄く、何のために存在している役なのか、曖昧になったことがおしいかな。
誰もいない国
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2018/11/08 (木) ~ 2018/11/25 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2018/11/25 (日) 13:00
「・・・ですな」石倉三郎のセリフの語尾が余韻深く響く。
パンフレットを読むと、柄本明が「石倉さんにとって。芝居は稼業だから」というようなことを言っていたと書いているが、やはり、この芝居は柄本明と石倉三郎という、背景も価値観も異質な存在がなせる化学反応なのだろう。
ピンターの戯曲を、何が発生するか判らない状況において演じらせる不安定感。
柄本明のひらめきと、石倉三郎の武骨な芝居。観続けていると、頭がくらくらする。
台詞や物語に意味がないのだから、役者としては、流れに身を委ねるしかない。
それにまた身を委ねる観客にとって、得体のしれない浮遊感が気持ち悪くもあり、気持ち良くもあり。そんな芝居だ。
天上から落下し、堆積されていく水。これは、ハーストが飲んだ酒の量か。終幕には、舞台の前面まで、はっきりと見える水面は、混濁した意識の象徴にも思える。
果たして、ハーストやスプーナーの存在自体も不安定に思えてくる会話劇は、唐突なエンディングを迎えるが、誰もいない国って何?
『眼球綺譚/再生』
idenshi195
新宿眼科画廊(東京都)
2018/11/16 (金) ~ 2018/11/27 (火)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2018/11/20 (火) 17:00
「再生」
ラストは予想できたけれど、そこまでの悍ましさが、、、、
「眼球奇譚」を鑑賞した後だったので、4名構成が2名構成になると、少し単調になるかなと思ったけれど、そのようなことはなかったな。
春名風花さんて、こんなに大人びていたっけ。
『眼球綺譚/再生』
idenshi195
新宿眼科画廊(東京都)
2018/11/16 (金) ~ 2018/11/27 (火)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2018/11/20 (火) 14:30
「眼球奇譚」
眼球を抉るという、痛覚が直接的なイメージが、朗読という形でこれほど心に刺さるとは思わなかった。薄暗い中、観客は30名弱。新宿眼科(!!!)画廊という狭い空間、ちょっと息が詰まるようなスペース。この場所には、何度も訪れているのだけれど。
「読んでください。夜中に、一人で」
空気は重いけれど、目は冴えるばかり。
ラストは、ちょっとな感じがするけれど、十分に怖い。
紅日毬子さんの登場が、息をしているのかいないのか。
夕焼かれる
ピンク・リバティ
小劇場 楽園(東京都)
2018/11/13 (火) ~ 2018/11/18 (日)公演終了
満足度★★★
すごい残念。
前説から流れる伏線。(実はこれ、ラスト近くに気づくのだけれど)
倒れている男。
その男を取り囲む犬たち。
よくできているなあ、と感心しきり。
殺人犯の男の足取り、そこで語られる彼女の存在。この彼女の存在が物語の鍵であることが示唆されるのだけれど、、、もったいない。「ゴウ、ゴウ、ゴウ」の意味も分かったけれど、
その犯行動機と、犯行に至る原因が結びつかないのだよなあ。
遺産
劇団チョコレートケーキ
すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)
2018/11/07 (水) ~ 2018/11/15 (木)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2018/11/15 (木) 14:00
座席1階c列15番
前回公演の「ドキュメンタリー」とのつながりは、パンフレットやここに書かれている皆様のご指摘通り。登場人物が重なっていないとのことだが、西尾友樹氏や浅井伸治氏は役柄が全く異なるのだけれども、岡本篤氏の今井は「ドキュメンタリー」の元グリーン製薬研究員だった老医師とどうしても被るなあ。実際、途中までそういう目で見ていました。
