GREAT CHIBAの観てきた!クチコミ一覧

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すこやかに遺棄る

すこやかに遺棄る

芝居流通センターデス電所

OFF OFFシアター(東京都)

2017/04/26 (水) ~ 2017/04/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

これほどの娯楽性と「禍々しさ」が同居した舞台は観たことがない。確かに笑う笑う、そしてその背景にあるぞっとするような禍根の渦。ぱっくりと笑劇を割くように姿を見せる絶望感。何とも言えぬ居心地悪さが襲う。
チラシのストーリー書きを読むと、その曖昧な表現が醸し出すオカルト色に惹かれたのだけれど、どうみてもタイトルはしゃっれぽいし、何かかわいらしいイラストは入っているし、いったいどうなっているのと思ったけれど、双方正解。そういうことだったのね、という舞台でした。
入場の際に、あんな物を配ったり、配られた紙面にあんなことを書いたり、煽ってくれますが、これも演出なのかな。是非、芝居に
一期一会を求めるのであれば観てみるべき1作。

ただし、5人という限られた人数が劇中の回想含めて演じているので、服装がそのままで別の人物を演じなければならなかったのは、ちょっと興が削がれるなあ。
それと、あそこまで朗々とセリフがうまくはまっていたのに、ハブ・サービスさん頑張ってよ!


ネタバレBOX

児童虐待で死んでいった子供たちの物語。その悲惨に出会った3人がそれこそを糧に変えて、自らの新たに生きる道を探す物語。(もう1人は悔恨の上に死を選ぶのだけれど)グロテスクな表現も秀逸で、舞台上には見えないものを音とセリフだけで見させることへの執着まで感じました。べったりしそうな舞台をダンスが心地よく洗い流してくれるし、オカルト的な身体表現もよく練られています。
歌舞伎ミュージカル「不知火譚」

歌舞伎ミュージカル「不知火譚」

劇団鳥獣戯画

本多劇場(東京都)

2017/05/10 (水) ~ 2017/05/14 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/05/11 (木) 19:30

座席1階E列

奇しくも今年正月に、国立劇場で上演された歌舞伎「しらぬい譚」と同じ原作の歌舞伎ミュージカル。「奇しくも」というのは、この演目自体が「復活通し狂言」と銘打たれるくらいに滅多に上演されないので、ジャンルとしては異なりますが、このスパンで上演されること自体が奇蹟に近いのです。
歌舞伎では、天草四郎などのお家転覆のファクターはなく、あくまで鳥山親子VS若菜姫、化猫(別に連合軍ではない)の図式で進んでいきます。
鳥獣戯画は3部作で、この大長編戯作を、できるだけ原作に近づけて(といっても、十分に歌舞伎以上に傾いてくれるのですが)演りとげる所存のようです。
まずは第一段。けして派手ではないですが、舞台転換をさくさくと進めながらテンポよく話は進んでいきます。仕掛けは凝っており、若菜姫が蜘蛛の精に連れ去られた後の空中演舞、後の天草四郎が亡き父の亡霊と会うときの演出、殺される悪女とその色との首ダンス、ラストの大掛かりな〇〇登場と蜘蛛の巣のセット。
いやあ、お世辞抜きで、笑いあり、活劇あり(殺陣もしっかりしているんですよね)、ダンスありの舞台はまさにエンターティメントの粋をいっております。適度に歌舞伎の所作・ルールを意識しているところなど心憎い。
石丸さんの悪女ぶりがいいですね。小股が切れ上がった痛快な悪、でも、今回で死んでしまい残念。(次回からはナレーターやるのだそうな)
出演人数も多く華やかで、ラスト出演者全員でのレビューは圧巻です。舐めるなよ伝統芸能!!!とい喝采を上げたくなりますね。

ネタバレBOX

鳥獣戯画というと、当然、主演はちねんさんとなるのですが、相変わらずの活舌の良さが時代劇の雰囲気を盛り上げてくれます。しかし、あれは意識したギャグなのか、いかにもなちょんまげかつらは何なんでしょう。他の出演者がナチュラルに決まっているだけに、浮き気味です。また、どうしても、他の男性演者と比較すると、体格で劣るので、次回以降、一層の活躍が期待される中で、殺陣が増えてくると(上手下手ではなく)絵面で少し心配です。
次回はスズナリとのこと。箱が小さくなる分活劇度が心配、今回のようなダイナミズムを失わないように宜しくお願い致します。でも、来年秋はちょっと長いなあ。せめて1年後にして欲しかった。
最後にアンケートについて一言。今回は出しませんでした。理由は単純裏面に、登場人物の相関図が印刷されており、これ販売されているパンフにも掲載がないのですよ。となれば、次回観劇の際の記憶の必須アイテムです。これは、別紙面にしてくれないといけません。
だいこん・珍奇なゴドー

だいこん・珍奇なゴドー

流山児★事務所

ザ・スズナリ(東京都)

2017/03/15 (水) ~ 2017/03/22 (水)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/03/22 (水) 17:00

座席1階A列6番

この作品もやはりゴドーは来ない。というか、ゴドーという存在がいない。エストラゴンもウラディミールも、ポッツオもラッキーも、使者の少年もいない。でも、やはり「ゴドーを待ちながら」なんだよね。「だいこん」への執着はよくわからないけれど。
立派な音楽劇でもあります。
ちなみに、X・Y席に座ると、思わぬプレゼントがもらえるかも。
珍奇な珍奇なゴドーです。解説も評価も不要。

