満足度★★★★★
鑑賞日2018/11/15 (木) 14:00
座席1階c列15番
前回公演の「ドキュメンタリー」とのつながりは、パンフレットやここに書かれている皆様のご指摘通り。登場人物が重なっていないとのことだが、西尾友樹氏や浅井伸治氏は役柄が全く異なるのだけれども、岡本篤氏の今井は「ドキュメンタリー」の元グリーン製薬研究員だった老医師とどうしても被るなあ。実際、途中までそういう目で見ていました。
いっそ、それでもよかったのではないかな。この一点で人物の繋がりが明確になると、かなり、731部隊→非加熱製剤投与への連綿とした倫理観の一貫性が判るような気がするので。つまり731部隊で問われる倫理観(軍としての細菌兵器の開発、人体実験)と非加熱製剤投与の倫理観(利益至上主義、官民癒着構造)は、本来異なるもののはずだったのに、実はこの2つに関わった一部の者たちの倫理観には、通底するものがあった(人命の軽視)ということ。
731部隊に関わった「ドキュメンタリー」の老医師と、今回の今井は、共に731部隊での研究時代を至福の時間だったと回顧しながら、前者は非加熱製剤投与に抗い、後者は一生の後悔の念に苛まれる。しかし、そうではない、そうは思えない人々が、間違いなく関与していいたという事実、この方が戦時下という言い訳をも許されない決定的な証拠だと思う。
私は、こうした歴史的事実に基づいたフィクションに、誤謬の指摘をしたり、情報量を求めることにあまり意味があるように思えない。その解釈に意義を唱えるのは自由だけれど、あくまでもこれは創作活動なので、観客は舞台自体がどうなのかを語るべきだと思う。もちろん、その舞台観劇を契機に各々の事件について語ることは、舞台作者の意図するところでもあるかもしれないし、観劇者の探求心の発露でもあろうから、一向に構わないけれど。
だから、731部隊どうこうよりも、人間の宿業や贖罪への意識というものが、どれだけ重要かということを感じた。53人殺めた今井と川口少年に「生きろ」と言った今井は矛盾する存在ではない。それは、匿名な個人と知人との対応の違いではない。
李丹のラスト近くの舞は、見事。誰に悼まれず、隠蔽され続ける死の朦朧が良く表現されていたと思う。終盤に至るまで、その生と死の狭間を行き交うような、儚くそれで強い存在感は秀逸でした。
「マルタ」という表現は、「材料」という意味で「マテリアル」から来ているらしいのですが、私は「ドキュメンタリー」からずっと「丸太」だと思っていました。
枝(手足=自分の行為を司どり死生を左右する部位)を切り取られ、ただ無機質に並べられた材木。何に使われるかをただ待つ存在として。