いっそ、それでもよかったのではないかな。この一点で人物の繋がりが明確になると、かなり、731部隊→非加熱製剤投与への連綿とした倫理観の一貫性が判るような気がするので。つまり731部隊で問われる倫理観(軍としての細菌兵器の開発、人体実験)と非加熱製剤投与の倫理観(利益至上主義、官民癒着構造)は、本来異なるもののはずだったのに、実はこの2つに関わった一部の者たちの倫理観には、通底するものがあった(人命の軽視)ということ。
731部隊に関わった「ドキュメンタリー」の老医師と、今回の今井は、共に731部隊での研究時代を至福の時間だったと回顧しながら、前者は非加熱製剤投与に抗い、後者は一生の後悔の念に苛まれる。しかし、そうではない、そうは思えない人々が、間違いなく関与していいたという事実、この方が戦時下という言い訳をも許されない決定的な証拠だと思う。
私は、こうした歴史的事実に基づいたフィクションに、誤謬の指摘をしたり、情報量を求めることにあまり意味があるように思えない。その解釈に意義を唱えるのは自由だけれど、あくまでもこれは創作活動なので、観客は舞台自体がどうなのかを語るべきだと思う。もちろん、その舞台観劇を契機に各々の事件について語ることは、舞台作者の意図するところでもあるかもしれないし、観劇者の探求心の発露でもあろうから、一向に構わないけれど。
だから、731部隊どうこうよりも、人間の宿業や贖罪への意識というものが、どれだけ重要かということを感じた。53人殺めた今井と川口少年に「生きろ」と言った今井は矛盾する存在ではない。それは、匿名な個人と知人との対応の違いではない。
李丹のラスト近くの舞は、見事。誰に悼まれず、隠蔽され続ける死の朦朧が良く表現されていたと思う。終盤に至るまで、その生と死の狭間を行き交うような、儚くそれで強い存在感は秀逸でした。
「マルタ」という表現は、「材料」という意味で「マテリアル」から来ているらしいのですが、私は「ドキュメンタリー」からずっと「丸太」だと思っていました。
枝(手足=自分の行為を司どり死生を左右する部位)を切り取られ、ただ無機質に並べられた材木。何に使われるかをただ待つ存在として。
エンタメ・オペラ「霊媒・電話」
RAINBOW-STUDIO シアター・カンパニー
小劇場 楽園(東京都)
2018/10/31 (水) ~ 2018/11/04 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2018/11/02 (金) 19:00
座席1列
大きな驚きが2つ。
1つめ、こうしたオペラ作品が存在していたことの不明。
2つめ、あの「楽園」でオペラを聞くという異次元な体験。
まず、正直に面白かった。
「霊媒」
インチキ霊媒を生業とするバーバとその娘モニカ、そして口がきけない、拾われてきた少年トビー。モニカとトビーはバーバの手伝いをさせられているのだけれど、バーバは何かと拾ってきたトビーに辛く当たる。怒鳴り散らすだけでなく、暴力も振るう。
ある霊媒の日に事件が起こる。インチキ霊媒中に、バーバが首に冷たい手を感じたという。彼女は半狂乱になって、客を追い返すが、その後のこの体験がトラウマになって、、、
作品の質感はカミュの「誤解」を想起させる。
こちらは、あきらかな誤解が大きな悲劇を招くのだけれど。(ネタバレへ)
「電話」
軽快なコメディ、スマホが出てくるオペラを意外に思うこと自体、私のオペラ感は20世紀なのだな。時間は僅か30分。結婚の申込みをしようとするベンは、出張前に婚約指輪を持参してルーシーの元を訪れる。しかし、電車の時間が刻一刻と迫るが、奥手のベンはルーシーの電話にことごとく邪魔をされて、、、
ベンとルーシーといった、いかにもアメリカの若者風の名前が、余計に物語にウィット感を出してよい。
喜劇 俺たちの心中は世界を泣かせる
劇団ズーズーC
鶯谷ズーズーC劇場(東京都)
2018/10/13 (土) ~ 2018/11/04 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2018/11/02 (金) 19:00
座席1階1列