ネタバレBOX

でも、登場人物たちは、ゴドーを待つのを止めて、新たな可能性を求めて旅立って行くのでした。「不条理なんて大嫌いだ!」なるほど。。。
「遍在、或いは、いつもの軽く憂鬱な水曜日について」

「遍在、或いは、いつもの軽く憂鬱な水曜日について」

ヘアピン倶楽部

シアター711(東京都)

2017/04/26 (水) ~ 2017/04/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/04/26 (水) 18:30

「遍在」つまりどこにでもある話だ。考えるだに、展開を追い続けていると恐ろしくなっていく舞台である。結婚パーティの夜、そこに集う男女5人。この5人は、お互いの存在に気づかないのか、それとも気づこうとしないのか、話は双方向的になることもなく、ひたすらすれ違っていく。もちろん、彼らも相手を全く無視するというわけではない。一瞬、お互いを受け入れようとするが、そのささやかな努力さえも、失われたものを取り戻すことができない。その失われた状況は私たちの日常に遍在しており、明日の水曜日の朝を迎えることへの軽い憂鬱さを招いている。安部公房かルイス・ブニュエルの作品を思い出す、真実を露出させることによって成立した素晴らしい不条理劇。

ネタバレBOX

では、何がどこにでもあるのか。それはコミュニケーションの喪失。そもそも、結婚したという男女は存在したのか?そのような存在はなかったのではないか。どれだけ広い邸宅なのか判らないが、5人しかおらず、その5人はお互いの存在への意識は希薄だ。空間の喪失。彼らの時計は壊れるか、捨てられており、時間の観念も喪失している。テーブルに残された遺物のみが、彼らの存在を証明するかのようだ。一緒の行動(日の出を観に出かけたり、相手の似顔絵を描いたり、お茶を入れてあげたり、一緒に鏡を使ったり、そしてSEXも)は、常に自己の表明ではあっても、相互性を獲得することがない。
また、いつもの軽く憂鬱な水曜日はやってくるのだろう、日常という名の仮面を付けて。
ラストには、本当にぞっとした。「実存」という言葉を久々に思い出した。コミュニケーションなんて存在しない、それは束の間に現れる幻想だという表明は、私を暗澹とさせた。滅多に買わない台本を買った、もう一度この舞台の恐怖を確かめたくなったから。ただ、観客を選ぶだろうから、お勧めはしない。
「緑のオウム亭ー1幕のグロテスク劇ー」

「緑のオウム亭ー1幕のグロテスク劇ー」

雷ストレンジャーズ

小劇場B1(東京都)

2017/03/01 (水) ~ 2017/03/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/03/03 (金) 19:00

座席貴族番

かなり前に配られたチラシ(今のチラシと仕様が違い、裏面が白紙、内容も全く分らない)で「一幕のグロテスク劇」というタイトルを見かけてから、これは絶対見ようと心に決めていました。あの毒々しいオウムの絵に魅入られたともいえます。
フランス革命ーバスティーユ襲撃時の興奮が、劇の進行と共に居酒屋の中でも高まっていきます。劇中劇は、虚構なのか現実なのか。それらが混沌としてきたときに、居酒屋内の人々の判断は断絶し、狭い空間で各々の言動は暴発を始めます。
そして、劇中劇と現実との狭間を取り払い、大きく引き金を引いてしまうのが、あの人とは、、、

舞台衣装もよく調達したな、という感じで、特に浮浪者の衣装は、動くたびに本当にほこりが立つんですよねえ。

上演時間は80分。時間が残り少なくなった時、どのようなエンディングを迎えるのかと思いましたが、彼らは夢中の混乱から現実の混乱へと舞台を移動して行くのでした。
多くの笑いもあったけれど、物語の節々でエッジを利かせながら話の散逸を防ぎ、シニカルなセリフと時折起こる極度の緊張は心地よい。入りの静けさからスピード・ボルテージがどんどん高まっていき、最後の唐突に見えるエンディングは、まるでラベルのボレロみたい。

辻しのぶさんは確かにきれいです。適度な熟れ具合がまた。胸の谷間をまじかで観られたのは眼福。(あれ、最近こんなことばかり書いているなあ)

ネタバレBOX

貴族席で拝見しました。全くの貴族です。1舞台3人のみ。パンフレット付きで500円高いのだけれど、パンフレット自体が500円なので、お得感ありありでした。何かとてもお客として構ってくれた感ありましたもの。

ただし、この席はご注意。急に役者さんが目の前から話しかけてきたり、狭いのでぶつかりそうになったります(実際、ニアミス多かったし)。近くにあったランプも、単なる雰囲気だけの小道具かなーと思っていたら、しっかり使うし。油断できません。

ちなみに、盗んできた宝石をばらまく場面で、最後にポケットから出した銀色のお宝、何か気付いた人どれくらいいたかなー。あれ、繋がったドアのノブです。目の前で誇らしそうに見せてくれました。
『あぁ、自殺生活。』4月~6月/365

『あぁ、自殺生活。』4月~6月/365

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2016/12/31 (土) ~ 2017/05/29 (月)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/05/15 (月) 19:30

まず、導入が怖いです。主人公たる2人が薄明りの中、こちらに歩いてきます。何かそのままとびかかってくるのかという緊張感。最前列の私はひたすら怖い。そうでなくても、会場の雰囲気が、開演前からどうも尋常じゃないのですから。
かなり怪しい舞台だな、と思っており、会話劇ということは理解していましたが、何やかやと細かい所作が連綿と続きます。その1つが、体に巻き付いたラップをはがしていくところ。この行為に何を見るかで、演劇の印象はかなり変わると思います。

自殺する生活、それはひたすら自身を殺し続ける(精神的な意味で)生活を意味するのかなと思っていましたが、違ったようです。絶え間ない生への執着を持つがゆえ、自殺してやろうという意思に自身の生の喜びを見つける所作。自身を頬をつねりながら、その痛みで生の実感を得るようなものでしょうか。

舞台の上では、ひたすら狂気が漂い、言葉の暴走が起き、そしてしょーもないダジャレが飛び交います。これはすごく不安な空間でもあり、またどこに連れて行かれるかわからない心地よい空間でもあります。

自殺志願の男の鬱屈した目と、彼を諫める男の焦点の定まらない目、舞台が終わると、お2人とも、至極まっとうな方々で、安心しました。リピーター割があるので、少ししてからまた観に行きたいなあ。今度は芝居好きの子供を連れて。

ネタバレBOX

延々と続く会話は、自殺の話からごみの分別の話、リサイクルの話、認知症の話とひたすら流転して、また自殺の話へと戻っていきます。今度は自殺の主体が入れ替わって。

体に巻き付いたラップ(いわゆる食品保存用ラップ)や、ラップを会場に張り付けるのは、今年4月以降の演出とのこと。このラップの意味は何なのか。回答はないようですが、彼らが自殺に踏み切れない、この世の業のようなものに思えました。そのラップが全てはがれてしまった先で、1人は事故死的に(周囲の評価では自殺ととらえられたかもいしれない)死に、もう1人は自殺を試みることから離れていく(このことは、取りも直さず、生死への執着の喪失であり、彼はその意味で精神的に死んだのかもしれません)。
「シン・浅草ロミオ&ジュリエッタ」

「シン・浅草ロミオ&ジュリエッタ」

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)

2017/02/18 (土) ~ 2017/02/27 (月)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/02/20 (月)

座席1階3列

「ロミオとジュリエット」の翻案ではありません。歌舞伎ですね。「ロミオとジュリェット」のハイブリッドでキッチュでハイパーな「傾奇」。もしかしたら、タイトルにある「ロミオとジュリエッタ」は、個人名と恋愛悲劇との掛詞に過ぎないのかもしれない。それくらい、本来の話との共通性はない。

世話物でありながら、まさに荒事。歌う躍る、殺陣あり艶事あり、駈けづり回る飛び跳ねる、修羅場もあれば見得も切る。目に焼き付くのは、胸の谷間と網タイツ、粋な漢の着崩し姿。セリフのケレン味は抜群。

舞台で起きるあらゆることが、向島の戯作者(登場人物の1人)の作った戯作のメタ芝居のようにも思えてきます。つまり、舞台で起きることが、彼に芝居を書かせているのだけれど、実は彼自身も戯作に登場する1役に過ぎない、というような、胡蝶の夢みたいな芝居です。

浅草を根城とする同劇団、この演目を東洋館でやることの意義を深く感じます。
すぐ手の先にある吉原と隅田川。そして勝手知ったる劇場を隅々まで使いこなす巧緻性。土地柄なのか、贔屓筋(ファンではない、親族や友達でもない)も多そうですし。

飲食禁止ではないこともよいです(芝居の邪魔にならない範囲ですよ)。大衆娯楽で飲食禁止はないよ。

樹里恵の服装はナコルルですよね、赤バージョンの。
客席通路に立つ樹里恵こと古野あきほさん、横で観ていて凛としてカッコよかったな。
「狼眼男」こと毛利小平太の丸山 正吾の客席を駆け抜ける横の速さと、舞台に飛び乗る時の縦の軽快さにも目を見張った。

また拝見に伺うと思います。そのせつも宜しくお願い致します。




彼の町

彼の町

劇団銅鑼

俳優座劇場(東京都)

2017/03/15 (水) ~ 2017/03/20 (月)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/03/19 (日) 15:00

この舞台のよさは、劇中劇という形でチェーホフの短編をつなげることで、細々とせずにチェーホフの短編を幾つも観られること。そして、チェーホフ劇を演じる役者役の役者さんたちが、自身のチェーホフへの思いを体現しているように感じられること。構成・演出の勝利です。

ネタバレBOX

老演出家と若手女優の会話(正確ではありません)
女優「チェーホフは死を待っていたのではないでしょうか」
演出家「やはり、チェーホフは生きたかったのだと思う。何十年後も新たな作品を作り    出して、それを観てもらいたかったのだと思うよ。」
老演出家役の鈴木瑞穂さんには、チェーホフが望んだように永遠に作品を作り上げてもらいたいです。
わが兄の弟

わが兄の弟

劇団青年座

紀伊國屋ホール(東京都)

2017/04/07 (金) ~ 2017/04/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

遠近法を強調するかのような、前傾になった舞台。皆さん三半規管大丈夫なのだろうか。舞台上の明るい会話もユーモアも、全てにほんのりと死の影を漂わせる舞台です。
ただ、舞台上では誰も死にません、それは語られるに過ぎず、故に死の現実は夢幻のように虚ろで、ただ香り立つしかないのです。
「贋作」いいじゃないですが、立派なチェーホフ傳ですよ。