年2回公演を開催している劇団で、以前から初観劇無料のフライヤーを配っていたようなのだけれど、なぜか目にしたことがなかった。そして、今回は初観劇をして思った。これはもったいなかったと。
この劇団にしては、ラストが珍しい(夫婦で心中する=つまり、喜劇でまじに人が死ぬ)展開だということで、そこに到達しても違和感がないようにオープニングにラストシーンを重ねたそうですが、これは正解だと思います。ラストの違和感を消すこともあるでしょうが、なぜ死んだの?どういう経緯で死んだの?本当にこの夫婦死ぬの?と、進行に飽きが来ません。
何だかんだ言って、どうせ死なないんじゃないか、と見続けると、かなりラストは唖然としますもの。前の方もおっしゃっているように、夫婦愛(お互い想いというか)といった温かい気持ち(心中がよいというのではないですよ)を感じるより、驚きが先に来て、帰り道にあれほどほんわかとした気持では帰れなかったでしょうから。
オメオリケイジ、いしずか陽子の2人芝居は、よくこなれていて淀みないので、笑いが詰まることがない。いやあ、これほどきちんと笑わせる小劇団って、まずないですよ。
次回のテーマは「嘘」とのこと。今度は子供を初見無料扱いで連れて行こうかな。
泡雪屋廻墾譚
有末剛 緊縛夜話
ザムザ阿佐谷(東京都)
2018/11/01 (木) ~ 2018/11/04 (日)公演終了
満足度★★
鑑賞日2018/11/02 (金) 15:00
座席1階1列
まず、ピアノと二胡の演奏に拍手。これは素晴らしいファクター。
でも、「泡雪屋廻墾譚」という芝居で評価するとなると、どうかな。
そもそも、この舞台は「泡雪屋」シリーズである前に「有末剛 緊縛夜話」であるということ。
「泡雪屋」シリーズや前回の「銀河鉄道の夜」に言えることなのだが、そこのところをどう考えているのか?に思います。
今回の芝居、確かに緊縛が3回(とはいえ、うち2回は緊縛と言うより縄による装飾)出てきます。うち2回は、娼婦たちの関係性や心情を描く、複数人をゆるく縛るというもの、あと1つは主人公の心理的な呪縛を象徴するような、本格的な縛りでした。
確かにこの3つの緊縛は、舞台装置としては有効な手段であることは認めます。
また、「緊縛夜話」のコンセプトは、緊縛を用いた様々な舞台表現を追求することですから、こうした手法自体は問題ないと思います。しかし、これでは「有末剛」という看板で舞台をやることの意味がありません。今回もですが、有末さんは単なる裏方、あるいは小道具係に過ぎません。
有末氏に舞台上で縛りをしてもらうのは、役名がなかろうが、不可視な存在であろうが、役として緊縛に携わってもらうことでこそ「有末剛 緊縛夜話」であるはずです。
例えば、緊縛夜話 第十二夜「緊縛ドラマチックvol.3」では、夜間ビルを回る清掃員でした、彼はOL達を次々と緊縛していきます。OL達は、不倫、横領、同僚へのいじめ、など、昼の明るい笑顔や控えめな言葉遣いとは違う実の顔を持っており、一方清掃員は、いつからその仕事に就いたのか、素性も名前も誰にもわかりません。
そうした存在が、清掃用具を持ち歩き、音も立てずに徘徊する姿は、その後の緊縛情景と相まって見事なスリラーになっていました。
あるいは、第十五夜 「盲獣ーあなたの世間に唾を吐くー」 では、映像でリアルタイムの緊縛を流すといった画期的な演出(良し悪しはともかく)でしたが、そこではめくら自身の妄想の世界を視覚化する司祭のような存在でした。スクリーンに映し出される有末氏の緊縛は、実はめくらから伝播した観客自らの妄想でもあったのです。
このように、有末氏が存在として緊縛をする意味を、劇中に設けなければ、この緊縛夜話の企画の意味はないように思われるのですが、いかがでしょうか。
なお、舞台としては特に観るものはありません。
殺される絵師の存在感もやたら薄いので、殺されても感慨がないですし。
ずーとテーブル上で流されるゲーム映像も、どうも廓の風情を壊しているだけ。
水着場面も、全員でもなく半端感が、尋常ではありません。
ただし、ラスト、燃える泡雪屋で死に水槽に俯せになったままの夢乃屋毒花さん、
息ができなくて死ぬんじゃないかと思わせた女優魂には拍手(ってでも、舞台を評価して欲しいですよね、ごめんなさい)。