ネタバレBOX

第一幕のアントンとニーナの軽妙なやりとりから始まり、第二幕に少しだけ影を落とす。その影は、第三幕で確信となり、第四幕で決定的になる。それでも、希望は消えない。アントンが天上の亡き兄ニコライに自分の心情を吐露する部分が素敵だ。目の前には、悲惨な現状(ニーナにとっても、そしてアントンにとっても)が突きつけられているのに、人間は希望と喜びを見いだせるのだなあ。
チェーホフの30歳、なぞのシベリア訪問に材を取った本作は、ラストまで影を濃く濃くし、彼の苦悩を大きく大きくしながら、一気に駆け抜けるように魅せる爽快感も素敵です。そこか、アントンはそこへ行きたかったのだね。この時点で余命14年か。
先月、俳優座で観た「彼の町」で、鈴木瑞穂演ずる老演出家がラスト近くで発する、「チェーホフは、もっと生きたかったのだと思うよ」というセリフが浮かんできて、なぜかとても感傷的になってしまった。
ふくろう

ふくろう

劇団昴

Pit昴/サイスタジオ大山第1(東京都)

2017/04/17 (月) ~ 2017/04/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/04/18 (火) 19:00

ふくろうはもちろん出てこない。鳴き声で暗示されるだけ。それでも、かなり新藤兼人さんのシナリオに忠実に作ってあり、新藤監督が意図していた一幕物を舞台という空間で忠実に作り上げています。戦中戦後の苦しみが親子の身体性と、「花」の歌詞を通じて見事に描かれています。
北村さんは、長い芸歴の中でこれが初演出というのは意外な感じがしましたが、ご本人いわく役者の方が楽しみが多いからだったそうです。
田渕真弓さんは、怪しい魅力のある方ですね。

ネタバレBOX

殺人を繰り返す親子の怨嗟の声が、笑いの中で脳内に響いてきます。この殺人の繰り返しがどこまで続くのか、と思わせる中で、1人1人が一言ずつ発しながら観客に愉悦さえ感じさせて死のストーリーは進んでいきます。最後は大きな慟哭を感じさせるような死の連鎖があり、芝居は1年後をもって終焉します。あの母娘はどこに行ったのだろうか。シベリア、ブラジル、それとも、、、、、
正味2時間の部隊で途中15分の休憩は、どうかなと思いましたが、前半の弛緩したような空気と、後半の怒涛の展開とにうまくメリハリをつけてくれています。
幸福のとき

幸福のとき

立花座

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2017/01/06 (金) ~ 2017/01/09 (月)公演終了

満足度★★★★★

寡聞して原作者の莫言という方を存じあげないし、立花座が張芸謀という映画監督へのリスペクトによって立ち上げられたということも不勉強だった。そして、この作品が張芸謀氏の映画になっていたことも。(そう、張芸謀って「紅いコーリャン」の監督だったんだ。)だが、そんなことは観客にとっては関係ない。結末をどう見るか、きっとありきたりとかいう者がいるんだろうけれど、私には、人生は過酷なものなのだ、そして人間は愛おしいものなのだということが改めて感じられた。その意味では戯曲として、テネシー・ウイリアムズやアーサー・ミラーにも匹敵すると思う。(ただし、彼らの作品と違うのはこの作品には心優しい人々がたくさんいること)
何書いてもネタバレになるので、ここでは書けないんですが幾つか、突っ込ませてもらいます。
序盤のところの描写には、子を持つ親として少しセンシティブになりましたけれど、、、、今の子供たちなら心配ないか。(意味わからないと思いますので、未見の方は是非ご覧ください。この劇団が子役の育成に力を入れている、というがヒントです)
リンリンの将来が心配です。
工場長さん、ピカピカの車持ってるくらいなんだから、本当は相当貯めこんでたんじゃないの。
ユイさん、本当に気持ち悪い。
ちょっと、観客席が寂しかったけれど、チケット代を考えれば観る価値は十二分あり。でも、子役は皆うまいなあ。ラストは横を通られて少し目頭が熱くなりました。(意味わからずでごめんなさい)

ネタバレBOX

やっぱり、ラストをどう見るかということだと思います。全てを不安に包ませたまま終わっていくラストは、実は他の役にも皆あてはまることで、彼らはひどい怪我は負っていないしいなし、目が見えないわけでもない。そして主人公2人のこれからを思うと深い苦しみ・悲しみを覚えずにはいられないのだけれど、それはこれからの自分にも起きるかもしれないこともよく分かっている。だからこそ、それまで主人公2人とそれをとりまく彼らの笑顔が、全て愛おしい。
実はこのことは、「評判の悪い女」アイリンにも当てはまるのではないかな。彼女もつも不安にさいなまれている。それと、チャオは別れ話を言われたときに気付いたんじゃないのかな。だから、捨て言葉1つ言わなかったんだと思う。ただ、悲しいかな彼女には、フーさんやティオンさんやチェンさんetcのような人々がいない。彼女は底のないほど孤独なんだろう。
周りの皆が、初めはチャオの結婚のために頑張るんだけれど、それがだんだん、チャオも含めて、ウーィンのためだけを思って奮闘努力するようになる姿が、自然ですごくよかった。だからこそ結末が生きたのでしょうね。
それと、小技ですが、ウーィンが天井の高さを測るシーンがうまいですね。あれで、全てが嘘だと確信したんでしょうね。映画もそういう場面あったのかしら。
最後に、
赤池さん、あんなに滑舌よかったのに、何で最後のインフォで噛んだんですか。
斉藤さん、終始結構色っぽかったです。何か青目さんVerのアイリンも見たくなりました。次回も期待しています。
空を飛んだ後のライト兄妹

空を飛んだ後のライト兄妹

東京パイクリート

小劇場B1(東京都)

2017/01/25 (水) ~ 2017/01/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/01/26 (木)

座席1階1列

まずはお詫びをいたします。所詮、飛行機とかのセットはないんだろうな、と少し侮っておりましたが、何と素晴らしいセット(飛行機!)を作ったことか。確かに、空を飛ぶことはないのですが、そのセットとたまに出てくるエンジン音だけで、”ライト兄弟(妹)”のドラマであることを強く強く印象付けます。
そして、各役者さんたちのキャラがエッジ立ちまくりでキレキレ、服装・仕草・小道具・言葉使いに工夫がなされていて、彼らの交錯する芝居は多彩なパステル画を見るようで一切飽きさせません。特に内藤羊吉、用松亮のライト兄弟の強烈な個性は仲がよいのに全く異なる(それでも高い共感性を保っている)2人をうまく描き分け、前半は弟中心に、後半は兄中心に進む構成もメリハリが効いていてとても心地よいもでした。そして、ともすれば濃くなりすぎそうな芝居全体を、妹キャサリン役の内海詩野さんがうまく中和してくれます。
とてもよいものを見せていただきました。

ネタバレBOX

ラスト近く死期が近いであろうシャヌート氏(兄弟の目の敵)を飛行機に乗せてやろうと言いだす弟オービル、多くの失ったもののために訴訟は譲歩できないと自分の意志を曲げない兄ウェルバー(この失ったものは、キャサリンの35年の年月なのだろう)、頑固者(弟)と変人(兄)を中心としたドタバタ展開の後に、最後で2人の人物像を描き切る手腕は見事でした。ラストシーンもきれいに落ちました。
たくらみと恋

たくらみと恋

世田谷パブリックシアター

世田谷パブリックシアター(東京都)

2017/02/18 (土) ~ 2017/02/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/02/19 (日)

座席3階A列11番

価格4,000円

これを観られたのは、至福の幸運。
シラーの戯曲なんて日本ではまずやらないだろうから、記念に観ておくかくらいの気持ちでチケットを買った。もちろん、レフ・ドージンもマールイ・ドラマ劇場のことも知らない。外国語の演劇は字幕がついていても、映画と違って同じ画面の中に納まっていないので、やたら首を振らなければならないので、そのしんどさもあって乗り気の観劇ではない。ロシア語なので単語聞いても、全く判らないだろうし。

この戯曲は、シラーの中でも有名な作品らしい。それも悲恋もののようだ。古典主義の悲恋物は、ガチガチの硬さ(几帳面さ)と形式主義のイメージ。退屈かな、疲れるな、と席についても悲観的な観測。そう、あくまで記念だよ、記念、と私の心の奥底がつぶやいている。

しかし、開幕10分で杞憂は裏切られる。この舞台は、ひたすらラストの悲劇に邁進するのだが、それが時間を感じさせないくらいにぐいぐいこちらの心を鷲掴みにしていく。そのポイントは、軽快な音楽を使い、ところどころで軽妙(セリフ回しや女性陣のテーブル上のダンス?など)に、笑いさえも挟み、本来は重いトーンで貫かれている戯曲に弛緩と緊張を交互に与え、けして観客を飽きさせない。
 もちろん、タイトルの通り、権力による「たくらみ」は陰湿で執拗で、本来なら見ていて強い嫌悪感をいだかせそうなストーリーである。そこに純真な恋愛感情が翻弄されるわけだが、物語に通底するテーマを削ぐことなく、けして私たちに不快感を与えることはない。(ネタバレに続く)

この舞台が、わずか4000円で観られた幸運に感謝したい。

追伸:三軒茶屋駅を降りると、とにかくロシア人、ロシア人。もちろん目当てはこの芝   居。うらやましい、言葉が判って観られたのは。
追伸2:フェルディナンド役の男性、よほどキスがうまいのだろうなあ。女性陣が演技    離れてうっとりしているように見えた。

 

ネタバレBOX

若い2人はもちろん、劇中何度も心が揺れる。
16歳の女は自ら身を引こうとし、両親の命のために男を騙す(それでも高い純潔性を保つのだが)。そして共に死を選択することすらも考える。
20歳の男は、父親の女への侮蔑に対して毅然と立ち向かいながら、一方で大公の愛人の誘惑に負けそうになり、だまされたと知らず女に嫉妬しを罵倒する。
その果てにたどり着くのは、、、

どの役者を見ても隙が無い。

なんということだ、けして観衆迎合をするような卑下ない高尚な舞台、厳粛な心中劇。ラストの数分間では、今までの芝居から突然突き放されたように感じ、涙が出た。

演劇を観て、生きててよかったと思ったのはいつ以来だろう。
満足度は★がつけられないくらい。
「蝉の詩」

「蝉の詩」

劇団桟敷童子

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2017/04/25 (火) ~ 2017/05/07 (日)公演終了

満足度★★★★★

私は月1回、母親と演劇を観に行きます。歌舞伎(たまにオぺラ)ということもありますが、新劇が多い傾向にあります。母は戦前の生まれ、あまり突飛なものにならないことや、割とゆったり観れること、そしてできれば彼女の生きた時代と重ねられることなどを思うことからそうした傾向になっているのだと思います。

ですから、小劇場などはまず想定していなかったのですが、桟敷童子とチョコレートケーキには、母親にも観るべき何かがあるという気がしておりました。

そこで求められるのは、昭和の風景です(必ずしも明るく快いものばかりではありません)。しかし、俳優座でも民藝でも文学座でも、昭和という時代を見せてくれくれる舞台には出会えません。苦しさは個人の感情に還元されてしまい、明るさもお茶の間的なほのぼのさとしてしか表現されないのです。

そして、「蝉の詩」。初めての小劇場でしたが、見せてよかった。それは私もうろ覚えながら知っている昭和であり、感じてきた昭和がありました。生きることへの執着のある時代。これほど見事な世界を作り出すとは。

この舞台の高い悲劇性・悲惨さも、人間のリビドーが作り出す笑いでうまく中和されています。それが素直な観客の涙につながるのでしょう。けして悲劇への感情移入が涙を流させるのではなく、ひたすら湧き上がる高揚感が涙を流させるのです。桟敷童子の力量の高さです。母に見せて正解でした。

ネタバレBOX

ラストの描き方について幾つかのご意見があるようです。

織江のその後の数十年が判らないのでラストでの感情移入ができない、ましてや、ホームレスの老人になった織江に、今は亡き皆が「もっと生きろ」と言うことに何の意味があるのか、というご批判はごもっともです。

確かに描かれない、織江の生きた数十年に観客が想いを馳せるのは困難です。亀吉から相続したであろう遺産はどうしたのか、夫はいつどうして死んだのか、子供はいないのか、なぜアイスクリーム屋は失敗したのか。判りません。
ただ辛いだけの人生ではなかったのだろうとは、織江が姉の言葉(まっすぐに生きろ)を今も忠実に守っていることから推察できます。

ラストで皆が「もっと生きろ」ということの意味は、題名でもあり劇中で創作される「蝉の詩」にあるのではないかと思いました。

蝉は「みん」と鳴く、「死にたきゃねえ」と鳴く

人は死ぬと蝉に転生すると劇中で語られています。また黄金色の蝉を見つけると一生幸せに暮らせるとも。

織江はその最期を考えれば、黄金色の蝉を見つけることはできなかったのかもしれません。でも蝉に転生した時、彼女が黄金色の蝉になっているかもしれません。それで人を幸せにして、7日目に「みん」と鳴くのでしょう。

きっと、そうした意味でも織江に、皆はもっと生きろと言ったのではないでしょうか。

確かに織江は、まだみんなのところ(姉達や亀吉のところー黄泉の国)に行けないのかい、と一瞬嘆きます。ただ、彼らのエールはそんな弱気じゃだめだよ、「みん」と言ってみろということではないでしょうか。織江が最後に、気を取り直してアイスクリームの旗を振るのは、彼女なりの鳴き方だったのではないかと思えて仕方ないのです。
弟の戦争

弟の戦争

劇団俳小

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2016/12/07 (水) ~ 2016/12/11 (日)公演終了

満足度★★★★★

題名
この演劇の舞台は、湾岸戦争時のイギリスである。なぜ、イギリスなのだろう。そんな単純な疑問を持った。おそらく、湾岸戦争の当事者であるアメリカではなく、イギリス(多国籍軍として参加はしているが)としたのは、第三者の立場、言い換えれば第三者の視線を持ってこそ、演じるべきテーマであることが重要なんだということなのだろう。
舞台は、装置に工夫を凝らし、多くの場面転換を効率よく見せる。そのテンポのよさが、幾つもの場面とセリフを、フラッシュバックのように前の場面と重ね合わせ、善良である家族の無意識の悪意を紡ぎだす。
父親の理路整然とした正義感と実態を見ようとしない無関心、母親の愛情への埋没と現象しか見ない矮小さ、それらを整然と演じられたお二人に拍手。
ちなみに、説明に書いてある「弟のフィギス」は間違い、弟はアンドリューである。そうでないと、読み誤る。

ネタバレBOX

タイトルを見て、つい私も勘違いしてしまった。「弟の戦争」、これは「アンドリューの戦争」ではない。「弟」と主体的に言えるのは兄しかいないのだった、と芝居の途中に気が付いた。
兄トムがアンドリューが生まれる前に会っていたフィギスは、潜在化にいた悲惨な世界に対して覚醒する前のトムなのだね。ラストでフィギスがいなっくなったのは、トムがフィギスと一体になれたことを示し、これは世界へ眼差しを獲得したという点で幸福であり、1人と少年としては悲劇だったのだろう。冒頭から終末まで、自らの中でトムとフィギスの2役を演じきった、主人公には拍手。
ニール・サイモンの名医先生

ニール・サイモンの名医先生

劇団だるま座

アトリエだるま座(東京都)

2017/02/06 (月) ~ 2017/02/14 (火)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/02/08 (水)

座席1列

ニール・サイモン最高!
何を書いてもネタバレしそうなので、ここは一般に感じたことを
1.衣装の多様さに驚きます。着替えも多いのでしょうし、控室が広いとも思えない。
皆さんどうやって着替えているのかとても気になりました。

2.舞台を観て、戯曲を読んでみたいと思うのは作品の独創性がよく表れている所以だと思っています。そこで、どこまでニール・サイモンが書いているのかほんとに読んでみたいと思います。

3.1時間で11話、オムニバスは頭の切り替えを求められるので、結構慌ただしいかな
と思 いましたが、そうでもなかったです。時間に比して見応えがありました。全話後で内容をなぞらえましたし。(結構、オムニバスって、印象の強い話が他の話を記憶から駆逐してしまい、あれ何の話だっけといういことがあります)

4.さて、舞台は延々と続くスラップスティックコメディー、オーバーアクションはあるものの、クス笑いが続く空気は居心地がよかったです。

5.舞台の構造がかなり特殊で、脇の方々は役者さんが対面になった時の表情が見えづらいのではないかな。でも、椅子の使い方などかなり工夫が見られたと思います。

ネタバレBOX

さて、まずはチラシから。このセピア色のチェーホフ先生、どこからか昔の本人の写真を持ってきたのかと思いましたが、先生を演じる塚本さん自身ではないですか?
塚本さんのチェーホフの造形はほぼ完ぺきに近いですもの。
開場後ずーと、舞台のベンチに座っている塚本さんこと先生。かなり観客にプレッシャーかけています。(笑)正面で30分待っているのは、ちょっときついです。
印象が強かったのは、くしゃみの話、プレイボーイの話、オーデションの話、繰り返しの妙が、全く異なるトーンで観られます。
特にオーデションの話でのささいけい子さんの演技は、力量を感じさせました。私、きちんと「三人姉妹」が演じられるのよ、という点がツボで、ラストの先生のセリフが活きます。
剣持さんは眼鏡が曇る熱演で、力業を何度も繰り出します。当たり前かもしれませんが、全て各話の役柄が全く別の人物に見えるのが妙です。最初の大臣と銀行の専務などは、役柄が被りそうなのですが、そうはなりません。怒っている芝居(怒る理由は異なるわけですが)が別人物に見えます。
テーマは、、、、ないです。でも、品のあるすがすがしい芝居です。
ちなみに、塚本さんの先生はレオン・トロツキーに極似なので、剣持さんがスターリンを演じてコメディーを作ったら面白そうですね。
最後に、葵夏穂の美ボディを至近距離で観られたのは目の保養。

The Dark

The Dark

オフィスコットーネ

吉祥寺シアター(東京都)

2017/03/03 (金) ~ 2017/03/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/03/06 (月) 19:30

座席1階C列12番

予定調和にしないこと、間隙を作り観客に読み込ませる部分を設けること。単に意外性を追求するのではなく、本来現実にありうる偏りや欠落を示し、バランスボードにうまく人物を配置しないこと。この舞台のそうした配慮に感心しきり。

同じ間取りの3軒の家に3つの家族が位している。間取りが同じなのだから、3軒は同じセットの中を縦横に行き来するのだけれど、こうした舞台設定はそんなに珍しいものでないようです。(この日はアフタートークがあり、中山祐一朗さんがそうおっしゃていた)

同じ間取りを使うとなれば、それぞれの家族のシンメトリーを映し出すことが物語進行の肝になりそうなものです。確かに3つの家族は異なります。
15歳の引きこもりの息子がいる倦怠期の夫婦、新しい赤ん坊(娘)を授かりながら、過去に幼い子供を亡くしたトラウマからいがみ合う若夫婦、大きな息子(彼がある性癖がある)を持ち夫をなくした老母。確かに家族の像はバラバラです。
この3家族は、全く異なるシチュェーションで、同じセリフをシンクロさせながら笑いをとったりしますが、常にどこかが仲間外れです。一家惨殺の事件に関心を寄せる2家族、流れのままに不倫をする2家族、停電で灯りを持っている2家族、子供たちが意思疎通する2家族、食事をする2家族、シャワーを使う2家族、バーナーのある2家族というように。

それぞれの家族は当たり前といえば当たり前のように、横並びではありません。停電の闇で、登場人物の心の闇が動き出す、確かにそうした舞台なのですが、微妙な仲間はずれが、闇の濃淡・深浅を紡ぎだします。

ネタバレBOX

ラストシーンは、何とも幸せな気分で迎えることができるのですが、ここでもある家族にのみ悲劇が襲います。あのシ-ンは死ですよね。そこまで、頑なに避けてきたような
「死」の到来が、あの家族にどのような闇を招いたのでしょうか。

なお、この舞台では何度か、今何時なのかを尋ねる会話があるのですが、これは実際の時刻なのだそうです。だから、あんなに半端な時刻だったのだな、と得心がいきました。でも、昼の舞台の時は、どうしているのでしょうか?停電しても闇になりませんから、お話が成立しないですよね。
炎 アンサンディ

炎 アンサンディ

世田谷パブリックシアター

シアタートラム(東京都)

2017/03/04 (土) ~ 2017/03/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/03/11 (土) 13:00

パンフレットを読む限りでは、役者の皆さん(再演がそもそも好きじゃないのか)、今回の再演には乗り気ではなかったみたい。それでも、オファーがあり、それに誰一人として欠けることなく出演したのは、この作品には、まだまだ演れることがあるという判断なんだろうな。
麻実れいさん毅然とした演技、娘時代の演技との乖離が素晴らしい。
岡本さんが後半出てくると(前半にも他の役で出てくるんだけれども)、舞台の重さは、とたんに軽くなると同時に陰惨さを纏い、雪崩を打つように悲劇色を濃くしていく、こういう役はうまいよなあ。那須さんも、童女のようなあどけなさを演じられる稀有な役者さんだし。
3時間強があっという間でした。

SUBLIMATION-水の記憶-

SUBLIMATION-水の記憶-

護送撃団方式

萬劇場(東京都)

2017/02/15 (水) ~ 2017/02/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/02/15 (水)

座席2列

『あなたのその曖昧さ、全面的に愛してる。』このセリフを吐くのは、誰もが想像するように主人公の曖昧な女性である。しかし、このセリフがどこで誰に吐かれたのか、そのシーンにはかなり驚いた。

”形を壊すスチームパンク LOVEサスペンス!!”という煽り文句。

この舞台は、登場人物同士をたくみに裏切らせながら、その上で観客をも少しづつ裏切っていく。それも、特定の登場人物と観客しか知らない形で。登場人物と観客がある種に共犯関係を築かせるのだ。これが「形を壊す」。

まさに設定は、スチーム満載の「スチームパンク」。

説明書きを読んだ観客は、割り切りたい男と曖昧な女が愛し合うという意味で「LOVE」を想い観劇に臨むのだけれど、この「LOVE」は全く私たちの想像を超えるものだった。

そして次々と明かされる事実と、暴力描写や30年前の回想シーンは上質の「サスペンス」。

何のことやらと思った説明書きが全て、きれいに舞台内容をなぞっていることには、ほとほと感心せざるをえない。確かに「真実なんか蒸気の向こうに消えていく。」のだから

また、舞台装置も見事。確かに狭い。しかし、その狭さも舞台を立体的に見せることや深い奥行きを感じさせること、そしてトンネルをくぐり時間経過を見せることで無限の広さを感じさせる。
その上で、ダンスシーン、アクションシーン、そしてモブシーンが、最初狭いと感じさせる舞台に収まるのは、演出と稽古の賜物だろう。その上それぞれのシ-ンの出来栄えも高品質だ。

本来、舞台では難しい回想シーン。舞台装置の大掛かりな変更(例えば、歌舞伎などの回り舞台)が必要と思われる過去への移行も、人物配置の妙ででスムーズに行われる。だから、舞台は停滞することなくどんどん進んでいく。

舞台開演時の演出も気が利いている。まさに【舞台への誘い】、観客席がこの街との地続きとなり、舞台と観客の一体化を感じさせてくれる。

まさに観るべき舞台!!!

追伸:スチームのせいか、結構、劇場内が冷えます。、ひざ掛けを貸与してくれますの   で開演前にいは借りておきましょう。



ネタバレBOX

『私の体の60%は世界で最も曖昧な物質で構成されているんです。』
これが水であることは、舞台のタイトルからも自明の通り。ただ、この水を、スチームであったり、街をめぐる水道管内の水であったり、そして人間に含まれる60%にまで拡張して、そこに宿る記憶の物語として舞台化したお手並みは見事の一言。

物語を貫くウェンヤンの存在も街の混沌を体現するように魅力的。
ウェンヤンの分裂症的な性格は、あの街にあった水の記憶に由来するものなのか。
優等生的だが、曖昧なことを愛し、仲間を裏切り、兄を蔑み、○○を偏愛し、自らの愛の証明のために自傷する。自らの存在の前に、意図のあるなしに拘わらず全ての者をひれ伏させる。しかし、そんな彼女は、街の誰からも愛される(あるいは嫉妬される)存在なのだ。
彼女は割り切りたい男をも飲み込んでいく。

水道管に水を送り続ける、【存在しなかったのにすべてを見ていた】ラウ、スチームの中を時空間を渡るように舞い続けるフーグー。彼、彼女は水の近くにいて全てを司っていたのかもしれない。彼らは歌わない、たった2人の沈黙のコロスではないのか。ただ1つ、30年前に嫉妬に駆られてラウがとった行動のみが、自らの役割を逸脱するのだが。

なお、1つだけ言わせてもらうと、30年前の事件の際にリーと組み合う人物の素性が判らないのが消化不良。クインに暴力を振るっていることから、親なのか夫(ないし恋人)なのか。その人物描写を捨象したことは正解だったけれど、どうにかしてすっきりさせて欲しかった。(どこかで判るようになっていたのかな?)
まつろわぬ民2017

まつろわぬ民2017

風煉ダンス

座・高円寺1(東京都)

2017/05/26 (金) ~ 2017/06/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/05/28 (日) 14:00

座席1階1列

いやあ、素晴らしい。白崎映美さんの女っぷりのよさに拍手拍手!!!!鬼、東北、ゴミ屋敷、行政、1000年。言わずもがなですが3.11が舞台の背景にあります。しかし、けしてそれを引き摺るではなく、そこを原点として前に進もうという意思であふれています。いやあ、歌とユーモアとダンスの奔流は2時間半を、物凄い強度で圧縮し、けして淀みを見せません。とにかく観てください。私の言葉などでは何も表現できません。

舞台を初めて観る方に、なぜ「絶対観るべし」がないのだろう、とちょっと意固地になります。

ネタバレBOX

ひたすら続くジャンプネタ、結構、観客の年齢層も高めだったし、どこまで観客の皆さん判っていたのだろうか。そして、ラスト近く、ヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」がかり、ジャンプの精霊(?)が出てくるのだけれど、若年層もあれ判ったかな
( ´艸`)

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